TODAY〜  VOL.4

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癌 その時貴女だったら?

父…
先日父は退院しました。経過も順調で、ほんとに優等生でした。
退院も一日も早く帰りたいって父が言い出して、ドクターと話して早い退院にしてしまったようです。
元気になってから、暇で暇で毎日山歩きの本や旅行のパンフなんかを見てたようで、
ほんとにじっとしてない父です。でも、よかったです。
父は、昔から正直者でまじめでコツコツなんでもやる人で、口数こそ少ないけれど、周りから慕われて
尊敬されてきた人です。大病を患う運の悪さはあっても、決してめげない。
これも、あの人の人徳ではないかと思うのです。改めて『父』を尊敬してます。

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二年前。うちの病院で乳がんのOPをした30代後半の方、A子さん。
A子さんは、その後のフォローの為に定期的に病院に来ています。
年末に、3ヶ月毎の定期的な胸部のレントゲンを撮りました。
肺になんの異常も認めず、普通に正月を過ごしました。
私の病院のやり方として、乳がんのOPをして、二年間は、抗がん剤治療をしなくてはなりません。
若い人なんかは、その間子どもを作る事も出来ません、抗がん剤が胎児に影響を与えるからです。
二年間薬を飲んで、血液検査やレントゲンや、お腹のエコー検査などで、異常を認められなければ、やっと卒業。
それから、10年間は、半年や一年に一回のフォローで約10年間後に、病院も卒業になります。
幸いA子さんは、既に二人の子供がいて、幸せな主婦でした。
たまたま「しこり」を自己発見して、病気を見つけられてOPに至ったわけです。
その後の経過は順調で、普通の生活をしておられます。
年が明けて、今年はインフルエンザが流行って、咳が止まらない人が多かったですね。
A子さんも、まだ小さい子供の世話に追われて風邪をこじらせてなかなか治りませんでした。
近くの病院に風邪薬をもらいに行って、そこでまたレントゲンを撮りました。
そして、その先生にすぐにそのレントゲン映像を持って、うちの病院に受診に行くように言われたのです。

年末には綺麗だった肺が、片方が真っ白になっていました。
肺に水が貯まって、肺が小さくなっていました。つまり、肺へのガンの転移が考えられるのです。
すぐに、抗がん剤の治療が再開され、今までよりもきつめの薬も加えられました。
まずは、それによってどれだけ様態が改善されるか、です。1ヶ月経って、今日A子さんが来ました。
レントゲンを撮って状態のチェックをすると、半分だった肺野は三分の一にさらに小さくなっていました。
ちょっと動くと息苦しいといった自覚症状も出てきています。
先生は、水を抜く治療を進めます。そして、抗がん剤の点滴も言われました。
でも、A子さんは、子供の幼稚園の迎えや、家事に追われ、治療に割ける時間がない、と言うのです。
実家も遠く、頼る人もいない、そんな核家族の家庭で自分がいなくなるわけにはいかない、
入院なんかとんでもない。薬や、治療時も、昼過ぎには帰りたい、もし動けない状態になったら……、
そんな風に言っていました。
もちろん、突然ガンが転移したなどと言われて、冷静に受け止められる人なんていません。
A子さんは比較的まだ、取り乱さずに話を聞いていたほうです。
ドクターがA子さんに話す会話が待合室の何人かの患者さんに聞こえた、
ほかの患者さん達も決して他人事ではないから・・・とみんな泣いてました。

私なら、どうするでしょう?
医療サイドの立場から、今きちんと治療をして、少しでも早く家に帰る事のほうがいいと思います。
でないと、病魔は、これからどんどん悪化してしまうと思うのです。
でも、早く入院したからと言って、帰れる保証はないんです。
小さい子供の事ももちろん心配 でも命が亡くなってしまったら…。
でも、A子さんの気持ちもわからなくはないのです。考えさせられました。
三年前に、あたしの先輩が胃癌で亡くなりました。32歳の若さで。彼女もそうだったんです。
はっきりと自覚症状が出ているにもかかわらず、産まれて間も無い子供の世話に追われて、
病院に行くことが遅れたのです。看護婦という仕事である以上、なんらかの体の異常のサインはわかります。
結局すぐにOPして、でも、すでに手遅れで、それから一回はなんとかして、家に帰らせてもらえたのですが、
二週間ほどで再入院となりました。
先輩は病院に行ってから、たった3ヶ月で亡くなりました。
忙しい世の中で、いろんなストレスを抱えて生活している私たちです。どこかで、体がサインを出してます。
忙しさに紛れて、それを放置する事は、命にかかわるかもしれない。
少しでも早く一日だけ休みをとって、時間を自分の為に持ったら、もしかしたらその後何十年かの命の
保証がもらえるかもしれないですね。自分の時間を削って、働く人達に
『今少しだけ足踏みしても、後は取り戻せるハズ、今駆け足で走る事が人生も駆け足で走ってるかもしれない』
そんな事言いたいです。うさぎとカメですね。
A子さんは、とりあえずうちの夜診に来てるドクターがそちらの専門になるので、
そちらの病院で治療を受ける事になり、紹介状をもらって帰られました。
決して他人事ではないと、いつも患者さんを見ていて思います。
私なら・・・?
そんな皆様のご意見をお聞かせて下さい
                                              hana
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インフォームド・コンセント

