モスクワ850年祭
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1997年秋にモスクワは市創立850年ということで盛大な祝典があった。その年の夏にモスクワを訪れたところ、市内の至るところにそれを祝う横断幕や看板が掲げられいた。写真はボリショイ劇場前の通りの歩道に出されたその種の看板。 (1997年8月撮影)
赤十字の看板
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独立を果たした首都ビリニュスの通りで見かけたリトアニア赤十字社の看板。言葉がまったくわからないので、内容は不明。献血を呼びかけているのか、エイズの警告をしているのか、はたまた....。 (1998年12月撮影)
日本文化への関心
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よく「片思い」と言われるが、日本人の対露感情があまり良くないのに、先方の対日感情はそんなに悪いものではない。さきの大戦の敗戦国で、戦争によってソ連同様の経済の壊滅を経験しながら驚異的な復興を遂げたことへの「畏敬」もあるし、エキゾチックな東洋文化への憧れもあって、日本への関心も少なくない。左の写真はハバロフスク市内の美術館の前に出された折り紙展の看板。「紙」の字が少し怪しいけど、私が話すロシア語のでたらめさに比べればはるかに立派なものだ。右はモスクワ動物園構内で見かけた盆栽展の広告。上方はロシア国旗をベースにしたデザインだということがすぐにわかるけど、下方はもしかして日の丸?? (左1999年3月,右同年12月撮影)
日本文化への関心
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日本の大学生が選択する第二外国語の中でロシア語は選択可能な言語中最も人気がないと言われる。ところがペレストロイカ期の後半、一時的にロシア語の人気がいくぶん高まったことがあった。ちょうどその頃、あちらでも日本語学習への関心が高まり、街頭でこんな貼り紙を見かけることもあった。
貼り紙のしてある柱状の構造物が何かと言うと、電柱ではなく雨樋。ロシアの雨樋はこんなに太い。 (1990年12月撮影・モスクワ市内)
日本観光のお誘い
ユジノ・サハリンスク市内のある建物内部の壁に貼られていたポスター。サハリンと北海道は、ほんとうにお隣どうしだから、ちょうど韓国と日本との間を多くの人が行き来するようにこちらもなったらいいのにと思う。その“お隣”へ誘っている。 (2019年8月撮影)
日本料理店の宣伝
ソ連時代、あちらにある日本料理店と言えば、モスクワのメジュドゥナロードナヤ・ホテルにあるめちゃくちゃ値段の高いお店ぐらいだったが、今や首都などではブームとも言えるくらい日本料理店が増えているのだそうだ。 (左:2003年8月撮影・キエフ市内 右:2005年8月撮影・モスクワ市内)
日本料理店の看板
左と中央の写真は、どちらもサンクト・ペテルブルク市内だが、撮影したのは全然別の場所で、もちろん違うお店。この写真を撮った2011年頃には、日本食ブームというか「スシ・バー」ブームで、モスクワやペテルブルクのような大都市には何十軒の寿司バーがあるかわからないほどだという。私も、「ユーラシア」というチェーン店の一つで寿司を試したけれど、味も値段ももう日本本国のものに見劣りしなかった。
写真は、日本食レストランの看板。店名が「わさび」ぐらいなら許せるけど、「わび(侘)」とか「さび(寂)」とかは店の名としてどうなのかという気もする。もっとも先方にとっては、山葵も侘寂も似たようなものかもしれない。しかし、リガ市内で見かけた右の写真「ヤクザ」という店名は、いくらなんでも行き過ぎだろうに。 (左及び中:2011年12月,右:2014年3月撮影)前のページへ 次のページへ 目次へ戻る