死んでいったレポーターのために死んでしまった者のためになることなど、あるはずもない。彼女はそれを「報道」と信じた。 フジテレビのニュースがバラエティーであることも知らずに。 彼女は報道に命を捧げると告白した。 しかし報道の神は少年の真白き肢体しか好まなかった。 彼女の行為は無。 タイタニックの渦にのみ込まれながら、 彼女はライブで状況を説明しようとした。 溺れながら、皮膚を裂きながら、骨を折りながら。 「…鼻と言わず口と言わず耳からも、容赦なく海水が」 「現場の海域では海水温が華氏40度前後」 彼女を突き動かす衝動は何だろう? 「こちらにいらっしゃるのは科学者のケルヴィン卿です」 「私も次第に、喋ることさえ…」 恋するものの報道は他人には無用だ。 「私の左手が彼の右手に徐々に近づきます」 「言葉にこそ表わしませんが、彼は確かに私のことを…」 地方局のワイドショーで主婦20人がそれを見た 「離さないで、私が逃げてしまわないように」 「私の身体の奥まで彼がいっぱいに広がっております」 「もはや、この状況を皆さんにお伝え、うっ、うっ」 視聴者はチャンネルを変え、レポーターの死の瞬間は、 誰にも見られることはなかった。 レポーターよ、あなたはヒロインになれたのか? あなたの甘い繰り言は、「心が痒い」というくだらなさ。 レポートよりあなたの盗撮ビデオが価値があるらしい。 彼女は報道の神どころか、ワイドショーの神にも見放された。 ましてやミューズが降りることは、一度もなかった。 死んでしまったレポーターに言えることがあるとすれば、 「無用の言葉の連なりが、天に召されますように」 |