お医者さんの言葉は患者にとっては(神様の声)ですよね。
でも、医者がそんなに偉でしょうか?
医者だって人間。もちろん、それなりの知識はあります。それに対しての努力もされてる思います。
でも、人生経験とゆう意味では、はるかにおとってると思うような医者もいるのです。
親がひいてくれたレールの上を歩いてきて、若いころからひたすら勉強して、ストレートで医者になった若者と、
普通の家庭で公立の高校から何年もかかっていろんなアルバイトをして、30歳半ばでやっと医者になれた人、
どちらもお医者さんですよね。
でも、きっとエリートの大病院のお医者さんは、ある程度患者さんを一症例として、あつかったり 
珍しい症例は、学会の題材としたりも?医学の発達の為に、経験を増やすために?
人として扱ってないとは言わないけど たくさんの患者さんに一人ずつ人権を尊重して対応してる
医者ばかりでは無いような気がします前の病院で、どちらのタイプの先生とも見てきました。
後者の先生の中では、脱サラして、先生になった方もいました。
26歳の先生と40歳過ぎの先生。どちらも同じ立場の先生です。
さすがに若い先生は何事にも飲み込みが早くバリバリ働くタイプの方でした。
後者の先生は、ひとつの事に時間がかかって覚えるのも大変そうでした。
でも、夜遅くまで残って復習して、家庭もかえりみず、患者さんの傍にいてくれる先生でした。

「母さん!〜」の患者さんは医者の「まだ生きたいのか」の一言で 
心が病気になってしまってますよね。残念な言葉です。
どんなに腕がええお医者さんでも、その一言で患者さんの信頼も闘病意識もなくなってしまう。
医者の言葉は、一番患者に響くのに。
でも、医者ばかりをせめてはいけないのです。
患者は、医者を選べる権利があるのですから。義理もいりません。
自分が信じた医者についていけばいいのです。
病院で働いていると、中の評判や先生の人柄がわかりますが、外からは、それがわからないから、
まずは、近くのところや、大きな病院に行きますよね。
そこで、自分がどんな先生に見て欲しいか、見極めるのです。
説明が充分な先生か、言葉少なく強引に治療を進める先生か・・・。
我々日本人は、後者が多いのではないでしょうか?
言われるがままに治療を受けている人、もらった薬をなんの疑問もなく飲める人、
先生がやることに質問が出来ない人。でも、自分のカラーで選んでみてはどうでしょうか?
聞くと不安で眠れなくなる・・・そんな人はそれでいいのですから。
心の健康も大切なのですから。

インフォームド・コンセントや、クォリティー・オブ・ライフとか、いまどきの
医学は患者さんとの一体化を言ってます。
患者さんのニーズに応える、それが理想です。
だから、患者さんは、何が必要か、それをいつも思ってて欲しいです。
                                         hana



「母さん!頑張ろう」のAkikoさんを応援

”WATASHI”に始まったすばらしいやり取りをみているうちに私も、参加したくなった。
”WATASHI”はさすがに、21年の過去を回想する感動の文章だった。しかし、hanaさんが書いているように、
いまや乳房温存が本流になろうとしていることは、知識として頭にはいっているが、
日本の導入はかなり遅れたことも同時につたえられている。いまだに実施できない医師

病人のお父さんをもった看護婦さん=hana
病人のお母さんをもったお嬢さん=Akiko
お二人のやり取りは現在の日本の医療の大問題を語っていると思う。
私の立場は、医者を(或いは医学を)かなりの部分でうたぐっています。全面的には信用していません。

