ボルガ遡航記 (1995)


 

(31) コロメンスコエ

 

 こちらの気が焦っているというのに電車のほうは時刻表では通過することになって

いる駅にまで次々停車して、レニングラード駅に着いたのは17時15分過ぎでした。も

う直接ツヴェトノイ・ブルヴァルへ行こうかとも言ってみたのですが、中田さんも森

田さんもやはり約束通りホテルへ一度は戻ってという意見。しかし、17時の約束にな

っているのに18時近くではさすがの金田先生も待ち切れませんね。ホテルのロビーは

もちろん24階まで上がってみても、姿が見えません。こういう時に限ってエレベータ

ーの調子も悪く、ボタンを押しても行き先階のランプがすぐに消えてドアが開くとい

うのを繰り返して動く気配がありません。何かよってたかって意地悪されている感じ

です。

 

 飯田さんと大田君はさきにコロメンスコエに行って、そちらで待ち合わせることに

して、私は中田さんと森田さんをツヴェトノイ・ブルヴァルにあるサーカスの旧館ま

でおくることにしました。サーカスの建物の前にはインツーリストのバスも止まって

いて、かなりの混雑ぶりでしたけど、金田さんが目立つところに立って待っていてく

れたおかげで無事に2人を渡すことができました。ホテル前で17時半まで待ってくれ

ていたそうです。ごめんなさい。

 

 そのあと、地下鉄駅でコロメンスカヤまで行くと改札を出たところで大田君と飯田

さんが待っていてくれました。コロメンスコエは初めてではありませんが、考えてみ

るとこれまで来たのはいつも冬でした。下が雪ではなくて緑の芝生で、こんな時間に

これほど明るいのは初めてです。時間が遅いせいでしょう、園内に観光客の姿はなく、

ロシアの人達が何組も散策や休息を楽しんでいる程度です。刈ったばかりの草地の中

の切り株に腰掛けて夕食にします。大田君と飯田さんの2人がイズマイロボの地下鉄

駅の前の露店でいろいろ食べ物を仕入れてくれていて、それをご馳走になりました。

胡瓜の塩漬けがとても美味しかったし、その上ゆで玉子まで。

 陽が西に傾くと、石造りの教会や川向こうに見える何でもないアパート群が夕陽に

映えて赤みがかった黄金色に染まっていきます。そんな園内をゆっくり歩いたり、誰

かは川岸の斜面を降りて木になり始めている小さな林檎の実を取りに行ったり、教会

の前のベンチに腰を降ろして休んだり..。隣のベンチには高校生風の女の子の一団が

いて何やら話していますが、それはもう日本の女子高校生と少しもかわらない明るい

雰囲気です。その仲間らしい1人は馬に乗って園内を走り回っていました。

 

 21時ごろコロメンスコエを出てホテルに戻りました。帰りがけに、地下鉄駅を出た

ところで大田君が瓶入りのクワスを売っているのを見つけました。こんな時間に物が

買えるというのもかつては考えられなかったことですけど、瓶詰めのクワスというの

も初めてです。330ml入りで3,000R。値段を聞くと「3」という返事なので300R出した

ら売り手のお兄さん、変な顔をしてました。ちょうどのお札がなくて今度は5万R札

を出すと一つむこうのお店にまで行って両替をしてお釣りをくれます。瓶のラベルを

見るとソ連時代のものでしたから、昔から瓶詰めのクワスもあったのですね。「価格

15K」と印刷してありました。

 

 サーカスから金田先生達が帰るのを待って、私達の部屋でささやかな「反省会」を

開きました。今夜がロシアの地での最後の夜ですから。

 さきほど買ったクワスで乾杯したあと、1人一言ずつ旅の感想を言い合いました。

金田さんをはじめみんなが口々にほんとうにいい旅だったと言っていましたが、とり

わけ森田さんなどロシアの旅は今回が初めてという人達がよい印象を持ってくれたの

がことのほか私には嬉しかった。もっとも彼女は旅のはじまりの頃には「どうなるこ

とか」と思ったそうですが。そして、やはりロシアが初めての桜田君が、彼らしい穏

やかな口調ながら、モスクワなどの大都会よりもシベリアやボルガ河畔の田舎のほう

がよかったと言ったときにはそこにいたみんなが共感の相づちを打ったものでした。

 

