MississippiRiver notes ミシシッピー紀行

            (ミシシッピー河の源流から河口までを辿る旅)

MississippiRiverCountry,10 States21's SPACE 99 TOPです
mississippi River
      **Gallery「Mississippi」シリーズを参照**


☆帰ってきた☆GO・GO GUYS

4月26日午後・・真夏のようなニューオーリンズから降り立った成田は“寒むかった”!

16日間はアッというに過ぎて重いケースを引きずって税関を出た。
「ありがとう!」6人
は感慨を込めて固い握手を交わし合った。日本人としていや、地元の人(アメリカ人)もそうやってはいない壮大?な紀行をやり終えた感慨は、みなの胸を熱くしていた。まさにGREAT RIVER ROAD 一万数千キロを走破は大成功だったとの達成感に疲れさえ忘れて帰路に就いた。
世界第三位の大河Mississippi・・・「15歩で〜〜」渡るには我が短足では飛ぶような大股歩きだったが
渡りきったときの感動・・・今でも胸がドキドキする。シカゴでライブ・・・ブルースに胸をふるわされ、呆然と佇む。
ナッシュビル、メンフィス、ニューオーリンズ・・・全行程音楽まみれ・・・感動のとぎれるときがなかった。行程の途中で出会った人々・・・・“アメリカの田舎”の純朴な人たちと交わした会話が忘れられない。

GOGO GUYS 揃いのキャップ
“GO・GO GUYS”は遂に「Mississippi源流から河口まで」を完遂した。
ハードな旅程を全面的に支えてくださったS氏、A氏、K氏・・・。心から感謝申し上げたい。

頭にギッシリ詰め込まれた16日間をこれからゆっくりと紐どいていきたい。

行程中、平均3時間の睡眠時間で推移した。多忙と睡眠不足等があって、当初考えていた当地からLIVEでこのページを更新しようとの計画は、(10日〜13日までで)敢えなくとん挫してしまったが、手元にある大量の写真と走り書きのメモを前に、この「貴重な体験」を纏めていきたいと思っている。


ミシシッピー河の源流から河口までを辿る旅へ、
4/10から4/26までの予定でいよいよ出発・・・。
アメリカの中西部MISISIPPI河を挟んで、北から南へ続く
Minnesota、Winsconsin、Iowa、Illinois、Missouri、Have a nice trip
Kentucky、Tennessee、Arkansas、Mississippi、Louisianaの10州を・・・
キャンピングカーを駆っての旅・・。
アメリカの良き時代の歴史、
文化がいまも色濃く残ってるというこの地域、
未だ残されている自然、伝統的な風俗や音楽、素朴な人情・・
そんなたくさんの出会いを求めて・・・
無限に広がる“アメリカ”を、
楽しくレポート出来たらいいな〜と思って・・・。




4.10
チェックイン前に、RedCarpetClub(ビジネスクラス特別ロビー)で、取材撮影。3人がオレンジジュースのグラスを手に談笑の図・・・。
さて、チェックイン・・・厳しい手荷物検査を終えて歩き出す。
搭乗口まえの通路で、
「靴をぬいて、スリッパをお履きください」またまた念入りなボディチュエック・・・靴の中まで目を凝らしていた。

UA882 23 8D・・・・定刻通りにフライト一路シカゴへ。
横5列(□□ □□□ □□)のシートはゆ〜たりだ、
前席とのスペースも“どんなに足が長くても・・・”って感じ。

ワインを所望・・・空腹も手伝ってほろ酔い。程なく食事・・・
メニュー
  前菜  
    スモークサーモン寿司 マンゴーサルサ
    豚肉と子牛肉のテリーヌ
    チャイブ風味のマスタードソース
  
ガーデンサラダ
    ヴィィネグレットドレッシング

メインコース
    牛ヒレ肉ステーキ、マッシュルームのラグー
    ポテトグラタン、グリーンピース

     
          
  or
    鶏胸肉のりんごとアプリコット詰め
    マンゴー入りカレーソース
    ほうれん草と松の実、チキンライス

デザート  
    チョコレートブラウニー、ヴァニラソース

う〜ん、どれも大盛り?で・・・・・・。しかし美味。

時速1077km、少しゆらゆらしながら飛んでいる。

13時間の長旅・・・機は定刻にシカゴに着いた。
機内は8割方席が埋まっていた。
程なくユナイテッド国内線でミネアポリスへ着いた。
6人乗りタクシーでキャンピングカーのピックアップ地点へ向かう。

そこの責任者ミスター・ローン・・・・
希にみる堅物?車内の諸設備の使用方、 運転方にビデオ&実際の車を見ながら説明に、3時間・・・・。
ミネアポリスの空はとうに暮れてい。
さて、ようやく出発・・・・・
見事な図体のキャンピングカー、時あたかも雷が鳴り出し豪雨になっていた。
その中をSは強引にジグザクしながら車を走らせ始めた。
みなシートに張り付き、青い顔をしながら耐え、ホテルに着いたのは22時をまわっていた。
成田を出てから24時間を超えて一睡もしていない。

シャワーの後、PCに向かう。
ミネアポリス・アクセスポイントに接続するも、「パスワード違いで」??接続不良・・画像処理(コンパクトフラッシュからCD−Rへ落とし込み)等4時頃ベットに倒れ込む。

