46. 新潟・相川・弾崎の観測所

近藤 純正

新潟県佐渡島の北東端にある弾崎(はじきざき)灯台では1919(大正8)年 12月から1974(昭和49)年5月まで気象観測が行なわれていたということを 聞いた。新潟海上保安部航路援助センターの川村勝彦さんから「気象観測資料 閲覧申請書」用紙が送られてきたので、資料の使用目的等を記入して提出し、 佐渡市の両津にある佐渡保安署の主任・佐藤良夫さんを訪ねることにした。
2005年7月18日、海の日記念日、新潟地方気象台の周辺環境を観察した のち、高速の水中翼船「ジェットフォイル」で佐渡の両津へ渡った。 19日は佐渡保安署で気象資料の書き写し作業を行う。 20日は弾崎灯台と弾崎アメダスを見学後、海岸沿いに二ツ亀、賽の河原、 大野亀まで歩き、夕方には相川測候所を見学した。(2005年7月 日完成)

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  	  もくじ
		(1)新潟地方気象台
		(2)弾崎灯台とアメダス
		(3)相川測候所
(1)新潟地方気象台
戦前の新潟測候所は海岸の旭町通にあったが、海岸侵食が激しく1948 (昭和23)年まで観測が行なわれ、1949年には内陸寄りに移転している。 海岸にあった旧測候所は現在の海岸線の沖合いに沈むという歴史をもっている。

今回の佐渡への旅の途中、現在の新潟地方気象台の周辺環境を視察すること にした。
JR新潟駅で下車、観光案内所で新潟市内の地図を貰い気象台の場所を 教わった。駅から北へ歩くと信濃川に架かる万代橋があった。万代橋は 1964年6月16日の新潟県沖を震源とする「新潟地震」で落ちなかった唯一の 橋だと聞いた。この地震で粟島が約1m隆起し、新潟市内の各所では 地盤の流動化によりビルが傾くなど被害が大きかったことを思い出した。

万代橋のたもとで左折し、信濃川沿いに上流(南西方向)へ進むと八千代橋 があり、続いて新潟地方気象台の測風塔が目に入った。周辺は住宅地で あるが、新しいマンションなどが建ち、建築中のマンションもあった。

新潟気象台周辺
新潟地方気象台の周辺、信濃川堤防より撮影(赤矢印は測風塔、ただし 最近は風の観測のみ遠方の別地点で行われている)


新潟気象台露場
新潟地方気象台の露場3景


この日は祭日であったので、私が勝手に敷地内の観測露場の写真を 撮っていたところ、気象台の伊藤肇さんが庁舎から外へ出てこられた。 伊藤さんの話によれば、”近くに高層マンションが建てられ影響を及ぼす ようになったので、現在の測風塔に設置されている風向風速計は飾りにすぎず、 実際の風向風速は別場所で観測している”とのことである。 その場所は新潟市女池南の鳥屋野潟公園内にあり、風向風速計の地上高度は 15mである。

観測露場内はきれいだが、周辺の草丈は伸びている。あとで聞いた話だが、 後日(7月20日)に草刈りが行われたとのことである。

佐渡行きの船の出る埠頭が信濃川河口にある。その手前に新潟では一番 高いという「ホテル日航新潟」の展望台に上り、気象台方向を眺めた。 気象台庁舎はマンションに遮られて見えないが、近くの住宅地を望むこと はできた。

新潟気象台望遠
信濃川河口にあるホテル日航新潟ビル展望台から気象台方向の眺め (望遠写真)


(2)弾崎灯台とアメダス
7月20日、両津埠頭7時54分発のバスで1時間ほど海岸線に沿って北東 方向へ向かい、停留所「鷲崎」を過ぎ、”弾崎灯台の近くで止めてください” とお願いしてあったところ、灯台がすぐ見える場所で下ろしてくれた。

手前からアメダス、灯台の測風塔、灯台があった。灯台は無人である。 灯台の測風塔はアメダスの測風塔(高さ8.1m)よりも高い。

なお、気象庁の「地域気象観測所一覧」によれば、アメダスの海面上の高さは 58mと記されている。
海上保安庁佐渡保安署に保管されている気象資料の原簿には弾崎灯台の 晴雨計の高さは58.3m、露面上の高さは56.9m、国際地点番号は 603となっている。 その時代、灯台における気象観測は専用の施設で行われ、「測候所」 と呼ばれていたらしい。

弾崎の見晴台
(左)バス道路から見たアメダスと灯台、(中央)灯台庁舎の脇から 振り返えりアメダス周辺を見る、(右)見晴台から灯台を見る(アメダスは灯台 に隠れて見えない)


