『インモラル物語』

●上々颱風●

 1997年8月の24日(土)25日(日)、「上々颱風まつり'97」というイベントがあった。
 上々颱風(シャンシャンタイフーンと読む)というバンドのライブに屋台の縁日や大道芸を組み合わせた文字どおりのお祭りである。屋台のウォッカをしこたま飲み、ライブでは踊った。堪能した。元々ファンであったが、惚れ直した、という感じ。
 会場は臨海副都心、レインボータウンの近くに建てられた野外特設ステージ。2日ともライブが始まると同時に雨が降る。かまわず踊る。
 ヴォーカルの映美ちゃんは山形県出身。「鉄腕アトムが出てきそうな町ですねここは。町全体が遊園地のようです。(会場の背後を通過するゆりかもめを指差して)あれはお猿の電車でしょうか」筋金入りの田舎者である。愛すべき人だ。
 以来、上々颱風を毎日聞かないと死んでしまう病に取り憑かれている。今もCDを大音量でかけている。アーティストは上々颱風に限らないが、時々こういうことはある。たいていは1週間もすれば「治る」のだが、今回は重症である。治った頃次のライブがあったりして、一生治らないのではないか。
 恋かしら。

●秋祭り記念特別講演●

 秋祭り実行委員会よりお知らせいたします。
 本日、日の入りの時刻より、天樹の森会館大ホールにて、秋祭り記念特別講演が行われます。講師は、カブトガニの地球外飛来説で有名な、カササギの湖大学教授、情報生物学者・長曾我部ポン太博士。演題は「集団知性体としてのカブトガニとのコミュニケーションの試み」です。皆様お誘い合せのうえおいでくださいませ。
 秋祭り実行委員会よりのお知らせでした。

 本日の講師をご紹介いたします。
 本日の講演は、生物学者・長曾我部ポン太博士による、「集団知性体としてのカブトガニとのコミュニケーションの試み」です。講演に先立ちまして、講師のご紹介をさせていただきます。
 講師の長曾我部ポン太博士は、カササギの湖大学教授、天樹の森生命科学センター副所長、専攻は情報生物学です。生物学者であると同時に、ハンガリーの国家試験でとった資格を持つ腹話術師という異色の才人です。著書には、「星から来たカブトガニ」「カブトガニとの会話」などがあります。父親が数学者、母親が医者という恵まれた環境に育ち、四歳のとき既に自然選択による生物進化の概念を理解していたといいます。カササギの湖大学卒業と同時に博士号を取得、フランス留学中にパリ大学でも博士号を取得しています。日本語を含めて11か国語を操り、天樹の森にほど近い、ヤドカリ湾でカブトガニ観察のフィールドワークを続けています。「毎日カブトガニとばかり話していると、時々生きた人間と話をしたくなります。そんな時は腹話術師としてストリートに立つのです」と博士はおっしゃいます。
 それでは開演まで、今しばらくお待ちください。