明日は朝からMISSISSIPPIの源流を目指して、キャンピングカーの旅が始まる。



4.11
7:45起床さる
ヒルトンホテルロビーに8:30集合
近くのスーパー(ターゲット)で水、スナック等買い物。(オモチャ、絵本買う)
10:20→アイタスカへ出発(350km以上の行程)出発時・・・かなりの大雨途中道すがら頻繁に見える湖?はほとんどが結氷、残雪が散見される
13:30→ガソリン38ガロン注入(アト60kmでアイタスカ)
アイタスカ・・・・15:20着→徒歩10分で源流に着き源流撮影・・・
小さなアイタスカ湖は90%がた結氷していて、白鳥が数、羽を休めているの望見される。薄曇りで、吐く息もうっすらと見えるが、源流にいる興奮からか寒さをさほど感じない。
湖から流れ出て、MISSISSIPPIの始まり地点には、石が並べられていた。渡ってみた。
「15歩では渡れる源流・・・」は、それよりも歩数は多くなるが、世界第三位の大河
MISSISSIPPIを、十数秒で渡ったのだ!。季節が早いせいか、我々以外は人影なし。
Mississippiの源流地点

ポイントショップも休業していて、「源流グッズ」も手に入らず。

帰路、途中コーヒータイムをとる。

20:00
GATEWAY MOTEL
(地名ST.CLOUD セントクラウド)にチェックイン。
wベットが二つ、バスルーム・・・・都心の一流ホテル並に広い。


近くのスパーCUB FOOTSで、パン等買い物。イタリアン カフェテリアでピザ等の夕食。

シャワーの後、PCに向かう。
ST・クラウドのアクセスポイントに接続するも、ここでも接続不良、画像処理(コンパクトフラッシュからCD−Rへ落とし込み)等をして、就寝2:30時頃



4,12 
8:00 集合
GETWAY MOTEL 8:15出発アメリカは広いよー。
いくら走っても大平原・・・・同じ風景。

キャンピングカー内で、前夜買っておいたパン、ミルクで、朝食を済まし、ハイウエーを一路ミネアポリスへ、通勤時間のためか、道路はたくさんの車が連なっていた。
9:45頃モールオブアメリカへ到着。
広大な敷地に、遊園地(スヌーピー)、デパートをはじめたくさんのショップがある、世界でも指折りの施設。
ここでキャップを作る
「MISSISSIPPI GO,GO GUYS」
3人そろいのキャップ。

昼食は“リトル東京”で焼きそば等の食事13:30までモール内で各自歩き回る。

16:00前出発し、17:00頃CLARION
 HOTELへ到着。
20:30〜夕食をホテルのレストランで食事。イタリアン・・・何かも大盛り。

あ〜とにかく寝る時間もな〜い。



4.13
6:00ホテルでFAX依頼
7:00CLARION HOTELをスタート
バックウィンドウ、フロントウィンドウ拭いに行き、スペアタイヤステーがグラグラしてるのに気づく。
ホテル近くのスタンドで修理依頼、修理場への移動中にトラック(作業車)に接触キャンピングカーの左リアを損傷。
パトカーを呼び事故証明を取り、スペアタイヤを外し車内後部に置く。
                  
コーヒー、バーガーで朝食8:55出発
9:25ウィスコンシンに入る。どこまでも続く平原・・・・まっすぐに続く道、コンボとひっきりなしにすれ違う。
進むに従って、木々が緑を増すような気がする。

サブウエーで昼食。快晴・・・日溜まりは暖かい。
16:00過ぎミルウォーキー、ミラー球場に入る。その壮麗な造りに感動する。

車は限りなく続く大平原を後に、高層ビルが建ち並ぶ大都会へと進んだ。
シカゴだ!
OHIO HOUSE MOTEL チャックイン後、徒歩で中華料理店へ行き、夕



20:00頃一台のTAXIに6人が乗り込みBUDDY GUYs CLUBへ行く。
200人くらいの聴衆でいっぱいだった。
立ち見でビール1本を飲みながら聴いた、ブルースライブ・・・・・・
雰囲気、演奏に圧倒される。
何故か・・・・目からこぼれるものが止まらない。

【写真;BudyGuysClub】



☆5日目☆


旅も、もう5日目(現地4/14)昨夜は下着の洗濯やら、PCを開いたりして3時頃就寝したが今朝は6:00起床、ホテル周辺を散歩した。8:00時には荷物を持ってホテルの1階に全員集合“CHICAGO TRANSIT AUTHORITY”シカゴ市内高架電車に乗った。ビルの間をまさに直角に曲がりくねって走る。「映画の中に自分がいる」感じでしばしの乗車を楽しんだ。

TAXIで近くのNAVYピアへ行って、4人乗り自転車を見つけたので暫し童心に返ろうと借りることにした。
類にいろいろ書かされ、パスポートまで預かるという。まあそれもいいでしょうと、15分間借りて快晴の中きゃぁきやぁいいながら遊んだ。11:00頃ヨハンコックビル96階のレストランでティータイム、眺望はまさに絶景・・・。
下界を眺めながらティータイム
大都会を実感・・・目も眩む眺望
まるで航空機から見たような




















       
   
  13:00、車は出発。途中(15:00頃)レーガン(元米大統領)の生家(DIXSON)に寄る。

☆レーガンの生家☆
             ☆レーガンの生家☆
VTRを見てから、
家の内部を見て回る。
瀟洒な佇まいだ。

ところで彼は今どこにどうしているのだろう。
は一路IOWAへ、この州は通過する予定で、目指すはセントルイス・・・。17:25Mississippi河を渡ってIOWAに入った。

テルに入って、大急ぎでシャワーを浴び、20:00頃車で
Mississippi河畔のレストランへ夕食に行った。

い鉄道施設を利用した、煉瓦作りの雰囲気のあるレストランだ。Mississippi河は漆黒の中だった・・・

☆☆食・・・何処でどれを注文しても大判の分厚い皿に大盛りだ!

