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相模の古代史
2005年9月3日 21:42:39 タックン
ホームの探索の部分ちょっとだけ見ました。
この地は私もだいぶん前から注目していて、古墳時代の遺跡や古墳が結構存在している地域で、特に湘南と呼ばれている地域、大磯周辺などには古墳時代の墓制の一つである、横穴墓が特に神奈川県下でも集中している地域です。
横穴墓と言えば、近畿などでも南河内の地域に有名な高井田の横穴墓等があり、渡来人の墓制と古くから研究者などに指摘がなされています。
特に湘南の、平塚市周辺には渡来人関連の遺跡や、神社などが存在しており、この地域周辺には半島関連の古くからの地名なども残っており、早くから渡来人が住み着いていた証拠ともいえます。
特に私が注目しているのは、この地域には高塚の古墳もある程度ありますが、それと同等の基数で横穴墓が山の斜面に築造されている事です。
特に鎌倉市・横浜市・平塚市・藤沢市などの斜面には、横穴墓群と呼ばれているように何十基という感じで集中的に築造されている事です。
関東地方でも、これほど一定の地域にこのような横穴墓が造られている場所は、あまり無いといわれています。
他には、茨城県の海岸部・栃木県の内陸部。
ところが内陸部の、秦野市あたりになると殆ど高塚古墳が主流になっています。
関東の地だけに考えてみると、この横穴墓のある地域が海岸部の周辺の地域に多い事、相模湾周辺部の地域に集中している事で、これは海洋性のいわば漁業を生業としていた、渡来人系統の民族の奥津城だったんでは?と考えています。


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横穴墓
2005年9月3日 23:45:39 管理人
タックさん、大変貴重な情報ありがとうございます。横穴墓はとても渡来人の移住を知る上で重要なのですね。相模湾に多いというのは、とても興味深いです。先日行っていた鎌倉にもあったんですね。今度探ってみます。茨城、栃木、ほんとに渡来のにおいがする地域ですね。確か九州や福島にも横穴墓があり、その年代がどの辺になるのか、気になるところです。秦野の件も興味深いですね。川勝さん的にはその辺どうなのでしょう。


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鹿嶋の横穴
2005年9月4日 10:30:58 かわかつ WEB
やはり7世紀以降の、薄葬令以降の墳墓ではないかな?
九州北部は多くの横穴墓がありますが、昔は縄文時代のものと考えられていたらしいですね。
関東の場合、時代が下がるのかな?
しかし鹿嶋の砂州の上の方は埋め立てられてかなり古墳が削られたと、タクシーの運転手さんも言っておられましたね。それでも調べてみるとかなりの縄文、弥生、古墳時代の遺跡が残っているようです。今回いけなかったけれど管理人さんのほうで行く機会があれば是非アップしてみてください。
タックンも画像などお持ちなら、是非みたいですね。


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奈良初期
2005年9月5日 1:12:56 管理人
かわかつさんこんばんは。やはり喪葬令後とすると合点がいきますね。奈良初期の相模の高麗若光の渡来伝説とか、鹿島への開拓の動きとか、その辺に関連してきそうですね。そういえば、鹿島神宮近くの横穴墓の話もそうでしたね。今度行ったら発掘しているという神宮近くの遺跡跡とか、ちょっと考古的な部分も確かめてみましょう。結局今日は大分には行かず、埼玉のイベントへ。大分からはびビデオの録画だけ送ってもらうことになりました。やはり10月か11月になりそうです。


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録画って
2005年9月5日 13:03:08 かわかつ WEB
お祭りかなんかありましたっけ?最近・・・


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いえいえ
2005年9月5日 15:31:20 管理人
9月4日は祭りでなくて障害者関連のイベントで、先月はもしかするとそのイベントに取材しにいくこと予定があったので、大分いけるかもとお話していたんです。ではでは。



御岳山
2005年9月2日 6:10:10 管理人
昨日は東京西端にある950メートルの御岳山の頂上にある御獄神社をみてきました。関東一円を見渡せる、修験道のメッカだったそうですが、すばらしい眺めでした。山頂での眺めのよい風呂に入りながら・・・。この神社、大穴貴や少彦名などを祭りつつ、下記でかわかつさんご指摘のやまとたける命、櫛眞智命など珍しい神を祀っています。延喜式だと「大麻止乃豆乃天神」を祀るとあり、「まち」「まと」「おおま」・・・と関連する神名が想定できそうです。神楽も盛んで中世の武将に相当信仰させていたようですが、1月3日に太占(ふとまに)祭という鹿の肩甲骨を焼いて占い神事があるそうです。鹿の神事というと先週行った諏訪前宮の洞窟での鹿の頭が並んだ風景を思い出しますが、はてさてルーツはどの辺に。信州にも御岳神社が。http://www.dynax.co.jp/sinsen/culture/jinjya/j_ontake.html
下記かわかつさんのページによると出雲にも御獄神社あるんですね。
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/sagami.html
詳細は探索報告を後日掲載しますのでご参照くださいませ。
御獄神社
http://members.jcom.home.ne.jp/nobish/mitake3.html


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いやいや
2005年9月5日 10:46:35 かわかつ WEB
御嶽神社の画像は秦野市で撮ったものなんです。
山岳信仰としての御嶽神社でしょうから、背後に大抵大きな美しい山があります。秦野の場合も大山おおやまと言う名山がちょうど後ろにありました。
出雲大社相模分廟はもともとのこの地の神社で、その隣に出雲からきた人々が分廟を建てているのです。
なお、ここには古いお社として八坂神社も建っています。
それにしても秦野ってこのあたりでは、最も痩せた土地なのに波多野氏はわざわざ開墾して、細々と蕎麦、大豆、サツマイモ、タバコなんかを育てて食いつないだんですねえ。今でも田んぼがなく、トウモロコシ、落花生が主力雑穀なんです。
やはりよい土地へ出て行きたい願望は強かったんでしょうね。大友氏が鎌倉に取り入った訳がよくりかいできましたよ。

おおまとのずのじんじゃ・・・と読むのでしょうか?
「的」でしょうかねえ。気になりますね。
「まと」というのは弓矢の的でしょうか。
的場、的矢、的井など各地に地名、名字で残っていますが、そういえば諏訪上社前宮にも的石があります。また熊本の阿蘇神社のご神紋は鷹の羽です。
考えてみると弓というのも古い武器のひとつですよね。
天皇即位の際には、弓の弦を鳴らす神事があるくらいです。


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対馬
2005年9月5日 11:26:38 かわかつ WEB
ちょっと思い出しました。
対馬には「豆酘」と書いて「つつ」と読ませる郷名があります。
この「つつ」が住吉三神の「底筒男神」などの「筒之男」の語源ではないかという説(田中卓「住吉大社史」)があるのをご存じですか。
「豆」という漢字でちょっと思い出しました。
漢字はあくまで当て字なんでしょうが、対馬の場合、やはり雑穀が主力なので、(島は狭いですからね)豆類に関する地名が残るのも当然かも知れません。
魏志の倭人伝の記載にある、「南北に市糴す」の「てき」というのは米などを買い入れるという意味らしい。逆に売る場合はつくりに「出る」の字を使って「糶」、「ちょう」と言うそうです。
「してき」とは商品を買うと言う意味の「市」に、栗を買うという意味の
「糴」で、穀物を交易するということだそうです。(永留久恵「海人たちの足跡」)貧しいから物々交換で違った栄養を養った訳ですね。

私自身は「つつ」は星の古語だと認識していましたから、田中氏の説なかなか現実的で面白かったです。
対馬には古墳時代に宗氏が入っていますが、平安以降、この領主はかなり和冦粛正に尽力したそうです。要するに勝手な貿易をさせないように取り締まるために宗という秦一族を送り込んだ訳ですが、この功績で宗氏は階位をもらったんです。
ただ対馬は本来、津嶋だったらしい。となると港になるが、「津」というのも堤や港のような入り込んだ地形を指しますから、筒のような形も「津」なんだと思います。大砲なんかも「つつ」ですよね。「おおづつ」ですから。銃口から根本までは筒状ですからね。「掲げつつ!」っていう軍隊の号令も、「銃口をあげろ」という意味なんです。
もしや「つの」というのも「角」が液体を入れる容器として使われたことから始まる言葉かもしれんですね。
いろいろ考えちゃいました。^^


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御岳信仰
2005年9月5日 19:14:33 管理人
御獄神社、秦野でしたか。出雲系なのですね。大山は確かに秦野の背後にありますね。御岳神社も山岳修験道のメッカらしく、伝説では天平年間行基ということになっているそうです。祀神の大麻止乃豆乃天神についてご指摘参考になります。豆はやはり豊穣神でしょうか。この神のほか豊穣神として大穴貴神が祀られていますからいい線ついているかもしれません。的はわかりませんね。諏訪に的石があったのはそうですね。諏訪前社との共通点としては、下記の鹿の占いの祭りが似ている点がありますが、先ほどしらべてみると、北緯35度57分に御岳神社があり、北緯35度59分が諏訪神社前宮です。緯度的に近く修験道関連の鹿島→諏訪レイラインの中間地にある指標とも受け取れますね。ちなみに先ほど調べたところでは、昨日行った浦和近くに大宮市があり大宮公園の氷川神社は北緯35度54分、高麗神社は35度53分です。この高麗神社からまっすぐ南に伸ばしたところに相模の高麗神社があるんです。相模から高麗郡への伝説における人民の流れは有名で、かわかつさんやたっくんさんご指摘の相模の研究は重要だと感じます。



帰りました。
2005年9月1日 1:23:38 管理人
やっと自宅に帰りました。しばらく掲示板、メールお返事できなくてすいませんでした。
先ほど読んでて面白かったのは、允恭天皇紀の玉田宿禰ともがりの部分です。地震の記載があり珍しいのですが、次の衣通郎姫と中臣の話、茅ぬ宮、藤原宮の話、続く海人の話、伊予の話、穴穂の話、吉士集団と大草香の関係、そして雄略にいたるまで、かなり読み直しておもしろかったです。かわかつさんもそうでしょうね。紀氏さんの下記ご指摘の藤原との関連するのでは。わたしはこの允恭紀の部分、たぶん藤原宮時代の時代背景と関連あると思います。そんなに古くないはずです。あと、武内宿禰の墓に逃げた話もおもしろいですね。



HP更新
2005年8月31日 15:19:26 かわかつ WEB
停滞していたHP作りもようやく涼しくなってやる気が出てきました。
デザイン一新してコメントもかなり手を入れ、新たなページもアップしましたのでよければご覧下さい。


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相模
2005年9月2日 6:08:11 管理人
相模探索のページできたんですね。
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/sagami.html
拝見していて、出雲の御獄神社とか、やまとたけるを祀る神社と鉄の道との関連とか、いろいろお教えいただきたくなります。
寒田神社も行かねば・・。鎌足神社の石は白蛇だったんですね。そちらの探索ページも期待しています。



南北のレイライン牛久〜牛久
2005年8月26日 14:41:32 いばらの紀氏

 千葉県・上総「牛久」と茨城・牛久(河童で有名・藤原氏?の藤代のお隣り)この南北ライン
南から千葉・天津小湊〜清澄寺〜養老渓谷〜上総「牛久」〜千葉市「貝塚」〜カッパの「牛久」〜ユウモア村「東城寺」〜筑波山〜修験道の「加波山」〜旧大和村・雨引観音(マダラ神の伝承・皇室の安産祈願の寺  壬生氏?)〜益子「雨巻山」〜烏山〜那珂川を渡り〜八溝山の西・「那須育成牧場」〜白川の関跡を東に見て〜猪苗代〜吾妻山〜東に「蔵王」〜西に出羽三山〜東に「中尊寺」西に「鳥海山」〜太平山・東に早池峰山・・・(役行者ゆかりの霊山・山々の間を通って来た。)これより北には、鶴田(鶴?の地)・津軽へ平野「亀ヶ岡遺跡」(亀?キ=規!)〜北海道に入り「八幡岳(秦氏?)〜太平山(おおひら山・・・・「太平」もポイントに多い文字・古代中国道教に「大平道」有り)
 このラインを「鹿嶋〜箱根山〜静岡「登呂遺跡」ラインが60度の角度で横切る。さらにその先には和歌山「那智山」
詳しく調べれば、「ライン」上には数多くの∴「史跡」や寺院などのポイントが存在します。
茨城に「鉾田」の地名が有ります、「逆さ鉾」は矛先が3本?「史跡」の記号∴とに関係が?
「牛久〜牛久」のラインは略南北が正確です中世あたりのライン?かと思います。
これらのラインが「地図つくり・国作り」のラインと認めて頂ける方のお出ましが待ち遠しい紀氏でした。


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関連 参考HP
2005年8月27日 0:07:13 いばらの紀氏
清澄寺 天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁師がこの地を訪れ、その仏像の前で21日間の修行をしました。
http://www.awa.or.jp/home/nagasa/bosoroad/amakomi/seityouji.html
雨引山
http://www.amabiki.or.jp/
雨引山のいわれ(寺史)
http://www.amabiki.or.jp/1.htm
マダラ鬼神祭
http://www.amabiki.or.jp/42.htm
雨引山什宝の紹介(一部)
http://www.amabiki.or.jp/14.htm
マダラ鬼神祭 古代インド神の化身
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/west/01.html
清瀧寺 開基行基菩薩   
ゆうもあ村 小野小町の墓 (新治村大字小野)
http://www.bandou.gr.jp/26.htm
益子の山に「数万の烏」が集まっているのを発見し、
西明寺は737年(天平九年)行基
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/reikenki/bando/reijo20.html


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ごめんなさい修正します。
2005年9月1日 17:18:08 いばらの紀氏
南から千葉・天津小湊〜清澄寺〜養老渓谷〜【高滝神社】〜上総「牛久」(東に笠森観音)〜千葉市 【八釼神社】 都市緑化植物園 〜「貝塚」町〜東に印旛沼〜印西 【稲荷神社】〜これより茨城 カッパの「牛久」を西に見る〜西につくば研究学園都市 東に【高津貝塚】・霞ヶ浦〜(これより微修正)西にユウモア村「東城寺」〜西に筑波山〜【西光院】(立木観音)〜修験道の「加波山」【加波山神社】〜旧大和村・雨引観音(マダラ神の伝承)を西に鴨神社を東に岩瀬 【月山寺】〜岩瀬香取神社と高房神社の間を通り〜これより栃木 益子「雨巻山」を西に見て〜茂木町【星宮神社】(この辺には星宮神社が多い)〜烏山・稲荷神社を東にみて〜烏山城と加茂神社を西に見て〜那珂川を渡り【唐御所横穴】〜西に【那須国造碑】や侍塚古墳を見て〜東の八溝山と西の「那須育成牧場」の間を通り〜【芦野氏居館跡】〜西に∴那須ファミリー牧場、東に白川の関跡を見て福島へ(これより先は誤差有り)無修正です。


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参考HPです。
2005年9月1日 17:26:14 いばらの紀氏
高滝神社 (高滝の賀茂山)
http://www.city.ichihara.chiba.jp/i/e/yuuho/05/05_b_01.html
笠森観音
http://www.studio-woods.com/burari_tabi/kasamori/kasamori.html
http://www.bandou.gr.jp/31.htm
八釼神社
http://www5d.biglobe.ne.jp/~hatabo/meijyou/Chiba/oyumi2.html
都市緑化植物園 星久喜遺跡 
http://yykaizuka.hp.infoseek.co.jp/s_walk0309.htm
印西 稲荷神社
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kappatms/matsuri.htm
高津貝塚
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/kamitakatsu.html
http://www.asahi-net.or.jp/~RP2T-MTMT/hobby/visit/010429/iseki-bunnkazai-kamitakatsu.html
西光院 立木観音
http://www16.ocn.ne.jp/~msbox/yasato.htm
加波山神社
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/kabayama.htm
岩瀬 月山寺
http://hazuki-pj.kir.jp/bukken_data/ibaraki/iwase/gassanji320.htm
茂木町 星宮神社  「芳賀の文化財」の「星宮神社がある古屋に所在する」という記事を
http://www65.tok2.com/home2/yogokun/motegi.htm
烏山 稲荷神社???
http://www.mt-crow.net/k-karasuyama/index.php?mode=ym
唐御所横穴
http://www.tochigi-c.ed.jp/bunkazai/bunkazai/list/211.htm
那須国造碑
http://www.tochigi-c.ed.jp/bunkazai/bunkazai/list/12.htm
芦野氏居館跡  富士見峠だ。昔は富士山が見えたらしいが・・・・
http://homepage3.nifty.com/hyakkaido/ousyudoutyu5nerinukiasino.htm


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いろいろ
2005年9月2日 5:44:15 管理人
ご紹介ありがとうございます。まだ見ていない貴重な遺跡たくさんあるんですね。笠貫観音の舞台もすごいですが、唐御所横穴もよく保存されて残っているんですね。富士山が見えたという話はまた重要です。雨引観音、マタラ神祭り、こちらのも見ておかねばならないようですね。行基伝承から修験道関連も。
昨日みた御岳山は修験道のメッカだったところで、なかなか関東一円見渡せる眺めのいい場所でした。中世からの歴史、その背景にあるものを理解せねばなと感じます。



はろはろー
2005年8月25日 13:42:04 hiroshi MAIL WEB
どもどもー。お笑い芸人とおチルさんの夫を勤めている、
hiroshiでございます(ぇ。
上にあるダイエットパン好評ですねー(うふ。
あー変に思わないでくださいね。これでも一応男ですから。
妻のおチルさん可愛いですよー(マヂ。
皆さんここのアクセスしてくださいねー。
http://www.yumesato.com/
わかりましたー?私は「yu-ki」で入ってますから
気軽にカキコしてくださいねー。4649☆
で、歴史については私 以外と得意で高校では100点ばかりとってました。
これは本当ですので信じてくださいよー(うふ。
では今日はこのへんで。またカキコしに来ます!



画像掲示板に
2005年8月24日 17:37:30 かわかつ WEB
茨城県鎌足神社の画像を載せました。いちどご覧下さい。どうやら白蛇らしいです。???


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いま鎌倉です
2005年8月25日 18:22:40 管理人
鎌倉に用事あって来ており基本が携帯なのでなかなかメール等お返事できません。31日まで滞在予定なのでみなさんご理解くださいね。途中一度帰る予定です。


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いま鎌倉です
2005年8月25日 18:23:20 管理人
鎌倉に用事あって来ており基本が携帯なのでなかなかメール等お返事できません。31日まで滞在予定なのでみなさんご理解くださいね。途中一度帰る予定です。



紀氏的「以和為尊」
2005年8月24日 11:06:57 いばらの紀氏
以和為尊
熟語「以為」(おもえらく): おもうには
和*邇(ニ・ジ・ちか・い)吉師(わにきし):百済人・応神天皇ときに渡来、論語・千字文を伝えた。 王仁(わに)・・・・・いなばの白うさぎ のワニ 新羅と伊都国の制海権の争い?
和*羹塩(盬)梅(わこうえんばい):君子を助けて国の政治をとる大臣。
尊(ソン・たっとぶ・とうとい):古い字形で酒の甕と両手と「ハ」(叉は階段?稲妻?三角鎖?)を表し、神の下るところを表す。
紀氏的解釈・・・・・・おもうには、君子を助けて国の政治をとる大臣百済人の「邇(ニ・ジ・ちか・い)吉師(わにきし)・王仁(わに)」は尊(ソン・たっとぶ・とうとい)
「邪馬壹国の女王卑弥呼(日向の女王)がこの世を去ったのは西暦240年ないし248年の間(北史という史書)であるので、ちょうど百済第八代王古爾(こい)王が日本に「千日文」を送ったり、秦一族が来日したAD284頃より少し前であった。卑弥呼は、その弥生時代風のイメージほどには古くなく、すでに漢字は知られていた。それどころか、卑弥呼は*「墨子」をよく心得て、中国鬼道(初期の道教)を実践していた・・・・」・「百済から招来した王仁(わに)という博士が、書首(ふみのおびと)の始祖と応神記にあり、はじめに言葉を漢字に表記したのは朝鮮の文臣だった。上古韓国語が影響したのは文法そのものだった・・・と考えられる。摩多羅神5より・・・」



神相撲
2005年8月22日 12:44:06 かわかつ WEB
福岡県古表神社のくぐつ舞い「神相撲」は去年開催で、次は4年後になりますが、大分県中津市古要神社の3年に一度の「神相撲」は今年10月12日行われます。
国東伊美岩倉神社の「ケベス」と合わせて是非お越し下さることをお勧めします。ケベス祭は10月14日夜ですので、宿泊が必要ですが、なんならうちへお泊まり下さい。


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諏訪・九州
2005年8月23日 2:47:05 管理人
10月14日、ぜひお伺いいたしたいです。詳細はまたじっくり計画練っていきましょう。
下記ご指摘にもありました支配民と被支配民との関連、昨日行った神道官守屋資料館の資料にも書かれていますが、必ずしも単純な対立図式ではないようですね。薙鎌の柱に入れることや、木柱に子供を縛って殺す?たとされる昔の神事、七十五頭の鹿の頭が真名板に並べられる件、三月酉の日の人と神との饗宴、その竪穴からよみがえるミシャクジ神、神の地方巡業...。旧約のイサクの子供をいけにえにする話と比較されることも、その類似性を考えてみると注目されるわけがわかりました。宗教学的にも相当比較論が出されるべきテーマであることは間違いないですね。
おそらくは伊勢や大嘗祭等の祭祀の原型とも関連あるだろうと思うのですが、九州のほうはその辺どうですか?今度聞かせてください。あとそばにあった用明天皇のころの墓と伝えられる古墳の石室形態も興味深く感じました。石の重ね方がちょっと気になります。
そんな話も今度、ちょっといろいろオフ会あたりでやりましょうか。


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人柱
2005年8月24日 9:16:43 かわかつ WEB
管理人さん、おはようございます。
諏訪の人柱は、神話の弟橘姫の入水や、江戸時代まで行われていたという橋梁建設のさいの人柱、あるいはやまたのおろちに捧げられた櫛稲田姫の7人の姉の逸話などなど数多く残されていますが、少年を人身御供にする諏訪の祭、残酷な中にも霊鎮めの意図が見受けられます。
イサクの説話にも出てくるこうした世界的いけにえ儀式が、宗教の類似性として考察できるのか、あるいは、宗教以前の信仰観念というものが人間の共通した「畏れ」であったのかは私にもはっきりしません。
中国でも始皇帝は不老不死を得るためにいけにえを捧げています。儀式は天子しか行えないナンとかいう、ちょっとど忘れ。
普通、こうしたいけにえには羊が使われますが、日本には羊がいなかったために鹿を代用したという説がありますね。真偽はわかりませんが、鹿が神聖なものとして認知されていたことは確かでしょう。
後世、古墳の殉教をやめた際、埴輪が代用品となる前になぜ動物の生け贄が使われなかったのかという疑問も出てきますね。



諏訪と浮羽と隼人
2005年8月22日 11:48:45 とみた MAIL
トライジンのメーリングリストで、諏訪訪問の管理人さんの守屋資料館を訪問されたとのこと。かわかつさんは浮羽の装飾古墳と宇佐八幡宮の放生会が出ていました。詳細報告を期待しています。

今いろんな本で古代を探っていますが、たまにオヤッという記事に出くわ合う。

諏訪の話・・・・山田宗睦さんの本に書かれていた。諏訪下社秋宮に青塚古墳が出来た8世紀頃、大和朝廷の勢力が下社領域を同化、土着の神から、征服者を信奉する神に変わった。

日本書紀には、持統天皇(691年)信濃須波水(すわ)の神を祭ったという記事に符合する。

浮羽の話・・・・景行天皇の九州の隼人、熊襲、土蜘蛛の征討では
周防から出発して宇佐阿蘇、八女など転々として最後に辿りついたのは筑紫の浮羽ですね。

このあたり何か謎があるようです。

隼人といえば鹿児島の山之口町の弥五郎ドンこれは
隼人族の首長?武内宿禰?、塩土老翁は武内宿禰。ニニギとコノハナサクヤヒメの子供は隼人の祖=海の幸彦(ホノスソリ)皇祖神=山の幸彦(ヒコホホデミ)尾張族の祖(ホノアカリ)。武内宿根が蘇我氏の祖とも云われています・・・

武内宿禰は、天孫族に都合の良い人物にされていますけれど、いろんな脚色をされて沢山の場面に登場しています。正体や如何に?


隼人を撃った犠牲者の祟りを懼れた放生会の謎、宇佐八幡宮と岩清水八幡宮であるとか・・・鹿児島の隼人町には隼人塚があり、709年に隼人の祟りで疫病が流行り鎮護のために建てた。

放生会は、大隈、日向の隼人の反乱で殺された隼人鎮魂が目的と言われています。海神の隼人への鎮魂のためにハマグリなどを流す。くぐつ舞(神功皇后一族の神事に登場する役者の舞)は、北宇佐の真名井という井戸でお清めをしてから舞う。
舞のクライマックスは古代相撲で、海神の住吉様が出現し西軍に加勢し東軍はねじ伏せられる。祟る住吉様を登場させて大暴れさせる。これが謎めいている。怨念を舞で晴らしている。

住吉様は塩土老翁=武内宿禰=隼人海神、天孫族に利用されて恨み骨髄。


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いいですねえ
2005年8月22日 12:16:35 かわかつ WEB
核心に迫りつつありますよ。大いに期待しています。
私は波多氏を調べます。


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諏訪の年代
2005年8月23日 11:57:36 管理人
諏訪の年代は、大和朝廷側が下社に入ったのがすると691年ごろということになりそうですね。伊勢はそれ以前でしょうから、奈良初期とされる鹿島はもうすこし後になるでしょうか。
一方諏訪の原始信仰は、さらに古く、先の神道官守屋資料館裏のミシャクジ社のそばの古墳だと、用明天皇のころという言い伝えがありますから、おそらくは用明以前のいつごろかに周囲の上社・前宮の建築があったのでしょうね。研究報告で取り上げているレイラインの製作順序にしたがえば、出雲→飛鳥→伊勢→諏訪→鹿島の順で社が形成されていくのが自然ですから、諏訪の建設年代も伊勢、鹿島の中間時期と捉え、もっと正確にだせないかと感じます。


神相撲
2005年8月22日 12:44:06 かわかつ WEB
福岡県古表神社のくぐつ舞い「神相撲」は去年開催で、次は4年後になりますが、大分県中津市古要神社の3年に一度の「神相撲」は今年10月12日行われます。
国東伊美岩倉神社の「ケベス」と合わせて是非お越し下さることをお勧めします。ケベス祭は10月14日夜ですので、宿泊が必要ですが、なんならうちへお泊まり下さい。


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諏訪・九州
2005年8月23日 2:47:05 管理人
10月14日、ぜひお伺いいたしたいです。詳細はまたじっくり計画練っていきましょう。
下記ご指摘にもありました支配民と被支配民との関連、昨日行った神道官守屋資料館の資料にも書かれていますが、必ずしも単純な対立図式ではないようですね。薙鎌の柱に入れることや、木柱に子供を縛って殺す?たとされる昔の神事、七十五頭の鹿の頭が真名板に並べられる件、三月酉の日の人と神との饗宴、その竪穴からよみがえるミシャクジ神、神の地方巡業...。旧約のイサクの子供をいけにえにする話と比較されることも、その類似性を考えてみると注目されるわけがわかりました。宗教学的にも相当比較論が出されるべきテーマであることは間違いないですね。
おそらくは伊勢や大嘗祭等の祭祀の原型とも関連あるだろうと思うのですが、九州のほうはその辺どうですか?今度聞かせてください。あとそばにあった用明天皇のころの墓と伝えられる古墳の石室形態も興味深く感じました。石の重ね方がちょっと気になります。
そんな話も今度、ちょっといろいろオフ会あたりでやりましょうか。



諏訪と浮羽と隼人
2005年8月22日 11:48:45 とみた MAIL
トライジンのメーリングリストで、諏訪訪問の管理人さんの守屋資料館を訪問されたとのこと。かわかつさんは浮羽の装飾古墳と宇佐八幡宮の放生会が出ていました。詳細報告を期待しています。

今いろんな本で古代を探っていますが、たまにオヤッという記事に出くわ合う。

諏訪の話・・・・山田宗睦さんの本に書かれていた。諏訪下社秋宮に青塚古墳が出来た8世紀頃、大和朝廷の勢力が下社領域を同化、土着の神から、征服者を信奉する神に変わった。

日本書紀には、持統天皇(691年)信濃須波水(すわ)の神を祭ったという記事に符合する。

浮羽の話・・・・景行天皇の九州の隼人、熊襲、土蜘蛛の征討では
周防から出発して宇佐阿蘇、八女など転々として最後に辿りついたのは筑紫の浮羽ですね。

このあたり何か謎があるようです。

隼人といえば鹿児島の山之口町の弥五郎ドンこれは
隼人族の首長?武内宿禰?、塩土老翁は武内宿禰。ニニギとコノハナサクヤヒメの子供は隼人の祖=海の幸彦(ホノスソリ)皇祖神=山の幸彦(ヒコホホデミ)尾張族の祖(ホノアカリ)。武内宿根が蘇我氏の祖とも云われています・・・

武内宿禰は、天孫族に都合の良い人物にされていますけれど、いろんな脚色をされて沢山の場面に登場しています。正体や如何に?


隼人を撃った犠牲者の祟りを懼れた放生会の謎、宇佐八幡宮と岩清水八幡宮であるとか・・・鹿児島の隼人町には隼人塚があり、709年に隼人の祟りで疫病が流行り鎮護のために建てた。

放生会は、大隈、日向の隼人の反乱で殺された隼人鎮魂が目的と言われています。海神の隼人への鎮魂のためにハマグリなどを流す。くぐつ舞(神功皇后一族の神事に登場する役者の舞)は、北宇佐の真名井という井戸でお清めをしてから舞う。
舞のクライマックスは古代相撲で、海神の住吉様が出現し西軍に加勢し東軍はねじ伏せられる。祟る住吉様を登場させて大暴れさせる。これが謎めいている。怨念を舞で晴らしている。

住吉様は塩土老翁=武内宿禰=隼人海神、天孫族に利用されて恨み骨髄。


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いいですねえ
2005年8月22日 12:16:35 かわかつ WEB
核心に迫りつつありますよ。大いに期待しています。
私は波多氏を調べます。


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諏訪の年代
2005年8月23日 11:57:36 管理人
諏訪の年代は、大和朝廷側が下社に入ったのがすると691年ごろということになりそうですね。伊勢はそれ以前でしょうから、奈良初期とされる鹿島はもうすこし後になるでしょうか。
一方諏訪の原始信仰は、さらに古く、先の神道官守屋資料館裏のミシャクジ社のそばの古墳だと、用明天皇のころという言い伝えがありますから、おそらくは用明以前のいつごろかに周囲の上社・前宮の建築があったのでしょうね。研究報告で取り上げているレイラインの製作順序にしたがえば、出雲→飛鳥→伊勢→諏訪→鹿島の順で社が形成されていくのが自然ですから、諏訪の建設年代も伊勢、鹿島の中間時期と捉え、もっと正確にだせないかと感じます。



鳥トーテム
2005年8月21日 1:50:28 とみた MAIL
お盆と関係がなく古代の謎に埋没中。

いろいろな本を読んで自分なりの判断材料を探しております。
出あったのが鳥トーテム。

桓武天皇は高野新笠と光仁天皇の子供であるのは皆さん承知のところです。高野新笠は父親が百済渡来人で百済聖明王の直系。母親が土師真珠で土師氏系。

土師氏は桓武天皇が菅原の改姓を許して菅原道真につながるわけですが、元々は鳥トーテムの習俗を持つ出雲族。大化の改新で古墳が縮小されて埋葬儀屋としての土師氏は失業し転業したわけ。関東地方の酉の市の発祥に関係している。

そして、鳥トーテムで検索したら、鳥トーテムを持つ秦王室と族裔というのが出てきた。しかも例の白川静先生が認めている。

中国古代の秦王朝は、卵生神話は史記の秦本紀にしかと書かれている。秦は中国の西北の陝西省の国だけれど、元々は鳥トーテムを持つ東夷の一派が西遷したわけ。

これは長江下流域の呉や越に流れてきている。ここでは龍蛇の信仰と鳥の信仰がある、或いは、始皇帝の長城建設の労働力として遼東半島か山東半島に集められた秦人かも知れない。前漢の劉邦に追われた燕の民族かな・・・

やはり秦は江南の出身と考えるのが一番分かりやすい。朝鮮南部の加羅を経由して日本に流れて来たんだ。

わが国の秦氏についても鳥にまつわる伝承が、山城国風土記逸文にあるとか・・・鳥は稲作、太陽を引っ張ってくる太陽神などとの関係が深い。


でも、分からないこと多し、角のある人が船に乗って越の角鹿(敦賀)に崇神天皇の世に来る話。これは牛の角のトーテムだ。

龍蛇のトーテム、亀のトーテム白虎のトーテムなど・・・いろいろある。

わかんないのであります。

秦氏が倭に来るのは、紀元前1世紀説、紀元後5-6-7-8世紀説など

重層的に来ているんでしょうね。

何が動機でとの考察をせざるを得ません。、5世紀は高句麗に追われて伽耶から逃げてきた。6世紀は新羅に伽耶が滅ぼされるので沢山流れてきた筈。7世紀は百済や高句麗が新羅に滅ぼされるので敗残がやってきた。

でも秦は中国本土から朝鮮経由で来たんでしょうね。


天日矛は秦氏、アカルタマの話、随書ワ国伝に[竹斯(筑紫)国から東に行くと秦王国にいたる。その人は中国と同じである]と隋の使者が語っている。まことに意味深長なり。

かわかつさんの秦一族探求はやはり難しいことが窺える。



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脳に一服刺激が
2005年8月21日 10:11:59 いばらの紀氏
 とみたさん感謝いたします。(わたしも秦氏への疑問がはれませんでした。)
以前より秦の始皇帝が山東半島の民に嫌われていた事に始皇帝がローマ(ユダ系ユダヤ商人)と考えていました。
山東半島の民は残りのユダヤ系10部族の末裔?と考えていました。(ユダ系・・・ヤウェーを嫌っているとの妄想です。)
日本での秦氏の信仰が稲荷(商売・豊穣の神)八幡(戦闘の神?)マダラ神(歓喜・快楽・・・バッカス?)竈神(ゾロアスター?)だとすると、ローマカトリックからの異端となります。
アレキサンダーが西(ローマ)雷神とすると始皇帝は東のハタ(旗・風をよむ・観)風神との妄想です。
渡来順は徐福(ヤタガラス・さるたひこ?)・弓月(ホータンよりの和田氏?)・始皇帝の末裔?の順でしょうか?

「角のある人が船に乗って越の角鹿(敦賀)に崇神天皇の世に来る話。これは牛の角のトーテムだ。」
「角のある人」・・・鬼(地図作りで鬼と化した禹を表す文字)=角(鶴カク・角度?) 田=口と+・・・・地図   ル(禹の足) ム=禹を表す。禹を表すトーテムは虫=蛇・牛(ウ氏・鵜・羽・烏・卯・兎・右・胡?・雨・宇・芋・迂・菟・・・)熊も(星座)?牟は牛に乗る禹では?鉾も・・・・
龍蛇のトーテム、亀のトーテム白虎のトーテム
龍の古文字形にヘビ+口(禹の父・古文字形では左右につの?)逆さの「立」タツ?の形・・・・禹の父は甕(亀?)棺に逆さに埋葬?・・・・・以上から龍=黄河の魚+系(キリスト系・胡井?)の禹の父がモデルかも?
白虎=白人+虎(トーラ・法)・・・・・10戒・・・・ヤウェー?

 とみたさん感謝いたします。新盆後の残暑バテバテの脳に一服刺激が・・・・お陰様で脳内が少しですが整理されました、今後もよろしく御願い致します。


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シオン修道会
2005年8月21日 10:28:02 いばらの紀氏
アレキサンダーが西(ローマ)雷神・・・・・・「雷」の古文字形の中には神が4つの「田」(地図)をまとめている形にも見えます。(シオン修道会?・・・・世界地図を作成した。
また一つ 脳内が整理された様な?・・・・紀氏でした。


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隋書
2005年8月22日 15:58:27 かわかつ WEB
秦王国の人は夏華と同じ・・・です。「かか」とは江南の海岸に住まう海人族「白水郎」を指しています。
豊後灘沿岸のあまたちも白水郎と呼ばれていました。「豊後風土記」
これは彼等が中国人であったことを示しません。むしろ中国人から異形の者どもとして認識されていたということです。
では彼等がどこからやってきた人々かと申せば、女が海中に没して魚貝を捕る、そして身体に鯨面文身する習慣のある民族ということになります。
それを探せばよいわけです。
半島南部の加羅沿岸にいた倭人もおそらく同様でしょうが、彼等も決して朝鮮人ではなかったはずです。しかし倭人伝は彼等のことは書き記していない。魏志韓伝を詳細に再度読み直す必要がありますが、そこにいわゆる水人の記述がないとすると、倭人はかなり特別な扱いを受けていたのだと考えられます。
彼等と秦氏がどのように関わるのかですが、これを為政者と被為政者と見るのがもっとも妥当でしょう。
なんとなれば、土木工事など請け負っていた「秦人」です。
この「〜人」というのが「〜の部民」という意味を持っており、臣や直などの役職者、管理者とははっきりとわけられていたことは大林太良氏も書いておられます。
してみると秦と波多の読みの違いなども、後世、為政者と部民の区別をよりはっきりとさせるために部民の方からすすんで改名したとも考えられないでしょうか?
従って紀氏さんの言われるような秦氏がローマ?からやってきた大陸人であっても差し支えなく、もちろんそうだと言っているのではないですが、何人であってもかまわないわけです。


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なお、くれぐれも
2005年8月22日 16:12:43 かわかつ WEB
申し上げておきますが、豊前と豊後はまったく風習が違う国であり、宇佐から中津を経て小倉に伸びる周防灘沿岸は砂浜であり、漁業基地としては極めて不的当な地形であることをお知り起きください。
秦王国は海人、水人たちが生業を営むには不都合が多すぎるのです。彼等は船人として連れてこられ、そこで土木、農産などに鞍替えしていったものと思われます。
「秦姓を名乗る者が80〜90%だった」という戸籍の「秦姓を名乗る者」がすべて秦一族であった可能性は極めて低いと考えます。押しつけられた氏姓を仕方なく使っていた人もいたという訳です。



デリバリーボーイ
2005年8月19日 17:02:40 代表:安岡 MAIL WEB
女性のご自宅やホテルなどへ出向き、女性が希望する関係(話し相手・デート)で奉仕して謝礼を頂く簡単なお仕事の紹介です。
http://tinyurl.com/e2kyt/



良い旅だったようですね
2005年8月18日 22:06:08 泊瀬光延 WEB
8日の週は一応休みを取ったのですが前半は私事で動きが取れませんでした。後半になって暇になっていたたまれなくなり車で山形まで再度行ってしまいました。でもこれは私の本(裏)業の時代小説の取材の為でした。
今回の皆様の旅が今後の研究に花咲くことをお祈りしています。


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ぜひ今度は
2005年8月19日 13:24:58 管理人
泊瀬さんもオフ会いらしてくださいね。山形への旅、どの辺が舞台になるのでしょうか。山寺など行ってみたい歴史観光地も多いのですが、なかなかいけずじまいです。今度小説拝見させていただきますね。


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山寺立石寺ですね
2005年8月20日 15:47:53 泊瀬光延 WEB
 断崖絶壁の上に作られた希有の寺でした。「入唐求法巡礼行記」で有名な円仁さん(こういうお餅があります。うまかった・・・)は唐の天台山を懐かしんでここに寺を開いたのではないかと思います。
 円仁のライバル、円戴という実在の遣唐使僧が登場する小説は「小輪」と題して私のサイトに掲載してます・・
 今度時間を見つけて是非ご一緒したいです。


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ぜひ
2005年8月23日 2:27:17 管理人
山寺伺うときは、よろしくお願いします。小説読ませていただきました。古今タブーとされる僧侶間の恋愛から、遣唐使の実態まで非常に深いテーマをとりあげておられますね。かなりよくまとまっていて完成度も高く、泊瀬さんのファン層も実はかなり多いのでは?と感じます。今度うちでもご本紹介させてください。それにしても山寺興味深くなってきました。



和を以て尊しと為す
2005年8月15日 0:26:58 かわかつ WEB
これを漢文で書くと、「以和為尊」。これを音読みしてみるとどうなるか。
九州王朝やはりあったのか?


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むむむ
2005年8月15日 1:14:26 管理人
漢字のことは紀氏さんに聞いて見ましょう!


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お久しぶりです
2005年8月15日 20:53:00 タックン
お盆休みとあって、家の用事やらなんかで今日辺りでやっと開放されつつありますが、明後日にはもう仕事です。
然しこの漢字、見ていたらホントにそう感じてしまうのは、私だけでしょうか?
関西でオフ会やられた時は、御願いしまぁ〜す。


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次のオフ会かなり
2005年8月17日 22:50:07 かわかつ WEB
楽しみですね。


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渡海人
2005年8月20日 2:15:21 かわかつ WEB
この言葉、管理人さん最近の大ヒット語録です。
奄美から沖縄、ポリネシアというラインから、ニライカナイ思想と弥勒思想の合体。
さて秦氏の好きな聖数「3」となんの関わりがあるのか・・・
渡海人、渡来人、ときてさてあとひとつは何人なんでありましょうか?長野の阿南町の人々が南方系の仮面舞踊を祭に取り入れ、しかもそこには即身仏もある。弥勒思想の極限といわれる入定の秘技が道教の最高秘技であることは、こりゃ秦氏が関与しているに違いありませんが、この祭に出てくるキャラクターの中に、「さいほう」があります。
さいほうとは西方ではないか。西の方、大陸からやってきた為政者こそ秦氏かと。
波多氏が「はだ」氏と発音されて、どうやら南方系渡海人らしいですな。だから気比神宮の波多氏の祭る神の中にアメノホアカリがいる。これは阿南町を天竜川を下った尾張氏の神でもあり、籠神社の海部氏の神でもある。つまり彼等は渡海人ですな。さらに隼人は豊玉姫の父、わだつみ=大山積=大山クイの神を祭りますが、どうやらこれは後にアメノホアカリとなるのでは?
となると祖神・武内宿禰の末裔は皆、海人。
塩土の爺がどことなく武内宿禰を思わせるのもなんだか関係ありそう。
秦氏は大陸から加悦を経て列島へ・・・気楽で定住しない海人族は彼等の傘下に組み込まれる。山へ逃げた海人はそこで誰と出会ったのか?
今度の旅はパスポートがいりそうですぞ〜〜



冤罪と論証
2005年8月14日 0:40:53 管理人
今日は、カトリックの東京カテドラルでやっている平和旬間のイベントに行ってきました。そこで憲法に関する映画とか、写真展。コンサートとかやっていたんですが、冤罪の問題には興味を感じました。袴田巌というプロボクサーが殺人を犯したという件に関する冤罪事件があるんですが、普通に読むと確かにあごの骨を折られている死体などボクサーの仕業らしき部分も見えるが、しかし云々・・・。似たような事件で名張事件があり、毒ワインが盛られて飲んだ数人が死亡する事件で、ワインのコルクの歯型に奥西氏のものが見られ冤罪に。検察側の主張にしろ、弁護側の主張にしろよく筋がとおっており、どちらが本当かわからないのですが、どちらかがうそであることは間違いないわけです。どちらかにわれわれはだまされているのですが、その真偽を理解することができないという現実があります。問題はかわかつさんも以前同様なことおっしゃっていましたが、古代史でもある特定人物なり集団を冤罪にかけてしまうこともできるし、無罪にすることもできるということですね。いや論の立て方次第ではとても説得力のある形で冤罪をでっち上げることも可能です。古代史だからといって、現在もなおその子孫が脈々と存在し続けているわけですから、簡単に白黒論じることはできない、というのがかわかつさんのご指摘だったと思いますが、ほんとにそうだなと感じました。古代史をやる上で、やはりその辺の冤罪をどうこうという部分は特に慎重にしなければなりませんね。と同時に、やはり古代史論壇では昨日話したように、裁判官的な役目を果たす人が常にいるべきだと感じました。あと、やはり事件の推理能力と同質の論証能力の養成が課題なのではないかと感じます。もっと少ない証拠からの2論並立のケース等においても、簡単に一方にだまされないような論証システムの構築、その辺がやはりもっと進歩すべき課題ではないかと感じますが、その辺は古い哲学体系ではだめだと思います。今の時代に即した形態を模索すべきと感じますが、その辺もHPで試行錯誤してみましょう。歴史上の人物の名誉は軽く、今の人物の名誉は重い、これも実は矛盾だらけでどこから来るのかその原因を確認してみたいと思います。


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時間軸・速度軸・加速度軸
2005年8月14日 2:08:41 管理人
上記古代史の論証法の可能性についてです。
古代史は主に時間軸と空間軸との兼ね合いから論証していくものですが、概ね時間軸に由来するものを古代史、空間軸に由来するものを地理学といいます。
正解とされる事実が古代の過去の一地点に存在したとして、その正解を導き出すために、論理を重ねます。もっとも善いのは最初から正解が見えており、そのままそれにそって論理を立てていく方法、つまり目の前にある花瓶をそのまま描く方法です。しかし、実際は花瓶の一部しか見えないことが多く、推論の過程で間違いが生じてくるものと思われます。この辺は2次元しか見えないか、3次元まで見通せるかによって、その把握の正確度がかなり相違するということになるのですが、要するに軸を多くもっている研究家ほど、正確に物事見通せるということは周知の事実です。たとえば考古と文献史学など。しかし、ここで問題としたいのは、速度軸と加速度軸の活用であります。この活用でさらに2次元軸を増やすことができます。


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続き
2005年8月14日 2:08:56 管理人
たとえば、5世紀屯倉の地方拡散。屯倉の設置はじめの時点で、畿内の一円だけ、数年おきの間隔で設置→屯倉設置欽明期ごろは、中国、関東へ拡散・設置期間は云々→天智ごろ屯倉設置全国へ数十で云々。ここで従来注目されるのは、拡散の度合いとその数ですが、さらに速度軸を考慮すると、欽明期ならその一定期間における拡散速度がでてきます。そして5世紀初頭のそれと比較すると、その速度差が出てきます。その拡散速度で次の推古期あたりを予測し、最後に天智期までもっていく。等比例関数で拡散速度があるならば一定の数値がでてきてしかるべきですが、実際は時期と政治状況において、比例関数ではなく、曲線状の3次関数、4次関数になっていくわけであり、その傾きを加速度軸といいます。これを各時代の屯倉以外のほかの要素、たとえば宮の増加とか云々とその加速度関数の傾きを比較しますと、ある特定の比率が出てくるかもしれません。また一方で加速度が断絶する地点も出てくることでしょう。これを記紀の伝承の挿入や前後逆順・・・という仮定要素を考慮します。この関数は将来的にはタンジェント・ラプラス・フーリエ関数という形で、加速度軸を表していくべきと感じますが、ともかくその加速度軸の断絶によって記紀の記載の真偽が明らかになってくかもしれません。その辺をさらに旧約・新約聖書の加速度軸と比較してみたり、風土記のそれと比較してみるとどうでしょう。ともかく、そこまでしなくても加速度関数程度まで軸を増やして、普遍的に時間軸要素と常に用いるようにする、それによって論証の制度をあげてみるというのもひとつの手立てだと思いますが、どうでしょう。


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・・・に傾きつつある状態
2005年8月15日 1:54:32 管理人
加速度軸の表現の仕方としては、「・・急激に傾きつつある状態」とか表現できるでしょうか。Y=aXのaの部分を傾きといいますが、このaだけに注目していく方法です。たとえば屯倉のこの期間に急激に増加しつつある状態だったとか、当時の政権は地方支配に傾きつつあったとか。この動態の傾きのみを取り出して正確な次元軸を論証の上で作り出すことは、人間の感覚では苦手とする部分なのではないかと感じます。常に結果と原因にしか目が向かない、その間にある動態をうまく論理的に実証する方法を開発しきっていない感じがします。たとえばボールは30度でカーブしつつある。30度でカーブすると数メートル後にはこの地点にくるとか。あるいは九州王朝はすでに衰退しつつあったが、その衰退の傾きの度合いは丸々と同じである。結果としてその国の傾き方からすると数年後にはこうなっているはずだ。それは書紀の丸々の記載の時期の国の傾き動向と一致する・・・とか。
この加速度軸をつかうと、絶対的な時間や空間は必要なく、ある一定の期間だけわかっていればいいわけです。つまり正確な年代や場所はしる必要はなく、その状態の傾きだけを捉えていく方法といえるでしょう。とすると、絶対年代が確定しない考古の遺物の拡散加速度の比較とか、同じく絶対年代の確定しない書紀の諸伝承の状態の傾きを正確に比較することによって、特定の年代を逆算していくことが可能かと感じます。つまり特定の年代には特定の状態の傾き加速度があることがわかれば、その傾きの度合いを確認するだけで場所と年代が特定できてくるわけです。そして最後にだめおしで+CのCを出す数値を加えて年代を確定するわけですが。


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加速度だけが確定して時間と空間が確定しない世界
2005年8月15日 2:16:11 管理人
加速度だけが確定して時間と空間が確定しない世界とは、つまりおとといDVDで見ていた「ロードオブザリング」の世界です。時代は中世のようであり、場所は東欧のようであるが、宇宙人も出てくるし、人間も出てくる。最後のシーンでは英雄たちは悪から城を守りきったが、なお時代はさらなる悪の恐怖の時代へと傾きつつあり、リングをもった英雄の探検にかかっている・・と未来形で幕切れになります。時間と場所はあまり確定できないが、時代の状況が急激に変化しているもようはかえって鮮明に描かれており、それは過去にも未来にも通用する、つまり小説や神話の世界なのですが。あるいは、今東京は明らかに大地震へ向かっている。しかしいつどこでおこるかは漠然としかわからない。それは神の意図するところのみであるが、今地震の頻度が急激に増加している状況は明らかであり、人類の決断に過去も未来もかかっている。と同時に同じ急激な状況の変化の傾きが古代史学の流れにも起こっており、その傾きは無関係ではなく相似的である・・・。とかいう傾きだけの世界からもう少し論証方法を確立できないかと感じます。


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加速度世界に生きる
2005年8月15日 3:13:50 管理人
時間軸と空間軸から新たな加速度軸の世界を構築しようとしているようにみえますが、実際は加速度軸の世界から時間軸と空間軸が分かれ出る、つまりA=X/Yの世界に生きているのかもしれません。夢の中の世界はまさに時間と空間の固定しない加速度軸の世界。深層意識世界から表層意識世界へと移るときに、時間軸と空間軸を固定した世界へと・・・。加速度世界では過去も未来もつながっており、可変的であります。加速度世界のほうが自由度が高く原始的に存在するが、動的で逆に人間には認識にしくい。その加速度世界から空間と時間が分離して古代が生成するのかもしれません。・・徐々にしつつある象徴と可能性の世界でしょうか・・・。



古代史オフ会
2005年8月12日 11:42:34 とみた MAIL
いろいろな人との出会いは、面白い。人にはそれぞれ長年の蓄積があるので、一杯知恵や知識をもっていらっしゃる。
互恵、互譲の精神がありさえすれば、話は弾みます。

渡来人会の帰り、府中の通りで祭祀に関する墨書土器の展示と解説を見つけました。竪穴建物跡から出土した土器(瓦)です。
瓦に漢字で墨書されている。
@榎本・解申(えのもと・げしもうす)。神仏など目上のものに対する報告する。
A神(かみ)。カマドから出土、[カマド神]信仰。これは古代中国に伝わる信仰で、カマドの神が居住者の悪事を天に報告する

B召都木(めしつき)。神仏がめしあがるためのツキ=杯、神仏の
供え物を入れる器

庚申信仰は、身体の中の虫が60日ごとに外に出て天に悪事を報告する、この信仰とカマド信仰はなんとなく似ているようで面白いですね。

昨日地元のシニア古代史仲間4人が居酒屋に集まりました。諏訪出身の人がいて・・・諏訪では毎年、ユダヤ(イスラエル?)十部族の一部族の鳥の祭りがあって、長いもみ上げの人が登場するという話をしてくれました。


 


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道教・ユダヤ教
2005年8月13日 0:59:48 管理人
墨書土器に見えるような道教思想、全国各地の国府・郡府あたりで発掘される遺物に見られるようですね。そういう祭祀を奈良・平安時代に全国へもたらした人々がいたのでしょうね。
ユダヤ教の鳥の祭祀の話もおもしろいですね。
もし、仮にその鳥の祭祀がユダヤ教でなく、朝鮮の旗竿と鳥の祭祀にかかわるもみあげの長い人がする祭祀に由来すると誰かがいったら、そうとう学説としても有力になるでしょう。でもユダヤ教だと学説としては認められない。問題はこの差の背景にある心理的問題があるのでしょう。あまり偏見なく東西の祭祀を論議されているシニアの方々の視点がとても重要なかんじがします。



私はね
2005年8月11日 20:28:16 かわかつ WEB
管理人さん、あなたが心配で心配で。
とみたさん、^^^あなたこそ八面大王だと思いました。
紀氏さん、今度こそ来てくれなきゃァ、私ァ気が狂うかも知れませんぞ。

管理人さん、いろいろありがとうね。銚子、一生の思い出になりましたぜ。

もう酔っぱらって言葉がありません。素晴らしい旅でした。ありがとう。ありがとう。


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こちらこそ
2005年8月11日 21:35:27 管理人
かわかつさんが来てくださって本当に一生に残る貴重な経験させていただきましたこと感謝です。いや、ほんと、鹿島へむかっていたのに佐倉から電車乗り換え違いして銚子方面へいってしまったりいろいろご心配おかけしました。ハプニングで着いた銚子での夏かきはほんとうまかったですね!銚子あたりの探索もかわかつさんの新視点とあわせてとても勉強になりました。今後のかわかつさんの研究期待しています。
それにしても、今日はまた先日の「遣唐使から見た中国と日本」〜新発見「井真成墓誌」から何がわかるか〜専修大学・西北大学共同プロジェクト編を読み進めていますが、そこの井真成なる日本人、そうとう若くして才能あふれる人だったようですね。19にして遣唐使で中国にわたって、36でなんらかの原因で死ぬまで、皇帝の命を遠国に伝えるような重責を担うほどの、天賦の才能(たぶん翻訳から博学知識・・・)を持ち、しかも礼楽さえもしっかりこなした人物、そうとうな切れ者でしょうね。それだけ信頼を得ていたのでしょうし、なかなか帰れなかったのもその才によるところが大きいのかもしれません。と、彼と同年齢の私は周りに心配かけてばかりで、しきりに反省させられる次第ですが・・・。ともかくその本によると、ゾグド人にも同様な唐に残った人物の痕跡が80人以上見つかっているとのことで、その長いこと滞在していろんな活動をしていたカリスマ・在唐遺留民?の間での交流実態の解明に興味が向かいます。そういう面でこの本で第一線の古代史家たちが新たな在唐遺留民?研究への第1歩を多角的側面から踏み出している点に渡来人研究でも重要さを感じます。ぜひみなさん読んでみてくださいね。
ではではかわかつさん、みなさん、いろいろご心配おかけしていますが、徐々にステップアップしていますので、今後も進歩へ向けてよろしくお願いします。



二分する世界。
2005年8月11日 11:22:11 いばらの紀氏

初めての渡来人研究会の会合「オフ会」?充実した楽しいひと時を過ごされた御様子に参加出来なかった自分に一風の寂しさを感じて居ります。
次の機会は参加致したく その時にはどうぞ宜しくお願いします。

 古代部族社会を想像すると「シャーマン」による「神託」がはばを効かせていたと想像します。
後の「占星術」や八卦「易」などを考え出した人は「数」を信奉する「無神論者」・「科学者」では?と思います。
「黄帝」や「禹」の考えはどちらだったか?「始皇帝」は晩年「道教」に狂った様子、(生前の行ないに自信が無かった・地獄が怖い?)しかし「数」(単位)や「文字」には貢献している。
「占星術」や八卦「易」を考え出した人は「シャーマン」などによる「神託」の排除を企てたのでは?
「始皇帝」は儒者を嫌った、(私は、始皇帝が「牙」さいとり:商品売買の中間にたって、手数料をとるもの・・・)ユダヤの商人の出身と考えます。(邪馬台国は「牙」の里・「耳」(きく・菊)の里?)
「出雲」は「禹系」・・・海洋民(海蛇族?) ヤタガラスは「徐福系」・・・・マダラ神?  「秦氏」・・・・フリーメイソン?
「フリーメイソン」はピラミット型カースト社会の構築を目指している。(108の煩悩を商売にした資本主義・快楽社会?)
「禹」は虎(トーラ・法)を恐れるキリスト系 父「鯀」(コン・魚+系)  魚=キリスト系  (始皇帝による「漢字」の意味の改ざんが無ければ!デスガ)
日本は「秦系」と「禹」との対立かも?・・・・世界は「牙系」と「法系」との対立・・・・・「牙系」優位・・・・・貧富の差の拡大と戦争の波乱。
土地も肩書きも無かった放浪の民、流通・商い・能力主義での過去の迫害への報復か?
非情な商人の「魂」・・・・・変えて頂きたいが・・・・どうすれば?
 キリスト教の力でも無理なのでしょうか、管理人さん?


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シャーマンと科学
2005年8月11日 22:47:05 管理人
紀氏さんこんばんは。ぜひ、次回は紀氏さんもオフ会いらしてくださいね。
ご指摘シャーマニズムと科学者との対比、とても興味深く感じます。シャーマン系の民族集団と、理論派の民族集団との区別がついてくると、よりいっそう民族の流れもつかめてくるかもしれませんね。ご指摘中国でも西洋でもその二派があったようですね。
原始シャーマニズムはどうも女性崇拝の傾向もあったようですが、渡来人はどうか気になります。
紀氏さんご指摘だと秦氏系は理論派となるのでしょうか。一方で海人系はシャーマン??
もちろん、どの宗教もシャーマニズム的側面を含有しているので、一概には分類できないのですが、それでもどちらに傾いているのかをしる手立てはあるように感じます。キリスト教でも、原始キリスト教集団がかなりシャーマニズム的側面を有していたのに比してローマ帝国時代以降の神学の発達とともに、かなりシャーマニズム的部分はなくなっていったようですね。その両者の前提に旧約の律法主義、その他理論的な部分も入っており、複雑な構造をなしていると思います。そして紀氏さんの新視点、「商人」と能力主義・競争社会がかかわってくるのですが、近代の歴史学ならば、シャーマニズム→神学→哲学→経済社会・・という流れになりますね。でも紀氏さんの新視点は、すでにどれも昔から平行して存在していたというところにあるのでしょうか。
そもそも元素がたくさんあるように、宗教にもいろんな側面があり、どれかに偏りすぎるのも考えものです。さらに悪いのはそのどれかひとつしかないように大々的に言いふらす思想、これが問題なのではないかと感じますね。キリスト教でも本当の原始キリスト教会のあり方は、理想的な側面を有しているものと感じますが、はてさて現代の救いとなるかどうか・・・。


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二分する論説
2005年8月12日 0:38:13 管理人
あと上記と関連して、4つくらい論説が出てきて、どの論が正しいかを決めることについて、大なり小なり、話のうまいほうが説得力を持つというケースがありますね。この辺、かわかつさんととみたさんの論争にもあったんですが、理系文系でも方法論の相違も関係します。先の「井真成」が誰かについても、井上忌寸とする説と葛井氏とする説があり、どちらも多くの証拠とともに、大変な説得力をもっています。私はどちらがどうとはいいませんが、こういう2つの大論説が出てくるケースには、論法の進め方にいろいろ問題もあるんです。邪馬台国九州説と大和説のように、どちらも多くの証拠立てがなされているのにもかかわらず、どっちかは間違いなくうそであり、もしかするとどちらもうそである可能性もあるわけです。
そして双方のひとつひとつの証拠の示し方を見てみると一見もっともそうでも、実はぜんぜん客観性がない場合も多く、客観性のないまま、論が積み重なっているケースも多いです。もちろんその辺は対立する双方で批判しあはずなので、だんだん客観性がでてくるはずなのですが、いつまでたっても正確な妥協点が見出せないとか、見出す方向に進まないケースも多くあります。結局、話のうまいほうが主流になってしまうこともあります。この辺が人間の思考の限界と捉えることもできますが、しかしさらなる論争の進歩を見出す努力も本来していくべきでしょう。たとえば歴史家の二大論争について、第3者を混ぜてみるというのも重要です。もし裁判官出身の人が2大大家の論争を読んで、判決をくだすと、ぜんぜん違う手法からその是非を出してくれるでしょう。つまりひとつには、第3者はまったくどちらに傾いても利益を得ることがないので、論の評価は正確であり、第2に両者の主張の中に生じる矛盾を厳しく各証拠について客観的に問うので感情論にはならず、最終的に両者にとっても役になるわけです。よくその辺は政治の世界には必ずあるものですが、たとえば学会の論壇に立つケースでも、裁判官的な役目をする人が本来いるべきだろうと感じます。そして本題と関係ない質疑は排除すべきでしょうし、逆に本来の質問をかわすような回答は、再度その第3者によって回答へと向かわしめるべきでしょう。そういう習慣を論議においてつけるテストケース、ちょっと討論掲示板あたりで考えてみてはどうかなと感じます。


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微力ながら
2005年8月13日 0:30:51 かわかつ WEB
半歩でもいい、紀氏さんが我々の世界へ、外の世界へ踏み出そうと思って頂けたなら、今回の旅は成就されたと言っていいんでしょうね。

「井」ですが、熊本県産山村の奥の奥に「井」姓の集まる部落があります!是非お調べを。


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井姓
2005年8月14日 0:17:52 管理人
井という姓があるなんて想像していませんでした。考えてみると以前九州に余さんという方がおり、余姓は百済系王族余氏との関連を考えた節がありました。ともかくいろんな可能性が出てくるものですね。



ありがとうございました。
2005年8月10日 23:28:47 管理人
おととい、昨日、今日と、私個人としては、初めての渡来人研究会の会合?があり、大変実り深い時間をすごせたこと、本当に感謝いたします。そして特に遠くから貴重なお時間を割いて来てくださったとみたさん、かわかつさん本当にありがとうございました。とみたさん、かわかつさんとの、白熱した楽しい論議の数々を聞けたこと、個人的にも研究会としても大変貴重な経験でした。新横浜での飲みからはじまり、府中から千葉へと探索と、とても楽しく、意義深い時間をすごすことができました。詳細については、後日また別に報告いたします。ともかく、今回の会合を通して、渡来人研究会で会合して、交流し、探索することの意義深さを感じます。今後もちょくちょく企画して行こうと思いますので、みなさん今後ともよろしくお願いします。

管理人


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オフ会
2005年8月11日 0:48:34 とみた MAIL
管理人さん。多忙な中、シニアに気を遣っていただいて有難うございました。オートバイと電車とパソコンと大変でしたでしょう。

かわかつさんは九州からわざわざお出でいただいてフェース ツー フェースの対話.ついに三人は新横浜で午前三時まで古代史に花を咲かせました。遠方より友来たる、亦楽しからずや・・です。

武蔵のど真ん中の府中、紀氏さんの縄張りの常陸の鹿島と香取の三角形をご覧になった模様です。

私はお二人と別れて、別のシニア仲間会に参加。8月12日から4日間東京の深川の富岡八幡宮の例大祭が開かれますが、その神輿の総大将役の方が話題提供されて面白かった。江戸一の八幡宮で神輿を54基を連ねる壮大なものらしい。

八幡はハチマンでなく元々はヤ・ハタ・・・つまり多くの秦という意味だそうですから、かわかつさんの豊前、豊後。宇佐八幡宮から秦氏が全国へ広まった証なんでしょう。八幡様は全国で4万600社もあるんですね。

10月になったら関西でオフ会を開いてほしいものです。数人参加されたら発表者と、質疑応答とか・・・少しずつオフ会が発展するといいですね。(管理人さん、三人の写真は未公開でお願いします。WANTEDになると困る??)



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今後の
2005年8月11日 5:04:28 管理人
とみたさん、ほんとにお会いできて楽しかったです。今回の会合はとみたさんに助けていただいたところも多く、まだまだ気力体力充実し、さまざまな面で頼りになる大先輩のお力にいろいろ勉強させていただきました。またとみたさんに詳細ご紹介いただいた府中の歴史のほうは、まだまだ私も知らないことばかりで、この辺も探ってみたいと思います。あれからかわかつさんと府中の森博物館に行き、熊野神社で見つかった上円下方墳について調べ、そのまま熊野神社へ実物を見に行きました。640年代のなぞの古墳、いろいろ貴重な情報源となりそうです。途中かわかつさんのカメラが消失して先の3人の写真もなくなるところでしたが、無事奇跡的に見つかってかわかつさんのお手元に記念写真はございます!3人の写真はWANTEDみたいに顔に黒太線やモザイクの修正入れて、かわかつさんのサイトで公開でしょうか(笑)??
富岡八幡のお祭り、私もどこか暇ができればちらりと拝見できたら思います。いろいろ今後もその辺お聞かせくださいね。
今度はオフ会ぜひ発表や質疑などもやってみたいですね。とみたさんとかわかつさんの白熱したお話はほんといろんな面で勉強になります。古代史への取り組み方や勉強法、思考法、渡来人用語の定義から、壮大な東西交流史から宇宙論にいたるまで、今回の続きもぜひみなさんと話あいたいですね。10月はぜひ関西でやりましょう。
今後ともよろしくお願いします!



やり
2005年8月5日 16:23:40 いばらの紀氏
暑中お見舞い申し上げます。  
「ほこ」の漢字から考えてみました。
「戈」(ほこ・カ)づくりの漢字には「戦」などの為の「戈」の他に「域」境・土地の意を表す文字や「我」の様に「私」「吾」「己」を表す文字もあります。
武士の「武」=戈(ほこ・カ)+止(とめる)・・・・戈(カ・ほこ)を「止(とどめる)」が「武」は戦いを止めるが本来の意味で「止」は鳥の足跡。
「殳」(つえぼこ・ぼう)刃の無い六角のほこ(長さ一丈ニ尺)・・・・規?「仗」
「殳」ほこづくり・・・・・「几」つくえ「h」がほこの形??(ちなみに「凡」(ボン)は「土を盛りつき固める」時の板組み・・・・甲骨文字の「舟」(ふね)と同じ字形。「土を盛りつき固める」・・・・古墳・台  作り? 甲骨文字の「舟」(ふね)と同じ字形。
記憶が定かではないのですが、「ホコ」には「不動」「定位置」などの「ポイント」を表すようです。
「鉾」(」(ほこ・ム・・禹?・「ボウ」・・・・牟=ム)・・・「芒」(ボウ・のぎ・すすき?)・・・・ボウ・・「牡」(おす・ボ・「ボウ」・モ)「牛」+「土」(地面の刺さる「十字架」)  「社」やしろも古文字形が同じ。
ほこ「鉾」・ほこら「祠」・やしろ「社」・つち(津地?)「土」(地面の刺さる「十字架」)・・・・夏の禹の治水と測量から「甲骨文字」が発生したことの証明を試みました。
「戣」(ほこ・キ)・・・・・三鋒矛・・・矛先が「✝」クロス(癸・みずのと?)型「槊(はこ・サク)・・・・刃が分かれている・すごろくの盤??
「武」(測量?)の本来の意味。「槍」(やり・ソウ・ショウ)・・・・武器の意味のほかに「農具の一つ・草を刈るもの」・・・・測量での下草刈・・・・焼畑での「火止め」・・・草薙の剣?「鎗」 ・武器の意味のほかに 三本足が有るなべ(鼎カナエ?測量器具)  「長鎗」の別名が「米」こめ?・・・いや八方向!・・・他に「酒を入れる器」・・・禹の父の甕棺(測量台・古墳)
「戛」(ほこ・カツ・ケチ)・・・・長いほこ・「則 定則 常の道(タオ?)」「戟」(ほこ・ゲキ)・・・・「枝」?の有るほこ。「棨」(ほこ・ケイ・割符)・・・・さやをかけた儀式ようのほこ。)
「逆矛」=やしろ「社」とおなじく「不動」の「測量のポイント」なのです。


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お奨め HP デス
2005年8月6日 23:03:02 いばらの紀氏

日本民族起源の新説
http://www.japanology.cn/paper/wy/06wy.htm

第三節 東夷観の成立
http://shinjuku.cool.ne.jp/jiangnanke/book/jnihonzo/nihonzo_1-3.htm

日本対外関係史
http://www3.plala.or.jp/KakuhouARC/92gaikou.htm

中国史のなかの日本像
http://www.japanology.cn/book/nihonzo/01/3.htm
第一節 「倭」の地理像
http://www.japanology.cn/book/nihonzo/01/1.htm

2005年・空から大阪の古墳巡り
http://www5e.biglobe.ne.jp/~elnino/Folder_DiscoverJPN/Folder_ViewFlight/JPN_2005OsakaTumuli.htm


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今夜は、紀氏も肴に?
2005年8月8日 10:23:36 いばらの紀氏
お奨め HP デス 56億7千万年後の弥勒菩薩の降臨
時のかたち
http://homepage3.nifty.com/silver-moon/aeon.htm
マヤの一部の人たちが13カトゥン(256年;20カトゥン=1バクトゥン)ごとに都市を放棄して別の土地に移動していたことなどから、彼らの宇宙観と関連があるのではないか、という説があります。
(伊勢神宮と同じ?)

北極星も2500年前は真北ではなかったんです
ミトラ教の歴史
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/extra006.htm
「洞窟に入って回復するというテーマの儀式」・・・・キリスト・・・古墳?

たぁ〜坊のひとりごと
地球の運動は幾つある?
「歳差運動が1度、移動するのに72年かかりますの、ほんとうだよ!一周するのに2万5千9百20年かかります。」・・・・72年は「磯出大祭!」
http://blog.goo.ne.jp/turbo-a4

  孤軍奮闘・・・・秋風を感汁教個の語呂デス。


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諏訪から戻って
2005年8月9日 4:04:21 管理人
紀氏さんこんばんは
いろいろ情報ありがとうございます。後で家のパソコンで確認させていただきますね。今日はカワカツさん、トミタさんと飲んでます。ひるからどこか遺跡とか探して皆さんで探索する予定ですが、もしよろしければきしさん、みなさんいらっしゃいませんか。またおすすめ見学地とかありましたらお願いします。


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今日も
2005年8月9日 23:44:35 管理人 MAIL
国分寺に行き今夜は千葉方面に来ています。もし探索に来られるかたいらしたら、携帯に連絡くださいね。


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剣・矛
2005年8月10日 23:54:11 管理人
紀氏さんこんばんは。今日は鹿島に行ってきましたが、あらためて鹿島の剣の大きさや、その武具の持つ象徴的な意味について考えさせられています。ご指摘にあるように「矛」は、漢字の意味でも領域を示すことがあるんですね。領域と矛とか剣とか、棒の話は、日本でも聞いていますが、漢字の意味から調べてみるのも重要ですね。ほこ「鉾」・ほこら「祠」・やしろ「社」・つち(津地?)「土」(地面の刺さる「十字架」)・・のご指摘も重要です。今日行った息栖神社はもともと沖津神社、於岐都説神社・・ともあり、かわかつさんとも「津」のあたりでいろいろ話しあっていました。ぜひ今度は紀氏さんも会合、探索いらしていろいろ教えてくださいね。ではではお休みなさい。



ヘブライ語と日本語
2005年8月3日 11:50:56 とみた MAIL
大和民族はユダヤ人だったというヨセフ・アイデルさんの本(たま出版)を読んでの感想です。学術的なことは分かりません。著者はロシア生まれ。パレスチナに暮らし欧米で理工学と言語学を習得した人で、日本にも来て神社体験をした人・・・すでに故人。

イスラエルの失われた十部族の行方を追って、日本へ来たのではという思いで手がかりを、日本神話と旧約聖書の類似性ヘブライ語と日本語の類似性に求めた人です。

@神武東征はキエノトラの年に出発。キノエトラはヘブライ語でトラを授かるという意味で、旧約ではカナンの旅の一年目にトラを授かった。
A熊襲(クマソ)は旧約のケモシ。夷(エビス)は旧約のエブスに対応
B種族の長の県主(アガタヌシ)は旧約ではAGUDANASI
C祭司を担当する中臣家の始祖、天児屋根(アメノコヤネ)はヘブライ語・アラム語で KOHANEは祭司。KOHENは僧侶

Dイザナギ・イザナミが八尋殿で結婚をするとき、アナニヤシ、エオトメ・・・といいいます。古代ヘブライの婚礼儀式ではANA NIYASI 私は結婚するという。

E日本語で恥ずかしめ(侮辱)は、ヘブライ語ではHAZEKASHEM(武侮辱)
Fだべる、ばれる、凍る、物、なく、ゆるし、ぎんざ、さむらい、などなど・・確かに同じ発音です。

Gヘブライ語と日本語のカナの文字対比も非常に似ています
たとえば、ヘブライ語のコ、ク、ト、ノ、フ、レ、そ、ひは日本語のそれとそっくりです。


ついでに、イスラエルの十部族は海洋を経由と思っておりましたが、陸路の可能性を指摘していました。

シルクロードは前漢の武帝の時代に始まるとしてそれ以前にも古代ルートがあったのでしょうか。タクラマカン砂漠の北辺でペルシャ・メディア人と天山山脈で大和の民と接触したという説です。

新疆北西部、イリ川の上流部には”ヤマトゥ”という場所があるとか・・・

NHKの新シルクロード 草原のたびは今夜3日の11時に放送。まさしくイリ川草原ルートです。!!

ヤマトの民は東シナ、朝鮮経由で天孫族として日本へ・・・


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楼蘭のチョウ美人
2005年8月3日 12:33:28 とみた MAIL
一昨日のNHK新シルクロードで楼蘭をやってましたでしょう。ご覧になりましたか。

楼蘭からタクラマカン砂漠を西へ100kmの小河墓遺跡の発掘です。3000-4000年前のいわば中国は殷(商)に時代の遺跡です。

墓地なんです。砂の上に遺体を横にし、その上に船を伏せた棺をいくつも掘りだした。

20代の女性を見て吃驚、息を呑むほどの超美人だ。美しい顔でした。彫りの深い顔、フェルト帽をかぶり、小さな籠には小麦の種が・・・トルコのアナトリア高原を起源とする小麦が入っている。

コーカソイド。インド・ヨーロッパ族は5000年前に黒海あたりから東へ、南シベリア・アルタイあたりへそして一部は南下・・・これがタクラマカンへ4000年前についた。超美人に思いを馳せる。

60代の女性の棺に玉や青銅の飾りが掘り出された。牛の皮、羊毛なども見出され、やはり牧畜の民だ。
井上靖の楼蘭王国よりも1000年近く前にこんな部族が生きていた。



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わたしも
2005年8月3日 17:09:49 管理人
ローラン特集みました。シルクロード行ってみたいですね。
ヘブライ語、平仮名とよく似ているのは注目ですね。「イザナギ・イザナミが八尋殿で結婚をするとき、アナニヤシ、エオトメ・・・といいいます。古代ヘブライの婚礼儀式ではANA NIYASI 私は結婚するという。」
この記載はちょっとおもしろいです。

昨日も出版に向けて原稿校正中です。昨日は序文とつなぎの文章を加えました。こちらのアドで校正の中継見れますのでよかったらどうぞ。

http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/genkousyu/houkoku2005.htm
最終的には聖書がどう記紀に入って行ったか?に焦点が絞れて着ました。あとはいらない部分を削除して、いろんな方にもよく理解できるようにする作業が大変です。


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シルクロード
2005年8月11日 0:03:11 管理人
とみたさん、先日は本当に貴重なお時間ありがとうございました。とみたさんのお年をとても感じさせない活力、豊かな人生経験とともに、しっかり焦点をあわせた論理と知識の積み重ねのあり方、大変勉強になりました。あの日そういえばNHKのローランのDVDと携帯DVDプレイヤー持っていたので、お見せしながらお話できればといまさらながら感じました。シルクロードなど、まだまだお話する時間が足りなかったように感じますが、またそんなお話もできること楽しみにしています。今後ともよろしくお願いします。



遣唐使新刊
2005年8月2日 23:55:17 管理人
今日は携帯DVDで「ヘブン・アンド・アース天地英雄」という中国の最新映画を見てました。中井貴一が演じる元遣唐使だった役人と中国の逃亡犯の豪傑が、シルクロードで隊商の宝物を狙う馬族やトルコ族と戦いながら、宝物を長安に無事送り届けるという内容でした。なかなか戦闘シーンも迫力あったんですけど、特におもしろかったのはその当時のシルクロードの石城の仕組みとか戦闘兵器の数々が見事の再現されているのが新鮮でした。騎馬民族がもし日本に渡ってきたのなら、その辺の石城構造とか武器とかも伝わってくるのではとか感じますがどうでしょう。
さて、その後四谷の教会でミサに出て、そのまま新宿で行って紀伊国屋で、仏教関連の伝来の歴史についての本を探していたら、去年公表された遣唐使の名前が刻まれた中国の石碑を調査した新刊が売り出されていたので、さっそく購入してみました。
「遣唐使の見た中国と日本」〜新発見「井真成墓誌」から何がわかるか〜 専修大学・西北大学共同プロジェクト編。
19歳の時遣唐使で中国にわたった「井真成」と称された人物が36歳で客死するまでの記載が墓誌に残されており、いろいろ分析されていて勉強になります。先日亡くなった佐伯有清氏の最後?の論稿も掲載されていました。
そういえば先の「ヘブン・アンド・アース天地英雄」の中井貴一ふんする日本人も13歳でわたって役人になって重宝されて帰れず最後は長安手前で殺されちゃうんですよね。武術とかまで学んで、最後は国に帰りたいとかつぶやくシーンがあるんですが、墓誌の記載と似てますね。DVDと新刊ふたつセットで見ると、歴史背景がありありと浮かんでくるのでお勧めです。



本を読んだりj
2005年8月1日 0:11:09 かわかつ WEB
地図を眺めたりも結構ですが、管理人さんのように少し下界へ出て、実証的に考察してみるのも大事ですぞ。オリジナリティは常に外に転がっているものです。


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! わすれてました
2005年8月1日 16:10:41 いばらの紀氏
「下界へ出て、実証的に考察してみるのも大事ですぞ。オリジナリティは常に外に転がっているものです。」
! わすれてました、以前にはポイント探しに地図を片手に近隣の道無き山林を探索していましたが・・・いつしかテーブルワークに・・・・
話題性のありそうな?地図でのポイント「発見」(下記)・・・・・かわかつさん、現地(九州)の状況・・・・気がかりでした。
ほら、「久留米の岩戸山古墳を中心に(正三角形での)六角形。」での?のポイントの件ですヨ!。
「島原〜∴臼杵磨崖仏の途中(∴菊地 旭志)∴岩戸山古墳〜宮崎の諸塚との接点」
「∴銚子塚古墳〜竹田の∴岡城跡の途中(∴岩戸山古墳〜∴熊野磨崖仏の途中)との接点」
「飯塚の∴立岩遺跡〜竹田の∴岡城跡の途中(∴岩戸山古墳〜∴熊野磨崖仏の途中)との接点」
(∴岩戸山古墳〜飯塚の∴王塚古墳・∴立岩遺跡〜∴銚子塚古墳)
(∴岩戸山古墳〜∴銚子塚古墳〜鹿島)
(∴岩戸山古墳〜鹿島〜島原)
以上「3・接点」の現況を知りたいのですが、お忙しいところ、かわかつさん調査のほど是非よろしく御願いいたします。

右足外側に胡座タコの紀氏でした。


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スケール
2005年8月2日 1:20:12 かわかつ WEB
紀氏さんのスケールは大きく、歩くことがあなたを助けていく。そのはずですよ。
来て下さい、九州が貴方を迎えてくれます。
9月、待っています。
外へ、広大な宇宙へ!


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竹田の
2005年8月2日 17:07:35 かわかつ WEB
七つ森古墳はいかがですか。禰擬野神社の近くですが。七つの古墳が集まっています。


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鶴亀ライン
2005年8月4日 2:46:38 いばらの紀氏

鶴崎(鶴)〜万年山(亀)〜岩戸山古墳〜国見山(くにみは測量の為カモ?)・・・・東西レイライン!
万年山(亀)が埼玉の万年橋・・・・鶴はツールでコンパス亀は亀甲紋で六角形(篭目・ダビデの星)
九州の地名(同じ様な地名を結ぶラインとポイントからの30度60度90度の角度の放射ライン)測量に関係しますし・全国に同名の地名が存在します。(島原の隣りに「布津」フッツ主を思い浮かべました。)
かわかつさん竹田の「七つ森古墳」の情報、ありがとう御座いました。(九州の遺跡地図?・・・・・楽しそうですネ。)地図の世界から抜け切れない閉じこもりの紀氏でした。


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とじこもりは
2005年8月4日 7:12:08 かわかつ WEB
私も数年前までは実は引きこもっていたんですよ。でも母の死を契機に外へ出ました。私にとってNETはむしろ外界への架け橋でした。



すごい!HP
2005年7月30日 10:33:27 いばらの紀氏
すごい!HP・・・ビブレ博士の聖書と二本
『記紀』の中にへブル語?
http://www.geocities.com/heartland/lane/7662/nihon/nihon00.htm

「ヤ」の音を古来から神聖視してきた。へブル語の「ヤ」(「ヤー」または「ヤハ」)は、旧約聖書に出てくる神の御名「ヤハウェ」の短縮形なのじゃが
http://www.geocities.com/heartland/lane/7662/nihon/minyo.htm
日本神話と聖書記事(1)
http://www.geocities.com/heartland/lane/7662/nihon/shinwa_1.htm
http://www.geocities.com/heartland/lane/7662/nihon/shinwa_2.htm
とにかく、良いです。


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今頃なにを
2005年7月30日 15:56:48 かわかつ WEB
おっしゃいますやら。八幡はYHWHですよ。「いやはた」「いやさか」
皆様、問題はそれを否定できる論法を見つけ出せるかというところに来ています。否定できなければ八幡=やーうぇが立証するのです。頑張って下さい!とみたさんも頑張って下さい。
私は本の校正と大掃除。
あち〜あちあち><;


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聖書と記紀
2005年7月30日 22:33:37 管理人
ヤーウェ=八幡説はちょっと単語ですし、情報量がそれにともない限られてくるので、立証か否かを論ずるのは難しいですね。
でも紀氏さんお知らせいただいたサイトの山幸彦とヨセフの話とかは、相当な単語量=情報量を双方有しているので、暗号学者あたりの理論で解明すれば、どのくらい相関性をもっているのかは一目瞭然の結果として現れてくるでしょう。
http://www.geocities.com/heartland/lane/7662/nihon/shinwa_1.htm

私も神功皇后と応神の話にマリアとイエスの新約伝承がかかわっていることは研究報告で指摘しているとおりですし、先の雄略記と一言主条の事例のように、相当な情報量をもつ伝承同士の相関性を測る指標を早めに確立したいですね。
今のコンピューターの時代なら、その単語、文節類の前後の関係、組み合わせ論、時系列の文節類の流れなど、プログラミングしていって、最終的に例の「聖書の暗号」問題あたりにでてくるようなプログラムでソートして相関性の結果を導きだすシステムを構築したいものです。ただ、そのためには、数学者とかプログラマーとかの協力と経費がかかり、大プロジェクトになるでしょうね。もちろんその結果次第では両者は違うという証明にもなるのではありますが、そこに自信が持てるか否かの問題もあるでしょうし・・・。いや私はやるんなら真実を追究する研究者としてそこまでやりますよ。数年以内に。


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しかし
2005年7月30日 22:53:06 管理人
仮に、記紀の神話伝承から雄略記紀までの伝承と旧約新約伝承との相関性がかなり高かったケースにおいて、どういうことが社会的に想定されるかという点ももちろん考慮しておくべきでしょうね。縄文稲作問題みたいな、それまでの学者のや権威が云々というのはどうでもいいことで、問題は日本社会の1億人の意識にどうその影響がかかわるのかという点まで、明確に予測をつけてその辺の研究に取り組むべきかと感じますし、私なりにはその辺はここ10年くらいずっと考えてはいます。深い問題ですからね。


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日本人は順応性が高いと思います。
2005年8月4日 2:50:27 いばらの紀氏
「日本社会の1億人の意識にどうその影響がかかわるのかという点まで、明確に予測をつけてその辺の研究に取り組むべきかと感じますし・・・・・」
「人類皆兄弟」になる為の弊害(異民族への偏見・異教徒への理解不足・階層意識など)を無くす為に「人類皆混血」を理解させるのが早道と考えます。



縄文時代の稲作
2005年7月29日 11:59:48 とみた MAIL
こんな事実も考古学で分かってきました。

熊本県本渡市の大矢遺跡から出土した縄文時代中期(約5000〜4000年前)の土器に、稲もみの跡「圧痕」が残されていたことが19日までに、福岡市教育委員会文化財部長で考古学研究者の山崎純男さんの調査で分かった。

中国では長江中流域の湖南省の岩窟で12000年前の栽培稲の痕跡が出るし・・・・

要するに今までの定説ではあてにならんということのようです。


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テスト
2005年7月30日 22:18:20 管理人
ずいぶん今までの稲作=弥生人という認識と違う結果が最近出てきているようですね。これでは、きっと歴史のテストであてずっぽうに稲作開始の年代はBC5000年とか書いて0点とった中学生が、今になって実は正解だったとかいう結果にもなりかねませんね。いや、わたしもテストで稲作=弥生人と回答していたかもしれません。そういうころころ逆転してしまうようなことが古代史にはつき物で、権威の大論説をすべて鵜呑みにすることは危険です。せいぜい七三くらいの正解率で聞いておいたほうが懸命かもしれませんね。



竹取物語の中の藤原氏
2005年7月28日 22:57:46 とみた MAIL
壬申の乱で没落した藤原(中臣)氏が、権力の中枢に復活するには非常手段をとった。多くの皇族や豪族を闇に葬っている。そのために深い恨みを買った。竹取物語は藤原氏の陰謀で没落しの憂き目をみた紀氏(紀貫之)によって書かれた疑いが強い。

藤原不比等を暗示する車持皇子に対して[たばかリある者]すなわち謀略好きな男と手厳しい。そればかりか、姑息な手段でかぐや姫を我が物にしようとした人物として描かれている。

車持皇子は、罪もない者たちを血の出るほど叩きののめすという残虐な人物だったというのだ。かぐや姫を迎えにきた月の都のものたちは[いざ、かぐや姫,穢き所にいかでか久しくおはせん]と語りかける。

穢き所とは、藤原の天下そのものを指している。このような辛らつな批判を受けるほど、藤原氏は恨みを買っていた。

以上は、関裕二さんの[大化の改新の謎]からの引用です。


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車持皇子
2005年7月29日 3:05:42 管理人
竹取物語には、なんか深い暗喩があるように感じたのですが、なるほど藤原氏を批判する視点があったんですね。そこには追い落とされた紀氏がいた。いや、ほんとに藤原氏、ひどいことをしたんでしょうね。同族すらも追い出したこともあったとの説は、関口氏の多胡碑関連の本に書かれていました。蘇我や紀氏など、追い落とされた人や氏族はどこへいったのでしょう。個人的には藤原と多治比氏・行基との関連も多胡・高麗郡関連で注目しています。行基は奈良当時の藤原政権に最初は対抗し、後に結びついた。関東とか大宰府いう地は、はてさて追い落とされた人の伝承でいっぱいなのでは・・。とみたさんいろいろグッドな情報ありがとうございます。


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関祐治に
2005年7月29日 9:46:40 かわかつ WEB
ずいぶんはまってますね。^^;


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関さんの本にも秦氏登場
2005年7月29日 19:26:06 とみた MAIL
ハイハイ、かなり関さんに嵌ってますよ。若いし何せ私の住んでる市の出身なんです。
古代史は余りに説が多いので、スパット切ってくれると小気味よいというのも確かです。藤原(中臣)鎌足=百済王 豊璋
なんて誰も言ってくれないでしょう。
でも蘇我氏と中大兄皇子の関係で気になることもあります。

鎌足は彼の説では百済王だから当然百済を応援するでしょう。
中大兄皇子は百済救援のために母親の斉明天皇の崩御の後、任那へ出かけますね。もちろん百済派。蘇我氏は百済出身といわれているのになぜ中大兄皇子と反目するのかと疑問に思いました.蘇我氏と聖徳太子は全方位外交で百済一辺倒ではない。蘇我氏は百済出身ともいえない。百済人のテクノクラートを利用したに過ぎない。壬申の乱では天武天皇を尾張一族とともに応援して勝利に導いている。

という関さんの考え方です。

秦氏については、祟りのところで一つ触れてました。
桓武天皇は寵愛している藤原種継に長岡京を造営させますね。彼の母は秦氏だと書いてありました。種継の暗殺に桓武の弟の早良親王=皇太子が加担したという罪で淡路国に流して殺してしまいます。その祟りで高野折笠皇太后も皇后も子供の安殿も天然痘で死んだんだという話です。

かわかつさん、別の本に八幡(ヤワタ)は八=多い、秦すなわち多くの秦氏という意味だと書いてありましたが本当ですか。


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さあ?
2005年7月29日 19:38:11 かわかつ WEB
今度の飲み会でその辺話題にしましょうよ。



関裕二の謎シリーズ
2005年7月28日 21:52:16 とみた MAIL
関裕二さんの大化の改新の謎を読み終わりました。

@武内宿禰は葛城の祖。蘇我氏の祖でもある
A葛城氏、平群氏は蘇我氏系の豪族
A−1 雄略天皇は葛城氏を滅ぼす(円大臣を滅ぼし、一言主神を追放)
Aー2 武列天皇が平群氏を滅ぼす
B蘇我氏と物部氏はいずれも出雲の出で同族
C尾張氏の祖もニギハヤヒの末裔で物部氏の同族。
 尾張氏の本貫地は葛城、蘇我氏の本貫地も葛城
D天孫族がヤマトに入る前に、出雲の中臣、忌部の神道とニギハヤ ヒがヤマトに舞い降りた。ヤマトを造成したのは出雲
E伽耶王子が越の国ケヒ浦へ、天日矛(新羅国王子)が但馬へ崇神天皇を慕っ て来る話は一年違い。同じかも?

F中臣鎌足の正体が怪しい。中臣氏はもともと宮廷祭祀、神道祭祀 の中心的存在。。
G中臣鎌足は明日香に誕生の小さな碑しかない。系譜が分からないまま忽然と歴史に現れる
H中臣鎌足は。・・・百済王子の豊璋(王+章)だ。中大兄皇子とともに百済を救わんと必死だった


継体天皇の謎では神功皇后が耶馬台国のヒミコを破った。ヒミコの
後継者、台与は神功皇后そのもの。皇后は糸魚川の沼河姫だ。

蘇我氏は継体天皇が出てきた6世紀から栄える。継体は北陸からヤマトへ

アット驚く為五郎です。でも文献が豊富で説得力ありますねえ。
キーワードは祟リです。中大兄皇子、藤原氏はいかに多くの暗殺を企ててきたか、それをいかに正当化し、蘇我氏に悪役を背負わしたか。

豪族の出自関係を討論の場に提供しますので異論反論をお願いします。関さんの根拠は当然あります。

それにしても、関さんの本には、秦氏は全然出てきませんね。

豊王+章という百済王子=中臣鎌足を日本から百済へ運んだのは、先

日話題にした安曇族の安曇比羅夫率いる軍団です。結局百済は破れ

て王子は日本に戻らざるを得なかった。これが穂高神社本宮のお船

祭りと上高地の明神岳の麓の明神池=奥宮の例大祭に反映してい

る。

ついでに、先日の新聞によると・・・葛城氏の建物の遺構が奈良県御所市(極楽寺ひびき遺跡)で発見されました。5世紀前半の大型の建物跡です。


 


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出雲出
2005年7月29日 2:48:08 管理人
とみやさんこんばんは。とみたさんのほうが関さんの本先に読み終えてしまいましたね(反省)。結局蘇我のほかに物部も出雲出の結論になったんですね。なるほど、尾張も蘇我も葛城ですか!葛城地域いまいち大きな神社が少ないのは気になっています。記録もすくないし、姓氏録の地域別の氏族の分析で苦労しました。なにかなぞがありそうです。
関さんの本で、秦氏確かにあまり出てこなかったですね。おおよそ大化の改新あたりの論は説得力あったんですが、卑弥呼のあたりは論証不足で、あえて触れないほうがよかったというのは、たぶんかわかつさんも同感でしょうね。いや、あえてそこに触れたところに何か彼の意図があるのでしょうか・・・。
ともあれ、すばらしい本です。藤原と蘇我の祟りと祀りあげる論理、出自の問題など、いろいろ新視点が出てきて勉強になります。もちろんすべて祟り封じ込め祀りあげ論では解決できないことも多いでしょうけど、あえて祟り論を前面に展開することによって、方法論の可能性を明確に提示くれますね。本を書くならあのくらい徹底してひとつの方法論でやってみるのもアピール度が強くいいですね。批判されても結局その方法論の特性や限界、応用など明確になってきますから、後代のためになると思います。関さんシリーズ期待ですね。




へるぷ
2005年7月28日 15:30:05 いばらの紀氏
 
 ユダヤ・キリスト・イスラムの聖地(同じなのに、ナゼ?)
一次産業=農魚業(自然神)
二次産業=手工業・・・スラム・・・法(倫理)にもとずく助け愛?
三次産業=サービス業・・・・・・・資本主義?・・権利収入?・・・煩悩の商品化.
権利収入=特許権(知的財産)・利子・?サービスも?
一次産業・二次産業=相互関係・・・成立。
三次産業=サービス業・・・・・・・・権利収入・・・利子?(金融業・・・・お金に困った人に融資・・・・金で縛る。・・リスクは???軍隊での集金!)
(労せず金に成る鴨。)
人間の欲(比較)が不幸を招いている?


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階級
2005年7月29日 2:28:43 管理人
確かに私も学者世界から、港湾労働、建設業から営業、介護、パソコン、事務までいろいろやってきましたが、あまりにそれらの世界の違いに驚きを感じますね。その中で確かに第3次産業の人がうまく第1・2次産業の人を「使って」お金をもうけている仕組みはよく見て取れます。もちろんみんな一生懸命働いてはいるんですが・・・。なんというか労働組合でもないかぎり1,2次産業の人が多くの拘束から開放されることがないというのも確かですが、正直組合を作る気力も余裕もそがれるまでに仕組まれているというのが正直なところでしょう。その辺の欲求不満はさらに別のサービス業が儲けることになっている。よく地震予知サイトの管理人が言っているのは、1兆円の研究費をかけても今でも次に起こる地震の予知すらできない、素人のサイトのほうがはるかに正確に予知しているということですね。結局、ありあまるほどの大量の資金はまともな方向にむけられずどこへ消えていったのか、紀氏さんのいう人間の欲に消えていったのかもしれませんね。


竹取物語の中の藤原氏
2005年7月28日 22:57:46 とみた MAIL
壬申の乱で没落した藤原(中臣)氏が、権力の中枢に復活するには非常手段をとった。多くの皇族や豪族を闇に葬っている。そのために深い恨みを買った。竹取物語は藤原氏の陰謀で没落しの憂き目をみた紀氏(紀貫之)によって書かれた疑いが強い。

藤原不比等を暗示する車持皇子に対して[たばかリある者]すなわち謀略好きな男と手厳しい。そればかりか、姑息な手段でかぐや姫を我が物にしようとした人物として描かれている。

車持皇子は、罪もない者たちを血の出るほど叩きののめすという残虐な人物だったというのだ。かぐや姫を迎えにきた月の都のものたちは[いざ、かぐや姫,穢き所にいかでか久しくおはせん]と語りかける。

穢き所とは、藤原の天下そのものを指している。このような辛らつな批判を受けるほど、藤原氏は恨みを買っていた。

以上は、関裕二さんの[大化の改新の謎]からの引用です。


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車持皇子
2005年7月29日 3:05:42 管理人
竹取物語には、なんか深い暗喩があるように感じたのですが、なるほど藤原氏を批判する視点があったんですね。そこには追い落とされた紀氏がいた。いや、ほんとに藤原氏、ひどいことをしたんでしょうね。同族すらも追い出したこともあったとの説は、関口氏の多胡碑関連の本に書かれていました。蘇我や紀氏など、追い落とされた人や氏族はどこへいったのでしょう。個人的には藤原と多治比氏・行基との関連も多胡・高麗郡関連で注目しています。行基は奈良当時の藤原政権に最初は対抗し、後に結びついた。関東とか大宰府いう地は、はてさて追い落とされた人の伝承でいっぱいなのでは・・。とみたさんいろいろグッドな情報ありがとうございます。



関裕二の謎シリーズ
2005年7月28日 21:52:16 とみた MAIL
関裕二さんの大化の改新の謎を読み終わりました。

@武内宿禰は葛城の祖。蘇我氏の祖でもある
A葛城氏、平群氏は蘇我氏系の豪族
A−1 雄略天皇は葛城氏を滅ぼす(円大臣を滅ぼし、一言主神を追放)
Aー2 武列天皇が平群氏を滅ぼす
B蘇我氏と物部氏はいずれも出雲の出で同族
C尾張氏の祖もニギハヤヒの末裔で物部氏の同族。
 尾張氏の本貫地は葛城、蘇我氏の本貫地も葛城
D天孫族がヤマトに入る前に、出雲の中臣、忌部の神道とニギハヤ ヒがヤマトに舞い降りた。ヤマトを造成したのは出雲
E伽耶王子が越の国ケヒ浦へ、天日矛(新羅国王子)が但馬へ崇神天皇を慕っ て来る話は一年違い。同じかも?

F中臣鎌足の正体が怪しい。中臣氏はもともと宮廷祭祀、神道祭祀 の中心的存在。。
G中臣鎌足は明日香に誕生の小さな碑しかない。系譜が分からないまま忽然と歴史に現れる
H中臣鎌足は。・・・百済王子の豊璋(王+章)だ。中大兄皇子とともに百済を救わんと必死だった


継体天皇の謎では神功皇后が耶馬台国のヒミコを破った。ヒミコの
後継者、台与は神功皇后そのもの。皇后は糸魚川の沼河姫だ。

蘇我氏は継体天皇が出てきた6世紀から栄える。継体は北陸からヤマトへ

アット驚く為五郎です。でも文献が豊富で説得力ありますねえ。
キーワードは祟リです。中大兄皇子、藤原氏はいかに多くの暗殺を企ててきたか、それをいかに正当化し、蘇我氏に悪役を背負わしたか。

豪族の出自関係を討論の場に提供しますので異論反論をお願いします。関さんの根拠は当然あります。

それにしても、関さんの本には、秦氏は全然出てきませんね。

豊王+章という百済王子=中臣鎌足を日本から百済へ運んだのは、先

日話題にした安曇族の安曇比羅夫率いる軍団です。結局百済は破れ

て王子は日本に戻らざるを得なかった。これが穂高神社本宮のお船

祭りと上高地の明神岳の麓の明神池=奥宮の例大祭に反映してい

る。

ついでに、先日の新聞によると・・・葛城氏の建物の遺構が奈良県御所市(極楽寺ひびき遺跡)で発見されました。5世紀前半の大型の建物跡です。


 


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出雲出
2005年7月29日 2:48:08 管理人
とみやさんこんばんは。とみたさんのほうが関さんの本先に読み終えてしまいましたね(反省)。結局蘇我のほかに物部も出雲出の結論になったんですね。なるほど、尾張も蘇我も葛城ですか!葛城地域いまいち大きな神社が少ないのは気になっています。記録もすくないし、姓氏録の地域別の氏族の分析で苦労しました。なにかなぞがありそうです。
関さんの本で、秦氏確かにあまり出てこなかったですね。おおよそ大化の改新あたりの論は説得力あったんですが、卑弥呼のあたりは論証不足で、あえて触れないほうがよかったというのは、たぶんかわかつさんも同感でしょうね。いや、あえてそこに触れたところに何か彼の意図があるのでしょうか・・・。
ともあれ、すばらしい本です。藤原と蘇我の祟りと祀りあげる論理、出自の問題など、いろいろ新視点が出てきて勉強になります。もちろんすべて祟り封じ込め祀りあげ論では解決できないことも多いでしょうけど、あえて祟り論を前面に展開することによって、方法論の可能性を明確に提示くれますね。本を書くならあのくらい徹底してひとつの方法論でやってみるのもアピール度が強くいいですね。批判されても結局その方法論の特性や限界、応用など明確になってきますから、後代のためになると思います。関さんシリーズ期待ですね。




へるぷ
2005年7月28日 15:30:05 いばらの紀氏
 
 ユダヤ・キリスト・イスラムの聖地(同じなのに、ナゼ?)
一次産業=農魚業(自然神)
二次産業=手工業・・・スラム・・・法(倫理)にもとずく助け愛?
三次産業=サービス業・・・・・・・資本主義?・・権利収入?・・・煩悩の商品化.
権利収入=特許権(知的財産)・利子・?サービスも?
一次産業・二次産業=相互関係・・・成立。
三次産業=サービス業・・・・・・・・権利収入・・・利子?(金融業・・・・お金に困った人に融資・・・・金で縛る。・・リスクは???軍隊での集金!)
(労せず金に成る鴨。)
人間の欲(比較)が不幸を招いている?


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階級
2005年7月29日 2:28:43 管理人
確かに私も学者世界から、港湾労働、建設業から営業、介護、パソコン、事務までいろいろやってきましたが、あまりにそれらの世界の違いに驚きを感じますね。その中で確かに第3次産業の人がうまく第1・2次産業の人を「使って」お金をもうけている仕組みはよく見て取れます。もちろんみんな一生懸命働いてはいるんですが・・・。なんというか労働組合でもないかぎり1,2次産業の人が多くの拘束から開放されることがないというのも確かですが、正直組合を作る気力も余裕もそがれるまでに仕組まれているというのが正直なところでしょう。その辺の欲求不満はさらに別のサービス業が儲けることになっている。よく地震予知サイトの管理人が言っているのは、1兆円の研究費をかけても今でも次に起こる地震の予知すらできない、素人のサイトのほうがはるかに正確に予知しているということですね。結局、ありあまるほどの大量の資金はまともな方向にむけられずどこへ消えていったのか、紀氏さんのいう人間の欲に消えていったのかもしれませんね。



画像掲示板
2005年7月26日 23:56:43 かわかつ WEB
うちの画像掲示板に「御田祭り」の映像をいくつかアップしました。
周囲は古墳と広大な田園。そこを「はれ」の白装束の一団がそろそろと歩いて行く。炎天下の幻、陽炎のような絵物語でした。
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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ポップアップ
2005年7月27日 22:22:23 管理人 MAIL
トップページにかわかつさんと紀氏さんのご本を紹介するポップアップページをつくってみましたのでご確認ください。かわかつさんのHPにも飛ぶようになっています。


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はっずかしい様な・・・
2005年7月28日 15:34:59 いばらの紀氏
 感謝感激です!。思い槍・・・倉にしまっておきます。木氏でした・


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思い槍というと、
2005年7月29日 2:15:29 管理人 MAIL
どうも息長帯姫の槍をもった戦闘的イメージが飛び交うんですが、どうして神功皇后は戦闘的になってしまったのでしょう・・・。



漢字のこころ
2005年7月26日 21:31:47 いばらの紀氏

「津」(古文字)=川+鳥+船
「川」(津の金文)=(縦棒の両側に4点・・・点を結ぶと・・・中・・・・中の中の☒・・・・測量ノポイント・「橋」万年橋!)
「鳥」=測量士の隠語・・・・羽・・・天使
「船」=現世と来世を繋ぐ「橋」(橋の祖は船を繋いだ渡し)・虹
むし
虫=口(禹の父「魚+系」)+ム(禹・・・私)=蝮の形(蛇)・・・・海蛇族?
虫=動物の総称。羽虫は「鳥」・毛虫は「獣」・甲虫は「亀の類」・裸虫は「人間」
「禽獣虫魚」=人と鳥獣魚介を除いた他の動物。
「豸」チ・ジ(足の無いもの)
「虫+牟」鉾?突然ですが「牟」はカマキリ(銅鐸の図!)・・・・測量士!
「蛾」=虫+我(私)・・・・蛾術=蟻アリが蟻塚(古墳?)を作る術
「虹」=橋
とんぼ(銅鐸の図)=秋津・・・・秋のトンボ・・・・交尾の形・・・・二等辺三角形デス!
工具を持つ人=工人・・・・測量士
二匹(二尾)の眞魚(まな・まんな)・・・・双魚・・・・キリスト教のシンボル。
蜘蛛=蜘蛛の網のように測量・・・・蜘蛛舞
參=ム(私)+ム+ム+大(一人)+・・・・虫+虫+虫=虫(動物の総称。羽虫は「鳥」・毛虫は「獣」・甲虫は「亀の類」・裸虫は「人間」)三角形?

漢字の虫・貉(むじな)編・・・面白いです。
漢字には古代からの歴史が存在しています・


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復活しましたね!
2005年7月27日 0:31:32 かわかつ WEB
まってました。禹!


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銅鐸は
2005年7月27日 22:26:23 管理人 MAIL
なんで二等辺三角なのでしょう。銅鐸に虫の絵が描かれているんですね・・・。虫や銅鐸の船の図は測量士を表しているんですかなるほど。すると紀氏さんの持論、銅鐸は測量道具だったとなるわけですね。ううん・・・なるほど。鐘の音も測量と関係あるんですか??


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測量と関係あるんですか?? 」RE
2005年7月28日 13:50:51 いばらの紀氏
天地に和をもたらす楽器。
「銅鐸、測量と関係あるんですか?? 」RE
「鐸」タクには内部に舌と言う鳴子が釣り下げられ、把手の部分に柄を差し込んで「振る」(フルヤフル呪いの言葉?)
以前の「琴」での占い?(弾琴占い)の様な鐸占いや鈴(巫女舞に使用。)占い・・・いや古代の鬼道(卑弥呼やアメノウズメなどシャーマンによる神からの神託)の祭に音楽と踊りによるトランス状態を作り出す楽器。
「楽」の古文字形の字解から私的に「白」の文字は(サレコウベ・ドクロ・頭蓋骨」の色)だから「楽」は頭蓋骨のデンデン太鼓の様な楽器と考えます。
夏の禹の父「魚+系」コン=「口」が酒の甕に入れられ黄河の治水での生贄になり「漢字」での「口」形での意味を表している。(たとえば「河」(整備された川)の文字・「公」甲骨文字では、ム(禹?)が口(「魚+系」コン)の文字。「向く」(示す)・・・・(漢字の祖は禹の治水と測量からの妄想)。
銅鐸には内部に舌(千=+と∪・・・測量での鉾の形)と言う鳴子(鳴=口+鳥!口・霊 コウレイ?)が無い・・・神託が終わり測量のポイントの「祖」となる。
古代中国の軍隊の装備や支援の道具には測量にも兼ねる器機が存在する。(測量も軍隊が兼ねる。)
「ヒ」さじ・「あいくち」の意・話し合う人(霊と成った「口」に伺いを点てるヒ=禹)それに「ヒ」は北斗七星の形でもある。(口+ヒ=叱る)「あいくち」で救う・・・諸刃の剣・・・(軍事力のアメリカが世界を救える?????)
「匙」さじ・・・・掬う(スプーン?)・・・救う(御玉杓子)   しゃく・・・天子が持つ手板(47センチ・尺?)
 
「ヒ」さじ・「あいくち」剣・つるぎ・・・鶴来・・・つる・蔓(はびこる。)葛・藤・葵・・・アイビィー(リーグ?)唐草も?
中国は二本の柱・・・祖霊と自然神として「天」を至上神とした。(三位一体で無かった。)(カバラも旧約聖書も二本の木?)

イスラエルの12部族ー10部族=ユダ族と祭祀を司る?????族カナ・・ん?
いよいよハルマゲドン?・・・・・・・管理人さん「古墳のこころ」PRありがとう御座います。  



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考にしてくださいHP
2005年7月28日 13:51:31 いばらの紀氏
また参考にしてくださいHPです。
出雲の国は鹿島町、島根半島にある町だ。
http://www.janbo.gr.jp/furusato/7/

島根半島の中央部の八束郡鹿島町に位置し、本来竜蛇=海蛇(背黒海蛇)が祭神であった
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/izumo/itabi3.htm

「大元神楽」で検索しましたら、なるほど、興味深そうな神事ですね。
http://www.h5.dion.ne.jp/~gf-4410/iwamikagura%20no%20rekishi.htm
http://kaguranosato.rainy.jp/news.htm


葦は安之か葦みたいですから、味は葦ではなくアヂ。
辞書には「有+鳥」をアヂと読んでアジガモというトモエガモの一種とあります。
アヂガモの住む原、じゃないかな。


http://www.kt.rim.or.jp/~hira/birding/index.html
ここの日本産鳥類辞典→地方名など(和名辞書)から

あじ(新潟、石川、愛媛)、あじかも(東京)、あじがも(石川、鳥取)、さじさい(山梨)、あじろがも(新潟)、かも(愛媛、佐賀)、しまつぐみ(鳥取)、おしがも(熊本)、しまあらし(鹿児島)

あじがも(東京、福井、石川、兵庫)、ともがも(山形)、どろあし、よし、よしがも、かも、あじ、あじがも、すずがも(兵庫)、でつちがも(大阪)、あじさ(石川)、つぶて(埼玉)、あじがも、たおし、かも(佐賀)、づん(宮崎)、おしがも(福岡)、うまおし(熊本)


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銅鐸と鐸
2005年7月29日 2:13:33 管理人 MAIL
紀氏さんお返事ありがとうございます。なるほど、銅鐸には鐸にあった舌がなくなっているんですね。初めて知りました。音を鳴らす楽器から、測量器具へ変化したということですか。びっくりです。
出雲は銅鐸の産地、出雲の銅鐸をもった鹿島集団が追い出されていろいろ駆け巡って鹿島へ。紀氏さんのご指摘はその辺なのですね。それにしても海人族を追っていく上で中国の古代の神話や楽と漢字井、器具の歴史、知らないと銅鐸の歴史はもちろん、渡来人の研究もままならんということでしょうか。しきりに紀氏さんに歓心です。



熊本県阿蘇市の
2005年7月26日 18:35:51 かわかつ WEB
阿蘇国造神社、御田祭りにいってきました。後日、写真を掲示板へアップします。実にゆかしく、深遠な古代祭祀。「うなり」の乙女達の白装束、お楽しみに。


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白装束
2005年7月27日 22:28:16 管理人 MAIL
って、最近ばかりでなく、古代からの伝統あるんですね。御田の祭りは、確か伊沢宮にもありましたが、関係ありますか???


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山からのアプローチ
2005年7月28日 10:34:39 かわかつ WEB
海人族への山からのアプローチです。
御田植え祭り・・・これは全国に残る春の神事ですね。おんだ祭は夏。ここが違います。
御田植え神事は秋の奉納を前提とした御田植え神事。田植えの終了を祝うわけですが、おんだのほうは直接田植えとはかんけいありません。
ただし、バックにある意図は同じ。
春の早苗の祭りがどこか滑稽で開放的なのに比べますと、おんだは実に静かに、ただ歩くだけ。それだけに、婚姻のたびに租税を徴税した神官の権威が感じられます。
真夏に神饌を運ばせる強引さはどうなんでしょう。村人は全然うれしそうにしていません。つんとしてもくもく。
ここで猿田彦は納税者の代表です。
牛頭天皇は疫病退散ですから、八坂の祇園と同じ。逆矛はアメノヒボコと測量、鉄をあらわします。
神饌は「みけ」と言われます。豊前の「三毛」「上毛」「下三毛」、下総の「上毛野」の「毛」とは食物・・・つまりは租税のことなのです。


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逆矛はアメノヒボコと測量、鉄をあらわします。・・・うれしいデス。
2005年7月28日 15:41:08 いばらの紀氏
何分何厘なん「毛」のケでしょうか?


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祀りの雰囲気
2005年7月29日 3:12:46 管理人
かわかつさんお返事ありがとうございます。なるほど祀りの季節や雰囲気が、違うんですね。奥深いですね。なんだろ、舞とか田楽の楽器の音色とか、面とかでその雰囲気を伝承するんでしょうか・・・。祭りよく観察してみたいです。
鉄と逆矛、紀氏さんてきな分析、おもしろそうです。



佐伯博士の
2005年7月26日 18:32:24 かわかつ WEB
日本古代史の重鎮、佐伯有清博士の死を悼む。享年80歳。


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ほんとですか?
2005年7月26日 20:30:38 管理人
佐伯氏の著書「新撰姓氏録の研究」には、私の修論のテーマ新撰姓氏録関連の論文仕上げるのに大変お世話になり、また渡来人関連の著書もあり、一度はお会いしてみたいかたでした。ご冥福をお祈りします。


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朝刊を
2005年7月27日 0:30:10 かわかつ WEB
ご覧下さい。−−
残念ですね。
私もかなりこの方の著書にヒントをいただきました。黙祷。



阿部一族?
2005年7月26日 11:28:03 とみた MAIL
最近、阿部氏,安部氏が気になる。

今、関裕二さんの聖徳太子の本を読んでるんですが、
大化の改新(乙己の変)で皇極女帝から弟の軽皇子に政権が変わりますよね。孝徳天皇の御世になる。左大臣に阿倍内麻呂を任命。645年年代だ。

この前読んだ、信濃安曇の地には、奈良の桜井出身の阿部氏が糸魚川や越後のエミシを征伐して北上している。これが642年。

少し気になって、HPで阿部を検索したら・・・


阿部・安倍本拠地は奈良県桜井にあった。

安倍寺を菩提侍としていた。

桜井から大阪阿倍野へ移っていった。

土御門に残る文献には、「海」に関する物が多く「海人族」となんだかのつながりがあった。


伊勢・志摩の海女が桔梗紋を付けて海へ潜る風習がある。


安倍家はなんだかの形で紀州に関係がある


・・・・
などとあった。キトラ古墳は桜井に近く、その主は阿部氏との説もある。そうであれば高句麗・道教とつながる。渡来人、海人の匂いもする。陰陽道の安部清明も居るし。阿部と安部は違うかな?一緒かな?


皆さん何かもっと阿波一族の出自についてご存知でしょうか。
教えてたもれ。自民党の若きエース?は強硬派、阿部さんだ。



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阿部さん
2005年7月26日 15:23:17 管理人 MAIL
どうもこんにちは。阿部氏の斉明紀での記載、変な挿入のし方しています。一度よく読んでみるとおもしろいですよ。
阿部氏の船旅記載、かなり海に精通した軍団を率いているはずですね。
あとさっき、知り合いのカトリックの阿部さんからメールが来てました。以下です。よかったらお祈りしましょう。
「よろしければ、どうぞお知り合いにもお声をおかけくださいませ。

http://tokyo.catholic.jp/text/heiwa2005/rilay.html

平和旬間 2005
すべての人の平和を願い、すべての人の平和を祈る
 
10日間の『平 和』のための絶え間ない祈り

ふだんの祈りで、平和のバトンタッチ
だれでも、いつでも、どこでも、無理せず、祈りは自由、グループでもOK 
 
どんな願い事であれ、
あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、
わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。
(マタイ 18:19・20)」
 



霧島神宮は
2005年7月24日 19:18:49 かわかつ WEB
山の真ん中ですが、その地名は「あた」です。なんにも答えてくれないからもう書いちゃいます。ーー;
読んでくれない〜〜


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熱海と隼人
2005年7月25日 22:51:56 管理人 MAIL
熱海に阿多の隼人の起源があるとは知りませんでした。阿多の隼人、大隈隼人とともに天武朝あたりの宴会での記載に見えますが、確か大隈隼人の長である大隈氏だけが、忌寸のカバネをもらっているはずです。阿多の忌寸はなかったんですね。そもそも阿多隼人の長はだれだったんでしょう。鹿児島から紀伊、相模、鹿島への航海氏族の流れと隼人の文化、とても興味深いですね。霧島神宮も今度宮崎の知り合いのところに遊びにいくことがあったら行ってみたいものです。隼人舞の盾の文様、盾伏舞、土師氏・・・・。
でも、その前に昨日も地震あった相模湾沿いの熱海に行ったことないので、今度温泉ついでに探索してみます。



すんません・・・
2005年7月24日 0:42:04 泊瀬光延 WEB
話題に全然ついて来れてません。この掲示板凄すぎ。仕事や私事が忙しいなど言い訳になりませんね。
 メーリングリストなど出来たようなことが書かれてますが、入れて貰えますか?

