146. 震災イチョウと大病の克服

著者=近藤 純正
皇居まわりの大手濠のそばに震災イチョウがある。このイチョウからパワーをもらって元気に過ごす 人たちがいる。 (完成:2015年10月12日)

トップページへ 小さな旅の目次



東京大手町の竹橋会館の南側、道路を挟んだ大手濠端の緑地に震災イチョウがある。このイチョウは 大手術して元気に立っていることを2015年8月にはじめて知った(写真146.1)。

震災イチョウ
写真146.1 大手濠端の震災イチョウ(中央)の遠景、南東側から北西方を撮影。遠方は毎日新聞社 ビル、震災イチョウは震災前にこのビルの近くに生えていた。

この緑地は気象庁前身の中央気象台の跡地である。皇居の周りのお濠端5kmをランニング、あるいは ハイキングする人たちのひと休みする場所でもある。

震災イチョウについて、予備知識として、説明板には次の内容が記されている。

この木は文部省跡地(現在のパレスサイドビル・住友商事竹橋ビルなど)にあった。大正12年 (1923)の関東大震災によって焼け野原となった都心で奇跡的に生き残り、当時の人々に復興へ の希望を与えた。その後、伐採されることになったが、当時の中央気象台長・岡田武松が、後世に 残したいと思い復興局長官の清野長太郎に申し入れて、中央気象台敷地内に移植された由緒ある イチョウである。

岡田武松(1874~1956)は気象台勤務、大正3(1914)から東北大学教授兼任、 大正12年(1923)から第4代中央気象台長となる。学問上は私の先々代にあたる。

(1)8月27日
この場所は東京都心部の気温を代表する。それを証明する目的で、私は内藤玄一さんと共に午前中から 気温を観測していた(写真146.2)。

気温計
写真146.2 気温計、震災イチョウの根元付近から皇居の方向を撮影。

私と同年輩の方が水道蛇口のそばに近づく。脚がしっかり鍛えられたように見受けられたので、 私が「皇居の周りを毎日ランニングされているのですか?」と声を掛けた。

この方は文京区本駒込にお住みの松本勇さん(昭和六年生まれ、八十四歳)である。松本さんは この40年間、マラソンをされてきたが、七十一歳のときと八十一歳のとき大病をされている。

松本勇さんによれば、このイチョウは以前、幹に相当する部分が大きな空洞になっていて、 いろいろな物を入れることができた。25年ほど前に、イチョウが倒木しないように空洞を埋めて、 現在の形になった。樹木医が特殊な物質を使って本物そっくりに仕上げてある。この説明を聴かな ければ、この幹は表皮が欠けた本物の幹に見える(写真146.3)。

手術されている震災イチョウ
写真146.3 加工・手術されている震災イチョウの幹。

震災イチョウは大手術のおかげで元気に立っている。大病された松本勇さんもイチョウからパワーを もらってマラソンができるように毎日、皇居周りのランニングを続けておられる。

松本さんが八十一歳の手術後、NHKテレビがそうした話題を取り上げ、11月9日朝の 7時15分~28分の13分間にわたり全国放映したという。

(2)9月15日
再度、震災イチョウ脇で気温観測をしていると、ハイキング姿の男性がイチョウに近づき幹に数秒間 手を当てたのち、イチョウの周りをまわる。この動作をされる姿は先日の8月27日にも拝見し たので、私は「この震災イチョウと何か関係のある方でしょうか?」と訊ねた。

この方は埼玉県川口市の老田弘明さん(昭和一七年生まれ、七十三歳)である。老田さんは6年前に 大病されて以来、雨天日など除けば、川口市から電車で東京へ出られ、皇居の周りを1時間余り かけてハイキング、その都度この震災イチョウにパワーをもらっているという。何かで読んで 実行しているという。老田さんは、このお濠端の経路を「命守快道」と名付けてハイキングされて いる。

私もそれに応えて、「そうですね、必ずパワーをもらっていますよ。信じる者こそ救われる。 そうしてハイキングできています」「元気に暮らしていれば、そのぶん医療・介護の予算も要らず、 国民みんなのために役だっています」と、話が続いた。

(3)9月28日
私はいつものように震災イチョウの脇で午前中から気温観測をしていた。午後一時半、松本さんが ランニングの途中に震災イチョウに立ち寄った。続いて偶然にも老田さんもハイキングの途中で 立ち寄ったのである(写真146.4)。

松本さんと老田さん
写真146.4 松本勇さんと老田弘明さん。写真③の反対側から撮影。

お二人はこれまで互いにお会いしているはずだが、意識的には初対面である。私がお互いを紹介する ことになる。

私たち三人とも大病を克服し、元気に過ごしていることを「心臓友の会」の読者に伝えれば、病後の 皆さんの励みになると思い、記事にさせていただいた。

私は27年前の昭和63年に急性心筋梗塞で、東北公斉病院の当時の佐藤成和先生と佐藤尚先生に 3本のバイパス手術をしていただいたお陰で元気になり、きょうも震災イチョウの脇で気象観測を している。

「こどう」第531号の本田剛彦先生による記事によれば、佐藤成和先生は、現在、花巻市で開業 されておられ、300坪もある佐藤農園で作物栽培もされておられるとのことである。

トップページへ 小さな旅の目次