渡来人研究会メニューを飛ばして本文へジャンプ

渡来人研究会掲示板ログ8

諱の意味
2005年6月5日 13:35:49 泊瀬光延 WEB
いばらの紀氏さんの想像は想像を絶する展開を示してますね!管理人さんの仰られるのはハンコックの説ですね。マヤかインカの暦にも終末の年があったような。

 かわかつさんの御著書からひとつ啓示を受けました。天皇の死後に贈られてた「諱」ですが、これは辞書にもあるように「忌み名」ということで「もう出てくるな」というキョンシーに張る札のようなものではないかと。
 また、滅ぼされた民の支配者は「神」として祭られるということは、源実朝に関する史書ではじめて明らかになった「官打ち」(位を上げるだけあげる呪法)の由来と思われます。公家恐るべし。


--------------------------------------------------------------------------------
クイズ
2005年6月6日 2:38:33 いばらの紀氏
 こんばんは、忌イ・諱キ・いみな考えました。
諱キ・いみな=言+韋イ・なめしがわ・そむ・く
忌イ=己(禹)+心(禹は禹の父コン=魚+系=キリスト系)
以上から嫌われる者・喪のも名?
(漢字の編さんを秦の始皇帝が行なうと始皇帝の嫌う者・民族・宗教?)
以前「回」も嫌われていた。匈奴をも嫌っていた。(キリスト教系?)
韋イ=緯度のなかに韋イ(禹が測量に関係する文字?)
諱忌=恐れはばかる・・・・・・・キリスト系の「偉」大な主の名!
(この名は信者のなかではムヤミニ口に出せなかった)
(異教徒に恐れられていた)
(修験道でも同様・・・だだ山岳で耳にする)
(私の所に2週間に1度お見えになる方々の主)
私は古代朝鮮はこの宗教系と思っている。
信者が始皇帝の暗殺を謀る。
私は日本の先住民がこの宗教系と考えている。
私は後続渡来の秦氏の地位が低いのはこの為と考える。

答え・・・・だれが早いか・・待ってます  
    ワクワク・・・の諱キ氏(紀氏)でした。


--------------------------------------------------------------------------------
ヤーウェ
2005年6月6日 7:21:12 かわかつ WEB
OR イエス。キリスト


--------------------------------------------------------------------------------
イエス
2005年6月6日 7:23:37 かわかつ WEB
イエス・キリスト=救世主=ユシャ・メシャ=ウズ・マサ=太秦
FROM飛鳥昭雄


--------------------------------------------------------------------------------
田島間守
2005年6月6日 7:41:20 かわかつ WEB
タジマモリはアメノヒボコの子孫で「時じくの香具の木の実」を持ち帰ったが、時すでに遅く天皇は亡くなっていた。彼大いに慟哭した・・・
木の実はみかんと言われているが実際は「柚」だったと私は思う。
ゆず・・・ゆずまさ・・・ゆうずう王・・・ゆんず王・・・弓月
柚を作ってきた人々は山の民。トゲが長く収穫時に傷つくことがあまりに多く、農家は忌み嫌った。いばらの代用品として罪人の冠となる。
・・・イエスの痛みをわかつ・・・しかし芳香は心を高揚させ、驚愕させた。どや?


--------------------------------------------------------------------------------
柚・ゆう・ゆふ
2005年6月6日 8:00:03 かわかつ WEB
地名。「柚の木」などの地名は全国にある。しかし必ずしも柚を意味するとは限らない。「ゆず」転じて「ゆう」となる。由宇は「由布」ともなる。「ゆふ」は紙や布の原料となる「由富」とも表記される。由布院の由布山の名の由来はかつて「ゆふの木」が自生していたからである。これは事実。山の民の技術に「紙漉き」あり。
「紙漉き」転じてサンカは「梶漉き」と呼ぶ。彼等の紙漉きの紙として出雲のアジスキタカヒコネあり。彼、天の若彦にくりそつ。若彦=弓の名手。弓=柚=ゆふ・・・たかひこねと若彦はよって呼び名がそっくりの二つの技術を示す。
諏訪大社御神紋は「梶」の葉。「かじ」は紙や布の原材料となる。梶転じて「舵取り」の「かじ」。海部の船を示す。
以上、技術の伝播にともなう言葉の同化はどうか?
紀氏さん風連想を試みたかわかつでした。
「いばらの紀氏」は茨城県で何思う。リグ・ヴェーダ読んでおくんなさい。


--------------------------------------------------------------------------------
セム語
2005年6月6日 8:17:25 かわかつ WEB
セム語、コイねーギリシャ語に日本語との類似あれば、彼等が景経あるいは原始キリスト教をダイレクトで伝えた可能性も出てきましょうが。おそらくペルシャ経由だろうと言われている。しかし時代的にペルシャが景経を国教としたのが4〜5世紀では、すでに秦氏がやってきていた日本の時代に間に合わない。中国経由と考える限り間に合わない。やはり海からダイレクトに伝えた民・・・海部がいたことを証明する必要がありそうです。さて、ニッポンのG・ハンコックになるのはどなたでしょう?


--------------------------------------------------------------------------------
諡号
2005年6月6日 8:47:07 かわかつ WEB
「いみな」は死んでから呼ばれる名前です。従って生きている間は主に役職名や通称、あるいは生誕の順を示す「太郎・二郎・三郎」を用いました。「源九郎判官義経」なら、家族の間では「九郎」、公的には「判官」となります。生きてる内に「義経殿」などと呼ぶことは先ずあり得ません。
天皇の諡号も勿論同様です。ふつう生きている間は「陛下」「今上天皇」で、みまかると「昭和天皇」という風にお呼びします。昔は「おかみ」「みかど」です。
諱を「忌み名」と関連させたのは泊瀬さんの着想ですが、私はそこまで考えていませんでした。「かむやらいにかむさりましぬ」という記紀の表現に「かむやらい」というものが仏教用語「忌む」を意味するのではないかと考えたのです。
「神」というものは古代人にとって有り難い者ではなかった・・・という発想から、「もう出てこないでくれ」という祭祀の隠された手法が導き出され、それは日本人だけの言霊思想へと発展していった。「口にすると現実になってしまいそうだ・・・」というのが言霊思想の根本です。自分の親父に、いくらきらいだからと言って「死んじまえ!」なんて叫ぶと次の日、ほんとにポックリいっちまうかも知れない、という奴です。いわゆる未必の故意みたいなもんですか。
それにしてはお墓なんかはえらい早くから着工していたりして、「それはいいのかい?」と聞きたくなりますが・・・
いまでもサラリーマンが辞める直前に「係長」から「課長補佐」なんていう中途半端な昇進するのがありましょう?特に旧態然のお役所ではまだ多くて、義理の姉は市役所で最近この「補佐」っていういまいましい役名をいただいて「早く辞めたい」って嘆いております。つまり引導を渡されたことが彼女にもわかるわけですよね。
まさに目の前で墓を掘られてるようなものですからね。
祭り上げたり、「正一位」なんか急にくれたりしたら、そりゃろくな事がなかったというパラドクスと考えた方がわかりやすい。「褒め殺し」ってえ奴でさ、そいつは。


--------------------------------------------------------------------------------
ヤッホー!
2005年6月6日 8:52:17 かわかつ WEB
紀氏さん、これでしょ?



ファトン +−
2005年6月5日 10:18:45 いばらの紀氏

「終末 2012年でしたか?2024年かと思っていました。
うお座(霊・キリスト系)の影響からみずがめ座(人工知能)の時代?   
 「終末」とは、「古い終わり」の終わりであり、「新しいはじまり」のはじまりなのだと思えば、地球の進化についていけない人々もでてくることになる。
 つまり選ばれし者と選ばれざれし者とが生まれることは間違いないが、明確にいえば選択権はその人自身が持っているということである。
 シュタイナーが霊視した「アカシャ」に記録されているように宇宙さらにはこの地球の進化にあわせ、自らも霊的な存在であることを強く認識し、次段階の高次元のステージへの進化と魂の完成に向けての自意識をもつことが重要なのだ。
 おそらくこれから10年後の2002年12月23日以降は、真の宇宙意識を持てる人しか生き残れないであろう。
 それ以前に決定的な事態に遭遇する人たちもでてくる可能性もある。
 2万数千年ぶりに始まるフォトン・ベルトに我々の地球が遭遇することで、「浄化と癒し」というすべての惑星が体験するという“通過儀礼”によって、“神の意思”は達成されるのである。
・・・・ですか、この時を知り人類は+ーどちらを選択するかソドムやゴモラ?それとも子羊?
 「終末」 アメリカ・イギリス・イスラエル なぜ焦る?
最終戦争  ロスチャイルド系は何教徒    メディア操作  どうするつもり?
古代より計算上手の長期計画 今実現の時か?
しかし
サンスクリット語の「アカシャ(原物質、原初の空間的実体、光を発する、霊気、虚空)」が語源である。
虚空には薬師如来?・・・・行基・・・ホッソウシュウ?
宗教の枝葉・・・・まだまだ解らないトホホの岸でした・・・
昭和の妖怪の「岸」でも「薔薇の騎士」でない棘の紀氏です。
追伸(愚かとはどうしょうも無いことを思い悩むこと とりあえず心は綺麗に)


--------------------------------------------------------------------------------
終末論
2005年6月5日 11:00:10 管理人
紀氏さんこんにちは。終末論、2004年説もあったのですね!!
歴史学と気候変動、先のマヤ歴や太陽の時期変動の理論だと、どうも1万2000年前に、地球の磁場が0になり、自転が反対になるような何かがあったようで、定期的にその時期から2000年間フォトンベルトに入っているらしいです。そのころにそれ以前の高度な文明が消滅しているそうで、アトランティスとかムー大陸の文明が滅んだのがその1万2000年前ということだそうです。その高度な文明の残存がエジプトとかマヤとかに流れているそうですが、壮大なスケールでの歴史学の面白さを感じます。ご指摘各星座の時代2000年ごとの変動は地球軸の傾きにより2000年ごとに星座の位置が変化することに由来するそうですね。おひつじ座の前の時代はおうし座で牡牛への信仰がエジプトをはじめ諸文明で見られたとか。その辺の定期的な終末論を知って動いている政治家も古代から多いようで、その辺知らないのは日本の政治家ぐらいでしょうね。ある意味素人目にみても政治の世界は怖いですね。また案外渡来人はその辺知っていたりしてとか、紀氏さんの著書とか、三角測量とか、古墳壁画の星図の正確さとか、いろいろ考慮すると不思議ですが・・・。



古代人渡来の引き金
2005年6月5日 10:12:31 とみた MAIL
このMLの皆さんは歴史知識レベルが高いし,文学的な素養をお持ちのようです。私みたいな理数的な古代史素人がこの場にいていいのかななんて少し不安ですわ。でも作家が多いようですのでミステリーハンター的な思考・指向もおありのようです。

私は少し事実究明指向でインスピレーション不足です。

私的な古代史勉強会に出ていて、時折はっとする考え方に接します。皆さんには常識かもしれませんね。
@王建新1972生?)という日本へ留学経験のある西安の大学の教授の渡来説を知り興味を覚えております。

中国から渡来のルートは二つ。中国東北部のわい(濊)族が山陰へ

朝鮮の弁辰韓の倭族が北九州へ
A民族を西から東へ並べる整理の仕方・・・・
ペルシャ・イラン系/トルコ(チュルク語族)/蒙古族/東胡種《蒙
古種(主)+ツングース(従)の混血》/濊狛《蒙古種(従)+ツング^ス(主)》/銃ツングース

西方にはチベット系の羌など、東方には韓族
B気象変動誘引の渡来

7世紀後半までの日本への渡来には4つのピークがあるという上田正昭説があります。

戦争で負けた民の流民が多いのですが。華北で紀元300年には寒冷化による凶作、大飢饉があり華北から長江へ流民があった。
良渚文明が滅びたのは大洪水。
中国の伝説であまりに暑いので10個の太陽のうち9個の太陽を落とした・・・疫病(ペスト、天然痘など)の流行が誘引になることもありそうです。
C出雲勢力は北方の高句麗由来と南方由来と両建て。前者は方墳、厚葬、シャーマニズム。後者は竜神信仰が根拠


--------------------------------------------------------------------------------
宇宙論・DNA
2005年6月5日 10:50:51 管理人
とみたさんこんにちは。下の返信書き込みできなくなったのでこちらで。宇宙論からDNAまで、未知の世界、尽きない話題と日々の研究の進歩、目を見張るものがありますね。ご指摘2000億個の中に地球のような生命を持つ星があってもよいといの意見も最近宇宙関連の研究者に出てきているそうで、ある種の人間発生の宇宙的な普遍性が解かれて着ていますね。今までだと人間しか宇宙には高度な生物はいないという観点から、人間の知能を賞賛した歴史学でしたが、はてさて宇宙じゅうに人間と同様なのが存在するとなると教科書も変わってきます。と同時に近代の人類が築いてきた知的レベルが果たしてマヤ文明以前の文明が築いた知的レベルとそんなに相違あったのかという点も気になります。人間の脳みその構造がさして進化していないのであれば、達しうる知的水準もさして変わらないのではとか思いますが、その辺は教育の如何がどうであったかにもよるのかもしれませんね。
DNAのミトコンドリア解析と母系の関係、以前も掲示板で触れたのですが、非常に古代史でも重要な要素を考えています。
ある古墳の2体の遺体について、同母であるかどうかなど議論でていますが、ミトコンドリアの母系解析がかなり進んでいる現在、母系の解析が日本古代史でもすぐまじかの話題であろうと感じています。ミトコンドリアの中のDNA情報で、特定の人種の母系がわかればもっと面白いですね。外戚蘇我氏とかさらに秦氏とか・・・・。
とみたさん、対極的な洞察から鋭い点にポイント当てていらっしゃると感じます。



わかりました!
2005年6月4日 18:14:05 いばらの紀氏

 カゴメ(ダビデの星)型での測量、一辺600メートル(3の倍数)
経験でのポイント間の距離600メートル(6:6:6)にコダワリすぎでした沢山ありました。
30度=9:7.5:4.5(7と3の複合)
60度=9:9;9(6:6:6など3の倍数)
90度=12:7:14(7と3の複合)
以上からポイント間 経験値600メートルの他上記の比率の倍数。
450・600・700・750・900・1200・1400メートル前後に古代のポイントが
存在するはずです。古墳・寺社・公共施設・史跡・橋・辻・山頂・岬などなど・・・
地図にてお試しください。(東西のレイラインも参考に。)
100の倍数も有りました。(古代人もメートル法を使用のか?)
この事を一番皆さんに知ってほしかった紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
かごめ
2005年6月4日 18:55:02 いばらの紀氏
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%cc%ee%c5%c4+%bf%c0%bc%d2+%a4%ab%a4%b4%a4%e1&fr=top
童謡かごめ1
TITLE:本日アップの「かごめ」について 2003年02月 ... なのである。 野田と言えば、昔から醤油産業で栄えた町。 ... 唐突すぎ。 愛宕神社の「籠の中の鳥」の彫刻に描かれているのも、かもめではなく鶏だった。 「かごめ」だから文字通り「籠目」、か ...
http://www14.plala.or.jp/oto3/hazu/g/g/kagome1.htm - 8k  [www14.plala.or.jpから検索]

カウ3のつれづれ・
9.童謡「かごめ・かごめ」の発祥---野田から全国に広まったと言われ石碑があります。
「かごめかごめ」の二番歌から導き出した「くら」は「蔵」で、地蔵岳。
「さら」は「申」のもじりで、庚申山。「さく」は「裂」で、石裂山。
これに、東照宮、男体山、鶏鳴山の計六つの日光周辺の山々を結んで、
「かごめ紋様」を見出しています。
この部分が、「ふしぎ発見」で取り上げられていたのです。

更に、二番歌が「さくらの下で文一本拾った」と続くことから、
東照宮の三つの門、表門、陽明門、唐門をくぐった拝殿の中に、
「桜の彫刻」を見出し、「文一本」が、その拝殿に掲げられた
三十六歌仙の歌留多の中の一つであると推測し、日光山縁起に登場する
小野猿丸の名前から、小野小町の歌が目当ての文であると結論付けています。
「わびぬれば、身を浮き草の根をたえて、さそう水あらばいなんとぞ思う」
という歌で、「さそう水」ということから「古峰ヶ原湿原」に絞って、
地中レーダーで探索したが、何も見つからなかったという結末でした。
http://www32.ocn.ne.jp/~yoshihito/notes/board2.html

 野田のレーライン愛宕神社 篭目の三角定規デ遊ボの紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
遊んでます。
2005年6月4日 20:57:32 いばらの紀氏
篭目関連の他の掲示・・・・ゴメンナサイ!
なかね 書き込み日:10月7日(木)23時18分55秒
http://www32.ocn.ne.jp/~yoshihito/notes/board2.html
僕は「夜明けの晩」は「日食」のことを表していると考えています。
‘夜が明けているにもかかわらず晩のように暗い’からです。
次の「鶴と亀が統べった」は、「鶴亀=月宮殿」で、
伊勢神宮の別宮である「月読宮」のことを表していると考えています。
伊勢神宮の祭神の天照大神が天岩屋戸にお隠れになったのが
日食であると考えると、その戸がすなわち月になります。
で、暗号の「彼の戸」が天岩戸のことだと考えると、「いつ開けつる術」
というのは、天岩戸神話そのものを表していると考えられます。
そして、暗号全体の文字数33にも意味があると思っています。
旧暦(太陰太陽暦)で、太陽と月の周期が一巡するのが33年周期なのです。
このように、「かごめ歌」のキーワードは、「日と月」なのです!

「暗号全体の文字数33にも意味がある」
90度=12:7:14(7と3の複合)12+7+14=33

なかね 書き込み日:10月7日(木)23時18分34秒
先々週の「世界ふしぎ発見!」の内容は、
「信長暗殺の謎!明智光秀は二度死ぬ」
 歌に殺しの暗号▽本能寺の変に黒幕?
というものでした。
光秀は天海として生き延びて日光に東照宮を建造し、
周囲の山々に六芒星(カゴメ紋)の結界を張り巡らせ、
どこかに財宝を隠したという筋書きで、
「かごめ歌」との関わりを取り上げていました。
このHPのアクセス数も一時増えて、
数人の方からメールも頂きました。
テレビメディアの影響力の大きさに驚いています。
続く


--------------------------------------------------------------------------------
つづき
2005年6月4日 21:09:44 いばらの紀氏
「一説には天海和尚の作だという話です。竹内文書では渡来したキリストが広めたものだというのもあります」
「被差別民の祖が秦氏で比叡山と関わりが深かったらば、織田信長の焼打を光秀も秀吉も家康も快く思っていなかったのでは?」
「江戸崎不動院」(天海和尚 光秀のいた寺 天台宗のエリートが代々派遣された。)
測量ポイントを求め「北関東不動尊三十番霊場 江戸崎不動院  瀧川眞榮大僧正」に出会い行基の薬師・円仁の不動のポイントの話をすると驚き後に○○先生・・・・・研究にと一万円が同封された手紙が届いた、今思うと比叡山のエリート僧の瀧川氏には「秦氏」一族の使命を知っていたの
であろう。(日本の闇をあやつる傀儡子(くぐつ)秦一族 江戸崎の隣りミホにはJRAのトレセンが・・・・・・秦氏一族=メイソン? 
              おあそびの紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
五角形・マヤ文明、
2005年6月5日 5:40:14 管理人
どうも紀氏さんこんばんは。昨日は渋谷の本屋に行って、それから銭湯に行ったらそのまま今まで寝てました。
「ダビンチ・コード」読んでいたんですが、殺された館長の体に描かれた五芒星の象徴図形、エジプト・ギリシアの時代から金星の5角形の例の軌道にちなんで、女神、あしゅたろて、性愛の象徴とかだったそうですね。あの本面白いです。
それから本屋にゆき、「フォトンベルトの謎」という本を読みました。マヤ文明の天文学は恐ろしいほど高度だったようですね。金星の会合周期583.92日から、黒点磁場の大きな変動サイクル5128年まで、コンピューター顔負けの数値を出していたそうです。詳細は著茶渡邊延朗氏関連のHPを
http://www.net-g.com/photon/reset0.html
それでフォトンベルトに太陽系が入りはじめ、2012年12月22日でマヤ歴が終わるごとく、地球もすっぽり入ってしまい原子レベルで物質が変わってしまって世界大異変するそうです。とすると、あと8年で日本古代史も終わるのでは??とか考えはじめました。8年というと渡来人研究会もそのくらいたつんですが、はてさて秦氏の謎は日本の終わりまでに解けるのだろうか、学会でまともに論議されるのかとか、思ってみたりしますが、早いうちに与えられた役目を果たしてしまいましょう・・・?


--------------------------------------------------------------------------------
宇宙と生命
2005年6月5日 7:41:47 とみた MAIL
管理人さん、とみたです。
私の余生は、素人なりに古代史と宇宙のことを調べようと思っています。いずれも謎めいているからです。本を沢山積んであります。最近分かっていることは・・・
宇宙はビッグバン生成以来137億年。宇宙は銀河で満ち満ちている。何千億個の銀河。われわれの住んでいる天の川銀河には2000億個の恒星があり太陽のような惑星を持っていそうな恒星は10億個はある。

太陽と地球は46億年前に誕生。生命体は40億年前に発生。
宇宙の構成要素は星、ガス(分子ガス、原子ガスなど)ダストのような観察できる(可視光線、赤外線、X線で)物質は全体の4%に過ぎない。
不明な暗黒物質は23%、残りはさっぱり分からない暗黒エネルギー。ニュートリノは重さがあることが分かったけれど暗黒物質の候補になるには軽すぎる。太陽は後50億年で燃え尽きて矮星になる。
素粒子論では、原子を構成する陽子や中性子はそれぞれ、さらに3個の素粒子クウォークに分れる。そのクウォークを結合する強いエネルギー。宇宙はアインシュタインの4次元(空間の3次元プラス時間)の見方から発展して11次元の宇宙論が注目されている。紐理論、膜理論です。

生命とは不思議なり。DNAは核内だけでなく核の外に沢山ミトコンドリアがあってそこにもDNAがある。このDNAの遺伝子は母方の遺伝子だけを受け継ぐ。

これで日本人のルーツを探し、北方系と南方系と中国・朝鮮由来の系を見分けることも一部可能です。


--------------------------------------------------------------------------------
天海僧正は
2005年6月5日 19:21:48 かわかつ WEB
明智です。間違いない!ウイッ!〜〜:



渡来人研究の本探し
2005年6月3日 23:47:04 とみた MAIL
とみたです。皆さん著作を持っておれれる由、すごい、まごい、ひごい。ニックネームの秦河勝、泊瀬みんな古代の有名人なんだ。

私ズブ素人。いけねー勉強しなくっちゃーね。ついていけないな。
ということでT大の図書館に行きました。
そこで渡来人と検索したらあるわ、あるわ  。皆さん承知の輔ですね。少し紹介しておきます。著者は初めて知った人ばかりですわ。

TR:古代日本文化と朝鮮渡来人 / 權又根著
PUB:東京 : 雄山閣出版 , 1988.8
TR:積石塚と渡来人 / 桐原健著
TR:渡来人と仏教信仰 : 武蔵国寺内廃寺をめぐって / 柳田敏司, 森田悌編
PUB:東京 : 雄山閣出版 , 1994.6
畿と朝鮮 / 定森秀夫著
CW:渡来人の土器 / 今津啓子著
TR:渡来人の寺 : 檜隈寺と坂田寺 / 奈良国立文化財研究所飛鳥資料館編

NOTE:東漢氏と鞍作氏の史料年表(抄): p40-57
AL:奈良国立文化財研究所飛鳥資料館
TR:近江朝と渡来人 : 百済鬼室氏を中心として / 胡口靖夫著
PUB:東京 : 雄山閣出版 , 1996.10
TR:日本古代国家の民族支配と渡来人 / 田中史生著
PTBL:歴史科学叢書
NOTE:1995年に國學院大學大学院に提出した学位論文『渡来人と日本古代国家』をもとにまとめたもの
TR:日本史に生きた渡来人たち / 段煕麟著
PTBL:しょうらい社人物双書 ; 1

CW:地域文化と渡来人 / 吉田晶著
CW:出雲大社と鰐淵寺と道 / 山根正明著
TR:弥生時代渡来人と土器・青銅器 / 片岡宏二著
PTBL:考古学選書
TR:韓国(からくに)より渡り来て : 古代国家の形成と渡来人 : 平成13年度春季特別展 / 滋賀県立安土城考古博物館編
TR:吉士と西漢氏 / 加藤謙吉著


--------------------------------------------------------------------------------
情報ありがとうございます!
2005年6月4日 7:53:33 管理人
とみたさん、いろいろ渡来人関連書物について情報ありがとうございます。さすがとみたさん、図書館行ってもなかなか鋭い書物を選択されてきますね。私もまだ読んでない書物ありましたので、さっそく捜してみます!


--------------------------------------------------------------------------------
すごい文献の海!
2005年6月4日 23:57:05 泊瀬光延 WEB
とみたさん、今晩は。まだまだ読まなければならない本が・・かわかつさんの御著書をようやく読了しました。力作ですよ。質問がたくさん出てきたので、それはかわかつさんの掲示板でじっくりします。
 泊瀬(はつせ)も秦(はた)も漢字辞典からはこうは読めませんよね。ああ、自分のペンネームからも疑問が・・・


--------------------------------------------------------------------------------
わたくし
2005年6月5日 11:50:13 かわかつ WEB
こっそり印刷させていただきました。加藤謙吉以外、読んでましぇん(ーー;)



マチュピチ
2005年6月3日 15:06:01 いばらの紀氏

 昨日NHKを見ていましたらインカの空中都市マチュピチの建造に
携わった技術者が外注で頭蓋骨を強制し変形した人々だったそうな、
たしか日本の九州に遺跡からも形は違うが頭蓋骨を強制し変形した
頭蓋骨が出土しています、関連を想像でけっこうです御享受ください。

あ!  壬生の系図を調べましたら (いつだったか記憶が無い。)
川尻先生講演          (検索結果です)
「... 物部氏は蘇我氏に討ち滅ぼされるわけですが、東国には膨大な
物部氏の部民がいたらしいですが、物部氏が
滅ぼされると多くのものが「壬生」に変わっていったと考えられます。
このような過程で ... に伝わる三枝氏系図には見 ... 」が(私はまだ見てません)書き込みの後にみます。
http://www.pref.yamanashi.jp/kyouiku/hakubutsukan/keii_kouza2.html
宣長年譜(n0172)
我が処女作、 「古墳のこころ」のフッツ主を物部系としタケミカズチを
中臣・藤原系(外戚ー秦氏?)と思いながら(妄想で)描きました、
NHKの新撰組から京都(壬生・不動の寺?)・埼玉出身・壬生町が
近いのを知りました。徳川・日光東照宮・マダラ神・職人の町?物造り部
・・現代に繋がる政財界の大物の祖先????
マッカーサーはメイソンでした、・・・天皇制はのこった。・・・・紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
壬生!
2005年6月3日 18:34:00 かわかつ WEB
壬生狂言、壬生菜・・・重要重要!
マチュピチュ、私も見ました。15世紀までに北方系モンゴル人種は南米にまで足を伸ばしていた。
ヨーロッパコーカサス系はなぜもっと東へ来ていない?むむむ・・・


--------------------------------------------------------------------------------
祇園祭・シオン祭
2005年6月3日 18:41:13 管理人
紀氏さんこんばんは。
紀氏さんのインスピレーションいつも楽しみにしています。山梨、壬生部、三枝部に関してのHPお教えありがとうございます。
マダラ神と祇園祭、その祇園祭に興味持ちました。イスラエルのシオン祭と祇園祭についての本が久慈力さんの著作にあるそうです。先ほど検索していて見つけました。http://hihyosya.co.jp/NewBooks/NBT0401b.htm
シオンというと、最近読み始めた「ダビンチコード」のダビンチもシオン修道院という隠れ宗派にいたとかいうのはテレビでやっていましたね。シオンというと紫苑の花で、平安初期に渡来してきたとか。シオン、祇園、なにか気になります。


--------------------------------------------------------------------------------
壬生菜って
2005年6月3日 18:42:28 管理人
今書いてたらかわかつさんに先越されたみたいですが、壬生菜って始めて聞きます。なんか気になります・・!


