平成21年5月、
市内にあるという観音堂を廻ってみようと思い立った。
参拝の作法も分からないが
なるべく徒歩で 日々の安穏を願いながら
心をこめてお参りしたいと思う。
出あった人や、出来事を思いつくまま記しておきたいと思う。
=まずは準備=
御朱印を頂く納経帳はどこで求めたら?
文具店?仏具屋?ネット?
習字用の紙があったので自分で作ってみることにした。
「和綴じの仕方」のサイトを見つけた。
出来上がり
・・・
次に図書館で三十三観音の資料を探した。
場所、交通機関、寺院、観音堂の歴史など書かれた
吉岡一男著「仙台の三十三観音」という一冊が見つかった。
仙台市の地図と毎朝写し書いている般若心経を持参して観音巡りへ。
=一番札所=
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一番札所の法楽院は廃寺となり、現在、寺院はない。
観音堂だけが車の行きかう交差点の横にあった。
お参りを済ませ、語朱印をいただくために近くの酒屋さんで管理人の
お宅を訊ねたら、わざわざ店の外に出て丁寧に教えてくれた。
観音堂の裏のほうの奥まったお宅に80歳も近いと思われる年配の女性。
印の一つ一つを念入りに押されて
口数が多くもなく少なくもなく真心はきちんと伝わる応対で
全部廻るならば、これをと札所を効率よく廻るためのプリントを渡してくれた。
仙台三十三観音は車で廻ると二日ほどで終わるそうだ。
穏やかな面ざしに接して沈んでいた気持ちがいくらか軽くなったようで
思い切って始めてよかったと思う。
観音めぐりをしている内にもっと元気になれる気がした。
=あじさい寺=
(昨年の紫陽花のころ)
三番札所の資福寺はあじさい寺と親しまれ花の頃には
花をめでる市民で賑わう。
去年私たちも二度訪ねた。
真っ黒にゴルフ焼けした夫が珍しくカメラに収まっている。
(観音堂のないお寺は本堂の画像 一番札所から五番まで)
一番・法楽院観音堂 |
二番観滝庵観音堂・ |
三番・資福寺観音堂 |
四番・永昌寺 |
五番・昌繁寺観音堂 |
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=道を訊ねる=
超のつく方向音痴だから地図を持っていながら迷ってしまい、
通りすがりの人に道を尋ねることがよくある。
皆さん親切に教えてくださる。
腰が曲がって顔が地面につくようなおばあちゃんが歩いていたので
地元の人なら札所も知っているだろうと
聞いてみたら勘は当たって分かりやすく道筋を案内してくれた。
「一人で回っているの」と聞かれて返事をしたら
「えらいね〜」と褒められてしまった。
すなおに嬉しい。
=道端で=
札所からの途中コンビニに立ち寄って飲み物を買った。
店を出たら年配の男性に「バス停は?」と聞かれた。
生憎私にもはじめての土地でお役に立てない、
「レジの人に聞いてみたら」と言ったら
分からないの返事だったらしい。おやおや。
急いでいるわけでもないので通りまで出て
左右を見たがバス停らしいものは見えない。
さらに目を凝らすと右側になにやらバス停らしきものが。
男性は左の方角に帰るのだそうだ。
確かにバス停だったらいいけれど・・・
私の行くのは右の方向。
「私は帰るけど、ここで見ていて、バス停だったら手を振るから」
といって急いで歩き始めた。
よかった!バス停だった。
振り返って大きく手を振ったら、男性があるきだした。
それを確かめて私もそのまま歩みを続けた。
ほどなくバスと行き違ったので長い時間待たずに
バスに乗れたはずとほっとした。
数え切れないほど道を尋ねている私のささやかなご恩返しといえるかなと思った。
(6番から10番まで)
六番・壮厳寺観音堂 |
七番・大願寺観音堂 |
八番・九番満願寺 |
九番満願寺 |
十番・善入寺観音堂 |
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=見上げる空に=
札所で納経帳に印をお願いして待つ間、ふと柱のカレンダーに目がいった。
「見上げる空に垣根なし」
真っ直ぐに心に入ってくる言葉だ。
外に出たら、六月の青空が広がっていた。
垣根のない広い空に垣根だらけの私の心が映っている。
ゴチャゴチャと無意味な垣根を作っては心を狭くしている自分だ。
垣根を取り払えたら心も軽くなるのだろう。
空にはどんなものも受け入れてくれる大きさがある。
=陸橋の上で=
長い陸橋を渡っている時向うから母子が来た。
母親は自転車を引いて4歳ほどの坊やはだいぶ遅れてくる。
立ち止まったり、走って母親に追いついたりしていた。
母親は慣れている様子で急かすでもなく前を歩いて時々後を振り返り坊やを待った。
止まっていた坊やが私の近づくのを待っていたように
「見て!」という。
橋の鉄柵の間にくもの巣があった。
細い間隔で糸が張られた小さくて綺麗なくもの巣だった。
「わー、よく見つけたね〜」
声もとどかないほど離れた母親のほうを振り返ったら
私に丁寧にお辞儀をしているのが見えた。
坊やは母親に向かって駆け出した。
(12番から16番まで)
12番・慈恩寺観音堂 |
13番・金勝寺 |
14番・大林寺観音堂 |
15番・愚鈍寺観音堂 |
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=つもりちがい十ヵ条=
ある札所で頂いたことば。
うんうんと頷き読んでも行いに結びつかないのが凡夫の哀しさ。
=お辞儀=
週日はどこの境内も静まり返って参詣人の姿はない。
御朱印を頂くために呼び鈴を押す時、ちょっと遠慮がある。
御朱印はいくつも捺印があり案外手のかかることだ。
ただ一人の参詣人のためにそれも突然に時間を割かれるのに
ご住職も、何方でも快く応じていただけるのはありがたい。
