1983年の夏にシベリアを旅行したとき、イルクーツク郊外のタイガの中で、当時11歳のごく小柄な少年が私に遠慮がちに近づいて小さなプレゼントをくれた。「何?」って聞いたら「コンフィアティ(キャンデー)」という返事がはにかみがちに戻ってきた。これがアントン少年との最初の出会いであった。その後イルクーツクを訪れる度に必ず彼の家を訪ねて家族ぐるみのお付き合いが始まって今に至っている。その彼はイルクーツク総合大学在学中に結婚し、まもなく二人の間に男の子が生まれた。それがこの写真のニキータである。 (1994年8月撮影)
世界中のどこの子もそうであるように、日毎に世界が広がっていくこの年頃では見えるもの聞こえるもの何だって興味津々。
父アントン青年の母親、本人から見たらおばあちゃんにあたるナターリヤ・ニコラエブナに抱いてもらうニキータ。
お母さんと一緒のニキータ。
一緒にいるのが父親のアントン。せっかくカメラを向けたのにこちらを向いてくれたのが犬だけだなんてあんまりでは..。
サーカスの建物の前にある広場が市民の憩いの場になっていて、そこで見かけた女の子。 (2011年8月撮影)
両親が日本の大学へ客員として招かれているために年間のほとんどを両親と離ればなれに暮らしているペテルブルクの少女。明るい笑顔はそんな寂しさを外には感じさせない。 (1997年12月撮影)
エルミタージュの館内で模写にはげむ2人連れ。 (2005年3月撮影)
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市内にある私立バレエ学校でレッスン中の子ども達。右下は、見学者に「ババ・ヤガー」をソロで演じてみせているところ。 (2005年3月撮影)
バレエ学校入り口のソファにすわっていた4人組。この学校の生徒達なのか、それとも受験しようかどうか考えていて学校見学に来た子たちなのか。 (2005年3月撮影)
バツーミはグルジアの黒海側のしかも南のほうにある港町。旧ソ連にしては珍しく南国の雰囲気の漂うエキゾチックな町で、北国ロシアの人々にはあこがれの地の一つであったかもしれない。その海岸通りを散歩していたら、乳母車を押している小さな女の子に出会った。長い筒の望遠レンズを向けたためにちょっと怪訝そうな顔をしている。 (1989年8月撮影)
イルカはバツーミのシンボル。ショーを終わったイルカのまわりに集まる子ども達。 (1989年8月撮影)
カルバジノ・バルカル自治共和国の首都ナリチク。自宅近くの原っぱで家禽の番をしている少年。 (1984年8月撮影)
エニセイ河畔の町エニセイスクの河港に近い通りに開かれた定期市で露店の店番をする中学生。日本だとコンビニでアルバイトをするのに相当する?屈託のない明るい表情が印象的だった。 (1993年8月撮影)
エニセイ川の船着き場に船が着く日、おおぜいの大人や子どもが川岸で船を待っていて、船客に自分の手作りの小物とか自分が描いた絵や撮った写真を売る。父親の傍らで店番をしていた少女。 (1999年8月撮影)
エカテリーナ宮殿脇の通りの露店にいた男の子。このあたりで、もし寒い季節に店番をさせたら児童虐待にならないだろうかなどと思ってしまう。 (2005年4月撮影)
エカテリーナ宮殿の庭園にある有名な泉の写真を撮りに行ったのだが、記念撮影をしようとする人たちが列になっていて、人の入らない写真が撮れない。....などと考えている私の目の前でポーズを取っている女の子。ポーズを似せても銅像の女性に似た雰囲気にならないのは何故だろう? (2005年8月撮影)
ペテルブルクからペトロドゥヴォレツへ行く水中翼船に一緒に乗り合わせた女の子。カメラを向けたら笑顔をつくってくれた。 (2005年8月撮影)
アルメニアの首都エレヴァン市内の交差点で信号待ちをしていたときに、私の左隣で同じように信号待ちをしていた母親に連れられていた子がこちらを向いたので.....。
襟巻きや履いている靴も含めて身につけているものがソ連時代よりもずっと垢抜けしているように感じた。 (2004年12月撮影)
初めてアルメニアを訪れたとき、宿泊したホテルの受付にいたアルメニア人の女の子。ホテルのフロントで働いている女の人の娘さん。いいことか悪いことかよくわからないが、当時のソ連の労働規律というのは日本人から見るとかなりいい加減で、共和国第一のホテルのフロントが自分の子どもを職場に連れてきて勤務時間中に一緒にいても、とくに何か問題になるという雰囲気ではなかった。 (1981年3月撮影)
ベラルーシの首都ミンスクのホテルのフロアー係(ジェジュールナヤ)のやはり娘さん。ママのデスクに座って電話番をしているところ。 (2000年12月撮影)
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