 縄文人と弥生人で顔かたちが違ったとすると面白い話が書けそうですよ。
 瓜実顔は雲南系とよく言われますが、そうと仮定すると縄文人は南方大陸系?エラが張った顔は寒冷適応とすると(渥美清の顔が典型)弥生人は北方大陸系?
 ああこんがらってきた・・・


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了解です。
2005年7月24日 0:49:50 管理人
泊瀬さんおひさしぶりです・・・というか、泊瀬さんが実は普通なのですが、メーリングリストの件了解です。後でメーリングリストのメール行きますのでご確認よろしくお願いします。


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来ました!
2005年7月24日 16:43:21 泊瀬光延 WEB
有り難う御座いました。



ダビデの星ライン?
2005年7月23日 20:26:18 いばらの紀氏
「甑島」・千葉の「野田」・全国「小川」

君が代」発祥の地 入来町(現 薩摩川内市入来町)は,町内の大宮神社で奉納されている入来神舞から,「君が代」発祥の地といわれています
また,大宮神社の近くには「日の丸」という地名もあります。
http://www.pref.kagoshima.jp/home/kohoka/kira/e1040102.htm

鹿児島県 (Keyword Search) 「野田」ここにも「野田」、、、千葉の「野田」愛宕神社(かごめの歌の発祥地)のレイライン・・・・万年橋!!!!!
鹿児島県 ... *:獅子島・伊唐島・長島・上甑島・中甑島・下甑島・黒島・硫黄島(鹿児島県 ... ・・・・・・鹿島からのレイライン?
隼人の住地であった。 隼人の古墳は地下式板石積石室墓を ... *出水市(出水市・高尾野町・野田町)2006/3/13 ...
http://keys-keys.com/keys/k566/8EAD8E9993878CA7/
ふつう「オガワ」と読むが、駿河国益頭郡小河郷の出は「コガワ」と呼ぶ。 小さい川 ... この一族は遠く薩摩甑島郡の地頭になって同地に土着、薩摩藩士となった。 ... 源満政の後裔・浦野重遠の子重房が小川三郎を称したのに始まる。
尾張源氏「小川氏」から徳川の大名水野氏が出ている・・・・・・・・小川・・・・秦氏?
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/21-30/ogawa.html


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甑といえば
2005年7月24日 4:14:13 管理人 MAIL
鹿島の近くの息栖神社にも甑関連の伝説がありましたね。鹿児島と鹿島・・・もしかすると航海民で両者はつながりあるんですか、紀氏さん?


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世界地図no作成
2005年7月24日 10:48:18 いばらの紀氏
みなさんオハヨウ御座います。
世界地図を作成するときに、私だったら海上より海岸線に目印(那智の滝のような)見つけ入江や河口より内陸の目印(高山など)を目指します。(出雲大社を高層建築にしたのは目立つポイントとする為とも考えます。)
古代より渡来した測量士は「禹系」「徐福系」「秦氏系」「神武系」・・・・何れも土地の侵略?征服と布教資源探索で東方に向かう。
鹿島(測量でのポイント)の地名は「津」(入江などの船着き場)に目立つ鳥居や神社を建て(太陽の位置で東西を知る。)川沿いに三角測量し鹿島・香鳥・息(壱岐?)栖神社・・・・などを河の対岸に60度角の位置に建立・・・三角鎖を作りながら川を上る・・・川の水源・山にたどり着く(河口から山頂までの測量の完成。)このようにして見つけた山々を「富士山」などの高山から測量・・・・全国展開する。
鹿島の地名が全国に多数存在するのは、「鹿島信仰」とされているが測量でのポイント地点だからでも有るとの私の考えです。
「禹系」「徐福系」は出雲族での測量(ポイントに銅鐸を埋める。・・・・禹の父「口」が甕に生贄・ポイントとされ黄河の河岸の塚となったとの私的考えから。)
銅鐸や古墳(初期は太一・北極星を北とした。)は誤差が大きいため、後に測量範囲を細分化してゆく(祠や石仏など)測量士も「穴氏」から「僧」や「山伏」に移る。(最後は徳川幕府・水戸黄門?長久保赤水・・・・伊能さん。)
世界地図はキリスト教徒と商人(ユダヤ系?)により完成された。・・・・紀氏の妄想でした。


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妄想妄想
2005年7月24日 17:38:40 いばらの紀氏
「日本では「太一」として神格化された北極星は<動かない星>として、天空を支配してきた。またこの動かない星を基準として<星座>が確立し北半球の様々な人達は移動時の基準とした。このため古代遺跡や古代図面の中には様々な星・太陽・月の軌道が描かれているものもあり、それに筆者のように興味をそそられる学者も少なくはなかった。その中の一人であるギリシャの天文学者ヒッパルコスは、紀元前2世紀図面に注目した。(コンパスが無い時代の図面は北極星を基準にするしか方法がなかった)そして彼は「図面の方位が」少しだけずれているのに気がついたのである。そこから導きだした彼の回答は「北極星は動いている」であった。」

「彼は北極星が長い間掛けて移動している事に気がついたのである。これを「歳差(precession)」という。正確には自転軸を中心に地球の中心から見た最大回転角23.5度で25800年周期で回転している。これは俗に「地球の駒運動」とか「首振り運動」とか呼ばれている物で、丁度駒が駒を回した際に回転が遅くなってくると駒の中心が廻りだす運動と同じである。また今回プラネタリュームソフトを念入りに見てみると天皇天帝と現在北極星とするポラリスは別の星で、5世紀から6世紀に掛けてポラリスは現在の位置とかなり違った位置にあって「完全に動いている事が目視できる星」であることも分かってきた。厳密に言えば古代中国においては確かに星宿にいう「天皇天帝」は「北極」にあり止っていたのは確かなようだ。従って明治期の新暦10月17日は古代の日本においては通用しない日時だったのである。そこで信頼できる日時は旧暦9月17日だけとなったわけだ。さあ! これを見ていただきたい。」


キリスト教(ユダヤ教系)では、地上は平との思想が長く続いた。
エジプト(ギザ)ギリシャが東方にエデンの園が存在すると信じ当時の北(太一・北極星)を基準に東へ(当時の北極星の位置による誤差が発生)ギザ〜奄美大島?  ギリシャ〜埼玉?  地球が丸いと解り「十和田?」(キリスト教の異端は最初から地球は丸いと思い「十和田?」・・・・数字に弱い紀氏でした。


あゆみ 方程の造形力 600
http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/content6.htm


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鹿島測量集団
2005年7月25日 3:42:03 管理人 MAIL
紀氏さんこんばんは。なるほど、海上での測量と陸上での測量、やり方が違うんですね。河口沿いでの測量方法、紀氏さんのさらなる研究理論の発展を期待します。鹿島香取息栖の三角はともかく、全国でももっとも正確な三角のひとつでしょうから、なぜ正確なのか、この辺についても紀氏さんのほうで研究されてみてはいかがかと感じます。また逆に紀氏さんご指摘の最差運動など、円に関する測量の実態についても、日本での実例あたりを公表願えればと感じます。円は三角より難しそうですが・・・・。ではでは。


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瓦・・・・奥が深いかも?
2005年7月27日 10:05:33 いばらの紀氏
瓦の起源 ・重さの単位として使われた瓦
http://www8.ocn.ne.jp/~kawarak/hana.html#kige
瓦版
古代バビロニアでは、実際に瓦がメディアとして使われていた。瓦書あるいは粘土板文書と呼ばれるもので、沖積土を練り固めてこれにアシの茎などで文字を書き、天日で乾かしたもので、場合によっては窯で焼き、瓦のようにしたものである。最古のものとしては紀元前3100年頃のものが発見されている。
参考・・・・地名?
麹 カウシ [麹(旧字体)]也 ・・・・河内?カ夏ウ禹シ氏? 
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/3772/kojiten3.html

倭人社会の文字 
(「田」あるいは「虫」とみなされる一方で、筆順から「」ではないかという見解も発表された(15)。「」は、「巫」に等しいという。いずれにせよ、「書かれた」完成品添加型が、四世紀前半代まで遡ることが確実になった意義は大きい。)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/04/4100.html

開封には、 徐州の彭祖より、 ずっと古いものがある。 禹う王台おうだいである。 「水を治める者が天下を治める」 古代中国で、 禹はそのお手本だ。 黄河の治水に成功するまで、 禹は、 ここを仮りの住まいとして、 日夜励んだとされる。
http://kazankai.searchina.ne.jp/publishing/toa/2002_05/yurasia/06.html


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再 「黄巾の乱」参考
2005年7月27日 10:07:18 いばらの紀氏
三世紀に至る中国史と史書通史
「金印は、天明4年(1784)筑前国 那珂郡志賀島村叶の崎で発見される・・・・・」
「永初元年(107)、倭国王帥升等、生口百六十人を 獻じ・・・・・」
角?  「張角のもとには十数万人の信徒が集まったという。」
http://www.gameou.com/~rendaico/yamataikoku/3ctyugokushi1.htm
道教と仙学 漢末の早期道教
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-2.htm
魏・晋の時代の過渡期の道教
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-3.htm
黄巾の乱後の中華人口大激減 
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043762877
ニッポンの始まり」 「中国」を軸に「朝鮮」を回廊にして
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-55.html



歴史という推理小説
2005年7月23日 15:44:43 かわかつ WEB
謎解きのプロローグのない推理小説を延々と読んでいる。ヒントは山ほどあるのだが、どれもこれもが犯人が用意した意図的アリバイがついて回り、いつまで経っても捜査令状が出せない。これはやはり安部公房の小説に似ている。あるいは「点と線」である。点描画は遠く離れてみないと全体がつかめない。そんな感じだ。


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犯罪心理
2005年7月24日 4:27:00 管理人 MAIL
まったくですね、知能犯にだまされているような・・・。それにしても書紀編者と大学教授、どっちが知能指数高かったんでしょう・・・。古事記を暗礁したひえだあれも驚くべき能力をもっていましたが、記紀の中に物語を作り出して入れ込んだ驚くべき想像力は、どこで育まれたんでしょう。十千十二支の暦法を頭の中で自在に操り、計算して物語に挿入していく手法、もしかするとその暦法を解読されることまで予測してさらにトラップを仕掛けて、二段構えにする??、千五百年年はすくなくともだましとおせると予測した・・・。まったく知能犯かもしれません。ただ、ダビンチコードにもあるようにローマ帝国時代に、聖書の改編にあたり、そういう作業をいろいろ後代にもばれないようにしながら編集した人々がいたことも確かであり、その辺の比較史的にその編集者の心理を読み解く上で勉強してみると、案外そのトリックの論理がわかってくるかもしれませんね。



ヘブライ人とペリシテ人
2005年7月23日 13:59:25 とみた MAIL
旧約聖書と、実際の民族移動の対照をして見ます。この前、パリスさんが投稿していただいた話やヘブライ人の動向に関係があります。これは21世紀研究会がまとめた”民族の世界地図”(文芸春秋社)からの資料です。

紀元前2000年ごろ、聖書にあるイスラエルの祖アブラハムがメソポタミア地方のウルからカナーンに向けて出発したとされる時期だが、同じ頃、実際にユーフラテス川北部から地中海東部沿岸にかけて、人の移動があった。次第に人口が増え、やがてその流れが当時のエジプトに至った。紀元前1650年ごろには弱体化したエジプトでその異民族集団ヒクソスは王朝を打ち立てたほどだ。

現在のシリア、やトルコ南部を経てヨーロッパに向かう流れもあった。
紀元前12世紀ごろには人口も増え、一部が”海の民”という総称
で呼ばれる武装集団となって地中海に漕ぎ出し、北アフリカ、エジプト、レバノン、トルコ東部と侵攻を図った。ヘルメットをかぶり盾に鉄製の長剣を備え、家族とともに移動した。この民族移動で西アジア、トルコでは勢力地図が大きく変わった。

この海の民の中にペリシテ人も居た。彼らがカナーンの地に住み着いたことからパレスティナと呼ばれるようになった。

イスラエルの民もここに住んでいたので両者の衝突があった。


ここからいろいろ頷けます。トルコのヒッタイトが紀元前1200代に海の民に敗れて消えたこと。エジプトがこの頃勢いを失ったこと、ギリシャもミケーネ文明(トロイ戦争時代)が外敵に襲われ滅びて、暗黒化したこと。イスラエルの民が王様を求めてサウル、ダビデ、ソロモン王が出たこと・・・それからさらに数百年。やがてヘブライ王国は南北に分裂した。北王国のイスラエルの民は、紀元前722年アッシリアにしょっ引かれ、南王国のユダの民は紀元前597年バビロンいしょっ引かれる。
イスラエル10(12)族は東方に逃れる・・・・


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よく
2005年7月24日 4:40:07 管理人 MAIL
お調べになっていますね。比較的旧約聖書は歴史書としても事実に基づいていることが多いようで、いろいろその記述を裏付ける遺物も出ています。しかしイスラエルの十部族の行方は、わからなくなってしまっていますね。でも民族がそのまま消滅するには、たとえばヒトラーがしたごとく民族ごと全滅させようと意図しないかぎり、なかなか歴史上から姿を消すことは珍しいですね。渡来人でさえ、今でもその民族的なアイデンティティーの残存をいろいろ残していますし、ウイグルにしろ、アイヌにしろ、隼人にしろ、民族ごとなくなることはないのではと感じます。仮にシルクロードの西端に彼らがたどりついたとしたら、かなり知的だった彼らはかならず東への商業活路を見出すでしょうし、流浪しながらインドへ、チベットへと移動したという想像も不可能な話ではないでしょうね。どこへいったことやら・・。



熱海=阿多美
2005年7月23日 11:04:24 とみた MAIL
外のhpであたみ=熱海=阿多美と知りました。

貫一お宮の、熱海。相模湾の中にある温泉観光地の熱海は阿多族のの海だったとは。

今春、南九州を旅して薩摩隼人の阿多=吾田を訪れました。天孫族が高千穂の峰から阿多の笠沙の岬まで降りてきますね。

山からでなく海流に乗って阿多の海辺に着いたんだという見方が有力になりつつありますが。阿多には海人族隼人、がいたんです。それとねんごろになって隼人のコノハナサク姫と天孫ニニギ尊が一緒になる。
天孫山幸が海彦隼人を取り込んだ。5世紀には隼人は大和政権に服従したと考えられている。
これ私の解釈ですが、天孫山族は違っていそうです。海族?自信なしです。

阿多の勢力は、紀伊熊野の阿陀=阿多にも居たので神武東征で有利に展開した。それに関東の相模湾にも進出していた。阿多美=熱海

なんですね。

渡来系海民族阿田、阿多(隼人、久米、阿積、穂積とその混成組)の居住が有ったのではないか?

隼人、阿積、穂積も出てきた。阿積=安曇は磐井の乱で磐井に味方して信濃に逃れたという説を紹介しましたが、私の故郷には穂積がある(JR東海道線岐阜駅と大垣駅の間の駅=長良川沿いに穂積駅がある)・・・どないなってんでしょうか。ここは福井からも伊勢からも入れますが・・・穂積のいわれを調べなくってはね。阿、穂、積みと分解する必要がありそうです。

でもついでに・・・今市町村を合併しているでしょう。
笠沙とか加世田とか地名が消えそうです。穂積は瑞穂になってしまった。歴史に思いを致せば名前を変えるには慎重にしてほしいですよ。

隼人と中国の越人との関係、
安曇は綿津見神=海神を祖とする海人族。履中天皇のとき、入墨の刑に処されるという。安曇目という風習は海部・沿海族のもの(白川静説)

売り出し中の作家、関裕二さんは南九州に船でついた天孫族は神功皇后で息子が応神天皇=神武天皇で東遷した。そしてご存知熊野から再上陸、阿陀・・・


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霧島神宮
2005年7月23日 12:51:09 かわかつ WEB
韓国岳のあたり・・・からくにたけ・・・といいますが山の中です。ここ地名を一度お調べになると面白いですよ。
私は8世紀以降に宇佐八幡が隼人征伐したことと阿田隼人伝承は関係あると見ています。正八幡宮は隼人征討後に宇佐の辛島氏が赴いて祭っていますが、ここから辛島氏の持っていた祭祀が伝わっていった。つまり隼人伝承は比較的新しいものだと考えてるんです。
隼人を主にペルシャ湾沿岸から来た人種だと考えるのも面白そう。ハヤトやアナンはペルシャ人。


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「穂積」→「鈴木」
2005年7月23日 22:40:13 いばらの紀氏
参考
「穂積」(稲穂を献上)→「鈴木」(聖となり全国へ)
日本神話に現れた諸神の後裔と称する氏族は神別と呼ばれ、
天孫、天神、地祇に分類される。藤原氏が最も栄える。
穂積  鈴木・・・鈴・・・ユダヤ?
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm
キーワードは    「えだなし」
http://vimon.ld.infoseek.co.jp/Zipang/j-0037.html

関東における難波吉志族たち
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/sei_0wn.htm


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えだなし
2005年7月24日 6:51:19 管理人 MAIL
鈴木さんというのは深い意味があったんですね。「えだなし」の文字はじめてしりました。熊野社の広がりとその信仰、興味深いです。熊野、相模・・・。紀伊から遠く旅して、相模から小田原、伊勢原方面は、奈良初期の高麗人上陸の件でも触れましたが、ある種の船のルートがいつごろからかあるのでしょうか。妙に紀伊から伊勢原方面へのつながりよく見かけるのに気になります。海人ルートとは??
これが世界史版だとアラビアからインド経由でダイレクトにインドシナへ。
日本史版だと、紀伊から静岡経由でダイレクトに伊豆相模原へ。

神道思想に見える相似形ですかね。



とりあえず
2005年7月23日 8:21:14 管理人 MAIL
メーリングリスト関連とオフ会関連の書き込みはご指摘どおり、混乱を招きそうなので削除しました。メーリングリストの利用法、オフ会については、メーリングリストでやりましょう。
緊急時の対応も重要ですね。今朝はデイアフタートゥモローというDVDを携帯プレイヤーで見ながら帰ってきました。突然地球が氷点下の世界へ突入し、嵐や地震や洪水でどんどん逃げ送れて行く人が出てくる映画、なんだか現実味を帯びていて、今朝の妙な涼しさとともに、背筋がぞっとする気分でありました。緊急事態が起きたら、かわかつさん管理よろしくお願いしますね。ではまたおやすみなさい。



点と線の方法論
2005年7月22日 8:28:45 とみた MAIL
掲題の方法論をご参考までに、資料掲示板に掲げました。

古代史みたいに正確な資料の少ないとき、いかに全体像を捉えるかで参考にしたいと思いました。

坂本先生は信濃安曇族の謎を追う<副題:どこから来てどこへ消えたか>で先生は、専門分野の科学研究の方法論が適用可能との立場で、点と線の方法論を試みられました。理路整然と言う印象です。

点とは、線とは何を含意するか。
私は古代史に科学的にアプローチすることを目標にしています。
ゆるぎない情報を捉える、これは共通理解の事実を絞ること=これが点であります。

点と点をつないで想像力を働かせて推論する力=これは線です。


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点と線・・・
2005年7月22日 11:20:38 管理人 MAIL
おはようございます。とみたさん、なかなかすばらしい考古学者の方の考え方お知らせいただきありがとうございます。少ない資料をひとつの点としてみるのではなく、ベクトルをもった線としてみて、2,3つの資料を点と点で結びつけることによって、線分や三角形を編み出して事実を具体化していく観察眼、古代史にとって重要な課題ですね。まさに、ひとつの古墳を単なる点として見るのではなく、2,3の古墳と線分、図形で見ていく紀氏さんの世界ですね。少ない情報に隠された方向性、ヘブライ語の単語ひとつも、きっと時間的な変化の方向性をもっていると思います。ぜひとみたさんヘブライ語勉強してみてくださいね。
と、先ほど朝方見ていた夢は、昔の理系の化学に進んだ幼馴染の友人が、こういう研究を今しているという夢でした。かれが黒板にある一点から線分を引いて直角二等辺三角を描いていく話をしはじめ、これがどう科学に活用できるかという話でした。それで人工衛星からせんをひいて地上に二等辺三角を云々で応用できるとか云々・・私と話し合っていました。でも彼の生物学や化学とはどうかかわるのか云々・・・。
彼は数学が得意だったのですが、私は相似の三角などちょっと頭が回らなくなってきまして難しい・・で目が覚めました。こういうのも夢が周囲の事象を象徴化していることの心理学的に有名な共時性の現象のひとつなのでしょうね。古代史と心理学的な共時性・・・どうでしょう・・。


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清張とみた様
2005年7月22日 14:44:58 かわかつ WEB
坂本博氏の本の出版元わかったらお教え下さい。この際、買ってしまいますので。

管理人さん、今、「ダ・ヴィンチコード」読み始めました。同時にダン・バーンスタイン「ダ・ヴィンチ・コードの真実」竹書房も併読しています。
今、もっとも興味ある海人族については以下の書物をお薦めします。

秋道智彌「海人の民俗学」NHKブックス
  同 「海人の世界」同文社 
小田 治「海人族と鉱物」新人物往来社
大林太良「日本の古代8 海人の伝統」中公文庫
小田静夫「黒潮圏の考古学」第一書房
西郷信綱「壬申紀を読む」平凡社選書148



紀氏さん
2005年7月22日 3:10:44 かわかつ WEB
ごめんなさい。私はあなたに復活して欲しかったのです。

前のページのこざしきさんレスに泊瀬さんが書き込んでますよ。確かに猛スピードでここは走ってますね。


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見落としてました。
2005年7月22日 5:52:06 管理人 MAIL
さっそく泊瀬さんへレスしました。それにしても、やはり泊瀬さんの人骨から縄文人弥生人のイメージを膨らませていく想像力は、小説家ならではの世界ですね。実際縄文人、弥生人、渡来人、倭人、大王と、いろんな用語が飛び交いますが、それぞれに明確なイメージを想像して、研究に取り組んでいる研究家はどのくらいいるのかと感じます。平安時代の日記物の教授とかはその辺確かに豊かなイメージで解いておられましたが、渡来人については、ほんとにイメージ、研究者それぞれでぜんぜん違うのではと感じます。中国の礼服を着た渡来人とか、日本人とまったく同じ言葉、人相の渡来人、海部風の刺青の習俗と取り入れていた渡来人とか、縄文人とハーフになって人骨が弥生人と縄文人の間になっているハーフ渡来人像とか、言語がいまいち外人風ななまりを持つ渡来人とか、いろんな可能性あると思います。その辺また泊瀬さんの小説でもいつか表現していただければと期待してみたりして・・・。
あと、こざさんも相当な文章家で、ネットで本屋さんを商売にしていますので、ぜひ彼のHPへも行ってみてください。



日本語と銅鐸絵文字
2005年7月21日 20:34:54 とみた MAIL
今日はヘブライ語と日本語に続き、銅鐸絵文字の存在を知りました。これ紀氏さんワールドのような気がします。

大羽弘道さんはオリエント学の専門家だそうです。
大学新聞をとっていますのでそこからの情報です。

表音的な絵文字だそうです。
日本には沢山の銅鐸がありますので、その分析結果・・・
動物、虫、物など呼び名の音を使用し別の何物かを表記するなどのルールがあるそうです。蘇我氏が王位の位にあったことなどが読み取れたとのこと。HPをご覧ください。

http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime06b.htm



原稿アップしました。
2005年7月21日 20:06:47 管理人 MAIL
かわかつさんと紀氏さんの原稿を原稿集にリンク、アップしました。ご確認くださいね。
http://tokyo.cool.ne.jp/torai-jin/


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迷惑メール消してください
2005年7月21日 20:43:24 とみた MAIL
時々怪しげなメールが飛び込むようになりました。時々ウォッチして管理人の特権(余分な負担でごめんなさい)で削除してください。

私のOUTLOOK にも妙なメールが飛び込むようになりました。

時代が時代だから多少は仕方ないようです。


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削除しました
2005年7月21日 21:07:56 管理人 MAIL
妙なメールや書き込み最近多いですね。手間がかかります・・。


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かわかつさん原稿
2005年7月22日 1:08:45 管理人 MAIL
について、討論掲示板で質問を書いてみました。ちょっとハードな質問ですが、読んでみてください。討論掲示板も活用しましょう!


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原稿集の質問に
2005年7月22日 3:22:35 かわかつ WEB
答えというより、ちょっと「蘇我氏が海人族」であるという考察が全員のテーマにしてもらえたらと思っているのです。これは提案ですので、今のところ私にも回答はありません。できればこんなきつい提題を研究会全体で解明していくのも面白いじゃありませんか?
お願いですね、私の。


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いえいえ
2005年7月22日 5:42:51 管理人 MAIL
ぜひぜひ、かわかつさんにご考察いただいて回答いただければ幸いです。たぶん蘇我氏=海部説は、航海民の特性から蘇我氏の視点が開けてくれば、そうとう画期的な論になるのではと感じますから・・・・、特に指摘した航海民の航海能力、軍事、習俗・・・がやはり。もちろん、現実的に解決が無理な質問や反論はしませんし、明らかにおかしい部分は、おかしいと言いますから大丈夫です。この討論掲示板ですこし批判を突っ込んでおけば、原稿できて出版してから突っ込まれるより、だいぶましですから、いろいろやっていきましょう。もちろんこの討論掲示板でのやりとりで人間関係悪くすることはないです。


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いずれ参加します
2005年7月22日 9:07:55 とみた MAIL
古代史の世界に入ってやはりよく分からないことが多すぎる。これが実感です。

権威がいないんだから、少々いい加減なことを云っても許されるありがたさはありますが。
かわかつさんみたいによくご存知の方がこう云う課題を俎上に載せていただけるのはこのbbsのいいところです。

管理人さんが、まじめな方なのでこのスタンスを大切にして積み上げて行きましょう。

海部、海人、尾張、物部、蘇我、葛城、中臣・・・読む本でみんな違っている。

違う点共通している点はどこかを整理してみようと思っています。

関裕二さんの聖徳太子の謎を読み始めました(この前は継体天皇の謎を読んだのですが)



日本語とヘブライ語 そして銅鐸
2005年7月21日 19:23:50 とみた MAIL
ヘブライ人はカナンの地に来て、エルサレムを都にするユダ王国を作ったが、不満の十部族がサマリアを首都とするイスラエル王国として独立した。

紀元前8世紀、アッシリア軍隊が首都サマリアを攻め民を捕らえて連れて行った。それを逃れたイスラエル=ヘブライの十部族が東方に消えた。ひょっとすると日本へ・・・その謎を追い続けているロシア人が日本書紀を学び、京都の護王神社で宮仕えも経験しながら
日本神話と旧約聖書のヘブライ(イスラエル)史と対比し・・・・似ているなということに気づき、本を出しました。その本からオヤオヤという点=物語性と言葉から2−3紹介します。

神武東遷で葦原の国へ東遷、ヘブライ人は出エジプトでカナンへ東進。

葦原(アシワラ)はヘブライ語でカナンに似てるカヌ・ナー。
神武はキノエトラの年に旅立つ。キノエトラとはヘブライ語でトラを授かるの意味。旧約聖書ではカナンの旅への一年目にトラを授かる。

神武は勝利して県主(アガタヌシ)という称号を与える。ヘブライ語でアグダ・ヌシは集団の長。
日本古来には骨のひび割れ方で占うフトマニという儀式があるそうですが、ひび割れの数を数えるというのをヘブライ語ではベター・マニという。

土着の民の反抗を受けますが、熊襲(クマソ)→ケモシ、蝦夷=夷(エビス)→エブスと対応しているそうです。


そう云われれば似てるかなと得心。


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ヘブライ語
2005年7月21日 21:58:07 管理人 MAIL
とみたさんご指摘ヘブライ語と日本の古代名称との類似、不思議ですね。実際独学でちょびっとかじったのですが、思った以上に共通する単語が多いのにきがつきます。同様平仮名とヘブライ文字の類似度も同じくらいなのですが、平仮名の起源は漢字を崩して平安時代に作ったという通説があります。でも、ほんとにそうなのか、もっと世界的な文字と言語学との法則性の兼ね合いから理論実証できるのかどうかという点が気になっています。言語も時代とともに、ある法則によってすこしずつ時間に比例する形で変化していくそうです。遺伝子の進化とその辺似ています。そこで、ヘブライ語も同様時間がたつにつれ一定の変化法則で、語音が変わってくるはずですが、文字の変化、崩れもやはり一定の法則があるのではないかと思います。絵文字から抽象化するにいたって、突然甲骨文字が漢字に変化するというよりは、特定の時間差で角ばっていったのではと。ヘブライ文字もやはりどこか特定の法則で変化していくのではと感じますが、その辺だれか数学的に時間差理論を解明したらすごいと思いますが、やってみませんか??

シルクロード
2005年7月21日 9:49:51 管理人 MAIL
おはようございます。昨日は夕方、古道具屋で激安で携帯DVDレコーダーを仕入れて、さっそく実験がてらに本屋で売ってたNHKシルクロード「歴史と人物」講談社のDVDを買って、そのまま電車の中で通勤中に観ていました。
なかなかDVDレコーダー、音も映像もばっちりで感動だったんですが、ホータンの仏像壁画の画法が、法隆寺金堂の釈迦三尊絵画の画法に影響を与えているそうで、驚きでした。どうやって職人がわたって来たのか?あるいは物だけ渡ってきたのか、なぞが深まりばかりです。
今日の毎日ニュースでもパーミヤン遺跡から新たな壁画が出てきて云々。「また、壁画には中央アジアの絹織物に見られる円形の連珠文や金を使った文様も確認されたという。奥の壁には三尊形式の壁画があり、側面には仏陀を中心に千仏が描かれていたものと見られる。」とのことです。
その三尊形式と言う点が、金堂ともホータン壁画との共通項として出てくるようですが、この辺の職人の流れに鍵があるのでは?
詳細は以下HPで。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050721k0000m030102000c.html

あとこのページの紀氏一族の墓から出てきた翼の生えた埴輪がやたらかわいい!!
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050721k0000m040100000c.html

とりあえず、日程等詳細はまた夜に。
ではまたおやすみなさい。



武蔵野というと
2005年7月21日 0:18:23 管理人
先ほど21時ごろ多摩東部で震度3の地震ありましたが・・・。地震雲電車でみかけてたまたま撮っておいたのを以下のサイトに川崎@北部のハンドル名でアップしておきましたので参考まで。
http://www3.ezbbs.net/10/0011798/

このサイトの画像掲示板の使い方がうちの画像掲示板の元なのですが、このくらい活用できるといいですね。



討論掲示板に
2005年7月20日 18:57:19 かわかつ WEB
蘇我氏と海人族、あるいは海部との関わりに関して、一ヒント書き込みました。よければどうぞ。
海部という屯倉機関が置かれた時期、どなたかご存じじゃないですか。

管理人さん、原稿掲示板へ投稿したいのですが.htmも .htmlも文字化けします。どうすりゃいいのか教えて下され。ーー;


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とりあえず
2005年7月20日 20:12:57 管理人
原稿掲示板に示したノートパッとを使用してのHTMLファイル作成の方法でやってみてください。ビルダーあたりでつくると、文字化けの可能性もありますから・・。


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ええと、
2005年7月21日 2:56:07 管理人
今原稿集にアップされたかわかつさんのファイルのソースを確認しました。たぶんファイルマネージャーに入って、そこにある「新規作成」というところでファイルを作成されたほうは、ソースが複雑になりすぎてだめです。また、テキストファイルで送られたほうは、そのまんまテキストファイルで、HTML化していないようです。たぶんワードパットで保存する際に「テキストドキュメント」に変更して、ファイル名の後ろに「.htm」をつけてください。たぶんその辺に間違いが・・・・。



信州安曇族の謎
2005年7月20日 11:26:34 とみた MAIL
坂本博という九州の安曇の近くで生まれ信州の安曇で長年暮らした学者の本”信濃安曇族の謎を追う”を読んでその要旨です。
筑前糟屋郡阿曇野には阿曇の姓が多いそうです。安曇族は海人、博多湾の志賀島にある志賀海神社に綿津見三神を祭る。
527年の磐井の乱で筑紫の磐井側についたが磐井は、継体天皇の派遣した物部アラカヒに激戦の末敗れる。多分朝鮮との鉄の交易に関係していたので安曇氏は磐井側についたのではなかろうか(私の推測)。磐井の子供の葛子は糟屋の屯倉を朝廷に進呈して死罪を許されるという謂れは嘘。綿津見の祭祀を行う葛子は安曇族の船で安曇族とともに糸魚川の方に逃れた。

そこは越後エミシの本拠地、彼らとは海産物やヒスイなどの交易を通して知り合いがいた。ここから姫川を上って安曇野北西部に着いた。ここで550年頃には定着できたのでは。川合神社などが祭神=綿津見。今もエゴやオキュウトという海産物の練り物を食べる習慣が九州と同様あるそうです。

安曇野の南部には別の系統が畿内の南河内からやってくる・・・河内の安曇族。穂高村はこの一族、穂高神社の祭神=穂高見命。朝廷の食膳担当の内膳司長官が安曇宿禰。安曇族はシャケを求めて信濃に現れ定着。この一族が663年の白村江の海戦で唐・新羅に敗れる。これが穂高神社のお船祭りとして記憶に残る。

奈良の桜井から出てきた阿部氏は糸魚川のエミシを642年に屈服させて、北上・・・新潟から津軽へ海伝いに軍船を展開。その功績により越後の国守に任命される。
阿部氏の支流(やはり桜井の出)の仁科氏が糸魚川から姫川を遡り信州に入ってくる。安曇一族をやっつけて安曇郡郡司になる。

この地には有明山の八面大王退治伝説がある。ヤメン大王から”ン”をとればヤメ=八女大王すなわち磐井大王つまり葛子になる。この征伐を仁科軍が行った。この軍は少数なので、東北38年戦争で活躍する坂上田村麻呂の陸奥エミシ征伐軍の応援を得て成就した。792年のことです。

かくして安曇族は信州から消されたのであります。


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残念
2005年7月20日 16:43:14 かわかつ WEB
坂本博氏の本、大分県立図書館にありませんでした。取り寄せになりそうです。


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八面大王のこと
2005年7月20日 19:22:54 かわかつ WEB
私が始めてこの名を知ったときは、まるで「不思議の国のアリス」に出てくるトランプの王様かと思いました。^^
おもてと裏に顔があって、後ろからも相手の姿が見えたって。
「やめん」と読む?「はちめん」かと思ってましたよ。
しかし、この間行った瀬高町も八女郡なんですが、実は八面大王そっくりの伝承があったんです。へえ、似てるなあと思った程度だったので書きませんでしたが、でも忘れちゃいましたねえ。確認しましょう。
 しかし八女と宗像はまったく離れているので、ちょっと磐井の子と宗像一族、まして信州は考えつかなかったなあ。^^;
 再考の余地有りと見ました。


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再考というのは
2005年7月20日 21:10:06 かわかつ WEB
私がですよ。


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あああ!!
2005年7月21日 0:54:10 かわかつ WEB
それでやっと思い出した。「倭面土王」という隋書?の記録ご存じですか!?
「倭面土王」あるいは「倭面王」です。「やめん大王」との関連やいかに?一般には「倭奴王」の記録違いと言われていますが、こりゃひょっとするとひょっとするかも・・・ですぞ〜〜〜〜!!!!!
とみたさん、起きて起きて!!^^;


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後漢書東夷伝だ
2005年7月21日 0:57:07 かわかつ WEB
倭国王帥升のくだりですよ!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/ghp/gun_yuu/suisyou.htm


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いろいろ面白いです
2005年7月21日 9:46:42 とみた MAIL
へー倭面王。帥升か師升かは面白いですね。師升は中国の姓として珍しくない。紀元107年の話。八面大王は筑紫磐井の乱に登場する527年の話。
どうつながっているんでしょうかね。

デモや耶馬台国は筑紫説もあるんでしょう。なんかでつながっている。

184年に黄巾の乱で中国の後漢が乱れるんですが、このあたりは日本でも倭の大乱ですね。

107年〜184年の間の謎。後漢に倭国王が使いに送った帥升。これは耶馬大国が生まれる時代でしょうか。男王が帥升でこれでは連合国がまとまらなくなって鬼道の卑弥呼が出てきた。

後漢が乱れた桓霊帝の末に中国人が朝鮮半島の韓やワイに入ったので、一部は日本に渡来した東漢人でしょうね。飛鳥の高市に住み着いた。

坂本博さんの、信濃安曇族の謎を追うは。近代文芸社から出ています。2004年に第四版が出ておりますよ。

 TEL 03−5395−0869

坂本さんは古代史みたいに材料の少ない事実からいかに推測かでも点と線理論を提唱されています。
これは意義深い。

科学領域におけるデカルト研究が専門の学者ですから方法論は勉強になります。

また紹介します。



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ここではないような?
2005年7月26日 14:50:50 いばらの紀氏
「黄巾の乱」参考
三世紀に至る中国史と史書通史
「金印は、天明4年(1784)筑前国 那珂郡志賀島村叶の崎で発見される・・・・・」
「永初元年(107)、倭国王帥升等、生口百六十人を 獻じ・・・・・」
角?  「張角のもとには十数万人の信徒が集まったという。」
http://www.gameou.com/~rendaico/yamataikoku/3ctyugokushi1.htm
道教と仙学 漢末の早期道教
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-2.htm
魏・晋の時代の過渡期の道教
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-3.htm
黄巾の乱後の中華人口大激減 
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043762877
ニッポンの始まり」 「中国」を軸に「朝鮮」を回廊にして
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-55.html



遣唐使留学生の墓誌
2005年7月19日 23:22:17 とみた MAIL
ご存知でしょうか、遣唐使留学生の井真成の墓誌が中国で発見されたということを。これが今日から上野の国立博物館で展示されています。今日はオープニングで奇妙なご縁で招待をいただき観て来ました。

画家の平山郁夫さんや中国の王毅日本大使などが挨拶してました。

いくつか興味が惹かれましたので紹介します。

@井は717年19歳で唐へ18年の在唐で734年に死す。玄宗皇帝の時代です。墓誌には国号とsして日本が使われています。
真成は本名。井は日本姓を縮めた。葛井(フジイ)か井上であろうと思われている。

葛井も井上も渡来系だそうで南河内が根拠地。フジイ氏の
氏寺藤井寺あたり。

A遣唐使のルートに三つあり。
北路は朝鮮半島の西岸を通り山東半島の登州を通って黄河沿いに洛陽ー長安

このルートは新羅・唐連合軍に百済・日本が負けるまでのルート
南路は五島列島から長江の揚州を通って洛陽ー長安
南東路は沖縄から揚州ー洛陽ー長安

このルートは帰路のみ天候条件次第

遣唐使での無事帰還率60%
井と同時期に遣唐使船に乗り組んだものは阿倍仲麻呂と吉備真備と僧玄ボウです。

B日本の埴輪みたいに人の身代わりに殉葬に人形(ヨウ=人偏+用)を入れたのは中国は古く春秋戦国時代(紀元前770年)からである。




重要な視点
2005年7月19日 12:19:59 かわかつ WEB
北極星は、ずれていた。
http://white.ap.teacup.com/applet/dhistory/archive?b=20

式年遷宮と干支の謎を解く鍵はここにあった。



8日のほうで・・
2005年7月19日 18:02:58 管理人 MAIL
すいません、仕事の都合で5日昼から8日昼まで蓼科でとまりこみで仕事です。そこで5日ではなく、4日夕方、あるいは8日夕方でおねがいします。蓼科考古博物館前でOKです。宿は、みなさんそれぞれがいいですね。夜まで飲んで話してと言う感じでどうかと思います。もちろん、蓼科にこだわる必要はないので、諏訪市内でもOKです。
茅野市というと上社がありますね。茅野市神長官守矢史料館 とかもあるそうですね。
http://www.root.or.jp/RADISH/8museum.html
同じく茅野市の諏訪市博物館だと竹取物語絵巻の展示しているそうで、グッドタイミングですね。紀氏さんあたりも諏訪だといかねばならないところたくさんあるでしょうし・・・。
http://www.city.suwa.nagano.jp/scm/kikaku/H14_taketori/take_zuroku.htm
とりあえず、今回はみなさんが集まりやすい場所で、すぐにいけるところということで、茅野市内の駅前もしくは、博物館、あるいは上社あたりでどうでしょう。
あと、4日だと私のほうは次の日以降仕事ですのであまり自由が利かないかもしれません。8日なら深夜まで、次の日以降も大丈夫です。


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8日で決まりですね。
2005年7月20日 0:37:23 管理人 MAIL
わたしのほうで、5日と以前お伝えしたいたみたいで、かわかつさんには、予定変更をさせてしまいすいませんでした。8日2時には仕事終わりますので、夕方5時ごろお会いしましょう。場所はまた後日決めましょう。


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東京でしたら・・・
2005年7月21日 0:21:53 管理人
なにも8日にしなくてもいいのではということになりそうです。8日夕方に蓼科から高速で帰っても夜いつ着くかわかりませんので・・・。なお、20日から24日までやはり蓼科に行きます。その前後でもOKですし、9日以降なら東京にいますので、たぶんやや暇していますから、そのときにお会いする手も。東京こられるのでしたら、虎塚とか、高麗郡とかいい場所ありますけどどうでしょう。



石灯篭は鳥居の次の測量器具?
2005年7月18日 18:20:31 いばらの紀氏

石灯篭には「三笠の山」が彫られている。・・・・春日(神社)三笠(測量での三点)の(初期の測量の地?)出でし月(円・コンパス)かも。
春日なる、三笠の山に出でし月かも。
歴史街道〜ロマンへの扉〜
http://www.asahi.co.jp/rekishi/04-12-13/01.htm
奈良春日大社
http://www.aa.e-mansion.com/~nagisa/links/tera/tera_kasuga.htm
春日灯篭 鹿・雲・後戸・「三笠山」・透かしの順
http://www.harasangyo.co.jp/reader/file19.html

三笠山
三輪山古墳群
http://homepage2.nifty.com/mike1203taiyo/kibiji/miwayama/miwayama.html
若草山頂上の史跡「鶯塚古墳」
http://www.kcn.ne.jp/~urano/kankou/toudaiji/todaiji7.htm
「若草山」かつては三笠山と呼ばれた
二つの三笠山
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kouen3/j3kouen1.html


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確かに
2005年7月19日 10:05:34 管理人 MAIL
三笠山の頂上に前方後円墳があるというのはおもしろいですね。紀氏さんの説が立証されるような予感が??


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参考HPです。
2005年7月19日 11:35:11 いばらの紀氏
『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺
中国」を軸に「朝鮮」を回廊にして
http://koizumi-.hp.infoseek.co.jp/taketori2.htm
「越人」である呉越の故地は長江河口付近にあるが、そのすぐ南に禹の死地とされる会稽(かいけい)
山がある。会稽の地名は『魏志倭人伝』にも登場し、倭はその東方にあり倭の水人の入れ墨などの風俗は
会稽人(越人)と同じだと記されている。越人は夏王の後裔と自称するが、始皇帝は同210年にこの会
稽山に登り、夏の始祖・禹を祭っている。このように華南の海人である「越人」は海岸沿いに琅邪まで北上
し、さらに東海へ漕ぎ出していったという伝承を持つ。


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迦具夜比売命
2005年7月20日 0:54:03 管理人 MAIL
紀氏さん貴重な情報ありがとうございます。なるほど、古事記に迦具夜比売命がかぐや姫の原型なんですね!鍛冶集団とかぐや姫伝承のつながり興味深いです。そうとう起源が古い話なのでしょうね。壬申の乱の大友皇子の墓と京田辺市のかぐや姫伝承、そのかぐや姫の竹取の翁の名「さかきの造」と呼ばれており、三山木の佐牙神社は古代酒造りの地であり「さか」と呼んだものと思われ、「榊」から朝廷に仕える人であったとも考えられるとの説、かなり重要です。宮中八神と榊との関連ももしかすると関係するかとか妄想ですが、やはりかぐや姫伝承、神器とか宮中祭祀関連にどうも関連しているのではと感じます。紀氏さんてきには、甘南備山と朱雀大路との測量関連が気になるところでしょうね。



コスモロジーの融合
2005年7月18日 7:36:28 とみた MAIL
コスモロジーつまり宇宙観という視点で古代の謎解きをしてみる。
日本の弥生時代は稲作だから、太陽の宇宙観が支配的であったでしょう。
それがいつ頃から道教の影響を受けるに至ったか。2世紀の後半からすでに、はじまっている。
耶馬台国の卑弥呼の使う鬼道は鏡を用いる。この頃中国では後漢が衰え黄巾の乱。5トウ米という道教の民衆運動が起こる。道教は北極星の宗教だ。

下ってアマテルは東アジアの日の神、対馬のテンテルが始まり。天照これは太陽神だ。太陽の宗教を持った宇宙観だ。福岡県浮羽の装飾古墳の壁画は日神と航海を暗示している。ゴンドラ船と太陽を象徴している鳥の図がある。ただ同心円文様は太陽と見るか星と見るか定かでない。これは南方系起源であります。

一方、高句麗や出雲には太陽信仰が無いとされている。これは北方起源の星信仰かも知れない。遊牧の民、騎馬民族起源だから。4世紀には騎馬民族である鮮卑族の影響を受けた高句麗が朝鮮を攻め日本にその余波を与えるであろうし、5世紀には朝鮮を迫害し玉突き現象で伽耶が難民化し日本に逃れてくる。


雄略天皇が5世紀の後半470年代は
伊勢神宮を祭っている。これは道教の星の宗教と太陽の宗教の習合したものではないか。7世紀に斉明女帝の酒石船の亀の遺物は明らかに道教の影響が大きいし、7世紀末の藤原京に見る道教思想と東方を聖とする太陽信仰の習合が伊勢神宮である。

平安時代になると仏教の密教と道教がまた習合した。北辰妙見、陰陽道・・・

日本の神様は習合が多い。どこの文明をとっても、民族移動とともに渡来信仰とと現地信仰はは習合するもの。
アナトリアしかり、ガンジスしかり、ガンダーラしかりであります。

 叩き台を提供しました。


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Good!
2005年7月18日 10:42:35 かわかつ WEB
気になってることを列記します。

1 北辰が天皇の星となっていったのはわかる。しかし北辰と対極にあると思われるオリオンの三つ星はいったいいつ、誰が、ナンのために持ち込んだのか。それは何をさしているのか?

2 山へ入っていった海人族たちは縄文人と融合したのか。それとも海人族こそが縄文人だったのか。あるいはその時すでに縄文人はいなかったのか。では、縄文人はいつ、どうして山から去ったのか。

気になって夜も眠れません。いや、それは暑いせいかな?

天体・宿曜教サイト
http://astro.ysc.go.jp/izumo/index.html


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プレゼント
2005年7月18日 11:24:37 かわかつ WEB
CPから見られる天体図。Stellaは優れもの。私も愛用しています。無料ダウンロード!
http://www.stellatheater.com/


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アイヌとユダヤ人
2005年7月19日 9:54:51 管理人 MAIL
今帰りました。昨日は変な夢を見ました。アイヌ人にまじってイスラエル人が北国の山をめざして探検していく夢でした。その後夕方おきて、夜勤に行くとき読んだのが、例の鹿島さんの出雲関連の本を国会図書館で抜き出し印刷したものでした。何でも小野田さんとかいうひとが、アイヌ人の中にイスラエル民族が流入して出雲にも達したとか。そして出雲を追い出されて諏訪から鹿島へ逆戻り??したようなことが書かれていました。たけみなかたの話と関連するようですが、ちょっとアイヌ関連興味持ちました。秋田のヘブライ語で解く歌謡集も有名ですが、はてさて昨日の予知夢だったのか・・・。


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ヘブライ
2005年7月19日 11:47:57 とみた MAIL
管理人さんも、ついに夢にまで見られたのですか。それはもう・・・
鹿島さんの古代史、面白いでしょう。私は今、信濃安曇族の謎を追うを読み終えて、これはまっとうな本でした。手元に”大和民族はユダヤ人だった”なって本を読み始めております。イスラエルの失われた十部族という副題がついているので管理人さんや紀氏さんの世界に通じるでしょう。古代ヘブライの話がスタートです。(著者はヨセフ・アイデルバーグ)

今まで、ハイビジョンでハプスブルグ帝国の話を聞いておりました。昼から、上野の博物館へ参ります。東大の元教授さん(美術史の大家らしい)とこの前コンサートでご一緒になり招待券をいただきました。唐代の美術と遣唐使の展示があります。少し覗いてきます。

8/5蓼科博物館行きは迷っています。かわかつさん、蓼科から遠くない八ヶ岳は縄文時代の中期は温暖で栄えたところです。

縄文時代の山の民も研究されておられるようなのでアプローチをお勧めします。


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ありがとうございます
2005年7月19日 12:28:44 かわかつ WEB
その辺も含めて、蓼科再訪問を決断しました。管理人さんとのメールやりとりの結果です。5日がだめなら8日に変更しますよ。満点の星を眺めながら古代に想いを馳せましょう!
管理人さんとしては、やはり全員の顔が見たいことでしょう。若い人を勇気づけるためにも、紀氏さんも是非お越し下さい。お願い申し上げます。
なんなら闇の日本史の竹内さんに声を掛けてみましょう。

ところでプラネタリウムお役に立ちましたか?とみたさんのことだから、すでにお持ちでしたかな?


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新羅王
2005年7月20日 0:44:37 管理人 MAIL
かわかつさん、いろいろお励ましくださりありがとうございます。ぜひみなさんにお会いしたいです。
とみたさんのイスラエルの失われた十部族の話、結構興味持って以前からその辺読んでいます。もちろんカトリックだから旧約も読むのでということもありますが、ヘブライ人の特にヘブライ文字と、ひらがなの類似性が極めて強いのはやはりもっとまじめに古代史学者は受け止めねばならないでしょうね。


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お会いしたのですが日程が
2005年7月20日 1:50:06 とみた MAIL
蓼科もいいところですし、もちろんどこでも行く私は数年前に訪れました。去年は小海線で八ヶ岳の麓を旅しました。野辺山天文台へも行ってきました。星がきれいな高原ですが、冬空でないとよく見れないようです。
野辺山駅は日本の鉄道標高最高地で近くに博物館があります。

8月6日、8日、9日と予定が入っているんですよ。
4−5日なら何とかと思っていましたが残念です。4-5日なら蓼科でも行きますよ。

かわかつさんは東京の雑踏は嫌いと仰せなので、東京では会えませんね。やはり管理人さんも含めて3人以上ならお会いしたいですが、無理なら10月近畿でお会いしましょう。

かわかつさん、プラネタリュームのHPお気に入りに入れました。サンクス。好奇心旺盛ですから、
市内のプラネタリュームの講座に通っております。


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や、返信感謝します。
2005年7月20日 10:54:17 かわかつ WEB
プラネタリウムは簡単ダウンロードでデスクトップから全画面で見られますよ。月齢も同時にわかるし、時間や角度を変えて見られます。なにより無料です。

東京は好きではないけれど山の手沿線ならなんとか行けます。^^;
空が見えるところがいいです。武蔵野は行ったことないですね。多摩あたり、山際がいいな。


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武蔵野なら
2005年7月20日 12:14:12 とみた MAIL
8月8日は丁度武蔵野の方に出かけますので、夜8時過ぎならお会いできますよ。一泊して9日も午後2時ごろまでならokです。

管理人さんも蓼科(蓼科の東京都の商工会議所研修所??違うでしょうか?)から中央線で戻られればそれほど時間がかからないと思いますが如何でしょうか。

とにかく、お会いできれば皆さんの古代史の薀蓄を一挙に教えていただけるので、口角泡を飛ばすも良し、酒を軽く飲んで機嫌よく静かに語るも好です。

武蔵野は武蔵小金井、国分寺、国立、立川どこでもよろしいですよ。
かわかつさんが大金をはたいて?(失礼)・・・東京に来られるのは大変でしょうからね。

国立は百恵ちゃんのいる、学園都市(一橋大学)で閑静なところです。


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暑い暑い!
2005年7月20日 16:41:02 かわかつ WEB
 いやあ、今日も暑かった。シャワーを浴びて人心地。レスが・・・
とみたさん、いろいろ気を遣って頂いて申し訳ないですね。一度、管理人さんとつきあわせてみます。暫時お待ちを。



西域南道ニヤ遺跡とボルネオのこうもり
2005年7月18日 0:19:40 かわかつ WEB
 シルクロード再放映見ました?
 ウイグル人はコーカソイドの血が濃いですねえ。彫りが深くて立派な顔立ち。仏教と融合したキリスト教の証明として、天使の羽を持った仏画?があるんですねえ。来てたんだねえ、ローランまで。

 昼間、世界遺産でボルネオの大洞窟。コウモリが何万羽という単位で黒くて長い集団を作ってエサを探す。「ドラゴン・フライ」もうまったくこれこそ「黒龍」の様相。古代人はこう云うのを見て龍を想像したんだろうなあ。

どちらも日本への道の途中にある。それが一番思われました。


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何かのお役に立ちますかな。
2005年7月18日 0:32:30 かわかつ WEB
西域探検とミャンマー探訪サイト。写真も多くて、陸海の渡来の考察のたしにして下さい。
http://www2.neweb.ne.jp/wd/sadachan/


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シルコロード大好き
2005年7月18日 8:06:48 とみた MAIL
シルクロード シリーズそれと世界不思議発見、そのとき歴史は動いた。と宇宙 シリーズは私の定番、何があっても見ます。

この不思議な世界が私のささやかな楽しみです。

ということで、昨夜のシルクロードを見ました。作家の椎名誠?が解説。氏が小学校高学年のとき見たシルクロード番組、その憧れが冒険野郎と執筆の原点だったらしい。

6000M級の天山山脈と崑崙山脈に囲まれたタクラマカン砂漠。

そこに西域南道が通ずる。

私はどんな民族が何時頃出入りしたかに興味があります。時間を必ず含めて記憶します。時間軸を重視しているんです。

ミーラン遺跡。8世紀にトバン(チベット系)の砦として生まれ
11世紀に滅びる。

チェルチェン オアシスは9世紀中ごろに入る。トルコ系ウイグル族が8割を占める。

ニア遺跡・・・4世紀の中ごろに滅びる。仏塔、ローラン王国の地方長官の館跡。

滅びる原因は多民族の侵入制圧。砂漠の乾燥地帯は川が干しあがって水不足で生活ができなくなること。

砂嵐の猛烈さ、満天の星、蜃気楼が印象に残りました。
西方文化と漢文化とローラン文化が溶け合っているのでしょうね。



出版その後
2005年7月17日 23:37:48 管理人 MAIL
その後銭湯に入りながら、出版について考えていました。
とりあえず、だいたい私のほうで、今回の出版で出したい本の内容はできてきました。

第1章・神功・雄略期に挿入された新約・旧約聖書と斉明朝 
第2章・副都・高麗王族をすえた高麗郡建設とその背後にあった藤原氏の意図 
第3章・新撰姓氏録の分析と桓武朝と渡来系氏族集団のアイデンティティーの変化

もちろんまだ上記の結論が出たわけではなく題名そのものも変わってくる可能性も大ですが、今のところそんな感じでまとまりつつあります。

特に第1章に関しては、旧約がどのようにして挿入されたかというテーマがあります。可能性としては情報にもありました遣唐使が適当に中国で買い漁ってきた書物の中に旧約があって書紀に挿入されたという説から、トカラ人などの景教宣教師が斉明朝ごろにわたってきたときにもたさされた説、あるいはイスラエルの十二部族が日本にアマベや物部氏に混じって南方から渡ってきてその伝承が書紀に入ったという説までいろいろ考えうるわけです。ただ思うにわたしも正直どれが本当かわかりませんが、とりあえず私の仕事としては、旧約・新約が書紀に挿入されたという事実だけに焦点を絞って論として証明できればと思います。それ以上の推測については考古学者でもないですし、遺伝子学者でもないですし、東南アジア歴史研究化でもないですし、神道やキリスト教の神学者でもないので、あくまで日本古代史の文献史学者としての限定領域で短くまとめれればと思います。他の部分は他の専門家にその後の研究の進展をまかせたいと思います。

第2章は、おそらく紀氏さんかわかつさんたち研究会のみなさんと相当な連携のもとで書かねばならないでしょう。

第3章は、私の専門

ということで、だんだんまとまりつつありますが、とりあえず原稿ページに各章の文章をアップしていこうと思います。みなさんのほうでも、今後の出版計画にあわせてアップしてみてくださればと思います。


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書いてる?
2005年7月18日 0:22:00 かわかつ WEB
 とにかく書いちゃうことですよ、まずは。それからはどうとでもなる。書いてるときは出版するんだとか、あんまり考えない方がいい。とにかく作品に集中することです。じゃあ、しばらく邪魔しない方がいいね。


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そうですね
2005年7月19日 9:57:11 管理人 MAIL
書きながら考えてみましょう。とりあえず諏訪は8月5日か8日で決まりですね。その間の3日間、蓼科で論文書いて過ごそうかと思っています。どういう出版形態になるのかわかりませんが、書いてくうちに、きっと形になってくるだろうと思います。



夏の禹
2005年7月17日 12:26:29 いばらの紀氏
世界の古代伝承には外来者が文明を築いたお話が沢山有ります。
ふと幾何学を考えた古代人を考えたとき羊飼い(星座・神話?)
船乗り(位置の測定)
禹は治水・土木技術の能力をかわれた。
後に大陸の測量・・・・・・・幾何学は???
禹は蛇族・・・・海蛇らしい(過去のHPの記憶より)
 禹は南方の民族(長江文明の末裔かも?)   


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Re;夏の禹
2005年7月18日 3:07:00 かわかつ WEB
夏の禹・・・かのう・・・狩野探幽・・・かのう・・・叶姉妹って俺だけか・・・酒屋に叶屋って屋号多い・・・酒・・・避け・・・大避神社・・・僻・・・辟・・・ダビデ・・・死刑


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南方
2005年7月19日 10:01:26 管理人 MAIL
昨日読んだ鹿島さんの本に、モリや族のインドのアショーカ王、諏訪のモリヤ山のいけにえ祭祀にみられるモリヤ(守屋=物部氏)、・・と南方から日本にイスラエル民族がわたってきたとの説があるそうですね。南方文化と北方文化、諏訪はどちらがどうなっているのか、かわかつさんの今後の展開にも注目ですね。諏訪でみなさんあいましょう。



九州の国々
2005年7月17日 11:38:02 かわかつ
 先ず、私は古田さんが言い始めた「九州王朝」というものには懐疑的です。しかし、日本最古の「国」として奴国があるのは比定できない事実でしょう。志賀島に出土した金印まで疑っていたらキリがなくなるので、ここではその話はしません。
 「倭人伝」の不弥国までは、どうやら九州にあったらしいですよね。1〜2世紀までは明らかに九州にこれらの「国」はあったわけです。その当時の近畿地方がどうだったかは今後の考古学の問題でしょう。唐子・鍵以前の遺跡発掘待ちです。(大和は今、キトラの馬頭像や高松塚の壁画移設などで盛り上がっていますが、これは違う時代の話。古墳は3世紀後半以降の遺跡ですから、私の中ではつい最近^^の話です)
 大和にかかわらず内陸部に国ができあがるのは地理的に考えても、遅くなるのは理屈にあっていますよね。
 海流から考えれば、文化文明が西から東へ順次伝わるのは自明の理でしょう。磐井の乱以降なら、大和が中心でけっこうだと納得しますがね。

地名の件も、古田さんが唱えているだけで、私は同じ地名は山ほどあると思いますし、変わってることも多いです。どっちが先かも定かでない。
 でも、群馬、紀伊、宮城なんかはどう見ても黒潮文化圏です。早い時期に日向の北部から豊にかけての九州東海岸からダイレクトに”ワープ”した連中がいたことは、どう見ても自然の成り行きでしょう。
 ”ワープ”って宇宙旅行みたいだけど、当時の感覚ではぴったり来るんじゃないかと思います。^^;
 なお、日向は北部と南部に別けて考えて欲しいです。北部は明らかに海女なんかの豊・海人族文化圏ですが、南部は隼人文化圏。北は早くからまつろうているが、南部は反発を続けました。
 ただ、日向は海岸線が単調で両港が少なく、かつ岩場も少ない。つまり貝類の採取には向かないため、豊後のリアス式海岸へ移動したと思われます。
 あ、そうそう大分県臼杵市には、海女がいるんです。あわびやさざえ、亀の手なんか取ってます。今頃からちょうど漁が始まるはずです。一度見て下さい。遠いけどね。釣りのポイントでもあります。スルメイカ、旨いよ。〜〜


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紀氏さんの
2005年7月17日 11:59:25 かわかつ
私へのレスの中の「かぼと遺跡」とっても大事ですから、皆さん知っておいて下さいね。馬王堆古墳と共に日本との近似性を示す重要遺跡です。



紀氏さんの調査。教えてください
2005年7月17日 1:35:09 とみた MAIL
紀氏さん教えてください。

私が最近入手した情報は、
@中国の長江中流域の湖南省の玉セン岩で、7粒の炭化米を発見。ハーバード大学で測定すると12000前の栽培稲だった。
Aトルコのカマン・カレホユック遺跡で、アッシリア商人の住居跡から紀元前18世紀の最古の鋼(鉄より強い)を発見。500年も遡ることになった。
Bアフリカで現生人類(ホモ・サピエンス)は16〜20万年前に発祥したが、6万年以上前にアフリカを発つ。ヨーロッパに住むようになったのは4万2000年以上前という証拠あり。(それまでヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人は3万年前に寒冷化により絶滅)。
その過程は・・・
アフリカを旅立った現生人類は、紅海を渡りアジア方面に向かいインドには6・6万年前にオーストラリアには6.3万年前にたどり着く。インド洋に沿って一気に広がった可能性が高い。氷河が発達していた当時は現在と比べて60mは海面が低い。

アジアに出た現生人類の一部が枝分かれしてヨーロッパに約4万年前にたどり着いた<アメリカの科学誌サイエンス・・・ミトコンドリアDNA分析>

こんなところです。

稲の12000年前、7000年前の河ぼ渡遺跡は異議なしですが、

●河ぼ渡文明は稲作中心と思っていました。漁猟民とは意外です
●縄文時代に土器が日本から中国へ、本当ですか
●トルコの金属器(青銅器?)は中国より古いことは承知してましたが、bc8000年それにしても古いですね、鉄もヒッタイトが古いとは聞いていますが、青銅器はそんなに古いのですか

上の三つの●の根拠と提唱者を差し支えなければ教えてください。



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へ〜そうだったのか
2005年7月17日 11:50:04 かわかつ
 とみたさん、紀氏さん、ちょっと割り込みます。すみません。
 とみたさん、人類はアジア経由で広がった、知りませナンだ。情報ありがとうございます。
 下の方のレスについては上で書き込みマスです。

 それと紀氏さんの「禹」については下の方の私のレスの尻尾に書いてます。


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陳謝の紀氏
2005年7月17日 12:40:59 いばらの紀氏
トミーよりのおたずね「上の三つの●の根拠と提唱者を差し支えなければ教えてください。」・・・・ですが、
提唱者についてですが歴史教科書に携わった著名な学者先生の意見でも正しく無いこと後に判明したり、誰もが馬鹿にしていたアマチュア研究家の提唱が正しかったり 新たな真実は消去法を使うと見逃してしまうとの考えで闇雲に情報を集めます(たとえば、漢字の中にも歴史の真実が潜んでいます。)
 私の妄想?、日本中いや世界中が古代より或る「神」( YAHOOらしい)の密名(地図作り・世界の調査と布教?)により世界に散った信徒(10種の部族・ユダヤ系?)いた。ネットからの情報からの妄想(信じて頂けるような確実な史料を持たない)から・・・・昔話・民話・とんでも話しの中に真実が隠れているとの考えでイメージを広げ妄想の証明のHPからの情報を探しています。
・・・・お答えにはなりませんので(ソースがみつかりません?)
  陳謝の紀氏です。


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紀氏さんフォロー
2005年7月17日 14:02:35 かわかつ WEB
 となりの家が農家だったりすると、もらった米だったりして。交換貿易したんなら漁業のおうちから米のプラントオパールがでてもおかしくはないな。かぼとのあたりはなんちょなく水戸にも似てるから、半農半漁だったりして。^^今でも漁師はかあちゃんが米作ってたりしますし。
しかし、かぼとは稲作だ。こりゃ紀氏さんの負け。^^;

 縄文土器は世界最古の土器。1万年以上遡れる。あり得ます。

 青銅器のことは知りません。

http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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時代測定・・にがてです。
2005年7月18日 14:50:51 いばらの紀氏
弥生時代に縄文人が生活していたら縄文土器を使用していたかも?弥生との混血でも縄文土器を製作使っていたかも?(柔軟過ぎますか?)
カナンの地名が最古でしょうか?
http://astro.ysc.go.jp/izumo/orient.html#10



パスワード
2005年7月17日 7:12:46 管理人 MAIL
忘れてました。後で送ります!


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どうするか
2005年7月17日 23:18:32 管理人 MAIL
、わたしにもいまいちわかんないんですが、たとえて言えば貸しビルみたいなもので、適当にみなさんで好きな商売??で使っていただければ・・・という感じです。とりあえずビルの名前は渡来人ヒルズということで・・。管理人でした。



右脳的処理法
2005年7月16日 20:36:28 管理人 MAIL
どうもかわかつさん、とみたさん、とんでもない情報量ありがとうございます!ここ数日のテーマ・流れとしては、どうもかなりの数の情報資料をどう分類、解析するかという視点にあるようですね。
それと関連するかどうかわかりませんが、左脳的解析法とは別に右脳的解析法をお知らせいたします。
今日はたまたまカトリックの音楽イベントで私はPAの仕事をしてきました。PAつまり音響さんでして、8人くらいのバンドの各楽器の音をミキシングしてスピーカから音を出して上げる仕事です。
つまり、ギター、バイオリン、ボーカル、ドラム、ベース、ピアノ・・についているマイクの音をそろぞれミキサー機器に集合させて、それぞれの音量レベル、高・中・低音レベル、左右レベル、エコーレベル、各モニターへのレベルをそれぞれ調整します。さらに全体的な曲のイメージに合わせて全体にエコーで味をつけたり、逆に高温をそぎ落としてふんわりした曲にしたり、立体感をだしたりとするわけです。これをすべて一気に数分で処理するのですから、いろいろ分析手順があるわけです。たとえばどこかのマイクでハウリングを起こして、全体の音がキーンと甲高い感じになってしまっているとすると、どの楽器のマイクの音がおかしいかを探りださねばなりません。結局いろいろ方法はあるのですが、ひとつひとつわざと各マイクの音量をハウリングぎりぎりまで上げてみて、早めにハウリングするマイクを選び出したりします。すべてのマイクがハウリングしないでさらに最高の調子で音が出ていることは珍しく、おおよそ問題があるものですが、うまくまとまってくると会衆も乗ってくるわけで不思議な流れがあります。


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続き
2005年7月16日 20:36:51 管理人 MAIL
これをたとえば、アマベというテーマの音楽があって、それを校正している楽器つまり資料が8つくらいあります。そしてどこかでアマベのテーマにそぐわない音をだしているマイクがあるのだけど、よくどれだかわからない。しかしアマベというテーマで歴史書がだいたい構成されているとします。とすると、ひとつひとつの楽器の音、つまり文章の真偽を上中下に分類し、その三分類の中でどれかをわざと強調してやる、そうするとどこか不自然なアマベのテーマができてきたり、逆にうまくいい流れのアマベ物語ができたりするわけです。そんなことを8つある資料それぞれに分類しながら、穴をさがしていくと、きっと原作者がエコーで色をつけきれないで浮いてしまっている音がでてきて、その辺が祟られるうんぬんだったりしてあら捜しがでてきてくるのでしょう。
もちろん時間に限りがあるので、8つの資料すべてを念入りに解析していくわけにはいきませんが、ともかくアマベならアマベでテーマを限定して定義して、その上で各メモリをつけてコード化していくこの辺がとみたさんのご指摘ですね。そして、アマベという音楽の流れみたいな自由人は、かわかつさんご指摘のとおり右脳的・文系的なフィーリング論で、この辺がどうこうと適当にダイヤルまわしながらつかんでいくのが、案外「アマベ」についてはいいのかもしれませんね。アマベより定住したテーマについてはまた別の方法がいいのかもしれませんし。


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PAの例は
2005年7月17日 16:07:43 かわかつ WEB
 年配の方にはちょっとわからないかもね。
 私はギターやってたからわかりますがね。要するに音のミキサーです。
 それと管理人さんの書き込みは文章の団塊が大きすぎて読みづらいので、以前も言ったけど段落を増やしてあげた方がいいですよ。^^;
 ロングセンテンスが多いです。

 しかし今日も暑いねえ。のびてます。


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今日も
2005年7月17日 23:12:19 管理人 MAIL
どうもこんばんは。今日もカトリックのイベント2日目で音響の奉仕でした。かわかつさんフォローありがとうございます。なかなか専門の話は自分ではわかっていても人には伝えにくい、どうやって相手の立場にたって理解してもらうか、この辺の難しさ永遠のテーマです。かわかつさんをはじめ、文章の上手な人は、短い時間で長文書いても、ピチット性格に仕上げてきますね。どうしても私の場合、特に疲れていたり、短時間でと言われると、おおよそ文章の細かいところまで目が行き届かない、注意力に限界が出てくるようです。カーレーサーでも、野球選手でも、注意力や集中力・・と、潜在的な限界があるようですが、私の場合文章力の限界がこの辺にすでに出ていますね。なかなかほんとに私個人でできることはほとんどないですね・・・。



討論掲示板
2005年7月16日 3:33:59 かわかつ
見られたし


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なかなかの力作
2005年7月16日 5:26:35 管理人
ですね。後でじっくり読んで見ます。かわかつさんご指摘の各項目について、いろいろ順番に論議していきましょう!


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討論掲示板の活用
2005年7月16日 9:30:57 とみた MAIL
かわかつさん、管理人さん。糾う縄のごとき混線(スパゲティー)を解きほぐすにはこれしかない。ありがたいアプローチです。

私が以前、提唱した、共通認識の意図と同じです。

1〜20と要素に分解して、それぞれがどの程度の信憑性があるかどうか論ずる。(確実性を●▲×などで評価する)
それによってその要素を組み合わせて仮説を作る。さもないと、管理人さんがご指摘の恣意的に何でも拵えられる。これは眉唾と放棄される。面白いけれど嘘っぽいとなる。

中には飛躍論理的に新しい着想があるので全部は放棄しませんが・・・

今ひとつ提案があります。
定義です。海人族とか、海部と云っておられるのですが、
海人とはなんですか。
広義では海で暮らしを立てるぐらいでよろしいですか。

漁師、水上生活者、海女で海産物を取る人、交易商人、海上運送人??

これをもっと規定するだけでも古代史は科学性を増すと思います。

海人に対する用語は何ですか。陸人ですか。
海幸と山幸のように海人に対するは山人ですか。

渡来先をコード化し、年代をつけたらきっと混乱の古代史は少しは整理できるような気がします。

資料掲示板、討論掲示板を活用する意味が増えますね。
私は各要素について判定するだけのレベルにありませんが共通理解するにはいい方法だと思いました。



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文系的演繹法
2005年7月16日 10:14:28 かわかつ
管理人さんの演繹法論理が私に扱いにくいのは、まず、学術的にかたよりがちになる部分でしょうか。もう少ししろうとはアバウトで、多少飛躍してくれないと、どうしても殺伐とした印象が先立ってしまう。
現場実証主義的な考古学の専門書がとっつきにくいのと同じ現象だと感じていました。
しかし、私の推理小説的好奇心を介在させることで、かなり学問に日常の井戸端会議感が加えられる気がします。ジャンルは違うけれど、クラシックを知らない音楽好きのために山本直純がやっていたようなコンサートのやり方・・・とでも申しましょうか。
物語を書く者にとって、理論とは平明なものの組み合わせであって貰いたいわけなんです。専門用語は極力使わない方がいい。
ただ、本人にはかなり難しい作業でもあります。一度、堅い分子を分解して別の細胞を作っているような・・・


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用語の定義
2005年7月16日 11:20:03 かわかつ
海部歴史資料館の館長との談話の中から気づいたのは、下にもかきましたが、
*「海部」・あまべ というのは朝廷ができあがってから屯倉として地方に配属された管理者の呼称である。つまり税調者、役人です。

*実際に住んでいる人は、だから海部ではなく海の民というのでしょう。
これは部民の中の「海中に水没し」海底の貝類を採る「海女」「海士」。
また銛や網などで魚を捕る「漁師」の2種あります。総称して「海人族」です。

*人種的には「白水郎」とそれ以外に大別できます。あくまで文献上はです。
*「白水郎」は中国の呉方面・・・揚子江以南・・いわゆる会稽東冶から来た海人族です。それ以外は「あま」です。

*総じて言えることは彼等は定住しない。従って国籍はないわけです。人種もあちこちで入り交じって、すでに古代でもかなり混血していたと思います。つまり「自由人」ですから、とみたさんの言われるよな現代人的分類はかなり困難だと思います。総称は当時の中国人が言う「倭人」でしょう。なんしろ国境のない人々で、海産物さえあれば季節ごとに移動する。
要するに「海の遊牧民」。
しかも船という、当時圧倒的な速度を持つ道具を駆使しますから、その移動範囲と機動性は遊牧民の比ではない。
現代で言えば、スポーツカーに乗った目的のある暴走族。神出鬼没。
遊牧民がトラクターで、決められた範囲を決められた季節に周遊する(しかも家畜というブレーキがついている)のと違って、海人族にはこれといった足かせもなく(彼等を邪魔する者は時化とサメくらい)、しかも船には大量の荷物も乗せられる。ラクダとは比べものになりません。
こうして見ると彼等は漁民であると同時に行商人にもなりうる。「南北にシテキす」。しかもその貿易品は皆、高額なものばかり。だから彼等にとって朝廷はいい商売相手だ。仲買人ですよ。市場というのは海から派生したと思いますね。海人族は相当なエグゼクティブだったはずです。ほっておくとスターウォーズのジャバみたいに成金になっちゃう。


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かんたんに言えば
2005年7月16日 10:59:13 かわかつ
海人族とはSFの宇宙人と一緒。船さえあればどこまでも行く。
彼等の移動範囲はわれわれの想像を遙かに超えています。ここから、天の鳥船といった表現は出てきたのでしょう。

では山の民とはどう関わるか?
細かい分析は皆さん流に調べて貰いたいところですが、私に考えられるのは、
*先ず、海部がやってきて税(海産物・今でも御所にアワビや昆布を差し上げていますが)を定期的に搾取されるようになると、どうしても天候に左右される漁労採集者の中から「あぶれ者」が出てくる。払えないから日根者になって逃げ出しちゃう。
そういうのが集まると反体制分子になりうるから、朝廷もやっきになって
1 懐柔 2 強制簒奪 3芽を摘む 4結果的に逃避してしまう
となるわけ。それが奥地に入っていったタケミナカタではあるまいか。


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これから先は
2005年7月16日 12:38:09 かわかつ
ちょっと飛躍しますよ。

神武があたかも隼人の姫との関係を、おだやかな婚姻に見せかけていますが、実際はかなり格差があると思います。それは大和の物部氏とは歴然と差があります。つまり物部は旧為政者として扱われているのに、隼人の実際は結局、護衛者に過ぎません。海人族の大王といえども奈良では地位が低いのです。
ここらに、壬申の乱のヒントがありそうです。
国境を持たぬ自由人に定期的租税や定住を求めればどうなるか???
結果は歴然としています。すたこらさっさが圧倒的です。
だから海部が必要になる。海部は地方官だから、時代劇の悪代官みたいに搾取できる。実力を知らないうちに持つ。海産物だけじゃない、世界の珍品も貿易で手に入る。ますます搾取する。もう朝廷の手に負えなくなる可能性が高いわけでしょ?カッパに尻小玉抜かれちゃたまらんでしょう。
なら朝廷がすることは只ひとつです。江戸時代の参勤交代です。長官は奈良に住まわされるんですよ。大分の君も奈良に住んでいた。
人間のすることに今も昔もないです。


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上にいきます
2005年7月16日 11:27:14 かわかつ
そろそろ一杯でしょうから、上に。


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「会稽東冶」から来た海人族
2005年7月16日 20:22:11 いばらの紀氏
会稽山・・・・検索しました・・・・禹も海人族(海蛇?)
http://www.yo.rim.or.jp/~nohara/furutakaikeizan.html
200m程度の何でもない山。 ふもとに河姆渡遺跡。
禹がここに諸侯を集め、夏王朝を開くことを宣言。 禹は黄河流域の人。 金属文明を背景に南下したようだ。

なぜ南下したか。
すでに、長江流域が豊かな土器文明圏として存在していたから。 河姆渡遺跡は中国最古の土器文明遺跡(6800年前)。 中国の土器文明はここから長江をさかのぼっていく。

「史記」は、堯・舜・禹を顕彰するため、夏王朝以前の土器文明についてバッサリ削除したらしい。
中華思想
孔子「夷狄之有君,不如諸夏之亡也。」(八&#20350;)
参考
金属文明はB.C.8000年ごろトルコで始まり、シベリアを経由して黄河流域へ。
一方、河姆渡遺跡からは石ケツ[右王左決字之右](ケツ状耳飾り)が出土するが、これは日本では到る所の縄文遺跡から出る。伝播の方向は明らか。東から広がった土器文明と西から伝播した金属文明の接触が禹のあたりになりそう。
なお、稲作の伝播は土器の広がる方向とは逆。稲作発祥の地は中国湖南省。1万2000年前、ギョクセンガン(=蛙岩)遺跡に達し、さらに5000年をかけて長江下流域(浙江省)へ。7000年前、河姆渡遺跡。河姆渡の民は基本的には漁撈民だったようだ。


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紀氏さん
2005年7月17日 1:14:16 かわかつ
日本の縄文土器はもっと古いですよ。1万年以上前なんですよ。どうしましょう?途方に暮れるかわかつです。


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途方に暮れないで下さい。
2005年7月17日 10:50:26 いばらの紀氏
日本で言いますところの縄文時代の後期?に「夏の禹」カノウの測量士が渡来していても可笑しくは無いとの考えです、禹から縄文が始まったとは考えておりませんデス。


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夏の禹
2005年7月17日 11:48:14 かわかつ
 禹って、それじゃあ海人族だったのかな。
 昨日の不思議発見でシャオ族が出てましたが、南方系ですよね。ミャオなんかも多分そう。髪が長〜いんだ。それがステータスらしい。顔はもう日本人そのもの。当然だけど・・・。船の民だったのかなあ。
 じゃあ禹の前から列島に来ていた人々もいるんですね?
 「白水郎」は禹の先達か。うっ!



郡山編
2005年7月15日 20:50:52 こざしき WEB
郡山編拝読しました。郡山はバイクじゃなかったんですね。
管理人の影響からか、最近、私にも歴史ブームが。
http://www.kahaku.go.jp/jomonvsyayoi/index.html
今日も埴輪と同型の遺構がでたとか。
キトラともども、この手のニュースが今熱いのかも。


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おひさです
2005年7月16日 5:17:10 管理人
これはこざさんおひさです。おもしろそうな展示ですね。ぜひ一度みにいきたいです。
みなさんに紹介します。古くからの友人こざしきさんです。虎塚古墳のちかくにすんでいます。うちのHPにリンクしてあります。おもしろいのでぜひ遊びに行ってみてください。
ぜひぜひこざさんも歴史にこの際どっぷり漬かってみては??


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おひさです2
2005年7月18日 22:19:55 泊瀬光延 WEB
この掲示板が書き込み量日本一でしょうか?
上の展示紹介の縄文人と弥生人の頭蓋骨の写真がありましたが、これで典型とみて正しいのでしょうか?
 弥生人のエラが張っていますね。肉付けすると四角い顔になるようですが。縄文人は頬骨が張った瓜実顔でしょうか?東北に美人が多いというのもこのせいか?


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あっというまに
2005年7月22日 5:32:05 管理人 MAIL
泊瀬さんおひさしぶりです。あまりの速さにレス気づきませんでした・・・失礼しました。人骨からイメージを復元する、泊瀬さんならではの想像力の要する世界ですね。これまでの縄文、弥生イメージ像とはひとあじ違った主人公を出して着てくれるとまたおもしろいかもしれません。



聖徳太子は入鹿
2005年7月15日 13:07:01 とみた MAIL
梅原猛さんの説。法隆寺は聖徳太子や山背大兄皇子一族を誅殺した

祟りを懼れた藤原不比等が建立した。怨霊を鎮めるための建物だ。

売り出し中の関裕二氏は
「上宮聖徳法王帝説」という資料から、

聖徳太子と山背大兄皇子は親子関係になかった、
という仮説を立てています。

その上で藤原氏が恐れた祟りは、
山背一族殲滅事件とは関係がなかったとしてます。

では藤原氏は誰の祟りを一番恐れたか?

それは大化の改新の変で殺した蘇我入鹿にほかならない、そして入鹿も藤原氏を恨んだ。

・・・・なんと蘇我入鹿は聖徳太子と同一人物との結論です。


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改竄
2005年7月15日 20:22:37 管理人
梅原さんに始まる祟り封じ込め論、おもしろいですね。関さんのも読んでいますが、書記を改竄して封じ込めたことを知らずにだまされ続けているのかもしれません。その辺渡来研究ではかわかつさんの専門ですね。

書記にA=Bである。と記されていていても、実はA=Cであり、BはCではない。よってAはBでないということが本当は記されていたとします。すると改竄される前の書記の姿を導きだすのに、どういう推論を働かせると、AはBでないという姿が浮き彫りになるのか? その辺は、結局書記を改竄した藤原氏が気づかなかったその思考の漏れを探り出すことで、あらわにされくるんでしょうね。
と、昨日はそんなことを歴代天皇記の改竄証明がどうみちびきだされるか考えてました。
A,B,C,D,E、F,Gという天皇がそれぞれ上中下の3つ部分からなる3つの原テキストを共有し、さらにとなりあう天皇は同じ原テキストの同じ部分を使用できないと仮定すると、どうなるか?



旧約と雄略期2
2005年7月15日 3:40:40 管理人 MAIL
旧約と雄略期の比較、小子部すがる関連で霊異記の分析加えてみました。原稿集に掲載しましたのでよかったらみてください。
http://tokyo.cool.ne.jp/torai-jin/kyuyaku.htm


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半島の
2005年7月15日 10:46:38 かわかつ
花郎伝承に同様の言い伝え、文献がないか調べてみてくれませんか。武家にも関わるかも。


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削除キー
2005年7月15日 10:48:56 かわかつ
作動状態、修正可能。but削除不能です。


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うちも
2005年7月15日 16:44:42 管理人 MAIL
ロゴつくりましょうかな?削除不能ですか?花朗のこと、またくわしくお教えくださいね。ではちょっと出かけます。


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秦川勝とすがる
2005年7月16日 1:21:37 かわかつ
史料として残っている渡来氏族と小子部の中に、秦氏とすがるの話がありますが、このすがるが海人族であれば、なぜ海人族が川を遡上していったのかのヒントがここにあるのではないでしょうか。
例えば、秦氏が加悦で海人族を手名付け、彼等の船で渡来し、彼等を手足のように利用していた・・・という仮説が成り立たないか?小子部はこびとではなく、背の低い人種・倭人ではなかったか。民間信仰の多い海人たちに対して、川勝は宗教統一的な統括方法を採らねばならなかったのではないか。海人族の方はそれを嫌って、自ら山へ入ったのか?
可能性は?

また、すがるが子供を集めたというのは半島の武士がはべらせていたという花郎衆と関係はないだろうか。
あるいは陰陽に乗っ取って子供を載せて蓬莱へ行ったという徐福との関連は?


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プラス・・・
2005年7月16日 1:33:22 かわかつ
出雲の少名彦名と大国主の関係もからんで来るでしょう。突然、常世の国に飛んでいった彼は、大国主のよき協力者であったはづ。となると、これは飛躍論理ではあるが、同じく出雲を去った八重事白主も建御名方も海人族ではなかったか。
アジスキタカヒコネは高鴨神であるが、葛城に八重事白主とともに社が建てられたのは、事白主の御魂を祭ったのはアジスキタカヒコネを代表とする鴨一族であったとはいえまいか?
というような仮説を今、考察中です。
ここから先は未だ難解。


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概念とイメージ
2005年7月16日 5:34:51 管理人
かわかつさん、いろいろお教えありがとうございます。こちらも後で考えさせていただきますね。
歴史書の作者にとって、理解しがたい難解な原本や経典を、じぶんなりの身近な出来事のイメージでストーリーを作り直していった可能性はないでしょうか。半島の武士がはべらせていたという花郎衆と関係も、きっと朝鮮に詳しい人のイメージがあって初めてうまれてくるような感じがします。とすると、同じ原本をぜんぜん違う人が知らずに描いたら、まったく構成は同じながら、まったく違うストーリーが出てくるのかもしれません。あとで考えてみます。


上毛野は紀の国or騎馬民族
2005年7月14日 13:45:40 とみた MAIL
われら地元シニア古代史探検隊の一人が群馬県出身。そこは上毛野国。上毛新聞とか郷土史愛好家の岡島成行氏の本から抜粋した資料をくれた。

面白い記事があったので紹介します。
ご存知、上毛国は、古代では筑紫、吉備と並んで勢力の大きな豪族がいたところ、榛名山山麓には大豪族の居館が5世紀にあったことでも有名です。現在は上州、群馬県・・・、忠治親分、空風、カカア天下で有名でしょうか。大物政治家・総理の輩出、中曽根、福田、小渕・・・

上毛野君一族、上州人の祖先の故郷はどこかに2説あり。
(A)一つは大和南部説、(B)もうひとつは騎馬民族説です。
A) は尾関博士:自説の根拠は、地名、人名、初期古墳の特徴からの文献派
B)は松島さんという高校教師。徹底的な現物指向の遺物中心調査、直感派

A)毛野は”けぬ”と国造本紀に記述あり。上、下は大和に近い方が上。
古代東国はけぬ、ひた、むさ、ふさと呼ばれる4地方に分れそれぞれに上とか下をつけた。

”ぬ”は地域を表す接尾語。けぬ・・・”け”の地方という意味。
常陸風土記によれば、常陸の国の西境には毛野河(けヌカワ)があり、筑波県は昔、紀国(きノクニ)とよばれていた。

毛野河(けヌガワ)はいまの鬼怒川(きヌガワ)です。

”け”と”き”は群馬県東部、茨城県地方では発音が明確でない。
”き”の国が”け”の国になったのではないか。

古墳文化は西から東へ、大和の南部”紀の国からやってきたのではないかという説明です。初期古墳の形態や住居跡土器の分析でも、上毛野国と大和南部は似ているらしい。

B)学生時代に群馬県太田市で出土した石田川土器の源流を探ってゆくと、大和地方よりむしろ西日本や中国大陸北部の土器に似ていると気がついた。土器のうち煮沸容器についている台座が匈奴など北方アジア民族が使っていた”ふく”(腹の月を金に変えた文字)という容器に全く同じ形だ。3-4世紀の日本の土器は近畿地方を中心にした形式のものが支配的だが、東国と西日本の一部に北方アジア民族的な土器が出てくる。もうひとつ上毛野国には馬と関係のある遺物(馬具など)が多いそうだ。騎馬民族説の根拠です

B)では騎馬民族的な独立した上毛国が大和朝廷と対抗
A)では、上毛野国が強大であったのは大和政権と密接な関係があったから、独自性は大和から遠く離れていたから


これは重要な示唆を与えていると思いますが如何でしょうか



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上毛野の起源
2005年7月14日 17:58:03 管理人 MAIL
はやはり大和方面なのでしょうね。どこか上毛野方面の埴輪を見ていると大和の祭祀と共通性がありそうで、大王の一族らしき人の姿が見え隠れしています。とはいえ、大和であるとは断定できないですが、方墳を造った古い系統??との集団の移動の流れと、そこい重なりあうところの関連が気になります。もしかして関東版かわかつ論が必要ですか??


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大和からなら
2005年7月16日 4:01:02 かわかつ
どうして装飾古墳があるのでしょうや?
ひた、むさ、ふさ・・・から日田、宇佐という連想がなぜ出てこないのでしょうや?
身狭村主青・・・日本書紀に出る三毛川の川上に専横する青、白の記述。
上毛野・・・上毛郡(福岡県築上町)と下毛郡(大分県中津市)の地名類似をいかんせん。
ついでにもひとつ。
かかあ天下・・・北部九州に数多い比売神伝承。湯布院塚原の霧島神社では正月に男が料理して女を敬う「どぶろく祭」あり。かかあ天下は上州だけじゃありません。
3つめの説。
北部九州からの海流遡上説。byかわかつ
俺が言ったんじゃ眉唾ですかな?


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あれ?
2005年7月16日 12:07:24 かわかつ
とみたさんもその辺、うすうす気づいて来てると思ったんだけど、レスないですねえ。???


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どひゃー
2005年7月17日 2:05:01 とみた MAIL
かわかつさん、目がソロソロ塞がりそうです。眠い。

九州にも毛野国ある?どないなっているのやら。

万葉集の仲麻呂の歌。天の原、ふりさけみれば春日なる、三笠の山に出でし月かも。これは大和の天の原、春日、三笠山と思っていましたら、九州にもあるんですって。福岡県の春日市、三笠山、対馬の天の原

埼玉の稲荷山古墳の”しき”も奈良の磯城郡(しき)と同様、埼玉県に磯城宮があるようで・・・

ムチャクチャでござりまする。
群馬県の場合は騎馬民族が入っているかなの方が興味があるんです。

提唱者はいま群馬県の重鎮らしく、文化センターの所長さんです。

九州王朝説はどのぐらい正しいのでしょうか。




地元古代の跡
2005年7月14日 12:38:12 とみた MAIL
昨日、千葉県我孫子あたりの遺跡や神社をシニア三人で巡ってきました。
我孫子分かりますか。手賀沼分かりますか。大正時代でしょうか、白樺派文士、志賀直哉、武者小路実篤などが手賀沼の辺にいたので有名なところですよ。
いまは水質日本一悪い沼で有名な手賀沼。利根川が近くそこから北は茨城県です。昔は下総相馬です。相馬といえば平将門。

平将門は900年代、大宰府に流された菅原道真や瀬戸内の水軍純友の乱の時代でしょう。

@柴崎神社・・・平将門が武運長久を祈願した所。ここはヤマトタケルの伝承もある。
不思議なのは、北辰妙見信仰の亀が置いてある。奈良のキトラ古墳で北の位置に玄武が描かれている。

玄武=亀+蛇その亀かな。
道教の亀かな、北辰とは龍の形をした北極星のことだから・・・
道教の匂いと密教の匂いと

A香取神社があちこちにある。
香取神社は千葉県佐原市香取に本拠がある。ここはヤマト朝廷がエミシを平定&経営するための前進基地として茨城県の鹿島神宮とともに重要な拠点。香取と鹿島はレーラインで結ばれている謎の地。
我孫子あたりに豪族がいてその分社を許されたか、取り込まれたか。
江戸時代にはその境内に庚申信仰の村人が集まった。

この信仰は道教が元らしい。十二子の申=猿・・・猿田彦の掛け軸や塔があるんだそうですね。体の中に虫がいて、60日ごとに体外にでて天帝に悪口を言う・・・面白い。

B水神山古墳
手賀沼の辺にある前方後円墳で、古墳時代の前期のものか。東大の
調査で5世紀はじめ〜中葉(倭の5王時代のものか)に築造と鑑定されている。埴輪や武具は出ていない。地方豪族のものか。当地としては最大級で長さ63m、高さ5mです。


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レイラインと道教
2005年7月14日 17:52:37 管理人 MAIL
鹿島、香取、息栖の直角二等辺三角のラインは有名ですね。鹿島には奈良初期創建という伝承もありますが、もうすこし古いんでしょう。道教の星辰に関する信仰については、本HPでとりあえている文氏の祝詞に見られるようなものもありますが、天武前後には相当影響見られてきますのは周知の事実ですが、個人的には中国色より、漢代の古い原始道教が高句麗経由?ではいっているように感じています。問題は地方への拡散ですが、古墳なら制度的??とか、渡来人の移動ならどの氏族とともに、とかいろいろ課題がありますが、体系化したいところですね。



巨石遺構のレイライン?
2005年7月14日 11:32:48 いばらの紀氏
?(素晴らしいHPを見つけました。)
「いこまかんなび写真帳」を御覧下さい。(いこまかんなびさん、お借りいたします。)
http://www.h7.dion.ne.jp/~iko-kan/sub7.html
謎の三角域--劔・玉・鏡の社 2004/6/5
生駒山ろくに存在する劔・玉・鏡の社がつくる謎の三角域、住吉大社とその北辺を延長すれば生駒山北嶺
の巨石遺構(饒速日山?)があり、さらに鳥見の下社という長弓寺・登弥神社(現伊弉諾神社)につながる。詳細は「関係資料・活動記録」をご覧ください。

以上のHPから「地図」作りの石工の足跡を感じます。


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山麓の社
2005年7月14日 17:45:15 管理人 MAIL
きしさんこんばんは。山麓の社、先日の郡山探索日記でもでてきましたね。アマテラス、住吉、猿田彦・・・、その系統の祭祀がでてきます。中世の東北にまで及んでいる彼らの足跡、きしさんの世界ですね。うちの先祖の郡山と一関ももしお時間会ったら山麓の社間で線を引いてみてください。なにかわかるかもしれません。


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調べてみました。
2005年7月16日 19:20:04 いばらの紀氏
みなさん今晩は、
「うちの先祖の郡山と一関ももしお時間会ったら山麓の社間で線を引いてみてください。なにかわかるかもしれません」・・・・調べてみました。
∴三内丸山遺跡(青森)〜河南(宮城県)〜 仙台湾
∴三内丸山遺跡(青森)〜∴環状列石(十和田?)・鹿角(花輪はハニワ?「はなわ」もポイント名)〜(湯瀬 温泉?)〜∴布川遺跡・中尊寺(蔵王ー月山へ30度・・・役行者の影?)・ ∴毛越寺跡〜河南(宮城県)〜 仙台湾・・・「カナン」の名(世界的なポイント名)

 環状列石・・・・・多いですね。
http://kimura.cside.com/akita/kazuno.html
http://www.mapple.net/tw_column/0911.html
http://hw001.gate01.com/sangatu/jomon_piramido.htm

∴布川遺跡・・・・同名に遺跡が茨城に在るようですが、岩手でのHPは見つかりませんでした。

∴ 毛越寺跡 ・・・・古墳も捜せば見つかるかも?
http://www.town.hiraizumi.iwate.jp/scripts/hiraizumi/kanko-rekisi/lib/bunsen_iseki_map/bun_imap2.html
http://homepage1.nifty.com/rekisi-iv/kikou-kokunai/44hiraizumisukagawa/hiraizumisukagawa-main.htm

河南(宮城県)〜 仙台湾から∴三内丸山遺跡(青森)のラインでした。
http://www.miyagi-ann.org/exca/2000/sekinoiri.htm
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/nenpo49.htm
旧石器発掘ねつ造?



ホームペ−ジ
2005年7月14日 8:32:47 かわかつ
皆さんHPを作るのが大変だと思っていませんか?
でもHPはネット上に自分の家をたてるようなもの。好きなことが言えるし、気に入らない時は閉めちゃえばいい。まあ、肩書きのようなものでしょうか。
ホームレスよりはホーム持ちの方が相手も安心するのが世の中。
しかもこの家は育てられる。子供でもあります。増築、改築自由な2バイ4住宅。1万円で自分のHPが作れますから、ビルダーなり買ってきて作ってみて下さい。電話のないひとは今時、銀行でも相手にしませんからねえ。
あたしもずぶの素人から始めてやっと一年。でも返ってくろうとよりラジカルなHPだと思っています。あとは、他所からアイデアもらって生育する。昨今はほったらかし勝ちですがね。
しんどいですか?


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ああもう
2005年7月14日 9:27:39 かわかつ
祇園祭ですねえ、京都は。路地裏の商店の山車。地蔵盆の菓子のお包み。
京大屋上から見る大文字。四条河原町のおのぼりさんたちの賑わい。喧噪を避けて飛び込む西木屋町の15番通路。芸鼓の奏でる太棹の響き。しかるおかあはんのしゃがれただみ声。玄関先にころんだ小さなこっぽり。「おきばりやす」の優しいあいさつ。鴨川の恋人達のよりそう暑さとすずやかな風。ぽんと町の濡れた石畳。ベンガラ格子のすきまから聞こえる虫の声。しんない、都々逸、小唄のかすかなコラボレーション。紫のイルミネーション。高瀬川沿いの屋台のうどん屋。青山コーヒー、ブルーノート、コットンハウス。JAZZとブルースとタバコの紫煙。京都書院の階段のゆるみ。ドンクの塩パンを焼く匂い。花見小路のドイツ語の声。12段屋の階段箪笥。磨き上げた黒光りする下宿屋の廊下。北山通りで揺らぐフランス国旗。ダム女の前のケーキ屋のおんなのこ。逢坂山から見る山科の夜景。清滝の母の胎内のように狭いトンネル。ビルのすきまに隠れた安っぽいアンティークショップ。十字屋で買うギターのピック。師団街道の新幹線の高架下で交わした口づけ。加藤和彦の色あせたサイン入り色紙。
日赤裏から泉涌寺の間の細い下り坂。ぼうずが愚痴を言い合う場末のスナック。雪舟寺と東福寺の参道沿いの馬酔木の香り。七条通の歩けないほど狭い歩道に並んだ赤いろうそく。こんちきちんがぐるっと回る河原町。
アーク灯に照らされた的屋のおっちゃんの暗い瞳。汚い指先で踊るちんけなイカ焼きの醤油の匂い。塩小路通りの夕方のポン引きのうつろなかけ声。なめし革のすすけた匂いとスニーカーの埃。舞子の顔の前で揺れていたびらびらのかんざしに映るネオンサイン。つっかえて動かなくなった京阪電車の中で見たテレビニュース。「龍大学生、シルクロードで死亡」。
松本深志まで出て大陸のちりと消えた我が友上松。暑い暑い都大路の青春時代!
あの時、たしかに風は吹いていたんだが。凪いでしまった今年の夏。


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HPづくり
2005年7月14日 17:24:27 管理人 MAIL
かわかつさんおっしゃるようにHPづくり意外と簡単です。手始めにうちのHPにある原稿集ページから、いろいろご自身の簡単な原稿を、ホームページファイル(HTML)を作って、アップしてみるのはどうでしょう。HTMLファイルの作成方法、アップする方法は以下のページをご参照ください。
http://tokyo.cool.ne.jp/torai-jin/
もし、ご依頼あれば、この原稿集のプロバイダー内に、みなさん専用のホームページコーナーを作成いたしますので、その場合メールくださいね。パスワードなどお教えいたします。

それにしてもさすがはかわかつさん文筆のプロですね。京都のなごやかな風情が浮かんできます。特に文筆家とHPはこれからは書かせない時代になりそうですね。がんばってください!
今日はこれから出かけてきます。




管理人さんへ
2005年7月13日 20:53:27 かわかつ
「斬りかかっておいて、途中で辞めれば、当然、自分が斬られるに決まっている」
「斬っておいて、済まんはないだろう」
いずれも私が被差別民と秦氏の関係について躊躇していたときに兄から言われた言葉です。斬りたくなければ剣は抜かないことです。それで困る人は誰もいません。あなたはいい人でいられます。

11日のメールの返事に書き忘れたことです。


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秀郷流
2005年7月13日 23:57:33 かわかつ
ここのBBSに最近レスしています。藤原専科ではありませんが、なかなか広範囲に知識をお持ちのようです。下の方にものせましたが・・・
http://6014.teacup.com/granvia/bbs


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かなり
2005年7月14日 1:27:31 管理人
ナイナーな知識をお持ちな方々ですね。面白いです。
とりあえず、5日から8日まで蓼科で決定しました。その前後で諏訪あたりでお会いしましょう。詳細はメールでやりとりしましょうね。ということでこちらからメールアドレス調べて、メーリングリスト作って詳細お知らせします。もしいらっしゃいたい方がおりましたら、私のほうにメールアドレスお知らせください。
メールアドレスは、こちらのページにありますのでよろしくお願いします。http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraiabout.htm


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剣のお話
2005年7月14日 1:34:08 管理人
かわかつさんのお兄さんの剣のお話おもしろいですね。私も剣道やっていたので、その辺の武術の理論はよくわかりますね。
中途半端に刀を振ると隙ができるのですぐやられます。切るときはやむを得ない場合だけですね、それも最低限目的を達するのに必要部分だけ切り取ってしまう。相手の気づかないうちに、小手だけとっておけばいいんですね。気づかなければ恨まれませんし・・・。と、何の話しているんでしょう・・・?


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期待の星
2005年7月14日 1:57:58 とみた MAIL
teacupをチョイ見しました。
闇の日本史、竹内さんは若いのによーく勉強してますね。

古代史も相当なもの、宇宙も興味がある由。系外惑星のことにも関心があるようで。ご存知、地球は太陽系の一つの惑星ですが、宇宙の専門家は、最近は系外惑星を追っかけてますよ。130個見つかったんですが、ガス状のものが多くって地球みたいに岩石で出来ている惑星がナカナカ見つからないんです。それが最近漸く見つかったなんて騒いでいる・・その話をされているんですね。

われわれの銀河には太陽見たいな恒星が2000億もあるんだから、惑星も一杯あるはずなんですが・・・これからが楽しみです。生命が宿る星=期待の星を探すんでしょう。
われわれの銀河みたいな銀河が大宇宙には何千億とあるんだから生命は必ず宿っているでしょうよ。宇宙に比べれば人はちっぽけだけど、人間の知恵もたいしたもの、この百年でいろいろ分かってきましたね。

それなのに、日本の古代は、なぜかくも謎が解けないんでしょうかね。

竹内さんは私と同じ岐阜県出身だ
。歳は多分大分違うと思いますがね。いろいろすごい方=期待の星がいるようで、このコーナーにも飛び込んでくれるといいですね。

今日、いま住んでいる地元の遺跡をシニア3人でぶらついてきました。

下総の相馬郡にある平の将門ゆかりの柴崎神社・・・将門が武運長久の祈願をしたという伝承が残っている神社も訪れました。



とりまとめて
2005年7月13日 18:46:15 かわかつ
これから海部歴史資料館と横尾遺跡の画像を私の画像掲示板へ送ります。どなた様も一応、ご確認の程・・・


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ついでといっては・・・
2005年7月13日 19:58:19 かわかつ
ちょっと他所で自慢したので、ここでも自慢しときます。私の出自も教えます。^^; まあ、他に自慢がないのでご勘弁を。
大和の人は物部の「ニギハヤヒさんが先やから」とよく云います。私だって自慢はあります。自分の出自を渡来系だとあなたがたは云えますか?
私は大きな声で言えます。私の男前は渡来の血です。間違いない!


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いや
2005年7月15日 3:24:20 管理人 MAIL
もうみんな渡来系ですよ・・・遺伝子的には。中橋孝博さんという遺伝子学者さんの推計だと、弥生初期に縄文人集団の中に10パーセントの弥生人が入り、弥生中期には遺伝的に80パーセント弥生人が占めるグラフを本に乗っけています。ほとんど弥生人ということになるでしょう。そして弥生人の遺伝子と古墳時代の朝鮮系渡来人の遺伝子を別物とて区別するか、連続として捉えるかの問題もありますが、渡来人かどうか、それは弥生系遺伝子と古墳時代の渡来系遺伝子が、相違する場合、やはりそこがキーになりそうです。渡来人はやはり南方モンゴロイドでもB44系の遺伝子と推定できれば、あるいは区別できるかもしれませんね。斉藤成也さんの「DNAから見た日本人」ちくま新書はそうとう詳しくDNA掘り下げておりお勧めです。



古代鏡について
2005年7月13日 16:37:02 姫 MAIL
先日、9日に明日香で橿原考古学研究所の中井和夫さんの話を聞いてまいりましたので、渡来人とは関係がありませんけれども、少しお話させていただきます。
題が古代鏡と言うことでしたので、予想としては発掘された鏡について、「どこの古墳の鏡はどんな形で、どこの古墳と関わりがありそうだ」などという話を聞けるかと思っていたのですが、内容は全然違いました。
もともと中井氏は稲作の伝播の研究をしたいと思っていたのだそうですのに、何時の間にやら鏡の世界にどっぷり浸かっていたという方で、まだ鏡については5年ほどの経験しかないそうです。
鏡の世界と言うのは、ほんの小さなカケラを見ただけで、これはどこそこの何と言う鏡だと、即座にわかるようなマニアックな世界なのだそうですが、その割りに製造方法などの研究は殆どなされていないのだそうです。
中井氏はその方面に興味を持って調べるようになったそうです。

画像が掲示板に載せられるようになったそうですので、そちらに少しご紹介しますが、鐘と同じように、鏡も鋳型を使って製造します。 鋳型には、真土(まね)を用います。 真土とは、粘土を焼き、粉にしたものに、粘土を加えて作ります。  割合は粉にした粘土32に対して、粘土1というもので、実にぱさぱさですが、これは注湯したとき発生するガスを抜く為と、鋳型の高温に寄る伸縮を防ぐためです。  実にこの真土の伸縮率は100分の1mmなのだそうです。
鋳型には石製のものもあるそうですが、これは少数です。
型を取る方法には、 挽き型、 蝋型、 踏み返し のみっつがあります。
挽き型とは、鏡などの円形のものを作る場合にコンパスのようにくるりとまわすことで、綺麗な線が何重にも描けますので、そこに模様を刻んでいけば良いわけです。
踏み返しというのは、鋳型にモデルの型をそのまま押し付けて型を取る方法です。



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古代鏡 2
2005年7月13日 16:39:47 姫 MAIL
鋳型が石である場合は別として、鏡の真土の場合はいちいち壊してしまいますので、瓦や鐘の鋳型のように兄弟の鏡は出来ませんが、それに類したものが、踏み返し技法による鋳造です。  
瓦などの場合、鋳型を使う頻度が高いので、型が摩滅して同型のものであれば年代を決められますが、鏡は踏み返しの技法でつくったとしても摩滅することなどありませんので、同じものであってもどちらが古いかわかりませんので、瓦や鐘のように年代の測定は出来ないと言うわけです。

また、三角縁神獣鏡はどこで作られたのかが論争されていますが、もし踏み返しの技法でつくったとすれば、どこで作っても全く同じものができますので、特定はできないとのことでした。
材料の分析で製作地の限定ができるかもしれませんが、これも、銅、錫、鉛の割合が厳密に決まっていて、ある一定の割合でないと、鏡が出来ないそうですので、この割合による製作国の確定も出来ないということでした。
古代のことですので、そんなにきっちりと計ってやっていたわけではありませんから、後世になって分析してもこれはどこそこのものであると限定は難しいのかもしれませんね。


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古代鏡 3
2005年7月13日 16:41:59 姫 MAIL
古墳から出土する鏡を厳密にしらべると、バリとよばれる製造過程で出来る疵が多いのに気が付きます。 当時も出来上がった鏡を「キサゲ」と呼ばれる道具でムラを削り取っていたのだそうですが、何しろ硬いものですから、1mmのバリを削るのに、一日3時間で、2週間もかけて削らなくてはなりませんでした。 ですから、どの鏡でも削り残しのバリが実に多いのですね。
キサゲでバリを削り取った後、やはり綺麗に磨いて製品に仕上げるのだそうです。 鏡には、バリの削り残しと同時に、磨き残しもよく見られます。

鏡の原料である銅と錫は上手く結合しないのだそうで、銅、約75%、錫、約23%、鉛、約2%の割合ですが、出来立ての鏡がこれだと、錆びなくて綺麗に顔が映り、平面に置いてもがたがたすることはありません。 けれども出土する鏡はいずれも少しいびつで、平面に置くとがたがたします。 何故かと言いますと、そのままだと脆く割れ易いので、防ぐために、「焼き入れ」をしているからだそうです。
ただ、この焼入れの技術は非常に難しく、美しいままで仕上げるにはどのようにすれば良いのか、温度は何度が適当なのか、現在でもまだわかっていないと言うことでした。


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古代鏡 4
2005年7月13日 16:43:11 姫 MAIL
中国で出土した唐の時代の鏡は、錆びてもいず、綺麗に顔が映って、今作った鏡のようだったそうです。 このときの鏡は錫が25%だったそうで、錫が多いほど綺麗に仕上がることがわかります。 (ただし、脆かったでしょう。)
唐の時代の庶民の墓を見ますと、男子は剣をもち、女子は鏡を持っているのだそうです。 鏡は祭祀用ではなく、実生活でも広く使われていたことがわかります。
日本の場合は殆ど祭祀用だったと思いますけど・・・

結論は、古代の鏡については比較検討分野の研究は進んでいるものの、製作についての研究は今始まったばかりで、まだ五里霧中の状態ですので、この分野からの歴史考察はまだまだ先の話だと言うことでした。

どうも詰まらない話を読んでくださって、ありがとうございました。


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鏡というと
2005年7月13日 17:10:56 管理人
ちょうど今回の郡山探索で田村神社にあった社宝の神鏡銅製松喰鶴鏡について調べていたところでした。古代の鏡と平安、中世の鏡、いろいろ技法があるんだと思いますが、ご指摘の古代の鏡の鋳型の粘土比率とかみても、かなり高度なものがありますね。古代日本の鏡をつくるのに、はてさてどいう技術者が渡来してきたか?その辺渡来人ともかかわってくるのではと感じますが、秦氏の精銅でもいまいち鏡までは研究が届かないようですが、今後の期待です。


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今日は
2005年7月13日 18:42:44 かわかつ
大分市の東にある亀塚古墳という120メートルクラスの大前方後円墳のある「海部歴史資料館」へ久しぶりに行ってきました。館長と1時間ほど談話し、「海部」という呼称が奈良朝延喜式以降の屯倉・・・いわゆる税調機関としての呼び名であり、それ以前からいた白水郎たちの生態についてはほとんど調べられていないことを知りました。
生憎、途中から驟雨にみまわれ、足許の悪い中、そこから少し内陸の横尾縄文遺跡にも参りました。
大河を隔てて「丹生」という水銀採掘地域に対面する横尾は、縄文の掘っ立て柱が出土。以前から海人あるところ、必ず近くに縄文あり、と確信していた私は大いに満足しました。
ところで、亀塚古墳周辺の大古墳群からは方各規矩鏡が出土しております。また、鉄ていという鉄のインゴット、勾玉、翡翠、姫島産黒曜石などが出ていますまたとみたさんご指摘の外洋航海のできる船の埴輪も出ており、そこに編み目紋などの南方系あるいは縄文系の模様が入っていることが確認されています。
大和と九州、どっちがどうだという先入観は私は持ちたくないので、古い形式のこうした遺物、あるいはスイジガイなどの全国的にも珍しい、南方にしかない貝の加工品などが出ていることが、即、九州が古いとは言えないのでしょうが、姫さん、「大和が・・・」というようなことはあまり今は云わない方がよいのではと懸念しております。老婆心まで。
私も「九州が」という言葉を使わぬように心がけますので。圧倒的に違う文化だったようです、この2地域は・・・。



呉姫、糸井神社
2005年7月13日 14:34:03 姫 MAIL
かわかつさんが、呉姫のことを書かれていましたので、最近聞いた話を少し書かせていただきます。
ことは、糸井神社から始まるのですが、ここの祭神は「豊鍬入姫命」です。 一節には、綾羽、呉羽と言う機織の渡来人の神格化されたもので、この祭神は機織りの神であると伝承されてきました。
ただし、現在は豊鍬入姫命は、機織りの神ではなく、天日矛であろうといわれています。  糸井造も、やはり新羅系で新羅の神話に寄る天日矛を祭祀していたと思われるからですが、かわかつさんのお話にあったように、織姫の呉の話が九州に伝承されているとすれば、糸井一族が刀剣類の製造に欠かすことの出来ない技術を継承していたことと並んで、機織りもまた重要な技術であったと思われます。 そのために、糸井神社の祭祀した神が機織りの神であると民衆に伝承されたのかもわかりません。

名前の「糸」は、どう考えても武器より機織りだと思うのですけれども・・・

糸井神社のある川西市の渡来人たちは、九州から瀬戸内海を渡り、淀川を遡って、近江のアナ邑に暫くいましたが、やがて若狭を経て兵庫県の但馬に居を定めたそうです。暫く後、その内の中心を為す人たちが大和へ移住したのだそうです。 彼らが通った道筋には必ず「天日矛」を祀った神社が残っていますので、経路が容易にわかるのだそうです。

渡来人は何回も、大人数で海を渡ってきたのでしょうから、色々な職業技術の人がいたと思われます。
武器製造と並んで、機織りもまた大和から拡がって行ったのでしょう。

糸井神社のある川西町には、結崎という小字があり、そこに近鉄の結崎駅がありますが、結崎は能の観世流の本家があることでも有名だそうです。
観世流は、元は田原本の大字蔵堂(くらんど)小字「守屋」と言うところに住まいしていたそうですが、何時の頃からか、結崎に居を移しました。
観世流は物部氏の末裔なのですね。

掲示板で教えていただいたことが役に立って、他所で聞く話がよくわかります。
ありがとうございます。


  


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う〜む
2005年7月13日 18:22:45 かわかつ
よく調べましたね。その物部氏と観世のことなんですよねえ、わからないところは。実は私は本にも書いたのですが、観阿弥、世阿弥親子が秦姓を名乗っているのですよ。
「申楽談義」と「観世系図」では自分は服部一族であると・・・
ここの解釈によっては物部氏と秦氏の、婚姻以上の関係も出てくる可能性があるわけです。
一度、お調べ下さい。


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「糸」は、測量での「武器」
2005年7月14日 13:02:40 いばらの紀氏

 姫さんこんにちは、はじめまして紀氏です よろしく御願い致します。
「名前の「糸」は、どう考えても武器より機織りだと思うのですけれども・・・」
ユニークな私は地図・測量での謎の古代史?にて参加させて頂いております、中国4000年?前の伝説の「夏(カ)の禹(う)カノウ(叶?)が黄河での治水の成功の後 伝承では中国大陸を測量し九州に分け連立都市国家?を設立してた様です。
 測量法は「田」の文字型に測量をくりかえす(地上は球形なので□のと四隅に誤差が現れ「亜」の文字が出来た。)話しが逸れました。
想像ですが禹は道路を東西南北に十字の方向に道(タオはこれより発生?)を作り一里ごとに分配し測量させた様です。
測量には「臣」(目と工)=測量士と軍人があたり、地元の農民も「役」に立てました、道具は高台(大地・人工の台=墳墓・・・生贄の存在?)・先が二股の鉾「測量の道具)・盾(紙が貴重なので、盾に彫り込む)・鼎(平板測量でのアリダード兼 見せしめ?罰?神への生贄?人を煮た。)矢(「糸」を付け四方に放ちおおまかな距離を測定し仮の測量でのポイントとした・・・・)
即ち「糸」には測量での武器の意味が存在するとの自論です。日本の神々の「天日矛」は鉾・ 秦は旗で風を観る(スパイ?)を担当していたとの妄想です。日下・大友?は太陽(星?)の位置から現在地を割り出す担当では?
4000年前なお隣りでは国をあげて測量していたのですから当然世界地図が目的でしょう、日本の縄文期に測量来ていたとしても可笑しくは無いでしょう。
日本の歴史学者は お隣りとの関係を否定していたい様です、現在の地位を失うことへの恐れから・・・国益からでは無いでしょう。
 姫さん このような紀氏ですがウザイがらずに大目にみてください よろしく御願い致します。
    なんでもかんでも地図作りに見えてしまう紀氏でした。



郡山探索
2005年7月13日 14:14:59 管理人
先日の郡山探索日記をアップいたしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kooriyama050710.htm
よかったらごらんになってみてください。
今回は渡来系氏族坂上田村麻呂から派生したといわれる田村氏の移動と信仰を追ってみました。母方の姓と父方の姓の祖地、つまり一関と郡山に、田村氏が移動していく様子を追っています。いろいろ不思議な連関があり、おもしろいところです。


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マジカルで
2005年7月14日 0:12:31 かわかつ
話しますか。



帰納演繹掲示板
2005年7月13日 10:16:36 とみた MAIL
管理人さん、やはりこの表現は難しいですね。私みたいに臆せず投稿するものにとっても、ナカナカ投稿がむずかしい。

二つのことが考えられます。

@肯定意見・・・新しく入ってくる研究者ポイ人には、オヤこれ何を意味しいている か覗いてみようという誘惑衝動がある。それでも、少なくとも、案内板にガイドが必要です。帰納掲示板と演繹掲示板の意味づけがいります、しかも分かりやすい表現で

A否定意見・・・情報掲示板、画像掲示板は言葉だけでニュアンスがつかめますが、帰納演繹となると数学屋みたいな論理的な人でないと意味がつかめないでしょう。
入った途端敬遠されてしまう。
言葉を変え、投稿しやすくしてほしいですね。この研究会のHPのレイアウトはナカナカ結構ですが、帰納掲示板と演繹掲示板の表現と
活用法がまだ難しい


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了解です。
2005年7月13日 12:03:03 管理人
おはようございます!当の管理人本人が今まちがって帰納掲示板二入ってしまい、あれ??どこだここ?・・・・。名前変えますね。しばしお待ちを。ご指摘どうもありがとうございます!


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なおしてみました。
2005年7月13日 13:25:35 管理人
とりあえず、帰納掲示板を資料掲示板へ、演繹掲示板を討論掲示板にしました。討論掲示板っていうのは過激かも??



