子豚はブーブー/あるいは詩の定義


作文と詩の違いは何でしょう。
厳密な定義は私には無理なので、文例で説明することにいたしましょう。

「彼女に会えなくて
 僕はさみしい、ブーブー」
これは作文です。「ブーブー」と言われても詩ではありません。
しかし万が一、作者が豚ならば、
少し詩かもしれません、ディズニー的に。
「彼女に会えなくて
 僕はくっきりとさみしいニャーッ」
ちょっと詩です。「ニャーッ」のところではありません。
「くっきりとさみしい」の部分です。
いつもは別行動の「くっきり」と「さみしい」が出会って、
挨拶するところから新しい関係が生まれるのです。
「僕」がポツンと独りでいるシルエットが
あなたの心を過るかも知れません。そうしたら成功です。
しかしこれでさえまだ「優れた詩」からはほど遠いのです。
万が一、作者が猫ならば、
なかなかの詩かもしれません。
そしてもしこれが鼠のジェリーであるならば、
「トムに甘えたい気持ち」も含んでいて秀逸です。
「彼女に言えなかった言葉がある
 今になってはっきり分かった」
もう読むのさえイヤです。「好きだ」か「愛している」だもん。
そんな下らんことウダウダ書くなっちゅうの!
「彼女と100万光年離れてしまった淋しさは
 僕の心をバタフライ・ナイフのように抉った」
読んだ途端に忘れます。
「I Miss You」を距離で表現する手法、
「〜のように」さえ使えば詩になると信じている幼稚さ、
おまけに中途半端に古い「バタフライ・ナイフ」。
世間の半数が蕁麻疹と寝違いで苦しむほどの稚拙な詩です。
では「優れた詩」とはどんなものなのでしょう。
それは次の私の詩のようなものを言うのです。
「カラスが彼女に 会えなくば
 五月雨さみしい 勝手にカァー」
どこが、と言うのですか?
内容はともかく、頭韻と脚韻が合計4箇所も踏まれているところです。
そして何よりも作者の私がカラスだからです、クワッ。

数学者ではない方のローレンツ博士に捧ぐ