65. 千葉県の勝浦測候所

著者:近藤 純正

2007年4月20日、房総半島の太平洋岸にある勝浦測候所を訪ね、 その周辺環境を観察した。(2007年4月21日完成、22日:図65.9の追加)

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  	  もくじ
		(1)はしがき
		(2)予備的な詳細解析
		(3)勝浦測候所の周辺環境
		(4)気温の観測回数
		(5)露場環境の変化と気温の解析
(1)はしがき
千葉県房総半島、太平洋沿岸にある勝浦測候所は創立が1902年(明治35年) 6月1日、現在の標高は11.9mのところにある。気象観測には適地であるが、 1960年以前に比べて年平均風速が1990年頃までに約30%も減少している。 一般に、年平均風速が減少すると、「陽だまり効果」によって年平均気温が 上昇する。

勝浦が地球温暖化など長期的な気候変動、つまり日本のバックグラウンド 温暖化量を観測できる基準観測所の候補の一つであるので、風速減少の原因 をつきとめたい。

「陽だまり効果」は「都市化」とは区別される昇温である。しかし現実には、 都市部では陽だまり効果は都市化(植生の減少、人工排熱、道路の舗装など) にともなう昇温と重なって生じることが多い。

基準観測所は日本では10ヵ所程度しか選ぶことはできないが、 次のように分類される。

Aクラス:都市化や陽だまり効果が無視できる(室戸岬、金華山、宮古、寿都)
Bクラス:風速減少はあるが、陽だまり効果が小さい(深浦、津山)
Cクラス:風速減少があり、周辺の観測所から陽だまり効果が推定できる (多度津ほか数地点)

勝浦はCクラスに入る候補の一つであり、陽だまり効果による年平均気温の昇温 量を補正する必要がある。 日本における40~50年以上の長期の気候変動は Aクラスに属す4地点のデータ から知ることはできるが、気候変動(二酸化炭素など温室効果ガスの増加に ともなう気候変化など:バックグラウンド温暖化量)のうち、比較的短い10~20年程度 の変動を見たい場合や、バックグラウンド温暖化量をもとにして評価される 個々の大・中都市の都市昇温量を詳細に調べたい場合には日本全域で、 少なくとも10地点の観測所データが必要となる。

当初、関東地方の基準点として銚子と勝浦のどちらを選ぶかを検討した。 銚子測候所(現在の銚子地方気象台)は1886年9月1日の創立であり、勝浦より 16年間長いデータが得られる利点があるが、移転が多いことのほかに次の特徴 (欠点)をもつ。

海を望む角度が広く北西~北東~南東~南西方向までの海を望み、海洋からの 独特の影響を受けているように見える。この変動は銚子の近傍の数10km 範囲の沿岸域を代表するように思う。

本研究は、日本のバックグラウンド温暖化量を知ることと、それに基づいて 各都市の昇温量を評価することを目的としているので、狭い陸域の空間範囲 を代表する銚子よりは、勝浦のほうが適していると判断した。 なお、銚子は海洋変動と陸域変動の関係を調べる場合には貴重な観測所の 候補となる。

図65.1は勝浦における年平均風速の経年変化である。
1955年頃の風速=4.6m/s
2000年頃の風速=3.2m/s
風速の減少率=(4.6-3.2)/ 4.6=0.30
つまり30%という大きな減少率である。

勝浦の風速
図65.1 勝浦における年平均風速の経年変化
プロットは観測値、赤線は4杯式風速計の回り過ぎ特性により風速が強く 観測され、発電式は重くて微風で回転し難い特性により弱く観測されることを 考慮して描いた真風速の推定値である。


勝浦における風速を気象庁ホームページ掲載の資料から調べてみると、次の 通りである。
月最大風速:
1960年代・・・・・SW、14~20m/s
2000年代・・・・・SSW、10~17m/s
つまり、SWからSSWに変化し、最大風速が弱化している。

卓越風向:
年間を通して、NNW~N~NNEはほとんど不変だが、
暖後期(4~9月)については、
1960年代・・・・・SSW~SW
2000年代・・・・・SSW
つまり、SWの頻度が少なくなり、SSWの頻度が多くなった。

国土地理院の25,000分1の地図によって調べてみると、強風の吹く南西方向 には勝浦湾があり、海岸と測候所の間は市街地である。年間を通した 卓越風向の北側も市街地(住宅地?)となっている。

風向風速の長期的な変化傾向は、1960年~1990年にかけて、市街地が密集化、 あるいは高層化(平屋が2~3階建て、・・・)してきたことによるのでは ないか?