ある札所でご朱印が終わり、
お坊さんが床に座られて納経帳を両手で返してくださった後
床に手を突いて深いお辞儀をされた。
その所作の清清しさに胸をつかれた。
信心の薄い自分だが敬虔な気持ちになり
ありがたく手を合わせた。
日本のお辞儀はこんなにも美しいものだったのか。
(16番から20番まで)
16番・成覚寺観音堂 |
17番・阿弥陀寺 |
18番・光寿院観音堂 |
19番・皎林寺観音堂 |
20番・円福寺観音堂 |
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=それぞれの人生=
あるお寺でいつものように呼び鈴を押したら
60代と思える女性だった。
朱印を押しながら「すみませんね〜、住職がおられたら文字も入るのですが
私は留守を預かっているものです。印だけになります」
と申し訳なさそうな様子。
誘われて
「いえ、一人暮らしになったのですが
外出が億劫になり、ふと思いついて観音様を廻っているのです」
と言ったら
「それは良い思いつきでした」という。
その方は23年間介護のお姑を看取りその後すぐにご主人が脳溢血で倒れ
辛い日々だった。
ご主人が回復してきたのでお寺でお手伝いさせてもらっている。
ここに来てから考え方が変わって気持ちが楽になった。
観音様をお参りしているうちにきっと力がいただけると思いますよと言われた。
人は笑顔の陰にいろいろな人生を抱えて、それを乗り越える強さを秘めているのだと思った。
(21番から25番まで)
21番・瑞雲寺観音堂 |
22番・保壽寺 |
23番・松音寺観音堂 |
24番・国分尼寺 |
25番・陸奥国分寺観音堂 |
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=歩行数=
仙台三十三観音はおよそ三つのブロックに分かれているから廻りやすい。
市内北部の北山地区、中心部の新寺通り、それと南部の日辺地区。
徒歩で廻りたいが自宅から仙台駅まで20キロ近くもあるので駅まではバスや地下鉄を使い
仙台駅を出発点にしている。
26番から始まる日辺地区は仙台駅からはかなり遠い。
地下鉄で長町まで出ることにした。
いつもどおり道に迷いながら歩いていたら二箇所廻ったところで
歩行数が12000歩になっている。
帰りのことを思って打ち止め、
帰宅してみたら2万歩を超えていた。
=歩いて巡る=
仙台駅から遠い札所でもバスが通っていて
道を尋ねると「バスで行くと〇〇で降りるとすぐです」と答が返ってくる。
歩いて行く道順を尋ねると驚かれる。
郊外の札所を捜しているうちに広い田んぼに出てしまい、
道を尋ねる人も通らない。
暫くしたら中学生が自転車で来た。
悪いと思ったが呼び止めて
地図を広げ「私はこの地図のどこに立っているの」と聞くと
変な顔をしていたが地図をまわして道路に会わせ、
〇〇はこの先の方向ですがまだ遠いのでまた人に訪ねたらいいです。
と、しっかりした答の少年だった。ありがとう。
暫くして田んぼの水周りをしているらしい男性があぜに腰を下ろしていた。
「すみませ〜ん!」厚かましく声を掛けたら
その人は観音堂を知っている人だったので幸運だった。
随分と知らない人の足を止めては道を教えてもらった。
生来 人は他人のために役立ちたいと望んでいるのではと思うくらい
皆さん親切だった。
(26番〜30番まで)
26番・両全院観音堂 |
27番・満蔵寺観音堂 |
28番・円浄寺観音堂 |
29番祐善寺観音堂 |
30番・高福院観音堂 |
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(31番〜33番まで)
31番大善院観音堂 |
32番・常蔵院観音堂 |
33番・大蔵寺観音堂 |
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=無事終了=
5月26日一番札所からお参りをしておよそ一月
6月23日、33番大蔵寺観音堂を参詣して
「仙台三十三観音堂」めぐりを終えることが出来た。
既に廃寺となっているところも多かった。
「仙台の三十三観音」(平成3年発行)に茅葺と紹介されている観音堂も
スレート屋根に改装されていた。
時代の変化の中で観音堂の在り様も変わっていったのだろう。
札所の中には「土井晩翠」の墓所や伊達家にゆかりの寺院も多かった。
お天気次第、気分次第のお参りではあったが
まだ、10キロくらいは歩ける元気がある。
毎日元気とはいかないだろうが、
この健康に感謝して一人暮らしに馴れていきたいと思う。
=33番札所=
第33番札所の大蔵寺観音堂は地名から鹿落観音と呼ばれ
政宗の霊廟、瑞鳳殿の近くに位置する。
ひっそりとした佇まいの古い石段をもぼって行くと
観音堂があった。
「上がってお参りください」と札がある。
靴を脱いでお参りをした。
思いもかけず庵主さんが出てこられお茶をしていますからごいっしょにどうぞと
強く勧められた。
遠慮するのもどうかと思い、それではとお部屋に入ったら
それが、、、、お茶のお稽古をしているところだった。
今更退くわけにも行かず一幅頂戴した。
生徒さんは三人おられたが観音参りがご縁の人たちだそうだ。
随分と遠慮のないことをしてしまったが
最後の締めくくりとしていい場所を与えてもらい嬉しかった。
観音堂を辞して石段を降りると眼下に広瀬川が豊かに流れ
御霊屋橋の向う、明るい光の中に仙台の街が広がっていた。
三十三箇所を廻って多くの親切や暖かさに触れたが
素直に受け止められない言葉にも二度ほど会った。
けれど、廻り終えてみれば、
気持ちのすれ違いは人の世の常、心を痛めたことも些細なことに思える。
観音様のお陰で気持ちが穏やかになったのかもしれない。
おわり