86. 伊勢・二見と名古屋城

著者:近藤 純正

2007年12月4日から7日まで、紀伊半島の潮岬、熊野那智・新宮、伊勢・二見浦 と名古屋城を観光した。この章は伊勢・二見浦および名古屋城の記録である。 (2007年12月12日完成)

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  	  もくじ
		1.松坂
		2. 二見浦
		3.伊勢
		4.名古屋城
潮岬測候所の視察旅行の帰途、2007年12月6日、紀伊勝浦からJR特急 「ワイドビュー南紀6号」に乗車、松坂15:11下車。駅前の観光案内所で 松坂と伊勢の観光案内・地図をもらう。

6日の夕方は松坂城跡にある本居宣長記念館と松屋(宣長が暮らしていた 邸宅を移築したもの)、松坂城跡を見学後、駅近くのホテルで宿泊。

7日の日程:
JR松坂7:55-伊勢市8:48着
二見浦の夫婦岩、賓日館(ひんじつかん)、お福餅本家
伊勢神宮内宮(ないくう)、おはらい町(内宮の鳥居前町)、猿田彦神社
伊勢神宮外宮(げくう)
JR伊勢市駅13:01発快速「みえ12号」-名古屋14.39着
名古屋城
名古屋17:33発の新幹線「こだま547号」にて帰途

1.松坂
本居宣長(もとおりのりなが、1730-1801)は小学校の教科書にも掲載されて いた国学者である。 商家に生れ、学問を好み、医師となり日本の古典の研究を行なう。35年間を 費やして「古事記伝」を執筆。素直な感情と鈴をこよなく愛したことから、 宣長の邸宅は鈴屋と呼ばれる。

松坂城跡には、移築された鈴屋と本居宣長記念館がある。

本居宣長
本居宣長の邸宅「鈴屋」(左)と松坂城本丸跡(右)

2.二見浦
二見浦の夫婦岩の間から朝日が昇るということは知っていたが、 松坂駅前でもらった観光地図を見ていて、二見浦が伊勢神宮の近くだと 初めて知った。 そこで、今回は、伊勢市駅から伊勢神宮外宮まで歩き、外宮から内宮まで タクシーで行き、内宮参拝後に二見浦の夫婦岩まで行く計画とした。

伊勢市駅前に掲げられた大きな観光案内地図で外宮の方向を探していたところ、 タクシー運転手が近づいてきて、運賃一覧表を見せながら、「伊勢・二見浦 観光コースは16,000円ですが1万円で案内しましょう、いかがですか?」 という。

運転手に観光ガイドも任せることとして乗車した。 彼は66歳、観光ガイドに詳しく、タクシー会社を定年退職したあと、 嘱託の形で昼間だけ運転している。

伊勢参拝は、昔のしきたりでは、まず、二見浦の海で身を清めることから 始まるということで、二見浦に向かうことにした。

夫婦岩
夫婦岩

二見興玉神社を経て夫婦岩を見学。夫婦岩の中央から差し昇る朝日が拝める のは夏至前後の5月~7月、また満月が昇るのは1月・10月~12月だという。

海岸に「さざれ石」が展示されている。「君が代は千代に八千代にさざれ石の いわおとなりて・・・・・・」のさざれ石である。

さされ石と賓日館
さざれ石(左)と賓日館(右)

近くの「賓日館」に案内された。
賓日館(ひんじつかん)は明治20(1887)年、伊勢神宮に参拝される 英照皇太后(明治天皇の母)のご宿泊に間に合うようにと、明治19年12月に 着工、翌年2月19日に竣工。これほどの短期間で格調高い建物が完成した のは驚異である。

その後、明治末期から大正初期にかけてと、昭和初期の2回の大増築を重ね、 現在の状態となる。歴代諸皇族、各界要人の宿泊所として利用されてきた。 現在、平成15年に二見町に寄贈され、NPO法人「二見浦・賓日館の会」が 運営している。

宿の調度品、古文書、中村左州作「大名行列」屏風、などが展示されている。 この日(12月7日)は市松人形展が行われており、大正初期~昭和の時代の 市松人形、約50体が展示されていた。

賓日館室内
賓日館室内

賓日館広間
左:賓日館大広間(桃山式、舞台付き、120畳)、右:市松人形

人形展
市松人形

賓日館の見学を終えたとき、タクシー運転手が2008年の「全国夫婦岩 サミット 岐阜県中津川市 開催」の名入りカレンダーをもらってきて くれた。このカレンダーには日本の9つの夫婦岩の写真が掲載され、 11月27日は「いい夫婦の日」と印刷されている。

(1)二見岩:青森県風間浦村
(2)夫婦石:岩手県一関市(陸上)
(3)機貝岩(能登二見):石川県滋賀町
(4)女夫岩:岐阜県中津川市(陸上)
(5)二見浦・夫婦岩:三重県伊勢市
(6)夫婦岩:愛媛県松山市
(7)二見ヶ浦夫婦岩:福岡県志摩町
(8)男岩(珍宝岩)・女岩:福岡県黒木町(陸上)
(9)夫婦岩(雄岩・雌岩):佐賀県武雄市(陸上)

今年(2007年)、伊勢名物の「赤福餅」の偽装事件があった。消費期限を 過ぎた古い餅を作り直し、偽って土産に売った事件である。赤福餅は販売禁止 の罰を受けて、現在も停止が続いている。その代わりに同類の「御福餅」の 売れ行きが伸びたのだが、「御福餅」も消費期限を偽ったために販売停止と なったが、こちらは罪が軽く数日前に販売が再開されたというTVニュースが あった。

