K226.火山噴火と冷夏、いずれ起きる事象に備えて


著者:近藤純正
2022年1月15日に南太平洋の南緯20度付近のトンガ諸島で海底火山の噴火があり、 2022年または2023年に日本で冷夏の起きる可能性はあるが、過去の噴火の例から すれば、その確率は低い。しかしながら、たとえ今回は大冷夏が起きないとしても、 いずれ近い将来、別の大規模噴火は起きうる。そこで、これまでに発表された火山 噴火と東北地方の冷夏・凶作との関係に関する知見をまとめた。

1670~1984年の315年間に東北地方で冷夏による凶作は39回、そのうち火山噴火 によると見なされるものが24回(62%)、残りの15回(38%)は昭和初期の5回を 含めて気候の自然変動によって起きたものである。

南緯10度以北で発生した火山噴火のうち、大量の火山灰とガスが成層圏まで達した 約20回の大規模噴火では、約90%の確率で東北地方の太平洋側の夏3ヶ月平均気温が 0.8~2.8℃低下した。この低下量は、北半球中緯度の平均気温低下量である約0.2℃ (0~0.4℃)に比べて1桁大きい。

東北地方で起きる冷夏の強さ(気温低下量)は、その時代の親潮の南下の程度、 すなわち三陸沖の海面水温が「温暖な時代」か「寒冷な時代」かによって違って くる。

大規模噴火後に東北地方で冷夏凶作・飢饉の起きなかった事例として、1707年の 富士山の宝永噴火と1815年のインドネシアのタンボラ火山の噴火がある。

一方、南緯30度以南の南半球における噴火後の夏は東北地方で高温になる傾向が あるが、噴火は2例に過ぎなかった。今回のトンガ噴火は南緯20度付近であることと、 噴出ガスの量は少ないらしいことから、2022年または2023年に冷夏になる可能性 は低いと推定される。そうはいっても、自然現象である限り、冷夏の発生確率は 決してゼロではない。

今後の状況について、再噴火の有無、目視でもわかる異常な朝焼けと夕焼けが生じ ないかどうか、観測による日射量の低下(混濁係数の増加)が起きないかどうかなど に注視すべきである。

本稿では、噴火後の冷夏によるコメの凶作と社会的混乱についても述べる。 最近は温暖化による気温上昇があるので冷夏が生じても大丈夫だという考えも あるが、希望的観測でしかない。気候変動と社会の関係は複雑になってきている ので、いずれ起きる事象に備えることが大切である。 (完成:2022年2月4日)

本ホームページに掲載の内容は著作物である。 内容(新しい結果や方法、アイデアなど)の参考・利用 に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを明記のこと。

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更新の記録
2022年1月27日:素原稿
2022年2月1日:査読後に掲載
2022年2月4日:図7を追加


    目次
        まえがき
        1 噴火規模の定義と日射量の変化
        2 火山噴火と冷夏、主な例
    3 冷夏の発生予測     
        4 東北地方で特に低温になる理由
    5 今後の注視すべきこと     
        おわりに
        文献            


謝辞
次の方々から頂いたコメントを改稿に役立てることができた。ここに深く 感謝いたします。(称号・敬称略、査読順)。本谷 研、齋藤篤思、吉田信夫、 内藤玄一、堅田元喜。


まえがき

2022年1月15日にオーストラリアの東方、南太平洋のトンガ諸島で海底火山 (フンガトンガ・フンガトーパイ)が噴火した。 日本の各地で0.5~1.2mの津波があり、港に係留されていた漁船が転覆・ 沈没する被害があった。この噴火による今後の気象への影響が心配されている。 火山噴火による冷夏は東北地方、特にその太平洋側で顕著に現れるので、 本稿では東北地方に重点をおいて説明する。

過去の例をみると、大量の火山灰とガス(二酸化硫黄SO2)が成層圏(高緯度で 高度約8km以上、低緯度で高度約16km以上の大気圏)まで吹き上げられ、世界中 に広がったとき、世界で異常な低温が発生している。特に日本の東北地方では 冷夏の発生確率が高く、低温の度合いも大きい。

1883年8月26日に噴火したインドネシアのクラカトア火山のとき、噴煙は高度 40kmまで吹き上げられ、赤道上空の東風に乗って14日間で地球を一周した。 3ヶ月後の11月末には日本やヨーロッパでは、昼間でも薄暗くなり、異常な朝焼け や夕焼けが観測された(近藤「身近な気象の科学」1987、第9章)。

火山ガスの二酸化硫黄は大気中での化学反応によりエアロゾルに変化し、火山灰 とともに地球に入る太陽光を反射させ、地表面に到達する日射量を減少させる。 大規模噴火後の地球・大気系の惑星アルベドは1.5%ほど大きくなり、それだけ 地球に入る日射量は減少する。単純化のために放射のやりとりだけで温度分布が 決まる、いわゆる放射平衡の条件を想定すれば、地球の平均的な温度(絶対温度) はそれにバランスするように1.5%の1/4乗低下する。温度に直せば地球平均で 0.7~1.2℃の低下となる(近藤「身近な気象の科学」1987のp.8)。

もし、今回の2022年1月15日の噴火後に再噴火があり成層圏に吹き上げられる 火山噴出物が増えれば、大冷夏が生じる可能性が増すので注視すべきである。 朝日新聞2022年1月22日の報道によれば、二酸化硫黄の放出量は40万トンで、 1991年のフィリピンのピナトゥボ噴火の1700万トンに比べて1/40程度である。 また、下記の第1節で定義する火山爆発指数VEI(Volcanic Explosivity Index) で表わせば、ピナトゥボ火山と同じVEI=6かその下の5(非常に大規模)と推定 されている。

