動物の死

動物園によっては慰霊碑を設置して動物を供養する。人気動物が死ねば当然マスコミにも取り上げられる。しかしそれ以外の動物の死は関係者だけが冥福を祈るばかりである。
動物園の多くが機関誌を発行している。このような機関誌で動物の訃報を伝える方法もある。名古屋の東山動物園は大型動物や人気動物だけでなく割合に広い範囲の動物の死を情報としてよく伝えている。

私たち自身がお墓
王子動物園のニワトリの像を見ていて感じたことなのですが、人間も多くの生き物と同様、ほかの生き物を食べて生きています。ということは私たち自身が食べた動物のお墓といえるのではないでしょうか。生き物はみな、物質が循環する生態系の一員ですからね。

動物の死が隣り合わせだった
捕らえられている動物がかわいそうという人がいる。水族館の魚の展示を見て、おいしそうという人も多い。また博物館での昆虫の標本を前にしてかわいそうという声は聞いた経験がない。
どうも哺乳類に対して私たちは感情移入しやすいようだ。私たちが動物自身の気持ちになって動物を思いやることはよいことには違いない。
ただし、日常生活のなかで動物と触れることが少ない今日、人間の思いをそのまま動物にあてはめるなど動物への思いが単純化しているのが気になる。ふれあいのある動物がペットだけに偏っているせいかもしれない。「かわいい」とか「かわいそう」とかだけの感じかたになっているのではないか。
ほんのちょっと昔には、かわいいけど食べるときには食べる。戸外で動物を遊ばしていると野良犬や野良猫の餌食になる。育てたウサギを毛皮業者に売る。夜中にニワトリがイタチに襲われる。などなどいつも死がとなりあわせの緊張感に包まれた動物との接触があった。複雑さや矛盾を受け入れながら動物と接していた。
女性に人気のピーターラビットのお話だって、死が身近な緊張感がある。「かわいい」「かわいそう」だけではすまない現実の動物たちの姿がよく描かれている。今日のかわいいだけの絵本と違って、永遠に残る絵本だ。