Toddler Penguin's Place >> 今月の言葉 >> 2003
いままでの言葉:2003年
- 12月の言葉:「したがって私が客観的にと言ったのもいわば言葉の綾であって、ひとがよく客観的な話だと言いながら話しているうちにしだいに主観的なものになっていくように、私が話そうとしているこの話もしごく難しいものなのである、と言うのもすべてが主観に、その当時の主観に関するものである、と言うのもすべてが主観に、その当時の主観に関するものであり、私が覚えているそのごく僅かなことが現在の主観同様にすっかり混乱を招くものだからである、そしてそのために私は現在まったく逆になっているものと混乱してしまう不利のある表現を用いたのであるが、それはしかし共通であるところのことを明るみに出すという利点もあるのである。」by Qfwfq氏 from「プリシッラ 1.ミトシス(間接核分裂)」
- 『柔らかい月』 / イタロ・カルヴィーノ ; 脇功訳 (河出書房新社, 2003.9)
- はぁはぁはぁ。現在恋愛をしているQfwfq氏が単細胞生物時代の自分(!)の恋愛(!)を回想している独白なんですが。
- 読んでも理解できないものをつまらないものと決めつけるほど愚かではないつもりだし、ほとんどのハードSF、たとえば原題("Ti con Zero")がよく似ているポール・アンダーソン『タウ・ゼロ』は、ハード部分をまったく理解せずに楽しく読めたのだけれど、これは……。こんなに読むのに時間がかかった短編は初めてかもしれない。句点がないとかそういうんじゃなくて、生物学的現象を主観的に表現しようと言う凄い思考実験であると思うのだけれど……読んでいて楽しくない(^^;;
- いやもう、読み難い読み難いってこれからみんないうであろう『終わらざりし物語』なんてこれにくらべれば可愛い可愛い。
- 11月の言葉:「……科学的発見からの心理的逃避、新しく発案された写真の持つ正確さに対する潜在的嫌悪感、これらの要素の多くをこれほど凝縮している絵画ジャンルは妖精画をおいてほかにない」by ジェレミー・マース&ルパート・マース from 『フェアリー・テイル : 妖精たちの物語』展覧会図録
- アートライフ, c2003
- 珍しく文化の日らしく展覧会のはしごなぞをしまして、その一本目。埼玉県立近代美術館『フェアリー・テイル : 妖精たちの物語』展最終日。けっこうな人ででした。コスプレコーナーがあるところが今風かな。展示内容は井村君江先生監修だけあって充実していました。トマス・メイバンク「妖精の宮廷」、ウォーウィック・ゴーブル「狐の姫、玉藻の前」が個人的ヒット。こういう大甘も好きなんで(^^;
- トールキン御大はこの手の妖精画やちいちゃなかわいい妖精物語が大嫌い。『妖精物語について』で一刀両断していますが、実は同根なんです。
- この後、東京ステーションギャラリー『浮世絵アヴァンギャルドと現代』展。時代的には近いけれど、北斎、広重、芳年、北渓と表現は極北。並べられた奈良美智が気の毒なくらいでした。
- 10月の言葉:「無気力は無気力なりに結構着実に進歩の歩みを続けて行くのが市民の動きです。」by 鈴木棠三 from 『江戸巷談藤岡屋ばなし』続集
- 『江戸巷談藤岡屋ばなし』続集. 筑摩書房, 2003.6. (ちくま学芸文庫) 4-480-08776-1
- 独法化に向けて、資産台帳とか企業会計とか、もうほっといてくれっていうか。
- 巷談であって講談ではありません。けっして読みやすい本ではないのですが、なんか味があり。揉み消しがほめられたとか、心性というのは百年やそこらで変わるものではないようで。
- 『藤岡屋日記』は活字本でも大部なもので、元祖blogerとかいう人もいます。ちょっと前までは抜き書きノートを作ったり、切り抜き帳を作ったりってごく普通のことでしたが。
- 9月の言葉:「私は自分の辿って来た道をふり返ってみて、そこにひとつとして大きな感情の起伏を見出すことが出来ないのに驚く。平坦なのだ。」from 氷川瓏「洞窟」
- 日下三蔵編『氷川瓏集 : 水蓮夫人』 (ちくま文庫 . 怪奇探偵小説名作選 ; 9)(筑摩書房, 2003.8) 4-480-03836-1