この状況ならば、今回の噴火は大規模噴火と中規模噴火の中間に相当し、さらに トンガは南半球の南緯約20度にあることから、火山噴出物が北半球の成層圏に広 がるまでには時間がかかりそうである。

これまで筆者が調べてきた、南緯10度から北で起こった大規模噴火の後には、 高い確率で大冷夏が生じている。一方、南緯30度以南の南半球での大規模噴火では 東北地方の夏の平均気温は平年並みかやや高めとなっているが、例が少ない。 今回の南緯20度付近での噴火はこれらの中間にあり、1780年以後前例がない。 それゆえ、本年2022年あるいは2023年に冷夏となるか否かの判断は 今のところ難しく、2023年まで注視していなければならない。注視すべき内容は 第5節で述べる。


1 噴火規模の定義と日射量の変化

dvi (dust veil index): Lamb(1970)による火山噴煙指数は 直達日射量の減少量」と「噴煙の拡がり」と「その継続時間」の相乗積に比例 する量で定義される。1883年8月噴火のクラカトア火山を基準の1000としている。

VEI (Volcanic Explosive Index): Simkin et al.(1981)による 火山爆発指数である。噴出物の総体積を用いて0~8に分類したものである。 後掲の表1にSimkin et al.(1984)によるVEIを示してある。

大規模噴火: 筆者はVEI≧5 (噴出物の量>1km3)とVEI=4 の 大きなもの(dvi>200)を大規模噴火と定義している。大規模噴火は100年間に約10回 の頻度で発生している。噴火は頻発する時代(明治後期~大正初期)と、1991 年のピナツボ火山のように単発で起こる場合がある。大規模噴火によって噴煙が成層圏に 噴き上げられると、数年間大気中に滞留する(図1)。

中規模噴火: 本稿ではVEI=4で、かつdvi≦200(ただし噴出物> 0.1km3)のものを中規模噴火と定義する。中規模噴火の引用は南緯30度 以南での噴火に限る。

火山噴火による日射量の減少: 大規模噴火後の日射量の減少の目安として、 地上の直達光は20%の減少、全天日射量は3%の減少、地球・大気系のアルベドは 1.5%増加する。中規模噴火では、これらの10分の1となる(近藤「身近な気象の科学」 1987の表9.1)。

図1はDyer and Hicks(1965)によってオーストラリアで観測されたアグン火山 噴火前後の直達日射量と散乱光の時間変化である。表1によれば、1963年の アグン火山の噴火はVEI=4, dvi=800 で大規模噴火である。直達日射量の減少 および散乱日射量の増加する期間は噴火後の2~3年間程度、そのうち顕著である のは1年間である。対流圏内のエアロゾルは降水によって早く除去されるが、 成層圏内のエアロゾルは除去されるまでに2~3年かかる。大気の大規模気圧場の 変化は、地球上の太陽放射量の変化よりも遅れて現れると考えられる。また、 自然変動によっても大規模気圧場は変化している。

日射量の減少
図1 オーストラリアで観測された直達日射量と散乱光の変化、 Dyer and Hicks, 1965 (近藤「身近な気象の科学」1987の図9.4)。


表1 1835~1985年(150年間)の火山噴火一覧表(Kondo, 1988, Table 1 より)。VEIはSimkin et al.(1984) の火山爆発指数、dvi はLamb(1970) による火山噴煙指数である。最下段の4例は南緯30度より南での噴火、事例が 少ないので中規模噴火2つも含めてある。
噴火一覧表


2 火山噴火と冷夏、主な例

世界的な大規模噴火後に東北地方で起こった歴史的な大冷夏による凶作を列挙 するに際して、注意すべきことを述べておきたい。図2は1300年以後に宮城県内で 起こった凶作の気象原因比率の変遷である。この関係は東北地方全体について もほぼ同じである。

古文書による記録数は時代によって多寡があるので、凶作全体に対する各原因 の比率で示した。江戸時代半ば以前には干ばつと洪水が繰り返されており、 これは現在の発展途上国の姿に似ている。日本では1600年以後の平和となった 幕藩体制下において、各藩は自国の安全と発展のために河川の改修、灌漑、 森林保護策をおこなった。それによって、広範囲に及ぶ干ばつと洪水は時代 とともに克服されていった。1900年以後の現代は、広範囲に及ぶ凶作のほ とんどは冷害によって起きている。

したがって、凶作の歴史を見るとき、1900年以前についての凶作の原因は冷夏 によるものだけではなく、諸原因が混ざっていることに注意しよう。 1670年~1984年の315年間の凶作と火山噴火との関連を調べてみると、 冷害凶作は39回あり、そのうちの火山噴火によると見なされるものが24回(62%) である。残りの15回(38%)は火山噴火以外を原因とする気候の自然変動による もので、昭和初期の1931~1945年の15年間に頻発した5回の冷害がそれに 相当する(近藤、1984;1985a)。

凶作原因の変遷
図2 1300年以後に起こった凶作の気象原因比率の変遷(Kondo, 1988; 近藤「地表面に近い大気の科学」2000の図9.7より転載)。 


もう一点、注意すべきこととして、日本の凶作・飢饉はコメの凶作によって生じる のに対し、西欧でのそれは主として4~6月の干害や、時には冷害に起因する。日本と 西欧での飢饉と異常気象を比較するとき、主要作物も違うので注意すること (近藤、1984;1985a)。


1707年12月16日、富士山の宝永噴火
宝永噴火(VEI=5)は本稿で対象とする東北地方に大冷夏をもたらした噴火では ない(近藤、1984;1985a)。しかし、現在の静岡県や神奈川県に長期にわたり 洪水や農業不作をもたらした噴火である。詳細は 「M46.富士宝永噴火と災害復旧」を参照されたい。


