季刊かすてら・2006年夏の号

◆目次◆

奇妙倶楽部
軽挙妄動手帳
編集後記

『奇妙倶楽部』

●エアロック●

 扉を開けると二畳もない狭い部屋でした。窓はなく正面の壁にもう一つ扉があります。部屋と言うより通路の様です。その扉は取っ手を捻っても回りません。鍵が掛かっているのでしょうか。入って来た方の扉を閉めてからもう一度取っ手を捻ると今度はがちゃりと鳴って回りました。二つの扉を同時に開く事はできない仕掛けの様です。エアロック。だとするとこの扉の向こうは真空なのでは。と気付いたのは扉を引き開けてからでした。幸運な事に真空ではありませんでした。物凄い力で外から扉が押し開かれて私は跳ね飛ばされました。扉からは海水が噴出、と言うより撃ち出される様に叩き付けて来てたちまち小部屋を満たしました。なぜ海水だと判ったかと言うとしょっぱかったからです。扉の向こうはかなり広い部屋で魚たちが室内楽を奏でています。水の中なので音が変調している上に私の耳はごぼごほ鳴ります。目蓋のない丸い目の魚の顔から表情を読む事はできません。それ以前にそんな余裕は私にはありませんでした。私は溺れていたからです。水中で溺れない為の魚の様な鰓が私にはなかったからです。よろよろした室内楽を聞きながら私はもがき苦しみました。と、部屋から水が流れ出し始め、天井にできた大きな泡は広がって平らな水面になりました。私は慌ててそちらに泳ぎ水面から顔を出すと飲み込んだ水をげえげえ吐きました。見る見る水位が下がっていくその下で魚たちはまだ人間を洗脳しようとするかの様な短調で苛立たしい曲を腰溜めにして奏で続けていましたが、とうとう水が完全に排出されて濡れた床が空気に曝されると横たわってぴちぴち跳ねました。その大きな部屋には窓がありました。そこから外を見ると、この部屋は巨大な観覧車のゴンドラの一つで、観覧車は下半分が海中に没しているのでした。観覧車が回って、今、水中から出て来た所だったのです。水面に浮かぶ桟橋に観覧車の昇降口がありました。このままで居ると半周して再び海中に没する事になります。反対側に昇降口はありません。私は窓から桟橋に飛び降りました。長い桟橋を陸地に向かって歩きます。と、空から禍々しい橙色の火の玉が落ちて来て私のすぐ横の海面に激突しました。見上げるほどに高く水飛沫が上がりぐらぐらと桟橋が揺れました。私は桟橋の上に身を伏せて頭を抱えました。落ちて来た大粒の水飛沫がばちばち音をたてて桟橋と私の身体に降りかかります。次いで、海水が蒸発しているのでしょう、じゅうじゅうという大きな音と共に白くて熱い霧が涌き出して何も見えなくなりました。私は倒れ伏した侭、熱気と揺れる桟橋に怯えながら、これはどんな罪に対する罰なんだろうと考えておりました。漸く水蒸気が修まり、恐る恐る顔を上げると桟橋の横の海面に一抱えもある大きな卵がぷかぷか浮いておりました。波に揺られて桟橋に近付いて来ます。私は恐れて桟橋の反対側の縁まで下がりました。ばりっと大きな音がして卵の殻が二つに割れました。私は驚いて飛び退きましたがそこは既に桟橋の縁だったので海に落ち、再び海水を飲みました。桟橋に這い上がって向こうを覗くと卵を半分に割った小舟の中に一つのバイオリンが入っていました。私の出身地ではバイオリンを黒焼きにした物の粉末は胃痛の薬なので喜んで拾い上げスキップで桟橋を渡って行きました。桟橋の終点は砂浜の上で屋外簡易便所の様な小さな縦長の箱で塞がれていました。箱の正面には扉があります。やはり便所でしょうか。桟橋の脇を見ると砂浜まではかなりの高さがあり飛び降りる事はできません。仕方なく扉を開けて箱の中に入りました。扉を開けると二畳もない狭い部屋でした。窓はなく正面の壁にもう一つ扉があります。

●ブーム●

 最近の地震の多発は怪獣のフラフープが原因であるのは良く知られた事実ですが、怪獣ブームとフラフープブームが同時に復活した事がそのきっかけである事は意外に知られていません。レトロブーム天変地異。欧州では古代ラテン語ブームがじわじわと広がっていますが、川下のラテン語と樹上のラテン語は異なる方言で話されます。日本ではラテン語をペットとして飼う事が流行りそうです。更に歴史を遡ると恐竜に行き着きます。勿論、恐竜は怪獣の原型です。それとは別の虫の怪獣もいます。巨大な蛾の怪獣が思い出されます。カイコ趣味。怪獣用のあまりにも大きなレゴブロック商品