◆講演「集団知性体としてのカブトガニとのコミュニケーションの試み」

 ウォッホン。カブトガニというのは、ご存じの方も多いと思いますが、このように奇怪な姿の(プロジェクターにカブトガニの姿が映し出される)海産動物であります。カニの名はありますが、甲殻類よりはクモ類に近い節足動物の一種であります。日本では瀬戸内海や博多湾に産し、また、天樹の森に近いヤドカリ湾でも多数産するものであります。
 カブトガニ類は古生代ゴトランド紀に栄えた古い型の節足動物でありまして、現在は日本のものを含めまして世界に五種類生き残っているだけであります。いわゆる「生きた化石」でありまして、動物学上貴重な種であり、岡山県の金浦湾では天然記念物に指定されております。東南アジアでは食用にする地方もあります。しかし、日本で一般には、水族館や見せ物で人目を驚かせたり、田畑の肥料にする以外は利用法がないと思われていたのであります。
 ところがであります。私は長年の研究の結果、ウォッホン、カブトガニには知性に似たものがあることを発見したのであります。もちろん、このカニのごときクモのごとき生物個体一つ一つには、知性と呼べるレベルの神経系はないのであります。しかしながら、軟体動物や節足動物のような下等な、私は下等という言葉は好みませんが、下等な動物であっても、種類によっては学習する能力があることは、実験によって確かめられております。学習とはすなわち、受けとった刺激を記憶し、次回その刺激を受けたときには記憶に基づいて刺激に応じた反応をするということであります。
 カブトガニが個体間で相互に信号を送受信しているのが発見されたのはつい最近であります。彼らは超音波によって信号を送受信しているのであります。信号を受信した個体はそれを記憶し、ある加工をおこなった後、自ら信号を発信するのであります。発信された超音波の信号は発信者を中心に同心球状に広がって行くのであります。そして、この信号を受け取った個体は同様な処理をおこなうのであります。このようにして、信号はカブトガニの個体間を加工変形処理を受けながら次々とリレーされて行くのであります。
 はじめのうち、カブトガニ達の間でどのような情報がやり取りされているかはわからなかったのであります。しかし、研究を進めるうちに驚くべきことがわかってきたのであります。ウォッホン。カブトガニ達はその一つ一つの個体が、あたかも神経細胞のひとつのように、あるいはコンピュータの素子のひとつのように振る舞って、ひとつの群れが全体として知性的な「思考」に類する活動をおこなっていたのであります! ドンッ!(テーブルをたたく音)
 たくさんの比較的単純な要素が相互に連結して単純な信号をやり取りすることで情報を並列分散処理するシステムをコンピュータサイエンスではニューラルネットワークと呼ぶのでありますが、カブトガニ達はまさにこのニューラルネットワークを形成していたのであります。
 並列分散処理システムでありますから、接続される個体数が多いほど情報処理速度が速くなり、一度に扱える情報量も多くなるのであります。つまり、頭が良くなるのであります。私の観察によれば、三十個体以上のグループでは、言語と呼べるだけのシンボル記号を扱えるようになるのであります。現在彼らの言語は鋭意解読中でありますが、どうやら彼らは、経験知識を元に状況を推論判断し、行動を決定するという高度な知的活動をおこなっているようなのであります。また、その行動の目的でありますが、単に餌を得るとかより良い環境へ移動するとかいったことではなく、その様な利害とは無縁な好奇心とも呼べる独自の興味に基づく目的設定があると考えられております。ヤドカリ湾には現在十四ほどのカブトガニの群れが存在いたします。群れはしばしば分裂合体しますので、この数字は変動いたしますが、それぞれの群れには「個性」と呼べる独自の行動パターンが見られるのであります。
 そしてさらに、これは私の研究グループの中でも賛成しないものが多いのでありますが、ヤドカリ湾のカブトガニには文学や哲学に類する高度な精神文化が存在する、と私は考えております。そして、彼らの物語の中には、彼らが栄えていた四億年以上前の記憶が含まれている可能性がある、とも考えているのであります。
 今後の課題は、カブトガニの言語の解読と、このような集団知性がヤドカリ湾のカブトガニだけに見られるものか、あらゆるカブトガニ類に普遍的なものかを調査することであります。
 御清聴を感謝いたします。

 長曾我部ポン太博士、ありがとうございました。
 ただいまを持ちまして、天樹の森秋祭り記念特別講演を終了いたします。
 お帰りの際はお忘れ物落とし物の無いように御注意ください。
 本日は、御来場まことにありがとうございました。

●闇よりきたる●

旧約聖書 創世記 第一章
はじめに、神は天と地を造られた。地はむなしく何もなかった。
やみは深淵の上にあり、神の霊は水の上をおおい動いていた。
神が、『光あれ』と言われると、光があった。

光よりも前に闇があったらしい。

●象徴天皇●

 象徴(シンボル)なんだから、別に人間でなくても何でもいいんだよねえ。犬でも猫でもハムスターでもインド象でもミツユビナマケモノでもカンガルーでも信楽焼きの狸の置物でも鉛筆削りでもいいわけだ。

