魔法のさん
magical monkey

 1995年8月6日、日曜日、横浜市郊外の観音寺の駐車場。僕と僕のパートナーは外のフライパンのような暑さと対峙する気にはなれず、エアコンをつけっ放しにした車内のシートに座ったままだった。隣の車には右に同じという感じのH氏。5分後にはA氏もタクシーで到着。約束の時間になったので僕等は門をくぐる。社長とK氏がまだ来ていないが、とりあえず人のいる方向へ向かう。八割方がもう着いているようだ。しかし猿さんがまだ来ていない。自分のことなのにしょうがないな、と内心思う。主役だから少々遅れてもいいと考えているのか。「ワリいね」とニヤニヤしながら姿を現すことはもう分かってるよ。3人とも性格を見抜いていたからね、お互い。

 猿さんと僕のパートナーと僕は、TACという国家試験受験指導校の同じ部署で、言わば三本柱となって仕事をしていた。周囲からは「よくこの3人で成立しているな」と不思議がられた。それは3人がみな天秤座のO型である、ということに置き換えられる。占いで言うところの「優柔不断かつ大雑把」であり、ビジネスにもっとも不向きの性格なのである。しかしひっくり返せば「公明正大でおおらか」となり、その点が評価されたのが当時の3人組である、と僕は勝手に信じる。
 とにかく猿さんは僕とは9年、パートナーとも7年つき合ってきた。僕は猿さんに迷惑を掛けた。そして猿さんの我儘を聞いた。心底謝ったこともあるし、こんな原稿は許されないと、偉そうに突っ返したこともある(僕より10歳も年上だったんだね)。つまり、言いたいのは、ほとんど本音をさらけ出して仕事のやり取りをしたのは、猿さん、あなたぐらいだったなってこと…。そんなふうにお互いを見抜いていたからこそ、今日もどんなふうにやって来るか、大方見当がついているんだよ。

 さて、主役はまだだけれど時間が時間。みんなはゾロゾロと本堂へ。真夏である。日向は35度を超え、このほの暗い室内でさえ30度を超えているだろう。どうしてもこの喪服というものは必要なのだろうかと、慣習の是非を自問しながら着席する。背中に汗が流れ出す頃、読経と焼香が始まる。僕はキョロキョロと辺りを見回す。パートナーに小声で尋ねる。「ねえ、猿さん何処にいると思う」「わかんない」。絶対にもう来てるはず、何処だ?
 やっぱりいたよ。あんなところに堂々といられた日には見逃すよ。やられたなァ。猿さんは「シメシメ」という具合に大きな木魚の上に腰掛けている。胡座をかいているところから見て、もう痛みはすっかりないらしい。それにしても堂々と座っている。派手なTシャツと短パン姿。あっ、あれはまずいな。ビーチサンダルだもの。まずいな。お坊さんに見つかったら大変だよ。地獄落とされるよ。僕は猿さんの居場所をパートナーに伝える。彼女もその姿を一目見て舌打ちをする。目でしきりに合図を送るが猿さんはウインクを返してくるばかり。どうにも困ってしまう。
 他にも4、5人、猿さんに気づいてなんとか下りろ下りろと目配せや咳払いをする。けれど厳粛な場所で他人をおおっぴらに非難(?)するのもはばかられ、みんなは半ば諦めの気分。喪服の僕等は暑さと焦りでジワジワと汗をかく。Tシャツにサンダルの猿さんは木魚の上で涼しい顔。やられたよ、猿さん。
 このあと猿さんは、僕等が勝手に動き回れないのをいいことに、"コヨリ"を作ってイタズラをする。鼻の穴をくすぐるのだ。我慢し切れなかった旧友の方と僕が、大きなクシャミをする。その方は膝をピシャリと叩かれ、僕は肩を小突かれる。二人とも心の中で叫ぶ、「僕のせいじゃない!」まいったな、猿さん。もう勘弁してよ。

 埋骨に向かう。このお寺の墓地である。山の上までテクテク登る。猿さん、仲人をやってもらって本当に良かったよ。紀代子さんにお話をしてもらったことも良かった。二人に一緒に座ってもらったから、全然緊張しなかったよ。楽しかったね。できればもう1回やりたいね、猿さん。へへへ。
 「本当に眺めの良いところですね。こんなに景色に恵まれた場所なら、彼も退屈しないでしょうねえ。」と誰かが喋っている。あまい。猿さんはこんな石の下には3秒もいられない性分だ。
 ホラ、もうヨソの家の墓石に腰掛けて、次のイタズラをしようとしている。
 「もう、猿さん! そこは…」

 ま、いいか。


1948.09.27 猿渡千秋、愛知県に生まれる。
1993.12.05 クリとキーの仲人をつとめる。
1995.06.22 癌のため永眠。安らかに逝く。
お葬式には、600人以上もの人々が参列した。
まるっきり芸能人並だったよね、ね、猿さん。

※ 以上は彼の追悼集『Ete』収載の拙文です。