--------------------------------------------------------------------------------
京都行きますか?
2005年6月3日 19:06:30 かわかつ WEB
壬生菜は漬け物にもなりますが、こうれこそ秦氏の痕跡を示す、山城盆地豊穣化の証拠。
シオン、紫苑、祇園・・・実にじゅうよう〜!


--------------------------------------------------------------------------------
からし菜系の菜っ葉は
2005年6月3日 19:14:58 かわかつ WEB
今でも小松菜がそうであるように、土壌検定の適用植物。これらが育つ土壌はダイオキシンが少ない。ダイオキシンが多い土地では育たないので、土壌測定の目安になるんです!ほうれん草はどんな土でもだいたい育つ。目安にならないんです。つまり、昔からこういうからし菜系が残されている処は大事ですよ!


--------------------------------------------------------------------------------
つまり
2005年6月3日 20:53:05 かわかつ WEB
古代から都・・・ヤマトから・・・大和川からそういう肥沃な天然の土壌を山城まで運んでいた人たちというのは・・・ですよ。「おちょうずやさん」というのはです。


--------------------------------------------------------------------------------
白土三平の
2005年6月3日 20:55:38 かわかつ WEB
言葉を借りるなら、「HINIMN」なわけでして。


--------------------------------------------------------------------------------
それが
2005年6月3日 20:58:00 かわかつ WEB
荒御霊の正体です。


--------------------------------------------------------------------------------
薬草
2005年6月3日 21:35:08 管理人
洗濯いってました。なるほど壬生菜は京都では有名なのですね。小松菜がまたダイオキシンの感知に役立つとは。そう、先の紫苑も、薬草らしいですね。シベリアから朝鮮・中国に分布するそうです。京都といえば、葵祭りとか、みあれ祭とか、(薬)草に関係する祭りもあるそうですね。ゼミで平安時代の御堂関白紀とか読んだ覚えあるんですが、ちょうどさっき家のそばの駅前で、そのもう退職されたその先生にばったり会いました。挨拶しか交わさなかったんですが、思えば紫苑とか壬生菜と京都の風習聞いとけばよかったかな。ここ4,5年マスター卒業してから歴史関係の方とは、その先生の退職記念の飲み会に行って、その先生と先輩にあったのが唯一なんですが、左派と相性悪そうな点はなんか私と共通性があっていい先生でした。人の縁は切れそうで切れないもので不思議なものです。


--------------------------------------------------------------------------------
そう言う方を
2005年6月3日 22:46:10 かわかつ WEB
講師にお迎えできたらいいですね。


--------------------------------------------------------------------------------
そうですね!
2005年6月4日 1:27:06 管理人
そうですね、もうすこし渡来人研究会も人的交流とか勉強会とかできてきたら、お声おかけしてみるのも一案ですね。文章読解の授業は、初心者にもわかりやすくかつ、ほんとうに職人芸のすごさを感じさせてくれる方でした。と先ほどは左派の方の文句を言ってしまいましたが、唯物論と正反対にあるカトリックでも、もともと世代的にも左派だった方も多くおり、共同体論についてはわりかし起源が同じこともあり、共通理解も多いようです。そういう意味では学生時代は左派を毛嫌いしすぎた感が残っていますね。左派の方が、紀氏さんの歴史学を理解できるようになったら、かなり面白い展開になりそうですが・・・・。


--------------------------------------------------------------------------------
私、卒論
2005年6月4日 3:37:06 かわかつ WEB
安部公房でした。この方転び左派ですが、共同体コミューンへの夢をすてないまま亡くなりましたね。そんな時代はもう来ませんね。
ともあれ日本が勝ったので寝ることにします。


--------------------------------------------------------------------------------
共同体コミューン?
2005年6月5日 5:39:12 管理人
安部公房さんって教科書で読んだことあったような・・、芥川賞、脱着式チェーンを発明したとか、なんか天才だったんでしょうね。興味持ちました。その年代の方はみな左派の時代を過ぎているんでしょうね。なんだろ、理想の社会を追い求めていたのでしょうか。私などはある意味キリスト教的共同体のよさに過ごしているので、案外理想社会にうといのかもしれません。共有財産、権力や金銭、能力では平等性は侵害されず、かつ各人の役割・カリスマ的な部分の理解・共感・育成、非暴力主義、非人種差別主義、比較的自由な言論・研究活動など、特に原始キリスト教会の共同体のあり方に理想を求める風潮はカトリックでも強くなっておりますし、わりかし私の周囲では実現している点は贅沢な環境ではあります。共同体コミューンについてはよくわかりませんが、マルクスがキリスト教の共同体論にアイデアを元にしているというキリスト教者の間での通説を考えてみると案外双方似た線に遭ったのではと感じます。あとは、その共同体論に「神」とか「霊」的直感みたいな部分が入っているか否かの部分に大きな相違があるようですね。また、自身を従属させる主体として、「神」をもってくるか、「人間」をもってくるかの差が大きいですが、もっともどちらも中間管理職みたいな崇められる「人間」がいることも確かです・・・?。要するに紀氏さんのような巫女的?直感を妄想として排除するか、真摯にその霊的?直感の存在と正確性を考えるかどうか、唯物論か否かにあるんですが・・・。その神・霊的?直感を理解できないと、どうしても論理の繊細さ・正確性に欠けてきますし、新しいアイデアも展開も生じてこないんですが、その辺の目に見えるか見えないかの微妙な相違、瞬間的に判断して研究すすめていくことサッカーと同様重要ですね。今度そういうお話もきっとこの仲間ならできると思いますから、楽しみにしています!!


--------------------------------------------------------------------------------
時代は
2005年6月5日 11:44:42 かわかつ WEB
吉本隆明、埴谷雄高・・・しかし時代は三島由紀夫の耽美をp選んだ。
今の物質追求型日本人の原点は彼にあると言えるかも知れません。



ところでオフの件
2005年6月2日 23:33:31 かわかつ WEB
蓼科がだめなのは痛いけれど、なんとかどこかあればいいですねえ。


--------------------------------------------------------------------------------
なにか共通の目的
2005年6月3日 0:15:12 管理人
そうですね、場所についても、探索など目的があるといいですね。個人的には、勉強会のほか、渡来人研究会の出版に向けてのお話などもできればと感じています。もっともまずは初顔合わせで夜の飲みだけで、あとは宿泊、探索は各自自由というのもひとつの手ですし、温泉などで楽しむとか・・・。ぜんぜん話は別ですが、昨日ふとラジコン飛行機に興味持ちました。親父がラジコン飛行機飛ばしてたんですが、ひさしぶりに親父の友人の方もやってましたが、ラジコンで空から測量写真とか古墳の映像とか撮ってみたくなりましたね。


--------------------------------------------------------------------------------
私やはり、なんとかして
2005年6月3日 18:02:10 かわかつ WEB
紀氏さんにお会いしてみたいです。
ご著書、ほったらかしだというのに、こんなこと言ったら失礼なんでしょうが、・・・
「渡来人研究会」総会及び出版・・・!ちょっと神剣に、いや真剣に考えてくださ〜い。紀氏さんも、舎人さん、泊瀬さん、とみたさん・・・
お、女性がいない。ーー;


--------------------------------------------------------------------------------
ねむれませんので、
2005年6月5日 4:26:44 いばらの紀氏
ねむれませんので、
かわかつさんおはようございます。
こんどは伝奇小説だそうですね筆は捗っておりますか?
かわかつさんの文才が羨ましいです。
紀氏流の義経だと「武蔵の国の万年橋の上、測量山伏 鶴(ツール)が
源治の棟梁 亀(キ)の葵が箕の笠をかぶり・・・・・」となってしまいます。
歓声を願っております、オ 外が白んできました
今日も良い日で有りますように、
夜明けの紀氏でした。
ねむれませんので、
ザンネン!
切腹END


--------------------------------------------------------------------------------
切腹はまだ早い!
2005年6月5日 18:41:53 かわかつ WEB
私がいくら散文を書き連ねても、紀氏さんの突発的インスピレーションにはかないません!私が散文なら、紀氏さんは韻文。しょせんタイプがちがうのですから・・・でもね、も少し「てにおは」つけちゃってくだされ。ついていけない時もありますし〜〜 ^^;;;



かわかつさんへ
2005年6月2日 16:53:50 いばらの紀氏
 おばんです。紀氏です
漢字と禹とな関係、表現不足なズブの素人の私です お許しください。
感想をいただければ幸いです。
宜しく御願い致します。      


--------------------------------------------------------------------------------
訂正 とみたさんへ
2005年6月2日 17:20:08 いばらの紀氏
 かわかつさん、とみたさんごめんなさい。
皆様も私の基盤のおかしい事うすうす御感じかと察します。
見捨てず御付き合いのほど宜しくおねがい致します。

 あらためまして、とみたさん感想を御願い致します。

              傷心の紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
おかしいなんて
2005年6月2日 23:27:05 かわかつ WEB
思いませんよ。膨大な知識の断片にはいつも驚かされてマス。
空っぽの古墳・・・私は宮崎県の西都原古墳群などそうなのではないかと思っています。あまりに唐突に内陸部のあそこらへんに集中しすぎているし、記紀の記述に合いすぎる。だってヤマトの古墳だって文献と合致しないものがおおいわけでしょう?
紀氏さん、私の時々入れるちゃちゃなんか気にされなくていいです。私は関西が長かったので掛け合い漫才みたいにつっこむのが癖なんですから。それこそ貴方の人柄に惚れこれんでます!これからも私のとんでも発想におつきあい下さい。ではでは・・・


--------------------------------------------------------------------------------
紀氏さんへ
2005年6月3日 9:04:57 とみた MAIL
学識と、インスピレーションこの両輪は大切ですね。
天才、いばら紀氏(大阪の茨木かな、関東の茨城かな?なって)の語りは楽しみにしてますよ。

将棋の羽生名人も手はインスピレーションで見て,後で裏づけの手詰めをするそうです。

紀氏さんは古代人の測量技術を信奉され居られるようですね。禹
の治水にせよレーラインにせよそんな気がする。
エジプトのピラミッドも太陽や月や星(北極星など)の光の角度は正確ですね。ピラッミドはメソポタミアのジッグラトの土木測量技術者がエジプトのピラミッドを作ったというではありませんか。これは確か紀元前2500年ごろのクフ王より前ですね。

メソポタミアは星派、エジプトはラーで太陽派の覇権争い。
結局は太陽派が勝利してエジプトはラーになった。

禹は鯀に代わって尭より信任を受けて治水に成功し大洪水を治めて夏の始祖になった。これは黄河の治水か長江の治水かで説がありもめている。
禹は元は魚形の神なり。殷の甲骨文字の原型が禹の時代すでにあり殷の亀甲文字になりました。夏で政治闘争に敗れた勢力は長江の上流の巴蜀(巴=重慶、蜀=成都)に逃れて巴蜀文字を拵えた。

殷の時代は神がかりの時代シャーマンが活躍したのでしょうね。
人狩りに行ってそれを犠牲、いけにえにする。呪霊の世界。
道を歩くにも地下に潜んでいる悪霊を払いながらあるく。吉凶を占うのはどこでも良くある話・・・日本でも平安時代にいたっても怨霊が悪さをすることを気にしていた。

紀氏さんの話は測量や呪霊に関係があるのかなと思って眺めております。

少し難解気味です。もう少し凡庸な私に平たく教えてくださいね。
宇宙のビッグバーン、ホーキンスのインフレーション理論みたいに難解です。


--------------------------------------------------------------------------------
禹と漢字
2005年6月3日 11:40:47 いばらの紀氏
 とみたさん今日は。
Q:いばら紀氏(大阪の茨木かな、関東の茨城かな?なって)
A:ヒントは「き」と「ぎ」にこだわる県民デス。
紀元前2500年ごろより前メソポタミアのジッグラトの土木測量技術者が
エジプトのピラミッドを作ったことから(エジプト文明を高めたのはメソポタミア!)
(ギリシャ・ローマはエジプトからと狼の乳で育った。)
太陽派(陽・父性・一神教)が勝利して(陰・母性・多神教)アルテミスなど?が負けた。
Q:黄河の治水か長江の治水かで説がありもめている。
A:黄河文明以前に長江文明が存在しましたが、禹と父コン(魚+糸)が
 苦労したのは黄河の土砂(砂漠から流れ込み堆積された移動するから
 治水が困難だった。
「紀氏さんの話は測量や呪霊に関係があるのかなと思って眺めております。」
古墳が測量・地図の作成に関係することをお知らせしたかったのが最初です。
それで、地図から禹を知り中国の神話や宗教に感心が生まれ「漢字」にも・・・・
次に土葬・古墳にピラミッド・キリストの様な蘇えりの思想のながれを知りたくなり
宗教に感心が、原始的な多神教(星座・天体を含む) 一神教(世界統一目的?)
「呪霊」は漢字の祖文字の中に生贄や呪いを語る文字が多く有ります、
現在は漢字のはず?なので 甲文字分析の白川静さん、中国文明の謎を説いた
徐朝龍さん、中国の古代に詳しい陳舜臣さんなどの本を御覧にしている 
とみたさんからの専門家の方々と私の考え方との御感想・アドバイスを御願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
続き
2005年6月3日 11:41:57 いばらの紀氏
「越人の最大の種族、ミャオ族(三苗族)には、かつて祖先は東に住んでいた。
山を越え、河を渡ってだんだん西方に来たという古歌が多く残されている。
史記には、「三苗、江淮荊州に在り、数乱を為す」とあり、江淮荊州とは長江の
下流域の北側あたりである。」とのHP記載も、
倭人伝でしたか「自らを呉の始祖・太伯の子孫だ」と言っていたことなど
日本の民・多民=混血の民
東・ 青色・青龍・・・・・・青い刺青の海洋民
南・赤・スジャク・・・・・・・・赤ら顔のアラブ系?
西・ 白・白虎・・・・・・・・・白人・トーラ?
北・黒・玄武・・・・・・・祖先(北極星・太一)北へ北へ→母なるアフリカの大地
中心・黄色 ・中国・・・・・・混血の民
世界が一つに成る日は?先祖は同じ「人類 みな 兄弟!」
 とみたさん禹と漢字への御感想・アドバイスのほどよろしく御願いします。
              待ってますの紀氏でした。ワクワク・・・


--------------------------------------------------------------------------------
紀氏さんへ
2005年6月4日 8:26:56 とみた MAIL
いばらき紀氏さん、いつも新しい刺激有難うございます。

禹と漢字については論評するほど知識がありません。
昨日図書館で読んだ古代の日本渡来人(井上満郎著)の中で秦氏の根拠地の太秦(ウズマサ)を禹都万佐となっていた。なぜ禹がこんなところに関係があるんだ??

私は囲碁の高段者ですが、中国の戦国時代から囲碁はあるようです。田の測量に関係有るという紀氏さんの指摘が面白かった。
三苗族には大変興味を持って調べています。
三=沢山、苗=南方民族という意味ですね。

三苗民族は元々は黄河の中流域の南で長江の武漢を結ぶ灌水(漢江)の辺にいた民族で紀元前3000年〜2000年ぐらい前の屈家嶺文明→石家河文明を担った稲作の民ですね。

それがの禹の夏や殷に追われて長江中流域の楚の地に逃れ、さらに南進して洞庭湖の周辺に落ち着いた。

楚の国へ西周の皇帝が征伐にやってきても昭候?など行方不明にされるなど、勢力は大変で春秋戦国時代の雄ですね。

秦に敗れることになったわけですが、ミャオ族ヤオ族など明、清の時代に反乱を起こしてさらに南の奥地の湖南省、貴州、雲南省に追放になった。広西省?の桂林の有る桂江など訪れたことがあるんですがチワン族が今も居りますね。

苗族は越の倭人とは違うようです。倭人についてただ今調べております。
会稽あたりから山東半島にきて遼東半島にはいり朝鮮の真番に来たのではあるまいかなど・・・


--------------------------------------------------------------------------------
少数民族の文字
2005年6月4日 9:14:02 とみた MAIL
先日の日経記事によれば・・・中国雲南省西北部麗江(世界遺産)周辺には少数民族ナシ族がいる。人口30万人。独自に発達したユニークな象形文字の東巴(トンパ)文字がある。ナシ語とトンパ文字ナシ族伝来の踊りを保存しようと雲南民族学会郭大列会長が頑張っておられるそうです。

四川省の巴蜀文字との繋がりがあるのでしょうね。
これは民俗学の領域でしょうか。雲南省の湞族は日本古代人の風習が似ていることで注目されています。鳥越憲三郎先生の古代中国と倭族の本ではこの湞族を越人と同じ倭族として考察されています



古朝鮮語に関しては
2005年6月2日 9:43:35 かわかつ WEB
泊瀬さんBBSにてその後も話し合い、お互いに文献にあたったりして納得いくところまで近づきつつあります。よろしければそちらもどうぞ。
雨の朝、コーヒーを飲むかわかつでした。



わっ紀氏さんがいっぱい
2005年5月31日 18:11:57 かわかつ WEB
昔の貴方が大復活!ところで、あのう、私の質問はどげんなったとでしょうか?


--------------------------------------------------------------------------------
尖石遺跡のレイライン
2005年6月1日 1:21:25 いばらの紀氏

かわかつさん今晩は、尖石遺跡のレイラインにかんしての私の意見ですが5月30日の
答えでは・・・・・理解・表現不足をお詫びいたします。
私の妄想ではレイラインは南北に500〜600メートル間隔存在すべきと考えております。
(なぜか南西〜北東には600メートルの倍数間隔が多く感じます。
古代での測量が特に山岳地で誤差が大きいので1300年前の行基の図となったと考えます。
それに対立する先住民の地域でも誤差が大きいです。
図にするとダビデの星・亀甲紋の六角形では球形の地球では三点が正三角形にならず
1辺から60度2辺目の線を引き更に60度3辺目の線を引いても線は交わりません、
これを続けると渦を巻き始めます。(巴紋はここからとの妄想です。)
なぜか南西〜北東では600mの倍数にポイントが多く見られます。
ポイントは北海道にも見られます、江戸時代の長久保赤水の地図までポイントの作成が
測量が密かに行なわれていたと感じます。(日光東照宮や宮の付く地名にもポイントが多いです。
安部清明の星・5ボウ星?5角形 北海道の5リョウカク?の形に測量すると誤差が減少したのでは?
四苦八苦が妄想をさせます、4x9 8x9 = 36→360度   72度(正5角形の内角?)
「四」の文字は棺桶に禹の足「ル」が入った形デハ?
「苦」は台の口の上に十字架が3本(禹の測量ではΨ型の矛?)日本では鳥居型
またまた答えに成らないかとお詫び申し上げます。
レイラインは世界地図作成のラインと考えておりポイントは不動(移動・消失しにくい形)で身近に存在した。
異常・以上の考えの紀氏でした、オヤスミナサイ。


--------------------------------------------------------------------------------
閃き!船=虹=船=?
2005年6月1日 8:19:42 いばらの紀氏
一寸法師=椀の舟 たぬき=どろの船 浦島=カメ(瓶)の船 
中国の祖先=ひょうたんの船 人類の祖先=ノアの箱舟
お坊さん=四方が鳥居の?クダラク??ワスレタ・・・トホホ
古墳の中には=天の鳥船?
舟と船の違い=八(門と考えます。)と口(禹の父の入った瓶・鳥居)
八(門と考えます。)=異界との穴(古代人の穴信仰から)
口(禹の父の入った瓶・鳥居)=棺桶(箱・樽・瓶・石棺・船形棺・・・)
禹の父はなぜ口なのか=死んで異界と禹(ヒ)との交信(口寄せ)
舟を並べたのが橋   虹は天界の橋
(禹=ヒ)它(ヘビ)=蛇=虹=舡(舟+エ)=船
酒船=精霊=酒甕に逆さに入れられ生贄となった禹の父(口)の棺桶

たしか大亀の上に地上があり蛇か龍が囲んでいる図を思い出しました。
古代中華思想に蛇が天界・地上界・地下世界の連絡通路との妄想です。
おはようございます     紀氏デス。


--------------------------------------------------------------------------------
連射砲を浴び・・・
2005年6月1日 8:37:27 かわかつ WEB
まるでコンバットのドイツ兵みたく後ろにのめってどうとぶっ倒れました。紀氏さんのそういうところが私は大好きなのです。ありがとうございます。
エジプト・ギゼのピラミッドがオリオンの三つ星をかたどって造られたと言う説が有名ですが、そういうのはレイラインの範疇には入らないって事なのでしょうか?こういうのは地上絵の範疇?それとも何か別の呼称があるんですか?
あ、簡単な説明でいいですよ。


--------------------------------------------------------------------------------
簡単ですがA
2005年6月2日 2:13:28 いばらの紀氏
管理人さん、かわかつさん今晩は。
エジプト・ギゼのピラミッドがオリオンの三つ星をかたどって造られたと言う説ですが、
私は単にギゼのピラミッドが東西南北を示し、測量目的の移動の正確性を期する為の
起点建造物(目印)と考えます。
古代エジプトが星座での移動位置の確認の技術を持っていたかは?です。
ただオリオン座の三ツ星は、中国では三武又は将軍星と言うそうです。(三武又てΨ型の矛?)
 ( 管理人さんたしか高麗神社入り口には、「天下大将軍」が奉られて?ミヨウケンさん?)
「北斗寺」と「北斗岩」
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt8/hokutoji.htm
また小三つ星を「伐」(う?)といいまして左将天の武官をあらわすそうです。
           (禹のことかな?ナンバー2 乙ですから。)
道教で「北辰の秘法」日本での密教系・修験道・薬師・・・
 突然ですが閃きました!
船=琴を弾いて神を降ろす「弾琴巫術」(だんきんふじゅつ琴を弾いて神を降ろす呪術です。)
琴=言(異界との交信口寄せの道具では?)
ことことこ とこに入ります、おやすみなさいの紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
三武矛、北斗七星
2005年6月2日 7:03:55 管理人
紀氏さんのご指摘はいつも、どこか奥深くに巫女的な託宣がございまして・・・、みなさんもその辺を読み解くことが重要そうです・・・?!
ウイグルと北斗七星ちょっとわたしもHP調べていて気になりました。
ピラミッドも三ツ星らしいですね。三ツ星信仰をたどっていくと日本までたどりつくでしょうか。もしかするとその辺が三平方の定理と関係したりして・・・・。
弾琴巫術といえばかわかつさんの領域ですが、三つとなにか関係しそうですか?


--------------------------------------------------------------------------------
これは決して嫌みではなく
2005年6月2日 9:36:07 かわかつ WEB
私は紀氏さんを天才なんだと信じてますから・・・そう、まるで玩具が一杯詰まったおもちゃばこから手当たり次第に引っ張り出しているおさなごのように嬉々としたお姿を想像します。あるいは手品師が「ばあっっ」と言って取り出す不思議なステッキのような・・・本当にお好きなんだなあって感動していまいますよね。
測量目的の移動の・・・それ調べてみませんとよくはわかりませんが東西南北の方位を計るというのは、これまた少々不可解です。勉強不足ですみません。
管理人さんオリオンの三つ星と北極星の相関関係はやはり宇佐にヒントがありそうです。北辰と参はそれぞれ海部と秦氏の融合に始まって修験道を導き出したのでは?妙見は星を見るということですから、各地の妙見山になんかヒント隠されてますよ。きっと・・・昨日から本格的に伝奇小説に取り組み出しました。義経が出ます。象は出ません。


--------------------------------------------------------------------------------
忘れてました!
2005年6月2日 16:44:59 いばらの紀氏

「ピラミッ道で一番!は、ヨミ帰りの胎内 屍(シ)見ずの石の棺桶!」
私は、前方後円墳には埋葬者が有りますが古墳全体では遺体の無い
古墳も数多く存在したとの妄想を抱いております。
ピラミッドの石棺も空でしょう?
古墳のなかにはニョインの中をデホルメした石組みの石室も有ります。
王家の谷の墓からファラオ?の魂が抜け出してピラミッドの北の「穴」から侵入→
石棺に卵子(死者は陰)宇宙の将軍星から将軍の精子(陽)がそしてミイラは蘇える。
ユダヤのカバラ秘密主義?私たちの知らない裏社会?ヒントはツル(ツール)
か「薔薇」十字紀氏団もつる草・藤もつる草・葵も?アイビイ(蔦=++鳥)リーグに秘密くらぶ?
世界にはフリーメイソンのような??のOBが社会を操作!。
古代より計算上手の長期計画 今実現の時か?
・・・・余興の下手な騎士で無いット。過ぎましたゴメンナサイ。



追伸 いっぱいなので
2005年5月31日 17:58:51 いばらの紀氏
蛇ジャ邪
蛇=虫(口+它)   邪よこしまの同訓に回  回教?(マホメット・イスラム・フイフイ)・・・・・
・・・・(禹関連の文字には「よこしま」文字が多くみられた。)アダムとエバの蛇は回教徒?)・・・・
・・・・(回の意味をよこしまとしたのは始皇帝?だとしたら魚(キリスト系?ユダヤ系!!)
邪=牙(さいとり:商品売買の中間にたって手数料をとるもの)。+おおざと(丘陵地に住む所・村)
回「糸+乞」カイコツ(西域の部族名 ウイグル人 魏の時代高車部または勅勒チョクロクといい
隋の時代イコツいう  唐の時代唐の公主めとった。    〔角川漢和中辞典より〕

(古代中国は能力を認めたら、人種・宗派は問わない能力主義の様だ。)
邪馬(商人?) 台国(古墳?だったら近畿?)
耶馬台国の耳=きく→菊→菊の地=菊地で九州(菊の紋は中近東に)
いずれにしてもシルクロードでしょうか?の紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
ウイグル
2005年6月1日 23:54:28 管理人
ウイグルというと、紀氏さんお得意のホータン(和田)、ゾグド人とも関係深いそうですね。
ウイグルなど新疆ウイグル自治区で使用されている文字の起源に書かれているHP見つけました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~erkin/charactr.html
特に個人的には「10.シリア文字」のところでネスリウス派が伝わってイランの国教となっていたことや、マニ文字の起源、ゾグド文字にところでの、ゾグド人がインド領域、ロップヌル湖地域(タリム盆地)、モンゴル草原まで商売に行っていた事実は、正倉院のゾグド文字との対応で興味深いです。
文字というとその辺紀氏さんのお得意分野ですが、紀氏さんご指摘のとおり、正倉院の高価な物品のことを考えるともしかすると商業部民としての渡来の可能性も捨てきれない感じがしますね。


--------------------------------------------------------------------------------
・・・・・・御礼・・
2005年6月2日 3:07:47 いばらの紀氏
 管理人さんのお気遣い感謝いたします。
先住民が狩猟・魚・農耕民の日本に渡来した多くが職人だけでは無いことは当然と思います。
世界の人口が増え機械化進むと三次産業に従事する人員が増えます。
秦氏が芸人やあ芸術家の地位を高めたことに関心しておりました。
金は天下の回り物 現代は富む者がマネーゲームで更に貯めこんでいます。・・・・・このまま行くとシモジモはどうなるのでしょうか?
神は何とおっしゃっていますか?    飛びました 気になさらずに
おやすみでしょうネ   良い明日をキシでした。  