 

 

 

(32) トレチャコフ画廊

 

 8月17日(木)。いよいよ旅も最終日です。6時40分頃起きてシャワーを浴びました。

金田先生も私もどちらかというと夜でなくて朝にシャワーを浴びるほうが多い。今朝

はちゃんと湯が出ました。

 

 一昨日の朝食が出たかわりに今朝はホテルの朝食がありません。でも旅慣れている

金田さんがたくさんの食糧を買っていて、それをご馳走してくださったので、かえっ

て豪華な朝食でした。ゆでたジャガイモ、酢漬けの野菜、ケフィール、フランスパン、

コーヒー。

 インツーリストの団体旅行ですと旅の最後の日の昼食は「さよならパーティー」と

かで、アラグビとかスラビャンスキー・バザール(こちらは最近行ったことがありま

せん)といったちょっとしたレストランで少し奢った食事になるのが普通です。金田

先生、はじめはこの日の昼食、ダニーロフ修道院のレストランででもどうだろうと考

えられたのですが、私が先日の文学カフェと同じくらいに高いんじゃないんですかと

言ったらたちまち方針変更。トヴェリ通りの端のインツーリスト・ホテルでの10ドル

バイキングということになりました。食べ放題だと知った以上、中田さんのようにこ

の日の朝食を抜いてそれに備えた人もたそうです。

 

 9時にトランクをホテルの一時預かりに運んだあと、大田君,森田さんと一緒にトレ

チャコフ美術館に行きました。もう10年以上も前、この美術館を初めて1人で訪ねた

ときは地下鉄のトレチャコフスカヤを降りてからの行き方がわからず、通りがかりの

人をつかまえてガイドブックの「トレチャコフ美術館」と書いてあるところを指さし

て聞いたら、固有名詞以外は日本語の本ですから「私にはわからない」と立ち去られ

てしまったり、親切なロシア人が美術館まで連れて行ってくれたりしたことを思い出

します。今は地下鉄駅の出口からポイントごとに緑色の矢印の形をした小さな案内板

があって迷わずに行けるようになっています。

 

 美術館そのものも長かった改修が終わって見違えるように一新されています。各室

には一連番号がふってあるので、エルミタージュよりもずっとまわり易いですね。

 朝早かったせいでしょうか、それほど並ばずに入場することができました。外国人

料金30,000R。

 

