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21's SPACE 99 TODAY みんなの今をTODAY みんなの“いま”を話そっ!VOL.12

          みんなの「いま」を〜

2001.3.10.                                   前号まではこちら
   
1945.3.10.

“火炎と火災風に追われて、隅田川の堤まで来た。
公園になってる一帯は、避難してしてきた人たちで溢れている。
その人達の荷物に火が移って、次々に火に倒れていく。ここも安全ではない。
炎の中に勇気を奮って父と二人して突き進み、堤の上にでる。
堤防の向こう、川の中に、小さな“島”があるのを知っていたので、そこへの逃避行である。
火が遮っていたので、さすがにそこにいる人はまばらだった。だが、周りは、火を逃れて川の中に入った人達・・・、
その大半が溺死体になって浮いていた。200mほど離れたところにある小高い丘、
その上の由緒ある神社が真っ赤に燃えている。やがて強風に乗って、神社の大柱が大きな火の玉となって、
ここまで飛んでくる。鉄兜をそちらに向け頭をかがめて・・・・・。

そんな地獄のような長い夜が明けた。どうにか生き延びた。目は煙でやられてよく見えない。とぼとぼと歩き出す。
目を凝らすと、至る所に真っ黒な丸太がある。それを跨いで、また跨いで、歩く。ハッとする。丸太ではない、遺体だ。
累々と・・・・東京大空襲
         空襲資料展 資料より

黒こげになって横たわってる女性の目とぱったり合った。やがてその人は瞳をとじた。今でもあの“目”が忘れられない。”(兄談)

“川からあがると、朝日が煙にさえぎられて、鈍いオレンジ色に見えた。たくさんの焼死体、死臭のなか、放浪者のわたしは〜〜。”                            (体験談)

今から56年前、1945年3月10日未明、東京の下町の広い一帯は大空襲に見舞われた。
たくさんの米爆撃機は2千トンもの焼夷弾を落とし、非戦闘員の一般市民が10万人以上も犠牲になった。

東京に初めて空襲があったのは、1942年4月18日。それから少し間を置いて、1944年11月末頃からは連日のように爆撃が行われ、1945年8月15日の終戦まで続いたのである。

中でも、1945年3月10日の空襲は規模は大きく、“東京大空襲”として人々に記憶されている。

東京、両国駅のすぐ近く、東京都慰霊堂がある。大正12年9月1日の関東大地震の犠牲者の慰霊と納骨堂としてたてられ、当初は東京震災慰霊記念堂とよばれていた。東京大空襲の犠牲者は当時公園その他130数カ所に仮埋葬されていたが、1948年〜51年までに慰霊堂を拡張し、遺骨を納骨堂に納めた。それから、“東京都慰霊堂”と名が変わった。
その脇に、“東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑”が作られ、今現在68,072名の犠牲者名簿が納められている。
毎年ここで、3月10日に慰霊会が行われる。

そこの近くで、“東京空襲資料展”が開かれていたので出掛けた。参加者は、3階の会場入り口まで長い列になっていた。列に並んでいると、あちこちから“あの時おばあちゃんとはぐれ・・・”“わたしは風上に向かって逃げて・・・”等々の会話が聞か
焼夷弾が・・・ 東京大空襲
       東京大空襲で落とされた焼夷弾
れた。
溶けた日用品 東京大空襲
            空襲の高温で融けた日用品
穴のあいた鉄かぶと 東京大空襲   
            穴のあいた犠牲者の鉄かぶと

「東京は100回を超える空襲に見舞われ、とりわけ1945年3月10日の大空襲により、下町地域は壊滅的な打撃を受け〜」の説明から始まって、様々な資料が展示されていた。

もんぺや軍服調の衣服、衣服配給券、羅災証明書、マッチ回数購入券まであり、焼夷弾や爆弾の破片、惨状を目の当たりにする写真、融けた日用品等々・・・・・。 心痛むものばかりだ。
参加者の多くがご自身、空襲の体験者とみえて、資料を見ながら
マッチ回数購入券まで・・・ 東京大空襲
    マッチ回数購入券
生々しい話しをしていた。

下町周辺の地図が掲げられていて、
被災して部分が赤く表示されていたが、それは東京の大部分だった。これでは逃げようがない。
あまりに悲惨・・・・・・・・・。
我が父と長兄もまた、この中で九死に一生を得たのだ。
その父達が逃げ込んだ近く、・・・それは自分の子供の頃の遊び場でもあるが・・・を歩いた。
平和な春の日差しに、ハトやカモメが飛び回っていた。

向かいのお寺で、“すいとん”の試食会があった。覗いてみたら、具だくさんの今風のもだったが、戦後の食生活の一端を体験できた。

つい半世紀前、この国にあったこと、そう遠い出来事ではない。こんな悲惨が二度とあってはならない。

“戦争はノー”を言い続けなければ・・・・・・・・・。                      
                                                  h.







