Stoned in Cairns
 10年ほど前、社員旅行でオーストラリアのケアンズに行った。1日だけ、なんの理由もなくブルーになってしまった僕は、仲間たちと別れ、単独行動をした。12月の暑い日だった。
 巨大ショッピング・モールに行って、誰にとはなく「お土産」を買い、midiでバックをこしらえたソプラノ・サックスのストリート・ミュージシャンのなかなか巧いPlayを聴き、Ken Doneを眺めてはつまらんと鼻を鳴らした。僕の誕生石のオパールも、もはや「乳白色」のものは稀少で、あっても高価だった。
 ものすごい豪州美人が自分の油絵を売っていたのでちょっと見た。絵は稚拙だったので買う気は毛頭ない。嘘なのだが、彼女の絵についてあれこれ褒めていたら、「自宅にもっと自信のある作品を置いてあるが、見て欲しい」と言われた。晩稲の僕は、これから約束がある、と辞退した。すると彼女は、夜は飲み屋で働いているから、ぜひ来てくれ、と言う。メモを渡された。ほんとに気に入られたのだろうか…。僕はそそくさと「See ya」と言って別れた。「ほんまかいな」「日本人だから金持ってると思ってるんだろうな、それだけだよな」「いや、彼女は僕の感性を感じ取ったんだ、それしかない」「騙されるなって」と、僕の頭の中では天使と悪魔とが闘った。

 さて、東京で言うと多摩センターみたいな感じの街角でちょうど腹がへった僕は、店でハンバーガーとコークをテイクアウトし、強烈な陽射しを避け、木陰で淋しい昼食をとった。
 一人の初老の男性が近づいてきて隣に座った。「日本人か?」と言う。そうだ、旅行で昨日来た、と言うと彼の長い話が始まった。

 私は太平洋戦争のとき、日本軍の捕虜になった。呉に収容されていた。
 (呉って造船所のあったところだよな。そんな重要な地に捕虜収容所があったんだろうか? 第一、日本とオーストラリアって交戦したのかよ?)
 日本語もまだ少しだけ覚えている。「おはよございます」「すいません」「ありがとございます」「わたしはXXXです」グビッ。
 僕は、聞いた。「あなたは日本でつらい経験をしたのか?」
 全然、みんな紳士だった、グビッ。殴られたことは一度もない。みんなと遊んだ。
 (嘘だろ。そんな兵隊がいるってか)
 あっ、待ってくれ、歌を教えてもらったんだ。歌ってみる、グビッ。待ってくれ。こんな…。
 彼は歌いだした。

「アーオイメーオーシータオニンギョハ。アメリカウマレノセールロイド…」

 僕は呆気に取られて彼の歌を聴いた。じっと彼の目を見て聴いた。
 彼は1クールを歌いきった。少しおかしな箇所もあったが、その場所その時刻では完璧だった。僕は彫像のように固まった。
 しばしの静寂。何の音も聞こえない。
 「アイ カーント ビリーブ イット」と彼。最後まで歌えるなんて、こんな時間が経っているのに、そうだろ?と。 彼の目尻に涙が浮かんでいた。そしてグビッ。
 実は、僕の目にもちょっとだけ涙が浮いていた。だってこの「外人」のじじいが、よりによってこの陽音階と韻音階の交雑した、純日本的なそれでいてエキゾチックなこんな歌を歌うか? 僕は照れ隠しにコークをグビッ。
 彼は僕の肩をパンパンと叩いて立ち上がる。See ya, Have a Nice Tripと。フラフラ。そう、彼は始終小瓶のビールを飲み続けていた。アル中らしい。臭くて堪らなかった。
 僕はほとんど動けなかった。でも、何か言わなくては、とは感じていた。「ヘイ、マーン」  何て言おう。…。
 "Thanks..."
 彼は確かに手を振った。「いいんだ」と言っているように。さっきは気づかなかったが、その横顔には火傷の痕があった。僕はハンバーガーをまだ半分も喰っていない。
 
 その夜僕は、豪州美人のいる店には行かなかった。