--------------------------------------------------------------------------------
なるほど第3次産業!
2005年6月2日 6:57:11 管理人
なるほど、秦氏はもしかすると日本での第3次産業従事者のはじめだったりするのかもしれませんね。思えば渡来人、奈良前後の時期から雑戸などの差別??とか、ひとつ下々の身分になされる反面、財力は相当のものがありました。技術者も多く輩出し、紀氏さんご指摘の芸人なども出てきて、その後、かわかつさんご指摘のような全国へ散らばされる運命があったらしいことは、ある意味ユダヤ商人+・・が歩んだ道筋と同様な道のりを歩んでいることは西洋史との比較論的にももっと渡来人は注目されるべきでしょうね。
どういうわけか渡来人は権力にはあまり縁がなく、頭脳で生きるしかなかったのでしょうか。もっとも多くの渡来人は、農業などにも従事したと考えられてはいますが、それでも技術者や大倉官人など財力に長けていた秦氏がいたことは注目ですね。
と、なかなか昨日から東京湾から関東にかけて地震が7連発で、分析で眠れんのです。紀氏さんのところもよく揺れるでしょう。なんかまずいです。
地震情報、以下の掲示板参考にしてみてください。わたしも川崎@北部で書き込みしています。
http://www.progoo.com/rental/normal_bbs/bbs.php?pid=11087



紀氏さんへ
2005年5月29日 14:03:48 かわかつ WEB
尖石遺跡のレイラインにかんして下のbbsにレスしています。これもお読み下さい。そしてご意見をご教授ください。


--------------------------------------------------------------------------------
かわかつさんへ
2005年5月30日 2:03:44 いばらの紀氏
かわかつさん今晩、尖石遺跡のレイラインにかんして意見をとの御氏名ですので私の妄想を語らせていただきます。
古墳のこころの表紙にカゴメ紋(ダビデの星」を使いましたのは、地図の気になる地名(久保・川内・和田・・・ホータン?)を
線で結ぶうちに30度の倍数の角度で交わることの多いことに気付き、更に史跡の∴史跡の記号と山頂などでほぼ正三角形神社・寺・学校・・・・・
東西のレイライン=太陽の道(冬至・夏至の誤差あり  日下・大友=太陽と共に移動・・・妄想デス)
南北のライン=北極星(誤差あり)・・・・10万分に1の地図と三角定規・コンパス?=(ジョカ?) お試しを。
尖石遺跡の場合 東に本沢温泉(南牧村)−うそ沢温泉−奥三川鍾乳洞ー(南牧村)−・・・・万年橋の北 史跡子供動物自然公園
北に史跡ホープ牧場 南に泉野小ー富士見高(富士見!) 北(北極星?)史跡八子ヶ峰 南 史跡釜無渓谷
これで尖石遺跡を中心に十字(クロス・交わり?)が出来30度の角度の方向に同様のポイントが存在します。
出雲系(禹系)は銅鐸? 行基は薬師・温泉・円仁は不動に関連のポイント家康は講神塚(サルタヒコ!)
夏の禹は中国を測量し九州の分けた。禹の測量軍団が日本へ=出雲族か?
 甲骨文字・・・・漢字=禹がモデル ム・ヒ・九・吾・巳・乙・=私=禹  口=禹の父 (魚+系)  ム+口=虫(蛇)  口の上にム=台(測量台・古墳・酒甕→銅鐸)
(禹の文字の分析にゴブサタの段 御両者顧慮謝ください。) 広く浅くのトホホの紀氏でした、かわかつさんゴメンナサイ。


--------------------------------------------------------------------------------
訂正
2005年5月30日 2:13:15 いばらの紀氏
御氏名→指名ですよネ 陳謝・沈思やの紀氏でしたオヤスミナサイ。


--------------------------------------------------------------------------------
紀氏さんじめまして
2005年5月30日 7:47:11 とみた MAIL
いばらの紀氏さん、はじめまして、とみたです。
面白い分析ですね。謙虚に古代妄想?と仰る。想像力は大切ですね。黄河文明の祖,黄帝からはじまる5帝3皇。禹の父コン=魚+糸・・・
亀甲文字分析の白川静さん、中国文明の謎を説いた徐朝龍さん、中国の古代に詳しい陳舜臣さんなどの本を見ていたのでこの謎解きは興味津々です。紀氏さんに教えてもらうことにします。

長江下流に生まれた良渚文明(越系民族)は紀元前3300年に始まり、2200頃大洪水に襲われて崩壊した。流民は黄河中流の現地人と融合して夏文明を興した。夏王朝の始祖、禹は越(会稽=今の浙江省紹興)にありで越の出身。
紀元前1700年ごろ東夷の殷に敗れる。洪水神(治水の神は部族の守護神)伏儀女媧は南人の洪水神、共工は羌の守護神、禹は夏の守護神・・・いくつもの勢力と戦って特に南方系の苗族を追い出したのでしょうね。

沖縄石垣島では蛇=虹という伝承があります。

イングランドのストーン・サークルのストーンヘッジの謎、日本でも岐阜県に金山巨石郡がある由、太陽光の通る道(Ray Line)と関
係があるのでしょうか、暦日を知り種まきの開始日を知る、天文学的意味、死者の世界への案内・・・いろいろあるようですが。伊勢神宮の立地が太陽神を祭る神社のレイライン上にあるとか聞いております。
そのあたりもう少し詳しく教えていただけませんか。

別に学問的に正確である必要はありませんのでどなたかヒントだけでもお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
閃きました!
2005年5月30日 8:11:30 いばらの紀氏
とみたさん おはようございます、よろしく御願い致します、

 碁 碁盤の目は=地図(一里四方・面積を割り出す。) 漢字の「田」 頭に「ノ」角ツノ!鬼の頭カシラ=黄河の治水・測量に没頭する 禹です。
鬼=角(角度)+田(盾2枚彫り込む)+ル(弱った禹の足)+ム(私・禹) 如何でしょう。
将棋 三平方の定理にて目標をめざすゲーム。(古くは地上は平と考えられた。キリスト教でも)
「亜」の文字:(白川静氏の常用字解P3を参照) □の中の魔物(角のはえた緒の先が矢の様な目の大きい悪魔?)の字形図象 (甲骨文字では四隅・角が欠けた □)
魔物(角のはえた緒の先が矢の様な目の大きい悪魔?)=羽(ウ)人(角の有る足が貧弱なムの形に跪く・前身が黒の象も出土している。)
三位一体=父・子・精霊=
チチ=地→地の一辺(底辺・東西の線) 矢の象形文字などから矢が測量に使われた。(古代の武器や野営での生活道具が測量に使われた・現地の農民も使う。)
コ=弧(円周の一部・角度)
精霊=黄河の治水に失敗し川の側に酒甕に逆さに入れられ生贄となった禹の父(口の字で表されている)呪いに頼る。
正三角形での三角測量を行なうが地球が丸いために一辺の両端からの60度角の線が交わら無かったので禹(ヒ)の父の霊(口)を口寄せした。
「漢字が禹に関係していた事に自信が有るのですが、どのように表せば良いのか?解ら無いとデス」。   紀氏デス。


--------------------------------------------------------------------------------
金山巨石群
2005年5月31日 2:55:12 管理人
とみたさん、紀氏さんこんばんは。
金山巨石群、知りませんでした。以下のHPでみました。
http://portal.seiryu.ne.jp/portal/eventtour/kyoseki/index.html
1万年前のものだそうですが、夏至の位置など、1万年ほど前になると、返って予想以上に高度な技術が見え隠れしていますね。
紀氏さんご指摘の三平方の定理も高度ですが、ピラミッドやマヤの神殿を作るのに、三平方の定理ってやはり使っていたのでしょうね。
問題はピラミッドやマヤ文明の三平方の定理と、ギリシア・ローマ時代の三平方の定理、中国古代文明の三平方の定理、その辺の種別が付けれるかどうかが重要そうです。


--------------------------------------------------------------------------------
「ギョウ」=禹の上司?
2005年5月31日 12:06:19 いばらの紀氏

 「禺+頁」(ギョウ 中国古代の地理書「山海経」の南山経の中で、旱魃を起こすとされていた怪鳥の一種。)
「あちこちに炎が噴き出していて草木も生えていない殺風景な活火山「令丘」の山に住んでいる。
梟に似た鳥の姿をしているが、顔は人面で四つの目が縦に二個ずつ並んでおり、顔の両側には人間?の耳がある。
ギョウギョウとなく事から(ぎょう)という名がついたとされるが、この鳥が出現すると国のあちこちで一斉に旱魃が起こり、
人民が苦しむ事になると言う。 」

「ギョウ」がなぜ禹(ウ)の上司との妄想を抱かせたか
1)中国古代の「山海経」が地理書で有る。(禹は中国を測量したから。)
2)旱魃を起こすとされていた怪鳥の一種。(「旱」の字には海路に対しての陸路の意味も有る)
 「魃」バツ(鬼(う)+友?)バツ→抜・発(はじまるの意味)→癸キ(測る・Ψ型の矛を地面に立てた形・測量?)
 旱魃カンバツには 陸路 を Ψ型の矛を地面に立てた形 の物 で 測る はじまる の意も有る。(京都なぎなた矛?)
・・・・・・・ヘぇー・ヘぇーヘぇーヘぇー(座興)・・・・活火山「令丘」の山???(?)
4)四つの目が縦に二個ずつ並んでいる(臣など目を使う測量士?)
5)ギョウギョウとなく(「仰」・尭ギョウ)(業業=仕事しごと?)
6)この鳥が出現すると国のあちこちで一斉に旱魃が起こり(測量での障害物を焼き「払」う?)

1黄帝2ギョウ尭3舜4禹の順だから「梟に似た鳥」は 2ギョウ「尭」かも?デワ禹=烏 卯 兎 雨 胡 右 鵜 ?
(子 丑(牛がトーテム?) 寅(トォーラがトーテム?)兎(烏がトーテ禹ム?)辰(龍?魚+巳?・・・・魚はキリスト教系 巳(蛇)は?????
「魃」  鬼は=禹デス。  抜-手=・発(はじまるの意味)
「仰」  仰-人=禹   卯の花はウツギ(空木・卯木)に咲く  禹津木????ウツギ=境の木(畑などの)
「払」 (払-手)=ム=禹・・・・・・(漢字は禹がモデル!)
(ル しんにょうには禹に関係する漢字が沢山有ります 「卯」ウには吾・我・われの意味も禹も私・吾!!!)
  妄想 孟宗 申そうの紀氏でした。(木・忌・己・葵・姫・亀・・・危氏かも?)


--------------------------------------------------------------------------------
三角定規の旅
2005年5月31日 15:39:47 いばらの紀氏
∴史跡の記号と山頂・国見・三?などの地名でほぼ正三角形が九州で描けたことを思い出し、
近畿にチャレンジしました。
 まずは海上からの目印「那智の滝」(那智山)〜北東へ約24キロ(600mの倍数)伊 勢の朝熊ヶ岳
伊勢の朝熊ヶ岳〜西北(90度)甲賀の里を越え25キロ?鞍馬山隣りの大悲山
戻って、那智山西北(90度・14キロ弱)〜生石岳
生石岳〜北東へ24キロ(600mの倍数)甲賀(惜しい 2対1の長方形にならず残念。)
戻って、那智山の約北へ〜約24キロ(600mの倍数)笠捨山・八剣山を越えて柳生の近く 笠置山
この辺も名所旧跡・神社・仏閣それに生石岳〜甲賀の中間の橿原には有名な古墳が・・・・・!
古墳間をラインで結んだり更に延長したり霊ライン・・・・・楽しいですよ地図の旅。
(楽しみにしていた定年後 妻との名所旧跡・神社・仏閣巡りの旅・・・・・・トホホ・・・・

    メランコリーな紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
朗報
2005年5月31日 16:20:27 いばらの紀氏

魚にも吾の意味がありました!  ラッキー             禹も魚(キリスト系?ユダヤ系!!)
       では巳  蛇は?
漢和辞典を濫読する己 おのれも禹 ラッキー!な紀氏でした。



秦氏祭祀の謎
2005年5月29日 13:55:33 かわかつ WEB
諏訪がヒントになりました。新しい見解です。
荒御霊は中央から祭祀者としてやってきた秦氏本流が彼等の世話をする被差別民たち、、、奴隷として建立や土木、また食事の世話、着物の世話などにつかわれていた人々の御魂なんですよ!物部氏の臣下に縄文色の強いナガスネヒコたちがいたのと同じです。
本流と亜流があるわけでしょう。だから服部忍者なども上忍下忍が、能にもワキとシテがあるんじゃないでしょうか?!
その辺の詳細を例のLEYLINE HUNTINGbbsにレスしてあります。よろしかったらどうぞ。
http://www.ley-line.net/bbs/light.cgi


--------------------------------------------------------------------------------
写真を
2005年5月29日 21:36:12 かわかつ WEB
「ダダさんの掲示板」にちょっとだけ掲載しました。この方はわたしの花仲間ですが、歴史のおもしろ物や中原中也に詳しい方です。
http://6604.teacup.com/tenf/bbs



皆さん有難うございます
2005年5月29日 10:58:12 とみた MAIL
管理人さんから、トカラ人なんて初めて聞きました。ソグド人はシルクロードの交易で有名で確かイラン系ですね。
かわかつさん、私は飛んでもハップンのとみたです(笑)。凡人そのもの、出身は理科系ですよ。会社に入って文科系になりましたが生活の糧で仕方なかんべですね。

泊瀬さん、作家でいらっしゃいますか。いずれにせよ作家は良く勉強されますね。読者を惹き付けるのは大変ですものね。

地元の古代史愛好家と会話をしようと思っていますが、話題に即反応があるというMLのメンバーはやはり貴重です、感謝します。

東洋と西洋それをつなぐオリエントという3次元の空間に時間軸を通して歴史を眺めているんです。15-20万年前にアフリカで発生した現生人類(ホモサピエンス)が5万年ぐらい前にアフリカを出てヨーロッパに拡散。ヨーロッパの先行人類ネアンデルタール人は寒冷化に負けて3万年前に滅び現生人類が生き残る。それからが良く分からないのです。ホモサピエンスはヨーロッパからどのようにしてアジアの方へ進出したかです。

1万年前にメソポタミ(西アジア)で麦の栽培が始まり、中国の長江では1万年前に稲作が始まるという事実がある。

その間の民族移動や交流はどんな具合で行われたかというGrand 

Viewがかけている。そこに時間軸を通す。

シルクロードといっても漢の武帝が始めたとして紀元前1〜2世紀のことでしょう。もっと前からいろいろな交流があったはずですよね。前漢時代は匈奴や月氏との征服物語が分かりますが、それ以前も戦争やら交易はあったはずです。

どうやら長江上流の三星堆文明や下流の良渚文明(紀元前3000年前)までは随分分かってきている。黄河中流の夏文明とか、下流の殷の文明までは少しずつ分かってきているのですが。これは紀元前2000年までですね。その前はどないなってるの?

遊牧民族といってもスキタイといった黒海周辺の西方ものと高句麗などツーグース系の北方ものがいますよね。これも紀元前後ですね。もっと前はどうなっているのやら。

コーカソイドが何千年も前に西方から中国へ入って麦の文化を広げたのでしょうか。それともモンゴロイドがバイカル湖あたりから拡散したのでしょうか。これも遊牧民族の起源(バイカル湖のプリュード人は日本人の北方系ルーツでもある)に違いない。


 



--------------------------------------------------------------------------------
今のところ
2005年5月29日 11:26:39 かわかつ WEB
最も古い文明はシュメール起源とされているらしいのですが、それ以前にアフリカにはイヴの子孫サンがいたことを考えると、最古の人類が原初的な栽培をしていたという想像は成り立ちますよね。そこを原点としておいて、つまりゼロから旅していくのがよいのかと。イヴというのはミトコンドリア・イヴの遺伝子です。アダムとイヴじゃないです。キリスト者の方が多いので念のため。


--------------------------------------------------------------------------------
秦氏に関わる
2005年5月29日 15:03:01 かわかつ WEB
弓月国クンユエにもほど近い楼蘭ローランでコーカソイド系の女性の白骨が出てますよね。遺跡の柱様のものがたくさんささっていましたが、管理人さん、確か赤い丹がぬってあったんじゃなかったですか?
私、彼女は北欧系・・・アシュケナージ系ユダヤ人だと思っていたのですがトルキスタンとかペルシャ人と混血する前の人、あるいは混血かなとも思えてきました。これでクンユエから白人系の遺骨がでれば陸のシルクロードが面白いくなるんですが。よもやローマ人だったりするかも。セム系オリエンタルとの混血か?


--------------------------------------------------------------------------------
人種・シルクロード
2005年5月30日 3:12:21 管理人
ええと、ローランの話は、NHK特集を収録した講談社のシルクロード「歴史と人物」第12巻という書店で最近売っているDVDで見ることができます。ローラン遺跡の赤く塗られた木の柱は、確かにかわかつさんHPの北九州の赤い柱石と似ていましたね。
コーカソイドの女性の遺骨も出ていましたが、紀元前2000年代の遺骨でしたね。
とみたさんのおっしゃるようにゾグド人はイラン系のようですが、トカラ人については、アフガニスタン近くのトカラ国という説があります。斉明朝の記載なので、秦氏の時代からはだいぶ降りますが、逆に景教の影響を受けたローマ近くからの渡来人である可能性も考えています。距離的には東京・九州間の距離の4倍くらいのようですが、シルクロードをたどってきたのでしょうね。戦国時代のキリシタン迫害の時のキリシタンであった日本人の記録を見ると、単身?で南東の島々を経由して中国、インドを越えてローマに行った記録や、逆にローマ方面から中国経由で、日本へ来た記録などあります。人間が歩いていけない距離ではないようです。
ただ、とみたさんの論じられたように人種論となると、ひとつの人種が西洋から東洋まで動くにはかなり時間などが必用であったようです。狩猟など目的が曖昧が原始人の場合、特に直線的に進んだわけではないでしょうから、時間がかかったかもしれませんね。またアレクサンダーのように戦乱で国を広げて移動していくケースでも、かなり時間がかかりそうです。実際コーカソイドがインドまではDNA的にもよく分布しているのにもかかわらず、ヒマラヤを越えて雲南や中国に至るとまったくモンゴロイドに変わってしまう点も、人種の移動の難しさと、目的の曖昧さを示しているように感じます。その点やはり、ゾグド人などの商人や、仏教徒や景教などの宣教目的集団の移動は目的も方角もはっきりしており、政治的利害もすり抜けるのでは、極めて移動が直線的で早かったであろうと感じます。さっきは教会関連でマゼランのフィリピンへの宣教の話がありました。話を聞いているとおもったより武力的な脅しだけではなく、現地の信仰を生かした形で宣教をしていたらしいようですが、その辺集団の移動と柔軟な姿勢がある場合、移動もはやそうです。と、最後に秦氏ですが、彼等はいったい百済から新羅、九州から諏訪まで、わりと移動が早い集団とも受け取れますが、どういう人たちだったのでしょう。気になりますね。


--------------------------------------------------------------------------------
諏訪に秦氏が入るのは
2005年5月31日 16:57:01 かわかつ WEB
朝廷からの祭祀者としてで、だいぶ後のことです。この、あとから祭祀者としてやってくるのは出雲のこくぞう家にしても三輪山の大三輪の祖・おおたたねこにしても、また宇佐の大神氏にしても、あるいは白山神宮の官家にしてもすべて百済系秦氏です。
新羅系秦氏秦酒君に秦の臣がさらにその下に秦人が下人としてついて行きます。彼等は技術者となぐさみをする芸能人です。
百済系秦氏もおそらくこうした構造でしょう。それがなぜ用済みになったかがわかりません。
管理人さん、ここんとこ少し勘違いされぬように願います。諏訪の神はあくまでタケミナカタという宗像一族です。それと彼等に反発した原住民のもれやの神。前者は下諏訪に、後者は上諏訪にそれぞれ祭られているわけです。神長守矢氏という祭祀者は上社にたいして朝廷が送った百済系秦氏です。下社の祭祀はもともとタケミナカタを出雲から追いやったのが朝廷なわけですからはじめっから秦氏系神官がきてる。だからここから2度と出ないと彼は約束してる。しかし地元にいた旧石器・縄文からの土着神は譲らないわけで、もれやの神は最後まで抵抗する。しかし最後はやられてしまったからこそ上社という、よりよい場所に祭るわけです。祟りが怖いから。だから前宮はタケミナカタ側の祭祀者が監視するために祭られましたが、それでは朝廷側は不安なので神長守矢氏という名前をつけさせた秦氏祭祀者を送り込むと言うことです。
これは毎度申しますように、出雲氏が地元の出雲族と出雲国造家という2種の出雲族がいるのと同じなのです。
同様に宇佐氏にも宇佐池守に始まる現在の宇佐氏と過去の法蓮などを排出したうさつひこの宇佐氏だあるのだと考えます。


--------------------------------------------------------------------------------
ところで・・・
2005年5月31日 17:06:58 かわかつ WEB
尖石そのものと八ヶ岳のレイラインはどうなんでしょうか?紀氏さん、納得いかんとです・・・かわかつです。



d
2005年5月29日 9:40:39 y
dd



素人の古代語起源論
2005年5月29日 0:19:30 とみた MAIL
皆さんは、相当古代史の学識が豊かな方のようで私みたいにポット出が分かったような分からないことを書くと叱られそうだなという思いもあるんです。

皆さんは現役でご苦労様です。私も人並みに人生行路の苦労は経てきましたのでそれに免じて隠居の身分で勝手なことを書くのをお許しください。
これ以上は申し開きはせず厚かましくこのMLに気軽に登場することにします。(本業はサプライチェーン (流通情報)のコンサルタントでした。)

言葉のことがいろいろ言われていますね。万葉集を古代朝鮮語で解釈すると良く通ずる。韓国の女性教授の論ですね。あしびきのというような枕詞には意味があるとか、歌は表面は恋愛歌みたいだけれど実は謀反に対する警告文だとか・・・私は一部肯定しそんな歌もあるかな、でも
4500種が全部そうだとは思えません。

万葉集は呪術(神との誓約)の歌と言っておられるのが古代中国史(殷の亀甲文字の解読)で有名な白川静先生です。
古代朝鮮語は日本書記や古事記に割りに入っているそうです。たとえば小山(コムレ)とは小さい山のこと。朝鮮語の《コ》と《ムレ》とを合わせた合成語だと。

最近大野晋先生が日本語は南インドのタミール語を起源とするという説を出されているでしょう。
稲作文明と一緒にタミル語が渡来してそれが南方系の原日本語に作用したというもので万葉集にも当然反映している。閻魔というのはタミール語起源だそうです。稲の起源は従来のアッサム,雲南説から今では長江中流起源に変わりました。

日本語起源にシュメール文明を持ち出す人があってこれも何かと良く分からないのです。
好奇心で、少し調べております。インドの北西部はインド・アーリア人(=インド・ヨーロッパ人)が入り込んでいますね。これはもともとはイランの北西部の山間民族です。紀元前1500年ごろ
からインダスへ、さらに紀元前800年ごろからガンジスに来ているんです。この民族固有の文明・信仰は世界中心の山、牡牛と火を大切にしますね。ゾロアスター教も紀元前1200年頃から出ております。
インドのではシュメル山、これは日本の仏教の須弥山です。読み方は同じ発音でしょう。これは中国西域の高昌国までゾロアスター教とかマニ教として影響してますね。

このあたりまで掴んでいますが要するにいろいろな考え方があるようで参考までに俎上にのせます。


--------------------------------------------------------------------------------
海流を思えば
2005年5月29日 1:40:44 かわかつ WEB
とみたさんのいわれることが正論でありましょう。
白川先生にせよ大野先生にせよ、そのまたお弟子の小島先生も渡来系の
名前を背負いながらご苦労されました。京大から小島憲之先生が来られたとき私は幸いにもそこの学生で、ソシュールの言語学の研究会にいましたが、ほとんど寝ていました。それを痕から悔いるのは当然。
アーリア系からドラビダ系・・・あるいは遠く・・・
富田さん、貴方はいったい何者でしょうか・・・?すごい人を迎えてしまったかも。とびた、とんだ・・・
・・・・・・・zzz


--------------------------------------------------------------------------------
下記南九州のお話とあわせて
2005年5月29日 2:34:47 管理人
とみたさん、冬は石垣島、宮古島に行かれること、いいですね!と、私は北海道育ちでしかも九州以南には行ったことがないので、多分に想像の世界ですが・・・。友人が宮崎山地部にいるので、今度日向の神話の世界とともに、南西諸島にも・・とか思います。

 さて中国からダイレクトに九州へ海流に乗って漂着、鑑真もそうでしたね。個人的には、斉明朝の西域人と考えられるトカラ人がやはり九州日向に漂着していることを思い出します。帰り道は高句麗の乙相賀・・という使人と帰るのですが、行きはもしかすると中国からダイレクトという可能性を今感じました。トカラ人については、西域のトカラ国から、おそらくは須弥山を造るなどの石造技術を持って、中国経由でやってきたものと考えております。と、とみたさんご指摘の須弥山、シュメール文明との兼ね合いとも関連してくるのですが、このトカラ人、たぶんゾグド人とか仏教とか景教とか一緒に伝来したのではと、年度末報告で予想しています。
で、古来の長江文明が日本に伝来したが如く、九州もしくは南西諸島へ安全に伝達する海流があるとすると、トカラ人とダイレクトに当時中国全土に広がっていた景教やゾロアスター教、ゾグド人などとのつながりも視野に入れなければならないかもとふと感じました。その辺、シュメールからシルクロードそして、中国から南方経由での海流研究、かなり気になります。


--------------------------------------------------------------------------------
正論?
2005年5月29日 3:48:53 泊瀬光延 WEB
ここで「正論」と言われるのは不適当と思います。論理のやりかたも人それぞれですのでお会いしたときどういう風に持論を論じて行くのか、摺り合わせを持つことが出来れば良いですね。
 大野晋さんも私と同じくらい思い入れを持っていますから、リヨンヒさんを罵倒したそうですよ。私はそのような学者らしからぬ態度は容認できません。
 おまれ、シュメールからソグドまで飛び出し混迷(?)を極めそうですが、ここならではの議論ではありませんか。


--------------------------------------------------------------------------------
正論
2005年5月29日 7:54:41 かわかつ WEB
これを「あたりき」と読ませた唐十郎はほにゃほにゃ・・・まだ酔ってます。顔を洗って出直します。ときどきこうなります、誰か止めて下さい!