 順路は古いイコンから始まるのではなく、まずロマノフ朝時代の宮廷画家の肖像画

がいく部屋も続きます。肖像画ではボロヴィコフスキーの2人姉妹の絵が昔から好き

です。

 でも、ロシアの絵は、やはり19世紀の画家達が人々の労働や生活、それに自然を描

いたものが何といってもいちばんという気がします。

 シーシキンの絵には1部屋がまるごと割り当てられていて、そこではしばらくたた

ずんでいました。森などの風景を、人が見逃しそうな細部まで丁寧に、しかも光の微

妙な加減を正確にとらえて描かれた彼の絵はロシア以外ではなかなか見れない画風で

はと思います。ロシアの自然がこういう画家を育てたのではと。

 アイバゾフスキーはもともと不透明な顔料である筈の絵の具を使って巧みに透明な

水を描き出し、いつもながら感心させられます。

 ほかに、画家の名前は忘れてしまいましたが、ドニエプル川の月夜の絵やかわいい

お針子さんを描いた絵も気に入っています。先日のオフの会場だった部屋に複製がか

けてあった「忘れえぬ人」もこのトレチャコフにありました。これは以前レニングラ

ードのロシア美術館で見たような記憶もあり、両者の間ではときどき絵の交換をする

のでしょうか。

 日本の書店で美術全集なんかみてもロシアの絵画というのは少ないというか皆無に

近いのではないでしょうか。ことに画家別に編集されたものの中に見つけるのは至難

です。世界の水準からみるとロシア美術はレベルが低いということなのか私にはわか

りませんが、音楽と同じでロシアのものがもっと日本で紹介されてもいいような気が

します。

 ただ、19世紀末から20世紀にかけてのフランス印象派の影響を受けるようになった

絵画にはあまり心をひかれません。なんだか技巧を競うことに力点が移ってしまった

ようで、それまでのロシア絵画にあった何か訴えかけるようなものが感じられないの

です。

 10月革命以降のロシア・アバンギャルドの作品はこの美術館に展示されているので

しょうか。私は見なかったような気がします。

 イコンは別室で、順路の最後になっています。10世紀のキエフ時代のものから数多

くが揃えられていて、アンドレイ・ルブリョフの「三位一体」もあるのですが、イコ

ンは私には良し悪しがわかりません。

 一巡したあとホールの売店で所蔵作品の代表的なものを載せた画集を見たのですが、

自分が気に入った絵と一般的にこれがいいと言われるものはなかなか一致しないよう

で、結局何も買わずにきました。

 

 11時にホールで3人がおち合う約束になっていました。さきに来た森田さんは昨夕

大田君達と行ったコロメンスコエに行っていませんから、案内しましょうかと言った

のですけれど、やはり10ドルバイキングのほうがいいと。それで、2人をインツーリ

スト・ホテルまでおくることにしたのですが、ただ連れて行ったのではつまらない。

地下鉄は外国人にとっていちばん乗り易い交通機関ですから、これに乗り慣れればロ

シアは初めてのふたりも市内を単独で歩けます。地図を頼りに自分達で行ってごらん、

違っていたらそこで私が言うからと、2人のあとからついて行きました。東京の地下

鉄の日比谷と有楽町みたいに駅名は違うけど実はつながっているというのもモスクワ

にもありますし、そうなると今自分がいるのはそのどちらかとか途中にいくつか「関

所」があります。面白いなと思ったのは、私は乗り換えのときに案内板の中から目的

の駅名をさがすのですが、2人は線名(日比谷線とか有楽町線とか)を捜すのです。

考えてみればあのぎっしり書かれた駅名の中からさがすよりずっと合理的ですね。と

にかくロシア語の読める2人ですから、自力でちゃんとインツーリストに行き着きま

した。

 

 

 

 

(33) ゴーリキー・パーク

 

 インツーリスト・ホテルの前で大田君達2人と別れたあと、環状線の南側にあるゴ

ーリキー公園に行ってみることにしました。正式には「ゴーリキー名称文化と休息の

公園」という長い名まえです。「ゴーリキー・パーク」というアメリカかどこかの映

画があった(私は見たことがない)ぐらいですから有名な公園ですね。地下鉄の駅名

は「文化公園」で映画とは名前の略しかたが違うのが面白い。この駅から遠くないと

ころに大きな本屋さんがあるので、ここまでは何度か来たことがあるのですが、公園

には一度も足を運んだことがありませんでした。

 

 地下鉄駅を出て橋のほうに向かう雑踏の中で見覚えのある2人連れを見つけてしま

いました。飯田さんと桜田君です。こういう移動日には昨日までのような遠出はでき

ませんから、おのずと行き先が限られます。お互い考えることは似たり寄ったりだっ

たわけです。どちらも10ドルバイキングはパスしてるわけですが、2人のほうは市内

のマクドナルドで昼食を済ませてきたとか。

 

 公園の入場料4,000Rを払って入ると、予想していたのとは全然違った光景が目に飛

び込んで来ました。公園にはジェットコースターとか宙返りする巨大なブランコ状の

遊具とかとにかく日本の遊園地にありそうなものが川べりのかなりの場所を占めてい

ていささかがっかりさせられます。これなら、ホテル近くのイズマイロフスキー公園

にでも行ったほうがよかった。

 もっとも2人というか飯田さんはそれが目的で、いえ、自分が乗るのがではなくて、

こういうものに乗ったことがないという桜田君を乗せるのが目的でここまでやって来

た様子。気の進まなそうな桜田君を連れてコースターのほうへ行きました。私もああ

いうものは嫌いですから、桜田君の心中お察しします。

 15時に正門でおちあう約束にして一旦はそこで別れました。そのあたりには例によ

ってハンバーガー屋風のファーストフード店がいくつもあり、そこでハンバーガーと

飲物を注文して昼食にしました。ここのハンバーガーときたらパンの間に挽き肉の塊

をはさんだだけでパセリのかけら一つも入っていない。こういうのは決して“素朴”