●悪女線●

 危ない危ない、危うく悪女線に触れてしまう所だった。その石に悪女線が引かれている事に俺は気付かなかったのだ。なぜなら石は猫を被っていたので俺はてっきり猫だと思い込んでいたのである。悪女線とは線に依る俳句の一種だが、線による俳句の恐ろしい所は、不通俳句は人間が詠む物だが、線に依る俳句は俳句の方が人間を詠んでしまい鑑賞されてしまう事である。一旦鑑賞されてしまえばそれはもう芸術である。当然ながら芸術には主体性も人権もない。飾られ、鑑賞され、売り買いされ、飽きられ倉庫の奥に眠り、人目に触れずにこの儘朽ちていくのかと諦めかけた頃掘り出され、テレビのスタジオに持ち込まれ鑑定され、挙句の果てに贋物呼ばわりされてしまうのである。全く危ない所だった。あっ、俺の背中に眉唾線が…。

●自由研究●

 火葬と塹壕掘りの自由研究を行っていたのでした。自由研究ですから誰からも命令されません。研究の遣り方も自由です。人から見たら研究に見えなくても良いのです。私は管弦楽で研究する事にしました。雇った指揮者は髷を結い派手な着物を着ていましたのでおそらく芸者ですが、松坂牛と言うことも考えられ、鯱の可能性も捨て切れません。指揮台の上に立っていたので指揮者である事だけは間違いなく、我々演奏者にとってはそれで充分でした。私たちはそれを指揮だと信じて合わせて演奏していたのですがピアニストの密告によると指揮者はウェイトリフティングをしていたのです。ピアニストは自らの密告を恥じて粘液とっなって流れ去ってしまいました。彼のピアノは鍵盤を押すと汽笛を鳴らす良いピアノだったのですがそのピアノも溶けてしまいました。おそらく蝋燭だったのです。ピアノとピアニストがなくなってしまったので私たち楽団員はピアニストを露天掘りしましたが、出て来たのは牛丼の文字でした。ヴァイオリニストはヴァイオリニスト観音に祈って踏み台昇降運動をしました。私が演奏する楽器は失敗です。失敗目録に乗っているから間違いありません。私は毎日、失敗練習機で失敗の練習をしています。これが私の火葬と塹壕掘りの自由研究です。

●クッキーモンスター●

 給料は全部クッキーに化けた。うとうとうとかっくんと頭が落ちる。睡魔クッキー。水の中をクッキーが走る。魚のクッキー。クッキーの魚。すいま。水間。すぐ横では子供たちが踊りながらクッキーで行軍将棋を差している。遊びながらクッキーで出来た駒を食べてしまうので駒が足らなくなる。クッキーは取り扱い説明書とルールブックも兼ねているので遊び方も判らなくなる。最後に一つ残ったクッキーは何時果てるともなく愚痴めいた事を喋り続けている。新たなクッキーを捜しに行く。クッキーの入った箱だと思ったら中に入っていたのはユースホステルだった。空室は多かったが宿泊が目的ではない。次の箱には城が入っていた。中世の王様ではないので要らない。広過ぎて掃除するのが大変である。次の箱には大工が百人入っていた。家を建てる予定はない。クッキーは何処にあるのだろうと途方に暮れていたが、自分の立っている道路が全てクッキーだと気付いた。

●湖畔●

 湖畔の小さなピラミッドには海牛(うみうし)の木乃伊(ミイラ)が葬られていました。木乃伊は小さな瓶に詰められ、ガサガサした印刷の古い紙の料理が供えられています。料理には「精力剤一瓶二千八百円」と書かれています。湖の咳。地を這う50メートルの作曲家は長い体に沢山の足を生やしています。作曲家の名は「万年カマス」。彼は人間ですがバンジージャンプをやり遂げたので名誉海牛となりました。ピラミッドに向かう道路が異様に広いのは怪獣でも通れる様にです。怪獣バリアフリー。怪獣はガサガサした印刷の古い紙のイブニングドレスで出掛けます。ピラミッド前の広場で行われるカマス会議に出席する為です。湖の咳。広場の中央には巨大な回転する福助が据えられています。広場の隅のブナの木陰に一人の少女が佇んでいます。ただじっとしている様に見えますがそうではありません。彼女は樹木ストーカー。彼女もやがてはバンジージャンプに挑戦して海牛の肩書を持とうという野心を持っています。シンデレラ海牛。湖の咳。怪獣の乗り合い馬車が来ました。

『軽挙妄動手帳』

●不定形俳句●

◆編集後記◆

 『奇妙倶楽部』に収録した作品はブログ「×小笠原鳥類」にコメントとして投降した物です。『軽挙妄動手帳』は、パソコン通信ASAHIネットの会議室(電子フォーラム)「滑稽堂本舗」の2006年4月〜6月までを編集したものです。

◆次号予告◆

2006年10月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

季刊カステラ・2006年春の号
季刊カステラ・2006年秋の号
『カブレ者』目次