  飲物・・・例えばティーを頼むこれまた大〜きいカップ!半分くらい飲むと、 親切にもまたガボッと注いでくれる。この国の人よく食べてよく飲むんだなぁ〜☆☆


   ××××××××××××××

きょうもまた、下着の洗濯やら、画像の処理やら、就寝は何時になるやら・・・・。オットその前に、ミーティングやら「同級生であることを」確かめ合う?バカ話しが延々と続くことだろう。



☆6日目☆


3時過ぎまでPCを前にしていて眠い目をこすりながら、7時頃に朝食を終えて、8:30には出発。見渡す限りなめらかな大平原の中の真っ直ぐな道を車は快調に走る。犬?の礫死体がいやに目に付く。またバーストしたタイヤがハイウエーの端に散乱してる。想像していたよりは道路がつぎはぎ&凸凹・・・「ミズーリ州に入りました」運転しているS氏が教えてくれた。時計を見たら9:30少し前。車内にはオールディーズのCDが鳴り響いている、それに合わせてGO・GO GUYSはハミングしている。“青春”を乗せて車は11:00にハンニバルに着いた。
マークトウェイン・ミュージュアムを見学。
マークトウェイン・ミュージャム 彼の胸像にあいさつ

館内はトマークトウェイ
に関する資料がふんだんにしかも端正に展示されている。年の頃読みふけっていたトムソーヤの冒険・・・情景が展示されていたが、そんな中ですっかり少年に返っていたGOGO GUYS。

きょうも快晴、この旅行始まりはカミナリ、豪雨だったが、その後の天候には恵まれている。このあたりまで南下してくると快い陽気・・・




明るい雰囲気の中での昼食はミートソース。
きょう昼食 ミートソース

量は大ぶりだが、味は我々日本人好み?
食後、Mississippi河畔に足を向けた。河畔に「外輪船」がポツンと係留されていた。人影もなく、明るい日差しに照らされて白い船体が美しかった。ここでもMississippi河は茶色に濁っていた。


セントルイス目指して出発・・・・。見通しのいいハイウエーの快調なドライブが続く。流れ行く窓外の風景を眺めながら、悠然たる時の流れに圧倒される思いだ。「地球は大きかった」とも・・・。
                                          
外輪船














「ハマーが・・・」Hがさけんだ。ハイウエーを引き返す事に・・・軍用車(ジープのお化けのような)を民生用にして販売しているお店だった。巨大な「HUMMER」が列をなして展示されていた。親切な販売員にうながされて、遠来の「少年たち」は運転席に乗ったり、車体の前で写真を撮ったり・・・・。こんな寄り道もこの旅の醍醐味。
巨大なHUMMER・・・・

広い敷地に可愛い家、ゆったりと暮らしている・・・そんな風景にこの2〜3日浸かってる。日本の情報・・・新聞やTVから遠ざかって、なんとなく落ち着かない気分がムラムラと湧いてくるときがある。しがないサガか・・・・。



前方に「大都会」が現れ始めた。大きなアーチも現れた。17:00セントルイスに入った。
          
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
     JAZZに包まれたこの旅飲物を片手にライブ・・・も堪能できた。
スッゴイ図体に囲まれて ライブを聴く
 GO・GO GUYS LIVEを聴くの図     イラストby Yun
極端に照明を落とした会場、赤い僅かなスポットライトにブルースが響く。
縦横自分の3倍ほどもありそうな大きな黒人が「NO Picture」・・・
「発光禁止」にセットしたデジカメをこっそり忍ばせて、シャッターを切る。怯えながら・・・・





☆7日目☆


セントルイス・セントラルステーションでの昨夜の夕食、
レストラン ROUTE 66
旧駅舎を利用して雰囲気あるショッピング&レストラン街になっていた。
その中にある「ROUTE 66」と言うレストラン、名前を聞いただけで懐かしさがこみ上げてきた。♪ルートシックスティシックス♪あのメロディーが頭の中に・・・・

伸びきった曲線のアーチ










例によって眠い目をこすりながら8時過ぎに全員揃った。ホテル1階にあるスターバックスで軽い朝食をとる。

美しく整備されたパークにあるアーチに向かった。快晴のあくまでも青い空に鈍い銀色のアーチは見事な曲線を描いていた。見上げると、窓ひとつないメタルチックなアーチの頂上に小さ四角い窓らしきものがみえる。あそこまで上ると言うが、どうやって行くのー・・・・。チケット持って並ぶ、係員の説明を聞きながら誘導された先のドアーが開いた。小さなイスが6脚あるエレベーター・・・・背をかがめて座る、やがて緩やかに動き出した。
アーチに影を落として・・・
不安そうな顔々を乗せて、
EVは金属に囲まれた無機質な空間をゆらゆら上って行き程なく扉が開いた。展望室だ・・・「通路」と言った方がピッタリする細長い部屋の両側に窓があった。高さは200m以上はあるのだろう、見下ろす街並みに自動車が小さく走っていた。アーチの影を映してセントルイスの景観は明るい陽光に映えて美しかった。

“セントルイス観光”を終えて、再び前夜に続いてセントルイス・セントラルステーションのショッピング街へ行った。

昨夜閉店時間を過ぎていて寄ることの出来なかった、テディベアーショップを訪れた。
陽気で親切なおばさん・・ベアーはこうして誕生した
先ずだらんとした好みの大きさのベアーを選ぶ、親切なおばさんに誘導されてベアーのそこだけ開いている背をパイプに添える、そして足元のペダルを踏むと、すごい勢いで綿がベアーの体内に吹き込まれた。「親切なおばさん」が『キスしなさい』と赤い小さなハートを差し出す、〜〜を込めたハートをベアーの体内に埋め込むのだという。言われるまま照れながら・・・・。
ベアーの名前、誕生日時(作った日時)、彼女の署名・・・ベアーの生誕証明書をつけて完成。
ベアーのぬいぐるみを完成させた・・・・子供っぽいセレモニー付き買い物・・・。


セントルイス・・・シカゴよりは小ぶりな美しい都会・・・ここでのホテルの部屋の眼下に球場が見えた。セントルイスと言えばCardinalsの本拠地、メジャーを生で見たいと、試合予定を調べてもらったら、「4/30までここでは試合はないそうです」とK氏・・・無念残念。