御福餅本家は伊勢市二見町茶屋にあるということで、タクシーに案内された。 店先からガラス越しに見える場所で職人たちが御福餅を作っていた。 8個入りの御福餅1箱を買った。

御福餅
伊勢名物・御福餅本家(左)と餅の製造現場(右)

運転手によれば、餅のあんこに手指でつけた波型は海の波を表し、 やや内陸の赤福餅の波型は川の流れを表すものだという。

ちなみに、全国で売れてる土産の第1位は北海道の「白い恋人」、・・・・ 第3位は仙台の「萩の月」、・・・・第5位は伊勢の「赤福餅」(御福餅も 含む?)、・・・・・と教えられた。

3.伊勢
神宮は皇祖・天照大御神をまつる皇大神宮(内宮、ないくう)と豊受大神宮 (下宮、げくう)の両正宮(りょうしょうぐう)を中心として、十四所の別宮、 百九所の摂社・末社・所管社からなる。

豊受大神宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)をまつる。豊受大御神は 天照大神のお召し上がりになる食物の守護神であり、私たちの生活をささえる 一切の産業をまもる神である(伊勢神宮のパンフレットによる)。

内宮鳥居
左:伊勢神宮内宮(皇大神宮、こうたいじんぐう)の宇治橋鳥居、
右:宇治橋から見た五十鈴川、この上流の御手洗場(みたらし)の川水で 心身を清めて参拝する。

内宮境内
左:宇治橋(長さ101.8m)、両脇にある鳥居は旧御正殿の 棟持柱(むなもちばしら)をリサイクルしている。
右:内宮の境内

内宮正宮
伊勢神宮の御内宮(ごしょうくう)
社殿の中心の御正宮は四重の垣根に囲まれている。中へは入れない、写真の 場所でお参りする。

遷宮地とうまや
左:平成25年に新しい社殿が建てられる新御敷地(しんみしきち)、 右:御厩(みうまや)の白馬

おはらい町と猿田彦神社
左:内宮の鳥居前町「おはらい町」、右:猿田彦神社

神宮農業館と神宮徴古館
左:神宮農業館、右:神宮徴古館

タクシー運転手は、江戸時代、お伊勢参りの帰路、旅人の「精進落とし」で 賑わっていた遊郭があったという町に案内してくれた。 大勢の遊女を抱える妓楼、芸妓の置屋、お茶屋、芝居小屋が連なっていたと いう古市である。

現在の古市は、その面影はなく、ふつうの住宅街である。往時の面影を 残す楼閣として、ただ一軒の「麻吉旅館」が現存しており、案内板には 次の内容が書かれている(文字が薄くなっている)。

所在 伊勢市中之町
麻吉の創業は天明3(1783)年以前である。
もと花月楼といい、茶屋であった。明治時代の県下では珍しい三層楼として、 伊勢音頭の舞台も持ち、芸妓も30人ほどを常時抱えた県下第一級の大料理店 であった。
現在四棟の中心建物があり、いわゆる懸崖造りで最上層まで六層階に及ぶ。 最上層からは、はるか朝熊山・二見なども遠望でき、多くの文人たちの会も 盛んであった。・・・・・・・・


浅吉旅館
浅吉旅館

伊勢の観光コースの最後は、伊勢市駅に近い所にある伊勢神宮外宮となった。 外宮でも内宮と同じように20年ごと、平成25年に行われる遷宮の新御敷地 (しんみしきち)が準備されている。

外宮
伊勢神宮外宮(豊受大神宮、とようけだいじんぐう)、右は平成25年に遷宮される 新御敷地(しんみしきち)

4.名古屋城
名古屋城は、関ヶ原の合戦後徳川家康が、1609年東海道の要所として、また、 大坂(大阪)方への備えとして、清洲から名古屋へ選府を決め、諸大名に工事 を命じ、1612年にほぼ完成し、御三家の筆頭尾張徳川家の居城として栄えた。 第二次世界大戦中の昭和20(1945)年5月の空襲でほとんどが焼失した (名古屋城パンフレットによる)。

名古屋城で有名なのは金の鯱(シャチ)である。雄(北側)の高さと重量は 2.62mと1,272kg、雌(南側)は2.58mと1,215kgである。表面に張られた18K 金板の重量はそれぞれ44.69kgと43.39kgである。

現在、本丸御殿復興のための積立基金が集められており、箱に小銭を寄付して おいた。 焼失をまぬがれた本丸御殿障壁画の大部分(重要文化財)が残っているので、 御殿が復興すれば見られるのではなかろうか。

復元された天守閣はコンクリート造りであり、エレベータでも登ることが できる。広い階段は登り優先、下り優先の2通りがある。内部は博物館であり、 昔の町屋など生活がわかるようになっている。

名古屋城正門
左:名古屋城正門(焼失、1969年再建)、右:正門付近から 見た天守閣

名古屋城
名古屋城、天守閣は1959年再建(コンクリート造り)、
左の写真の手前に一部分が写っているのは焼失をまぬがれた南西隅櫓(重要文化財)

城内の展示
城内の展示、左:大石を運ぶ仕事の模型、
右:金鯱の模型に乗る千葉から観光に来た大学生の中村 航(わたる)さん

昔の部屋
城内の展示、昔の部屋模型と、食膳の見本

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