 日本国とかけて鉛筆削りと解く、その心はどんどん先細りになるでしょう

「はがゆい」みたいな仮想人格でもいいぞ。バーチャルエンペラー。いくらでもバックアップとっておけるから警備の必要がない。

 そういえばホリプロ所属のバーチャルアイドル、伊達杏子はどうしたんでしょうか。失敗したアイドルの選択肢としては、温泉レポーターなどで食い繋ぎながら芸能界にしがみつく、所属プロダクションのマネージャーになる、結婚する、家業を継ぐ、脱ぐ、といったところですが。まさか「伊達杏子のお店」などという看板の喫茶店をやっているのでは…。

●熊●

 熊に会ったら死んだふりをすればよいというのは嘘だそうです。
「北海道でヒグマにあったので死んだ振りしたら頭を囓られたと言って残った胴体と手足が警察に駆け込んだ」
という話もあります。

●長野県木曾地方の手まり唄●

♪おん正おん正 正月は おめでたい松かざり 松かざり
 いやがる者は お年より よろこぶ者は お子供衆
 旦那のきらひは 大晦日 一夜あければ 元日で
 お茶持って来い 酒持って来い 吸物なんぞは はや持って来い
 さあさ おいとま つかまつる
 ひーぢやふ みーぢやよ いつぢやむ なーぢやや
 ここで申せば まつだのしくよ
 酒屋酒屋と 二三軒ござる 中の酒屋へ ちょいとよって見れば
 奥じゃ三味線 茶の間ぢや 胡弓 お台所ぢや毬(まり)蹴やる 毬蹴やる
 先づ一ぽんしょ

●一月三一日●

 気がつくと窓の外が明るくなっている。今日も徹夜になってしまった。一日中コンピュータの画面をにらんでいたので、目の奥がずきずきする。好きな仕事であり楽しいことは楽しいのだが、納期というものがある。楽ではない。時計を視ると朝の七時だ。首から肘にかけてが固まってしまっている。無理に動かそうとすると鈍いが無視できない痛みが起こる。肩には鉛の板を詰め込んだようであり、腕を動かせば木の枝を折るようなバキバキという音がする。
 大根サラダを作ろうと思って材料を買っておいたのだが、作る気になれない。作ると言っても、サラダであるから材料を切るだけなのだが、不器用なので大根を細く切るのに時間がかかるのである。市販の調理用万能カッターを使えば簡単に千切りができるが、あれでは細すぎる。五ミリ角ほどの太さに切らなければ大根のシャキシャキした歯ごたえを楽しめない。包丁で切らなければならないのである。ふだんは白い飯に生卵をかけて食べ、それで夕食をすましてしまうようなこともしており、決して美食家というわけではないが、大根にはうるさいのである。好物とはそういうものであろう。
 大根サラダは諦め、トマトをひとつ食べるとトイレに行って寝ることにした。水分をあまり取っていなかったので、紅茶のような色の小便がでた。