訂正です。
2005年7月13日 5:46:41 かわかつ
富山県ではなく新潟県でした。しかしほとんど富山県寄りです。越前でいいですよ?高志というのが正しいようですが、古志とも書く時代があったようです。
厳密に言えば越前・越後・出羽あたりまでを指していたらしいです。
しかし安田喜憲氏あたりがでてくるところがあなたの怖いところです。
ついでにおすすめ本です。
清水元『アジア海人の思想と行動』NTT出版
飯島茂『日本文化の現像─島の心と大陸的論理─』淡交社
山崎謙『よみがえる縄文の都 三内丸山遺跡の衝撃』DHC
宮本常一全集
島尾敏雄『琉球弧の視点から』

日本人の母性社会=南方島国系おおらかさの源流が理解できます。
また照葉樹林文化を持つヤオ、ミャオ、アカと我々が同じ文化を共有していることもよく理解できると思います。
海部の船が外洋航海に適していたこともよくわかります。

私たちは南方のヤポネシアだったんですよ。だから心の隅でいつも束縛を嫌っているんだ。文化人類学、民俗学から見れば当たり前のことなのに、歴史は大陸からの文献文化に汚染され、いつまで経っても中国だ朝鮮だといっている。史学の壁ですな。ウソ八百の文献でしかものが考えられないのでしょうね。我々は広く大きく知識を得たいものですね。

葛子の越後逃避行は初耳です。それはないでしょう。葛子は九州でちゃんとあとを嗣いでますから。しかし、やはり同族なんだなあ、磐井が豊前に逃げた話も風土記にありますからねえ。玄界灘から日本海側は出雲文化圏で同族ですなあ。太平洋で豊と群馬あたりが同族なのと一緒です。



紀氏さんは
2005年7月13日 5:58:44 かわかつ
こう云うときいつもだんまりだねえ。

じゃあ今回もおじゃんにしますか。


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オフ会の日程調整
2005年7月13日 9:37:50 とみた MAIL
私、目が覚めました。皆さんは仕事の性格上、
夜族みたいですね。

かわかつさんが前向きにオフ会に賛同されたことが確認できただけでも収穫ですよ。

私はいつでも、極力参加したいということだけお伝えできればOKです。

管理人さんと、かわかつさんが8月初旬に蓼科でお会いになる・・これを前提にお考えください。

私のことは一切度外視していただいてお進めください。
日程が決まったらお知らせください。

私の都合がよければ、是非割り込ませてください。これで三人はまとまるでしょう。やはり紀氏さんの意向がつかめません。

京都のタックンさんや奈良の姫さん、パリスさん、はつ瀬さん、と

舎人さんも加わっていただければ輪が広がって愉快ですが、全員集合は無理でしょうね。それは10月の楽しみとして

残しておきましょう。

確かに皆さん全国散らばっていますので、日程や金銭面で調整が難しいですが、お会いできれば親しみが持てますし、ゼミをやって皆さんの歴史観みたいなものを確認したり論点整理ができればありがたいと思っています。会の方向性も検討できましょう。もちろん野山を散策できることが一番です。

WILLがあればWAYあり。いつか実現するでしょう。管理人さん、よろしくお願いします。

今日は午後から、地元の古代史3人会で近くの前方後円墳を見に行きます。ウォーキングと飲むのも楽しみです。ドンドン地元で古代史の輪を広げております。私は媒介役です。


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「だんまり」の紀氏です。
2005年7月13日 11:59:12 いばらの紀氏
「こう云うときいつもだんまり」の紀氏です。
皆様こんにちは、飲み会の件ですが御存知のように私は古代史は「ド」の付く「素人」でして皆様のお話しに憑いていける?自信が乏しいのです。
今回は私ぬきで、いかがでしょうか?
「紀氏さんの意向」ですが、8月は父の新盆(旧暦)でして妻も他界しまして六年になります・・・・新盆にむけ少しづつ家の片付けをしています。
お察しください(家にとじこもり数年・・・ネットでの皆様方との語らいを楽しみに細々と生きております)
性格は明るいほうだと自負していましたが・・・・・新盆の済んでからの自らのこころがまだ判りません。(迷える子羊の紀氏でした。)ゴメンナサイ。


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場所と時期
2005年7月13日 12:15:09 管理人
蓼科8月はじめで決まりですね。京都は10月できまり。大分へは9月私取材で参りますのでかわかつさんと数人できまりです。8月下旬か11月あたりに、日光でどうでしょう。
きしさん、特に歴史の知識なんて気にする必要ないですよ。わいわい気軽な飲み会からはじめましょう。わたしも見かけ以上に実際会うと知識がない(というより、記憶力がぜんぜんないのでいつも右から左へ知識がながれていく・・)人なので、知らないことばかありです。ぜひこころの整理がついてきたころにいらしてくださいね。


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あなたに会えれば
2005年7月13日 20:42:28 かわかつ
それでいいですよ。少し私がカツを入れて差し上げますから、若い者はかんたんに落胆しないの!

まあ、無理強いしてもなんだから、とにかく、あまり思いこまないで下さい。この間書いたように、誰も待ってないんですから、本なんて。世界中の悩みを背負ったようなことイワンでくれよ。

上田正樹知ってる?彼のライヴでよく叫ぶ言葉。
「生きていける。なんぼのもんじゃいっっ!」^^


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紀氏さん。ごめんなさい
2005年7月13日 21:53:57 とみた MAIL
紀氏さん、よくよくのことがあってお話にならないとは思っておりましたが、ついつい、ご意向なんてきつい事を云ってしまいました。

辛さは当事者しか分かりません。奥様をお早くお亡くしになられたことは察するに余りあります。

かく云う私もそれないに、いろいろな問題を抱えておりますが、せめて明るく振舞っているところがあります。一時期の最悪な状態は克服しましたが、未解決なことも沢山
残しております。なるようにしかならないという諦観か達観が心を占めております。

私こそ、古代史、ドド素人です。またいつかお会いできる日を待っております。ユニークな材料のご紹介を、これからも楽しみにしております。

今日は地元の遺跡を巡ったのですがガイド役の人が、群馬出身の人で、上毛野国と大和南部の紀(き)の国との関係を説明した資料をくれました。(後ほど紹介)



オフ会のことですが
2005年7月12日 23:09:42 かわかつ
こないだは迷惑かけちゃったから今度、京都でどうですか>
京都駅で集合して飛鳥にいきませんか。いかが?
10月14日の広隆寺の牛祭りは一度必ず見たいので、その時は京都に行くつもりですが、その前に是非とも一度やっておきたいものです。
飛鳥では適当な飲み屋もないでしょうから一泊しちゃいましょう。ひなびた民宿でも探して親交を温め合うっていうのもおつなものです。
もちろんそこから東京方面へ付き合ってもいいしね。


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京都できまりです。
2005年7月12日 23:47:21 管理人
その牛祭りは必ず見に行きます。ということで、かわかつさんのほうで、計画たててくださってもかまいません。
8月は5日から数日間蓼科に行きます。こちらでもお会いしたい方がいらっしゃったらぜひお会いしましょう。あとは、とみたさんのところ日光で、ぜひお会いしましょう。とみたさんのほうでご計画たててくださると助かります。日にちは今月、来月半ばあたりでどうかと思います。そんな感じですね。あと大分には9月に取材でいきますので、ぜひそのときもかわかつさんにもお会いしたいですし、そこで開いてもかまいません。


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OK!
2005年7月13日 0:16:39 かわかつ
その8月5日もOK。

ええと、今回は16日からの3連休あたり皆さん開いてるかな?よければ
民宿手配しましょう。飛鳥でいいかな?京都駅に昼頃で充分間に合うでしょう。もっと早いほうがいいならなんとかします。
京都駅から近鉄奈良線ですから、構内近鉄乗り場待ち合わせってことで・・・。今でも新幹線出口の前にあるのかな?近鉄。
あ、管理人さんはバイク?とみたさん車?紀氏さんは?


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16は駄目ですが・・
2005年7月13日 0:43:37 管理人
残念ながら16からの連休は仕事で駄目なのですが、5日以降なら蓼科からそのまま京都という手もありますし。奈良の近鉄は私も懐かしい思いでありますね。京都に関してはかわかつさんやそちら方面の方に宿などお願いしましょう。問題は日にちですね。


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オフ会
2005年7月13日 0:45:39 とみた MAIL
かわかつさんは秀吉から石田三成に変身ですか。私はいつの間にか家康か、家康は長生きしたからそれにあやかりましょう。

オフ会は極力参加する方針です。いまのところ、8月は6日と8日は予定が入っております。
高校の同窓との懇親会を8月に伊豆半島で2日間やることになっており、この日程が定まっておりません(7月22日に決着予定)。

これも参加しないと今後疎外されます(笑)ので出ます。

7月中ならいつでも、何とか調整できますが他の方のご都合がありますのでそれにあわせます。

長距離の車の運転は無理ですので当然電車になります。

とりあえず、これだけはお伝えしておきます。


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むう・・・
2005年7月13日 1:22:14 かわかつ
ちょっと難しいのかな?遠いですからね。
では明日以降の開いてる日ということで、とみたさん、指定して頂けますか。飛鳥はいい。是非、早く行きたい。

私は三成でなく明智光秀です。三成は管理人さんですよ。秀吉はむしろ紀氏さんでしょう。^^



ちょっと変わった話
2005年7月12日 21:16:51 かわかつ
福永光司さんは道教の権威だった人で、私と同郷なんですが・・・
面白いことが書いてありまして。『道教と日本人』

阿智使主などを使わして百済から呉服部、漢服部、とかなんとか4人を連れ帰ったのは、この4人は女であるそうです。でもって、一人残してみんな大和へ行っちゃうんだっけ?よく覚えてないけど、その九州に残った一人って言うのが呉姫だって。
管理人さん、大体あってるかな?

その呉姫らしきものがどうも香春神社の「豊比売命」みたいなんだな。
というのは「呉姫の墓」がちゃんと香春町にあるんでね。私のHPでも「香春」のところに写真がありますがね。まあ、機織りの姫なら、空の星になぞらえらえるのも当然ですが、ども妙に符合します。
写真、おたくの新掲示板に・・・あなた掲示板4つになっちゃいましたねえ。名前ややこしいなあ。えんえきとかきのうとか、もうちょっとぶっちゃけた名前にしてくれないかなあ・・・載せときます。

そうそう、私は秀吉と言うより、気が短いから信長、いや、すぐ裏切るから明智光秀だな。とみたさんは家康ぴったりだね。きっとタヌキですよ。あの方は・・・あ、聞いてました?とみたさん、私が言ったんじゃないですからね。下の方で管理人さんがこそっと書いてましたから〜〜〜


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呉姫、修論
2005年7月12日 21:46:56 管理人
あ、呉服女とかの話ですよね。一人九州に残った点は記憶になかったです。呉も昔は中国みたいな遠いところから来れるわけないとおもってたんですが、先日の上海あたりから船で3日半とかとか聞くと、あり得るかもとか考えなおさねばならないですね。とみたさんの船の話、平底の遣唐使の船が不安定で、かえって海部の船のほうがつくりがよかったというのはおもしろいです。なんせ遣唐使の話を聞くと、遭難難破のイメージが強くて、悪い先入観がそこに起源を発しているようです。

掲示板の名前、わたしもすこし取っつきにくいかなと感じます。わたしのイメージでは、この情報掲示板でいろいろ意見がでてきて、→演繹掲示板で理論化して、→帰納掲示板で図とか表とか資料を補充して、→原稿集に毎月原稿ためていって、→そのまま出版というコンベアシステムを考えているんですが、どうもとっつきにくいのも問題ですね。どうしようかな?

あと、とっつきにくいというと私の修論あるんですが、あんまり家に保存しておいてもいよいよ価値がなさそうですし、最近は
修士論文をHPで出すケースもかなり多く、うちの上司なんかもそうですが、ちょっと期間限定でPDFでアップしてみました。よかったら参考にしてみてください。これも出版したほうがいいでしょうか??
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/bunsyouban.htm


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渡来人研究会出版
2005年7月12日 21:50:52 管理人
ついでにかわかつさんご指摘の「渡来人研究会」で出版してしまう件ですが、私管理人が監修というということで造るとこんなイメージでしょうか。PDFで渡来人研究会文章版を造ってみました。
以下HPから
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/bunsyouban.htm


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あれ?
2005年7月12日 22:48:00 かわかつ
史学科だったの?そうか古代史マスター卒だったんだ。忘れてました。
立派な論文ですよ。だけど読まないな。かちこちだねえ。こういうの読む人ってMなんじゃないの。
まいったな素人考えじゃものが言えなくなっちゃうな。
文章版のほう表示されません。

そうか、専門家ならヘンなものだせないですねえ。こりゃ、とんだ石田三成だな。
ちょっと待ってね、ちゃんと読みますから。


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いえいえ
2005年7月12日 23:43:44 管理人
数年ぶりに読み返して、なんだか難しくて理解できないとう感じですね。そうとう忘れているようです。ただ、でてきた結論は意外とやはり重要そうです。とはいえ、特に大化前代あたりに記載は、蘇我の話もでてこないし(当時ほとんどその辺の知識がなかった)、ありふれた展開ではあります。前半部はそうとう深めていかないと駄目ですね。たぶん大化前代は学生には思考的にも無理な部分なのでしょう。大化前代については引き続き、掲示板でお世話になりたいです。


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文章版読みました。
2005年7月13日 1:19:52 かわかつ
わかりやすいです。ただもうちょっと飛躍があってもいいかな。管理人さんは堅いからなあ。もう少し若さがあっていいと思いますね。切り込んで行く気概が表に出てない。
やはり史学界なんていう魑魅魍魎のすむ処にいるとそうなっちゃうのかな。ヨーダみたいな先生にこきつかわれたせいでしょう。修士で終わっちゃう処なんか、うちの甥っ子そっくりです。就職のために修士に残って、結局NPOかなんかやっぱりやってるんだけど、(失礼)どうもインパクトのない性格でねえ・・・ごめん


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大化と壬申だね
2005年7月13日 1:27:21 かわかつ
最も重要なところ。乙巳の変が事実かどうかというのも関さんあたりが言ってるんじゃありませんか。
私は持統以前は眉唾だと思ってる。
このごろ義経もいなかったって思いだしてます。頭がおかしいのかな?


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ほんとに
2005年7月13日 1:52:52 管理人
天武以前は特に人物描写についてはほとんど信用できないっていうのが本音ですね。あまりにも記紀は改竄されすぎてる感じですね。でも案外斉明の遺跡とか物に関してはそこそこ裏がとれるんですが、でも雄略とか応神とかに根拠を乗っけて論を組み立てると、後で崖そこに落とされるような不安感が昔からあります。修論の前半はほんとおもしろくないですね。でも飛躍できるほどの知識もなかったことも確かでそもそも天武前後の時代の祭祀なんてできる能力ないのに、ごまかしごまかし書いたような感じですね。天武と桓武の関係すらほとんど理解していなかったので、せきさんのいうあたりは当時読めばおもしろかったのではと感じます。恩師たちの言ってたこと、天武以前はやるな、修論前半部はだめ、天武と桓武は?というあたりでしたね。やはり百済王系の宗教と神器の関係、書記以外のところで確認したいと思います。


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チャットだねえ
2005年7月13日 2:02:24 かわかつ
失礼、持統以前じゃなく、持統より前でした。

ところで明日は忙しいの?19日以降は?


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さすがに
2005年7月13日 4:21:52 管理人
明日は仕事なので・・19日以降でまた考えましょう。思うにみなさん全国にまたがっていますので、全員集まるのは難しいと思いますので、関東、関西、九州あたりで集まれる方でわいわいされるほうがよいのではと感じます。私もできるかぎり参りますが、ともかく資金が・・・。ではでは。


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なんだ
2005年7月13日 5:36:02 かわかつ
同じ事言ってる。
じゃあ蓼科で会いましょう。とみたさんは今回悪いけどパスしていただいて、次回ということで。京都は10月にやりましょう。金がないのは皆同じ。なにしろ遠いからね。


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京都
2005年7月13日 12:08:28 管理人
10月できまりです。蓼科の件は上で



天空の社」=大陸?海上よりの測量のポイント
2005年7月12日 19:20:57 いばらの紀氏
下が満腹でしたので、ここで今晩は。
みなさまのお力添えによりまして、三角測量によりますところの「謎」が解き明かされつつ有ります事をヒシヒシと感じ喜びに堪えません今後とも宜しく御願い奉ります。
大国主とアマテラスの間に交わされた約束通り「天空の社」=大陸?海上よりの測量のポイントの妄想イヤ!紀氏の仮説です。
各古代史HPを集結し古代史の「謎」の終結と過去の清算からの新しき世界の構築の魁とならんことを欲す。・・・・喜志でした。


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ペイント
2005年7月12日 20:02:36 管理人
約束の「天空の社」って出雲大社ですね!天空の!というのがひとつの味噌でしょうか。
地図研究発展してよかったですね。地図作りの補助として、お勧めなのは、やはりWINDOWSの付属ソフトのペイントです。これはプログラム→アクセサリ→ペイントで見つかります。そこそこ文字も画像修正、線分、ファイル種類などいじれます。ちょっと地震地図に文字と線入れて作って見たので、以下画像掲示板見てみてください。http://8811.teacup.com/toraijin/bbs

こんな感じで古墳の三角形をお知らせいただけるとわかりやすくて助かります。


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WINDOWSの
2005年7月12日 22:43:30 かわかつ
灯台もとぐらしっていいますが、ペイントなかなかいいじゃありませんか。使いやすそうだし。あとは白地図で行くか、地勢地図で行くかですかな。
おっと地勢地図はとりこめないのかな?



画像掲示板新設しました
2005年7月12日 17:18:03 管理人
今起きまして、かわかつさんご推薦の大容量画像掲示板を設置しました。以下のアドレスです。
http://8811.teacup.com/toraijin/bbs
以前の画像掲示板は、帰納掲示板として、表などのデータ資料の掲示板にいたします。どちらもトップページから入れますのでよろしくです。


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かわかつさん掲示板も
2005年7月12日 17:39:25 管理人
かわかつさん掲示板はこちらです。
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs
秦氏や海部関連などかわかつさんのテーマにあった画像はぜひこちらのかわかつさんの画像掲示板へどうぞ。画像掲示板も目的別にすると、後の資料活用にもよいかもと感じます。みなさん掲示板やHPもってみるのもいいですよ!


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私風に言わせて頂くなら
2005年7月12日 20:32:20 かわかつ
HPひとつ持たんものが他所様にレスすること自体おこがましい・・・^^ということになりますなあ。
大体正体不明の名無しのごんべーがネット上で意見を言うこと自体、幽霊のたわごと。相手に対するぼーとくと言えますまいか?
と、言うと角が立つのでがまんしております。あ、言っちゃってる?


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とみたさんは
2005年7月13日 2:04:29 かわかつ
アドレスわかるからまだいいけど、紀氏さんの連絡先って私にはふめいなんですよね。長い付き合いなのに・・・ーー;



ヴィジュアルノ重要性
2005年7月12日 9:51:26 かわかつ
論展開をスムーズに一般に知らしめるための道具。自分の意見を人に知って貰いたいとき、これほど有力な手段はない。例えば、地図画像に遺跡の位置を書き込んだり、レイラインを書き込んで送れば、へたな文章の百倍わかりやすくなる。およそ他人に意見が述べたい者はもっとヴィジュアルを重視せねばならない。
管理人さん、教えておくれ。既存の地図、白地図に文字を挿入して作図する方法。ビルダーのウエブアート機能を使って作れないものか。


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画像編集ソフトです。
2005年7月12日 10:34:35 管理人
ちょっと専門的なソフトですが、文字を入れたり、画像を修正したりするのは、このファイアーワークスというソフトがお勧めです。とりあえず体験版ですが、使い方次第では・・・。以下HPですので。https://service.macromedia.co.jp/membership/membership_login.asp?parameter=FW2004_T
ちなみにWEB製作はドリームウェーバーで。
https://service.macromedia.co.jp/membership/membership_login.asp?Parameter=DW2004_T


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作ってみました
2005年7月12日 10:58:13 かわかつ
画像掲示板に試作品を送りました。確認を。
これはビルダーのウェブアートデザイナーで作ったもの。


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紀氏さん
2005年7月12日 11:01:05 かわかつ
私にだってできたんだ。あなたにできないはずはない!!!


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TeaCopの方が
2005年7月12日 11:08:53 かわかつ
容量が大きい分やはり見やすいですね。
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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ありがとう御座います。
2005年7月12日 11:54:21 いばらの紀氏
応援 ありがとう御座います。
地図にも色々ありまして、私が使った地図は「帝国書院編集部編・中学校社会地図」 息子のです。
九州の地図を取り込もうと探していますが・・・角度が大切なのでナカナカ精度の高い地図にめぐり合いませんので・・・・・ザンネン!
地図にも誤差が大きいものも在りますので・・・・・・困りました


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既存の地図には
2005年7月12日 15:28:22 かわかつ
著作権がある場合がありますから、まず国土地理院の地図をトレーシングペーパーで白地図化し、重要なポイントを記入するかして、それをデジタルカメラなどで取り込んだものを、WEBアートで編集するっていうのは、原始的ですかね。でも早いし、金もかからない。
あれ、紀氏さんデジカメ持ってないとか・・・


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思い切って
2005年7月12日 16:17:32 かわかつ
地図ソフト買っちゃえ!!
http://www.teikokushoin.co.jp/
http://www.clear-light-japan.com/ja/partner_links.html
管理人さんソフトかって研究会オリジナル地勢地図から遺跡地図作りますか。それぞれ地域分担して作ったら、こりゃ商売になるばい。


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地図ソフト
2005年7月12日 17:47:58 とみた MAIL
喫茶店から帰宅。地図情報の話題に少しかみます。

実は地図情報は定年後のソフト会社で付き合っていました。

使用目的によっていろいろありますよ。応用としては以下の通り

@官公庁向け・・・固定資産管理、消防警察指令、道路管理
A地形学地理学用・・・
Bビジネス用・・・出店計画、商圏分析、物流関係=配車計画
Cパーソナル(個人向け)・・・カーナビ、携帯電話で地図案内

GIS(地図情報システム)は不可欠なんです。売り込みのフォーラムも定期的に行われています。

本格的なのは、値段が高いので買うならパーソナルなソフトでしょうね。住所・地名を入れればディジタル地図の上に場所がポイントされるのはよくあるソフトです。

遺跡地図ねえ、可能性はあるけれど本数はそれほど売れないでしょう。マニアにはたまらないでしょうね。百名山なんて山が好きな人には地形図なんてほしいでしょうし。

ソフト業者は一杯ありますよ。下の地図をコンピュータで処理するわけです。

地図にはいろいろあります。

@建設省(国土地理院)のJMCマップ、10万分の1地図
A建設省の全国ディジタル道路地図
B民間電子メーカーのカーナビ用地図、パソコン用電子地図
C民間地図・測量会社の全国道路地図、住所地図

行政目的、自動車搭載のカーナビ、個人の地図確認、研究目的などでしょうか。

以前はパスコ(セコムに吸収)、ゼンリン・・・など業者は沢山ありましたが、現役を離れ、仕事を離れましたので、忘却の彼方です。国土地理院あたりを検索して見たらコンタクトポイントが分かると思います。



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地図の種類
2005年7月12日 19:55:59 管理人
とみたさん、いろいろ地図業界にも仕組みと種別があるのですね。目的にマッチした地図がすぐ探せるのがほんとうにベストです。
最近は地震サイトにお邪魔していますが、震源地図なんていうのもありますね。震源の位置が地震が起こると瞬時に処理されて、正確ないちに投影されて表示される。でも、まだまだ断層の位置とか、震源の深さとか規模とかを表す方法は、発展途上なようです。以下画像掲示板にペイントソフトで修正して乗っけてみました。
http://8811.teacup.com/toraijin/bbs
遺跡地図も、紀氏さんの線分入りで、瞬時にすべての古墳の角度とか規模、種別まで出てくると確かにおもしろいんですが・・商売にはならんかな・・・。


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商売になるよ
2005年7月12日 20:38:55 かわかつ
調べたらやってるところは一個所だけ、しかも売り切れ続出。大分県を買おうと思ったらとっくに品切れでした。福岡県が一部10000円以上です。地域によって値段が違うのも面白いが、売り切れが多いのも驚きでした。歴史ファン、考古学ファンのみならず、推理小説ファンも買ってる見たいよ。


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しかし作るとなると
2005年7月12日 20:56:45 かわかつ
ちょっと肝いりだなあ。相当な調査が必要ですなあ^^;
http://www.kokudo.or.jp/



海部
2005年7月12日 9:13:09 かわかつ
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/ama.html
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/ama-wazaogi.htm#seinoomai

海部に二種あり。インドネシア系とインド・チャイニーズ系
前者の来日ルートはフィリピン、沖縄経由の薩摩半島・・・隼人系・・・東海地方と同族後者の来日ルートはインド洋、東シナ海から朝鮮半島南部を経て玄界灘。・・・宗像系・・・日本海を列島づたいに新潟青森・・・三内丸山と同族

この二種が出会う場所・・・周防灘沿岸、有明海、青函
遺跡・・・鹿児島県上野原遺跡、大分県中津市上野はる遺跡、青森県三内丸山遺跡
有明海に縄文遺跡を探す必要有り。

この二種が持ち込んだ文化
インドシナ系・・・装飾古墳などの連続三角紋、蛇信仰、星信仰、鳥信仰、オリオン三つ星、北斗七星、漁労採集主に貝類の採集 、芸能、土器 、銅鼓
インド・中国系・・・ナーが蛇信仰、北辰星信仰、道教、青銅器文化、太陽信仰、土器、芸能、銅鏡、銅鐸、馬などなど

結論。
縄文人とは主として海部を指すと言うためには各遺跡から出土の 遺物が出身地方からも出ていなくてはならない。
彼等を弥生時代以降、融和、簒奪、追放し取って代わった鉄文化を持った部族がいたはずである。
三内丸山の住人はある日突如としていなくなるという結果が出ている。


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とみたさん用
2005年7月12日 16:36:12 かわかつ
飛鳥地図です。確認用にどうぞ。
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA3/isekichizu.html

しかし、海部の上のレスは出雲にも大いに関係あるんですがねえ。すべての日本列島の文明誕生にかかわるのが海部ですよ。いずれそこに辿りつくから、今のうちにいうときますです。2/3年後に急に海部とか言い出すに決まってるんだから。^U^


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二種類
2005年7月12日 17:32:41 管理人
海部にも二種類あるんですね。気をつけなければ。漁の仕方の違いというのも確かにもっとも原始的な部分なのでしょうね。騎馬民族なら狩猟の仕方の違いとかは・・・。


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試してください。
2005年7月12日 18:07:39 KI
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA3/isekichizu.html
ポイント地点より、30度・60度・・・如何でしょうか?
こんなのが、全国的に存在します、古代からの地図作りの証明には成りませんのですか?・・・・なぜ認めようとなさらないのでしょう?
そこが????????です。ご感想をヨロシク>


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飛鳥地図 ベリー グッド
2005年7月12日 18:13:49 とみた MAIL
かわかつさん、どこでこんな代物探してくるんですか。

まあいろいろあるもんです。一目瞭然。

建 :タテミナカタでなく→タケミナカタでした。確かに関裕二の本をみたら建=タケでした。なぜこれがタケと読むかわかんない。

信濃安曇の本を読んでいたら、私の予想が当たっていた。

松本→安曇地方(穂高、大町、白馬・・)→小千谷→糸魚川

われわれ関東に住んでいるものにとっては特急”梓”でよく行くルートです。
北アルプスの山並みがきれいですよ。

この糸魚川が沼河姫と関係があるんだ。

坂本さん(哲学者)のご本によると、磐井の乱で久留米で敗れた528-9年、磐井に味方した安曇海人が磐井王の息子=葛子とともに玄界灘を離れ越後に逃れてきたと書いてありました。

かわかつさんには常識でしょうね。

私には少しずつつながって面白いです。


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いよいよいい線に
2005年7月12日 20:51:43 かわかつ
来てます、来てます。ええ感じ!
しかし、上のKIって紀氏さんじゃないの?
一体、誰が認めてくれないいて言うのかし〜羅?
第一そのURLって私が載せた飛鳥の地図じゃないの???紀氏さん、ハンドル変える必要ないじゃん。IP一緒だろ〜ン。あ、IPアドレスって簡単に変わるってしってました?知らなかったのよ。停電すると・・・
ヱヘン・・・

とみたさん、糸魚川と安曇野大いに関係有りですよ。
あずみ。。。阿曇、、、あずみのいそら、、、宗像一族の祖、、、渥美、、、熱海・・・・・みいんな海部がつけた地名よ!


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蓼科だと
2005年7月13日 12:43:26 管理人
諏訪・松本も近いし、無理に蓼科にしなくても、諏訪方面でみなさん宿を取るのも手ですね。蓼科へは仕事で数日間いきますが、そこに宿泊は私だけしかできないそうですから、その仕事が終わってから諏訪で宿泊という感じでどうでしょう。



出雲文化
2005年7月11日 20:38:35 とみた MAIL
古代出雲の文化(1998年刊行:朝日新聞社)を読んで三つの事項に関心を持ちました。

@出雲は越(高志)や筑紫と婚姻連合です。ヨーロッパのハプスブルグ家も婚姻政策でドンドン勢力を伸ばしました。出雲の大国主=大穴持ちは沢山の女の人と結婚し勢力を伸ばします。

大穴持は筑紫の宗像社の3女神の一人、多紀理姫と、さらに越(高志)の沼河姫と結ばれます。そして日本海連合が出来た。(それに対して、豊後風土記によれば、
女族長や土蜘蛛の族長を暴力で制圧する進駐軍的手法もある。)

越の沼河姫(ヒスイの女神)が問題です。

関裕二さんによれば、この姫が、神功皇后の正体(と同一人物)。出雲の神と結ばれて二人の息子が出来た。ホムダワケとホムヤワケであった。

前者は応神天皇に。後者はタテムナカタで諏訪に落ち延びた。

筑紫の博多で生まれた応神天皇の別名は八幡大井といい,諏訪や住吉と同体もしくは近しい間柄だった。(諏訪大明神画詞の伝承)

A出雲勢力を中心にした筑紫、高志、能登などの日本海沿岸にはも朝鮮の東岸の北の方やひょっとすると中国の東北部から直行の日本海ルートがあったのではないか。

それには航海術が問題になる。

B遣唐使がしばしば船で遭難したことは有名である。航海学の専門家は二つの理由を指摘している・・・

自然を見ないで嵐でも占いで行ってしまったこと。
船の構造が平底で全くだめだったこと。

むしろ、弥生時代の船は土器などに描かれている舟を復元すると立派な外洋船である。かなり古い時代に東シナ海を渡ってきた可能性があるらしい。山東半島からでも十分来れた。


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中国からきた?
2005年7月12日 0:16:29 かわかつ
それは中国人がきたという意味ですか?それとも倭人のように中国沿岸にいた海人種がきたということですか?

中国人のようなプライドの高い人たちが海洋民族のように海を渡ってきたというには、遺物が必要です。それはなに?それはいつのことだと関氏は書いてますか?古志のくにとはどこのことですか?
沼河姫が神功皇后とは、どこをどうやってそうなるといっているのですか?第一その関氏の本はなんという題名なのですか?最近の作品ですか。

関さんの本のどこに整合性があるのか説明してほしいところです。これでは読もうにも題名がわかりません。
とみたさんはこれまでどれくらいの数の本を読まれたのでしょうか?比較対照するに足る他の作家、歴史家の本をどれぐらい読まれたのでしょうか?そのたくさんの中から、もっとも整合性がありそうだという折衷案というものをご自分でもっておられるのでしょうか?


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ほむやわけとは
2005年7月12日 0:19:21 かわかつ
何をした人でしたか?
たてむなかたとはだれのことですか?


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神功皇后の件
2005年7月12日 0:25:06 管理人
おっととみたさんかわかつさんの専門領域に触れてしまいましたね・・・。この部分は、かわかつさん的にもどうしても強めにつっこんどかなきゃならんところのようですね。
とみたさんのご指摘の他の部分は、私もなるほどとおもうのですが、ちょっと神功皇后と中国の伝承との兼ね合いの部分は私もひっかかっていました。それは、かわかつさんとはまた別の視点になるのかもしれませんが・・・。よかったら演繹掲示板へもっていきましょうか。


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回答です。
2005年7月12日 7:56:04 とみた MAIL
古代の出雲の勉強をもっとしないといけないなと思って、古代出雲の文化という比較的新しい本(1998年刊行)を読んでおりました。上田正昭さんを中心に金関さん、などの対談集です。その中で出雲の性格として、婚姻政策を中心にした連合という考え方があり、越(高志)の沼河姫のことが出ていたんです。おや・・この姫は関裕二さんの継体天皇の謎という本の中に登場する人だ、応神天皇の5代目とか俗説との関連から応神天皇の謎に迫り、そこにその母親の神功皇后の謎を追っていて皇后は越の沼河姫としていたんです。

その理由は本を読んでいただかないと私には説明しきれません。

中国とのかかわりは紅山文化が紀元前4000年ぐらい前に東北部で興りますね、安田喜憲さんはこれが縄文文化のルーツに関係しているかもという見方をされていました。

紅山は中国遼西ですがそこのサ(シ+査)海遺跡の玉凡と玉ヒ?が福井県金津町の縄文時代早期末の桑野遺跡で出土した凡状耳飾や玉ヒによく似ている。京都府舞鶴市浦入遺跡などでも発見されている。

白川静先生が殷の民族は山東省あたりに住んでいていわば沿海州民族だといわれておりました。殷文化は入墨と貝(子安貝)の文化だと仰って縄文文化たとえば
安曇部という海人俗の入墨と通ずるとされている。沿海州なら日本海との接点も考えられるというのは私の推論にすぎません。

岡田英弘さんの倭国という本で、紀元前128年朝鮮半島の北部の山地の原住民であるワイハク族が遼東から山越しにカン興市で東朝鮮湾に通ずる道路を切り開いて半島の東岸沿いに日本列島に通ずるルートと利権を手に入れようとした(事業は負担が重く失敗したらしい)。燕国がこのあたりから朝鮮半島を南進している。

舟や航海術は時代とともに進歩するという概念は必ずしも正しくない。遣唐使は占いに支配されて紀元前の方が航海術が発達していたことは十分ありうると考えます。

十分な回答になっているかどうか不安ですが、何しろまだ駆け出し漸く輪郭だけ捉えたかななんて段階です。そんなに本は読んでおりませんよ。

民族移動と渡来にフォーカスしておりますのでそれ以外は弱い筈です。



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乞う説明
2005年7月12日 9:43:59 かわかつ
古志の沼河姫・・・大国主の神妻。この場合の古志は富山県糸魚川地域。
         理由;糸魚川は翡翠産出。出雲勢力はこの翡翠で貿易
たてむなかた・・・おそらくタケミナカタのことか。沼河姫の御子。宗像
         一族を指すと思われる。長野県安曇野、諏訪湖などに         後着した一族。
わい・はく・・・説明乞う
ほむやわけ・・・説明乞う


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昨日はちょうど
2005年7月12日 9:44:07 管理人
関さんの出雲と蘇我とのつながりのところ読んでたとこです。出雲、大物主、三輪・・・。かわかつさん、あんまり細かい用語はいいんでないですか?それより本題について討論したほうが、横道にそれなくていいですよ!


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補足説明
2005年7月12日 12:32:13 とみた MAIL
いままで、近隣にある市営の図書館へ行ってました。出雲の本を返しにね。
帰ってみるとかわかつさんの鋭い質問。アマチュアが卒論で師匠に鍛えられている図であります。

意外と打たれ強いので管理人さん大丈夫ですよ。(笑)

関裕二さんの本からの引用です。

越の沼河姫と出てました。私は越は越前と思い込んで高志と思っていました。
糸魚川に古志があることすら知りませんんでした。


越後ですね。そうすると、ここは松本からこの前の中越大地震の中心地を経てつながるところですか。

海人族の安(阿)曇野ともつなっがている。邪推かな?
本の中に・・・北陸には沼河姫の口承伝承がある。
糸魚川町の南方に稚ケ池があった。ここに姫は住まわれていたが出雲の大国主(大穴持)神とともに能登に向かわれた。どうしたわけか再び海を渡って一人で戻られ、嘆き悲しまれて葦原に身をかくされた。姫の悲劇は神功皇后の悲劇と通ずる。・・・

タテミナカタですね。建御名方神です。ミナカタはムナカタ=宗像に通ずるとされている。建御名方神の母は沼皮姫であったと書かれている。

ホムヤワケノミコトは品夜和気命、ホンダワケノミコトは品陀和気命です(古事記)品夜和気命は建御名方神と名を変えて諏訪に落ち延びたのではないかと書いています。

名前(おくり名、し号)がいつも読み辛く間違えましてごめんです。
わいはく族は漢字は特殊漢字なので表現できません。わい(シ+
歳)はく(獣偏に白)です。ツングース族を根幹とし蒙古種が混血した民族。夫余、高句麗、沃ソなど中国東北部を拠点、bc3世紀末に、わいとはくが混血。半農半狩民族。紀元後8-10世紀の渤海(マツカツ)につながる。

また外出して先ほど借り出した”信濃安曇族の謎を追う”(近代文芸社。坂本博)・・・著者は筑前安曇野族の本拠地で生まれて信州の安曇野に住んでいるひとです。

読んだらまたご報告します。


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関さんは
2005年7月12日 15:31:45 かわかつ
健御名方を建御名方と表記されているわけですね?そしてタケをタテと発音させるわけだ。??わからん。


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参考になるかどうか
2005年7月12日 15:43:40 かわかつ
タケミナカタも含めて皆様のご興味に添えるかも。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/ama_02.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/ama_01.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/ama_03.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/hashi_13.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/hashira.htm


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諏訪
2005年7月12日 17:27:20 管理人
なるほど、とみたさん情報でひとつ気づきました。確かに諏訪関連の伝承だと「落ち延びる」という内容が主流ですよね。でも、諏訪神社の位置は計算ずくで測量建設されているわけですから、落ち延びる伝説はどこから来たのでしょう。


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訂正
2005年7月13日 5:12:50 かわかつ
上に行きます。



完全復活宣言
2005年7月11日 16:31:31 かわかつ
どうにか「金魚とピーとの七日間」脱稿できそうです。あとは最終章、ピーが山へ帰って行くシーンだけを残すだけとなりました。締め切りへ向け、ようやく心のゆとりも出てきたことでもあり、皆様へ復活宣言いたします。姫さん、いろいろご心配かけ申し訳なかったですね。もう大丈夫です。
管理人さん新しい画像掲示板を設置するならティーカップは無料です。その時は掲示板同士の行き来を自由にできるようリンク挿入しましょう。
紀氏さん下の方のレス、一応見たんですが、画像がくるのを待ってからコメントしますわ。すまんこってす。
とみたさん、雨降って地固まるで、またひとつよろしく!
たっくんまたおいでください。
みなさん、おたっしゃでけっこうけっこうまたけっこう!なははははは


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皆さんすみません。またよろしく
2005年7月11日 17:58:42 とみた MAIL
かわかつさん、スミマセンでしたね。

好意で画像掲示板に明日香の遺跡を姫さんを煩わせて皆さんに披露していただこうと思い、姫さんもその宿題に答えようとの思いで画像掲示板に掲載しようとしたら偶々、不通になっていて、、代替手段として、かわかつさんのhpを利用された。好意の自乗が何の因果かインベンダーになってしまった次第です。
管理人さんも、もちろん画像掲示板を好意でやっていただいているのに、手当てが少し遅れただけです。忙しいから無理も無い。かわかつさんだって自分のhpに妙なメールが飛び込めばびっくりなさるでしょう。

あえて言えば私に責任がありそうですが、こんなめぐり合わせは人生いくらでも
あるようで勘弁願います。

姫様にもお手数やら気遣いをおかけしました。持統天皇稜の写真は貴重ですので
画像掲示板が復帰しましたら出していただきましたら大喜びです。

また、どしどし、奈良の香りをお伝えいただければありがたいです。


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画像掲示板
2005年7月11日 19:19:49 かわかつ
では今からどしどしお使い下さい。というレスを管理人氏画像掲示板に書き込みましたので、どしどしどうぞ〜〜〜〜
なははは


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とみた大人
2005年7月11日 20:23:13 かわかつ
ここから下へ3つ4つ」さがったところにわたしのれすがあります。友達なら、姫様を助けてあげましょう・・・


画像掲示板の件です。
2005年7月11日 12:24:12 管理人
画像がここ数日送れなくなっている件でみなさまにご迷惑おかけしています。ただいま原因が判明しました。試用期間が過ぎ、すでに送金はしていたのですが、送金通知のメールを相手方に送ることを知りませんでした。そこで送金通知が相手方に届くまで、もうすこし画像が送れない状態になりそうです。画像送れるようになりましたらお知らせいたします。


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有料なんて
2005年7月11日 16:48:06 かわかつ
もったいないから、もうやめちゃえばよかったねえ。いくらだったの?


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申し込みました。
2005年7月11日 18:17:19 管理人
かわかつさんご指摘TEACUP掲示板申し込みました。もうすこしお待ちくださいね。前のは年会費3000円だったので、ま、仕方ないですね。表掲示板にします。ではでは。


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もったいまいので
2005年7月11日 19:55:16 かわかつ
酔っぱらい画像掲示板ってのはいかが?ここだけは酔っぱらって好き勝手にしていいっての?>


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よく
2005年7月12日 8:59:29 管理人
いっぱい飲んだほうが話がはずむっていいますし、だいたい研究会の後はどこでも飲み屋で永遠と論議しているものですから、そういうのもあってもいいかもしれませんね、とあんまり酒癖わるいと削除しますが・・(笑)。



管理人さんごぶさたです
2005年7月11日 10:47:05 かわかつ
今回は貴画像掲示板機能停止が難しい問題を提起する格好になりました。早急に新しい掲示板を設置されることを望みます。
なお、原画像掲示版は機能の点で物足りないものがあります。300K以上でもOKの掲示板を設置していただきたいです。

おかげで体調も戻りました。皆様、いろいろご迷惑を掛けましたことお詫び申し上げます。私はすぐに復帰します。^^

PS 紀氏さん、引っ込んでちゃだめじゃない。また鬱病ですか?いい年して、人から心配されるなよ・・・==;


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掲示板
2005年7月11日 12:33:12 管理人
の件でご迷惑おかけしてすいません。ほんとはもうすこし大容量の画像が送れるのに変えたいと思います。この掲示板は表掲示板に後に変更いたしますね。なんせすでに1年分支払ってしまったので活用しなければ。画像掲示板については、かわかつさんの掲示板いいですね。あちらの会社に申し込みましょう。

体調よくなられてほっとしています。最近いろいろかわかつさんの心身ご負担をかけておられるようにお見受けしていましたので、ご自身にペースにあわせて無理のない感じでよろしくお願いしますね。

また紀氏さんも、ご自身のペースがおありなようですので、紀氏さんのペースでのんびりやってくださいね。画像掲示板使用できなくてすいませんでした。三角測量地点の件はやはり画像掲示板復活したら、図でよろしくお願いしますね。


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さみしかった7/10の日
2005年7月11日 12:44:47 いばらの紀氏
下の方で、参加しようとしていましたが気付いてくれませんでした
・・・・ザンネン!だからここへ越して来ました。
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阿蘇山
2005年7月10日 5:41:16 いばらの紀氏
 おはようございます。
「かんじんの熊本県がないんですけど・・・阿蘇山は熊本県にありま〜す。 」RE
「∴岩戸山古墳〜鹿島(佐賀県)〜島原」を鹿島(佐賀県)から30度(
直角二等辺三角形) 鹿島(佐賀県)〜大牟田(福岡県)〜菊池(熊本県)〜阿蘇山のラインで如何でしょうか?
おやすみなさいの紀氏でした。

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追伸
2005年7月10日 14:11:46 いばらの紀氏

「∴岩戸山古墳〜鹿島(佐賀県)〜島原」での「鹿島(佐賀県)〜∴岩戸山古墳の先には〜東方の大ポイント「吉野」が在ります。
・・・・・と記していました。感想をください。


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岩戸山
2005年7月11日 15:34:31 管理人
岩戸山というと磐井の一族の古墳が並んでいるのですが、鹿島、島原での古墳のほうはどうでしょうか。古墳群ごとで線分が出てくるとまたおもしろいですね。


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メカによわいものですからー・・・ザンネン!
2005年7月11日 20:04:35 いばらの紀氏
「画像がくるのを待ってからコメントしますわ。すまんこってす。」RE
「岩戸山というと磐井の一族の古墳が並んでいるのですが、鹿島、島原での古墳のほうはどうでしょうか。古墳群ごとで線分が出てくるとまたおもしろいですね。 」RE
・・・・・不器用な紀氏ですからー・・・ザンネン!
すみません、メカによわいものですからー・・・ザンネン!
皆様自身で地図に取り組んで欲しいです・・・・・でないと、理解が遅くなります。・・・・サービスが悪いのは、私と同じ位置に立って欲しいからです。
いずれにしても、縄文は思っていたよりも進んだ文化を持っていた様です。


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ダメ
2005年7月11日 20:12:23 かわかつ
許しませんよ。画像待ってます。それが必ず紀氏さんを大きくしてくれるはずです。


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画像掲示板復活しました。
2005年7月12日 8:57:04 管理人
とりあえず画像掲示板復活しましたのでお知らせいたします。紀氏さんがんばって!!



かわかつさん
2005年7月11日 9:59:00 姫 MAIL
大変失礼なことをしてしまったようで、もうしわけありませんでした。
渡来人の画像掲示板に写真がアップできなくなっているようで、そのとき、かわかつさんの投稿に、何かを載せる場合はこちらへ、とアドレスを書いてくださっていましたので、写真を掲載しても構わないのだと解釈してしまいました。
早とちりですみませんでした。

私は古代のことについての知識もありませんし、何も新しい考え方を書き込むこともできませんので、このMLに参加させていただくことが、そもそもの間違いなのかもしれませんけれども、皆さんの色々なお話を眼を白黒させながら読ませていただくのも、また楽しいと思っていますし、また自分の考えだけではなく、時々橿原考古学研究所の専門家の講義も聴きに行きますので、その内容など書かせていただければ、少しは皆さんのお役に立てるかと思って参加させていただきました。

渡来人の掲示板が、学問的なものであり、私のような全くの物知らずが参加してはいけないのであり、お眼ざわりで
あればもう書き込むことはいたしません。

何も知らずにしたこととは言え、かわかつさんには不愉快な思いをさせて、本当にもうしわけありませんでした。
深くお詫び申し上げます。


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了解しました。
2005年7月11日 10:39:37 かわかつ
管理人さん、お二人の名誉のためにも、姫さんと、私のこのレスを姫さんが見たことをご確認の後、割愛しておいて下さい。姫さん、削除OKならこの私のレスの下に「了解」とご返信願います。

姫さん、私はネットサーフィンを始めた頃、もっとひどい仕打ちも受けました。なにごとも経験ですから、気にせずやりましょう。私は言うことは面と向かって言うほうが親切だと思う方の人間です。そして素直にあやまちを認められる方を尊敬します。
いずれにせよ、間違っていたとはいえ、年長者?に向かって失礼にもおおきいことを言ってしまった私にも非はあります。ここで無礼をわびておきます。
何をやってもゆるされるほど親しくなるには時間がかかります。特にネット上では、その人の人となりや素性が見えませんから、あえてきびしく書きました。これが顔と顔をつきあわせてのことであったら、他人は誰もみていません。ところが不特定多数のネットというのは、どこでどんな輩が覗いているかわかりません。彼等は何か面白いトラブルがないものかと鵜の目鷹の目で、ひがな一日探し回っているのです。
今回のような部分を整理し早急にカットしておくのもネット管理者の重要な仕事だと思います。
私も最近気づいたことですが、他所へ出かけて行くからには、自分も、書き込んだ相手が反論できる方法を用意しておいてやらねばならない。ですから私はHPに管理者公表式掲示板も持っているのです。ここなら管理者にだけいいたい意見や反論を書き込んでも、衆目の届かないところで管理者が読んでカットできますから、たとえ感情的に書き込んだレスでも削除できます。これは私にとってよりも、反論者の名誉のために設置してほしいものだと思います。「優しさ」と言ってもいいかもしれません。
感情的になるのはどんな人間でもあることです。雨降って地固まると申します。失敗は成功の母。激しく言い合える仲になりたいものです。


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あまりきにせずに
2005年7月11日 22:36:27 管理人
姫さん、こんばんは。この掲示板もいろんな方からいろんな情報くるので、時に難しい場合もあり、またときにひらめき的なこともあり、ときに酔っぱらい??情報もありましたが、どの情報も大変貴重なヒントを与えてくださるものです。特に姫さんのように、地元からの誰も体験できない情報をお伝えいただけることは、小さなことでもお知らせいただけると本当に助かります。これからは、特に難解なレベルの課題は別に新たにつくった演繹掲示板にみなさんもっていくようにしましょう!あちらも活用願いたいです。それでは姫さん今後ともよろしくお願いします。


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あまりきにせずに?
2005年7月12日 0:25:16 かわかつ
そりゃこまる、きにするところはしっかり気にしていただかなくては。
管理人さん、妙ななぐさめはやめてください。ちゃんとしてもらうところはちゃんとしてもらわなきゃ困りますから。


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とみたさんも
2005年7月12日 18:08:55 管理人
打たれ強いそうで、社会の先輩方さすがです。どこかとみたさんとかわかつさんは家康と秀吉の論争みたいでおもしろいです。


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秀吉なら
2005年7月12日 22:20:01 かわかつ
もっとおなごにやさしゅうござる。拙者、せいぜい光秀程度でござろう。なにせ男前じゃからのう・・・なは、なは、なはははは・・・・



彷徨浪人(続き)
2005年7月11日 0:49:59 とみた MAIL
伽耶のことが気になります。
橿原研究所の考古学的な調査では、5世紀はほとんどが伽耶のものだそうです。

5世紀は高句麗が勢いを増して南下。5世紀前半は新羅を支配下に、伽耶をも圧迫し、475年には百済を破りました。
百済の衰勢をみた朝鮮南部の伽耶のうち西部の諸国が連合して大伽耶をつくり対抗します。
やがて復活した百済は522年大伽耶に侵出。それに対抗すべく大伽耶は新羅の応援を婚姻政策で取り付けますが新羅に裏切られ侵略される。新羅は伽耶南部へ進出をはじめ金官を532年に滅ぼす。
伽耶南部と連携する安羅は金官進出に際して倭に応援を求めるが何もしてくれない。そこで南部まで進出していた百済の応援を求めるが新羅の攻勢は止められない。

かくして伽耶南部は新羅と百済が対峙することになる。

安羅は百済との同盟を破って新羅側につく。安羅は新羅に取り込まれる。大伽耶諸国は百済側につくも百済の聖王が新羅に敗死して562年滅びる。

大伽耶、金官、安羅・・など伽耶は全部消滅した。

こんな情勢の中、5-6世紀の伽耶は百済になびいたり新羅になびいたりしたので。
伽耶というのは百済といわれたり新羅といわれたりするのではないのでしょうか。

たとえば、漢氏は百済出身というけれど、正確には安羅・安那という加羅、伽耶、カ洛の小国です。これは後の新羅になるわけです。

蘇我氏は百済出身、中臣は百済といわれたりしてますが、今日みたHPでは伽耶出身になっています。多分、秦氏もその出自は複雑です。伽耶といったり新羅系伽耶といったり、百済といったりされています。何派にも分れてきている場合もあるでしょう。

実際、関東圏でも狛江というのは6世紀に来た高句麗人、高麗郡の人は8世紀といわれているようです。重層して住んでいるし、土地を移動するので把握が難しくなる。

このあたりは管理人さんのオハコとおもいますが・・・



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カヤ、高句麗
2005年7月11日 1:42:18 管理人
関さんの本の中でいろいろカヤと百済と・・の関連指摘されているよですね。特に引用されていた門脇氏の蘇我氏=百済王の臣下の木氏説、なかなか説得力ありました。結局520〜30年代の百済に追い迫る高句麗とカヤでの動きと渡来人の渡来のせんで、理論ができてきているようですね。関さんの蘇我と中臣との間での怨念関連の話もなるほどと感じました。元興寺は行基と藤原と多治比の線で考えていましたが、蘇我が出てくるとは・・・。中臣も蘇我と同様百済なんででしょうか・・・。かわかつさんにお聞きしたいところです。
あと関さんの本で、蘇我が忌宜と書く点は個人的に興味もっています。門脇氏の新撰姓氏録の百済王系林氏=蘇我入鹿説も重要でして、はてさて廃人さんいわく修論書き直さねばならないかもしれません。なんせ高句麗より本来は姓氏録とカバネ研究の氏族研究が専門なものですから・・・。でも、また高句麗とわいはく、渤海との関係もおもしろいですね。

それにしてもここ5年くらいでずいぶん研究が進んだような気がするのですが、5年前の修論も今書くとずいぶんかわるんだろうなと思います。でもやはり年取らないと、どの本のどこの理論が重要なのかなかなか理解できないものなのでしょうね。そうとう見逃しています。なんでだろう??心理理論の20代と30代の相違、研究してみたいです。



ちょっと出かけてました
2005年7月11日 0:03:42 管理人
ちょっと秘密で出かけてました。後日報告いたします。かわかつさん、廃人さんの問いについて、いろいろ考えをまとめているところです。もうすこしお待ちくださいね。今ひとつ出版方法でやはりひっかかってるのは、著作の問題があります。正直な話、私自身の本を書いても、その新理論の影に、書き込んでくれているみなさんの連想ゲームがあったわけでして、私自身の意見としてはちょっと言いにくいところが多いです。仮に私の著作として公表したとしても、注釈でそうとうみなさんの注釈が入ることになるでしょう。ちょっとこれは難しい話ですが、ある真実が存在していて、だれかがそれを掘り出そうとしています。そのそばにいる人も無意識のうちにその事実はすでに理解しており、いろいろ助言をしていきます。その彼らのさらに背後には、その事実をすべて見通している「神」がいる。そんな感じで彼と彼の周りの人と神との間で連想ゲームができてくるという感覚があります。気づく人は気づくし・・・。そこで彼が掘り出した取り分について考えたとき、実質的には彼はほとんど何もしていない、流れのままにいろいろ浮かんでいただけというのが本当のところでしょう。実際クリスチャンでも修練をつむ人ほど、聖霊の流れのままに、自己の能力のなさを実感してくるもののようです。でも現実の学会では、名目上でも責任者としての代表する研究家の名前がなければ通用しない、ということも確かであり、はてさてどの辺で折り合いをつけるべきか、この辺でここ数年永遠とまとまりがつかないということはありますが、どちらにしても優柔不断なのは、だんだん遅れの原因にもなりますし、そろそろ決断していかねばなりませんね。ご意見お待ちしています。



徘徊老人、彷徨浪人
2005年7月10日 23:57:46 とみた MAIL
古代史を漫歩し始めて、行きつ戻りつです。
図書館から借りてきた本が期限切れになりそうなので慌てて今日は、古代日本人と朝鮮(中央公論)と古代出雲の文化(朝日新聞)をよんでおります。渡来人のところは念入りに読みました。
上田正昭、金達寿、司馬遼太郎など一昔前の先生方の対談です。

みなさんと議論をかせね、講座で勉強し,HPで探索しながら今現在の到達点は・・・・

@物部、尾張、葛城。蘇我、中臣(藤原)の素性の洗い出し
A出雲、越、大和、河内、南九州(日向・薩摩)、日田、鹿島、諏    訪、対馬
B中国は江南ー越と呉、雲南と倭人の関係
C朝鮮はやはり伽耶、高句麗、新羅、百済、わいはく、渤海
D古墳
E言葉 まあいろいろ説が多すぎる。諦め!
    タミール、ヴェトナム、韓国、シュメール・・・
F移動/交易ルート: 瀬戸内海/日本海(親潮)/黒潮(太平洋)

皆さんは修了・卒業でしょうが私はまだ入門。

おかげ様で輪郭だけは掴んだ気がします。

特に伽耶と倭とのかかわりがポイントだと思います。


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今読んでいる本です。
2005年7月11日 1:21:50 管理人
最近とみたさんのほうで、うわさになっていた関裕二さんの本読んでますが、とみたさんの特に@の件、そうとう理解しやすくかつ大胆に書かれており、大変べんきょうになりました。蘇我と百済王族との関係はかなり解明が進んでいるようですね。
Aのほうは、上田正昭さんの「東アジアと海上の道」読んでます。特に大刀契と百済王と天智、天武、桓武の話はあらためて重要だと感じました。鹿島昇氏の出雲関連もやはり重要でした。
あと、ちょっとすごいと思ったのは李さんの万葉の本、天智と天武と額田部の歌を朝鮮語で解読できる点、朝鮮語であえて裏の主張を表現している点、確かにその壮絶な性的な関係も含めた内容、天智と天武はやはり兄弟だったのかとおもってしまいます。兄弟かどうか、本当に実在したのかなど説かれていますが、この辺の万葉からの解読は意外にも一番信憑性が高い証明法かなと感じました。あと彼女の本の雄略天皇の歌を、朝鮮語で裏の宣言文を出しているとの点も、そうとう重要な事実ではないかと感じます。雄略天皇が実在したかどうかは別としても、だれかがそう宣言させたとするとはてさて・・・。



私はもういいですよ。
2005年7月8日 18:13:19 かわかつ
下半身だめだし、初盆前で金はないし、おまけに原稿に埋もれてる。東京組でどうぞやってください。私、ここ立ち退きますから。しこしこひとりでやりますんで・・・


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暑いので私もヘトヘト
2005年7月8日 21:36:20 タックン
このところまた暑さがぶり返してきたので、遺跡めぐりもちょっと行けずの状態になっています。
然し来週の日曜日は、橿原の友史会があるので、これには行こうと考えています。
今回は豊中市内の古墳を歩くようで、近くなのに普段行かない地域ということで興味がありそう。


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どうしましたか?
2005年7月8日 22:29:40 管理人
先ほどは携帯でしかお返事できなかったんですが、今日は夜勤中でようやくパソコンにありつけました。昼間は国会図書館行ってました。ともあれ会合の件はまたあとで取り急ぎ失礼します。


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お互い無理をしないで
2005年7月9日 1:15:01 とみた MAIL
かわかつさんの心情なんとなく分かりますよ。
FACE to FACEで会いましょうということになったけれど、諸般の都合で延期みたいですね。事情は各自おありでしょう。

お互い怒らないことにしましょうよ。

ワイフに怒られ息子に怒られ、顧客に怒られ・・・まあよく叱られてきた私ですから。お互い怒らない事にしましょう。

いつでも会えるからさ。辛抱が肝心、てな分かったような分からないようなこといってます。

天、時、人に利あらずこれもいい加減かな。

大阪京都、奈良あたりで会うのが一番かな。そうすれば姫様、カックンさんにも会えるし。パリスさんはどこか分かりませんけれど・・・(個人情報開示不要ですよ)
かわかつさんどうでしょうかね。あなたの提案をベースに調整しましょう。無理は禁物。だめなら流せばいいさ。

時日はあなたが決めてください。紀氏さんの発言が無いので是も無理かな??居候がでしゃばりまして申し訳ありませんね。

変な仲裁案??



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おこってる?
2005年7月9日 2:18:45 かわかつ
私はおこってなんかいませんよ????

原稿に集中したいだけです。勘違いしないで下さい。いちいち女性の身勝手な行為に左右されたりしませんぜ。時間がもったいないだけです。気になる若者のために、ここは新しい人がやってくるまで見守ろうってえわけです。行為は時としてあだとなることもありますからね。ほっておくことも必要でしょう。なにを慌てているのかしらないけれど、先を急いでる人ばかりらしい。
一番、時間がないのはあなた方じゃない、この私なんです。いつまでもあると思うな、なんとやらですよ。生活が大事ですから。
文章で聞いてもちんぷんかんぷんな人は話したってやっぱりちんぷんかんぷんですよ。やってることがずれちゃってます。
だいいちまともなセンテンスを持たない方としゃべってると疲労困憊します。しょせん学問じゃないんだからエネルギーの無駄遣いはやめていろんなことにチャレンジすればいいです。
まあ生活感がないんでしょう。お金もたくさんあるのでしょう。結構なことです。
なにかわからない時はうちの掲示板に顔出してください。わかることはアドバイスしますから。ではいずれまた。


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ええと、
2005年7月9日 2:19:38 管理人
今日は急に夜勤で現在勤務中です。かわかつさん、ちょっと感傷的になっておられてびっくりです。私自身は国会図書館での成果をかわかつさんがたにお知らせしたくで笑顔満々(*^^*)でありながら、疲れのあまり今日は今も仮眠とっていたという感じですから、いかに掲示板で相手の状況を理解するのが難しいかを物語ってしまいます・・・。

とみたさんご指摘のとおり掲示板の場合、相手の姿をはじめ、行動などまったく予測ができない部分があり、あまり会話を急ぎすぎず、のんびり相手が一度寝ておきて風呂入ってから返事してくる程度の予測で書き込みされていくのがベストなようです。そしてメールとか掲示板はときに思い込みや、自分が意識する以上に激しい口調になってしまったりするマイナス面もございますので、とかく人を傷つけてしまうこともあり、私もかなりその辺失敗してますので、その辺も気をつけていかないといけませんね。

ま、やはりどこかで一度お会いしたいところですが、実のところ、やはりみなさんの金銭問題がきになっていることも確かです。結局一番お金持ちそうなかわかつさんに遠出してもらおうという予測が私にあったんですが、なかなかお盆前厳しいのですね。紀氏さんも苦しそうですし、中間点も蓼科あたりなら私は8月中長期滞在しますが、あとは山梨駒ヶ岳周辺の例の歴史研究家さんの民宿とか、私自身も秋口大分に取材で行きそうです。宝塚にも取材でいきそうな予定たってきましたし・・・。でも日光もいったことないので、盛りだくさんですね。と、ともかく国会図書館でも成果も盛りだくさんすぎて、今は時間がないので、後でそのほかお返事ともども書き込みします。あと万葉ではないですが(^^♪の活用は有効なりです。


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八方美人もいいけれど
2005年7月9日 2:46:02 かわかつ
ひとりでやることを覚えた方がいいでしょう。他力本願では本をだすのは無理です。一度、自分自身で本を出すという行為をやってごらんなさい。
気を遣うなら、隅々まで気を遣ってやらなきゃ、年長者のアドバイスを待ってるようじゃ出版への情熱を疑われてもしょうがないです。ほんとにやりたい人って言うのは、すべてすててもやるものです。今のあなたはまだ「なんとなく」感が強いんじゃありませんか?


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そうですね。
2005年7月9日 4:40:36 管理人
今日の仕事のほうのテーマもひとりで各地への取材の仕事をどうこなすか?でありまして、交渉から計画、生放送の映像配信から録画まで、少ない予算でいかに効率よくやるかという感じです。実際予算が出ないので、一人以上は派遣できないし、相手方から資金が出るかどうかも交渉次第。今まではパートナーや支援者がいたので仕事も責任転嫁もできましたが、今年は一人で派遣されること多そうです。逆に部下を相手方から引き受けて指示する役にもなりそうです。この辺、かわかつさんの御指摘とも共通していますね。そういう年齢になってきたということなのでしょうね。なんとなく感も、やはり渡来人についてのある程度の結果が出てくると、その責任もありますので、半年以内に出版するというある種義務的なものをかんじています。とはいえ、一人で抱え込むというのは、かえってどれも中途半端なものができてくる可能性も高く、丸くは収まってできたものの光らないというのではまた問題ありです。目的を出版全般にもってくるか、論文の一文の公表だけに絞るか、その辺を考えてみる必要ありそうです。


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いつもの悪い癖が
2005年7月9日 14:20:07 廃人
管理人の某氏、久しぶり。
相変わらずどっちつかずで優柔不断だね。
かわかつさんも指摘してる通り、本当にやりたければ
言われる前に行動に移しているよ。
そろそろ、自発的に動いて結果を出したらどうなんだい?
やる前から周りの事考えても仕方ないでしょ。
あと、出版する以前に昔の自分の論文を見直してから考えたら?
論文を書く義務とか考える前にやる事はいっぱいあるよ。
まずは、文章構成能力の向上かな?
乱文にて失礼します。御邪魔しました。

追記:富士登山なら時期が合えば付き合うよ。


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ははは
2005年7月9日 16:59:25 ははは管理人
かわかつさんのお話きいて君のことかこうかなとか思っていたらそちらからお久しぶりですな!ま、後いつか富士山浅間あたり案内してくれると助かります。ではまた近いうちに。



神のお相撲
2005年7月8日 16:51:39 かわかつ
動く画像でお楽しみください。真っ黒で小さい「住吉様」のまあ、強いこと強いこと。

http://sv.shokokai.ne.jp/yosi/

とみたさん、前のレスで宇佐の「化粧井戸」のこと書かれてましたので、うちの画像BBSにのっけときますから見て下され。


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黒人遺伝子
2005年7月9日 8:00:28 管理人
昨日は国会図書館で長いことHLA遺伝子についての論文あさってました。だいたい理解できた感じですが、どうもHLA遺伝子の4系統だけが主流というわけではなく、もっとたくさんのあらゆるアジアの遺伝子がふきだまりみたいに貯まっているというのが正解のようです。どんぐりの背比べですこしだけ出ているのがその4種類という感じですね。たぶん縄文、弥生、あまべ、騎馬民族・・・・でしょうけど、その4種で渡来人すべてを解こうとすると大変な失敗をしそうです。やはりそれら遺伝子の時代測定まで正確にやっていかないと、引用できない感じでした。もうすこし遺伝学の学者さんのほうで、詳細なデータを公表してほしいものです。いろんな遺伝子が入っているようですが、面白かったのは黒人の遺伝子が見つかったということでした。確かどなたかもその情報いっていましたね。西アフリカの黒人によく見られるその遺伝子が、たとえばエジプト人とかどこかの民族の流入した形で、日本に来たとか壮大な物語もできてきそうですが、黒人遺伝子のみならず、仮にイスラエル人の移動を考える上では、黒人やエジプトの習俗の渡来を特定するほうが、イスラエルそのものの遺伝子を見つけるより早いかもしれませんね。そのほかキルギスの東西混合した遺伝子群とか、愛媛の遺伝子とか、よく調べていくと、おおまかな渡来の指標になりそうなデータはありますが、論文で引用して使うには、相当複雑な理論と知識をまず研究者全体に認知させることからはじめねば、へたに引用したりするとかえって大きな偏見を生む危険性を感じました。でも遺伝学、確かに渡来人研究で重要です。



画像掲示板
2005年7月8日 12:59:08 かわかつ
画像が送れなくなってませんか?どうやってもだめみたい

会うのなら、
お互いが新幹線で行けるくらいの中間点にしてくだされ。平等に願いたい。
金がいくらあっても足りないよ。
できれば来て欲しいくらいだ。この状態ではね。皆様、ご理解ください。
大分から福岡にゆくだけで2時間はかかるんだから・・・ここは極楽みたいに田舎ですから〜〜〜〜〜!!


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ほんとに
2005年7月9日 7:48:27 管理人
だめですね。ご迷惑かけています。ちょっと原因しらべてみます。



どう結ぶと三角になるのか
2005年7月8日 6:05:40 いばらの紀氏
 オハヨウ御座います。 下がイッパイですからー
「紀氏さん作成の図がないとどの編がどう結ぶと三角になるのか、理解難しいかもしれません。」のREになるかナァー?
行基図と現代の地図との「誤差」を比較していましたら、行基図では未知の区(陸奥)でいい加減に描かれたと考えいた(いや・過去に数え切れないほどの「線」を引いていました。)東北の藤原三代「中尊寺」も役行者ゆかりの蔵王と月山に対し30度の位置に建てられています。

 「∴亀ヶ岡遺跡」〜「∴三内丸山遺跡」ライン」より南西30度に男鹿半島・南90度に森吉山・北90度に大間崎・120度に尻屋崎・東南120度に七時雨山・
「∴亀ヶ岡遺跡」南に岩木山〜役行者ゆかりの「太平山」このライン「∴亀ヶ岡遺跡」から南南東30度に遠野・南南西30度に白神岳〜東に十和田湖〜八戸(ヤヘー)∴是川遺跡
「∴三内丸山遺跡」から南に∴払田柵遺跡ラインから南南東30度に早池峰山・南南西に30度 男鹿半島∴孔雀の岩屋・・・・・
このように、ポイントから角度〜ライン→次のポイント三角鎖が繋がります。(古墳内の三角紋の意味は三角測量との考えです。)
考察、経験の積み重ねからの感覚なのです、まずは信じることです。 古代での測量は太陽のライン(日下・供部・・・日を追いかける)精度の向上。

初期キリスト教も分裂・・・地上が平派と球体派・・・・教義を信じるか(理想・禁欲・来世主義)・自分の知識を信じるか(現実・実利・現世利益主義)
科学者は、恐れを失って行く・・・人類も、
 説明のへたな不器用な紀氏でした。


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むむむ
2005年7月8日 7:13:13 管理人
茨城の元巫女さんの知り合いのことを朝から思い出してたら、巫女さんならぬ紀氏さんが出てきました。いつもこんな感じですが、はてさて、詳細お教えいただきありがとうございます。また地図で調べてみますね。とはいえ、亀ヶ岡、尻屋崎・・・、ほとんどどこにあるのかわからないので、調べるのに30分以上かかりそうです。やはり画像掲示板に線分入りの地図をアップしてくれるとたすかrんですが・・・。
中尊寺とのライン、今日明日は中尊寺方面行こうかどうか迷っていたので、気になります。どうしようかな・・・。


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そうなんですよ
2005年7月8日 10:21:36 かわかつ
私のような数値に弱い文系人間には図や写真や絵がないと、いくら一生懸命に書いていただいてもちんぷんかんぷんなんです。
例えば地図に書いたラインをカメラで撮って、みたいな手っ取り早いのでもかまいませんから画像を下さい。
もちろんちゃんとしたE画像ならもっと理解できるでしょう。
頭がアホですんませんけど・・・


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九州はわかりやすいです。
2005年7月8日 12:20:00 いばらの紀氏
みなさん今日は、
「阿蘇山で三角探して欲しい。是非お願いします。」RE
 九州はわかりやすいです。
例:久留米の岩戸山古墳を中心に(正三角形での)六角形。
∴岩戸山古墳〜飯塚の∴王塚古墳・∴立岩遺跡〜∴銚子塚古墳
∴岩戸山古墳〜∴銚子塚古墳〜鹿島
∴岩戸山古墳〜鹿島〜島原
∴岩戸山古墳〜島原〜∴臼杵磨崖仏の途中(∴菊地 旭志)∴岩戸山古墳〜宮崎の諸塚との接点
∴岩戸山古墳〜∴銚子塚古墳〜竹田の∴岡城跡の途中(∴岩戸山古墳〜∴熊野磨崖仏の途中)との接点
∴岩戸山古墳〜飯塚の∴立岩遺跡〜竹田の∴岡城跡の途中(∴岩戸山古墳〜∴熊野磨崖仏の途中)との接点
他に沢山有ります。
東西のライン
∴熊野磨崖仏〜耶馬溪〜筑紫野 ∴基?城跡〜唐津 虹の松原  ライン
唐津 ∴虹の松原〜筑紫野 ∴基?城跡〜耶馬溪〜∴熊野磨崖仏 西〜東 ライン
鰐塚山地 ∴鬼の洗濯岩〜下甑島 鹿島 ライン
       鵜戸神宮〜川内〜下甑 ライン
南北のライン
西都 ∴西都原古墳群〜宇佐 宇佐神宮

気になるポイント
∴熊野磨崖仏〜串木野 市来 ラインと∴銚子塚古墳〜鵜戸神宮ラインの接点付近 「五家荘」付近 
 「五家荘」付近 は、霧島神宮の北(玄武)に位置する。
雲仙の「布津」フッツ主?「津」は測量でのポイント、(鹿島の地名も全国に数が多い、鹿島信仰のため?)
国見・大島・三方・・・・・同じ文字の地名が多く 測量での苦心の跡が感じられない。
(本州などは、分割で担当者の違う為か道路が鉤型に成ることが多い。いや、道路が何らかの秘密の方角を示しているかも?)


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かんじんの
2005年7月8日 12:33:27 かわかつ
熊本県がないんですけど・・・阿蘇山は熊本県にありま〜す。


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しかし・・・
2005年7月8日 12:35:44 かわかつ
なんか数が多すぎません?どこでもここでも三角形って一体・・・???


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阿蘇山
2005年7月10日 5:41:16 いばらの紀氏
 おはようございます。
「かんじんの熊本県がないんですけど・・・阿蘇山は熊本県にありま〜す。 」RE
「∴岩戸山古墳〜鹿島(佐賀県)〜島原」を鹿島(佐賀県)から30度(
直角二等辺三角形) 鹿島(佐賀県)〜大牟田(福岡県)〜菊池(熊本県)〜阿蘇山のラインで如何でしょうか?
おやすみなさいの紀氏でした。


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追伸
2005年7月10日 14:11:46 いばらの紀氏

「∴岩戸山古墳〜鹿島(佐賀県)〜島原」での「鹿島(佐賀県)〜∴岩戸山古墳の先には〜東方の大ポイント「吉野」が在ります。



掲示板の弱点は
2005年7月8日 2:03:04 かわかつ
タイムラグがどうしてもつkまとうところですが、それをうめようとして考え出されたのがチャットですか?
でもやっぱり顔が見えないから誤解される。
結論として合って話すのが一番ってことになってしまう。
私は古い?


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タイムラグ
2005年7月8日 7:08:33 管理人
そうなんですね、掲示板だとタイミングが合わなくて、不安になったりしてしまいますよね。私も今まで家で寝てましたから、夜勤で起きていると想定してしまうと、はてなっている感じになってしまいますよね。やはりぜひぜひ一度お会いしたいところです。今週土日は暇です。あと、8月半ばも夏休みで暇です。紀氏さんのちかくの水戸・栃木あたりでどうでしょう。水戸だとフェリーという手もありますし、かわかつさんが一番行きたいところの近くがよいのではと感じます。


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とみたさんの提題
2005年7月8日 8:33:29 管理人
演繹掲示板へまわしました。議論してみてくださいね!


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お会いしたいですね
2005年7月8日 8:49:02 とみた MAIL
今日も目が覚めた。日々是好日でありたいです。
今夜は友人からもらった只券でオペラ トスカの観劇です。

水戸、にせよ、栃木にせよ皆さんと会いに出かけますよ。栃木なら日光へ是非行きましょう。標高が1000mなので夏日には絶好です。

日光なら中禅寺湖湖畔で一泊しましょう。日光ならどこへでも案内できます。バスとウォーキングになりますが。


やはり顔をあわせて少し飲んで気心が知れてという過程が不可欠でしょう。論点整理などもそこでやれば早いし・・・
もちろん私は教えてもらうだけかもしれませんよ。

かわかつさんは九州だから遠いし金もかかるかしらね。7月中でも構いません。予定は早く決めないとね。東京の浅草から特急で2時間余で日光駅、そこからバスで中禅寺湖へ1時間です。


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ではこれから
2005年7月8日 10:26:04 かわかつ
中尊寺へ向けて参ります。飛行機で行きますかな。詳細は後でしもえださんへメールしますわ。東京から脚があると助かるんだけどなあ・・・
日光は一度も行ったことないし、アクセスもさっぱりわかりません。


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やはり旅館がない
2005年7月8日 11:12:47 かわかつ
和風の旅館か民宿でなきゃダメな人にはちょっとしんどい感じ。明日にしますか。
ちょっとアクセス、宿泊情報あれば下さい。
中禅寺湖周辺に旅館ないですか。「やど上手」じゃもひとつわからない。でも土日はいよいよ無さそうですな。もうちょっとひなびた場所にしてくれませんかねえ。やかましい観光地はどうも苦手です。
東京の向こう側か手前がいい。日本人らしい人間のいるところ。ちょこまかしたところを通るのは絶対イヤ。きっと不機嫌になってしまう。
土日はパスします。

今回は病気もあることだしやめときますわ。
わがままばかりですみません。飛行機で一発、電車で一発みたいじゃないと、乗り換えで冷たくされると傷つくし、腹が立つし、疲労困憊します。
とにかく都内通過だけは絶対だめ。死んでもダメです。遠いなら、思いっきり遠い、東北とかにしましょう。あとは京都か奈良、リスクを平等にしてください。高校野球と一緒でやるなら甲子園でしょ?
もう老人みたいなことばかり。
なにせおしりに火がついてます。爆弾抱えて遠出は無理。ごめんね。ごめんね。ご勘弁を・・・・・・・・・・・・・・・・


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宿なら
2005年7月8日 12:07:48 管理人 MAIL
一ノ関駅前あたりのビジネスホテルがいいですよ


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もし
2005年7月8日 12:38:20 管理人
行かれるんでしたら今日お会いしてもいいですよ。日光はいいですね。ここで決まりですね。でもかわかつさん無理しないでくださいね。中尊寺は坂きついので。ではまた


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だから無理ですって
2005年7月8日 12:39:10 かわかつ
週末は無理だし、痔疾で長時間座れない。わかんないなあ、若い人って。
どんだけ痛い者かおしえてあげたいよ・・・^^;ネットで言わせないで。


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羽田で
2005年7月8日 12:41:25 かわかつ
宿泊もうとれないし、羽田まえ来てくれたら行きます。


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往復6万円
2005年7月8日 12:46:26 かわかつ
やめやめ


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了解です
2005年7月8日 12:46:51 管理人
そううちの家族もその病で大変だそうですね。また日光あたりでお願いしましょう。


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了解です
2005年7月8日 12:48:03 管理人
あれ書き込みできないです



磯城郡川西町
2005年7月7日 23:31:33 姫 MAIL
とみたさん、  
前に仰っていました川西町ですが、「川西」と言う駅はなくて、「結崎」(ゆうざき)という名前なのだそうです。
近鉄の橿原線、「西大寺」から「橿原神宮」への途中にある駅です。

ここ暫くは出かけることが多くて、返事が遅くなってすみません。
私は田舎に住んでいますので、近所に電車の駅もなく、バスの路線からも外れています。  自家用車がなければ、どこへも行けないようなところです。  普段からあまり電車を利用することがありませんので、近鉄に吉野線があるなどと、とみたさんに教えていただくまで、知りませんでした!  吉野線に、「飛鳥」という駅があるのですねぇ〜!!
明後日、明日香に行きますので、地元の人に訊ねてみます。

掲示板の皆さんのお話は、新しいものの見方も教えていただけて、楽しく読ませていただいていますが、私の頭には
少々難解です。  それでトンチンカンなメールを書き込んでご迷惑をお掛けすることもあろうかと思いますが、どうぞお許しください。



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こんばんは
2005年7月7日 23:44:36 かわかつ
飛鳥の地名の参考になるかどうか。
Newton別冊の1994年12月号が図書館か、あるいはバックナンバーであれば是非よんでみてください。かなり役立つとおもいますよ。
朝鮮語の件でご迷惑かけたお返しです。

アショカ王なんていう名前もありますが・・・これはちょっと無理かな?


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それと土師ですが
2005年7月8日 0:03:44 かわかつ
http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/takaha.html
ここで阿蘇神宮神紋を探していたら、その「鷹の羽」紋が菊池一族のもので、諸派の中に大江氏がいる。それと的場などの秦氏、海部氏系の家紋に関連してきます。大江氏は土師氏の庶流であることは前に書きました。なんと九州クマソと土師氏がつながってしまいましたよ!00;


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近鉄線
2005年7月8日 0:36:04 とみた MAIL
姫さん、ありがとうございます。
磯城郡川西町とは近鉄橿原線の西大寺と橿原神宮の間ですか。インターネット検索で確認しました。近鉄郡山、結崎、田原本・・・この辺りですね十分分かります。奈良と八木との間ですね。そこにあアメノヒボコ一族が来たんだ。地図が頭に入ると身近に想像できます。天の香具山はほんの少し南。葛城とは大分離れている感じですね。

吉野線も心配になって確認しました。大阪阿部野から橿原までは南大阪線、橿原から吉野までは吉野線というようでその途中駅に明日香駅があります。正解でやれやれです。小さな駅でした。チャリンコを借りてウロウロした20年前の若かった当時の記憶が蘇ります。

かわかつさんのHPで飛鳥全貌の写真を見ましたので懐かしさがこみ上げます。たった一度こっきりの訪問地ですので、最近の明日香の姫レポートを楽しみにしております。

ガソリンが値上げしてますのですみませんね。

率直なところ、このコーナーは少々難解ですか。私もギルティーだ。お互いに平明に心がけたいものです。


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難しいですか
2005年7月8日 0:48:00 かわかつ
少しご辛抱いただくと有り難いのですが・・・


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飛鳥・地図
2005年7月8日 1:02:02 管理人
姫さんのお住まいの飛鳥、いよいよ関裕二さんの蘇我氏の本を読み始めて、面白みがでてきました。私も自転車乗っていろいろ出かけたんですが、関さんの本だと、入鹿の首塚のあたりの住民は、中臣を祀る多武峰の住民とは今でも仲が悪いとか、実に古代から連綿と連なる歴史ある町の不思議さがあるようですね。いろいろ伝説とか不思議なことお教えください。あと、その地図ですが、やはりソースネクストの1980円の電子地図がかなり使いやすいですよ。マウスひとつで自由自在に全国を駆け巡れますし、その情報量も地図の細かさも申し分ないです。最短距離や料金時間もでますし・・。http://www.sourcenext.com/products/zenrin/
ダウンロード版もあり、コンビニで後払いでできます。お勧めです。


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う〜ん
2005年7月8日 2:08:48 かわかつ
私は紀氏さんのアナログ方式が一番いいと思いますよ。
遺跡や、小さい神社、岩倉なんて乗ってないですよ、NET地図には。いつも不満が残るのは紀氏さんも一緒じゃないのかなあ。
遺跡地図があればなあ、っていつも思います。誰か作ってくれないものか・・・歴史地図の金田一なんか出てこないのかなあ・・・



三内丸山遺跡は古代測量での重要ポイント!
2005年7月7日 14:05:39 いばらの紀氏
以前にお話しました、「三内丸山遺跡は古代測量での重要ポイント!」ですが、
まだ信じて頂けない様なので御自身で実感して頂きたく御案内致します。
まず、「150万分の1」の地図を御用意して下さい それに「10cmの三角定規(直角二等辺三角形)」
これは、「150万分の1」の地図での「ポイント間のライン」上に「10cmの三角定規(直角二等辺三角形)」の
合わせると「史跡∴」の記号やポイントと成る山などが三辺上の存在し、またそのポイントを起点に繰り返すと
三角鎖が繋がります。
では、津軽半島の「∴亀ヶ岡遺跡」〜「∴三内丸山遺跡」ライン(各遺跡より30度角または倍数の角度)
定規の三辺の長さ・または、線上に次々とポイントが現れてきます。
これを続けると「篭目」(ダビデの星)型の網で地球を覆います、お試しください。
 結論としまして、「縄文遺跡」も古代測量でのポイント」と断言します。


上記との関連が薄い「参考HP」
多くの学者たちは、第2代の綏靖(すいぜい)天皇
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-43.htm

「原」地名の考察
http://www.neonet.to/kojiki/ronko/hara-timei.html
http://www.neonet.to/kojiki/ronko/arei-kojiki.html
http://www.neonet.to/kojiki/


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聖三角形
2005年7月7日 22:00:15 管理人
紀氏さんこんばんは。今日は昼間古本屋に行っていろいろ本を買い漁ってきました。その中に三橋一夫氏の「前方後円墳と神社配置」六興出版・1987年があったのですが、なんと神社と古墳をいろんな三角形で結んでいます。ご存知かもしれませんが、紀氏さんの理論とよく似ております。また欠史八代を認めないあたりも、紀氏さんご紹介のHPと関係あるのかな??

紀氏さん、かわかつさん関連の本としては、呉越から日本への流民について、すなわち倭族の中国からの伝来について、諏訪春雄編「倭族と古代日本」雄山閣・1993年がありました。呉越方面から注連縄、鳥居、大社作りにつながる高床式の神殿・・・、いわゆる中国南部から九州にいたる「倭」族の伝来について記されています。こうみると、確かに呉越からの伝来を強調される点も理解できるような気がしました。填王国の貯貝器の中に出てくる高床式神殿と蛇を板につけて祭祀をしているあたりは、確かに日本にもある蛇神信仰との類似性を感じますね。蛇を棒にくくりつけて祀る聖書の話も有名ですが、世界的にその辺の習俗はいっしょなのでしょうか。中国からの倭族の伝来経路については、NHKスペシャル「日本人はるかな旅」第5集・2002の中で、橋本進氏(元日本丸の船長・現東京商船教授)が、黒潮の流れと秋の季節、そして当時の船の構造などを計算して、中国の杭州湾から九州まで時速10キロでいくと3日半で着き、時速4キロでも9日と計算していました。意外な日数に驚きました。われわれの頭の固定観念を壊さないと日本史は見えてこないのかもしれません・・・。


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蛇と12神
2005年7月7日 23:13:26 かわかつ
阿蘇の画像見て下さい。http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs

橋本氏の本、既読。諏訪氏既読です。
私からのお薦め本。
宮本常一著作集20「海人物語」など
吉野裕子「日本人の死生観・蛇・転生する祖先神」
福永光司「道教と古代日本」

海部の持つ風習である、サンヤ・うなり・蛇信仰・12神・・・ここに秘密が隠れていましたよ。
鬼八伝説、「的石」「的場」の秦氏姓もあり、しゃちほこも山ほど!
滝に身を投げたスガルのでんせつ。アイヌ言葉を海部が使っている。
隋書の阿蘇山の記述。
菊池郡や山鹿市とは圧倒的に違う、狗奴国の匂いが紛々と・・・
ここは筑後とも一味違う。必見です。


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紀氏さん
2005年7月7日 23:22:31 かわかつ
阿蘇山で三角探して欲しい。是非お願いします。
あなたと私が熊本で合致するかも知れませんよ!ここに原始キリスト教の痕跡ありかも!?
ちょっとはまりますよ私、熊本に。隋書がどうして阿蘇山をわざわざ記述したのか、ここが怪しい。


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すがる
2005年7月8日 0:54:52 管理人
紀氏さんの三内丸山遺跡、新しく買ってきたソースネクストの電子地図で検索中です。ちょっとやはり紀氏さん作成の図がないとどの編がどう結ぶと三角になるのか、理解難しいかもしれません。
縄文人の力作、三内遺跡・・・。縄文人とつながり深いアイヌと沖縄人は、やはり昨日も遺伝子の本読んでましたが、遺伝距離がかなり近いらしいです。沖縄と青森・・・どうでしょう。かわかつさんご指摘の九州の原住民とか・・・。
かわかつさんご指摘の本のうち、宮本さんのは読んでいません。参考にさせていただきます。
すがる伝説にもやはりかわかつさんもお考えのとおり、どうもつまり原テキストが海部の習俗と変形している、そんな感じですね。なんで海部化するんでしょう。この辺とりあげて下さると助かります。


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地道な議論
2005年7月8日 1:12:46 とみた MAIL
管理人さん、諏訪春雄さんの倭族の話。鳥越憲三郎さんと同じ考え方ですね。雲南の&#22625;(正しくは:シ+真)族も倭族として入っていました。

徐朝龍の長江文明のご本でも&#22625;族のこと触れていました。

倭人は呉越人と見て、呉は長江流域の江南説と高句麗説のいずれかの論争も絡んでおります。私は呉と越は分けるべきか一緒に考えるべきか迷っています。倭は越人といったり、呉人といったり簡単に同一視できないと感じております。

渡来人を正確に捉えるということにフォーカスしていても難しい問題が続出するものです。

古代国家はいつ出来たかという問いに7、5、3のルールがあるそうです。
3世紀後半説、5世紀後半説、7世紀後半説です。

3世紀はヒミコの耶馬台国、5世紀は雄略天皇、7世紀は天武持統天皇でしょうか。

7世紀が正解かもしれませんね。
応神天皇と仁徳は同じだとか神功皇后の、架空説、謎の継体、雄略は河内5王の武王でこれはしっかりしていて南宋のさく封関係も切った立派な王と見ていたら石渡信一郎説では実在しないと言う説ですね。全くパズルです。

架空の人物は誰でしょう。という謎解きです。空想を逞しくし過ぎないで地道にこのあたりのいろいろな説を総点検すれば何かつかめるのではと期待しております。

これを演繹掲示板に上げて皆さんの議論を触発したいものです。


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私がわからないのは
2005年7月8日 1:21:30 かわかつ
正三角形があるとかないとかお話じゃないんですが。あると認めてます。だけどそれと祭祀の間に関連性があることを証明して欲しいんですよ。その三角形がなにを語るのかナンです・・・そこら辺の人を納得させるものがなにか少しわからない。
蛇はオリオンの三つ星で、それを地上に描いたのがレイラインであり、そこから神道の荒御霊、荒ぶる神が存在し、そしてそれこそが追いやられた者の隠された真実なのだ・・・というのが私の整合性であり、紀氏さんの手法でいいわけなんです。ただその結論があいまいなんだなあ。
手法もいいんだけど、そこから導き出される結論がなんなのかまだわからない。どう思います?管理人さんにはわかりますか?
惜しい。結論がしりたいわけなんだけどなあ。わかってもらえんかなあ。
「なるほど、そうだったか」と言いたいんですよ。


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渡航日数ですが
2005年7月8日 1:36:52 かわかつ
対馬のおばさんたちが、昔は船で2,3日で行商に中国本土に行ってたんだって言うこと言ってるのも記述がある。とにかく私はたくさん読み過ぎて頭がダメだ、読んで下さい。それしか言えませんです。私は現場を巡る。正確な出典は頼みます。山ほど読んでみてください。
デジカメと同じで、何回か行かないと真実が写せない。くどい性格です。
困ったもんだ。図書館にいっても同じ物を何度も借りて来ちゃう。最近は先に「これ読んでる?」って司書さんに聞くようにしてます。−−;

泳げる人でも外洋は怖いんだろうのに、おばさんたちが小舟で行ってたってこともなげに言うんだって、だれだったかなあ。森さんじゃないなあ。


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5W1H
2005年7月8日 1:52:52 かわかつ
地上の星がある。それは誰がなぜ、なんのために配置したか?私はそれがしりたいのです。
原始キリスト教が古代から日本に入っていた。誰がなぜ、なんのために?
秦氏が日本に来ていた。なぜ?なんのために?
理由は必ずあるはずです。人間である限り。
いつとか、どこからなんかは極端に言えば、学者がそのうち調べてくれますよ。だって我々はその時間にいけないし、発掘できる訳じゃない。我々に調べられるのは今残された痕跡の一部でしかない。人のいってる説を了解するだけなら本さえ待っていればいいこと。やはり自分がハダで納得したいとなれば、行くしかない。画像掲示板なんてそのためにこそある。
と思うんですがねえ・・・


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管理人さんの「すがる」
2005年7月8日 2:57:12 かわかつ
コメントに対応してるのは「映像の古代祭祀」で、

「日本列島に切れ目は二つしかない、一つは豊後水道から周防灘を抜けて玄界灘へ抜けるライン。もうひとつは青森と北海道の間の青函海峡しかない。このふたつのライン上に同種の縄文文明が生じ、遺跡になっているのは当然の結果である」

青函の三内丸山、瀬戸内の上の原遺跡、そして南の端に鹿児島・上野原
三個所しかないです。すいじ貝やごほうら貝が出るのは。海が繋がっている証明じゃないですか。



小子部すがるの話と旧約との対応
2005年7月7日 11:55:56 管理人
先日に引き続き旧約と雄略条の対応について考えてみました。
ちょっとメモ代わりに貼り付けておきますのでごらんください。

反証2、小子部すがるの話と旧約との対応はどうか?

演繹

1、小子部すがるは、天皇の蚕を全国から集めよとの命令を勘違いして子供を全国から集めてしまった。
そこで、天皇からその子供を自身で養うように命じられる。

2、旧約の「べヌエルとの格闘」条の次のところでは、兄エサウに会いに行く。
エサウに会うと、エサウは「女や子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか」
「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、側女
たちが、子供たちと共に進みでてひれふし、・・最後にヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。
エサウは尋ねた。「今、私が出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」
ヤコブが、「ご主人様の好意を得るためです。と答えると、エサウは言った。
「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていきなさい。」

1,2から、書紀「一言主神」条の後にくる「小子部すがる」条は、旧約の「べヌエルとの格闘」条
の次にくる主人エサウとヤコブとの子供と家畜とのやり取りに要素面で一致する。

∴ゆえに書紀「一言主神」条から「小子部すがる」条への流れは、
旧約「べヌエルとの格闘」条から「主人エサウとヤコブが連れてきた子供と家畜」との問答に対応する。


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もうひとつ
2005年7月7日 23:38:07 かわかつ
徐福の子供を船に乗せた話。

「すがる」という名前ですが、これってアイヌ風じゃないでしょうかね。
熊本ですがるヶ滝見つけましたよ。ちょっと熊本に入れ込みますよ。


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すがるも
2005年7月8日 1:09:12 管理人
いろいろ原住民的にアレンジされているんでしょうね。かわかつさんのさきのクイズ:「一言主」=「アジスキタカヒコネ」=「八重事依主」=「ヤーウェ」を整合的に説明せよという宿題、これもかなりいろんな原テキストがいろいろ変形して変身してアレンジされていく、かなりの難問だと思います!


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パズルですから
2005年7月8日 2:27:48 かわかつ
歴史はばらばらにされたルールのないパズルでしょうから、例えばジグソーパズルを解くようにはいかない。ルールから作っていかないと混迷の渦の中で遊んでるだけでおわってしまう。もったいない時間です。
ルールを自分なりに作ればいい。それが私のやり方で、なかなか理解してもらえない。
それでいい。理解されたらこまりますから。
人が何をいおうとかまわなくなる。
一言主から八重事依主までは比較的簡単に行けます。そこからが難しいと思います。今一番近いのは紀氏さんでしょう。これが解ければおそらく権威です。一番遠いのは私です。だから問題に出しました。
とみたさんのおっしゃるように歴史はパズルです。だが、必ず方程式があるんですよ。きっと。
安部公房の話をしましたが、彼の不可解な謎は共産主義へのあきらめから、それでもすてきれぬコミューンへの夢だった・・・というテーゼさえみつければ実にわかりやすい子供の様な人物だったことがわかるんです。
難解だと言われてることにこそ簡明なりろんがあるものだと思います。



雄略紀の史実性
2005年7月7日 4:59:06 管理人
昨日は久しぶりに本屋に行き、2冊の新刊を購入してきました。ひとつめはみなさんご指摘の関裕二氏の「蘇我氏の正体」。大化の改新と蘇我氏について考える上で貴重な本となりそうです。
二つ目は石渡信一郎氏の「百済から渡来した応神天皇」です。
この本はかなり研究会での予測一致する点があり重要です。
彼の論点のひとつに、考古の古墳築造年代の問題があります。どうも年輪年代法とか最新の分析によると応神天皇陵、大仙古墳は5,60年ほど下って6世紀初頭の成立になるそうです。それで今までの考古における古墳時代の遺物の年代がこの両古墳をベースにしていたらしく、考古文献引用の際には、50年上乗せして引用しなくてはならなくなるのかもしれません。秦氏の渡来時期も、考古との兼ね合いから5世紀後半となっていますが、さらに6世紀初頭までもっていくべきということになりそうですが、その辺は去年から研究会でも指摘していた点ですね。秦氏・漢氏の記載は雄略紀以降、欽明紀までほとんど出てこないことや、紀男麻呂の重複記載などを考慮すると、6世紀初頭渡来のほうが自然であります。さらに、石渡氏によると雄略紀の史実性の根拠として挙げられている稲荷山鉄剣銘の「わかたける」記載についても、その「辛亥」年を475年説より531年説に求めたほうが妥当なことを指摘しています。


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続き
2005年7月7日 7:17:17 管理人
すると、石渡説にしたがるならば、朝鮮南部にみられる小型前方後円墳についても、今までの任那日本府の成立とともに畿内の豪族が進出した結果としてできた前方後円墳という見方と、もうひとつの論点、もともと前方後円墳の起源が朝鮮南部にあり、そこから6世紀初頭に日本へ進出した集団が前方後円墳体制論??を引いたという論がありますが、どうなるのでしょう。確かに任那攻防の結果として秦、漢氏が渡来した線のほうが、渡来状況としては納得いくものがありますね。
そして応神天皇と百済王族との関係、石渡氏は応神天皇を百済王根昆支とし、その昆支の子の武寧王、大仙陵被葬者は継体、雄略は架空の人物との指摘をされており、この辺はかわかつさんの線でいくとどうなるのでしょう。雄略紀の渡来伝承は、応神紀の焼き直しであり、その雄略紀は史実性が薄いとなると、先日の一言主神条と小子部すがる条の間に入ってくる百済武寧王の記載が理解できてくるように感じます。そしてそれらの条文が神器とどうして結びついてくるのかのキーとなりそうな本です。この辺も演繹掲示板のほうに整理して回しておきます。わたしも読みすすめますがぜひ石渡さんの本読んでみてください。


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2年ほど前と
2005年7月7日 10:39:22 かわかつ
去年、既読です。
「倭王」の「倭」ですね、問題は。
倭人伝を繰り返し繰り返し読んでいると、「倭人」という者が海人であることがわかってきますよね。「倭」というのが、国というよりむしろ人種としてとらえられているように思えます。海の民の広範囲なコミューンがあったのではないでしょうか。列島に限らず海岸沿いの諸地域をまとめて船の民、海の民というくくりで「倭」と呼んでいると思うのです。
他の諸地域については「国伝」なのに倭については「人伝」ですからねえ。
となると、倭人は南・九州以南の風習をもっているから、三国志がいう倭とは列島南部の海岸線から南方にかけて広く行き来していた海部ではなかったか、という推測はかなり信憑性があると思います。
それはまずOKでしょうか?

とするとその後の中国の書物に記載される「倭国」は当然、前例を尊重して海部の国となります。
「倭王」とは海部の国王であることになりはしないでしょうか。
これはOK?

ここまで来ると、当時の中国人の学識者での倭王の認識とは、当然、海の民の統率者であって、日本人である必要はまったくなくなりませんでしょうか。
縄文人が外洋航海能力を持っていた船の民であったことは以前書きましたが、海部もまた当然そうですね。だって、この列島にやってきた人々なんですからね。これまでの陸づたいのよちよち航法という先入観はすてなきゃならない。

倭は九州より南にある。
大和は大陸の内部からの「渡来」です。これが物部氏という先住者を従わせることで成立したと言っていい。おそらく物部は海部、ナガスネは北方からきた蝦夷ではないか?これは想像です。

少なくとも奴国は福岡で、ここの王は「漢委奴国王」。委が倭であればここは海人の国です。
倭王が海の民なら応神〜5代は皆、海人であったとしか思えないわけです。
大和は彼等に平定されたということになろうかと思えます。それを先進の大陸渡来人がもう一度平定したんじゃないか。そして「大倭」が生まれるわけです。
後は何度か同じ事が起こって次第に日本になってゆくんです。
おかしいですか?

石渡氏は百済王が応神だという。それは私にとってはちょっと難しい。でも百済王が半島で倭人を平定しているなら、あり得ない話ではありません。為政者と国民がかならずしも同じ人種である必要は実はありませんからね。


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倭についての
2005年7月7日 23:11:44 管理人
レスは上です。百済王にどうもたどり着く展開がどうもいろいろ出てくるようですが、秦氏については最近新羅の例の波旦(はたん)から秦という名前が列記された石造遺物が発掘されたそうで、そこはまた千珍ともかき、韓国語で「うつ」と読むことから、うずまさとの関連が有力になってきたそうです。でもこの場合秦氏は北方騎馬民族系のシルクロード経由の秦人、秦の役から逃れてきた人々、さらには弓月国からの民、あるいは景教徒との展開が例のムーブックスに掲載されていました。その辺どうなんでしょう。秦氏は北方系?南方海部系??


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それは以前から知ってます。
2005年7月7日 23:18:51 かわかつ
問題はその「秦」が「ちん」であって「はた」でないとこですなあ。もっと西ですよ、もっと・・・バイカル湖の左の方に三日月型の湖がある。その辺が弓月です。月夜だ。月夜。
近い。近づいてるんです。もう少し。熊本は凄い、素晴らしいですよ!


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秦氏は海族か騎馬族か
2005年7月8日 15:09:58 とみた MAIL
秦について、かわかつさんが海部説、紀氏さんが騎馬民族説を匂わせていますね。

夏の姫氏の後裔が西周から春秋の移行期の紀元前770年頃江南の呉に来たんじゃあないかという指摘です。

これは史書と言葉の研究から指摘されている。
アルタイ語=キョウ族=遊牧民の影響があるという根拠です。

騎馬民族といっても私は、中国東北の遊牧民か黒海の北東のスキタイの遊牧民族かで迷っています。スキタイ人は紀元前8世紀起源です。

バイカル湖あたりはもっと古く、縄文時代の初めの話かどうかも迷っています。
いまから20000年前寒冷期にマンモスは日本の北部から九州あたりまで来ているんです。プレリュード人は新モンゴロイド人これはバイカルコあたりが起源でしょう。13000年前から温暖化する。

も一つバイカル湖あたりの民俗風習は日本の民俗風習と類似点あるということを京都女子大の女性の先生が指摘してますが・・・

いろいろ迷っていますので・・・秦氏海族 vs 騎馬民族も演繹掲示板でその根拠を論じ合いましょう。

ではこれから、プッチーニのオペラのトスカを聴きに行きます(只券でありがたや)。意外や意外、声楽ファンでもあります。



返事がナカナカ
2005年7月7日 1:50:51 とみた MAIL

かわかつさん、管理人さん
東京へ出かけておりました、図書館へ行き、ミュージカルを見て帰宅したのが深夜0時です。

もう私、頭が硬いので、TVのクイズはほとんど外れです。

私の属している古代史の研究会は年会費¥5000です。年に200冊も読破する御仁もいますが、多数派は私みたいに素人+アルァーです。

交流は月一回の講座だけですから一方的です。それでこのMLに参加しているんです。

でも、機関紙となると重い感じです。他力本願でどなたかがお作りになった機関紙に自由に雑文を不定期に投稿しろということであれば偶には載せさせていただきます。

私は本音では、総花的でなく一つのことにフォーカスを当ててまとめたい。たとえばどんな渡来人がいつ頃どこから出て、日本のどこに着いて住んでいるか。その理由はなぜか。これだけでもしっかり調べて2-3年先にまとめてpowerpointで発表できればそれだけで十分です。

そのためにみなさんのお知恵を借りたいと思っています。
でもこれを調べるのは大変難しいし、資料も少ない。

後は二次的な関心です。

欲を言えば、皆さんと交流して古代史についてまとめ、文化センターの講座などで古代史ファンに紹介できれば面白いかなぐらいに思っております。講座の資料は、はじめはパソコンで作れば足りると
考えます。評判がよければそこで初めて本にすればいい。

かわかつさんみたいに作家として登竜門を越えようとされている方と自ずと情熱の温度差はあります。

私は、あくまで皆さんと趣味として古代史を楽しく語り合い、時にはオフ会でご一緒してワイワイ出来ればそれだけで十分です。

シニアは、ささやかな年金生活ですから出費のリスクをコントロールしたいのです。私は倭人です。

ワイワイの倭人、矮小の倭人です。協力できなくって申し訳ない気持ちです。


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機関紙・講座・・
2005年7月7日 2:34:13 管理人
とみたさんおかえりなさい!今日はみなさん博物館、ミュージカルとお出かけだったようですね。私は本屋に言ってきました。貴重な本を仕入れたのであとでご紹介します。

講座と会員制の情報ありがとうございます。なかなか5000円高額ですね!そうとういろいろ奉仕しないといけなさそうですね。
うちは、今日払った掲示板の代金1年3000円くらいですから・・・。

渡来人のテーマをしぼって時間をかけて講座で公表、いい感じですね。ぜひうちの原稿掲示板も使用してみてください。自由にページ作れますので長文を公表できます。

講座や機関紙、昼間も本屋に行く途中で考えていたんですが、シニアのみなさんの考え方という点に注目したいと思っています。
というのは、研究者かどうかにかかわらず、シニアになりますと、物の書き方、考え方がまったく若い人と違っているということですね。これは能力的な問題ではなく、年齢的に精神の構造が変化するためでして、シニアの方は文章の書き方がとてもいい感じで感情や観念のこもっている、ある意味エッセイ的な論文を書くようになるようです。そして特に古代史だとたとえば著者の状況にたっての経験的なフィーリング的な予想から推論をたててくる、論理の世界ではあわさせない感じになってくるんです。それにたいして若い人の論文はまったく感情が入らない硬いがちがちの数学論理みたいな文章が出てくるんです。

この辺つまり、信号で右見て左見て後ろ確認してという感じで走る素人と、バックミラーで必要部分だけちらと確認して優雅に風景楽しんでいるベテランとの相違でもあるんですが、逆に文章のベテランにちゃんと教習所で習ったとおりに走ってくれといっても、実はもうできないということがわかります。でも安全に目的地に向かって走っていることには変わらないんですが、若い人によっては、それはいい加減でサボっているというように見られる場合もあります。

そこでシニアの方の機関紙を考えると、ある程度人生かけて培った個性的な文体はあるので、その辺はそのままにして、また観念的なフィーリング論に偏っていくのもそのまま生かして、無理に論理付けようとはしない、逆にその心理部分への深い洞察眼に注目して、証明の補助をしていくという感じでやっていくのがベストではと感じました。

費用面心理面でもリスクの少ない方法を考えてみたいところですね。


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ピンポンです。私の思い
2005年7月7日 8:52:31 とみた MAIL
また目が覚めました。まだ生きているようです。(笑)
お心遣いに感謝です。
bbsにせよ、MLにせよ、仲間が増えてきますと、いろんな考え方の人が参加しますので、そのうち非難めいたことを言い出す人が現れると壊れてしまいます。人を思いやる心や自制が必要でしょう。

その面で管理人さんの心遣いに感謝しています。
そうですね、心理面と費用面のリスクの少ない。まさにピンポンです。
シニアといっても
張り切って主張される人もありますよ。私はそれほど元気がないだけで、でも好奇心は旺盛なようです。宇宙の謎と古代史を追っかけてある日忽然とアチラへ旅立てれば幸せですたい。ヨン様を追いかけるのとあまり変わりありませんよ。

それにしても日本の古代史は諸説あってどうにもなりませんね。それだけ筋書きがあって面白いということでもありますが。それにしても支離滅裂・・・

西洋やオリエントは紀元前を遡って100 〜1000年の単位で相当共通理解がなされているのに。中国でも史記でそれなりに史実は紀元前に遡れます。黄河文明だけでなく長江文明にも日が当たってきております。そこへ行くと日本は紀元前後はおろか、600年代までなぞめいて定説がないというのは悲しい。

これは日本人の怠慢というか、文化力の差みたいな感じがしますね。国民性かもしれません。みんなごちゃ混ぜにして戦争責任も企業の責任もうやむや。

その思いから、真実を少しでもいいから自分なりに掘り起こしてみたい。大それたことはもう時間やエネルギーがありませんので、渡来の実態をもっと丁寧に客観的に調べてみたいと思っているのです。

大きく考えれば民族移動にもつながるという視点です。私の投稿文はその目で見ていただくと理解していただけるのではと思っております。



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いやっこんところ
2005年7月7日 10:46:46 かわかつ
ちょっと根を詰めすぎたせいで、精神的にかなり自分を追いつめていたらしく、読み返してみると「きついこと書いてるなあ」と反省しています。
せっかくとみたさんがご紹介の方々にご迷惑をかけてしまったことをお詫びします。またとみたさんにも面目をつぶしたということで深く陳謝します。

大腸科の先生にも根をつめるなとお叱りを受け、自愛のためにも、もう少し力を抜くことを覚えようと思います。
どうも泊瀬さんの時もそうでしたが、「日本語」とうものに思い入れが強すぎる」みたいです。気をつけます。
今日は夜までおりません。いってきます。



兵馬俑・鏡
2005年7月6日 16:35:40 かわかつ
中国歴代王朝展に行って参りました。
兵馬俑などの大きい像に混じってちいさな商人の騎馬俑もいくつかあり、ふと見ると、皆左衽でした。後漢のも前漢のもそうでした。主に殷や秦の遺物が多く、中心は例の金婁玉衣のミイラでした。唐の時代の三彩も素晴らしかった。
でも、肝心の三国時代の遺物はほとんどなく、ちょっとxザンネン。
日本の内向内行花紋鏡にそっくりの鏡には興味引かれました。周囲に銘文がありましたが、翻訳、拡大がされてなくて読めませんでした。
総じて、今回の遺物には日本との類似性を感じさせるものはなかったようです。


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公孫氏と鏡
2005年7月7日 4:28:38 管理人
歴代王朝展、中国文化の変遷を感じる上でも貴重な機会でしたね。
内向花紋鏡などの中国鏡もずいぶん日本に入ってきているようです。下のとみたさん情報の公孫氏については、公孫氏経由で中国各地の鏡が入ってくる線も重要です。卑弥呼への下賜鏡と帯方郡との関係とも結びついてくるとおもいます。公孫氏関連の鏡や遺物を見ていくと、中国雲南、四川地方との交流をしめすようなものもみえ、公孫氏自体がご指摘のように、中国を四川方面から遼東へと移動しているので、文化の伝播を考える上で注目です。三国時代になると、劉備や孔明と人民や兵士との中国東西への移動の線も伝説的には有名ですが、案外文化の流れを考える上でももしかしてということも頭にはいれています。


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中国の文化は
2005年7月7日 10:49:35 かわかつ
奈良朝以前には入ってないなあという想いを新たにしましたよ。やはり小野妹子以降ですね。


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やはり
2005年7月8日 1:05:57 管理人
先の倭人の本にも書いてましたが、呉越の文化、漢の文化とかなり違うようですね。漢文化に支配される前に、南へ逃げだした??という感じなようで・・・。



ネット トラベル中、異界からのたより。
2005年7月6日 13:32:52 いばらの紀氏
参考まで、
アルタイ語の虫にあたり、これはアルタイ系諸族で狼の隠語
http://home.t02.itscom.net/izn/inn01.html

「漢字と泰・越語(6)」
http://www.mekong.ne.jp/column/eguchi/eguchi39.htm

日本の虫と漢字の虫
http://www.shinchosha.co.jp/shoushin/kanji_ichiran/kanji9903.html

古代史雑談「時には古代の話を」>交流館>過去問題(51以降)
http://homepage3.nifty.com/osuzume/oldquiz/kakomon.htm

日本語の不思議
http://counter.onamae.com/green/dona/ost/o_4.htm

古代の部族の名。( ... 中華字海』に「音昆。〔[ 虫+虫]虫〕同"昆虫",虫的総称。 ...
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/3772/onaji.html

カラスは一本足りないか?!
http://cherrybook.exblog.jp/

(動物名・・・・隠語で?族)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/eiyutan-3594/doubutu.htm

中国古代の文化
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/books112.htm

漢字に秘められた「隠語」、カバラの秘儀?・・・・発表の場?・本とに・・持ちたいですね。


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う〜ん
2005年7月6日 16:19:51 かわかつ
紀氏さんのように書きたいことがある人とない人では、問題意識からして違いますから、なかなか難しいのかもしれんですねえ。本当に書きたい、出したい人がもっと集まればいいですね!

しかし携帯からのレスってなんか窮屈で、苦手だなあ。


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虻・・・
2005年7月7日 1:47:07 管理人
紀氏さんこんばんは。古代中国だとなるほど虫編が虫をあらわすのではなく、動物みんな虫だったんですね。確かに雄略紀の虫編の鳥や動物多いですし・・。



旧約聖書レスから続き
2005年7月6日 11:31:48 かわかつ
遣唐使たちが正史編纂前に中国で書物を買いあさって帰ったという話をどこかでよみました。おそらく、いろんな説話を仕入れて、神話の題材にしたんでしょう。鹿島昇氏、面白いですね。


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その辺の
2005年7月7日 1:51:01 管理人
資料的根拠があれば知りたいところですね。たぶん、中国で原テキストを購入して記紀に反映したとすると、その原テキストに基づく、祭祀なり、習俗なり伝承なりには、ほとんど古さと意味の理解の深さがないものとしてでてきそうです。見極めできるかな?


