テレビ塔下の慰霊碑群 (ビリニュス)


 市西部のテレビ塔付近は1991年1月の「血の日曜日」に最も多くの犠牲者を出したところと言われる。その塔の立つ小さな丘の麓にこうしたほとんど手作りとも思える慰霊碑群が並んでいる。 (1998年12月撮影)

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アンタカルニス墓地 (ビリニュス)


 「血の日曜日」事件をはじめリトアニア独立運動の中で犠牲となった人々の墓がならぶ市東部のアンタカルニス墓地。市民の捧げる花が絶えない。 (1998年12月撮影)

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ソ連兵の像 (ビリニュス)


 市内を流れるネリス川にかかる橋のたもとに立つソ連兵士の像。おそらくナチス・ドイツからの解放を記念してのものであったのだろうが、独立後のリトアニアには何となく違和感がある。像の足下のプレートだけが新しいので、もしかすると「占領者」なんていうのに書き換えられているのかもしれない。 (1998年12月撮影)

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自動車道路 (ビリニュス)


 ソ連時代の悪口ばかり言っていたリトアニア人女性ガイドが「ソ連時代にも良いこともあった」と言って挙げたのが道路整備だった。左の写真を見ると首都高速のような気がしないでもない。右の写真は市の中心からやや離れた住宅地域を貫く自動車道路。 (1998年12月撮影)

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