 落ち葉の敷き詰められた林の中の道を行くと、学校のような建物が現れる。村の公民館である。事前に郵送された案内に従って、指示された会議室に入ると知った顔ばかりである。みんな二十代の顔をしている。おそらくおれも同じ年代なのだろう。四、五十人はいるだろうか、数人ずつのグループに分かれ、メモを撮ったり資料を広げたりしながら話し合っている。昼休みの教室、といった風情である。
 ごく親しい女性の顔を発見する。恋というのではないが、俺は彼女と話すのが好きだった。美人ではない。まず目につくのは良く動く大きな口である。ちょっと歯並びが悪い。それからまん丸な目。ただでさえ大きいのにそれを見開くようにして喋るのでいつも吃驚しているように見える。それから小さな鼻の周りのそばかす。少し鼻にかかったような声で舌足らずな感じの、特徴のあるいつもの喋り方で喋っている。彼女の声を癇に触るという者もいたが、俺は割りと好きだった。彼女はふだんは無口な方で、わずかに首を傾げてニコニコ笑いながら人の話を聞いているのだが、いったん喋り始めるとだんだん興が乗ってきて声をも大きくなり、身振り手振りを交えて話し始める。そんなところも俺には面白かった。何より俺が好んだのは、人によっては悪趣味と言うであろう彼女のセンスだった。彼女は猫と人形と昆虫が好きだった。知性的なのか直感で動いているのか良く分からないところも好きだった。
 今日の彼女の髪型は、なんというのか知らないが、ウェーブをかけ肩のところで切りそろえた髪型をしていた。モップを頭に載せているようだと俺が言うと、ニコニコ笑いながら「バカヤロー」と言い返した。
 議題は、村で行われる祭りと美術工芸展示会を合わせたような行事で、我々二十代幼なじみ組は何をやるかということだった。これは毎年行われる行事で、言ってみれば大学の学園祭を全村規模でやるようなものである。全員で同じ企画をやる必要は無く、予算に応じて複数の企画をやることもできたし、個人で企画を行うこともできた。
 彼女は現代アートをプリントしたTシャツを作り、展示販売しようと考えていた。例によって彼女の選ぶ図柄はグロテスクに片足を突っ込んだようなものばかりだった。俺には大変面白かったが、他のメンバーはあまり感心していないようだ。彼女はそんなことは意に介していないようだったが、俺が一言からかうような冗談を言うと、急に表情を堅くして黙り込んでしまった。
「分かった。やめる。帰る」
 バッグと上着をつかんで帰ろうとする。俺は慌てた。俺が彼女の個性の強い趣味を高く評価していることは、彼女も知っていたはずだし、彼女の態度の急変を見て戸惑っているみんなの様子からも、俺の冗談が悪意を感じさせるようなもので無かったのは明らかに思えた。落ち度があるのは俺の方ではないと思ったが、彼女の悲しそうな顔を見ると無意識に謝罪の言葉が出た。何とかなだめすかして彼女をもう一度座らせた。俺は彼女のセンスが好きであること、さっきの冗談には悪意が無かったことなどを説明する。謝ったり、おだてたり、冗談を言ったりして機嫌をとっているうちに、ようやく「仕方が無いから帰らずにいてやる」という意味のことを言った。もうすっかり機嫌は良くなっていた。
 彼女は俺に恋をしているのではないか、とその時思った。急にドキドキし始める。

 ここで場面が変わる。

 後夜祭というか打ち上げというか、そのようなパーティーである。なぜか俺には祭りの記憶が無い。あとから考えると奇妙なことにそのことを変だとも思わない。場所はあの公民館の前庭。庭といっても柵があるわけではないのでどこまでが庭なのかは良く分からない。テーブルに料理が山盛りにされた立食パーティーである。行事で使った屋台を牽いてきた者もいる。もちろん酒もある。涼しい季節であったが、アウトドア用の調理器具を持ち込んでいるので温かい料理も食べられる。
 パーティーの盛り上がりを見ると、どうやら我々の企画は成功だったらしい。涼しいのに酔っぱらって池に飛び込むやつもいた。
 彼女はどういうつもりか、紺の矢絣の着物に紫の袴、紫のリボンをしていた。俺が「ハイカラさんのカッコ」と呼んでいる、女子大生が卒業式などで着る装束である。長い髪をリボンで縛っている。ついこの間は肩までの髪だったから、これはかつらか付け毛であろう。あるいはあのモップ頭がかつらだったのか。彼女と話したかったが、彼女も俺も盛り上がっている友人たちに捕まっていて、なかなか話すことができない。俺の過剰な意識のせいでそう見えるのかもしれないが、彼女の方も俺と話したそうにこっちをちらちらと見ているような気がした。
 パーティーはまだ半ばだったが、彼女は帰ることにしたらしい。みんなに挨拶をし始めた。彼女の気まぐれはみんな知っているので、あまり驚いたり引き止めたりはしない。俺は帰りかける彼女に「俺ももう帰るからさ、ちょっと飲みに行かない?」と言ってみる。彼女は何も言わず、にっこり笑って俺の手をとる。二人で手をつないで会場を離れる。会場では友人たちが俺達の方を指差して何やらささやきあっている。