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そりゃ無理でしょう。
2005年7月7日 23:32:40 かわかつ
どんな書物かわかったらいいんだけど、中国側の記述でしたし、もうどの本かも忘れましたからねえ。作家でなく学者でした。思い出せません。そのうちまたどこかで当たればいいんだけど。週10冊読んでた頃のことで・・・ま、少しひっくり返してみましょうか。

中国的なものは上古以前にはうすいですね。やはり習俗は海部、それとなんとも参ったことにキリスト教ですわ。困ったな。紀氏さんがどうも正しいらしいです。ユダヤかどうかはまだ不明。しかし明らかにキリスト教ありです。



飛鳥
2005年7月6日 9:56:08 かわかつ
http://www.bekkoame.ne.jp/~mizutani/gif/asuka.html

甘樫丘からの眺望を見ながら二上山のかなたの瀬戸内に思いをはせる。
そんな会合もよさそうですねえ。
関西にいた頃は何度も何度もあるいたものでした。もう15年はいっていません。
変わりゆくものは悲しいほど変わって行く。けれど大阪山だけは変わらない。


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地名
2005年7月6日 11:39:56 かわかつ
地名は古い。文献はわずか1300年。言葉ができれば、一番に地名もつけられたでしょう。時代の次元が違いすぎるのに、歴史研究者は気づかねばならない。

今の大阪市に大坂の地名はいつついたかご存じでしょうか。それまでは「石山」でした。「摂津石山本願寺」


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飛鳥全貌
2005年7月7日 20:00:46 とみた MAIL
このhp、まさに 百聞一見に如かず

これで飛鳥の全貌が確認できます。

とにかく一回こっこりしか行ってないのであります。

奈良はよく行きましたが飛鳥は遠い、


いよいよ旧約聖書の世界
2005年7月5日 19:00:00 かわかつ
 紀氏さん、管理人さんの知識が必要ですね。久しぶりにBIBLEを開いてみますか。
 
ああ、心ならずも。一生の不覚。自己規制。


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旧約と雄略紀、下に書いときました。
2005年7月6日 1:55:27 管理人
ぜひ旧約と書紀あけて読み比べてみてくださいね。


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メーリングリストつくります。
2005年7月6日 8:33:46 管理人
メーリングリスト作りますので、下記アドレスまで参加をご希望の方はお知らせください。
rg1h-smed@asahi-net.or.jp
とりあえず、会員特典は特に用意してないのですが・・・、投稿掲示板用のパスワードもそのときお教えいたしますのでよろしくです。


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有料で
2005年7月6日 8:59:01 かわかつ
いいんじゃないですか?研究会会費2000円。
メルアド載せて大丈夫?
参加しますので、当Magical掲示板へ送付方法書き込んで下さい。管理者削除で対応できます。


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会費は
2005年7月7日 1:56:29 管理人
取るといろいろ重くなって情報や交流に制限ができてきてしまうので、今のところは・・・。



古代メソポタミアのイメージ(続き)
2005年7月5日 12:37:01 とみた MAIL

イスラエルの南王国=ユダ南王国はバビロンに攻撃されて捕虜としてバビロニアに引っ張って来られたのが紀元前597年〜前539。・・・・ここからが怪しい説がある・・・ユダヤ南王国の王統と子供たちはバビロンのネブカトル王の来襲の前にエルサレム神殿のAnの紋章とモーゼの神宝を捧持してカナンより平和で豊かなインド東洋へ船出・・・・

バビロンとメディアはアケメネス王朝のペルシャに併合。 キュロス王紀元前559年そしてダイオレス王これの3代目アレクサンドロスと戦い紀元前330にイッソスで敗れる。

このあたりがソグドが難民となってシルクロード交易へ。

ペルシャは紀元後サザーン朝、226年〜651(日本の卑弥呼の時代から古代大和の時代)にゾロアスター教が国教。この王朝の文化はシルクロードを経由して日本に伝わった。


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旧約聖書と雄略紀
2005年7月6日 1:14:54 管理人
とみたさん、みなさんこんばんは。旧約聖書の世界、イスラエル人の動き、一見突飛なようで、実は日本古代史でも重要です。
今日のカトリックのミサの聖書朗読の箇所は、創世記の33章「ぺヌエルの格闘」という場面でした。これは有名な話なのですが、ヤコブというイスラエル民族の先祖が、夜中何者かの「神」と格闘をして、その方が「もう去らせてくれ、夜があけてしまうから」とまで言わせました。しかしヤコブは「いいえ祝福してくださるまで離しません」といい、「お前の名前は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と闘って勝ったからだ」。「どうか、あなたのお名前を教えてください。」とヤコブが言うと、「どうして、わたしの名をたずねるのか」と言って、ヤコブを祝福した。ヤコブは「私は顔と顔を合わせて見たのに、なお生きている」と言って、その場所をべヌエルとなずけた。ヤコブがべヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。こういうわけで、イスラエル人は今でも腿の関節の上にある筋を食べない。かの人がヤコブの関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。」
という有名な箇所であります。
この箇所は、よく雄略天皇条の一言主神と天皇との狩猟の伝承や、同じく雄略条の小子部すがるが、神を捕らえた話と比較されていますね。
問題はその伝承がただ似ているのか、あるいはオリエント系の流れで似た伝承が入っているのか、あるいは旧約聖書からダイレクトに取り出したのかということです。
そこで雄略条を見ると、四年二月条に以下のように書かれています。


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続き
2005年7月6日 1:32:21 管理人
講談社の口語訳で引用すると、「天皇は葛城山に狩においでになった。突然長身の人が出現し、谷間のところで行き合った。顔や姿は天皇とよく似ていた。天皇はこれを神であると思われたが、わざとお問いになって、「どちらの公でいらっしゃいますか」といわれた。背の高い人は答えて、「現人神(姿をあらわした神)である。まずあなたの名を名乗りなさい。そしたら自分も言おう」といわれた。天皇は答えて「私は幼武尊である」と。すると背の高い人は、次に名乗って「自分は一事主神である」といった。そして一緒に仮をたのしんで、鹿を追い詰めても、矢を放つことを譲り合い、轡を並べて馳せあった。言葉も恭しくて仙人にあったかのようであった。日も暮れて狩りも終わり、神は天皇を見送りされて、来米川までお越しになった。このとき世の人は、だれもが「天皇は徳のある方である」と評した。

秋八月十八日、吉野宮においでになった。二十日の川上の小野にお越しになった。山の役人に命じて獣を狩り出させられた。自分で射ようと構えておられると、虻が飛んできて天皇のヒジを噛んだ。そこでアキツが急に飛んできて、虻を加えて飛び去った。天皇はアキツが心のあることをほめられて・・・・天皇が口ずさんで、「倭の山々の頂上に猪がいると誰が・・・・玉まきの・・・手のふくらに虻がくいつき、その虻をアキツがたちまち食い、昆虫までも大君にお仕えする・・・。」

という風に条文が続きさらに、葛城山の狩猟の話、そして百済武寧王の話をはさんで、小子部すがるが神を捕らえてくる話となるわけです。


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続き2
2005年7月6日 1:41:23 管理人
つまり、旧約の話と類似点としては、前から言われているように、神と山で長く格闘??する点、神から名前をたずねてくる点、最終的に神が相手を祝福する点がまず類似しています。その辺で、オリエント神話とこの部分との類似性が比較神話学的に指摘されているのですが、問題は旧約から引用したかどうかです。
もし仮に旧約からダイレクトに引用したなら、一言主伝承の前後の記載も旧約のそれに対応するでしょう。
そこで一言主条の次の秋八月十八日条を見ると、虻が天皇の手のふくら、つまりひじの上の肉を噛んでいる記載があるのですが、これはヤコブの足の太ももの肉を神が打ったという点に対応するわけです。この辺から、手の肉というば応神の話もそうですが、足の肉か手の肉かという話で、明らかに旧約と一致してくるわけですね。

おそらくは旧約聖書そのものから伝承を引用していることは明らかでしょう。そしてこの雄略の狩猟記載は神器の問題とも深く結びついているようにも思えます。この辺、演繹掲示板のほうにもっていってみますので、ぜひ情報・書き込みよろしくお願いします。



私の古代メソポタミヤのイメージ
2005年7月5日 12:34:02 とみた MAIL
パリスさん、メソポタミアの匂い有難うさま。お互いメソポタミアは素人なのでドンドンやりましょう。

カフカス地方。われわれの認識ではコーカサスですよね。今チェチェン紛争でもめている一帯なんですね。

これはパクリです。

インド・アーリア民族のルーツは今までイラン高原の東北部と思っていました。南ロシア〜中央アジアの草原地帯の遊牧民・・・

確かにカフカーズは近い。納得です。

インドの北西部へ降りてきたのがbc1500年にパンジャブからインダスへbc800〜bc500にガンジスへそしてバラモンのヒンズー教が生まれ、お釈迦様もbc500くらいで符合します。

ゾロアスターはbc1200年ごろ、イランの東北 今のカザフスタンの生まれ、アフガニスタン北部で信仰を深めた。メソポタミアでは10世紀までに消滅。中央アジアでは13世紀まで残り最後の砦中国では15世までとのことです。
ヒッタイトはカフカスから南下していまのトルコアナトリアへ。これは新しい知識だ。ヒッタイトの入る前はハッチ人がいたといいますが正体不明です。
bc1800〜ですか。bc1600という人もいる。bc1200まで続く。エジプトと覇権争い。
そして海の民が現れる。これ謎の民族。ギリシャも紀元前1100頃から衰えるし、ヒッタイトもエジプトも衰える。海の民はセム系でないインド・ゲルマン人のペリシテ人と云う人もいますが・・・

先住民カナン人が住んでいたカナンの地(いまのパレスチナ)に脱エジプトのモーゼの民=イスラエルの民が移住していた、そこへbc12−13世紀にペルシテ人が侵入してきてスワ大変。そこで強いリーダーを願望した.ダビデーソロモン王の誕生。やがてアッシリアがエジプトを脅し、イスラエル北王国を滅ぼすしたのが紀元前700年代。アッシリアも紀元前600年代になるとバビロニアやメディア(いまのイラン)に敗れる。




今後の方針詳細です。
2005年7月5日 11:16:16 管理人
かわかつさん下で出版に関する詳細の流れご指摘ありがとうございます。とりあえず下の5項目について、今のところこんな感じで考えはじめていますがどうでしょう。

1 予算の把握:原稿が集まってきた時点で、一度みなさんのお財布状況を照らし合わせてみます。できれば今後継続して出版する計画がたつならば、会計係みたいな才能ある方にお願いしたいところです。
2 原稿修正:おおまかな部分は私がやりますが、もし出版の校正等の専門の方がいれば、最終的にそちらにまわしてお願いしたいです。
3 表紙やレイアウトの担当は、インパクト面でやはり重要ですね。これは、写真家さん芸術面でデザインしている方に頼みたいです。
4 後書きはいりません。編集後記と刊行宣言文が巻頭言として必要。巻頭言は貴方が書くこと。編集後記は数人10行ほど。これは依頼する。→了解です。
とみたさんはコーディネーターとして「コメント」してもらう。もっとももうすでに何かかける力はお持ちです。葉っぱをかける。できれば自由に書いて貰う。→とみたさんだいじょうぶですか?
5 対談、寄り合い会議でいいから、わいわいやって楽しい雰囲気の場を持つこと。期日はあなたが決めていいです。
→こちら、とりあえず私のほうで大まかな場所日にち、決めて掲示板で提示します。後々はでも宴会屋さん?に詳細お湯だねしたかったりします。

とこんな感じです。と、どうも自己責任から逃れようとしているようにもみえますが、できれば私がやるよりその分野で才能ある方に
頼んだほうがはるかに円滑かつ質の高いものできますので、どうかみなさんよろしくお願いします。そのみなさんの才能を生かす場はいろいろ提供いたしますので・・・。


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続きです。
2005年7月5日 11:16:46 管理人
ちなみに、今考えているのは演繹掲示板と、帰納掲示板です。つまりここでざっくばらんにアイデアを楽しく出し合って、その中から論文になりそうなテーマを、そのまま演繹掲示板に回し、批判論議と追加論理をします。そして同時に帰納掲示板で、データ蓄積による補助を行い、最後に総合編集と文章校正をして、文章版HPにアップして、ひとつの論文を作成アップします。それを数ヶ月ごとに雑誌として編集して出版社に折り合う形でもっていければと感じます。その間でのアイデア、帰納、演繹、画像、総合文章校正、出版のそれぞれ担当者をその方のカリスマ才能にしたがってご依頼するという感じでどうでしょう。
今回の出版原稿も再度そのルートに乗せてフィルタにかけてしまうというのもどうかと感じますが・・・。


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演繹掲示板
2005年7月5日 13:07:04 管理人
演繹掲示板作りました。とりあえず例文書いてみたので参考にしてみてください。トップページからいけます。アドは
http://bbs1.nazca.co.jp/2/toraijin/
あと、とみたさんのコンサルタント業界でつかう飛躍論理法ってなんですか?ぜひぜひお教えください。たぶん演繹法とかは、その専門の理論を知っている方が担当するほうが、古代史家独特の偏見が入らないぶん、客観的な論理展開が期待できるとおもいますので、ぜひとみたさんにも演繹掲示板ご参加お願いしたいところです。


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原稿集ページアップしました。
2005年7月5日 15:18:00 管理人
原稿集ページをアップしました。トップページから入れます。
アドレスはhttp://tokyo.cool.ne.jp/torai-jin/です。
とりあえず、演繹掲示板から画像・表掲示板に送ったテスト課題をまとめて、原稿集にテスト原稿として掲載してみました。ご参照ください。原稿アップの方法はまた後お知らせいたします。


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ほにゃほにゃ
2005年7月5日 17:19:17 かわかつ
今夜はダメじゃ。


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私に言わなくても
2005年7月5日 20:25:28 かわかつ
 私の意見に従うことはないです。私を向いて言う必要はない。みんなに向かって言わなきゃ^^
 少なくとも、紀氏さんが肯定する案でなければ、私も同意はしません。
彼は本を出した先輩であり、このBBSぼ先輩でもあります。年齢とか、経験とかでなく、これは礼儀です。


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コンサル方法
2005年7月6日 0:04:56 とみた MAIL

管理人さんのご要請ですので返答です。

つい口を滑らせて知ったかぶりしてごめんなさい。
云ったことに責任があるので要請にしたがってお答えします。ザックリした表現です。

@演繹的方法は、目的方針に沿って”かくあるべき姿”を示す方法
A帰納的方法は、現状調査に沿って身近な問題点の解決法を積み上げる方法
B飛躍論理方法は、創意工夫、新理論をもとに、演繹的に全く新しい姿を示す方法。

AとBの間かしら、設計ではワークデザインという理想系から入る方法が有名です。

古代史では関係がないようです。敷衍する能力があれば別ですが・・・

私はそれほど優秀なコンサルタントではありませんでしたがノウハウだけで百万、千万の金を稼ぐのには苦労しました。とにかくお客さんから正当なお金をいただくことはどの道にせよ大変であります。

いまはすっかり解放されて完全無職ですから、ストレスがなくってありがたいです。

コシイタさまとアルツさまに好かれないように気を配るだけです。



アスカ王朝
2005年7月5日 8:04:31 パリス
澤田洋太郎著「出雲神話の謎を解く」を今読んでいますが、

カフカーズ地方から最初に南下行動を起こした古代民族はアーリアンとよばれ、BC2,000年ごろから西北インドに侵入し始め、それから1000年ほど後にはガンジス河の上流一帯に都市国家群をつくり、バラモンという神官階級を頂点に置く厳重なカースト制度をもつ社会を建設した。そして、BC1800年ごろ小アジアを侵し、エジプト王国を脅かしたのはヒッタイトであった。さらにBC1600年ごろにはペルシアにもアーリアンの一派が南下してきて古代のペルシア帝国を興す。その帝国はアケメネス王朝とよばれているが、彼ら自身の言葉では「アスカ王朝」と呼んでいた。そして、その地ではゾロアスター教が信仰されていた。

基本中の基本ですが、「アスカ王国」という名称は初耳でした。

この本には、宇佐神宮の神官の一族の一つ大神(おおが)氏が蛇を信仰する一族だとありました。
ちょっとスピリチュアルな話が入りますが、宗像大社の近くに住んでいる友達が、宗像三女神の一人、市杵島姫の本性(?)は紫色の龍なのだという話を教えてくれました。
蛇神信仰というのも、物を考える時のポイントなんでしょうか・・・

皆様ご存知の話でしたら、ごめんなさい。


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あすか王国
2005年7月5日 13:21:45 管理人
パリスさんこんにちは。アスカ王国初耳です。ゾロアスター教、だんだん興味深くなってきますね。ゾロアスターの語源辞典などあればよいのですが。ちなみに今度つくった演繹掲示板は「ナスカ」という名前だそうで、古代史の名前がついていて気に入って申仕込みました・・関係ないかな。



投稿後の削除方法?
2005年7月4日 23:57:44 とみた MAIL
管理人さん、削除しようと思ったら削除キーなんて出てきました。

どうしたら入手できるのですか。

投稿後の修正方法も教えてください。

重複投稿で皆さんお許しください。お見苦しいところを見せまし

た。


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最初にレスするときに
2005年7月5日 0:04:31 かわかつ WEB
ご自分で好きな数字なり、英字をいれておけばよいのです。あとはすべて同じ番号でOKですよ。本文の蘭のしたの方に「削除キー」ってあるでしょ?
管理人さんはこの時間、だいたい夜勤でいないことが多いので、僭越ながら私が書き込みました。


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そういえば・・・
2005年7月5日 0:14:59 かわかつ WEB
以前、私、とみたさんへ私的なメールを送ったことがあるのですが、着いていませんか?個人的な質問は私、極力メールか、相手先掲示板を使うようにしております。他人様にご迷惑を掛けないのがネットルールらしいです。


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それと・・・掲示板への
2005年7月5日 0:58:01 かわかつ WEB
掲示板への書き込みは「レス」というらしいです。「メール」と申しますのはOUT LOOKなどの電子メールで送る手紙文のことです。ここへの書き込みはレスであります。少し気になりましたので、うるせえ奴と思わないでくだされ。
なにしろ私の兄がe-ビジネスの専門学校の講師でうるさいんであります。ついそれが移ってしまいました。お許しをm--m


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今帰りました。
2005年7月5日 1:33:33 管理人
今日ははやめに帰宅しました。かわかつさんいろいろ対応助かりました。ありがとうございます。削除キーを入れわすれた場合などは、掲示板か私のほうにメールいただければ、記事の削除、修正できますので、ご連絡くださいね。E−ビジネス、私も勉強させていただかねばならないこと山積みです。それにしてもかわかつさんのパソコンはじめからHP製作までの流れお聞きするかぎり、習得から応用までおそろしく早いです。お兄さん譲り、遺伝的??ですか??


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ただ
2005年7月5日 1:43:34 かわかつ WEB
欲が深いだけですよ。つまらん男です。^^;


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ご面倒をおかけします
2005年7月5日 10:23:17 とみた MAIL
かわかつさん 削除方法分かりました。
個人宛メールをいただいたんですか。ウィルスが怖いのではじめての人のメールは削除する習慣があるのでごめんなさい。
発信人を”そうだ”とか、渡来人とか分かるメールをいただいたら開いて見ます。

管理人さん、お手数ですが、重複したメールで、明日香の姫さん(続き)を削除願います。


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削除しました
2005年7月5日 10:54:04 管理人
とみたさん了解です。重複記載削除しました。こんな感じでレスしてくだされば、修正削除いたしますのでよろしくお願いします。


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よかったですね^^
2005年7月5日 19:15:28 かわかつ
私もやみくもにやってみたことがあったんです。でもよくよく見たら削除キーってあるんですよね。
管理人さん、NETサーフィンで私も何度も失敗し、相手を傷つけたり、傷つけられたりもしました。失敗はあってもいいでしょ?私がノートパソコンを買ったのは、どうしても自分の言葉を聞いて欲しかったから。
HPを始めたのは、どうしても作家になりたかったからです。
だから、あちこちに出かけては売り込みました。自分のHPを見てくれ!とね。おかしいでしょうか?私には当たり前だと思えたのです。
ところがあるサイトの管理者に面と向かって言われました。
手練手管で自分のサイトをアピールしようとする、あさましい行為だってね。
そんなのってありでしょうか。表現したいから作品を書いている。表現したいから、認知されたいからHPを作った。だから見て欲しい。
それがあさましい行為でしょうか?
私は今でもそのサイト管理者が許せません。
皆さんはいかがでしょうか?


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許せない私は
2005年7月5日 19:19:47 かわかつ
だからつまらん男ですよ・・・



明日香の姫さん
2005年7月4日 23:49:24 とみた MAIL
姫さん、さすが良くご存知ですね。ヨシノは韓国語で住むには一番いいところと言う意味ですか。初めてうかがいました


アスカ=明日香、飛鳥も古い朝鮮語で夜が明けるという意味らしい。
万葉集は古朝鮮語で読むと良く分かると唱えている韓国の李寧ひさんっが云ってますね。
お祭りの神輿でワッショイ、ワッショイこれも韓国語で神が来るなんて意味らしいですね。神輿担ぎのマネージャーとの会話から確認できました。

ついでに・・・NHKの放送で四国の清流四万十川の風景を写してましたが・・・シマントこれアイヌ語で美しいという意味だそうです。

姫さんにお願いがありまする。

奈良県磯城郡というのはどのあたりでしょうか。何線の何駅近くですか。

本やHPで出てきたんです。
磯城郡川西町に鎮座する糸井神社。ここは糸井氏と三宅(屯倉)氏がいた。アメノヒボコの末裔です。糸井神社の3−4宮は綾羽神明、呉羽神明です。
呉は中国江南でアメノヒボコが呉からの渡来した証明になるんです。(金達寿さんは呉=くれ=高句麗から高という美称が取れたとする)

日本の覇権闘争・・・葛城=百済派 VS 磯城=新羅派(磯城=現在の磯城郡田原本町)との戦いとしています。

も一つ、スミマセン。

天の香具山は尾張氏に関係深いようですが、その近くに推古天皇の小墾田(オワリダ)宮があったそうですが。そこが姫さんの住んでおられる明日香、現在の高市郡明日香村にあったと書いてあります。小墾田なんてところありますか。


ゆっくりで結構です、調べていただければ嬉しいですね。ついつい甘えてすんません。


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朝鮮の
2005年7月5日 1:41:28 かわかつ WEB
どの史料に「古朝鮮語」なるものが残っているのか教えて下さい。
「吏讀」は未発見。「三国史記」は1200年代。それ以外の長文の、しかも奈良朝以前の記録はなにかありますか。
比較対象がなくてはどうやって古語の意味が割り出せるのか知りたいところですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98


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井沢元彦
2005年7月5日 2:19:03 かわかつ WEB
「逆転の日本史」シリーズ是非、お読み下さい。頭から先入観が消えます。
ただし、あそこの掲示板は大荒れに荒れてますから、行かない方が身のためでしょう。門外漢の巣窟みたいになって管理人も大わらわでしょう。私はそうそうに立ち去りました。井沢氏の名誉のためにも本だけを読んでください。


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磯城郡
2005年7月5日 16:42:36 姫 MAIL
とみたさん、 磯城郡と聞いて思い浮かぶのは田原本町の名前です。  唐古遺跡があることで有名ですが、奈良盆地の中心部にありますので、クンナカ(国中)と呼ばれているところです。 磯城の場所は西名阪自動車道を大阪方面に向かって走った場合、天理インターを過ぎて直ぐ、南一帯が磯城です。  川西町があり、もう少し南へ下ると田原本町になります。

交通機関は、田原本でしたら、近鉄の田原本駅なのですけど、川西はちょっとわかりませんので、また調べてお返事します。

糸井神社については全然知りません。 また出向いて写真など撮って参ります。

葛城は大阪と奈良の境界に山脈があって、そのふもとの奈良側が葛城ですので、磯城とはほんとに隣同士といった感じですね。

飛鳥京の小墾田宮ですが、現在この地名は残っていません。  発掘もされていないようで、推定では、雷丘の東にあったとされています。  
根拠は直ぐ傍にある雷丘東方遺跡から、「小治田宮」と書かれた木簡が出土していることです。
雷丘は、甘樫丘の直ぐ北にあります。  さらに言えば、甘樫丘の東側に飛鳥寺があり、その南に少し下がった場所が、何代にも渡って天皇の宮が営まれた飛鳥京ということになります。
明日香は非常に狭い場所ですので、同じ場所に重なって宮が建てられました。  豊浦宮も、小墾田宮も、また板葺宮や岡本宮や浄御原宮が重なっている場所も、全部ほぼ
ご近所、と言うくらいの近い場所です。
ですから、これらをひっくるめて飛鳥京跡と呼ばれていますが、この名称は学問的に正式なものではないそうです。
因みに、香具山は明日香のずっと北にあります。橿原市になります。

9日には飛鳥の石舞台の傍にある、祝戸荘というところへ
橿原考古学研究所の先生のお話を聴きに行きますので、ご報告します。  自分で考えることはあんまり出来ませんが、講義の内容をお伝えすることはできますので!
そのとき、小墾田宮についても訊ねてみます。


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明日香報告、謝々
2005年7月5日 20:50:16 とみた MAIL
姫さん サンキューです。
小墾田(オワリダ)はなく木簡に小治田(オハリダ)と書いたのがあるんですね。本の中に奈良の小治田を名乗っていた者が、尾張という姓に変えたそうです。尾張氏と関係があるんだ。尾張氏が天の香具山を祭っていたかもしれません。関裕二さんと千田稔さんの考え方がぴしゃり一致しています。

橿原市や大和三山の香具山は藤原京ですから明日香からは相当離れていますね。近鉄特急では何分かかるんでしょうか。一度だけ明日香と橿原神宮は行ったけれどもう記憶の彼方です。磯城郡はぼんやり浮かんでおります。

有難うございました。ガソリン代がもったいないので無理をなさらないでね。



枕詞
2005年7月5日 2:35:50 かわかつ WEB
こういう説もあります。
春の日のかすが、飛ぶ鳥のあすかといった枕詞説もありますのでお考え下さい。
吉野はもと、「悪し野」ではあろまいかと思います。地名は良字二字にて表記せよという朝廷からの命があってから「よしの」ともじったと考えているんですが。例えば「芦原」が「吉原」となった江戸の遊郭の例もございます。いかがでしょうか?

軒丸瓦には百済系と新羅系の2種があります。私の地元、大分県の宇佐で申しますと、虚空蔵寺は主に百済系、弥勒寺跡からは新羅系の瓦が出ます。従って、虚空蔵寺は百済系大神氏が、弥勒寺は新羅系辛島氏がそれぞれ建造したのではないかという説が強いようです。
ちなみに聖徳太子の建立した寺社からは、新羅系・百済系双方が出ていたのですが、最近の調査では新羅系が圧倒的に多く、これまで百済に縁が深いと思われていた太子が、実は新羅系秦氏にかなり深く関わっていたのではないかとの新説も出ているようです。
私は、新羅系だと思っております。

考古学は、これから相当の紆余曲折があると思います。先頃自殺された賀川光夫氏は大分では権威でしたが、実際にはその頃の考古学はまだまだ始まって日の浅い学問で、仮説がそのまま定説になってしまうこともままありましたようで、そなると今度はなかなか訂正できないということもあったそうです。私の座右の銘は「権威と定説は疑ってかかる」でありますので、反証を考えるのが癖になっております。それもあるなあ、というのが私の考え方の基本です。なお、くれぐれも申しておきますが、私は賀川先生を尊敬しております。パイオニアとしての苦労も理解しております。


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うかりける
2005年7月5日 3:41:55 かわかつ WEB
うかりける人を初瀬の山おろし はげしかれとはおもわぬものを

大槻文彦「吉野の葛は国巣の地名からである」

国巣は吉野の地名であるが、ここにいた人々は配流された被差別民であった。

初瀬川は荒れる川で、上の一首にあるように激しく吹き荒れる山風の強いところである。大台ヶ原は日本一降雨量が多い原始林であり、常に雨が降り天気は悪い。登山した私も何度も霧と雨と烈風にやられた。下流の吉野川はゆえに地元民から見て悪しき川であった。

吉野の桜が今のようにソメイヨシノが植えられたのは最近のこと。かつては山桜がちらほらするところ。歌舞伎・義経千本桜あたりから桜の苗の寄進者が増えおっというまに桜の名所になったが、1300年前よりも以前にここの桜が有名だったという記録はない。

従って「吉野」は延喜式の地名改名勧告に乗っ取って、「悪し野」を「吉野」に改めたのではないかという仮説が提唱できます。いかがでせう。


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吉野
2005年7月5日 17:03:48 姫 MAIL
パリスさんのメールを読んで、とんでもないところに「アスカ」が出てきたので、ビックリです!

それはともかくとして、かわかつさんの「悪し野」が吉野の語源だとする説はちょっと飛躍し過ぎではないかと思うのですけどね・・・
「悪し野」と呼ばれていたって、本当ですか〜?
天皇家が大和へ入るとき、河内からのルートを阻まれて仕方なく熊野から北上したわけですが、まあ、吉野の山の真ん中を踏破したとは考えられませんから、多分和歌山寄りのルートを辿ったのでしょう。 とにかく吉野を通過して宇陀に至り、そこから大和へ入りました。
吉野ではそうたいした抵抗勢力もなく、スムーズに進めたこともあって、天皇家にとって、吉野は良い所縁の土地であったと思うのですよ。
斉明天皇が滝宮を造り、そこは天武天皇、持統天皇にとっても忘れ難い土地となりました。
斉明天皇は、吉野に何を見て宮を建てたのでしょうか。
勿論桜ではありません。  温泉があったことは魅力的な要素であったでしょうが、斉明天皇は巫女的な能力の秀でた方であったそうです。  ですから、吉野に、天皇家の深い所縁の土地であることと同時に、神と交われる清浄な地を意識したのではないかと思われます。
背後を深い山に阻まれていますので、敵を受ける心配がないことも、大海人皇子がこの地に逃れた要素であったでしょう。
つまり安心して住める場所だったと思われます。
と言うのが、私の考えですけど、如何でしょうか。



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形なきもの
2005年7月5日 18:04:10 かわかつ
古朝鮮語というものの史料を見つけてきてください。証拠がなければ、お互い様です。意味がおわかりになると思います。どっちも幽霊です。根拠がない。ならばどっちでもよいことになってしまう。
確実な証拠をさがしてください。


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ただし
2005年7月5日 18:28:07 かわかつ
広開土王碑文は現地人が「改ざんされた」といっている。またこれがあるのは旧高句麗です。
私がいってるのは説ではありません。広い視野に立ちましょう、と申しておるのです。安直に信じるのは危険だと・・・あえて荒唐無稽な論を申したのです。私はいじわるでしょうか?

いじわるだと言われるのもつらいので・・・
無駄な時間を省くためにはっきり申し上げます。文献はありません。古朝鮮語というものは残されていないのです。だから、理論にならないのです。
「今のところ」です。あれば信じます。

過去のレスに一度目を通しておいて下さいませ。とみたさん、フォローお願いしますね。私もイ・ネイヒ女史のファンでした。


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失礼な書き方だったかも知れません。
2005年7月5日 18:55:28 かわかつ
申し訳なく思います。とみたさん、申し訳なく・・・


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こちらこそ、スミマセン
2005年7月5日 21:14:12 とみた MAIL
かわかつさん、いつもぶらついていますので回答が後れまして、すみません。古い朝鮮語なんていい加減なことを言いまして、冷や汗です。しっかと記憶してませんので古い韓国語だったか古い朝鮮語だったか、確かめずにドンドン書いてしまいます。ほぼ正しいと思っておりますが年代も時々アバウトです。

どこかの本で読んだ記憶があったのですが確かそのときは古い朝鮮語みたいに書いてありました。

資料を手元に持っていましたので
、確かめますと古代韓国語と出ておりました。表記法として吏読吏道吏吐・・・中国で発明された漢字が半島に伝わって、漢語の書き言葉、つまり漢文も重要な役割を持って伝播されたが読み方に制約がなくどう呼んでもよかった。
そこで生み出されたのが吏読・・・とありましいた。

李寧ひさんも”古代韓国語で解読”とされています。

古代朝鮮語なんて誤解を与えたようです。

歴史家の岡田英弘さんは本の中で、朝鮮と韓国を使い分けておられます。朝鮮は日本人に親しまれている名称だが半島の国号が朝鮮になったのは1393年からのことで7世紀の新羅などをいうには韓の方が
ベターとされています。

現在は韓国と北朝鮮みたいに言われているので総称して朝鮮と言ってしまいました。


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私はただ
2005年7月5日 23:45:39 かわかつ
列島で成立した「日本人のアイデンティティ」ともいえる大和言葉が好きなだけですから。自分たちの言葉は自分たちのものであると言っただけです。でなければ、我々は一体何者だというのでしょうか。


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あの・・・
2005年7月6日 1:07:02 かわかつ
古代韓国語の文献資料も十分なボキャブラリーの載ったものはないですよ、おそらく。
半島の不幸な侵略ばかりの歴史を思えば、悲しむべきことです。日本の歴史好事家にとってもです。もったいない話です。
半島の歴史を知るために「逆説の日本史」をおすすめしました。騙されたと思って一度お読み下さい。
ただし・・・なにもかも信じないこと。
過去の事実・・・決めるのは最期は自分の判断力しかないのですから。研究会の意見なんて責任ある人の言葉ではないのだということ。らしいよ〜程度のものばかりじゃないですか?当たり前ですよ、誰も見てきた訳じゃない。柔らかいかどうか・・・ここしかないでしょ。


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とみたさんは充分に
2005年7月6日 1:21:23 かわかつ
柔らか頭の持ち主です。



文献的な事も知らなくては!
2005年7月4日 21:49:50 タックン
とみたさま、なんとなく渡来人のことが少しずつわかってきました。
遺跡の事ばかり追ってきたので、古代史の事も勉強しなくては(^_^;)と最近思うようになってきました。
然し河内という地は面白い、特に南河内地方は早くから研究が行われてきているので、かなり解ってきていますが、この北河内地方はそんなに研究が行われていなく、はかいされてなくなってしまっている遺跡が多いのも一つの理由ですが、まだまだ遺跡が眠っていると思われる地域の一つでもあります。

特に山中などには、まだまだ知られていない古墳群が?眠っている幹事で、事実東大阪市内にある博物館裏山の、客坊山古墳群などの1号墳は近年前方後円墳と確認されていて、結構この地では古い埴輪を出しています。(この埴輪は東大阪の博物館に展示されている)
交野市から、東大阪の山中にはまだ知られていない古墳群が、埋もれていると確信しています。



そもそも言い出したのは
2005年7月4日 20:54:15 かわかつ WEB
私でありますが、その時は管理人さんに出版を勧めた・・・ここに書いてある様々な投稿をまとめて出してみれば・・・と申したのです。つまり管理人さんの名前でお出しなさいと言ったつもりでした。機関誌とまでは考えていなかった。それがお友達も増えてきてこういう形になってきた。ま、少し話し合った方がいいんでしょう、やる前に。あんまりお急ぎにならぬよう、お願いします。人は様々で、歴史は好きでも考古学はダメとか、あるいは逆の人はままあるもんでしょう。やはり森浩一氏のスタンスを忘れたくないですよね。

下からの続きです。


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カリスマと自己責任
2005年7月5日 2:24:22 管理人
今日はダビンチコードも読み終えたので、再度スティーブンコビーの「七つの習慣」を読み始めました。今日のテーマは「自己責任」。ずしんときます。今日は帰り秋葉で画廊のおねえさんに勧誘されてそのまま長いこと版画の説明聞いていました。見事な版画なんですが、60万もするんですね。ローンで毎月1万でOKということでしたが、当初から買う気なし。最後はだんだん怖い顔になるおねえさんからどう逃げるかで精一杯でした。どっちにしても60万かける財力もないし、かける気にもならない。ただ聞いてて思うのは、時に価値観の違う人にとっては60万かける価値があるんだということ。でもおねえさんに60万かけるんならまだしも、版画に・・。結局最後はおねえさんがまけてはくれるけど、払ってくれるわけでもなく、払うかどうかは私の自己責任。6千円のパンフなら買ってもいいのにということで逃げてきました。やはりどこまで費用をかけるか、価値観と責任持てる財力の問題ありますね。そこでコビー氏いわく、ナチスに拷問されて最悪の環境にいたユダヤ人にも、精神的な自由は自身の想像力と自由意志によって、その状況を克服できたという。人間には周囲の環境や感情などからくる反射行動とは、別に自由意志があり、自身の決断により主体性をもって生きることができる。それと同時に責任を持つということも生まれるが、自己責任を明確にすることにより、自他かえって自由な活動が効率的にできるようになるっていう感じでした。
そこで確かにかわかつさん上でおっしゃることはその辺正しいです。出版について考えてみると、
価値観、自己(他)責任、自由意志の三つの両立について考えてみると以下のようになりそうです。

価値観:60万かけるくらいの価値を感じる絵画だと思っています。
価値はやはり歴史学におけるその紀氏さんのレイライン論に代表される出版論文の重要性と、それがもたらす日本文化およびアジア文化への影響、その果たすべき意義において、消して逃げ隠れできるレベルのものではないと感じます。

財力;どう考えても私の財力では15万が限度ですね。あとは共同という形ならもうすこし上乗せできるかと感じますが、赤字への保障はできませんので責任持てません。

下へ続く


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続き2
2005年7月5日 2:25:38 管理人
自由意志:ある特定の目的にむけて、最大限各人が自由に表現しながら行動できるようカリスマ論という考えをもちいようと思います。カリスマ論というのは、ここ30年くらいのキリスト教派で着目されている考え方なのですが、原始キリスト教共同体の行動形態を模したものです。つまり、パウロがいうように、神から授かった賜物(カリスマ)・教師、預言者、司牧者・・・音楽奏者から学者まで、その人それぞれの与えられた賜物、役目をよく見極め、尊重し、最大限共同体のために生かしながら神や人に奉仕するという考えです。だれでも上記すべてをこなせる人はいないもので、仮にいたとしてもどれも中途半端に終わるでしょう。確かに教師であり学者であり、組織運営者であり家族の長であったりする研究者さんも日本には通常の形態ではありますが、たぶん忙しすぎてすべて忙殺されているというのが現状でしょう。もっとも自己責任はさすがに大人なので果たしますが、どこかの首相のごとくどれも最低限しか果たせないわけです。今の首相さんも演劇に集中していたらいい役者になれたと思いますが・・・。
つまり、どれが本当の自身が持つカリスマかを誰もわからないし、自身もわからない。時にその人の能力以上のものを要求しようとしている、とういう構造がたぶん日本の管理職クラスの中に多くあるのではないかと予想します。


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続き3
2005年7月5日 2:25:56 管理人
それだと本当に最低限のものしかできてこないと思います。
その辺障害者の自立を目指す教育では、はじめから彼らのできないこと、得意なことははっきりしているので、できないこと無理にやらせない、できない部分は他が補い役割分担を明確化する、できる才能は最大限財力をつぎ込んで社会に貢献できるまで発展させるという仕組みが西欧では盛んです。しかし日本の場合、できないことをなんとかできるようにと無理やり自立させようとするらしく、できる部分には伸ばすことにあまり注目していない、そこでどれも中途半端に終わるという結果になっているようです。
そこで渡来人研究会での出版でも、かわかつさんおっしゃるとおり、いわゆる学者さんでない人種にとって、あきらかにできない部分が多く、しかし一方で多種の分野で才能・知識を磨いてきた人のケースにみられるように普通の古代史学者さんが明らかにもてないものをもっていると思います。ですから、出版にむけて論文を書くにしても、ひらめきだけです、論理は他に、論理だけです、知識だけです、図だけです、文章だけです、対談だけです、計算だけです、批判だけです、総合だけです・・・と、その人の自己責任がもてる範囲でそれぞれのカリスマが最大限生きる形で、文章を構成していくのが、最終的には中途半端でないものができるのではと感じますが、今思いついているのはそんなところです。


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ややこしいことは知りませんが、
2005年7月5日 3:00:17 かわかつ WEB
1 先ず誰がどのくらい金をだしてもいいと言っているかを把握すること。それでおおよその予算がつかめます。それで印刷屋に交渉できますね。
2 送られた原稿はあなたが修正し、文章を意味が通るものに編集する。あるいは、ここは意味不明だから書き直してくれないかと返却する。
3 表紙やレイアウトは誰がするか決める。
4 後書きはいりません。編集後記と刊行宣言文が巻頭言として必要。
巻頭言は貴方が書くこと。編集後記は数人10行ほど。これは依頼する。
とみたさんはコーディネーターとして「コメント」してもらう。もっとももうすでに何かかける力はお持ちです。葉っぱをかける。できれば自由に書いて貰う。
5 対談、寄り合い会議でいいから、わいわいやって楽しい雰囲気の場を持つこと。期日はあなたが決めていいです。

これはマネジメントの話です。
とにかくなんでもいいから決めちゃえばいい。内容は問題ないんだから、表現です。箇条書きでもいいってことにしましょう。だけどわかりやすいこと。なにしろ第一巻ですから、ここで嫌がられちゃあどうにもならん。
リピーターこそが大事。どんな商売でもこれは普遍。そして女性を大事にすること。理屈が多すぎてもダメって事。
今日はこんなところです。筑紫哲也・・・期待し手間〜須。

パリスさん、姫さん、表現したい方はどんなものでもかまいません、この若い彼のために何か書いてやってください。そして貧しき永遠の青年達に援助の手を!!!!!


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了解です。
2005年7月5日 10:56:49 管理人
さすが人生の先輩かわかつさん詳細了解です。5項目の詳細レスは上に行きます!



瓦はカバラ!
2005年7月4日 20:51:12 いばらの紀氏
参考になるかなー?
重さの単位として使われた瓦
http://www8.ocn.ne.jp/~kawarak/hana.html#omo
ちょっぴりいい漢字
http://www.h3.dion.ne.jp/~kikuchi/nogiku/kadb11.html
単位の漢字
http://onoda.blog.ocn.ne.jp/ma1866/2004/12/post_20.html
大工用語集(上)
http://www.imix.or.jp/bookmen/xindex1.html
大工用語集(下)
http://www.imix.or.jp/bookmen/xindex2.html
新しい時間のためのキャンペーン(マヤの予言が終了する2012年)
http://www.panlibrary.org/pan/8storm02j.html

幾何学的に配置された古代祭祀霊場
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yuyumuso/uuhasso/okuhito/oku2/qbl-11.html
行き着く所は同じですね。       


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史料の虫に
2005年7月4日 21:11:21 かわかつ WEB
変貌させてしまったのは、私のせい?


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私のような
2005年7月5日 2:10:39 かわかつ WEB
輩の言うことになど屈せず、ご自分の言葉をとり戻してください。私は同世代として紀氏さんのパワー復活を待っています。そうとうつを繰り返すのは、我々の世代の特質です。私も強がり言ってますが、あなたの発想にはいつも脅威を感じています。あなたは良きライバルであり、二人のスタンスの違いこそが、渡来人研究には必要なのです。
Have A Confidence of you! 変な英語かな?
「自信を持って!」サウンド オブ ミュージックの挿入歌です。
私はめげたとき、失敗したとき
いつもこの歌を思い出すようにしています。


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幾何学的に配置された古代祭祀霊場
2005年7月5日 15:27:22 姫 MAIL
いばらの紀氏さんにご紹介いただきました、幾何学的に配置された古代の祭祀霊場は、面白いと思いました。

イワクラサミットでも、巨石信仰の地を線で結べば面白いのではないかと言う意見が多く出ていましたが、なかなか結果は思わしくなかったようで、残念でした。

藤原京の下ツ道を真北に辿れば、そのまま平城京の朱雀門に突き当たるそうです。
この古代の道は単に南北の直線に過ぎませんが、俯瞰して
見た場合、何もない野原を真っ直ぐ幅2,30mの道路が貫いて走っていた景観は、きっと素晴らしいものだったと
思われます。

平城京に至った下ツ道を、そのまま内裏を抜けて真っ直ぐ進めば平安京に・・・と言う具合にはならないようで残念です。
中ツ道は下ツ道の2,1km東を走って、真北に進むと
平城京の東四坊大路に続くはずなのですが、これがどう
いうわけか、西に160mずれていますので、不思議なことです。

今論争されているのは、中ツ道の発祥地点と途中にある香具山を如何通過していたかということです。
恐らく飛鳥宮跡から出発していると見られていますが、
飛鳥寺、大官大寺を通り、その北に香具山があります。
頂上を道が通っていた形跡がありませんので、どうなっていたか、現在も不明のままです。

私が講義を聴きに行っているのは、橿原考古学研究所の
現地調査の方ですので、確かに発掘して立証されたことだけしか話されません。
ここがこうだから、恐らくこうであろうという推論は一切話されませんので、それが聊か残念です。



基礎用語
2005年7月4日 17:48:28 かわかつ WEB
文化財基礎用語。説明がわかりやすいのでご愛用下さい。
http://www.town.shikama.miyagi.jp/bunkazai/bunkazai.htm
土師器って窯を使わない素焼きの土器なんですなあ。
別のサイトには、土師氏が作っていたから土師器と言われたとも書いてましたが、私は逆だと思ってましたよ。土師器を焼いていたから土師氏だって・・・だって「はじ」は「はに」=丹が訛ったんだと思うんですがねえ?
小鳥を拾ったダムがあるところ、「中土師」というんですが、なかはじと読みまして、たしかに赤土が多いですよ。でも土器を作っていたとは聞いてません、今のところ。麓の方には弥生式土器がでてますがねえ。そこは大野です。意富一族なんでしょうね。大三輪出身の大神氏の本拠地ですから。
中土師の近くには「十時」と書いて「ととき」という地名があります。大友氏の家臣ですから私と同族?


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十時は
2005年7月4日 17:57:18 かわかつ WEB
大神姓でした、だから平安以降の氏姓でしょう。

それから、カッパが載ってますね。やはり安曇の磯羅と関連づけていますよ。 なんと水戸には磯等姓がけっこういるみたいですぞ。


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上へ参ります。
2005年7月4日 22:14:52 かわかつ WEB
いぱいなので上へ参ります。


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もとい
2005年7月5日 1:03:33 かわかつ WEB
ここは一杯ではありません。間違いました。



土師氏
2005年7月4日 14:40:25 姫 MAIL
渡来人のサイトを拝見しましたが、土師氏は渡来人ではなかったのか、書いてありませんね。
私は渡来人だとばかり思っていました。
昨日、土師氏について話を聞く機会がありましたので、少しご紹介します。
奈良市菅原町は、「続日本紀」の708年に名前が出て来るほどの古い町ですが、ここに土師氏が6世紀から集団で住み、窯を持って埴輪の製造に当たっていたと思われます。  埴輪作りだけではなく、天皇の御陵の造営に少なからず貢献していたわけですが、そのための築石技術、土木技術は大陸からの文化導入が不可欠であったため、外交にも長け、学問も最先端を行くようになったと思われます。
土師氏は8世紀になると、菅原氏に改名します。 道真は
こういう土師氏の成り立ちが生んだ最高の官位人でした。
菅原天満宮には道真の産湯を使ったとされる池が残っていますが、普通は井戸ですよね・・・
だから、池の産湯説は伝承にしかすぎないのだと思われます。

行基もまた土師氏で、彼は堺に生まれていますから、土師氏の別の流れだったと思われます。
彼は生涯に沢山の事業を行いましたが、それには土師氏伝統の技術集団が不可欠であったことでしょう。
全部で49の寺院を建てましたが、そのうちの四番目が
菅原町の喜光寺(別名菅原寺)です。
この寺は748年、聖武天皇が参詣されたとき、本尊より不思議な光が放たれたため、喜光寺と呼ばれるようになったそうです。 また、喜光寺は「試みの大仏殿」としても
有名で、大仏殿はこの寺を10倍に模して造られました。
構造、美観が優れていたためと思われます。
このように、行基が、事業の早い時期に、見事な寺を菅原町に建てたのは、やはり行基に土師氏としての思いがあったためではないでしょうか。

昨日、この寺を訪れて写真を撮る予定でしたが、雨で不可能になりました。  スライドを写真に撮ってきましたので映像掲示板に載せますがちょっと不鮮明で、申し訳ありません。 屋根の感じが東大寺大仏殿に非常によく似ているのがおわかりいただけるかと思います。


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行基
2005年7月4日 15:58:13 管理人
姫さん、行基情報ありがとうございます!行基も土師でしたね。土師氏と渡来人とのかかわり、昔桓武・光仁天皇の外戚と渡来系氏族を調べていたとき、土師氏と菅原氏に新撰姓氏録という書物で出会った覚えあります。すこしその辺思い出しながら調べてみますね。あと、画像掲示板貴重なお写真ありがとうございます。あの檜原神社の柱二本に注連縄だけの鳥居、原始的な形だと思います。


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兵庫県の土師遺跡
2005年7月4日 15:58:55 かわかつ WEB
土師氏の遺跡である兵庫県の土師遺跡のある香寺町には、的部などの地名がありますが、これは的場が秦氏に関する氏族名であることに関係しましょう。
また土師氏は祖を野見宿禰としていますが、この人は出雲から埴輪を作りに大和に来ています。彼等が出雲の意富からやったきたであろうことは、その支族に大江氏がいることで想像できますね。
的部氏はどうやら建内宿禰の葛城族であるらしいので、おそらく土師氏は秦氏であろうかと思われますが、いかがでしょう?
土師遺跡から出た鉄滓や寺院の瓦などから推測するに、河内の陶邑にいたおおたたねこの一族とは同族やも知れません。
興味深い情報感謝します。

今し方まで、長野県祭り街道文学賞の原稿に向かっておりました。ようやく概要ができあがり、あとは細かいチェックに入ろうと思います。
その後、今度は新風文芸賞の「九郎義経外伝」に取りかかろうと思っています。機関誌原稿はまだちょっと時間がかかりそうですなあ・・・ーー;


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土師遺跡HP
2005年7月4日 16:16:26 かわかつ WEB
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/02excav/gensetu/15/haji2/haji2.htm


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このHPの中の
2005年7月4日 18:35:53 かわかつ WEB
俗謡の中に「高野の社」とありますが、「こうや」は「こうや」で、「こうら」=高良でもあるようです。つまり高麗ではありませんか?
加悦が加羅から来るのと同じ語尾変化。

あるいはカッバーラの「かわら」=「カバラ」=「焼き物」ともつながってくるわけです。

亀の「甲羅」もおそらうこの辺を語源にしているのではないか。亀朴は亀の「こうら」を「焼いて」占う呪術ですから、火を使う所業は皆、カバ羅ではないのかと・・・

以前、秦ヒロさんが言っておられた「カッパ」も「甲羅」を背負っているところを見れば、どうやらあの妖怪も瓦や陶器、製鉄と関係してくる。
彼等の中から川部になっていった人々がいて、それが水中漁労をしたのを見てカッパ妖怪を造りあげたのかも。たたらの人たちが夜中に真っ赤な炎の前で製鉄しているところから赤鬼が作られたようなものでしょうか?

高良玉垂命が建内宿禰であるなら、火の中に入って火事を消す「まといもい」の「まとい」の語源も的場・的部の「まと」から来たと考えられませんか?
弓矢の「的」はどうなんだろう?


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ついでにクルドの
2005年7月4日 16:42:06 かわかつ WEB
拝火教=ゾロアスター教ですが。
TV不思議発見で、クルド族が拝火教信仰者であったのが、とみたさんの言われるように、アレクサンダー大王に滅ぼされちゃった頃に、ウズベキスタンやらアフガンにはサラセンによってイスラム教が這入って来ちゃいます。するとこれを嫌がった人たちは東に逃げ出すらしいです。
中国へ拝火教が這入るのはこの辺じゃなかったですかねえ・・・?
修験道の星信仰にも阿含の火祭りみたいな拝火教的な業がありますなあ。鬼会とかお水取りがどうも西欧からの景教のみならず、主にゾロアスターの影響大であるというのも、なかなか信憑性あるし、私の夜の火祭りにも関わりますねえ。
海から陸から、砂漠から・・・こりゃ日本独自なんてもう言ってられませんなあ。


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そうか!
2005年7月4日 16:49:42 かわかつ WEB
海を渡ってくる文化は早く着くのだが、大陸をラクダでえっちらおっちらやってきた文化は、時間がかかった分融合の頻度も高く、洗練されてくるわけだ。
海部の文化が原初的なのはあちこちせずにダイレクトにやってきたからなんですな。で、あとから半島経由で届いた渡来の文化は次元が高かった。
しかし私なんか、縄文の火炎土器なんかの方が、岡本太郎じゃないが、バクハツしてて好きですなあ・・・


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カッパと甲羅
2005年7月4日 21:24:41 姫 MAIL
かわかつさん。  言葉が段々変化して行くのって面白いですね。  
奈良の「春日」ですが、誰が如何読んでもこれが「カスガ」とは読めませんのに、どうしてこうなったかと言うと、韓国語で「カスグ」という言葉があって、「大きな村」と言う意味があるそうです。  
「春日」という地名がもともとあって、それを「カスグ」と言い慣らしていたので、とうとう「春日」が「カスグ」
になり、年月が経って、「カスガ」に定着したのではないかと昨日、誰かが言っていました。

もうひとつは、「よしの」と言う地名についてです。
「ヨスノ」と言うのは、韓国語で「住むに一番の良い所」といういみなのだそうです。
それが変化して、よしの「吉野」になったのではなかろうかとは、その人の意見でした。

外国語がまるでわかりませんので、真偽のほどはいかがなものでしょう??

ことのついでに、中土師の、「十時」という苗字は、以前NHKの時代劇に、島田正吾が演じた主人公の名前が確か「十時」と言いましたね。
珍しい名前だったので、覚えていましたが、十時氏もなかなか由緒のある名前だったのですね。


土師氏は、菅原氏の他に、秋篠氏へも改名しているようです。(782年)

かわかつさん、教えていただきましてありがとうございます。  土師氏は秦氏の流れを汲んでいたのですね。
まあ、混血を繰り返し、純粋ではなかったのかもしれませんけど・・・


瓦のことですが、日本で最初に瓦の屋根を葺いたのは、明日香の飛鳥寺です。
この時、既に二組の瓦職人のグループが海を越えて渡ってきたようです。
なぜわかるかと言いますと、瓦の型が二通りあるのだ
そうです。
この頃、枠に土を入れて、瓦の型を造っていたようですので、系統を辿れるのだそうです。
軒丸瓦に、星が浮かんでいる模様の瓦は、その後現れた型だと聴いた覚えがあります。  



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明日香の姫さん
2005年7月4日 22:08:20 とみた MAIL
姫さん、さすが良くご存知ですね。ヨシノは韓国語で住むには一番いいところと言う意味ですか。初めてうかがいました


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上に参ります。
2005年7月4日 22:18:36 かわかつ WEB
一杯になりましたので、上へ参ります。



縄文時代に原型のある琴
2005年7月3日 15:09:35 いばらの紀氏
縄文時代に原型のある琴
卑弥呼の音楽会−まつりのひびき
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/data11.html
【1 中国の楽器・世界の楽器】
古代中国では、音楽を社会秩序に利用し、さまざまな楽器が発達しました。また世界の民族楽器からも日本古代の楽器を想像して頂きます。

【2 弾く楽器−琴−】
邦楽ではもっともおなじみで、縄文時代に原型のある琴。弥生時代以後に現在の形ができました。出土資料と復原品の比較もお楽しみください。

【3 振る・叩く楽器−銅鐸−】
中国では、振ったり叩いて音を出すさまざまな青銅製の楽器が発達。鐘のような形をした日本の銅鐸は、どのようにして使ったのでしょう。

【4 楽器にみるまつりの世界】
人や動物をたくみにあらわした、古墳時代の埴輪の中には、楽器を持った埴輪も見つかっています。演奏方法などがわかる貴重な資料です。

「縄文時代に原型のある琴」・・・・・もしかして、ユダヤの渡来・・紀氏です。


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環状列石と銅鐸=太陽の道(東西)
2005年7月3日 18:34:27 いばらの紀氏

参考HPです。
風葬と青銅器
http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/index98-4.html
どうたく・・・厳瓮(いつへ・ゲンヲウ・ゲンウ)
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/koten03.htm
大臣は・・・おほおみ、臣はおみ・・・
http://www115.sakura.ne.jp/~byunbyun/wonder1/wonder00.html

紀氏の謎 この人達もとっても不思議です。神武紀にそれらしき人々がでてきますが、
http://homepage1.nifty.com/moritaya/kisi.html
紀氏関係年表
http://www.kamnavi.net/ki/ooken.htm
古代の動き 王権をめぐって
http://www.kamnavi.net/kinokuni/majimenen.htm

物部氏の七転び八起き物語
http://kamnavi.fc2web.com/mn/monohst.htm


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天皇系図分析と驚天動く地
2005年7月3日 22:01:07 とみた MAIL
紀氏さん毎度、ユニークなHPを拝見。出雲と物部をオッカケようとしたら物部七転八起・・・これを覗きます。

紀元前770・・・西周から春秋時代への移行期に、夏の末裔の姫氏=太白が呉を起こす。とあったので呉はアルタイ(羌族)の血も混ざっていると言うことですね。

そこで探してみたら中国の係累の表にぶち当たった。

http://www1.kcn.ne.jp/~ssumika/siki/keizu.html

神皇族から姫氏→呉、堯舜禹の后、殷の成湯、魯の周公亶・・・
有名人の系譜がワンサカです。

中国古代史に関心のある方どうぞご覧ください。

それと昨日、弁護士の藤井輝久さんがまとまられた、日本の天皇系図の分析という大著《古代の東アジア》=1124ページの見出しをみたのですが、驚く勿れ、ほとんどの出来事を

否定しています。

白村江の役の後、日本は唐・新羅に占領されていた。奈良朝は新羅占領軍による政権。平安朝は百済亡命人のクーデターによる政権。聖徳太子、大化の改新、壬申の乱、磐井の乱いずれも架空。天皇系図は新羅、金官系図と百済夫余系図の折衷


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演繹法
2005年7月4日 13:55:41 管理人
紀氏さん、琴の歴史や、物部年表などいろいろ情報ありがとうございます。富田さんご紹介の白村江、天皇系図に関する大胆な仮説、興味深いです。
そこで、ひとつ大胆な仮説の真偽を理解するための方法についてを思います。それはご存知演繹法となるわけですが、つまり、大胆な仮説が出来上がって、その上でその仮定の真偽を証明する方法ですね。たとえば、ある時期に新羅・百済が倭国を占領したという仮定ができてきます。つぎにそれを証明するためには、IF(もし)占領されたならば、どういう結論が導きだされるかということを考えます。たとえばもし倭国が新羅に占領されたならば、通常では新羅本紀に、倭国占領の記載が出てくるはずだという推論が出てきますね。そこで新羅本紀を見てみると、「倭国があいかわらず攻めてきて大変だ!」と書かれていたします。→倭国を新羅が占領できたという事実はないだろう。という結論に達します。
もちろんその反論もだされてこなくてはなりません。
つまり、いろいろ帰納法的にアイデアや知識が積み重なって大胆な仮説ができてきた時点で、そのつぎに演繹法的にその仮説が真実ならばどういう事態が起こるであろうかと推測することによって、その仮説の真偽を明らかにする段階に入ります。この辺が紀氏さんが先日古墳のレイラインについて、ご指摘されていたところですね。
この辺もっとも苦手な方も多いですが、とみたさんはやはり理論的ですし、よくこなされるのではと感じます。
渡来人研究会でもいろいろ仮説がでてきましたね。たとえば高麗郡は鹿島神宮と諏訪神宮から等距離にある・・・。そしてもしこの仮説が真ならば、つぎの段階として演繹法的にはこうなるでしょう。もし等距離に置かれたとしたならば、当然両神宮の思想面からも等距離融合的な思想が高麗郡に出てくるのでは?とか、等距離に置かれるためには富士山などの双方からの測量基点が必要になるのでは?とか、他にもその時代に神宮から等距離上に置かれた都が創設された可能性は?とか、等距離に置かれたのが真とすると、どこからその構築人員を集めたのか?それは等距離方位から高麗郡に人員を集めた記載はないか?とか・・・。その辺で真偽が証明されてくると思います。
とそんな感じですが、ぜひみなさんも出てきた仮説について、演繹法的に真偽を確認する作業やってみてくださいね。


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半島の歴史書
2005年7月4日 17:11:55 かわかつ WEB
成立年代が12〜13世紀くらいではないかと思ってるんですが・・・


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すべて架空
2005年7月4日 17:22:47 かわかつ WEB
やられたか、先を越されましたなあ。その弁護士先生は、とみたさん、年齢はおいくつぐらいなんでしょうか。戦後教育をお受けになった年齢なのかしら。もし戦中派の方なら、こりゃあ、大英断でしたねえ。究極の結論はこれしかないですからねえ。

推定推理を万民に納得させるには、シャーロック・ホームズのごとき分析の裏付けが必要だと、管理人さんは言われているのです。頭が痛いですなあ、お互いに。でも紀氏さんの場合はそれは私より優秀ですよ。少なくとも、もうちょっと文系人間に読みやすく書いてくれたら、私のような算数苦手人間にも入り込みやすくなるんでsがね。私と紀氏さんと足して2で割るとちょうどいいかもしれません。^^:


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演繹法それと飛躍論理
2005年7月4日 19:56:35 とみた MAIL
管理さんは悩みをブレーク (スルー)して冴えた提案が続々です。
コンサルタントは演繹法(トップダウン)と帰納法(ボトムアップ)なんて言ってました。それと飛躍論理法と言うのもあるんですよ。これは古代史では無理かな。

女性は勘が鋭いので冴えた発想もありますね。これ少しゴマかな?
奈良女子大の岡潔先生(古いなあ、高名な数学者)は女性の方がひらめきがあるので数学が向いているって言ってたしね。

姫さまも、パリスさんも演繹法なんて難しい言葉に驚かないで参加してくださいませ(俄かフェミニスト)。

面白い発想です。平たく言えば反証を挙げなさいということですね。
数学の統計学では帰無仮説と言うんです。
サイコロに歪みがなければ6つの目は平等に出る筈でしょう。

たとえば10回振ってみて6つの目が同じ割合で出なければこのサイコロは歪んでる。歪んでないとする仮説は否定されるわけです。

やくざ映画の半か長かの世界?。

藤井弁護士(シニアです)の天皇系図の分析は1000ページ以上あるし高い(¥8800)ので
購入した講座の仲間の読後感を訊いてから感想を述べます。チャッカリ飲み会をセットしました。

ご参考のため発行者は ・・・今日の話題社(TEL:03−3442−9205
FAX:03−3444−9439)です。あまり知らない本屋さんですね。

そうそう、神武天皇東征のモデルとは何かにも解答している。

倭の大乱は南朝鮮で起きた。卑弥呼の一族は朝鮮から九州、そして大和へ亡命した。

責任は持ちませんがまじめな方であることは間違いなさそうです。


沢山積んである本が自宅にありますので当分は買いません。


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最初から
2005年7月4日 20:45:00 かわかつ WEB
小難しいことを考えていては、出せるものも出せなくなるかも知れませんがね。あまりプレッシャー与えないでくれろ。 もちろん、基礎的なことはクリヤせにゃなりますまいが・・・私はいろいろ言い過ぎて嫌がられてるかも知れないが、細かいところは管理人さんのいいようにやってくれればかまいません。ただし、コンセプトというものは大きな方向であって、同じ趣旨を強制するものではないですから、渡来人というテーマで百花繚乱でいいと思いますよ。必ずしも今の原稿のように、一つのラインの上で書き綴る必要はないでしょう。とんでもないものがあってもいい。
あるいは今回のテーマというものを決めてかかるのもやり方としてはあります。
ただ、ちゃんとした日本語で書くべきなのはいうまでもありません。翻訳などという話もでていますが、基本の原稿が文法をある程度は護っていなくては、翻訳どころではありますまい。やはり楽しく読めなくてはただの自慰行為になってしまいますまいか?


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まったくです。
2005年7月5日 1:38:59 管理人
まずは日本人につたわらないと話になりませんね。反省!!



古田史学会
2005年7月3日 12:43:43 かわかつ WEB
ここのサイトはまんま機関誌です。ご参考まで。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta3.html


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機関紙・英訳
2005年7月4日 5:52:10 管理人
すごいですね!よくわからないけど、会員の方の論文が機関紙としてずいぶん掲載されているんですね。おそらくは掲示板での書き込みの方もいるんでしょうけど、うまく論文形式まで取りまとめている方がいるようで、参考になります。個人的には特に英訳版があるのもいいなと感じました。実際日本史の論文をはたしてどこの外国の方が読めるのかという疑問があります。日本語は漢字も多く、長年日本にいるカトリックの大学教授の神父さんですら、なかなか日本語には漢字で苦労しているようです。そしてかなり難しい漢字の連続である古代史、とても読めるはずないと思います。ということは、外国には日本史のごくごく一部の情報しかながれていないんだろうと思いますね。たぶん教科書レベルか、超有名理論レベルとか・・・。マイナーな裏古代史なんて誰もしらない、読めない。だからたとえばユダヤ人ラビが神道のことをしってびっくりしたりするわけでして、ともかくホームページは唯一の外国の方がアクセスできる場ですから、もっと英訳版の普及を広める必要がありそうですね。ということで、ちょっと英訳してくれる人も探しましょう。あと、外国の方にもわかるよう図をたくさん作る技術の普及、あるいは作ってくれる方の募集などもしてみたいと、いろいろ今思い浮かびますね。


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コンセプト作り
2005年7月4日 9:42:05 とみた MAIL
私は、定年後(64歳で仕事終了)にNHKの4大古代文明(メソポタミヤ、中国、エジプト、インダス)特集に魅せられてTVに釘付けになり、古代文明展に行くと大抵は5時間以上見とれます。

海外旅行で遺跡や博物館を訪れては古代について何も知らない自分に気づきました。そして興味任せに少しずつ本を読み始めました。

日本の古代史も、イロハ程度でほとんど知りませんでした。
朝鮮中国と日本の古代に関する本を少しずつ読みはじめました。読んでも読んでもすぐ忘れる年代です。

そして、先輩に進められて、古代史の研究講座の仲間に入り一年になります。ここは学会ではありませんけれどシニアの古代史ファンが東京の教室に100以上集まり、いつも満員の大盛会です。

会員相互が発表するのですが皆さん良く勉強されていて驚くばかりです。

ただ、ポット出の私が発言や質問をしたくても大教室なのでなかなか出来ない難点があります。

そこで、メーリングリストを探し始めました。音楽の仲間、シニアの仲間はメーリング リストで居りオフ会も含めて楽しんでおりますが、古代史のメーリングリストはなかなか見つかりませんでした。

古代史リンクをいろいろ覗いていたとき漸く渡来人研究会というコーナーに出会ったのです。人生は出会いと思っていますので
皆さんとご縁が出来まして喜んでおります。

管理人さんの思いとか志みたいなもの、会のコンセプト次第でこのメーリング リストも発展したり消滅したりするのではと思っております。若い管理人さんですからドンドン悩んでいいものを作ってください。かげながら応援できればと思っています。

古田史学会みたいに発展させるにはものすごいエネルギーとか執念が要ると思いますね。

私は個人的には、年齢に関係なく素人でも楽しい雰囲気で歴史を語り合え興味がもてるそんなコーナーであってほしい。

それと何か光るもの、一隅を照らすという言葉がありますが、
深く拘ったものを持っている。それが財産のような気がします。
その意味でこの掲示板の遺跡めぐりの日記や、かわかつさんの秦氏追跡、画像掲示板、紀氏さんの太陽光のレーラインなんてすばらしいと思います。新入りの私が偉そうなことを言って申し訳ありません。

皆さんドンドン発言して、この掲示板のコンセプトづくりに参画しませんか。

私は地元の古代史ファンと知り合い、仲間作りをはじめました。


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会員
2005年7月4日 13:34:47 管理人
とみたさん、貴重な情報ありがとうございます。なるほど、研究講座での活動勉強になります。コンセプトって重要ですね。会員がいて、みなができれば発言できる機会があるといいですし、その中から新設や、研究者も出てくるとすごいですね。個人的には渡来人研究会のコンセプトのひとつとして、研究会??が、自主的に創造活動をする手助けができる場となればと感じています。その自主的な創造のためには、それなりの道具の提供が必要だと最近感じ始めまして、かわかつさん提案の画像掲示板もよい刺激になっています。メーリングリストもそうですね。昨日おもいついた新たな提案としては、紀氏さんがもってきた紀氏年表など表データの集積も重要で、表データの掲示板なんかもあっていいかなと思います。そこで、無料のレンタルホームページサイトを借りました。ここは無料レンタルサイトとしてはお勧めです。
https://www.cool.ne.jp/free/register/enter.cgi

ここではパスワード認証をして、ホームページ上からいろいろなホームページファイルをアップロードできます。
つまり、会員制度にして、共通パスワードをみなさんに送ります。
そしてみなさんのほうで、ワードやエクセルでホームページ(WEB/HTML)ファイルにして保存していただき、そのまま好きなページを作成して、アップしていただきます。すると、みなさんが公開したい自作のページをどんどん公開できるわけですね。すると、だんだんみなさんの自主的な共同制作によるホームページができてくるわけです。中には表データあり、エクセルデータあり、年表ありと、もっと個性的な研究会HPができてくるのではと感じます。という感じですがお楽しみにしていてください。
そこで、今申し込み中ですが、その辺造ってみますので、できあがったらパスワードみなさんにお送りします。あとは勝手に入ってページ作ってみてください!


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やった!
2005年7月4日 16:09:43 かわかつ WEB
そうですか、とうとう会員制HP設置しますか。私も前々からこんなのがあるといいなあと思っていたんですよ。でも知りませんでしたねえ。既製品であるとは。
今あるBBSで親交を深め、表現の欲求ある人をセレクトして、邪魔の入らないスペースで文章交換し合うと言うのは理想的ですね。で、その後の公表は既存のHPからでもできるんでしょうか?つまり見るのは誰でも自由に見られる仕組みなんですか?


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FTPつき
2005年7月4日 16:23:03 管理人
そうなんです、なかなか優れものです。ぜひかわかつさんもひとつそのサイトのページ保有しておくと後々何かに使えますよ。なんせFTPつきのページがパスワード入れたら出てくるものですから、素人には大変楽です。もちろん出来上がりは普通のHPとして世界中からだれでも見れますので。


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good idea
2005年7月4日 18:38:46 とみた MAIL
ただ今、スポーツジムから帰りました。先日庭で草をむしっていたらギックリ腰。
歳をとるとアルツ様やコシイタ様が近寄ってきます。そこで、エアロビをやっているんであります。

さすが、管理人さんのアイデア ありがたいですね。
暇なとき溜め込んで公開できるんですね。

管理人さんは文科系なのにIT技術者としてすごい腕前ですわ。

私、WORDなら大丈夫でしょう.Excelは意外と使いこなせないかも。

POWERPOINTは出来ますぞ。

結構なお話です。


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私などは
2005年7月4日 18:48:25 かわかつ WEB
WもEも習っておりません。自己流です。お金がないです。学校へ行ったら60万もすると聞き、逃げてきました。



ソグド
2005年7月3日 10:06:46 かわかつ WEB
私の好きな世界不思議発見!、昨日はソグド族でした。今度はみゃおぞくらしいです。この番組、スタイルが変わってからいまいちですが、取り上げる地域がマニアックでなかなか面白いです。
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery_1.html


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世界不思議ソグド
2005年7月3日 12:07:31 とみた MAIL
TBSのこの番組とNHK松平の”そのとき歴史は動いた”はいつも見ています。それと、ケーブルテレビのヒストリー チャネル。

世界不思議は草野司会のゆったり穏やか、黒柳徹子さんの博学と勘の冴え、坂東(プロ野球投手、徳島出身)の勘のよさ、ボケの野々村の名コンビです。

ソグド人の謎、紀元前は農耕の民、紀元前329年。アレキサンドロス大王の進出で土地を奪われ、シルクロードの商人ネットワーク(オアシス都市をつなぐ)中継に活路を見出す。アラブ人に8世紀に攻められて滅びるまで700年間もシルクロードの交易を担っていた。

仏教の伝播にも大いに役立つ。そしてゾロアスター教の風習を日本に伝えた・・・お盆、送り火、東大寺二月堂のお水取り行事(火の行事)

それにしてもソグド人を現地で研究されている加藤先生(考古学者)は1500Mの山の遺跡に登られるその姿。なんと83歳。
夢追い人は老けませんね。

中国古代史の白川静先生93歳。日本画家も大抵は90才を越えても元気な人が多い。

私も古代史で夢を追っかけますがソロソロ ガソリンが切れそうです



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何をおっしゃいますやら
2005年7月3日 12:16:12 かわかつ WEB
とみたさんは若い、焼鳥屋で一杯!こんどおごって下され。


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馬刺し
2005年7月3日 12:20:03 かわかつ WEB
今度一杯といえば、熊本県と長野県では馬を食うそうです。熊本のも長野も私食いましたが、薄造りの熊本の方が品が良かった。
でも、熊本と長野って、海部でつながりそうな案配ですが・・・
でも、熊本で馬食いが始まったのは加藤清正からなんだそうで、けっこう新しい習慣なんですねえ。古代人は馬食わなかったのかしら?


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TVも英訳字幕
2005年7月4日 6:03:42 管理人
なかなか最近?歴史物の特集で勉強になる番組増えてきましたね。ああいう日本語の歴史番組を、日本文化を普及させるために、ダイレクトで英訳字幕をつけて放送するとかいう配慮があれば、まだまだ知られていない日本のマイナーな古代史も外国の方に知ってもらえる機会が広がると思います。日本の番組をみたイランの人がゾグド人と法隆寺のこと知ったらかなりびっくりするとおもいますよ。ほとんどの外国人は漢字も読めないでしょうし、古代史論文を読むこともできないでしょうから・・。放送字幕については、最近外国で日本のアニメや映画のDVDに、マニア集団が字幕ファイルをつけてみたりする試みが流行っているそうです。これ日本でやると違法らしいんですが、たとえば聴覚障害者にとっても字幕つきのDVDとか、放送が増えることはとても重要なことなんですね。だからDVDの字幕ファイルのサイトの公認とか、その辺の行政対処が遅れている現状があり、ましてや字幕付番組などもなく、漢字だらけの外国人にも障害者にも難しい放送ばかりしているようです。その辺にもっとお金かけないとだめですね日本は。特に古代史ドキュメンタリー番組やその放送HPはその辺配慮してもらえるよう働きかけていかねば、永遠と日本文化は「スシ!!」で、「バサシ!!」までいかずに終わってしまいますね。ちなみにこちらDVD字幕サイトです。
http://divxstation.com/subtitles.asp
http://217.64.35.213/searchs.php
http://subs.securityorg.net/
http://gabest.dyndns.org/sub/



交野という地
2005年7月2日 22:12:42 タックン
私の住む近くに、大阪府交野市というところがありますが、ここに森古墳群という古墳時代初頭頃に築造された古い形式の前方後円墳を含んだ古墳群が存在しています。
この古墳群は、小学生が山遊びで偶然発見されたもので、それまではこの周辺には古墳時代後期の古墳は知られていましたが、この古墳群のような古い形式の古墳は、殆ど発見されていませんでした。
古くからこの地は、七夕伝説などの伝承が残っており、今でもこの関連のお祭りが七夕の季節には行われていて、近くを流れている川も、天の川なんていう名前も残っていて、ロマンを駆り立てる地でもあります。
近くにある、磐船神社なども巨大な生駒山西麓に最近確認されだしてきている、磐鞍が存在しており興味がつき無い地域です。
ただ人々の生活跡は、その遥か以前からあり、縄文時代早期と言われている土器を出した、神宮寺遺跡から連綿と続いています。
当時の河内のこの地域は、前方はすぐ近くに海が迫ってきており、後背にある山は脆い土壌ですぐがけ崩れなんかを起こしやすい地形でしたが、地の利の悪い条件であるのに早くから人々が住み着いていたというのは、やはり前方に開けていた海・海運の良さがあったんではないか?と考えております。
この森古墳群の被葬者を考える上で最初に考えられるのは、物部氏ということが先ず浮かんでくる事です。
この地域に何時から住んでいたかが問題となってくるのですが、森古墳群の中心的な前方後円墳である、雷塚が大和の箸墓・山城の椿井大塚山古墳などと同時期の古墳といわれていることから見て、この古墳群が物部氏の墓となると、3世紀辺りにはもうこの周辺に住んでいたということになってきます。
磐船神社周辺には、物部の祖先であるニギハヤヒなどの伝承があることから考えて、歴史的に古くからこの地を治めていたと考えるのが妥当なようなんですが、私は後世に少し潤色されている部分があるのでは?ないかとも考えております。
今後この地から、この古墳群と同じ時期の古墳か、或いは遡る古墳が発見されてきたらもっと(・・?は深まってくるかもしれません。
ともかくこの枚方・交野といわれている、北河内周辺は面白そうです。


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物部氏
2005年7月3日 5:36:58 管理人
たっくんさんこんにちは。物部氏の展開、いろいろ下の書き込みにもあったように、いろんな方面にみえてきますね。その全国各地に物部伝承がでてくる要素として、やはり一つ目には伝承をしっかり残す特別な祭祀形態があったらしいこと、二つ目に全国に展開するだけの武力をもっていたことでしょうか。一方蘇我は前者はやや不明瞭な感じがします。枚方というと漢氏系の伝承もありますね。秦氏と漢氏との関係だと、ちょうど蘇我と物部と同じく、仏教派?と武力派という比較もあります。漢氏の子孫に坂上田村麻呂がでるがごとく、歴代の天皇になんらかの形で武力を誇示しています。ただ漢氏の場合、蘇我についていましたし、天智にも天武にもついたりと、傭兵的に各氏族を右往左往する感じも見受けられます。ご指摘、森古墳群
http://murata35.cool.ne.jp/meisho/moriiseki/
から鍛冶関連遺構でており、また竃形(かまどがた)土器が出ているというのも、どこかしら漢氏系のたとえば忍海氏等の製鉄や渡来系に多くみられるかまど信仰との関連も思い浮かびますが、その製鉄遺構を組織した親方として、物部の祖とかがいて、その親方の信仰伝承と子分の信仰伝承とがどう融合したのかなど、いろいろ興味深い地ですね。それにしてもこんなとこまでご指摘とおり海が着てたんですね。http://murata35.cool.ne.jp/meisho/moriiseki/kohunjidai.htm
茨田の堤とか、秦川勝の墓とか見てみると、いろいろ川沿いの交流が感じられます。物部的にはこの地を押さえるのはどうだったんでしょう??


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京都の八幡から
2005年7月3日 12:23:03 かわかつ WEB
交野へも歩いて行けますが、ここら辺からニギハヤヒの石切、南河内への長いライン上が、どうも渡来ですなあ・・・


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前方後円墳
2005年7月3日 15:25:29 とみた MAIL
枚方市交野の磐船神社あたりに物部の祖ニギハヤヒが降臨したんでしょう。北河内は百済人が多い。百済王神社、百済寺・・・これは660年の滅亡した百済の王族が日向で負けて逃げてきたところ。

元々は物部氏がいたんでしょうかね。

西河内や南河内は百済系。
中河内は高句麗系
大和(檜隈)の飛鳥あたりはほとんどが東漢氏。これは百済からと言う説と中国の後漢零帝の曾孫とあるように中国からの集団移動(強制移住)という説。これも捨てがたいらしい
山城近江は秦氏・・・豊前の85%は秦氏だったらしい。

5世紀は高句麗が南進した時代。百済も新羅も追い詰められ伽耶も圧迫された。5世紀に渡来した人は考古学的にほとんどが伽耶の人だったらしい。5世紀の後半になって百済も入ってきた。

前方後円墳の円の部分は何を意味するか。王権交代の儀式を行う場所或いは、高官が酒を飲み交わしながら故人を偲ぶ場所とかだそうです。
前方後円墳は日本固有のもの、全国で5200ある、全国の古墳は相似形。縮尺だけが違うとか。土木事業を誰が行ったか?いわばゼネコンは物部という説もあるようです。300−350年作り続けられた。


5世紀は河内王族が沢山活躍します。雄略がその極。御所市に葛城氏の居館や天理市に物部氏の布留遺跡の倉庫があるそうです。

大和の飛鳥では蘇我氏と漢人が結託して豪族の大伴や物部を押さえるのが6世紀。

(8世紀の平安京は秦氏が土建業者)

交野の古墳は何を物語りましょうか。

私は同じ枚方市の樟葉におりながら枚方の私市や交野に行ったことがない不明を恥じます。

サラリーマンの悲しさ、サンデーは碁会所で碁ばっかり打っていて

あの頃少しくらい古代史に興味があったらなあと、今更ながら嘆い

ております。



とみたさんの「共通認識」
2005年7月2日 17:45:12 パリス
助かります。ひとりでどうやってまとめようかと気が重かったんです。ありがとうございました。

ところで、少し前に気になる古歌をノートに書いておいたのですが、もし参考になればうれしいです。

真蘇我よ 蘇我の子らは 馬ならば日向の駒
太刀ならば 呉の真鋤(まさび)
うべしかも 蘇我も子らを 大君の 使わすらしき

図書館で借りた本に載っていて、書き写したものです。
恐らく蘇我氏絶頂期の天皇の詠んだ歌でした。
呉の真鋤というのが気になってます。
蘇我氏の出身地ということなのかもしれないと思っていましたが、
なにしろ資料がなくて分かりませんでした。


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蘇我
2005年7月2日 21:13:12 管理人
パリスさんこんばんは。今起きました。こんな歌があったなんて知りませんでした。確かに蘇我氏をたたえてるようですし、呉は高麗として鉄と蘇我との関連も興味深いですね。日向と馬との関連も興味深いです。そもそも日向と馬との関連は渡来人が朝鮮から馬をもたらしてからか、あるいはそれ以前かで意見が分かれていますね。
蘇我氏の出身地、蘇我高麗という人物もいませんでしたっけ。この辺のサイトが参考になるかもしれません。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/fu-ka/katari/hito.soga.htm


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すみません、まちがいました
2005年7月2日 21:32:55 パリス
うべしかも 蘇我の子らを  が正しいです。
管理人さん、私はこの歌で「日向のくろうま」という焼酎しか思いつきませんでした。
昔から、馬で有名な土地だったのね、と。
めちゃくちゃですね。野生のカンだけでやっております、はい。


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女の勘はおそろしか?
2005年7月3日 9:23:36 かわかつ WEB
http://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/nihonnnouma.htm#日本在来種
http://www.mayors.or.jp/shisei/shisei02.03/wagashi/kushima.htm
日向馬は諏訪と並んでよい馬とされた、その優秀な馬に蘇我馬子の馬をかけて、おまえはういやつじゃと褒め称えておるのです。推古女帝のおべっかです。


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呉の真鋤
2005年7月3日 9:48:38 かわかつ WEB
http://www.dict-keyword.com/33/15580.html


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鉄の運送
2005年7月3日 10:27:21 管理人
かわかつさんおはようです。呉の鉄の件ですが、呉を中国ととるか、高句麗ととるか、結構大きな違いですよね。
鉄の運送だと、やはり相当な重さでしょうから、船で運び込むのがベストですね。できれば可能な限り内陸へ先の難波摂津の例のように、河川沿いに奥深くもって行きたいところです。そこから馬で分散して運ぶのでしょうか。
呉から来るにしろ、高句麗から来るにしろ、船でくるはずですが、呉だと百済経由で日本にくるか、先日の黒潮経由で南九州日向あたりに着くかとなりますね。どちらにそよ鉄の拠点や運送経路を押さえる氏族は、強くなりますね。


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鉄ではないけれど
2005年7月3日 11:56:06 かわかつ WEB
古墳の石棺に用いる阿蘇ピンク石・・・阿蘇凝灰岩の中でも貴重品?・・・を船で大阪湾まで丸木船で再現しようというイベントが熊本県のさる町で始まったらしいです。昨日の毎日九州版に載ってましたよ。
ええと、宇土市ですね。「大王のひつぎ実験航海」実行委員会、7月24日〜8月26日。
それから、これはドーマン・セーマンに関して・・・大分合同新聞7月2日夕刊に鳥羽の海女に新人が増えていて、安倍晴明ゆかりの五芒星を最近の海女はつけなくなったんだとか。また小説「潮騒」などにあるようなベテラン海女と新入りの、火を囲んだ井戸端会議にも参加せず、古い伝承を受け継ぐ海女はいなくなるんだろう、と。
なんだかタイムリーですが、古い知識が伝えられなくなってますねえ。
民俗学は受難時代ですな。


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読売版が詳しい
2005年7月3日 12:01:10 かわかつ WEB
委員長は、わ、小田富士雄さんですぜ。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/news/da_ne_05021601.htm


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阿蘇ピンク石
2005年7月3日 12:06:34 かわかつ WEB
http://lets.kumanichi.com/kumamoto_rena/simen/04_040715/
http://www-ku.magma.ne.jp/~ark/sub15.html


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阿蘇
2005年7月3日 12:13:10 管理人
阿蘇の石が瀬戸内経由でいろいろ運搬されていく実験、すごいですね。阿蘇と吉備、そして畿内へ、紀氏と阿蘇?石の石棺とか流れがしてきされていますね。吉備にも阿蘇の地名ありますが、蘇我の地名もあるんですね。運輸と蘇我の関連、7世紀初頭の推古時代よりさらにさかのぼっておそらくは吉備の三宅の時代、6世紀中葉あたりで蘇我とか物部の組織の原型ができてきた可能性ありますね。


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うん、それそれ
2005年7月3日 12:27:58 かわかつ WEB
繋いでいるのは船ですよね。海部の船。
紀氏さんのご先祖は、海部を使っていた豪族でしょうなあ。貴人の出なんだ、彼は。どうりでやんごとなき言葉をお使いになる。下賤の私には理解できないはずだな。m@@m joudannyo,joudann.



花束が女性から
2005年7月2日 13:14:25 かわかつ WEB
画像掲示板に届いてますよ。


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はじめまして
2005年7月2日 15:30:18 姫 MAIL
はじめまして。
姫 と申します。
かわかつさん、さっそくお写真をレスいただきまして、ありがとうございました。
姫とはおこがましいのですが、私の住まいは奈良県で、明日香のそばです。  ちょっと万葉美人でも想像していただければ大変幸せです。

宜しければMLに参加させていただきたいと思っております。
先ほど、管理人さんのアドレスにメールを送信しましたが、送信不可で申し込みができませんでした。
どうぞよろしくお願いいたします。


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はじめまして
2005年7月2日 21:06:57 管理人
姫さんはじめまして!きれいなお花のお写真ありがとうございます。半月のような白と緑が半分になっている葉がなんとも風流ですね・・・。明日香にお住まいなんてうらやましい限りですね!メール送っていただいたそうで、やはり届いていないようです。最近うちにメールが届かないという話が多く、原因解明しています。実はメーリングリストまだ作っていないのですが、古代史とメーリングリスト、どうなるのかなかなかおもしろそうですね。考えてみます。それでは、姫さん、今後ともよろしくお願いします。


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ようこそ、お姫様
2005年7月2日 22:33:52 とみた MAIL
姫さま、とみたです。東京の古代史のサークルの講座に出かけておりましてたった今帰りました。

ようこそお入りくださいまして感謝です。みなさん、姫さんは私が推薦いたしました。奈良県明日香に近くって車でフットワークも軽いし地元の古代史講座にも通っておられるので渡来人研究には心強い女性です。
よろしくお願いします。

帰路、研究講座に同席した地元の方と焼き鳥屋でワイワイやってきました。出身は諏訪だそうで。いろいろ語ってくれました。

諏訪は(物部)守屋という姓がやはり多いそうです。先住の守屋の地に出雲のタケミナカタが来たらしいのですが評判はよかったそうですよ。

奈良は姫様の現地調査をお願いできそうで、諏訪は焼き鳥屋報告で陰徳の業をつませて頂きました。



七支刀を持つ神像
2005年7月2日 10:09:33 いばらの紀氏
管理人さん 高句麗王若光に似てます!
七支刀を持つ神像
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/2-trip/2h1-hitisi.htm
どこかで見た顔???・・・・!
摩多羅神はどこから来たのか? 〜ダビデの子孫〜 第五章・・・・
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/5_J.html


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七枝刀
2005年7月2日 10:25:35 管理人
は、百済からではなかったでしたっけ?でも確かになんか顔似てますね。ううん、その時代の画風の問題でしょうか・・・、なんか宮元武蔵にも似ているような・・・。宮元武蔵といえば二刀流、あの神像も一応、七刀流をもっているわけで・・・??どっちが強い??


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手数でいうなら
2005年7月2日 12:04:14 かわかつ WEB
千手観音でしょう!


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いやはや
2005年7月2日 21:14:21 管理人
一本とられましたな!いや千本?


交野という地
2005年7月2日 22:12:42 タックン
私の住む近くに、大阪府交野市というところがありますが、ここに森古墳群という古墳時代初頭頃に築造された古い形式の前方後円墳を含んだ古墳群が存在しています。
この古墳群は、小学生が山遊びで偶然発見されたもので、それまではこの周辺には古墳時代後期の古墳は知られていましたが、この古墳群のような古い形式の古墳は、殆ど発見されていませんでした。
古くからこの地は、七夕伝説などの伝承が残っており、今でもこの関連のお祭りが七夕の季節には行われていて、近くを流れている川も、天の川なんていう名前も残っていて、ロマンを駆り立てる地でもあります。
近くにある、磐船神社なども巨大な生駒山西麓に最近確認されだしてきている、磐鞍が存在しており興味がつき無い地域です。
ただ人々の生活跡は、その遥か以前からあり、縄文時代早期と言われている土器を出した、神宮寺遺跡から連綿と続いています。
当時の河内のこの地域は、前方はすぐ近くに海が迫ってきており、後背にある山は脆い土壌ですぐがけ崩れなんかを起こしやすい地形でしたが、地の利の悪い条件であるのに早くから人々が住み着いていたというのは、やはり前方に開けていた海・海運の良さがあったんではないか?と考えております。
この森古墳群の被葬者を考える上で最初に考えられるのは、物部氏ということが先ず浮かんでくる事です。
この地域に何時から住んでいたかが問題となってくるのですが、森古墳群の中心的な前方後円墳である、雷塚が大和の箸墓・山城の椿井大塚山古墳などと同時期の古墳といわれていることから見て、この古墳群が物部氏の墓となると、3世紀辺りにはもうこの周辺に住んでいたということになってきます。
磐船神社周辺には、物部の祖先であるニギハヤヒなどの伝承があることから考えて、歴史的に古くからこの地を治めていたと考えるのが妥当なようなんですが、私は後世に少し潤色されている部分があるのでは?ないかとも考えております。
今後この地から、この古墳群と同じ時期の古墳か、或いは遡る古墳が発見されてきたらもっと(・・?は深まってくるかもしれません。
ともかくこの枚方・交野といわれている、北河内周辺は面白そうです。


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物部氏
2005年7月3日 5:36:58 管理人
たっくんさんこんにちは。物部氏の展開、いろいろ下の書き込みにもあったように、いろんな方面にみえてきますね。その全国各地に物部伝承がでてくる要素として、やはり一つ目には伝承をしっかり残す特別な祭祀形態があったらしいこと、二つ目に全国に展開するだけの武力をもっていたことでしょうか。一方蘇我は前者はやや不明瞭な感じがします。枚方というと漢氏系の伝承もありますね。秦氏と漢氏との関係だと、ちょうど蘇我と物部と同じく、仏教派?と武力派という比較もあります。漢氏の子孫に坂上田村麻呂がでるがごとく、歴代の天皇になんらかの形で武力を誇示しています。ただ漢氏の場合、蘇我についていましたし、天智にも天武にもついたりと、傭兵的に各氏族を右往左往する感じも見受けられます。ご指摘、森古墳群
http://murata35.cool.ne.jp/meisho/moriiseki/
から鍛冶関連遺構でており、また竃形(かまどがた)土器が出ているというのも、どこかしら漢氏系のたとえば忍海氏等の製鉄や渡来系に多くみられるかまど信仰との関連も思い浮かびますが、その製鉄遺構を組織した親方として、物部の祖とかがいて、その親方の信仰伝承と子分の信仰伝承とがどう融合したのかなど、いろいろ興味深い地ですね。それにしてもこんなとこまでご指摘とおり海が着てたんですね。http://murata35.cool.ne.jp/meisho/moriiseki/kohunjidai.htm
茨田の堤とか、秦川勝の墓とか見てみると、いろいろ川沿いの交流が感じられます。物部的にはこの地を押さえるのはどうだったんでしょう??



とみたさんの「共通認識」
2005年7月2日 17:45:12 パリス
助かります。ひとりでどうやってまとめようかと気が重かったんです。ありがとうございました。

ところで、少し前に気になる古歌をノートに書いておいたのですが、もし参考になればうれしいです。

真蘇我よ 蘇我の子らは 馬ならば日向の駒
太刀ならば 呉の真鋤(まさび)
うべしかも 蘇我も子らを 大君の 使わすらしき

図書館で借りた本に載っていて、書き写したものです。
恐らく蘇我氏絶頂期の天皇の詠んだ歌でした。
呉の真鋤というのが気になってます。
蘇我氏の出身地ということなのかもしれないと思っていましたが、
なにしろ資料がなくて分かりませんでした。


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蘇我
2005年7月2日 21:13:12 管理人
パリスさんこんばんは。今起きました。こんな歌があったなんて知りませんでした。確かに蘇我氏をたたえてるようですし、呉は高麗として鉄と蘇我との関連も興味深いですね。日向と馬との関連も興味深いです。そもそも日向と馬との関連は渡来人が朝鮮から馬をもたらしてからか、あるいはそれ以前かで意見が分かれていますね。
蘇我氏の出身地、蘇我高麗という人物もいませんでしたっけ。この辺のサイトが参考になるかもしれません。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/fu-ka/katari/hito.soga.htm


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すみません、まちがいました
2005年7月2日 21:32:55 パリス
うべしかも 蘇我の子らを  が正しいです。
管理人さん、私はこの歌で「日向のくろうま」という焼酎しか思いつきませんでした。
昔から、馬で有名な土地だったのね、と。
めちゃくちゃですね。野生のカンだけでやっております、はい。


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女の勘はおそろしか?
2005年7月3日 9:23:36 かわかつ WEB
http://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/nihonnnouma.htm#日本在来種
http://www.mayors.or.jp/shisei/shisei02.03/wagashi/kushima.htm
日向馬は諏訪と並んでよい馬とされた、その優秀な馬に蘇我馬子の馬をかけて、おまえはういやつじゃと褒め称えておるのです。推古女帝のおべっかです。



花束が女性から
2005年7月2日 13:14:25 かわかつ WEB
画像掲示板に届いてますよ。


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はじめまして
2005年7月2日 15:30:18 姫 MAIL
はじめまして。
姫 と申します。
かわかつさん、さっそくお写真をレスいただきまして、ありがとうございました。
姫とはおこがましいのですが、私の住まいは奈良県で、明日香のそばです。  ちょっと万葉美人でも想像していただければ大変幸せです。

宜しければMLに参加させていただきたいと思っております。
先ほど、管理人さんのアドレスにメールを送信しましたが、送信不可で申し込みができませんでした。
どうぞよろしくお願いいたします。


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はじめまして
2005年7月2日 21:06:57 管理人
姫さんはじめまして!きれいなお花のお写真ありがとうございます。半月のような白と緑が半分になっている葉がなんとも風流ですね・・・。明日香にお住まいなんてうらやましい限りですね!メール送っていただいたそうで、やはり届いていないようです。最近うちにメールが届かないという話が多く、原因解明しています。実はメーリングリストまだ作っていないのですが、古代史とメーリングリスト、どうなるのかなかなかおもしろそうですね。考えてみます。それでは、姫さん、今後ともよろしくお願いします。


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ようこそ、お姫様
2005年7月2日 22:33:52 とみた MAIL
姫さま、とみたです。東京の古代史のサークルの講座に出かけておりましてたった今帰りました。

ようこそお入りくださいまして感謝です。みなさん、姫さんは私が推薦いたしました。奈良県明日香に近くって車でフットワークも軽いし地元の古代史講座にも通っておられるので渡来人研究には心強い女性です。
よろしくお願いします。

帰路、研究講座に同席した地元の方と焼き鳥屋でワイワイやってきました。出身は諏訪だそうで。いろいろ語ってくれました。

諏訪は(物部)守屋という姓がやはり多いそうです。先住の守屋の地に出雲のタケミナカタが来たらしいのですが評判はよかったそうですよ。

奈良は姫様の現地調査をお願いできそうで、諏訪は焼き鳥屋報告で陰徳の業をつませて頂きました。



七支刀を持つ神像
2005年7月2日 10:09:33 いばらの紀氏
管理人さん 高句麗王若光に似てます!
七支刀を持つ神像
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/2-trip/2h1-hitisi.htm
どこかで見た顔???・・・・!
摩多羅神はどこから来たのか? 〜ダビデの子孫〜 第五章・・・・
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/5_J.html


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七枝刀
2005年7月2日 10:25:35 管理人
は、百済からではなかったでしたっけ?でも確かになんか顔似てますね。ううん、その時代の画風の問題でしょうか・・・、なんか宮元武蔵にも似ているような・・・。宮元武蔵といえば二刀流、あの神像も一応、七刀流をもっているわけで・・・??どっちが強い??


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手数でいうなら
2005年7月2日 12:04:14 かわかつ WEB
千手観音でしょう!


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いやはや
2005年7月2日 21:14:21 管理人
一本とられましたな!いや千本?



共通認識
2005年7月1日 13:39:35 とみた MAIL
渡来人研究会にお寄せさせていただいて、本を少しかじり,HPを覗いて到達した認識です。

記紀は藤原氏が8世紀に簒奪し勝ち取った政権を正当化するためにある。

大和時代に活躍した、物部、蘇我、葛城氏の功績を抹殺ないし、都合よく組み込むことにした。
都合の悪い事項は触れない。

出雲勢力は大いに注目すべき勢力であるが神話の中に封じ込めた。

日本=倭の国は東アジアの動向と密接不可分である。
朝鮮の高句麗、新羅、百済、伽耶の動静と連動している

皆さんには当たり前でしょうがね。

細かい点では・・・

南九州の阿多(吾田)あたりに着いた海人の勢力がヤマトに東

遷した。(高千穂の峰への降臨ではない)

三輪大神は物部氏、秦氏、尾張氏いずれかの祭神、香具山、巻向=

纏向に勢力を張っていた。おおたたねこ のオウ(多)氏は祭りを行う氏。出雲勢力には違いがなさそう。物部は北九州でなく出雲から出ている。

道教の影響が強い・・・卑弥呼の鏡、鹿島神宮の甕島、甕山

渡来の故郷は、江南の呉あたりか山東半島、ただし呉は”くれ”と読み高句麗は高は美称なので句麗=くれかもしれない。
私はこれ以外に道教の盛んな福建省も気にしています。

南九州の野間岬には福建省の娘ま(シ+馬)信仰があるとか。

武内宿禰も大いに関係が深いかな。葛城氏、蘇我氏の祖。宗像神社、住吉神社、宇佐神社とのつながり。
応神天皇は神功皇后と住吉神でなく武内宿禰との子供?

神功皇后は実在(関裕二)にせよ架空(千田稔)にせよ大いに注目すべきと言っている。

鉄の出所で伽耶、出雲、慶州いろいろありますが、北九州勢力がヤマト勢力に鉄を瀬戸内海経由で輸送することを邪魔したとの説があるそうですが

紀氏さんのhpでは、出所について

●出雲のオオクニは高句麗系
●蘇我氏は百済系王族
●欽明は親新羅
●天武は高句麗系の新羅
●武内宿禰は葛城と蘇我の祖
●ニギハヤヒは物部と尾張の祖いずれも新羅系

千田さん説
●秦氏は江南の呉からやってきたアメノヒボコ
関さんの説
●火明命が尾張氏のルーツ=海の人

ご批判ご異論大歓迎。


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あとがき
2005年7月2日 4:31:50 管理人
富田さんこんばんは!さすがはとみたさん、よく要点を鋭くついて、まとめておられますね。このレスだけでも、結構頭が整理されて勉強になります。そこでですが、ぜひとみたさんには、今度の出版本の前書きか、あとがきを書いていただけないでしょうか。ご批判大歓迎ならぬ、とみたさんに本の総評やご批判いただけると、とても説得力がでてくるような気がします。と、まだ出版にいたるかどうかすらわかりませんが・・・・。ではでは今後とも宜しくお願いします。


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救いの神
2005年7月2日 9:31:44 とみた MAIL
管理人さん、妙なことを書いたのでお叱りを受けるかなと冷や冷やしてましたよ.救っていただいてありがたいです。

私も古代史という荒野にさ迷ってどうも方向感覚がつかめないのです。諸説あるけれど
最低限このぐらいは確かで間違ってないかなと言うのが共通認識です。
出版すると云うことは世に問うことになりますね。ミステリーとして想像を掻き立てる面白さを提供するのか、古代史の一つの領域に
輝かしい真実のスポットを当てるか・・・

前書きにせよあとがきにせよ大変名誉なことですが、まだその本をどういうコンセプトで作るかの意図も分からないですね。この議論も積み重ねていただきたいものです。かわかつさんの仰るように、たとえば東京で一度皆さんとお会いして(オフ会)飲み且つ口角泡を飛ばしながら方向付けをすると言うのもありがたいですね。

雑文を寄せるのは可能ですが正鵠を得ているかどうか自信がもてません。売れるものも売れなくなったりしたら迷惑かもしれません。



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売れる??
2005年7月2日 10:15:55 管理人
こちらこそ、前向きなお返事いただけてほっとしました。とみたさんにご参加いただけるのは大変光栄です。
売れる売れないというあたり、かなりうといものですから、いろいろご指摘いただければ幸いです。売れる本、やはり歴史ミステリーのダビンチコードは、読んでみて明らかに面白いですし、著者の周囲の友人ははじめから売れることがわかっていたそうです。たぶん、たとえば目の前で、いつも抱腹絶倒させてくれる漫才師の卵がいたら、やはり今は売れなくてもすぐ売れるようになるのは目に見えているんだろうなと感じます。彼ひとりだけでも売れるかもしれませんが、案外突っ込み役がいないと売れないケースも多いようですし・・。その辺も見極め前提ですが、なんとなく紀氏さんとかわかつさんの原稿しあがってきているのをみて、かなりおもしろい古代史ミステリーが展開されそうです。後日メールで原稿お送りします。富田さんのまとめられた渡来人のアジアをめぐる壮大な流れも、どういう風に肉付けするかで、そうとうおもしろくスリリングな小説できると思います。そしてそれが空想でなく、重い真実が重ねられているということがまた恐ろしく興味を引く読み物になるわけです。いや、まさに西遊記や聖杯伝説の世界以上ですね。今読んでいる歴史小説もかなりすごいです。これも時がくればかぐや姫的なあたりがでるかもしれません。そういえばダビンチコードに出ている岩窟の聖母、今日のニュースに新たなダビンチの下絵がみつかったそうです。なんでも御子を見つめる女性が描かれていたとか、これも女性崇拝したというダビンチが何を意図したのか、本当に話題になりそうです。HPはこちらhttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/m20050702k0000m040173000c.html


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トホホホ
2005年7月2日 11:52:24 とみた MAIL
管理人さん まだそこまで、前向きにステップインしていませんよ。

成果物も金もない貧乏人の道楽ですから。
ご一緒に酒を飲んでワイワイ云ってからにしてください。

ハハハ 


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そういうこと
2005年7月2日 12:07:42 かわかつ WEB
慌てる乞食はもらいが少ない。
誰かが出版を待ってる訳でもない。
もっと、誰にも読んで貰うように推敲重ねて、しっかりした文章で書きましょう。


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売れるか売れないか
2005年7月2日 12:12:58 かわかつ WEB
売れるわけないでしょ?誰が読むんですか。それでなくても歴史ファンはさして多くない、いかもタブーの多い渡来人。読みません。
売れる売れない以前の問題。同人誌でいい。差し上げる、読んでいただくくらいでなくちゃ。
そのかわり。どんな権威にたいしても屈せず、むりやり押し込んで読ませるのです。営業するんですよ。出版者には責任があるんです。只じゃないんだから。
あなたが売るんですよ。そしてわれわれもです。


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わたしも
2005年7月2日 21:16:52 管理人
読んでてあまりに紀氏さんの文章は図がないと理解におよばないし、私のほうはレジュメみたいで文章説明がなさすぎてなんだかわからない、そんな感じですね。その辺うまく煮詰めていきましょう。ま、ごもっともで売れるかどうかはじつのところ数十年で元がとれればいいので・・・。


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アイデア
2005年7月2日 22:55:20 とみた MAIL
出版意欲に水を差してごめんなさい。
姫さまのご紹介という陰徳の業を積みましたのでかんべんです。

隠れた古代史ファンは潜在的に結構おられると思います。各地に文化センターがありますのでそこで2時間ものを数コース持つと言う売込みをなされては如何でしょうか。

数時間分話せる内容を叩き台としてまとめてみる。原稿を持ち寄って作ってみる。これがスタートのような気がします。そこに自分のネタをうまく入れて素人さんにも楽しんでいただける工夫をしてみる。土地土地の郷土史も含めると良いと思います。
本は精々300円〜500円ぐらいじゃあないですか。それを講座参加者に買ってもらう。文化センターからは原価だけは頂戴する。

はじめから儲けようという意識は禁物でしょう。評判がよければ口コミで広がるものです。

しゃべってみると意外と受けるもの受けないものが分かってくるものでしょう。
評判がよければ地域新聞に流すなど、チャネルを広げてゆく。

やはり焦らず、でも叩き台はつくりはじめる。
作ったものがすぐ売れるなんて世界はどこもありませんでしょう。
少しずつチャネル、知り合いを広げてゆく。良心的に。

現在は世の中詐欺が横行しているので、良心的に古代史ファンを広げる活動をしましょう。
言い出しっぺが何もやらないので申し訳ありませんが、アイデアとして提供します。


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まずは
2005年7月3日 5:14:46 管理人
そうですね、講座というのも大げさなので、座談会からやりましょう。3,4人で、やはりどこかで集まりたいですね。私は急に今週は夏休みになってしまいました・・・。水木あたりは、栃木・福島・岩手方面でもまた行こうかなともおもっているのですが。もっとも7月後半、8月もかなり休みとれそうな感じです。



几号水準点
2005年7月1日 13:01:36 いばらの紀氏

http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/hyouseki/kigou/kigou.htm
かわかつさん、今日は「 几号水準点 」と「秦氏」との関連性を調べて頂きたいのですが?ヨロシク御願い致します。
ライブラリー 各地の几号水準点

日本の測量史年表
http://uenishi01.at.infoseek.co.jp/


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興味ありません
2005年7月1日 16:09:56 かわかつ WEB
忙しいです。


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左前の埴輪の参考に、
2005年7月1日 17:47:26 いばらの紀氏
 
中国は北と南は別の国なのだ。古来、南稲北粟、南糸北皮、南巣北穴、南船北馬、南道北儒、南頓北漸などといわれてきたのは、そのことである。服装ですら、北が右衽(右前)であるのに対して、南は左衽(左前)なのである
徐朝龍
『長江文明の発見』
 やはりキリスト教徒が世界地図作りを・・・「ワクワク」という島が「日本」!
1154年に完成した「アル・イドリーシ」(Al・Idrisi)が描いた
円形世界地図「ロジェル王の書の世界図」と呼ばれるものがありますが、
南が上になっているこの地図にある「ワクワク」という島が、
世界地図に、日本が描かれた最初の例とされているようです。
ワクワク KEN1 - 2005/05/26(Thu) 22:04 No.638 より


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修験者が
2005年7月1日 22:01:58 かわかつ WEB
その三角だのなんだのって奴を使ってたかどうかは紀氏さん、あなたがやらなきゃ誰もやりませんよ。話はそっからだ。
わたしゃ海部と格闘中です。秦氏がなんで海部を追いやったか、ここが大変なんです。わりいけんど・・・


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フランス
2005年7月1日 22:09:04 かわかつ WEB
なんだちゃんと書いてあるじゃないですか?江戸までのフランス式からイギリス式に改めたって・・・


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地図
2005年7月1日 22:16:12 かわかつ WEB
そのうちピリ・レイスとか混一なんとか地図なんかも秦氏が作ったなんてことになるのかな?


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縄文系と弥生系
2005年7月1日 23:15:55 いばらの紀氏

 私的考えですが、「海部」=海洋民系=出雲連合=苗族(禹系)=蛇・牛・・・トーテム。(ユダヤ九部族)

            「秦氏」=騎馬民族系=モンゴル・ローマ系=ヤウェー(ユダ族系?)
中国は北と南は別の国なのだ。古来、南稲北粟、南糸北皮、南巣北穴、南船北馬、南道北儒、南頓北漸などといわれてきたのは、そのことである。服装ですら、北が右衽(右前)であるのに対して、南は左衽(左前)なのである 妄想ですから・・・・・?


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右衽左衽
2005年7月2日 0:33:41 かわかつ WEB
これはいただきます。^^
下のサイトにおしえてあげます。


http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/bbs/index.shtml


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ソースの出所は、
2005年7月2日 3:28:00 いばらの紀氏
下記のニュースのソースの出所は、徐朝龍の『長江文明の発見』 1998 角川書店のからです。
「中国は北と南は別の国なのだ。古来、南稲北粟、南糸北皮、南巣北穴、南船北馬、南道北儒、南頓北漸などといわれてきたのは、そのことである。服装ですら、北が右衽(右前)であるのに対して、南は左衽(左前)なのである」 誤解の無い様・・・・内容の無いーの紀氏でした。


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海部系と秦系
2005年7月2日 8:07:51 管理人
やはりどうしても二流派でてくるようですね。たとえていえば、南北朝とか、天皇系と秦・漢系とか、天智系と天武系とか、坂上系と秦系とか・・・。この辺やはり整理つけるのに、かわかつさんに期待ですね。


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紀氏さんの説を巡って
2005年7月2日 11:30:25 とみた MAIL
紀氏さん、徐潮龍の”長江文明の発見”お読みになったのですか。私も随分感銘を受けました。本に出ていた巴蜀文字なんて紀氏さんがワクワクされるテーマだと思いますが・・
南船北馬、南と北は違うでしょうね。バスガイドは南は商売うまいなんていってましたよ。中国は漢民族(これも混血)が90%と数十の少数民族。迫害されし民族でしょうね。中原が強ければ周辺部に、弱くなれば中原に攻め寄せる。これの繰り返し。漢民族は北が危なくなると南へ・・・今は中国共産党が強いのでウィグル族、チベット族もおとなしくしている。
海部は海洋民族これは異論なしです。
出雲勢力の分析がやはり一番大事だと考えるようになりました。記紀が神話に閉じ込めた出雲、関裕二さんは出雲勢力は九州勢力と近畿のヤマト勢力のバランサーで中心勢力との見方です。
出雲は北方系要素と南方系(海人系)要素を併せ持っています。前者→高句麗系の厚葬、積石墳墓、新嘗祭に似た東盟祭・・・
後者→龍蛇信仰(三輪山、大物主と蛇)

加茂岩倉や神庭荒神谷遺跡の多数の銅鐸銅矛は何を物語るや?

秦氏=騎馬民族説  新鮮ですね。
アマノヒボコが秦氏で山東半島か江南の呉地が出身と思っていましたのにね。でも中国の戦国時代の秦は黄河の西、西安のさらに西の山西部の省です、秦嶺山脈の麓ですか。黄河の泰伯を開祖として呉にやってきたという言伝えと、言葉の呉は苗系+アルタイ(羌族系)
を根拠としておられるのですね。

羌は確かチベット系?の遊牧民族 ゆえに騎馬民族との推測。でも私は呉の固有の稲作文明の担い手の血の方が濃いと思いますが。そもそも開祖が秦であってもそれは紀元前1000年前の西周の時代以降の話。もっと前に良渚文明の担い手の現地勢力がいた。それは苗族とつながりを持った稲作民であったはず。

騎馬民族説には即賛成とは行きません。如何でしょうか。

でも意外な真実で驚かされることがあります。
徐さんが書いておられたのですが、雲南の倭人と似た文明を持ったてん(シ+真)族は騎馬民族との交流ありとか(紀元前数世紀?の国)

呉人と


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紀氏さん
2005年7月2日 13:08:21 かわかつ WEB
秦氏=ユダヤを認めると言うことは、飛鳥氏の後塵を踏むということでしょう。オリジナルで行きましょうよ。誰も書いてないこと切り込んで下さいよ。行基図は新鮮でしたよ。
私なんかウソでも「まだ信じていない」って言ってるでしょ。ということは新たな説をだしてこなきゃならんちゅうことですよ、私だけの。オリジナルじゃなきゃ、読んではくれません。
コピーのうまいバンドがスターになれますか?


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お読みになってません。
2005年7月3日 0:51:24 いばらの紀氏
読でいないのです、 すみません。
 
「紀氏さん、徐潮龍の”長江文明の発見”お読みになったのですか。RE
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0331.html      を読みました。
残念ながら・・・・私のスタイルは「疑問」への「閃き」と「思い込み」そして「ネットでの検索」です。(以前は、図書館え通いましたが・・・・)
現在の私は「日本地図」ながめ「疑問(同名の地名の関係・ライン)からでした、だれが地名を名付けたのか?だれが地図を作ったか?なぜライン上に「∴ 史跡・寺社・・・」多いのか?・・・・なぜラインが三角形を描くのか?・・・もしや「篭目の歌は、測量の歌では・・・・妄想が湧き上がりました。
その疑問から歴史へ「ライン」から埼玉へ・高麗神社へ・・・そして「渡来人」・・・・「HP」ここへ   そして篭目「ダビデの星」ユダヤへ・・・
だれも気付かない「カバラ」私たちの「常識」は「プロパガンダ」からでは?「和歌」や「民話・昔話・神話」の中の過去の真実が隠されている・・・・・妄想妄想   しかし、「古墳」での「地図」作りは正しかったのです。
私の独創的考えは「無知」(非常識)だからです、なぜ・なぜ・自由な時間が「知」への欲求を沸き立たせりのです。(私言の紀氏でした。)



竹取
2005年7月1日 12:46:33 かわかつ WEB
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage2.html
モデルは藤原不比等?藤原道長じゃないんですか?
作者は赤染右衛門。


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赤染といえば
2005年7月2日 8:09:28 管理人
やはり秦氏、しかも宇佐・紀伊の祭祀系ですか。結局赤染の彼は、藤原をどうみていたんでしょうね。



ニライカナイ
2005年7月1日 11:40:29 かわかつ WEB
常世思想が海部のもたらした信仰形態であるとおもわれます。
ニライカナイ (遠い海の彼方から寄り来る神)常世思想はコレトマサニ同源であろうと思います。
これが山には入り、山の神となるのは、修験道の隆盛によるものです。修験は星信仰を含んでおり、白山菊理姫は常世の神が、秦氏の女神信仰によって止揚されたものといってよいでしょう。
ここに仏教が混じり、弥勒思想となり一般化してゆくと思います。
中国の蓬莱思想、朝鮮の白頭山思想もここに合わせられ、やがて一神教・・・つまり神道統一が政治的に起きて行く必要があったのでしょう。
おそらく朝廷統一の時代、多分、持統天皇の時代です。
持統は天武天智の双方の理想を実現する必要があったでしょうし、かつ列島に集積した、異文化をも統一せねばならなかった。
これこそが「和」の思想を生みだしてゆく。
三位一体という西洋の言葉を無理矢理あてはめずとも、政治的思想統一は国家建設には不可欠でしょう。象徴的に三つ星や三神といった表現で大同団結をあらわしたと思いますね。
だから、奈良のこの時代がいわゆる日本のルネッサンス・・・白鳳・天平時代なのは大変意味深いことだと考えます。


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失礼
2005年7月1日 11:58:30 かわかつ WEB
訂正  白鳳・天平時代を経て大成するのは、大変意義深い・・・

ヨーロッパがルネサンスと宗教革命をへて、中世から脱却しようとしたのと同じではないでしょうか?


それまで大和の政治は巫女・・・呪術によるところが大きかった。推古天皇は夜、「もがり」をする巫女でした。
しかし、それはおかしい、政治とは昼のテーゼである。面と向かっていったのが中国の煬帝の言葉でしょう。隋書倭国伝で、煬帝は国書を送っています。
以降、神道は昼の政治に関わるようになり、夜のもがりはできなくなります。言い換えると「忌みごと」から手を引くわけです。これに変わる夜の
祭祀を行う宗教が必要になる。それが仏教ではないか。葬式は仏事、祝い事は神社、という独本独特の風習はこの辺がルーツか?
ですから逆説的に考えれば、未だ夜の祝詞をあげていたり、夜間に祭りを
続けている神社は、古い習慣を伝えようとする気骨があるわけでしょう。
出雲とか・・・。残されている処は、やはり相当な嗜虐を受けたと思わざるを得ません。ねぷた祭り、牛祭り、ケベス祭り、らんじょう雪祭り、・・・盆踊りにもそういう反骨がバックにあるのではありますまいか。


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管理人さん
2005年7月1日 11:59:45 かわかつ WEB
おかげでかなりまとまってきました。ここをメモ帳がわりにしました、ご免なさい。


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オミナエシ
2005年7月1日 12:14:42 かわかつ WEB
女郎花・・・ここもチェック!ここに松花堂があります。松花堂弁当の始まりはここ。といっtも弁当やじゃないよ。
庭園です。樟葉から降りてすぐ。
それからJR奈良線の下狛あたり。「しもこま」それと「向島」
調べてみて。あとは木津、椿井大塚山。山科の大塚。


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椿井は
2005年7月1日 12:17:12 かわかつ WEB
足利家の悪妻、日野富子に関係。ニッポンの則天武皇は言い過ぎだな。


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足利と秦
2005年7月2日 8:04:03 管理人
かわかつさん、北朝擁護の足利氏が八坂神社を祀っていたというのはご存知ですか?ちょっと京都八幡にある月夜田の地名は、もしかすると月八幡とか、いろいろ考え始めたものでして・・。


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も少し
2005年7月2日 12:58:39 かわかつ WEB
詳しく知りたいですね。


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このサイトに
2005年7月3日 5:20:13 管理人
歴史小説ですが、このサイトの『さまよえる神々』にその辺かかれています。月夜田の地名とともに。http://www.kiriya.ne.jp/



海部は建内宿禰
2005年7月1日 1:50:02 かわかつ WEB
海部・・・縄文の時代から日本海岸部に先住。物部、宗像、尾張、海部氏はそれぞれ九州有明の海部から派生したと思われる。隼人もおそらくその中のまつろわぬ一氏族だろう。
時間的断層はあるが、まつろうた者は定住を許され各氏族となっていった。しかし、まつろわぬ者たちは海岸から奥地へ去り、遊民=せぶり、サンカ、マタギ、川部、山部、木地師などのシュクモノとなる。無宿者の「しゅく」とは本来、「夙」・・被差別民・非人ではない遊民=やくざ者を呼ぶ言葉となる。いわゆるアイロニーを含む表現である。
ゆえに海部には大きく2通りあることになる。
これを行った当事者は大陸からの渡来人であろうか。彼等を技術者の補助的役割・・・いいかえれば「奴卑」として使うのが秦人であろう。
建内宿禰は九州では高良大社の神、高良玉垂命である。
この神は桐の御紋を持ち、それは建内宿禰の紋である。
これを証明するのが各地の建内宿禰を祭る神社の紋である。以下当画像掲示板参照。http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs
福岡県山門郡は有明海に面し、九州一の大河・筑後川が流れ込む肥沃なところであり、八女、大川、広川、大和、熊本県菊水、菊池、山鹿など重要な海部の居住地と隣接する。
海部こそが装飾古墳を作った人々である。その壁画装飾の南方性は、縄文時代から、あるいはそれ以前から列島に来ていた海人族のものにほかなるまい。(連続三角紋、鳥と船、円紋、その他原色の色彩感覚)


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秦氏は
2005年7月1日 2:05:05 かわかつ WEB
遙か遅れてやってきた秦氏は、豊前地方を定住地と決める際、宗像、末羅、国東、宇佐、佐賀関、おおきた、などの海部を力で押し込め、まつろわぬ者と、まつろう者とに分断したであろう。武力に劣る海部は、しかし外洋渡航能力に優れ、潮流を乗り切って外部に出た者もいたであろう。しかし多くは秦氏の奴隷となり、ふるい分けられ、能力・技術に劣る弱者は追い出され、他は下人とした。逃げた者は国内のはるかかなたに移住先を求め、瀬戸内から大和へ=物部氏、太平洋から東海へ=尾張氏、日本海から出雲、若狭、古志=海部氏などへとなってゆく。
ところが、秦氏は豊前からもっとも直線距離にある瀬戸内航路で河内へ上陸。大和に入り物部氏を簒奪し政略婚姻することで大和巻向を奪い取る。

以上、前編の終了。講談師疲労のため、以下後編はまたのお楽しみ。テケレッツノパッ!


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奴卑
2005年7月1日 2:07:24 かわかつ WEB
奴国と卑弥呼


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高良大社
2005年7月1日 3:13:46 管理人
って九州にあるんですね。伊勢原の大山神社にもありました。この辺秦、海部っぽいですね。後編楽しみにしています。ダビンチコード読み終えました。エルサレムの神殿で掘り出された聖杯は、テンプル騎士団によってフランス、イギリスへ。アーサー王伝説や、悲劇のヒロイン白雪姫まで、いろんな物語に打ちのめされた女性の権威をかげながら織り込んだとか。その女神崇拝の聖杯のゆくえは古い子午線「薔薇」ローズラインに・・。おもしろいのはやはりソロモン神殿の前の二本の円柱のうち、ひとつにだけいろいろ幾何学形など象徴文様で掘り込みされているそうです。△杯と▽剣の象徴をあわすと六芒星になるとか、剣と杯の組み合わせは重要ですね。あとあとがきがなんと紀氏さんのライバル??荒俣宏氏でした!!彼の「レックス・ムンディー」聖杯ものについていろいろ書かれているそうです。ぜひだれか読んでみてください。


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出版原稿
2005年7月1日 6:27:41 管理人
あと、出版に向けて動き出したところで、紀氏さん、かわかつさんの原稿を元に造り始めた原稿見本PDFはあくまで「サンプル」なので、本の名前、構成、編集者、論文+エッセイ+??形式、出版社などは、これから話あってすすめていくべきかと考えておりますので誤解なく。いろいろ正直ご意見聞かせてくださいね。また3人だけでなく共著の方募集しています。


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8月20日まで
2005年7月1日 11:17:01 かわかつ WEB
二つの締め切りに追われています、その後にしてください。


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いえいえ
2005年7月2日 4:36:49 管理人
なんだか、急がしてしまってすいません。もうできあがってしまった紀氏さんもおられて、なんだかあせりすぎました。わたしと紀氏さんは間違いだらけなので、じっくり批判が出てこないよう、これからあら捜しをしながら完成度を高めて、かわかつさんの論をお待ちしています。と同時に渡来人エッセイ、小説書いて下さる方募集中です。ではでは。


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間違いがあるなどとは
2005年7月2日 13:00:49 かわかつ WEB
ひと言も言っておりません。読めない、あるいは読むのに苦痛を伴うと申しておるのです。



チベットの竹取
2005年6月30日 15:51:01 とみた MAIL
パリスさん、皆さん 竹取物語の羽衣には神仙の呪衣、不死の天界など・・・何か道教の匂いがする(私の勝手読み??)。崑崙山の西王母もチベットと近い?近くない?

