ナホトカ



 この不鮮明な写真は私にとって初めての海外旅行で最初に撮った外国の風景。新潟からの船がナホトカ港に着いた時にそっと船室から撮った港の建物。当時のソ連では、外国人は駅や港やトンネルなどの写真を撮ってはならないと聞かされていたから。  (1979年12月撮影)

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ナホトカ港



 陸側から見たナホトカ港の一部。  (2007年12月撮影)


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鉄道駅 (ナホトカ)



 「チーハオケアンスカヤ」、すなわち「太平洋」という名のナホトカ鉄道駅。ナホトカが面している海は太平洋ではなく日本海なのだが、太平洋への玄関口を求めるロシア人の気持ちが伝わってきそうな名前だ。ソ連時代、我々外国人はウラジオストクに入ることはできなかったから、シベリア鉄道の旅はこの駅が起点だった。上の写真で停車中の列車はハバロフスク行き急行「ヴォストーク」。  (2007年12月撮影)


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姉妹都市の碑 (ナホトカ)


 港の背後の丘にある舞鶴市との姉妹都市の碑。背景は日本海の波をイメージしてデザインされたものだとか。舞鶴と言えば、シベリアに抑留されていた旧日本兵をナホトカから乗せてきた引き揚げ船興安丸が着いた港としてあまりにも有名。






 こちらの写真は、同じく日本海側の姉妹都市・敦賀との友好碑。碑のあるあたりはちょっとした庭園風になっていた。  (2007年12月撮影)

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ウラジオストク



 このウラジオストクは太平洋艦隊の基地があるため、ソ連時代には我々外国人が立ち入ることはできなかった。そのためシベリア鉄道の旅もここからモスクワ行きの直通列車に乗ることはできず、近くのナホトカ港で上陸してそこからハバロフスク行きの急行「ボストーク」に乗り、ハバロフスクでモスクワ行きに乗り換えねばならなかった。1990年代になるとそれまで外国人に閉ざされていたウラジオストクが開放され、シベリア鉄道のモスクワ行き急行列車にも始発から全線乗ることができるようになったし、こうして海上や背後の高台から街を一望することも写真をとることもまったく自由になった。  (1991年8月撮影)

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ウラジオストク港



 ターミナルビル付近から見た港の様子。軍民共用の港になっているようで、客船の着く桟橋のすぐ近くに病院船など軍の艦船が停泊している。左の写真は2001年春、右のは2007年暮れに撮ったものだが、その6年間船がまったく動かなかったのではとさえ思えるくらい船の配置が変わっていなくて驚いた。  (左:2001年3月,右:2007年12月撮影)


 ウラジオストクと言えば、一時期、日本車の陸揚げ地点として全ロシア中にその名を知られていた。写真の船は貨物船ではない。れっきとした客船だが、乗客が乗って来たのかどうか、とにかく最上階までデッキというデッキには日本の中古車がぎっしりと積まれていた。  (左:2001年3月,中・右:2007年12月撮影)

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ウラジオストク港の朝


 払暁の港の風景。泊まっていたホテルの部屋の窓を開けて撮った。  (2007年12月撮影)



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ウラジオストク港ターミナル


 ターミナル・ビルの前が鉄道駅である。  (2007年12月撮影)



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湾内 (ウラジオストク)



 ソ連が崩壊して市への外国人立ち入り制限がなくなったら、今度は港内遊覧船で軍艦のひしめくあたりまで案内してくれるというサービスぶりで、むしろこちらのほうがその変化について行けないという感じであった。左の写真中央の艦船は、その遊覧船から撮った停泊中の空母「ミンスク」。  (1991年8月撮影)


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鉄道駅 (ウラジオストク)



 ウラジオストクは言うまでもなくシベリア鉄道の終点。右の写真はその駅舎。下の写真は、いずれも駅構内で、右下の写真は待合室の天井画。
 ロシアの鉄道駅には改札口というものがないから、入場券を買わずに構内に入って写真を撮るのも自由。乗車券は、各車両の入口に立つ車掌にチェックしてもらうシステムだ。  (上段:2001年3月,中下段それぞれの左及び中:2007年12月、中下段いずれも右:2013年8月撮影)