 いいところで目が覚めた。時計を見るともう午後である。今夜も大根サラダは食べられそうに無い。

●新しい伝説のための覚書●

お前たちは問う、意識(私)はなぜあるのかと
お前たちは問う、意識(私)はどのようにあるのかと
お前たちは問う、存在に意味はあるのかと
お前たちは問う、世界に意味はあるのかと

すべては逆なのだ

私は視点を生み出すためにお前たちを創り
私は価値を生み出すためにお前たちを創ったのである

お前たちは視るものであり測るものである
すなわち、お前たちは私の「眼」である

私の名は…

●世界の豊かさをたたえる歌としての自然科学●

長い長い宇宙の歴史と 瞬きするほどの長さの私の一生
無限に広がってゆく宇宙と わずかばかりの空間を占める私の肉体

永遠と刹那
宇宙と点

私の知り得る世界のなんとわずかであることか
そしてその小さな世界のなんと豊かで美しいことか

小さくて 醜くて やがて滅びゆくお前たち
    私はお前たちが愛おしい
小さくて 醜くて やがて死にゆく私
    私は私が愛おしい

そして宇宙よ…

●水の星●

ふりそそぐ

いのち

いのり

みのり

まつり

私という物語
宇宙という物語

いのち

いのり

みのり

まつり

ふりそそぐ

●混沌を愛す●

体系化された美しい思想
矛盾のない思想
中心のはっきりした思想
曖昧さのない思想
幾何学的で対称的な思想

そうしたものに憧れていた時期があった

●神の見る夢●

 昔、中学生のころだったと思いますが、同級生の女の子に「俺達はみんな、誰かの夢の中の登場人物かもしれないねえ」と言ったら、彼女は「目が覚めて独りぼっちだったら、すっごく怖いよね」と言いました。私は、自分が夢であることの恐怖を語ったのですが、彼女は神であることの恐怖を語ったのでした。神の孤独など考えたこともなかったので、「びっくりしたなあ、もう」と三波伸助になってしまったのでした。
 神様は、目を覚ましたくないのかもしれません。

●ギャグのネタの分類を試みた●

ブラック・ユーモア
ズレ
馬鹿
   勘違い
   思い込み
   無知
   おっちょこちょい
   失敗
逆になる
   A→BがB→Aになる
   A→BがnotA→Bになる
   A→BがA→notBになる
   A→BがnotA→notBになる
エスカレート
極端
エゴイズム
   自分の都合のいいように解釈する
   相手をだます
ナンセンス
くり返しのギャグ

 極端というのはズレの一種かな。チャップリンの歩き方などコメディアンの奇妙な動きもズレの一種でしょうね。まだ他にもありそうな気がする。下ネタというのは独立したグループにするべきかな。
 いずれにしても、予想しない展開、非常識、というのが基本ですね。そういう時の反応としては、笑いのほかに驚きというのもあります。どういう場合は笑って、どういう場合は驚くのでしょうか。
 逆に、あまりにも絵にかいたように予想通り、という時も笑いますが。予想以上に予想通り(^^)ということでしょうか。ころぶぞころぶぞと思っていると、やっぱりころぶおかしさ。ころびそうでころばないのもおかしいですが。私が好きなのは酔っぱらいの自転車。これおかしいですよ。道幅いっぱいに使って、ふらり、ふらりと左右に揺れながら進むのですが、意外にころばないのです。
 あと、これは経験から言うのですが、笑ってはいけない状況であるほど、笑いの衝動は強く込み上げてきます。授業中、お葬式、事件や事故の最中、上司や教師にしかられている時などなど。これも一種のズレの効果でしょうか。

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