- 実家が家を立て直すことになり、それなりの額を分担することになったのですが、ぜんぜん現実味がなくて。まぁ、もう設計図はほとんどできている状態からの参加だったし、こっちの生活が変わるわけじゃなしなので、10年間暮らした部屋がなくなったからといってどうということもないわけで。
- さて、氷川瓏という作家、知りませんでした。ひかわ玲子の叔父さんだそうです。叔父姪合わせて玲瓏、美しいです。内容は肺病、人妻、不倫、廃屋、ワンパターンでありながら幻想味たっぷりでした。
- 8月の言葉:「空想的な本に描かれた死というものが、とても恐ろしく思えるのは、子供の時だけだからである。」by ヘンリー・ライダー・ハガード
- 渋谷章訳「『ソロモン王の洞窟』の真実」「幻想文学」67号(2003年7月)
- 「幻想文学」が終わってしまいました。きっぱり、終刊です。第1号からの連載だった評伝「ハガード!ハガード!」も完結。雑誌の休刊で中に浮いたあれやこれやを思い、やはりいい雑誌だったと(合掌)
- 7月の言葉:「宇宙局だってお役所でしょ。いちいちムダが多いのよ」by Foundation2ステルヴィアの女医さん
- 『宇宙のステルヴィア』「ゆめとげんじつ」(2003/7/3)
- ビデオ消しちゃったので文言は多少違っているかも。
- まあ、最初に目録をとっていた時はそう思ったこともないではないし、いまの書類仕事だって何かの役にはたつのかもしれない。少なくとも旅費のからくり(計算より少なく支給される摩訶不思議)は解けたし。でも、2000円かそこらのために使われる人件費の総額ときたら。
- 6月の言葉:「この世に幸せな英文学教授などいるのだろうか」by ダニエル・グリン
- パトリック・オリアリー ; 中原尚哉訳. 『不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ』 早川書房, 2003.5 (早川文庫SF ; 1444)(p. 461)
- トールキンは幸せな英語学教授だったんだろうか。はたから見ればどうでも、本人には?「蓋棺録」というコーナーが文藝春秋にあるんだけれど、棺桶の蓋を被せた後でもわからないよね。
- あんまり忙しいので暗いです。相対的に、であって客観的にはたいしたことないとわかっていても、やっぱりきついものはきついわけで(^^;
- で、ダニー先生の名言をもう一つ。「楽しめる本だ。研究するような本ではなく。けれどもたぶん、二度読まなくてはいけないだろう。人生とおなじように、一度めはなにがなんだかわからないはずだ。そして一度読んだら人が変わっているだろう」(p. 476)。忙しくても『新版シルマリルの物語』は索引まで読む(^^;;
- 5月の言葉:「捜せ、そうすれば、見いだすであろう。」(「マタイによる福音書」7:7)
- 1954改訳(日本聖書協会, 1976)
-
- 4月の言葉: "One day Alan and I were talking about style and Alan mentioned that the Hobbit dwellings are very 'arts and crafts,' and I said, 'What's that?'" by John Howe
- Gary Russel, The Lord of the Rings : the art of the Fellowship of the Ring, Boston : Houghton Mifflin, 2002. p. 11
- 英語苦手なんですが、好きこそものの、で。
- PJ版LotRのデザインの現場をジョン・ハウが語っているのですが、この瞬間のアラン・リーの表情が見たかったですね(笑)カナダ生まれ、美術教育をフランスで受けてスイス在住のジョン・ハウが「アーツ&クラフツ」*という専門用語を(ものは見たことがあっても)知らないということも考えられなくはないですし、アラン・リーは英国紳士だから露骨な表情はみせなかったと想像しますが。もちろん、これは「あの」ガンダルフを描き、「あの」スミアルを描いた画家だから許される言葉わけで、映画「二つの塔」の1万のオーク軍と『三国志演義』の何十万と比べるような無知は失笑を買うだけです。まったく「白髪三千丈」って言葉も知らないのでしょううか?ローハンの王宮がしょぼい**とかいう連中は。