ここまで書いた時点で、好運にも、千葉工業大学工学部の松島 大 博士から 次節に示す勝浦と銚子についての解析結果が送られてきた。

(2)予備的な詳細解析
この節は、松島 大博士による予備的な解析結果の引用である。

1906-2006年を解析してみると次の傾向が見える。
・月平均気温はおおむね「勝浦気温」>「銚子気温」で6月が最大になる。
10月と11月は逆転して「勝浦気温」<「銚子気温」となる。
 →つまり、銚子が海の熱慣性に勝浦より影響されていると考えられる。

・年平均気温は勝浦-銚子=0.31±0.29℃
・1920年ごろまでは勝浦-銚子の差は大きい(0.5℃以上)が、 その後は0.5℃以下の場合がほとんどである。
注:これは、後述の(4)節で説明するように、 深浦の3回観測時代(1923~1952年)に対する補正(+0.2℃)をしていない 結果である。

・最近の1988-2006年に限ると、勝浦-銚子の差は1906-2006年に比べて すべての月平均及び年平均で小さい。
 →これは、親潮が後退気味を意味するのかもしれない?

・1977-80年では年平均気温は勝浦<銚子。ただし、こうなるのは1930年代 後半や1990年代後半にも時々ある。

・年平均気温の差と月平均気温の差(差はいずれも勝浦と銚子の差)の 相関係数は 3~5月と7~10月が大きく冬は小さい。
 最近の1988-2006年に限ると、相関係数は3~6月と9月に大きく、8月と 10~1月に小さい。
 →これは、潮目が移動する時期、特に親潮が退く時期の気温が年平均気温 に大きく影響する可能性がある。

松島 大 博士の解析によっても、銚子のほうが海洋の影響を受けやすいと判断 でき、銚子よりも勝浦を基準の観測所に選ぶほうがよい。 以上の予備的知識をもって深浦測候所を訪ねることにした。

(3)勝浦測候所の周辺環境
これまでの地方における経験から、房総の勝浦は不便な所だと思っていたが、 そうではなかった。東京から1時間ごとにJR特急「わかしお号」が発車し、1時間30分ほどで勝浦 に着く。

勝浦駅から海岸の港に至る道を下がっていくと、途中のほぼ中間、小高い 場所に風力塔が見え、左手に登ると測候所があった。その標高は11.9mである。 駅から港の防波堤の元までの距離は500m弱、その中間点である。

強風の吹く南西方向を見ると、海岸に12階建てのホテルが立ちはだかるように あった。これが、強風を弱くしている最大の原因だ、とすぐに気づいた。 ホテルの手前には3階建てとなった郵便局などもある。

勝浦測候所
図65.2 勝浦測候所、駅から港へ下る道路から見上げる


測候所玄関から南
図65.3 勝浦測候所の玄関前から南(海)の方向の景色、3枚を横に つないであるため、歪んでいる。


勝浦測候所所長・村井忍さんに案内されて風力塔の中間位置から四方を 見渡した。 測候所は小高い丘の上にあるが、近年の市街地建物が大型化し、風通りが 悪化している印象を受けた。年間の卓越風向である、北の丘陵地にも住宅など が多く見えた。

勝浦の北と東方向
図65.4a 測風塔から見た北(左の写真)と東(右の写真)の風景


勝浦の南と西方向
図65.4b 測風塔から見た南(左の写真)と西(右の写真)の風景


勝浦の露場
図65.5 測風塔から見下ろした露場、3枚を横につないであるため、 歪んでいる。
露場の左は宿舎、やや右方の手前は白色フェンスで囲まれたウインドプロファイラー。