--------------------------------------------------------------------------------
最初は顔見せ
2005年5月29日 10:35:58 かわかつ WEB
先刻はちょっと情緒不安定でした。歌を歌いますと頭の中に詰め込んだ物が一度ブレイクして再構築されるような気がするので、煮詰まったり、思考疲労したときによくいくんです。行く前は非常に機嫌が悪くなっていて自分自身いやになるくらい連れ合いにあたったりしますが、歌うとすべてが更新されます。
今度の会ですが肩のこらない夏休みでいいんじゃないでしょうか。百家争鳴の中からそれぞれ自分のヒントを見つけ出せれば幸いだと思います。テーマというか大まかな枠は管理人さんにお願いしましょう。でないと本当に混乱しますから・・・いかがでしょうか、泊瀬大兄。
あと、管理人さん、レスが増えるとあっちいったりこっちいったり大変ですね。ご苦労様です。


--------------------------------------------------------------------------------
それと正論と言ったのは
2005年5月29日 10:49:03 かわかつ WEB
とみたさんレスの中の、シュメール起源の重要性や種種の文明の交雑の可能性ノ部分です。以前も申しましたように日本人は多くの人種の混血であると言うのが正論だろうと言う事と同じ理屈からです。大野氏など過去の言語学者の意見はスデニ古くなっていると認識しております。この方がたの名前がここに出てくること自体ちょっと驚いている訳です。


--------------------------------------------------------------------------------
失礼しました
2005年5月29日 12:06:43 泊瀬光延 WEB
私も午前4時に寄っておりました(汗)
 でも大野氏の言うところも私は研究しようと思います。ただ、現代語で比べてもダメだと思うのでこれが課題ですね。
 また、これも古いですが江上波夫の「騎馬民族論」も私が読んだところ、一般に言われているようなものでなく、モンゴルの風習、馬具の分布などを押さえていて、否定できない学説と思います。
 中国映画「遙かなる西夏」」で馬の鞭を打ち合わせて「約束」をする場面が出てきますが、あれは武士の「金丁」という古風にそっくりと思いました。また騎馬民族は「末子相続」であったということも、日本書紀に弟が先に天皇になる記載があったことを思い出させます。
 中国映画「チンギスハーン」では男達が皆、髪を月代のようにそっているのが面白かったです。


--------------------------------------------------------------------------------
う〜む
2005年5月29日 13:59:25 かわかつ WEB
私も再考してみますね。



古代の人口
2005年5月28日 10:17:38 とみた MAIL
暇人は?語る。すみませんね。多言居士より。
私は古代の人口はどのぐらいかに興味がありまして情報を収集しています。いろんなところから収集しているんですが・・。

日本の縄文中期4000年ぐらい前は26万人、近畿以西は1割以下。縄文終期は。7.6万人に減少。平安時代初めは5-600万人。鎌倉初めは1000万人といわれています。(出展は忘れました。メモをいろいろな記事から収集)。渡来人については
日本書記欽明紀元年の戸籍によれば、秦氏の戸数だけで、7053戸、
一戸あたりの人数は8世紀には20〜30人である(倭名抄では20人としている)

したがって秦氏は14万人と推定。

歴史人口学という学問があるようですが人口の増減と移民の関係も面白い分野です。

ちなみに中国の2-3世紀後漢の黄巾の乱など動乱期から三国志の戦乱時代は人口が激減=1/10 (5649万人→763万人)といわれています。紀元前の春秋戦国時代も度重なる戦乱で流民は死んだり各地へ散って行ったのでしょうね。


--------------------------------------------------------------------------------
私も非常に興味があります
2005年5月28日 16:33:53 泊瀬光延 WEB
人口や経済などから推測される、「いかに人々が生活したか」は、私も小説に生かしたいことです。真の歴史観を持った作品を創りたいと常々思っています。

 また、人々がどんな思いで戦に言ったのかも書いてみたい題材なのです。項羽と劉邦が戦ったとき双方50万の軍と言われてますよね。両方で100万!七人に一人は兵隊であった!?
 どんな戦争経済が行われたのか?それほどの兵糧はどこから来たのか?研究したいものです。


--------------------------------------------------------------------------------
人口研究
2005年5月28日 23:10:25 管理人
とみたさん、人口についてお教えいただきありがとうございます!
それにしてもずいぶん、時代によって人口差があるものですね。三国史の時代の激減には驚きました。下手すると日本の人口と2倍程度しか変わらない時期あったと思うと超大国中国のイメージがはたしていつも正しいのかどうかと、不思議になります。ご指摘のとおり秦氏が14万人位だったとして、当時の朝鮮半島の人口がわかると、またイメージがずいぶんかわってくるかもしれませんね。たとえば当時の半島人口が500万だったとすると14万は本当に小さいかもしれませんが、200万ぐらいだったとすると、何十県とかいう単位で秦氏が渡ってきている記載の意味がつながってきますね。人口研究の重要さもはたと気づかされます!



昨夜は
2005年5月28日 9:47:04 かわかつ WEB
興奮と疲労がないまぜになって、今朝いましがたきしむ身体にむち打って読み返してみると自分でもちんぷんかんぷん。
皆様にはご迷惑をおかけしたようです。ごめんなさい。
管理人さん、とみたさんもお書きのように人数が増えてくると話題が拡大しますね。新しい展開が広がって行くのが楽しみです。小休止して身体を休めます。


--------------------------------------------------------------------------------
かわかつさん
2005年5月28日 16:37:30 泊瀬光延 WEB
ハンドルネームの意味を考えないで書いてしまって申し訳ありません。
 まだ、御著書に手がつかずで申し訳ありません。そのうえ、蓮池さんの「弧将」を買ってしまった!!どこで時間を作るんだ、俺!
 またご意見をお待ちしていますよ!


--------------------------------------------------------------------------------
大兄・・・
2005年5月28日 18:08:33 かわかつ WEB
どうか気になさらないで下さい。「無礼な奴です、あいすみません〜」よしだたくろう実は好きです。これからカラオケ行きます。ちょっとのんでますです・・・


--------------------------------------------------------------------------------
万葉についてのレスです
2005年5月28日 23:03:14 管理人
この掲示板のレスで文字数制限があるようでして、書き込めなくなってしまったので、下の泊瀬さんの万葉のレスをこちらで・・・。
万葉集、原日本語と朝鮮語との関係を考える上で欠かせないですね。その万葉を考える会に、朝鮮にお詳しい方々がおられるのもなるほどと感じました。今度お会いしたとき万葉集関連のご資料お教えいただきたいです。また泊瀬さんお得意の日本海方面からのお話とか、文章家ならではの東西の言葉微妙な相違についてとか、お聞きしたいです!私もワイ族については、三国史とか資料ありますので、ワイ条の解読をしてみなさんでしてみるなんていうのも面白そうです。実際、ワイ条にある曲がり袖とか、厳格な規律とか、歌舞の話とか、虎と神の話とか、かなり話題でてきそうですよ。



南九州と沖縄
2005年5月28日 8:11:49 とみた MAIL
毎年冬の寒さを避けるために石垣島、宮古島に出かけます。小さな島・・・といっても外周は130kmと結構あります。すぐ退屈するので図書館へ出かける。八重山,先島諸島というんです。

沖縄には御獄(ウタキ)がある。日本の鎮守の森みたいな神社で聖樹がある。これはいくつかの集団が島に漂着して集落ごとの守護神見たな処ですね。集落ごとの戦もあり琉球王朝に取り込まれていった。
石垣島は台湾に近い。宮古島には韓国の済州島や中国の広東省、福建省と良く似た祭礼や風習があるようだ。

三輪神社の蛇神と同じ様な伝説もある。泊まった宿の主はひげが濃くおれはアイヌ人とそっくりだと自ら云っていました。南シナ海の海流や風向によって台湾や中国のゴミや木材が漂着する。黒潮もあり海はいろいろなものを運ぶ。

ニライカライという異郷の考え方があります。地下深く(根の国)
から或いは海の彼方から先祖はやってきた。
ミルク神(弥勒神)の祭りもあります。

南九州の隼人、熊襲これはどんな人種か。ヤマトタケル、か景行天皇かに征服されたのでしょうか。越人と同じ風習を持つといわれる。犬吠え、隼人舞など・・・ニニギ尊の奥さんのコノハナ姫の親父の大山祗の正体?山の幸が海の幸に勝利するとはどう云う意味か。九州の大山豪族が天皇族に取り込まれた。
山の民が海の民を征服した。隼人は海の民。越から漂着したのか、朝鮮から来たのか。

一応、天孫降臨した高千穂の峰(宮崎にあるか,霧島にあるか)から南九州の薩摩の西海岸の笠沙に下って行った。ここは鑑真和上が漂着に辛うじて成功した坊津に近い。そういえばこの緯度は中国の江南と同じ緯度だ。天孫降臨でなくひょっとすると海流で漂着したのかも知れない。などなど思いをめぐらせます。

神話や古事記、日本書紀の物語の舞台裏は何を物語るか諸説ある中で決定打はないですね。

ちなみに宮崎とは神武天皇の神社=宮の先=前から宮崎と言われたそうですね。(ツアーで勉強)それにしても、笠沙や加世田という由緒ある土地の名前が市町村の合併で南薩摩市に変更だとか淋しいですね。



管理人様
2005年5月28日 0:45:12 かわかつ WEB
近い将来、渡来人研究会総会を招集しいただくことを提案します。是非ご一考を!!


--------------------------------------------------------------------------------
渡来人研究会総会
2005年5月28日 1:31:24 管理人
そうですね、ぜひ一度近いうちみなさんのご都合のよい時期に開催したいですね。みなさんのほうで、場所、時間などご希望ございましたらお知らせください。もし実現したら初顔あわせとなりそうですが、お知り合いを誘ってくださっても結構ですし、いっそのこと学会にしてもおもしろそうですが、幹事役はあまり得意でないので、みなさんにご主導いただけると助かります。


--------------------------------------------------------------------------------
オフ会歓迎
2005年5月28日 6:40:24 とみた MAIL
管理人さん、かわかつさんと泊瀬さんから歓迎のメールをいただき嬉しい限りです。
かわかつさんは樟葉と八幡で新婚生活をなされたのですか。岩清水八幡・・・鎌倉の鶴岡八幡、大分の宇佐八幡と並ぶ有名な八幡様。ケーブルカーがあって、淀川と宇治川が合流する地点ですね。
私も、樟葉にいたとき、ほとんど古代史は興味がなかったのですがそれでも、天理から山之辺の古墳の道をサイクリングし三輪神社を訪れたり、近鉄吉野山線で明日香に降り立ち、サイクリングで高松塚古墳、橘寺、石舞台,飛鳥寺を訪れました。これは私の古代史の原風景ですね。それと定年後は暇が出来たので海外へ旅行しますと、トルコなどは大好きです。

古代史の研究会有志のオフ会も楽しいでしょうね。人数が多くなると発言の機会が少なくなるのでMAX10数人ぐらいなら面白いですね。
それと、権威者ばかりだと少し敷居が高くなってヘジテートしがちになりますので私みたいに駆け出しも自由に発言できる雰囲気があれば参加します。仰々しくない会合を望みます。誇大妄想、古代妄想もある程度お許しいただければいいですね。場所はどこでも飛んでゆきます。

この掲示板にも、いろいろ妙な視点、視座で投稿しますのでよろしくお願いします。

まだ深堀できず、上っ面の問題提起しか出来ませんがご容赦ください。いろいろ好奇心が旺盛ですのでレパートリーだけは広いようです。


--------------------------------------------------------------------------------
オフ会!
2005年5月28日 16:24:06 泊瀬光延 WEB
私も賛成ですが、皆様は関西に在住の方が多いようですね。ううむ。


--------------------------------------------------------------------------------
いやいや
2005年5月28日 17:08:53 かわかつ WEB
西日本はわたしぐらいじゃなかったかなあ・・・とみたさんも今は千葉でしょ?紀氏さんも管理人さんも関東だし、舎人さんは中部。以前のレスの方は秦ヒロさん位しか知りませんが、管理人さんいかがですか?
ええと、こういうことを思い立ったのは秦川勝の血筋であられる舎人さんにお会いしたからです。実際に会ってみるとスマートなハンサムボーイでとても旧家の御曹司然とした居丈夫。話方も物静かで奥ゆかしい。
多分私が一番下品でしょう^^;)直接話をすると意見がよくわかりますしね。私はアクセスのよい東京近郊で渡来系の痕跡のある群馬か埼玉がいいと思ってます。具体的には紀氏さんご本の表紙にもなっている装飾古墳が見てみたいなあ。


--------------------------------------------------------------------------------
場所案
2005年5月28日 22:36:30 管理人
そうですね、場所は個人的にはどこでもOKなのですが、群馬あたりなら、ちょうど高麗郡のテーマに合わせてそのあたりとか、東北方面だと福島インター近くに知り合いの経営する民宿があります。そう、思い出したんですけど、甲府の駒ヶ岳の麓に、渡来人の研究をされていた元神奈川の教員だったご主人が経営する民宿があったの思い出しました。いつでもきてくださいという話でしたっけ。以下のHPにその辺の話掲載してあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/sagamiyamanasi03921.htm
あとは、蓼科だとうちの上司の別荘(セミナーハウス並)があるので、夏場パソコン設置もかねて行く予定ですね。あとは装飾古墳の近くとなると、水戸に歴史探索のときに泊めさせてくれる一軒家に一人暮らしの友人がいますのでご依頼してOKが出ればと思います。
時期的には、個人的には6月4,5,6,7がうちの代表が講演で別府に行くので休みですが、この辺は岩手の母方の祖父の実家を探索にでも行こうかとかかんがえています。あとは夏場蓼科に行くあたりが休みかなと感じますが、特に土日あたりで短期間でもOKなのでいつでも大丈夫ですね。
 とねりさんとかわかつさんお会いできたのですね!なんとなくかわかつさんのイメージはよくわかるような気がします。私はたぶん、渡来人のイメージどおりの人種ではと感じますが・・・。ぜひ一度みなさんとお会いできること楽しみにしています。


--------------------------------------------------------------------------------
蓼科賛成!
2005年5月29日 1:59:51 かわかつ WEB
ここらで決をとっていただけますか。次は日にちですね。


--------------------------------------------------------------------------------
蓼科
2005年5月29日 2:42:28 管理人
了解です。とりあえずうちの上司にいつごろ出向くか、そしてお借りできるのかなど、明日あたり伺ってみて、OKそうでしたら詳細ご報告いたします。


--------------------------------------------------------------------------------
蓼科ダメかも
2005年5月30日 2:17:49 管理人
蓼科の件うちの上司に聞いてみたのですが、あまり広くない普通の家らしく、どうもダメそうです。蓼科ちかくのどこかを借りたほうがよいのではというお話でした。そこで、再度他の場所のご希望をみなさんにお聞きしたいです。


--------------------------------------------------------------------------------
このレスをうえにあげましょう
2005年6月1日 0:02:18 かわかつ WEB
そしてもう一度場所を募りましょう。「もったいない」ですから。



ワイバクのこと
2005年5月28日 0:12:45 泊瀬光延 WEB
皆様こんばんは。とみた様よろしくお願いします。
 とみたさんと管理人さんの情報に関して、もうひとつ話題を。私はリヨンヒさんの「古代朝鮮語で万葉集を解読する」会の会員になってます。もちろん、古朝鮮語など分かりませんので、批判不能ですが、この10年以上に渡ってその論陣を張っている彼女の態度は賞賛に値する物であります。

 その中で、最近彼女が主張していることの一つに、ワイ族のことがあります。高句麗を建てた扶余族にはメク族とワイ族がある(総称ワイバクと呼ぶ)のですが、ワイ族は高句麗から離れ日本海側に移動したということは歴史的に分かっており、その一部が日本の東国、東北部に渡ってきて勢力を持っていた、というものです。やたのカラスのように「八」が付く名前はワイ族(穢とも書き、ゑと発音された)に関係する可能性があるとおっしゃっています。

 鉄や金を古くから産出していた東国、東北の人々はワイ族の末裔が多く、江戸も穢土からではないかと。(厭離穢土からという説は多分、仏教用語の語呂合わせではないか)

 ワイ族のこの名の用字のごとく、中央からは忌み嫌われていたと思われ、歴史から抹殺された可能性があります。

 ですから紀元前後の日本には、ワイ、越、三韓、高句麗、百済、新羅などの渡来者がいたわけで、現在の民族紛争を参考にするならば、多民族国家の様相を呈していたのではないかと想像しています。


--------------------------------------------------------------------------------
是非サンスクリットも
2005年5月28日 1:05:18 かわかつ WEB
こんばんは!ただいまです。
白山に行って思ったことですが、仏教の導入以降、かなりの梵語が日常語化してきました。僧侶の説教という強力な伝承が平民たちんの言葉に影響しなかった筈はないと気づきました。日常的な平易なスラングなどはこの梵語が音律的にも関わっていると考えました。いかがでしょうか?
各種の渡来があったとすれば当然朝鮮語も重要ですが、一種に偏るのは危険。縄文の昔から渡来していた海洋民族などの言語も調べる必要がありましょう。
日本語やハワイ語が共通して、子音+母音であることも念頭におけば、日本でそれが顕著なのは様々な言語を統一するために、かつてCPの音声作動に母音が明確で少ない日本語が選ばれようとしたことを思い出して下さい。おそらく、言語統一の必要の要求された時代・・・王朝成立期にそうした事実があったと思えないでしょうか?


--------------------------------------------------------------------------------
カワカツさん
2005年5月28日 1:17:03 泊瀬光延 WEB
おばんです。
 私はすべて古代朝鮮語で解決するとは言ってません。ただ、この間買った朝鮮半島と日本列島が一望できる地図を見るにつけ、この近く遠い国との関係を思わずにはいられないのです。

 言葉の成立はカワカツさんの仰るとおり、いろいろな要素があると思います。ただ、「万葉集」で一つ強調したいのは、万葉集がすべて漢字で書かれているが漢語ではないこと(否定文はほんの少し漢語が用いられている)。日本語では同じ読みだが、違う漢字を使用しているものがあること、などから、これは当て字で書かれていることが分かります。(子供のころ奈歩礼音・曽呂《ナポレオン・ソロ》などの当て字遊びをしたことがありませんか?)
 そのときに使用された『英語』に比定される言葉は何でしょう?という問いです。サンスクリットも可能性はあるかも知れないですね。


--------------------------------------------------------------------------------
古代朝鮮語、穢族
2005年5月28日 1:25:33 管理人
泊瀬さんこんばんは!リヨンヒさんの「古代朝鮮語で万葉集を解読する」会、とても興味深いです。というのも、最近ある語学に詳しい知り合いの方から、古代日本語と古代朝鮮語の関係についての情報を教えてほしいとのことでしたので、ちょうどその辺気になっていたところでした。その会の詳細お教えいただければ幸いです。
ご指摘謎の穢族の歴史、リさん的には、同族高句麗系の日本への渡来と関係し、日本海→信州?→東国への流れと結びつくとすると、先日の考古学の出雲・越系の高句麗式墳墓の分布と関係しそうですね。別に東国には方墳の分布もあるのですが、その辺関東へどう入ったのかどうか気になります。朝鮮の鉄の話ですが、新羅慶州とカヤしか鉄が取れないので・・・という、先日の掲示板の萬氏の論があったのですが、穢族のほうは朝鮮の日本海側に分布していますから、慶州寄りですが、ご指摘のように鉄との関係が深い集団とすると、鉄を追い求めての移動の線もすこし気になりますね。同時に穢族と秦氏との関係も気になりますね。今後とも情報よろしくです!


--------------------------------------------------------------------------------
疲れていて
2005年5月28日 1:47:15 かわかつ WEB
少し書き方が雑になっています。ゴメンね。
リ・ヨンヒ女史の本、私もかつて読んだとき、彼女の友人である小林恵子こばやしやすこ  女史の本とともにほとんど読んだ末、二人が同一人物に可能性にきづきました。やすこ  は「寧子」とも書け、李寧姫さんの「寧」に字が対応するからです。ちょっとおもしろいでしょ?はっきり申し上げると、小林恵子さんは在日の血を引かれているのではないでしょうか。ここんとこ確認せねばちょっとわかりませんが、私は読んで行く課程で少し強引さを感じ、李さんともども「う〜ん」深入りすまい、と思ったんです。もちろん納得いく部分もあります。
ただ、以前他の韓国系の方の論で、ひどく過激な偏った韓国語100パーなんだみあいなもの読んだことあって、ちょっとそういう朝鮮語がすべて系の本は、少しスタンスを置くようにしています。
泊瀬さん、書き方が木に触ったらご免なさいね。でも一歩さがった私のスタンスは今のところちょっと変えられません。申し訳ないですが。
私も彼女にはまっていた時期があったことは事実です。
これは決して偏見からいっているのではなく、もう少し古代朝鮮語の解析を待つ必要があると思います。
これはユダヤと秦氏問題でも同じく、私の決めごとですので・・・


--------------------------------------------------------------------------------
PS
2005年5月28日 1:59:15 かわかつ WEB
いろいろな族が渡来し、融合したことには私も賛成です。
彼女のその部分の論理には敬意を表します。また小林さんの独自の理論展開にも尊敬しています。
ただ、朝鮮半島には古代の歌謡がほとんど残っていないし、(かぞえるほどしか)日本人がそういうと、「それは秀吉がすべてやいちゃったんじゃないか」なんて言う一部の愛国過剰な方の意見が出てくるところがどうも・・・その辺井沢さんの影響かなあ。
でも、万葉集のはちょっと強引だと思いませんか?他の人の意見も聞きたいところですね。


--------------------------------------------------------------------------------
ハンドルネーム
2005年5月28日 2:17:12 かわかつ WEB
ここでは「かわかつ」ですのでよろしくお願いします。
意味あってやっておりますのでご協力を!
ワイ族の説は否定しません。むしろ興味深いです。
この問題も含めて、やはり一度皆さんにお会いしたいなあ。文章だけでは言霊が見えにくいです。微妙なニュアンスが伝えにくい。
最近特にそう思いだしました。誤字も増えてきたし。我ながらつらい・・です。万葉集の件がなければよかったなあ。zzz・・・


--------------------------------------------------------------------------------
聖徳太子
2005年5月28日 7:50:00 管理人
小林恵子さんというと、去年「聖徳太子の正体」という著書を購入しています。かなり大胆な論を展開される方ですね。聖徳太子の外来性がやはり注目すべきとは感じますが、ちょっと夜勤明けで頭が働かないので、後で考えなおしてみます。


--------------------------------------------------------------------------------
強引過ぎたかな
2005年5月28日 16:21:15 泊瀬光延 WEB
 私は詩とか和歌が好きなので今、万葉集に拘っています。その点、書き方が強引になってしまうので申し訳ありません。また詩も書きますので、創作者の観点で従来の定義は受け付けられないのです。「なぜなぜ」が多すぎるからです。

 言葉とは多様ですが、民族のアイデンティティに関わる(というかそのもの)ものですから、ここまで研究を進めていらっしゃる方々にとって、いろいろな観点で思い入れがあると思います。
 だから、私の個人的な意見として考えて下されば良いと思います。その中でここがおかしいというところがあればご指摘を。でもここでは「万葉集」の詳細は不適切かも知れません。
 もしオフ会でお会いできれば、話のタネに万葉集の原文(漢字の羅列だからエクセルであります)を打ち出して持って行きますよ。

 また、私が穢族を引っ張り出した理由は、前にご紹介した網野善彦氏の「東と西の語る日本の歴史」の「東国」と「西国」の違いのルーツの示唆に痛く感銘を受けたからです。一つの話題と見て頂ければ幸いです。

 またまた「万葉集を解読する会」の話で恐縮ですが、会誌には会員の郷土研究家の方が京都・奈良の神社などを歩いて踏査し、古い地名とか神社の縁起を調べた記事も載ってます。これは「解読」とは関係ない記事なのですが、こういう活動もあるということをご報告しておきます。明治の神社仏閣の合祀や破壊が夥しい「神々」を葬ってしまったようで、古代の神社があった場所も全く変わっている可能性があるということを知りました。



長い旅から今
2005年5月28日 0:07:13 かわかつ WEB
ただ今戻りました。
まずは紀氏さん、復帰心より歓迎します!あなたのいない間、旧知の友を失ったようで寂しかったですよ。レイラインに関する紀氏節復活ですね!
それにしてもお父様がお亡くなりになっていたなんて!暫くのブランク納得いたしました。遅まきながら心よりお悔やみ申し上げます。
管理人さん、旅先へのBBC転送、ありがとうございます!大いに触発され、旅も楽しいものになりました。残念だったのは白山がクモに隠れていたことくらいです。BBCがにぎやかになりましたね!
これも貴方の人徳でしょう。
舎人さん、ご協力本当にありがとうございました。今回ほど行ってよかったと感じた旅はありませんでした。これで、いよいよ、関東への旅への足がかりができました。
さて、新規参入のとみたさん、おうわさは旅先でも舎人さんや、管理人さんのアクセスで伺っています。枚方に住んでいた私にとって力強い関西パワーの出現に勇気百倍です。樟葉・・・私が新婚生活を始めた場所!継体天皇の樟葉の宮のあったところ!そしてその裏が男山を隔てて私が最後の結婚生活を送った大筒木真若王の切り開いた八幡市ですね。
おそらく私より年長と思われますが、若輩者の私もどうかご指導ご鞭撻の程を!


--------------------------------------------------------------------------------
さて、
2005年5月28日 0:32:43 かわかつ WEB
疲れていることもあって、手短に旅の説明をいたします。
一番の目的は新風舎から声がかかった南信州阿南町でした。とにかく誰も知らない前人未踏のような最果てでしたが、それが日本のど真ん中でした。あらゆる渡来の融合するところで、しかも祭の宝庫でした。折口信夫お墨付きの秘境でありまして、例のヶベス祭の伝導された場所でもありました!!詳細は追ってHPにて。
そして諏訪です。諏訪大社には秦氏以外の異種のせめぎ合いが実に原初的に展開され、2×2=4という私の方程式・・・2種の渡来と2種の祭祀の組み合わせがはっきりと証明できました。段階を追って祭祀者が増えて行く歴史の波もそこにあり、中世さえ考えねばならなくなったのです。
さらに上社の上に展開する尖石遺跡のモリヤ一族の痕跡。20代からの蓼科の謎が八ヶ岳の形容を見て解決。縄文のビーナス、仮面のビーナスよありがとう!でした。
そして舎人さんのご協力で訪れた岐阜県白山神宮の様式化された洗練とその陰にある秦一族の隠された簒奪の歴史。すべてが方程式に乗っ取っていました。酒、匠、鷹、ワシ、鍛冶製鉄、たたら、蓑作り、養蚕、機織り、鉱山師、追いやられた修験道の真実、そしてなによりも酒!それらがすべて後の仏教のベールをかぶせられ完全なテーマパークとされてしまったかのような巧妙な為政者の手練手管のみごとさに舌を巻いてしまったのです。霊峰・白山は比女神信仰も、そして渡来の事実も、菊理姫という記紀のヒントをもすべてすべて包み隠すように雲に閉ざされ、真実を探る私という愚者をあざわらっていました。


--------------------------------------------------------------------------------
白山・諏訪ですか
2005年5月28日 1:06:37 管理人
かわかつさん長旅お疲れさまでした。大変実り深い旅行だったようですね。信州阿南町、白山、諏訪と行かれたようですが、諏訪大社はやはり神話のように2種の集団の祭祀の歴史があるのですね。秦の祭祀とモリヤ山の上社の祭祀はやはり同じ系統とみてよいでしょうか。その辺重要そうです。白山神宮、私は結局行きそびれたのですが、鉱山・酒とのかかわりあったようですね。今度また詳細教えてくださいね。ちょうど蓼科にうちのとこの上司が別荘もってまして、今度夏あたり伺ってみようと思っています。そのときでももう一度あの辺まわってみたいところです。あと継体天皇の樟葉の宮、ちょっと注目ですね!今度の阿南関連の研究の成功お祈りします。


--------------------------------------------------------------------------------
実は
2005年5月28日 2:29:56 かわかつ WEB
帰ってから気づいたんですが、上社前宮と下社春宮、上社本宮と下社秋宮の造営、改修した匠がそれぞれ一緒なんですよ。しかも秦氏系の二人で、大変仲が悪かったらしい。これはおかしいんです。
下社2社が同一人物で、上社2社が同一人物が手がけるならわかりますが、対角線上にやってるんです。
これは「上下」以外に、「和荒」の関係が重層構造になってる可能性がありますよ。


--------------------------------------------------------------------------------
和荒の論理!
2005年5月29日 2:40:40 管理人
かわかつさん、諏訪についてお教えありがとうございます!上下が秦氏系統で、さらにそこに和荒の論理があるわけですね。和荒というと、かわかつサン的には支配者と被支配者との関係となりそうですね。でも最終的には祭祀者は秦氏系統というのがまたおもしろいです。ちょっと深い話になりそうなので、ぜひその辺お会いしたとき詳しくお話したいですね。