昼過ぎにはKENTUCKYへ向けて車は発進。17:00過ぎケンタッキーに入った。


          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆☆キャンピングカー☆☆
キャンピングカー

キャンピングカーの内部・・・車内幅が2250o、前方下段に見える2人ところが運転席と助手席、
キャンピングカーの内部
その上に2人が寝そべることが出来るくらいの突き出しスペース、上方、左右に見えるのがもの入れ、その後ろ左側面に電子レンジ、ガスコンロ、トイレ、右側面にシャワー室、左下面に見えるのが流し台(食料その他が置かれている)、右側人物がくつろいでいるところが3人がけソファー、その左(前)がテーブルを挟んで両側に2人がけソファー
そしてリアにダブルベットそんな配置だ。



5人家族が快適にキャンピングを楽しむのに、広さ、使い勝手共とも快適な空間だろう。
ただ、移動中は運転席&助手席を除いてキャビンはお世辞にも乗り心地がいいとは言えない。
長距離移動には相当な覚悟が必要といえる。

  
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


☆8日目☆


TENNESSEEでの第一夜、やはり午前様になっていた。だからこの日の朝も眠い!HAMPTON INNでの朝食は7:30、ここの朝は飲物(コーヒー、ジュース他)とパンなどは自由に摂ることが出来る。
白飯・みそ汁?・醤油ボトル
そのブッフェディスプレイの中に“ご飯”“みそ汁”があると陽気なスタッフから告げられて、見てみると、まさしく「銀シャリ」・・・でもみそ汁は・・・インスタントのパックだった。そして何故か【醤油】のボトルが1本置かれていた、白飯にかける?・・・・。「近くに日本の会社があるのでサービス・・・」とのこと「粋な計らい」というところか・・・。
この日も8:40過ぎには車は走り出していた。1時間ほどで目指すMY
MY OLD KENTUCKY DINNER TRAIN
OLD
 KENTUCKY DINNER TRAIN・・・。
OLD TRAINで食事・・・の予定だったが、時間が合わず見学に留める。見るからに雰囲気のある列車が並び、スタッフが盛んに車両を拭っていた。そして鉄道博物館に寄って11:00過ぎナッシュビルに向けてスタート。
途中貴重な経験が出来た。リンカーン・ホームを見学できたことだ。
自然の佇まいがキッチリ保存されているパークに、「コレ!」と思わず声を出してしま
リンカーンの家 
うほどの小さく、“あばら屋”のような佇まいだった。
あの偉大なリンカーンがこんな家で育った・・・・感心やら感動やら、そこでこの周辺の環境を守っている方の穏やか顔の説明を聞きながら、なにやら心の奥にたくさんの何かが湧き起こってくるの感じていた。
12:00過ぎGASステーションで昼食を摂る。車は順調に走り、2:30頃ナッシュビルに入る。市内のパーキングエリアに車を置き、カントリーのライブを聴く。
楽しく、軽やかにカントリーをうたうシェパート




  ギターを片手に彼(ジョン・シェパードと言っていた)は軽やかに、愛嬌タップリに我々になじみのカントリーをうたってくれた。ドリンクを片手に聴いている間、この店に出入りする人たち、みんなほ〜んとにカッコイイ。粋にジーンズを着け、テンガロン・・・なんともカッコイイのである。ホント感動ものだ。ここでも店の客と、歌い手のシェパードと、遠来のFromJapan6人は大いに交流したのである。こういう心のやり取りをこの国に来てから何回も経験できた。この旅の大きな収穫の1つだ。

RYMAN AUDITORIUM でホールを見学できた。カントリーでの“カーネギーホール”・・・盛んにコンサートの準備をしていたが、ホールにいるだけで厳粛な気分になった。

COUNTRY MUSIC MUSEUMも訪問した。カントリーに関する膨大な資料が展示されていた。COUNTRY MUSICだけのミュージアム・・・さすがアメリカ、その規模の大きさに圧倒される。どこでもそう感じたが、こんな街にゆっくり滞在したいなぁ〜とつくづく思う。叶わないことと知りながら・・・・・。
バースディ

ところでこの日、メンバーの1人、A氏のウン十回目の誕生日・・・・
みんなでささやかに祝った。彼への贈り物・・・・・この地で得た彼に打ってつけのものだった。・・・・ようだ?。Aさんオメデトウ!!   

祝杯を挙げて、食事も終え、部屋に戻ってから今日一日の整理にこの夜も遅くまで・・・・。

旅も半ば、頭の中、胸の中、イッパイになってきた。この先もたくさんの発見、出会いがあるだろう。ギュウギュウ詰め込むことにしよう。



☆9日目☆

今朝はこちらへ来て初めて朝食をルームサービスで・・。3人が一室に集まり、朝からホテルライフを満喫?した。この朝も9:30頃から車は快調に走っていた。両側を林が連なり、大平原の中のハイウエー走行にになれてしまった目には新鮮な道行きだ。そうそう、A氏に教えられて現地のスーパーで買った「スーパー剤」(パックには筋肉モリモリの絵が描いてあった)を一気に飲んでみた。何しろ大小11錠もある代物、1錠の大きさも想像を超えた大きさ・・・みんなの好奇の目の中グッとミネラルウォーターで流し込む。そのあと・・・筋肉モリモリになったか、はたまた・・・・

昼前、右テールランプのバルブを交換した、玉切れは、(紀行中)この1回だけだったと記憶して
For Saile 47年製・・・・
  For Sail・・・  '47年製
いる。
途中、この日も沿道のクラシカルな館?を見つけて立ち寄る
彼は興奮気味に語る
。コレクションを並べて、気のいい老人がいた。
「こっちのガレージも見て・・・」キーを持って来て彼はそう言う。’47年製、それより古い車やら、またしても好き者が見たら垂涎ものがずらり・・・。こういうリタイア後を(第二の人生というのだろうか)送っている人に何人にも会った。
旅行中、この国の「余裕」を度々垣間見た思いだ。

