84. 潮岬周辺の観光

著者:近藤 純正

2007年12月4日から7日まで、紀伊半島の潮岬、熊野那智・新宮、伊勢・二見浦 と名古屋城を観光した。この章は潮岬周辺の串本、紀伊大島の記録である。 (2007年12月10日完成)

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  	  もくじ
		1.潮岬と紀伊大島
		2.橋杭岩
潮岬測候所の視察を終えたあと、2007年12月5日11時30分から午後にかけての 観光である。

前日にJR串本駅でもらった観光案内書を参考にすると、「本州最南端の地」と 串本駅の北東方向にある珍しい形の「橋杭岩」に行ってみたくなった。 タクシー運転手にこのことを伝え、運賃1万円ほどで行ける範囲を運転手 任せで景色のよいところを案内してもらうこととした。

潮岬灯台、潮岬観光タワーを見学したのち、「くしもと大橋」を渡り、紀伊大島の 日米修好記念館、絶景の海金剛、トルコ記念館、トルコ軍艦遭難慰霊碑、樫野 灯台を見学。最後に串本にもどって橋杭岩を見学した。串本駅14:14発の特急 「スーパーくろしお13号」に乗車、新宮15:03着の計画とした。

1.潮岬と紀伊大島
ここは串本 向かいは大島 仲を取りもつ巡行船・・・・・・
と「串本節」に唄われる紀伊大島への観光である。紀伊大島は和歌山県 内の最大の島である。

それに先立ち、タクシー運転手は潮岬灯台を眺めるによいポイントに案内して くれた。 台風の来襲時の大波がテレビで放映される潮岬はこの風景だという。

潮岬灯台
潮岬灯台と沖合い、横に2枚を結合し多少の歪みがある。

潮岬灯台の東へ約500mのところに潮岬観光タワーがあり、この最上階の 展望室からは360度が眺望でき、水平線が丸く見え、地球の丸みを実感 できた。入館時には潮岬を訪れた証しとして「本州最南端訪問証明書」が 手渡された。それには次のように書かれている。

明るい太陽と黒潮のまち串本へよくいらっしゃいました。
本日 東経135°46’北緯33°26’本州最南端 潮岬を訪れられましたことを
心から歓迎いたします。
断崖に砕ける波涛、白亜の灯台、豊かで美しい自然は旅路の想い出のひとこまとして
永遠にあなたの胸の中に生き続けることでしょう。
再びお会いできることを祈りつつ この証しをおおくりいたします。
また来てくらんしょ。
平成19年12月5日
串本町観光協会長 中村 洋介

潮岬灯台と日米修好記念館
左:潮岬観光タワーから見た潮岬灯台、 右:日米修好記念館内の米国旗

潮岬を半時計まわりにドライブして、「くしもと大橋」を渡り紀伊大島へ。 島の東の方に日米修好記念館ある。ペリーの黒船来航により日本が門戸を 開放する62年も前に、レイディ・ワシントン号とグレイス号の2隻の商船が ここ大島に上陸し、30日余滞在した。アメリカ商人が島の人たちに 毛皮を売ろうとして商売を始めたが、ここは暖かな島ゆえ、買ってもらえ なかったという。

このアメリカ上陸は、初めて公文書に記録された日米間の接触であるとされて おり、これを記念して「日米修好記念館」が建てられた。展示室の中央には、 当時のアメリカ国旗が飾られている。

絶景の「海金剛」に案内された。島の東端にある白亜の樫野灯台と、白色の トルコ軍艦遭難慰霊碑が遠望できる。

海金剛
左:海金剛、右:海金剛から見た樫野灯台の望遠写真。

トルコ軍艦遭難慰霊碑
左:トルコ軍艦遭難の海岸、右:遭難慰霊碑

1890(明治23)年9月16日、樫野崎沖合でトルコ軍艦エルトゥール号が嵐に 遭難し、乗組員650余名のうち580余名が死亡するという事件があった。 このとき、地元住民の献身的な救助活動によって69名が救助されたが、300名 余の将卒の遺体は発見されることなく、この沖合いの海底に眠っているという。 発見された遺体は遭難現場を見下ろす樫野崎の丘に埋葬された。

これはトルコ軍艦の来日の帰途で遭難したものである。タクシー運転手 によれば、9月は台風シーズンなので、日本側は出航を見合わせるよう 説得したのだが、それに従わず出航し遭難したという。

深夜の嵐の中、ましてや通信手段もない離島の大島での大事件である。それでも 島の人々は手持ちの着物やふとんを持ち寄り応急処置と看護にあたり、また、 各戸に貯えていた芋や、飼っていた鶏などの食料を提供した。小さな村に 一度に69名の珍客を迎え、たちまち食料は底をついてしまった。 にもかかわらず村民は、歓待の意を表し、食料の一切を喜んで提供した (トルコ記念館パンフレットによる)。

この悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じて串本町とトルコ国との交流が始まり、 トルコ記念館が建設された。

トルコ記念館に近づくと、タクシー運転手が「チューリップの原産地はどこだか 知っていますか?」と聞く。「・・・・オランダかな?」と答えると、正解は トルコだという。

記念館展示室の外壁をよく見てください、という。壁面に貼られたタイルの 1枚1枚にトルコの国花「チューリップ」が描かれている。 説明されなければ気づかないのだが、この運転手はよいガイドでもあった。

トルコ記念館
トルコ記念館、左は壁面タイルの一部分

樫野崎灯台へ向かう途中にトルコ人による土産店があった。絨毯が雨ざらしの まま展示されている。雨ざらしになっても大丈夫であることを見せる目的だと いう。新品ではなく、多少古くなった絨毯の見本ではなかろうか?

2.橋杭岩
串本から大島を眺める海岸沿いに北東へ行くと「橋杭岩」(はしくいいわ) がある。橋の杭を思わせる大小40余の奇岩は、国指定名勝天然記念物に 指定されている。

橋杭岩
橋杭岩、横に3枚の結合で多少の歪みがある。写真の右端よりさらに 右の方向へ岩が並んでいる。

橋杭岩説明板
左:橋杭岩、右:成因の説明図

橋杭岩(はしくいいわ)の成因について、説明板には次のように書かれている。
今から1,500万年ほど前(新生代第三紀中新生の中ごろ)、熊野層群とよばれる 砂や泥の厚い地層が海底に堆積した。この地層が堆積した頃、大島から潮岬 付近の海底は火成岩の隆起帯になっていた。
その後、1,400万年前になると、この地域で火成活動が起こった。この活動に ともなって、北北西ー南南東の方向にのびる地層の割れ目に沿ってマグマが 上昇して冷えかたまり、直立した厚い板状の岩脈ができた。 この岩脈(橋杭岩のもと)は、石英斑岩という火成岩からできている。
やがて、すっかり陸地となった紀伊南部の海岸は、黒潮の波にさらされ ながらも、橋杭岩の岩脈はまわりの泥岩より硬いために侵食されても残り、 あたかも大島に向かって橋脚を並べたように、そそり立っているのである。


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