98. 高知と室戸岬ー明治維新/の偉人たちー

著者=近藤 純正
明治維新前から明治初期にかけて活躍した土佐の偉人たちを訪ねた。坂本龍馬、中岡 慎太郎、板垣退助の3名の銅像と、それらが設置されている場所の写真を掲載する。 今回は訪ねなかったが、高知県内には、ジョン万次郎(足摺岬)、武市半平太(須崎市)、 岩崎弥太郎(安芸市)の銅像もある。(完成:2011年10月16日)

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昔のはりまや橋は堀に架かる橋、その堀は浦戸湾から高知の城下町までの運輸交通に 利用され、現在の高知大丸百貨店の南側の堀詰という所まであった。昭和の始め、 戦前の堀詰には舟の上で暮らす人々もいた。

現在のはりまや橋は路面電車の東西・南北の交差点にある。戦後、堀は埋められたが、 一部が復元されて、きれいな水を流し、昔の朱色の橋も復元された。

はりまや橋
写真98.1 復元された「はりまや橋」、白色像は僧侶・純信とお馬の像(2011年9月30日撮影)。

はりまや橋はよさこい節で有名。橋の脇には、高知市出身の漫画家・横山隆一氏の デザインによる純信とお馬の小型白色の像と並んで、次の歌碑が置かれている。

『土佐の高知のはりまや橋で
 坊さん かんざし買うを見た
 よさこい よさこい』

はりまや橋から南へ10キロメートル余に、土佐湾に面した桂浜がある。桂浜を見下ろす 高台には四国を平定した長宗我部元親の築いた浦戸城があった。ここは浦戸湾の入り口、 交通の要衝である。関ヶ原の合戦で長宗我部は豊臣側に味方して滅び、遠州国・掛川 5万石の山内一豊が入城、9万8千石を与えられ、のち20万石余が認められる。 一豊はのちに城を高知に築く。一豊が連れてきた家来が上士、地元武士が郷士となり、 その間に大きな身分差が生じる。

桂浜
写真98.3 桂浜、これを撮影した後方の高台に龍馬の銅像がある(2011年10月1日撮影)。

龍馬の銅像
写真98.2 坂本龍馬の銅像(2011年10月1日撮影)。

浦戸城跡から下がった所に坂本龍馬の銅像があり、太平洋の遥かかなたを見つめている。 観光客は龍馬の銅像を見上げて、「想像していたより大きいね」と感心する。

銅像脇にある案内板の説明概要は次の通り。

『坂本龍馬は高知の城下町に住む郷士の次男として生まれ(1835年)、青年時代 江戸に出て、北辰一刀流を学び剣士として知られているが、1861年、いちはやく 武市半平太の土佐勤王党に参加した。

のち、脱藩して勝海舟に師事して海軍建設を計画し、また長州の桂小五郎、薩摩の西郷 隆盛を説いて1866年薩長両藩の同盟協約を成功させる。そうして後藤象二郎を説き、 その提案を十五代藩主・山内容堂は受け入れて将軍慶喜に大政奉還を建白した。

龍馬はこれを喜び新政府創立に奔走したが、1867年(慶応3年)11月15日 京都河原町近江屋で幕府方の刺客に襲われ、同志中岡慎太郎とともに凶刃に倒れた。 時に龍馬は33歳、慎太郎は30歳であった。』


高知県の東部にある室戸岬には中岡慎太郎の銅像が太平洋の遠くを見ている。 銅像の背後の岬の山上には室戸岬灯台がある。そのレンズは日本最大級とされ、 直径2.6メートル、夜は太平洋に向け約48キロメートル先まで光を届けている。

中岡慎太郎銅像
写真98.4 中岡慎太郎の銅像、この背後の山上に室戸岬灯台がある(2011年10月2日撮影)。

室戸岬灯台
写真98.5 室戸岬灯台(2011年10月2日撮影)。

灯台の後方の高い所、標高185メートルには、環境日本一の室戸岬気象観測所がある。 今回、この観測所の見学会を今年の春(2011年3月)に続いて行うために室戸岬を 訪問したのである。

再び高知市内に戻る。高知城の追手門を通り城へ登る階段が始まる所、右手に板垣退助 の銅像がある。板垣退助は、土佐藩士・後藤象二郎と幼馴染である。

高知城追手門
写真98.6 高知城追手門(2011年10月4日撮影)。

板垣退助銅像
写真98.7 板垣退助の銅像(2011年10月4日撮影)。

板垣退助は戊辰戦争で総督として土佐藩兵を率い、甲州勝沼の戦では近藤勇の率いる新撰組を撃破。 東北戦争では、三春藩・二本松藩・仙台藩・会津藩を攻略した。

板垣退助は維新後の明治政府に参画したが意見が別れ、西郷隆盛らとともに下野。 土佐へ帰り自由民権論を唱えた。のちに自由党を結成し初代党首となる。

はりまや橋から桂浜に行く途中に「自由民権記念館」があり、入口に『自由は土佐の 山間より』の記念碑がある。

明治政府は近代産業の育成をはかる。政商として巨利を得た岩崎弥太郎は三菱財閥の 創始者となる。

幕末から明治時代にかけて、日本の歴史を動かした土佐の偉人たちの生まれた年の差 はわずか十一年、次の順序である。

ジョン万次郎(1827~1898年)
山内 容堂(1827~1872年)
武市半平太(1829~1865年)
岩崎弥太郎(1834~1885年)
坂本 龍馬(1835~1867年)
板垣 退助(1837~1919年)
後藤象二郎(1838~1897年)
中岡慎太郎(1838~1867年)

この年表は、仙台の高校生が使っていた日本史の教科書による。

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