備考1:1700~1840年時代の災害と社会
この1700~1840年は、度重なる大災害に見舞われた時代であった。元禄15年(1702年) 12月には、赤穂浪士の吉良邸への討ち入り事件がある (いわゆる忠臣蔵)。 元禄16年(1703年)11月23日(新暦12月31日)にM8.0~M8.2の元禄大地震、 続く宝永4年(1707年)10月4日にはM8.4の宝永大地震があり、全国各地に大津波 が襲った。その1ヶ月後から富士山麓で震動・地鳴りが始まり11月23日 (新暦12月16日)に富士山の噴火が始まり12月8日まで続いた。この噴火で 海抜2700m付近に形成された噴火口が宝永山である。

宝永噴火による噴石・降灰の堆積は、現在の神奈川県の藤沢で0.2~0.3m、 秦野で0.4~0.5m、静岡県小山町で1.5~3mとなり、耕地の埋没により飢饉となる。 現在の小田原市から相模湾に流入する酒匂川(さかわがわ)の上流~中流域を 歩くと、当時の堆積物がわかる。堆積した噴出物は降雨時に河川に流下、河川の 大氾濫となった。酒匂川が氾濫することが多くなり、治水工事が続く。ドラマで 有名な通称・大岡越前(大岡忠相)は、1722年に将軍・ 徳川吉宗から地方御用掛を兼務させられており、酒匂川の改修工事にもかかわって いる。

当時の小田原藩の本領地(相模、伊豆、駿河)のコメの収量は宝永噴火後に激減し、 回復するのは1790年頃で、それまでに約90年間もかかっている。1783~1786年 の天明の飢饉、1833~1838年の天保の飢饉の時代を生きたのが 二宮尊徳(1787~1856)である。二宮尊徳(金次郎)の物語は、数え年5歳 のとき大雨で酒匂川の堤防が決壊し洪水の被害に遇い、家族は一気に貧しい暮らし となることから始まる。10歳のときに父が病気になり、父にかわって酒匂川の 工事現場で働く・・・。尊徳記念館は小田原市栢山(かやま)の酒匂川西岸の サイクリングコースの西600mにある。



1783年6月8日、アイスランドのラキ火山の噴火と天明の飢饉
浅間山が噴火(VEI=4)した1783年には、6月8日にアイスランド南東部でラキ火山 が噴火し(VEI=6)、アイスランドに最大級の飢饉をもたらした。火山ガスは1500km も離れたイギリスにも拡がり、「異常霞」となって現れた。噴煙はヨーロッパ 諸国に、さらに世界中に広がった。日本では1783~1786年(天明3~6年)に各地で 大飢饉が発生している。現在の青森県八戸市の八戸藩(名目の石高2万石)では 1783年の損耗高は1万9千石余になった(三浦、2003)。八戸市の寺「対泉院」 には天明の飢饉の悲惨さを伝える餓死満霊等供養塔があり、天明の大飢饉では 地域住民の8割から9割が餓死したと記されている(吉田信夫氏による)。

浅間山の噴火は1783年6月から8月にかけて起き、死者2万人余を出した。 150km離れた江戸にも火山灰が3cmほど降った。これが天明の大飢饉の始まりである (近藤「地表面に近い大気の科学」1987のp.280)。


備考2:欧米における社会的混乱
ヨーロッパ諸国に拡がったラキ火山の噴煙による異常気象は食糧価格の高騰を 引き起こし、フランス革命(1789~1795年)の遠因に なったとも言われている。

猪口邦子「戦争と平和」(1989)によれば、経済循環 と戦争の発生がおおよそ50年の周期で繰り返されてきた。ワーテルローの戦い、 アメリカの南北戦争、第一次世界大戦、ベトナム戦争がある。経済の好況で強気 のときに戦争となり、戦争は経済を消耗させ経済的下降期に入る。経済の下降期 や谷間では大戦争の余裕がなく、上向きになってピークのころに戦争のための経済 条件が整う(日本経済新聞の1982年11月9日版の図)。気候変動がこうした経済の 周期的変動に影響していることもあるだろう。

しかし、経済の好況・不況、戦争と平和の周期的な波(コンドラチェフの波)は 経験則であり、必ずしも成立たない。その例として、後述の日露戦争や太平洋戦争がある。




1815年4月5日~11日、インドネシアのタンボラ火山の噴火
これは人類史上で最大級のもので、噴火の規模VEI=7とされている。この翌年の 夏は日本の東北地方ではやや低温であったが、広範囲の大凶作にはならなかった (近藤、1984;1985a)。しかし、西欧や米国東北部では異常低温で飢饉が起きた。 各地の飢饉や暴動の詳細は海洋学者の Henry Stommel とその妻Elizabeth Stommel の1983年の著書(山越幸江訳「火山と冷夏の物語」1985)に紹介されている。 当時、世界的に流行した第1回目のコレラは1817年に インドで発生した致死率の高い伝染病で、1816から1817年の凶作・飢饉の後遺症 である、という説もある。日本では1822年にコレラの感染が確認されている。

米国では農業不作で、噴火の翌年である1916年は東北部から西部へ移住するものが 急増した。 遠いインドネシアで起こった火山噴火のことは知らなかった。天空にただよう 火山噴煙で、日の出と日没のころには太陽光は弱く感じられ、普段は肉眼で見え ない太陽黒点がだれにも見ることができた。そのため、この黒点が気温を低下 させるのではないかと考えられるようになった。すなわち、異常気象の原因として 太陽黒点説を生むきっかけとなった(近藤「身近な気象の科学」1987のp.88)。


備考3:ホワイトハウスの呼び名
米国東北部では1816年の異常低温で飢饉がおこった。連邦政府はその4年前から イギリス軍による略奪から立ち直ることに手いっぱいで、飢饉による農業危機に 対して1816年の秋が過ぎるまで策をとることができなかった。イギリス軍によって 荒らされた大統領官邸を修復するのに白いペンキが塗られた。それ以来、 ホワイトハウスという呼び名が使われるようになった(近藤「地表面に近い 大気の科学」2000のp.281)。