さてこの老人、「きみの頭髪売ってくれ」と同行のA氏の豊かな髪をさしてジョーク・・・。抗ガン剤?の影響か頭髪が抜けて・・・と言っていた。病状は油断を許さない状態と推察された。ペプシ缶を人数分差し出しながら彼は言う「また会おう」、ハグしながらK氏は涙目、そしてみんなも目を赤くした。

昼は沿道のウエンディズ(だったと思う)で済ます。


13:00過ぎにテネシーウィスキーの老舗?ジャック・ダニエル工場に着いた、工場見学だ。

早口の説明が・・・ジャック・ダニエルで
案内のご婦人のかなり早口?の説明、とても理解できるものではない。周囲が笑うときに一緒になって笑ったりしていた。「輸出は日本へが一番多い」だけは聞き取れた。
こんな時代物の消防車 ジャック・ダニエルで
こんな消防自動車も・・・ジャック・ダニエルで

ウィスキーの原料や、樽のそれ、箱詰め作業等を見学。「さぁ〜試飲!」と・・・だが、この地域だけ「禁酒法」が施行されているということで、“レモネード”の試飲?でここを出た。

工場の近くにある土産物店が並ぶ一角で、しばしのんびりする
NYからバイクでテネシーまで
  NYからバイクで・・・
。ここの店内も骨董品が主商品だたった。これはこれはと思う超時代物のレジスターも現役で稼働していた・
超時代物のレジスター 現役だ!
まだ現役で稼働していた


←昼下がりのひととき、出会ったこの恰幅のいい御仁、NYから奥さん&お孫さんと2台のカワサキ(バイク)でここテネシーまで来たといっていた。

この日もたくさんの見聞と出会い、そしてこんな夕陽に送られて、車はメンフィスを目指す。
こんなステキな田舎の風景






メンフィス・・・・それはいわずと知れたエルビス・プレスリーの聖地、ジャズやロックが渦巻いているだろうビール通り、どんな街なのか興味津々・・・・。
想像はふくらむばかりだ。








☆MEMPHIS☆
オールドなガスステーション


早朝、パンケーキの朝食を終えて出発。間もなくテネシー川を渡った。またまた、木造りの最近の日本では見たこともないようなガスステーションに立ち寄った。木壁一面に、古い農機具や、生活道具でアートされていて、その佇まいは周囲の風景にとけこんで、なんとも言えない風情をかもし出している。道路沿いで幾度もこのような店を見かけると言うことは、それぞれのオーナーが店作りに自分の感性を発揮して競っているのだろう。やはり(生活の)余裕なのだろうか・・・。ここでも、(小物だが)いくつか買ってしまった。

いよいよメンフィスに入った。今日の宿泊は
ハートブレイクホテル
   HART BRECK HOTEL
「HART BRECK HOTEL」だ。どんなホテルだろうと、日本を発つ前からあれやこれやと想像していたが、着いてみて、“まとも”な外観に拍子抜けした。室内もエルビスの写真が貼ってある他は誠に「普通のホテル」だった。

MEMPHIS・・・想像以上にあのエルビスがいまだに「闊歩」してる街だった。プレスリーが住んでいたマンションのある一帯は「グレースランド」とよばれ、プレスリー観光のメッカ・・・
彼の部屋、事務所、はては飛行機(彼の専用機)まで展示してあって、バスに乗ってのツアーは満席の盛況。
彼の使っていた部屋や、ベット、衣裳、飛行機の内装を見て、その色彩、造作、調度に、「ここまでやるか!」と思わず口に出していた。
外に出て、暑いくらいの日差しを受けながら、彼の墓を詣でた。色とりどりの花やぬいぐるみに飾られ、世界中からのエルビス詣でが今日なお絶えない光景を目の当たりにした。

エルビスの墓
         エルビス・プレスリーの墓

エルビスが最初にレコーディングしたことで、あまりに有名なSUN STUDIO(The Birth of Rock'n Roll)に行った。それは街角にこぢんまりと建っていた。

ここでも“スタジオツアー”があり、印象の良い青年が建物の内部を案内し、古い機器がそのまま置かれたスタジオに入った。古いマイクを手に取りながら「これがエルビスが使ったマイク」等とユーモアタップリに説明する。ツアー参加者が順にマイクを握り記念写真を撮っていた。我々も例外ではなかったが・・・・。
SUN スタジオ
 SUN STUDIO
エルビスのマイクなのだ
    エルビスのマイク






ブルース、ゴスペル、カントリーそれらを意識し、彼が始めて一世を風靡したロックンロール、それは今も人々の心に生きているのかも知れない。マイクを持ちながら、得体のしれない感情におそわれた。

エルビスに浸りきった数時間だった。

外輪船

ここのMISSISSIPPI河で、外輪船アイランドクイーン号に、今回の旅行で初めて乗った。あくまでも青い空の下、たくさんの観光客を乗せて、静かに川面を走る。
川風に頬をなぜ
過酷な歴史が・・・
らながら、良き時代のアメリカを・・・





その後で入ったここのミュージアムには、この地の忌まわしい過去もパネル等で展示してあった。開拓時代、綿花畑やトウモロコシ畑の労働者として、たくさんのアフリカ人等を奴隷として使役し、今日を築いた歴史に目をつぶることは出来ない。


ギターの名門、ギブソンファクトリー(ギター工
憧れのギター
   コレが【gibson】
場)で、ギブソンのツアーに参加。工場を行程順にまわるツアーだ。“gibson”・・・知る人にとっては憧れ・・・・
こぢんまりした工場だが、レーンで流れてゆく行程を見ながら、「話しずき」な紳士の説明は(言葉の問題?)「長かった」。
見るからに風格のあるギターの列を見て、巷間言われている「価格」を思っていた。