10年の寿命などという安手の占い師のようなことを言う医者 そんな人間に”貴重な10年の寿命”を
預けないでください。10年先は、神のみぞ知る世界です。医者には判らないことと断言します。
そして医療だって日々変わっていくのです。薬を飲むたびに、別の病を引き出す医薬のあり方、
これも大問題ですね。もらった(保険料を含めると莫大な価格で購入した)薬は、
まじめに飲みすぎない。そして次回は「まだ残ってます」と断るくらいの勇気。
早期発見という美名に誘われる、種々の検査、検診
こんなことより、病人に対する暖かいケアが一番必要とおもいます。
この問題に、書きたいことは、たくさんあります。
またの機会に

                           Yoshio



患者さんを 父を

父は、昨日入院しました。
やっぱり良性ではなかったようです。でも、医者曰く、「見つかるのが難しい場所で、こんな初期に
見つかってよかった。今なら、手術なしでも大丈夫だけど、今後のことも考えて
今のうちにしっかり根治治療しておいたほうがええ。」そうです。
だから、父もあっけらかんと入院しました。

来週OPになります。
母と姉とあたし、3人で仕事の狭間をぬって協力して付き添いをする相談をしています。
あたしは、運悪くOP当日は当直です。変わってもらおうとも考えたんですが、なんせ少ない人数でやってる
個人病院は、みんな勤務に会わせて予定を入れるし、特に夜勤に関しては、なかなか変わってとも言い出せず、
母と姉がいるので任せてあたしは働くことにしました。
母は、生まれてはじめての1ヶ月もの長いあいだの一人暮しです。田舎の大きな家で一人では寂しいのでしょうね、
毎日電話やFAXが届きます。夜勤がなかったら、一時的に家から通うことも考えたんですが
なんせ、体力のないあたしは、疲れから体になんらかの症状が出やすくて
ストレスもあるので、帰るのは出来るだけでいい、って母が気を使ってくれてます

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父は、昨日から絶食になり、高カロリー輸液の点滴をしています。今日は、半日勤務だったので、終わってから姉と
一緒に病院へ行ってきました。暇そうに週刊誌を読んで、テレビを見て、父は元気そうでした。
やたらと、病気に関しての本を読んで変に知識を持っては心配してるから、
『もしかして・・・とか、〜だったら?』と
ゆう事は言わないようにと 怒ってきました。
これは、今日外来でうちの先生が患者さんに言ってた言葉の受け入りなんですけど…
『現状を受け止めましょう、今出来ることを頑張りましょう。』
今日、年末から今までの短期間に病気が再発した患者さんに先生が言ってました。

先生と話したこと書いておきますね。
昨日、検温の際、患者さんが病院の待合に置いてある文献を見ていろいろあたしに聞いてくるので、
先生はどんな風に退院する患者さんに生活の注意をしてるか聞いたんです。
そしたら、先生は
「情報はこちらから提供しない。生活は何も制限無いと言っている。患者さんにいろんな注意を促すと、
たぶんその人は
それが全部自分に降りかかると思ってしまうだろうから。
症例にしてみれば、数パーセントの確率のことでも OPして、一度癌だと言われた人は過敏になっているだろうし。
例えば、薬にしても「この薬はなんてゆう薬でどんな作用があって、副作用は何?」って聞いてくる患者さんには
全部話す、けれど、お医者さんがくれた薬って何も聞かずに飲んでる人も多い。情報は与えたほうがいいし
自分の体がどうなってるか知っては欲しいけれど、話すことがすべての人においてベストではない。
だから、隠すわけでもないがその人のニーズに応えてる・・・」

先生の考えはベストでしょうね、きっと。
でも、そのときふと、震災の時のことを思い出しました。震災に応援に行った先生が帰ってきて話していたことです。
「糖尿病の患者が、自分はどんな種類のお薬でコントロールしてるか知らない」
カルテは病院の全壊で喪失。それで、応急処置をするわけですから、大変です。
病態が悪くなっても、何を飲んでるかわからないのですから。
今は薬箋が配られたり、薬の相談室が設けられたりと病院側の対応もよくなっているけれど……