1835年1月20日、中米ニカラガのコセグイナ火山の噴火と天保の飢饉
仙台・伊達藩の一門、涌谷城主伊達安芸の家臣の花井安列の天候日記によれば、 天保6年(1835年)4月1日付けに異常な朝焼けがこの ころ毎朝見られるとある。 これは1835年1月20日に中米ニカラガのコセグイナ火山の噴火(VEI=5)によるものと 推定される。その翌年の天保7年(1836年)は大冷夏となり、雨が連日続いている。

この天候日記には気温や雨などが階級・量的に記されており、例えば暑さに ついては「暑く御座候」「大暑」「暑甚敷」「難渋暑」「近年覚無之暑気」など、 夏での寒さは「冷気」「寒い日」「寒くて袷や綿入れを着る」とある。また風に ついては風向のほか「風」「大風」「しけ」「大嵐」など、雨については「雨少々」 「雨しめる程」「大雨」、また洪水の模様などが記されている。したがって、 気温、風向・風速、雨量などが量的に推定できるので台風が来た日などがあり ありと想像できる。この表現から、工夫して毎年夏の平均気温を推定することが できた(近藤「身近な気象の科学」、1987;Kondo, 1988)。

当時、天候日記から気温を推定する方法の模索が1~2週間ほど続き、研究には体力が 必要であることを認識した。思考・試行を続けていると、夜中に目が覚め、忘れぬ ようにとメモをとる。そのため、熟睡できなかった。いかにして気温を推定するか、 暑い日と寒い日の最適の組み合わせができれば、3ヶ月平均気温を高精度に推定 できることがわかった(近藤「身近な気象の科学」、1987:Kondo, 1988)。

この方法で天候日記から推定した1836年(天保7年)の米作期3ヶ月間(新暦換算で 6月16日~9月15日)の平均気温は、平年より2.8℃の低温で最大級の大冷夏であった。 別の古文書も参考にすると、1836年8月28日には塩釜神社の杉百本余が倒れるほど の大嵐も重なり、コメの収量は通常の10%となり、大飢饉により仙台藩の人口の4分 の1が餓死している。飢えた子を、心を鬼にした母親が川端で投げようとする悲惨な 状態が古文書に残されている(近藤「身近な気象の科学」1987、p.74)。


備考4:天保の大飢饉と1836年の旧暦7月18日の台風
「M46.富士宝永噴火と災害復旧」 に述べたように、二宮尊徳全集第4巻と神奈川県史資料編5近世(5)によれば、 1836年(天保7年)の小田原藩本領地(相模、伊豆、駿河)の年貢米は平年値の 約30%の減収であった。神奈川県史の資料編5近世(2)によれば、天保7~8年には、 中里村(現在の小田原市中里)では食を乞う者が毎日数十人も出、大通りでは 毎日数人が餓死していると伝えている。

現在の神奈川県の大磯では、旧暦7月18日の大風雨で下町中心の被害55軒の 記録がある。花井安列の記録によれば、この大風雨はその日の午後に涌谷城の西方 を北上した台風によるものと推測できる。この台風も1836年の凶作をひどくした 一因である。 これを詳しく説明しよう。花井安列の日記の旧暦7月18日付(現在の新暦8月下旬) に次の記述がある(当時は、カタカナとひらがなが混在する)。

「辰巳大風(南東の大風)ニ御座候、暑く御座候、折々雨ふり候而大嵐ニ御座候、 八ツ頃(午後3時頃)より大雨辰巳大風に而大嵐相成候、晩方ハ弥々大嵐ニ而近年 覚無之惣草木ぬかり風折多在之候、夜中四ツ時(午後10時)より大嵐やみ申」

つまり現在の神奈川県の大磯での大風雨は、同じ日の午後に宮城県涌谷で南東風 の 大嵐を起こし夜半に止んでいる。したがって、台風が相模湾の西の方を比較的 速い速度で北上し、勢力が衰えることなく、花井安列の涌谷の西方を通過したこと になる。他の古文書も参考にすると、この大嵐で塩釜神社(涌谷の南南西20km) では杉百本余が、仙台城下の神社仏閣の杉も、家も吹き倒され、海岸近くでは 高潮で田畑や家が冠水するという古今稀な台風であった。

ところで、私は古文書の解読に関しては素人である。しかし、「難解な書物でも 百回読めばわかる」といわれている。それを試みたところ、状況を再現するうえで 重要な部分は10~30回読めばわかった。それでもわからない用語の意味は県立図書館 の古文書の学芸員に教えてもらった。例えば、所々にでてくる「屋形様」がわから ないので尋ねると「殿様」のことであった。



天保の大凶作の影響は全国におよび、都市にも困窮した人々が満ちあふれ、百姓 一揆・打ちこわしが各地で頻発した。大坂では幕府の対策に不満をもった元与力で 陽明学者・大塩平八郎は1837年(天保8年)に民衆を動員して立ち上がった (大塩の乱)。 この乱は、幕藩体制が危機にのぞんだことを示していた。それを打開するために、 1841年(天保12年)から天保の改革が始まる。倹約令 を出して、贅沢を禁じた。 また、農村から江戸への出稼ぎを禁じた(高校生用教科書「詳説日本史」1981、 山川出版社)。この20年余のち1867年に大政奉還となる。明治維新そして日本は 近代化・工業化へと進むことになる。
天保の時代の疲弊した江戸の街を描いたNHK・TVドラマ「小吉の女房2」が 土曜日の夕方に放映されている。