妙なサイトで、チベットの竹取に似た話のイントロを見つけました。


 四川省のチベット族に伝承されていた『斑竹姑娘』という民話を1950年前後に中国の研究者が採集して出版しましたが、その『斑竹姑娘』が『竹取物語』ととてもよく似ていることが後になって発見されました。竹から小さな女の子が生まれる話や、五人の求婚者が難題に挑戦する話、そしてその難題の内容など、さまざまな点で『竹取物語』を彷彿とさせるものがあります。

◆3.
  田海燕編著 上海 少年儿童出版社 1957年
◆<Y2-AZ190>

   チベット族の間には、チベット語で「死体が語る物語」を意味する「若鐘」、あるいは「語り尽くせぬ物語」と呼ばれるアラビアンナイト的な諸説話が伝えられてきました。田海燕は、四川省で採集した「若鐘」説話を基にして、それを「鳳凰が語る物語」という形式に書き改めた児童文学を著しました。のあらすじは以下の通りです。大王子は国家の幸福を得るために神鳥である金玉鳳凰を探しに行きますが、捕まえるためには一切口をきいてはならないと教えられます。いざ金玉鳳凰を見つけて捕まえようとすると、この鳥は次々と物語を語りだし、盛り上がってきたところで話を止めて王子を焦らせて思わず口を利いてしまうように仕向けます。
 金玉鳳凰が語る物語の一つが『斑竹姑娘』です。『竹取物語』とは異なって、主人公は「翁」ではなく男の子であり、また「竹娘」は月に帰ることもなくは男の子と結婚してしまいますが、5人の金持ちから求婚されることや、その際に出される難題が『竹取物語』ととてもよく似ています。



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ビンゴ!です。
2005年6月30日 17:52:58 パリス
「チベットのものいう鳥」、田海燕という人が書いたものです。
とみたさんが探してこられた「鳳凰が語る物語」の日本語訳でしょう。アラビアンナイトのようにたくさんお話が入っていて、「不思議な紙切り老人」などは明らかに魔術を使う老人の話でした。
この話も、似たような話を日本の話として読んだ気がします・・・
話の筋は違いますが、夢枕獏の「陰陽師」に出てくる芦屋道満(字が違うかもしれません)が操る魔術と共通点がありました。
道徳的な話もありましたが、狐が人間に化けて王子と結婚する話や、幽霊から娘の魂を取り戻す話など、不思議な話がたくさん入っていました。
「竹娘」だけでなく、日本に伝わった話があったと思ったのですが、今本が手元にありません。
ところで、陰陽道と道教は同じようなものですか?たしか、北極星を重視していましたよね。(初歩の初歩でつまずいてる私・・・)


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果心居士
2005年6月30日 19:43:13 パリス
小泉八雲の「果心居士」という、戦国時代が舞台で幻術を使う大道芸人の話のエッセンスが「紙切り老人」と似ていました。
「居士」というからには仙人というか、道教というか、陰陽道の使い手なのでしょうね。


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月に帰る
2005年7月1日 3:03:17 管理人
四川省のチベット族に伝承されていた『斑竹姑娘』興味深いですね。やはりアラビア方面から、四川中国雲南方面へと流れてきますね。月へ帰るという発想が特異です。日本に持ち込まれた時点でどのくらい話が変形していたのか気になりますが、ちょっと別の視点から、今京都八幡の月夜田の地名を調査しはじめました。
http://vip.mapion.co.jp/front/Front?grp=excite&uc=1&scl=25000&el=135%2F42%2F25.801&pnf=1&size=500%2C500&sfn=excite_maps_00&nl=34%2F51%2F29.484&edge=2&
月に夜に田。かぐや姫的なこの地名と周囲の花朗の地名・・。なにか情報あったら教えてください。


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竹取物語原文
2005年7月1日 4:54:05 管理人
竹取物語、9世紀後半の作者不明の作だそうです。以下HPです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/kotenpeji.htm
5人の皇子に石作、蔵持、石上、安部、大伴がでてくるのがおもしろいですね。また蔵持の細工人として漢部がでてくるのも、渡来人研究的にもおもしろく、そのほか斎部もでてくるし、これはもう古語拾遺のとおりです・・・。9世紀後半で漢部がでてくるのは不自然で、もうすこし9世紀初頭あたりまでさかのぼるのではと感じます。渡来系独特の卑賤視の部分が見られ、この辺かわかつさんもおもしろいはずです。
石作のことばにも「白山」のようなという表現。石作がもってきたのはインドの釈迦の食事に関する石の鉢、庫持が持ってきたのは中国蓬莱の玉の枝となっていますが、そのほかの皇子がなにをもってきたかはかいていないでしね。大伴、石上、安部はあいまい。でも安部は陰陽の線も考えられているそうです。羽衣、領??、ともかく確かに「未知との遭遇」とかSF映画さながらのスケールでのおもしろさに加えて暗喩にみちた意味深さ天才的で、書いた作者が知りたいです。


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八幡・樟葉
2005年7月1日 7:26:09 とみた MAIL
竹取もワイワイやって,衆知を集め、管理人さんの地名探しと結構面白い展開ですね。
蓬莱は道教の世界だ。

八幡市と樟葉(葛葉、楠葉)・・・私は大阪府樟葉と京都府八幡市の境に8年も住んでおりました。樟葉は継体天皇の樟葉宮、新古今和歌集の有名な歌との関係、男山、岩清水八幡宮ぐらいしか思い出せません。

竹取との観点では・・・あのあたりは竹林が多いんです。エジソンの竹を調達したところ、女郎とか川の瀬みたいな地名がありますね。昔は京都と大阪をつなぐ淀川の船運の拠点。

タクシーの運転手に
樟葉、橋本、八幡には女郎やさんの宿が昔は多かったと聞いた事があります。

見当違いかもね。これは、かわかつさんの方が詳しいかもね


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橋本は遊郭あとあります。
2005年7月1日 10:46:25 かわかつ WEB
淀競馬場の淀あたりも大きな船着き場でした。
八幡の子守歌の一節です。
 
  向こうに見ゆるは淀、鳥羽、竹田
    松に花咲く ふじのもり藤森

      よいよいよ〜い 淀より下は
        やわた八幡 だいぼさつ大菩薩

           梅にうぐいす 吉原すずめ
             羽根を広げて とぶところ飛ぶところ 

悲しいマイナーな子守歌です。お調べ下さい。歌詞順不同

樟葉は大山崎に向き、日当たりのいい丘陵地です。丘を越えて下ったところが綴喜郡八幡。男山の裏側が八幡です。筒井順慶のほらが峠で有名ですが、実際には自動車解体業が主な産業。
巨椋池はここから宇治、木津、向島にまで広がる大湿地帯でした。秀吉の命で干拓され、新田になりました。海抜が低く、ちょっと前まで台風で木津川がよく決壊したそうです。
今は三川合流の淀川の起点として有名。
北河内枚方市とともにかなり気性のあらかった処です。
この地域を支配していたのは大筒木氏で、そこから「つづき郡」の地名はでているようです。
また、宇治茶の実際の山地としても周辺ではつとに知られています。


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続き
2005年7月1日 11:13:53 かわかつ WEB
八幡市の男山の竹は、仰るとおり、エジソンのフィラメントに使われまして、今は、松下電器のハイテク工場に敷地を取られてますが、広大な良質の竹が昔は生えてましたそうな。
ここは京都の南の鬼門で、巨椋池は四神の朱雀にあてられます。石清水八幡宮は宇佐から勧請された最初の八幡宮分詞で、以後の八幡各社はみな、ここからの勧請となります。
大筒木には渡来人と海部が集中し、古い時代の文明集積地でした。
ここからは同志社大学が建てられた田辺を抜けて奈良までわずかです。
この田辺というところは隼人が住んだところで、大隅という地名があります。彼等は北からの侵入を防ぐために置かれたかも知れませんね。
継体天皇の樟葉宮が有名ですが、追いやられなかった海部との関連があったためここが外戚・継体の安住地になりえたのでしょう。
海部が大変重要となるのは、その祭祀が北極星信仰という道教の影響を受けているところでしょう。本来、渡海民族にとって北極星は航路の指針でありますから、神となり道教の「北辰」へと昇華して行ったのでしょうが、もともと彼等、海人族の祭る神で、これが中国南部で道教として成立した、という逆コースがこれからむしろ主流になって行きそうです。
中国で大成した道教に、景教、バラモン、土俗信仰、シャーマニズムなどが混交して、それを持ち込むのが秦氏たちでしょう。
つまり海部と渡来者は根本部分で同様の信仰を持っていた可能性もあるわけです。
海岸部で、沈水、漁労をする漁民としての海部は、税を払えます。しかし税をはらえない者は、山、川に入り込むようになります。これをむかえいれたのが先住の海部でした。
山間地に安曇などの地名が残るのは、こうした事情があったのでしょうね。
八幡や、また九州の山間部には、必ず海部の痕跡があります。これはまだまだ生々しくのこっています。なにしろ被差別民の解放はつい明治になっていわれはじめ、未だ、解決してはいないことと大いに関係しています。
専門家によれば、さんかなどがいなくなるのは、なんと戦後なのだそうです。ついこないだまで、彼等はいたわけですね。
このへんの研究が自由に、偏見なくされるようにならないと、日本は本当の自由主義を手に入れたとは言えまいと考えます。



海部 つづき
2005年6月30日 10:46:15 とみた MAIL
海の民は自由度が大きかったでしょう。
沖縄宮古島の博物館で今年調べました。

あの小さな島にいろいろな民が住みついているんです。
部落ごとに御獄(ウタキ)という鎮守の杜みたいに鳥居・門と木々を植えた森を作
る。そこが部落の守り神なんです。
中国の唐や元や明の戦乱を避けて逃げてきた人たち。日本の平家の落人、倭寇の隠棲
地、津波で漂着した人、フィリピンのタガグロ族に似の南方系の人、道教の故郷、福
建省からも流れてきます。

南方系の人にはニライカライという先祖は海の彼方からやってきたと言う信仰は生き
ています。地底から先祖はやってきたとする信仰もあります。まるでヨーロッパのケ
ルト人(海の彼方と地底信仰)と同じようです。

弥生人の甕棺は西南インドネシアがルーツという説や、大林太良さの日本神話には南
方系のものあり(海幸山幸伝説など)にも関連がありそう。縄文人は中国の東北部の
6000年前の紅山文明と類似性を指摘する説も多い。縄=蛇=再生

いずれにせよ、隼人、尾張氏、大山祇・・・海人は海流に乗ればどこでも進出し根拠
を持てるわけです。

紀氏さんは俗説にない資料をベースに新しい見方を沢山お持ちのようです。是非是
非、素人にも分かるように開陳願いたいものです。

奈良と耶馬台国のかかわりあたり系図を含めてポイントを教えてください。


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参考資料です。
2005年6月30日 14:42:20 いばらの紀氏
ニッポン民俗学 日本人および日本の誕生
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-43.html

古代地図の重ね合わせ法による古事記神話の分析
http://www.toshikozo.co.jp/kousatu/kodaitizunokasaneawasehouniyorukozikisinnanobunnseki.htm
http://www.toshikozo.co.jp/kousatu/kodaitizunokasaneawasehouniyorukozikisinnwanozu3.htm

五香の周辺の歴史 房総とは
「鶏、鴨、雉などの?人足の負担、」
 ざんねんです! 内容が変更されました、抹殺?されました。ザンネン
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%b8%de%b9%e1%a4%ce%bc%fe%ca%d5%a4%ce%ce%f2%bb%cb+%cb%bc%c1%ed%a4%c8%a4%cf&fr=top


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労作だー
2005年6月30日 16:06:32 とみた MAIL
紀氏さん すごい労作ですね。なかなか読みきれないと思いますが、ボチボチ読ませていただきますね。ありがたく頂戴します。

そうですね、古事記、日本書紀を切り捨てるのは容易だけれど、事実を伝える貴重な部分もあるでしょうね。

その目的が藤原氏の正統性を認めさせるのか、外国に日本の優秀さを伝えるかは見方は違いますが、そのシナリオに反しない限り事実は歪曲する必要はありませんものね。

下総の五香のHPもありましたけれど、ここは私の家から近いのです。

ゆっくり読ませていただきます。


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取りこぼしデス。
2005年6月30日 23:05:23 いばらの紀氏

逃 げ ざ る 陵 墓
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nigezaru.html


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地図があると
2005年7月1日 8:52:01 管理人
紀氏さん紹介のHPの中で、やはり記紀の神話の展開した地域を地図上で楕円で範囲しながら、各神話を比較しているのが、非常に説得力がありました。あれをもし地図なしで言葉だけでやったらまったく理解できないですね。地図とか写真とかやはり説得力を増すためにも欠かせませんね。わたしももうすこし多用してみようかな?



岸和田に秦廃寺が!
2005年6月29日 21:08:53 タックン
この間買った本を読んでいたら、岸和田市に秦廃寺というのがあるそうです。
京都の広隆寺に所蔵してある、「末寺併別院紀」というのに、天武天皇8年11月に、秦勝賀佐枝等等が和泉秦寺を建立したらしいです。
私自身、秦氏が和泉のこんな奥のほうの地まで、住んでいたとは今まであまり注目をしていなかったんですが、ちょっと以外でした。
現在の和泉の地、岸和田周辺は秦氏の居住地の、このあたりの中心地やったんでしょうか?


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紀氏・和田
2005年6月29日 21:14:53 かわかつ WEB
そこんとこ紀氏さんに調べてもらいましょうよ。


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泉南貝塚、秦廃寺
2005年6月29日 23:43:44 かわかつ WEB
http://www.city.kaizuka.lg.jp/shakaikyoiku/bun/shitei11/hata.htm


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やはり
2005年6月30日 8:55:01 管理人
やはり行基のふるさと岸和田周辺は、秦氏と縁がふかいのですね。秦氏の建築技術から後代の行基集団の建築技法に影響していった線重要かと感じます。建築技法から秦氏の故郷逆算できないですかね。エンタシスはどこから??



皆さんすごい情報量ですね
2005年6月29日 13:37:50 パリス
目を白黒させながらどうにか読みました。(^^;
もともとは古代エジプト第十八王朝のアメンヘテプ三世、アクエンアテン、ツタンカーメン等に興味があっただけなのですが、その時代にヒビルと呼ばれた(恐らく)後世のユダヤ人の動きを理解しないと全体像が掴めず、あれこれ調べているうちに何故か日本に渡来していると思われるユダヤ人まで調べていました。
これは、門外漢の言うことなのであまり真剣にとらないで欲しいのですが、彼らユダヤ人は、パワースポットとかレイライン上に自分たちの拠点を置いているようです。
また、征服した国の人間と結婚してどんどん同化してしまうようです。(北方騎馬民族国家説にもそうありました)
きっと、中国大陸には様々な混血があり、ユダヤ人その他民族のDNAもきっとたくさん入っているだろうと想像し、小爪をもって「純粋漢民族の証」というのは一体何が根拠なんだろう?と疑問だったのです。
なんだか、このままだと本来テーマにするつもりだった出エジプトに戻れないくらい遠くへきてしまった気がします。
でも、本当に勉強になります。ありがとうございます。
それと、爪の写真はやっぱり見苦しいので・・・(汗)


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心配ありません。
2005年6月29日 20:48:42 かわかつ WEB
丸い地球はまた、いつか貴方をエジプトに連れて行ってくれるでしょう。
生まれた処から始めましょう。


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竹取物語と秦氏
2005年6月30日 4:23:53 管理人
ユダヤ人の拠点とレイライン、かなり興味あります。中国を経由して、もしかすると日本へ。秦氏などとの関連が指摘されていますね。今日はたまたま仕事でかぐや姫の話をストリーミングファイル化しています。と、そのかぐや姫の話、つまり竹取物語ですが、こんなに面白い話とはおもってませんでした。月からやってきたかぐや姫、求婚する5人の皇子、杯、金枝、勾玉、貝、蓑・・・を求めさせ、そのうち蓑と貝を求めた皇子は手に入れるのに失敗、後の3人は手に入らずじまい。そしてみかどの耳に入り・・・。最後は天皇の軍隊を前にして月に帰っていく話。あまりにできすぎた話でびっくりしました。ちょっと竹取と秦氏と天皇についての情報よろしくです。きっとパリスさんもかぐや姫のごとく月の王国に帰れますよ!!


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チベットのもの言う鳥
2005年6月30日 7:39:38 パリス
という、岩波書店から出ていた児童向きの本に、竹取物語にそっくりな話が出ていました。「竹娘」というタイトルだったかと。子どもの頃に読んだので、うろおぼえで申し訳ありませんが、もともとチベットや、その他のアジアで知られた話のようでした。
秦氏は、ユダヤ系なのではと乏しい知識で感じてます。
中沢新一著「精霊の王」の巻末の付録、金春禅竹の能の理論書「明
宿集」に、秦河勝の話、翁と北極星についての話など、興味深い話が載っていました。
皆様ご存知の情報かもしれませんが。
ほんとうに、生まれた国、日本には面白い資料がたくさんありますね!まだまだ、古代の人名さえ読むのに大変な苦労をしていますが・・・


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チベット!
2005年6月30日 8:46:25 管理人
パリスさん貴重な情報ありがとうございます!むむ、チベットですか、やはり秦氏の祖地と言われるシルクロード・弓月国から、チベット、中国南部から日本へ、月の伝説が??・・・・。チベットの竹娘?伝承かなり興味深いです。


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竹取の陰には海部が
2005年6月30日 9:49:36 かわかつ WEB
このあたりから埋めていきませう。
このはなさくや姫、隼人、海部、壬申の乱、そして秦氏
場所は大筒木から

http://take-tanabe.hp.infoseek.co.jp/index.html
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/taketori/taketori.htm


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つなぐもの
2005年6月30日 9:52:53 かわかつ WEB
海部と秦氏を繋ぐヒントがここにありそうです。
パリスさん、あなたの直感に感謝します。やはり野郎ばかりががちゃがちゃしているより、一人でも女性が入る方が着想は広がるようです。



海部はやはり簒奪された
2005年6月29日 12:55:26 かわかつ WEB
どうも海部から始めなきゃ行けないみたいです。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/ama.html
最重要サイトですかね。


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確かに
2005年6月29日 13:14:44 管理人
海部の実態なるほど最重要ですね。漁の仕方とか、特殊なんですね。


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追いやられたのは
2005年6月29日 20:58:01 かわかつ WEB
秦氏の臣下たちだと思いきや、それこそ海部だった・・・
海部の構成人員について考察せねばならないようです。
しかし、正史には海部の追いやられた痕跡がない。海部とは物部氏のことでしょうか。
ならば、崇神王朝は秦氏の王朝なのでしょうか?

     縄文←・・・海部←物部←秦氏←そのあとは?
南方系海部族
北方系海部族
    


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、「海部」の参考になればと
2005年6月29日 23:03:50 いばらの紀氏
かわかつさんみなさん今晩は、「海部」の参考になればと思います。
海人 あま 古文献に海人,
http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/dust/jinm/jin3.htm
 塩野神社  和歌山市加納19 
http://www.kamnavi.net/ki/city/siono.htm
部 べ アジア 日本 AD 
http://www.tabiken.com/history/doc/H/H343C100.HTM
佐伯氏 ( さえきし)   宮廷を守るエリート
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n300.htm
本論道成寺…説話考
http://www.asahi-net.or.jp/~ue1k-ootn/041dozyok6.html
http://www.asahi-net.or.jp/~ue1k-ootn/041dozyok11.html

http://www.kamnavi.net/it/murakumo.htm
中臣氏発祥の村
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/akamura.html

http://members.jcom.home.ne.jp/lila/newpage21.html


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サンキュウ ソウ マッチ
2005年6月29日 23:34:55 かわかつ WEB
http://members.jcom.home.ne.jp/lila/newpage21.html
特にこのサイトが超おすすめ。
あなたは海部を使っていた紀氏の末裔やいかに。理系なりや?


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紀氏と天部
2005年6月30日 8:52:59 管理人
紀氏と海部の関係密接なんですね!塩野神社の祭神、確か伊勢原の大山神社にもあったような。そもそも海部集団が南方から日本に来る途中、沖縄のほか、台湾あたりも寄ってないでしょうか。ふと気になりまして。


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紀氏さん
2005年6月30日 9:57:39 かわかつ WEB
酔っぱらって書き込んだ無責任な私のレス、まさか読んじゃったのではありますまいか。すべて消しました。撤回します。落ち込まないで下さい。お願いです。


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海部hpを読んだ雑感
2005年6月30日 10:44:32 とみた MAIL
上記、紀氏さんとかわかつさんの海部のHPは参考になります。
耶馬台国と奈良盆地。
磯城氏と磯城郡糸井神社、呉羽神明との関係。
赤染氏と丹が絡んでいる?赤染氏と常世。常世は道教と絡んでいる?いない?
香春神社と辛国息長、息長氏と物部、神功皇后、継体、ややこしい関係。

謎は謎を生む。
中国は後漢が衰え黄巾の乱、公孫氏は魏と(蜀と)呉の力関係を利用して立ち回る。卑弥呼は公孫と特別な関係ありという説もありますが、公孫は魏に結局は敗れる。敗れるまでの50年間ぐらいの史実が鮮明なら倭国大乱や卑弥呼の謎解きがはっきりしますね。

耶馬台国のトヨ(台与)が西晋が終わる317?年まで続くとは新説ですね。

かわかつさんの云う庶民は大変だったでしょうね。新から後漢への移行期に人口6000万人→1500万人。黄巾の乱から三国志の時代は6000万→500万人 大乱の時は軍閥の中で強いのが伸してきます。五とう米道という道教が盛んになります。これ卑弥呼の鬼道に関係がありそうですよね。

戦争、飢饉、圧制・・・たまんない。律令制も戸籍や田畑をしっかり調べて税金を取る。日本だけでなく朝鮮の古代も逃げる民を如何に土地に縛り付けるかが課題でした。



「脊振山」・・・重要!
2005年6月29日 11:24:27 いばらの紀氏

脊振山

パリスさん「背振山の小爪峠」は、古代のラインでは重要なポイントです。(御存知でしたか?)管理人さん「行基図」ライン終了して「意欲の炎」の消えかけていたところ、最後の油を注いでいただきまして感謝いたします・・・・原稿に追加の可能性が・・・・
「セブリ・センプーリ」「爪・瓜」以前より気になる音・文字でした、今思うと「爪」は琴(言)を霊界より遠音を引き出す重要な道具ですし、「背振山」は「鹿島」から甑島列島の「鹿島」の「」ラインと「行基図」での「鹿島」から「壱岐」の「東西」ラインを取持つ「重要なポイント」なのです。(出版予定の本にご期待下さい。)・・・・再度 原稿に目をやる紀氏でした。


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行基図
2005年6月29日 13:09:41 管理人
いま、寝起きです。せぶり、せんぷーり、なるほどあの話とむすびつくわけですね。あの話も紀氏さんご指摘が重要な話題でもあったので、ぜひまとめてみてください。あとまた寝る前に、行基図のサンプルお送りしていますが、実際にはあの図に「古墳のこころ」にご掲載の紀氏さんの線分が入った図を入れてほしく思います。やはり線分入り図がないと、文章読むだけではなかなか全国の位置が理解できないようですのでよろしくです。ではではおやすみなさい。



こうやの宮でした
2005年6月29日 11:07:33 かわかつ WEB
これです。


http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/2-trip/2h1-hitisi.htm


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しかも
2005年6月29日 11:09:30 かわかつ WEB
熊本県でしたーー;
こりゃ関係なかかな?


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九州は謎ランド
2005年6月29日 11:33:47 とみた MAIL
おやおや、かわかつさんの世界だ。今春南九州へ行ったので懐かしくもありますね。菊池川の辺の 江田船古墳しかと見ましたよ。山鹿の行燈を頭上にのせた行列の祭り、景行天皇を案内したんだそうですね。でも江田船古墳の話を東京から熊本の私大の教授として行って数年になる友人に先日東京で話したら全然知らないの。そんなものかなと愕然。

七支刀人形、こんなところに石上神社の物部氏ゆかりの刀が関係してるんですか。アラカイが九州の族退治に行っているのでみんな関係があるんだ。九州ランドは謎が一杯だ。

もう少し覗いてみますね


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まか摩訶不思議!
2005年6月29日 11:50:43 かわかつ WEB
とみたさんかわかつワールドへいらっしゃ〜い。上の方で紀氏さんワールドも活発化していますぞ。ーー;怖いですね〜
土井ヶ浜は行きましたよ。素晴らしい処です。日本海の荒波寄せ来る白い砂浜の下に、戦で敗れた白骨死体が山ほど!それがレプリカになって展示されている。
やりや弓矢が突き刺さった巫女の遺体・・・みんな西を向いている。
是非行くべきです。温泉もちかいしね^^

紀氏さん特異の・・いや、得意のレイラインが背振山に!ここは吉野ヶ里を背後に控え、向こう側は筑紫の君の本拠地、高良です。

(ああ、ジンギスカン食べたい。蒙古襲来の影響か、高良にはジンギスカン鍋屋があるのです。一人前600円くらいで腹一杯になる!)

小爪からいろんな情報が出てきました。おもしろそー
こりゃ、パリスさんに感謝しなきゃね。m^^m


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七枝刀
2005年6月30日 9:12:54 管理人
七枝刀と三種の神器は関係どうだったかな、気になります。



人種と形質(と性質)
2005年6月29日 10:35:01 とみた MAIL
パリスさん発の話題提供が膨らんで面白いですね。管理人さんの小爪峠は掘り出し物です。かわかつさんの近くでしょう。

パリスさんのご先祖様のおれれる北部九州と島根の土井ケ浜は弥生渡来人が来たところとして学会では有名ですよ。確か、中国の江南=長江下流の北部の淮河(わいが)流域の淮江の人骨と似ているそうなんです。これも日本人のルーツを江南の呉越人とする有力な手がかりです。現代日本人の65%のDNAは中国韓国渡来人由来と言われています。

それでも地域差がありますね。耳垢、手のひらの紋様、二重瞼などの遺伝的特徴もあるらしいので、もしかすると小爪もと考えたりしました。

確かに今年訪れた沖縄の宮古のペンションの親父とアイヌ人は似ていました。

中国の人種の有力な仕分け方をご紹介します。
西から東へ・・・イラン系、トルコ種、蒙古種、東胡種=蒙古種を根幹としツングースが混血、わいはく(&#28618;狛)種=ツングース種を根幹にとし蒙古種が混血、ツングース種・・・

それ以外にチベット系と朝鮮の韓族を含む。

日本人も北方系(バイカル湖から?)南方系 、《縄文人+弥生人》混血種・・・良く分かりません。

紀氏さんの人類みな兄弟で行きたいけれど現実はねえー

昨日の記録的な猛暑が夜来の慈雨で今日は涼しい、有難や ありがたや!たすかーります


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北部九州+島根
2005年6月29日 13:26:46 管理人
なるほど、北部九州+島根という共通項が解明の鍵かもしれませんね。二重まぶただと南方中国系、一重だと北方という感じらしいですが、一重でありながら南方形質を持つケースは案外珍しいケースではと感じます。だいたい南北どちらかの形質に偏って出てくると思うので、とみたさんご指摘の指紋・・・もちらかに偏って出てくるとルーツがつかめそうですね。



レスありがとうございます
2005年6月29日 7:55:19 パリス
どうも説明が上手く出来ず、すみません。
小爪のことは、キーワードは忘れましたが、日本人のルーツを調べる検索をしていた時に見つけました。
HPの管理人さんのエッセイで、中国人のグループと話していて、彼らがみんな知っている話題として出てきたそうです。
中国人にも少ない特徴のようです。
私も、「純粋漢民族」という言葉には違和感がありましたし、日本人である私の爪(福岡県人)にも、主人の爪(新潟県人)にもあるのに、と思い、あちこち検索しましたが、それきり見つからない話なのです。
同じような趣味の友人に話すと、人類が六本指だった頃の名残ではないかと言っていました。
かわかつさん、つめのささくれではないようです。
ずっと、爪が割れてしまってそのまま生えているものと思っていましたが、よく見ると爪の根元=爪母が二つ隣接しています。
この特徴、本当に漢民族だけのものなのか、それとも他の民族にも見られるのか、ご存知の方がいらっしゃるかと書き込みさせていただきました。不機嫌にさせてすみませんでした。
とみたさん
星派と太陽派の話は私もとても興味があります。
実は北極星の信仰を追ってこちらのサイトにお邪魔したのです。
なにしろ素人で、専門に勉強したわけではありませんので、すごく難しいのですが、よろしくお願いします。
いばらの紀氏さん、管理人さん、たまにとんちんかんな事を書き込むかもしれませんが、基本的に大人しくロムしてますのでよろしくお願いします。


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六本指
2005年6月29日 8:54:27 管理人
やはりパリスさん福岡ですか。福岡ちかくの背振山の小爪峠についてですが、背振山の背振神社の役の長者と弁財天と山伏の話が以下のHPに掲載されていました。

http://www.joho-fukuoka.or.jp/kigyo/sawasyo/4_Kanko/sightseeing-3.html

六本指と人類の話、以下のTBSのHPに幻のスンダランドの特集の中でタイやカルフォル二アの六本指の壁画の話や、インドの六本指にまつわる話でています。ほんとに洪水神話以前の人類って六本指だったのって感じです??もし六本指の名残だとしたら、遺伝的にはGM遺伝子の図http://www.narayaku.or.jp/narayaku/image/dna_map.jpg
の紺とか緑の遺伝子を持つ人種、白人とモンゴロイドが別れる以前のつまり白や赤や黄色の遺伝子がでてくる以前の数万年以上前の人類の名残かもしれないとか・・・・(妄想)。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html
参照

たぶんそれを中国人にたとえると、純粋中国人というより、原始モンゴロイド??というほうが正解かもしれず、今でもチベットとかインディアンとかアイヌとかに見られる遺伝子と関係するのでは・・・。
なぜ中国に多いのかわかりませんが、中国の文化の中にとんでもなく古い超古代の何かをいろいろ受け継いでいるらしいことがあるのかもしれません。紀氏さんのお得意のところでは・・・。


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見たいような見たくないような^^;
2005年6月29日 9:50:53 かわかつ WEB
ろいろ書きましたが、こう言うときこそ画像掲示板へ画像を送っていただけばすぐわかります。でもちょっとグロになりソナ気配ありですねえ。


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少なくとも・・・
2005年6月29日 10:01:11 かわかつ WEB
旦那さんのは見たくない++;


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不機嫌だったのは
2005年6月29日 10:53:37 かわかつ WEB
めがねが合わなくなったからです、今日やっと近くをクリアに見れるめがねができあがり、ご機嫌です。^^
パリスさん、気になさらないで下さい。ちょっとてんかん気質的な男ですが、悪意はありません。
思い出したことが一つ。私は大分ですが、福岡には「日向峠」があって、久住の裏側から抜けて、日向ダム?を通っていったことがあります。確か太宰府に行ったと思いますが、この道は古代の官道だったように思います。
高良大社に行った時に、確か、七枝刀を持った異国人の木彫り像のある祠があったですね。あれは因幡氏という氏族が護っていると聞きました。
何か大陸系で、極彩色の服を着せられてた様な。



はじめまして
2005年6月28日 19:45:54 パリス
皆様、はじめまして。パリスといいます。30代の主婦です。
私はもともと古代エジプト史が好きだったのですが、出エジプトに関する本を読んでから、ユダヤ人、その祖先といわれるヒクソス等に興味を持ちまして、気が付いたらユーラシア大陸を横断して日本まで来てしまいました。こちらの掲示板は、勉強不足の私にとっては難しいのですが、とても勉強になり、感謝しております。
最近の、こちらでの話題の日本人のルーツについて、教えていただきたいのですが、「小爪」というのをご存知ですか?
どこかのHPに書いてあったのですが、足の小指の爪に並んで生えている小さな爪のことで、「純粋漢民族」の証だそうです。
中国人にも小爪を持っている人は少ないそうですが、彼らの間では知られた話だそうです。実は、私と主人、長男は小爪が生えています。
漢民族というのは混血を繰り返していると本では読みましたので、純粋漢民族ってなんだろう・・?と、とても疑問です。
ちなみに、私の祖先は、福岡の柳川近辺と、島根県出身です。
もし、なにかご存知でしたら教えてください。
よろしくお願いします。


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大変失礼なのですが
2005年6月28日 20:28:24 かわかつ WEB
書かれていることの意味がよくわからないのですが・・・?


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すみません
2005年6月28日 21:19:51 パリス
説明不足でした。
「小爪」という遺伝子的な特徴が、どこに源を発するのか、疑問だったのです。私は、漢民族と、モンゴロイドという人種が同じものだと思っていましたし、中国人、朝鮮系の民族、日本人、同じようなもので、二重まぶた等の顔立ちの違い、体つきの違いはあっても同じ「モンゴロイド」で括れるだろうと思っていたのです。
中国大陸は広いですから、印欧族などがどんどんやってきて混血していったというのは理解できます。
私がみたHPに書かれてた「純粋漢民族」というのが混血してない漢民族と言葉どおりにとるとしたら、一体どのあたりが起源なんだろうと、自分の爪を眺めつつ疑問に思い、つい博学なこちらのみなさんならなにかご存知かと甘えてしまいました。
申し訳ありませんでした。


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パリスさん
2005年6月28日 23:13:52 とみた MAIL
ギリシャ神話のパリスさんですか。エジプト考古学も強そうで心強いです。

エジプトの古王国はピラミッドの世界ですね。メソポタミア出身の星派(北極星)渡来人と現地エジプト民族の太陽派との戦い。ピラミッドの東に入り口をつけたい太陽派。北につけたい星派面白いですね。
中王国になるとピラミッドは終わってアメン神とアテン神との戦い。その頃BC1600年でしょうか、メソポタミアはヒッタイト、フリ→ミタンニ、アッシリア、バビロニア、海の国、ヒクサス、エジプトの勢力争いですね。ヒクサスはすぐ消えた。アナトリア(今のトルコ)のヒッタイトとエジプトのラムセス2世がシリアのカデシュで戦ったのが有名ですね。

西アジアのイランの西北部が印欧(インド・アーリア)民族セム族のルーツみたいに感じております。(私の勘です。違ったらごめんです)
ギリシャもヒッタイトもゾロアスター部族も紀元前2000年ごろ東へ西へ降りていってますね。インドのインダス川ガンジス川にも下っております。

話題を変えて、太陽派と星派は日本にもありますね。

アマテラス大神は太陽派、稲作と関係が深い。卑弥呼は道教、道教は星派(北極星)なんです。星派のルーツは遊牧民でしょうかね。

古代日本では道教と太陽神は融和してしまった。古代史の世界は面白いですね。私は隠居の身分ですが素人です。管理人はまだ30代、その他は華麗な歴史作家ですよ。

どうぞ気楽にお寄りください。

小爪のことは初めて窺いました。


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漫画でのお話でしょうか?
2005年6月29日 0:00:34 いばらの紀氏
検索しました、
作者 武田京子
タイトル 誰もわかってくれない
出版社 集英社
シリーズ りぼんマスコットコミックス
状態 並上
状態詳細 カバーズレ、小爪あと/天に極小シミ


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意地悪な言い方をします。
2005年6月29日 1:06:07 かわかつ WEB
純漢民族などという言葉は聞いたこともありません。そんな人間がこの世にいるとも思いません。猿人がいたというなら信じますが。
隔世遺伝でそういう形質が出る人がいるというならわかります。混血していない人類などこの世にいません。今、現在。そう思わなければいったい世界はいつになったら平和になるでしょうか。そのような自分が特別な人間だ、などという思想がすべての間違いをひきおこすのではなかろうかと。

次に、理解を込めて申します。
漢民族の起源を求めるのなら、「漢民族の起源」で検索すれば2つサイトがあります。しかし、漢民族というのが、人種であるのかどうかには疑問があります。もともと寄せ集めの人種形成は大陸の宿命ですから、純血種を探すなら原始の頃に戻る必要が出てこないでしょうか。

つっけんどんな申し方で失礼とは思いますが・・・私は無礼な人間ですのでお許しを。


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小爪
2005年6月29日 1:22:11 管理人
パリスさんはじめまして。小爪のお話初耳です。小爪で検索すると、爪の中にある小さな白い部分という説明もでてきますがご指摘の件は違うようですね。爪に関しては九州の知り合いで爪がとても大きな方がいて弟の方もやはりそうでした。爪の形、指紋と同様遺伝的な形質をよく表しているようですね。ご主人さんもというのはまた珍しいです。ご近所に住んでいらして知り合われたのでしょうか。純粋漢民族、たぶんあまり厳密な用語ではないのではと感じます。日本も中国もかなりの人種が入り混じっていますし、民族の語の定義が問題ですね。民族の語の定義は人種とは違いまして、近代の国家と同類に扱われた社会集団、経済、政治的枠組みで単一民族とうたわれた事例や、最近の宗教、出自集団、血縁、人種・・などアイデンティティーの概念から導き出される民族の概念があります。純粋漢民族と言われるとき、おそらくは古代の漢民族の概念に由来すると思うのですが、そこにはとみたさんご指摘の宗教・思想的な同一性、始祖をどこにもってくるかという点などがあるのではと感じます。でも爪の特徴のような人種的、遺伝子的な要素になると、漢民族を考えるとき、確かにGM遺伝子だと中国南方方面のマレーシアあたり起源の遺伝子をもつ人々と、北部方面のモンゴル方面の遺伝子を持つ人々とに分かれるようです。そしてどちらが漢民族の大本なのかも問題ですが、小爪になるとさらに細分化して遺伝的特徴を調査しなければなりませんね。ちなみに九州福岡の金山とか鬼ヶ鼻岩とか背振山とかのちかくに小爪峠というのがありました。以下地図です。
http://map.msn.co.jp/mapmarking.armx?mode=1&la=130.20.57.1&lg=33.28.13.9&zm=8&smode=1
http://www.city.fukuoka.jp/contents/7d520e191/7d520e19165.html
ここってかわかつさんの領域では?この辺中国人の痕跡ありませんでした?例の中国系の亡命百済人の件とか・・・。



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中国人の痕跡なら
2005年6月29日 1:42:57 かわかつ WEB
いろいろありますけど・・・人類学的に「漢人」ってあるんですか?漢民族なら満州民族でしょうか。愛新覚羅さんとか・・・。だったらこの場合は戦後から続いた単一民族信仰という迷信が作り出した、いわゆる迷信ですね。失われた王族への懐古趣味?あるいはない者に対しての冒涜ともとれましょう。今日はちと不機嫌なかわかつでした。


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ささくれ
2005年6月29日 1:50:56 かわかつ WEB
足の指が角質化して成長したささくれのことですね。誰にでもできます。


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あ、かわかつさんも
2005年6月29日 2:04:50 管理人
かわかつさんも今書き込んでたんですね。いわんとすることは、結構似た線だったりしますね。「純粋」というのは、戦前を思い出す言葉でありますね。と、戦前はしらんのですが・・・。民族とか人種概念で純粋を見出すことは難しそうですね。理想とか思想の世界にいかないと・・・。とはいえ、DNA遺伝子ならあるいは確かに純粋伝承の可能性もなきにしもあらずです。父系でとか母系のみで伝達する遺伝子があったり、A,B,O、ABなどの絶対的に融合しない遺伝子の形質を追うケースだと話は変わってきそうです。爪の形ももっと遺伝伝達の特徴が出てくるとおもしろいんですが。
たぶん、戦争が起こる原因のひとつに、理想化された概念で国や民族を虚構のもとで統一した洗脳意識を作り出している点にあるのだろうと感じます。実際は混血であること、宗教もばらばら、習慣もいろいろという実態を直視せずに偽りの概念を、押し付けることによって悪が生じてくると感じます。偽りから善は出てこないですね。たとえ宗教でも偽りばかりしていると悪しき結果が出てきます。もっとも教育上とかで「隠す」というのは偽りとは別ですが。問題はやはり戦争を起こす前に、自国や他国の実態を直視して受容できるかどうか、そこにかかってくると思います。直視することによって、はじめて自身や相手のよさ、欠点がわかってくるし、受容することができるようになる。受容できない部分がでてきても、合理的に冷静な話ができるようになり、結果として争いを防ぐことにつながりますね。



古墳
2005年6月28日 9:53:15 bonnbi=まっちゃん
大仙古墳は、なぜ大きいの?


古墳はどこから伝わってきたの?


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なぜか
2005年6月29日 0:50:22 管理人
 まっちゃん、こんばんは。さっきまで寝ていました。お返事おくれてすいません。なぜ、大仙古墳が大きいかについてですが、そのころ支配していた大王と呼ばれる王様の力が大きかったから、多くの人を使って大きな墓をつくることができたといわれています。でも、大きな建物を造るのには、普通の人ではつくれません。高い技術を持った人を使うことができたのだろうといわれています。大きな古墳を作るには、単に土を盛り上げるだけではなく、もともとあった岡などを削ってつくると造りやすかったようです。詳しくは以下のHP参照してみてね。いろいろ質問に答えてくれると思います。
http://www.city.sakai.osaka.jp/hakubutu/ninhya.html
 古墳がどこからきたか?古墳にもいろいろ形があります。大仙古墳は前方後円墳といいまして、ご存知○と■がくっついてできていますね。その形は、朝鮮の南のほうにもみられるそうで、今先生方の間で、朝鮮が先にその形のお墓をつくったか、あるいは日本が先かで意見が分かれているそうです。任那と古墳で調べていくとでてきますよ。勉強がんばってね(^_^)/~

途中まで読みました、なかなかいい本です。

関裕二さんの本は推理作家なので大胆な仮説,架説がありそれも魅力がありました。千田稔さんのご本は学者らしく根拠に飛躍がなくとても説得力があります。アマテラスという神社は全国に10個ある。
かわかつさんご指摘の蚕の社など。これらは共通して祭神はホノアカリ=火明命で尾張氏に関係がある。いずれもアマテル=天照ですが一つだけ例外があるとのこと。
対馬の阿麻&#27664;留神社=アマテルだそうです。

ここには天道信仰がありこれがルーツかもとしている。

弥生時代は銅鐸が太陽信仰の祭器。鏡が神器になったのはいつか。

卑弥呼は魏王から鏡(三角縁)が送られているこれには道教の不老不死の仙人西王母の図柄が入っているんですね。

装飾古墳の円文は元々は鏡を意味していた。その後は太陽を意味することになった。

ホアカリは尾張氏、南九州薩摩の阿多(吾田)に着いた海洋民。海産物を天皇家に貢いで王権のもとで勢力を持つことが出来た。したがって、傘下に丹後の海部氏を入れた。天の香具山との関係も深そうで、実際、近くにお小懇田、小治田というオワリと読む地名があるそうだ。アメノヒボコについても明快な解答。

ヤマトの奈良県磯城郡川西町に新羅から渡来したアメノヒボコを祖先とする糸井氏と三宅氏がいる。糸井神社がありその3−4宮は綾羽、呉羽明神が祭ってある.応神天皇雄略天皇紀に漢織呉織技術者を迎え入れたことの証がある。三宅は屯倉で直轄地を開墾する部隊その勝氏は播磨国風土記に出ている。揖保郡の大田里条には《昔、呉の勝韓国より来たりて》とある。すなわち江南の勝氏が朝鮮半島から渡来したことを物語っている。

みなさんにはお馴染みかもね。私には具体的な例証で参考になりました。

また読んだら報告します。


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やはり
2005年6月28日 0:33:39 かわかつ WEB
秦氏と物部氏のはざまを埋めるのはアメノホアカリですか。どう処理できるか、ちょっと今は。
アメノホアカリ=ニギハヤヒ=アマテラス
秦氏=物部=中臣氏・・・・・・・・・・・・海部
やはり今はまだわかりませんね。困りました。
とみたさんの吸収力に置いてけぼりをくらう日も近そうです。


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海部は私の部下でした。
2005年6月29日 1:06:08 いばらの紀氏
部民 海部
http://www.asahi-net.or.jp/~ue1k-ootn/041dozyok7.html
    佐伯
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n300.htm

大穴牟遅神は出雲(禹系)と大和の混血・・・・兎(禹系)を助けた大国主(大穴牟遅神)八十神(日本に遅れてきた、ヤソ・キリスト系・・・・アレキサンダー系?・・・・妄想の紀氏でした。



トミーにお・ね・が・い。
2005年6月27日 18:37:59 いばらの紀氏

 御願いが有ります、古代史を追及しますうちに どうしても「先祖」・ルーツにぶつかります。
ある価値観で構築された我が「ニッポン」しかし、国境も無い時代に異部族間の混血を繰り返し国を設立、他国との血統・自国を単一民族とし他民族を阻害 多族との血の混合での自分の存在を「純血種」との誤解、「雑種」を馬鹿にする国民性とブランド志向そんな我が国民に「DNA」からの日本人のルーツ混血?「雑種?」の自覚・雑種の強さ 
近親婚でのサラブレットの悲しみ、「人類一家、みな兄弟」 生存を掛け戦う遺伝子DNA・・・差別・争いの愚かさを「生きている原始的なDNA」の悲しさ・愚かさを トミーの培った学問で「人類へのメッセージ」を送信してください、歴史・ルーツ・・・・・差別を無くしたい紀氏です、ヨロシク!


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どうしちゃったんですか
2005年6月27日 19:16:14 かわかつ WEB
そんなに悲観しなくても・・・差別がなくなり、戦争もなくなった時には人類は滅びてますよ、きっと。だから悩むのはもうおやめなさい。


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人類は争いの歴史?
2005年6月27日 20:40:48 タックン
歴史をいろいろと考えていると、人類は数え切れない争いの歴史の上に成り立っていると考えられます。
科学や、道徳的な思想も、戦争が起こったからこそ発展してきたのやと思います。(医学もこの中に入ると思う)
差別。戦争はよくない事ですが、こういった過去の歴史の積み重ねの上に、今日の私たちの豊かな暮らしがあるのです。

特に戦争の繰り返しの歴史の上で、科学が飛躍的に発展してきた事は、否定のしようがありません。

若し今日の世の中、戦争や差別というものが無い世界やったら、文明は停滞して今日の飛躍的な科学による世界はないやろうと思っておりますが・・・・

人間他人の火事は、他所事のように思う勝手な生き物で、何か何時も刺激が無いと不安な生き物やないかと感じるときがあります。


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生物論的な思索
2005年6月27日 22:08:25 とみた MAIL
紀氏さんの意味深長な言葉。
植物には雑種強勢と言う現象がありますね。トーモロコシなんか掛け合わせて収量を高めているんですよ。
現代のアメリカは人種の坩堝で、多民族なので弱みより強みがありますね。古代はギリシャはギリシャ人しか優遇しなかったのに比べてローマは多民族をうまく使いましたね。人間は不思議な動物だと思いますよ。DNAは30億個の塩基、塩基は記号ですよね、4つのアミノ酸 G C A Uの並び具合で蛋白が決まり2-3万の遺伝子を構成する。そして生命体が決まるわけ。人間存在はDNAが生き残るための謀略という説もありますね。

宇宙の元素だって不思議でしょう。太陽はヘリュームと水素だけの軽い元素で成り立っている。鉄みたいな重い元素は超新星の爆発みたいな高温の中でしか作れない。人間には不可欠な鉄その他の元素は大宇宙の中で作られている。

細胞は核膜の中に普通の染色体がありそこにDNAが並んでいる。同じ細胞の核の外にはミトコンドリア、リポゾームなど多数の顆粒があります。リポゾームでDNAの設計図を写し取ってアミノ酸を縮合してタンパク質を合成するのです。
ミトコンドリアと核を有する細胞は大昔は独立していたのが寄生するようになって今は合体=共生しているのがわれわれの一つの細胞なんです。

ミトコンドリアにもDNAがありこれが母方だけで遺伝する。ミトコンドリの遺伝子が今でも核内の遺伝子に取り込まれる。ミトコンドリアは今では発電所みたいなエネルギーの代謝(呼吸)に関係する機関に転化しました。

日本人も南方系、北方系、韓国中国経由の民など、古来、結構混血していると思いますが、狭い国ですからね。いまどき人口減で移民政策の是非が問われているでしょう。選挙時の国民の今の投票態度では日本の政策変化はあまり期待できないでしょうね。

これでは答えになりませんか MORE AND MORE okです。


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難題への回答
2005年6月28日 9:43:38 とみた MAIL
紀氏さんは何を云いたいのでしょうか。宿題に対する前回の答えはだめみたいなので
再トライしますね。国、種族、宗教、民族などの間の紛争は古来から今も続いている。会社や組織にあっては派閥間の争い。ファミリー内での相続争い・・・これを仲裁する裁判や法的制度いろいろ、
儒教は徳治主義、今は法治主義・・・

ダーウィンの弱肉強食、適者生存。今西錦司さんの棲み分け理論どちらが説明力がありましょうか。

ジュラッシック コードの爬虫類脳は旧皮質で人類は旧皮質に新皮質が加わって発達した。欲望と本能を抑える装置。

ネアンデルタール人は3万年前の寒冷化に対処できず、ホモサピエンスが生き残ったのは頭骸骨の差、複雑な言葉や話す能力差を指摘されていますね。第七染色体のFOXP2?遺伝子の差などなど

いずれにせよ言葉と情報能力は世代を越える知識の共有や科学をますます発達させるでしょうね。まして、インターネット社会は大きな変革の種を播いています。

でもグローバリゼーションは覇権主義を拡大して力のない民族や個人をますます不利な立場におきかねません。
日中の最近の紛争もインターネット媒介だし、相次ぐ詐欺事件、カード情報の漏洩は環境問題と同様、文明を持った人類が克服していかなければならない課題のようです。どんな科学やしそうも明暗があります。

それに対する見方はペシミストとオプティミストによって決まりますね。

悲観論ではどうもがいても人類は破滅の淵に立つという考え方。その極論はエントロピーです。

後、50億年しか持たない太陽の下では地球は必ず滅びること必定。
地球はエントロピー(無秩序性)を増し破滅する。
楽観論は人類は英知で諸問題を克服できる。地球がだめなら他の天体に移動すればよい。

人間の性善説、性悪説・・・これも微妙です。

恒産なくして恒心なしはと言う言葉は確かですね。競争社会に負けても飯を食わなければならないし貧乏になった時は人間なんでも悪にならざるを得ない。

昔なら捕虜になったら本人は奴隷になるし女房子供も根絶やしにされるしで必死に戦ったのでしょう。

あるいは、利己遺伝子と言うことにご興味がありますか。


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力の論理?
2005年6月28日 9:48:12 管理人
昨日思い浮かんだイメージです。男の子はちいさいころ野球やサッカーで格闘して力の論理を誇示する。女の子はなぜか縄跳びや鉄棒をしている。男性の私は昨日まで女の子の縄跳びと鉄棒について考えたことがなかったです。なぜ鉄棒だったんだろう・・・。人種が違うのか??なぜ男の子のように力の論理にあこがれないのか。ちょっと悩みはじめていますが・・、その辺にひとつの鍵がありそうというのは、まったくもってダビンチコードの読みすぎですな。困った。


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同じ時間に・・・
2005年6月28日 9:54:19 管理人
とみたさんと同じ時間に書き込みしてたなんて、おもしろいですね。こういうの偶然でないんですよ。内容見てみるとわかります。
さてはて、とみたさんの勘の鋭さと独特な堅さがわれわれのあっちこっちに流されていく集団にはなくてはならないかんじですね。今後もよろしくです!


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管理人さん
2005年6月28日 10:24:53 とみた MAIL
今日はほんまあつーてしにそうでっせ。

ワイフが下の部屋でクーラーを独占していて、私のパソコンの部屋、クーラーありまへん。

時々この掲示板コーナーでワイワイ騒いでそのうちセコハンの車に乗って出かけまする。今日は借りた図書の返却日。時間延長で許してくれるでしょう。伊勢神宮の本は自前で買ったんですが出雲の本が二冊読まないままつんである。この返却日。

喉風邪にやられて調子悪し・・・
皆さん、気をつけてくださいな。若い人が羨ましいなあ。



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図書館
2005年6月28日 10:50:28 管理人
今日はほんと帰り道暑かったです。事務所もクーラーの角度が云々でみんなにとりあえず風が当たるよういろいろアイデア絞っているところです。
図書館、最近ほしい本買ってしまうこと多いのですが、時に図書館の本で節約する大事さも、ふと感じますね。借りると読むひと、買ったら読む人、どちらでも読まない人とかいろいろみたいですね。健康第一、ほんと気をつけましょう。



このサイトは
2005年6月27日 16:17:37 かわかつ WEB
IPアドレスが丸わかりサイトらしいです。


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いやいや
2005年6月27日 17:33:02 管理人
うちはIPまではプライベート丸わかりになるなので確認してませんよ。IDは自動で振っているようですが・・。ちなみにIPについてはある種のアクセスカウンターを裏で取り付ければ確認できるようになります。


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これは警告してるんです
2005年6月27日 19:11:43 かわかつ WEB
あまりいたづらしないようにね^^;っていうことですよ。誰かさんに。
ある種のアクセスカウンター、今度教えて下さいね。


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うちの画像掲示板は
2005年6月27日 19:13:29 かわかつ WEB
IPアドちゃんとわかりますよ。あれは優れものです。しかも無料掲示板だから参っちゃう。


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画像が送れると
2005年6月28日 0:43:07 かわかつ WEB
とみたさんが仰るようにとてもスリリングです。管理人さんも是非お願いしたいな。見て貰いたい画像が山ほどあるんですがねえ・・・TeaCupですから簡単です。


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了解です。
2005年6月28日 1:59:20 管理人
そうですね、画像掲示板用意しましょう。後で帰ってからやりますね。最近思うのはいろいろ専門的なHP見ても、画像がないと読むのが面倒で途中であきらめてしまうことが多いです。できるかぎり文章少なく画像でやるのが、専門外の分野の方に理解してもらうのにもいいのかもとかんじますね。


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画像掲示板新設
2005年6月28日 10:18:30 管理人
画像掲示板つくりました。トップページから入れます。情報よろしくお願いします!
http://www2.ezbbs.net/36/underbranch/
携帯版はこちらから
http://www2.ezbbs.net/cgi/bbsi?id=underbranch&dd=36



古墳
2005年6月27日 15:30:30 bonnbi
どうやって古墳は、できてるの?


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詳しくね
2005年6月27日 17:38:38 管理人
もうすこし調べてから詳しく質問してくださいね!
ちなみに昨日調べていたのは、蜂の巣構造に石を積み重ねた海外の古墳があるそうで、確かBC13Cだったような・・・。正六角形上に石を積む重ねるケース、あるいは八角墳だと、八角形に??。いわゆる石と石との間の隙間の問題が、本物の蜂の巣自体にもあるそうですが、その辺を古墳築造人がどう克服したのか?情報あったら教えてください。



埴輪サイト
2005年6月27日 8:30:56 かわかつ WEB
「古代史であそぼ」サイト
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/vtmp/tmp1.htm

埴輪の襟の右前、左前の考察をされています。なるほど埴輪というのは極めて具体的に当時のことがわかる遺物でした。見落としていました。このサイト管理者、tanさんは只者ではないなと・・・



「?じゃあ、3世紀前半に古墳成立を引き上げるのは無理ですね。  RE 」
2005年6月27日 1:54:19 いばらの紀氏
いつぱいなので。
「?じゃあ、3世紀前半に古墳成立を引き上げるのは無理ですね。  RE 」
( 無理じゃ御座いません、始皇帝稜は巨大な古墳・子宮・母体です。水銀は羊水です、蘇えりの培養液なのです。)
「もっと前ならどうなんだろう。漢字のない時代・・・そりゃないか」
(年代は判りませんが、日本の岩に刻まれた古代文字(神代文字?)のなかに「甲骨文字」が刻まれていたのを何かで見ました。)

(古墳に多い「馬」関係「馬具」「十字」デザイン(なんだかの10宝に同じデザインの物が・・・の記憶?)
壁画  魚・カエル・・・なかには鳥居の落書き?魚→蛇→いもり→カエル・・・黄泉カエルでした。
船の行き先は右 カラス(修道僧   クダラク山渡海?)が先導・・・東・・・アメリカ大陸?   縄文人は、禹の測量士  弥生人は始皇帝の測量士、
何れにしても15世紀ごろまでに、世界地図はキリスト教徒により完成しました、始まりは「モーセ」の出エジプトからの妄想の紀氏でした・・・・おやすみなさい。


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子宮・母体崇拝
2005年6月27日 3:42:00 管理人
紀氏さんこんばんは。古墳の意味に、なるほどご指摘子宮・母体の意味があるんでしたね。ヨミガエリといえばいざなみですね。
ダビンチコード下巻、古代宗教と女性崇拝の関連で、神との聖婚としての性交・儀礼の話がでてました。何でも古代人にとっては現代人の性への感覚とは相違して、男性が神と接するための聖なる行為としての性行為があったらしく、祭殿での巫女との性交など、いろいろ書いてました。で、日本の古代祭祀についてもその辺いわれてますね。いつごろから??


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あと
2005年6月27日 3:43:14 管理人
紀氏さん、第2弾こちらに届いてませんよ〜。


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蜂の巣は
2005年6月27日 4:19:31 管理人
下記書き込みの先ほどついに蜂がいなくなったので、玄関の前の蜂の巣つついて落としてみました。そして手にとって観察していますが、五角形でなく六角形でした。伊勢も六芒星、蜂の巣は六角形・・・。
なぜ蜂の巣が六角形か?は以下のHPで
http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/esyar1.shtml
なんでも一番蜂にとって側壁を簡単に作りやすいらしいです。どうりで造るの早いわけです。
で、サッカーボールは5角形と6角形をつないで球体を造るそうです。
ともかく蜂もすごい測量士です。あれだけ正確な六角形状に築造していくわけですから。古墳も八角墳みたいに多角形の要素があったらその技術の起源も確かめやすいかもしれないのですが・・・。
古墳と文字の問題も、かわかつさんご指摘のとおり、どうしてか漢字が出てこず、中国系でない可能性についてもなるほどと感じます。あとは漢字を覚えておくのと、測量を覚えておくのと、どちらが渡来してくるのに忘れやすいかとか、知識層の知的内容の問題とかも考慮していくとどうかとも感じます。


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この場合の
2005年6月27日 8:12:41 かわかつ WEB
古墳とは日本の円フン、方墳、前方後円墳などを指しています。およその国の墳丘墓ではござんせん。


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しかし古墳に限らず
2005年6月27日 8:44:22 かわかつ WEB
およそ墓というものはやはり死者再生の子宮であるというのは、おそらく正解ですよね。大和岩雄氏の説にも外国の子宮型墳墓が紹介されていますが、確かにリアルに女性器をかたどった墓があるらしいです。
おそらく「マナの壺」や「甕棺」なども母体回帰願望を表現しているのでしょう。


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再投稿
2005年6月27日 10:52:11 管理人
紀氏さん再投稿・内容ばっちりです!またゆっくり読み直してお返事いたしますね。かわかつさんのほうでは、テーマのほうは、白山関連となりますでしょうか。みなさんの原稿お待ちしています。


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はいはい
2005年6月27日 12:58:02 かわかつ WEB
HP作品集に第1章を書き込みましたよン  。。;
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/framepage1.html
から「白山菊理姫と修験ネットワーク」をクリック!
新しいめがねがまだできあがらないのでここまで。


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いよいよ!
2005年6月27日 17:15:34 管理人
おはようございます!拝見しました。女神・修験道ネット・・、まさにかわかつさんのお得意どころですね。ちょうどかわかつさんにまさにお頼みしたいところです。紀氏さんの行基図解析とあわせて、年度末渡来人研究報告の三平方定理レイラインと高麗郡成立と時代背景とをあわせるとかなりいい感じで流れそうな気がします。楽しみです!


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またまた上に
2005年6月27日 17:38:29 かわかつ WEB
雄藻呂伊雄客様出巣。又同字方歌詞〜羅?万葉仮名表示

下の下のコラムに多胡碑について質問しましたので・・・

原稿をちゃんとした原稿用紙スタイルで送りたいと思うのですが、ベストな方法はなんでしょう。一応、一太郎の原稿用紙A4版で書いているのですが、まだ送信したことがないんです。教えてくらシャイませぬか?


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メールお願いします。
2005年6月28日 0:40:54 管理人
原稿ですが、たぶんいろいろ本全体の流れとの関連など修正などやりとり出てくると思いますので、一太郎ファイルでメールに添付転送していただけると助かります。



竹原装飾古墳のHP
2005年6月26日 23:11:03 とみた MAIL
かわかつさんの宿題に今朝 浅知恵でトライして東京へ、熟女のシャンソン リサイタルに招かれて帰宅。飲んで眠気眼で宿題に再チャレンジ。

サシバなど妙なものが出ていたのでいろいろHPを探していたら恰好のHPに出会った。

http://www.town.wakamiya.fukuoka.jp/takeharakofun.htm

これをとりあえずプレゼント。

明日内容を確かめます。

先日紹介した千田稔さんの本”伊勢神宮”を早速アマゾンで入手。

伊勢神宮の生い立ちから現代までを網羅しているようです。

古代史の部分は約半分程度です。福岡の浮羽の珍敷塚古墳についても説明があります。これは明日説明します。

オーねむい!


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ピン歩〜ン
2005年6月27日 8:53:10 かわかつ WEB
竹原の画像、実はここから切り取ったのであります!でもホントはいけないんですよね、黙ってパクっちゃ〜〜;
では九州装飾古墳の最高峰とも言える熊本県菊池郡のチブサン古墳の神秘的画像サイトへいってらっしゃ〜い!
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/2-trip/2h3-tibusan.htm



新しい古墳画像
2005年6月26日 13:43:51 かわかつ WEB
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs
福岡の珍塚古墳・・・船と鳥
紀氏さんの本の表紙・虎塚古墳・・・連続三角紋と円紋


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装飾古墳
2005年6月26日 19:36:47 タックン
九州に存在している装飾古墳の類は、まだ私は行ったことがありません。
10年前位に、宮崎出張の時西都原古墳群に行ったくらいで、九州は殆ど手付かずです。

ところで今日、面白い本を買いました。
題名は、「泉州の遺跡物語」泉州の有名どころの遺跡を、解りやすく説明されていて、結構小さな本なんですが興味深く読んでいます。

この和泉・泉南地域も、海会寺などの大きな寺院跡があるところから、渡来人の一居住地?だったんでしょうか。

あまりこれまで注目がされていない地域ですが、これから注目していっても良い地域やと思います。

開発が他の近畿の地域と比べて遅いせいもあって、結構遺跡が埋まっていそうな雰囲気ですよ。


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南河内
2005年6月26日 21:07:46 かわかつ WEB
特に八尾、河内長野、富田林あたりは以前から注目しています。あと市内近郊では住吉、住之江、東成、あたり。勝山、喜連瓜破なども。
戦後の半島移住者と重なってくるところが多いので、大阪は複雑ですね。
関東で管理人さんが調査されていた大久保などにも重複する歴史の痕跡があるのかも知れません。ホームページに戻って探索してみよう。


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古墳関連地名
2005年6月27日 2:31:30 いばらの紀氏
カウチ(私の本での脇役・タケミカズチ鹿島の神・中臣・藤原氏)ワダー(和田ホータン主人公・フッツヌシ・・・壬生氏?)
触れたくなかったのですが、古墳の多く存在する地名(小字も)「クボ・久保・窪」渡来人は窪地(盆地の)お好き!関連地名「河内」「和田」うちの親戚関連の飯田・西成井・東成井・中根・鶴・亀・小野・国見・吉井・「見・三・宮・・・」修験道系・・・谷・馬場・滝・イロイロ・・人類みな兄弟デス。(特に久保・河内・和田の地名 正三角形のラインに関連!


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追伸
2005年6月27日 2:51:10 いばらの紀氏

ラインには「台」の付く地名が大事!(千葉県に特に数が多い。)
茨城で古墳の数が特に多いのは、霞ヶ浦町(旧 出島デジマ・・・でぃじま・・台島!)私の本では、測量士の養成所(学芸員のお話では、遺跡から急激に古代人の移動があった痕跡が有るそうです。


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和泉・泉南地域
2005年6月27日 4:50:52 管理人
たっくんさんご指摘の和泉・泉南地域の渡来人についてですが、過去ログがあるのでちょっと覗いてみてください。和泉で検索するとかなり出てくると思います。でも和泉の古墳情報はまだ少ないです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/keijiban3.htm
たぶん、特に関東はそうですが、かなり渡来人関連の情報が未発掘のまま埋まっています。まともやるとかなりの人数がが渡来人研究に必用になるでしょう。でも関東には文献方面ではさらに渡来人研究者がかなり少ないので、今後どうなるのか心配です。


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それで思い出した
2005年6月27日 9:35:03 かわかつ WEB
多胡郡に関して、福岡県吉井町HPに多胡碑の紹介があったんで、管理人さんへプレゼントします。群馬県多胡郡設置を記念してなぜ福岡県の筑後川流域の吉井に碑が建てられたんでしょうね?
http://www7.wind.ne.jp/yoshii/kanko/spot01/tago01.htm


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群馬県にも
2005年6月28日 0:25:07 かわかつ WEB
吉井町があったんだ。こりゃ大失敗。




今日のTV
2005年6月26日 1:14:07 かわかつ WEB
”ジュラシック・コード”ごらんになりましたか。人間の脳の基本構造部分には虫類の脳が基部組織として残されており、これが人間に争いや芸術などの極めて特徴的人間行動を起こさせているというもの。


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混血
2005年6月26日 1:24:08 かわかつ WEB
この番組の中で、ネアンデルタールとクロマニョンの二つのライバルのうち、ネアンデルタール人は明瞭な言葉をしゃべれる骨格を持たなかったため淘汰された、という説が紹介されていましたが、二つの人種の混血が起きなかったのが不思議でした。
人類は本能的にないものを獲得しようとするものだと思っていましたが・・・どうもまだ納得いきませんね。


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遺伝と婚姻
2005年6月26日 2:20:45 管理人
確かにネアンデルタール人とクロマニヨン人の混血、どうしておこらなかったか、気になりますね。遺伝距離が離れすぎていたとかすると出産に問題があるとか。さっきある地震サイトの掲示板で、アイヌ人と大和本土人??が結婚すると、男子は流産する可能性高いとかいうことがあるそうです。どこまで信用できるのかわかりませんが、仮にそういうことがありえるなら、いろんな事例が予測できますね。たとえば縄文人と弥生人、渡来人、本土人?の間の婚姻から、出産に問題がおきるとか出てくる可能性もどうでしょう。とみたさん情報にある「足」「帯」系と「天」系との婚姻で流産や男女の性比率はどうかとか。先ののB44遺伝子の南方系渡来人と弥生系、あるいは縄文系との婚姻と出産の特徴が出てくると興味不快のですが・・・。


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蜂の巣、すがる
2005年6月26日 9:43:02 管理人
今朝もラジコン飛ばしに行こうと玄関でたら、なんと例の蜂が、蜂の巣を造っていました!とりあえずほっておいて多摩川沿いで飛ばしてきました。出だしが肝心、一気に後先考えず上昇させるのがミソなようで、あとは動力切ってグライダー状態で遊ぶという感じがベストなようですが、結局草むらに落ちて、背丈より高い草の中でラジコン探し。見つからずあきらめかけて、再度戻って落下位置を確認して入ったら白い機体を見つけて、なんとか取り戻して帰ってきました。すると、あっというまに5,6匹の蜂がさっきよりさらに大きな巣を作り上げていたのには歓心しました。ダビンチコードによると、蜂の巣は五角形の組み合わせでいわゆる黄金比で造られているとか。ともかく、すばやく造りやすく丈夫みたいな、五角形構造体おもしろいです。伊勢にも五芒星あったような。蜂といえばじがばち=すがる、小子部すがるですが、万葉で「すがるのごとく腰細に」と歌われたごとく美人の代名詞でもあります。すがると朱儒(宦官?)を「子部」当たり関連で結びつける説もありますね。そして伊勢の神宝「スガルの太刀」。秦氏の絹を剣の柄に巻いているなんていう説もありますが、昔、論文書いてみろと言われたっきりでした。すがるといえばその万葉に「わたつみの 殿の甍に 飛び翔る すがるのごとき 腰細に」とあるように、海のそばの宮殿の上を飛び回るという風景を関連づける説もあります。海部と関係なかったかな?
 なかなかラジコンの操縦、人間の「五」感では未知の3次元感覚慣れないのですが、万葉も多次元的に解釈すべきかもしれませんね。宮殿、万葉、女性・・下記ご指摘ありましたが、情報よろしくです。



興味ある本
2005年6月25日 20:45:30 タックン
今日やったか?昨日やったか、某出版社から「事典 陵墓参考地」っていう本が出ました。

ちょっとお値段が高いんですが、古墳研究している人やったら、物凄い興味ある本やと思っています。
陵墓に関係した本ならかなり出されていますが、事陵墓参考地に関係した本で、本格的に書かれている本は、他にあまり見当たりません。

この参考地というのは、明治時代になってから後で制定されていったようで、これらの中には古墳時代の大型の著名な前方後円墳・円墳などが制定されて管理されていて、かなり時代がずれて間違って管理されているものが多いようです。

内部に入って確認できないのもあって、実態は不明な古墳も多々ありますので、この本で少しでも参考地と言う物に、迫れそうです。
京都市内にも、現在天皇陵や皇族の墓参考地なども、こういった古墳時代の古墳などを、間違って管理されているのが結構多いようです。


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吉川弘文館出版です
2005年6月25日 22:13:37 とみた MAIL
タックンさん、おいでませ、
私、図書館の新聞の該当記事をコピーし手元にありました。

宮内庁が自らの天皇稜指定に疑問を持っていて以前発表したのですね。
陵墓参考地一覧。これを外池昇さんが確認のため宮内庁書稜部を訪れ情報公開法に基づいて閲覧して同一資料を確認した。
それの翻刻と研究に没頭。吉川弘文館から、事典、陵墓参考地とて世に出すことになった。
著者は考古学的アプローチが主流の天皇稜研究に文献史学の立場から迫る数少ない研究者とのことです。


宮内庁が秘匿しているのが歴史解明の阻害要因の一つでしょうから情報公開でもっときっちりやってほしいものです。


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天皇陵と壁画
2005年6月25日 23:36:14 管理人
天皇陵で壁画がでているケースってありますか?高松塚とキトラ以外であると興味深いんですが・・・。


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あったらすごいね
2005年6月26日 0:52:13 かわかつ WEB
天皇陵は基本的に発掘できませんので、もし誰か内緒ででも開けてみてくれたらいのにとは思いますねえ。
7世紀以降の朝鮮の影響下に描かれた壁画古墳と九州などの5〜6世紀の装飾古墳とでは全く切れてますが、お互いなぜ同時存在しないのかも不明です。
九州と大和がどうも私の中では繋がってこない気がします。


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壁画を持つ古墳
2005年6月26日 1:16:12 かわかつ WEB
キトラにしても高松塚にしても、なにか渡来というより帰化の匂いがしてくるんですが。



手前みそですが・・・
2005年6月25日 17:52:47 かわかつ WEB
福岡県の若宮町にある装飾古墳、「竹原古墳」壁画を画像がおくれる掲示板にアップしております。
ここを拡大して頂きますと、火を噴く龍馬、烏帽子の人物が引く馬、船と鳥、巨大な「さしば」=扇か衣笠?など奇妙な物が描かれています。下の方には大きな波が立っています。
ここと同じ福岡県の珍塚古墳などはどうも海を渡ってきた人々が北部九州に来たという証明になるようです。
私は二七才の時、この竹原古墳にであったことから歴史の世界に引き込まれました。ご存じとは思いますが、是非一度ご覧下さい。そして、装飾古墳の神秘に触れて下さい。
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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ついでにこちらも
2005年6月25日 17:57:48 かわかつ WEB
http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/
熊本県の装飾古墳館です。現在未公開の装飾古墳がレプリカで再現されています。発泡スチロール製とは思えないリアリティがありました。私2回も行きました。^^


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壁画の文化
2005年6月25日 23:31:06 管理人
なるほど、先日の1300〜1400年前の渡来の遺伝子をもつ南方系渡来人のルーツを文化的に解明するには壁画古墳が一番よいようですね。
明らかにドンソン文化の船や人、烏帽子・・・。が見て取れますし、紀氏さんの本のカバーの虎塚古墳壁画はおもしろいですね。
九州北部から、海経由で関東、福島へと渡ってきたオオ氏あたりが推定されているようで、6、7世紀代とか言われていますね。
福島中田横穴
http://mail.fukushima-tv.co.jp/jisya/tokimeki/2004/040718/tokimeki.htm
泉崎横穴
http://www.vill.izumizaki.fukushima.jp/bunka1.html

http://www.db.fks.ed.jp/txt/10043.101.izumizaki/html/00001.html
泉崎古墳の高杯をささげる女性あたりに、ひとつの文化形態がみえそうですね。いろいろ男女のあり方、信仰のあり方、象徴図形、などもともと東南アジアで得ていた文化を理解できそうな気がします。


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泉崎をはじめ
2005年6月26日 0:57:53 かわかつ WEB
装飾古墳がこのように原初的絵画を擁していることが不思議でなりません。むしろ縄文的といってもいいように感じます。なんだろう、この力強さは?



諡号
2005年6月25日 8:32:09 とみた MAIL
諡号の研究をされている方居られますか。面白いレポートをみました。。

天(アメアマ)は天孫族の来た韓半島からの渡来を暗示している。

足(ダラシ、ダリシ)は今も韓国では使われていて、亡命や統治のために渡来した人を意味するそうです。

藤原(中臣)鎌足の足、神功皇后は気長足姫尊の足・・・これは渡来人を意味するのでしょうか。

藤原鎌足は茨城県の鹿島出身とか云われていますが、関裕二さんは
百済出身と言ってます。

万葉集は古代朝鮮語で読むと良く分かるという韓国の女性学者もいますし。

どうなんでしょうか


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天テル
2005年6月25日 9:48:14 管理人
とみたさんこんにちは。いろいろアメテル・・海人族・・、太陽神、稲神、女性神・・・皇后、いろいろ貴重な情報ありがとうございます。日本は女性の尊厳が古代には割りと尊重されていたらしいこと、どの辺からそうなのか。やはり気になります。


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隋書倭国伝
2005年6月25日 17:32:56 かわかつ WEB
隋書に出てくる大和の大王、あめたりしひこは両方とも持ってます!子供のわかみたふりは持ってない。「あめ」と「たらし」に関しては水野祐氏がパイオニアです。「三王朝交代説」でユーメイな学者さん。


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お役立ちサイト
2005年6月26日 1:08:56 かわかつ WEB
ここお勧めかな?
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/johmongo1c.htm



京都御所の
2005年6月25日 2:36:57 かわかつ WEB
敷地内に神社があるのを皆様ご存じでしょうか?
宗像神社があるのです。この神社は御所の守り神らしいのですが、どうして宗像神社なのでしょう。


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京都御苑宗像大社HP
2005年6月25日 2:39:47 かわかつ WEB
http://www.munakata-jinjya.or.jp/gosaijin.html


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管理人さんへ
2005年6月25日 3:09:05 かわかつ WEB
このサイトをプレゼントします。
http://www.shtml.jp/htaccess/index.html


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ありがとうございます。
2005年6月25日 5:01:57 管理人
今夜勤中です、先ほど出る時家の玄関の前に2匹スズメバチが天井にたむろっていたので、後で入るとき心配です。脅かさないようそっと入るのが賢明でしょう・・・。
さて、ダビンチコード下巻に入り、またまたカトリックの私には衝撃的内容でありました。聖杯伝説の実の内容、まさにカトリックのタブーですね。卑弥呼はかわかつさんタブーとまではいかない・・・。男性中心主義対ダビンチの女性擁護主義??、かなり日本古代史的にも意味深です。ぜひかわかつさんも読んでみてください。わたしからのプレゼント・・。


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うーん卑弥呼は
2005年6月25日 17:23:20 かわかつ WEB
ここで関わり出すともう、ここが「渡来人研究会」でなくなる可能性がありますからねえ。それはお互い「邪馬台国」サイトにでも出かけて勝手にやった方がいいんじゃないでしょうか?

ス、スズメバチってあなた、薬まいてから出かけりゃいいのに・・・><
怖いなあ。うちの庭にもよく来ますが、あいつだけはキリスト様でも説教どkろじゃありませんぜ。プッシュ〜ってやっとかなきゃ、死にます。



伊勢神宮という著書など
2005年6月24日 23:10:40 とみた MAIL
歴史地理学の平田稔さんがアジアに視野を開いた本が中公新書(¥777)からでて、その書評の抜粋です。
日本に太陽神アマテルの名を持つ神社が9つある。これがアマテラに格上げされた。アマテル系神社の多くが海の神ホアカリノミコト(火明命)を祭神とするからその発祥は中国の江南。古事記にあるアメノヒボコは渡来集団のことで太陽神信仰を持つ海洋の民が九州南部に来た。稲作集団ではなく海の民と云うのが新しく天孫降臨と符合する。ヒミコは鬼道としていたが、(シャーマニズム)でなく道教。道具は鏡。道教の最高神は北極星。
長江流域の少数民族社会では、今でも太陽神、女性神、稲魂が三位一体となった信仰があり大嘗祭や新嘗祭に似た祭りもある。
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紀氏さん紹介の荒俣さんのHPを見ると鹿島神宮の由緒に触れて、建甕槌(タテカミヅチ)は呪術の神としてありました。上記のヒミコの時代から・・・
異界へ旅立つとき国境で甕を置くというのが面白かったです。古代は甕棺でした。
甕は亀に通じませんか。斉明女帝は道教派で亀の遺物がありましたね。これ私のインスピレーションです。違うかな??

関裕二さんの本では北九州に派遣された神功皇后がヤマト勢に
奇襲され敗走し、高良山近辺に君臨し、いまの山門県の耶馬大国ヒミコを滅ぼし、子達とともに海に漕ぎ出して鹿児島の野間岬、笠沙?方面に逃れたのが天孫降臨としている。

かわかつさんはヒミコの件はタブー視されているのでこれまで。

ご本、目下読んでいますがなかなか進みません。記紀は藤原氏(特に不比等)の正統性を擁護する本と言う意味では関さんと同じ見方です。


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いえいえ少しも
2005年6月25日 1:45:55 かわかつ WEB
私は卑弥呼のこと諦めてはいませんから、どうぞお書き下さい。
それより卑弥呼の鬼道が道教だったというのは、以前から考えていた事なんですが、鏡が好物だった彼女の呪術はやはり道教でよいのでしょうか?
それとアメノヒボコ=海部というのも興味深い説ですね。
平田さんの本、関さんの本、著書名を教えて頂けませんか。読みますので。関さんの「謀略の女帝持統天皇」などは読みましたが。

アメノホアカリは若狭の籠神社の海部氏や、愛知真澄田神社の尾張氏が祭る神で、ニギハヤヒ命と同一視されますが、書紀ではナンとニニギ命の兄とか弟とかされてます。ニギハヤヒが物部の祖人とされるのに、なぜ海部氏が祭るアメノホアカリと同一神なのかは以前から不思議でした。そのあたり、どう書いているのか興味深々です。新説は是非読みたいし、納得できる物ならなんでも受け入れますよ。
もしかして回答がえられるのかも知れない・・・・?


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書名と出版社
2005年6月25日 7:00:18 とみた MAIL
かわかつさんのご参考になれば嬉しいですね。関裕二さんの本はPHP文庫から、古代史の秘密を握る人たち。消された王権・物部氏の謎を解く
四冊です。@大化の改新の謎A壬申の乱の謎B神武東征の謎C継体天皇の謎

私はCを読みました。いずれも一冊552円です。

俄か出の藤原氏の正統性を認めさせるには、古来から活躍した蘇我氏と尾張氏の勇名活躍を消さねばならない。それが記紀だ。

籠神社の籠は天の香具(香語=籠)山)に通ずる。物部氏の祖のニギハヤヒの諡号に物部氏の伝承である、先代旧事本紀では火明を当てている。日本書紀の尾張の祖も同じ火明を当てている。ニギハヤヒの子に天香語山命がいてこれが尾張の祖であったとする。見解の相違に触れて、関さんはニニギとコノハナサク姫の子供の海幸、山幸=神武=崇神=応神、火明=尾張と見ている。


平田稔さんの本は伊勢神宮と言う表題の本です.中公新書かr出版。777円です。

私も近々読んでみます。大学新聞に書評が出ていましたのでその抜粋を碁紹介しました。


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ネット販売なら、
2005年6月25日 12:26:52 いばらの紀氏

私が「古墳のこころ」の出版に至った訳は、地図上の遺跡や寺社のポイントをサンプリング(近畿の東西)して、地図に「カゴメ紋様・ダビデの星型」を書き込み「古代測量のラインの存在」を説明しましたが理解されず、いや信じようとしないで自分の「目」で見た現実を否定してしまうのです。ただ一人、私の「カゴメ=地図作りの為のライン」の説を理解して下さり 理解されそうな県内の学識者を捜して頂いた「茨城県教育庁文化課文化財担当 松浦 敏様」にはあらためまして感謝申し上げます。「八方探しましたが、考古学・民俗学・人文学の学者先生方の返事は 自分なジャンヌでは無い との返事だったそうです。「荒俣 宏」氏ほどの著名人の話でしたら、マスコミも専門家の皆様も驚愕し関心を示し 古代史の研究も進み、世界の歴史観が変わることで、関連する研究が脅威的に進歩し・・・・結果として、人種・宗教間の争いを終わらせる事の出来るの妄想を抱いたからです。
インターネットの時代、歴史は日々進歩しています。
 話は変わりますかれど、私の本の売れ筋はインターネットの本屋さんからです、管理人さんの「渡来人研究新刊紹介」感謝申し上げます。インターネット販売の凄さを感じました。


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紀氏さんジャンヌって
2005年6月25日 17:15:00 かわかつ WEB
ジャンヌダルクのことでいいのかしら?それにしてももう原稿書いたんですって?早いのがとりえってことないですよねえ〜〜;お主やるな。

管理人さん、暑くてその気になりません。その前に賞取りだあ!
泊瀬さんがそのうち頃合いを見計らって進撃して来そうです。
私もしばし考える時間をくだされ。

とみたさん、アマテル神社のひとつは京都の木島坐天照御魂神社ですね。
このしまにますアマテル御魂神社=蚕の社
いわゆる元伊勢ではなく、ここは山城の秦氏=太秦公の祭るやしろです。
籠神社が天橋立に寄り添っていて、海部氏が祭っているのと比べると、蚕の社には三柱鳥居があって特異です。
籠神社の国宝海部氏系図は真物でしょうか?また伝世鏡はやたの鏡ほども大きくて、なにやら海部氏が自分らは正当だと言っているような。
尾張、物部、秦、海部ときて、そろそろ弥彦神社、唐松神社といった東北の奇社も出てきそうですね。


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関さんの
2005年6月26日 1:30:58 かわかつ WEB
最新の本を読んで欲しいです。だいぶ変わってきてるんじゃないでしょうか。



実はもうちょっと上
2005年6月24日 21:29:06 タックン
30代と言ってもらって、少し嬉しいのですが、実はもうちょっと上なんです。
考古学には、小学校時代くらいから興味があって、そのきっかけは、有名な奈良県の山辺の道に連れてもらってからです。

ここに点在している古墳群の数に圧倒され、こんな身近な所ににこんな場所があったなんて、という一種のカルチャーショック的なものにとらわれ、自分の中の何かが動き出したような感触でした。

以来それから、同じ同世代の中も出た関係もあって、なら県内のみならず、河内・南山城・摂津などの有名な古墳を、詳しい友人等と共に、古墳歩きを始めだしました。

紀氏様、京都の遺跡地図を見ていると、かなり過去に破壊されて伝承が残っている古墳などが、結構ありそうです。

特に落西、今の京都市右京区・西京区などに点在しており、大型の前方後円墳などが、桂周辺に近年まで残っていた古墳などが確認されています。

有名な嵯峨野周辺や、太秦地区辺りにも、破壊されて残っていない古墳も、多数存在しております。
京都市内は、近年郊外の開発が激しくなってきており、田んぼや畑などが合った場所も、市街地化が激しくなってきております。

然し以前から市街地化されている、太秦や市内東側の、東山山麓地区にも古墳群が存在したようで、八坂の方墳なども単独で存在していたとは思われず、これも東山古墳群の中の一古墳であったと思われます。

ただ市内北部の岩倉地区などは、良好に保存されている古墳群がありますので、寒くなってきたら行ってみようと考えておりますが、なかなかいけないのが現状です。


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なんだ40代なんだ
2005年6月24日 21:31:39 かわかつ WEB
やられたなあ、・・・


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バレテしまった(^_^;)
2005年6月24日 23:37:51 タックン
そうなんです、じつは40代になったばっかりなんですが、精神年齢は25くらいやと思っております。

自分で言うのもなんですが、一見は30代と間違われるようで、結構若く見えると私の友人は言っていますが、最近朝鏡を見てるとやっぱり40代の(^_^;)になってきていると、自分自身想うようになってきました。

ところで今日は奇しくも私の40ン歳の誕生日なのです。

もうあんまり嬉しくはないのですが、また一つ歳をとっていく、ワァ〜


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バレバレ 、バテバテ
2005年6月25日 0:11:39 とみた MAIL
タックンさん、卓くんかな。個人情報流失禁止ですね。今晩は、happy Birthdayですね。、私このコーナーに出没するのが多くなりました。
碁が好きで今まではインターネットを使ってオンラインで良く打ってましたので時間不足でしたが今はインターネット碁を卒業し暇人。今日は碁を同窓生と打ってバテバテです。碁は中国の孔子様の時代の少しあと、、春秋戦国時代にはあったんです。

年齢の所為か根気や粘りがなくって負けが込み始めました。
40台はまだいいなあ、疲れを知らない。若く見えることは羨ましい。
多少は疲れますか、競争社会は息苦しいですからね。私は気は若いけれど身体がついてゆかない。ハハハ

京都はいいなあ。大原三千院か寂光院へ行きたいなあ。


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岩倉は
2005年6月25日 2:02:08 かわかつ WEB
多分重要じゃないかと思ってます。
京都に住んでいる間に何度も岩倉に行ってるのに古墳を見ていません。昔は開発したての新興住宅地が作られ始めた頃で、殺伐としたところでしたが、変わったんでしょうねえ。

とみたさん、京都で生きたいところ、三千院と寂光院とはなかなか乙女チックですなあ。^^
大原はもと「小原」でした。大きいと言う字はたぶんに見栄をはってるところがあって、ここは渡来の集合地でした。「花ェ〜花いらんかえ〜」の大原女は「おはらめ」と発音します。今ではおそらく京都以外の女性がアルバイトでやってるかも・・・^^;
やっぱり通は先斗町と木屋町の間の芸子はん筋でっせ?
三味線や謡のけいこの声がきけまっせ。ほの暗い路地を抜けて舞子はんがお仕事前のおふろにでかけてゆくのなんか、スッピンの浴衣でカラコロとよろしおまっせ。「お、風呂か、今日もおきばり」と声を掛けると、「おおきに〜」って、たまりまへんなあ。私、先斗町の喫茶店タナかコーヒーでバイトしてましたので、舞子の知り合いもおったんであります。^^
もうりっぱなおかみさんになってまっしゃろなあ・・・なんせあれから30年以上経ちますから。


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プレゼント??
2005年6月25日 9:41:57 管理人
タックンさんお誕生日おめでとうございます!プレゼントにラジコンヘリをといきたいところだったんですがお金がないので、その代わりラジコンヘリの古墳撮影のページで・・・・。
http://www.konanmachi-stm.ed.jp/kyoui/hakkutuindex/tateno2/index.htm
http://site.technosystem.jp/
なかなか、最新のシステムと考古学の発展、驚くべきものがあります。今後とも情報よろしくお願いします



タックンさん歓迎
2005年6月24日 7:15:28 とみた MAIL
タックンさん、30代の京都の方ですか。かわかつさんの保証も付いて安心。仲間に気楽に入っていただくと嬉しいですね。私みたいな素人も遠慮なく発言していますから、輪が広がり新鮮な見方が加われば会も活性化しますね。
電子社会は相手の顔が見れないので、不特定多数が参加しますと妙な輩も紛れ込むので識別が難しい。あまりに警戒しすぎると善意で入ろうとする人まで排除するので、これも過ぎたる猶・・・良くない・・・。


カックンさん
かわかつさんが樟葉5年生。私は樟葉8年生。8年もいました。会社は大阪淀橋へ、休みは京都奈良へといういいところでした。
男山も岩清水八幡宮もよく知っています。交野・私市は行ったことがないのが悔やまれます。
樟葉は毎年、ライオン(株)協賛の花火大会があり淀川沿いの駅前の河川敷へ出かけたものです。

四条畷、長尾、大住などから木津へ行くJR支線にもよく乗りました。今は同志社や、精華大学など学園都市に生まれ変わったようですが当時はまだ田舎風景でしたよ。

懐かしい京都の風情を込めて時々会話を楽しみたいものです。

よろしくお願いします。今は東京から電車で30分の千葉県に居ります。


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おはようございます^^
2005年6月24日 10:26:58 かわかつ WEB
誤解が解けたみたいでよかったよかった。古墳の知識を会にちゅうにゅうしようとした私のスタンドプレイが、思わぬ処で皆様にご迷惑をかけてしまい、申し訳ないことでした。
同時期に妙な迷惑レスが入ってきたために混同されたのかもしれませんが、タックンの古墳知識はなかなかのものです。
特に「物怪穴守」氏のところではかなりな数の古墳を実地に回っておられるから、具体性のある説明をしてくれるでしょう。私の掲示板でも秦氏や多くの渡来に関する部分にも関わってくると言うことで、大変たすかっております。「物怪穴守」氏は「大倭穴友会」というサイトの管理者で、ここ渡来人の管理人さんとも相互リンクされているみたいです。

あと、九州の装飾古墳に詳しい「スカイトレッカー」サンのサイトや、諏訪長野の「こらぼれ」さんなどは楽しい古墳知識が得られますよ。よければどうぞ


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古墳サイト
2005年6月24日 10:32:00 かわかつ WEB
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/index.html 古代であそぼ
http://www.geocities.jp/decoratedtombs/ 装飾古墳探訪会
http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/ 大倭穴友会


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今読んでいる縄文関係
2005年6月24日 10:46:37 かわかつ WEB
内容は、縄文文化の行った先を検証するというもの。
エクアドルの畑で縄文土器そっくりの縄目おある土器が発見され、日本の縄文人・・・特に三内丸山の人々が海を渡っていったもではないか???というものです!
縄文人が遺跡から判別するに急に姿を消している。では彼等はどこへ行ったのか・・・その答えがエクアドルにあったという、実に雄大なテーマです。面白いのでお勧めします。
古田武彦さんのよいところもこの本で紹介されています。

前田良一著「縄文人 はるかなる旅の謎」毎日新聞社
著者の前田氏は新聞記者からフリージャーナリストに転身、世界の古代遺跡を巡っておられる人です。


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ここんとこ
2005年6月24日 10:49:00 かわかつ WEB
老眼が急速に進んできました。文字抜け、誤字がやた増えてきました。めがね買い換えなくちゃ・・・


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タックンお待ちしていました。
2005年6月24日 11:39:54 いばらの紀氏

 皆さんおはよう御座います、私は「古墳のこころ」を出版しましたが このHPを長く御覧の片は薄々感じておられると思いますが
本を読まれた管理人さんや かわかつさんは当然「紀氏」こと私が古墳の知識がマニアのレベルの達して無い人物と見抜いています。
私は地図の記号から「日本じゅうにレーラインが(南北 5・6・700メートルの間隔)に存在している。」との妄想をいだき近隣の
「埋蔵文化財分布地図」を購入し、自称「古墳ハンター」を気取りました。特に霞ヶ浦に面した 広域合併後の「霞ヶ浦町」旧「出島村」が
古代遺跡の宝庫でしたので古墳のポイントのデータが山の様でした、正三角形のオンパレード それこそ何万本ものラインがひけました地図が真っ黒・・・これでは、「偶然」と言われても仕方が御座いません。
そこで、未発見の古墳を捜すことににました。地図上にこれまでに発見された古墳・塚・それに、過去に古墳が存在していたかも知れない
学校や公共施設・橋・辻をまず東西のラインを引き南北の間隔に関連性を見つけ冬至や夏至での角度の誤差を加味し篭目(カゴメ・ダビデの星)を
描きます。そこで未だ線が交わるけれど何の存在も描かれてないポイントを巡り探索しました。ほとんどが雑林で大変でした、近所に人にも尋ねました。
「昔何かが有った」との話を多く聞きましたが存在の証明に至りません、「ここは絶対古墳だった!」現状は個人のお墓、聞くと昔お寺が側に有ったとか、町の学芸委員さん連絡に地主と交渉するが、「古墳などでは無い」と拒絶されたとか。現在「学校」場所を聞き込み調査すると、昔は寺だとか稲荷の祠が有ったとか神社や貝塚が有ったとか・・・探索のポイント*古い道に掛かる「橋」(虹、異界間を繋ぐ「船」)をポイントに対角線方向600メートル(それ以上の延長のポイントが存在する事も参考にする。)
興味をひいたのが、石岡の大地を見渡すお椀を伏せた形の森、神社だったらしいが現在住人は占いをしていて昔は近隣や遠方からの以来が数多く有ったそうだ。

そこで、「タックンお待ちしていました。」デス。京都にお住まいのタックン有りそうで未だ見つからないポイント「埋蔵文化財分布地図」から「古墳ハンター」してみませんか、タックンがこのHPに来られたのは「神の啓示」だからです。「ヨロシク。」の紀氏でした。


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マニアすぎない方が
2005年6月25日 2:07:31 かわかつ WEB
よくわかる事ってのもあります。それぞれの視点でみればいいんじゃないですか。紀氏さんは装飾古墳お好きだから、そのうち九州にもおいでください。きっとレイライン見つかることでしょう。


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論法
2005年6月25日 9:51:34 管理人
なるほど、紀氏さん考えましたね!帰納法ならぬ、演繹法で解を推測して証明してしまおうということですね。興味しんしんです。なかなか古代史、地道な帰納法もいいですが、大胆な演繹法がもっと活用されていいのではと感じます。行基図よろしくお願いします!!



gm遺伝子
2005年6月24日 7:03:33 管理人
月一六年生さんご指摘の縄文人を考えていく上では、下記GM遺伝子の分布と人種分類の知識が欠かせなくなってきていますのでご紹介いたします。
GM遺伝子の世界分布図
http://www.narayaku.or.jp/narayaku/image/dna_map.jpg
GM遺伝子の系統・・
http://www.esri.jp/~nobu/asia/shiryou/sankou/11gm.htm
日本人の遺伝子の南北両経路(上のHPから)
http://www.esri.jp/~nobu/asia/dna/gm2.jpg
最後の南北両経路、夏王朝・ミャオ族や弓月君などかわかつさん、紀氏さんの説とも関連してくるかもしれません。


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弥生人とHLA遺伝子
2005年6月24日 7:16:09 管理人
ちなみに、弥生人とHLA遺伝子のページ
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html
このページも重要
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/index.html


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B44−DR13遺伝子
2005年6月24日 7:31:51 管理人
上記B44−DR13遺伝子については、朝鮮系の遺伝子とみられているようです。おもしろいのは以下のHPでB44で検索してもらうと出てくるんですが、
http://plaza.umin.ac.jp/%7Emomo/chance.pdf
結局遺伝子というのは2対で構成されており、B44−DR13は血液型のA型同様、それ自体は混ざらないということらしいです。同様GM遺伝子のケースでも4つの遺伝子がそれぞれ混ざらないということらしく、生まれてくる人の顔は、4つの型が融合した顔で出てくることはすくなく、どれかの特徴で生まれてくることが多いのでは。とすると、縄文的な人、弥生的な人、モンゴル的な人・・・という具合で現代でも特徴がはっきりでてくるのでしょう。現代日本人にとっても、自身の体の構造と、縄文人、弥生人、渡来人・・との古代との関わりは想像以上に深く体質、性格に及ぼしているということだと感じます。その辺をはっきりさせることは、新たな人種差別を生み出す可能性もあるわけで、いろいろ論議がでてくることでしょうけど、いい意味では自身の酒の限界とか、身体や性格特徴の優れた点を見つけるなどという方向にももっていけるわけで、やはり渡来人研究は、その辺の正確な意味でも社会倫理面も含めて人種問題について真剣に考えていく時代がすぐ目前に来ているのだなと感じます。



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B54-DR4 渡来人の遺伝子?
2005年6月24日 7:42:58 管理人
B54-DR4という遺伝子の渡来は日本では1300年前、韓国では1400年前と推定されているそうで、秦氏など6,7世紀の渡来人との関連が以下のHPで指摘されています。
http://www.pag1u.net/kodai/hla.html
中国最南部、タイ方面起源で南西諸島・宮崎、瀬戸内・近畿へと流れているのは、以外ですが、いわゆる海部とかその辺おもいあたるふしのある構図ではあります。
B54-DR4遺伝子の南方からの伝来ルート
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html


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会のコンセプト
2005年6月24日 7:54:55 とみた MAIL
管理人さん面白いHP有難うございました。
私も渡来人研究には新しい視座を導入できると面白いと思って居ります。

科学の視点です。理科系の学問では

科学が証明する旧約聖書の真実(竹内均=地球物理)
DNAが語る稲作文明(佐藤洋一郎=農学者、植物遺伝学)
日本人の起源=古人骨からのルーツを探る(中橋孝博=考古学・医学)
これなどを読み終えております。これに古代の気象学、歴史人口学なども探そうと思っています。(私の大学専攻は遺伝学です。バイオロジーです。DNA、ミトコンドリアならついてゆけます)

これに考古学、民俗学、民族学、神話伝承、言語学、歴史・・・など文科系の学問。少しずつ読んでいます。

これの相乗効果が学問を進めるのではと思います。

管理人さんが提供された遺伝子分布、ミトコンドリアなどの遺伝子分析を総動員すれば古代は少しずつ解明できるのでしょうか。

この会はそれへの何らかの貢献が出来ればよい。すべてを網羅できる筈はないのでどの分野に特化するか、これがかわかつさんの云われるコンセプトですね。小なりと言えど光るものがある。

レーライン、秦氏研究、古代言語研究、地域伝承の郷土史発掘・・・みなさんすごい宝を発掘されております。私は総華主義で底が浅い。

企業の将来像に一番大切なのはコンセプトです。会の行方もコンセプトが必要でそれが訴求点というか魅力になるのでしょうか。偉そうなこと云ってすみませんね。

社会に入って企業のコンサルタントだった癖が消えませんね。



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いやまったくすばらしいアドバイスです。
2005年6月24日 8:07:15 管理人
とみたさんが遺伝学の専攻であったとは、頼もしい限りですね。今後の渡来人研究になくてはならない方だと感じます。
わたしも、高校まで理系で、歴史はほとんど知らず物理と大脳生理学の本ばかり読んでました。本当は計算式で結論だしたいたちなのですが、神が与える人生の役割は不思議なもので歴史へと今生はいざなわれているようです。おっしゃるように理系と文系の相乗効果を狙いたいところですね。たぶん昨日から感じるのですが、渡来人の起源を考えるにあたって、とみたさん的な世界史的な思考が重要になってくると感じます。起源はおそらく中国雲南ドンソン文化圏、先ほどの遺伝HPなら北から中国やインドシナへと南へくだった集団の民族・祭祀・遺伝;家系形態の追及、これがこれから数ヶ月の渡来人研究会の課題となりそうな予感がします。そのために世界史はもちろん理系分析まで、どうかとみたさん、みなさん今後ともよろしくお願いします。


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遺伝子サイト
2005年6月24日 10:56:02 かわかつ WEB
管理人さんいただきま〜す。^^
役立つサイトばかり、お気に入りサイトが増えて来ちゃいました。
「ニュートン」誌の竹内均さんともリンクしてきますね。


 

会のコンセプト
2005年6月24日 7:54:55 とみた MAIL
管理人さん面白いHP有難うございました。
私も渡来人研究には新しい視座を導入できると面白いと思って居ります。

科学の視点です。理科系の学問では

科学が証明する旧約聖書の真実(竹内均=地球物理)
DNAが語る稲作文明(佐藤洋一郎=農学者、植物遺伝学)
日本人の起源=古人骨からのルーツを探る(中橋孝博=考古学・医学)
これなどを読み終えております。これに古代の気象学、歴史人口学なども探そうと思っています。(私の大学専攻は遺伝学です。バイオロジーです。DNA、ミトコンドリアならついてゆけます)

これに考古学、民俗学、民族学、神話伝承、言語学、歴史・・・など文科系の学問。少しずつ読んでいます。

これの相乗効果が学問を進めるのではと思います。

管理人さんが提供された遺伝子分布、ミトコンドリアなどの遺伝子分析を総動員すれば古代は少しずつ解明できるのでしょうか。

この会はそれへの何らかの貢献が出来ればよい。すべてを網羅できる筈はないのでどの分野に特化するか、これがかわかつさんの云われるコンセプトですね。小なりと言えど光るものがある。

レーライン、秦氏研究、古代言語研究、地域伝承の郷土史発掘・・・みなさんすごい宝を発掘されております。私は総華主義で底が浅い。

企業の将来像に一番大切なのはコンセプトです。会の行方もコンセプトが必要でそれが訴求点というか魅力になるのでしょうか。偉そうなこと云ってすみませんね。

社会に入って企業のコンサルタントだった癖が消えませんね。



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いやまったくすばらしいアドバイスです。
2005年6月24日 8:07:15 管理人
とみたさんが遺伝学の専攻であったとは、頼もしい限りですね。今後の渡来人研究になくてはならない方だと感じます。
わたしも、高校まで理系で、歴史はほとんど知らず物理と大脳生理学の本ばかり読んでました。本当は計算式で結論だしたいたちなのですが、神が与える人生の役割は不思議なもので歴史へと今生はいざなわれているようです。おっしゃるように理系と文系の相乗効果を狙いたいところですね。たぶん昨日から感じるのですが、渡来人の起源を考えるにあたって、とみたさん的な世界史的な思考が重要になってくると感じます。起源はおそらく中国雲南ドンソン文化圏、先ほどの遺伝HPなら北から中国やインドシナへと南へくだった集団の民族・祭祀・遺伝;家系形態の追及、これがこれから数ヶ月の渡来人研究会の課題となりそうな予感がします。そのために世界史はもちろん理系分析まで、どうかとみたさん、みなさん今後ともよろしくお願いします。



皆さんこれからもよろしく
2005年6月23日 20:44:20 タックン
鋭いご指摘、皆さんありがとうございます。
いばらの紀氏さんのお話、興味深くみさて頂きました。

実は私、かわかつさんのホームに度々お邪魔しており、ここのサイトをかわかつさんが掲示板に載せていたのがきっかけでした。

とみたさま、実は私もうそうは若くはないのですよ(^.^)
世間一般で言うと、中年の域になっているのかなぁ〜という歳なんですが、自分自身はあまり感じておりませんが・・・・

精神年齢が若いせいなのか?文面で判断しにくい感じがしたのかも知れませんね!

方墳のある地域を考えてみると、私が住んでいる京都府内も、数は多くありませんが結構点在的に存在しています。
特に京都市内で良好に保存されている、高台寺境内にある「八坂の方墳」などは市街地内にありますが、お寺の境内にあって完存しており、奇跡的な保存のされ方でした。

この辺の地域を考えて、この古墳も八坂氏の墳墓と考えられていて、渡来人の臭いが個人的に感じられます。
京都市内には、この古墳以外は方墳の顕著なものは確認されていなく、西の嵯峨野の地域でも顕著な方墳は、確認されていません。

ただこの周辺には、山麓や山中などに、多くの群集墳があるので、将来方墳が新たに確認されるかも?しれませんが・・・・・

大型の方墳で騒がれた、八幡市にある「ヒル塚古墳」などが有名ですが、どうも私は渡来人が住んでいた、地域の拠点的な場所に、盟主と言われた人を葬って、その地域地域の中心地的な場所の近隣に、この方墳を築造したのかな?と考えています。


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タックンありがとう
2005年6月23日 23:41:56 かわかつ WEB
掲示板の告知、見てくれたんですね。ご来訪ありがとうございます。あなたの知識をここで役立てて下さいね。期待しています。

皆様、タックンは私のサイトに以前からきてくれている京都の方です。私がバイトしていた辺りに家があって、偶然、なつかしさもあり、レスしてもらっています。古墳の知識はここでも役立つと思います。よろしくお願いします!

車がオイル洩れして一日ドタバタしていたため、レスが遅くなってしまいました。お詫びします。


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渡来人研究とはなんなのか
2005年6月24日 0:49:37 かわかつ WEB
管理人さんをさておいて私が言うのもおこがましいことですが、やはりこれは「ルーツ探し」という面が大きいです。
私たちはどこからきて、そしてどこへ行こうとしているのか・・・日本人と生まれた限りはわれわれがどこから来たのか、というのはやはり気になります。
なぜ日本人は世界の中で特殊な文化を持ち得たのか。なぜこんな絶海の孤島に住んだのか。
探って行くと、結局世界中が対象になって行く。
広く世界から俯瞰して探る方法もあれば、逆に国内のピンポイントから世界へ広げて行く方法もある。その両方が必要ですよね。
私はまず「渡来人」という言葉にこれまで多くの誤解があったと思っています。だからその誤解を解く必要があります。
偏見に満ちたこの渡来に正面からあたるには、「渡来」という言葉の定義を明確にせねばなりません。
だから極端な言い方をすれば、「日本人はすべて渡来人」という言い方をすることがあります。


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続き
2005年6月24日 1:08:57 かわかつ WEB
戦後、渡来人は「帰化人」と言われていました。しかしこの言葉には多くの差別的意味合いが含まれており、その後、渡来という言葉が使われようになりました。この時点で帰化人とは古代に大和朝廷に進んでやってきて許可を得て移住した人々を指すようになりました。
渡来人とは、朝廷以前に列島へやってきていた人々を指すのです。
もちろん大戦で強制収容された在日の人々のことは渡来人とは呼びません。渡来人は古代史の用語です。
そこには自由に自分から列島に辿り着いた人々という意味があります。したがってこの問題と戦後の歴史認識は混同されるものではないのです。
渡来、帰化、そして在日はまったくきりはなされた問題ということを常に確認しておく必要があります。
われわれは島国に住んでいます。
島である限り、漂着、渡海、による人種混合は宿命です。
われわれは混血しています。それは太古の時代から。
我々を構成する人種はおそらく多岐にわたります。
それは世界中と言っても良いでしょう。半島経由の人種がおそらく最も多いのでしょう。しかし、南方のタイやベトナム、インドネシア、あるいははるかペルシャやヨーロッパからも来た可能性がある。また北のツングース、モンゴルからもです。これはもう間違いがないのです。
ここへやってこられる方々の中にはそれを認めたくない方もおられることでしょう。しかし事実は変わりません。
ならばそれを探そうではありませんか!われわれがやってきた道を辿って。


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縄文以前
2005年6月24日 1:20:48 かわかつ WEB
渡海してきた人種について今のところそれを表す言葉はありません。管理人さんが指摘の通り、渡来とは主に弥生時代の渡海者を指しています。したがって学術的には、縄文時代には渡来人はいないことになります。
強いて言うならば、縄文渡海者・先史渡海者とでも申しましょうか。
けれどこれからおそらくこれが重要な研究課題になってゆくでしょう。そして縄文時代などという時代区分そのものにメスがはいり、もっと細分化されてゆくでしょう。そして日本書紀の極めて不快な表現・・・ツチグモ、蝦夷などという言葉も消えて行くことを拙に願ってやみません。


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フィリピン
2005年6月24日 3:40:49 管理人
かわかつさん、こんばんは。オイル漏れ大変でしたね。
ご指摘世界各国からの他民族集合体の島国日本と似たような事例でフィリピンについてちょっと調べていました。いろんな人種がやはりまざっているようです。紀元前3000年ころからといわれる原住民系、中国系、中世スペイン支配から入ってきたスパニッシュ系となるようです。宗教的には当初は原住民系の精霊崇拝、次にフィリピン南部へのイスラム、最後にカトリックとなり、現在カトリックがほとんどだそうですが、聖人信仰や顔や体を聖人像?などに擦り付ける風習など、原住民的な精霊崇拝の名残も残しているそうです。その辺日本の場合はどうでしょう。隣国フィリピン興味出てきました。



タックンさん失礼
2005年6月23日 15:19:42 とみた MAIL
タックンさん、あなたが中学生か、高校生か迷っていましたが。もしかすると文面では大学生か、社会J人かも知れないと思います。そのときは失礼をお許しください。

いずれにせよご質問の趣旨とか動機が不明ですのでそのあたりを支障がありませんでしたらお伝えください。

私も興味任せに入会して日は浅い者です。このサイトの交流は大いに役立っております。


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方墳、縄文人
2005年6月23日 19:54:30 管理人
タックンご指摘の方墳というととみたさんも過去にログで触れておられましたね。過去ログページは以下のとおりです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/keijiban8.htm
このページを開いてブラウザの検索ボタンで方墳で捜すと、なんぼか見つかります。方墳と高句麗・積石塚・・。興味深いです。

月一六年さんご指摘の縄文時代の渡来についてですが、そもそも渡来人のいう言葉自体、弥生時代以降に当てはめることが多いです。しかし、縄文時代の渡来人はどうなのか??とても新鮮なテーマだと思います。掲示板の常連紀氏さんあたりは、その辺近いテーマで研究されているのでお聞きしてみましょう・・・。紀氏さんの著作「古墳のこころ」、かなりマイナーなテーマを扱っていますが、一方で未来の教科書みたいな感じで、日本古代史の教科書の基本知識に沿って解説されており、青少年にも読みやすい感じなので、よろしかったらみなさん読んでみてください。


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タックン今晩は。
2005年6月23日 19:47:00 いばらの紀氏
 
 タックン今晩は、紀氏です。ヨロシク!
「古墳」で検索でここへ来たんですね、イラュシャイ。
ここは、「渡来人研究会」で管理人さんが主人です、私は居候です。
方角墳に渡来人の臭いを感じたタックン、良いセンスしてますよ、
日本人もそうなのですが、人類に起源は同じDNAからと言われます。
だから日本と言う名もない時代に住み着いたのが早いか遅いかの違いの種族が共に生活しています。
そこで方墳の渡来人ですが、私の考えでは「方」方向、「墳」お墓+見る=台との考えです。
古墳時代は秦の始皇帝の末裔の時代、仲間のかわかつさんの研究されている「秦氏」(八幡・旗織部・源氏?)の流れの人々です。
ユーラシアの民が東方にユートピュアを求め日本に来ました、中には大陸での戦乱から逃げてきた人々も。
そこで、色々とトラブルは御座いましたが知的能力の高い、秦氏を仲間に加えました。国の将来の豊かさを考えたからです。
むかしの中国・朝鮮で先祖同士が「考え方」の違いで戦っていたのです、だからいつまでも打ち解けることがありませんでした。
だから紀氏さんは、これを獣(ケモノ)DNAと言ってます。生き物のDNAには競争と戦いがインプットされている様です。
しかし知的レベルの高い人間はこのDNAを押さえ込みます、子供の出生率の低いのはこの為かと思います。
アッ 本題に戻ります、方角墳に渡来人の臭いを感じたタックン・・・正解!
しかし、渡来人や帰化人 移民・移住・・往々にして「差別」の対象と成ります。人間には108の煩悩が存在するからだそうです。
釈迦は言いました、「こだわるな、頓着するな しなければトラブルは起きない。」としかしこれは現状が優位な者に都合の良い保守的理屈で
生活苦の日々をおくる人々の理屈ではない。・・・またそれた、
人類は利益にならないと思う種を消滅させ続けている、現在も 生きる為意外に殺生するのは人間と猫科の動物だけだろう。
だから百獣の王はライオンなのだ。人間は「獣けもの」にも劣るのか?
人のこころから獣の心を消し去る時、ユートピアが現れる。
古墳は蘇えりの場所、しかし蘇えりを望むこころに平安は無い。
タックン、愛ある人に成りましょう。またその遺伝子を後の時代に伝えましょう。
       紀氏です。       豊かなタックンに育って下さい・・・まってます。


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みなさんなんだか
2005年6月24日 1:26:18 かわかつ WEB
タックンと誰かを混同しておられるようですが、タックンの身元は私が保証しますので誤解のなきように願います。かれは30代の古墳愛好家です。ハンドル名をよくご確認の上、レスをよくごらん下さい。



何かありませんか
2005年6月23日 11:56:46 月一六年
皆さん縄文時代の渡来人の事少しでもいいので書いて下さい。また、情報が乗ってるホームページでもいいので書いて下さい。



バーカ
2005年6月23日 11:40:25 ゴミ
何が渡来人だよ。ばっかじゃねーの。


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何をしてるんですか
2005年6月23日 11:44:48 月一六年
ゴミさん渡来人が嫌いならこないで下さい


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あはは
2005年6月24日 2:01:23 泊瀬光延 WEB
ばかはいるものですね。私のところにきたら即消してやりますが。慣れてますから。



古墳好き
2005年6月22日 20:09:35 タックン
古墳好き、考古学好きからこのホームにきてしまいました。
渡来人は、河内の古墳などを歩いているうちに、調べなければいけない状態になってきていますので、ここでじっくりと皆さんに教えていただけたらなぁ〜と思ってます。

古墳は特にマイナーな、中期の方墳のあり方に興味を持っており、とかく皆さんは前方後円墳に目を向けがちなのですが、この方墳築造者こそ渡来人の臭いがいたします。


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方墳
2005年6月23日 8:28:38 管理人
タックンこんにちは。ぜひぜひこちらで勉強してくださいね。また方墳についていろいろ教えてください。今後ともよろしくお願いします。


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質問内容を詳しく
2005年6月23日 15:05:18 とみた MAIL
タックンは中学生ですか高校生ですか?間違っていたらごめん。
宿題で調べようとしているのかな。

おじさんは、まだ古代史を学び初めて年数はかかっていないけれど、面白い世界ですよ。他の方は随分勉強して居られます。

興味があるということが一番大切。

好きになればいくらでも勉強する方法がありますよ。HPで検索して方墳のことを調べ終わったのかな。それも済んでこのコーナーに飛び込んだのかな。このコーナー(サイト)は簡単に探せた?。随分手間がかかった?教えてください。図書館へは行きましたか。君の熱意が大きければ皆さん答えてくれる筈です。

もっと具体的に訊きたいことを説明してね。




いまさらながら驚きです!
2005年6月22日 13:12:14 いばらの紀氏

 大発見です!。
「三内丸山遺跡」が「役小角」のポイントと行基いや以降のポイント?(ポイントは北海道まで)まだ他のラインも・・・
れいの角度で「三内丸山遺跡」で交わっているのです。「三内丸山遺跡」といえば「役小角」以前ですよね?
やはり「夏王朝禹」の測量士たちが測量していたのでしょうか?
いや「役小角」「行基」以降のポイント?
関係するポイントの年代を調べなければ断定できませんね!
私には荷が重過ぎます・・・・専門家の協力が・・・・
 どう致しましょうか、管理人さん皆さん・・・・トホホ・・


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ポイントは10以上
2005年6月22日 13:28:49 いばらの紀氏
「三内丸山遺跡」にのびるポイイントは北海道をのぞいて10以上有ります。
丸山遺跡は測量の中心です。
どうしましょう?・・・・国土地理院?国立歴史館・・・・・・どちらも信じていただけないでしょうね?
トンデモです。
・・・・救援を候         紀氏でした。


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丸山??
2005年6月23日 8:36:33 管理人
縄文時代となると、縄文人の考え方にそって考えていく必要ありそうですね。縄文人のイメージ・・・、思考形態・・、性格・・・、どうなのでしょう。人種などの遺伝子で性格分類をする方法も性格遺伝子の存在があるかないかという視点から追求できそうですが、なんとなく縄文人の遺伝子の濃そうな人って割りとよく歩いていて、似たような性格分類ができそうな気もしています。たとえば弥生人の遺伝体質構造だと酒に弱いとか、コーカソイドは強いとかよく知られていますが、蝦夷系のお客を酒宴でもてなすとどういう結果がでるのかとか、いろいろ想像出てきます。もっとも性格は後天的要素という人も多いですが、動物のケースだと遺伝的要素が強いですね。でも高等な人間は動物とはまったく違うと一線を引いてきた地動説もありますが、その辺どんなもんでしょう。
で、縄文人の頭脳と測量の関係・・・、案外縄文人は記憶力がよかったとか計算は正確だとは・・・とか、その辺まで追及できないでしょうか。夏王朝の計算能力は??
朝まで夜勤でややテンション高い管理人でした。


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苦労様です。
2005年6月23日 15:52:18 いばらの紀氏
朝まで!夜勤明けご苦労様です。三内丸山遺跡ですが

縄文世界王朝の謎
http://www001.upp.so-net.ne.jp/hack/joumon.htm
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/kuroshio.htm
http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/index98-4.html
渾天儀はイスラム地域から伝わり、古代中国で[紀元前2世紀から」使用されており、その後日本に伝わりました。
http://homepage3.nifty.com/silver-moon/meguri/Nov.htm
http://homepage3.nifty.com/silver-moon/Heiankyo/Heiankyo.htm
太陽を使った方法を実際にやってみました
http://homepage3.nifty.com/silver-moon/Heiankyo/Project2.htm

おやすみなさい     良い夢を管理人さんへ


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なるほど!
2005年6月23日 20:29:51 管理人
紀氏さんおはようございます。
縄文世界王朝の謎
http://www001.upp.so-net.ne.jp/hack/joumon.htm
拝見しました。すごいですね、古代縄文時代の日本人にそんな文字文化や石造製作技術があったなんて・・。アフリカ、イースター島と同種の文字、石造物が出ているとのこと、おもしろいです。
それだけの文化があるとすると、確かにレイラインの大本も、そこに起源を求めることも考慮せねばなりませんね。
まったく縄文時代にそんな高度な文化が日本にあったとは逆転の発想ですが、完全にありえないと否定しきってきた自分の中で、なぜそうありえないと考えはじめたのかという心理を探ってみたいところではあります。それは、教科書で縄文人は石器で狩猟ばかりしていたという観念が少年時から入っており、実際考古の授業でも、土偶は別として、やはり文字のない世界と石器のイメージばかりでした。それが積み重なり、そうであるそうであると、無意識に条件反射的に超古代史的な発想を否定する、そういう脳の仕組みができており、紀氏さんみたいに思考を大胆に変革することがすでにできないくらい凝り固まっているんですね。
そこには、進化論があり、文字のない時代から文字のある時代へという比例曲線が頭にあり、文字のある世界から文字のない世界へというヘーゲル的?なサインとかタンジェントの曲線が出てこない、
まったく地動説に凝り固まった人間です。
縄文人と夏王朝から弥生人、渡来人へ、紀氏さんの思考がすこし理解できたような・・・。



ようやく具体性が
2005年6月22日 11:42:11 かわかつ WEB
出始めましたね。
とみたさん、さすがは人生の先輩、半歩下がった客観的アドバイスに頭を下げます。
人数的には、今、可能な限りで5〜6人でしょうか。とみたさんも、例えばコーディネーター、アドバイザーになって頂き、対談の司会や巻頭言などの形でのご参加という方法もありましょう。ご研究次第でおそらくいずれは本格参画していただけましょうし、今のうちから名を連ねて頂きたいところです。
もちろん管理人さんが考えておられるような、作品発表の場があってもいいんですが、それは誌力がついてからでも遅くない。とりあえずは「古代史に於ける渡来人の諸研究」というはっきりとした方向が必要です。
明瞭なコンセプトがあれば誌面は前を向く。サッカーと同じで、いくらバラエティに富んだ攻撃を見せつけても、肝心のゴールが0では負けてしまいます。やる限りはやはり勝ちたい。

トルシエならぬトミーシエ?の助言をえたこともあり、今回、最初の例会を開きましょう!
私はどこでも参ります。むしろ遠ければ遠いほど行き甲斐もある。とみた大人のよいところでかまいません。涼しいところならなお嬉しいですね。蓼科なら東京からアクセスよいのでは?遠いですか?
尖石から八ヶ岳を眺めながら縄文と渡来について語らうなんて、なかなかだと思いますが・・・


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コンセプト
2005年6月23日 10:01:03 管理人
かわかつさんこんにちは。明確なコンセプト、重要ですね。
ちょうどここ数日スティーブン・R・コビーの「7つの習慣」という本を読んでいます。あんまりこういうビジネス・啓蒙的な書物すきでないんですが、ちょっと面白いです。表面上の問題をいくら解決しても根本問題を解決しないと、結局間違った方向へ多大な労力を費やすだけで、目的への道のりへはたどり着かない、だからまず根本問題、根本的な習慣からあらためよっていうようなこと書いてあります。なるほどなーと、思うのですが、この辺は心理学のコンプレックスからの開放の論理の応用のように感じました。根本的なコンプレックスに気づき、そこに由来する過剰反応を逃げずに見つめなおすこと、直面することから土台を作り直すというものですが、確かに日本人の現在の苦境の原因のひとつに表面上の論理ばかりおい求めてきたこと、根本的な民族の起源からめをそらし隠蔽し続けてきたこと、それが今になって亡霊のようにあちらこちらで掲示板で出現してきていること、その亡霊に対面するには自我崩壊の恐れがあり、それに踏み出す勇気がないこと・・など、多くのコンプレックス課題が山積みの社会だと感じます。この辺かわかつさんの秦氏の隠蔽理論と同じ線で追求できる課題と感じますね。下に続く。


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具体性へ
2005年6月23日 10:01:31 管理人
さておき、この本今朝読んでておもしろかったのは、目的と目的達成能力との区別をすべきという点でした。要するに渡来人研究での成果と、渡来人研究者の育成とを区別せよということでして、さらにいえばソフトの製作と、それを生み出すハードの製作の相違とも受け取れます。さて、確かに渡来人研究会、いろいろ新たな発展想像や成果を出してきたのですが、まだ学会に影響を与えるという目的は達成していないですね。しかしその目的を達成するには、その研究者の育成をおろそかにするわけにはいかず、その育成の時間が必要です。
簡単に目的を達しようと思えば、有名大学の大教授ばかりで本をどんどん出していけばいいのですが、それでは後継が後々育たなくなるし、マンネリ化して下火になっていく。結果として渡来人研究は進まないということになります。しかし、一方で永遠と渡来人研究者を過保護に育成し続けて、そのままにしておいても、やはり無駄な努力で終わってしまう。この辺が確かにその論理でありまして、確かに渡来人研究会での論議もある時点でまとめて上の段階に突入させないと、マンネリ化してしまうことも考えられます。そこで、やはり期限を決めて語り合い出版するという段階を踏むのは研究の発展のあるべき姿ではと感じました。と、朝からハイテンションですが、そろそろ寝ます。それなりに、よく心理学など、深いながらも普遍的菜真理に基づいて主張している本は、よく人をひきつけますね。はやいうち出版にうつしたいものです。



会の露出度
2005年6月22日 10:42:04 とみた MAIL
皆さんが論文をまとめて出版しようと張り切っておられるのを横目で見ています。斜に構えては居りませんよ。直接応援するほど知識も元気も顕示欲も財力もありませんけれど・・・心の中で応援しています。

私たちシニアは時間があるし一人じゃあ淋しいので群れたがるんです。いろいろなサークルに押しかけております。

健康が一番の関心事でウォーキングなど一杯サークルがあります。
カルチャーものも一定の人気があります。

JASSネットとか生涯現役に会など二重三重の仲間が居りネットを通じてのサークルも多いですね。

古代史や郷土史は潜在的に興味のある方が何パーセントかはいますよ。

たとえばJASSネットなど複数の大ー中企業の退職者のサークルがあります。

ウォーキング、観劇、ぐるめ・・・いろいろあり春夏秋冬号にイベント案内が郵送されてきます。

私なぞ参加したいと思いながら歴史ものは近代、近世、中世、古代と分れていても本数が少ないし内容が今一なので参加しないんです。
古代史は月1回(休講もある)ありますが、内容が不満で出ておりません。費用は一人三ヶ月で2000円です。二回の講座で3000円ということになります。
申し上げたいのは潜在的需要がありながら供給面の不備があるということ。

サークルのコーディネータはどこにどんな古代史の先生が居られるのか分からないし、知名度の高い方はお呼びするのに金額がかかるので迷いますね。

ということで需給は一致せずカルチャー古代史講座はうまく広がらないのです。

ですから売込みを如何にするかがポイントですね。

サークルのコーディネーターと接触されたらいかがでしょうか。
JASSの(社団法人)日本セカンドライフ教会 の本部は:東京都世田谷区松原です。TEL:(03)−5300−0661

管理人さんの人柄ならアポをとって直接面識をもたれたらいかがでしょうか。

いい資料を作ることと並行して売り込む努力が必要不可決だと考えます。


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露出度:つづき
2005年6月22日 10:44:28 とみた MAIL
私も現役時代、セミナーの開催企画実行と講師を良くやりました。
古代史は全く関係がありませんでしたが、協会の講師で10数年全国行脚しておりました。


このホームページに出会ったのも幸運だけです。古代史リンクをいろいろ見てたら、たまたまであっただけです。

ポータルサイトか何かからアクセスが簡単で、HPサイトをクリックしたくなる表示が必要でしょね。

販売部数を確保するにはマーケティングとかセールスの工夫が要るんでしょうね。

コンシューマー to メーカーの時代ですからHPをうまく活用すれば成功するかも。

いずれにせよ、マイナーからメジャーにあがるのはゴルフ、野球、作家・・どの道大変です。林芙美子の放浪記。
云うことは簡単ですが


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講習
2005年6月23日 20:19:03 管理人
とみたさんって、いろいろ講師仕事もなさっていたんですね。今、だんだん社会人教育やサークル講習などの仕事を先生方もなさっている話ききますが、社会人としても分野は違うこそある分野を極められたとみたさんの視点からの古代史講座、ぜひ将来聞いてみたいと感じます。マーケティング理論、ちょっと勉強しなきゃならんですね。需要と供給、減価償却、在庫・・・。ううん、渡来人研究会で販売やサービスをするということがありえるのかどうか考えたことなかったですが、ともかく勉強になりそうです。



ほんとに
2005年6月22日 1:55:15 かわかつ WEB
地球が滅びるの?
シャラポアも今が見納めかあ。じゃあやっぱり本出しといた方がいいかも、みなさま?