父のOP…どうなるか……

                                           hana



心をが通じなければ…

たとえば、年賀状 受け取って嬉しいのはやっぱりその心が伺えるえる状だと思う。
相手を思いやる、気遣ってくれる文があるかないかで、貰った賀状の楽しみが決まり、それが
いつまでもお付き合い(賀状書き)を続けさせる最大の欠くべからざる条件の一つだと思う。
だからワープロ、パソコンが得意だからと云って、そちらの利器で、プリントだけですまし、ましてや、
相手との親しさの深度を無視しての他人行儀な通り一辺の、誰にでも向く、いや、無理に
押し付けてしまう最大公約数的な(挨拶文)賀状ほどがっかりさせるシロ物は無い。
そのようなものは受け取っても、感激一つしない。それどころか裏表を見て、読む気もなれず、ポイと捨てる様に
横に置いて、何の記憶にも残らず次ぎへと賀状を捲ります。第一、出した方も何のために出しているのかと
考えているのであろうかと疑いたくなる。出来得るならば、受け取って喜ばれるものにしたい。
それにはやっぱり、相手との共有の思い出、共有の話題、趣味などを取りいれたりして、
差し出した相手だけの関心を呼び起こす一文があってこそ初めて、賀状の価値、値打ちが生ずると信ずる。
 中には、今年こんなものがありました。
四十数年ぶりにやっと住所が分かり、再会の喜びもあり得るだろうと心を躍らせて、本当に久しぶりに
賀状を出したところ、その返事がなんとその一年の自分のなした事、しかも自分にとって都合の良い、
自慢めいた事だけを箇条書きにして、いや、印刷をしただけで、その他、あるのは例の決り文句の挨拶、
それどころか誰に出しているのか、全くその辺の考慮に欠けている、さらに「よろしく」の文字、いや、
印字一つも無い、
私だけに向けての文、ましてや懐かしさを偲ぶ「な」の字も見当たりませんでした。
勿論自筆の文字は表の住所だけでした。
それを期待した私が悪かったのか?
実はその相手とは、四十三年前、ニ年間近くも狭い部屋で寝食を共にして、青春を語り合った輩だと思うと
誠に残念に思う。何故なら、彼にはこの年になる迄ずうっと、他人への思いやりの心が育くまれてなかった、
としか思えないからだ。 長々と申し述べましたがビジネスの利害関係のある、
義理のみを満たす挨拶状は
いたしかたないであろうが、
(それでも適時に思いやりの言葉を添えたら、いつしかそれなりの報われはあると思いますが。)
それ以外は送ったら喜ばれる状、すでに書いている時点で、受け取る相手の喜ぶ顔が想像出来る様な状、
又書きたくさせる状を書きたいものです。
 それが根底に流れていればこそ、賀状がお互いに毎年積み重ねられ、友情も深まり、いつまでも付き合って
行きたいと
いう気持ちが確立されるのだと思います。そしてそれは人生の大きな意味付けにも
移行するものと強く強く思います。
 突き詰めますと、書くのも受け取るのも楽しい賀状を目指したいです。一行でも良いのです。
その相手しか差し上げられない文句が是非欲しいものです。
   
その人の顔が見える書状 そんなものを心掛けたいものです
                                           chiro−



母さん!頑張ろう

患者さんを 父を読んで、いろいろ考えちゃいました。

告知や説明、同じ症状の人に同じ話を伝えてもその後は、人によってかなり違った日々を送ることになりますね。
私の母は私を生んで心臓を悪くし、アレルギーも増え薬を服用している間に肝臓も悪くして
難病指定もされています。(といっても、普通の生活はできるんですが。)
メニエール病… 精神的なものからくる鳴り止まない耳鳴り。健康診断などすると、
かならず何かひっかかって再検査。母は日々の少しの不調、医者のちょっとした一言を
自分の頭で膨らませて、不安から さらに体調を悪くします。
肝臓のほうで数年前、医者に「寿命はあと10年」と言われたそうです。
10年。10年って長いですけど、”寿命 ”と言われてしまったらとても短いですよね。あえて”寿命 ”と
言う必要があったんでしょうか。母は10年後の自分を想像して、しばらく脅えていました。
母のほうから寿命を聞いたのかもしれない。 でも、脅えさせては治療の効果半減・・・・・。
それからもう一つ、母方の祖母が以前体調を崩して病院へ連れられて行った時、担当した先生の一言。
「この歳になって、まだ生きたいのか。」
祖母の生きる気力を失わせ、暫く床に伏せさせた言葉です。

患者のことを考えて接してくれる先生がほとんどでしょう。
でも「話すことがすべての人においてベストではない」
ということを、もっと考えて欲しい人も中にはいます。
ただ、緊急時の処置の為の知識・・・考えたこともなかったんです。
本人と身内がそれを知っていることが、一番対処が早いのでしょうが・・・。
人の命を左右する判断をしなければならない医者は大変ですね。

ところで、母ですが「寿命はあと10年。」と言われてからは
哀しげに「あと10年しか生きられない・・。」と”毎年 ”言っています。
                                             
札幌はまだ雪の中 春が待ち遠しい
                                     Akiko

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