平成10年度指定

民俗文化財・無形民俗文化財
城の原の盆踊り

福岡市西区上山門二丁目 城ノ原・小松原盆行事保存会


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 城の原の盆行事は盆踊り、盆押し、盆綱引きの一連の行事からなる。これらの行事は従来青年団を中心として運営されてきたものであったが、近年の青年層の減少化傾向に伴い、運営に困難さが増すとともに行事そのものの存続も危惧された。
 このため、伝統行事が消えることを憂えた有志六十数名相集って協議を重ね、平成9年5月、保存会を発足させ、地域の歴史、文化を次代に継承させる活動が意欲的に進められることとなった。
 盆踊りは、笛・三味線・太鼓の囃子と音頭取りの口説きに合わせて、団扇を持った思い思いの衣裳の老若男女の踊り子が右回りに輪踊りする。音頭には江戸時代に流行した「鈴木主水」・「山崎三左」の口説きを伝え、一曲に小一時間を要する。昔は、「石童丸」も歌ったという。踊りには両手と両足をそろえて動かして踏ん張る(「なんば」を踏む)所作に特色があり、古い様態を伝えているものと考えられる。


 城の原の盆踊りの伝来・伝承について詳細を知ることはできない。
 その口説きに関しては、「鈴本主水」は、嘉永(1848〜53)期に大流行した口説きの代表曲として、明治時代までも、瞽女はきまって「鈴木主水という侍は」と唄っていたこと(『演劇百科大事典』)、「山崎三左」については盲僧琵琶で知られる高宮成就院(福岡市)の取次であった壱岐の盲僧(しのんぼ〔師の坊〕)が歌っていたこと(折口信夫、平井武夫)、「石童(堂)丸」についても同様であったこと(折口信夫、平井武夫、並びに『日本庶民生活史料集成』17)が知られる。
 「瞽者」(盲僧・座頭)の芸能活動については、貝原益軒が「米一丸」の物語につき、「今に市井の口碑に残り、瞽者(マヽ)数段のうたひ物とし、且其刀相伝へて今に博多にあり。」と記していることをはじめ、福岡藩内の活動が明らかにされている(永井彰子『福岡県史 文化史料編 盲僧・座頭』)。
 古来、北部九州(福岡、佐賀、長崎、熊本、山口、島根)の盲僧を統括した博多の妙音寺(移転後、現、南区高宮成就院、昭和39年、玄清法流盲僧琵琶の名称で県の無形文化財指定)を中心とした芸能活動や、近世地誌類が伝える芦屋役者、植木役者、博多聖福寺々内町の役者などの芸能活動が背景に考えられる。


 以前は初盆の家々を廻り、太鼓をつけた引台を中心にして踊っていたものであるが、昭和60年頃から広場に櫓を組んでその回りで踊るようになっている。
 囃子は太鼓(締太鼓2張と銅鑼太鼓2張)・三味線・笛からなり、テープレコーダーで代用しがちな他地域の囃子に比較して力強く律動的であり、また三味線を使うのも一つの特色である。
 音頭取りは、一定の旋律を繰り返して歌いあげる長篇の叙事的歌謡である口説きを歌うが、中でも江戸末期から全国的に流行した「鈴木主水」口説きについては、他地域では最早かすかな記憶として名残をとどめるだけであり、このように実際に歌っている所はない。
 踊り手は、めいめい思い思いの出で立ちで、中には編み笠をかぶったり、仮面を着けて扮装したりする踊り手もまじり、神仏の依り代とも言われる団扇を手に持ち、輪踊りするが、特に「なんば」の足踏みに特色がある。(「なんば」は田下駄の異称で、その足踏みは両足を開き、腰を落とし、膝を少し曲げた姿勢で、右手・右足、左手・左足を一緒に動かす動作)
 太鼓・三味線・笛からなる囃子、古い民謡とも言うべき口説きを継承した音頭取りの存在、「なんば」の動作を大切に保持した踊り手の踊り、で構成される城の原の盆踊りは、本市に伝承された貴重な民俗芸能であるとともに、本市の盆踊りの特色や変遷過程を知るうえでも貴重な価値を有している。