こんにちは
2005年5月27日 14:03:53 いばらの紀氏
 渡来人研究会掲示板の皆様今日は、ご無沙汰しておりました。
父の七七日も、明け
(四十九日 忌日が掛け算だった釈迦の考えでは無いはず、釈迦の教えは「執着しない」ハズだから)
やっと妄想が復活しそうですが、皆様のお邪魔では?紀が引けます。
管理人さん・かわかつさんのレイラインの探索に感激して折ります有難うございます。
公共施設(寺社の跡地に多い・古墳の跡地に近い)辻・橋(境・古代の橋の位置も測量のポイント)です。
管理人さん東国三社の香取神宮は「やや小高い場所にあるものの周囲は丘に囲まれていて、
鹿嶋、息栖神社を測量するにはあまり適さないように感た様ですが
焼畑(モンゴル平原や砂漠は木々で覆われていたとの妄想を抱いております。)私は古代は国造りと測量の為ににより見通しが良かったと
考えております。香取神宮小史の古繪圖には木々は少なく建物・祠?・鳥居の方向が様々に描かれていますヨネ?
突然 話が変わりますが、キリスト教の史料に神がアブラハムに「立って、その地を、その長さと幅いっぱいに
行き巡りなさい。あなたにそれを与えるからである」。 創世記13:17  と有り
「どうか、目をあげて、あなたのいる場所から、北、南、東、西の方を見るように」も有り
アブラハムがそばの高台から、その地の様々な場所を見、『その地を行き巡って』、そこの環境をよく知るように
との招きを神から受けたと有りました。
シナイ山から約束の地に向かったイスラエルの民は荒野を40年間さまよったのは「国見」測量と資源の調査では?
  鳥居? 裁きの人16章3節
 「サムソンは夜半まで横になっていたが、夜半になると起き上がり、その都市の城門の扉と二本の
側柱をつかみ、それをかんぬきを付けたまま引き抜き、自分の肩の載せて、ヘブロンに面する山の頂きに運んで言った」。
ガザは海のそばにあり、標高はほぼ海面と同じだそうです。ヘブロンはその東、標高900メートルの高所で
ヘブロンはガザから60キロ(600メートル在る尺度での一里の倍数)ほどの距離・・・・偶然?
 ユダヤ  失われた十部族のよる 世界の国見・測量・鳥居は測量器具?・・・・またヨロシク御願い致します。妄想・妄想の迷える紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
おひさしぶりです
2005年5月28日 0:31:01 管理人
紀氏さんおひさしぶりです。お父様なくなられたとは知りませんでした。ご冥福をお祈りいたします。いろいろ心中大変だったことでしょう。でも、掲示板にまた戻ってきてくださり貴重なご意見いただけること感謝いたします。
レイラインに関しては紀氏さんが先駆者ですので、いろいろご意見いただけること幸いです。香取神宮周辺の昔の様子など、資料あるのですね。そして木々が必ずしも現在のようにあったとするのは、早とちりのようですね。過去の画図などの資料もそういう意味では欠かせません。旧約聖書の記載も、確かに門の話などイメージ化していくと、いろいろ類似性などはっきりしてきそうですね。今度画像掲示板も作りましょう??でも、ヘブライ人も測量記載を残しているらしいことは、さすが紀氏さんなるほどと感じました。ある集団が測量技術の習得するには、特定の場所で高度な文明に触れるか、自身でたどってきた中で編み出してきたか、となりますが、その辺の見極めも重要そうです。今後とも宜しくお願いします。



百済王の神社(情報提供)
2005年5月26日 9:46:57 とみた MAIL
今年2月、古代史ファンと南九州を旅しました。日向も当然回りました。660年白村江で敗れて九州に百済の残党が亡命しました。百済の王はていメH嘉王です。この王は追っ手と戦ったのが日向灘へ流れ込む小丸川の上流の(現在の)南郷町の古戦場です。戦死し神明神社に祭られているそうです。中流には子供福智王の比木神社、下流には奥さんの大年神社が祭られています。
毎年、子供が海で禊をして、母と父の神社を訪れる儀式=祭礼が行われるそうです。
残党は小丸川の河口今の高鍋町の蚊口浦に上陸、筑紫経由で大阪の枚方の百済神社や百済時のあるへ逃れたそうです。

正確さは保証できませんが、日向の祭礼が今も続いていることは事実のようです


--------------------------------------------------------------------------------
南九州ですか
2005年5月28日 0:23:28 管理人
とみたさんこんばんは。私も南九州今年あたりは友人もいるので音連れてみたいところです。ぜひご指摘の百済王の神社行ってみたいですね。九州にも亡命百済人の話や伝承があることは、掲示板でもご指摘あったのですが、百済王に直接かかわる風習は興味深いです。特に百済王族にも禊の習慣があったとするとおもしろいですね。父母を敬うという儒教的??な部分と禊については、日本、中国、大陸などとのそれとの比較ができればと感じます。


 

弥生人の渡来
2005年5月25日 21:51:19 とみた MAIL
最近、長江文明の発見(徐 朝龍著 角川選書)と古代中国と倭族(鳥越憲三郎著 中公新書)を読みました。司馬遷の史記により黄河文明中心の中華文明を学んでいますが、長江文明の方が古くって大切と云ってますね。長江下流の越や雲南省の少数民族と古代日本人の風習の類似性にも触れています。呉越同舟や臥薪嘗胆でお馴染みの春秋戦国時代の呉越戦争(BC473年 越が勝つ)と越と長江中流の楚との戦い(BC334年 楚が勝利)で流民になった部族民の一部が日本に
渡来して弥生人になったと思うのですがどうでしょうか。弥生時代がc14による測定法で500年も遡ってBC900年にはじまることになっていますね。


--------------------------------------------------------------------------------
弥生人から渡来人へ
2005年5月26日 1:46:29 管理人
とみたさんこんばんは。長江流域の文明と古代日本の風習、いろいろ稲作とともに共通性が多く見出されているようですね。
一部は弥生人として日本にも渡ってきたのかもしれません。その原因は戦乱であったりといろいろですが、ちょうど私も先ほど百済王族と秦氏との関連を検索していたら、以下のサイトに出会いました。萬遜樹さんという方の「日本人および日本の誕生」という文章なのですが、モンゴロイドの発生から移動、中国から朝鮮・日本への縄文人・弥生人としての大局的な流れ、そして朝鮮国家の成立、日本への流入など、そしてとみたさんご指摘の各国の戦乱などの動向と渡来への影響とも含めてよくまとまっていましたので、ぜひごらんになってみてください。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-64.htm

朝鮮三国の動向についても書かれているのですが、興味深かったのは、瀬戸内の中国南部の文化的影響をうけたとされる円墳連合に対しての、出雲から北陸への高句麗系統の墳墓の分布と大国主との関連についてです。継体朝の発生が特に気になりますね。

またもうひとつ気になったのは、百済王族とされる蘇我氏とその始祖武内宿禰を中心として平群、紀氏・・という「臣」集団の渡来です。そしてその背後にみえる新羅の影響についてです。475年ごろの百済の一時的な滅亡?に影響されて、日本でも動乱が起きてくる様子を指摘しておられるのでした。

先日掲示板で出てきた秦氏の祖先酒公と百済王族酒君との共通性、そして酒君を迎えた紀氏・平群氏とその流民との関係ですが、百済→新羅→加羅→日本への500年度ごろ?の渡来動向についてがありました。もし蘇我氏も百済王族で、武内宿禰系の貴族や流民は新羅的とすると、やはりどうも秦氏等の流民と蘇我氏と武内宿禰系統の氏族との深いつながりが、500年という百済滅亡時の動乱とともに、なにか見えてくるような気がしてきました。
中国・朝鮮との大局的な流れとともに考えていくことやはり重要ですね。



すばらしい研究ですね
2005年5月25日 9:47:27 とみた MAIL
はじめまして、定年後の古代ロマンさまよい人です。弥生人はどこから来たかなんて考えていたら、ついつい、渡来人について調べたくなってサイトを探していました。そしてこのHPに出会いました。
出身は岐阜は蓆田近く、会社勤めで大阪は樟葉に居たこともあります。京阪交野線も懐かしいですね。今は東京に近い千葉県です。よろしくお願いしますね。中国、日本、朝鮮とホイホイと時空を越えて遊んでいます。


--------------------------------------------------------------------------------
はじめまして!
2005年5月25日 18:20:37 管理人
とみたさんはじめまして!岐阜蓆田近くのご出身とのことちょうどその周辺の研究で難問満載だったので、今後いろいろお聞かせいただければ幸いです。あのあたりだと、やはり白山信仰とか、実際白山が見えるかどうかとか、製鉄と神社、古墳、郡府や国分寺など、いろいろ知りたいことが山積みです。大阪、私は住んだことないのでいまいちぴんとこないことが多く、ぜひ樟葉・京阪交野線あたりのこともお聞かせ願いたいです。今後ともよろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
ご挨拶
2005年5月25日 21:24:34 とみた MAIL
管理人さま、岐阜の蓆田は県立高校がありまして通学しました。
白山は遠謀も出来ませんよ。福井へまっすぐ通ずる道路は出来ているようです。岐阜市に近い美濃ですから福井までは遠いです。蓆田は715年に渡来人が来てますね。尾張国人蓆田君迩近および新羅人74家を美濃国蓆田に建つ・・・近くの小高い桑山と言う丘に舟木山古墳群があります。

大阪樟葉は枚方市に含まれます。淀川沿いにあります。継体天皇のお宮があるはずです。
今は大阪と京都の中間でベッドタウンです。山崎のトンネルがあり、洞が峠が近いです。



お稲荷さん
2005年5月22日 19:33:06 舎人 MAIL
こんばんは。
福井県の平泉寺から戻ってきたところです。
稲荷信仰で盛り上がっている様ですね。

時代考証的な見方から言うと、かわかつ様がご指摘されている通り、秦氏が深草へ移住する以前の先住民が存在し、その先住民あるいは先住民を支配していた者の古墳が山頂に存在するという事実があります。
もっともこの古墳は秦氏の始祖的な者ではないか?とする説もなくはないのですが、、移住後に先住民の信仰と秦氏の信仰が融合したという説が自然ではないかなと思っています。

狼についても言い出したらきりがない程の諸説あるようですね。(これがなんで現在の狐と結びつくのか?という事も含めて)
狼を大神とする説、神の使いとする説、狼と狐を同類と扱う説、当初の狼が中国の福神とされる狐に変化していったとする説、その源流で秦始皇帝の狐神信仰を秦氏が受け継いだ等々。始皇帝との直接の繋がりは否定するのが主流ですが、その信仰自体が半島を経由してきたのではないか?ということまでは否定されてはいないようですね。

伊呂巨の弓矢にしても、餅を的にしたという行為が民へ災いをもたらした為、それを鎮めるため祀ったという説と、災いはなかったけれど、今後災いをもたらさない様に行為自体を悔いて祀ったという説など。

山背大兄が深草へ逃げ込んだのも秦氏の地として当然と思われていますが、川勝の葛野グループと大津父の深草グループと2派の勢力があったと考えられていて、山背大兄にとって深草は適切な逃げ場所であったかのどうかは疑問が残るところです。
わたしは学者ではありませんので、いろいろな可能性に思いをめぐらし楽しもうと思っています。いろいろとご教授ねがいます。



--------------------------------------------------------------------------------
2派あったでいいと思います
2005年5月22日 21:10:53 かわかつ WEB
おそらく新羅系秦氏と百済系秦氏の2派あったと見るのがよいのかと・・・
高句麗の南下とのかねあいで見てもそれが正しかろうかとおもいますね。
新羅系加耶だけでは計り知れない部分、おそらくこの辺に答えがありそうです。
それと物部と秦氏の関係、そして物部、中臣のつながり。
あるいは先行する海部と物部、中臣、秦・・・ここが重要な気がします。
従って諏訪にゆく必要を感じます。


--------------------------------------------------------------------------------
秦氏系統
2005年5月23日 2:47:19 管理人
舎人さん、かわかつさんこんばんは。
古墳と支配関係、興味深く感じます。
二匹の狼について、いろいろ議論があるのですね。秦の始皇帝の狐神信仰、興味深いです。中国と狐とか犬というと、華南タイビルマ方面盤古伝承とか思い出すところですが、朝鮮にも百済本紀501年条に、王都の老婆が狐に化けて逃げ、二匹の虎が、南山で戦う話を先ほど見つけました。なぜ百済本紀をみていたかというと、仁徳紀41年に百済の王族酒君が日本に無礼だったので、鎖につながれて日本に差し出され、その後43年仁徳天皇が依網の屯倉で鳥を捕らえてその酒君にたづねたら、倶知つまり鷹だと答えたので、そのまま鷹飼部を定めた話があり、その辺がきになったからでした。秦の酒公との関連を考えてみてはいるのですが、そうすると秦氏は百済系ということになってしまいますね。とはいえ、たとえば、499年だと百済の日照りで高句麗に逃げるものが2千人いたことが記され、447年だと同じく日照りで新羅へ逃げていくものが多かったとあります。応神14年の弓月君に関しては、百済から120県の人民を連れて来る途中、新羅に邪魔されて加羅にとどまるとあり葛城襲津彦も還らず、16年に平群木兎宿禰、戸田宿禰を派遣して始めて新羅王を服してつれてこさせたとあります。この辺もたしかに百済→新羅(加羅)経由ですね。その辺かわかつさんご指摘の新羅・百済二系統の秦氏との考え方とも関係するかもしれません。先の百済の皇子酒君をつれてくる仁徳41年の記述をよくみてみてみると、使わされたのは紀角宿禰で、襲津彦に従わせて差し出したわけです。つまり平群木兎宿禰というのは平群の紀氏と想定すると、同じ人物によって酒君が連れてこられているわけで、同一伝承の可能性もあるでしょう。仁徳41年というと、480年から90年代かなと感じますから、秦氏の渡来時期と伝承との関係がもしかすると出てくるかもしれません。屯倉と秦氏と鷹飼部との関連もあり、いわゆる屯倉の成立初期が安閑以降の500年代前半とか考えられていますから、もしかするとこの辺に秦氏の渡来があったのかなとか、今書きながら考えはじめました。もうすこしその辺調査してみます。



秦氏と稲荷信仰
2005年5月21日 22:38:46 管理人
どうもこんばんは。最近鹿嶋、香取方面を巡っていた、稲荷が必ず一緒に祀られていることから、稲荷信仰について興味を持っていました。先ほどはうちの近くに伏見稲荷神社があるのに気づき、行ってみたら、なんと猫が二匹稲荷独特の小さな社の中に入っていたのでした。そんなこんなで稲荷について調べることにしました。以下伏見稲荷神社HPの稲荷信仰についてですが、
http://inari.jp/b_shinko/b01a.html
どうも山背国紀伊郡深草里に住む秦大津父を欽明天皇が見つけたときに、秦大津父の話に出てくる二匹の狼があらそうという遊牧民的な伝承に稲荷起源があり、稲荷大神のご鎮座は秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))によって和銅四年(711)2月初午の日に鎮座したのが始まりとか。その鎮座された深草の里は、山背大兄が逃げ込んだ深草屯倉に関係し、聖徳太子伝承との兼ね合いもありそうです。
その和銅四年二月というと次の三月六日に上野国多胡郡が置かれる直前であり、例の多胡郡の渡来人と羊大夫の伝承とか、いささかひっかかりました。多胡郡からやや東方40キロほどいったところに幡羅郡があり、上秦、下秦の地名に見えるように、秦氏の移住が考えられているようです。そこに711年創立とされる高岡稲荷大明神(白髪神社)があるそうで、多胡郡、伏見稲荷の創設年711年(和銅4年)で一致してます。詳細は「古代武蔵事始め」さんHPに書いてありました。
http://kodai-musashigaku.m.mepage.jp/framepage8.htm
書紀で山羊にたとえられた山背大兄、羊大夫の羊、その辺の動物つながりも気になります。
舎人さんも秦氏の血筋とのこと、秦氏についてグッドタイミングな感じがしてきました。特に秦氏と稲荷信仰についてみなさん情報よろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
多胡氏は秦一族
2005年5月22日 4:00:40 かわかつ WEB
管理人さんこんばんは
うとうとしていたらこんな時間になっていました。
秦伊呂具(鱗)は伏見稲荷大社創建者です。
2匹の狼というのは二つの勢力を象徴しているようです。ちょっと寝ぼけていて今、思い出せませんが。
山背大江が深草に逃げ込んだかどうかはよくわかりません。
確実なのはそう奏上した臣下がいたということです。
多胡の「胡」は「胡人」をあらはしているのではないでしょうか。羊太夫とともに掲載は、ええと、「日本の中のユダヤ文化」久保有政にありましたね。久保氏は確か貴方と同じくキリスト者です。
秦氏と稲荷信仰についてですが、和歌山県の糸我八幡、一度さがしてみては?
私は先日、香春に近い赤村、畑部落を散策してみました。赤村にはアカというだけあって丹がとれていたのではと思っていたのですが、そんな痕跡はなにもなく、ただ「我鹿神社」という古い社があって「あかじんじゃ」と読み、祭祀者の氏姓は「箕田みのだ」姓でした。箕田は「蓑作り」からきた氏姓で、サンカに関わります。これは発見でした。「畑」には角田八幡があり、「すだはちまん」と読ませ、「墨田八幡」と同じでした。
両地域とも屋根瓦にしゃちほこだらけで、まさに本拠地でした。
稲荷が必ず祭られているのは、一説には商売の神だからと言われますが、実際は「荒御霊」だからで、「和御魂」との表裏一体ではないかと思います。天照大神と月読み命の関係に合致します。聖徳太子と稲荷は非常に関わり深いので、そこんとこ管理人さんに調査願いたいですねえ。
今日は山香町のストーンサークル研究所という、きわめてマニアックな施設に行ってきました。井上さんという方が個人で環状列石のある土地を買い取り公開しており、驚きました。しかもその場所は私のご先祖の寒田親将が戦死した大牟礼山の麓でした。奇遇です。
けれどストーンサークルは私には比較的新しい時代のもののように見受けられました。巨大なサークルで、直径70メートルほどの楕円形。おそらく修験者の星信仰に関わる祭祀場か、もしかして戦場の「幕屋」かも・・・


--------------------------------------------------------------------------------
失礼しました
2005年5月22日 4:25:53 かわかつ WEB
糸我八幡ではなく、糸我稲荷でした。m--m


--------------------------------------------------------------------------------
高岡山稲荷・糸我八幡
2005年5月22日 15:04:18 管理人
かわかつさんいろいろ情報ありがとうございます。さっそくその辺調べてみました。
まず先の群馬幡羅郡の高岡稲荷についてですが、大阪の交野・星田に高岡山稲荷があるそうです。三所の太郎稲荷と呼ばれるそうですが調査中です。高岡山稲荷については以下のHPで。星田周辺に茨田の屯倉や香里などの地名があるのはすこし気になります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kanahori/hoisawalk.htm

さて、かわかつさんご指摘の糸我稲荷についてですが、以下の神南備さんのHPの記載が気になります。
http://www.kamnavi.net/kumano/kii/itoga.htm
「第36代孝徳天皇(645−654)の白雉3年壬子の春、参詣に便なるよう社を麓に移し奉って稲生社と改めた。 時移って大神、紀伊國糸鹿に降臨されたあとの元明天皇(第43代・707−715)の和銅年間に、再び山城國三ツの峯(伏見)に降臨された。 この由を聞召された帝は、山城國鎮座の地を紀伊郡と名付けられた。 本朝最初の称号は、大神は伏見よりも170余年先に糸鹿の郷に降臨された、との伝承を裏付けている。熊野地のいと高山のこなたなる、宇気の女神の森の木々に、御饗盛りなす雪野おもしろ。古歌にある宇気の女神は申すまでもなく倉稲魂神であらせられ、熊野地のいと高山は糸高山。後世たの字が省かれ、転訛して糸鹿山に改まった。」

とすると、元明711年の伏見稲荷創建の前の稲荷の大本に紀伊のこの紀ノ川下流の有田の地の糸我稲荷に起源がありそうですね。また最初の呼び名が糸高で「高」であった点なども、高岡山、高岡稲荷と関係しそうですね。宇気の女神と、とようけ、月神あたりの関連も予測されてるのでしょう。あと海を挟むと四国の阿南とかわかつさんご調査の阿南にいたるようですね。

かわかつさんご調査の隅田八幡はかなり紀ノ川でも内陸のようですが、確かに読んでいると、かわかつさんの宇佐方面に関係しそうな感じがしてきますね。ご調査がんばってください!

宇佐→紀伊→伏見→幡羅・多胡郡あたりの流れが稲荷信仰から見えてきそうですが、密教とかキリスト教との関連も稲荷については出てきているようで興味深くなってきました。


--------------------------------------------------------------------------------
交野はなつかしい
2005年5月22日 17:01:39 かわかつ WEB
枚方市交野に私市(きさいち)がありますが、ここは大阪大学植物園があり、よく遊びに行きました。交野は禁断の地・・・禁野が語源で天皇家の猟場があったところです。交野天神社(かたのてんじんじゃ)が有名。また淀川の支流・天野川(あまのがわ)が流れ、この川の上流に天の磐船で降臨したというニギハヤヒを祭る磐船神社があります。この川こそが物部氏の聖なる川であり、磐船神社から奈良に向かって行くとトミのナガスネヒコの本拠地・鳥見(とみ)に行き着きます。20代の頃ここは歩いてよく散策しました。周囲には多くの方墳が点在する物部系の本拠です。
さらに足を伸ばすと枚岡から石切劔矢神社に着きますが、ここもニギハヤヒ・うましまじの親子を祭るイボ治療の神様で関西では非常に有名。「デンボの神様」関西ではイボをデンボと言う。香里園は学生時代、私が最初に学生寮生活をしたところ!いわゆる新興住宅地ですが同志社高校があります。駅周辺は歓楽街で在日の方も多かったのではないかな?神社の記憶はないですねえ。もっとも学生時代そんなことに興味なかったですから、気づかないだけでしょうが。*糸我稲荷ですが、ここは最古の稲荷と言われているそうです。奇妙ですね、深草から遠く離れた和歌山に稲荷大社以前に建立されていたなんて。以前、「井沢元彦の書斎HP」に投稿していた頃、この神社を知り、しばらくほっておいた神社なんですがもう一回調べてみますか。何か変わった信仰形態だったように思います。*幡羅は「はたら」でしたっけ?「はら」でしたっけ?舎人さんのご本名にも関わってくるのかな?隅田八幡は神功皇后関連で僧形八幡像があったはず。高校の日本史的知識ですが。違うかもかも知れません。*四国に阿南がありましたか。ありがとうございます。調べてみます。*長野の阿南町は新町名らしいです。三つの村が合併してこの名前になった経緯があり、ちょっとガッカリしましたが、それはそれでなんで阿南にしたかは不思議です。
和歌山県は高野山を控える処でもあり、かつスサノウの子・イソ猛命が新羅から木の苗を移植して「木の国」から紀の国になった。渡来系紀氏・木氏の本願地ですね。紀氏といえば紀貫之、木氏といえば蘇我氏の祖であろう木羅こんしとくる。


--------------------------------------------------------------------------------
交野
2005年5月23日 2:05:48 管理人
かわかつさんが交野あたりにいらっしゃったなんて、まさに奇遇ですね。いや、カトリック的には予定的とか計画的だったりするのですが、それはともかく、この地と秦氏との兼ね合いや物部との関係、磐船神社も地図でみていて気になりましたが、ぜひぜひその周辺地域ちょっと調査してみますので、ご意見よろしくお願いします。狩猟の地については仁徳紀に見える百済の王族酒君と天皇とのやりとり、百舌鳥と鷹飼の話がきになりました。秦の酒公との関連もどうかと今考え中です。詳細は後に。



参考
2005年5月22日 13:19:58 かわかつ WEB
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/ 久保有政氏レムナントHP


--------------------------------------------------------------------------------
久保さんHP
2005年5月22日 15:03:29 管理人
久保さんの教会って東京にあったのですね。今度説教聞きに行ってみようかな。



秦氏と宗像氏
2005年5月22日 4:17:48 かわかつ WEB
どうも宗像氏が先行して比売神を祭っていたところに秦氏がやってきたみたいですねえ。そこんとこ舎人さん、なにかお考えないでしょうか?管理人さんレスの「古代武蔵事始め」サイトの方もそうかいてますね。



管理人様
2005年5月19日 22:54:42 舎人 MAIL
管理人様、はじめまして。
岐阜の舎人です。
この度は私のメッセージの為に、お騒がせいたしました。
申し訳ありません。
登場させていただくのは今回が始めてですが、以前より、こちらのHPは参考にさせていただいておりました。
岐阜、白山へもお越し下さった様ですね。
美濃馬場は通過?されたご様子で少し残念ですが、いかがでしたか?
私自身が秦氏の流れの為、渡来人全般と言うより、どうしても出自に関する事に目が行きがちになります。
貴HPは、その凝りをほぐす(表現が適切でないかもしれませんが)意味でも、大変役にたっておりますし、管理人様の調査報告も興味深く拝見させていただいています。
今後とも宜しくお願い申し上げます。



--------------------------------------------------------------------------------
舎人さんこんばんは。
2005年5月20日 21:45:09 管理人
こちらこそよろしくお願いします。舎人さんも秦氏との血縁なのですね。秦氏の血筋の方は何人かここにもいらっしゃっていて、やhりどこかしら、自身のルーツが気になるようですね。美濃馬場、確かに通り過ぎたように覚えています。いいところですね。今後ともよろしくお願いします。



了解しました
2005年5月14日 10:29:23 かわかつ WEB
当掲示板にお返事させて頂きましたのでご覧下さい。管理人さん、どうも失礼しました。


--------------------------------------------------------------------------------
かわかつさんゑ
2005年5月18日 23:29:55 泊瀬 WEB
泊瀬です。経緯が判明した時点で下の書き込みは消されたら如何でしょう?私も経験がありますが、ここは管理人さんの掲示板なので・・・


--------------------------------------------------------------------------------
特に気にしなくていいですよ。
2005年5月19日 12:18:26 管理人
どうもこんにちは。週末祖父の見舞いをかねて札幌に帰っていました。今回はあまり遺跡とは関係なかったですが、次回は岩手へ行ってみようかと思っています。
特に書き込みなどあまり気にしなくていいですよ。紀氏さんのときみたいに自由にやっていただいたほうが研究も進むみたいですから。ではまた今後ともよろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
しばらく思索にふけっていたため
2005年5月19日 23:45:51 かわかつ WEB
いろいろ気づかないことで申し訳なく。泊瀬さんにもご迷惑おかけしました。
管理人さん、北海道のおじいさまご病気だそうで、ご心痛のことでしょう。お見舞い申し上げます。
それにしても管理人さんが札幌にご縁ある方とは今の今まで気づきませんでした。不徳の致すことです。
舎人さんには、私の著書にご興味をもっていただき、WEB検索にて貴サイトに私のハンドルネーム「かわかつ」から作者である私への接触を試みられた次第で、その件は当HP掲示板へ移行し発展したものでした。
今後とも舎人さんとはここ渡来人研究会でも長くおつきあいしたい方の一人だと考えます。というのもこの方は秦氏の後裔であられるからです。いろいろと我々の知り得ないお話が徐々に展開して行くのかも知れませんね。
今、私は豊前の各所をさらに詳細に回り、秦氏の痕跡を追いかけています。また以前お話ししたレイラインのヒントとなるべき宇佐から南へ向かう直線上に点在する秦氏の流残の足跡をも追いかけております。かなりの映像が当方データとして集まってきています。徐々に「映像の古代祭祀」上にて発表して参りますのでお楽しみに。


--------------------------------------------------------------------------------
と同時に・・・
2005年5月20日 0:15:19 かわかつ WEB
新風舎から「祭り街道文学大賞」という長野県阿南町主催の賞へのお誘いを受けました。このため、今阿南町隣接の諏訪市に残された「諏訪三郎訪方(すわさぶろうよりかた・別名甲賀三郎)伝説についても必死で検証中です。
実は以前から宇佐大神氏の豊後での後裔である緒形三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)と諏訪三郎の名がよく似ていることは気になっていたのですが、どうも伝説に残された「おだまき型伝承」や蛇の神紋を持つことなどに共通点がある。さらに阿南町は緒形三郎の兄が納めていた大分県佐伯市にも同名の町があり、「阿南」姓自体九州海部の持つ姓であること。またインドシナからアフリカにかけて「アナン」という名前が点在していることなど、かなり想像を刺激する話題が山盛り。しかも緒形三郎は源義経を助けて頼朝に逆らい配流されその後行方不明に近い人物。出身地緒形町近辺には大蛇伝説があり、どうやら洞窟に住まう蛇の化身で地下の通路であちこちに出没したらしい。
一方、諏訪の三郎の方にも近江国から地底を通って突如諏訪に現れたという話があり、これは面白すぎます。
宇佐大神氏といえば大和大三輪の一族で、その始まりは「おおたたねこ」ですから出雲大氏の同族。つまり秦氏の傍流なわけでしょう。甲賀も秦氏の道教呪術を伊賀とともに伝えた忍者の国。
さらには源義経にはそっくりさんの近江国主・源山本義経という人物が関わっている。こりゃ豊前豊後、近江、諏訪を舞台に時空をこえたドラマがうかんでこざるを得ない。こいつは私、えらいこっちゃの初夏でして、いろいろ失礼の段、あろうかとも思いますがしばしの間勝手な妄想を楽しませて頂こうかと勝手に考えています。
相変わらずの一方的説法にて今日はこのくらいで・・・


--------------------------------------------------------------------------------
新刊予約開始ですね。
2005年5月20日 21:54:38 管理人
かわかつさん、いよいよ新刊予約開始されたそうですね。うちのHPでも宣伝させていただきます。と、かわかつさんHPトップで渡来人研究会紹介くださりまことに感謝です。映像データ集楽しみにしています。長野県阿南と九州、そして東南アジアまでとても壮大で魅力的なテーマですね。ぜひ今度お聞かせください。諏訪、宇佐、やはり秦氏とのご縁深いのでしょうね。そろそろ秦姓の解き明かしも本格的に取り組まねばなりませんね。



惶は
2005年5月11日 0:06:30 かわかつ WEB
「おそれる」「こう」と読むらしいです。おそれねの命?こうねのみこと? と思ったら「第六天神社」というサイトに「かしこねのみこと」と出ていました。 出雲のあじすきたかひこねとも言われますが、どうも北斗の六番目の星 ζ を示すのでは?