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マリア
2005年6月22日 5:05:20 管理人
そう、マリア・シャラポア、わたしも好きですね。去年の今頃は、実は眼科に入院してました。いろいろありまして・・・。その入院する前、マリア・シャラポアが活躍していて日本人を打ち負かしてしまったんですが、それにもかかわらず男はばかなものでその美貌に見惚れてしまいまして・・・。で、その後マリアンナ病院に入院して手術して、マリア像を拝みながら、一方で看護婦さんがかわいくて・・・思い出します。おお、マリアこの馬鹿な男をお救いください!!


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下の続きです。
2005年6月22日 5:22:52 管理人
あと表紙のカバーだけ印刷会社に注文する方法あるようです。うちのNPOでもその手使って、パンフつくりましたが、表紙だけプロっぽい感じでおもしろかったです。
これは個人的なアイデアですが、もし私が出版社なら、掲示板支援の自己出版コーナー造りますね。いまや研究関連の掲示板の数はやまほどありますし、でもその一方で掲示板はその性質から、貴重な情報が多いのにもかかわらず、データが消えていきます。でも掲示板の内容をログしている管理人も多く、まとめて出版したいと思う人もいるでしょう。確かに掲示板の内容をまとめる人がいないのもひとつにはありますが、その辺を受け持って掲示板をそのまま出版化するような事業起こせば、結構仕事になると思うんですが・・・、未だにないようです。もっとも内容まとめるのもかなり労力つかうので、そのまま掲示板内容を出版してみても、それはそれで案外視聴者にはおもしろネタばかりだと感じます。とこんな感じですが、どなたかお知り合いに出版業の方いらしたらこの辺聞いてみてくれませんか??


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500部で60万円チョイ
2005年6月22日 8:23:12 いばらの紀氏
 おはようがざいます。
出版のおはなし荒俣さんの件で私も乗り気になって来ました、自己堅持?顕示?欲て有りますね!(私は表現力が乏しい上、横着もので・・・閃きだけ・・・・使い物に成らない鴨・・・。)
本の出版費用ですが、500部で60万円チョイでした(宣伝費用を掛けなければ もう少し安かったです・・・老夫婦二人だけの出版社でしたから。)


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出版の内容詳細
2005年6月22日 9:29:04 管理人
結構紀氏さんとこもかかっているんですね。宣伝費が削れればいいんですが。部数は200部くらいで、その後ニーズに従い増版を繰り返してとかどうでしょう。それにしてもあの出版社2人でやっているなんて、HP拝見すると結構人数いるような会社に見えましたが、HPの宣伝効果も大きいですね。
紀氏さんが乗り気になってくださること感謝です。私が載せるとすると、やはり例の高麗郡とレイラインの例の渡来人研究会年度末報告の件となりますが、紀氏さんの「古墳のこころ」に掲載された行基図に紀氏さんが書き込んだいろいろな諸地点を結んだ線ですね、これがそのまま年度末報告で描いた線と重なりそうです。そこで、紀氏さんにはぜひ行基図から描ける線とレイラインxと関東レイラインについて、論文だしてほしいです。私のほうではどちらかというとそのレイライン作成に関する時代背景あたりを中心にすることになるかと思います。その辺あるいは私と紀氏さんとの共著、あるいは私の論文の一部に紀氏さんの行基図に関する見解を挿入させていただきたく存じます。この行基図と年度末報告で出てきた富士山、伊勢、白山、諏訪、鹿嶋、高麗郡での二等辺三角ラインとの一致の重なりが証明されれば、紀氏さんの「古墳のこころ」の内容証明にもなります。たぶん荒俣氏の鹿嶋富士山説は注で入れとかなければならないでしょう。あと、伊勢白山以西のレイライン関連はぜひかわかつさんにご記載いただきたいところですね。関東中部だけではレイラインも片手落ちですから・・・。そして渡来人・レイライン小説とかエッセイとか世界史的視点とか掲載いただけるとかなり読み物的にも内容が濃いのではと感じます。



古墳の知識も
2005年6月21日 22:19:56 かわかつ WEB
少し知っておいて下さい。このHPをお勧めします。
http://www.interq.or.jp/gold/waki/kofun/rekishi.html



おどろきました!
2005年6月21日 21:44:40 いばらの紀氏
おどろきました!
 管理人さん 私の「古墳のこころ」の内容が同じです・・・・・こんなことて・・・有るのでしょうか?・・・・とほほ・・・・
新聖地相学世界編「風水先生レイラインを行く」荒俣 宏著 集英社文庫(1997年12月20日第1刷)
http://www2.begin.or.jp/sakura/sai09.htm#03

新聖地相学世界編「風水先生レイラインを行く」荒俣 宏著
第13章 三輪山ピラミッドを往く
第14章 大和にこもれる(太陽の道)


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おかげで
2005年6月21日 22:15:35 かわかつ WEB
このHPを見て、紀氏さんの言いたかったことがほぼわかった気がします。下のHPと合わせて、中国に於ける漢字という表意文字の持つ意味合い、そして今度のHPのレイラインと中臣氏の祭祀方法・・・太陽と暦の関係、大変参考になりました。

中臣と物部
タケミカズチとフツヌシがそれぞれ中臣氏と物部氏を表していることに確信しました。
また、常陸から奈良へ帰ってくる中臣の神・・・まさにこれは鎌足その者ではありませんか!そして鹿島神宮の向きが北向きで、神は東の日の辺に向いていることなど、新しい知識が得られました。
中臣氏は太陽信仰を中核として、その祭祀方法を国の指針としようとしたわけですね。天照大神はそこから出てくる訳ですな。
今ひとつその意味合いが理解できかねていた、レイラインという概念が少しわかってきましたぞ。


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レイライン
2005年6月21日 22:17:20 管理人
荒俣さんの本有名だそうですね。まだ読んでないので早くよまなくちゃ。鹿嶋のたけみかつちと、ふつぬしの相撲の話は興味深いですね。二等辺三角をつくる息栖神社に、力石というのがあり、力比べをするという相撲を彷彿させるような風習があるそうです。
レイラインにせよ、真実はひとつなので、見る目がある人は、みんな同じ結論にたっしていくものですよ。あとは書き方次第でしょうか。真実はひとつ不変でありますから、最終的にはそれを確実に捉えている人の論ほど、長く残ることになりますね。出版がんばりましょう。


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焦りました!
2005年6月21日 22:30:19 いばらの紀氏

 本よりも、渡来人研究会での皆様とのこれまでのやりとりの内容ですね、
でも?なぜ第13章・第14章の内容を載せたのでしょうか???
荒俣 宏 と言う方は、どのような方ですか?
御存知のかたがいらしたら教えて下さい、ショックで血圧上昇・・頭の後部があちいです。・・・
  誤解しないで下さい、私は「荒俣 宏」氏の本など読んだことも御座いません、本当です信じて下さい。


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作家、幻想文学研究家・翻訳家
2005年6月21日 22:49:54 かわかつ WEB
「帝都物語」作者。オカルト、オーパーツ、古代文明など様々な超常現象や怪奇現象に精通。
TV「トリビアの泉」準レギュラー 「インパク」編集長
水木しげるとの交友関係はつとに有名。マンガにも「あらまたこりゃまた先生として登場。赤貧洗うが如き姿で描かれている。
「帝都物語」以前は名前は知られていたがかなり不遇で、飲食すらまともにできない時期もあった。

私が呼んだ荒俣 宏の本  「ドーマン セーマン」「帝都物語」「安倍晴明」「世界大博物図鑑」ナドナド・・・


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HP
2005年6月21日 22:55:36 かわかつ WEB
http://www.geocities.co.jp/Bookend/6743/


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管理人さん
2005年6月21日 23:14:21 かわかつ WEB
私のあんな薄〜い本でも75万もかかってるんです。150ページの本なら150万かかるとですよ。
出版は嗜好品です。贅沢品なのであります。あまり簡単に考えない方がいいです、まず人数が必要です。


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30ページくらいで・・・。
2005年6月22日 1:13:04 管理人
150ページは多すぎますね・・・、30ページくらいで30万という線で交渉できないでしょうか・・・。とすると1人3ページで10人??7ページずつ5人位でという線も。
ともあれ、根本問題として、なぜ出版するのかについて、あまり考えていませんでした!なぜ出版するのか?
いろいろ要素はありますが、1・後代への記録用、2・特定研究の発表を形にする、3・世間一般に特定の事実を知らせるため、4・人によっては生活の糧、5・神のご計画
という感じになるでしょうか。4の生活の糧と1の後代への記録用については、あと数年後の世界がどうなるかもしれないのであまり考えてません。3の一般大衆への発表については、うちのHPのほうが検索サイトも「渡来人」でひけば一番上に出てきますし、効果が大かと。とするとこのHPで擬似出版の形にしたほうが目的に達しやすいのですが、3の研究発表についてはある程度出版の形にしないといけないかなと感じます。最後の神のご計画・・・計りがたいですが、そういうことは当時からすでに可能性0でしたが、仮に私がオーバーマスターからさらにドクターに行って、教育機関や研究機関に勤めていたとしたら、まず表面上の渡来人の歴史しか知らなかっただろうなと感じます。おまけいに今のNPOでなくかつて一時期いた多忙な企業人として仕事してたら、渡来人のことはすでに忘れていたでしょうし、ほんとに一時期忘れてました。
ということで、まず自分の与えられた場で目的に向けて最大限何ができるか、考えてみたいと思います。


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下のコーナーにレス
2005年6月22日 1:28:22 かわかつ WEB
ここ紀氏さんのレススペースですので下に参ります。


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おはよう御座います。  
2005年6月22日 7:52:33 いばらの紀氏
 今朝のお天気は 雨・・・・私のこころも梅雨本番?
荒俣氏の情報も重ねて御礼申し上げます、本が好きな方なのですね国会図書館まで行くとは 国会図書館には私の著書「古墳のこころ」も置いて有ります 多くの皆様のお役に立てれば幸いです。

荒俣 宏著 新聖地相学世界編「風水先生レイラインを行く」 第13章 三輪山ピラミッドを往く ・第14章 大和にこもれる(太陽の道) の記載のなかで、「相撲の話」はともかく、「ミカエル」のネーミングが出ている事に特に驚きました。
かわかつさん、古墳の知識のHP ありがとうございました。「碁盤」にはおどろきました。(「方眼設計の源流は碁盤などの設計盤が用いられたであろう・・・・」)  以前、とみたさん トミーとのお話でしたか碁盤の話・・・
「椚國男は前方後円墳を実際に設計するにあたり、尺度の問題だけでなく、設計が古代中国の設計法である方眼による設計が用いられていることを指摘した。また、実際に方眼設計の源流は碁盤などの設計盤が用いられたであろうことを論じた。そして、角度を求めるために現在の三角定規とコンパスの原型と思われるものが、画像石のなかに登場することから、その当時の設計道具についての復元を試みたのであった。これは、机上のプランのみを追究する設計企画論が実験考古学的な手法も含めて、総合的にその当時の設計について解明された段階に到達したことをあらわすものとして、建築学界などでは大変評価が高かった。しかし、考古学者のなかでは支持は少なく、現在でも定説となるには至っていない。」
「建築学界などでは大変評価が高かった。しかし、考古学者のなかでは支持は少なく、・・・」(考古学者とは何を考えているのでしょう?)

 荒俣氏のことで、忘れてました・・・いつものやつ。
エミシ 考   烏エ  箕ミ・キ   子シ
烏エ 箕ミ(風の神)・キ 子シ・・・雷神(サンダー)風神(紀氏)・・・の妄想。
箕子:中国古伝説の人。殷の紂王の叔父。箕は国名。しばしば紂王をいさめたが聞き入れられず、狂人の真似をして奴となった。
殷が滅びて後、朝鮮王となり、周に行って殷の旧都を過ぎ、そのとき、麦秀之歌を作ったと伝えられている。
孔子は、徴子・比干とならんで殷の三仁の一人とした。

 ああ!  それと「バベル文字」見られるかも知れません。http://www005.upp.so-net.ne.jp/kenji99/japanese.htm
おかげさまで元亀がもどった亀氏でした。



特報 !!!
2005年6月21日 19:36:26 いばらの紀氏

弥生の興亡  2、中国、朝鮮史から見える日本     塚田敬章
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/4/2_3.htm
  すごく濃い内容と感じます。


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待ってました。いい資料です
2005年6月21日 21:06:32 とみた MAIL
紀氏さん。待ってました!すばらしいレポート有難うございます。

読み甲斐があります。

塚田さんという大家が居られるのですね。

考古学なり文字分析なり多角的な方向から事実認識を高めないと単

なる想像力だけでは限界がありますね。仮説や全体のシナリオ・ス

トーリーは大切だけど、これに客観性が加わらないと詰まりませ

ん。

長江はモン・クメール語(南方系言語)黄河はモンゴル語(北方系

言語)ときいておりましたが・・・いろいろな情報がつかめそうで

す。

明日は大学図書館でいろいろ探してきます。


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一回につき10冊
2005年6月21日 23:08:12 かわかつ WEB
毎週通って5年間、がんばってくだされ。私の初心者向け概論書では物足りないでしょうねえ。
でも、まともに書けば500ページになっちゃいます。誰も読んでくれませんからね、学者か作家の本でないと・・・


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最初は誰でも
2005年6月21日 23:25:31 かわかつ WEB
素人にも読める、それでいて自分の主張がわかりやすく読み取れるものを出します。それでようやく出版社が声を掛けてくれます。普通に自費出版したら安くても、書店も広告会社も相手にしてくれないです。ネット販売や読売新聞に広告してくれるのも賞に応募して認められた結果です。
お金が山ほどあるなら別ですが、本を出すのは簡単なことではなかですよ。
誰も書いていないことを書けるにはそれなりの努力ではだめなんじゃないでしょうか?一人ですよ、結局は。私はそう思います。人と同じ意見を持ってもダメなんです。オリジナルでなきゃ・・・がんばってくらっしゃい。


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皆様へ
2005年6月22日 0:12:40 とみた MAIL
かわかつさん、このMLで相当刺激をいただいて感謝してますよ。

昨日買った関 裕二さんの”謎の継体天皇”を2/3読みました。

沢山の事実の部品を集めて自分の構想力でまとめている。神功皇后は卑弥呼の後を継いだトヨ(台与)と見做していますね。

とよは豊玉姫、豊前豊後、豊受・・トヨが絡んでいる。
祟りの神の懼れ、住吉神社との深いつながり
神武と応神は同じ・・・

かわかつさんが秦氏を前面に出されているところを物部氏とか蘇我氏に置き換えていたりしてますね。面白かったのは宇佐神宮の秘儀=特殊神事・・・放生会で行われるクグツ舞です。719年に反乱で殺された隼人族の鎮魂という俗な見方でないようです。

舞を演ずる前に北宇佐の真名井(丹後で豊受が沐浴した名)の化粧井戸でお清めを受けて相撲をする。そのヒーローが住吉様。

九州からヤマトへでなくヤマトから九州へ・・・など
穿った見方です。

かわかつさんのご本も何か新しい切り口が見つかると思います。

仰せのように本を出して採算に乗せるのはリスクがありましょう

ね。マスコミ、口コミかなんかでブレークしないと・・・

紀氏さん、塚田さんの資料を読むと新事実が浮かびますね。

難波に呉人がいたなんて新鮮です。

荒俣さんはかなり売れてる人ですよ。この前、アトランティス大陸

の謎解きの案内を石坂浩ニさんと一緒にTVでやってました。

NHKの深夜番組で奥さんと二人の出会いを語っていました。

レーラインなんて飛びつきそうな御仁でしょうね。所謂、文化人で

しょうか。

管理人様 夜勤とはご苦労様ですね。私の長男もNPOなんかに勤

めて苦労しているようですね。OVER MASTER 、OVER DOCTERで大

学院を出ても研究者の口が少なくって研究と生活を維持する苦労を

感じます。でもお若いということは可能性があること、夢を失わな

いでください。


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夜勤
2005年6月22日 0:54:45 管理人
とみたさんの息子さんのNPOですか。数年前からかなりNPOの数が増えてきているそうで、かつてのボランティアという領域から、企業の代わりあたりまでのレベルで活動するNPOも増えてきています。人数も多くなると管理職員も必要になってきますし。私などは、身障者介護とパソコン関連の技術サポート、身障者向きHPの製作あたりを同時に夜中しているものですが、やはりNPOということでいかに安く企業などに代わって活動できるかにかかっているので、給料も安く保障も不安定ですね。ただ夜勤型は休みが多いのもいいですし、夜は割りと暇なことも幸いで、研究には夜勤型のほうが一般的にいい見たいですね。とはいえ出版かわかつさん75万もかかったんですか!30万でできるといううわさでしたが・・・。給料の安い私にはかなりまずい値段ですね・・・。友人の印刷会社なら17万で1000部20ページの本がだせたような気もしますが、一方で流通に載せるのにやはり出版者でないとダメなんでしょうね。文章校正やデザインなどもやはり出版社の技術すごいですし。


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ほとんど
2005年6月22日 1:25:26 かわかつ WEB
ワープロ原稿のまんまですよ。応募の段階から袋綴りを想定して、写真のレイアウトも私がやりました。表紙さえつければそのまま本になるように造りあげて応募したんです。
出版が決定してから校正を2度しました。それも自分でやったんです。表紙の元デザインはあちらでやってくれましたが、最初は文庫本スタイルの40万くらいのを勧められましたが、それはもうチープなステレオタイプなもので、無理をしてカバー付装丁にしてもらったのです。でないと全く目立ちませんからね!
デザイン会社の初案ではカバー写真が本文には出てこない薦神社のもので、「これは宇佐神宮じゃないじゃないか」と突っ込んで変えさせました。その写真も私がHPでネットフレンドだった大分県の日出町の方からお借りしたんです。
つまりほとんどが私の作った本で、あと印刷会社が印刷しただけという感じなんです。それで75万。紀氏さんや泊瀬さんの本なんかかなり高かったんじゃないかな?
まあ、同人誌や機関誌ならそんなにはかからないでしょうが、画像を入れたり、地図をいれたりすればお金がよけいにかかります。私の知ってる同人誌は、地元でもかなり有名ですが、それでも経費がかかりすぎて廃刊寸前まで行ってます。原稿贈ったら(送ったじゃない、あげたんです。載せてくれなくてもよ、とにかく読んでくれってね。)電話してきて、「おまえはこれを載せて欲しいのか?安くないぞ。会費を払え。でなきゃ原稿しょぶんするけど、それでいいか?」ってこうですよ。
もう全然情熱がない。ならもうやめればって言いたくなりました。
どこもそうですよ。やはり高い。
自分史なんて出す人いますよね。あれは年金生活、それも高額支給されてる人の手慰みですよ。第一、他人の歴史なんて誰も読みゃしません。^^
暇人の最後っ屁です。他所様にとってはなんの価値もありません。
この国は商業主義ですから、売れない本は見向きもされません。
機関誌なんてもう、そういう機関や図書館に寄贈するもんです。売れるわけないです。
だからそんな根性ありますかってこないだ書いたんです。
それでも出すのならある程度のリスクは覚悟すべきです。私は10万は出しますよ。載せて頂けるなら。そんな人が5人いればなんとかなるでしょう。だから一度みんなで寄り合いましょうっていうておるのですよ。
何事もすぐには無理です。あわてずに、資金集めましょう。^^;


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表紙もあれば・・・
2005年6月22日 1:34:25 かわかつ WEB
目次や巻頭文もいります。そして編集後記、プロフィールのページもいりましょうなあ。HP紹介のPRも必要。なんやかんやでやはり50万弱だなあ・・・とにかくいっぺんお会いしましょう。
紀氏さんもまだ出版にはなにも意見をおっしゃってないし、とみたさんは今回棄権と明記されている。人数不足ですね、まだ。
先ず、我々が結束する必要があります。それからですよ。^^;
気が早い早い。


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ここはやはり40万以下で・・
2005年6月22日 6:54:33 管理人
うっかり寝てしまいました。なるほど、出版社は案外なにもしてくれないようですね。そしていろいろ注文すると高くつくんですね。いや、ここはもう売れる体裁は考えない代わりに、大々的に売り出しはHPでやりましょう。HPの体裁よくすればそっちのほうが安くつきます。なんせただですから・・・。そうとうこのHPも手抜きしていますが、注文フォームくらい作りましょう。いつでも仕事でやっているのでやります。動画映像つき、和風美人女性がご本を片手にご紹介みたいなご本の紹介だってやろうと思えばできますが(笑)。その参考HP、以下私今製作中の障害者支援サイトです。
http://www.challenged-music.net/
上へ続く。



蛇神・牛神・YHWH神 考
2005年6月21日 15:14:33 いばらの紀氏

 蛇信仰・・・日本(縄文) 中国(三皇五帝以前) インド(ナーギ・蛇神はもともとインドのコブラの姿) シュメール紀元前3000年の地母神を「蛇」 出雲(牡牛と蛇の合体神を信仰・牡牛と蛇を左右の構図は、中国の伏羲(ふっき)と女(じょか)?)  ギリシャ(アレキサンダー大王は蛇の子と言われていた。・ゼウス・ポセイドンも?)
ナーガ(ナーギ)は、難蛇竜王(なんだりゅうおう)、
ネズミとの関係 十二支の「子」ネ(根・祖・百獣の王ライオンの子・・猫で苗)では無く、「鼠ソ」の古い字形から人間の胎児をイメージ・勾玉のも似ている。(古代の科学者・錬金術師は魔術師と神?一重)ヒトエ(単)と言えば1本ナーガ意ナー輪・・・へび?屁ヘ(尻の穴!) 毘ピ(人の臍へその意)・・・穴と臍を繋ぐナーガ意へそナ、・・・・穴=ホワイトホール(豊穣神)神とを繋ぐペソナーガヘ「蛇」の妄想でした。
牛信仰・・・紀元前3000年のシュメールのレリーフの7つの枝の木の右に牡牛神「ハル」、左に蛇神「キ」配した図版がある。牡牛神ハルは、エジプトでは「ホル・ホルン?(牛の角…聖杯?)」、その妻は「ハト(鳩?ハート?)・ホル」。朝鮮では朝鮮語ではウル・サラム(牛・人)。
牡牛神「ハル」「ハ+ル」=&#23587;(オウ・?) 類似:介(たすける)・(允・インまこと・ゆるす)・父(ちち)・公(こう・おおやけ)
インダス文明(前2000年ごろ牡牛の印章が出土・身代わり(犠牲)生贄の神々・・太地母神・・・・♀?・・・蛇は♂・・・・時と所代われば♂♀代わる?)
出雲(牡牛と蛇の合体神を信仰・牡牛と蛇を左右の構図は、中国の伏羲(ふっき)と女(じょか)?)・・・言えば!コンパスに定規です。 
夏王朝・・・禹(ウ氏)・中国南方出身(シュメール?蛇族) 参考:牛の上のム(ウ)牟 牟槊(鉾:矛先が分かれている・測量器具をも兼ねる。)
つづく


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続き
2005年6月21日 15:17:58 いばらの紀氏
YHWH・・・は モーセの民が黄金の牡牛を作り崇拝したことに激怒し、モーセは牛を生贄に、血の半分をYHWHと民との契約(「ヤハウェの仰せられたことはことごとく行い、また聞き従います」)として民に降りかけた。出エジプト記(24−5)「契約のいけにえ」
「燔祭(はんさい)、素祭、罪祭、任職祭、酬恩祭で、生け贄をすべて焼き尽くしてしまう火祭だった。雄牛、雄羊、鳥のささげる手順、掟が書かれているが、それらはシナイ山でヤハウェがモーセに直々に命じられた・・・のである。」と有る。
YHWHは牛モー嫌い、ヘビーも嫌いな火の神(ゾロZサシター今日?)


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ナーガについては
2005年6月21日 17:25:58 かわかつ WEB
富来 隆、吉野裕子のお二人が詳しく書いていますね。特に蛇の裕子とも言われる吉野さんはやまたのおろちについてもよう書かれています。参考になるかどうか。紀氏さんよろしければお読み下さいませ。



泊里という地名。
2005年6月21日 9:51:10 かわかつ WEB
大分県日田市の隣、玖珠くす、というところは妙な地名が多いです。
「泊里」と書いて「つまり」と読みます。「里」の字が気になるところですが、ここは盆地で奇怪なかたちの山また山。メッサという、山頂が風化作用で削られ、どれもこれもてっぺんが平坦になっている。
その山の中で、切り株山・万年はね山という代表的なメッサの麓にこの「泊里」はあります。
ここは装飾古墳があり、「箱根神社」というお社が有名。
箱根?なんじゃそりゃ?と思いましたが、よく由来がわかりません。どうやら八坂神社系統みたいでした。
ここの人の名前も面白い。
「穴井」「松木」「川部」などで、皆秦氏くさい。
玖珠は「クズ」でしょうからどうも秦氏です。
穴井というのは「おにゃんこクラブ」にいた穴井祐子はここの出身。なにやら「土ぐも」とか「穴太」と関係ありそう。
屋根にはしっかりしゃちほこがのっかってる。
縄文、先土器の遺跡「二日市遺跡」は有名。周囲に多くの横穴が点在します。鎌倉ごろには大神氏がいたらしく、磨崖仏もあります。掲示板に画像を載せます。


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画像はこちらから
2005年6月21日 10:31:27 かわかつ WEB
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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穴がつくのは
2005年6月21日 12:17:15 かわかつ WEB
「おおあなもち」・・・出雲系?「大地主」のことかねえ?こっちの方が世間体がよいですな。
近江の「あのう衆」は城壁の石組みのプロフェッショナルですねえ・・・
「松木」さんは知り合いにもいますが。背が高くて細ーい子でした。そういえば「牧」さんも多いな。牧場があったんでしょうかね。今や「玖珠牛」は「豊後牛」のブランド品ですが。
知り合いの松木君のいとこは牧さんちにお嫁に行きまして、なんと私は彼女をパートさんとして使ってた。後で知ったことでした。色白のべっぴんさんで、はっきりした顔立ちでした。松木君も色が白かった。180センチ位あったなあ。
筑後川の上流で、玖珠川が流れており、巨大な滝がある。滝滑りできる。
日田は三隈川と呼ぶ。川部さんが多いのはよくわかります。
玖珠はやはり相当古くから筑紫の影響下にあったみたいですが、久住山麓が屏風のようにそびえていて、容易に大分市方面へは往来できなかったはずなのに、なぜか大神氏がちゃんと来ている。
宇佐からなら山国川でこれるだろうけど、大野や三重からはどうやって来れたのか不明。1700M以上の山だらけの「九州の屋根」をどうやって越えてきたのか?川もないのに。徒歩できたんだろうなあ、昔の人はすごい。


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こうして見ると
2005年6月21日 12:20:47 かわかつ WEB
日本人の大概は海部、大陸渡来、北方系っていうのがよくわかってきませんか?オリジナルの原住民なんて一体いたんだろうか、という疑問がわいて来ちゃいます。


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部というのは
2005年6月21日 13:10:20 かわかつ WEB
部民・・・かきべ
加岐部は「部の民」とか「大百姓」おおみたから  といって持ち上げられてますが、ホントは平民ですよねえ。

今、お百姓さんと呼ぶのと、古代の「おおみたから」とではかなりニュアンスが違ってたみたいです。農業に限らない。貢ぎ物をする者はみんな「おおみたから」ですね。そうじゃない者は「まつろわぬ者」ですから粛正されます。当然と言えば当然。日本は征服とまではいかないですね。家康までは「協調」です。完全に平定できたのは江戸の300年間だけでしょ?でも、そのためには家康も秀忠もかなり新しい法律を作り出さなきゃならない。がんじがらめにしないとすぐ謀反が起こるからでしょうね。
だから、江戸幕府というのは明確に「完全主義」「封建主義」です。
お役所と一緒で、前例のないことを認めちゃうと幕藩体制そのものが瓦解する。
大岡越前みたいな人は現れる筈がないシステムなんですよね。その方が絶対にシンプルですから。例外というのは文書化するのが難しいですよ。
文書にして報告しにくい。たくさん説明がいります。お目こぼしとか、人情とかは文献にはなりません。いちいち罪人の人柄や生い立ちなんて書いてたら、報告書が何枚あっても足りないです。



装飾古墳を
2005年6月21日 2:29:03 かわかつ WEB
見たら飲んじゃいましたので明日お返事しますです。


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今日は夜勤忙しく
2005年6月21日 3:56:05 管理人
お返事朝までだめそうです。また後で。


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最近
2005年6月21日 11:58:38 かわかつ WEB
中クラスの脅威が増えたと思いませんか?セキュリティのウィンドウがよく出ます。こまったもんです。



ユダヤ教神秘主義カッバーラ 考
2005年6月20日 23:49:36 いばらの紀氏

 結果から言いますと・「幾何学」「化学」「生物学」と「哲学」です。などを数式化・定理・黄金比(バランス)・・・などを神秘的(ユダヤ教神秘主義カッバーラ)で隠したもの(基本・・・・特許権が無いので知的財産を隠した。)
「幾何学」数字 1・3・5・7 天文(測量)・工学・建築・調合・イエソド=基礎・・
「化学」薬学・・・・
「生物学」生態・・・・
「哲学」思想・・・・慈悲・ ケセド=慈悲
ゲブラー=神々しい力(もしくは峻厳)ホド=威厳
カッバーラでは四つの位階=ヒエラルキー
絶対神の思惟と言葉の『流出』・カヴ・・・閃き・・(雷の閃光)
無から有への『創造』・・・設計・計画・ビナー・・コクマ(知恵、)ティファレト=美 ダアト=知識が存在する。
有を材料に形造った『形成』・・・実行・・ケテル(王国・王冠、)
自己増殖を行う『活動』・・・・クローン基礎 ネツァク=永遠(もしくは勝利) マルクト=王国となる

「方格規矩四神鏡」の規を表すVはコンパスで、矩を表すLは、さしがねを表現し、方格は遙か宇宙を表現しており、これに四神の白虎・玄武・青龍・朱雀を配した紋様は、八子九孫までその繁栄を約す道教の神仙思想が基になったといわれる解釈については、特に抵抗を感じないでいた。・・・(拝借HP)
ヘブライ語の四文字「YHWH」の字形からの想像・・・Y=角度 H=定規 W=コンパス ・・・三位一体=地図作り。(生命の樹には数多くの変形バージョンがある。・・・その一つが「約束の地」カナンの測量図(縦4:横3が基本・・・卍+逆卍=田(しかしポイント地点の重複は避ける。下記の条件を満たすジグソウパズルの「ワンピース」型が「生命の樹」(一本の主柱の両脇に合計6本の支柱が伸びる構造をしている)と「燭台」の形なのです。あなたはこれを信じますか?の紀氏でした。
至高世界
一. ケテル  わたしをおいて他に神があってはならない。
ニ. コクマー あなたはいかなる像も造ってはならない。
三 .ビナー あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
中高世界
四. ケセド 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
五. ゲブラー あなたの父母を敬え。
六. ティファレト 殺してはならない。
下層世界
七. ネツァク 姦淫してはならない。
八. ホド 盗んではならない。
九. イエソド 隣人に関して偽証してはならない。
十. 滅びの世界 マルクト 隣人の家を欲してはならない。


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「ワンピース」型(世界を無駄なく余すことなく覆う画一された平等の世界の創造。)
2005年6月21日 8:00:37 いばらの紀氏
至高世界
一. ケテル  わたしをおいて他に神があってはならない。
   (私を信じなさい。)
ニ. コクマー あなたはいかなる像も造ってはならない。
   (象を心を込めて制作すると虜に成りますよ。こころに住む神を忘れ偶像に支配される。)
三 .ビナー あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
   (宗派の異なる人たちに異端の迫害を受けますよ。)
中高世界

四. ケセド 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
   (休息の日には、神への感謝を表しなさい。)
五. ゲブラー あなたの父母を敬え。
   (あなた自身も両親からの遺伝子を受けていますよ。)
六. ティファレト 殺してはならない。
   (神はこの世に無駄なものは作らない、現在不要でも種は保存しなさい後に役立ちますよ。)
下層世界
七. ネツァク 姦淫してはならない。
  (姦淫は人類だけの獣の業、快楽に溺れてはいけませんよ。)
八. ホド 盗んではならない。
  (犯罪者のレッテルは、子々孫々まで付きまといますよ。)
九. イエソド 隣人に関して偽証してはならない。
  (隣国を騙しては成らない、信頼を失うとモシモ?の時に助けてもらえませんよ。)
十. 滅びの世界 マルクト 隣人の家を欲してはならない。
  (侵略戦争を始めると世界は滅びの路を歩み始めますよ。)・・・・神の存在を否定する獣の業(カースト・ピラミッド社会を目指す資本主義者は神の存在を信じない。)


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カッバーラという
2005年6月21日 9:23:47 かわかつ WEB
言葉は一体何語なんでしょうか。サンスクリットのカッパ−ラと修験道の加婆羅は、皆同じ語源ですか?いつも不思議です。


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方格規矩四神鏡
2005年6月21日 10:02:21 管理人
方格規矩四神鏡の系統を追ってみるとおもしろいかもしれませんよ。三角縁神獣鏡も、神獣鏡と画像鏡の系統が結合していますが、職人の系統や民族性が出てくるようです。
あと七枝の燭台、百済に入り前に、どこか中国とか西方からの中継地点で似たようなもの出てないかと感じます。


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紀氏さんもその辺
2005年6月21日 10:36:58 かわかつ WEB
匂いを感じ取ってるみたいですね。伏儀と女蝸関連ですね。そういえばNHKが25年前の「シルクロード」を再放送してますね。初回、道教寺院が出ていました。面白かったです。新シルク・・・と合わせて見るとなかなか興味深いです。



こぼれ話
2005年6月20日 20:10:39 とみた MAIL
地元の古代史ファン3人衆(シニア)が集まり、古代史をランチの肴に語らいました。

N氏:私のおばあさんは宇佐の近くの出でね。和気という姓が宇佐地方には一杯あるよ。称徳天皇のとき?道鏡問題で和気を宇佐神宮へ派遣したでしょう。神託を聞きに。
和気族は岡山県から和気に住むようになった。

N氏:出雲を旅行していたときウンナン(雲南?)という地名があることを村人から聞いたことあるよ。

k氏:私は毛の国(群馬県の出身)でね、朝鮮の学者と意気投合して毛の国には地名が朝鮮と同じところや埴輪が朝鮮由来?の鉄製?武人像があるんだ。

月例の会合に格上げされて次回は下総国、相馬郡の前方後円墳を見に行くことになった。


香取神社、鹿島神宮の話も出てました。
健康ウォーキングをかねたシニアの楽しみ方であります。

追伸:筑波新線ってしてますか。TX(Tsukuba Express)が今年の8月開業です。出発駅は電気の町東京は秋葉原、終着駅筑波まで60分ですぞ。

平将門が跋扈した土地を走ります。

かわかつさん、先刻ご本が手元に届きました。万葉集がドンドンでてますね。


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清麻呂の
2005年6月21日 9:19:35 かわかつ WEB
縁ですねえ。「和気」という地名があります。天皇交代をわざわざ宇佐まで報告にきていた「和気使い」。清麻呂の居館があった処は「西屋敷」といわれます。和気には「和気清麻呂船つなぎ石」がありますです。

拙著いかがでした?^^:



画像が送れる掲示板
2005年6月20日 19:48:19 かわかつ WEB
この頃暇です。なにか送って頂けませんか?今、狛犬に凝ってます。その他、日常の断片を画像にして送って頂けるとうれしいのですが・・・
一服の清涼剤もみたいなのでかまいません。編集も無用です。

祟り
2005年6月20日 9:54:15 とみた MAIL
かわかつさんの、祟りが古代には深く影響しているとの説.なるほど・・
今関祐二さんの本を読み始めた。継体天皇の謎という本です。
応神の出生の秘密、神功皇后が宇佐で産み落としてヤマトに返るとき喪舟に乗せて応神は死んだことにしてヤマトに帰還したんだそうな。日本の神はすべて祟る神とか。

シャーマン巫女のお告げとか神託や占いが大切だったんですね。エジプトやメソポタミアでも神官は偉い存在だったから。菅原道真を大宰府に左遷してその怨霊を怖がった。

京都のコンチキコンチキのお祭りは流行した病気を鎮める儀式とか。
いろいろな年中行事や祭儀は祟りを鎮めるのに関係がありそうなんだ。天然痘がはやって長屋王を殺した藤原氏が死んだり・・・

万葉集は呪歌というのが白川静先生の見方。殷の時代は悪霊が道の下にいるので異族の生首を持ってお祓いをしながら進んだんだとか。

かわかつさんの本が明日にも届く筈です。お説をしっかと読ませていただきましょう。

とみた大人は困るなあ。小人閑居しての類ですからね。多言居士です。トミーさんぐらいがいいな。
還暦で0歳に戻るから、今は幼児です。古代史は幼稚園児です。


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悪霊、オカルト
2005年6月20日 19:31:46 かわかつ WEB
ちょっとそそられるでしょう?オカルトではないんでしょうが、怨霊信仰は・・・でも、研究の余地がありすぎるジャンル。信憑性がまだまだ足りません。果たしてどこまでの時代に「祟りを怖れる政治」があり得たのか。もしや、部分的には今もそうなのではないか?
これは靖国問題にも関わってきますねえ・・・どうです、とみたさん、切り込んでみませんか。

管理人さんの下のレス。「新羅百済問題」もだれかやってみないですか。
これは学説になろうかと思います。


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関 裕二
2005年6月21日 13:21:28 かわかつ WEB
関さんとか井沢元彦さんは呼んでおいて損しませんよね。特に関さんは「魏志」を相手にしてない態度がすごい。はなから、あれはあてにならないと書いてます。なかなか言えませんよ。
ほとんどの歴史好きの方は、最初から邪馬台国さがしから始めちゃう。でも肝心の「魏志」そのものの信憑性にはまったく疑問を挟まないです。これじゃあ、もうとっかかりから科学じゃないですよ。疑ってかからなくちゃ科学とは言えませんでしょ。
疑問は晴らすためにあるんですから、最初はなんだって疑念からはじめなくちゃと思います。


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金印と鏡
2005年6月21日 13:39:11 かわかつ WEB
「汝の好物だからあげるよ」って書いてます。だけど本人の手元にちゃんと届いたかどうかは書いてません。難升米がちゃんと帰り着いてるって言ったて、彼は黙ってりゃいいわけです。他の渡航者と別けたっていい。「魏志」はその当時まだ書かれてないんですから、当事者以外誰も知らない。国書もないですよ。そんなこと書いてない。
国書が中国から日本の朝廷に贈られた確かな記録はずっとあとの時代でしょう?小野妹子だって「なくした」っていうんですから、本当にあったかどうかはわからんです。第一、使者の裴世清が一緒に行ってて、なくすなんてあり得ません。そんなこと国に知れたら死刑ですよ。当たり前です。
だから書紀はあてにならないんです。

だから金印なんてなかったかも知れない。銀印はいくつか貰ったんですからそれすら出てこないことがもう怪しいです。そのくせ三角縁鏡はめったやたらに出てくる。
森浩一さんなんか、この分なら今の5倍は出るだろうって書いてますよ。そしたらあなた、結果的に5000枚くらいあるっていうことでっせ!?

だから私はもう邪馬台国には近づきたくないんですわ。あれはマンガです。



ダマサレルナ!
2005年6月19日 20:07:10 いばらの紀氏
 都市国家ローマ皇帝の椅子は金で買えた!
皇帝の座を軍人の幹部がハンマープライス!
歴代ローマ皇帝は、市民のご機嫌を覗うために娯楽・快楽施設を建設し、国外に植民地と奴隷を求めた。(現在の富裕国の思想・ユダの思想?)
米英イスラエル・・・スイスは金庫・・・・ロスチャイルドは・・・・闇の王を目指す!。
 民主主義をお金の力でマインドコントロール、メディア支配  「ダマサレルナ!」 裏でメイソンと手を組んでいる!。まちがいない!


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ローマ皇帝、建築集団
2005年6月20日 0:37:39 管理人
紀氏さんこんばんは、やっとダビンチコード上巻読み終えました。最終章のところの、キリスト教を国教化したローマ皇帝が80あった民衆の聖書を、今の3つにまとめて、あとは焼却処分したということが書いてあったんですが、もしほんとうだったら衝撃的です。藤原氏とか蘇我氏の焚書ともしかしてその辺同じかもと感じてしまいました。その本によるとフリーメイソンは、宮殿などのアーチ型天井を作る技術を持っていて、それゆえ財をなしたとか。そのアーチの天井を支えたひとつの石をキーストーンというらしく、それが秘密の石の起源らしいです。その秘密の技法を門外不出で伝承したらしいです。きっとのその辺から財を成すとともに、王族や政治への影響力もつけていったんでしょうね。そして秘密の伝承とかを重んじる秘密結社的側面を石工集団がもっていた・・・、そんな感じなのでしょうか。その辺確かに渡来系技術者の五重塔の建築技術など、やはり同様な秘密の伝承技法があったでしょうし、キーストーンならぬ、キー木組みとかもあったのかも。古墳や都作りでずいぶん財もなしたんでしょうね。世界のそういう普遍的な建築集団と秘密伝承と財と政治介入のあり方、その辺にヒントがありそうです。現在もやはりそういう建築会社とかなら王族や国家の秘密も金庫作りなどで膨大な情報を抱えていることでしょうし、その辺がまた建築族の財をなすひとつの基盤なのかもしれませんね。その辺が魔術的?に、あるいはもっともらしく、宗教化するともっと怖いですが・・・・。ただ、聖書に書いてある通り、万能の神の前ではどんな悪徳財産集団もチリのようなのでしょうから、神を恐れましょう。ではでは。



他所のHP 1
2005年6月19日 18:04:19 いばらの紀氏
『大日本史』初編1巻が行方不明、明治政府は日本の祖を隠蔽した。
『大日本史』編纂開始( 光圀にとって史記の伯夷伝との出会いは自らの人生を決定させる重要な出来事でした。)
 2代目藩主である光圀は、先代頼房がゼロからつくった藩の枠組みを整え、充実させていった。しかし光圀の関心は藩内にとどまることなく、大船による蝦夷探検も行っている。
少年期から歴史への関心を持っていた光圀は、侍塚古墳の発掘を行い、さらに『大日本史』編纂事業も始めた。これは一国の通史編纂という、人材・時間・費用を必要とする大事業を一大名が行おうとしたものである。編纂の開始は藩主就任以前に「史局」(のちの「彰考館」)を江戸藩邸に設立することから始まった(1657年)。編纂は光圀没後も続けられ、完成はなんと1906(明治39)年である。
明治維新の根元的理論は水戸学にあると誰もが認めるところだ。
水戸藩では光圀の時代にすでに神仏分離の宗教政策を実施していましたが、まだ不十分だと考えたようです。領内にあった無住の寺院四十余を整理し、水戸東照宮を唯一神道に改めました。
他所のHP 2
「東照大権現」という家康に送られた神号も意味を深読みすれば、「東から(を)照らす大いなる神」という意味になります。つまりは東国の天照大神です。天海はその脳髄の奥深くで天台の秘法、出雲系神道の呪力、その他諸々の呪術をもって徳川家が天皇家にとって代わるための呪術大系を構想し、実行していたのかもしれません。
日光東照宮には、北斗七星を祭るための神社という意味合いもあるらしいです。
血統の正当性を示すために新田義貞を評価しようとしました。それは南朝の正統性という徳川家にとっては実際どうでもいい結論を生み出しましたが、北朝も南朝と同じくアマテラスの子孫であることには変わりなく、自分たちより貴種である天皇家に対してそれ以上の踏み込みは出来なかったのではないかと思います。


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他所のHP 3-1
2005年6月19日 18:13:04 いばらの紀氏
日本には、太古において、山の奥地に巨大な意思を祀り、何らかの祭祀を行ったとみられる跡が数多く発見されている。広島の葦獄山や、富士の愛鷹山、大和の三輪山などには、古代の日本人が、祭祀の目的で祀ったり、築いたりしたと見られる巨石が、今でも存在する。こうした聖なる土地を、カタカムナ文献では、「イヤシロチ」と呼び、こうした場所に、社「ヤシロ」を定めた。こうした信仰は、長い年月の間に、神の概念、神話、祭事法、道義、倫理観などを形成していった。そして、有史に入ると、やがて神道として体系化されるに至ったのであるが、正式には「惟神の太道」(かむながらのたいどう)として認識されねばならない。当時の人々は、こうして定められた社を中心に、一種の共同体的な集団を形成し、この集団の中から、人格にすぐれ、神に近いとされた者が、祭祀を司り、共に五穀豊穣を願い、作物を収穫すれば、神饌として献じ、神恩感謝の祈りを捧げたようである。神の御前では誰でもが平等であり、一切の重要な決定は、祭祀によって行われたようでもある。
伊勢は、第二値如来、八幡は釈迦あるいは阿弥陀如来、賀茂は正観音の衰弱というように、具体的に定められたのである。又、後年、両部神道からは、法華「神道」が、山王一実「神道」からは、三輪流「神道」、御流「神道」、雲伝「神道」などが派生しているがこれらがみな一様に本地垂迹説にのっとった教理を展開している。


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他所のHP 3−2
2005年6月19日 18:13:51 いばらの紀氏

吾が唯一「神道」は、天地を以って書籍と為し、日月を以って証明と為す「唯一「神道」名法要集」という藤原鎌足の言を根本思想に据えている。また、吉田「神道」では、大元尊神という根源的な神を、危機神話における天御中主神、国常立尊と同一視して最高位に奉戴した。そして、吉田神社の神社の南方に、日本最上神祇斎場という施設を建て、その中央に大元宮を設けて、大元尊神を祀った。その周囲に、伊勢の内宮、外宮をはじめ、八百万の天神地祇の社殿を設け、日本国中の神々を勧請、この地を日本「神道」のいわば総本山としたのである。その他、吉田兼惧は、伊勢の内宮、外宮の神が吉田の宮に飛び移ったと主張し、これを朝廷に認めさせたり、吉田家の先祖である卜部家の格を高める為に、天児屋根命を祖神とする中臣(藤原)家の家系図を取り込むなどした。その力は、神祇官の長としての神祇伯たる白川家をもしのぐものとなり、遂には室町幕府の承認を得て、神職としては最高の権威迄幟つめた。こうして、吉田「神道」は、室町時代から江戸時代にかけて一大勢力として発展する。


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他所のHP 3−3
2005年6月19日 18:14:34 いばらの紀氏
他所のHP 3−3
神儒一致論を初めて唱えたのは、幕府の御用学者であり、朱子学者の林羅山であった。羅山は、吉田「神道」の神主仏従説を、陽には神事を為し、陰には仏法を為す者なり(本朝神社考)として非難した。
復古「神道」は、幕末期において、尊皇攘夷論に影響を与え、倒す幕府の指導原理ともなり、旺盛復古を実現させた。さらに威信語も、国家「神道」として、その精神的理論的中枢に据えられ、結果的に子楠井主義を助長させることとなった。明治新政府は、開放政策のもと、西洋の思想や文化を積極的に取り入れたが、一方で、危弱な政治基盤を固める為に、「神道」を最大限に利用した。祭政一致の天王星国家が衝動され、全国の神社は、天王家の祖神、天照大神を祭神とする伊勢神宮を筆頭に、その傘下に治められていく。「神道」と仏教の強制的な分離政策が施行され、廃仏毀釈運動が起った。異端宗教は肺激の対象となり、神社は、国民の意識を束ねる精神的統合の象徴として利用された。こうして、明治政府は、新たな「神道」体制を、国を挙げて構築していった。これがいわゆる国家「神道」とよばれるものである。国家「神道」とは、いわば支配者の都合のいいようにでっちあげられた人造宗教であった


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他所のHP 4 -1(「富制(フセイ)」で「とみ制」であるなら)
2005年6月19日 18:15:22 いばらの紀氏
また「布施」は「富制(ふせ)」とも記録される「氏姓」との説もある。この「富制」は「日本書紀・大化二年(646)三月」に「穂積臣咋」が法違反したことをとがめなかった「介・富制・臣(名を闕り)」と、「巨勢・臣・紫檀」の二人に対して、「其の上を正さず」の「過(あやまち)」を犯した人物として記録されている。「富制臣」は「名前を欠落(不明)」としている。「日本書紀」にある「名を闕り」と記録される人物は怪しいと考えた方がイイのだ。これは「欠落不明」の意味ではなく「意図的に名前を伏す」ことの示唆である。もし「布施」が「富制(フセイ)」で「とみ制」であるなら「古事記」の「登美毘古(とみひこ)=那賀須泥毘古(ながすねひこ)」に関係するだろう。
「侍読」とは漢和辞典には 「侍講と同意・天子や皇太子に講義をすること・また、その役」とあり、『侍郎』とは「天子の左右に仕えた高官で、秦王朝では『黄門侍郎』で天子への謁見等を司った・唐王朝では門下侍郎と云い宰相の職となった」


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他所のHP 4 -2
2005年6月19日 18:16:12 いばらの紀氏
『黄門』と呼ばれた人物には『大江広元』と同時代の『藤原定家』と、東北の雄『伊達政宗』、そして「大日本史」を編纂させた『徳川光圀』が存在した。とにかく「大江一族」は平安時代の朝廷に於ける「記録文章」を扱った家系であった。「大江」の姓は元は「大枝」と記録し、『大江音人』の時代から改めたと人名辞典にはある。「音のジン」の示唆である。
歴史的には「成り上がり者の家系図」と云うモノがある。もともと日本に於ける「支配階級」となった人々は「新しい知識を有した渡来人(亡命者・流れ者)」であったから常に「自分の出自を詐称」する傾向があったし、島国の土着の人々には受け入れられる基盤もあった。逆の意味で「事実として記録された家系図が渡来人」には存在し、「焚書」された可能性も大である
徳川フォルダ\メリちゃん(3).htm より。(長久保 赤水(ながくぼ せきすい)



とみたさん素晴らし!
2005年6月19日 14:39:56 かわかつ WEB
私も大人のように年取りたいです、まったく、その柔軟さに脱帽します。
是非、一献傾けたいですね。
これからとみた大人と呼ばせて頂きます。

泊瀬さんは大兄であります。私より弱冠年長で、同好の志。
紀氏さんは同年代で、相方の感あり。同士と呼ばせて頂きましょう。
管理人氏は若いが好奇心のかたまり。若先生とでもいきましょうか?



ここに書いたのは
2005年6月19日 14:31:13 かわかつ WEB
そういう見方もあるという話であって、とみたさんはとみたさんなりの解釈をしてやって下さいね。
それもありかな、程度でいいんです。はまりこまないでね、くれぐれも。
信じ込んじゃいけません。私も信じてませんから・・・全部は。



古墳の知識
2005年6月19日 14:01:47 かわかつ WEB
今、私が一番欲しいのがこれです。

信貴山を中心に交野から生駒、巻向へ、この大阪東河内方面のラインに古墳が点在している。前方後円墳よりむしろ方墳が特徴的なこの地域は物部氏の本拠地でした。

つまり前方後円墳を持つ地域は、朝廷に平定あるいは協調したところと見るなら、方墳の多いここの氏族は最期まで抵抗したのだと見ることができるでしょう。正史の記述はここに限ると正しいということになるのでしょう。しかし、古墳にはなにも書かれてはいないのです。
古墳に被葬者の名前を書き記す習慣がないということは、彼等は中国からきた人々ではなかったということになるのかも知れません。
知れません、です、あくまで。



鉄剣銘文
2005年6月19日 13:27:31 かわかつ WEB
まったく違う見方を書きますね。といっても私はそれが正しいとはいいませんよ。

江田船山古墳銀象眼、さきたま稲荷山古墳金象眼の各刻字が必ずしも「わかたける大王」と読めるかどうかは決まっていないです。決まってるように書いてるのは学者さんだけですから。
まして「わかたける」が「雄略天皇」で、しかも「倭王武」なんていうのは全くの推量に過ぎません。

という見方もあってよいです。
考古学が万能と思わない方がいい。なぜなら発掘後の分析には文献史学者の影響があることは否めないのです。文字を読むのは考古学者より、むしろ文字の専門家の場合が圧倒的に多い。それが学会の「科学」です。
改ざんがないとは言えないんですね。


縄文人という概念、捨てた方がいいかも。
縄文時代というのは妙な時代区分です。縄文式土器が出る地層の年代が縄文時代なんです。
じゃあ、その地層から先土器がでたらどうなるんでしょ?
あるいは、現代の車の部品が1億年後の日本の倉庫から出てきたとする。
「うわあ、ロータリーエンジン!よしこの時代をロータリー時代と呼ぼう」なんてそんなバカな話はないです。
縄文人にも北、南・・やはり人種的違いはあります。
海を渡ってきたり、流されて辿り着いたり、そりゃ様々な人種の人たちが集積されてきてるはずです。東の果てにある島国は。


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応神天皇
2005年6月19日 13:36:53 かわかつ WEB
彼が百済系秦氏のことです。と、考えてみては?
するとその前の崇神王朝は当然、新羅系・・・
その前の物部は百済系・・・

聖徳太子は?新羅系。物部は百済系。守屋はやられた。

蘇我氏は?百済系のふりした新羅系。だから上宮家を滅ぼすわけがない。
蘇我満智は木羅満知ですから、木氏は新羅系。だから元木の字を使った紀氏も素なる可能性有り。
紀氏の国和歌山には最古の稲荷、糸我稲荷神社がある。なんで?
紀氏が新羅系秦氏だったから。

と言う風につなげてゆけばわかりやすくなりませんか。


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天皇家は
2005年6月19日 13:50:07 かわかつ WEB
持統天皇からです。それ以前の天皇は天皇でないし。大和朝廷もない。
すべて持統女帝のためにある存在。つまり空想の人物。

というのが究極の論理です。それもありかなあ、と思えるか、思えないかで、歴史の見方はがらりと変わります。

正史は空想政治物語の可能性まで出てきます。

発想の転換をしないと、おそらく歴史は見えてこないのではないでしょうか。
でも、村八分にあいますね、これは。「それでも地球は回っている」
あとは時代が証明してくれるでしょう。。。;

死んだ後のことなど知っちゃいません。生きてるうちに修羅の道を歩けるかどうか。そんな根性ありますか、みなさん。


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百済派、新羅派
2005年6月19日 15:07:20 管理人
なかなか百済、新羅系複雑に入り組んでいるようですね。ところで、百済や新羅王族に日本に移住してまで忠誠を尽くすには、それなりの忠誠心を奮起する何かがあったのではと感じますが、その辺みなさんどうお考えになりますか?いまいち私の中ではその辺の考えが不透明です。


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天皇と最初に
2005年6月21日 12:53:53 かわかつ WEB
名乗ったのは・・・と言う意味ですから勘違いしないでね?
文献的には天武天皇なんでしょうけど、やっぱり天武は亡くなってからの称号授与だったんじゃないでしょうかねえ。



続き
2005年6月19日 12:30:47 かわかつ WEB
*三輪氏

  物部の祭る神は本来、布津の御魂と、いそのかみですねえ。天理市の石上神宮です。
祖神はニギハヤヒの子、うましまじ命です。ニギハヤヒは実在というより
物部氏そのものを神格化した神霊と捕らえた方がいいです。
大神神社の神、「大物主」はこのニギハヤヒの神霊といってもいいでしょう。彼は物部氏そのものですから、そこには当然、部下だったナガスネヒコの神霊が同時に存在しています。また、出雲神として出雲に祭り上げられたわけですから、出雲の土地神・大国主も同時存在します。
さて、これらの神霊を結界から出さぬように監視しないと、神霊は祟るのですよね。そこで物部氏とは他人が祭祀することになる。
それが大三輪氏です。
「おおみわ」は「大神」とも書かれます。神社と同じ文字を使います。
ですから三輪氏と大三輪氏がまったく同じ氏族とは限らない。三輪氏はあとから名乗った場合もあります。なぜかはお調べkださいませ。

日本書紀では、大三輪氏は大阪河内の陶邑から、崇神が大物主のご神託で呼び寄せた「おおたたねこ」に始まります。この人は、母親が「いくたまよりひめ」と言う人です。父はもちろん大物主です。
いくたまより姫は巫女の神格を持つ「玉より姫」の、要するに生きてる神なんですね。神霊でなく神でなく巫女そのもの。そして松尾大社の姫はこの方でしょう。秦氏出身者です。ここで大物主、つまり物部氏は秦氏と血を結んだと言うことです。政略結婚ですがね。

で、河内の陶器集団がどこからきたのかと申しますと、出雲の意富おう、から来たんです。野見宿禰と同じですな。技術者ですから朝廷のそばに呼ばれているんでしょうね。おおたたねこはだから「大野タタ禰子」・・・大野郡出身の多一族の禰宜さん・・・なんです。
「大野」さんはそういう出自です。京都府八幡市は大野さんだらけですよ。神官、政治家、解放さんの長、解体屋さん、やくざやさん・・・大野さんです。宮大工もです。渡し守も。
ええと、大三輪氏は大野さんですから、秦氏出身です。大分県大野町はそんな場所です。豊後大神氏発祥の土地。ね、つながるんです。なにもかも。けっして偶然の地名一致じゃない。民俗学は重要なんだがなあ・・・

ですから大三輪が物部氏ではなく、彼等が物部を監視するために血縁まで融け込んでの・・・要するに管理人でありスパイなわけ。


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続きの続き
2005年6月19日 12:33:00 かわかつ WEB
*五芒星と広隆寺
  意外とHP見てくれてないんだなあ。管理人さん、「和を以て尊と為す」のおもてガキがある薬師殿の、正面から見て左です。私HPで画像がちと暗いけど載せてます。

ヴィンチ・コード

レオナルド・ダ・ヴィンチのレオナルドは獅子です。なのにユダヤの血を惹いています。レオナルドという名前はユダヤ的とは思えません。いかがでしょうか、管理人さん、紀氏さん?
まるでローマ人みたいです。
これは本名じゃないのでは?

今、アメリカはユダヤの国なんですが、ユダヤ人・・セム系、アシュケナジー系、中国系・・にはそれぞれ特徴的名前がありますね。でもみんながみんな「なんとかバーグ」とか「ナントカミラ」トカじゃあない。「ケリー」とか「トルーマン」とかアメリカ風に変えてますわなァ。
秦氏と同じく彼等も遊民。名前を換えるのが特徴。
なんでかなあ?

*出版

あせることない、ゆっくりやりましょ。紀氏さんたちがその気になるまで。「せいてはことをし損じる」
飲み会!飲み会!とりあえず〜〜うまいもん食って、生ビール!どうでっか?とみたさん。


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飲み会大歓迎
2005年6月19日 14:29:36 とみた MAIL
かわかつさん、ご教授有難うござ候。古墳分析は必須ですね。
かわかつさんは秦氏万能、紀士さんは禹万能、管理人さんは
ダビンチコードの秘密結社・・ハハハ・・・

飲むのは大いに歓迎です。私はまだ本を書くほどのレベルにないので出版については当分辞退です。

でもいつかは私なりの考え方を発表する
目標(3年後古希祝)は持ってます。早くしないと寿命が切れるかな!気持ちは若いけれど身体が付いてこない。

ともかく、一緒に飲みましょう。今年は東京ではだめですか。いつでも出かけます。一泊してもOKです。
白板に自分の論点を書いて皆さんの批判を浴びる。ワイワイガヤガヤできれば嬉しいですね。私は古代史に関しては未熟者ですから、初歩的なことを言って顰蹙を買いたたかれるでしょうけれどそれで進歩すればいいんです。

紀氏さん、泊瀬さん、舎人さんはいかがでしょうか。



ええと・・・
2005年6月19日 12:22:31 かわかつ WEB
一夜明けていろんな疑問が皆様発生しているようで、いたみいりますです。^^;;;

なんだか方向性が決まりつつあるのかな、と手前みそですが、俺もなかなかやるじゃんなんて思ったりして・・・

*鴨氏
  「祭祀者の最高権威ってやっぱり鴨でしょ?」
私は地方の神官さんと仲良くなると、最期に必ずそう聞くんです。大概の人は「そうです」と言います。一度おためし下さい。
ね?舎人さん。

*鷹
  鷹は修験者の必須技術ですよ。管理人さん、はとのようにすぐ帰ってこなくていいんです。なぜって全国をのろし代わりに伝い伝い飛んで、より広範囲に情報を流す。鷹を襲う鳥はいませんからね。
そして各地に鷹匠がいればいい。情報は最速最確実に全国へ広まります。
これは広大な砂漠地帯でもものすごく重要なことです。なにしろ身動きがとれない、砂漠は。時間がかかります、情報伝達には。
だから、元々は砂漠の民の特殊技術でしょう。これが狩に使われるようになるのは国力が充実安定してる時、場所、でだけです。
戦争時は電信電話です。
全国の高部は、元々鷹匠あるいは修験道関連です。はい。


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最近・・
2005年6月19日 12:35:21 かわかつ WEB
文字が増えて来ちゃった。おかげで2040字をすご超過してしまい、なんども切り取る羽目になってます。なんかいいてはないのかなあ、管理人様。
わがままな中年より


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初フライト
2005年6月19日 15:00:51 管理人
鷹は修験道の必須技術なんですね。なんとなくすごい技術ではと感じます。昔レースバトの漫画を見ましたが、訓練のすさまじさ、なかなか長年の技術の積み重ねなければできない技なのでしょうね。
さっき昨日買ったラジコン飛行機初フライトを多摩川沿いでやってきました。墜落7回位して、無事着陸まで帰ってくることはありませんでした・・・。今日は風があって、逆風に飛べば機種が跳ね上がるし、追い風に乗ると、流されて、あわてて旋回しても戻ってこず、見えなくなってしまいました・・・。昨日買ったお店の人いわく、電動でしかもこの手の小型はちょっとの風でも飛ばないので、無風の時に飛ばすように・・。まさに、鷹巧ではないですが、先人は知り尽くしている、そう感じます。鳩も雨が振ったり夜になったりすると、帰ってこなくなるそうで、ご指摘砂漠で鷹を飼った彼等の技術は相当なものなのでしょう。幸い気体は無事なので、今度は先人の教えにしたがって、帰ってくるようにと・・・。



私のグランド ビュー 続き
2005年6月19日 8:28:09 とみた MAIL
南に逃げた晋が東晋国を作り、5世紀には南宋に変わる。

日本は河内政権。応神、仁徳・・・雄略。雄略は葛城を滅ぼす。埼玉稲荷古墳、肥後江田船古墳の鉄剣は雄略天皇の支配力を表す。南宋から倭王と朝鮮諸王を承認される。
この頃渡来が何度か始まる。秦氏も来る。山東から新羅へ来ていた秦氏が日本に渡来。豊前出雲に勢力を張り出石に播磨に伊勢神宮につながる。三輪神社にもつながる。巻向?纏向?に根を張る。

このあたりが不鮮明。かわかつさんフォロー願います。
6世紀謎の政権継体に変わる。後ろ盾の南宋479年滅亡。朝鮮への影響力衰える。新羅が伸してくる。百済や伽耶が新羅の勢力に圧されて伽耶の鉄も手に入りにくくなる。527年の筑紫磐井の乱で内乱を鎮圧。

・・・6世紀 用命、欽明・・・秦河勝の新羅派と蘇我氏の百済派。物部守屋と蘇我氏との戦い。

大化の改新の変、新羅唐連合軍に百済・日本連合軍が660年代に敗れ壬申の乱、天智百済派から天武新羅派への政権交代。中臣鎌足ー藤原不比等へ、称徳天皇から道鏡へ宇佐八幡宮での託宣。光仁天皇で百済派へそして百済武寧王ゆかりの新笠を母とする桓武天皇の登場。秦氏は平安京建設の技術者と土地を桓武に提供・・・

このあたりまで理解しております。これに肉付けをしてゆきたい。

秦氏が近畿を席巻するまでどんな民族がいたんですか。物部氏や尾張族がいたのではないのですか。ナガスネヒコは物部の祖神ですね。神武天皇軍を破る。物部族のニギハヤヒが神武に付く。

神武は崇神天皇だと思っていました。それが三輪の出雲族、大国主、大物主一族を破ったとばかり思っておりました。

三輪もアメノヒボコ=秦氏勢力だとなるわけですね。
このあたりフォローください。




奇・・・考
2005年6月19日 8:20:47 いばらの紀氏

穴師坐兵主:穴師(兌ダ・・・神に仕える人・傑士・山師?)坐(楚人=座)[左伝] 兵主神杜
   楚人・・・始皇帝・・・秦氏
物部氏ではなくて、秦氏であると考えます。まして物部氏はこれは渡来家の氏族ではないわけですから
アカルヒメ=烏虜女=ア=カラス(禹系測量士)を (捕らえる?・虜とりこ)  ひめがき・・・城の上から城下を覗うための女諜報員・九ノ一・忍者・間者。
弓月氏・・弓は禹の形文字・月=陰=豊穣神・ 津=測量のポイント・ 紀氏(姫氏)ジョシン族?  
太秦の「ウズ」・・・太一・秦・・・一神教。楚ソ・イバラ・・・自国の冠(キリスト系・・・モンゴル?トルコ?   &#8227;猿の類・炎帝(夏の神・)・燕・
(歴史・文献上、一つの国・族と思わせるカバラの秘儀に惑う・・・・・)物部も秦系と禹系(出雲系・・・・徐福系も含む。)
。「ユヅキ」「ユウヅウ」はともに、「ユダ」のことで、太秦の「ウズ」も同じ意味ではないかと思われる。

番外(大阪の「鶴」橋〜埼玉の万年橋(亀橋・甕・・・銅鐸・・・測量のポイント)


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なぜ日と星の世界に別れた?。
2005年6月19日 9:02:50 いばらの紀氏

一神教・・・秦・・・ユダヤ・・証人(証人)・・・・能力主義(資本主義)目指す・・・ピラミッド型(カースト社会力の政治)後に平等社会・・証人は仰る。
多神教・・・キリストが望んだ社会主義・合議制よる都市国家(愛の政治)
土地も無く虐げられた能力の高い民(ユダヤ)が呪う[権威主義]・・・世を変えるか、権威主義の頂点に立つか・・・矛盾(矛:測量での測る器)(盾:地形を写す・紀す。)
ユダヤの失われた十部族は多神教徒・二部族は一神教徒の妄想です。(士農工商・・・秦氏は・・・)
(士の考え方は、山東省あたり魯国、孔子・墨子・・他にも色々・・・)

追伸
雨のヒ矛・・・・雨ウ・(禹)のヒ(禹)・矛(測量道具・・・Ψ系型・♀?U・・) ヒ  ボシ(牡・丑・禹士)


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秦禹の混合
2005年6月19日 9:14:55 いばらの紀氏

神社は?氏系 お寺は?氏系 神仏集合(秦禹の混合)・・宇佐八幡の神託は禹氏(兎鷺)・・・・禹の物部(全国に数多い)は比叡山・山伏・僧兵・・・武士  南北の争いとは?



私のグランド ビュー
2005年6月19日 8:14:11 とみた MAIL
かわかつさん、有難うござ候。
明治の御世で神仏習合から廃仏棄釈へは承知してますよ。国家神道への道。近世史も多少は付き合えます。管理人さんのダビンチコードはtvで見ました。紀氏さんのフリーメーソン説は攘夷の流れ”ユダヤよ驕る勿れ”という渡部悌治さんの本を読んでおります。

・・・私のグランドビュー・・・素人ですが2年の成果です。

古代のグランド・デザインで世界の民族の流れの大まかな動きを少し念頭に入れて中韓日のアジアの古代史もある程度頭に入れました。
そして日本の古代の姿を描きたいと思っています。自分なりに中立的に・・・沖縄、南九州へは旅しながら神話の郷のイメージも掴んでおります。

縄文人は中期には25万人いた。紀元前1000年には7-8万人縄文時代人がいた。東の方に人口は多く分布しておりました。そこからスタートです。弥生時代は紀元前900年ごろ始まる(c14測定法で500年遡る)。中国は呉越同舟の越と呉の戦いで越人が勝って、紀元前473年に勝利。江南から山東省に都を移す(移動あり)。紀元前334年に越は楚に敗れ、流民が発生。倭人となって江南からあるいは山東から朝鮮や日本に来た筈ず。
秦の始皇帝に敗れた民族は紀元前220年までにも日本へ来ている。徐福伝説の連中も流れてきた筈だ。
前漢になってBC194年漢が追い出した燕から衛氏が朝鮮へ亡命。秦族も追い出されたのではないか?前漢の武帝の版図拡大紀元前100年ごろ朝鮮も征服された。そこから追い出された民族、・・・その頃からの倭の有様は少しずつ中国の書(後漢書、魏志倭人伝)に57年(倭奴国)、107年(倭国王師升)237年3世紀後半の倭国大乱238年(卑弥呼の魏への朝貢)が描かれる。
中国は後漢で人口激減が二回ある。紀元2年に6000万人いたのが37年には1500万人になっている。民族移動?戦争?飢饉?
184年の黄巾の乱の前に6000万人に回復した人口が殷に乱から魏呉蜀の三国志の乱で500万人になった.1/10になった。

この人口減は民族移動を誘発する。魏から西晋へそして4世紀の5胡16国の時代。遊牧民族が漢民族の減った中原にあふれる。騎馬民族鮮卑が勢力を増す。300年は飢饉で流民大発生。鮮卑は朝鮮に影響を及ぼし日本の近畿にも騎馬民族の馬具などをもたらす。



続き
2005年6月19日 4:30:57 かわかつ WEB
11,藤原氏、中臣氏ほど他の氏族と血縁を結んだ氏族はない。血縁を結ぶとはその氏族が藤原氏に取り込まれたということ。つまり政略結婚が当時最高の侵略だった。これは明治まで続く。
12,天皇家が近親結婚をしていたのは最初からではない。ある特定の間だけである。これにより万世一系は当初から有名無実だと言って良い。
13、新羅系は最終的に追いやられ東西に散った。
14、平将門、藤原純友には武家社会の確立などというテーマはなく、彼等は単に親百済朝廷に立ち向かったかつての新羅系氏族だったに他ならない。そこで彼等には怨霊、怨念というカッバーらの荒御霊としての神霊化がおこなわれ、祭り上げられた。
15,平安遷都、近江遷都などは皆、怨霊信仰のなせる業であるところが大きい。悪霊と化した殺戮された者どもが為政者に祟ると本気で信じられていた。そんな時必ず新羅が関連してくる。
16,韓国では今でも新羅と百済の二大勢力が党を作って争っている。
朝鮮戦争の原因は人種戦争である。北朝鮮は自分たちがかつての高句麗だと信じている、しかしそれはとんだ勘違いである。これは金一族の策略。
17,半島は中国を兄と思っている。中国のものは無条件にまねをした。徹底的に。名前まで。
18.今でも儒教の観念は根深く残っている。われわれはそのよいところしか知らされていない。職業差別、男女差別は今でもまかり通っている。
「俺に付いてこい」式の異性を、女性は好んで相手に選ぶ。そして日本人の男は弱々しいと言う。
19、従って日本人の和の精神は半島にはあり得ない。
20、つまり日本人は半島の定住者が多く渡来したとは考えられない。最も多いのは移動する遊民である。
21これは極端だが、日本の民間人はすべて海部と秦氏と蝦夷の混血である。秦氏とはこの場合、半島経由の渡来人を指す。蝦夷は北方系、海部は南方系と置き換えて欲しい。

極端でしょうか、泊瀬さん。とみたさん。


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だからユダヤだ
2005年6月19日 4:50:13 かわかつ WEB
というのは速合点。ユダヤの思想、血は大陸ですでに取り込まれていたと私は考えます。だから完全なユダヤ人が大量にやってきたとは思えない。
彼等に影響され、混血した遊民だった。
秦氏の連れてきたという秦人が異人種だったというのは肯定できる。でないと彼等がやがて差別されて行く理由がわからなくなります。やはり人種的差別は大きかった。としか今はわかりません。これは正直なところ。
あとからやってきた半島人がいます。それから、大戦時に連れてこられた人々もいた。しかし渡来人と帰化人は違うし、そして在日ともまったく違います。これは人種が違うのです。
ですから渡来人研究会は糾弾を受ける理由がない。秦氏は韓国人でも北鮮人でもない。「差別」の意味が全く違うのです。彼等は混血児です。政治的にはむしろ半島から追い出されてきた人、と言った方が適切でしょう。
これはもう今の半島人たちとはまったく違う人種と言ってもいいかと想いますが。「渡来人」とはそういうくくりで考えるべきものじゃないでそうか?「帰化人」とは混同しないで欲しい・。


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持統天皇以前の天皇は、!
2005年6月19日 19:37:31 いばらの紀氏
「天皇家は 持統天皇からです。それ以前の天皇は天皇でないし。大和朝廷もない。・・・すべて持統女帝のためにある存在。つまり空想の人物。」
 私的には、出雲王朝からか?朝鮮王朝など先祖の渡来人の祖・祖国まで遡ったとの妄想です。
[遡]さかのぼる、・・・から古代の1年が365日より短いのでは?の妄想です。
古代の人の寿命は、百歳以上がザラです、…塩土の扇(鹵ロ・ル・しおち=中国西北の塩分をふくむ地・盾=地図・魯=山東省・孔子の生まれた国)
山東省の魯ロ国(愚か・禺グウ禹のこころ)の国「始皇帝は禹が嫌い、禹系の漢字に敵意を感じます。けものへんの文字の多くが禹関係)
始皇帝は西北「楚ソ国」く出身のユダヤの商人系(能力主義・現実主義者・・・禹の様な社会主義者が嫌い。)だが神仙・道教に不老不死を求めた。
(自らを永遠の最高権力者で居たかったが寿命は民と同じただの人。)



私流解読術
2005年6月19日 4:26:55 かわかつ WEB
1、物部氏、葛城氏の一部、鴨氏、蘇我氏、中臣氏と秦氏は血縁で繋がっている。
2、新羅系渡来人と百済系渡来人の相克を繰り返すのが日本の古代〜中世
3,藤原氏に取り込まれた者と、まつろわぬものがいる。それは同じ氏族の中にも存在する。(同じ物部氏でも敗走した守屋本家と別家がある。あるいは蘇我本家と蘇我倉石川家がある。)
4、いくさに負けた種族は別の場所に住まわされた。(蝦夷は広島などに別けて移住させられ、奴隷化した)その管理人が大和からやってくるが、どちらも同じ氏姓を名乗る。例えば、広島県佐伯郡の祭祀者は佐伯、連れてこられた蝦夷も佐伯と名乗る。佐伯の語源は「さえぎ」やかましいこと。言葉が違うです、蝦夷は。
5、海部族にも人種はいくつかある。
6、朝廷がよこす祭祀者は秦氏か物部氏である。
7,鴨氏は日本の祭祀の最高権威である。天皇家の祭祀はすべて鴨氏が執り行う。これにより裏天皇家と呼ばれる。従って日本の最高格式の神社は下鴨神社である。伊勢神宮ではない。
8、平安遷都以来、為政者は百済系となる。
9、天武は新羅系だが女房までそうとは限らない。昭和天皇の言葉がここで理解できる。
10、蝦夷がすべて東北の縄文人とは限らない。海から来て自分たちとは異形の者ならそれは蝦夷、エビスである。これは西洋人を皆南蛮人と呼んだのと同じ。


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賀茂氏
2005年6月19日 5:24:32 管理人
今回は鴨氏が頂点との御説新鮮に響きます。ラジコンならぬ鷹飼い氏族と屯倉の話以前出てきていましたね。鴨は鷹とどういう関係に?鷹をならすとヤタノカラスならぬ伝書鳩となるレベルまで飼育できるのでしょうか。とすると忍者??秘密密使の重要性と神社??確かにラジコン速いです。10分の1スケールで4秒で100メートル、10キロメートルを7分ですから、馬の速さより桁違いに速いですね。鷹もそのくらい速度でるでしょうか。80キロは出るとかいう記憶が・・・。でも鴨はな〜。戦争で伝達は早いほうが明らかに勝ちますね。とはいえ、そこまで忍者みたいな??でも煙幕はるより、伝書鳩は敵方に気づかれない点で戦略的ですね。妄想しています・・。



管理人さん」
2005年6月19日 0:51:53 かわかつ WEB
原稿の締め切りと2万円の送付方法、もうきめちゃってくださいませ。ちょっと紀氏さんの尻をたたいて次の作品書かせちゃいましょう。「感じの悪い」・・・じゃなくて「感じのこころ」・・・「漢字のこころ」・・・
「助詞のこころ」は私が書きますから〜!  ^^;


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そうですね。
2005年6月19日 1:08:27 管理人
では10月末原稿提出で。7月半ばに蓼科か栃木か水戸か京都あたりの飲み屋あたりで初顔合わせ、原稿会議、9月あたりに九州、京都あたりで中間原稿報告、10月はじめまでにみなさんから完成原稿をメール、FAXで集めてという感じで。その間に、出版費用の約半分の費用は私で負担し、あと半分はみなさんでという感じで、そのほかスポンサー募集しましょう。小説、エッセイ、写真集、論文のテーマは渡来人関連でいきましょう。論文のレベルについては、あんまりきついこといいませんが、ひとつだけ筋が通って学会レベルで通用する部分を含有していただきたいと思います。そこが通っていれば、あとの全部が批判で崩壊してもなんとかなりますから。逆にひとつもないといくら批判でてこなくでも売れませんし残りません・・・。
という感じでよろしくです。


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枚数は?
2005年6月19日 1:29:43 かわかつ WEB
普通、雑誌なら原稿用紙5〜10位にまとめますが・・・

それと私としては京都か尖石ですが、蓼科は10月はもう寒いかも・・・
京都なら椿井大塚山古墳のある木津あたりがマニアックかと・・・あるいは泉涌寺。都心ならアクセスの簡明で駅に近い京都ホテルか1号線沿いの国際ホテルでもよいし、東寺なら一番わかりやすく、近くに飲み屋も多いですな。


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誌名は
2005年6月19日 1:32:25 かわかつ WEB
「TRYーJIN 研究会」なんてどうでしょう? 


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私は
2005年6月19日 1:56:45 かわかつ WEB
「白山信仰と修験道」で行こうかと。
簒奪やら追放やら差別やらはとりあえずそこには書きませんから。
泰澄は出ません。菊理姫さんが白山の神なんだということを地元の人に自覚して貰いたいですからねえ。


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しかし
2005年6月19日 2:01:21 かわかつ WEB
ところでみんな来るのかなあ?この際、やはり気楽な気分で飲み会という感じにした方がいいんじゃないですか。私、えらそうなこと下に書いちゃって後悔してます。敬遠されないかしら・・・???


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そうですね
2005年6月19日 2:13:36 管理人
まずは飲み会からということで、蓼科だと8月に向かう用事があるのでその辺で。京都あたりはやはり9、10月ごろでかわかつさんにおまかせしたほうがいいですね。7月案では虎塚古墳のある水戸栃木周辺だと一番かわかつさんが遠いのでご負担おおくなってしまいますが、もしOKでしたら、みなさん来やすい距離ではと感じます。
枚数はとりあえず制限なしで行って、そのうちどんどんいらない部分や批判に耐えれなさそうな部分を削除して、追加の必要文献をすこし書き足していくとして原稿用紙10から20枚いい線ですね。小説は続編へというのもありにしましょうか。



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ラジコン飛行機
2005年6月19日 2:25:37 管理人
余談ですが、さっきついに近くの公園でラジコン飛行機試験的にすこしだけ飛ばしてきました。すごいですね。すぐ飛びました。1万円で送受信機と完成済みの機体と充電器セットです。10分で組み立てて飛びました。
60センチ四方の小さな機体が自由に飛ぶんですから、ここ10年の携帯電話にみられるような小型化の科学技術はかなり進歩しました。10年前なら飛行機に積む受信機器やサーボ、モーターが重くて、電動小型の飛行機が飛ぶのはほとんど夢でした。
でも100メートル四方の公園では、5秒ぐらいで飛び越したので、今度は500メートル四方のところを見つけねば・・・・。500メートル四方というと古墳公園あたりがいいですが、撮影OKのところで人がいないなら、ビデオ付き携帯電話を機体の底に付けて古墳空撮も可能でしょう。あれだけ上昇力があるとなると100グラムのビデオ付き携帯電話ならもしかすると載るかもしれません。古墳でなくとも、山岳遺跡の空撮とか、許可がでそうな場所ならばかなりいろいろ撮影できそうではあります。考古だとラジコンヘリも使用しはじめているようなうわさを聞いたような気もしますが、紀氏さんとこあたりなら、かなり遊べそうですよ。操縦は至って楽です。先ほど墜落3度しましたが壊れませんでしたし・・・。


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8月は初盆です。
2005年6月19日 3:08:02 かわかつ WEB
それと祭街道文学賞の締め切りが8/31なので・・・姫島盆踊りももう一度行きたいしちょっと・・・初旬ならナンとか・・
虎塚はみたいなあ、けど確か未公開でしょう。公開期日があればいいけど。紀氏さんご確認を。
10月12日の太秦牛祭りは絶対見たい。ここが私的にベストかな。

しかしこんな時間にラジコン?東京は変わってる・・・


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確か
2005年6月19日 4:08:20 管理人
去年は虎塚の公開期日は10月だったような。今年はどうでしょう。10月の牛祭りみたいですね!
ラジコンの技術も忍者の技術もきっと似てるかもしれません。伝書鳩みたいな、鷹狩とか、そういうのって秦系だったでしょうか?
西洋の歴史では本格的に分析されているそうな暗号技術も日本の古代史でもうすこしまともに取り上げてくれないのかな?


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10月ですか。
2005年6月19日 4:58:23 かわかつ WEB
ならOKかな。どっちも見たいね!

諏訪の神長のあたりに
「高部」があります。高部は「鷹部」です。鷹狩りの技術は西欧経由の西域人の技術なのかも?ちなみに鷹は修験道の聖なる鳥でありんす。

Zzzz・・・OooOoo



紀氏さん
2005年6月19日 0:07:23 かわかつ WEB
下〜〜〜の方の6/17のレスにレスしときました。ず====っと下の方。よろすく。かわかつでした。


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レス??
2005年6月19日 0:19:44 いばらの紀氏
6/17のレスにレス・どれ?・・・わかレませんもっとヒントをください。


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だから・・・
2005年6月19日 0:41:15 かわかつ WEB
「あるHPから」レスと「管理人様お願い」レスです。目を更にしないと最近レスが多すぎるからね〜〜


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秦氏を考。
2005年6月19日 2:29:53 いばらの紀氏

&#40297;(服+鳥)フク・みみずく(旗・秦・秦織り部・服部・・・古代中国の帝王「フッギ」の子孫?
八十梟師ヤソタケル(秦系)・熊襲梟クマソタケル(禹系) (測量士の隠語:ふくろう・みみずく・鳶・・・服福耳の文字の神)
フクロウ:鳶・虎・犬・・・(禹は嫌っている・・・・キリスト系も2種=一神教(主)多神教(豊穣神・自然神)
(商人と農民・漁民との差)


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鷹・鳥
2005年6月19日 5:04:28 管理人
鳥・関連上でかわかつさんもおっしゃり、紀氏さんのカンでも、キリスト系となるのでしょうか。
伝書鳩、鷹狩手法、どこかに伝来研究ないでしょうか。むむ、またダビンチコード??・



なにはともあれ
2005年6月18日 23:27:36 かわかつ WEB
とみたさん、秦氏の謎との出逢い、ここらからおめでとうございます、と言わせて頂きます。
学会が、神官が、また当の秦氏出身者そのものが、未だにそっぽを向こうとする秦一族。その謎には日本史その者の真実が隠されています。今、とみたさんの本当の歴史学が始まったんではないでしょうか?
周囲の人々の眉をひそめるような視線などものともせず、ここで真実に触れて下さい。次のレスを楽しみにしています。まったく違う視点から渡来を切って下さいませ。
拙者お待ちもうしておりますぞぞぞぞ・・・・・・・・・・



皆様・・・
2005年6月18日 23:11:42 かわかつ WEB
秦氏の謎を解明すれば必ず日本の古代も見えてきます。sくなくとも私はそう信じています。今の私には邪馬台国に関わる暇もありません。それ程これは魅力的な謎です。
私はおちゃらけて歴史推理小説だなどと申しておりますが、心では決していい加減にやってはいません。
それはこれこそが日本史の真実への近道だと信じるからです。
ここ「渡来人研究会」の下枝管理人氏は若いが、実に真摯に皆さんのレスに対応します。しかし彼もまた渡来人の血筋への関心に心をとらわれ、秦氏を始めとする多くの謎に立ち向かおうとしています。
私は管理人さんを高く評価します。
どのような年長者でも、またどのような若い方でも、またどのようなレスに出さえも彼はちゃんと対応しています。年上の私にでさえできないことです。
私は彼をバックアップしたい。そして機関誌を発行したいという彼の願望をかなえてあげたい。
協力をお願いいたします。m==m


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過分なご評価
2005年6月19日 0:49:08 管理人
なんだかここ数時間ラジコン飛行機仕入れて帰ってきたら、すごいことになっていますね!かわかつさん、過分なご評価ありがとうございます。秦氏を追及していくと、教科書とはまったく別の本当に裏の歴史像が出てきて、もうひとつの教科書を作る必要に迫られてきますね。裏機関紙とでもいうべきでしょうか・・。考えてみると渡来人研究会って平凡な名前の割りに、どこにも学会誌にないんですね。渡来人研究自体は明治以前からあったのにもかかわらず・・。学者さんのなかでもあまり直面したくないテーマが多すぎるようです。まともに渡来人の追求を公表していく立場になると、きっと地位、名誉、権力、財産、人生、人間関係すべて捨てることに迫られるかもしれません。さらに、公表の仕方次第では周りの研究者にも多大な損害をもたらすテーマでありますね。でも、ある程度その辺捨てた人が、この掲示板にくると結構いごごちいいとこなのかもと感じます。聖書でも、キリストはすべてを捨てて私に着いてきなさいとおっしゃったとおりですが、なかなか確かに難しいものはありますが、それにちかい形で人生の役目を果たしてみたいものですね。機関紙発行、とりあえず起源を決めたいと思います。10月末までということでどうでしょう。みなさんよろしくお願いします。


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このBBSにそんな
2005年6月19日 1:47:41 かわかつ WEB
強烈な糾弾じみたものが来てますか?心配ありません。誰も相手にしませんよ。彼等の敵は権威者です。為政者です。
しろうと集団の機関誌ですよ、まず売れるかどうかを心配しましょう><


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余計な心配
2005年6月19日 4:05:37 管理人
ははは、ごもっとも!



秦氏最大の謎
2005年6月18日 22:03:53 かわかつ WEB
それが
1、なぜ彼等の祭祀方法はユダヤのカッバーラニ似ているのか?
2、なぜ秦氏は平安遷都以降、歴史のおもてから消えたのか?
3,なぜ秦氏の陰に被差別民の匂いがするのか。そして各地で彼等のことを調査しようとすると口ごもる人ばかりなのか。
です。これを考えて頂きたいです。これから秦氏研究する方には。そしてご教授下さい。


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御晩です、お答えです。
2005年6月19日 0:13:23 いばらの紀氏
1、なぜ彼等の祭祀方法はユダヤのカッバーラニ似ているのか?
   (ユダヤだから。)
2、なぜ秦氏は平安遷都以降、歴史のおもてから消えたのか?
   (カバラ*ユダヤ秘密主義=出る釘のように討たれたく無いから。)
3,なぜ秦氏の陰に被差別民の匂いがするのか。そして各地で彼等のことを調査しようとすると口ごもる人ばかりなのか。
   (秦氏・旗士の禹での測量での役目が火(災い・敵)と風(世相・民衆の考え)を探る「根」土着の密使だったから。)
歴史のおもてから消えた「石工」は現代にて「フリーメイソン」と合流か?
 かわかつさん、「古墳のこころ」読んでください・・・・上記のような内容も含まれていますよ。
                                紀士でした。


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フンだ
2005年6月19日 0:36:36 かわかつ WEB
読んでます。というか読み飛ばしてます。残念でした!〜〜)
いつから紀士なんて武士みたいなハンドルにかえたのですか〜〜?

どうしてユダヤは日本にきたの?
神道が原始ユダヤ教なら紀氏さんはキリスト教徒にならなくてもイエスの教えをうけられるじゃないの?氏子だから。ぼくもわたしも氏子です。生まれたときから。
フリーメーソンは石工だよ〜ん。
諏訪には石屋がありました。マークは三つ星でした。寺内貫太郎もユダヤか?ずいぶん暴力的なユダヤだな〜

「古墳のこころ」なのによくこころがわからないのこころ。>Д<)
  


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あそうだ
2005年6月19日 0:46:35 かわかつ WEB
紀氏さんが「秦氏が祭る神・・・」買ってクレタラ完読します。〜〜;


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怪しいぞ
2005年6月19日 2:54:22 かわかつ WEB
銅鐸にはヒレがありますが、紀氏さん、あれはヒボコのヒレとは関係ないでしょうねえ。

十種の神宝、八種の神宝。
スサノウの神宝は八種です。とみたさんが書かれたようにヒボコのは記紀によって違い、その内容も違いますね。不思議なことです。これには必ず意味があると思います。記紀の内容に差異がある部分はとても大事なヒントですよね?
記紀がどっちが先に書かれたかに付いてまで、実は論争がありますが、とりあえず、日本書紀は持統天皇紀で終わります。なぜ?
為政者・持統は自分の正当性、女帝の正当性を書かねば天皇になれなかったはずです。なのに肝心なその後何代も続く女帝については「続日本紀」に譲ってますね。日本書紀成立の時も女帝ですよ。おかしくないですか。
神功皇后は持統、斉明などの女帝からの着想で作られています。天照大神もそうです。卑弥呼はダシに過ぎない。文献最初の女王ですから。
持統は日本書紀成立時にはいない。もちろん天武も死んでる。推古も当然いないし、またいなかったのではという疑念さえある。
最期に影響するのは成立期の女帝かも知れない。誰?
元正女帝です。持統が是が非でも王位につけたかった孫の文武のおばです。ここは持統の思惑通りになったわけだから持統と不比等の意志は伝わっている。
ただしこの時、一冊紛失した巻があります。それは系図です。???
なぜ?いきなり系図を紛失?陰謀ですね、どう見ても。
誰なんでしょう?系図が出ると困るのは???
紛失するものは日本は異常に多い。
草薙の劔、天皇記・国記、やたの鏡、隋の煬帝の国書、卑弥呼の金印、北野廃寺、石川の山田寺、宇佐の宝珠、法隆寺・・・臭いくさい。

アメノヒボコのイサザの剣はどうなったのでしょうか?その他の神寳もいずこへ行ったのでしょう。本当にあったのでしょうか。そんなものが。スサノウの神寳は門外不出です。七枝刀は今もちゃんとあるでしょうか?
さあ、誰も見たことない。こんなのは皆怪しいと考えなくっちゃ。

出石にいって確かめよう!


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失われた風土記
2005年6月19日 3:22:48 かわかつ WEB
失われたもので一番数が多いのがこれ、各地の風土記ですね。
残った風土記は?
出雲、豊後、常陸、肥前、播磨・・・なにか臭わないですか?
出雲・・・国譲り
豊後・・・豊前宇佐の背後にあって海部の国
常陸・・・装飾古墳
肥前・・・海賊松浦党、海賊の国
播磨・・・アメノヒボコ


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これ以外の
2005年6月19日 3:26:43 かわかつ WEB
風土記はホントのことばかり書いてあったとか・・・


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かんがえてみると・・・
2005年6月19日 4:03:57 管理人
かわかつさんご指摘のとおり、かんがえてみるといろんなものがなくなっているようですね。どこへいったんでしょう。写本もたくさんあったでしょうに・・・。またもやダビンチコードですが、フランスにあるスイスの貸し金庫専門の銀行の話はおもしろかったです。金庫を借りるのに最短50年で、いかなる政府も警察も中になにが入っているか調査できないのが売りだそうで、いろんな泥棒がその貸し金庫に貴重な絵画とかを保存しているそうな・・。もしかして、その中に日本の遺物も???でも、確かに蘇我氏はもとより、藤原・・という時代の権力者が遺物や書物をどこかに隠してしまった可能性とかもありそうですね。古墳の中とかは、でも風化してしまうと思うので、もし現在の誰かが知っていたら、それを調査新式金庫の中に・・・またもやダビンチコード。ではでは。



どうぞ
2005年6月18日 21:50:22 かわかつ WEB
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kenkyuu.htm


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これは過去の掲示板です
2005年6月18日 21:54:22 かわかつ WEB
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/goiken.htm


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不勉強を恥じる
2005年6月18日 22:16:08 とみた MAIL
かわかつさん、みなさん スミマセン。初歩的な質問で今までの研

究成果としてまとめてあるのですね。ユダヤと皇室の関係は知りま

せんでした。桓武天皇と百済王の深いゆかりは天皇自ら発言されて

いましたが・・・

わたしは日本の古代史が諸説あるので混乱を来たしているようで

す。百家争鳴です。ご指摘のように天皇一系を意図的に組み立てる

ための脚色が行われているのでしょうから仕方がないといえばいえ

ます。

それにしても基本的な見方の一致点と、違う点を体系的に整理して

くれないと混乱を招きます。

物部、葛城、尾張 渡来系、出雲、吉備、日向、毛野、隼人などが

整理して頭に入ればと思っております。

自分なり素人なりに解釈が出来るべく勉強を積み重ねて行き

ます。

ご指導よろしくお願いします。


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い〜え^^
2005年6月18日 22:25:28 かわかつ WEB
初めて秦氏という者に触れたとき、私も興奮しました。
あまりに今までの、物部にこだわってきた私の知識が、秦氏を知ることによってすべて解明できたように感じたからです。
彼等は歴史のウズの中で姿を変えたに違いありません。そう、武士という半島の花朗組織を伝えた武家に。
物部は歴史のあだ花です。彼等は秦氏の真実を隠すための氏族ではないか?根の部分で実は彼等はつながっている・・・今、そう思い始めています。
とみたさん、私の著書は先に申し上げましたように「概論」であります。だから秦氏にひとりでも多く興味をもっていただけて私は幸せです。
若狭に任せ、失礼な申しようあったことをお詫びします。m−−m


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日本史の混乱
2005年6月18日 22:51:11 かわかつ WEB
これはなにはともあれ二つの近世の事件が大きく関与してるのです。
ひとつは明治維新です。これによって廃仏毀釈が起こり、神道が重視されました。私のご先祖はこれで神宮寺を焼かれ職を失いました。僧職は追いやられたのです。こうして山県有朋の手によって神道が国教になります。
もうひとつはこれを利して富国強兵を正当化し、勝手に他国に侵略することをよしとした第二次世界大戦・・・日本にとっては大東亜戦争がはじまりました。

この二つが皇国史観を作りだし、日本の学者は自由な研究を奪われました。特に文献史学者は完全に皇国の正当化の宣伝マンとならざるを得ませんでした。
そしてその歴史は学会という、権威者の前例が容易にくつがえせない、という権威主義の悪習をついこの間までひきずることになってしまったのです。
例えば違うジャンルでも、エイズ問題のあの安倍教授も立場は違え、やはり権威であり、前例でしたよね?おなじこと、いや、結果として患者の死という明確な失敗事例が出てくる医学なればこそ、なんと30年以上のあやまちが最近になってやっと現れるという非近代的な惨劇を知ることができた。
ところが当時、これといって社会的責任の重要でなかった歴史学などまさに推して知るべしの旧態然だったのです!
江上波男氏でさえ当時、学会は「国賊」扱いでした。
それが半島、中国の社会責任追及の声がマスコミで喧伝されるに連れ、ようやく、ようやくですよ、それまで権威的歴史学者の「こまづかい」のように扱われてきた考古学、人類学が日の目を浴びた。やっと戦後がおわったのです!!学会では。

今、日本の西洋的合理主義歴史学はようやく始まったばかりなのです。百家争鳴は当然。これから千年かかります。真実があたりまえにょうに教科書に書かれるのは。

ですからこそ、研究する者、研究者は正しい研究理念を持たねばなりません。ひとつの理論をわりだすのに素人の私たちでさえ何百冊の本を読まねばならないでしょう。
この三十年、引っ越しを繰り返し、妻と子をすてまでして、宇佐神宮にきた私は、ようやく秦氏の謎の一部にかじりつきました。あの本に書いたことは他に誰も書いていないことも含まれています。具体的な証明はこれからここの管理人さんとともに解明して行くのです。
とみたさんも是非私たちとともに謎のまっただ中へおいで下さい!!




過去の研究報告をご覧下さい。
2005年6月18日 21:49:37 かわかつ WEB
ごらんいただけばそれらがすでにここであらかた語り尽くされたないようであることがおわかりいただけるのですが・・・



アメノヒボコつづき(3)
2005年6月18日 21:42:39 とみた MAIL
 なぜ秦氏であるかということについて概略説明したいと思います。これは『万葉集』もあげて説明するのがよいと思いますがここでは地理的に説明しておきます。奈良盆地の東南にある三輸山をご存じだと思います。三輪山から少し離れて北に巻向山があります。この山は『万葉集』では弓月(ゆづき)が嶽とよぼれましたが、この巻向山の麓に、この巻向山を祭るための神杜が、先ほど言いました、穴師坐兵主神杜であります。この「弓月」というのは、恐らく日本に朝鮮半島、新羅から渡来してきた秦氏の大集団を率いた弓月の君のことであろうということは、東洋史の内藤湖南氏の説ですが、これは私も問違いないと思います。秦氏を率いた総大将の弓月の君のことであろうとみることができます。その弓月の君の名前が山の名前になって、それを祭っているのが兵主神杜であるから、兵主の神をもたらしたのは秦氏であろうというふうに言えると思います。

 これは論証の仕方としては非常に甘い論証ですが、しかしアメノヒボコの伝承を持つ地域と秦氏の居住地域が、非常に近接関係があって分布的に近い関係があるのだという説もありますので、今申し上げました内藤湖南氏の考えは問違いないであろうと思います。だから、アメノヒボコを携えたのは、物部氏ではなくて、秦氏であると考えます。まして物部氏はこれは渡来家の氏族ではないわけですから、中国の神を持ってくるということ自身、大変不白然な説であると思います。それから、もう一っは秦氏の秦ということぼですが、一説としてこれは古代朝鮮語ではバタというのは、海のことを示すので海の民であるという想定もされています。だから、やはり海人族に関わったであろうというふうに考えると、話はうまく説明できるわけです。

 その系譜関係をたどっていきますと、神功皇后のお母さんというのは、葛城のタヵヌヵ姫とあります。葛域のタカヌカ姫というのは、今申し上げましたアメノヒボコの系譜をとるわけです。つまり新羅の系譜です。だから、神功皇后に関する記述については新羅系にもかかわらず、なぜ新羅征討といった物語が出てくるのかというのは、これも不思議です。やはり新羅でないのでは。


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弓月嶽
2005年6月18日 22:18:23 かわかつ WEB
このヤマは?
パタが秦氏の由来だとすれば、海からきた海部は皆、秦氏になってしまいます。また海を渡ってきたのは日本人すべてがそうなのではないでしょうか?島国ですから。
新羅系秦氏出身であるはずの神功皇后がなぜ三韓征討・・・しかも特に新羅を攻めたと記述されているのか?
これは新羅系秦氏をことさらおとしめる記述であると思われないでしょうか?私にはそう感じられます。
これはあきらかに百済系渡来の為政者の策謀であろうとしか考えられません。いかがでしょうか。
神功皇后の母方はアメノヒボコです、しかし父方はどうなっていますか?
日子坐王は新羅系だと言えましょうか?


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百済→新羅→
2005年6月19日 1:30:37 管理人
その辺ですね。全体的には新羅の文化をもちながら、百済に弓月王の伝来伝承の起点があり、どうも百済→新羅→の流れが見え隠れして・・。戦争の問題になると、たとえば王族だけが異国の王であったヨーロッパのケースだと、民衆の心理とは別にどういう外交を結んだか、戦争をしたかという点にふと興味がいきます。
秦氏の伝承も、中国、新羅、百済とあり、文化人がもたらした中国の最新伝承、王族がもたらしたもの、民衆がもたらしたもの、この辺の区別がついてくるとおもしろそうです。この辺の区別理論、とみたさんお得意の世界史的知識に依存してきそうですね。


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そういうことです
2005年6月19日 1:43:49 かわかつ WEB
ご自分のもっとも特意とするジャンルからの切り込みなら誰にも真似できない論が展開できるというもんです。
私の「かむやらい」は真似しないでね。^^;


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失礼、失礼・・。
2005年6月19日 4:14:32 管理人
ちょっとかわかつさんの領域に入りすぎました。その辺ぜひぜひかわかつさんにご期待しています。



明治天皇が
2005年6月18日 21:36:47 かわかつ WEB
何を言われたにせよ、私のスタンスは「まだ確実とは言えない」です。
弓月国が過去、タクラマカン砂漠にあったにせよ、そこから近いローランから白人の血をひく女性一体、男性一体、赤ん坊一体のミイラが出てきた事実があっても、ユダヤの神殿に菊花紋があったとしても、イラク大統領のフセインの軍服に菊花紋がついていても、(ただしこれらは16菊花紋ではない)あるいは広隆寺の薬師殿に五芒星があったり、伊勢神宮の石灯籠にダビデの星が刻まれていても、です。

天皇の言葉はその出典となる雑誌名が私にはわからない。昭和天皇の言葉を紹介した退官侍従はその後バッシングを受けたらしく今、その行方を私は知らず、過去の筑紫氏の番組のバックナンバーから消されている。
こうした理由でどちらも私は著書に書けません。
これは皆さんもどうかまねて欲しい、著者の良心ではないかと・・・


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広隆寺
2005年6月19日 4:12:53 管理人
広隆寺の薬師殿に五ボウ星あるんですか??
ダビンチコードによると、五弁の薔薇は古代ローマからの象徴で、薔薇の花の元での会議は口外してはならない秘密の会議を意味する
とか。薔薇十字とかの秘密結社もそういう象徴の意味があり・・・って書いてました。五弁の花というと朝鮮系の瓦文様もそうですが・・・。



アメノヒボコ 続き(!)
2005年6月18日 21:31:16 とみた MAIL
奈良県の桜井市に穴師というところがあって、穴師坐兵主神杜というのがあります。応永二九年の「大倭神杜注進状裏書」に「上ノ杜。杜伝日、上杜老御食津神也。神体日矛。」と書いてあるのです。これが一つの根拠なのですが、それ以外も状況的な証拠はあげられますが、アメノヒボコというのは、西日本各地に祭られている兵主神杜のことではないかというふうに既に指摘されています。そういう観点から兵主神杜を今あげてまいりますと、兵庫県下では但馬の国にたくさんございます。もちろん近江にもあります。大阪の和泉にもありますが、但馬に多くあります。つまり、アメノヒボコが但馬にやってきたという関係からも、それは説明できるのではないかと思います。

 この兵主について少し述べてみたいと思います。私自身、今から四、五年前、しぼらく中国の山東半島の調査の仕事をしていました。山東半島の仕事というのは、今日の話とあまり関係ないのですげれども、日本の最後の遣唐使として比叡山の延暦寺の三代座主になりました円仁という大変偉いお坊さんが唐に渡ります。その円仁さんが滞在した赤山法華院というお寺が山東半島の先端にありました。そのお寺の場所がどこであるかということを探るための仕事を数年問やっていたわげですが、そんなことで山東半島には三、四回参りました。その山東半島に祭られている神の中に、今中し上げました兵主という神様がいるわけです。山東半島には、秦の始皇帝のころから、八つの神様が祭られていました。八つの神様の中の一つが、この兵主という神様です。童尤(しゆう)とも呼ぼれもともとは兵器の神でありました。戦争の道具の神様で武器の製造なんかに携わったわけです。だからアメノヒポコというのは、『日本書紀』なんか見ますと、新羅からやってきたと書いてありますが新羅から持ってきたアメノヒボコというのは、中国の山東半島の神ではないかということも考えられないことはありません。

 そのアメノヒボコ、つまり兵器の神は、最近で奈良県の藤ノ木古墳で発見されて馬の鞍の後輪(しずわ)に描かれている鬼神像であるというふうに私は別のところで申し上げましたげれども、ああいう恐ろしい顔をした神であったわけです。そのアメノヒボコ、あるいは中国風に言えば兵主の神がだれによって携えられたかということで、今までは物部氏であるというふうに言われてきたわけです。私は物部氏ではなくて、秦氏であると考えています。


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それは
2005年6月18日 21:42:36 かわかつ WEB
アメノヒボコが秦氏の神だというのは私が書いたことです。


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領布(ひれ)を解く!
2005年6月19日 0:11:10 いばらの紀氏

「浪振る領布(ひれ)とか、それから浪切る領布とか・・・」から・
 下記の理由で地図を描く「和紙」作りの法(天竺インドの影堅王の子が伝えた・測量士役職の隠語:極楽の共命鳥(ぐみょうちょう)
浪振る:振動によって水面に生じる高低運動=ゆすってよりわける・・・ (私的には和紙?づくりの網?)
領布(ひれ):大事なところ収める布 鏡台の付属品・矛に付ける旗のような布
「鰭」ひれ・キ き年寄りの学者・霊鷲 和紙・巻物・ 天竺インドの影堅王の子針・薬に明るい名医 極楽の共命鳥ぐみょうちょう
「簸れ」・ハ・ヒ ミ箕・ゆすってよりわける・・・ (私的には和紙?づくりの網?)

 これで古代史の謎解きが進むことを切に願う 紀氏でした。


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山東半島
2005年6月19日 4:22:08 管理人
とみたさん、山東半島行ってらっしゃったんですね!文献では道教のメッカだとか勉強しましたけど、いろいろお話聞きたいところです。道教というと四神思想他、兵主、司命神とか、渡来人伝承にも多く影響残していますね。三角縁神獣鏡の原型の中国鏡にも道教思想でていますが、山東もひとつの製作拠点だったようで、ヒミコの時代から山東半島から朝鮮、日本への銅関連の流れと道教の流れが気になっています。倭漢氏の中国から帯方郡、百済への亡命伝承も山東からみるということもあありえないかとも思いますし、重要な地ですね。そこに秦氏がどうかかわるか課題です。



アメノヒホコは山東から
2005年6月18日 21:23:38 とみた MAIL
アメノヒボコが新羅でなく山東半島から来た秦族という説に共感しました。鳥越憲三郎の倭人は山東半島から来たという説を読んでいたからです。皆さんのご意見をどうぞ!

