元岡遺跡群より出土した木簡について

 福岡市西区に位置する九州大学統合移転予定地の発掘調査によって注目される木簡が出土しました。
 谷部から出土しましたが、およそ1m四方に分散していました。検討の結果、すべて接合してひとつの木簡であることが判明しました。当初から意図的に割って廃棄されたと考えられます。
 木簡は完全ではなく、右側およそ三分の二が残っています。長さ45cm、幅8.5cm以上、厚さ約0.5cmです。墨書は片面に四行(本来は六行か)記載されていて、比較的明瞭に読むことができます。
 木簡は水田跡の下部に、削平を受けずに残されていた製鉄関連遺物を含む包含眉の最下部から出土しました。推定される年代は7世紀末から8世紀前半です。
 記載内容からみて「祓(解除)」の儀式に用いる「祓具」のリストです。奈良時代の遺構は製鉄遺構しかないことから、これに伴うと考えられます。また、内容と出土状態からみて、製鉄工房造営にあたって行われた「祓」に用いたものとみられます。奈良時代の地方における公的儀礼の執行に関する貴重な資料と言えるでしょう。

「元岡遺跡群第12・15次調査の成果について」
(福岡市教育委員会遺跡説明会資料より)
参考 12月23日西日本新聞はじめ各新聞にて発表される

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木簡解釈および読み下し案


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