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ウラジオストク空港



 市の郊外にある国際空港。ターミナルビルは、かなり最近建て替えられ、見るからに現代的になった。   (2013年8月撮影)


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レーニン像 (ウラジオストク)



 駅舎とは通りを隔てた反対側にある広場に立つレーニン像。右手を挙げるこのポーズは、かつてソ連全土に無数にあったレーニン像の典型的なタイプだ。  (2007年12月撮影)


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イリヤ・ムロメッツ像 (ウラジオストク)



 なぜ、イリヤ・ムロメッツ像が、ウジラジオストク市内に設置されているのかは、不明。まさか、彼がウラジオトク出身という訳ではないだろうし....。。  (2013年8月撮影)


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キリルとメフォディの像 (ウラジオストク)



 キリル文字の祖と言われるキリルとメフォディの像。港を見下ろす丘の上にある。これも、なぜウラジオストク市内にあるのか。  (2013年8月撮影)


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ニコライII世凱旋門 (ウラジオストク)



 上の写真は、市の中心部にある比較的新しい建築物。ガイドブックには「凱旋門」とあるが、シベリア鉄道起工式のために当時まだ皇太子だった後のニコライII世がこの町に来たのを記念して建てられた門を今世紀になって再建したものだとか。門の上部に書かれた日付をもし1891年5月11日と読んでいいのなら、それってニコライ皇太子が滋賀県大津で日本人の巡査に切りつけられた日ではないのか。左の写真はスヴェトランスカヤ通りに面したある建物の外壁にあったレリーフで、ニコライがそこに滞在したとあった。  (左上のみ2013年8月、その他は2007年12月撮影)

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海軍博物館 (ウラジオストク)


 写真は、博物館の屋外に置かれた大砲などの陳列物。日露戦争当時に使われたものが多かったように思う。  (2007年12月撮影)



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C-56潜水艦博物館 (ウラジオストク)


 実物の潜水艦をそのまま博物館にしてしまったもの。  (左:2007年12月,中・右:2013年8月撮影)


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日露戦争戦没者慰霊碑 (ウラジオストク)



 スヴェトランスカヤ通りで見かけた比較的新しい記念碑。石材がよく磨かれているので鏡のように通りの建物や車を映している。  (2007年12月撮影)


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ケーブルカー (ウラジオストク)



 市の中心部を俯瞰できる鷲の巣展望台にあがるケーブルカー。観光用だけでなく地元の人たちの日常の足としても使われている。キエフのケーブルカーよりも距離が短いと感じたが実際はどうであろうか。  (2007年12月撮影)


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極東国立大学 (ウラジオストク)



 極東地方の名門大学。「DVGU」と略称される。右上の写真は、大学構内にある与謝野晶子の詩碑。1912年、与謝野晶子がパリにいる鉄幹に会うために、ウラジオストクからシベリア鉄道で旅立つ際に詠んだ詩だとか。左は、やはり大学構内にあった浦潮本願寺跡の記念碑。本願寺がここで20年あまり布教活動をしたというから、駿河台にあるニコライ堂のウラジオストク版か。  (2007年12月撮影)

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聖堂 (ウラジオストク)


 DVGUと道を隔てて向き合っている新しい聖堂。ガイドブックを見ればちゃんと聖堂の名前も書いてあるのだが、なんだか舌を噛みそうな難しい名前だったので、それをここに書くのは省略。  (2007年12月撮影)



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小さな公園 (ウラジオストク)



 ニコライ凱旋門のすぐ上にある小公園。ロシアではおそらく「公園」の範疇にも入らないのではと思われるほど小さなもので、近所のこどもたちが遊ぶための広場と言ったほうがいいかもしれない。でも、遊具のデザインがとてもファンタジック!  (2007年12月撮影)


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