千田稔氏 風景の考古学から

アメノヒボコ伝承

 アメノヒポコの伝承は大変よく知られております。アメノヒボコが但馬の国の出石というところに祭られるわけです。アメノヒポコの伝承について、ごく簡単なお話をしておきます。新羅の沼のほとりで、ある女が昼寝をしていると、そこにさんさんと太陽が輝いて、赤い玉を生みます。その赤い玉を新羅の王子であるアメノヒポコなる人物が持って帰ります。その女性の名前をアカルヒメといいますがこの女性は夫のために、非常によく尽くします。よく尽くすのに、次第に且那の方が横柄になっていくという。そこで仕返しをくうわけです。奥さんの方が怒ってしまって日本の方に逃げます。大阪の鶴橋の比貫許曽神杜に奥さんの方をお祭りしています。旦那の方が奥さんのあとを追うわ けです。難波(なにわ)のところまでくるのですが渡の神にさえぎられて入れてくれないんです。そこでぐるぐる回っていろんな遍歴をするということが書いてあって、ついに但馬の出石神杜に落ちつくというような話です。

 アメノヒボコが、なぜ海人族と関係あるのかということを疑問に思われる方があるかと思いますが、アメノヒポコが日本に持ってくる宝物があります。この宝物を『日本書紀』と『古事記』では随分名前が違うのですが、これは確 か『古事記』の方だったと思いますが、浪振る領布(ひれ)とか、それから浪切る領布とか、とにかく海の波を起こしたり、あるいは鎮めたりする、そういうまじないの領布、領布というのは肩からかけるまじないの布のことですが、そういうものを持ってきたりするわげです。どうも海洋民に関係のあるような宝物を日本に持ってきた。このアメヒポコを祭るのは、出石神杜だけであるかというと、そうではなくて、西日本各地に祭られています。どういうところに祭られているかと言いますと、兵主神杜です。


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なぜまた突然
2005年6月18日 21:40:41 かわかつ WEB
アメノヒボコ?
これまで世界史的視野でレスされてきたとみたさんが、突然の秦氏・・・


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それもおそらく
2005年6月18日 21:44:00 かわかつ WEB
皆さんご存じです。



諸説紛糾
2005年6月18日 19:11:19 とみた MAIL
伊勢神宮の何かに?天皇家は山東の周が出所?とか関係あり?とか言う言葉が出ているとかで気になって、検索したらなんと伊勢神宮とユダヤなんて想像も出来ない文章が出てきた。

京都太秦は渡来の秦氏の本拠地と思っていたのにね。
本当に誰かしっかりした説を出せる人は居りませんかね。

下に貼り付けますので批判してください。


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あれ?
2005年6月18日 21:06:08 かわかつ WEB
明治天皇の言葉をご存じないですか。
「私は天皇の権限で日本という国を調べた結果、日本は神道である。しかし神道は本来はユダヤ教である。」

これは明治天皇が息子・仁氏の妻に言った言葉を、仁氏の長男が母親から聞いた言葉として雑誌に載せられたそうです。

またこれは私自身がTVで見たのですが、侍従を退任された名前は覚えません方が、司会者筑紫哲也氏に昭和天皇の私的な言葉として、
「この国の天皇で血筋がつながっているのは持統天皇からです。その前の天皇はあずかり知らぬ」

信じる信じないではなくこれらは事実です。えらいこってす。

ここの皆さんは神道=ユダヤ教について皆さんいろいろと検証されていますよ。私はまだ信じてませんが・・・HPにもそう書いております。もう少し検証するべきだと。


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仁氏の息子とは
2005年6月18日 21:11:17 かわかつ WEB
明治天皇内親王仁の子、立命館大学数学・物理学を学び、のちキリスト教学教師になった小林隆利。
以上です。


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すべての始まりはこの方です。
2005年6月18日 21:18:11 かわかつ WEB
佐伯好郎博士、秦氏を景教徒であると最初に喝破した学者。
http://www.tabiken.com/history/doc/F/F222C100.HTM


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佐伯研究
2005年6月19日 1:22:56 管理人
佐伯さんの景教碑文の分析はすごいですね、原文献への精通、解読、背景の文化理解、申し分ないレベルです。その後を引き継いだ学者さんがあまりよく知られていないし、当時の弾圧もあったでしょうし・・・。現在同レベルで中国の景教碑文、文献の解読や日本古代史への精通ができる方はほんとうにいるのでしょうか。どちらかに専門が偏っている方はたとえば東洋史の方とか、イエズス会の中国文献の専門の外国の研究者さんとかいるようですが・・・。



syo
2005年6月18日 19:03:44 とみた MAIL

伊勢神宮とユダヤ

 世界中の神殿で、日本の神社に似たものは紀元前10世紀頃のイスラエル王国のものしかないという。そこは鳥居に似た二本の柱の立つ、檜づくりの神殿であった。神官は禊をし、白の着物を着、神に酒と初穂を捧げ、柏手を打って拝んだ。また、清めに塩を使い、榊に似た小枝でおはらいをした。こうしたことから、日本神道は古代のユダヤ人が持ち込んだと、昭和初期、小谷部全一郎という人が唱えた。
 京都に太秦(うずまさ)というところがある。太秦(だいしん)とは中国語ではローマ帝国を言う。秦帝国の主人公達は、失われた祖国を「太秦」と呼んだことも考えられる。秦という国はシルクロードを通じて西アジアの文明をたっぷり取り入れている。始皇帝の実の父は呂不韋という商人ではなかったかといわれるが、この頃商人は最も西方の文化と接触を持っていた。

 始皇帝は焚書坑儒という伝統の中国文化を否定する行動に出るが、これも別の文化の信奉者であったという仮設に立てば理解しやすい。というのは、この以前の周の時代に祖国を失った多数のユダヤ人が中国に来ていたことは証明されている。

 秦の滅亡とともに朝鮮に逃れ、秦韓に住んだ元ユダヤ系の人が弓月君(ゆづきのきみ)で、応神天皇の時代に大挙して渡来してきた。弓月君は融通王とも呼ばれる秦氏の祖で、応神14年百済より帰化とある。秦の始皇帝の5世の孫ともいわれ、のち波多姓を賜っている。山之辺の道にある穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)の奥宮は、弓月嶽山頂にある。秦氏と兵主、そして新羅から金属精錬技術を伝えた天日矛(あめのひぼこ)は密接につながっている。「ユヅキ」「ユウヅウ」はともに、「ユダ」のことで、太秦の「ウズ」も同じ意味ではないかと思われる。

 宇野正美氏は「パレスチナに住んでいたユダヤ人は、アッシリアの攻撃から<契約の箱>(モーゼが受けた神からの啓示を具体に表現した大切な箱)を守るため、ペルシャ湾岸から葦舟に乗って脱出し、日本の四国に到着、<契約の箱>は剣山山中に埋められた。この契約の箱を模して作られたのが神輿である」という。


 


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剣山山中
2005年6月19日 1:19:35 管理人
とみたさんこんばんは。ヘブライ祭祀と日本の祭祀やはり世界的にみても共通性が強いのですね。
剣山に隠されたという契約の箱の話始めてききます。ダビンチコードの聖杯みたいに、多くの人が探しているんでしょうね。神輿の原型について、旧約聖書のような設計文書や図だけが伝わったのか、あるいは実物が伝わったのか、その辺の見極めが気になります。もし旧約聖書のとおりに復元すると、はてさて人間のイメージ力で現在の神輿形までもっていけるのかどうか疑問もあります。しかしまた海を渡って運んでくるには、危険が多すぎるし・・・・。



つづき
2005年6月18日 9:07:43 とみた MAIL
寒冷化現象は常に起こっていますね。3万年前の寒冷化でネアンデルタール人は滅んで現生のホモサピエンスが生き残った。
1.3万年前に暖かくなって縄文時代がやってくる。
中国でも12000−7500前までは涼期で7500年ー5500年前までは高温期。紀元後300年には寒冷化で華北から長江へ流民した。戦争だけでなく寒冷化に伴う凶作飢饉も民族移動の引き金になると考えています、食べる植物や動物も変わるので人間の暮らし方も変わるでしょう。

フォトン(光子)・ベルトに太陽系が巻き込まれれば確かに宇宙線の電磁波の影響は大きいし、遺伝子に多少の変異をもたらすかもしれませんね。

人間どもは彗星が近づいて大変だとかいつも騒いでいますよ。昔なら日食やら月食で未開人が騒いだのも頷けます。これを煽る怪しげなジャーナリストが登場して稼ぐ・・・そこに霊的な
意味づけをしたり・・・人間は知恵を持ってますので大丈夫でしょう。Don’t Mindで行きましょう。

ノアの方舟について科学雑誌ニュートン主宰の竹内均さん(地球物理学)は指摘しています。シュメール王になったギルガメシュの叙事詩にある大洪水の物語。これは実際にあった証拠があるとのこと。ユーフラテス川の地層と粘土板の分析結果だそうです。紀元前4000年前アララト山やメソポタミアは亜熱帯気候でした。

アトランティスについては竹内さんはクレタ島、とサントニーニ島の火山爆発が紀元前1500年頃あった。これでミノア文明は滅びる。モーゼの出エジプト記の大津波はこれと関係しているという根拠にしている。

古代の測量技術の確からしさは・・・ナイル川最上流(最南)のアプシンバル大神殿の大岩窟神殿(ラムネス2世 紀元前1304〜1237年)を見ればわかりますね。

一年に春秋2回特定の日に朝日が神殿の一番奥まった場所(祭壇のあるところ)を照らすように設計されている。天文学知識は32000年前にこのレベルにあった。まさしく、紀氏さんのレーラインです。
これはメソポタミアの技術が伝わったのだとわたしは思っております。



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おーノー そして鉄争い
2005年6月18日 9:30:24 とみた MAIL
ラムネス: ラムネは飲みたいけんどラムセスでした。32000前: 0をサービスしすぎました。3200前ですね。とんとことんとこ調べないで打鍵するのでミスの連発です。

お許しを。まだミスがありそうです。
ゆるーしてください。

エジプト王ラムセス2世は強国ヒッタイトとカデシュ(今はシリア)で戦いますね。

戦車の差、鉄の差でしょうか。ヒッタイトは紀元前1600年−1500?〜1200?ぐらいでしょうか。まさに中国は殷の時代。

ヒッタイトは鉄をはじめて使ったので有名ですが、この前,鋼がヒッタイトのあった今のトルコの土地で発見されました。
世界最古の鋼です。

アッシリア商人居留地から出たんです。アッシリアは強かった筈です。
鉄より強い鋼、この差が戦争で勝つ秘訣。日本でも出雲の砂鉄、
伽耶の鉄、将門の砂鉄。みんな古代は鉄争いですね。今の核争い。



西から東へについて
2005年6月18日 2:24:06 管理人
とみたさん、紀氏さんの民族・人種の移動の歴史壮大ですね。どちらかというとここ数千年は西から東に進む傾向があるようですね。東の観念は太陽が上る方向で、古代人にも理解しやすかったのかも。西に向かうには太陽が沈む方向で、追いかけていくと午後から活動しはじめねばならない??東に向かうなら朝から一日活動できるとか、素人考えですいません。
ペテログリフ関連のHP見つけました。岩石に刻まれた古代の線刻を示すそうで、漢字以前の線刻文字がうんぬん、紀氏さんのテーマと関連しそうですね。
ところで、2012年12月に地球が入るというフォトンベルト興味深い事実があります。1万2千ねごとに銀河系の公転により、フォトンベルトに太陽系は入るそうです。そのフォトンベルトに入ると電子レンジに入ったようになり、人体はもちろん自然界の温度もあがるそうです。そこでとみたさんご指摘ノアの箱舟やアトランティス大陸の大洪水の神話がでてくるそうですが、どうも北極の氷がそのとき溶けると大洪水になるようでして、事実を物語っている可能性あります。マヤ暦がその銀河系周期を計算していたらしいです。人類は1万2000年ごとに洪水とか日照りとかで滅亡していたんでしょうね。で、あと8年でそのフォトンベルトに入るそうでして、渡来人研究もあと3,4年がいいとこでしょうか。どうもあとそのフォトンベルトに入ると地磁気が0になる関係で、地球の自転が反転するそうです。つまり今度は西から東へ太陽が昇ることになるそうですが、すると西へ向けて民族移動しはじめるでしょうか??妙な時代に生まれたものです。


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宇宙と生命、人間の叡智
2005年6月18日 9:07:14 とみた MAIL
宇宙は不思議で一杯。でもこの100年ぐらいでいろいろ分かってきた。人間の英知を信じています。分かれば分かるほどまた新しい謎にぶつかりそれを解明することによってさらに科学は進む。相対性理論、量子論、ブラックホール・・・DNAは50年前のワトソン・クリックモデル。人間のゲノム分析までほぼ解析してきた。
すばらしいじゃありませんか。二本の螺旋構造に30億の塩基が並んでいる。どの部位にどんな働きをする遺伝子があるかまで分かってきた。
戦争好きな人間どもには辟易しますがね。

宇宙はビッグバンから137億年。ハワイ島の東京天文台のスバル望遠鏡は確か120?億年前の星を見つけている。

われわれの住んでいるMilk Way銀河には2000億個も太陽みたいな恒星がある。惑星を持った恒星は10億もあるんです。

そんな銀河がこの大宇宙には何千億もある。
そんな宇宙は膨張し続けていますがそれがいつか収縮に向かうのか。いろいろ議論があります。宇宙が重ければ収縮に向かう。
宇宙にはガスや塵が一杯ありますがまだ分からない暗黒物質や、暗黒エネルギーという正体不明なのが一杯です。われわれの住んでいる太陽や地球は生まれて46億年ですが、あと50億年は持つといわれています。
太陽は最後は燃え尽きて矮星になります、地球は当然蒸発してなくなります。もっと永い目で見ればわれわれの住んでいる銀河とお隣のアンドロメダ銀河は衝突してくっつきます。これも決まっています。

地球の生命は40億年前に発生したとしてほとんどの時代は下等生物だったでしょう。まあ4-5億年前に生物の種類が増えて・・・恐竜と裸子植物が栄えた時代も6500年前隕石が衝突して恐竜は滅んだといわれております。


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ノーノーまたミス
2005年6月18日 10:30:06 とみた MAIL
隕石衝突で恐竜が滅んだのは6500年前 うっそー 6500万年前
ですわ。ミスミス打ち間違い。人間は千に3のミス率といいますけどわたしゃ、10に三つ とおさんです。

滅亡には火山爆発説もありますけれど。
隕石は良く落ちますよね.メキシコ ユカタン半島のクレーター(隕石の落ちた穴)が有名ですが。豪州沖でも直径数十kmの隕石が2.5億年前に落ちたクレーターを発見してますね。

2880年に小惑星地球に衝突というNASAの警報もありましたが軌道再計算して大丈夫とか・・・

こんなことは茶飯事でしょう。ご心配無用。わたしの家は築25年以上ですので地震がきたら怖い・・・



管理人さんに御願い.
2005年6月17日 17:59:44 いばらの紀氏
地球の黄金比?
またの閃きなのですが、自分でも呆れてます。
管理人さんに御願いが有ります、中国(ローラン遺跡)の地球の反対は(ナスカ遺跡)辺りでしょうか?
エジプト(ギザ)の地球の反対は(ペルーの遺跡)辺りでしょうか?
地球のレーライン・五角形(72度)のポイントに遺跡が存在するのではの妄想にかられましたが、
私には力量不足ですのでお調べ願い出来ないでしょうか、切にお願い申し上げます。
    トホホの紀氏よりの御願い。


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訂正です。
2005年6月17日 21:40:58 いばらの紀氏

中国(ローラン遺跡)の地球の反対は(ペルーの遺跡)辺りでしょうか?
ギザ〜インド〜インドネシア〜ポリネシア〜イースター島〜ペルー〜マリ〜アレキサンドリア・ギザ
ギザ〜ローラン〜九州〜ポリネシア〜チリ〜マリ〜ギザ
ギリシャ〜ワシントン〜メキシコ〜ニュージーランド〜ギザ
ローラン〜インド〜喜望峰〜ペルー〜イースター島〜ポリネシア〜ミクロネシア〜ローラン
ギザ〜インド〜オーストラリア〜ニュジーランド〜イースター島〜ペルー〜マリ〜アレキサンドリア・ギザ
ギザ〜ホータン〜ミクロネシア〜イースター島〜ペルー〜マリ〜アレキサンドリア・ギザ
ギザからの東方はこのようなコースをたどったのでしょうか?
地球を牛蒡星(ごぼう;菊科の植物・菊の紋 吾ゴ牛(禹氏)望ボウ)☆形。72度の角度のレーライン(黄金比?)での測量・・・・ここまで来ると(狂うと)危ないですの予感が・・・・危氏でした。
世界地図は北極点を中心にアルファベット26文字に分けています?何か秘密でもEとSとXの比率が気になります。


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追伸
2005年6月17日 22:07:31 いばらの紀氏
EにはギザがSにはイースター島が、そしてXには東京の対蹠点「反対の位置が」有るのです。
(360度割る24=15度 360度割る72度=5度 ???
何でしょう 5 14 5 ??? 


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追伸
2005年6月17日 22:07:31 いばらの紀氏
EにはギザがSにはイースター島が、そしてXには東京の対蹠点「反対の位置が」有るのです。
(360度割る24=15度 360度割る72度=5度 ???
何でしょう 5 14 5 ??? 


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この辺の地図で
2005年6月17日 22:23:31 管理人
どうも紀氏さんこんばんは。管理人@夜勤中です。
とりあえずこの辺の地図をご参照されてみてはどうでしょう。
http://www.sanynet.ne.jp/~azeta/sekaitizu/iroiro.htm
ダビンチコードの中でみなが探る聖杯のありか、エルサレムからイギリスにあるのか、フランスにあるのか、はてまた・・・。聖杯を守るためテンプル騎士団ができたという著者の説もおもしろいですが、聖杯とは世界のどこに??ではでは。


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地球の黄金比だ!
2005年6月17日 22:39:42 いばらの紀氏
地球の黄金比だ!
A〜E(ギサ)が5〜L(東京)が7〜S(イースター島)が7〜X東京の対蹠点「反対の位置が」5
A〜E(ギサ)が5〜L(東京)が7〜X東京の対蹠点「反対の位置が」12
「5」;「7」:「12」   黄金比だ!
世界地図もユダヤの黄金比で作られたのだ、そしてイースター島と東京の対蹠点「反対の位置が」の謎がまた沸いてきた。
ヘルプ ミー・・・・・頭がパンクしそうですぅ〜。


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聖抔は教会に。
2005年6月17日 23:53:31 いばらの紀氏
管理人さん、ありがとう御座いました。
「聖杯とは世界のどこに・・・」
聖抔なら山の上の岡のうえ天子の墓に有ります。
聖坏なら ひとすくいの墓に有ります。
聖&#32935;ならマリヤのお腹の中に胚芽が生まれましたよ。
聖拝なら教会で拝めますよ。
みなさま教会に参りましょう救いの胚芽(成長して種子・主子になる。)
                  
聖抔なら山の上の岡のうえ教会の天子の墓に有ります。
山の上の岡のうえ教会・・・高地の高山の教会の地下の天子の墓
世界のどこの教会・・・・(私の霊感では「コンスタンチノーブル」とでました。)


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杉田牧師様
2005年6月19日 0:12:52 かわかつ WEB
私はあなたが神の子として洗礼してくれた妻を捨て、日本の神の探索などと言う罰当たりな道を選んでしまいました。どうぞお許し下さい。私を誘う大和の神の魔手から私をお救い下さい。


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その神の名は
2005年6月19日 0:43:20 かわかつ WEB
紀氏さんと言います。


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なぜか間接的にキリスト者
2005年6月19日 0:58:29 管理人
そうですか、かわかつさんにそういう過去があるんですね。どうも歴史関連で私と知り合う人は、奥さんがクリスチャンという人が多い・・・。だんなは頑なに合理主義で通そうという人が多いんですけど、たぶんに奥さんの影響がものを言っている場合が多いです。日本でクリスチャンの人口なんて1パーセントにもみたないくらいなものなんですけど、不思議なつながりあります。でも長崎、九州は多いようです。


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実は
2005年6月19日 1:38:05 かわかつ WEB
今つきあっておる金魚というのもミッション系の学校を出ていてこりゃもうえにしかなあと・・・



あるHPから
2005年6月17日 12:29:35 いばらの紀氏
意味の交換
実は前項「K.発生」概念の絵文字は、CCERリストではすべて「Lグループ」に所属しており、一方「L.指導」概念の絵文字はCCERリスト「Kグループ」に入っている。つまりすっぽり入れ代わっているかに見えるのである。CCERが「L=スカラベ」「K=魚」としたのは、シャンポリオンに従っての事であろうから、この入れ代わりは「曲がる魚」が消えた後ではあるが、ヒエログリフ初期の頃に既に終了していたと考えられる。
その原因は「魚の発生」であろうか。或る日、潮の流れが変わって見知らぬ魚が来るのだが、古代人には「無から有が生まれる」現象と見なされる。一方「スカラベ」の発生は「旱魃」「洪水」などと同じ「神の怒り」でもある。もしこれが数年に一回などの頻度で起きれば、それは「神のお告げ」「神の指導」であるから甘受しなければならない。ここで「魚」と「スカラベ」が交代するのだ。
この中で絵文字「二枚貝」(L6)は「スカラベ」と同じ意味の文字としてグループと行動を共にするが、形を少し変えて「魚グループ」にも入ったと思われる。「魚」と「二枚貝」はいずれも海の生物であるから誰かが一緒にしても不思議はないのだ。絵文字(K6)は「ウロコ」でなく「二枚貝」であろう。「ウロコ」そのものには抽象概念として「指導」「発生」いずれのイメージもないからだ。もちろん単なる表意文字あるいは決定詞としての「ウロコ」の存在は許される。
「二枚貝」などは、穴、空をイメージしてしまいます。お恥ずかしい。
神聖文字も甲骨文字と同じように見えます・・・・私には!
   なぜか・疲れました・・・・ではまたの喜界を・・・


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こんなの見つけました
2005年6月17日 12:30:32 いばらの紀氏
 追伸(こんなの見つけました。)
「5000年前のウル・シュメール語では、鳥をフ、ブル、ムシ
 ェン、ムティンなどといったのですが、歴史言語学の川崎真治氏
 は、フがフクロフ(梟)のフであるとしています。
 川崎氏による梟の話を以下に紹介します。
 シュメール語で鳥を表わす語のひとつをムシェンといい、ヌ・ム
 シェン「ヌという鳥」で梟を表わしたが、それをヌ・ムと下略し
 ました。これがエジプトに伝わり、さらに m(ム)と略されました。
 古代エジプトのヒエログリフでは、梟の絵文字を字音(m)、前置詞
 (em)等 として用いるほかに後置否定詞〔英語の not、中国語のプ、
 フ、ム(無)、ピ(非)、ブット(勿、弗)〕としても用いています。」・・・・なんかわたしの考えに共通点がありますよネ。


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フクロふのふ
2005年6月18日 9:09:56 かわかつ WEB
それは前のふ?あとのふ?


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うしろなら前なら・・・
2005年6月19日 0:05:08 かわかつ WEB
前の「ふ」なら「ふ、クロウ」できしさんの以前のレスにあった「クロウ」からす・・・と関連しますよね。
うしろの「ふ」なら「袋状の鳥」でこれまたまか不思議。
どっちにしてもすごくいい発見でしゅよ、これは。感心してます。
私は「吹く郎」かと思ってました。「ホーホー」

木の葉ずくとかミミズクの「ずく」っていったい・・・?。。;)

昔、森野福郎っていましたなあ。え?知らない?古いのかなあ・・・関西ローカルの芸人だからなあ・・・

「吹く」はたたら。夜働いているから、鉱山師も夜中じゅう働く。ロウは野郎・・・「やから」と言う意味を持つ差別用語。
私が考えるとこんなことになりましゅでしゅ。ーー;

「鳥居」
鳥は空を飛べる。魂も死んだら空に舞い上がって天界へ行く。鳥は天界と地上を行き来できる。神の使いだ。天使にも羽根がある。海では航海者に陸地を教えてくれる。こりゃもう神だ。神がとまる。神がとまるから鳥居だ。
鳥居から日が昇るのが見える。鳥がシルエットになる。黒く見える。だからいつも黒いカラスは神の中の神だ。
鳶は飛ぶからカラスだ。飛ぶ鳥がとんで鳥居にいると朝日が見える。太陽が昇るのは鳥のおかげだ。
大きい鳥はもっと神だ。大神だ。
狼も神だ。恐ろしい。神は恐ろしい。食われちゃたまらん。でも勇猛なあいつらに食われるなら狩人として本望だ。食われた奴も神になる。
食われるときは噛まれて死ぬ。噛むは神だ。神のすることだから「噛む」だ。
神の好きな者は弱い生き物だ。一番大きいのは鹿だ。イノシシもでかい。
生け贄にするなら、鹿がいい。鹿は「志賀」だ。「しか」は海だ。海は船だ。船は神だ。その船の行方を決めるのは船頭だ。船頭が王様だ。王様の船の行方は星が決める。星と言えば北辰だ。北辰は王様の星だ。
星〜星よ〜・・・・伴!そりゃ巨人の星だ。
北辰よ、北辰〜祈れ祈れ!北極星に祈れ。神よ〜神・・・
あ、反対に冬のでかいのはオリオンだ。冬は荒れる。海も凍てつく。ありゃあ、荒らしを呼ぶ星だ。特に三つ星は目立つ。三つは荒玉じゃ。荒ぶる神じゃ。起こったときのおいらの心と同じだ。

「古墳のこころ」を読むのこころ!!!



「立体曼荼羅?・・・」
2005年6月17日 9:18:12 いばらの紀氏
「カバラのは陰陽・古代中国思想と数学的理論・・・・」
「陰陽・正否・善悪・+-・雌雄・明暗・貧富・始終・指従・日月・火水・・・・・立体曼荼羅?・・・」
「中国ではオリオンより北極星が太一、最高神なのですから、・・・」
「1,3,5,7が聖数になって行くのは中国の道鏡成立前後でしょうが、・・・」
「界で初めて3を哲学したのは孔子ではないでしょうか。数学でなく哲学ですよ。・・・・」
以上からの考。
 先祖の数への思考・・・・1=己 2=明暗・白黒・日月・父母・♂♀=人  3=巳・天地人・親子・青赤黄・オリオン座 4=&#23587;オウ・東西南北・春夏秋冬・上下左右 5=吾・玉(王)・白黒+青赤黄=東西南北+中 父方母方X親子ー(子1/2) 6=自・臣・聞・羊・羽・虫・行・(王+い=主)・・ 7−サイコロの中心(サイコロの裏表を足した数) 正四面体の中心(世界の中心) ・北斗七星・一週・日月+水金地火木(5行)・・・などから立体曼荼羅・・・宇宙曼荼羅(7二乗=49死ぬまで核(探究心)は膨張し/・・・週末(終末)が・・・ブラックホール穴に飲み込まれ〜ホワイトホールの穴から生まれビックバン(豊穣神=蔭です・母です穴です、輪ワです。



滋賀県
2005年6月17日 4:05:25 かわかつ WEB
犬上郡下枝がありますね。
下枝姓は愛知、岐阜、福島に多いですね。当然ごぞんじですね。ーー;


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下のお答え
2005年6月17日 5:20:23 管理人
そうなんです。岐阜にもあるんですが藤原氏系小笠原氏流でうちの福島とは違うようです。そこでうちの家系に戻りますと、戦国時代に福島の田村氏から枝別れしているんですが、分かれた当主が姓を人生二回変えたらしく、長男だけうちの姓を名乗ったので後代かなり少ないんです。田村氏はご存知坂上田村麻呂から出ているとされますから、坂上氏は倭漢氏なので渡来人ということになるんですが、ともかく福島の田村氏が坂上氏から枝分かれした伝承が田村麻呂の隠し子伝承で、かなりいい加減すぎまして実態はわかりません。ただ、祖父の実家も田村麻呂伝承はすぐそばにあり、いろいろその辺論議があるようです。
詳細は福島の実家の探索日記の掲載しましたのでご参照ください。
http://www.asahi-net.or.jp/%7Erg1h-smed/fukusima0406.htm
その氏族が枝分かれする際の状態というのは、非常に虚偽や養子や政治関係が複雑に関連していて面白いところですね。先の藤原と秦との関連かわかつさんに期待しています。
あと私がクリスチャンであるのは、私です。皆堅苦しいくらいまじめな人生送っていますが私だけがどういうわけか遺伝子が悪かったのか、反骨人生を送っているもようです・・・。大学時代に洗礼を受けたわけですが、うまくいえないのですが、血の論理から霊の論理への転換といいますか、たとえていえば日本史での血縁集団の時代から非血縁集団の時代への転換期みたいな気分的な変化がそのころあったようです。旧約から新約へということにもなりますが、日本にどちらが伝来したかの見分けはその辺にありますね。血縁論理か宗教論理かで集団が構成されている仕方が違うのではと推測します。たぶん必然的に前者が追いやられるように感じますが、旧約と新約の祭祀の相違としては、前者が御父にささげる動物の血の生贄を容易する厳格な規律に基づくのに対し、新約の祭祀は生贄をある部分、御子である神が生贄として身代わりになったということで、生贄が神として象徴化しているはずであり酒が加わると思います。でも、両方混じると蛇と棒と生贄の祭りの話が出てきたりして・・・・。やはりヘブライ祭祀と日本の古代祭祀、かなり要素が似通っていますね。


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蛇と祭祀
2005年6月17日 5:17:58 管理人
写真拝見しました。ほんとに鹿の首生贄にささげているんですね。「呪いの血脈」という加門七海さんの諏訪鹿嶋を扱った小説読んだことあるんですが、まさかほんとに今でもそんな生贄祭祀やっているとは思いませんでした。鹿は神の使いとかいわれていますが、神の代理としての意味あいもありそうですね。キリスト教では羊ですが、ユダヤ教時代から新約聖書にも蛇を棒に掲げて祭る話が出てきます。ご指摘どおり、生贄は南方にもみられますね。華南の銅鼓の絵にも蛇を長い棒か板につけて祀っている絵ありますよ。その辺は神輿もあるし、納豆もあるし、紀氏さんの本に出てくるまがまごぐと船の壁画古墳の絵はまさにドンソン文化ですね。日本とは異常に類似点が多いですね。個人的には、あそこの大月氏の流民だったタイ・ビルマの銅鼓職人が中国漢代に銅鏡製作をして、そのまま公孫氏あたりの高句麗方面に流れて、朝鮮を南下して、日本で銅鏡製作を継続した線で、大学時代から追っています。大月氏以前がユダヤ系という可能性も考えてはいますが、蛇を生贄として祭る祭祀、そういう七枝刀みたいな遺物が日本でも出てくるとおもしろいんですが・・。
慰めの祭祀というと、鎮魂祭とか思い出しますが、ううん誰がつかさどるだったか忘れました。秦氏には芸能とからんでいろいろな側面があるのですね。忌むの意味はやはりご本にあるように、中世にかけて出てくる忌みと関係するのでしょうか。宮中忌火あたりは秦氏関連ですね。


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七枝刀
2005年6月17日 9:59:33 いばらの紀氏
 

 奈良県石上神宮にある七枝刀は、書紀に神功皇后に献上されたという記述があるだけでなく、剣身に文字が彫り込まれている。
 泰和(判読微妙)四年四(か五)月十六日に百済王世子奇生が倭王のために造る。
 通説は「東晋の太和四年(三六九年、太和は泰和とも記す)とし、奇生を近仇首(貴須とも記す)とする
「 これは仮説としては成立するが、実状を考えれば無理な読み方である。
 三六九年頃の百済は新羅とは友好関係にあり、相互に使者を交換している。同年は近肖古王が近仇首に命じて、高句麗を撃破した年でもある。いわば百済の絶頂期であり、倭王に対してさほど低姿勢になる必要はない。また、近肖古王や近仇首王が倭王に大きな恩義を受けたという形跡も見あたらない。朝鮮(韓国)の歴史学者の反論の方に分がある。
「魏の太和四年(二三〇年)に卑弥呼(神功)が七枝刀(石上神宮所蔵)を百済の仇首王から贈られた」、で問題はない。・・・・と在りました。
上につづく・・・


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続き
2005年6月17日 10:12:57 いばらの紀氏

五十二年秋九月十日、久氏らは千熊長彦に従ってやってきた。そして七 枝刀一口、七子鏡一面、および種々の重宝を奉った。」 「石上神宮」に現存している「七枝刀」が、この時のものと言われているが、その銘文を判読すると、だいたい次のようになるらしい。 「東晋の泰和四年(369年)四月十一日に、百済王とその太子が、倭王のために鋳造して壬申の年に献上する。」 鋳造されたのが369年ならば、その次の壬申の年は372年に当たり、 『日本書紀』は七枝刀の年を252年としているので、実際とは120年 の隔たりがあることになる。 120年という数字は干支二運(干支一運は60年)であり、60年に  一度同じ干支が巡ってくるので、干支年は変わらない。 『日本書紀』では、120年くり上げることによって、ヒミコを神功皇 后にしたてあげ、『魏志倭人伝』の記述と抵触しないように、捏造してい るのである。


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また続きデス
2005年6月17日 10:14:13 いばらの紀氏
この神功皇后が造作である証拠を、『日本書紀』は残している。 それは、前述した七枝刀は372年に献上されたものであったが、この 時の百済王が、「肖古王」であると『日本書紀』は記していることだ。 三国史記』によれば、第五代「肖古王」も第十三代「近肖古王」も、 「肖古王」である。まぎらわしいので第十三代を「近肖古王」として区別 しているのであろうが、二人の「肖古王」は明らかに造作である。 「近肖古王」の在位が345〜375年であることから、『神功紀』は 「近肖古王」の時代に当たる。 ちなみに第六代と第十四代に「仇首王」が記されているが、同じように 第十四代を「近仇首王」と呼んでいる。 『神功紀』では「肖古王」の孫として「枕流王」を登場させているが、彼は「近仇首王」の息子とされているので、ここでは第五代「肖古王」は  該当しないことになる。  仮に『日本書紀』の記述通り七枝刀が252年に献上されたものだとしよう。それにしてみても「肖古王」の時代ではありえない。この時の百済  王は「古爾王」である。 しかし、神功皇后が架空であるからといって、『神功紀』に記述されて いる朝鮮半島との外交関係の記述まで、否定してしまうことはどうか思 う。神功皇后に直接関わりのない外交記事まで捏造したのでは、『日本書 紀』は諸外国から歴史書として認められないばかりか、大和朝廷の信用も 無いものになってしまう。 従って外交関係の記述は、信用に値する記録とみて差し支えないと思わ れる。「新羅」侵攻に関してだけ言えば、けっしてでたらめではない。  以下は、『三国史記』に記された「倭」の「新羅」侵攻の記録と、その 時代の王の在位年代である。 ・・・・とも在りました。


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香取神宮にも有りますよ
2005年6月17日 10:32:40 いばらの紀氏
「鹿の首生贄にささげているんですね」・・・・
香取神宮にも有りますよ、
鴨の姿造りも.


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記事いただき
2005年6月18日 9:07:57 かわかつ WEB
上のレス、いただきま〜す。



蚩尤 Shiyuu
2005年6月17日 2:47:21 いばらの紀氏
とみたさん、おまたせデス蚩尤 Shiyuuを考えました。
「黄帝」は華夏族の祖先で、4〜5000年前の黄河流域の一部族の首領です。阪泉の野で、「神農氏の子孫」と戦いました(『史記』)。五穀(黍・禝(粟)・菽(豆)・麦・稲)の栽培を奨励し、野獣を飼いならせました。・・・・「黄帝」(ギリシャ聖教系?)「神農氏の子孫」(農耕・海洋民族=苗族かも・・禹も海蛇族?です。)
 堯鹿の野で、南方の蚩尤の部族(九黎)・西方の炎帝の部族と衝突(『史記』)しました。蚩尤は大霧(煙幕作戦)でしたが、黄帝は指南車(羅針盤)を使用しました。蚩尤は殺され、その部族は遠方に移りました。それが半坡人で、「南方人」の特徴をもつことから九黎?ともいわれます。炎帝の部族は敗れて黄帝の指導に服しました。・・・・「南方人」=(苗族かも・・禹も南方です。)
中国神話において、「天界の帝王である黄帝」と大戦争した怪物。・・・・・(ギリシャ聖教系?)
「獣身」で銅の頭に鉄の額を持つとか、目が四個、手が六本で人の体に牛(禹氏?)蹄を持つなどといわれた。・・・・(獣の数666ムムム禹禹禹)
「砂や石や鉄を食らう怪物」で、同じ姿をした兄弟が80人(八十・ヤソ・耶蘇教・キリスト系)いたといわれている。・・・・(溶鉱炉?・ユダヤの頭脳?)
戦争では兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方に付け、「風、雨、煙、霧、」などを起こして黄帝軍を苦しめた。・・・・(ユダヤの頭脳?)
戦で必要となる優れた「武器を発明」したのもこの怪物だといわれている。・・・・(ユダヤの頭脳?)
メソポタミア神話:シュメール語で龍のことを「ウシ」ュ「ム」「ガ」「ル」と言う。・・・(牛=禹氏ム=禹「ガ」=我(吾)=「ル」=禹)
王を現わす「ルガル」のルは「人」、ガルは同じく「偉大な」である。・・・・(ル=人・偉大=禹)
王とは別の存在の唯一の「偉大な龍」が独裁統治していたことを表わしているようだ・・・・・(龍=禹)
エジプト神話:大気の神「シュウ」(Shu:揚げる)を生み出し,嘔吐することによって露・湿気・「雨の女神」テフヌウト(Tefnut)を生み出しました.・・・・「揚」:長江の南・・・・(苗族かも・・禹も南方です。雨の女神・・・禹も水神で蔭です。)大気の神「シュウ」=蚩尤 Shiyuu?
続く


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つづき
2005年6月17日 2:48:15 いばらの紀氏
以上の事柄からの妄想です。・・禹も南方苗族です。ル=人・偉大=禹(龍=禹)海蛇族(獣)豊穣神=蔭です
「九黎?」=(シオン・キリスト系?) 炎帝の部族(ギリシャ聖教系?)は敗れて黄帝の「指導に服しました。」禹と禹の父「鯀」も囚われの身(巳)だった。
カバラのは陰陽・古代中国思想と数学的理論などで考えられたとの妄想を抱きました。
陰陽・正否・善悪・+-・雌雄・明暗・貧富・始終・指従・日月・火水・・・・・立体曼荼羅?
異質なものがお互い存在しあうことでのバランス感覚・・・・古代文明での結論だったのでしょうか?。
時代・年代の設定に戸惑いますが、「禹が十字架の子」のモデルの妄想デス。「そして、獣・悪魔!」のモデル「デーモん」と「エンゼル」は双子(座)の天使?。
                   紀氏でした。


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吉田敦史までいくのかな?
2005年6月17日 3:58:48 かわかつ WEB
やあ、こんばんは。いよいよ深みに入っていく紀氏さんワールド。岩に刻まれたペテログラフにまで行き着くのでしょうか。興味ワクワク。


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このあいだ
2005年6月17日 4:15:32 かわかつ WEB
靖国に押し寄せた台湾先住民の顔つき見ましたか?
まったく南方系でしたよ。苗族と関係ないですねえ?苗ぞくはTVで見るにモンゴロイドと南方系の混血と見ました。いかが?


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シオン系、ギリシア系
2005年6月17日 5:36:18 管理人
紀氏さんのお話、いつもお返事書き終えてから読むとなぜか理解できること多いんですね。
初代のキリスト教では、ペテロ(ペテログラフって??)とパウロの宗派分裂がありまして。それぞれユダヤ(ユダヤ教的側面を多くもっていたそうな)、ギリシア方面(後代のローマ帝国へ受け継がれていく)に分かれて活動していったもようです。その辺がどう東方に伝来したか、紀氏さんのご指摘あたりにヒントあるかもしれませんね。
ミャオ族はかわかつさんご指摘どおり、北方遊牧民ビルマ系と南方タイ系の愛の子らしいです。


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西から東へ
2005年6月17日 10:59:23 とみた MAIL
紀氏さん、蟻が糖です。
蚩尤族と黄帝族、神農=炎帝族の戦いで結局
黄帝族の勝利。これは紀元前4000年頃の部族間の争いでしょうか。仰韶文化の半坡遺跡は黄河沿いの西安と洛陽の間として、ここにはモンゴロイド(華南系とインドシナ系)が住んでいた。苗族の住んだ灌江に近い。中国の北部,遼寧西と内モンゴルの間にいた蛇族が東進した龍族の西方遊牧民(黄帝族)に追出だされて半波まで来ていたのでしょうか。そこから漢江へそしてさらに南進。

龍族は紀元前4500年前の紅山文明を作った。これは女神像を持つ。その像は青い目とモンゴロイドの混血。しかも豊穣の女神、地母神信仰。これは西からの民族移動と関係がありそうです。地中海のビーナスも地母神であり、古代オリエントのイランの地母神トルコ・アナトリアのアルテミスも地母神、バビロニアのイシュタルも同じでしょう。

黄河流域の安陽では仰韶文化と龍山文化=夏、殷の遺跡が同じ地層に上下して並んでいる。
黄帝は勝利して尭舜禹つまり夏殷周の時代に入っていくのですね。

黄帝時代の神話に出てくる民族が難しい。

@炎帝=神皇族・・・西方?
A伏犠=女&#23207;・・・南方系の苗族の祖神、龍蛇信仰
B&#32703;=東夷
C祝融=楚の火を祭る巫司族
D蚩尤=元々中国東北部にいてそこから南へ追い出された蛇族、苗 族
E共工=さまよえる神。羌、今のチベット族?
F九黎=苗族
G黄帝族=西方遊牧民族、龍族?

禹は長江下流の越族、これが良渚文明の大洪水で流民して黄河に向かい夏王朝を作った。

長江と言うのはモン・クメールごすなわち南方系の言葉だそうですね。これが今まで集めたネタです。ご批判ご修正のほどを



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つづき
2005年6月17日 11:01:25 とみた MAIL
紀氏さんは測量技術とレーライン、言葉の発音を徹底的に追求。それをベースに謎解き。オリジナル なアプローチはすごい。すばらしい。

考古学者のアンダーソンやラクベリーの唱える文明はメソポタミアから発祥して東西に広がるという説に加担しておられる。

東洋にとっては西方からの東遷説になりますね。

苗族にもノアの方舟に似た洪水伝説があるとか。方舟はひょうたんだそうです。
古代エジプトのピラミッド造りはは4700年前から4200年前の古王朝500年間のだけ。技術はメソポタミヤから入る。測量の神は王妃だったらしいですね。

キリスト、ユダヤの神、と禹の神とのつながの説明が難解です。南海ですたい。

妄想から推測へこれに合理的な裏づけをモットモット加えてもらえれば蟻蛾鯛です。



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また訂正どすぇ
2005年6月17日 12:24:32 いばらの紀氏

黎れい・らい・くろい
「九黎?」=(シオン・キリスト系?)「黎」れい・らい・くろい・・・レイ・ライン・作業のくろい(クロー・カラス)宣教師です。
敗れた炎帝の部族は(禹系?)
黄帝(ギリシャ聖教系?)・・・・皇帝アレキサンダー?

ついでに、ペテロ(ペテログラフって??)
ヒエログリフはバベル文字の装飾されたもじに思えます。私には楔形文字やクレタ・フェニキア・ブラーフミー文字も甲骨文字に近く感じます。
「スカラベ」は「発生」「湧き出す」意味が有るそうです。漢字の考え方にも「ボウフラ」「発生」「湧き出す」「羽化・禹化?」「蚊(夏・華)」・・・羽があるものみな「天使」ご発想が有ります。
トンパもじは、神聖文字的?インダス・アステカ文字は装飾品(実用的でない。)


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西から東
2005年6月18日 2:23:41 管理人
お答えは上で



下から続く
2005年6月17日 0:22:13 かわかつ WEB
宮大工に関しては、やはりいちど京都府八幡市男山にいかれるのがよろしいかと。ここは宮大工も多く住んでいた。石清水八幡宮の歴史も含めて一度よく検証してみて下さいませ。伏見稲荷とも関連が出てくるでしょうし。私の直感です。

1と3ですが・・・
この数字は人間の数の概念として、おそらく最も古いものです。0が一番遅いですね。だから世界共通の神の概念を表す数字となっていったんだとしか思えません。
例えば取りの中でも比較的頭がいいというカラスは、外敵が3個体になると警告音を発するそうです。これはそれ以上なら常にそうらしい。カラスにとっては3以上が警戒するべき数・・・つまり「たくさん」の概念を持っているのだそうです。
同様に、旧石器時代あるいは縄文の時代などのにんげんも、3以上は「たくさん」だったらしいですね。これがヒントになるかどうかは知りませんが・・・

1,3,5,7が聖数になって行くのは中国の道鏡成立前後でしょうが、それ以前に東西交流の中で西欧の観念もはいっていたと容認するなら、世界共通で1,2,3の中から3を特に選ぶ理由も、いわゆる淘汰?していったと言うことかも知れません。
ただし、なんといっても中国ではオリオンより北極星が太一、最高神なのですから、特に3を至高としたとも思えません。
また2はペアで、夫婦、雌雄一体、そして組み合わせの最初、という数字で、八卦などはここから始まりますよね。コンピューターに使われる2進法は八卦の陰陽と同じ構造です。その始まりはやはり太一。宇宙の根源はひとつだとっていますね。
するとここには3の概念は現れないわけです。3は特別な数ですよ。やはり。
世界で初めて3を哲学したのは孔子ではないでしょうか。数学でなく哲学ですよ。孔子が説いたのは中庸の美徳です。右と左しかない世の中に争い事や戦争の原因を収束させるのは中庸の美徳しかないと、孔子は考えたんじゃありませんか?
簡単に言うと「和を以て尊しと為す」ですよ。
奇し魂、荒魂を押さえるのはやはり和魂しかないと言ってる。そうじゃないでしょうか?

世界は繋がっています。古代は今より自由に・・・


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私の勘
2005年6月17日 0:45:44 かわかつ WEB
けっこういいところをついてきてるように思います。
気持ち悪がらないで下さいね。あくまで経験から割り出してるだけですので。

私の姓は今、下に書いたものですが、これは先祖が引き継いだものですので、実際には血の繋がりはない、ということは「親将」にはっきり述べています。だから私はこの姓の呪縛から解き放たれてるんです。本来は「佐々木」が旧姓の一族です。佐々木を調べようと思ったらまず、滋賀県なんです。「佐々木一族の発祥地らしい。で、その前は「陵」だと思います。古墳築造関連だと思うのです。これは勘です。
だから渡来の可能性は非常に高いです。

管理人さんとのえにしを感じるのはこの辺にありそうです。

「枝」がつく名前で私が知っているのは「三枝」さえぐさです。
まだ調べてませんがこの3つの枝がセフィロトとか生命の樹だとか考えるのはキリスト者なら極めて普通の発想だと思います。おかしくないです。
これも洋の東西で偶然生まれたとはいいにくい。
西から誰かがこの観念を持ち込んだのかも知れません。

ただ、キリスト教起源を考えるなら、その成立期が重要ですね。ユダヤ起源ならもと遡れる。このあたりが難しい。
あまりキリスト教やユダヤ教に詳しくない私にはなにもはっきりしたことは言えません。

だからダイレクトルートの解明が大事。

八幡市は、というより奈良の裏側の山城地域は非常に重要なんです。ここにはいろんな先住氏族がいたから。
出雲、隼人、秦、大筒木、木津・・・何度も言いますけれどね、ここが発祥の地ですよ。関西のすべての渡来、すべての先住民の。
是非、伏見から南へ行ってご覧なさい。そして裏側をよく見て下さい。
管理人さんが見つけ出したいルーツへの答えがありますよ。
そしてここが京都の南の鬼門だった理由もわかるはず。住んでいた者として申し上げます。なんなら一緒にいってもいい・・・ではサッカー見ましょう!


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枝に懸ける観念
2005年6月17日 2:01:17 管理人
どうもかわかつさんこんばんは。ぜひ京都また近いうち行事にあわせて行ってみたいところですね。京都はやはりみるものたくさんありますし、集まりにはいいですね。うちからならバイクで5,6時間とみています。山城はもうすこし回ってみたいですね。
三位一体、神学理論の起源を調べねばなりませんが、聖書にも三年半とか3日間半の間、とかありますね。
枝の観念、聖書でも、若枝はキリストのこととか、旧約だとやはり七枝の燭台とかありますが、以下のHPにその辺詳細載っていました。http://iwaoiwao.fc2web.com/picturebiblecode.htm
日本の場合、枝というと百済から送られた七枝刀他、古事記あたりだと、上枝に勾玉、中枝に鏡、下枝に剣とか、歌にも読まれていますね。祭祀の枝になにかを懸けるという観念は、日本だけでなく、先のHPのユダヤ関連の祭祀にも、七枝の燭台の枝の部分に小羊を吊るすこと、そのいけにえの意味がキリストの十字架の観念を象徴している意味が説かれていますね。木の叉に、子を挟むという話も古事記で有名ですが、その佐々木でないですが、木や枝に何かを懸ける部分に、一歩進んで生贄を懸けるという意味が見つかってくると、案外東西の共通点が出てくるかもしれません。情報よろしくお願いします。



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五重塔・永平寺
2005年6月17日 3:01:24 管理人
宮大工といえば、今たまたま親父からもらったので読んでる立松和平さんの「法隆寺の智慧・永平寺の心」があります。法隆寺の五重塔建築の中に見える美の感じ、その美の背後にある自然を支配する秩序・・・、その奇想天外の木組、秘匿のみえない力、それへの一瞬のひらめき・・その上宮王家を祀った蘇我氏と神道との話・・・永平寺での修行・・。いろいろ書かれているんですが、宮大工の血を引く父方の祖父が、バイクのエンジンを説明書なしで、すべて分解して洗って組みなおしたという、その辺の話を思い出します。そして、先日のダビンチコードの黄金比と建築物への直感・・、宮(仏寺??)大工という人の考え方というのは、一度聞いてみたいところですね。京都八幡、ぜひいつか案内してください。


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生け贄
2005年6月17日 3:55:47 かわかつ WEB
了解しました。いつでも声をかけてください。

生け贄ですが、この風習が残っているのは日本では諏訪大社上社だけでしょう。今では形骸化したとはいえ、剥製ながら鹿の首を神に捧げています。私のHP、掲示板に写真有り。
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs

こういう風習が西欧に対応する、影響下にあるというのもひとつの考え方ではありますが、台湾の高砂族や、ボルネオの首狩族にもカニバリズムがかつてあったことは余り言われませんよね。また中国でも羊を捧げる儀式を天子だけが行えた。というのもあります。
諏訪の生け贄が、いったいどの祭祀者・・・物部か秦か縄文からの現地人かということは解明されねばなりません。万一、物部氏がやっていたとすれば、彼等が守屋の死以後諏訪に押し込まれたことになります。秦氏なら朝廷の指示でやってきてそういうことをした。地元民なら彼等は朝廷の指示にまだ従わなかった。・・・いろいろあります。
ただ、物部がそういうことなら彼等は諏訪に祭られた当事者となって勝手な祭祀はできまい。また地元民もそう。こういう反朝廷祭祀が行えるのはもともとそうすることで、神の御霊を慰める、霊を押し込めるというかむやらいですから、秦氏の仕事になるかも知れない。
逆に地元は高いプライドを持って、祭祀だけは自分たちのやり方を押し通した、とも言えば言えないことはない。
関連は多岐にわたりますね。

管理人さんの父方も母方もかなりの技術者なんですね。う〜ん・・・
氏姓がわからないのは良いとして、出身氏族がどこからなのかを判別するにはメールででも詳細を知りたいですねえ。で、どちらもキリスト教とは関係は?
そもそもあなただけがキリスト教徒なんですか?それとも改宗したりした事実があるのでしょうか。下枝に剣はありそうですね。
剣をトーテムとするのは物部氏・・・武力を持った者。もののふ。
元は武家じゃない?でなければ物部の中の建設技術者。
二つの家はなにかの縁があったのかな?お父様はなにか知ってないのか?
ただの偶然でしょうか?
うちの叔父は春日神社の祭祀者関連の家に養子に行ってます。長谷といいます。長谷というのは初瀬ですから、泊瀬さんの疑問とも関連して来る。
そういう関係があって結婚したとかはないのでしょうか。

まあ、こういう話はここでは無理だから今度是非会いましょうね!


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枝に掛けるのは
2005年6月17日 4:00:51 かわかつ WEB
やはり蛇なんじゃないですか?キリスト教では。


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諏訪御柱、生贄
2005年6月17日 5:14:51 管理人
お答えは上で!!


 


滋賀県
2005年6月17日 4:05:25 かわかつ WEB
犬上郡下枝がありますね。
下枝姓は愛知、岐阜、福島に多いですね。当然ごぞんじですね。ーー;


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下のお答え
2005年6月17日 5:20:23 管理人
そうなんです。岐阜にもあるんですが藤原氏系小笠原氏流でうちの福島とは違うようです。そこでうちの家系に戻りますと、戦国時代に福島の田村氏から枝別れしているんですが、分かれた当主が姓を人生二回変えたらしく、長男だけうちの姓を名乗ったので後代かなり少ないんです。田村氏はご存知坂上田村麻呂から出ているとされますから、坂上氏は倭漢氏なので渡来人ということになるんですが、ともかく福島の田村氏が坂上氏から枝分かれした伝承が田村麻呂の隠し子伝承で、かなりいい加減すぎまして実態はわかりません。ただ、祖父の実家も田村麻呂伝承はすぐそばにあり、いろいろその辺論議があるようです。
詳細は福島の実家の探索日記の掲載しましたのでご参照ください。
http://www.asahi-net.or.jp/%7Erg1h-smed/fukusima0406.htm
その氏族が枝分かれする際の状態というのは、非常に虚偽や養子や政治関係が複雑に関連していて面白いところですね。先の藤原と秦との関連かわかつさんに期待しています。
あと私がクリスチャンであるのは、私です。皆堅苦しいくらいまじめな人生送っていますが私だけがどういうわけか遺伝子が悪かったのか、反骨人生を送っているもようです・・・。大学時代に洗礼を受けたわけですが、うまくいえないのですが、血の論理から霊の論理への転換といいますか、たとえていえば日本史での血縁集団の時代から非血縁集団の時代への転換期みたいな気分的な変化がそのころあったようです。旧約から新約へということにもなりますが、日本にどちらが伝来したかの見分けはその辺にありますね。血縁論理か宗教論理かで集団が構成されている仕方が違うのではと推測します。たぶん必然的に前者が追いやられるように感じますが、旧約と新約の祭祀の相違としては、前者が御父にささげる動物の血の生贄を容易する厳格な規律に基づくのに対し、新約の祭祀は生贄をある部分、御子である神が生贄として身代わりになったということで、生贄が神として象徴化しているはずであり酒が加わると思います。でも、両方混じると蛇と棒と生贄の祭りの話が出てきたりして・・・・。やはりヘブライ祭祀と日本の古代祭祀、かなり要素が似通っていますね。


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蛇と祭祀
2005年6月17日 5:17:58 管理人
写真拝見しました。ほんとに鹿の首生贄にささげているんですね。「呪いの血脈」という加門七海さんの諏訪鹿嶋を扱った小説読んだことあるんですが、まさかほんとに今でもそんな生贄祭祀やっているとは思いませんでした。鹿は神の使いとかいわれていますが、神の代理としての意味あいもありそうですね。キリスト教では羊ですが、ユダヤ教時代から新約聖書にも蛇を棒に掲げて祭る話が出てきます。ご指摘どおり、生贄は南方にもみられますね。華南の銅鼓の絵にも蛇を長い棒か板につけて祀っている絵ありますよ。その辺は神輿もあるし、納豆もあるし、紀氏さんの本に出てくるまがまごぐと船の壁画古墳の絵はまさにドンソン文化ですね。日本とは異常に類似点が多いですね。個人的には、あそこの大月氏の流民だったタイ・ビルマの銅鼓職人が中国漢代に銅鏡製作をして、そのまま公孫氏あたりの高句麗方面に流れて、朝鮮を南下して、日本で銅鏡製作を継続した線で、大学時代から追っています。大月氏以前がユダヤ系という可能性も考えてはいますが、蛇を生贄として祭る祭祀、そういう七枝刀みたいな遺物が日本でも出てくるとおもしろいんですが・・。
慰めの祭祀というと、鎮魂祭とか思い出しますが、ううん誰がつかさどるだったか忘れました。秦氏には芸能とからんでいろいろな側面があるのですね。忌むの意味はやはりご本にあるように、中世にかけて出てくる忌みと関係するのでしょうか。宮中忌火あたりは秦氏関連ですね。



蚩尤 Shiyuu
2005年6月17日 2:47:21 いばらの紀氏
とみたさん、おまたせデス蚩尤 Shiyuuを考えました。
「黄帝」は華夏族の祖先で、4〜5000年前の黄河流域の一部族の首領です。阪泉の野で、「神農氏の子孫」と戦いました(『史記』)。五穀(黍・禝(粟)・菽(豆)・麦・稲)の栽培を奨励し、野獣を飼いならせました。・・・・「黄帝」(ギリシャ聖教系?)「神農氏の子孫」(農耕・海洋民族=苗族かも・・禹も海蛇族?です。)
 堯鹿の野で、南方の蚩尤の部族(九黎)・西方の炎帝の部族と衝突(『史記』)しました。蚩尤は大霧(煙幕作戦)でしたが、黄帝は指南車(羅針盤)を使用しました。蚩尤は殺され、その部族は遠方に移りました。それが半坡人で、「南方人」の特徴をもつことから九黎?ともいわれます。炎帝の部族は敗れて黄帝の指導に服しました。・・・・「南方人」=(苗族かも・・禹も南方です。)
中国神話において、「天界の帝王である黄帝」と大戦争した怪物。・・・・・(ギリシャ聖教系?)
「獣身」で銅の頭に鉄の額を持つとか、目が四個、手が六本で人の体に牛(禹氏?)蹄を持つなどといわれた。・・・・(獣の数666ムムム禹禹禹)
「砂や石や鉄を食らう怪物」で、同じ姿をした兄弟が80人(八十・ヤソ・耶蘇教・キリスト系)いたといわれている。・・・・(溶鉱炉?・ユダヤの頭脳?)
戦争では兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方に付け、「風、雨、煙、霧、」などを起こして黄帝軍を苦しめた。・・・・(ユダヤの頭脳?)
戦で必要となる優れた「武器を発明」したのもこの怪物だといわれている。・・・・(ユダヤの頭脳?)
メソポタミア神話:シュメール語で龍のことを「ウシ」ュ「ム」「ガ」「ル」と言う。・・・(牛=禹氏ム=禹「ガ」=我(吾)=「ル」=禹)
王を現わす「ルガル」のルは「人」、ガルは同じく「偉大な」である。・・・・(ル=人・偉大=禹)
王とは別の存在の唯一の「偉大な龍」が独裁統治していたことを表わしているようだ・・・・・(龍=禹)
エジプト神話:大気の神「シュウ」(Shu:揚げる)を生み出し,嘔吐することによって露・湿気・「雨の女神」テフヌウト(Tefnut)を生み出しました.・・・・「揚」:長江の南・・・・(苗族かも・・禹も南方です。雨の女神・・・禹も水神で蔭です。)大気の神「シュウ」=蚩尤 Shiyuu?
続く


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つづき
2005年6月17日 2:48:15 いばらの紀氏
以上の事柄からの妄想です。・・禹も南方苗族です。ル=人・偉大=禹(龍=禹)海蛇族(獣)豊穣神=蔭です
「九黎?」=(シオン・キリスト系?) 炎帝の部族(ギリシャ聖教系?)は敗れて黄帝の「指導に服しました。」禹と禹の父「鯀」も囚われの身(巳)だった。
カバラのは陰陽・古代中国思想と数学的理論などで考えられたとの妄想を抱きました。
陰陽・正否・善悪・+-・雌雄・明暗・貧富・始終・指従・日月・火水・・・・・立体曼荼羅?
異質なものがお互い存在しあうことでのバランス感覚・・・・古代文明での結論だったのでしょうか?。
時代・年代の設定に戸惑いますが、「禹が十字架の子」のモデルの妄想デス。「そして、獣・悪魔!」のモデル「デーモん」と「エンゼル」は双子(座)の天使?。
                   紀氏でした。


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吉田敦史までいくのかな?
2005年6月17日 3:58:48 かわかつ WEB
やあ、こんばんは。いよいよ深みに入っていく紀氏さんワールド。岩に刻まれたペテログラフにまで行き着くのでしょうか。興味ワクワク。


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このあいだ
2005年6月17日 4:15:32 かわかつ WEB
靖国に押し寄せた台湾先住民の顔つき見ましたか?
まったく南方系でしたよ。苗族と関係ないですねえ?苗ぞくはTVで見るにモンゴロイドと南方系の混血と見ました。いかが?


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シオン系、ギリシア系
2005年6月17日 5:36:18 管理人
紀氏さんのお話、いつもお返事書き終えてから読むとなぜか理解できること多いんですね。
初代のキリスト教では、ペテロ(ペテログラフって??)とパウロの宗派分裂がありまして。それぞれユダヤ(ユダヤ教的側面を多くもっていたそうな)、ギリシア方面(後代のローマ帝国へ受け継がれていく)に分かれて活動していったもようです。その辺がどう東方に伝来したか、紀氏さんのご指摘あたりにヒントあるかもしれませんね。
ミャオ族はかわかつさんご指摘どおり、北方遊牧民ビルマ系と南方タイ系の愛の子らしいです。



下から続く
2005年6月17日 0:22:13 かわかつ WEB
宮大工に関しては、やはりいちど京都府八幡市男山にいかれるのがよろしいかと。ここは宮大工も多く住んでいた。石清水八幡宮の歴史も含めて一度よく検証してみて下さいませ。伏見稲荷とも関連が出てくるでしょうし。私の直感です。

1と3ですが・・・
この数字は人間の数の概念として、おそらく最も古いものです。0が一番遅いですね。だから世界共通の神の概念を表す数字となっていったんだとしか思えません。
例えば取りの中でも比較的頭がいいというカラスは、外敵が3個体になると警告音を発するそうです。これはそれ以上なら常にそうらしい。カラスにとっては3以上が警戒するべき数・・・つまり「たくさん」の概念を持っているのだそうです。
同様に、旧石器時代あるいは縄文の時代などのにんげんも、3以上は「たくさん」だったらしいですね。これがヒントになるかどうかは知りませんが・・・

1,3,5,7が聖数になって行くのは中国の道鏡成立前後でしょうが、それ以前に東西交流の中で西欧の観念もはいっていたと容認するなら、世界共通で1,2,3の中から3を特に選ぶ理由も、いわゆる淘汰?していったと言うことかも知れません。
ただし、なんといっても中国ではオリオンより北極星が太一、最高神なのですから、特に3を至高としたとも思えません。
また2はペアで、夫婦、雌雄一体、そして組み合わせの最初、という数字で、八卦などはここから始まりますよね。コンピューターに使われる2進法は八卦の陰陽と同じ構造です。その始まりはやはり太一。宇宙の根源はひとつだとっていますね。
するとここには3の概念は現れないわけです。3は特別な数ですよ。やはり。
世界で初めて3を哲学したのは孔子ではないでしょうか。数学でなく哲学ですよ。孔子が説いたのは中庸の美徳です。右と左しかない世の中に争い事や戦争の原因を収束させるのは中庸の美徳しかないと、孔子は考えたんじゃありませんか?
簡単に言うと「和を以て尊しと為す」ですよ。
奇し魂、荒魂を押さえるのはやはり和魂しかないと言ってる。そうじゃないでしょうか?

世界は繋がっています。古代は今より自由に・・・


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私の勘
2005年6月17日 0:45:44 かわかつ WEB
けっこういいところをついてきてるように思います。
気持ち悪がらないで下さいね。あくまで経験から割り出してるだけですので。

私の姓は今、下に書いたものですが、これは先祖が引き継いだものですので、実際には血の繋がりはない、ということは「親将」にはっきり述べています。だから私はこの姓の呪縛から解き放たれてるんです。本来は「佐々木」が旧姓の一族です。佐々木を調べようと思ったらまず、滋賀県なんです。「佐々木一族の発祥地らしい。で、その前は「陵」だと思います。古墳築造関連だと思うのです。これは勘です。
だから渡来の可能性は非常に高いです。

管理人さんとのえにしを感じるのはこの辺にありそうです。

「枝」がつく名前で私が知っているのは「三枝」さえぐさです。
まだ調べてませんがこの3つの枝がセフィロトとか生命の樹だとか考えるのはキリスト者なら極めて普通の発想だと思います。おかしくないです。
これも洋の東西で偶然生まれたとはいいにくい。
西から誰かがこの観念を持ち込んだのかも知れません。

ただ、キリスト教起源を考えるなら、その成立期が重要ですね。ユダヤ起源ならもと遡れる。このあたりが難しい。
あまりキリスト教やユダヤ教に詳しくない私にはなにもはっきりしたことは言えません。

だからダイレクトルートの解明が大事。

八幡市は、というより奈良の裏側の山城地域は非常に重要なんです。ここにはいろんな先住氏族がいたから。
出雲、隼人、秦、大筒木、木津・・・何度も言いますけれどね、ここが発祥の地ですよ。関西のすべての渡来、すべての先住民の。
是非、伏見から南へ行ってご覧なさい。そして裏側をよく見て下さい。
管理人さんが見つけ出したいルーツへの答えがありますよ。
そしてここが京都の南の鬼門だった理由もわかるはず。住んでいた者として申し上げます。なんなら一緒にいってもいい・・・ではサッカー見ましょう!


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枝に懸ける観念
2005年6月17日 2:01:17 管理人
どうもかわかつさんこんばんは。ぜひ京都また近いうち行事にあわせて行ってみたいところですね。京都はやはりみるものたくさんありますし、集まりにはいいですね。うちからならバイクで5,6時間とみています。山城はもうすこし回ってみたいですね。
三位一体、神学理論の起源を調べねばなりませんが、聖書にも三年半とか3日間半の間、とかありますね。
枝の観念、聖書でも、若枝はキリストのこととか、旧約だとやはり七枝の燭台とかありますが、以下のHPにその辺詳細載っていました。http://iwaoiwao.fc2web.com/picturebiblecode.htm
日本の場合、枝というと百済から送られた七枝刀他、古事記あたりだと、上枝に勾玉、中枝に鏡、下枝に剣とか、歌にも読まれていますね。祭祀の枝になにかを懸けるという観念は、日本だけでなく、先のHPのユダヤ関連の祭祀にも、七枝の燭台の枝の部分に小羊を吊るすこと、そのいけにえの意味がキリストの十字架の観念を象徴している意味が説かれていますね。木の叉に、子を挟むという話も古事記で有名ですが、その佐々木でないですが、木や枝に何かを懸ける部分に、一歩進んで生贄を懸けるという意味が見つかってくると、案外東西の共通点が出てくるかもしれません。情報よろしくお願いします。



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五重塔・永平寺
2005年6月17日 3:01:24 管理人
宮大工といえば、今たまたま親父からもらったので読んでる立松和平さんの「法隆寺の智慧・永平寺の心」があります。法隆寺の五重塔建築の中に見える美の感じ、その美の背後にある自然を支配する秩序・・・、その奇想天外の木組、秘匿のみえない力、それへの一瞬のひらめき・・その上宮王家を祀った蘇我氏と神道との話・・・永平寺での修行・・。いろいろ書かれているんですが、宮大工の血を引く父方の祖父が、バイクのエンジンを説明書なしで、すべて分解して洗って組みなおしたという、その辺の話を思い出します。そして、先日のダビンチコードの黄金比と建築物への直感・・、宮(仏寺??)大工という人の考え方というのは、一度聞いてみたいところですね。京都八幡、ぜひいつか案内してください。


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生け贄
2005年6月17日 3:55:47 かわかつ WEB
了解しました。いつでも声をかけてください。

生け贄ですが、この風習が残っているのは日本では諏訪大社上社だけでしょう。今では形骸化したとはいえ、剥製ながら鹿の首を神に捧げています。私のHP、掲示板に写真有り。
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs

こういう風習が西欧に対応する、影響下にあるというのもひとつの考え方ではありますが、台湾の高砂族や、ボルネオの首狩族にもカニバリズムがかつてあったことは余り言われませんよね。また中国でも羊を捧げる儀式を天子だけが行えた。というのもあります。
諏訪の生け贄が、いったいどの祭祀者・・・物部か秦か縄文からの現地人かということは解明されねばなりません。万一、物部氏がやっていたとすれば、彼等が守屋の死以後諏訪に押し込まれたことになります。秦氏なら朝廷の指示でやってきてそういうことをした。地元民なら彼等は朝廷の指示にまだ従わなかった。・・・いろいろあります。
ただ、物部がそういうことなら彼等は諏訪に祭られた当事者となって勝手な祭祀はできまい。また地元民もそう。こういう反朝廷祭祀が行えるのはもともとそうすることで、神の御霊を慰める、霊を押し込めるというかむやらいですから、秦氏の仕事になるかも知れない。
逆に地元は高いプライドを持って、祭祀だけは自分たちのやり方を押し通した、とも言えば言えないことはない。
関連は多岐にわたりますね。

管理人さんの父方も母方もかなりの技術者なんですね。う〜ん・・・
氏姓がわからないのは良いとして、出身氏族がどこからなのかを判別するにはメールででも詳細を知りたいですねえ。で、どちらもキリスト教とは関係は?
そもそもあなただけがキリスト教徒なんですか?それとも改宗したりした事実があるのでしょうか。下枝に剣はありそうですね。
剣をトーテムとするのは物部氏・・・武力を持った者。もののふ。
元は武家じゃない?でなければ物部の中の建設技術者。
二つの家はなにかの縁があったのかな?お父様はなにか知ってないのか?
ただの偶然でしょうか?
うちの叔父は春日神社の祭祀者関連の家に養子に行ってます。長谷といいます。長谷というのは初瀬ですから、泊瀬さんの疑問とも関連して来る。
そういう関係があって結婚したとかはないのでしょうか。

まあ、こういう話はここでは無理だから今度是非会いましょうね!


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枝に掛けるのは
2005年6月17日 4:00:51 かわかつ WEB
やはり蛇なんじゃないですか?キリスト教では。


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諏訪御柱、生贄
2005年6月17日 5:14:51 管理人
お答えは上で!!



靖国にもの申す
2005年6月16日 3:06:21 かわかつ WEB
小泉さん、首相官邸に靖国を分詞して、毎日お参りするというのはいかがかな?
もともと政教分離が建前の議会制民衆主義。お参りは公務じゃないでしょう?もし公務なら、中国のいってることは公務執行妨害になりますわなあ。逮捕しちゃいなさい。^^

首相が羽織袴で参詣すりゃあ、そりゃ公務の時間帯など関係なしに公務になっちゃいますよ。だけど靖国には祭られていない戦没者だっていることはお忘れなく。病死、国内死その他もろもろ、浮かばれませんぞ彼等は。
もともと矛盾だらけの神社参拝。

歴史も同じ、矛盾だらけ。


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政教分離
2005年6月17日 3:46:44 管理人
なるほど、靖国参拝、カトリックでもいつも批判がでているところですね。
さてはて、政教分離、どういうわけか政治と宗教は分離できない歴史がありますね。割と宗教色が少ない憲法を作った聖徳太子もかなり宗教的な視点がある矛盾はおもしろいですが、崇仏論争以降も、律令導入時にも神祇官が歴然と別枠で入り込みましたし、道教事件、八幡信仰から、神道形成、明治に入って議会制民主主義とともに出てくる皇国史観・・・、戦後は公明・右翼・・靖国問題。今でもアメリカの大統領などへも政治にキリスト教の影響大ですし・・・。古代韓国では、王と神官が住む場所を分離していたそうですが、古墳時代あたりまでは日本もそうだったとか。都が造られて政治家と宗教家が一緒に住むようになって、案外政治によりいっそう宗教が関わるようになったという説もあったようです。
何かを信仰している集団の勢力の力が政治の場の目の前にあるということ自体が、少なからず数の論理の世界では、その駆け引きに影響力を多大に及ぼしているのでしょうね。数の論理、つまり議会制民主主義を取り入れた時点で、宗教信者を取り込むことは避けられないわけでして矛盾していますね。どこかみたいに完全に全民衆から宗教を取り去らない限り、政教分離は無理ということになるでしょうか。政教分離へ費やす労力かなり心理学面でも無駄が多いかもしれません。ということで、かわかつさんの首相官邸に靖国摂社を建てるという説は実に逆説的におもしろいたとえです。首都移転したら、靖国問題がどうなるかも気になりますが、そういう面ではやはり古代の伊勢と京都の関係はまた特殊ですね。矛盾だらけというかわかつさんのご指摘ほんと鋭いです!



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私の勘
2005年6月17日 0:45:44 かわかつ WEB
けっこういいところをついてきてるように思います。
気持ち悪がらないで下さいね。あくまで経験から割り出してるだけですので。

私の姓は今、下に書いたものですが、これは先祖が引き継いだものですので、実際には血の繋がりはない、ということは「親将」にはっきり述べています。だから私はこの姓の呪縛から解き放たれてるんです。本来は「佐々木」が旧姓の一族です。佐々木を調べようと思ったらまず、滋賀県なんです。「佐々木一族の発祥地らしい。で、その前は「陵」だと思います。古墳築造関連だと思うのです。これは勘です。
だから渡来の可能性は非常に高いです。

管理人さんとのえにしを感じるのはこの辺にありそうです。

「枝」がつく名前で私が知っているのは「三枝」さえぐさです。
まだ調べてませんがこの3つの枝がセフィロトとか生命の樹だとか考えるのはキリスト者なら極めて普通の発想だと思います。おかしくないです。
これも洋の東西で偶然生まれたとはいいにくい。
西から誰かがこの観念を持ち込んだのかも知れません。

ただ、キリスト教起源を考えるなら、その成立期が重要ですね。ユダヤ起源ならもと遡れる。このあたりが難しい。
あまりキリスト教やユダヤ教に詳しくない私にはなにもはっきりしたことは言えません。

だからダイレクトルートの解明が大事。

八幡市は、というより奈良の裏側の山城地域は非常に重要なんです。ここにはいろんな先住氏族がいたから。
出雲、隼人、秦、大筒木、木津・・・何度も言いますけれどね、ここが発祥の地ですよ。関西のすべての渡来、すべての先住民の。
是非、伏見から南へ行ってご覧なさい。そして裏側をよく見て下さい。
管理人さんが見つけ出したいルーツへの答えがありますよ。
そしてここが京都の南の鬼門だった理由もわかるはず。住んでいた者として申し上げます。なんなら一緒にいってもいい・・・ではサッカー見ましょう!


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枝に懸ける観念
2005年6月17日 2:01:17 管理人
どうもかわかつさんこんばんは。ぜひ京都また近いうち行事にあわせて行ってみたいところですね。京都はやはりみるものたくさんありますし、集まりにはいいですね。うちからならバイクで5,6時間とみています。山城はもうすこし回ってみたいですね。
三位一体、神学理論の起源を調べねばなりませんが、聖書にも三年半とか3日間半の間、とかありますね。
枝の観念、聖書でも、若枝はキリストのこととか、旧約だとやはり七枝の燭台とかありますが、以下のHPにその辺詳細載っていました。http://iwaoiwao.fc2web.com/picturebiblecode.htm
日本の場合、枝というと百済から送られた七枝刀他、古事記あたりだと、上枝に勾玉、中枝に鏡、下枝に剣とか、歌にも読まれていますね。祭祀の枝になにかを懸けるという観念は、日本だけでなく、先のHPのユダヤ関連の祭祀にも、七枝の燭台の枝の部分に小羊を吊るすこと、そのいけにえの意味がキリストの十字架の観念を象徴している意味が説かれていますね。木の叉に、子を挟むという話も古事記で有名ですが、その佐々木でないですが、木や枝に何かを懸ける部分に、一歩進んで生贄を懸けるという意味が見つかってくると、案外東西の共通点が出てくるかもしれません。情報よろしくお願いします。



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五重塔・永平寺
2005年6月17日 3:01:24 管理人
宮大工といえば、今たまたま親父からもらったので読んでる立松和平さんの「法隆寺の智慧・永平寺の心」があります。法隆寺の五重塔建築の中に見える美の感じ、その美の背後にある自然を支配する秩序・・・、その奇想天外の木組、秘匿のみえない力、それへの一瞬のひらめき・・その上宮王家を祀った蘇我氏と神道との話・・・永平寺での修行・・。いろいろ書かれているんですが、宮大工の血を引く父方の祖父が、バイクのエンジンを説明書なしで、すべて分解して洗って組みなおしたという、その辺の話を思い出します。そして、先日のダビンチコードの黄金比と建築物への直感・・、宮(仏寺??)大工という人の考え方というのは、一度聞いてみたいところですね。京都八幡、ぜひいつか案内してください。



靖国にもの申す
2005年6月16日 3:06:21 かわかつ WEB
小泉さん、首相官邸に靖国を分詞して、毎日お参りするというのはいかがかな?
もともと政教分離が建前の議会制民衆主義。お参りは公務じゃないでしょう?もし公務なら、中国のいってることは公務執行妨害になりますわなあ。逮捕しちゃいなさい。^^

首相が羽織袴で参詣すりゃあ、そりゃ公務の時間帯など関係なしに公務になっちゃいますよ。だけど靖国には祭られていない戦没者だっていることはお忘れなく。病死、国内死その他もろもろ、浮かばれませんぞ彼等は。
もともと矛盾だらけの神社参拝。

歴史も同じ、矛盾だらけ。



白山と泰澄と隠し事
2005年6月16日 2:40:00 かわかつ WEB
白山神宮のある岐阜県郡上では様々の職人が今もお仕事をされています。これらの店先を訪ねて行きますと、それぞれの家に屋号、家紋があります。それが元々の紋が実はあって、実際に店先に出しているのれんや看板に書いている物と違うのです。隠し家紋があるわけですね。
それがたいがい三つのマルに一本線。
これはなにかといいますと、渡辺家の家紋なのです。
渡辺家?
これが何かというと嵯峨天皇から出た源氏の紋で「渡辺星」というのです。ちなみにその出身地は大阪市東成だそうです。かつて三角州だったところで、渡辺さんたちはここで開拓の仕事に従事していた。いわば川の民なのです。
三つ星はオリオンの三つ星を示しているそうです。
一本線はおそらく戦国時代前後に付加されたのでしょう。いくさに打ち勝つ意志を表すそうです。
さて、荒ぶる星、「参」がなぜ渡辺さんの家紋なのか・・・?
ちなみに全国の渡辺さんの実に90lが∴にーなのだそうですよ。


白山神宮の神は三柱で、社も三つ。ところがこの神様の名前を誰も知らないのです。不思議でしょう?
で、舎人さんに無理を言って祭祀者である神官さんに聞くことにしました。その前に予備知識を持っていた私はおそらく白山菊理姫だろうとかんがえていましたところ、案の定そうでした。
白山神宮は修験者が祭っていた菊理姫神社にあとから建立された。現在は仏教色が強く、地元の人もお寺のように思っているのです。だから神様が祭られていることを忘れちゃってる。
神官さんは立派な方で、ちゃんと以前は修験道の神だってことがわかってらっしゃる。

試しにWEBで「秦泰澄」を検索してみて下さい。わずか数件しかサイトがありません。修験道の開祖である彼のことを書く人は数人しかいないのです。さて、不思議ですね。

しかも白山は修験道の白山信仰のメッカだし、秦泰澄はここに定住したのにです。いったいどうしてこうなったと思いますか?皆様、お考え下さい。なにか都合の悪い事でもあるのでしょうか?


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これは
2005年6月16日 2:42:41 かわかつ WEB
小子部のすがるの話にもリンクして行きます。


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もしかして
2005年6月16日 3:08:42 かわかつ WEB
管理人さん、北海道も渡辺さんがたくさん入植したんじゃありませんか?
ブラジルとかもねえ。


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家紋
2005年6月16日 3:51:29 管理人
かわかつさんこんばんは。そうですね、渡辺さん、北海道では親戚もいますし、結構多かったです。家紋の一の字、うちの母方の姓もある時期に一の字を加えたそうな・・・。
その辺以下の日本の苗字分布のHP、かなりおもしろいです。
渡辺姓、やはり北海道多いようです。富田姓、三重あたいに集中してますし、母方の姓は岩手からほとんど動いてないですね。
日本苗字分布図鑑
http://www5a.biglobe.ne.jp/~myouji/zukan/kensaku.htm
というと、結局白山信仰と修験道、北斗などの星関連の信仰が全国展開しているということになっていくのでしょうね。裏道開拓していった彼らっていったい!!


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苗字分布の快?怪?
2005年6月16日 7:07:49 とみた MAIL
世間にはいろいろ研究されている方が居りますね。
面白いですね苗字と分布。アメリカは多民族だから食いはぐれたのが移民してくる。クリントンなんてアイルランド移民。アルメニア、ユダヤ・・・日本も細かく分析すれば移動が起こっているんだ。皆さん良くご存知だこと。
かわかつさんはどういう方法論で追跡調査されるのですか。方法論に興味が湧く。

管理人さんもルーツ探しで東奔西走、その蓄積ですね。

とみたは伊勢と関係がありそう、兄が興味を持っているのでこの情報喜びそうです。私は東海の とみたxとよた なんです。それが都市化現象の向都離村で関東ものになっちゃたわけ。

松本清張の砂の器みたいに犯人探しのミステリーにつながりそうです。

中国の民族は昔、中原から南へ追いやられてましたね。西晋→東晋。宋→南宋など。今日では学卒でないと、省間移動は許されないそうです(中国のバスガイドが云っていました)。

ところで質問あり。
たとえば田というのがあるとしましょう。
南田、北田、東田、西田、、、というように東西南北を付ける苗字が多いのはなぜでしょうか。


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そうですねえ・・・
2005年6月16日 9:19:31 かわかつ WEB
旅をするならテーマが必要じゃないでしょうか?
私は「秦氏の行方」で回ります。
まず、地元のお店屋さん、旅館の仲居さんなどに愛想良く入り込んでいきます。どこでもそうですが、職人さんや仲居さん、あるいはタクシーの運転手、郵便局の局長さん、駅長、などは歴史や民間信仰にけっこう詳しい人が多い物です。それに聞けば喜ぶ。みんな自分のルーツには興味ある。だから難しい話はしません。ちょっと見かけた看板のマークなどを見たらすぐ店に入って聞くようにしています。それは嬉しそうに話してくれます。どんなに忙しくてもこっちを優先してくれるんですよ!
あまり予備知識を多く持っていかないです。こっちが詳しいと相手も構えちゃいますね。都合の悪いことは言わなくなります。
なんにも知らん顔で行くと、ついついこぼれ話が聞けます。

役場やサラリーマンはこれはもうなんにも知りません。聞くだけ無駄。
お百姓さんは田植え時期はダメ。それに口が硬い。
神官さんは人に寄ります。もともとインテリですから、うまくすればいろんな真実が聞けますが、今は他所から派遣されてますから、「知りません」の一点張りが多い。例えば福岡の高良大社などで、「筑紫君磐井は」なんて聞いた日には口をぴったり閉ざしてしまいますよ。「建内宿禰は渡来系のかみさまですよね?」なんて絶対いわない方がいい。

要するににこやかなあつかましさが必要です。だから私は現代の薬売りでしょうね。


東西南北っていうと明治以降でしょうか?「田」のつく名前はそれまで名字のなかった農家が多くつけたのじゃないかしら?ちなみにうちも「田」ですけど・・・うちは寒い田んぼで、「寒い」は冷水の涌く、沢、水源、田水のそばなどの意味があります。ただしうちは地名です。豊後一の宮のある場所です。
管理人さんの名字は多いのですか?「枝」をつけるのは祭祀関係者でしょうね、昔は。違うかな。


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いろんな職業
2005年6月16日 9:45:22 かわかつ WEB
若い頃、いろんなところへ行きました。出張、転職、転宅・・・役に立ってますねえ。特に京都がながかったのはよかったと思います。やはり西にいると古代の歴史がすぐそばにあって自然そうなりますね。
ただ、今の京都の道筋は、上古のころとは違う。その前とも違う。なんども変わってるんですね。川勝までの京都は碁盤目の道などない。平安以降です。それが応仁の乱でまるっぽ焼けちゃう。だから古い古いって言うけど今の京都は実は新しい町なんです。
ホントに古い物は市街地の外にあるんですね。周囲に住むのが一番いい。南の方は、七条以南は焼けてません。もともと七条から南なんて京都じゃなかったのです。東寺(教王護国寺)が九条にあるのはここが京の南の鬼門だから。つまりあれは朱雀なんです。もちろん古代には綴喜郡の巨椋池が大きな意味の朱雀でした。だからここには石清水八幡宮がある。
京都は何重もの結界で護られてるわけですね。
京都を歩くなら、古代史が好きなら七条通りの南。北は北山通りより北。
真ん中は観光客と新撰組のファンがゆく。
面白いのはやっぱり綴喜、乙訓、木津、京田辺から奈良方面をお勧めしますね。隼人、物部、大筒木真若王などの遺跡がまんま残ってますから。


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三一妙神
2005年6月16日 10:03:50 管理人
とみたさん、かわかつさんのお話聞いてて考えさせられました。白山の三つの神様の名前がよく知られていない点、三に一を加えた家門から、キリスト教の神学理論で三位一体説と類似性を感じます。この三つの神様、つまり父と子と聖霊が別々でありながら、実は一つの神様であるいう初代教父からの神学理論があるのですが、実は未だになんで三体の神様が一つになるのか、永遠と2000年間理論されてきている話題なんです。結局、答えが出ていないので、ともかく三体で一つなのだということだけ一般信徒にも神父にも教えられています。これは古代も同じで、なんで住吉三神が一つで動くのか?釈迦三尊が三つなのかと似たようなもので、おおよそよくわからずに伝達されてきたのと似ています。たぶん白山の三体の神様も、実は当初からあまりよく理解されていなかったのでは・・・ともかく三体で一つということだけが強調されてしまったのではとか感じます。景教経典でも「三一妙神」という語はよく出てきますが、なぜ三一なのかその理由はどこにも載っていないんですね。なんとなく、神主も信徒も知っているふりして、実はなにも知らない??というあたりが、キリスト教の伝来を捕らえる上で案外重要かもしれません。なんだかよくわからないけど、神は見えないから偶像崇拝は禁止だったとか・・・。案外苗字と同じく明治以前までは、一度地方に行ってしまった下層の民衆は地元から動かなかったようですが、脈々と同じ言い伝えを意味もしらずに守ってきたという不思議さありますね。枝のミヨジもなにかありそうで、ご指摘どおり曽祖父は宮大工だったとか・・・。



バベル文字
2005年6月15日 14:09:15 いばらの紀氏
バベル文字
http://d.hatena.ne.jp/Gimite/
(現在は上の状態です、知的所有権が時代を遅れさせることにトホホ)
 毎日、漢和中辞典や古代文字字典を見ていますと、言葉が先か?
文字が先か?の疑問が生じます。
当然「音」が先でしょう が まてよ、以前にバベル文字なるアルファベットの
祖先の様な文字を分析(おこがましいぃー)しましたら、英語だけですが、
文字の形でイメージされる意味の英語のアルファベットが表意文字なのです。
「そんなバカなとお思いに成りましょうが、私も世間様の常識とやらの
裏街道を歩く者です、しかたは御座いませんがお聞きください。
いやぁーその前にしたのHPを御覧下さい。
バベル文字から感じ(漢字)
いかがで御座いましょうか?・・・・・後は辞書(外国語)の頭文字と合わせて
文字のイメージと照合下さい。
この分析 語学力の乏しい私には限界を感じ2週間に一度お見えになります、
「ヤウェーの証人」なる方々に委託しました。
しかし、まずいかなヤウェーを分析するとオドオドロシイ意味に(憎悪を感じました。)
当然で御座いましょう、バベル文字はバベルの塔の建設に係わった文字です。
ヤウェーに塔の建設を途中で破壊されたのですから、いやそれ以前からかも!
バベル崩壊までは人々は同じ言葉で会話されていたすうです。以後
部族(種族?)ごと言葉は違ったと聞きます。本当で御座いましょうか?
漢字で御座いますが、同音から索引しますと「禹」関連で係わりの有る文字が
沢山御座います、当然で御座いましょう「禹」がモデルで いや
禹と父「口」の霊それに「星」(太一神)いや星座(神話)  天・地・人 神・口・禹
「三位一体」は主と神と精霊だったでしようか?
古代文字には神は(龍・雷・雲?魚など)天使は羽の形で
禹はム・刀・己・弓・九(龍)・人
禹の父鯀コンは(くち)の形で例:「言」は口から逆さまの人間をはきだす形の様
漢字の部首にはそれぞれの謂われが有ります。困るのはキリスト系の文字です
秦の始皇帝時代に整理された時に隠蔽や作意が有った?との妄想です。
始皇帝とキリストそれにアレキサンダー同じ時代を生きたカバラ?。

          長々の御読ありがとう御座いましたの紀氏でした。


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え?あなた
2005年6月15日 14:31:19 かわかつ WEB
エホバだったの?でもってどこへ行こうって言うの?
長々の御読って・・・


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御 黄泉でした・・・
2005年6月15日 15:32:24 いばらの紀氏
とととと豚でもない。
以前に言ったでしょう誤解の無い様に小心者ですからぁ
 
 ア!忘れてました。
古代に言葉や文字の統一を図った文明が存在した。が結論です。
ついでですが
8:5:3は、8−母=主  5は吾=禹 3はミ?サン=太陽ラー

    かわかつさんマイドご指摘感謝監視やです。


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いやここはつっこんでおかないと
2005年6月15日 17:35:59 かわかつ WEB
ほかの人が誤解するでしょう?


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裏道
2005年6月16日 2:13:14 管理人
音がさきか文字が先か。紀氏さんの理論かなり面白いですね。音だけの言葉の世界では、もしかするとほとんど変化が生まれなかったとかいうことになるでしょうか。方言みたいな感じでの変化だけだったとするとおもしろいですね。確かに方言ではいろいろ語尾に癖がでますが、主語と動詞と助詞が逆転するとこまではいたりませんね。文字ができて、象徴文字ができて・・・漢字ができて・・、その中で言葉の発生に変化ができたとすると面白いですね。紀氏さんの漢字のこころ、普通には売れなさそう(失礼!)ですから、その辺の焦点当てられてはとか感じました。
われわれ裏道を歩く、つまりけものみちを開拓していく人々と、学者さんのように巨大道路を毎日数メートル積み重ねていく人と、2種類あるようですね。けものみちのほうがはるかに早く開拓できるし、目的地に到達できますが、あんまり長く道が残らず、次の人はどこをとおっていいのかわからない、そういう宿命がありますね。逆に幹線道路つくるには、あまりに時間と労力がかかりすぎますが、一度できれば数十年はみんな通れるということもあります。でも、最近は不況の経費削減でなかなか幹線道路も作らなくなってきました。
そういう意味はは不況でもけものみちを作る人は多くいますから、その辺うまく生かすのが、最近のNPOなどの先進国の理論ですが、そろそろ学問もそういう時代になっていくのではと感じますね。



偉そうに書いてますが・・
2005年6月15日 13:43:25 かわかつ WEB
私もしろうとのようなもんです・・・
梅原さんのような着想はあの当時、オピニオンとして必要だったと言うことだと思います。それほど学会は皇国史観が体制を占めてたという事でしょう。だからそれなりに旧態然の世界を突き破るには激しい極端さが要求された。古田さんだって同じ事です。決して好き嫌いで申すのではなく、古田さんにせよ安本美典さんにせよ、違うジャンルからの史学参入はマスコミが大喜びしたのだろうと思います。
それは江上波男さんも一緒。
森さんや賀川光夫さんは考古学者なので、ちょっと立場が変わりますが、大分県中津市出身の福永光司さん、中尾七平さん、など冷静な立場で書かれている方は信頼できます。あと、やたら邪馬台国を持ってきたがる近畿至上主義の方は無視しています。

宇佐で名高い中野幡能さん、ちょっと一線を置いています。尊敬しますが邪馬台国とつなげていくのはちょっと強引すぎる。あれだけ調査し慎重に素晴らしい論を展開しているのに、最後の邪馬台国でがっくりさせられます。きっといいおじいちゃんだったんだろうなあと思います。
あ、失礼、とみたさんのこと私とても若く感じていますので。

豊後と豊前はもう、まったく違う世界です。今でも。
大友氏の影響もあります。彼等の奪った「上記」は、豊前の被差別民の書いた内容を改ざんしてしまい、豊前の人は今でも大友宗麟にはそっぽを向きます。
今、中世のそのへんのところを小説に書いてるところなので、お楽しみに。どこかに応募するつもりです。
豊前というのは、瀬戸内海の周防灘沿岸地方を示します。豊後の太平洋沿岸は海部の本拠です。また豊後内陸部は筑紫君の影響を大きく受けています。この海部と筑紫は河川、海流を通じて緊密に協力しています。遺跡が示しています。私のHP「映像の古代祭祀」に解説有り。
対する豊前は九州の中でも秦氏が本拠とした特殊地域でありまして、古代にはその90パーセント以上が秦氏だったという戸籍が残されています。
秦氏本系帳でもこれは想像できます。
気性があらく、「青春の門」にも書かれた「筑豊炭田」があったところ。
渡来系の、それも簒奪された人々が集まったところ。無法松の生まれたところ言えばおわかりいただけるでしょう。私は豊前出身者をかなり部下にもっていましたが、そりゃあもう、ヤンキーみたいな奴ばかりでした。
根はいいんですがね。


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PS
2005年6月15日 13:52:00 かわかつ WEB
白川先生にはほとほと頭が下がります。詳細で皇室行事にもお詳しい。別格です。


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あ、そうそう
2005年6月15日 13:56:18 かわかつ WEB
気性の荒い連中の住んでる場所ってのは、だいたい、渡来人の町です。
豊前、大阪八尾、京都八幡・・・


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白川静大先生に物申す。
2005年6月15日 17:26:31 いばらの紀氏

 御尊敬申し上げる白川大先生、御著書「常用字解」御参考にさせて頂きました。
表紙の甲骨文字「口」ですが、大先生が「祝詞を入れる器の形の「∪」+「-」
が「口」の意としてますが、「器」の形と祠いや失礼「詞」でした「言」は、
禹の父鯀コンは(くち)の形で例:「言」は口から逆さまの人間をはきだす形の様です、
禹の父鯀コンが黄河の治水に失敗し生贄に酒;川のわき(沸き)で酒(神への供えもの)
甕カメ(この文字には「(進ーシンニョウ)鳥・酉・禽(トリ)が入っています。
(鳥はヤタガラスの隠語:測量士です。)
「酉」の字形は口に鳥居で蓋をした形です。(鳥居は結界を表します。)
これまで記した文中に禽・蓋・参の文字が有りました、「ム」の文字が見えます。
これが、「私」禹なのです。(禾:神が宿る木)
禹は「ノ」神が宿る「ム」と父の「口」と「冂」ケウ・キョウ(囚われの身)が表現されてます。
「チュウ・だれ」:「己+口が(弗のような縦の三箇所にある形)」
(これは、黄河=己型で口が3つのポイントに即ち三角測量での「台」なのです。)
「台」は口の塚を表し「ム」(禹)が上で測量の支持をしている形です。
因(チナミ・いんねん)みに「召集」:塚の上で禹が招く形で「集」は禽トリが木に「留」まる
「留」(トマ)まるには「田」=(地図・地)の上に「ム」(禹)の姿が。
漢和中辞典(角川)の「われ」で索引された文字は「禹」が関連しています。
「ヒ」でも禹は表されています。旨・化・北も・・(「占」いや呪い関係は父「口」と禹の足)
説明するには、文字の数かかりますので・・・・これにてお許しのほどを賜ります。
   
  「漢字のこころ」の出筆が捗らない事情がここに有ります。
この場を与えて頂きました管理人さん並びにかわかつ様に御礼申しあげます。


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訂正の常習者
2005年6月15日 17:44:22 いばらの紀氏
出筆を執筆に
ご免ください。



中国と韓国が
2005年6月15日 10:02:06 かわかつ WEB
扶余のことでもめてるみたいですね。
台湾からは高砂族が靖国干渉にくるし、東アジアはまだまだ未開地ですねえ。日本にとりまとめの力もなく、また誰も意見は聞こうとしない。金はほしがるのにね。先はながいですなあ・・・ではでは


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よくわかりませんが
2005年6月15日 19:46:38 いばらの紀氏
 中国の禹王朝は韓国・朝鮮と同じ時代も有りましたが、
キリスト教の内部分裂と同様に、現世利やく?と理想論とでもめているのです、神を信じるか、信じないか、現在が大切か来世(天国)かの違いで中国に秦王朝が生まれ(現実幻術市主義・資本主義の甘い蜜に惑わされた民の時代。理想主義は韓国・朝鮮に資本家は貧富の差を追い求め「王様」を目指し戦い続け、墨子は理想の楽園を求め布教(富強でない。)に走る。しかし墨子も人の子「役得」に走る。それが現在・現実!
      理想郷を求めるなら(108の煩悩を削除でも喜びも無し。)
      矛盾するこころ・・・平安は何処?


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資本主義とは・・・。
2005年6月16日 1:58:51 管理人
昨日、日本人の丸々の1年間の平均所得が、540万円代とのことを知ってびっくりしました。どう考えてもそんなに稼いでいる人ばかりでないと感じました。仕組みは、年間1億かせぐ人が1人いて、あと200万稼ぐ人が20人いると、結局540万とかになってしまうそうで、まったく現実ばなれした数値らしいです。理想的には共有財産がよいのでしょうね。かわかつさんご指摘のいまはなき社会党ももともとキリスト教の社会主義思想とつながる深かったようですが、共有財産制度は結局日本では、カトリックの修道院くらいしかないのではと感じます。紀氏さnご期待理想郷は案外今の世代にかえって魅力的ですかな??



スガルは天皇?
2005年6月15日 4:12:50 いばらの紀氏
スガルは天皇?
スガル縋る!は縄なわ「索」もとめる。・・・・求キュウ=鳩・測量士(縄で測る・角度をも割り出す。8:5:3?)
イカルガのイカルは国字   斑鳩イカルガの「斑」(ハン・まだら)マダラ神?+鳩(測量士)ハンミョウ斑猫(甲虫・スカラベ?・みちおしえ・みちしるべ)・・・・クロウ・牧師・墨子・カラス(鴉・牙は商人・証人)みちしるべ=地図 ヤッタネ!なんで猫なの?
「スガルの太刀など魚袋がつけられていますね・・」のスガルですが、
虫+果(か)=&#34622;カ・クヮ(桑?)カラ(唐・漢・韓?) か=夏・華・香・鹿・日・火、霞・珂・禾・架・果
あああ  話が逸れた
&#34622;カ&#33245;ラ・(はだか)・・カラ?=スガル=じかばち(似我蜂)メスがないので「青虫」を取って育て「我に似よと七日で自分の子にするといわれる。)
「青虫」隠語:山東省の虫(禹系)・・・・妄想・・山東省の虫(禹系)を養子した(子なしの天皇?)
漢字のこころモードの紀氏でした。・・・(!、またアサーに成ってしまったか・・・風呂でも入ろ)


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じがばち
2005年6月16日 1:52:56 管理人
そうでしたね、じかばち(似我蜂)の腰細の形にスガルの太刀の形が似ているという説がありました。http://homepage2.nifty.com/manyou2001/ka.html
玉まき太刀形はその形に似ているとか。
雄略天皇とすがるの話は有名ですね。飛鳥の雷の丘の話とも関連しますが、天皇と養子論、なかなか興味深いです。



逸文
2005年6月15日 1:34:59 泊瀬光延 WEB
「露草色の郷」さんのサイトに
http://homepage2.nifty.com/toka3aki/
風土記の逸文を集めたものがあります。そのなかで
「賀茂乘馬 (本朝月令所引秦氏本系帳)」
とかわかつさんが喜びそうな逸文が!


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すばらしいHP
2005年6月15日 8:13:42 とみた MAIL
泊瀬さん、大変すばらしいhpのご紹介有難うございます。
筑紫の磐井の乱は有名ですが、日本書紀程度の知識しかありませんでした。新羅側に立った磐井勢力とそれを制する、継体、物部、気野。筑紫の風土記と記紀は微妙な違いがありますね。

昨日出雲風土記と記紀の違いを解説した本を借り出して読んでいます。

今春、西都原古墳群を見ましたが、磐井の墓もそこにあるかななんて素人考えでしたが八女市にあるのですか。

筑紫と出雲は結ばれていたという話もこれから読むところでした。
関東の毛野や吉備は大きな勢力だったようでいろいろな事実を少しずつ私なりに解釈してみたいと考えております。

いずれにせよこのHPは読み甲斐がありそうです。


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初心者向けに
2005年6月15日 8:59:13 かわかつ WEB
よくまとめてあります。私が図書館へ頻繁に通って得た情報を居ながらにして一読できるとは、なんとも便利な時代です。
初めて歴史の具体的な知識にふれるには、おすすめできるサイトです。お気に入りに入れて史料確認に利用しようっと。
このかたのスタンスはより良識的に冷静に歴史を「自分なりに」解釈しようというもので、その真摯な態度は我々が見習うべきものです。ほとんど私のスタンスと似通っています。しかしながら歴史推理作家としてはやはりもっと面白くてよい、もっと勝手でよいでしょう。
例えば古田武彦氏のような極めて偏った意見は歴史を学ぶ者にとっては極めて危険なものですが、彼は少なくとも学者である限り、あのような推量の多い意見を読者に押しつけるのはいかがなものかと思っています。ただし、その発想は非常に物語として面白い。作家は面白半分がもっとうですから、データクリップから抹消することはないわけです。
とみたさんがこうした偏った意見の学者の本にいまだ突き当たっていないのは、大変運がよいです。古田氏は全国に「信者」を持つカリスマにおだてあげられてしまいましたが、まことに可愛そうであると感じます。後戻りがきかなくなると人はウソも平気でかかなくてはならなくなります。
kれはもう宗教です。気をつけて下さい。
常にほんとかな?という疑念を持って読まなければ罠にはまります。そうなったひとからは私はすぐに離れるでしょう。


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なにはともあれ
2005年6月15日 9:07:53 かわかつ WEB
泊瀬さんが久々に書き込んでくれたのが一番うれしいです。ここはなかなかズバリと反対意見をさしてくる人がいないので、大兄の存在はやはり私にとってはありがたいです。


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とみたさんへ
2005年6月15日 9:35:37 かわかつ WEB
西都原へは春がいいです。特に菜の花の咲く頃、鬼の岩屋古墳のまーるい環丘の上からの眺めは最高ですよ。^^
宮崎県の遺跡古墳はほぼここにあつまっています。それはまるで大きな箱庭のようです。なんだか意図的に並べられたテーマパークを見るようです。
磐井の墓は仰るとおり筑後川沿いの八女郡広川町の岩戸山古墳に比定されています。筑紫国風土記逸文の記事にあるていど見合っているからです。そしてここも、周囲にたくさんの古墳群が並べられています。
宮崎県と言うところは九州の中では最も遠い県と認識されています。鹿児島よりも遠い。ここは、交通が不便だからです。九州の中では唯一高速道路がありません。アクセスが悪い。九州の地図を見て頂ければ一目瞭然、ここは海部と隼人のぅにで、しかもまつろわぬ者のいたところでした。
ただし、それは宮崎県南部地域でしょう。ちょうど西都はるのあたりもそうです。北部はかつて豊の国の範疇でした。海部の国だったのです。豊後沿岸の海部族と同族です。
南部は隼人のくにでした。
宮崎全体は九州山地の巨大な山塊によって他の地域とまったく遮断されており、筑紫の君とも行き来はなかったと思われます。つまり古代に於ける未開発地でした。ですから他所から九州にきたものはここしかぶんどれなかった。あるいは、ここなら他の首長たちに利害関係が生じないわけです。記紀がここを神武東征の出発地としたことには、こうした九州に於ける利害関係がじゅうようだったのだと思います。ここにやってこれるとすれば船を使った海洋民だけでした。だからこそ隼人は最期まで抵抗し、ついには天皇領地の守護とまでされたわけです。強いからね。
ですから宮崎と北部九州はまったく別の場所ですので、よろすくご確認くだされ。
筑紫島は4面あり・・・です。


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ドンドン教えてたたもれ
2005年6月15日 11:23:26 とみた MAIL
かわかつさん、初心者向けのガイダンスありがたく頂戴。
古代史は百家争鳴でよおわからんですたい。
でもね、あと10年ぐらいあちらの世界に行くまで時間があるので少しずつ究めるにはいいテーマなんです。

宇宙と古代史は呆け予防になります。年金暮らしですけど子供は自立しているので飯の種も不要です。ホンマ客観的にどこまで自分なりの解釈が出来るか、発表の場は研究講座なるサークルに属していますので自分の見解が得られれば発表できるんです。他の誰も手を染めていない領域に新しい視点でフォーカスできれば嬉しいと思っております。


まだとてもとても人様に発表できるレベルでないので皆さんとワイワイ云いながら刺激をいただいております。
そうですか、古田説は疑問符ですか。九州王朝説も東大新報の東アジア共同体の胎動のシリーズで読んでおりますが・・・

森浩一さんは客観的で良心的だと感じております。梅原猛さんは少し大胆な発想かななんて思っとります。天孫降臨でサルタヒコ?は縄文人を支配する物語。アイヌは縄文人とか直裁はいいけれど、裏付けをもっとしてくれないとね。私はこの世界では権威を信じません。まして皇国史観で汚染された領域だから。
中国古代に通じておれれる白川静先生の発言は関心を持っております。孔子は巫女の私生児なんてことは誰も言えませんからね。

日向一族は今年の南九州の旅でなんとなく分かったのですが海の幸山の幸で大山一族の正体と隼人熊襲が面白そうかななんて気がします。

豊後の世界はどうつなっがているのですか。
宇佐あたりから匂いを嗅いで見たいですね。かわかつさんは九州出身だからワンサカ材料をお持ちでしょう。私はやはり朝鮮半島、中国の江南と雲南省からの渡来人との関係が気になっております。

私は面白漫画古代史よりドキュメントりー ノンフィクション古代史を知りたい。
私は記憶だけでメールしてますのでよく人名地名などを間違えます。みなさん勘弁ください。


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とみたさんへ
2005年6月15日 13:49:31 かわかつ WEB
上に参ります。



まぬけな教育委員会
2005年6月14日 18:37:10 かわかつ WEB
山梨県教育委員会が発表した、あまりにおまぬけなコメント。

発掘した弥生時代の土器に、数をかぞえるためと思われる穴がいくつもうがたれていた。これを持って弥生人が数を数えることができたことが確認できた。って、じゃあ、この人たちは弥生人が数の概念を持ってなかったとおもってたんだろうか!?
稲作をするとき、果たして月齢や暦、収穫までの日数など、一体考えずに農作業をする者があるでしょうか?縄文時代でさえ稲作をしていたことがわかったこの時代に、このまぬけどもが教育委員????????
一辺、小学校に行って勉強してくればいい。
や〜ねえ・・・そりゃキクちゃんだよ。


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もとい
2005年6月15日 13:06:01 かわかつ WEB
1。山梨ではなく熊本県山鹿やまが市でした。
2。数字の概念を持っていたことを示す土器は初めての発見なのでした。したがって「おまぬけ」呼ばわりした私はきつくお叱りを受けて当然です。
以上訂正して酔っぱらってTVを見たことをお詫びします。
あのアナウンサーやまがをやましかと読んだに違いない。やましか・・やましな・・やまなし・・・バンザーィ!!



真話 新話かなん?
2005年6月14日 15:05:52 いばらの紀氏
真話(親和)
 昔々、地上が平と考えられていた時、地上は十二の部族での都市国家でした。
リイダーは英と米の二部族でした。この2部族は地上は、平なのだと「神が言っている」と
神を騙っていたが、ある日禹族の長が十部族を集め、「高山から見渡すと地上は
円を描きまるで亀の甲羅の上の様だもつと高い塔を作り地上を見渡そう」と
禹国の長が提言し塔を創り始めた。
英と米の二部族「自分達の権威があ損なわれるまずい」と湯田族の長(倭)を丸め込み、
塔の建設に手抜きをして塔を崩壊させた。そして禹族を含め九部族のコミニケーションを
失わせた。(言葉を異にした。)かくして、地上はまとまりの無い戦乱の世界となり、
戦いの道具を売る英と米と倭や伊・スイスイなどの資本家部族が栄華を誇った。
時が経ち、地上は貧富の差が著しく不満分子によるテロが横行した。
英と米と倭や伊・スイスイなどの部族は、地球的話し合いの場、
国連を支配しようと金力での買収を謀った。・・・・・・・・
世界中に不安と言う胤を播き散らした。
かくして地球は、資本家の餌食となった。
 創世記最終笑。     紀氏改正は何処?


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バベルの塔
2005年6月14日 17:26:57 かわかつ WEB
狸が住んでるそうです。
上の話は創作ですか?


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走咲くです。
2005年6月15日 2:31:17 いばらの紀氏
イエス そう 索 です。    おやすみなさいSssssskiS



相馬郡岩井
2005年6月14日 10:32:30 かわかつ WEB
平将門は藤原秀郷に討たれた。彼のムカデ退治はこの史実を英雄譚として焼き直したものでしょう。将門はむかでか・・・?
「なにかを退治した」「神霊に祭り上げられた」人たちっていうのは、その歴史に必ずよくないことが起きたんですなあ。だから祟りを怖れて神にしちゃうんですね。
楠正成もよく似てますな。藤原純友、明智光秀、崇徳上皇、蘇我入鹿、タケミナカタ、新羅三郎、物部守屋、長屋王、菅原道真、和気清麻呂、吉備津彦、卑弥呼、安曇磯良、スサノウ、ヤマトタケル、そして聖徳太子。

聖徳太子は蘇我一族を神格化したんだと思います。
厩戸皇子も上宮一族も蘇我一族の神霊です。上宮を滅ぼしたのは藤原宗家が蘇我倉石川麻呂を使って消したんです。だから石川麻呂もあとから消される。証拠隠滅です。
蘇我馬子はアメタラシホコです。新羅系王朝。それを奪いたいのは百済系藤原氏。
だけどこの話自体、天智と天武の勢力争いにそっくり。つまり焼き直しですな。

みんな荒ぶる神の御霊にされちゃった。よほど都合の悪いことをしたんでしょうね。祭り上げた連中は。


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磐井の乱
2005年6月14日 11:11:30 かわかつ WEB
相馬郡岩井の地名からひとつ・・・

「倭」を「ウェイと発音するというのは前かきましたが、「いわい」というのはこのウェイという漢音?を日本風に漢字にしたものではないでしょうか。筑紫の君磐井は、だから「倭井」=倭王・井となります。わおう!って驚いたのは紀氏さんですね?
倭王・武なら「ウェイブ」ですナ。ウェイブしてますな、紀氏さん。

ここから、倭王武が応神天皇だと仮定すればですよ、応神は九州で生まれたという故事はまんざらウソでなくなります。磐井が倭王武の子孫で新羅系王朝の大王であったとすれば、乱を起こしたように書かれるのは、ヤマト百済系政権が彼等の九州に残された新羅政権を撲滅し、やがて反乱だったと詐称してゆく構図はみえみえです。

討伐軍の物部我等鹿比に向かって磐井はこう言います。
「昔は同じ釜のメシを食らった同胞のくせに、それを討とうとは義理なし」
しかもやっつけられた後、彼の子孫は絶滅させらてない。

先行する王朝であることをヤマトは認めているわけです。だから殺した磐井の霊は祟りを怖れて祭ることになります。どこに?筑後一の宮・高良大社に。
物部氏は九州小倉出身の豪族ですよ。磐井一族とは隣同士の同郷なわけです。「同じメシを食らう」とはこのことでしょう?ヤマトに磐井が出向していて、そこで物部氏とともにヤマト政権に仕えたからだ、なんてしゃあしゃあと仰る学者先生がおられますが、まあ、権威主義ですなあ。あり得ません。百済人と新羅人が仲良くなるなんて、今でも考えられませんよ。

なにしろ、日本書紀というのはヤマト初代・持統天皇のために書かれてます。藤原不比等と彼女は通じてます。
宇佐の道鏡事件なんか、暗に持統と不比等の姦通を臭わせて、「けしからん、またか」「今度は許せん」みたいに盛り上げてるんじゃないでしょうか。これは宇佐大神氏と東大寺別当・良弁のいんぼうですなあ。


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春過ぎて・・・
2005年6月14日 11:20:48 かわかつ WEB
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干したり 天の香具山

別に事項のご挨拶ではありません。

「白妙」は新羅王権です。香具山というヤマトの民衆なら誰でも知っている聖山に、目立つように白い衣を引っかけて虫干しです。
一見、新羅王権の復活を祝っているように見えます。
ところがどっこい。これは「晒し者」ですよ。
持統の策謀は、あたかも頼朝の妻・北政所の計略にそっくりではありますまいか???


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秦と禹が反対ですか?
2005年6月15日 1:33:30 いばらの紀氏
「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」

秦の時代は過ぎて禹系の時代が来たのだろう新羅王権の
反乱の旗が高天原の宮廷にあがった (紀氏訳)
チェックを御願いします。(秦と禹が反対ですか?)


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磐井
2005年6月15日 2:23:21 管理人
確か先日行った岩手の一関から東方にも磐井の地名があり、福島のいわきあたりにも同様な知名が・・・。


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岩井なら茨城にもョ。
2005年6月15日 4:27:20 いばらの紀氏

岩井市・・・・この辺は平将門の縄張りでした。東は西に背きますなー。
西は東をキライマスーゥ
竜虎=禹と胡カナン?


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だから書いたの
2005年6月15日 9:03:16 かわかつ WEB
この一団のレスは平将門から始まってるんですけど・・・ちゃんと読んでよ、紀氏さん。ーー;


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ポカ!
2005年6月15日 9:38:26 いばらの紀氏

またどしたか、ごめんやすぅー
ほな さいなら。



というわけで紀氏さん
2005年6月13日 23:02:18 かわかつ WEB
難しい「妄想」をされすぎたようなので、簡単に・・・

忍者はっとり君はとりあえず正解です。

後二人は、「も」と「ふ」で始まります。


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他の人は
2005年6月13日 23:04:01 かわかつ WEB
答えちゃダメですよ!^^


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2005年6月14日 0:03:29 いばらの紀氏
桃地サンダーYOU 


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2005年6月14日 0:15:01 いばらの紀氏
服ちゃん副助・・・・・マイツタ!


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あとひとり!
2005年6月14日 0:27:44 かわかつ WEB
あっとひとり!あっとひとり!
ふじ○○○長門

服部半蔵・・新羅系秦氏
百地三太夫・・百済系秦氏
この人・・・高句麗系????


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?!
2005年6月14日 1:11:33 いばらの紀氏
藤保利衛門


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ストライクウー!
2005年6月14日 1:16:40 いばらの紀氏
ふじばやしなが 藤林ナーガデーモン!!!!!


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ム夏子華氏(昔話)
2005年6月14日 2:56:15 いばらの紀氏

林・・・ふもと・・まで・・兎と亀・・・競う・・・スタトート(渡来・兎来)兎鷺(路のとり)リード 亀キ(紀氏)遅れて渡来(トライ朝鮮・挑戦)
麓ふもと(林+鹿)「ロク」: 6?禄 四角なこめぐら?「鹿」(争って得ようとする権力の地位)!!!
兎(禹氏牛スサノオ系)と亀キ(紀氏・姫氏・月氏?)権力の地位を争って得ようとする。

かちやま   たぬき狸(狸奴リドは猫のこと)根(祖先)子(子孫)ネ=苗 苗族の子孫。!!!

おおた(王蛇)たねこ(種子)=王蛇苗族の子孫=禹氏牛スサノオ系

皆様の御感想をお聞かせ下さい。 ネ=苗= 子=鼠ソ=祖=根のこ=猫ビョウ
はやしにののりのりの紀氏でした。


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正解?
2005年6月14日 8:20:21 かわかつ WEB
もうちょっとふつーに回答できませんの?ーー;


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暗号解読??
2005年6月14日 9:01:14 管理人
今読んでるダビンチコードも暗号解読ものですが、紀氏さんたちの会話も段々暗号化してきていますねー。いやこれからは、暗号でみなさん会話しましょうか(笑)
ところで出版の話ですが、10人程度で古代史に関して、論文とか小説とかエッセイとか掲載して、ひとり2万円くらい出し合いで、出版社に頼むという線でどうでしょう。何回か各地で打ち合わせをしながら、うまくいけば毎年継続で出版していくというのも・・・。なんせ、日本は最近地震が頻繁で、出版が先か滅亡が先かという感じで、だんだん追い立てられている感じではあります。もうそろそろ早いうちに、暗号化してでもいいですから??形に残しておきたいものです。そうそう、渡来人研究会の文章版のみなさんダウンロードして保存しといてくださいね。将来への貴重なデータ満載なので・・・。http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/bunsyouban.htm


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感想「やはり!でしたか。」
2005年6月14日 9:05:58 いばらの紀氏

皆様、おはようございます、清清しいアサーですね。
 私の説(「古墳のこころ」の内容、古墳(後に寺社)を造営しながらの「世界地図造り」。
古墳造営にメートル法が使用された、6の倍数に設定○の直径・▲の底辺(全長の半分・4;2・四半・・禹の測量図も4:2の盾に彫られた。)
完成です、「古墳のこころ」は日本の「ダビンチコード」と言われるのでしょうか?
次は、「漢字のこころ」です根!。
         一つ、仕事をやり終えたことに歓喜し 完の紀氏でした。
   管理人さんありがとうございました。歓者 歓謝 感謝!


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売れない!
2005年6月14日 9:20:33 かわかつ WEB
か、か、漢字のこころ?
やめて、それだけは。あなたの名誉のために申し上げる。「助詞のこころ」を先にどうぞ。

管理人さん、グッドアイデアですが、お金はもっとかかるかも・・・
でも会員を募って、会費制にして貯まってからというのはよいかな。そこに寄稿者が個人的に色をつければなんとかなるかも。強力なスポンサーがいるといいけど・・・例えば美しき誤解をしてしまったとみたさん、あなたお金余ってるんでない?〜^;舎人さんは社長だったなあ。


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最初は
2005年6月14日 9:25:17 かわかつ WEB
チープな冊子から出発しますか?家貧しくして孝子出ず・・・一度飲みましょうや。ブレインストーミングしなくっちゃ。


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そうですね最初は
2005年6月15日 2:05:13 管理人
最初は小さい冊子でもOKだと思います。長野の友人も印刷業やってますし・・・安く済むかもしれません。すこし私も節約せねばなりませんね、スポンサーもいいですが、表現の自由が資金面から脅かされるようなところは御免ですね。かわかつさんのところはその辺寛容だったようですね。個人的には昔から国立とか公務とかいう機関は大学受験の時点で、学問研究する上ダメだと考えていました。バックに資金がつく反面、表現の自由がなくなるように当時の青年の目にもそう見えました。大学もそういうことでどういうわけか、助成金もらってないところに行ってしまいましたし・・・。
可能な限り、藤原、秦関連の表現の事例のように、制限加わらないスポンサーがいいですね。ん、うちの掲示板しかない??