新宿舎が露場の北側に建てられている。 観測される風速には影響がなくとも、露場における気温の観測データに 影響が現れる可能性がある。

測候所の書類を調べていただくと、主な出来事は次の通りである。
1951年11月24日:勝浦市街部大火、測候所類焼
1979年3月25日:現在の新庁舎落成
1996年7月31日:露場の北側に新宿舎完成 (露場の東側に南北にあった旧宿舎は解体)
2001年4月1日:ウインドプロファイラー設置
ウインドプロファイラー設置のため、露場は旧宿舎跡地の方向へ移設

以前の宿舎は露場の東側にあったが、建て替えられて北側に東西に並び、 これによって北風は遮られるようになる。一方、露場は宿舎跡の東方へ移動 し、露場・庁舎間の距離は大きくなり、さらに露場の東側は崖であるので 風通りはよくなる。これら風通りに及ぼすプラス・マイナスの効果によって、 露場で測る気温が高くなるか、低くなるかがきまる。このことを意識して 気温の長期変動を解析する必要がある。解析の結果は最後の図65.9に 示す。

次に、海岸へ出て、港の堤防から沖合いと陸側を眺めることにした。

勝浦の沖合い
図65.6 勝浦港の防波堤から眺めた沖合いの風景、3枚を横に つないであるため、歪んでいる。


勝浦港から見た北の風景
図65.7 勝浦港の防波堤から眺めた陸側の風景、3枚を横に つないであるため、歪んでいる。
海岸のやや左方にホテル3棟があり、その1棟は12階建て。 その右に公民館がある。


勝浦港から望遠の風力塔
図65.8 勝浦港の防波堤から眺めた測候所の風力塔(望遠写真)、 手前の港近くの建物は公民館


昼食は、測候所と深浦駅の中ほどにある食堂でとった。食堂のご主人 (筆者より年齢は高い)に町の変遷を尋ねると次のことがわかった。 昔の深浦駅は町外れにあり、その北側は山であった。現在の新しい駅 庁舎ができてからおおよそ20年になる。以前には、旅館(ホテル)は 駅の近くだけにあった。町が変わったのは1951年の大火後であり、 測候所西側にある駅~港間の道路が出来たのも大火後である。 測候所から港方向は、高層のホテルが建って以来、この10年間ほどはあまり 変化はない。

この町は比較的に災害は少ない。大きな津浪は安政の地震(1854年12月23日) の時だと言い伝えられており、その津浪では町は流出したという。

(4)気温の観測回数
測候所の気象観測月報を出してもらい、気温の1日の観測回数(統計値となる 観測回数)を調べると:
開設当時~1922年(大正11年)・・・・6回観測
1923~1952年・・・・・・・・・・・3回観測(6時、14時、22時)
1953年以後・・・・・・・・・・・・8回観測を経て現在の24回観測

したがって、現在の24回観測の統計値に合わせるためには、 1923年~1952年の30年間の年平均気温は0.20℃ほど高くなるように補正する 必要がある(勝浦の経度=東経140.3度)。3回観測の補正値は経度の関数 (南中時刻の関数)となり、 「K20.1日数回観測の平均と平均気温」の図20.1の左上の図を参照。

今回の訪問では、勝浦駅に10時28分到着、14時09分発の特急列車で 帰途についた。

(5)露場環境の変化と気温の解析
帰宅後、勝浦測候所の新宿舎の建設、露場の移動、ウインドプロファイラ設置 にともない年平均気温が変わっていないかどうか、検討した。

図65.9は勝浦の年平均気温と周辺の9観測所の差の経年変化である。プロットのばらつき が大きいが(±0.1℃)、勝浦の年平均気温は新宿舎の落成(1996年7月31日) の後に0.2℃程度(=1.04-0.82℃)低下し、ウインドプロファイラ設置 (2001年4月1日)の後で、0.1℃程度(=0.82-0.96℃)上昇したように 見える。

勝浦と9点の気温差
図65.9 勝浦の年平均気温と9地点(銚子・鋒田・鹿嶋・龍ヶ崎・ 横芝光・茂原・坂畑・館山・鴨川)平均との差の経年変化


露場の東側にあった旧宿舎がなくなり、その東側は崖であることによって 露場の風通りがよくなり気温が下降したと解釈できる。ウインドプロファイラ の周りが金網で囲まれたこと、その他により風通りが悪化して気温がわずか ではあるが上昇した可能性が考えられる。ただし、プロットのばらつきの 大きさと統計期間が短いので、断言はできない。

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