雅歌第5章第2節から第8節


眠りの間も、私の心は目覚めています。
戸口を叩く音。私の愛する方がこう言っています。
開けておくれ、わが妹よ。私の愛するもの、わが鳩、わが清らかなものよ。
私の顔は露に濡れ、髪の毛も夜の滴で濡れている。

私はもう上着を脱いでおりました。
どうしてまた着られましょう。
足ももう洗っておりました。
どうしてまた汚せましょう。
私の愛する方は、扉の穴から手を差し入れました。
私の未練はあの方に揺るがせられました。

私は起き上がり、愛する方を迎えようと扉を開けました。
没薬滴る私の手は、没薬の甘い香りのする私の指は
かんぬきの取っ手に掛かりました。

私は愛する方のために扉を開けました。
しかし私の愛する方はすでに去っていました。
あの方の話している間、私の魂は踏み出すことができなかったのです。
私はあの方を探し求めました。
しかしあの方は見つかりませんでした。
私はあの方の名を呼びました。
しかしあの方は応えませんでした。

町を回る見張りたちが私を見つけました。
彼らは私を打ちすえ、私を傷つけました。
城壁を守る者たちは私の被り物を剥ぎ取りました。

ああ、イェルサレムの娘たちよ、私はあなたたちに託しましょう。
もし私の愛する方を見つけたなら、こう伝えて下さい。
私は愛に病んでいる、と。
訳 : 奥利泰夫
■■ 訳者注 ■■
欽定英訳からの再訳ですので、一般の日本語訳とは相違があります。私の持っている日本聖書刊行会の新改訳版とは少なくとも4個所、明らかに意味の違う文章があります。どっちかが語訳だと思われます。
ひとつめはかんぬきの取っ手に掛かったものが「没薬」となっていること。
ふたつめは、扉を開けたときにまだ「あの方」がいて、それから去っていくこと。
みっつめ。「私の魂は踏み出すことができなかった」が「私は気を失った」となっていること。
よっつめは、最後から2行目に欽定訳には存在しないフレーズ「あの方に何と言ってくださるでしょう」が入っていること。
その他にもうひとつ気づいたことがあります。それは、
もっとエロティックに訳そうと思えば訳せる、ということでした。意識的なものかどうか解りませんが、比喩や言い回しに、かなり身体的な単語が使われているからです。