歓迎



 私たちがウラジオストクの港に上陸した時、伝統的な「パンと塩」で歓迎してくれた若い女性。 (1991年8月撮影)



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ガイド


 旅行に行くようになって最初に親しくなる現地の人と言えばやはりガイドさんであろう。左の写真はウラジーミルのインツーリストに所属していた人。ヨーロッパからの観光客の子どもを抱いているところ。  (1987年12月撮影・スズダリ)



 アストラハンの町を徒歩で案内してくれたガイドさん。本職は英語の教師だそうだ。市内観光のプログラムが終わって解散した時に、詩人フレブニコフの家は遠いのかと尋ねたら、わざわざ連れていってくれて館内も案内してくれた。船がアストラハンの港を離れる時の別れ。 (1997年8月撮影・アストラハン)

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ガイド


 エニセイ河クルーズ船の専属ガイド嬢。何ヶ国語も話す才媛。 (1999年8月撮影・トゥルハンスク)



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ガイド


 イルクーツクでお世話になったガイドさん。流暢な日本語を操る。  (2013年8月撮影・アンガラ河畔タリツィ)




 バイカル湖クルーズ船のガイド、ダーシャさん。船客の数が40人ほどで、ちょうど、クラスを上手に束ねる担任の先生のようだった。  (2016年8月撮影・バイカル湖畔トルスティ岬)


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ガイド


 バクー市内で募ったお客をバクー郊外へ案内するツアーのロシア語ガイド。ロシア人の夫妻3組と私の計7人を引率してくれた。朝9時から夕方6時までのツアーだったが、終始力強い話し方で、昼食休憩の時間を除いてしゃべりっぱなし。疲れを知らないという感じだった。  (2019年12月撮影・ゴブスタン)



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通訳



 2006年暮れのウズベキスタン旅行のおりにスルーガイドとして付いてくださったザファールさん。日本語がものすごく堪能なだけでなく、日本の歴史、文化、自然、民俗等々あらゆることに造詣が深く、優れた通訳・ガイドであるためには語学だけでなく深い教養が必要ということを示すお手本のような人だった。見学場所やバスの車内でのお話もガイドブックにあるような通りいっぺんのものではなく、人生や愛や神や世界についての彼自身の考えが滲み出てくる内容で、聞いていてとても勉強になった。しかもそういったなかみを巧みなユーモアとウィットに包んで話す人間味あふれる素晴らしい青年で、こういう若い人たちの活躍するこの国の将来には大きな希望が持てると思った。   (2007年1月撮影)



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通訳




 レナ川クルーズの折り、私達英語グループの通訳だったワレンチーナさん。川岸で、腰に手を当ててちょっとポーズを取っているところ。   (2015年8月撮影)

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運転手



 エクスカーションにはバスを使うことが多く、ちょっと長い旅になるとガイドさんばかりでなく、運転手さんとも仲良しになるのは必然。突然バスを止めたりして何事かと思ったら道ばたで売っていたスイカを買ってきてみんなにわけてくれたりという経験もある。写真はバルト三国をバスで北上した時のリガのドライバー。年輩の方で安心できる運転だった。 (1987年8月撮影・リガ〜タリン間)


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タクシー・ドライバー



 ユジノサハリンスクで乗ったタクシーの運転手さん。彼も親切な人だった。
 日本では、多人数の場合を除いて。客は後部座席に座らされるが、ロシアでは後部は空けたまま助手席に座らされるので、そこから運転手を見るとこういうアングルになる(日本車だったので右ハンドル)。助手席というのは事故があった場合に最も死亡率の高い席だと聞いたことがあるし、しかもロシアの車は雪道でも平気でとばすので、乗っているほうとしては気が気ではない。  (1998年3月撮影・ユジノサハリンスク)


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車掌



 ロシアの鉄道は長距離列車が多い上に、車掌は途中で交代しないし、先方も停車駅以外ではそれほど忙しいわけではない(?)から鉄道旅行でいちばん最初に仲良しになるのは車掌のことが多い。ヒマなものだから人のコンパートメントの入り口(実はこの時は車掌専用の仮眠室をあけてもらっていたのでほんとうは彼の部屋だが)に来ておしゃべりを続ける車掌。 (1998年8月撮影・北方鉄道)



 長距離の急行列車になると停車駅の間隔も長く、こうしてチェス盤を前にしていくら長考してもほとんど支障がない。 (1991年8月撮影・シベリア鉄道)

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車掌


 ロシアの長距離列車はほとんどが寝台車で、各車両に2人ずつの車掌が始発駅から終着駅まで通しで乗務する。写真はクラスノヤルスク鉄道局所属の車掌で、私が乗った車両をこの2人が担当していた。2人とも仕事の合間にはよく私のコンパートメントへおしゃべりをしにやってきた。男性はクラスノヤルスクの人ではなくグルジア人で、もう長いこと故郷に帰っていないと言っていた。  (2001年3月撮影・バム鉄道)


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ウェイトレス



 列車以上に長旅になるのは船旅。シベリア鉄道全線の旅と同じかそれ以上の長さになる。そうなればクルーの中の身近な人たちとは誰もが親しくなる。写真は船内のレストランのウェイトレス。下船の前夜、いつもの制服を民族衣裳に着替えてのサービス。 (1993年8月撮影・エニセイ川)



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ウェイトレス



 こちらも下船前夜キャプテン・ディナーの時の写真で、やはりちょっとあらたまった服装をしているが、民族衣裳ではない。  (2018年9月撮影・オカ川)



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ウェイトレス



 カザン市内のレストランに寄って昼食を取った時に我々のテーブルを担当してくださったウェイトレスのかた。ちょっとタタール風にも見える制服を身につけていた。  (2019年3月撮影)



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ウェイトレス



 この写真のどこがウェイトレスかと言われそうだが、船旅の間ずっと私達のテーブル担当だったスヴェトラーナさん。レストランでお皿を運ぶだけではなくて、船内での催し物の時にはこうやって歌手や踊り手に変身もしなければならないから、船舶勤務も楽な仕事ではない。 (2003年8月撮影・ドニエプル川)



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