--------------------------------------------------------------------------------
日記修正
2005年5月11日 8:09:31 管理人
かわかつさん、惶根命、出雲系とすると・・・だんだんつながってきますね。かわかつさんのご指摘受けて若干日記のほう修正しました。いつもご指摘助かります。



香取・息栖・鹿嶋探索アップしました。
2005年5月10日 21:23:37 管理人
香取・息栖・鹿嶋探索やっとアップしました。以下アドです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/katorikasima.htmまたまたかわかつさんの宇佐方面に関わる要素が出てきましたので、ぜひごらんになってみてくださいね。


--------------------------------------------------------------------------------
忍潮井は
2005年5月10日 22:02:13 かわかつ WEB
「おしおい」と読むのでしょうか?城下カレイで知られる大分県日出町の海中にやはり真水の涌く場所があります。井戸ではありませんが、部分的に汽水域が造られるためここでとれる真子ガレイは他所よりおいしく、一尾数千円の高値で取引される貴重品です。この日出町の最も高峰が先日ここに書いておいた七ツ石山で、その隣には聖山・経塚山が。また麓には安養寺・経塚古墳があります。古代の間道がある古い場所ですが、例の宇佐からの北斗七星はここを通過しています。
国東には「おしうみ」・・鴛海、という姓があり、大和の忍海氏との関係が忍ばれますようにおそらくかつての海部です。茨城にやはり「おしおい」姓があるのでしょうか?
神崎神社・・「かんざき」と読むのでしょうか。
配神の「根命」の上に一字、りっしんべんに皇のような字が見えますが、はてなんと読むのやら・・・
天鳥船といえばニギハヤヒ関連ですし、また出雲の神でもありますから荒魂でしょう。
もう少し詳細に読んでみます。
あ、「息栖」は「おきす」?「いきす」?


--------------------------------------------------------------------------------
おしおい
2005年5月10日 22:09:17 かわかつ WEB
やはり「おしおい」みたいです。「忍潮井」で検索したらレイラインネットというサイトが1番目にありました。(字がちっちゃい!この人間違いなく理系)
日本三霊水ってあるんですねえ。大三輪鳥居があるらしいですね。おもしろい!


--------------------------------------------------------------------------------
おきす
2005年5月11日 0:26:48 管理人
かわかつさんこんばんは!おしおいって読むんですね。息栖はいきすと現在呼ばれているようですが、「おきす」ともともと呼ばれていたようです。「おきなが・・・」の「おき」だと思います。
ご指摘レイラインネットこちらですね。
http://www.ley-line.net/kashima/kashima_06.html
なかなか勉強になります。レイラインもいろいろあるんですね。
忍海氏といえば製鉄関連氏族ですが、岐阜でも井戸と製鉄の伊吹山との関連があり、もしかするとご指摘どおり忍潮井の意味に、なにかそれらの要素が重ね合わさっているかもとか感じましたが・・・。オシ坂・オシ海・・・「オシ」の発音が、どこのものなのか、意味と合わせてきになりますね。
あとニギハヤヒ調べてみます。


--------------------------------------------------------------------------------
地名は良字をあてて
2005年5月11日 1:03:01 かわかつ WEB
こんばんは。
良字をあてて二文字で表記すべし、という朝廷の命令が平安期以前に出ましたからそこんところを押さえておかなくてはなりませんが、この場合、「塩水を押し分けて出てくる真水」で「押し潮」井と単純に解釈できそうです。
ただ天のオシほみみ、オシ骨命、なおの「おし」との関連もあったのかも?忍海氏はやはり製鉄関連ですか。
ニギハヤヒは物部の祖神・ウマシマジ命の父で、一説ではスサノウの子。また農耕神の大年、大歳神のこととも。あるいは京都籠神社祭神・アメノホアカリ=隼人の神・海幸彦でもあるといわれます。私の本に書いてある
天照国照彦天火明奇御魂邇速日命のことです。
サイトはそれです。いつもお手数掛けます。


--------------------------------------------------------------------------------
ニギハヤヒ、神崎神社
2005年5月11日 7:27:52 管理人
息栖神社と神崎神社にみえる天鳥船は、ニギハヤヒ、三輪とかかわりながら物部系でしたね。物部が関東展開したころ東国三社の成立の関連調べてみたいと思います。その後の蘇我氏の物部駆逐してからの関東展開以前とするといつごろになるんでしょう。鹿島の大剣が石上神宮のを模したといいますから、やはり物部との関連深いのでしょうか。やはり物部系も蘇我側からみると荒魂になってしまったのかな・・・。いやでも中臣は・・。ちょっとその辺整理付けて理解したいです。
神崎郡HP見ていますが、「こうざき」とも「かんざき」とも読むようですね。起源は白鳳二年(674年)のほか白雉二年(651年)という解釈もあるそうです。たぶん「白」だけ伝承に残っているんでしょうね。以下神崎神社HPです。
http://www56.tok2.com/home/bamen/kouzakijinja.htm
白雉二年(651年)だと、確かに鹿嶋、息栖とも年代合いますね。
この神崎郡滋賀県にもあるそうなのですが、かつて渡来人研究会の年度末報告で滋賀の神埼郡から茨城の神埼里へ渡来人移住の記載などから取り上げていたこと思い出しました。滋賀神崎郡は琵琶湖東に位置し、先日探索の伊吹山から40キロほど南西に行った地点ですが、近江から茨城へ渡来人移住、神崎神社と関係あるかもとか感じます。



はじめまして
2005年5月9日 23:33:53 コウ MAIL
はじめまして、コウといいます。
今、朝鮮由来の日本の地名について調べてるんですが、教えていただけませんか?


--------------------------------------------------------------------------------

2005年5月10日 22:30:06 かわかつ WEB
「朝鮮語」「地名」で検索すれば山ほどサイトがありますよ。



参考になれば
2005年5月9日 12:02:55 k,-woldの管理者 MAIL WEB
菜麻様
はじめまして、金と申します。
参考になるかわかりませんが、渡来人や日本の成り立ちを考えるうえでこの『新撰姓氏録』氏族一覧は抑えておくとよろしいのではないでしょうか。
北川研究室というサイトで一資料として、『新撰姓氏録』の氏族一覧がテキスト化されています。
http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/
細分・始祖の項に、百済・高句麗・新羅など名が多数見られます。

細分に漢氏も多数見うけられますが、管理人さん、この漢氏も朝鮮系の渡来人ですよね。


--------------------------------------------------------------------------------
つなげてください
2005年5月9日 12:13:15 k,-wold金 MAIL WEB
菜麻さんにレスしたはずなのですが、新規トピになってしまいます。
また、削除もできません。
トピを削除して、つなげてください。


--------------------------------------------------------------------------------
地図のパターンに
2005年5月9日 18:02:54 かわかつ WEB
インドシナ方面お持ちでしょうか?
泊瀬さんからもアピールあって、貴サイトをお気に入りにいれました。いずれレイライン研究上、よい地図が欲しくなると思います。今、武田さんのをお借りしたりしていますが、メール連絡が付かない方のようなので許可いただくのに困っています。貴サイトをもう少し詳しく検索してみるつもりです。


--------------------------------------------------------------------------------
かわかつ様
2005年5月11日 15:29:07 k,-world金 MAIL WEB
>メール連絡が付かない方のようなので許可いただくのに困っています。貴サイトをもう少し詳しく検索してみるつもりです。

私のことでしょうか。メールの連絡ができないですか?
あれっおかしいですね。
もし、私のことであるなら、下記にメールを送ってください。
ku_da_ra@yahoo.co.jp

リンクは了解いたします。


--------------------------------------------------------------------------------
いえ、この方です
2005年5月11日 19:22:09 かわかつ WEB
Aries Library Page Index 武田尚志



渡来人
2005年5月9日 10:59:53 菜麻
渡来人のことについて調べてるんですが、
誰か渡来人のこと詳しく教えてくれませんか?
渡来人のことが載ってあるHPでもぃぃんで。
お願いします


--------------------------------------------------------------------------------
たくさん渡来しています。
2005年5月9日 18:04:43 かわかつ WEB
氏族を絞られた方がよいでしょうね。

白山素晴らし!
2005年5月6日 9:07:36 かわかつ
まさに霊山の風格ですね。興味深い小旅行だったようですね!
蛇頭をふりまわすことや、宇佐と同じ泉神社の存在、実に興味深い。
スサノウを祖とする新羅系加耶人辛島氏との関係が忍ばれます。ここは修験道や工人のメッカでもありましょう。例えば飛騨の匠など。まさに白山信仰の中心地ですね。宮崎駿の「もののけ姫」に出てくるたたらなどもあるんじゃないでしょうか?
レイラインの件ですが、伊勢と天橋立にある籠神社が一直線上にあるのをご存じでしょうか。ここは列島中もっとも短い縦走ラインのひとつでもあり、それは最短コース若狭・琵琶湖ラインとほぼ平行に走っています。同様に香春岳・薦神社・宇佐八幡・奈多八幡のラインも平行です。地図で確認してみて下さい。関東以西に話題が行きがちな渡来人研究ですが、ひょっとして出羽や東北や、上信越にもこのラインがあるかも?
それにしてもさすがはお若い!思い立って即決行できるその行動力・・・
私、今日は雨の中、北九州の修験道のメッカ、求菩提山麓の赤村にゆくつもりです。タイのアカ村と関係あるのか?赤という限り製鉄、青銅関連で何か発見したいと考えております。管理人さんに比べればすぐそこへ往くような物ですが、オッチャンもがんばるぞっ!


--------------------------------------------------------------------------------
残念!
2005年5月7日 0:04:22 かわかつ
あまりの大雨で求菩提山麓への道封鎖されていました。また晴れた日に再挑戦します。ここからレイライン確認したかったんですが。
今年の10月は八幡古表神社の秘伝のくぐつ舞いが開催されるそうです。詳しい日取りはこれからですが、もしお暇だったら是非おいでください。
また八月には姫島盆踊りが、10月14日には例のケベス祭も行われます。豊の国の雄大で謎に満ちた祭、大自然、そしてただ同然にやすい無数の秘湯・・・うまいもの・・・どうぞお越し下さいませ。ガイド一切私が引き受けますよ!宿泊も当家なら無料。店をやっていたこともある私が丹誠込めておもてなしいたします!


--------------------------------------------------------------------------------
宇佐⇒美濃・白山
2005年5月7日 3:19:19 管理人
 昨日は残念でしたね。レイラインの確認、快晴でしかも遠く霞がかかっていない日にすると良いようですので、無理なさらずよい日をじっくり選んで行ってみてくださいね。
 ご指摘飛騨の白川八幡と宇佐との関連も、ぜひ調査してみたいところです。そしてやはり修験道の実態がやはりキーになりそうですが、修験道の歩いた山道は険しそうですね。
 ご指摘の蛇頭祭祀など、大陸系の風習がやはりまず九州北部に伝わって、その後南宮大社など美濃へ入ったのでしょうね。ご指摘の薦神社のHPを見ていますが、白山の白川八幡同様、応神天皇を祭る点や巡行する祭祀形態など、興味深いです。三角池も不思議ですね。
http://kamnavi.jp/toyo/komojinja.htm
 くぐつ舞と朝鮮系の旗竿祭祀とのかかわりなど気になっているところですが、ぜひ10月ごろそちらにお伺いしたく感じました。そのおりはよろしくお願いいたします!



白山・岐阜・伊吹山探索日記アップしました。
2005年5月6日 7:47:08 管理人
先日から話題となっておりました白山・岐阜席田郡・伊吹山の探索日記アップしました。アドレスは以下のとおりです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/hidagifu050503.htm
かわかつさんご指摘の製鉄関連など発見も盛りだくさんでした。ぜひごらんくださいね。



ウイルス
2005年5月5日 4:02:25 管理人
かわかつさんウイルス情報ありがとうございました。と、お返事したらかわかつさんの書き込みが消失してしましました!!このW32.Sober.O@mmというご指摘のウイルス、おととい発生したそうで、なんでもデータを削除するそうな。もしかすると、まさか・・。
さて、おととい昨日と飛騨、岐阜方面の探索に行ってまいりました。後日探索日記公開いたしますのでお楽しみに。


--------------------------------------------------------------------------------
いえいえ
2005年5月5日 8:51:48 かわかつ
こういうことはあまり掲示板などに乗せない方がよかったか、と思い直して私が消しちゃっただけですから、ご心配なく。m(--)m
今、プラネタリウムをダウンロードして、歴史上の事件があった時の天体ー特に太極・北斗・オリオンの位置などを確認して遊んでます。
紀氏さんのレイラインに影響されて、もしかして地上の岩倉や神社、山などに中国の星座が反映されているのではないかと思ったわけです。
例えば香春岳から宇佐神宮の御許山のお三岩、そして杵築市奈多八幡海上の市杵島はほぼ東西に一直線に並んでおり、奈多から南にいくつかの「七つ」と名の付く岩や古墳が点在しているのですが、これを結んで行くとなんと北斗七星になったのです!つまり香春岳が北辰(北極星)にみたてられそうなのですよ。
さらにこれらの北斗を形成する場所が、豊後風土記での景行天皇の建設した神社があるのです。中臣神社、物部神社、禰宜野神社、七つ森古墳、七つ石山・・・などですが。そのうちこれで著作sるかもしれません・・・
飛騨、岐阜ですか。この季節いいでしょうねえ。
岐阜と言えば近江、吉備と並んで三大名工の刀鍛冶の本拠地。渡来人の痕跡がのこっていそうですね。伊吹山を挟んで強い寒風と鉄工業の栄えた町。美濃の斉藤道三や織田信長もここにこだわったのは優れた武器が生産されたからでしょう。
ところで昨日コンビニで関祐二氏の「図解古代史・秘められた謎と真相」という本を買いました。写真や図解がふんだんで、関氏らしくわかりやすく謎解きをしてあっておもしろかったですよ。
HPはそろそろ宇佐神宮にはいります。香春をアップしたあと、もう少し詳しく書きたかったなと思い直して、なかなか最後の宇佐に取りかかれないで居ましたが、とりあえず映像だけでもアップしようかなと思っています。
そういえば伊勢三宮ですが、これもオリオンの三つ星(参)をかたどって造営されたみたいです。するとオリオンの形状を反映した遺跡が伊勢の周辺に散在するかも知れませんぞ。宇佐もひょっとしてオリオンかな?
出雲日御崎、伊予大三島神社、宮崎西都原までは候補にあげられますが、あとひとつがわかりません。正八幡鹿児島神宮かな?でも時代があとになる・・・
妄想のGWを過ごすかわかつでした。


--------------------------------------------------------------------------------
九州にもレイライン!
2005年5月6日 7:51:08 管理人
かわかつさん、北辰信仰と宇佐周辺のレイラインの発見、すごいですね!白山から出雲あたりまではレイラインも出てくるようなのですが、九州方面はどういうわけか私にもよくわかりません。かわかつさんの研究に期待です。


--------------------------------------------------------------------------------
かわかつさんがんばれ!
2005年5月6日 15:12:24 泊瀬光延 WEB
私の掲示板にも書きましたが、グラハム・ハンコックも真っ青な発見の可能性があるのではないでしょうか!
かわかつさんの著書届きました。紀氏さんの御著書は品切れという通知が来ました(泣)。


--------------------------------------------------------------------------------
紀氏さんの著書
2005年5月6日 21:04:25 かわかつ
泊瀬さん、「古墳のこころ」品切れとか。私は手に入れました。よければお貸ししますよ。


--------------------------------------------------------------------------------
紀氏さんの著書
2005年5月6日 23:57:45 泊瀬光延 WEB
かわかつさん、ご親切有り難うございます。でも今、読んでいない本が山積み状態で家内からどうにかして、と脅迫されておりますので、いましばらくは結構です。そのうちに・・・
 ご先祖寒田親将の最初の3章まで読ませて頂いております。大内氏と大友氏、名前が似ていてなかなか覚えにくいで御座る。


--------------------------------------------------------------------------------
さっそくのご返事
2005年5月7日 0:08:11 かわかつ
いたみいります。どうやらまたチャット状態でしょうか?これからそちらへ参ります。



半月城
2005年4月29日 19:40:03 かわかつ
半月城サイトご存じですか。リンクしましたが、この方の調査興味深いです。


--------------------------------------------------------------------------------
明日はうちのコンサート
2005年4月30日 22:49:07 管理人
半月城さんのサイト、なんどか検索していて引っかかることが多く拝見したことあります。ずいぶん昔からサイト開いておられるようで、いつも励みになっています。
 ところでサイト紹介ということで、明日はうちのNPO主催の障害者のコンサートです。以下HPで17時からネット生放送をすることになりましたので、良かったらごらんになってみてください。
と、私担当でやるのでうまく放送できるかどうかわかりませんが、感想などお聞かせいただければ幸いです。なお当日券もございます。
http://www.npojba.org/goldconcert.htm


--------------------------------------------------------------------------------
ゴールドコンサート
2005年5月1日 22:56:16 泊瀬光延 WEB
インターネット放送でオーディションの部を見せて頂きました。管理人様のご奮闘すばらしかったです。また障害を持っておられながら常人以上に音楽性やメッセージを持っておられる方々を見て間隙です。
 かわかつさん、私も半月城さんのサイトを探してみます。


--------------------------------------------------------------------------------
ご視聴ありがとうございました。
2005年5月2日 21:25:53 管理人
泊瀬さん、昨日はインターネット生放送こ視聴いただき、また貴重なご感想いただきまことにありがとうございました。昨日は副回線あわせて75人の同時視聴が確認でき感謝しております。まだまだ反省点も多く、今後の改良も課題ですが、技術面での予測はついてきたので、今後はさまざまな方面へ技術の応用ができるのではと考えておりますので、今後ともご支援よろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
ゴールドコンサート
2005年5月6日 15:14:02 泊瀬光延 WEB
まだ頭にスティービーワンダーの"They say that the Heaven is 10 million light years away"が鳴り響いてます。


--------------------------------------------------------------------------------
ありがとうございます
2005年5月7日 2:52:16 管理人
最後までご視聴いただきほんとうにありがとうございました。今度もしうまくいけば録画もしていたので、HPで掲載できるかもしれません。もういちどみなさんに感動を味わっていただければと感じています。



そうそう
2005年4月27日 0:28:00 かわかつ
窯業のサイトを何の気なしにのぞきましたら、なんと、「瓦」の語源ってサンスクリットの「カッバーラ」であるそうです。カッバーラには焼き物の壺や皿の意味があるのだそうです。このことから亀トなどの道教的呪術も火で甲羅を焼くという行為は焼き物と同根であり、「こうら」「かわら」といった言葉が渡来の民によって伝わった可能性が高いようです。


--------------------------------------------------------------------------------
そうでしたか
2005年4月27日 0:57:20 泊瀬光延 WEB
朝鮮半島か中国でもそう読んだのでしょうか?
直接それらを通り越して日本に入ってくるのは考えにくいのですが・・・

余談ですが、達磨を「だるま」と読むのは朝鮮語式だそうです。鎌足の「たり」と同じだそうです。


--------------------------------------------------------------------------------
かわらと吉士集団
2005年4月27日 4:15:06 管理人
かわかつさん、泊瀬さんこんばんは。瓦、なるほど「かわら」の音はどこから来たのでしょうね。瓦と仏教建築は関係ありですが、吹田市の吉志部神社あたりで瓦を焼いて、船で平城京方面へ新羅系?吉士集団が運んだそうです。たぶん、先の河内の古地図にみられるような河内周辺・淀川・大和川周辺にも運んでいたんでしょうね。吉士集団と仏教や舞楽との関係も深いそうですが、その辺調べてみると面白そうです。


--------------------------------------------------------------------------------
海の道
2005年4月27日 18:00:17 かわかつ
直接渡ってきたものはたくさんあるように思いますが・・・例えば高床住居など南方系居住様式や海部の文化など。鳥と船の装飾古墳とか。あるいはごほうら貝の腕輪とか・・・どうでしょうか?
淡路瓦でこのサイトを検索してみて下さい。私URLいれるのがにがてなので興味あればどうぞ。


--------------------------------------------------------------------------------
淡路瓦、キトラ古墳装飾
2005年4月28日 8:19:09 管理人
かわかつさん、さっそくご指摘の淡路瓦検索してみました。以下のサイトですね。
http://www.a-kawara.jp/05_q_a/02_question.html
ホントに瓦の語源、サンスクリット語でカバーラと言い皿や鉢をあらわす言葉だったんですね。そのサイトに書いている588年の朝鮮からの瓦博士の渡来から蘇我氏と飛鳥寺への影響興味深いです。
ご指摘の装飾古墳については、やや時代は下りますが、今日の毎日新聞HPにキトラ古墳出土の装飾品出てますね。http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050428k0000m040091000c.html
金像目の刀装具、その技術の高さに加えて、その文様の起源が気になります。
以下HPに文様の起源詳細の見解ありました。
http://www.nara-shimbun.com/special/kitora/040710.html
象眼は日本の古来からの古墳にもみられるようで、ご指摘の古墳時代の装飾墳墓関連にも似たようなS字文様が見たことありますね。そのキトラ古墳壁画にも棺金具にみられる忍冬文は、韓国(百済)の陵山里古墳群(6〜7世紀)でも見つかっており、高松塚古墳のような唐の影響を強く受ける以前の、朝鮮的な影響をキトラ古墳は残しているそうです。
朝鮮経由での装飾文様の影響気になります。


--------------------------------------------------------------------------------
学会では
2005年4月30日 1:02:36 かわかつ
筑前・筑後・豊前・肥後や常総などに広がる5〜6世紀の「装飾古墳」(専門用語としての装飾古墳です。大和の装飾絵画を持つ墳墓ではなく。)の壁画に描かれた連続三角紋や船、鳥、人などの絵画がヴェトナム
ドンソン文化に代表される銅鼓や、タイ・アカ族部落の”鳥居”ロッコーンなどの存在から、インドシナ半島の古代人が船を使い東西に通商してゆく中で、エジプト〜日本にまでその海路を延ばして行ったのだと考えているようです。
福岡県浮羽の珍塚古墳などに残された船に乗った人、その舳先にとまって居る鳥の絵はまさにこれ。又、ロッコーンの形は神社の鳥居に酷似する二段の梁を持ち、連続三角紋が描かれ、さらに上部には韓国のソッテと同じ鳥の彫刻が乗せられていて、あきらかに彼等が海人族であったことを示しています。
三内丸山などの縄文時代遺跡からさえ出土した、南海限定の貝輪を運んだのも彼等でしょうか?
しかしこれらの痕跡が半島経由の陸のシルクロードから来た物とは思えず、あkまで海からの贈り物であったと「世界不思議発見!」では結論していました。


--------------------------------------------------------------------------------
URL
2005年4月30日 1:21:18 かわかつ
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mistery1.html世界不思議発見
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/eizou1.html
「宇佐神宮へ行く前に」


--------------------------------------------------------------------------------
女性の石棺!
2005年4月30日 10:05:08 管理人
上記かわかつさんHPの築山古墳の遺骨の情報、非常に興味深く感じました。男性の遺骨とは別に女性の遺骨だけ石棺に葬られている、この辺のご指摘の海部の文化や習俗、ヒミコやアマテラス女神との関連ですこし考えてみたいところです。



地震サイト
2005年4月27日 0:16:05 かわかつ
この間の地震サイト、よくはわかりませんがそういうのもありなのかと思いました。予測?不可能への挑戦?
下の地図サイトの方の渡来人集住地の分布図というのも、そういうのもありかなとおもいましたが、なにかの歴史本にあったような気もしました。
紀氏さんの本がなかなか難解です。最近、レスがないようですが、どうされたのでしょうか?もっとも私も相当久しぶりのレスですが・・・



お問合せ
2005年4月23日 21:28:35 k,-woldの管理者 MAIL WEB
管理人さん、はじめまして。
偶然、辿りつきました。
私は、k,-woldというHPを運営する金と申します。
ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが、現在、古地図や地図を利用した交流アイテムの開発をしております。
参考までに下記のページをご覧ください。
http://www.geocities.jp/ku_da_ra/sample

今後、第2弾、第3弾を企画しているのですが、地図に渡来人の集住地や渡来の遺跡を記して、ビジュアル的に交流史を理解できるアイテム製作にとりかかっています。
ただ、近畿圏や関東地域の資料は揃えることができそうなのですが、その他の地域の正確な情報を把握しきれていないので、情報交換などご協力頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
HP拝見しました。
2005年4月24日 6:20:55 管理人
k-worldの管理者さんはじめまして。HPのほう拝見させていただきました。日韓の文化交流から社会問題まで、大変興味深く感じました。ちょうど昨日は高麗博物館からまたお手紙いただいたところでした。いつも高麗博物館の催しには日韓の社会問題を考える重要性を感じます。また古地図と交流史とのかかわり、特に難波の古地図は見ていて驚きを感じました。http://www.geocities.jp/ku_da_ra/samplepage/ikuno-kushi.html
ちょうど仁徳天皇陵と応神天皇陵からそこから伸ばして北方方向・・・の難波四天王寺周辺の地理関連を調べていたので大変貴重な資料にめぐり合えた気がします。
地図を通してビジュアル的に歴史を解明していく件、なにか本HPでご援助できることがございましたらお手伝いいたしますのでお気軽にご連絡ください。それでは今後ともよろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
さっそく
2005年4月27日 0:53:08 泊瀬光延 WEB
古地図を注文しました。日本と朝鮮半島、渤海沿岸の中国大陸を一望できる地図が欲しかったところです。渡来人の辿った道とその故郷を見渡せるというのはすばらしい!
 韓国サッカーの「レッド・デビル」のモデルは史記に出てくる「蚩尤(しゆう)」と聞きました。黄帝を悩ました古代朝鮮の鉄の王といいます。彼がどこから来たか、この地図で夢想の世界に追います。


--------------------------------------------------------------------------------
管理人様、泊瀬光延様
2005年4月28日 15:37:02 k,-woldの管理者 MAIL WEB
管理人様
当HPの情報が少しでもお役にたったのなら、うれしく思います。
また、今後のアイテム開発に協力頂ければ、大変助かります。
現在、WEB上の地名検索・マップ検索を利用して、日本全国の高麗(高句麗)・百済・新羅・伽耶の名が残る地名や神社仏閣などの名跡の情報収拾をしております。
しかし、以外に収拾に手間取っております。
新羅神社に関する資料や近畿圏の百済、埼玉や神奈川の高麗(高句麗)などは、資料の入手や記述が可能だと判断しておりますが、静岡の浜名湖に最初に橋をかけたのも、新羅系の渡来人のはずですし、日本の各地にそのような軌跡があるはずなのですが、それを本などから探して記して行くと、1年以上の時間が必要になってしまいます。
今年の初秋頃にだしたいと思っていますので、アイデアやアドバイスが頂けたらと思います。
よろしくお願い致します。

泊瀬光延様、ありがとうございます。
地図の製作にあたり、朝鮮半島・そして大陸が本当に近く、文化の流れを感じてもらえるアイテムになってほしいという思いを込めております。
泊瀬様のような方にご利用頂けると、作った甲斐があります。

ルール違反になってしまうかもしれませんが、もし問題がある場合は、修正致しますのでご指摘下さい。
カレンダー付き交流マップの在庫がまだありますので、もしイベントなどでご利用頂けるのであれば、たくさんの方に見ていただきたい思いで製作しましたので、特価(製作費+経費)でご提供致しますので、ご利用下さい。


--------------------------------------------------------------------------------
渡来人情報活用について
2005年4月29日 2:05:03 管理人
k,-woldの管理者さんこんばんは。全国各地の渡来人情報なかなか大変だと思います。渡来人研究会に寄せられた各地の情報が日朝文化交流にお役立ていただけるのは光栄ですし、個人的には相互リンクさえしていただければ、私個人で収集した情報については、特に連絡なくご自由にご利用いただいて差し支えありません。おそらくは投稿された方のほうでもご了承いただけるかと思います。ただ、各情報源そのものの正確性については、いささか不安感がございますので、できれば他のHPなどでその情報に関して調査された上でご利用いただくことをお勧めいたします。それでは今後ともよろしくお願いいたします。



--------------------------------------------------------------------------------
届きました
2005年4月29日 16:12:21 泊瀬光延 WEB
 プラスティックの処理がされ、ヘビーデューティな使い方ができそうです。見ると竹島付近にトクト(独島)の張り紙がしてありました。朝鮮半島と出雲のちょうど中間。古代の海民はこの島を道標として行き来していたことは想像に難くありません。



千葉・茨城
2005年4月11日 9:00:45 かわかつ
震度5・・・関東地方は大丈夫でしょうか?心配です。


--------------------------------------------------------------------------------
千葉地震、かわかつさん新著の感想
2005年4月11日 16:05:35 管理人
かわかつさんご心配ありがとうございます。幸いこちらは無事ですが、なお先ほども神奈川揺れまして、余談許さぬ状況です。そちら九州も昨日も揺れたようで、大分もそうですね。大分や四国周辺はまた南海トラフとの関連もあり、要注意という感じです。

さて、かわかつさんの新著やっと読み終えました。さすがは文章家、文章に説得力があり、すっと引き込まれる感じがしました。出雲、三輪、宇佐と秦氏などの追いやられた集団を封じ込めて祭る論理、なるほど感じました。個人的にはご指摘天智系百済寄り桓武朝の時期の、新羅系秦氏の京都建設から土地譲り、そして離散への状況が、とても新鮮で興味深いです。また宇佐のヒメコソ神信仰の伝来から、応仁・神功祭祀の介入、藤原氏の存在など、先に掲示板でご指摘いただいた点、詳細読ませていただき大変勉強になりました。そしてかわかつさんの豊富な宇佐周辺の情報、明確な論理展開など、本当に渡来人研究には欠かせない本だと感じます。ぜひみなさんにお勧めですね。なおかわかつさんの新著については以下のページに紹介しております。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/sinkan.htm
それではまた今後ともよろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
過分なおとりあつかい
2005年4月13日 1:53:01 かわかつ
恐縮しっぱなしです。
やっと「古墳のこころ」が到着しこれから読もうと思います。紀氏さん、調子は戻りましたか?根を詰めないようにしてくださいね。



こんばんは
2005年4月7日 21:45:09 かわかつ WEB
画像が送れる掲示板を新設してみました。月300円かかってしまうけれどなにかと便利です。今日立ち寄った京都郡みやこぐん豊津町の方墳です。4KBですがちょっとデジカメ写真は大きいですね。縮小しないとはみ出してしまうくらい大きくなりすぎました。遺跡情報などにお使い頂けます。


--------------------------------------------------------------------------------
いよいよ豊前
2005年4月9日 3:40:54 かわかつ
映像htmlで香春をアップしました。かなり参考になると思います。なんと神霊の交換を目の当たりにします!