- ちなみに『トールキンズ・ワールド 中つ国を描く』(岩波書店, 1994)によるとジョン・ハウは「二つの塔」から指輪を読みはじめたそうです。いつも1巻が貸出中だったためだとか。エスター・フリズナーも『『指輪物語』世界を読む』(原書房, 2002)でやはり図書館で「二つの塔」から読んだと書いているし、英語圏でも「旅の仲間」で挫折する人は多いようです。出だしの「パイプ草について」***とかがまず面白いのに。
(*)もちろん手工芸という意味ではなく、(トールキンと同じ北方志向だった)ウィリアム・モリスの理想的中世とその産物のほうでしょう。
(**)ローハンは古代北欧の戦士(馬に乗ったヴァイキング)、王宮での問答は『ベーオウルフ』へのオマージュ。となれば比べるべきはマイケル・クライトン原作とあるけれど実は『ベーオウルフ』である映画『13ウォリアーズ』。あの掘建て小屋に比べたら黄金館といって恥じることはありますまい。ちなみにこれまた北方スコットランドの『マクベス』の理屈にあわないところ(「バーナムの森が…」「女の腹から生まれた男は……」)もローハン関係で解決されています。フォルンの森、イラストボードにはなっていたのになぜ出さなかったのかなぁ>PJ。
(***)実は伏線ですし。しかも、誰が生き残るかだいたいわかってしまうのだけれど、読んでいる間は完全に忘れてしまえる素晴らしさ。
- 3月の言葉: 「この世に出てきたときと同じようにして出ていくんだ。ぎゃあぎゃあわめいて、じたばたあばれて」by 三等技術員デイヴィッド・リスター
- グラント・ネイラー著 ; 安原和見訳 『宇宙船レッド・ドワーフ号』1(河出書房新社, 2003.1)p. 183
- 『二つの塔』、見ました。吹替えと字幕、各1回。『旅の仲間』がPJ監督のおたく魂爆発なら、『二つの塔』はおたく心炸裂でした。魂は良心に従って「すべての指輪フリークの中つ国」を描き、心は欲望のままに「オレ指輪世界」を語ってしまったのだと。しかし、フロドはキリス・ウンゴルにいたらず、トゥックの馬鹿息子はまだ最大の失敗をやらかしていません。『王の帰還』はどうなるんでしょう。今回とは違う意味で心配です。「ホビット庄の掃蕩」なしでも4時間くらいかけないと終わらないぞ。
- さて、中つ国の人間の中で一番のお気に入り(*)のエオメル&エオウィン兄妹がカール・アーバンとミランダ・オットー。ちょっと不細工な感じがしましたが、おいしいとこさらったのでよしとしましょう。何がいいってこの兄妹、今回の角笛城より絶望的なペレンノール野で笑うんです。妹姫にいたっては黒の乗り手の前で!根が単純と言えなくもありませんが(^^;;
それだけに原典のアラゴルンの朴念仁ぶりが悔しくて、きっとフラン・ウォルシュもそう思ったからアルウェンを出しまくって自分を納得させているんだと邪推。
- で、この開き直りというか絶望的状況で笑う精神は英国人独特のものなのでしょうか?記憶で書いてしまいますが古英詩の『モルドンの戦い』には何倍もの敵に囲まれた状況を「われら勇気百倍す」と歌う一節があるそうです。今月の『宇宙船レッド・ドワーフ号』も、その精神的父親の『銀河ヒッチハイク・ガイド』も、人類最後の一人が宇宙をさまよう「喜劇」なわけで、それがヒットしてシリーズ化する国ってのはなかなか一筋縄ではいかないだろうなと。ま、それ以前にだらしなくて意地汚いリスターと同列に並べた段階で、グースヴィネ(**)の露にされることは確実ですが。
(*): ホビットならかしこいメリー、エルフなら天然のレゴラス、ドワーフならバーリン、2足歩行生物以外なら頼みの綱の風早彦グワイヒア。
(**): エオメルの剣の名前。聞きたかった「グースヴィネ!辺境国にはグースヴィネ!」
(2003/03/02追記)このセリフ、シェイクスピア『リア王』からのもじりみたいです。『仮面ライダー555』の感想をfjで読むまで気がつかなかった……。
- 2月の言葉:「初対面でここまで好きになれる相手はめったにない」by 十牛
- バリー・ヒューガート ; 和爾桃子訳 『霊玉伝』(早川書房, 2003.1)p.
