秀吉の枷      読書ノート

丹羽長秀援軍、秀吉大返し
 賤ヶ岳の秀吉軍の窮地を救ったのが琵琶湖対岸の坂本にいた若狭と近江2郡の領主の丹羽長秀だった。
2000の兵とたまたま舟で賤ヶ岳方面に向かっていた船上から賤ヶ岳方面で戦が行われているのを知った長秀は部下の反対を押し切って海津から上陸、 いったん賤ヶ岳を降りた桑山晴重らと再び登り、拠点を確保した。

  





三木市 ホームページ
今からおよそ400年以上前、別所長治が三木城主の時、毛利氏を攻略し、中国平定をしようとした織田信長に抵抗して、 羽柴秀吉率いる織田軍団と2年間にわたる合戦をしました。 秀吉は、難攻不落を誇る三木城をなかなか攻略できなかったため、 三木城の周辺の別所方の城を順に攻め滅ぼし、最後に三木城の周りを多くの軍勢で包囲し、 兵糧攻めという奇策を用いて城兵を痛めつけました。

三木城は包囲されたままおよそ2年間ろう城を続けましたが、やがて食料は底を尽き、城兵は飢え、戦う力を失いました。 そこで、家臣や領民の安全を約束させる代わりに、城主の別所長治とその一族は自刃しました。 こうして、「秀吉の一番長い戦い」は、幕を閉じたのです。







  


これからの諜報網は、敵だけでなくお味方にも拡げなければ、この誤りは防げませぬ」
上月城攻防への援軍での非協力 柴田の画策



備中高松城水攻め

太閤記などによると築堤には1キロメートルごとに1ヶ所づつ見張りの櫓を置いて、敵の侵入と兵糧補給が出来ないように交替で見張っていたそうです。 築堤の上は馬踏と言って幅が約10メートル程もあり文字通り馬でも通行が容易に出来て、 夜になるとたくさんの灯籠を灯してまるで昼間のような光景であったと伝えています。 

 旧暦5月中旬から下旬は現在の梅雨にあたります。 そして折からの雨で増水した足守川をせき止めて一気に築堤内に引き込みました。 見る見るうちに人工湖が出来上がり、高松城は湖水の孤城と化してしまったのです。



戦国大名一の出世頭、羽柴(豊臣)秀吉を主人公にした歴史小説は世にあまたありますが、 この作品には「まったく新しい秀吉」がいると断言しても過言ではありません。 その出生、そして人生にはいまだ多くの謎が潜んでいます。 その謎を凝視していくと、晩年のバランス感覚を失った権力者の悲しき末路が見えてきます。 著者は遺された歴史資料に書き落とされた“歴史の行間”に想像力をはばたかせ、驚くほどにリアルな新解釈を積み重ねていきます。 その大胆でスリリングなストーリー展開で、上下巻合わせて1300枚の大作ですが、息もつかせず一気に読ませる作品となっています。


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