とは言いませんね。単に雑なだけです。

 昔からあったロシア式のビュッフェというか軽食のスタンドは、日本の立ち食い蕎

麦屋と違って食べ終わったあとの食器を客自身がカウンターに戻すという習慣があり

ませんでした。皿とかフォークはそのままテーブルに残しておいて、店員が片づける

のです。その習慣がある国に西側のハンバーガー・ショップが進出したわけですから

どうなるかというと、軽い樹脂製の皿がテーブルにそのまま放置され、それが風にと

ばされてフライド・ポテトに使ったケチャップの残りが隣のテーブルの客の服につく

とか..。ま、そんなことがあってもお店がクリーニング代を補償するという習慣もあ

りませんけど。

 

 そうしている間に飯田さん達2人もやってきて、結局その後は3人で一緒に歩きま

した。公園の少し奥のほうへいくと、さきほどのアメリカのなんかを真似していそう

でいてちょっと垢抜けない一角とは違って、喧噪は遠のき、水を出すのは休んでいる

けど大きな噴水池があったり、もっと奥にある木立ちに囲まれた池には鴨や白鳥が泳

いでいて、人々がボートを漕いだりしています。昔ながらの観覧車もまわっていて、

しかもあちらのやかましいほうに人気をさらわれたのか行列もせずに乗ることができ

ます。公園の中ほどのところにある小さめのが6,000R、奥の大きいのが10,000R。 両

方とも乗ってみました。思ったより眺めがよく、大きいほうので高いところまであが

ると遠くにクレムリンの教会や鐘楼の金色の屋根まで見ることができます。

 このあたりになるとハンバーガー屋さんにかわって昔ながらのシャシリク売りがあ

たりになんとも言えないいい匂いを漂わせています。帰りの時間も気になっていはい

たのですが、匂いの誘惑に勝てず注文。12,000Rでした。 ところが、これが地元茅ヶ

崎の焼き鳥屋さんと違って今焼いているのを売ってくれるわけではなく、注文を受け

てから焼き始めるのです。注文してしまってから“通訳”の飯田さんが「何分ぐらい?

」と聞いてくれて「7分」とかいう返事だったのですが、しかし焼き鳥とちがってあ

の塊肉ですから、そうそう短時間では焼き上がりません。まさか日本でPL法が施行

されたからではないでしょうが、シャシリク売りのお兄さん、なんべんも入念に焼き

加減を見てくれてからようやく出してくれる。味は上々でしたけど、なにしろ16時に

ホテル集合ということになっていて2日続きの遅刻はどうしても避けたいところです

から、飲み込むようにして食べました。

 

 こうなると、公園の広さを思い知らされます。出口までの距離のあること。そこか

ら「文化公園」駅ではなく、「オクチャブリスカヤ」のほうが近いとにらんで、ここ

も小走りに。乗り換え駅のエスカレーターも走るようにして、ようやくアブラーツコ

・ポクロフスカヤ線の電車に乗ったら、そこに森田さんと中田さんが乗っていてひと

安心。あちらは10ドルの昼食にすっかり満足して、心身ともにゆったりとしていまし

た。

 

 16時30分にホテルを出てインツーリストのバスで空港へ。市内を抜けるまでは渋滞

が続きました。おかげで空港に着いたときにはSU-575便のチェックインは始まってい

て、というよりももうかなりせかされる状態になっていて、モスクワのホテルでヤミ

のキャビアを買った人達もとがめられることなく通過できました。もっとも、遅かっ

たせいで、席はバラバラ、煙草を吸わない金田先生はじめいく人もが喫煙席にまわさ

れるという不運にも見舞われます。

 

 待合い室でのいくぶんかの待ち時間のあと、我々の乗り込んだ機は定刻より40分ほ

ど遅れてまだじゅうぶんに明るいシェレメーチェボ空港を離陸しました。

 

 

 


 

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