モニュメント (ボルゴグラード)



 第二次大戦中最大の激戦地であったボルゴグラード市のママエフの丘の登り口。  (1997年8月撮影)

  次のページへ  目次へ戻る




モニュメント (ボルゴグラード)



 ボルゴグラード市内のプロムナードで見つけたモニュメント。戦争はイヤだという意志を、静かに、でも、とても強く表現していると思った。 (2014年8月撮影)


  前のページへ
  次のページへ
  目次へ戻る





モニュメント (レニングラード)


 900日に及ぶレニングラード封鎖も第二次大戦で忘れることのできない悲劇の一つである。当時の最前線であたプルコボ地区近くの"勝利の広場"にたつモニュメント。空港から市内に入る時に必ず通る道筋にあるので見覚えのある方も多いだろう。 (1984年8月撮影)


  前のページへ
  次のページへ
  目次へ戻る





モニュメント (レニングラード)



 レニングラード封鎖で亡くなった市民や兵士を埋葬したピスカリョフ墓地の中央に立つ婦人像。そのレプリカが市内の都市彫刻博物館に展示されていた。 (左:1986年12月,右:1985年8月撮影)

前のページへ  次のページへ  目次へ戻る




モニュメント (コーカサス北麓)



 大戦の初期にウクライナを席巻したドイツ軍はバクー油田の石油を手に入れるべくコーカサス方面にも侵攻したが、その野望は実現しなかった。当時独ソ両軍が接触したあたりと思われる山麓の道路脇にあまり手入れをされていない記念碑が残されていた。  (1989年8月撮影)

  前のページへ
  次のページへ
  目次へ戻る





モニュメント (サラトフ)



 占領されなかった地域でも戦争の傷跡は大きかった。ボルガ流域サラトフ市の丘の上に立つ戦没者慰霊碑。飛んで行く鶴をデザインした碑の手前の銘板にはサラトフ州から出征した兵士のうち17万人以上が帰らなかったとある。  (1997年8月撮影)

  前のページへ
  次のページへ
  目次へ戻る