1883年8月26日インドネシアのクラカトア火山
クラカトア火山の噴火( VEI=6)による噴煙は高度40kmまで吹き上げられ、 赤道上空の東風に乗って14日間で地球を一周した。これは、航海する世界の船乗り たちからの報告をまとめた結果である。3ヶ月後の11月末には日本やヨーロッパでは、 昼間も薄暗くなり、異常な朝焼け夕焼けが観測された (近藤「身近な気象の科学」 1987のp.80-81)。噴火の3年後にイギリスで描かれた異常な夕焼け画(イギリスの 科学博物館に保管)のコピーは許可を得て筆者の手元にある (近藤「身近な気象18話」(1986)の口絵5)。

明治初期の1869~1884年の16年間に頻発した大凶作が5回あり、1875年アイスランド のアスクジャ火山と1883年のクラカトア火山の噴火が関係したと考えられる。


1902年10月24日グアテラマのサンタマリア火山
中米のサンタマリア火山の噴火前の1902年5月6日には東インド諸島のセントビン セント火山が、1907年5月28日にはカムチャッカでも噴火があり、噴火の頻発に より冷夏凶作が頻発した。1905年(明治38年)を最悪とする冷夏凶作で貧困不況 の時代であった。1905年のコメの作況指数は宮城県で12、東北地方全体の平均で45 となり、1836年(天保7年)の大飢饉年の宮城県の作況指数10に匹敵する (近藤、1994)。なお、大凶作とは作況指数が80以下のときを意味する。


備考5:日露戦争と社会情勢
不況の時代にもかかわらず、日本は日露戦争 (1904~1905)を起こした。前記の山川出版社発行の高校生教科書「詳説日本史」 (1981)によれば、当時、キリスト教徒の内村鑑三や社会主義者の幸徳秋水らが 非戦論・反戦論をとなえたにもかかわらず、東京大学七博士の学者が、戦争に よって景気一新をはかるべきだと開戦世論をあおり、議会も政府に同調して巨額 の軍費を承認して、日露戦争が始まった。

戦争によって景気一新など、起こるはずはなかった(島田ほか「資料日本史」 (1981)による)。



1912年6月6日アラスカのカトマイ火山の噴火と1913年の大冷夏
カトマイ火山の噴火(VEI=6)の翌年1913年(大正2年)に大凶作が発生した。 米作期(6月15日~9月15日)の気温偏差は-2.2℃、6~8月の気温偏差は-2.8℃で、 これも天保大飢饉と前記1905年(明治38年)の大凶作に匹敵する。明治末期から 大正時代にかけての12年間は火山噴火と凶作の頻発時代であった(近藤、1994)。


1963年3月17日インドネシアのアグン火山の噴火と1963年の中冷夏
アグン火山の噴火(VEI=4, dvi=800)の直後の夏は大冷夏とはならず中冷夏で気温 偏差=-0.8℃であった。この前の1956年3月30日カムチャッカのベジミアニィ火山 の噴火(VEI=5, dvi=10)の直後の夏は気温偏差=-1.0℃であった。後掲の図3を 参照すると、他の大冷夏に比べて気温の低下量が小さい理由の一つに、この時代 (1946~1979年)の三陸沖の海面水温は比較的「温暖な時代」にあったことが 考えられる。一般に、海面水温が低いほど大冷夏になりやすい(近藤、1985b;近藤 「身近な気象の科学」1987の図13.6:Kondo, 1988)。


1982年3月28日メキシコのエルチチョン火山
エルチチョン火山の噴火(VEI=5)による噴煙は成層圏に噴き上げられ世界各地 で異常な朝焼け夕焼けが見られた。噴火8ヶ月後の12月7日16時55分に日本で 藤田敏夫氏が撮影した異常な夕焼けの写真がある(近藤「身近な気象の科学」 1987の口絵1)。その写真は後掲の図6である。

この噴火の前1980年5月18日アメリカ西岸のセントへレンズ火山の噴火(VEI=5) がある。1980~1983年に4年連続の大冷夏はこれら2つの噴火が関係したと見な される。三陸沖の海水温度を見ると、1946~1979年の「温暖な時代」(黒潮の 北上時代)が1980年から「寒冷な時代」(親潮の南下時代)に戻ったこととも 関係している(Kondo, 1988)。


1991年6月15日フィリピンのピナトゥボ火山の噴火と平成の大凶作
ピナトゥボ火山の6月噴火(VEI=6)の2年後の1993年(平成5年)夏は1913年 (大正2年)以来の80年ぶりの大冷夏となった。米作期の気温偏差は-2.0℃、 6~8月の気温偏差は-2.5℃である。コメの作況指数は東北6県平均で57, 宮城県では37であった(近藤、1994)。

1993年(平成5年)のコメの不足により全国的な「平成の米騒動 」が生じた。気候変動は気まぐれで、翌年1994年の夏は晴天の高温日が 続き全国的な異常渇水となった。宮城県蔵王町では秋山沢川の水温が異常に上昇し、 その水を利用した養魚場で「魚の大量死事件」があった (近藤、1995)。


3 冷害の発生予測

図3は東北地方で最も早く観測が始まった宮城県の小島・金華山における1830~ 1998年の6~8月の気温の気候平均値からの偏差の年々変動である。 ただし、図中の左端のプロットは花井安列の天候日記から推定した天保時代の 気温偏差(Kondo, 1988)、1882~1991年は金華山資料、1992年以後は石巻資料に 基づく(近藤、1985c)。気温偏差は1910~1984年の74年間の気候平均値からの 偏差である。

黒塗り印は南緯10度のインドネシア以北で噴火した大規模火山噴火後のプロット であり、赤塗りの大きい丸印は南緯30度以南の大規模噴火の直後の夏である。 また、南緯30度以南については、中規模噴火(2例)を赤塗りの小さい丸印で示し、 緑印はその翌年の夏の気温偏差である。