夕暮れになって(と言ってもこの地の日の入りは遅く、その上夏時間)19:00頃あの有名な“BealStreet”へ・・・。さして長くはない道の両端をパトカーで封鎖し
、いわゆる歩行者天国になっていた。
BealeStreet

たくさんの人が行き交う道路の中程で、少年がパフォーマンス、ブレイクダンスと言うのだろうか、その身のこなしの見事なこと、まず最初から圧倒された。ブラブラ歩くと“JAZZ”が空から降ってくるように体中がくるまれる思いになる。まだ明るさの残る空が、その光を徐々に落とす頃、両側のネオンサインが輝きを増して、歩く我々はもう興奮の極みになってしまった。「ここがメンフィス!ここがビールストリート!」

“エルビスレストラン”で夕食をとって、外に出ると、ますます人通りが多くなっていた。両側に並ぶライブハウスからは“ブルース”が湧きだしてくる。
土産物屋にも人が溢れるようだ。
THE GALES BROS

「B・B・キング」のネオンサインを見ながら、店内に入る。
楽しみにしていたメンフィスでのライヴ・・・暗い店内は熱気でムンムンしていた。僅かな光量の赤いスポットライトに照らされたステージでは、3人のグループが演奏している。「THE GALES BROS」・・・魂を揺するようなリズム。テーブル席の人も、立ち見の人も演奏に入り込んでいる。我々も席を立って、ステージ前にある立ち見カウンターに行った。
こんなGOGO GUYS







両側に「小錦(コニシキ)級」の人がいて、興がのってくると肩を組んでくる。「埋もれちゃうよー」・・・・。
演奏が一段落した所で、彼らのCDを買った。彼らのリーダーが私の名と彼のサインをCDのカバーにしてくれた。
JimmyKing・・・・・。

BealeStreet
外に出た。BealeStreetを散策する。流れ来るJAZZの音と、行き交う人々の声高な会話の声と・・・・いつまでもいつまでも歩いていたい願望にかられてしまう。

ホテルに着いてデジカメのメディアからCD−Rへの落とし込みを手早く済ます、シャワーもそこそこにベットに潜り込む。
メンフィスでの興奮がなかなか収まらない。
時計は3:00をとうに過ぎていた。
路面電車






明くる日、路面電車に乗った。これがまた雰囲気のある〜〜、入り口にある機械に60セントを入れて乗る。座席も含めて全て木で出来ていて、オールド感覚に満ち満ちていた。この街何もかもgoo〜だ。


さてこれからの行程は、TENNSSSE州を離れて、ARKANSASを越え、
MISSISSIPPI州、そしてLOUSIANA州へ。MISSISSIPPI河口やニューオーリンズ・・・
まだこれから先、幾つもの興奮に出会うことになる。



☆TENNESSEE〜LOUISIANA☆


メンフィスへ向かう途中のハイウエー沿いに、この建物を見つけ、立ち寄った。
大草原の小さな家・・・のような

shop?












軒先には、「大草原の小さな家」に出てくるようなキャップ(帽子)が数個、洗濯バサミ?で吊されてあった。ショップ?・・・、ドアーを叩いら、出てきたのはこざっぱりした身なりのご婦人たち。
シャイで、やさしく、おだやかな・・・・

その中に着飾った少女がひとり、こぼれんばかりの笑みでいた。話しているうちに、かなりシャイなこの人たちともうち解けてきて、ワイワイ〜〜我々との交流が始まった。「この子・・・、お披露目パーティー用のドレスを着ているところ・・・」。ここが少女の友人宅で、ちょうど友達のママたちとドレスの試着中に我々が入り込んだということだった。この人たちの笑顔に誘われて、“Let me take a picture”な〜んて変なことを言いながらカメラを構える。
心優しいこの人たちは笑顔で応じてくれた。この一家の、人を引き込むような、なんと云おうかほんわ〜かな雰囲気に、久しく忘れていたものを思い出させてくれた。コーヒーをオーダーして、のどを潤す、このコーヒー代もいらないと云うのをむりやり払った。建物の外に置かれているのは、近くのアーミッシュの方からいただいた古い農機具だとの説明に、古きアメリカの姿を実体験した思いだった。

別れて「今のところで買ってきたよ」と出されたアップルドライフルーツ、口に含んだら何ともいえないまろやかな甘さがただよった。心を込めて作ったであろう彼女らの姿を思い浮かべて、揺れる車のシートに身を任せていた。それにしても、ハイウエーを走りながら、このような「ポイント」を瞬時に見つけ車を止めるS氏の眼力に敬服。
「スリープ?」「あそこだ」裏のビルを指さした

車はルイジアナ州に入った。河畔を散策していて、ベンチにいた男性と話し込む。「ホームレスだ」という彼は、身ぎれいで礼儀正しく「昼は教会の給食で・・・」等と彼の日常を盛んに話す。
「バ〜イ!」、離れる我々に彼はいつまでも手を振っていた。
川風が「さまざまなアメリカ」を運んでくる。


車に関することを1つ・・・汚水タンクを空にしてから車を返却する事に
排水はこうして・・・・
なる。
今回の旅程では、トイレ、流しをいっさい使ってないので、タンク内はきれいな水なのだが、体験として排出作業を・・・・。キャンピングカー専用の施設で、指定の排水口に車備え付けのホースで排出する。日本を発つ前の、「汚水処理は?」の疑問をHクンが身を以て解決。車内トイレの使用法等いくつかあるのだが、またの機会に・・・・。


ハイウエーを順調に走る。と簡単に云ってしまっては、S氏、K氏、A氏各々方から「簡単じゃな〜い」とお叱りを受けるだろう。大きな図体のキャンピングカーを、あちこち探訪しながら、無理ともいえる日程で走らせる・・・並大抵ではない。強靱な体力、気力に敬意を表します。