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納得
2005年6月15日 23:29:06 かわかつ WEB
印刷屋さんの知り合いが居るのは心強いですね。ところで後は投稿者なんですが、あなたと私と紀氏さんと・・・



魚=キリスト系の理由
2005年6月13日 14:34:33 いばらの紀氏

魚=キリスト系の理由:ギリシア語で「イエス・キリスト、神の子、救世主」("Iesou Christos Theou Hyios Soter") の頭文字を取ると、「魚」('ichys')になることに由来している。
初期のキリスト教徒が迫害に苦しんでいる頃、「魚」は秘密のメッセージの具体化であった。そして、洗礼式の制定により、魚もキリスト教徒も(洗礼の)水なくして生きられない、という言い方がされた。
その特別な魚のしっぼには刺がある。キリストが現れる以前の何世紀もの間それは大地母神の生殖器を表すセクシャル・シンボルであった。時にそれは子宮を意味しまた時にはヴァギナを意味した。前述した中国のように非キリスト教国では、このセクシャル・シンボルである「魚」がいまだ多産のお守りそして命の再生の象徴として存在している。
魚のアクセサリーは、キリスト教徒が旅をする時に最も売れているもののひとつだそうだ。
(魚は中国では古代より富や子宝繁栄の象徴であった。かの地では魚を「ユィ」といい「有余(=有り余る)」と同じ発音であるがゆえ、富と幸福のシンボルとされた。また魚はおびただしい数の卵を生むことから子宝繁栄の意味をも持っている。・魚は欧州でも古くからオリエント地方などで豊穣の象徴とされていた。)
魚を2尾向かい合わせに繋いだ紋様は「双魚紋」といい、中国の八吉祥のひとつとされる。仏教との関わり深い紋様で釈迦の足の裏や仏足石に刻まれる。
日本の古墳にも魚形のアクセサリー(馬具)が残されている。
隋唐の時代は魚符というものを官吏が宮中出入りの札として腰に付けた。
日本でも魚袋ギョタイ(官使の身分を表す飾り)を付けていた。

The scales fall from one's eyes.目からうろこが落ちる, 誤りを悟る, 迷いから覚める (★聖書「使徒行伝」から).
遅ればせながら、御存知とは思いましたが参考までに・・・・・・紀氏でした。


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魚の名、黄金比
2005年6月13日 17:10:25 管理人
紀氏さんこんにちは。魚はキリスト教のシンボルであることは知っていましたが、なるほど、洗礼の水なくして生きれないという意味は始めて知りました。古代日本でも玉まき、スガルの太刀など魚袋がつけられていますね。伊勢のスガルの太刀の意味は、小子部スガルの雷を取った話とか、つむがりの太刀とか、起源についていろいろ論議はあるんです。
魚の尻尾の話も始めて聞きます。キリスト教以前の豊饒信仰の象徴ですか!ダビンチコードの豊饒信仰の象徴群と関連ないかなと感じますが。金星の描く五ぼう星の各辺の比率、人間の四肢の比率、偉大な藝術に隠された比率・・・が、黄金比になっており、そこに黄金比と美(美の女神)との対応があるというのがその主人公の学者の持論ということなのですが、黄金比って日本に知られてたんでしょうか・・・。


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婆羅門
2005年6月13日 17:15:15 いばらの紀氏

婆羅門:ベーダ(吠陀)・・・・吠と蛇!・・・・犬戎(えびす・ユダヤ)+蛇(禹系?)
羅 字義 ひぐま(火・日・ヒ・禹)。しぐま(Σ・星座?)大熊(黄・王・翁) うすい薄い(禹彗?・禹祟?)
網をかける
つらね・並べる・めぐる(つながりながら行き巡る)=モウーセの民 出エジプト記?
熟語から
羅針盤(方位を測る道具)
羅馬(ローマ)
羅刹(足が早い・黒い体・赤い髪・きば(騎馬・牙)をもつ(牙なら商人)人を食う・・・・(商人)(証人?)
羅紗(ポルトガル語のなまり)・・・・ポルトガル?民
羅甸(ラテン語)・・・・・ラテン?民 (甸=田をつつむ?土地を巡らす、地図!)

甸でん・てん・「かり」=雁・佃・苗・畋(田+攵)・・・狩り・・地を狩る・・・測量士。
刹サツ・セツ(刹鬼:鬼・悪鬼・羅紗)
紗サ・シャ・うすぎぬ

異常以上から「バラモンからクマ(禹)と馬と「ギリシャ」(帝政ローマ)が現れました、」と成りました。
                         補足する紀氏でした。


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御晩デス。
2005年6月13日 17:28:33 いばらの紀氏
管理人さん、御晩デス。
 ダビンチコードの情報、ありがとうございます。
黄金比は、たしか日本建築に有った様な・・・定かで無いですけれど
古代などの絵画や造形物に30・60・90度正確な角度が隠し現されていることが沢山有ります。
調べてみます。


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有りました、
2005年6月13日 17:31:34 いばらの紀氏
とりあえず。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/garan.htm
をどうぞ。


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日本に黄金比
2005年6月14日 2:16:33 管理人
紀氏さんさっそく日本における黄金比についてのHPありがとうございます。このHPの神社や寺院建築の中の黄金比もおもしろいですが、古墳の黄金比もなるほどと感じますし、岩手のレイラインと黄金比も興味深いですね。http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/zenpou.htm
このHPで指摘されているフィボナッチ数列もダビンチコードに出てくるんですが、8:5:3、0.618:1:1.618の数字でぴたりと割合でてくるような、建築物とか遺物とか出てこないですかね??


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出てこないですかね??
2005年6月15日 1:53:12 いばらの紀氏
「8:5:3、0.618:1:1.618の数字でぴたりと割合でてくるような、建築物とか遺物とか出てこないですかね?? 」
管理人さん、これって「三位一体」?ですよネ!
ダビンチコード・・・・・・詳しく知りたいです・・トホホの紀氏です。


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禹がキリスト?
2005年6月15日 2:28:03 いばらの紀氏
8X8=64(虫)= はは(母) X ぱぱ(父) =「ム」 「+」(クロス)「之・子」(シ)・・禹 十字架 行く(子)
まさか、禹が十字架の子・・・・キリスト・・・・・まさか 正化 聖火                        聖火の騎士でした。


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解説
2005年6月15日 2:37:12 管理人
ダビンチコードについての解説をしてくれているHP見つけました。ご参照ください。
http://www.yamaguchi.net/archives/000470.html
3:5;8は、隣り合う数の和が次の数になるというフィボナッチ数列というらしのですが、三位一体・・・、考えてみます!先日のオオ氏の古事記の神様の数字と数列の関連はどうでしょう??その辺どこかで暗号とかで指摘されていないでしょうか?


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神様の数字と数列
2005年6月15日 15:09:56 いばらの紀氏

 管理人さん今日は、
「先日のオオ氏の古事記の神様の数字と数列の関連はどうでしょう」
(すみません 先いま一度いま一度の情報をー(お察しくだされー)
それと、
「三位一体」?ですよネ!・・・・ですが
「8:5:3」ですが、私は三角形の三辺と思い込みましたので一辺に成るからです。
(加減の祖ですね、基礎計算の例でしょうか?)
追伸
甲骨文字で7は「十」〜「七」の形の文字で10は「(縦棒1みたい)」の形
(七は北斗七星からと思いますが「十」クロスが北斗七星だからの遠慮でしょうか?)
「十」を「とう」到達の「トウ」からでしょうか
「十」を「じゅう」縦断の「ジュウ」からでしょうか、いや「獣」からでしょうか?
十戒の「戈」ほこの残りは、頭の無い鳥居?
それとも、アダムとエバの獣の行為?
その様に見える怪カイ・・・訂正 シャイな紀氏でした。
(神様の数字をヨロシクゥ)



先祖探し
2005年6月13日 7:36:58 とみた MAIL
皆さんオッハーです。
皆さんの薀蓄が伝わってきます。
とみた・・・紀氏さんご指摘の伊賀上野これはありそうです。親父は伊勢の出身なんです。私の1才のとき他界したので深く話してない。天国からのテレパシーで暗示をかけてきたようです(笑)
かわかつさんの大阪のとみたは?飛田遊郭とpl学園と、大花火で有名な富田林・・・

私の高校の大先輩は物部神社ゆかりの家系という事で古代史に埋没。わたしもその機縁で古代史に入ったわけです。その前は古代文明に興味があった。この二つをドッキングしたい。民族移動と渡来にフォーカスしています。ミクロとマクロの両アプローチです。

景行天皇が九州、菊池川?の辺に来たとき頭上に行灯をつけて明るくして迎えた山鹿の人。

白村江の戦いで百済・日本連合軍が新羅・唐の連合軍に敗れ壬申の乱で天武天皇新羅派が伸してくる。新羅派天皇称徳天皇が次の天皇を選ぶ?とき宇佐八幡宮へ和気の清麻呂を派遣しますよね。でも思いかなわず死後、百済派天皇の光仁天皇が出てやがて百済派桓武天皇が続く。このあたりかわかつさんの本で回答が得られるかなと期待しています。血まなぐさい陰謀の渦。

中臣氏=藤原氏が聖徳太子の山背大兄を滅ぼし根絶やしにした怨念を鎮めるために藤原不比等が法隆寺を建てたとする梅原猛さん流の解釈の賛否はどうでしょうか。聖徳太子は実在しなっかたという説はどう思われますか。

管理人さんの藤原秀郷、ムカデ退治ぐらいしか知りませんので皆さんの高説を窺うとします。

地元の図書館で郷土史の本があり中に平将門の本がありましょうから覗いてみます(あまり期待しないで待っててください)

将門が鉄の産地と関係があるとの説聞いたことがあります。

縄文人のレーラインの話が読売新聞に出てました。小林達雄さん(国学院教授、新潟県立歴史博物館長)の話です。群馬県天神原遺跡や、山梨県・牛石遺跡の環状列石の話です。秋分春分に三つ峠山の真ん中に沈む夕日を目撃できるそうです。

まあ、いろいろ語っているうちにどこかつながりますね。
まさに会議は踊る。踊らにゃ損々!

画像掲示板は確かによく伝わりいます。有難うさんです。どえす。


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富田知信
2005年6月13日 10:41:14 管理人
とみたさんおはようございます。なんとなく書きこんでしまいました佐野市の富田の富田氏もどうも秀吉の家臣富田知信から来ていると予測できそうで、富田知信は元は伊勢の伊勢国安濃津城主だそうです。富田さんご指摘のお父様の伊勢と対応??かもしれません。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/jin/TomitaTomonobu.html
秀郷の退治伝説関連、ちょっといろいろ興味もってきました。から秀郷から佐野市周囲の動きはこちらをご参照ください。
http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo64.htm
いろいろ情報よろしくお願いします!


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やっと起きました。
2005年6月13日 11:02:46 かわかつ WEB
おはようございます。昨夜はやや鳥肌がたつ思いで年甲斐もなく興奮しました。
とみたさん、私が控えた内容まで切り込んでいただき恐縮です。
とびたが遊郭であったことは落語などでも有名なのですが、江戸の吉原が本来、芦原であったことも含め、言霊は良い言葉を日本人に使わせる、ゆかしき風習を作り出させました。
『卑弥呼』で有名な大分大学教授・故・富来 隆氏はその出身を大分県国東郡の富来村であると言っています。このようなおめでたい名前の始まりが実はあまりありがたくない「鳶」の説に仕立て上げたりしたら、私はいずれ大分県から追い出されるかも・・・^^;

とびく・・・鳶・・・とび職・・・

今の政治がこうした過去の忌み事に関わる、いわゆる厚生事業を切り捨てていこうとしているのを見ると、時代の変遷を思わずに居られなくなります。
生臭い話ですが、社会党がなくなった段階で彼等が救いを亡くされてしまったのだ、と今になって気づかされました。
専売、官制事業のつぎつぎと民営化されゆくのを考えると、その陰にいる底辺の従事者たちの行く末に想いが向いてしまいます。
いあらん世話なんでしょうが、製塩業、煙草産業、国鉄土木、郵政、通信・・・すべて彼等の陰のささえによってなりたってきた、彼等の忍従が基礎にあって初めて成り立ってきたこうした官制事業が郵政、建設土木を最期にすべていわれある「優遇」の庇護から解き放たれてゆくのは、果たして国力がついたからか?あるいは反対に国税収入アップのためか。答えは一目瞭然でしょう。
そして今、靖国を至高としてきた信仰の聖域さえもが他国の内政干渉という痛し痒しの外因によって変えられていこうとしています。
もう日本人は日本人としてのアイデンティティのすべてを捨て去る時代になってしまったようです。

やがて忘れ去られ、年金制度の裏側に巣くっていた「優遇」の文字も消えて行くのでしょう。さて、彼等は崖っぷちにたたされた。彼等の住居同様危険な場所に追いやられてしまうのでしょうか。自然災害に弱い、脆弱な土地に住まわされた彼等は、三角寛や田中勝也の作品の中にしか存在しないとでも言うのでしょうか?

私はとりあえず、今書いている「金魚とピーとの七日間」のように日常の断片を切り取ったような文を書いたり、庭の花と会話をするような、「縁日の日だまり」的世界に潜り込んでしまいたい気分です。私には重すぎます。もう気づきたくない。


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とみたさん
2005年6月13日 11:57:35 かわかつ WEB
拙著ご購入ありがとうございます!
この作品は私が2年前に新風舎出版賞に応募した作品です。選考の最終段階までいきながら、内容の裏に秦氏の隠された秘密が危険であることを感じ取った担当者が出版での発表をすすめてきました。
当時の私は秦氏の謎の解明方程式に気づき、かなりハイテンションでした。
この本はどちらかと申して、「秦氏概論」的要素が強く、初心者向けです。ですからとみたさんが望む、具体的な血なまぐさい政治抗争部分は隠してあります。さらっと読んで種子だけ拾ってやってくださいませ。


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鳶・とび考
2005年6月13日 20:14:33 いばらの紀氏

 私は、鳥の種類に測量士の隠語(測量での担当)と思っています。
鳶・とび(鳥+弋ヨク・いぐるみ)=高所より四方にいぐるみ(矢に糸をつないで)酉(酒甕・銅鐸と同・ポイント)方角と距離で三角測量でのポイントを探す.例:利根川流域のつく舞神事(29年7月16日に柳田国男が講演会をおこなっている。)
つく舞(茨城県龍ヶ崎市かみまち・八坂神社)他・蜘蛛舞(秋田県天王町・東湖八坂神社)他・・・八坂神社 ィヤサカー!!!!
つく舞(茨城県龍ヶ崎市)ふねと呼ばれる舞台に高さ10メートルの柱(十字架の形)の上で舞人:獅子・鹿・まんじゅう(アマガエル・)・かまきり・みみずく・鶴・ひょとこ・だんなが曲芸を披露する。
蜘蛛舞:川の船上で同様 柱は無い(川をポイントの船での測量が元と考えられる。)
牛頭天皇・スサオノに関連の神事と思われる。(雨乞い神事は龍?へび・かえる?禹は水神だった。
祭りは7月、私はまだ見ていないで・・・・・聞きかじりです。


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つく舞い、イヤさか
2005年6月13日 22:56:51 かわかつ WEB
ありがとうございます。面白いです。
つく舞いと似たものはいくつかあるようです。瀬戸内因島の神舞いなど。

三角測量ですか。古代も地勢の調査には使われた方法なのでしょうか?!

イヤさか・・・八幡宮はイヤハダ。イヤハダー・・・ィエホバー・・・ヤーウエ?


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三角測量です
2005年6月14日 1:30:18 いばらの紀氏
 イスラエル なぜ 蛇尾での星?
正三角形・・・四角・・・東西南北  十字  クロス(辻)
(6:6:6) (直角)
  3  X  4      十二支  方角 
中国の周囲の民族     ダビデの星 籠目(なぜ龍)なぜ目(見る)



画像掲示板を再設!
2005年6月13日 0:30:53 かわかつ WEB
以前ぽしゃった画像掲示板をteacup版で復活!言葉だけでは説明しにくい遺跡の画像が簡単に送れるから、とっても便利。それにメールアドレスやTELナンバーなどもここならあんしんしてやり取りできるようになってます。おまけにケータイからでもレスできる。今なら一番のりできます。是非どうぞ!
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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一番乗り
2005年6月13日 1:16:34 管理人
かわかつさんさっそく画像掲示板復活ありがとうございます。秀郷流小野崎氏の系図載せてみました。いろいろ利用させてくださいね。


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どぞどぞ・・・
2005年6月13日 1:52:57 かわかつ WEB
掲示板から直接メールできるし、内緒にしたい情報交換にも便利です。それに携帯からレスできるのはありがたいですね。もちろん携帯で掲示板を見ることもできます。旅行先でこないだ管理人さんがやってくれた送信方法など、私には難しかったことが簡単にできそうです!


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なにやら読めてきましたぞ
2005年6月13日 4:10:07 かわかつ WEB
管理人さん提示された奥州藤原の系図サイトにある「藤原不比等が中臣朝臣から藤原朝臣をしょうせいされ以後藤原氏が始まる。藤原は当初、鎌足だけが名乗って良いものだった。」の辺り。
つまり相撲の一代年老・・・大鵬部屋みたいなもんですな。

そして系図の藤原四家のあとにある河邊魚名の河邊って・・・こりゃ秦氏の姓じゃありませんか!
その河邊魚名の子に、鷹取、鷲取っちゅうのがありますが、「鷹」「鷲」です!
「不比等以外の外戚は対抗して葛原と称していた」!!!
こいつはたまげました。
宇佐の辛島氏の古墳群のある地名は葛原でしょ。本に書いたとおりです。
葛原は秦氏の本拠ですよ。
さらに宇佐の西北には旧・草場村・・・古くは「中臣村」!がある。その山奥に控えているのが赤村ですぞ!
私の知る限り豊後には景行天皇のツチグモ退治にまつわる風土記の記述がありますが、宇佐に始まる北斗七星のレイライン上にはなんと中臣神社があるんです。物部神社と禰擬野神社を加えてこの三つはまさに景行天皇の巡行地にある。その最後の土地は竹田市の七つ森古墳群がある。ここの裏山にひっそりとタバコを作っている部落は皆、松尾姓なんです。タバコは官制作物でして古くから作っている人々って言うのは大概山部・・・つまり山の民、木地師なのです。竹田市の特産物は竹細工とお椀などの木製加工品です。木地師がいたことも郷土史に載っています。
読めました。
景行の退治したツチグモとはサンカになった人々でしょう!
朝廷に帰順した秦氏の為政者から追われた民ですよ。彼等は。

で、藤原秀郷ですが彼は俵藤太・・・ムカデ退治の英雄です。これは源頼光や八幡太郎、新羅三郎などと同じ新羅系秦氏です、きっと。
園城寺や大江山・・・鬼退治・・・神霊に祭り上げられた人々です。
スサノウやヤマトタケルと一緒の構造です。
渡来系・魔物退治・・・桃太郎や坂田金時・・・

藤原氏は百済系秦氏で間違いなし!そして中臣氏そのものは新羅系です。途中からすり替わったか、系譜がないまぜにされていますね。
知られちゃこまるから追いやったのか〜


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奥州藤原氏は
2005年6月13日 4:15:42 かわかつ WEB
新羅系秦氏です。間違いなく。従って藤原秀郷流を名乗る武士団は皆、新羅系秦氏。そして源氏もそう。
平家は百済系秦氏ですな。
おやすみなさい。


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参考までに
2005年6月13日 4:23:05 かわかつ WEB
私のHPから
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/eizou1.html
の中の「秦王国香春・赤村」の項を是非ごらんあれ。

私とあなた、舎人さんは知り合うべくして知り合った。もしやとみたさんや紀氏さん、泊瀬さん、秦ヒロさんも・・・我々は皆、秦氏!


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すごい!
2005年6月13日 10:47:28 管理人
かわかつさん、藤原と秦との関連、鋭いところ解明されてきましたね!できればその辺、論文レベルまで引き上げて発表・出版してくださると助かります!それにしても秦氏っていったい??


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園城寺
2005年6月15日 10:42:31 いばらの紀氏

「園城寺や大江山・・・鬼退治・・・」で思い出したのですが、
三井寺は智証大師円珍が唐からの帰り海上で待ち受けていた新羅明神に
案内され大友都堵「牟」麿 (牟は牛の上の禹をあらわすした文字)
地神の「三尾」明神らが「百年間待ち続けた・・・」(三尾?三本足のカラス?)
園城寺(三井寺)は天台密教と測量での重大ポイントです。
(智証大師円珍が唐か新しい測量法を学んで来たの申そうです。)
園城寺(三井寺)役の行者(小角)や不動・愛染明王・・・などが奉られていた。
「山岳修験となかかわりが深い寺に思えた。)

園城寺は梵鐘と蛇や炎で有名です、能・・・秦氏・・・ポイント。
大江山・・・鬼退治の大江山もポイントのライン上かも?
 また、古墳のこころに戻ったー!
梵鐘(香ね)は古くは禹の測量や戦闘の合図に使われ、形のモデルは銅鐸・
(禹の父の口が生け贄にされた酒甕 「かめ」からの声から神託をうけた・・・の妄想)
(はた旗も測量での風向きのどの計測に関係した、秦氏の測量での担当は
火と風の見張りかな?との妄想でした。)

園城寺(三井寺)は琵琶湖を望む見晴らしの良い場所でした。
測量には最適です。・・・(なつかしむ紀氏でした。)



私もクイズをひとつ。
2005年6月12日 21:07:37 かわかつ WEB
これは誰でしょう?

ヤマト大物主のエピソードに現れる。
母親は秦氏出身。
陶芸関係の村からやってくる。
鴨氏の祖。
子孫は古事記を書いた?かも・・・
出雲地方から来た一族の長。
最大のヒント。大三輪氏の祖。

わかった方には原酒造のお酒をお送りします。^^;


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調子に乗って
2005年6月12日 21:13:34 かわかつ WEB
もうひとつ。

伊賀忍者上忍御三家をお答え下さればホントにお酒送ります。


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三家をお答え
2005年6月12日 23:43:27 いばらの紀氏
安倍晴明陰陽師ツアー 「伊賀上野」.htm
富田与右衛門(富田流)、大栗春軒(神道流)。槍術を成田盛忠(高観流)、穴沢盛秀
三輪王朝は、、「スサノヲ・大己貴尊・大物主神」 から始まる。


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三家をお答え
2005年6月12日 23:43:27 いばらの紀氏
安倍晴明陰陽師ツアー 「伊賀上野」.htm
富田与右衛門(富田流)、大栗春軒(神道流)。槍術を成田盛忠(高観流)、穴沢盛秀
三輪王朝は、、「スサノヲ・大己貴尊・大物主神」 から始まる。


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藤原秀郷流三家
2005年6月13日 0:24:27 管理人
こんばんは。三家違いですが....やはり藤原秀郷気になりまして、かわかつさんのところの大友、うちの母方の姓、そして知り合いの家の姓をそろぞれ調べていくと、藤原秀郷に出くわすのですが、秀郷から3代後の公光、公道、脩行の三家に分かれたあたりが気になります。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/onozaki.html
この辺、かわかつさん小説に書かれておられるようにお詳しいと感じますが、なにか情報ございましたらよろしくお願いします。


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う〜ん
2005年6月13日 0:49:21 かわかつ WEB
紀氏さん、悪いんだけれど私が聞きたいのはその3人ではありません。もっとポピュラーな伊賀上忍であります。ごめんなさい。

管理人さん、藤原秀郷流・・・で検索しますと東国の武士はほとんどこれですね。特に奥州佐藤一族は大分県でも大変多く、東北地方も佐藤姓で溢れています。これはもう俵藤太の名声を利して中央鎌倉へ売り込むための出自詐称としか申しようがないのでは・・・?当家の祖・大友宗麟にしても相模の波多野家が母方で、そこから派生してくる。特に東国は武家の集合体ですからねえ。なんともはやちょっと調べましょう。中世の専門家はここでは泊瀬さんでしょうから、聞いてみては?
とみたさんはご存じないかなあ。とりあえず図書館であたってみます。
奥州藤原家三代も秀郷でしょう?


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奥州藤原も
2005年6月13日 1:14:36 管理人
そうなんです奥州藤原氏も秀郷流で系譜は以下HPで。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/kyoutika/rekisi/fuziwara001.html
どうも、秀郷流というのは源氏か平家は将門を倒した秀郷流かという3代武家のひとつだそうです。みんな寄ってたかってどれかに祖先をくつけた可能性も高いですね。どのくらい信憑性あるのか疑問符ですが、秀郷から早めに氏姓が分かれた家系は信憑性あるかもとか感じます。奥州藤原氏は秀郷から5代たっておりますが、藤原姓というのがひとつの信憑性ありなのでしょうね。
ともかく、藤原北家というのはちょっと気になります。
秀郷が与えられた領地の佐野は、確かにとみたの地名がみえますね。昨日フランス料理屋で招待してくれた方の奥さんも佐野出身で先日の岩手探索の途中通った佐野インターで話が合いました。秀郷の拠点佐野市に、なにか藤原の古い形での手がかりがそのまま残ってないかとふと感じますね。情報よろしくお願いします。


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当画像掲示板へ
2005年6月13日 1:31:49 かわかつ WEB
一番レスありがとうございます。便利ですなあ、絵が送れるってのは。
一応返事してありますのでどうぞhttp://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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富田という姓は
2005年6月13日 1:45:36 かわかつ WEB
とみたさんには失礼なんですが、古代の話ですから。始まりはおそらく「鳶田」なんです。大阪の富田は「とびた」ですし、藤井寺の近くの富田林は「とんだばやし」、摂津の富田も「とんだ」です。鳶〜飛び〜跳び〜とんだ・・・ときてる。
ちょうど上の紀氏さんの紹介してくれてる忍者の中にも富田がいます。忍者の富田・・・鳶は修験道ですよ。私の本にありますように鷲、鷹、鳶、カラス天狗・・・ね?つまり秦氏です。
富は良字を後世あてた。延喜式の頃。
藤原を使うのは出自隠匿もあります。

とみたさん、ごめんなさいね。こんな事書かれた気持ち悪いですよね。でも明治以降、名前は勝手につけたりしましたから、只の地名からということもありますし。m--m
武家や神官はほとんど渡来系でしょうから。当家もです。



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クイズの答えは
2005年6月13日 10:50:17 管理人
おおたたねこですね。オオ氏古事記の著者の祖先。すっかり忘れてました・・・。オオ氏と北九州から移住して相馬・福島、壁画横穴墓、秦氏・舞楽との関連、謎が多い氏族ですね。


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正解!
2005年6月13日 11:08:01 かわかつ WEB
忍者の方は?


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オセーテ チョーダイ
2005年6月13日 21:08:50 いばらの紀氏
毬イガの影○  申鳶佐助  忍者はっとり君  山羊牛ムネノリ  
渡り(賛歌)美化   石川堀衣文
1つくらい正解しません?    義父アップ   昇天・・・笑点。


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いっぱいなので
2005年6月13日 22:59:40 かわかつ WEB
上へ参ります。



目から鱗
2005年6月12日 9:40:12 とみた MAIL
昨日は上野の東京国立博物館へ.ベルリンの博物館島の至宝展を観る。メソポタミアものがワンサカあり満悦。これと東洋史がシルクロードでつながるのを楽しみにしてます。

道すがら、安田喜建氏の日本民族起源の新説とその評論を読む。
大分分かってきた。
ぼんやりしていた苗族と越人と日本人との関係がつかめてきた。

7-8世紀の高松塚古墳やキトラ古墳に描かれている四方神に隠された意味。西は白虎、東は青龍、北は玄武(蛇+亀)、南は朱雀=鳳凰=鳥それぞれの民族が隠れている。苗族は蚩(山+虫=蛇)尤すなわち蛇族、5000年前(紀元前3000年)東北部のに興り畑作農耕民であった、これが西方からやってきた牧畜民に一部は吸収されて竜族になる。龍族に服従しない一部は黄河の中流あたりを経て洞庭湖周辺の江漢平野あに逃げて住んだ。龍族は黄帝族で南下しては族を追う。蚩尤の率いる九黎(=ミャオ族のルーツ)族はは5000年前に東北部=遼西から龍族に追い出され、4000年前に南下した龍族=黄帝族と拮抗したが敗れの南下、淮河・長江中流域へやってくる。淮河は呉越人の本拠地。ここは良渚文化の稲作中心。鳥田(鳥が田を耕す)=鳥信仰と太陽の恵み=太陽崇拝の地。ここで苗族はこの習俗を得た。3000年前には太陽族鳥族蛇族になった三苗は山岳地帯へ。時は下って秦始皇帝による統一戦争でさらに南進し雲南貴州に至った。。鳥信仰は鳳凰信仰につながる。北の龍、南方の鳳凰=朱雀。一部は海上へ逃れ倭人になった。

日本人、倭人の風習が越人だけでなく雲南の少数民族に似ているとことの説明がつく。
ボートピープルとなって東シナ海にでると対馬海流に乗ってまっすぐに来るのが南九州の坊津(鑑真和上が漂着したところ)天孫族が高千穂峰から降りてきた笠沙も近い。稲作とともに鳥と深く関わる太陽信仰を中心とした神話が生まれ弥生時代の幕開けの原動力になった。

鳥信仰、羽人の存在、頭上に羽根を挿した人々が船を操る場面は弥生時代の出土品に多くでている。

紀氏さん・・・蚩尤の蚩の解剖虫は蛇ですか。九黎の解剖では粟みたいな穀物が隠れていそうです。

かわかつさん、管理人さん・・・出雲の習俗はどうでしょうか、
日本の越の国(越前=福井)は中国の越と関係がありそうですがその風習は??



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おはようございます。
2005年6月12日 10:01:06 かわかつ WEB
とみたさんからのご呈示。越のことですが。
気になっているのが四国の越智です。越の音に漢音と呉音がありますが、四国の越智は「おち」これはどっちなのでしょう?空海などもこの一族河野氏出身です。
また高志「こし」の国は当時かなり範囲が広かったらしいですね。森浩一さんの「ぼくの考古学」によりますと福井県から秋田県出羽柵くらいまでの日本海側に広範囲に及ぶそうです。
出雲とのかねあいで申すなら、やはり白山、大山を中心に日本海文化圏が繋がっていた。これは西は九州玄界灘地方の松浦・宗像〜東は青森まで海のルートが交易の重要な航海コースであったことを教えてくれます。

スサノウにやられる八岐大蛇は高志の国からやってくるんですが、諏訪に八面大王や祖民将来の伝承があり、また北信の安曇野地名の存在など、海部の影響は捨てがたいですね。


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木にしてました栗
2005年6月12日 12:23:54 いばらの紀氏
羅列
星(3星)の首(かしら)、ヨウ・ショウの音の文字が関係
葉ー(++)=ヨウ・ショウの音  ふだ?
なれる ・セツ・けがす
甲(陽・太陽神?)   兜(栗の伊が・猪が・夷が・射が・鋳が・毬(マリ・あ?)   上級士官
参る・サン・太陽?
斉・斎?そろう?
栗(西+木)  6・?・酒かすをしぼる籠(測量士!)
星(3星)の首(禹系)になれる・けがす・甲(陽・太陽神?)最初は参る・サン・太陽?
 とみたさん  短い情報の羅列ですがイメージを膨らませてください。
 かわかつさんまたです、てにおは・・・・御免 ズバッ (助からない紀氏でした。)


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ミャオ族・・
2005年6月12日 14:32:04 管理人
とみたさん、ベルリン博物館展、私も行ってみたいです。シルクロード系など、興味深いですね。博物館といえばダビンチコード、博物館で展開される古代象徴図形をさぐるミステリー、かなりはまっています。
ミャオ族等の流れお教えいただきありがとうございます。稲作や納豆の起源とか、長江方面などから呉越を越えて、日本にずいぶん古くからもたらされているそうですね。昨日はたまたまあるフランス料理屋に招待されて、いろいろフランス料理とか文化の話を聞かせてもらったのですが、和風のものとして古代米を魚?で包んだような料理がありました。古代米ってはじめてだったんですが、玄米みたいでやや硬く、でもなかなかそれがうまかったです。米の起源も気になります。ボートピープルの流れもまた気になりますが、長江から、あるいは台湾からの流れのほか、マレーシア、フィリピン方面から、流れ着く可能性ありうるのかどうかとふと感じました。


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しゃべるときも・・・
2005年6月12日 15:27:28 かわかつ WEB
そんな感じですか、紀氏さんは?家族は楽しいだろうなあ。想像力つきます。とみたさんはお金持ちだからあなたもドイツに行ってきなされ。どこのドイツだって言われますぜ。


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昨日のTVに
2005年6月12日 15:33:16 かわかつ WEB
へんてこ黒めがねのおっさんがでてたので誰かと思ったら飛鳥昭雄でした。まんがみたいなことをのたもうておられました。
先程まで山に入って桑の実をとっておりました。今、手が真っ青です。本当はヤマモモが欲しかったんですがまだ青くて小さかったです。しかしほのかに甘い、ゆかしい味です。


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美しい誤解
2005年6月12日 15:42:20 とみた MAIL
かわかつさん
私が金持ち?美しい誤解です。車はセコハンのマーチです。ずーとセコハンですぞ。

自宅は粗末ですが持ち家で銀行に金利がとられないので助かっています。ゴルフもしないで図書館へ通っておれば安上がりです。菜根譚にあるごとく金持ちは盗難を懼れますが、私がごとき普通の暮らしでは心配要りません。ハハハ。赤貧洗うが如しまでは行かないだけです。

古代史みたいに妙な領域に入ったのでますます金がかからない。

それにしても古代史の本は大きな書店でも探すのに苦労しておりいます。

かわかつさんの本を求めたいのですが書名は何ですか。

構わなければ教えてください。


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早速!
2005年6月12日 16:21:42 かわかつ WEB
感謝感謝。私のハンドルの横のWEBマークをクリックして下さい。拙ウエブが表示されます。一番下の写真をクリック。TEABRAKE画面の弥勒菩薩様のお顔のあたりにアマゾン、新風舎、楽天などのロゴマークをクリックされますとそれぞれ購入画面が出てきます。
ひとつよろしくお願いいたします。また読後のご感想などは拙ウェブ内掲示板へ書き込みお願いいたします。
とみたさんもブログやHPをお持ちでしたら是非ご紹介下さい。ありがとうございます。


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PS
2005年6月12日 16:32:34 かわかつ WEB
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/teabrake.html


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紀氏さんの本も
2005年6月12日 16:59:56 かわかつ WEB
ありますよ。どっぷりと彼の世界にはまれます。難解ですが・・・

私の著書名は『秦氏が祭る神の国・その謎』新風舎 1050円です。が、ただしネット販売か新風舎直営店の熱風書店など、大分市書店でしか販売していません。店頭でお買い求めの時は各書店にご注文下さいませ。

あそうだ、ここのHPからも購入できるんでした。管理人さん感謝。


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蚩尤 炯眼
2005年6月12日 21:17:34 いばらの紀氏
蚩尤の蚩の解剖虫は
解字:「蚩」=(山+亠トウ ズ+虫)
山・・神?+亠なべぶた(神の声)+虫(蛇・禹・ユダヤ)
(崇高の「崇」スウ=充・高い山・みたす・あがめる)
(蚩尤・・・・わかりません。「崇」と似て非?・・

「炯眼かも・・」
 いいヒントでした。
からす「烏」が「火部」に・・・ゾロアスター教?
またも妄想がム・ラー・ム・ラー



前方後円墳の
2005年6月12日 2:59:25 かわかつ WEB
墳形は子宮を象っているという大和岩雄氏の研究、なかなか信憑性ありました。「神々の考古学」
甕棺にしても胎内回帰願望が感じられるし、「マナの壺」説よりも説得力があります。
その先思い出せない。もう寝ますヮ。


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かわかつさんへ
2005年6月12日 3:43:18 いばらの紀氏
(古墳のこころ)難解と思います、管理人さんも何度も読み返したそうです。カバラのような謎解きそれも、私的な表現 読者の皆様すみません。市町村の合併前(地名の変更がなされない内にとの焦りがありました、秦氏のながれに詳しい かわかつさんにはご理解いただけると思います。地名ですが古くは空海・大日本史編さんの黄門さん・忍者らしい芭蕉さん古代の測量を知る者を求め旅したようです、黄門さんは部下の長久保赤水らに自分は朽ち果てそうなポイントの寺社の修復に尽力したようです。
天海さんも荒神塚アラー庚神塚でした。地名はやめようと心に誓う紀氏でした。         おやすみなさい。


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地名は致命的?
2005年6月12日 10:10:21 かわかつ WEB
紀氏さん起きましたか〜?
「古墳のこころ」はいつも枕元に置いています。魔よけ?
いえいえ、睡眠薬です。
私の本買って下さいね!^^;

ところでCP画面に最近「同期画面」が15分置きくらいに出てきてこまってます。どうしたらいいか教えてくださいませんか。



わあ
2005年6月12日 2:51:12 かわかつ WEB
せっかく書き込んだのに字数が多いって撥ねられました。しかも跡形もなく。ひどい・・・


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あどばいす
2005年6月12日 4:00:29 いばらの紀氏
 えくせるに下書きし、お好みの長さに こぴーい ハリツケ
                   ぶきような紀氏でした。 


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SpecialThanks!
2005年6月12日 9:44:44 かわかつ WEB
Thank you for your kindness,Mr.kisi.May be I will try so nex time.

ア クマ!悪魔
2005年6月11日 12:55:39 いばらの紀氏
悪魔の「ア」の音に、牛・烏・蛙・そして禹
文字では、閼(ア・すさぐ・とどめる)=門+於(オ・イテ・ケル)
       十二支での卯(禹)に関係する・匈奴の王の妻の称
「鴉」ア・からす・(牙+鴉)・・・・牙=邪馬台国の 牙(商人・・・?)
「阿」ア・くま 阿鼻(地獄) 阿修羅アシュラ(悪鬼)  くまその祖?
阿弥陀(西方浄土の教主)

以上の事柄からキリスト教系の権力闘争・内部分裂以前に
ユダヤ十二部族に東方の禹系(蛇系)の宗教が影響していたとの
妄想をいだきます。

秦氏はローマ・シオン系(内容は知りません、教えて下さい。)と感じます。

私・・・・一人・・・・浮いていますか?    不安がよぎる紀氏でした。


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薔薇からの妄想
2005年6月12日 3:20:35 いばらの紀氏

 薔しょく・ショウ・ソウ・みずだて(チマタでは収穫をも表すとのことですが、私的には違います。)
薇ビ・ミ・ぜんまい(さや・実が食用・さやえんどう・・私的には違います。)
何かで読んだか?テレビか? 神か宇宙人の人間育成牧場説がありました、
薔薇からの妄想がこの辺から生まれたのでは?の妄想を抱きました。
薔=++ 土 人人 回   古い字形では、田の上に実った稲か麦の形・
内のような形の上に枯れた木のような形などがあります、
薔ー(++)=嗇ショク・おしむ・やぶさか・・・・から

薇ビー(++)=北斗の北の星・天帝の居所
(ピラミッドの位置の配列など地上に星座(北斗の北の星・天帝の居所の
コピー存在説は正しそうです(私の考え浅かったですお詫び致します。)
これでは神か宇宙人の人間育成牧場説も考えられる?困った。
私的 測量関係文字と考えて、タイムオーバでの中断と考えます。
(イスラム回教徒の妨害NI薔薇十字騎士団が排除のために結成されたと考えます。)

薇ビ(さやえんどう)からシオンが解りました。
えんどうの花の色白と紫の紫から紫宛→菊科→菊の紋章(ユダヤ?)
                     紫姑→神の名・こっくりさん系(巫女?)
嗇(おしむ・やぶさか)妄想:測量の「努力」は「おしまない」

バラモンからクマ(禹)と馬と「ギリシャ」が現れました、
やはりローマは蛇(禹)と狼(犬系・騎馬民族)に育てられた・・・の妄想です。


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魚=吾=禹獣の名
2005年6月12日 13:58:50 いばらの紀氏

魚の意味に吾・獣の名(666?)と有ります。
魚はキリスト系なのに獣の名と有ります「吾」が禹としたら
苗は(++)田=キリスト系の田(地図・農耕民・南方の民)
イネ:私イネ(禹)・伊ね(星(3星)・伊ねの首)稲・夷ね猪ね異ねイね(イ=うし・禹氏)
   夷ね・意ね・威ね・亥ね・医ね(薬師・)・井ね(穴氏)・委ね・禾イネ・ノ木(神の宿る木・鳥居)
以前にギリシャがキリスト教を迫害していたのに国の宗教となったのは
どのような経緯・取引が行なわれたのか知りたいです?
皆様、お教えください。


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ダビンチコード
2005年6月12日 14:20:54 管理人
紀氏さんこんにちは。薔薇十時、秘密結社、・・・、ダビンチコード読んでますが、シオン修道会が出てきて、ダビンチの絵に隠された女性崇拝、ローマでのキリスト教以前の豊饒神、南北の日時計ライン・・・、キーストーン、五角形象徴・・・を象徴学者が謎解きしていく、まさに紀氏さんの理論にぴったりですので、よかったら読んでみてください。結構勉強になります。


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陳謝!
2005年6月12日 20:01:28 いばらの紀氏
読んでません!内容が気になりますが?
懺悔 みなさま私、貧が有りますもので自分の本も購入できませんトホホ・・・
管理人さん、ダビンチコード気になります、本の内容に(買いたい!)
私の知らないだろうな?と思える記載を教えて頂きたいです金欠なのでトホホ・・
(かわかつさん・・・陳謝!)
漢字の研究(石の鳥居とウ八九)の事、文字の数が・・・・進みません  残念!
情報をください、私なりの分析・(漢字での)いたします。
(最近の外圧・ちまたの情報にまだ毒されていません?ユウジャナーイ????)
紀氏ワールド、外から見ると いかがなものですかー   知りたい!。
         井の中の華和頭・・・紀氏でした。



紀氏さんおはよーございます
2005年6月10日 12:04:23 かわかつ WEB
昨日の迷惑レスの件はもう解決したんですか?


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RE
2005年6月10日 12:30:07 いばらの紀氏
モウー禹倭紀は志摩せん、呉漢弁を・・・・かわかつさんが伝染・・
                 秦秦困ったでゴザイマスゥー。


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なにいってんですか?
2005年6月10日 12:50:12 かわかつ WEB
あたしゃ、あなたを心配してんでガスよ。ほんとに訳わかんないお人だなあ。ソンなこと書いたら、迷惑メールしてるのがなんか私みたいに聞こえるじゃないですか。やな人だねえ。
管理人さん、やっぱり貴方が通訳してくれないと言葉が通じないよ〜


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また閃き!
2005年6月10日 12:52:18 いばらの紀氏

秦幡で・魚(キリスト系)の神=はたはた=(魚+神)
始皇帝が考えと思います。


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PS
2005年6月10日 12:57:04 いばらの紀氏
 かわかつさんご心配ありがとうございます。
むかしの気になるHPは除くだけにします。
          完射です。


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「古墳のこころ」
2005年6月10日 13:02:38 かわかつ WEB
読んでますよ!難解すぎて何回も挫折しかかりますが・・・
でもって紀氏さんのことがようくわかった!
この方は湯水のように涌いてくる着想の泉の中でおぼれちゃいそうになってる。つまり泳ぎ方が普通の人と違うんです。
あとからあとから断片的アイデアが自分自身を押し出してきて、言葉がもどかしいのですよ、きっと。
他人に誤解されそうだなあ。トラブルが起きるのはその辺にある。
だって文化系の凡人にはこの方のおしゃべりがまるで言葉の羅列にしか聞こえないでしょうから。
でも、長く付き合うときっとわかってくれます。
同世代としてやはり応援せざるをえましぇんですタイ!


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除くだけにします
2005年6月10日 13:08:38 かわかつ WEB
〜というのは「覗くだけにします」でしょうなあ。
始皇帝が考え〜ちゅうのんは、「始皇帝の考え」の古語表現ですかなあ。
いや〜やっぱり書き間違いだな。
ああ!ちょっかいだしたくなる〜〜〜〜〜〜!!!!
大好き!だいすき!


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本気で申しますが・・・
2005年6月10日 13:12:23 かわかつ WEB
ほんとに「てにをは」ちゃんとしたほうがいいですよ!
本うれませんぜ、ちゃんとした日本語で書かないと。(××;)


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重ね重ねありがとうございます。
2005年6月10日 13:14:16 いばらの紀氏
 表現力の乏しい+セッカチ+自己虫・・・・応援をお助けを切に親切に
おまはんを頼っとごわすとたい。


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ダメだこりゃ・・・
2005年6月10日 13:19:29 かわかつ WEB
こっちが助けて欲しいんですけど・・・??++)


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「が」訂正「は」です
2005年6月10日 13:26:44 いばらの紀氏
始皇帝「が」訂正「は」です。・・・わた「す」はこの様なミスで会社を辞めました(病め)の為です。キーボードを叩くのが下手なのです。


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違う違う!
2005年6月10日 13:38:21 かわかつ WEB
始皇帝は考え・・・っていうのはもっと変でしょう???ほんとは「始皇帝が考えた」って書きたかったんじゃないですか?
ちょっと誰か、こんにゃく問答楽しんでないで違う話題レスしてくださいよっ・・・私は左脳の使い過ぎでリタイアします。
さのう・・さあのう?・・さのよいよい・・また!筒井康隆が現れましたよっ
あ、酔いよい宵やさっと・・・・・・・・・・・・サラバ
ジャズや、ジャズが聞こえるウウウウ


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アソウダ
2005年6月10日 13:41:46 かわかつ WEB
このレスを対談集で売り出したらけっこう売れるんじゃない?下手な漫才よりおもろいかも???管理人さん、資金を稼ぎましょう。


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出版
2005年6月10日 16:38:30 管理人
どうもおはようならぬこんにちは。おきました。ほんとに漫才の台本でも売り出したら売れるかもしれませんね。と、渡来人研究会の出版でも、たとえば対談風に掲載してみるとか、いろいろ形があり、その辺かわかつさんお詳しいところですね。個人的にはみなさんの論文をひとつづつ学会誌みたいに集めて掲載してみるというのもどうかと感じます。売れるかどうかは別ですが・・・。


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訂正しまする。むちゃくちやでございまする。
2005年6月10日 16:48:43 いばらの紀氏

始皇帝が考えと思います。「考え と」狸でした、「え」 「と」の間に「た」を入れてください。
また閃きました!
くろう義経のクロウは烏・ヤタガラス(三本足の烏・サルタヒコ系)ではないかと思います。
        クロウはラテン語かポルトガル語?で修道僧の意味だったかと思います。
       (修道僧のスタイルはクロ服に長い紐のようなもの?それが三本足にみたてられたのではと考えます。

禹氏若○(!偶然の変換、驚き)
牛若丸の牛はモウお判りでしょう そう「禹氏」ですね。
若は倭夏は冗談です、「若」古い字形では桑の新芽とか・意味には汝ナンジ・わだつみ・海神・したがう・知恵・寺院・当然・・・幼い・・
桑の新芽から蚕のえさで蚕が秦氏なら餌とは?何何でしょうか?。
海神ならポセイドン・海蛇族の妄想が芽を出します。
丸には墨を数える語転じて烏丸ウガンとも有ります。
円はぶんまわし(大工さんの使うコンパス)で描いた図。)
描くで思い出しました、苗・苗族は私の妄想では「田」が地図で++が鳥居の祖の測量器具なのです。
シルクロードの砂漠で見つかった朱色の柱の先がほぞに差し込むように細く見えました。
古墳や墓地などは不動のポイントではないでしょうか?如何でしょうか?
間マに田タがぬけ田・・・紀氏でした。


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また平目紀!
2005年6月10日 18:39:51 いばらの紀氏
牛若丸のは義経が死んだ後に創作されたのでは?
したがう・知恵・寺院・若死に(夭ヨウ・わか死)(妖怪の妖から女を無くした文字)
偶然には思えません。(ヨウの同音に羊・・幼い羊とくれば・・・・生け贄・・・まさか頼朝が誰に奉げたのだろうか?。
桑・・・九羽(天使?・ユダヤ九部族の妄想)
桑には桑の木の弓とよもぎの矢で天地四方を打て・・・男子の生まれた時の祝い。
「矢で天地四方を打て」・・・私は禹の弓矢での測量と思っています。(日本の話のある矢の落ちた場所の話と弓矢の神事からです。)
桑原桑原・・カミナリよけのまじない・桑原にカミナリは落ちない。(アレキサンダーは桑畑は、破壊しない。・・との妄想デス・)
雷の古い字は、(雨+田田田田+神)・・・・わかりません?・・・誰か教えて下さい。
黄泉のくにのイザナミには蛆(禹氏とかみなり?が・・神鳴り・・・祈祷し?妄想です。)
うじむしから  &#34637;ショク蛆ショはむかで(山師?)
雷と禹氏蟲と百足=これも解らないです、誰か教えてください。


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答えかも?
2005年6月10日 19:58:21 いばらの紀氏

雷は、(雨+田田田田+神)  天+でんでんでんでん(太鼓)+神=雷神でしょうか?
雨ウは雲の上・天の雨粒は天使?(宇宙のウ冠にTで穴を開ける流星が降る=天使?)
あめのうお&#39879;(魚+完)カン・コン(坤・未申・西南の方向・大地の力・母・・)?(魚+完)
コン(鯀・禹の父)コン(魚+完)完 完成 欠点の無い魚・・・キリストでしょうか?
雨+田田田田+神=天の下の神を中心に東西南北
田は地図 4対2の木の盾に地図を彫った言い伝えから、日+日=田 日X8+ローマ+神=10・十
日+日=田 日X8+ローマ+神=ユダヤ十部族=古代中国九州+ローマ(ユダ族?)
私の妄想もここまで来ました、如何でしょうか?


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義経クロウは
2005年6月11日 9:36:44 かわかつ WEB
炯眼かも・・・この人物自体架空の色合いが強いですものね。


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判明 判名!
2005年6月11日 9:59:31 いばらの紀氏
 皆様、おはようございます。
良い知らせか、悪い知らせか判断できませんが、
666 獣の名が解りました。
結論:熊(能ノウ+心)ノウはイエスの反対語
能楽の能の漢字の意味に秦氏に繋がる影が見えます。
 星座での熊も調べて見てください、そこにヒントが
有りそうです、(中国での星座かも知れません。)
クマソ=熊が祖  たしか、禹も熊だった記憶が?・・・
定かではありませんが。
熊の古い字形ではヒヒ(ヒヒ・霏霏・狒狒が肉の芽を引いている形に、私には見えます。生け贄の肉だとしたら恐ろしいデス。)
 
  喜ぶべきか悲しむべきか・・・悩める紀氏でした。


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お得意の訂正デス。
2005年6月11日 10:16:50 いばらの紀氏
 「熊」の古い字形ではヒヒを訂正します。
能楽の「能」の古い字形です。・・・能デス!

今度は、バラを考えています(薔薇十字・棘・カバラ・バラモン・・・などからです。
期待しないで下さい。

            紀氏でした。



面白探検読んでます
2005年6月10日 9:58:26 とみた MAIL
管理人さんみちのくの旅、さすがですね。神社を見ると気になって先祖のルーツ探しを続ける。蝦夷との戦いや、前九年後三年の役なんか面白いのでしょうね。それと今年の大河ドラマ義経物語。東北新幹線が出来て最近よく東北へ出かけます。北上川で地ビールの私とでは古代史入れ込みの格差で唖然。

いばら紀氏さんご紹介のHP:甲斐の物部氏と壬生そして、甲斐源氏へのつながり面白かったです。

かわかつさんのHP:こらぼれのhpも覗きに行きました。こら老いぼれのHPでなく、みんなこぞってのコラボレーションなんですね(笑)
ヤマトの三輪神社は出雲族は有名ですがこれも秦氏系なんですか。
物部氏の性格がまだ私には良くつかめません。
三輪の出雲族を天孫族の近畿王朝・崇神天皇が抑えてと考えておりましたが・・・葛城王朝のこともよくわかんないのです。欠史8代の天皇はいたんですか。
こんな初歩的なことも良くわからんのです。
物部氏は三種の神器の管理責任者とか、前方後円墳を全国へ普及させたゼネコン(土木事業者)だとかいろいろ云われています。

諏訪神社は古事記国譲り神話の出雲族の大国主の次男タケミナカタが天孫族のタケミカヅチに負けて諏訪に追いこめられることは承知してますが、御柱信仰の聖木の御柱祭りは雲南の倭族の風習を受け継いだものかなとも思っております。
柵に囲まれた巨岩の向こうには神体山の守屋山(物部の守屋と関係がありそう?)
古墳の分析がありましたね。
方墳は高句麗文化の影響を受けた出雲起源。積石古墳は高句麗生まれと聞いていますが・・・
江上波夫のヤマト騎馬民族説によれば紀元4世紀中国魏呉蜀は3世紀に滅び、すでになく西晋の時代に、これも騎馬民族の五胡16国の時代になる。特に鮮卑が強くこれが北朝鮮の高句麗から南朝鮮の辰国さらにヤマトにも影響を与えた気がするのですが・・・

このあたりの関連性を教えてくださいね。

私の住んでところは平将門の生誕地だそうです。下総国相馬郡。平安時代は伊勢神宮の神領の相馬御厨であり神明社があるようです。
将門が遊女屋で見初めた桔梗姫をだまして藤原秀郷(俵藤太)が将門の個人情報を入手して殺したんだそうです。


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とみたさん今日は
2005年6月10日 10:43:56 かわかつ WEB
私のスタンスは私の「秦氏が祭る神の国・その謎」を読んで頂ければ一目瞭然です。秦氏の来た道、行った道はあまりに広大な原野を行くようなものです。だから部分にこだわっていると一生涯かけても解けません。もとより私はそんな性根の座った研究肌ではありませんから、様々な情報から大まかなコラージュによって説を「でっちあげ?」てゆく歴史推理作家に過ぎません。(飛鳥昭雄のようなサイエンス・エンターティナーなどという誇大広告もしていません。)従って眉に半分唾つけるような中途半端な人物でもありますが・・・
私に言えることは
1、歴史には人間たちの生きていく上での方程式がある。
2、部分を専門的追っていくと混沌に巻き込まれる。頭がいいと思ってる人なら大丈夫でしょうが、私たちは凡人です。
3、秦氏を追えば必ず謎の4世紀がわかってくる。
4、死の直前まで邪馬台国にはタッチしない。これは遺言として書こうと決めています。
5、記紀は書かれた近年の政治的状況を為政者につごうよく解釈できるよう、何度も繰り返して別の逸話を挿入して実は同じことを読者に押しつけて行く「サブリミナル効果」で書かれている。
6、秦氏の陰に被差別民がいた。
これが今の私のすべてです。そしてこれから方程式に乗っ取って、諏訪・白山・物部氏・海部の関連と謎に挑戦して行くつもりです。
発想の原点には小説家・井沢元彦、森浩一、諸星大二郎、梅原猛、安藤輝国などの歴史懐疑色の強い作家たちの著作があります。ちょっと斜に構えた意見が好きであります。
さて、諏訪ですがひとつのテーマがあります。物部守屋が諏訪に祭られた可能性についてであります。これは私の宿題です。
騎馬民族でありますが、日本では騎馬民族が馬を持ち込んで動ける広い平野がなく、持ち込んだとしてもそれだけでは国家建設には至らないと思うのです。やはり日本列島は海の国。航海術こそが最重要ではないでしょうか。馬を大量に持ち込んだとすれば日本の原生馬にその血が入ったことでしょう。そこら辺どうなんでしょうか。ご教授下さいませ。


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PS
2005年6月10日 11:07:49 かわかつ WEB
とみたさんは世界史的視野を持っておられますので、あえて逆に国内から外へむかっていこうとやっと気づいた私が申すのもナンですけど。
最初はやはり秦始皇帝時代の「長城建設」がありそうな気がします。これがかなり外威からの技術者を取り込んで開始していますよね。彼等はその多くが胡人らしいのです。アフガンやウズベキスタン、ペルシャなどの外国人です。どうも彼等はもともと西方の血が交わってる。これが日本人の原形質を持っているらしい。
彼等が建設労働からかなり大量に東へ逃げている。
中国本国経由でなくヒマラヤの北側を抜けて・・・つまり陸のシルクロードですが・・・半島北部へ一気にやってくるみたいです。
ここで北方民族の血が混じります。というか彼等が同化しようとするんですが、これがなかなか難しい。技術者がやがて半島南部に集まってくる。そこには海の民・倭人がいる。航海技術を手に入れる。同化する。
やがてさらに南下してゆく。北部九州で国を打ち立てる。半島ではやがてとみたさんご指摘の南下が始まり民族の重層的な南への圧縮現象が起こる。加耶から大量の混血渡来人の渡海が始まる。
百済系新羅系もなにもかも入り交じって海を渡ってきて、やがて今度は列島で権力抗争が起こる。やっと倭国大乱?
妄想ですよ、あくまで・・・


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方程式
2005年6月10日 12:33:12 かわかつ WEB
1先史時代から祭っている聖地がある。
2そこへ簒奪者がやってきて無用な者は殺戮、追放する。残った者とほぼ強制的に共生する。彼等の信仰に自分たちの信仰をかぶせる。「神名の交換」(例;気比に於ける応神と気比大神の名前交換)が行われる。
3古い「神霊の監視」のため荒御霊が合祀される。
4殺戮を受けた先住者の荒御霊も神霊として祭る。
5朝廷が完成してそこから地方官としての秦氏系祭祀者がやってくる。最終的に朝廷に都合のよい神名が覆い被さる。(例;宇佐神宮の応神天皇や出雲の大国主。東北などでは土着のあらはばきという古い神に何度も新しい権力の神名が重ねられる)

ですから諏訪の守矢一族がもとの地主神かどうかなども信憑性はないのです。その前があったかも知れないし、あとからきた宗像一族は洩矢一族を追いやったからこそ上社に祭った。その奥の方に尖石、八ヶ岳があってそこが彼等の聖地だからですよ。神霊の祟りを怖れたからです。そこへ後からさらに朝廷の祭祀を持って、信仰統一が行われる。やってきたのが神長守矢氏です。
何度も言うように朝廷の祭祀者は必ず現地の被管理者と同じ氏姓を名乗ります。簒奪の歴史が抹消できるからです。これが「忌む」「かむやらい」というカッバーラの奥義です。
これは全国の神社に共通します。
稲荷神社が地域の入り口にある場所は、その奥に必ず被管理者たちの里があります。そして中心地にはまったく違う名前の、そこ独特の神が祭られている。ひっそりと・・・そこの最終祭祀者は必ずと言っていいほど現地人の名前を持っています。箕田とか・・・それは彼等が後に被差別民、流人、サンかとなっていった証なのです。


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藤原秀郷
2005年6月10日 16:35:44 管理人
とみたさん、かわかつさんこんにちは。とみたさんの住んでいらっしゃる場所、将門、秀郷にゆかりがあるのですね。興味深いです。今度秀郷について教えてください。奥州藤原氏の秀郷から出ているとされ、秀郷は藤原魚名から出ているとされます。かれらとともに、どうも鉱山関係の氏族が一緒に動いているのではと感じたのですが、鉱山関連のことなどの情報もございましたらよろしくお願いします。
かわかつさんご指摘の西方からの血の問題、やはりうちの祖父の長身・緑目など、ちょっとDNA調査してみたい気がします。荒御魂ならぬ、先の岩手の荒神輿ってなんでしょう??


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えっ?
2005年6月10日 18:17:04 かわかつ WEB
岩手の荒御輿って、そりゃなに?どこに書いてあるんですか?

藤原秀郷?そりゃ当家のご先祖ということになってる方ですな。藤原秀郷流近藤家から出たのが豊後大友氏で、その7世孫が当家ですので・・・
もっともこんなのホントかどうか知れたもんじゃないですが。

すいませんねえ、私も寝ぼけてるもんで。


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かわかつさんも
2005年6月11日 2:36:28 管理人
そうですか、かわかつさんのとこも藤原秀郷から出ているとは、ううん、なにかありますねー。栃木県都賀郡というところからその藤原系統の流れがあるようですが、都賀というのは坂上氏の始祖都賀使主とか思い出しますが、はてさて千葉にも都賀というところありまして・・・。荒御魂、秦氏、かわかつさんにご期待ですね。


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舎人さんも
2005年6月11日 4:00:22 かわかつ WEB
藤原ですよ



一関・中尊寺探索日記アップしました
2005年6月10日 5:29:49 管理人
先日の一関・中尊寺探索日記アップしました。以下のアドレスです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/ichinoseki050607.htm
きっとみなさんの話題の中でも興味深い事実が出てきていますのでぜひご覧くださいね。


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一関・中尊寺探索日記唐カラの妄想
2005年6月10日 11:58:26 いばらの紀氏
こんどは、八戸・ハチコ・蜂子
東北の修験道と蜂子皇子についての薀蓄を御紹介いただければ幸いです。
ヤタガラスと蜂子の関係は?
(出雲・加茂氏・葛木氏・役小角らの関係は?)
(蜂・・・発ハツ・ホチ・・・弓を射る意味?)
薬師寺の慧基・道昭・行基の法相宗とは?
夫婦石・・・・・道祖神? 。「赤堂」・・・赤道?
牛と渡来系神牛伝承
(うし=禹氏=偶像(モーゼの民も黄金牛を作りヤヘーを怒らせた。)キリスト教の色々には父系太陽ラーと母系 月 兎 禹鷺(路の鳥)系
「祇園」シオン?塩釜シオン・ガマ?「弥栄」、ヤエー「月山」津規(台)耶麻 、「八幡」蜂秦
藤原朝臣常陸守・・・日立・・・・鹿島?・・・中臣・・・タケミカズチ?
弓 月=中国神話ゲイ弓の名手 たしか妻ジョカ(ゲイから不老不死の薬を盗んで月でがまカエルにうさぎは臼でガマノホを煎じる兎=禹=薬師
下野国=壬生町=慈覚大師 円仁(行基時代未知の区を測量した。)=壬生氏(子安・保育)=富津主?・・・香取?
蚕・・・秦氏・・・・スクナヒコナ?
愛も変わらずマトマリマセーンの紀氏でした、お後が宜しいようで・・・


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閃き!
2005年6月10日 12:23:55 いばらの紀氏

「薬師如来は49という数字と非常に関連が深く、人が重い病に倒れた時に薬師
如来の経を49回読み、49の灯りを灯し、49の五色の彩幡を作ると助かる
という言い伝えがあります。また地獄の十王のうち49日目に亡者を裁く泰山
王の本地は薬師如来であるとされています。」
・・・から 4x9=36=ミロク=弥勒菩薩?=666(獣の数)ムムム禹禹禹!
禹の呪縛から逃れられない紀氏でした。


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紀氏さんも
2005年6月10日 12:38:29 かわかつ WEB
四苦八苦してますね。これもヒントよ〜ん


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それって!
2005年6月10日 13:52:10 いばらの紀氏
「四苦八苦」・・・それって以前私が・・・・・8X9=72
72年周期の星や72度の五角形の内角などユダヤの秘密主義が私たちのひごろの生活のなかに特に数字に関して仏典などに多く秘められているのではと考えております。
昔の歌のも測量でのポイントや数字が耶麻と言葉などに秘められているらしいです、「大和・倭・耶麻と・山門などのように。(ように・・何なの?)
和の語は文字や音などでの洒落から形成されて来たのではとの私こと紀氏の見解並びに妄想です。(キーを打つてが疲れましたのでこれにて終わらせて頂きます。またのお話を楽しみにさせていただきます、御免ください。


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重要です
2005年6月10日 14:46:26 かわかつ WEB
だじゃれは民間に入り込んだ重要な隠語。俗謡などもしゃれの語呂合わせが多い。こいうものは権威主義の学者は絶対扱いませんからね。だいたい文献史学者という者は民族学をないがしろにしてお〜る!
自分たちは歩きもしないで考古学者や文化人類学者の論の上前を撥ねようと虎視眈々としてお〜る・・・ような輩がいる。私もそうであ〜る。恥恥・・・



それと諏訪に関して
2005年6月10日 0:29:08 かわかつ WEB
以下のHP管理人氏の興味深い指摘。
「物部守屋敗死後、諏訪の埋葬に変化」というのが実に興味深い。拙著に少しだけ書いた物部守屋の霊が諏訪に祭られたのでは?という部分に奇妙にリンクしてきます。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/bbs/index.shtml



参考HPです
2005年6月10日 0:25:11 かわかつ WEB
http://www.ffortune.net/spirit/tera/hotoke/yakusi.htm



クイズ 2
2005年6月9日 10:38:50 いばらの紀氏

 下記の「RE」をある?HPに送りたいのですが何故か?送れません、さてある?HPとは・・・・・・答えは貴方のお名前である?HPに下記の「RE」をお送りください。おねがいいたします。

[6377]RE
五十=磯・八十=ヤソ耶蘇(ラテンJesus中国語音訳)教(景教・キリスト教)
 突然おじゃまします。
「い」の文字は牛の角がモデルだそうです。(禹氏)
出雲・スサノオ関係
「イ・い」の音の漢字を調べると面白いことに着付くことでしょう、お試しください。
ちなみにお奨めは、「&#34524;」(虫+伊)
「コウ」(虫+康)+「&#34524;」(虫+伊)=(こうい)=とんぼ(銅鐸の紋様)
こうい=公位かも知れません。
「イ・い」の音の漢字のお奨め。:夷(胡)・倭・葦・蛇・緯・猪(猪八戒?)・・・・
漢字は奥が深いです、神々が見えてきます。
神々を知る(同音の文字わ知る)と時代がひらけます。
おためしください。
追伸 (五(王の位)十(十字架)=磯=キ・・・紀氏?)
    礒ギ(石+義)イソ岩・巌・岩石(孫悟空?)
・・・・シルクロード   謎がとけますヨ!。


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エまたカエル
2005年6月9日 12:46:51 いばらの紀氏

 カ=夏 エ=巧 ル=禹の足
虫の圭=蛙(銅鐸の紋様)です換える替える飼える変える帰る返る孵る
買える還る!そう還る 循環・・・蘇えりです。
「圭」キ たま (諸侯を封じる印・64・土度と同じ)土地を測り治めること。
カ=夏は力(チカラを表す)
孵 卵から孵化して「子」(♀甲骨文字で子)(♀これ手エジプトのファラオの手に・・・)
卵から卯(ボウ)ウ・か(禹化)すると昴スバル(天使)になる。
漢字の作り方少しわかって来て来れて参りましたか?

始皇帝は禹が嫌いだったの?
虫歯=(虫ムシ無視・ム氏+羽)=「ムシバ」(歯+禹)=齲

目が痛い! もじもじ文字文字・・・・三昧の紀氏でした。


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アダムのアバラ骨が見つかりました。
2005年6月9日 23:58:12 いばらの紀氏
あ!  誤解された鴨
 私は「主」=「ヤヘィー」とは、必ずしも同じとは考えません!
「ヤヘィー」はたしか、旧イスラエルの三部族の神と「ヤヘィー」が言っていた?・・・記憶が?
「主」には人間が名付けた「名」は無い、いや八百万の名を持っている いや 神・主・仏すがる気持ちは同じ似非の神では無い。
宗教団体の神?真の神は一人一人の心の中に住んでいると思います。
名の有る神を否定はしません、それもまた神だからです。
私の神・主は私の妄想の中に居ります。
誤解を恐れた小さな紀氏でした。

アダムのアバラ骨が見つかりました。
 以前、イザナギの漢字にアダムのアバラ骨が有ると言いました、
偶然 ゼン(虫+&#20868;)大蛇 うわばみ・・・・を見つけました。
おおへびとは蛇族(禹)の祖先ではと(虫=へび+アバラ骨(イブ・エバ)
&#20868;は月に似ている 月は陰は女。禹は女系のキリスト系?
(祖ーネ)を「Т」の(横の形)がガツで骨を砕いた残骨(かばねへん)
それにネ鼠ソ→(祖ーネ)が禹の父の関係する文字なのです。
測量の起点・禹の父鯀の墓・古墳などなど・・・・
(祖ーネ)を漢和中辞典でお調べください。
(祖=はじめ・始(女+台)始祖神の廟・さえの神・)
いかがでしょうか?禹と測量が漢字の祖なのです。
認めてほしいジレッタイ ジレッタイ の紀氏でした。


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難問ですね!
2005年6月10日 0:27:05 管理人
紀氏さんこんばんは。ううん難問ですね。アダムのあばら骨からできたのはエバだったような?エバというと彼女をだました蛇?イザナギというと、先日の一関のどこかにも祀られていたような??ちょっと今報告まとめているので、クイズの答えはまた後で合わせて・・・。ではでは。


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「アダムの肋骨」なら
2005年6月10日 0:33:20 かわかつ WEB
諸星大二郎の作品にありますが?
漢字の構成からそんなに多くのことが派生して来るというのは、一体紀氏さんの知識の原典はなんなのでしょうか?是非知りたいです。そういう本があるのでしょうか?


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ギリシャ神話と日本神話
2005年6月10日 11:22:37 とみた MAIL
古事記や日本書紀は風土記やいろいろな伝承を材料にして天皇族の正当性を書いたものでしょう。

バビロニアのハンムラビ王やエジプトのラーにせよ正当性を確保する儀式がある。神から王権の杖を受け取る、日本の三種神器と同じように。持統天皇までは二種の神器しかなかったそうです。鏡と剣のみ、勾玉はなかった。

記紀は材料を揃え海外の神話を渡来人から学んで良く知っている知識人が都合のいいように創作・アレンジしたのでしょうね。

中国の盤古神話、・・・洪水神話いろいろ、その中でゾロアスターやオリエントの神話も利用する。

ギリシャ神話と日本神話の類似性があるようです。オルペウス物語は日本のイザナギの物語に似ている。亡き妻を求めて黄泉の国を訪れたイザナギは妻に地上に戻れるよう黄泉の国の神に頼む間、《決して私の姿を見ないでください。》
といわれ建物の外で待っていた。いつまで経っても戻らないので対中を覗いてしまう。ウジがわき体中から雷が発生しているイザナミの死体。そして追いかけられる。

天才音楽家のオルペウスは結婚したての妻エウリュディケを事故で失う。彼女を取り戻しに冥界に行く。オルペウスの歌声と竪琴の音色で三途の川の番人カロンや番犬は通してしまった。冥界の王ハデスも音楽に聞き惚れエウリュディケを連れ帰ることを許す。ただし
ハデスは冥界を出るまで決して後ろを振り返らない条件をつけた。でも坂道でつい振り向いてしまう。妻は冥界に引き戻された。

ペルシャ神話でも似た話があります。


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神器とは
2005年6月10日 11:59:23 かわかつ WEB
先住為政者から奪い取ったものですよ。剣は物部・出雲族から、鏡は九州海部から、勾玉だけがオリジナルです。
天皇の名は持統天皇が最初に名乗った。天武はついでです。従ってヤマト朝廷の始まりは持統天皇です。それ以前のエピソードは全部信用できません。
過激でしょうか?


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もとい・・・
2005年6月10日 12:45:26 かわかつ WEB
勾玉も蝦夷のものだったりするかも・・・
日本人てなんでも取り込むのがうまい国民でしたよね?

日本にやってきた人々は純韓人はいない・・・韓人は半島を動かない。という見方もあります。動くのは遊牧民と商人です。これは歴史の必然。ユダヤ人も商人でした。今も本領発揮してますが。
世界には歩き回る人種と土地に固執する人種の2種があります・。。
ネアンデルタールとクロマニョンの太古から


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イザナミ神話
2005年6月11日 2:30:55 管理人
とみたさんご指摘のギリシャ神話と日本神話、そのイザナギ神話の類似性は大変興味深く感じました。ほんとどこから原典を持ち込んで日本神話に取り入れたんでしょうね。そのギリシア神話が中国文献に翻訳されていればいいのですがなかなかなそうですね。仏教経典や景教経典・・・・。でも原典を翻訳しているケースと、そのままギリシア人が日本に来てベラベラしゃべったケースとでは、どういう物語理解に差がでるのかと感じます。たとえばかわかつさんご指摘の銅鏡だと、中国製のそれを真似した日本製品が出てきているわけですが、その中国鏡の絵柄の意味までは理解できず、反対になったり・・・という差異ができました。ギリシア神話のケースでは、もじもじとしゃべるギリシア人の話を真似して日本人が作ったとして、完全には意味が理解できないから・・・・。空想ですけど、そんなシーンも想定してみてもいいかなと感じました。



宝さがし
2005年6月8日 16:05:34 いばらの紀氏

 三角測量でのポイント捜しをしていると偶然、金鉱・銅山・温泉・井戸
だどがポイント間やポイントのなることがあります。
史料(地図)があるのですが、整理されていないので記憶に残るポイント
だしか日光東照宮が隣りの寺(リンノウジ?辺り)と北方大笹牧場
中善寺湖湖畔の神社?  60度ライン上に金鉱山
常陸(日立)鉱山も神社の60度ライン・・・
他に温泉や井戸 旧家 滝・・・など
行基いや壬生氏などが風土記編さんで見つけたカモ?
まだ隠された黄金のポイントが「百足」=富虫(デホルメ 卑猥)
古代日光、百足と蛇の戦い・・・・・・・興味がワキマシタ?
山師になれない妄想の紀氏でした。


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山師はむりです。
2005年6月8日 16:47:48 かわかつ WEB
山師は言葉巧みに近づいて情報を引き出す話術の天才です。むしろ私の方が向いてるかも。紀氏さんは人柄が出ちゃう方だからお坊さんにむいてます。純朴なのできっと説教に人気が出ますよ。^^
大和岩雄氏の「神々の考古学」を読み出しました。グラハム・ハンコック同様難解ですが翻訳よりは読みやすい。「神々の指紋」は翻訳家がへたくそです。


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ははは!
2005年6月8日 23:09:39 管理人
紀氏さんこんばんは。昨日は一関宝竜温泉に入ってきました。竜というと個人的には相性わるいんですが、いいとこでしたよ。竜・温泉・・・紀氏さんにはばればれですね・・!ではまた。


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いい湯でしょうね温泉は、
2005年6月9日 7:53:08 いばらの紀氏
「八郎潟は直線道が南北東西碁盤のように走り、ほぼ日本本土で唯一10度単位の経度と緯度が交わる経緯度交会点(北緯40度、東経140度)がある。」そうですね?
八郎潟は干拓地でポイントの痕跡・・・・見つからないでしょうね。
東北のんびり一人(?)旅     お気をつけて今日もイッテラッシャーイ
        管理人さんの旅の無事を祈る 紀氏でした。


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温泉も
2005年6月9日 9:07:50 かわかつ WEB
レイラインポイント・・・
う〜ん、それじゃうちの近くはポイントだらけです。別府なんかもっとすごい。どうしよう・・・


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山師、黄金
2005年6月9日 10:09:01 管理人
かわかつさん、紀氏さんおはようございます。実はもう昨日夜東京帰りまして、今夜勤終わって寝ようとおもったらまた千葉で地震でした。ご指摘山師というと、お金儲け商売上手といろいろ痛いこともあるものですが、違う意味で黄金発掘屋さんとすると、中尊寺金色堂からそこの白山神社などなど、山師の線おもしろそうです。で山師とレイライン・・・あとで考えてみます。


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こんばんは
2005年6月9日 23:48:10 かわかつ WEB
管理人さんお疲れ様です。山師は同時に修験者でもあるのかも。また、全国各地を営業して回る富山の薬売りも情報収集に関わる秦氏では?忍者って結局諜報員ですよねえ。
紀氏さん、上のレスの意味がよくわかりません。送れないというのは、例えば私のBBSなどは管理人承認式の掲示板なんですが、相手先管理者がレスを確認してから公開するという奴じゃないですか?レスしてすぐには反映されないので、初めての人はちょっととまどいますが、迷惑レス防止には絶大な効果があります。そういうBBSに送信したってことかし〜ら?


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そのようです。
2005年6月10日 0:12:46 いばらの紀氏
かわかつさん今晩は、
いぜんトラブルに巻き込まれたHPなのですが、
メールアドレスを教えたら変なメールが殺到し使用不能状態です。
こんな私ですから嫌われてもしかたがないですが、
レスしてすぐには反映されないのならいいのですが・・・・
パソコンは、不慣れで上達しません・・・・ザンネン!
アキラメマシタ  ここが最高です もう浮気はしません。
捨てないでください管理人様 皆様
           懺悔散華の紀氏でした。


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う〜ん?
2005年6月10日 0:41:14 かわかつ WEB
つまりその迷惑メールが殺到したような原因になったのがその?HPで、そこに上のRE:レスをまた送るっておっしゃってるわけですか?そりゃ変でしょう。もう二度とそこに関わらない方がいいんじゃないですか?
変なメールはすべてスパンするか、メールアドレスを変えるべきですが、どうももうひとつ呑み込めません???


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それと
2005年6月10日 0:49:36 かわかつ WEB
「貴方のお名前であるHPに下記レスをお送り下さい」というのはどういうことなんでしょうか?
ええと、紀氏さんはそのHPにレスしたいわけですね?だけど送れない。でもそれってここに書いてもどうしようもないんじゃないでしょうか??
もう一度いちから書いてもらえません?


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例えば
2005年6月10日 1:03:30 かわかつ WEB
こういう書き込みは極めて危険です、という例です。
http://cgi8.tsukaeru.net/bbs2/bbs2.cgi?user=skytrekker

子供の振りしてわかりきった質問や「知ってることを教えて下さい」さいみたいな書き込みには注意が必要だと思います。触らぬ神になんとやらです。
ここにきてる常連さんたちのHP掲示板なら安心ですよ。たまにはうちにもおいで下さい。私は口は悪いがあなたなら大歓迎ですよ!



管理人さん
2005年6月8日 16:03:09 かわかつ WEB
「紫苑」「ジオン」考えられるとき、仏教の薬師如来のことも合わせてお考え下さい。この仏は「お薬師さん」などと親しまれていますが、いわゆる「くすり」「薬草」から医療の神が混交して成立しています。
京都広隆寺の中に薬師堂がありますが、これは聖徳太子のご人徳から派生した可能性があります。
薬師寺という姓は秦氏ですよ。薬師丸ひろこもそうなのかな?薬丸博幸はどうなのかなあ?興味つきませんなあ。
本地垂迹、難しそうで実は単純かも知れませんぞ。元来、密教は原始キリスト教のカッバーラを中国で取り込んだ者かも知れませぬぞえ。〜〜;


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薬師と秦氏
2005年6月9日 20:50:28 管理人
どうもこんばんは。薬師と医療、なかなか知りませんでした。よく景教が日本に入って根拠として、奈良初期の布施、医療関連の仏教にまじった思想が指摘されていますね。広隆寺の薬師堂、昨日の中尊寺にも薬師堂あったのですが、薬師さん全国たくさんあるので、あまり気に留めていませんでした。あとでその辺分析できたら報告いたします。


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医師のいなかった時代
2005年6月10日 0:06:27 かわかつ WEB
薬草、毒草などの知識に最も秀でた者は誰だったか?
ほとんどが修験者や神主、巫女の祈祷に治癒を頼っていた時代に本草学をしりつくしていたのは山師や修験者、薬師です。これは治療もさることながら、呪術としての治癒祈祷に必要な「魔術」のようなものだったのでは?無知な者は魔術に見えますよ、薬をそっと飲ませて護摩を焚いたら治ったりするんだから。
それと暗殺や催眠に必要な毒薬知識。
すべて後世に忍者の武器になってます。スパイには様々な知識と情報網が欠かせませんからね。
天武天皇が天文・とんこうに詳しくて、体格がよかったっていうの・・・私はずうっとひっかかってます。
伊賀・甲賀までに及ぶ渡来の知識伝承。
私は忍者は秦氏から出たというのがよく納得できます。服部半蔵は新羅系秦氏ですよ。まず間違いない。
古代から山を歩き回って鉱山情報や政治情報、本草学、その他様々な情報を彼等は集めつたえてきたのでしょう。スパイは時に言葉巧みに村里に入り込み、時にはそのまま住み着いてまでも情報を摂取したのでしょう。
これって私の情報収集のやり方と同じなんです。それは舎人さんがよくご存じ。一緒に郡上を歩き回りましたから。舎人さんはこう言ってました。
「いやみのない関西人風あつかましさ」^^;


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薬師信仰は
2005年6月10日 0:12:42 かわかつ WEB
民間信仰的色合いが強いです。全く知らない知識で薬を作る人々って案外、民衆からは気持ち悪い存在だったかも。勿論、畏敬の念もあったでしょうから如来にまでなったんでしょうが・・・



時代申そう。
2005年6月8日 14:31:50 いばらの紀氏
よみたさん今日は、ドラゴン・龍・蛇からの時代を考えました。友人に冨田の姓で林に地名に住んでます、林は伊藤博文の旧姓です。冨  冨本銭のとみでしょうか?
 旧約聖書のへび(邪悪のシンボル)
古代中国でのへび(天地の創造神である伏羲・女カの下半身は蛇であった。)
インドの原住民によって樹木、リンガ(性器)崇拝などと併せて蛇神崇拝が行われていた。
エジプト神話のアポピスは大蛇で蛇の王であった。
古代日本でのへび(ヤマタノオロチ)
新約聖書に登場するドラゴンは年を経た蛇として書かれている。
「ドラゴン」の由来とされる「ドラコーン」はギリシア語で蛇を意味する言葉である
古代中国での龍
龍は鳳とともに重要な地位に位置し漢代以降の皇帝にもみられるようになる。天子の顔を例えて龍顔、龍犀と称し、龍母という皇太后の尊称、天子の即位を龍飛というように、中国では龍は専ら皇帝のシンボルとされている。
インドのナーガ
エジプト神話のアポピスは大蛇で蛇の王であった

 ヨーロッパのドラゴン(羽が有り火を吹く・邪悪?・紋章?)
古代日本での龍=ワニ(フカ・サメ)が「龍」(ワニ氏?)
シュメール人が築いた古代メソポタミア文明もティグリス、ユーフラテス河と切り離して考えることはできない。やはりこの河も恵みを与えもし、氾濫も引き起こした。シュメールの印章には龍退治をモチーフにしたとされる図が描かれている。その後この神話は第一章で記した、「南メソポタミアの覇者となったバビロニアに引きつがれ」、英雄マルドゥークと龍ティアマトとして登場している。
「かつてのシルクロード南ルートであり、チベット族やモンゴル族、回族の人々が多く生活している。この地には黄河という大河が流れ、青海湖がある。ここにおいても旧暦の七月に龍に関する祭祀、「海祭り」が行われている。ラマ僧によって楽が催され、海に捧げる供物が用意され、「赤、青、白、黄色の「龍達」とよばれる紙片もこの炎に向かってなげいれるや、炎のいきおいで空高く舞い上がる。うまく舞い上がると五穀豊穣や家畜の繁栄などが約束される兆しとして喜ばれる」。その後「法舞」という舞が行われる。虎や龍、牛などの動物をかたどった面をつけたラマ僧によって舞が舞われ、護法神としての役割を持つ。チベット族でも「龍舞祭」が行われる。」

続く


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つづき
2005年6月8日 14:33:01 いばらの紀氏
鯉が龍になったという故事
麒麟? (魚=キリスト系 うろこ:鱗 三角紋:測量)
「龍は鱗虫の長であると記している。鱗虫とは魚類のことである。また、『淮南子』では龍をあらゆる生き物の祖とし、それぞれの祖を羽虫は飛龍、毛虫は応龍、鱗虫はみずちの意も持つ咬龍、介虫は先龍であると記載している。羽虫は鳥類、毛虫は獣、介虫はかたい外皮をもった動物を指す。」
「伝説には禹の行った治水についての話が語られている。禹の父は鯀といい、父子は帝であった堯と舜に仕えていたとされている。死んだ後三年を経ても鯀の死体は朽ちることなく、その腹の中から様々な神力を身につけ、龍となって禹が誕生したと伝えられている。黄河などの大河を抱える中国にとって、河の氾濫は生活を脅かす大問題であり、政を行う上で治水は重要なことで、そのためか、禹が治水を成功させたことにより舜は帝の位を譲ったのである。ここで中国初の王朝とされる夏王朝が幕を開ける。禹が行った治水には、その助けとして応龍や一群の大龍小龍が登場し、また龍は禹一族のトーテムとされている」
「インドに侵入してきた異民族は蛇神を龍神信仰として取り入れ、龍王はアイラーヴァタまたはマニバドラなどと称され、龍神は尊神として信仰されるに至る。また西北インドを征服したクシャーナ族16においても民間信仰から取り入れられた龍神は崇拝の対象とされていた。蛇神崇拝は後の仏教、主に西インドで広く信仰されているジャイナ教17の民間信仰に大きな影響を与えている。 」
 以上のことから
蛇+魚→龍+羽(天使?)禹の測量・森林を焼き払う(恐怖)→ドラゴン
と考え長江文明ごろまでは、へび→禹の治水で龍→測量でドラゴン。

?「古代メソポタミア文明もティグリス、ユーフラテス河と切り離して考えることはできない。やはりこの河も恵みを与えもし、氾濫も引き起こした。シュメールの印章には龍退治をモチーフにしたとされる図が描かれている。」
メソポタミア文明と長江文明(禹は南方の蛇族)どちらが古い?
どちらも海の民か?失われた超古代文明の末裔   河口から船・箱・瓢箪に乗って?
妄想を広げる紀氏でした。


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主は同じ神(仏教も)
2005年6月8日 18:19:12 いばらの紀氏

主は人類に何を?
三位一体?いつの日か?
ユダヤ・キリスト・イスラム皆、主は同じ
ユダヤ=現実・資本・能力主義。
イスラム=資本主義を取り入れた社会主義
キリスト=派閥に分かれた中間・色々主義
(自我・生き残りの遺伝子・葛藤・理想・・・・・分裂!)
108の煩悩=商売に成る。
煩悩の否定=ただ時間を過ごすだけ。
煩悩の追求=周りを不幸に!
人類に神は何を?
迷える子羊はどの牧童に?
主は人類に何を?
????????の紀氏でした。


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龍蛇の起源
2005年6月9日 10:43:17 とみた MAIL
交流戦で今年のトラは強いですねえ。ドラは弱い。

紀氏さんの龍蛇物語は整理されててありがたいです。

西洋のドラゴンはギリシャ語のドラコン、怪物イメージ.ヒンズー教の龍(多頭の蛇)や中国の龍は聖獣。越人、倭族は龍蛇と鳥(呉は特に鶴)を信奉。三輪神社は蛇を祭る。その大元の出雲には蛇の神社が多い。

ヤマタのオロチはどんな性格かな。

蛇はシュメールのギルガメシュ王が不老不死の薬草を手に入れたのに蛇に盗まれる。
旧約聖書のイブは蛇にそそのかされる。
クレタ島のクノッソス神殿には蛇をまとった女神が登場。

どこかに起源がありそれが東西に別れ現地の神々と融合した。

インド・ヨーロッパ(インド・アーリア)族は印欧族)派いろいろルーツ??

紀元前2000年より前にヒッタイトが小アジアへ、ミタンニが小アジア北部に、カッシートがバビロニアに侵入.ギリシャ人も紀元前2100頃にバルカン半島に侵入。みんな北方のインド・アーリア民族。

いろいろな勢力と戦いそれを取り込んでいった。
そこにギリシャ神話が発生する。ゼウスというオリュンポス神族が
クロノス・プロメテス神族をうちまかせてた。

アルテミスは元々アナトリアの沢山の現地宗教の豊穣の女神それをギリシャ神話に取り込んで狩猟と月の女神に変身させた。さらにローマ時代に引きつぐ。
海の民はぺリシテ人、エジプトやパレスティナに侵略したのが紀元前1200年頃。これへの対応策としてイスラエルはダビデを王として担ぎ上げたのが紀元前1000年ごろ。インド・アーリア族は紀元前1500年前にインド北西部に移住したというのが定説で、それにあわせてグベーダという神への賛歌が書かれたとなっている。(インドでは紀元前5000年に書かれたと言う学者が増えている)。この民族は紀元前1500年〜1000までにインダス・パンジャブに来てさらに紀元前800年〜500年頃ガンジス中流域に国家を成立させた。
先住民の文化の影響・・・輪廻転生、瞑想、呪法、宇宙の根本原理(梵)を取り込み、非アーリア系の部族釈迦族の挑戦を受けいろいろな現地宗教を習合しながらヒンズー教やカースト制度の原型を作って異端のではと想像しています。

かわかつさんのアカ族の村の門や注連縄は別の倭族のルートでしょうか。(不明)


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あ!  誤解された鴨
2005年6月9日 20:15:55 いばらの紀氏

 私は「主」=「ヤヘィー」とは、必ずしも同じとは考えません!
「ヤヘィー」はたしか、旧イスラエルの三部族の神と「ヤヘィー」が言っていた?・・・記憶が?
「主」には人間が名付けた「名」は無い、いや八百万の名を持っている いや 神・主・仏すがる気持ちは同じ似非の神では無い。
宗教団体の神?真の神は一人一人の心の中に住んでいると思います。
名の有る神を否定はしません、それもまた神だからです。
私の神・主は私の妄想の中に居ります。
誤解を恐れた小さな紀氏でした。


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宝竜温泉
2005年6月10日 0:37:00 管理人
とみたさん、紀氏さん蛇とか龍とか、ギリシアから中国まで、普遍的なイメージをもっているようですね。かわかつさんご指摘の男根とか大和さんの本にもその辺載っていますね。聖書だと龍というと悪の象徴。吉備のヤマタノオロチ、や蛇退治伝承もギリシアの竜退治伝説と関係するとか。ところで一関に宝竜温泉ありました。なかなかいい湯でしたが、なにか起源あるのかな?あと、聖書の竜と紀氏さんお得意秘密結社の件ですが、先ほど例の「ムー」という雑誌にバチカンと教皇の特集でいろいろ載ってました。かなりカトリック信徒の私には衝撃的でしたが、ほんとかなとも感じますが・・・。こころの中に神は住んでるはずなのですが・・・認めない人もいるのかも。ではでは。



調べ物
2005年6月8日 11:11:37 月一小六年
初めましてこんにちわ。すいません、学校で古墳時代の渡来人の事を調べているんですけど何かいい資料ありませんか。もしあったら、ここに書き込んで下さい。


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お願い
2005年6月8日 12:17:47 月一小六年
お願いです少しでもいいので書き込んで下さい。


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お勉強ご苦労様。
2005年6月8日 14:03:00 いばらの紀氏

トップの渡来人研究会研究から渡来系氏族をクリック
氏族別渡来人情報から選択してください。
吉士集団・秦氏などがお奨めです。
ガンバッテ!
過去を知ると現代が理解でき未来が予測できます。 
 お勉強、ガンバ        いそうろうの紀氏でした。


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ありがとうございます
2005年6月14日 12:25:31 月一小六年
いばらの紀氏さん、ありがとうございます。さっそくそこで調べてみます。



とみたさんは
2005年6月8日 10:23:06 かわかつ WEB
世界史が得意なのですね。独自の視点から、第三者的に俯瞰できる世界史的観点はこれからの日本史にとっても大事ですよね。
紀氏さんのコラージュ的着想の泉とともに一層ここが楽しくなりそうです。
ところで管理人さん、イヤさかですが・・・
弥栄も八坂も祇園ですよね。「ぎおん」は仏教ですが、乗っかっているのがスサノウです。紀氏さんなら「ジオン」「紫苑」「シオニズム」「ユダヤ」と来るでしょうね。
拙HPにも書きましたが、日本人はモンゴロイドとコーカソイドの混血人者が半島で南方系インドシナ人と交わりやってきたそうですよ!竹内均さんの説です。
おじいさまの姓はなんでしたっけ?


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帰りました。
2005年6月8日 23:08:03 管理人
中尊寺も今日はみてきましたが、なかなか奥深いですね。うちの祖父の姓はちょっと珍しい?ので公開はしないのですが、そのあたりの詳細は後日の報告で。中尊寺付近も祇園とか呼ばれていたとガイドさんが言っていました。あの辺かなり不思議です。仕事中なのでまた後に。



ちょっと酔ってます。
2005年6月6日 19:47:11 かわかつ WEB
ヘテひとですよね確か、ヒッタイトは。紀氏さんOK?
十戒のおじさんの妻のエバの墓として洞窟譲ったのがへてへて人ですよねえ?あとは知らない、紀氏さんどうぞ。


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続き
2005年6月6日 20:01:13 かわかつ WEB
私の海の民はこれどす。
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/bunka_torii.jpg


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見てますよ!
2005年6月6日 20:55:15 管理人
兼ねてから計画してたんですが、ハハガタの祖父の故郷に行ってきました。例の目が緑の祖父のとこなんですが、弥栄と書いてイヤサカと読ませていました。意味深です。イヤサカの意味は?ではまた飯くいますのでまた後で。


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重要
2005年6月6日 21:09:04 かわかつ WEB
それは名字なのですか?イヤさか


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すいません
2005年6月8日 0:10:23 管理人
昨日は疲れて寝てしまいました。地名です。一関市にあるんですが弥栄神社に蚕関連の名前のセッシャあり八坂神社など 藤原ゆかりの地に秦氏のような感じが多く見えました。詳細はまた後日に。


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渡来人を
2005年6月8日 13:59:57 かわかつ WEB
小六が調べれるなんて・・・SKYTRECKERBBSに来ていたりんごですな。


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・・・・と有りました。
2005年6月9日 18:53:17 いばらの紀氏
「、「八坂の勾玉」も、ヤサカが神への信仰を意味し、マガタマがヘブライ文字のヨッド(,)を模したもので、イスラエルの神を表わすという」



世の中には
2005年6月5日 17:58:23 かわかつ WEB
もっとすごい方もおられます。

http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=fusigi009&dd=22&p=1


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ちょっと東北へ
2005年6月6日 9:23:33 管理人
ちょっと今日明日と東北方面行ってきます。またあとで
報告いたします。


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おいおい?
2005年6月6日 9:38:15 かわかつ WEB
まさか「だだちゃん」の庄内言葉にほだされたんじゃあなかろうね?思い立ったら吉日ってえ奴かい。まあ、気だけはつけるんだよォ・・・キーをつけなきゃバイクは動きません・・・おあとがよろしいようで


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ブラボー!
2005年6月6日 11:49:25 いばらの紀氏

 正解!    
かわかつさんの薀蓄、私の妄想をかきたてます。
かわかつさんお奨めの「リグ・ヴェーダ」から以前に見たHP
ミトラ教を思いだし
ミトラ:「至高神」「最高神」「主神」を意味する言葉
ミトラ教の歴史1(新版)
http://home2.highway.ne.jp/miiboat/HP_Mithraic_Articles_History.htm

「ヒッタイト・ミタンニ・カッシート時代の資料である。これについては次の項で説明することとし、ここでは「ミトラはヤザタ*たちの長である」という伝承をとりあげる。ヤザタyazataは、イラン系諸語で「神」を意味する。それゆえ、この伝承は「ミトラがヤザタたち、つまり神々の長」であったことを意味している。実際、非常に古いイラン系伝承を今日に伝えるミトラ教の孔雀派(ヤザタ派)と天真派(アフレハック派)では、複数形のヤザタは七大天使を意味し、単数形のヤザタ(イェズデン)はミトラを意味する。マズダー教に関する学術的研究からも有力な証拠が得られている。」

「後世の創作神および改ざんを除去すると、ミトラとヤザタと呼ばれる神々だけが残る。同時に、「ミトラがヤザタたちの長である」という記述の意味も明瞭になる。その意味するところは、ミトラが西方に移住したイラン系民族の至高神であったという事実である。」
漢字の世界で禹が恐れていた「とら・トーラ」が解りかけています。
ミ=子(ミ)
咥キ・テツ おたまじゃくし=蛙の子(甲骨文字では、足のはえたオタマジャクシの形) 子蛙=ミカエル!
兜ト弥勒菩薩がいる所(斗ト・北斗七星?)
羅ラ(網?)・らー太陽神ラー?・(蠡ラ・リ・ひさご)・&#24408;(比+矢)テイ・いのこ)
 ひさごを考える。
(瓜+包)・・・ム=禹 己=禹  瓜=瓢箪=祖先の船!
いのこ=い=牛の角のこ(胡コ?人)=キリスト系?
ひさご酒の容器 壊れた甕 (禹の父の甕棺?)
(瓜+包)・・・ム=禹 己=禹  瓜=瓢箪=祖先の船!
星の名 (ヒ=禹=さじ・スプーン・救う) 短剣(サンカの?)
ヒシャク(北斗七星?)物をくむ器具(すくう救う)

ユダヤ教〜キリストの枝葉(ユダヤ12部族?)
ユダ族の子孫は今いずこ?
かわかつさん東北方面の旅行ってらーシャイン。
お気をつけて・・・・・・祈る 紀氏でした。


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訂正 またやっちやいました。
2005年6月6日 11:58:02 いばらの紀氏
 管理人さん東北方面の旅行ってらーシャイン。
            
        まぬけな紀氏です またも トホホ・・・。


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あわわわ
2005年6月6日 16:43:47 かわかつ WEB
私は九州にいますよ。東北行くのに「じゃ行ってきます」っていう距離じゃありません。
と、パンにマーガリンを塗りながら読んでいる内に、紀氏さん、ラーマ・ヤーナを思い出しました。読みましたか?空飛ぶ宇宙船とか出てくるSF叙事詩みたいなの・・・私ほんとはラー間よりバターがいいんだけど・・・体脂肪率26近いので控えてます。
帰ってきて汗かいてるかわかつより。


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あのう・・・
2005年6月6日 16:52:19 かわかつ WEB
ひさごのレスならだいぶん前にも読みましたよ〜ン。あ、この
レス、この前いっぺんミトラ。紀氏さん頭にキトラ。なんでも凍らせるペギラ。肩が凝ってるジャミラ。古代人大好きカバラ・・・誰か止めてクロレラ!移った、紀氏さんガ移った。


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しかしそれにしても・・・
2005年6月6日 17:04:30 かわかつ WEB
下の私のレスから、どうしておたまじゃくしやら蜂の子が出てくるのか、やっぱり一度頭を開いてみたい。きっと配線がいれこになっtるに違いねえ。
こりゃあすごい漫才師になれるかも。でも観客が置いてかれるな。アバンギャルド過ぎます。
最初、すごく論理的な展開だと思ったら書物の転記だったのね。その後急に紀氏節になったと思うと、もう独壇場!
通訳が東北じゃしょうがないか?
エジプトもマチュピチュもインカもインドも、昔は国境なんてなかった。文化か文明は自由に行き来したのです。お船を使って!


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え?
2005年6月6日 17:12:02 かわかつ WEB
枝雀派と文珍派?私は枝雀です。圧倒的に!
「水戸等がやくざの大元だ」?それは知りませナンだ。以後気をつけます。茨城には近づきません、九州を出ませんのでお許しを!


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とらトーラ?
2005年6月6日 17:18:14 かわかつ WEB
茨城県人なのに虎ファンだったんですね?私はニューオリンズラスカルずのファンです。
ああ「半島を出よ・上巻」が筒井康隆に占領されたような雰囲気でちっとも読めない!
市内で拙著が店頭に出た。全然売れてないので自分で買ってきた。紀氏さん、責任取って買って下さい。


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皆様
2005年6月6日 19:12:42 かわかつ WEB
おまえはちょっと言い過ぎだと思われたらここに「×」を、いやいや、面白いと思われたら「◯」をつけてください。


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紀氏の思考回路
2005年6月6日 19:17:24 いばらの紀氏
・(例2005年6月6日 8:00:03 かわかつ)無断借用
「時じくの香具の木の実」を持ち帰ったが、時すでに遅く天皇は亡くなっていた。彼大いに慟哭した・・・
木の実はみかんと言われているが実際は「柚」だったと私は思う。
ゆず・・・ゆずまさ・・・ゆうずう王・・・ゆんず王・・・弓月
まず「柚」を漢和辞典にて索引(同音の文字も検索)
「柚」ゆず・漢語(ユウ・イウ)呉語(ジク・ジク)
(同音の呉語(ジク・ジク)から(こころ+丑)竺(天竺インド)を感にて選択。
(こころ+丑)=恥る・なかれ 恥=耳(きく=菊紋・ユダヤ?)+こころ=
竺(天竺インド)竺あつい→篤=厚=うるおいあまねく行き渡ること
「うるおいあまねく行き渡ること」が柚ー木=由(解字:古い字形で
酒かすをしぼる籠の形)=篭目の丸い篭カゴ
理由の意に用いるのは「迪」テキ・道=タオ=測量の道。
「竺」=うるおいあまねく行き渡ること=世界制覇?
         (世界地図の完成)
「柚」ゆず=バラ科(勝手に思う。イエスの冠となる。)
漢字の意味からサーフィン・古代文字の字形からの妄想
これが紀氏の思考回路  下手な説明の紀氏でした。
「時じくの香具の木の実」から香実・香鳥・香嶋・・・・駄目押し


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古代オリエントの謎
2005年6月6日 19:34:07 とみた MAIL
いばら紀氏さんは茨城県、やはり。江戸崎の話があったのでもしやすると・・・と思ってました。利根川が千葉県と茨城県との県境。近いなあ
かわかつさんは淀川の大阪は樟葉、京都の八幡の境から出て今いずこ。
いずれも河川敷のゴルフコースと夏の花火!
トラキチ?私はドラキチ。

ミタンニ、カッシートが出てきた。ヒッタイトとあわせてどうなってるのか興味あり。。エジプトの古代超美人ネフェルティティーはミタンニ出身(BC1400頃?)。ミタンニの盛時はBC1450年ごろ?チグリスの北の方、アッシリアのさらに北ですね。BC1350年には消えている。


シュメールはBC4000〜2000(非セム系)楔形文字の発明
  ギルガメシュ王のノアの方舟の元ねた
古代ペルシャ語はBC3000〜(非セム系)
インド・アーリア族(イランの北西高原がルーツ)BC2000〜
ゾロアスター教はBC1200〜(非セム系)
アッカド人 bc2500〜 セム系

ユダヤ人: モーゼの民 BC1500 ?1200?セム系がbc2000頃メソポタミアを出てシリア経由のパレスチナ
  BC1000ダビデ・ソロモン王

海の民??これが紀元前1000頃、エジプトやギリシャを襲う

紀元前1000〜500年までの新アッシリア 新バビロニア時代は承知してますので割愛。それまでの世界のオリエントの民族移動が不明です。

これらの連立方程式を解いて教えていただけませんか。

どなたでも結構です。
私はインド・アーリア人が東西文明に影響を与えたと思っています。海の民というのはどんな民族ですか。フェニキア人??

これはどこから流れてきたのか??南ロシア??

プラトンの謎のアトランティスもどこかに関係してる。
クレタ・サントリーニ島の爆発とモーゼの出エジプト記の大津波の関係。ミノア文明の崩壊。

マルタ島説もある。


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やぱり紀氏さんはすごい
2005年6月6日 19:35:04 かわかつ WEB
柚の呉音には「じく」があるんですね!おそれ入谷のなんとやら・・・
やはりあなた天才。



諱の意味
2005年6月5日 13:35:49 泊瀬光延 WEB
いばらの紀氏さんの想像は想像を絶する展開を示してますね!管理人さんの仰られるのはハンコックの説ですね。マヤかインカの暦にも終末の年があったような。

 かわかつさんの御著書からひとつ啓示を受けました。天皇の死後に贈られてた「諱」ですが、これは辞書にもあるように「忌み名」ということで「もう出てくるな」というキョンシーに張る札のようなものではないかと。
 また、滅ぼされた民の支配者は「神」として祭られるということは、源実朝に関する史書ではじめて明らかになった「官打ち」(位を上げるだけあげる呪法)の由来と思われます。公家恐るべし。


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クイズ
2005年6月6日 2:38:33 いばらの紀氏
 こんばんは、忌イ・諱キ・いみな考えました。
諱キ・いみな=言+韋イ・なめしがわ・そむ・く
忌イ=己(禹)+心(禹は禹の父コン=魚+系=キリスト系)
以上から嫌われる者・喪のも名?
(漢字の編さんを秦の始皇帝が行なうと始皇帝の嫌う者・民族・宗教?)
以前「回」も嫌われていた。匈奴をも嫌っていた。(キリスト教系?)
韋イ=緯度のなかに韋イ(禹が測量に関係する文字?)
諱忌=恐れはばかる・・・・・・・キリスト系の「偉」大な主の名!
(この名は信者のなかではムヤミニ口に出せなかった)
(異教徒に恐れられていた)
(修験道でも同様・・・だだ山岳で耳にする)
(私の所に2週間に1度お見えになる方々の主)
私は古代朝鮮はこの宗教系と思っている。
信者が始皇帝の暗殺を謀る。
私は日本の先住民がこの宗教系と考えている。
私は後続渡来の秦氏の地位が低いのはこの為と考える。

答え・・・・だれが早いか・・待ってます  
    ワクワク・・・の諱キ氏(紀氏)でした。


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ヤーウェ
2005年6月6日 7:21:12 かわかつ WEB
OR イエス。キリスト


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イエス
2005年6月6日 7:23:37 かわかつ WEB
イエス・キリスト=救世主=ユシャ・メシャ=ウズ・マサ=太秦
FROM飛鳥昭雄


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田島間守
2005年6月6日 7:41:20 かわかつ WEB
タジマモリはアメノヒボコの子孫で「時じくの香具の木の実」を持ち帰ったが、時すでに遅く天皇は亡くなっていた。彼大いに慟哭した・・・
木の実はみかんと言われているが実際は「柚」だったと私は思う。
ゆず・・・ゆずまさ・・・ゆうずう王・・・ゆんず王・・・弓月
柚を作ってきた人々は山の民。トゲが長く収穫時に傷つくことがあまりに多く、農家は忌み嫌った。いばらの代用品として罪人の冠となる。
・・・イエスの痛みをわかつ・・・しかし芳香は心を高揚させ、驚愕させた。どや?


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柚・ゆう・ゆふ
2005年6月6日 8:00:03 かわかつ WEB
地名。「柚の木」などの地名は全国にある。しかし必ずしも柚を意味するとは限らない。「ゆず」転じて「ゆう」となる。由宇は「由布」ともなる。「ゆふ」は紙や布の原料となる「由富」とも表記される。由布院の由布山の名の由来はかつて「ゆふの木」が自生していたからである。これは事実。山の民の技術に「紙漉き」あり。
「紙漉き」転じてサンカは「梶漉き」と呼ぶ。彼等の紙漉きの紙として出雲のアジスキタカヒコネあり。彼、天の若彦にくりそつ。若彦=弓の名手。弓=柚=ゆふ・・・たかひこねと若彦はよって呼び名がそっくりの二つの技術を示す。
諏訪大社御神紋は「梶」の葉。「かじ」は紙や布の原材料となる。梶転じて「舵取り」の「かじ」。海部の船を示す。
以上、技術の伝播にともなう言葉の同化はどうか?
紀氏さん風連想を試みたかわかつでした。
「いばらの紀氏」は茨城県で何思う。リグ・ヴェーダ読んでおくんなさい。


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セム語
2005年6月6日 8:17:25 かわかつ WEB
セム語、コイねーギリシャ語に日本語との類似あれば、彼等が景経あるいは原始キリスト教をダイレクトで伝えた可能性も出てきましょうが。おそらくペルシャ経由だろうと言われている。しかし時代的にペルシャが景経を国教としたのが4〜5世紀では、すでに秦氏がやってきていた日本の時代に間に合わない。中国経由と考える限り間に合わない。やはり海からダイレクトに伝えた民・・・海部がいたことを証明する必要がありそうです。さて、ニッポンのG・ハンコックになるのはどなたでしょう?


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諡号
2005年6月6日 8:47:07 かわかつ WEB
「いみな」は死んでから呼ばれる名前です。従って生きている間は主に役職名や通称、あるいは生誕の順を示す「太郎・二郎・三郎」を用いました。「源九郎判官義経」なら、家族の間では「九郎」、公的には「判官」となります。生きてる内に「義経殿」などと呼ぶことは先ずあり得ません。
天皇の諡号も勿論同様です。ふつう生きている間は「陛下」「今上天皇」で、みまかると「昭和天皇」という風にお呼びします。昔は「おかみ」「みかど」です。
諱を「忌み名」と関連させたのは泊瀬さんの着想ですが、私はそこまで考えていませんでした。「かむやらいにかむさりましぬ」という記紀の表現に「かむやらい」というものが仏教用語「忌む」を意味するのではないかと考えたのです。
「神」というものは古代人にとって有り難い者ではなかった・・・という発想から、「もう出てこないでくれ」という祭祀の隠された手法が導き出され、それは日本人だけの言霊思想へと発展していった。「口にすると現実になってしまいそうだ・・・」というのが言霊思想の根本です。自分の親父に、いくらきらいだからと言って「死んじまえ!」なんて叫ぶと次の日、ほんとにポックリいっちまうかも知れない、という奴です。いわゆる未必の故意みたいなもんですか。
それにしてはお墓なんかはえらい早くから着工していたりして、「それはいいのかい?」と聞きたくなりますが・・・
いまでもサラリーマンが辞める直前に「係長」から「課長補佐」なんていう中途半端な昇進するのがありましょう?特に旧態然のお役所ではまだ多くて、義理の姉は市役所で最近この「補佐」っていういまいましい役名をいただいて「早く辞めたい」って嘆いております。つまり引導を渡されたことが彼女にもわかるわけですよね。
まさに目の前で墓を掘られてるようなものですからね。
祭り上げたり、「正一位」なんか急にくれたりしたら、そりゃろくな事がなかったというパラドクスと考えた方がわかりやすい。「褒め殺し」ってえ奴でさ、そいつは。


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ヤッホー!
2005年6月6日 8:52:17 かわかつ WEB
紀氏さん、これでしょ?


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結城紬
2005年6月6日 10:06:53 かわかつ WEB
ゆうきの「ゆう」も「ゆふ」でしゅ。
http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/syoukou/kogi/kogihp/program/program.pdf


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き、紀氏さん
2005年6月6日 16:45:49 かわかつ WEB
回答は無視でっか?


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m--m
2005年6月6日 19:07:42 かわかつ WEB
正解!って書いて頂いていました。気づきませずすみません。ちょっと調子に乗りすぎました。お許しを・・・



ファトン +−
2005年6月5日 10:18:45 いばらの紀氏

「終末 2012年でしたか?2024年かと思っていました。
うお座(霊・キリスト系)の影響からみずがめ座(人工知能)の時代?   
 「終末」とは、「古い終わり」の終わりであり、「新しいはじまり」のはじまりなのだと思えば、地球の進化についていけない人々もでてくることになる。
 つまり選ばれし者と選ばれざれし者とが生まれることは間違いないが、明確にいえば選択権はその人自身が持っているということである。
 シュタイナーが霊視した「アカシャ」に記録されているように宇宙さらにはこの地球の進化にあわせ、自らも霊的な存在であることを強く認識し、次段階の高次元のステージへの進化と魂の完成に向けての自意識をもつことが重要なのだ。
 おそらくこれから10年後の2002年12月23日以降は、真の宇宙意識を持てる人しか生き残れないであろう。
 それ以前に決定的な事態に遭遇する人たちもでてくる可能性もある。
 2万数千年ぶりに始まるフォトン・ベルトに我々の地球が遭遇することで、「浄化と癒し」というすべての惑星が体験するという“通過儀礼”によって、“神の意思”は達成されるのである。
・・・・ですか、この時を知り人類は+ーどちらを選択するかソドムやゴモラ?それとも子羊?
 「終末」 アメリカ・イギリス・イスラエル なぜ焦る?
最終戦争  ロスチャイルド系は何教徒    メディア操作  どうするつもり?
古代より計算上手の長期計画 今実現の時か?
しかし
サンスクリット語の「アカシャ(原物質、原初の空間的実体、光を発する、霊気、虚空)」が語源である。
虚空には薬師如来?・・・・行基・・・ホッソウシュウ?
宗教の枝葉・・・・まだまだ解らないトホホの岸でした・・・
昭和の妖怪の「岸」でも「薔薇の騎士」でない棘の紀氏です。
追伸(愚かとはどうしょうも無いことを思い悩むこと とりあえず心は綺麗に)


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終末論
2005年6月5日 11:00:10 管理人
紀氏さんこんにちは。終末論、2004年説もあったのですね!!
歴史学と気候変動、先のマヤ歴や太陽の時期変動の理論だと、どうも1万2000年前に、地球の磁場が0になり、自転が反対になるような何かがあったようで、定期的にその時期から2000年間フォトンベルトに入っているらしいです。そのころにそれ以前の高度な文明が消滅しているそうで、アトランティスとかムー大陸の文明が滅んだのがその1万2000年前ということだそうです。その高度な文明の残存がエジプトとかマヤとかに流れているそうですが、壮大なスケールでの歴史学の面白さを感じます。ご指摘各星座の時代2000年ごとの変動は地球軸の傾きにより2000年ごとに星座の位置が変化することに由来するそうですね。おひつじ座の前の時代はおうし座で牡牛への信仰がエジプトをはじめ諸文明で見られたとか。その辺の定期的な終末論を知って動いている政治家も古代から多いようで、その辺知らないのは日本の政治家ぐらいでしょうね。ある意味素人目にみても政治の世界は怖いですね。また案外渡来人はその辺知っていたりしてとか、紀氏さんの著書とか、三角測量とか、古墳壁画の星図の正確さとか、いろいろ考慮すると不思議ですが・・・。



古代人渡来の引き金
2005年6月5日 10:12:31 とみた MAIL
このMLの皆さんは歴史知識レベルが高いし,文学的な素養をお持ちのようです。私みたいな理数的な古代史素人がこの場にいていいのかななんて少し不安ですわ。でも作家が多いようですのでミステリーハンター的な思考・指向もおありのようです。

私は少し事実究明指向でインスピレーション不足です。

私的な古代史勉強会に出ていて、時折はっとする考え方に接します。皆さんには常識かもしれませんね。
@王建新1972生?)という日本へ留学経験のある西安の大学の教授の渡来説を知り興味を覚えております。

中国から渡来のルートは二つ。中国東北部のわい(&#28618;)族が山陰へ

朝鮮の弁辰韓の倭族が北九州へ
A民族を西から東へ並べる整理の仕方・・・・
ペルシャ・イラン系/トルコ(チュルク語族)/蒙古族/東胡種《蒙
古種(主)+ツングース(従)の混血》/&#28618;狛《蒙古種(従)+ツング^ス(主)》/銃ツングース

西方にはチベット系の羌など、東方には韓族
B気象変動誘引の渡来

7世紀後半までの日本への渡来には4つのピークがあるという上田正昭説があります。

戦争で負けた民の流民が多いのですが。華北で紀元300年には寒冷化による凶作、大飢饉があり華北から長江へ流民があった。
良渚文明が滅びたのは大洪水。
中国の伝説であまりに暑いので10個の太陽のうち9個の太陽を落とした・・・疫病(ペスト、天然痘など)の流行が誘引になることもありそうです。
C出雲勢力は北方の高句麗由来と南方由来と両建て。前者は方墳、厚葬、シャーマニズム。後者は竜神信仰が根拠


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宇宙論・DNA
2005年6月5日 10:50:51 管理人
とみたさんこんにちは。下の返信書き込みできなくなったのでこちらで。宇宙論からDNAまで、未知の世界、尽きない話題と日々の研究の進歩、目を見張るものがありますね。ご指摘2000億個の中に地球のような生命を持つ星があってもよいといの意見も最近宇宙関連の研究者に出てきているそうで、ある種の人間発生の宇宙的な普遍性が解かれて着ていますね。今までだと人間しか宇宙には高度な生物はいないという観点から、人間の知能を賞賛した歴史学でしたが、はてさて宇宙じゅうに人間と同様なのが存在するとなると教科書も変わってきます。と同時に近代の人類が築いてきた知的レベルが果たしてマヤ文明以前の文明が築いた知的レベルとそんなに相違あったのかという点も気になります。人間の脳みその構造がさして進化していないのであれば、達しうる知的水準もさして変わらないのではとか思いますが、その辺は教育の如何がどうであったかにもよるのかもしれませんね。
DNAのミトコンドリア解析と母系の関係、以前も掲示板で触れたのですが、非常に古代史でも重要な要素を考えています。
ある古墳の2体の遺体について、同母であるかどうかなど議論でていますが、ミトコンドリアの母系解析がかなり進んでいる現在、母系の解析が日本古代史でもすぐまじかの話題であろうと感じています。ミトコンドリアの中のDNA情報で、特定の人種の母系がわかればもっと面白いですね。外戚蘇我氏とかさらに秦氏とか・・・・。
とみたさん、対極的な洞察から鋭い点にポイント当てていらっしゃると感じます。