南緯30度以南の南半球での噴火では、夏3ヶ月間平均気温は平年並みか高温になる 傾向がある。しかし2例と少ないので確実とは言いがたい。

気温偏差、1830~2000年
図3 金華山・石巻の1830年~1998年の気温偏差。赤丸印は南半球中緯度 の噴火、大きい丸印は大規模噴火、小さい丸印は中規模噴火、緑印はその次の夏 ( Kondo, 1988; 近藤、1994;近藤「地表面に近い大気の科学」2000、図9.3)。


この図を見ると、大規模噴火とは関係なく昭和初期の1931~1945年の15年間には 5回の大凶作が1931,1934,1935,1941,1945年(昭和6,9,10,16,20年) に頻発した。山崎・上野・近藤(1989)によれば、1923~1945年は海面水温 の低い「寒冷な時代」で、それに続く1946~1979年の水温の「温暖な時代」 に比べて、宮城県江ノ島の海面水温は約1.4℃低かった。親潮の南下が原因 であった。すなわち、東北地方の3地点(秋田、宮古、石巻)の気圧から求めた 北北東の地衡風速が「寒冷な時代」に特に強く親潮の南下を促し、三陸沖の 水温が低い時代であった。そうして夏の風向は水温の「温暖な時代」と異なり、 雲量は「温暖な時代」に比べて多かった。つまり、たとえ大規模噴火がなくても、 冷夏は親潮の南下などによる寒冷な水温によっても起こりうる。


備考6:太平洋戦争と社会情勢
太平洋戦争は昭和初期の凶作頻発時代の1941年に 始まり1945年に終わった。前記の日本史教科書によれば、この時代は1929年に 始まった世界恐慌があり、凶作で農村は疲弊し、飢餓・娘の身売り、二・二六事件 (1936)があった。また、「飢えて大根をかじる東北地方の子供たち」の写真も 掲載されている。筆者は、1980年に公開された映画「動乱」(高倉健と吉永 小百合の共演)の題名を知ったとき、東北地方の農村疲弊と関係するドラマ であると直感し、映画を観た。昭和6年の大凶作で娘の身売りから話が始まる。 二・二六の時代背景から描かれた昭和初期の動乱の物語であった。

猪口邦子の「戦争と平和」で紹介されていることとは逆の、こうした貧しい 時代に日本は太平洋戦争を起こした。開戦の前、1937~1940年には、政府による 学問研究の弾圧があった。東京大学の矢内原忠雄の著作「民族と平和」が 発禁とされ、多数の社会主義者が検挙されるなど、多くの弾圧が続いた (島田ほか「資料日本史」(1981)による)。



火山噴火と冷夏の関係の要約:火山噴火以外の原因による大気の自然 変動によって総観規模スケールの気圧場が変われば冷夏は生じる。大規模噴火 があれば総観規模の気圧配置は高い確率で変わる。偏西風の流れ方によって オホーツク海高気圧が滞留し、同時に太平洋高気圧の張り出しが弱い気圧場が続く 頻度が高くなる夏に、冷夏となる。

図4は北半球中緯度(北緯30~60度)の夏の気温偏差(横軸)と金華山の夏の 気温偏差(縦軸)との関係である。横軸は拡大してあることに注意のこと。 左上の図によれば、大規模噴火の場合、金華山(東北地方太平洋側)では夏の 平均気温は1~3℃下がるのに対し、北半球中緯度の平均気温は0~0.4℃ (平均0.2℃)の低下である。

左上の図からわかることは、金華山と北半球中緯度の気温低下は高い相関関係 にある。つまり、ほとんどの点が第3象限(座標原点0,0の左下)にあり、 第1象限には1点もない。すなわち、火山噴火と夏の気温低下は密接に関係して いる。しかし中規模噴火と噴火ナシでは相関関係はなく、バラツキは大きい。 バラツキは火山噴火以外の自然変動によるものである。世界中にできるまだら 模様の気温偏差の分布は、大気の大きな流れ(大気大循環)のゆらぎによって、 世界中では毎年ランダム状に生じている。

北半球中緯度気温偏差と金華山の関係
図4 北半球中緯度(北緯30~60度)の夏の気温偏差(横軸)と金華山の 夏の気温偏差(縦軸)との関係、プロット記号は図3に同じ(Kondo, 1988; 近藤「地表面に近い大気の科学」2000の図9.4)。
左上:大規模噴火、図中の数字は噴火の月、左下:中規模噴火
右上:南半球中緯度の噴火、右下:噴火なし(小規模噴火も含む)



これまでの要約
(1)1830年~2021年の期間について、南緯10度以北で火山の大規模噴火があれば、 その直後または翌年の夏のいずれかに気温が0.8~2.8℃低くなる冷夏が起きた。 しかし、それ以前には、東北地方の広範囲で冷夏が発生しなかった宝永の噴火 (1707年)とタンボラの噴火(1815年)があった。以上をまとめて、「大規模 噴火後には90%の確率で大冷夏が発生する」としてよい。
(2)南緯30度以南の南半球で噴火した大規模・中規模噴火後の夏3ヶ月間の 平均気温は平年並、または高めとなるが、前例が少なく(大規模噴火2回) 確実とは言いえない。
(3)2022年1月15日のトンガ諸島の海底火山の噴火については、上記(1)と (2)の中間の南緯20度にあることと、噴出ガスの量が過去の噴火に比べて 少ないらしいことから、東北地方で本年2022年または2023年に冷夏になる 確率は低い。しかし、(1)で述べたとおり例外のある自然現象なので、確定的 ではない。