とにもかくにも、車はニューオーリンズへとまっしぐら・・・・・・・。


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★♪JAZZ♪★
ディキシーランドJAZZ
     正統・・・Dixieland Jazz


LouisianaのNew Orleansはフランス領、次いでスペイン領だったという経緯がある。で、必然的にヨーロッパの音楽的素地があった。ニューイングランドからニューオーリンズにかけて全ての旋律、賛美歌、民謡、黒人霊歌、ワークソング、ゴスペル、ブルース、等が混ざり合って「アメリカ音楽」が形成されていった。さらに南部ではアフリカの太鼓のリズムが織り込まれ、「JAZZ」と呼ばれるアメリカ音楽が生まれた。
JAZZ
の誕生である。

「デキシーランド・ジャズの町、ニューオーリンズ」とよく聞くが、これはかってフランスが統治していた頃、10ドル札には「TEN、テン」とは言わず、「ディックス、DIX」と表示されていて、この札が流通していた地域という意味で、「ディキシーランド」と呼んでいた。
当時この地方は、広大な綿花畑が広がっていて、その労働力確保のため、大勢の黒人奴隷がアフリカから送り込まれた。彼らが持つ、アフリカ人のリズム感に、「クレオール」(フランス人と黒人の混血をCreoleと呼んだ)と呼ばれるフランス人やスペイン系のハーモニーが混ざり合ってJAZZが誕生する。
時代を追う毎に白人も黒人のジャズを真似て、トランペット・トロンボーン・クラリネットの3管編成を中心とするニューオーリンズスタイルのジャズが始まった。それが、「ディキシーランド・ジャズ、Dixieland Jazz」と呼ばれるようになっていったようだ。


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Louisiana






☆NEW ORLEANS☆

ニューオーリンズに着いた、今宵はここで旅装を解く。
Best Western HOTEL
Best Western HOTEL
瀟洒な「BestWestern」ホテル。
このホテルの周辺も、どこかヨーロッパ風な風情である。この街はどうみてもヨーロッパだ。

明くる日、9:00にはスタート。
そう、ここから更に150kmほど走って、MISSISSIPPI河の河口を目指す。古い民家や、南国風の街路樹の並木を窓外に見ながら、強い日差しの中、(12:30頃か)『WELCOME』を見つけた。遂にLouisiana州の最南端に着いた、つまりMISSISSIPPI河口に到達したのだ。
YOU HAVE REACHED THE SOUTHERN-MOST POINT
YOU HAVE REACHED THE SOUTHERN-MOST POINT
     IN LOUISIANA GATEWAY TO THE GULF


う〜ん、感慨深い。
こういうとおおげさに聞こえるかも知れないが、2週間前にアイタスカ湖の源流からここまで、それは「はるばる・・・」の道のりだった.
残雪のあった源流地点から、真夏のようなここまで、北点から最南端までアメリカ中西部を縦断した・・・の達成感は相当なものだ。
写真を撮りあったりして、すっかりリラックス、久し振りに少年のような笑顔ではしゃぎまわるGOGO・GUYS
。ミシシッピー河の河口といっても、メキシコ湾に注ぐこの一帯は広大な湿地帯になっていて、「ここが河口」と簡単に認識できるものではない。
昼食(途中のピッツァ店で仕入れ、木陰で)をとり、更に奥へ車は進む。

ここが、MISSISSIPPI河口だ
あちこち(尋ねながら)走り回って、広大な沼地に出た。この先はメキシコ湾・・・「ここがMISSISSIPPI河の河口!」と視覚、聴覚、嗅覚全てを総動員して、旅の「終点」を自分なりに確認した。

4:00過ぎにはBest Western Hotelに。
シャワーを浴び、着替えを済ませ、6:00にはフロントにキーを預けていた。
そう、夕明かりのフレンチクオーターへ繰り出すのだ。
レストランで案内された席は、パティオというのか
シーフードだ!

中庭にテーブルが置かれてあって、壁にはフラスコ画が描かれ、まさにヨーロッパ風。こてこてのシーフードをオーダー。アルコールのなせる技か、隣席のスパニッシュ?のご婦人が、超陽気に我々にも話しかけてきた。薄明かりの空に陽気な大声が響き、いつか行ったリスボンの光景を思い出していた。
BOURBON Street
ここを出てBOURBON Streetを歩いた。エキゾチックなSHOPや、ライブハウスが軒を並べ、JAZZの調べが空から、足元から、道行く我々を包み込むようだ。雑多な人種がさして広くない道に溢れている。ネオンをちりばめた突き出しカンバン、赤みがかった店々の明かりが道行く人を染め、独特の雰囲気を醸し出していた。《ここが、バーボン通りかっ!》そしてその喧噪の中の現実に「自分がいる」・・・初めて見る「JAZZの街ニューオーリンズ」・・・ひとり感慨に浸っていた。

いつのまにか8時半をまわっていた。
我々は、デキシーランドジャズライブの席にいた、「SilverLeafJazzBand」・・トランペット、トロンボーン、クラリネット、バンジョー・・・・しっとり、JAZZを耳にしながらワインのグラスを何回か空にしていた。そしてここでもまた、ライブの「ハシゴ」をする事になる。フッと店に入り、ビールを1本手に聴ける手軽さ・・・ニューオーリンズだ、バーボンストリートだ!!。

夜のバーボーンストリートの、ニューオーリンズの興奮をかかえながら、ホテルに戻ったのはかろうじて日付が変わる前だった。例によってパソコンのキーをたたき、下手な日記?を書いたり、画像処理をしたり・・・・。

