128. 四万十町と四万十市

著者=近藤 純正
高知県西部の四万十川の本流に沿って、陸上に気温計を配置した。この作業中に 思いがけずも、昭和10年の四万十川大洪水を聞き、私もそのときの仁淀川洪水を思い 出した。(完成:2014年10月24日)

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暑さ日本一のお披露目
高知県四万十市西土佐のふるさと市に多数の報道関係者が詰めかけている。何ごとかと 尋ねると、「日本一暑いまち」を宣伝し暑さを競う気温モニターのお披露目だという。

しばらくして、お披露目がはじまる(写真128.1)。
モニターは、今日2014年7月 18日から始まる夏休みに合わせ、昨年までの日本一の暑さ記録をもつ岐阜県の多治見 と茨城県の熊谷との暑さ対決をアピールしようと設置されたのである。

気温モニターお披露目
写真128.1 気温モニターのお披露目に集まった報道陣。

気温モニター紹介
写真128.2 気温モニターを説明する西土佐商工会。

モニターには、江川崎の現在の気温が左上に大きく表示されている。その右側に今年 の最高気温が、下の方には多治見、熊谷、江川崎の今日の最高気温が自動的に並んで表示 されるようになっている(写真128.2)。

私は、昨年2013年の8月に江川崎アメダスで観測された41℃の新記録が本物かどうかを 確かめるために、ふるさと市組合事務局長の大高達人さん、高知大学准教授の森牧人 さんらの協力をえて、今年の4月から江川崎アメダスの周辺3か所に高精度の気温計を 設置して観測している。今回2014年7月の江川崎訪問は観測地点をさらに4か所追加するため である。

四万十町昭和
四万十川の中流域から下流は旧中村市がある四万十市、中流域から上流は旧窪川町が ある四万十町である。江川崎アメダスは四万十市のもっとも内陸、河口から直線距離で 約33kmにある。このアメダスの観測環境は比較的よいので、気温の観測値はこの 地域を代表していることがわかってきた。

それゆえ、7月からは調べる内容を少し変えて、河口から内陸へ海風が北上するにした がって日中の気温がどのように変化するかを観測することにした。土佐湾につながる 河口付近では、日中の気温はあまり上昇しないが、内陸へ入るにしたがって気温は 上昇する。

江川崎から直線距離で約12km余の上流にある四万十町昭和のふるたと交流センター のキャンプ場は広い芝地、観測するのに適している。ふるさと案内所の伊藤正子さんに 相談して気温計を設置させてもらう(写真128.3)。

昭和のキャンプ場
写真128.3 四万十町昭和のふるさと交流センターのキャンプ場、遠方に 昭和大橋が見える。気温計は芝地の中に小さく白色に見える。

このキャンプ場は河川敷、洪水時は浸水する。四国電力の昭和測水所の水位が8mを 超えると気温計の設置場所は浸水する。水位は電話の自動案内でわかるようになって いる。

気温計を2014年7月19日に設置してから2週間後の8月2日、台風により四国地方では大雨 があった。四万十川の水位に注意していると、しだいに上昇し、8月2日19時30分 には7.47mになった。水位急上昇でも、遠方であるため気温計の撤去は不可能である。 あきらめざるをえない。

高知大学准教授の森さんに3日昼頃電話してあった。森さんがその日の夜、ふるさと 案内所の伊藤正子さんに電話で様子を訊くと、気温計は2日の昼ころ無事に撤去して くださったとのこと、安堵した。

なお、江川崎の大高達人さんからの連絡によれば、西土佐のカヌー館イベント広場に 設置してある気温計は幸いにも浸水しなかったという。気温観測は地元の方々の協力 によって行なっている。

四万十市鵜の江
話しを7月19日にもどして、こんどは江川崎の川下で観測の適地を探したいが、この 地域では両側から山が迫り広い場所が少ない。気温計は風通しのよい広い場所に設置しない と、正しい気温が測れない。江川崎から直線距離で約14kmの鵜の江に観測に適した 場所がやっと見つかる。川村近秀さんの許しを得て気温計を設置させていただいた (写真128.4、写真128.5)。

鵜の江、その1
写真128.4 鵜の江の畑、川下の方向を撮影。写真右方に見える小さな 白色は気温計(写真は横に2枚を合成)。

鵜の江、その2
写真128.5 鵜の江の畑から上流方向を撮影。左の森の下が河川敷である。 ここには大川観光キャンプ場とカヌーの練習場があり、すぐ上流に勝間 沈下橋が架かっている。

洪水の心配があるので川村さん(84歳)に訊くと、昭和十年に大洪水があり一階の 軒先まで浸水した恐ろしい記憶があるという。

この四万十川大洪水を聞き、私は満2歳のときの記憶・仁淀川大洪水を思い出した。 それは妹が生まれたとき、現在のいの町加田に住んでいた家族は1階が浸水したので 2階で過ごしているとき、私はひとり高台にある母の実家から眼下の大洪水を見ていた。 四万十川と仁淀川の源流域は高知県西部で隣接しており、両河川が共に洪水であったと 考えられる。

私が満2歳のときを覚えているのは、この大洪水はひどく、その直後から親戚の者たち が繰り返して私に語ってきたからだと思っている。

資料を調べてみると、高知県では昭和十年(1935年)の8月22日に台風による 大雨が降っている。この台風により中村市(現在の四万十市の中心部)が大浸水して いる。旧中村市のみならず、その上流を含む広域が大洪水に見舞われ、仁淀川流域でも、 さらに他の記録によれば、全国的に大水害に見舞われている。

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