4 東北地方で特に低温になる理由

多くの人々が日常の経験から知っているように、冷夏のときは東北地方太平洋側 では冷たい北東風「やませ」が吹き雨天が多い。雨天日は晴天日に比べて低温に なる。

図5は米作期(6月15日~9月15日)の気温偏差(縦軸)と雨日数(横軸)の関係 である。大きい四角印は天保時代に書かれた花井安列の天候日記から求めたもの である。図によれば、雨の多い夏ほど冷夏の度合い(気温の低下量)が大きくなる。

冷夏の年は東北地方太平洋側では寒流の親潮の上を吹いてくる「やませ」で 霧・雨日が多く、低温日が多くなる。雨天・低温日が多い年ほど大冷夏となり、 コメの大凶作となった。

気温偏差と雨日数の関係
図5 米作期(6月15日~9月15日)の気温偏差(縦軸)と雨日数(横軸) の関係、大きい四角印(1834~1841年)は天保時代の天候日記から、小丸印 は1902年以後の正規の気象観測データによる(Kondo, 1988)。右下端の プロットは1836年(天保7年)に起きた未曾有の大飢饉の夏を示し、夏の92日間 のうちの51日(55%)が雨日であった。


すでに述べたように、大規模噴火があれば成層圏に吹き上げられたエアロゾル が地球に入る太陽放射量を減少させ、地球・大気系のエネルギーバランスが変化し、 大規模総観スケールの気圧配置が変わる。偏西風の流れも変化して夏のオホーツク 海高気圧の滞留日数が増加する。その結果、太平洋高気圧の張り出しが弱い気圧場 が続き、冷夏となる。火山噴火以外の原因による大気の自然変動によっても総観 規模スケールの気圧場が変われば冷夏は生じる。


5 今後の注視すべきこと

来年の2023年まで注視すべきこととしては、目視による夕焼け・朝焼け観察と 直達光の観測などがある。測器による放射観測は気象庁ホームページから知る ことができる。図6は1982年のメキシコのエルチチョン火山の噴火後に見られた 異常な夕焼けである。

異常な夕焼け1982年3月28日
図6 1982年3月28日に噴火したメキシコのエルチチョン火山の噴火後8ヶ月余 の12月7日16時55分につくば市において藤田敏夫氏が撮影した異常な夕焼け。 日没約40分後の太陽高度=-6.5度のときであり、地上線上2~3度までが特に 濃いバラ色、地球の半径を6370kmとして幾何学的計算をすれば、噴煙は高度 約25kmに存在することになる(近藤「身近な気象の科学」1987,口絵1に同じ)。


目視:大規模噴火後に発生した冷夏のときは、前触れとして成層圏に 吹き上げられたエアロゾルにより太陽光に異常が見られた。過去の例によれば、 1783年6月8日に噴火したアイスランドのラキ火山の噴火後、噴煙はヨーロッパ 諸国に、さらに世界中に広がった。1815年4月に噴火したインドネシアのタンボラ 火山の噴火後、アメリカで日の出と日没のころ太陽光が弱く見え、普段は肉眼で 見えない太陽黒点が誰の目にも見えた。1835年1月20日に噴火した中米ニカラガの コセグイナ火山の噴火後の4月1日に仙台の北の涌谷城主の家臣の花井安列の 天候日記には異常な朝焼けがあったと記録されている。1883年8月25日に噴火 したインドネシアのクラカトア火山の噴火後は、世界各地で異常な朝焼け夕焼け が目視されている。1982年3月28日のメキシコのエルチチョン火山の噴火後、 日本で異常な夕焼けが目視され、そのときの写真は図6に示した。
異常な朝焼け・夕焼けは、日の出・日没ころの通常の雲によるこのではなく、 成層圏に吹き上げられたエアロゾルによるものであるため、通常の雲(高層雲や 絹層雲など)がないとき日の出の20~50分前、あるいは日没の20~50分後ころ に目視される。

測器による観測:大規模噴火のとき、成層圏に広がったエアロゾルにより 地上で観測される太陽光のエネルギー(日射量)は減少する。目安として、 全天日射量(=直達日射量+散乱光)は概略3%減少するが、直達光(太陽の 方向から直接くる日射量)は20%程度減少する場合がある(図1)。通常の 日射計で観測している全天日射量の概略3%の減少は火山噴火によるエアロゾルか、 人工的汚染物質によるものか、あるいは中国砂漠地帯からの黄砂の影響であるか 判断が難しい。それゆえ、直達日射量の減少から判断したい。その判断には、 目視観察の結果も考慮することになる。

気象庁の日射計基準器の維持管理を担当している齋藤篤思氏によれば、 現在2010年以降の直達日射量などの日射放射観測所は国内5地点(網走では 2021年3月から、2020年11月までは札幌、つくば・福岡・石垣島・南鳥島) である。

気象庁ホームページ(日射・赤外放射に関するデータ集や大気・海洋環境観測 年報等)でダウンロードできるデータは時別・日別のものであるが、直達日射から は大気の濁り具合に関する指標であるホイスナー・デュボアの混濁係数(大気 混濁係数)を算出している。これに関しては、以下のページなどで火山噴火等 の影響を紹介している。

気象庁 | エーロゾル:大気混濁係数とエーロゾル光学的厚さの経年変化


国内の直達日射量観測により得られる大気混濁係数から対流圏の変動を除いた バックグランド値の経年変化を見ると、火山噴火による成層圏エアロゾルの影響 が明瞭に確認できる。


おわりに

筆者はこの20年余にわたり、長期の気温上昇率(地球温暖化)を調べてきた。 最近の気温上昇率は大きくなっており、また1991年のフィリピンのピナトゥボ火山 噴火に続く大凶作後の1997年以後、年平均気温の年々変動の幅が小さくなっている ことに注目していた。この特徴が大規模噴火により、変化する可能性があることを 気にしていた。

