164. 仙台の榴岡公園

著者=近藤 純正
仙台の榴岡(つつじがおか)公園の広い芝地の気温は仙台を代表する気温である。 この公園内を見学した。(完成:2017年6月17日)

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2017年5月9日、仙台の榴岡(つつじがおか)公園で気温観測を行う。 広い芝地のある榴岡公園を気温の基準点とする。東京の新宿御苑の広い芝地など 広い芝地が東京都心部の気温を代表することから、仙台では榴岡公園を選んだの である。

写真①は南西側からの撮影であり、遠方の左よりに見える鉄塔が気象台の測風塔、 その右手の丸いドームはレーダドームである。公園の芝地中央に私の気温計が小さく 見える。

芝地の遠方右手は仙台市歴史民俗資料館である(写真②)。 その案内板には次の説明がある。

広い芝地
写真① 榴岡公園の広い芝地(2017年5月9日)。

歴史民俗資料館
写真② 仙台市歴史民俗資料館。

旧第四連隊兵舎
明治7年(1874)に造営された兵舎建築で、宮城県内に現存する洋風建築では 最古のもの、瓦葺寄棟造り木造2階建で、漆喰塗りの大壁、建物角にはコーナー ストーン、ガラス入り上下窓、出入り口のポーチには洋風円柱、雲形の彫刻のある 階段等の特徴を持つ、これらは明治6年完成の名古屋第六連隊兵舎と似ている ことから、当時の兵舎建築の基準に則ったものと考えられる。
終戦まで70年間にわたり旧陸軍の兵舎として使用された後、終戦から昭和31年 までは米軍が駐留、その後昭和50年まで東北管区警察学校等に使用された。 内部はその都度改造されているが、昭和53年文化財に指定された後、明治37年 の状態に復元された。昭和54年(1979)11月3日、仙台市歴史民俗資料館 として開館した。
なお、同様の兵舎が7棟残されていたが、これ以外の兵舎や本部等の建物は榴岡 公園整備のため昭和52年2月に取り壊された。
平成27年3月
 仙台市教育委員会


思いおこせば30年余前、私が東北地方で多くの餓死者がでた天保7年大飢饉年の 異常冷夏を古文書から調べていたころ、この資料館に入ったことがある。 展示されていた記録に、「天保6年9月13日の大洪水で仙台城下の大橋、 小橋は残らず流出」とあった。大飢饉年の前年に起きた大雨の度合いが分かった のである。

話をもどすと、公園の広い芝地の南側には噴水があり日中のみ水が噴き出ている (写真③)。また、北側には「羊飼い」の彫刻がある(写真④)。

噴水
写真③ 公園の噴水。

羊飼い
写真④ 旅人(羊飼い)、1993年7月3日、池田宗弘。

ブーツの娘
写真⑤ ブーツの娘、1984年、佐藤忠良。

さらに、西側には「ブーツの娘」の彫刻があり(写真⑤)、次の説明が台座に刻され ている。

民間ユネスコ運動発祥記念碑
 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを 築かなければならない」というユネスコ憲章の精神に共鳴し、世界最初の民間 ユネスコ協会が1947年7月19日、仙台に誕生しました。
 この像は、民間ユネスコ運動の発祥を記念し、1984年7月に日本で開催された 「民間ユネスコ運動世界大会」の機会に、仙台出身の世界的に著名な彫刻家 佐藤忠良に制作を依頼して、この地に建立したもので、平和をもとめ、未来を みつめる若者の姿を表したものです。

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