- 『二つの塔』予告見たさに『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を見ました。原典では『二つの塔』上が一番好きなもので。特に首狩り合戦と、廃虚のパイプ草のくだり(ああ、なんて野蛮な……)。アラゴルンが扉を開いてるってことはあの素晴らしいWETA造型でプーケル人が見られるのでしょうね(わくわく)。
- え、ハリー?うーん、これで前作より映画になっている、というのなら『賢者の石』というのはどんなものすごい映画だったんだろうと、ある意味、パスしたことを残念に思います。クライマックスで眠くなるんだもん。原作通りと言う点では指輪といっしょなのに。この違いはやっぱりオリジナルの力、それともちろん監督の愛の力(笑)の差でしょう。
- で、『霊玉伝』です。中国幻想第2弾。前作『鳥姫伝』のスケールはないけど面白いです。前作同様、意外な犯人という構図はハリポタといっしょ(*)なんだけど、謎といて終わりじゃないし。皮肉たっぷりでありながら幻想味もあり、出てくる連中もことごとく一筋縄ではいきません。大人が楽しく読むにはこのくらい作りこんでもらわないとね。
(*): 4作とも要約すればWho done it。なのに犯人のキャラクターの掘りさげがない(メインキャラも薄っぺらいけど)のがハリポタの食い足りないところ。絶対に「良質な児童文学」じゃないと思うぞ。
- 1月の言葉:1月の言葉:「しっかりと買い求めるのが幻想文学愛好者の仁義というものであろう」by 石堂藍
- 「戯画をちりばめた迷宮」(M.ピーク『タイタス・グローン』の書評)『季刊幻想文学』12号(1985年9月)
- 中野善夫さんのTOLLE ET LEGE12月の日記で『季刊幻想文学』が後2号と知り、呆然。思わず初めて買った12号(インクリングズ特集)をひっぱり出しました。
思い起こせば20年前、有隣堂横浜ルミネ店の平台で第2号「ケルト幻想」を迷いに迷って買わなかった最初の出合い。初期の頃は店頭で見かけることも少ない上、読者カードなどはおよそ投函しないたち。気づいた時に面白そうな特集だった時だけ買っていたため結局、所有するのは20数冊。決して良い読者ではありませんでしたが、よりどころのような雑誌でした。
- さて、この石堂藍さまの言葉、1円でも安くと新古書店に通う人には理解できない心理でしょうね。世の中には「その程度の本」しかないわけではないのだよ。しかし、この買い支えの理屈(*)がわかるのは、マスに支えられたマイナーである、幻想文学愛好者とアニメおたくだけなのかもしれません。
(*): 正しい書痴の姿を学んだのも、この幻想ブックレビューでした。
倉阪鬼一郎氏「私は講談社版全集を三万五千円で買い、本当はハラワタが煮えくりかえっているのだが、度量が広いところを見せているのである」
太田ゆづる氏(アンソロジーのあまりの内容の重複に)「共に[P.K.]ディックを読んで崩壊しようではないか」。
rh7r-oosw@asahi-net.or.jp