図7は、図3に続く関係を示したもので、金華山の代わりに石巻における夏(6,7,8月) の気候平均値からの気温偏差である。気候平均値は1980~2020年の41年間平均値 (21.04℃)とした。この図が示すように、2004年以後は気温偏差はプラス寄りで 年々変動が小さい状態が続いている。

石巻の夏の気温偏差
図7 石巻における1980年以後の気温偏差。黒塗りつぶし印は大規模噴火後、 三角印は6月に噴火した年の夏、大きい丸印は噴火直後の夏、小さい丸印はその次の 夏を示す。


この状況にあるとき、2022年1月15日に南太平洋の南緯20度付近のトンガ諸島で 海底火山の噴火が起こった。その結果として、2022年または2023年に冷夏の起きる 可能性はあるが、その確率は小さい。今回、冷夏は起きないとしても、いずれ 近い将来、別の火山噴火が起きたとき、冷夏発生の有無を探る ことになる。それに備えて、以前に発表してあった噴火と東北地方の 冷夏・凶作との関係を本稿にまとめたのである。

「最近は温暖化による気温上昇があるのだから冷夏が生じても大丈夫ではないか」 という考えもあるだろうが、希望的観測でしかない。気候変化 と社会の関係はこれほど単純ではなくなってきている。

振り返ってみると、太平洋戦争前から終戦の1945年までの昭和初期には冷夏 によるコメの凶作が頻発した。戦後のしばらくは大凶作もなくコメの収量は 時代とともに増加した。それまではコメを作らなかった地域にまで 生産地の拡大があった。人々は、冷害がなくなった のは農業技術の進歩によるものだと考えるようになった。これは事実だろうが、 戦後しばらくの間、大冷夏のない穏やかな温暖な気候が続き、冷害に強い品種 ではなく、美味くて高価に売れる品種のコメを生産するようになった。 そうして油断したとにき1980~1983年に冷夏が起こって大凶作となった (近藤「身近な気象の科学」1987)。

コメ生産地の拡大・強制は江戸時代から各地であった。三浦忠司(2003) 「八戸の歴史」によれば、夏に北東からの冷涼な風「やませ」が吹く八戸藩では、 天明の大飢饉後も稲作が強制されてきた。寒冷地では少しの気候変動でも凶作 となり、天保の冷夏で大飢饉の悲劇を生み出した、と記されている。 この例からすれば、コメに限らず食糧生産地は適地を選ぶべきだが、他方では 挑戦することも必要であろう。不作に悩まされながら 品種改良など行なってきた結果、不適であった地域でもつくれるようになり、 面積当たりの収穫量(単収)も増えてきた。明治・大正時代のコメの単収は九州 が東北地方を20%も上回っていたが、1955年以後でこの関係は逆転している (近藤「身近な気象の科学」1987, 図8.9)。

コメの凶作が経済に与える影響を見てみよう。 1905年(明治38年)ころの東北6県のコメの平年収量は105万トンで、金額に換算 すると7,600万円であった。当時の日本の国税収入が2億5千万円であったから、 国税収入の30%に相当していた。1980年半ばには平年収量は300万トンでその金額は 国税収入に対して3%となる(近藤「身近な気象の科学」1987, p.174)。現在は、 さらに小さくなっている。それでも、1993年の平成の凶作では、各方面に影響が でた。

地球温暖化によって、日本の平均気温は1950年に比べて2020年では1℃ほど上昇 している(「K225.日本の地球温暖化、再解析2022」「K227.地球温暖化、公的機関の発表は正しいか?」) (予定)。過去の歴史から、人間はコメに限らず、様々な作物についてその気候 に適応した品種を栽培するであろう。そうなると、温暖化に適用できたとしても、 その気候からずれた異常気象が起きれば被害は受ける可能性がある。

もう一つ注意すべきことがある。都市化の影響など除いた日本平均の 年平均気温の年々変動を示した 「K225.日本の地球温暖化、再解析202」の図2に注目すると、最近の25年間 (1997~2021年)の変動幅はそれ以前の25年間(1972~1996年)の変動幅に 比べて小さくなっている。変動の標準偏差で比較すると0.46℃から0.34℃ (74%)に小さくなっている。小さい年々変動に慣れてきたとき、異常気象に よって低温が生じれば影響は大きくなるかもしれない。

最近では、コメのみならず多くの農業・工業生産物が国際的 に流通する時代となった。それゆえ、火山噴火によって日本で異常気象 が生じなくても、どこかの国・地域で異常気象が生じ生産物が影響を受けると、 その影響は他国にも及ぶ。異常気象が社会に及ぼす影響は複雑になってきている。


備考7:地球温暖化による気温上昇は季節によらない
都市化の影響を含む都市を除けば、田舎では、地球温暖化にともなう各季節の 気温上昇は年平均気温の上昇と同じである( 「K210.温暖化の気温上昇は季節により違うか?(平均気温)」「K211.日最高・最低気温の上昇率は季節によって違 うか?」)。



文献

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近藤純正、1984:異常気象と災害.仙台管区気象台-東北技術だより、2-31、 15-28.

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近藤純正、1985b: 東北地方に大飢饉をもたらした天保年間の異常冷夏.天気、 32,241-248.

近藤純正、1985c: 大規模火山爆発直後における金華山平均気温と北半球中緯度 平均気温の関係.天気、32,623-630.

近藤純正、1986:身近な気象の科学18話.明倫社、175pp.

近藤純正、1987:身近な気象の科学.東京大学出版会、189pp.

近藤純正、1994:1993年の大冷夏.天気、41,465-470.

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三浦忠司(編著)、2003:探訪-八戸の歴史.八戸歴史研究会、158pp.

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Stommel, H. and E. Stommel, 1983: Volcano Weather, The Story of 1816, The Year without a Summer. Seven Seas Press, Inc., Newport, Rhode Land. 山越幸江訳、1985:火山と冷夏の物語.地人書館、pp.238.


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