2001.3.10.                                   前号まではこちら
   
【おババはパートナー】

実家には“ジロ”という名の秋田犬がいるのですが ナント彼は今18歳!

病気らしい病気は何一つしたことのないジロも
やはり18歳という高齢のため 日に日に弱っているようです。

目はほとんど見えていない...耳は全く聞こえていない...
自分ひとりでは立ち上がることもできない...
水を飲むにも 人が体を支えていないと飲めない...

母と二人でジロの体をさすりながら 「今月いっぱい...だね。」と
 つぶやきました。 このまま 穏やかに老衰で永眠することになりそうです。

たいていの人は「動物は好きだけど 死ぬのが嫌だから飼わない」
と言いますが 私はその気持ちが全然わかりません。ぜんぜん...。
長年 一緒に暮らしてきたパートナーが死んだ時 私は
「長い間本当に楽しかったよ。たくさんの幸せをありがとう。
チコ(前の犬)にもらった幸せは みんな(鳥&金魚&鈴虫&野良猫)
...それから 今度来る新しいパートナーに分けてあげることにするね。」
という気持ちしかありませんでした。

なんか カッコつけてるみたいで なんですが
今同居している猫(ヒメ)に対しても 同じ気持ちです。
...といっても  ヒメはまだまだピンピンしてます。11歳のおババなのに。

(この間なんて 仕事から帰って部屋に入ると....
なぜか洗濯機が回ってる。TVがついている。部屋の電気が点いている。
???    いったい ど〜やってつけたんでしょう?
今度 ビデオでもセットしておきたいですね。)

パートナーに対する気持ちは 互いが どういう関係を作ってきたか...
ということで かわってくるのでしょうね。
我が家はまさしく“パートナー”です。ヒメも私にとっては“パートナー”です。

よく 飼い主&ペットの関係を友達や親子に見立てている人がいますが
お互いが一番幸せになれる関係を 築いていきたいものです。
犬なら 主従関係が大切ですし
猫なら 互いが独立していて 間に一線が必要
....と 私は考えています。



                                                           
by  KEIKO


2001.                                   前号まではこちら


【今ちゃんのこと・・】


01.1.25.のDiaryを読ませていただきました。

アリと象・・・

この話を聞いて私は中学時代の今ちゃんという友達の事を思い出しました。
彼女は病名は判りませんが、小人症というのでしょうか?
身体の発達が思うようにならなかったようなのですが、とにかく明るくて、
何にでもチャレンジしてしまう心の持ち主でした。

そしてその頃からバレーをしていた私、球技大会はバレーでした。
今ちゃんと同じチームを組みました。
今ちゃんも学年1番になりたいね、と言ってくれました。

ただ、今ちゃんは身長110cm、相手チームには格好の狙いどころ。
放課後は一緒に円陣を囲み皆でバレーボールで遊んだ仲間です。
チームワークが悪いはずはありませんでした。
今ちゃんの周りは皆が囲み、9mのコートの1m内側からサーブを打ってよい事など、
みんなで相談したのです。
彼女はほんの少しの今ちゃんルールを与えられただけで、サーブも見事に決め、
レシーブもし、あざやかな玉捌きでした。
私たちのチームは見事!球技大会で優勝しました。
それも今ちゃんがいたからこそと思います。
みんなの気持ちが今ちゃんによってひとつになっていました。

身長157cmの私が挑戦したら2m以上の高さになるだろうという跳び箱も、
高飛びも、他の体育の授業も今ちゃんはみんなと一緒にこなしていました。
今考えると本当にすごいことですね。

恵まれている身体を持っている仲間の中で、その枠組みが決まっている時、
今のようにバリアフリーなどという言葉のまだ無かった頃に170cmの友達と今ちゃん、そして私。
皆が同じ条件で授業をうけていた頃を思い出して、
1番強くて、やさしくて努力家だったのは1番ちっちゃな今ちゃんでした。    
  
20年以上も前のことをふと思い出して・・・・。                   k.y 

                                   
                                                                                       


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