博物館学芸員


 日本では入場券を買って博物館に入ったらあとは一人で自由に見て回ると誰もが思うけれど、あちらではガイドさんについていって説明してもらうのが一般的。このガイドさんというのがたいていひどく熱心で、帰りの時間のことをこちらから言い出さなければ閉館まで館内を連れて歩かれるのではと思うほどだ。写真はペトロザボーツクの郷土史博物館を案内してくれた副館長。館内を歩いた後、館長室に我々を招いてお茶を出してくれて、さらに自身の研究テーマでもある分離派教徒についてのレクチャーを続ける。手前はロシア人通訳。 (1998年8月撮影 )

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自然公園管理人



 カムチャッカ半島ナリチェヴォ自然公園の管理人を務める女性。動物・植物・地質のどれにもとても詳しく、広大な公園内を引率してもらった我々は飽きることがなかった。  (2000年8月撮影)



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植物園ガイド



 ソロヴェツキー島には百数十年の伝統をもつ植物園があるが、そこを案内してくれた男性。  (2009年8月撮影)


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調理員



 2000年夏のカムチャッカ旅行では旅程の半分以上が給食施設のない山小屋泊まりだったので、現地受け入れ側の小さな旅行会社からグループ付きの調理員として右の写真のヴェーラさんが同行してくれた。国営ホテルの食堂とは違って毎回毎回が家庭料理のわけだから、出されるもの出されるものがすべて美味しく、我々はみな大満足だった。  (2000年8月撮影)


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旅行会社社員



 コムソモリスク・ナ・アムーレの小さな旅行会社の社員。これでほぼ社員全員なのでどんなに小さな会社かがわかる。かつてソ連時代にはソ連国内の手配はインツーリスト(国家外国旅行者委員会)という組織が一手に引き受けていて、まあ典型的なお役所仕事をしていたが、ロシアになってからはこういうごく小規模なものも含めて無数の旅行会社ができている。玉石混淆ではあるが、良い会社にあたるとこれまでには考えられないようなサービスもあり得るので、ロシア旅行の手配を依頼するときは現地のそういう会社を積極的に発掘するような代理店がお奨めだ。  (2001年3月撮影)



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ペンション・オーナー



 セヴェロバイカリスクで宿泊したペンションのオーナーと従業員。これもインツーリスト系のではない宿泊施設で、運営母体もごく小さな会社組織であったが、宿舎は贅沢さはないものの、非常に快適で、ことに手のかかった毎回の食事がすばらしかった。写真はバイカル湖畔でのシャシリクの昼食に連れていってもらった時に撮った記念写真。  (2001年3月撮影)


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音楽家



 イルクーツク・フィルハーモニーのチェロ奏者ワレンチン・チーホノフ氏のお宅での記念写真。夫人はピアニスト。後列左側の2人の女性は同家とおつき合いのある声楽家で、この日ロシア・ロマンスを何曲か歌ってくださった。  (1991年8月撮影)




 娘のアーニャさんも地元の音楽学校に通っていてピアノが上手い。母娘で連弾をしてくださった。


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兵士



 旧ソ連では町を歩くとむやみに制服姿が多く、はじめの頃私はどれが警官でどれが兵士かわからなかった。外出許可が出て町へ出てきたところなのか、ちょっとくだけた雰囲気のソ連兵たち。   (1990年8月撮影・トヴェリ)

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警察官


 ブレスト要塞を散歩していたときに“旅券等不携帯”の容疑で民警の警官に捕まり、要塞内の詰め所に連行されて調べられるということがあった。「不携帯」と言われても旅券などは登録のためにホテルに預けてあったのだから仕方ない。事情を説明してようやく“無罪放免”になった時に、鞄からカメラを出して「記念に..」と言いかけたらすぐさま「写真?」と聞き返して応じてくれた。日本のお巡りさんなら絶対被写体になんかなってくれないだろうに、この人達ときたらまったく気がいいんだから....。   (2000年12月撮影)

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小荷物係


 ハバロフスク駅の小荷物係員3人。そのうちの一人の娘さんが母親の職場を訪ねた時の写真。窓口で待っている客も巻き込んで話しがはずみ、それはもうしばらく続くはずだったのだが、そこへ上司らしき人物が現れて全員そそくさと持ち場に戻るハメになった。  (2001年3月撮影)

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青年



 サマーラからモスクワに向かう寝台列車の2人室で同室だったサマーラ出身の青年。穏やかな物腰の人で、折り鶴を1羽あげたらサマーラ名産のチョコレート菓子をいくつかくれ、途中駅で買ったピクルスだかジャガイモだかをおすそ分けしたらきっとモスクワへのお土産にと持ってきたに違いないそのお菓子を1箱まるごと私にくれてもうすっかり恐縮してしまった。  (1997年8月撮影)

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