明日はこの旅行の最後の・・・・。



NEW ORLEANSU

4月24日、7時頃には隣のHに起こされた。

朝10時過ぎに、ホテルの前に迎えに来たバスに乗った、「LOUISIANA AIRBOAT TOURS」へ行くために。
エアーボート

バスはホテル毎にツアー参加者をピックアップしながら、1時間程してエアーボート乗り場に着いた。「SWAMP TOURS」・・・平らな船底のボートの後尾に大きなファン(プロペラ)が付いた船に4列20人ほどが乗る。迷彩服を着て、腰にサバイバルナイフを着けた粋な青年が操縦して、ボートは勢いよく走り出した。耳あてをしていてもプロペラの音はすごい・・・・
エアーボート





河口の湿地帯の浅瀬を進む、時にはブッシュをかき分けるように・・・・

干上がりそうな強い日差しの中、ジャングルの奥深くという感じの風景が広がってきた。乗る前にチケット売り場の売店で売られていた、
ワニの頭が・・・・
「ワニの頭」を思いだし、「出てきそう〜」と思わせた。要所要所でボートを留め、説明をしながら進み、やがて奥深い沼地の水面から突き出た杭にロープをして、パイロットの青年はエサを投げながら奇妙な声を出し始めた。どこからともなく、静かな水面に音もなく現れた、アリゲーター・・・・1m強の思ったより小柄なワニ、ボート近くで、悠々と泳いでいた。こんどの旅で唯一、一般のツアーへの参加、もちろん日本人は我々3人だけ・・・・。
「欲望という名の電車」
MISSISSIPPI河口付近の湿地帯をそれなりに経験できた。

帰りのバスでは途中下車をして、昼間のフレンチクォーターを散策。
明るい南国の陽に照らされた街のようすは、夜のそれとはひと味違って見えた。大通りに路面電車がレトロな風貌で走っている、映画「欲望というの名の電車」そのままに・・・。
なんとなく寂れたチャイニーズレストランに入る、トレーに好きな料理、飲物をのせてレジに行く、そこに秤があってトレーごとのせて計量、う〜ん、「重量」でチャージ・・・・これもまた初めての体験。
まだ陽の高い4時頃ホテルに戻った。さっそくシャワーをして、身なり?を整えねば・・・・。

今夕は「ジーンズでは入店出来ない」レストランでのライブディナーの予定だ。
5時半頃全員揃って出掛けた。
JAZZ
巧みな演奏でJAZZを堪能させてくれた。
オイスター料理 オイスター料理
牡蠣を様々に
調理してあった。
100年以上の歴史を誇る老舗レストラン、室内の造りもブラックタイが似合う?よう・・・
品のある香りのワインに酔いかけた頃、オーダーしたオイスター料理が運ばれてきた。傍らでは3人の奏者が本場のJAZZをシットリと聴かせた。


ニューオーリンズ最後の夜・・・バーボンストリートを歩く・・・道行く人達の、それぞれの民族が持つリズム感の違ったこだまするような会話、ブルース、ロック、道路を、建物を揺るがすようなJAZZの響き、なんとも表現できない街の匂い、それらすべてがニューオーリンズなのだ。
バーボンストリート、そこは見たこともない世界だった。ただ、少年の頃から「JAZZの街ニューオーリンズ」をさまざまな人から聞き、読んで、想像の世界のニューオーリンズが頭の中にあったが、現実のそれは少し違ってはいた。頭の中のニューオーリンズは卑猥さは皆無だったが、いま見て感じているここは、「何でもあり」なのだ。
後ろ髪を引かれる思いで、夜の巷をあとにした。

明日は、早朝4時30分頃の出発予定。早く就寝しなければ・・・・と早めにベットに入る。
だが、2週間前MISSISSIPPIの源流から始まったこの旅の様々なシーンが、走馬燈のように脳裏を駆け回る。そして耳から、あのバーボンストリートのざわめきが離れない。それらが睡眠を妨げ続けるのだった。


4月25日朝、起こされて眠い目をこすりながら時計を見たら3時を少し過ぎたところだった。この旅の最後の旅装を整える。幾分不機嫌な顔の6人はタクシーに分乗して空港に向かった。
ニューオーリンズ空港・・・・懐かしい故郷をあとにするような気分で、歩き回る。みやげショップでキーホルダーや、ボールペン、そんな小物を理由もなく買っていた。そう、何かしていないとフライトまでの時間を過ごせない気分なのだった。
7時・・・・機はシカゴへ飛び立った、9:40?予定通りシカゴに着いた。ここの空港でも、スターバックスへ入ったり、うつろな目つきで免税店を覗いたり、それにも飽きて、RedCarpetでドリンクをオーダーしたり、旅の名残を子供のように惜しんで・・・・。

12:15・・・我々を乗せた機は成田へ向けて轟音を発しながら急上昇した。

シートベルトを外して、ワインで顔を赤くして、「成田まで13時間4分の予定」・・・アナウンスを聞きながら手元の液晶画面で{map}を見ていた。
Head Wind  229km/h  速度  686km/h  高度  8530m  外気温 −44℃・・・
そんな画面をぼんやり眺めて・・・。


4月26日15:27・・・・成田空港に柔らかく着地した。

『MISSISSIPPI河・源流から河口まで』・・・
「このような企画の旅行は日本人はむろん、アメリカ人でも希有です」との、
G・R・R日本代表瀧川氏の言葉を思い出しながら
いまその達成感をじっくり味わっている。


このような「大冒険」とも言える大旅行を、全てに於いて有能な、酒井氏、阿部氏、鹿島氏に支えられ成し遂げられたことに感謝です。また、深夜まで喧々囂々と毎夜話しまくった友人の日暮、平林両君と16日間過ごせたことはほんとうに有意義だった。

ザッと書いてしまった『MISSISSIPPI河・源流から河口まで』・・・・・・エピソードも、思いも、さらに旅の内容も・・・・ここの拙文では万分の一も満たしていない。
何時かこの旅の有能な同行者が、補ってくれることを確信している。









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