--------------------------------------------------------------------------------
画像掲示板
2005年4月10日 4:53:54 管理人
どうもこんばんは。画像掲示板拝見しました。なかなかあれだけ高画質な画像が大サイズで綺麗に載せられる掲示板も魅力的ですね。今度なにか投稿いたします。



いやあ、ありがとうございます
2005年4月5日 23:38:29 かわかつ WEB
過分なご評価、いたみいります。



新刊紹介ページ作成しました
2005年4月5日 22:54:49 管理人
渡来人研究の新刊紹介ページ新たに作成しました。かわかつさんの新著、紀氏さんの著作掲載させていただきました。かわかつさんのご本、まだ読んでいる最中ですが、秦氏の実態について、未だ研究者が踏み込んでいない領域について、新たな視点を豊富に紹介してくれています。渡来人研究者は必見ですね!後、感想報告いたします。
 まだ臨時ページなのでこれからもっとよくみなさんの著作等を紹介できるよういろいろ修正していきます。以下新ページアドレスです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/sinkan.htm



万年橋
2005年3月27日 2:32:26 管理人
今日は紀氏さんのご著書にある高麗川にかかる万年橋を見て、その周囲の白髭神社、高倉神社、日枝神社を見て、飯能教会にて聖土曜日のご復活のミサに預かってきました。今年の復活祭は地震を含めてまさにキリストの受難を追黙想するにふさわしい出来事ばかりで、まことに感謝でした、後日日記報告いたします。ではでは。


--------------------------------------------------------------------------------
探索日記アップしました
2005年4月1日 5:20:47 管理人
先日の上記高麗郡の探索日記アップしました。以下のアドレスです。よかったらごらんになってみてくださいね。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/koma050326.htm


--------------------------------------------------------------------------------
紀氏さんのご本!
2005年4月1日 18:53:07 かわかつ WEB
筑林書房にNET予約すれば手に入りますか?是非読ませて頂きます。


--------------------------------------------------------------------------------
かわかつさん新著ありがとうございます
2005年4月2日 22:31:31 管理人
かわかつさん、さっそく新著お送りいただきありがとうございます!これから読んでから感想を後日報告いたします。またお勧め読本コーナーでも後日紹介させていただきますね。

紀氏さんのご本あれから再度読み直しているのですが、紀氏さんがご本で扱った行基図の中で各地を結んで引かれた線、よく見ると2004年度年度末報告で富士山を中心に出てきたレイラインとその二等辺三角の同じ線があることに気づきました。紀氏さんの行基図分析について詳細お教えいただければ幸いです。

みなさんの出版報告をみるに、みなさんへの新刊紹介へのご援助方法を模索する重要さに気づかされています。まただんだん渡来人研究会の出版について本格的に考えてみようかと感じてきていますが今後ともよろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
お恥ずかしい
2005年4月5日 14:20:36 かわかつ WEB
届いたら薄い本なのでがっくりされたことでしょう。2年前に書き上げたものなので内容がまだ薄いのです。むしろHPのほうが濃いくらいです。でも、歴史に興味のない方でも肩のこらないように簡潔にしたつもりで、旅のお供やトイレの友としてはなかなかgoo-だと思います。
今、百瀬直也氏のサイトにはまりかかっています。レイラインに関しては私はほとんど素人なので紀氏さんの本で勉強しようと思います。



はつせさん
2005年3月26日 1:15:11 かわかつ WEB
あなたのHPは以前から私のお気に入りに入ってました。気になっては居たのですが、こんな処でお会いしようとは思いませんでした。これからもよろしく!


--------------------------------------------------------------------------------
有り難うございます
2005年3月26日 19:03:19 泊瀬 MAIL WEB
かわかつさん、なんと、お気に入りに入れて頂いていたなんて!私もかわかつさんのユニークなサイトが気になっていました。(内容も興味深いのですが、どうやったらあんなデザインが出来るのかなあって)
 それに「渡来人研究会」様のリンクも紹介させて頂いてないって、今、気づきました!済みません・・・
 管理人様、どうか今までの非礼をお許し下さい。ご両人の紹介をおすすめサイトに加えさせて頂きます。お願い致しますm=m

 今、ブログでトラブッておりますが、気になさらずおいで下さい。


--------------------------------------------------------------------------------
了解しました
2005年3月26日 22:43:12 かわかつ WEB
これからもよろしく!


--------------------------------------------------------------------------------
リンクしました!
2005年3月27日 1:47:32 泊瀬光延 WEB
http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/links.html

ご確認下さい。順不同ですので下の方になってしまって申し訳ありません。


--------------------------------------------------------------------------------
リンクありがとうございます。
2005年3月27日 2:26:26 管理人
はつせさんリンクありがとうございます。それにしてもかわかつさんとのご縁不思議ですね。いろいろ協力ができるといいですね。


--------------------------------------------------------------------------------
リンク確認しました。
2005年3月27日 12:05:13 かわかつ WEB
ひとつ失礼がありました。はつせさんではなくとまりせさんとおよみするのではないかと、気づきました・・・それでいいのでしょうか?
HP内で初出版の喜びと興奮がよく理解できます。私もそのうち店頭にこっそり行って売れ行きを確認したりするんでしょうねえ。


--------------------------------------------------------------------------------
リンク有り難うございます
2005年3月27日 18:20:56 泊瀬光延 WEB
こちらも確認しました。
 「はつせ」と読んで下さい。雄略天皇のいみな(大泊瀬幼武:おおはつせわかたける)からペンネームとしました。それを姓にしている家もいるようです。
 去年の4月5月は興奮で楽しかったですね・・・今は少し落ち着きましたが。かわかつさんの著書も拝見しようと思います。


--------------------------------------------------------------------------------
ごめんなさい
2005年4月5日 14:11:05 かわかつ WEB
あっちこち見境もなく本を寄贈したもので手持ちの本がなくなっちゃって・・・国会図書館、東京都営図書館にも寄贈しましたのでいずれそっちで見れるかも知れません。どうせペイできる訳ないと思ってるので開き直っちゃっています。それにしても出版って高いですよねえ。でも好きな道はやめられない。今度全く違う方向で賞に応募しようと思い格闘中です。懲りない奴です。困ったもんです。


--------------------------------------------------------------------------------
ご心配なく
2005年4月5日 23:42:53 泊瀬光延
私も拙著をあっちこっちに寄贈してます。図書館のデータは検索できますので、どこで貸し出し中であるかわかり、一喜一憂ってとこですね。
 賞に応募、頑張って下さい。


--------------------------------------------------------------------------------
賞の応募
2005年4月7日 20:34:20 管理人
かわかつさんご指摘のごとく賞の応募なかなか考えさせられます。はつせさんの著作も今度図書館で探してみますが、またはつせさんのHPで新作読ませていただきます。



ついに本が
2005年3月25日 20:24:52 かわかつ WEB
とうとうできあがりました!ご注文は新風舎が経営する大都市の熱風書店までご予約下さい。


--------------------------------------------------------------------------------
おめでとうございます。
2005年3月27日 2:27:31 管理人
かわかつさん発売おめでとうございます。さっそく私も注文してみます。その後お勧めコーナーで紹介させてくださいね!


--------------------------------------------------------------------------------
店頭販売は
2005年3月27日 12:00:15 かわかつ WEB
もう少し時間がかかると思います。管理人さんには直接お送りしたいと思っているのですが、会社とか教会とかNET上でトラブルのない方法を模索中です。いつもいろいろ気を遣って頂き本当にりがとうございます!あと、主要図書館には寄贈する予定ですので、いずれそちらで書庫に並べられるかも知れません。
新風舎のHPでは5月くらいの取り扱いになるのかなと思います。
http://www.pub.co.jp


--------------------------------------------------------------------------------
どうもありがとうございます!
2005年3月28日 0:11:34 管理人
かわかつさん、ご本お送りくださるとのこと、大変ありがとうございます。後メールにて住所お教えいたしますのでよろしくお願いします。紀氏さんの本と合わせてもうお勧め読本コーナーもいじってみたいと思います。



おひさしぶりです
2005年3月24日 7:13:50 管理人
どうも紀氏さん、はつせさんおひさしぶりです。かわかつさんこんにちは。秦氏の本拠香春岳の採掘、禁断の果実を鍛冶ってしまい古代からの自然との共存が失われてきてしまったのでしょうか。自然が怒るという表現ちらほら地震サイトで聞きました。地震といえば、紀氏さんご指摘の耐震構造建築技術、昨日その番組30秒ぐらいみたようなきがします。平等院鳳凰堂、昨日みたのは確か厳島神社本殿だったでしょうか。不思議な技術を古代人は受け継いでいたのでしょうね。厳島神社というとはつせさんお得意の源平合戦でしょうか。HP拝見いたしました。さすがは文章家、東西での張り合いとかよく学問世界でも触れましたが、そこに民俗学や民族・人種面からの視点は面白いですね。古代史でもいつごろから張り合いし始めたのか、渡来人がどうかかわったのか興味深く感じます。
ともかくみなさんご無事そうでなによりです。今週は復活祭で、映画「パッション」にみられるキリストの受難と十字架刑とご復活を考える時期ですが、先月からの地震を通して示される、生と死と悔い改めについてよく祈ってみたいと思います。



お久しぶりです
2005年3月24日 2:09:13 泊瀬 WEB
皆様、久々に投稿します泊瀬です。PCが壊れてブックマークが失われてしまいました。
 網野善彦氏の著作を読んで下のような記事を書きました。
http://air.ap.teacup.com/hatsuse/
 また、アマゾンにも恥ずかしながらレビューを投稿しました。
 網野氏は、日本の西と東の風習は、民族が違うと言っても良いほどの差があると種々の先達の学業から結論しています。この件は渡来人の時代よりももっと遡った話でもあります。例えば、東北地方に渡来したと思われる穢(ヱ)族とその祖の北満州の扶余族などの詳細な調査がこれからの課題です。



ありがとう御座います。
2005年3月23日 22:01:24 いばらの紀氏

皆様こんばんは、ご無沙汰してました。
風邪での高熱以来 思考回路に異常が起こり未だ修復できず微熱が続いております。
かわかつさん地震 お見舞い申し上げます、風邪いかがですか?私のウイルスがネットでかわかつさんへ?・・・・まさか?
まだまだ余震が続くと思います、お気をつけ下さい。
NHKスペシャル「世界遺産・秘めた力災害列島・日本より」を見て古代の建築技術にメソポタミアからの流れ?また妄想が・・・・たしか平等院鳳凰堂の土台の下には人工的粘土層での免震構造・・・・古代の土木技術の高度だった事実に・・・・ユダヤの頭脳へのまた妄想、・・・「真理が階層差別を無くする」と考え○秘をあばこうとしていました。
「知らぬが仏」人は禁断の果実を食べなければ幸せだったかも?
  林檎が好きな自分に愚かさを・・・・・そんなスランプの紀氏でした。



TV青春の門
2005年3月22日 22:40:57 かわかつ WEB
ちらっと見たところ、昭和初期の香春岳が背景として使われていました。今の香春岳は採掘で山頂部を削られ随分異様な有様ですが、TVのこの山は実に秀麗な聖山の趣で、戦後の開発の激しさを目の当たりにするものでした。



大変でしたね!
2005年3月22日 4:15:31 管理人
かわかつさん、また地震、風邪と大変でしたね。ご無事でなによりです。と、先月は紀氏さんも茨城で地震と風邪に悩まされていたような・・・おふたり妙な共通性を感じます。紀氏さんはお元気でしょうか。
かわかつさんのHPまたリニューアルしたようですね。京都、伊勢行かれたのですね。
わたしのほうは、宇佐と金砂大祭、その後も調べていますが、南海地震がいつくるのか、毎日のように見える地震雲と格闘中であります。ともかく、地震が来る前に古代史の解明は完成しておかねばとも感じるのではありますが・・・。ではまたみなさんお気をつけてください。



風邪と地震で
2005年3月21日 18:23:29 かわかつ WEB
春だというのに大風邪を引いてしまいうなされていたところに大地震。
庭の蛙が目を覚ましました。幸い我が家近辺はたいしたこともなかったのですが、熱にうなされ身動きがとれない身としては、ただジッと流れに身を任すしかありませんでした。
風邪のおかげでHPはたっぷりと前進しました。
地震と渡来の関係とは新視点ですね。
ぼちぼちHPのファイルがいっぱいいっぱいです。妙案ありませんか?
紀氏さんはお元気ですか?忙しいのかな
ややさんそろそろ読み終えた頃でしょう。では「逆説の日本史」シリーズ
へチャレンジしてみますか?
ではでは皆さんそれまではお達者で・・・


高松塚古墳と南海地震
2005年3月19日 12:27:32 管理人
おとといの毎日新聞HPの記事に高松塚古墳に過去の南海地震による亀裂が多く発見されたことが記載されていました。こんなところに先日お知らせした地震研究と渡来人研究との接点が出てきてます。個人的感想としては、高松塚で過去の地震の亀裂が確認できるということは、4,5世紀の古墳でも同様な亀裂が確認できるのだろうと感じます。684年の白鳳地震の前の南海地震の年代が正確に特定できると古墳年代特定の精度が増すでしょうし、秦・漢氏等4,5世紀の渡来人の渡来年代も出てくると思うのですが・・・。南海地震なら数日・数ヶ月・1・2年間隔で連動して東海地震あたりも起こるようで、また朝鮮方面も少しは揺れる可能性があるのではと感じます。三国史記新羅本紀あたりだと4・5世紀あたりの地震記録だと、たとえば388年に4月と6月に地震見え、406、458、472年あたりに地震記録見えます。朝鮮南西部での地震の起き方に興味ありますね。
以下記事抜粋です。
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/03/17/20050317ddm041040071000c.html
高松塚古墳:
南海地震で亀裂20カ所以上
 奈良県明日香村の特別史跡・高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の墳丘を調査していた文化庁は16日、過去に何度も起きた南海地震によるとみられる亀裂が20カ所以上見つかったと発表。石室内のカビ発生の一因となったとみられ、次の大規模地震で墳丘破損の危険もあり、同庁は「地震対策も壁画保存の課題」としている。また、天文図が描かれた天井石の亀裂も地震の影響とみられるという。亀裂は幅が最大約8センチ、深さが最大約1.6メートル以上。墳丘東−南側で溝状に掘った調査区の断面で確認された。いずれも土が入って埋まっていた。【中本泰代】

毎日新聞 2005年3月17日 東京朝刊



『楽天』から、金利8.7%〜17.8%、最大限度額300万円の凄いカードローンが登場!


海洋・大陸系文化、科学者と宗教・教育者
2005年3月14日 3:09:19 管理人
 装飾古墳に描かれた船と鳥の画像、紀氏さんのお得意のところでもありますが、南方海洋文化とのかかわり深そうですね。その銅鼓などを造ったドンソン文化については、北方からの遊牧騎馬民族文化と南方の海洋文化が混ざって紀元後あたりに成立したらしく、現在でも海洋民族のタイと大陸系民族のビルマが並存しているように、両者混合しながら、中国から朝鮮、九州へと伝播したらしいです。秦氏の精銅文化の中に大陸系と海洋系の2種類の文化、民族性が並存しているのではないかという考えをもっているのですが、その辺ご指摘のクロスオーバーの解決ヒントにならないでしょうか。

 あと私もダビンチのTV見ました。教会でも話題になっていたんですが、個人的にはダビンチの科学者としての側面に興味あります。すでに16世紀の時点で車の原型を考案していた彼の洞察眼に驚きですが、もし彼の洞察眼が理解され、もう数人天才が出現していたならば、17世紀には車が完成、18世紀には核兵器製造・環境汚染と核戦争で、今現代は存在しなかったかもしれません。やはり彼の洞察眼が数百年生かされなかったのは神の摂理を感じます。 その辺は、小学生に無理やり大学の物理学と性教育を教え込むようなもので、小学生が理解して飲み込んだらきっと精神破綻するのと似ています。科学者は知恵と真理をどこまでも追究し公開したがるのですが、宗教者や教育者は知恵と真理を噛み砕いてたとえ話で愛をもって成長に応じて教えるという役割の相違を感じます。
 ダビンチの知恵が生かされなかったのも暗号化させたのも、イエスがたとえ話でしか民衆には語らなかったのも、科学者とは別に宗教者、教育者の視点があったのかもと感じます。
 と、古代史に戻って、かわかつさん先日のご指摘にあるように、時期をみてしばらく研究公開を待つのも一理あるように感じます。確かに渡来人に関しては、明治時代からある程度天才たちにはすでに解明されていたことが多くあったのですが、時代が追いつけなかったということがありました。そして今もってやはり一般の日本人には受容しがたいことも多くあり、仮に真理が発見されても、どの辺まで現在の日本人、天皇家、学者層等が受容することができるのか様子を見ながら、研究を公表していくことが今後重要かなと感じますね。
 とりあえず、いまだ渡来人の空白地帯たる四国のご指摘の文楽、秦氏について今年は考えてみたいです。ではでは。


 



さらに
2005年3月13日 0:45:11 かわかつ WEB
猿丸踊りというが「姫島盆踊り」にはありますが、これは実物を見た私が思うに、いわゆる女性が編み笠を被って踊る盆踊りの原型でした。
出雲のおくになど、出雲にも怪しい陰がありますし、あめのうずめも芸能の神・猿女です。中津市に伝わる4年に一度の「くぐつ舞い」は「小兵舞い」ともいわれ、こうした人形舞いの伝わる徳島の文楽、出雲のくぐつなど間違いなく渡来の匂いがします。以前話題になった雅楽もそうだし、能や狂言にまでそのルーツは広がります。
人麻呂の柿本は「歌垣」の「かき」に求めうるとさえ考えます。「垣の本」・・・つまり芸能の家元ではないでしょうか・・・



今夜のTV
2005年3月13日 0:33:35 かわかつ WEB
「世界不思議発見」ベトナム 謎の海洋王国チャンパ は装飾古墳とエジプト壁画に共通して現れる「船と鳥」の構図をチャンパの銅鼓頭部に発見し、彼らが日本から西欧まで古代に航海していたと推定。さらに彼らは山と海の祭祀を行い、海幸山幸の神話との共通点を持つそうです。これこそ海部ではないのでしょうか。しかも彼らはニガウリという、九州沖縄と同じ食物を好んでいるそうです。
住吉の神は小柄で色黒という「くぐつ舞い」の伝承が彼ら南方民の渡来を物語っていると思えました。また、出雲の少名彦名などの小さ子伝承にも彼らが関わったかも知れません。ただ、装飾古墳の成立に南方系渡来人が関わったとすると、秦氏等大陸系渡来人と古墳の関係は?これも文明のクロスオーバーなのでしょうか。海のシルクロードがやはりあったということでしょう。確信を深めました。
プレミアムステージ「世紀の天才ダ・ビンチ・・・」では彼がシオン教会の総裁で、最後の晩餐には12使徒のヨハネの替わりにマグダラのマリアを描いている。という興味深いものでした。

ところで原島礼治氏の秦氏研究はなかなか確信をついていて面白いです。一度お読み下さい。「鬼と芸能」はよい本です。芸能と差別に関しては柿本人麻呂と猿丸太夫、観阿弥・世阿弥も関わってきます。
人麻呂は和邇氏、観阿弥・世阿弥は秦氏服部の出身らしいからです。松尾芭蕉も。人麻呂と猿丸太夫は一族という説も折口信夫にありますし、ややさんにお勧めした「猿丸幻視行」もそれをベースにした作品です。
また、薩摩島津氏や四国長曾家部氏などの武士団も多くは秦氏などの渡来系出身です。まちがいない!



鬼芸能、神像、荒神
2005年3月11日 10:34:39 管理人
かわかつさん、また有意義な取材旅行をなされたようですね。出雲は私も一度しかいったことないのですが、今度行ったときはかわかつさんの見た製鉄関連等の風景のほうも観察してみます。
また「広隆寺秦川勝像が松尾大社神寳館の応神天皇とおぼしき男神像とそっくりなこと。川勝の妻の像は大分県奈多八幡の神功皇后像とそっくりで、しかも松尾の女神像ともそっくりなこと。」大変興味深く感じます。やはり神功応神記紀伝承は、秦氏:九州起源なのでしょうか。その辺かわかつさんの研究発表がまちどおしいですね。

昨日は、ひさしぶりに神保町に行き、いくらか本を見つけてきました。購入したのは「鬼と芸能」松岡新平編・森話社2000と、「金砂大祭礼の民族誌」榎本實・箕川恒男共著・那珂書房・2003、「八幡信仰と修験道」中野幡能著・吉川弘文館・1998であります。

「鬼と芸能」では先日から話題になっている鬼に関する芸能の大筋のあらましを丁寧に解説してくれています。中国方相氏の鬼退治伝承が朝鮮へ、そして日本にわたり記紀の土地神翁伝承から猿田彦、東大寺修二会へ、そのなかで神仏集合とかかわりながら土地神が荒神へ、外来者:鬼が追われるようになり追難・鬼は外へと変化していくさまなど詳細がよく記されています。

次に「金砂大祭礼の民族誌」では、掲示板で話題になった大祭礼についてですが、中でも大祭礼の道程が、雷のよく起こる経路と一致していることから、雷神、荒神信仰とのかかわりをもっているとの点でした。先日の地震震源地関連で雷神を祀る筑波の金村別雷神社のことを書きましたが関係ありそうです。そう余談ですが、先ほどの地震サイト情報によると地震雲の発生については、スローに起こる雷のような雲の帯電伝承と地震磁場との関係性が指摘されているそうです。地震研究と古代史研究こんなところにも関係性があるようです。

そして最後の「八幡信仰と修験道」、まだ読み始めですがかわかつさんご指摘の九州宇佐の香春岳と精銅に関連する信仰など、総合的に記載されており、かわかつさんのご指摘について理解が深まります。

と、全国諸地域の歴史は、大都市のごく少数の渡来人研究学者さんがいくら網羅研究しても、地元の研究者さんたち知識にはなかなか及ばないと感じますね。かわかつさんに新著などどんどん情報公開してくださらないとまったく渡来人研究進展しないように感じますのでよろしくお願いしますね。



もうひとつ
2005年3月10日 18:36:33 かわかつ WEB
斐伊川の「ひい」は「非違」です。おそらく
人にあらず、神とも違う。そ〜れはナン?(姫島盆唄の合いの手です。一回聞いたら忘れられなくなります)



怖いです。
2005年3月10日 18:28:27 かわかつ WEB
今、最終目的地・出雲から戻って参りました。帰りの列車の窓から中国山地に展開する景色が、豊前とそっくりなことに鳥肌が立ちました。先ず、出雲市のアクセスの異常なひどさにおどろき、醤油を始めとする嗜好の他所との違いに愕然とし、風景の中に香春とまったく同じ「しゃちほこ」のある黒屋根、そしてやたらと多い石灰石の採掘場、さらには斐伊川周辺の砂鉄のせいと思われるおろちの目のような赤茶けた色合い。
伊勢で見た、伊雑宮のあまりの遠さ。どの社にを回っても必ず社の前にある小さな石の祭祀場。外宮前だけが三つの小石によって造られた「お三岩」であること。スサノウがオリオンの三つ星であることに気づいたこと。そして伊勢のすべての社に必ず「荒御霊」が祭られていること。
伏見稲荷の鳥居群の裏側に様々な異界の見知らぬ神が祭られていること。そしてそこで出会った鷲鼻の西域風面立ちの背の高い青年が、けっして目をあわさず、挨拶しても知らん顔だったこと。
太秦の広隆寺に見た五芒星。松尾大社の「まつお」が朝鮮語の酒「まっかり」ではないかと確信したこと。広隆寺秦川勝像が松尾大社神寳館の応神天皇とおぼしき男神像とそっくりなこと。川勝の妻の像は大分県奈多八幡の神功皇后像とそっくりで、しかも松尾の女神像ともそっくりなこと。
このままいくと私は禁断の結界を突き破って、開けてはならない扉を開くことになるかも知れません。生まれて初めて総毛立つ思いにとらわれています。ここから先はよく考えながら仕事しなければ。もしかしたらここらでやめるべきかも知れません。まだ私のような未熟者にはあまりにも不遜な行為、思考なのかも知れません。時代の到来を待ちましょう。弥勒菩薩が公開を許すまで。
ややさん、深入りしちゃダメですよ。興味の世界で遊んでいた方がいい。
管理人さん、意味がわかりますよね?
HPはしばらく映像の紹介だけにして、コメントは差し控えようと思います。個人的な空想をふくらませて下さいませ。
大山の雪はすべての不浄を解き放つかのように純白でした。白山信仰の究極がそこにありました。もう56億七千万年は過ぎているのでしょうか。弥勒はなにも答えてくれませんでした。アマテラスも川勝も聖徳太子もそして三位一体の絶対神も・・・太陽だけが静かに笑っていました。



こんばんは
2005年3月10日 1:18:42 やや
かわかつ様に教えて頂いた『猿丸幻視行』を早速購入いたしました。文庫本であったので、只今外出のお供になっております。まだ読み始めたばかりですが、電車の中でなどあっという間に降車駅に到着してしまうほどのめり込んでいます!ありがとうございます!!



