L04 感想文「富士山頂の冬の気圧―小説『芙蓉の人』―」
(KM) 2006年4月11日
「身近な気象」の「4.富士山頂の冬の気圧―小説『芙蓉の人』―」
この章は, 富士山を題材に大気における基本的な物理量である気圧について
1895年(明治28年)に初めての富士山頂における冬季気象観測を敢行した野中
夫妻の記録も交えながら考えていくものである.
小説より抜粋された決死の冬季観測の様子が非常に感動的であり,気圧と
高度の関係の理解と富士山での気象観測の推移を学ぶ上での強い動機付け
となっている.野中夫妻の晴雨計による気圧測定を不可能したほど低下した
冬季の気圧であるが,地表と高層で気圧の季節変化が全く逆であること,
その事実が知られるようになったのは高層気象の観測が進んだ後世の研究を
待たねばならなかったことが良く分かる.
地上での気圧の季節変化は夏場地表付近気温の上昇に伴い熱的な低圧となる
ことと,逆に冬場では地表付近気温の低下に伴い高圧となることで理解で
きる.
富士山頂の気圧については図4.2でその概念を説明しているが,当初の疑問
は気圧の季節変化なので,ここでの説明方法の他に例えば高層の同じ高度
での気圧変化と対応して等気圧面が変化すると読み替え,等気圧面高度の
季節変化の図,たとえば,
URL: http://www.kousou-jma.go.jp/obs_second_div/taikidata/h2.html
気象庁ホームページ > 気球による高層気象観測 > 高層大気の気象データ
を示しても良いと思った.等気圧面高度は夏に高く,冬に低くなるので,
高層の同じ高度ではその気圧が夏に高く,冬に低くなるのは分かりやすいと
思うからである.しかし,気圧と高度の式から富士山山頂における2月,
8月の気圧を計算するので読者の理解は十分かもしれない.
4.4節では自然科学とくに気象学に近い分野の発展の系譜をふりかえることで,
先の野中夫妻の決死の観測の先見性をいっそう明らかなものにしている.
同じ気象学にかかわるものとして彼らの偉業に改めて敬意を表したい.
[編者のメモ]
この章に引用した小説の抜粋文は、
編者が学生たちに聴かせ、講義終了後に感想文を書かせるのに使って
いた。”野中夫妻は富士山頂でどういう事態に遭遇したか?”という問いを
出題してから朗読文を聴かせた。編者は何度読んでも最後のところで感動して
しまう。朗読中は富士山頂の昔の写真や水銀気圧計の模式図を同時に見せた。
朗読が終ると教室を明るくし、ミレイュ・マチュー”砂の城”
の唄を聴きながら講義を終了することにしていた。
唄のホームページへの転載について著作権の問題があるので、渡辺さやかさん
にオリジナル曲
を作曲してもらい、抜粋文の最後に挿入することにした。
小説の抜粋文のホームページへの転載は原則として許可されないが、出版社に
特別のお願いとして、「この小説が学生たちの講義、ホームページへの掲載
になぜ必要か」の説明をした。すると、小説の作者の遺族から許しがあれば、
出版社は許諾の検討をしていただける、との返事をもらった。
そこで、新田次郎のご子息・藤原正彦さん(御茶ノ水女子大学教授)に手紙
を書いて新田次郎、編者の恩師・山本義一、編者の関係を説明し、許諾の
お願いをしたところ、即座に快諾のご返事をいただいた。
山本義一と新田次郎は親友でしたが、昔の中央気象台時代には、
山本・新田は上司・部下の関係でした。山本義一が亡くなった数日後、
新田次郎は後を追うように亡くなったのです。