弾崎の見晴台
(左)弾崎アメダスと灯台の測風塔、(右)灯台の測風塔と灯台、いずれも 陸側から海側を見る


もと来た道を戻って隣地の「はじき野フィールドパーク(ログハウス・オート キャンプ場)」の見晴台へ行くと日本海が一望できた。 この見晴台には1957年封切りの木下恵介監督による昭和の名作映画「喜びも 悲しみも幾歳月」で有名になった灯台守の夫婦(俳優の佐多啓二と 高峰秀子)の像がある。 像に近づくと木下忠司の作詞・作曲・編曲の映画主題歌が自動的に流れてきた。

見晴台からの眺め
見晴台から眺めた灯台と日本海、中央はるか遠方の水平線に小島「二ツ亀」 が見える


灯台とアメダスの見学は終えて、バス道路を少し歩くと下り坂となり 藻浦の集落に着いた。漁港で舟を片付けていた本間正義さんがいたので、 ”弾崎灯台とアメダスの写真を海上から撮りたいので、舟を出していた だけないでしょうか?”とお願いした。

出航の準備ができてエンジンをかけようとして何度も試みたが、うまく始動 しない。このような不調なら、沖合いでエンストするのではないかと、私は 心細くなった。 やっとエンジンが始動し沖合いへ向かった。好運にも波は低く、沖合い1km ほどまで出してもらうと、灯台とアメダスがよく見えるように なり、波に揺れながらシャッターを押した。帰りは向かい風で波しぶき に少し濡れた。

藻浦と小舟
(左)藻浦の集落と港、(右)乗船させてもらった「昭福丸」


海上からの弾崎
海上から見た弾崎。半島の平坦部の左方に灯台、その右に灯台の測風塔 (もっとも高い塔)、さらに右にかすかに見えるアメダスがある


海上からの写真も撮れたので、こんどは海岸沿いの遊歩道を歩いて「二ツ亀」 「賽の河原」を経て、「大野亀」のふもとへ着いた。バスの発車時刻までに 1時間余りあったので大野亀の頂上に登り、午後1時35分発のバスで 両津へ帰った。 この海岸沿いの詳細は、「写真の記録」の 「49.佐渡への旅」を参照のこと。

前日19日のこと、佐渡保安署の2階へ上る階段に佐渡島の古い大型灯台の スケッチ画が展示されていたので、”欲しいのでいただけませんか?”と お願いすると、以前に作成された絵葉書の一式をもらうことができた。 このスケッチは元署員が描いたものだという。 1965年頃における弾崎灯台の測候所はスケッチの左端に描かれている。 当時の灯台は不便な僻地であり、宿舎も灯台敷地内にあった。

弾崎灯台のスケッチ
昭和40年(1965年)頃の弾崎灯台のスケッチ
(佐渡保安署=旧両津航路標識事務所=のご好意による)


(3)相川測候所
両津埠頭に帰ってきたのが15時前だったので、急きょ、こんどは15時10分発 相川行きのバスで相川測候所へ行くことにした。約1時間で相川バスセンター に到着。隣の合同庁舎内に測候所があると教えられた。

測候所長・吉平保さんに突然訪ねた事情を話し、旧測候所の場所を教えて もらった。測風塔に案内されて眺めると、海岸の高台(標高約35m)に 測候所跡が平らになって見える。現在地から650m南西の方向である。

左方に、山頂が二つに割れた形になっているので尋ねると、佐渡金山の 露天掘りの跡だという。
古い相川の町並みは、山すそと昔の海岸線の間にあり、現在の合同庁舎 を含む最近の大きな建物は埋立地に建てられている。

旧相川測候所

(左)現在の相川測候所測風塔から眺めた旧測候所跡(赤の矢印が庁舎跡、 黄色の矢印は一段低い敷地にある旧宿舎)、(右)南側から撮影した旧相川 測候所(宿舎は左方の一段低い敷地にある)
(右側写真は相川測候所のご好意による、1995年9月28日撮影)


旧相川測候所配置図
旧相川測候所の配置図(相川測候所のご好意による)


相川測候所周辺

相川測候所の周辺。左から順番に、北方向、東方向、南方向、西方向 (夕日の反射で海面は白く輝いている)


相川露場と金山

(左)相川測候所測風塔から見下ろした北側、(中央)見下ろした南側の 観測露場、(右)佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」の遠望(三角型の山が 割られた露天掘りの跡:1601年に金銀脈が発見され佐渡金山が始まったと いわれる)


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