お水取り、景教
2005年3月7日 8:52:34 管理人
昨夜は都内から帰ってきての深夜、ちょうど先日から話題になっている修二会:お水取りの儀式について詳細な番組が流れており研究上でも貴重な映像ばかりでした。修二会はこの時期半月ほど執り行われ、旧来は悔過の儀、つまり仏教でいう悔い改めの儀式にあたるのですが、番組によると仏教以前の神道などの取水関連の儀式が元になっているとのことでした。ちょうどキリスト教でもこの時期から3月末から4月のいわゆる復活祭に向けて、悔い改めの時期にいたり、また旧約の「過ぎ越し」の習俗とも関連して、いろいろ比較がなされていることは有名です。

そのお水取りの儀式について、
かわかつさんHPの
http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/eizou1.html
で取り上げておられる九州ケベス祭り、秦氏の行う「牛祭り」など、そしてご指摘の修二鬼会から修二会への流れ、景教との関連いろいろなされているようですが、特にやはり十字架のようなT字型の旛物のご指摘なども興味深く感じます。

このお水取りの原型、悔過の儀式について、一時期研究したことを思い出したのですが、確か7世紀半ばから後半にかけて書紀に記載が多くみられ、蘇我氏との関連しながら、畿内の渡来系氏族など後代忌寸のカバネを授かるような豪族層が、年に一度この儀式のために集合し、儀礼・舞楽などを行ったのではと予測したことがありました。その中にはもちろん秦氏もおり、おそらくは朝鮮経由の外来系儀式との見方をしています。やはりかわかつさんHPでご指摘「忌む」と「伊美」の意味が語源的にも重要ですし、かわかつさんの渡来系氏族が鬼としてみなされた云々との研究視点が極めて重要です。

あと中臣氏、鴨氏という後代神道の中心氏族と、渡来系秦氏とが婚姻関係にあったとのかわかつさんのご指摘、やはり重要だと感じます。
同様神道の中心氏族忌部氏も秦氏を配下においており、どうしても神道と外来系祭祀の影響の可能性は考慮していかねばならないでしょう。

今後もかわかつさんの研究の進展をお祈りいたします。



『楽天』から、金利8.7%〜17.8%、最大限度額300万円の凄いカードローンが登場!


秦氏との婚姻??
2005年3月5日 7:15:34 管理人
かわかつさんおひさしぶりです。東京かなり雪も解けているもようですが今朝は寒いです。ご親戚の結婚式の上に神の祝福をお祈りいたします。
秦氏との婚姻、古代においても大変興味深いテーマですね。かれらの持っていた特殊??な習俗、芸能、宗教観にどう婚姻関係を通して、ほかの氏族がどういうふうにかかわりを深めていったのか??かわかつさんの今後の研究楽しみです。また、新著カバーできましたね!カバーの書き出しからして新視点が見られ、発刊楽しみです。
また、かわかつさんHPでのセンスあふれるストーリーから、今回の奇祭についてなど、いろいろ拝見させていただいているところです。そういえば修二会もはじまったそうで、春近くどこかへ動き出したくなるような季節になってきましたね。
ではまた東京でのよいひとときをお過ごしください。



ひとつ書き忘れました。
2005年3月4日 19:45:12 かわかつ WEB
香春の語源、カッバーラ・・ユダヤ教神秘主義の奥義っていうのけっこう面白い説ですよ。カッパドキア、カッパか・・・こりゃ奇妙なセフィロト
だな。生命の木が日本にもあったのかな。いやあ、やはり学研ムーブックスは捨てがたいですねえ。はまりこまないように気をつけます。



雪ですね
2005年3月4日 19:36:04 かわかつ WEB
明日甥の結婚式が東京であるというのに、無事に行き着くでしょうかねえ
・・・(^^)
またら神が話題になっていますね。ちょうど今日、HPに国東の奇祭をアップしたところで、ついでに「牛祭り」も関連で乗せました。秦さんも是非ご覧下さい。そうそう、甥の結婚相手も偶然にも秦さんなんですよ!千葉の人らしいですが。管理人さん、秦氏だけでなく、私のHPには小鳥の
ヒナを拾ったお話もあります。読んでね。
ややさん、若いのに考古学に興味お持ちとはちょっとビックリ。私なんか
漫画から入ったんです。諸星大二郎「暗黒神話」。気楽にやりましょね。
歴史の真実ははるかに長い時間の先にあるものですから。井沢元彦の推理小説、「猿丸幻視行」是非読んでみれば。きっともっと歴史が好きになりますよ。
谷川健一氏の対談の中に古代史の鬼の系譜に至る国東の風習に売れた部分がありました。県立図書館が改装、拡充され、古い名著が容易に見れるようになりました。あいかわらずのつん読家としては嬉しい限りです。
中臣家は秦一族と姻戚関係にあり、鴨氏もそうです。秦氏は複数の支族の総称でしょうから、単に一氏族と考えない方がわかりやすいですね。ちなみに平安京建設の中心人物である藤原小黒麻呂の嫁さんは秦氏の娘です。
上宮一族が蘇我蝦夷に追われたとき、深草の秦氏の援助を求めたのではないかという記述があります。深草の藤森神社はかつて兵部神社だったからです。つまり朝廷あるいは秦大津父一族の兵庫だったわけです。武器がたくさんあったんでしょう。葛野の秦氏と深草、あるいは稲荷の秦氏との関連は不明なのです。あるいは別族という可能性もあります。
秦氏というのは長い間に何度も列島にやってきた新羅経由の渡来人の総称なのではないかと最近思えてきました。
「芸能と差別」についての本も見つけて今、読んでおります。ではいずれまた詳しく報告いたします。



荒神、秦氏
2005年2月26日 7:51:59 管理人
秦ヒロさん、ややさんこんばんは。お返事おそくなってすいません。

藤原氏とマタラ神の関連祭祀、ご指摘のとおり奥州藤原氏のほうに関連があるようですね。
マタラ神の荒神・仮面舞踏と秦氏の信仰、興味深いです。同じく秦氏と修生鬼会、ルーツは大陸西域のほうまでいくようですが、起源はどの辺なのでしょう。
先日発掘された葛城氏居館?(忍海漢氏などの製鉄関連氏族の拠点の近く、遠いかも??)から出土のせん仏も大陸の西域の仏教の影響受けているそうですが、大陸起源文物と渡来人とは切り離せない感じですね。忍海漢氏との関連では、ローマ方面のグラスとか器物が出ていたと思います。いったい彼らはどこまで外交ルートを持っていたんでしょう。遣唐使のようなお偉方からのお土産的な品の持ち帰りの結果なのか、あるいは貿易ルートみたいなものをもっていたのか、考えさせられます。文化も大陸起源とするとやはりある種文物とは別に、大陸からの人々もやってきている可能性はありますね。

ややさん、私の場合古代史はじめて1,2年ごろは、図書館でイラン方面の器物の図録とか、東南アジア方面の銅鼓の図録とか、朝鮮の三国史記とか古事記とか読んでましたが、その後は関晃氏、平野氏、山尾氏、大和氏あたりの渡来人研究本を読んでました。渡来人に関してはかわかつさんご指摘のとおり、最終的には日本古代史全般を扱うこととなるようなので、あまり絞らず幅広くやっていったほうがいいのではと感じます。それでは今後ともよろしくお願いします。


--------------------------------------------------------------------------------
お返事ありがとうございます。
2005年2月27日 14:55:01 やや
仰るとおりですね。範囲を狭めずに幅広く本を読んでみようと思います。また色々と教えてくださいね。宜しくお願い致します。



初めまして
2005年2月26日 3:51:21 やや
最近『おとぎ話に隠された日本のはじまり』という本を読みました。内容についてはともかく古代日本と渡来系朝鮮人との関係に興味をおぼえました。もともと、ひと昔前にブームになった『人麻呂の暗号』を数年前に読み当時韓国語を勉強していた私には特に興味をひくものでした。私はもともと考古学には興味があったので博物館などに行くことはあっても、学校の授業以外で勉強はしたことはないので無知なのですが、今とても興味があるので色々勉強したいと思ってます。でも勉強とはいえ全くの素人なので興味が漠然としすぎてて、どこから始めてよいのかわからずとりあえず情報からと思い、こちらのHPに一番初めにお邪魔させて頂きました。もしよろしければ皆様の始まりになった本などありましたらご紹介頂けないでしょうか?興味の方向性を定めてから派生していきたいので今はたくさん本を読みたいと思っています。よろしくお願いします。



中臣鎌足
2005年2月24日 22:14:00 秦ヒロ
こんばんは。以前、鬼の温羅の話とカッパ=渡来人の話をさせて頂いた者です。今回は摩多羅神について少し書かせて頂きます。摩多羅神の事は皆様、御存知ですよね?秦河勝…とされています。そして摩多羅神=荒ぶる神、荒神ともされています。この摩多羅神ですが日光東照宮にも奉られています。魔を治める為に使われたのでしょうか?そして奥州の毛越寺にも奉られています。都から遠くに奉られたものですが私は藤原氏が関係しているから…と考えます。藤原氏の祖=藤原鎌足=中臣鎌足は御存知、大化の改新で有名で聖徳太子の仇を討ったわけですが中臣鎌足の生きていた時代に秦河勝は生きていたはずです。もしかすると河勝を親分の如く思っていたかも知れません。鎌足という名前じたいが鉄をイメージする名であり鉄=渡来人文化です。奥州・出羽は修験道が有名ですが、熊野も修験道が有名。秦一族は熊野の方にもいたらしいので繋がりが有ったのかもです。という訳で摩多羅神=藤原家の崇拝する神だったのかも知れませんね。  

葛城s氏居館?、シルクロード、出版計画?
2005年2月24日 9:22:35 管理人
かわかつさんさっそく情報ありがとうございます。葛城氏の居館発見?とのこと驚きました。渡来系氏族との関わりもでていますね。以下毎日新聞HPから部分抜粋
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050224k0000m040117000c.html

「二光寺廃寺:文献記録のない7世紀後半の寺を発掘 奈良
二光寺廃寺から出土した大型多尊せん仏の一部、「出家していない信者の群像」
 奈良県御所市西北窪で、文献に記録のない寺の金堂の礎石が見つかり、周囲から内部の壁を飾った「せん仏」(レリーフ状の型押しの仏像)の破片が大量に出土した。23日発表した県立橿原考古学研究所は、瓦などから7世紀後半のものとみており、地名から「二光寺廃寺」と命名した。

 せん仏は、阿弥陀三尊の周りに僧や西域などの異国風の信者の群像を配した大型のものや、仏の姿を縦横にいくつも連ねたものなど4種類を確認した。

 礎石は金堂の東半分のものとみられ、建物を復元すると南北約12.5メートル、東西約15メートル。10〜11世紀に自然倒壊したとみられる。近くに渡来系氏族の古墳群(6世紀後半)があり、この氏寺と考えられる。」

7世紀後半の西域・異国風文化と、渡来人との関わり興味深いですね。ご指摘のシルクロードがキーでしょうか。

かわかつさんご指摘の出版の件、そうですね今年は私個人としてではなく、渡来人研究会としてなんらかの出版計画立てたいところですね。出版社探しや資金公募などしてみましょうか・・・。
ではまたもうすこし居館調査してみます。



オンラインでキャシングを徹底比較!
あなたにぴったりのキャッシングがきっとみつかる


シルクロード
2005年2月23日 12:36:09 かわかつ
夜中に「シルクロード」の再放送していますね。なかなか触発されます。
葛城氏の館跡が発見されました。これまた興味深いです。
管理人さん、もう私の言いたいことはおわかりになったことでしょう。拙書のほとんどの内容はここに提示してきました。それを初めての人にもわかりやすく書いているのが拙書です。
湯布院のサイト、本が出ています。以前読みました。
あなたは分析力に優れておられるからこの掲示板に書かれた内容を整理すれば立派な本ができあがりますよ。
渡来=日本  私は今、そのことにようやく気づいたところです。



雲南→朝鮮南部→九州「修生鬼会」→奈良
2005年2月23日 4:38:04 管理人
かわかつさん、おひさしぶりです。いつも貴重なご意見ありがとうございます。わたしのほうは、逆に最近地震関連のサイトに投稿しはじめたんですが、よそさまのサイトに投稿するのは意外と勇気いるなーと感じ、みなさんに感謝いたします。ま、うちのところは気楽になんでも書き込んでくださいね。
延烏郎・細烏女と、九州「豊比売伝説」との関連、とても興味深いです。新著楽しみにお待ちしています。
鬼伝承と追放された渡来人の荒魂、国東半島「修生鬼会」奈良東大寺の「修二会」との関連、ちょっと調査してみたいですね。
以下HPに修生鬼会について「鬼の原郷」という記載ありましたので押しらせいたします。
http://www2.ocn.ne.jp/~yufuin/jiyuutabi.html
なるほど、中国の雲南方面の、「追儺(ついな)」などの仮面舞踏、紀氏さんお得意の夏王朝と関連するんですね。「追儺」というと、日本でも大祓いの儀式とともに慣習化していたらしいです。
雲南、九州経由で奈良に入ったのでしょうか。
ではまたご意見お待ちしております。


--------------------------------------------------------------------------------
追記:追難、四神思想、六角墳
2005年2月23日 9:26:25 管理人
また修生鬼会の上記HP「森の空想ミュージアム」を読んでいたのですが、追難や鬼面と、四川劇の関連、その四川劇に出てくる五色の仮面と、日本の金山彦との関連、九州各地の仮面や高千穂の神楽、猿田彦面との関連など非常に興味を感じます。おとといはちょうど九州宮崎に住む後輩が来ていて、高千穂の神楽の話を聞いていたところでした。
また、このページ
http://www2.ocn.ne.jp/~yufuin/hyohakukamen.htmに紹介されている仮面を見ると、先日の筑波の野口家伝来の仮面と鬼面との関係を感じます。http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/history/spot/010.htm
最初なんで紀氏さん「鬼」について考えはじめたのかなと感じましたが、このことなのですね。
四川の仮面劇の背後には四神方位思想などがありますが、確かに文氏の祝詞や古事記の神々の記載には色濃くその辺反映していますね。九州と古事記と古代中国方位思想とのかかわり強そうです。

四神方位思想というと高松塚ですが、ちょうど今日は高松塚が二段円墳でキトラ古墳より一回り大きいことが発表されたそうです。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050223k0000m040089000c.html
学者さんの見解では「高松塚とマルコ山は「皇太子ではない普通の皇子クラス」。キトラよりは上の身分だろう。」とのことです。
また同規模の兄弟墳マルコ山古墳についても記されておりました。そのマルコ山古墳については六角墳で天武天皇の皇子川島皇子が¬されているようです。
http://www.bell.jp/pancho/travel/hinokuma/marukoyama_kofun.htm
学者さんの両見解を総合するに、やはり円墳と六角墳の間での皇子間での相違??が気になりますね。
そこで、先日の多胡郡探索で取り上げた六角墳の意味が気になります。関東でも四神方位思想はなんらかの形で伝わったのでしょうか。ではまたご意見お待ちしております。



しばらくです
2005年2月21日 23:14:09 かわかつ
どうも最近パソコンに触るのがおっくうで、つまりここ九州でも寒いのであります。HPをちょこちょこ書き進めたりする以外はぜんぜんよそのサイトにアクセスせずにおりました。無沙汰をお許し下さい。
紀氏さん、風邪治りましたか?延烏郎・細烏女えんうろう・くわしめの話、私は天照大神の持つ機織女の神格との関連で拙書に書き込んでいます。岩に乗って日本へ行ってしまった夫を追いかけて妻も日本へ。すると朝鮮では太陽と月が消えてしまう。困った王が帰ってくるよう頼んだが妻は替わりに赤い薄絹を織り送ると、日月が戻った・・・という「三国史記」の伝承です。ちょうど天の日矛とあかる比売の妻を追って日本にやってきたという伝説の逆パターンで、秦氏との関連性が感じられます。
豊前の勝山町と香春町との間に仲哀トンネルという、神功皇后の夫・仲哀天皇の名を冠したトンネルがあり、この近くに「豊比売伝説」があります。この姫は福岡県では機織りを伝えたと言われており、その墓標がここにあるのです。
私はこの豊比売こそ細烏女のことではないかと思います。豊比売は実は香春神社の三柱の神のひとりなのです。
「鬼」の話、炯眼だと思います。鬼の多くが忌み嫌われ追いやられた渡来人の荒魂であるのは間違いありません。それは東大寺のお水取りの鬼会が国東半島にも「修生鬼会」しゅじょうおにえ・・・としてそっくりそのままあること。さらにまたら神の出てくる京都の牛祭りや、伊勢の猿田彦などもやはり鬼なのであり、そこには必ず朝廷への土地献上といった簒奪のあとがあるのです。奪ってなお、まつろわぬ者は追放され、差別された。
それが「鬼」の伝承でしょう。



記録編纂地点と方角と距離
2005年2月20日 6:25:52 管理人
紀氏さんかなり風邪ひどいようですね。無理せずゆっくり休んでくださいね。と私もひいた感じがしてきました・・・。
 渡来人同士でも旧来からみた新来が、鬼と見なされ伝承が生まれたとのご指摘重要です。
 鬼伝承、掲示板でも九州や吉備など、渡来と関わりながら生じたようですね。特に7世紀中葉以降の亡命してきた渡来人の渡来に関連して、鬼伝承が生じたとの見解あるようです。新来の渡来人がはるかに高い技術を持っていたということはよくあり、旧来の渡来人がもった危機意識なり、恐れや対抗意識などが、ご指摘のように鬼伝承の背後にあったのかもしれません。鬼伝承、実際に征服とか侵略があったかのような伝承も多いですが、その民衆の心理的な側面の読み解き重要ですね。
 先の筑波の金村別雷神社の荒魂、月読神社・・その辺なにか関係あるでしょうか。
 九州から中国にかけて広がる鬼・大蛇退治伝承等の分布については本で見たことがあります。でもどこが発祥の地なのか謎でした。
 その辺の解明、地震の震源推測にヒントを感じました。
ある地震サイトでは、東京拠点で、全国からの電磁波を受信し、その方位と強弱、時間継続から距離を推測し、気象庁の当日の震源分布図との重なりから、震源を予測予知していくそうです。
 これを古代史に当てはめると、鬼退治伝承が九州から中国に分布し、その伝承を記載した奈良を本拠地とします。すると吉備など近場の伝承に比べて、九州・朝鮮と、距離が遠くなるにつれて、伝承の正確性がなくなり、地名や記載内容があいまいになりますね。
 でも古事記の編纂に関わったオオ氏など、九州や関東に拠点を持つ氏族が編纂にかかわったらしく、編纂者次第では拠点が2つ、3つになるので、遠隔地の伝承にも正確性が出てくると思います。風土記などになると遠隔地の伝承を正確に記載していますが、奈良周囲の伝承は逆にあいまいでしょう。
 その地震サイトでも今後、名古屋や北海道に測定拠点を造るそうなのです。 
 渡来人研究でも、紀氏さんの茨城、かわかつさんの九州など特定拠点から見て、ある同地域、たとえば高麗郡の猿田彦関連などが、どういうふうに受け止められるのかが、伝承発生地への推測には重要です。
 またその総合分析の仕方について、なにか明確な基準がでてくると総合分析しやすくなるかとも感じますが、いいアイデアあったら教えてください。ではでは。



「鬼」を考えました。
2005年2月19日 4:54:08 いばらの紀氏
オハヨウ御座います。皆さんお風邪をひきませんか? 私は今朝3時に熱にうなされ目覚めました、すごい汗だったので着替へ・・・・布団へは戻れません。(汗で冷たい)のでパソコンの前に座りました。
「鬼」の甲骨文字は「祝」の「口」が「田」の形です。私は「鬼」の文字は夏の禹が家族をも帰り見ず黄河の治水?いや中国の地図作りの没頭してた古事より「鬼に成った」禹がモデルと考えます。(「田」は地図をも現わす文字と考えます。元来地図の作成は戦略的に極秘のはずの考えです。)
日本の測量の為に渡来した禹の測量兼軍隊の末裔を後に渡来した「秦氏」系?などの対立する系が鬼を邪悪な魔物とした、との考えです。(鬼に好意的な地域も沢山在るはずです。 )   鼻水も止まらず・・・・ 朦朧の紀氏でした。



茨城36度震源→36度レイライン
2005年2月18日 7:14:01 管理人
先日は大変でしたね。紀氏さんご無事でほっとしました。紀氏さんの人生のすべてを神にゆだねる生き方、キリスト者もなかなか真似できる人はすくないです。
そういう私もかなりびくびくしながら最近は空ばかりみて過ごしております・・。でも、江戸時代の殉教者の伝記をみると、処刑場へと、もはやびくつくことなく、こころ定まって向かい、むしろ喜んで死にゆく姿が描かれているのですが、当時の人は常に死と向かい合わせだったことも背景にあったのかなと感じます。それにくらべて、現代人は私も含めて情報にびくびくしながら生きていますね。捨てれないものが多くなりすぎたのでしょうか・・・。
日本沈没という映画有名だそうですがいまだみたことないので、今度探してみてみます。
あと、先日の地震サイトでの予測情報、先の記事にレスで付加しておいたので読んでみてください。民間研究者の驚くべき予測能力に出くわします。
地震予測と古代史研究、どちらも過去の経験から法則を見出し、未来への教訓?とする、自然科学的か人文科学的かどうかの違いはありますが、両者案外よく似ていると感じてきました。紀氏さんのようにある意味自然科学的に歴史を解明していくとすると、いよいよ地震予測研究と接点が出てくるかもしれませんよ。
あと、今回の震源東経139.893度 北緯36.042度ですが、下諏訪神社秋宮が36.042度で同緯度ですね・・・??、西方に伸ばすと白山から隠岐島の西ノ島、さらに西方は先日の慶州北部のの近くにある浦項(ポハン)港(35度55分くらい)北部に出くわしますね。そのポハンは先日のとおり延烏朗と細烏女の伝承地でした。
さて、今回の北緯36度震源のそばにある金村別雷神社は紀氏さんご存知ですか。HP見つけました。
http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/history/spot/005.htm
「関東三雷神の一つに数えられるこの社は、荒魂と和魂の両面を持ち、金村様、雷神様とも呼ばれ信仰を集めています。」との点、どこか伊勢的ですね。同HPにある月読神社も近くなのでしょうか。その月読社の「南方系の祭事用のものと思われる能面」も気になります。http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/history/spot/010.htm
あと近くの筑波山神社の「筑波男ノ神(いざなぎ)、筑波女ノ神(いざなみ)を祭神」とするとの点に気になりました。
なにか情報ありましたらよろしくお願いします。



地震国ニッポン。
2005年2月16日 19:23:01 いばらの紀氏

「!デカイ!!!!」今朝の茨城の地震・・・・一瞬 悩みました、外にトビ出ようかと?   玉里村 震度5弱   以前より大地震到来の予測 地震保険に加入してて掛け金の負担にトホホ(いずれ来るの地震X自信!)覚悟は出来ている。ガスは自動停止?・・・・と思っていたら・・・・止まらなかった(当然 我が町震度4) 合併相手の玉里村 震度5弱)  30数年まえ「日本列島 チンボツ?」不安をかきたてた映画・・・・この時 覚悟は出来た。 ビクビクしながら生きるより、後悔しない生き方を・・・・と、でも地味に生きてきた。
 「神の御心のままに、神の造りしこの世界・・・・・お好きなように」の思い、これまでの地球 滅んでは蘇える・・・・神の望む世に成るまで・・・・何度でも・・・・・地球の在る限り・・・・・でも、プレイトの移動・・・温暖化(水圧の上昇ーマントルへの圧迫)愚かな人間のあやまちの繰り返し・・・・・とほほ・・・ご心配有難うございます、   紀氏でした。



官と民との研究の接点(地震サイトの事例など)
2005年2月16日 6:17:21 管理人
「破壊と創造」紀氏さんの発言に予知されたかのように、紀氏さんのところでまたまた大きな地震ありましたね。大丈夫でしたか。紀氏さんご指摘の「延嗚朗・細嗚女」について考えていたところでした。ご指摘のローマ文化の後漢への流入、原始キリスト教とともに気になります。ローマでの殉教者についてのHP見ていたところで地震だったのですが、150年代までには相当キリスト教もローマに影響を及ぼしていたのがわかります。
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/junkyou.htm
殉教者については日本でも同様な江戸時代の殉教者をやはり教科書などでも見直すべきかと感じています。歴史教科書問題もそろそろまた考えはじめねばならぬ時期ですが、官の研究者と民間、あるいは諸外国の研究者との間での接点が重要になるのではと感じます。
紀氏さんもご指摘の「官」と民間研究者との間での意識の差について、考えねばなりませんね。たとえば今回の茨城地震でも民間研究者の間ですでにおおよそ予測されています。以下サイトをご参照ください。
アマチュア無線の予知専門家の毎日の予知記録日記
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm
上記サイトから抜粋
「★ 2005年02月15日火曜日、7時半更新
 まだ杉並にて強烈な耳鳴り、東方からの放射状雲(放射現象は大型震源が浮上すると、その刺激によって活断層から噴出するので、必ずしも震源本体の位置を示すとは限らない)、東関東〜東北太平洋岸〜北海道東方方面に相当に大きな震源が浮上している可能性を示す。今日明日にも解放がなければ、月内に震災級が発生すると判断している。

18時半追記、杉並から南方の地平線に強い赤焼け現象。太平洋側に大型震源が浮上しており、解放の近いことを示す。相当な規模だ。M6は軽く超えそう。」

http://www.yama-note.net/t/i-bbs.cgi
ラジオ電波の乱れなどによる予知サイト
http://kobe.cool.ne.jp/promises/index.htm
私が昨日朝夜勤帰りに見た異常地震雲写真をおもわず投稿してしまった写真関連地震予測サイト
http://www3.ezbbs.net/10/0011798/

やはり民間の研究者と「官」の研究者との間を仲介するシステムが地震研究のみならず、古代史においても必要ではないかと感じますね。特に渡来人研究は全国的な地域性を網羅し総合分析していく必要があるので、民間研究者なしには研究の進展は考えられないように感じます。
ではまた。


--------------------------------------------------------------------------------
地震サイトでの予知情報追記
2005年2月17日 0:45:55 管理人
16日朝の茨城南部震源、震度5、マグネチュード5.4の地震において、以下の上記ご紹介した掲示板(http://www.yama-note.net/t/i-bbs.cgi)で前日に予想がなされていましたので追記いたします。民間研究者の情報分析の重要さに改めて気づかされます。
以下抜粋

[801]揺れたー!
2005/02/16(we)04:50
大田区在住
かなり、揺れました。みなさん、大丈夫ですか?
--------------------------------------------------------------------------------
[800]房総沖、茨城沖注意
2005/02/15(tu)21:57
湘南・IKU
夕方の雲も東南東ー西北西がメインでした。形状は畝状、鱗、断層状、放射状と入り乱れ、遠近複数震源が存在しそう。
中でも強く見えたのが、東南東収束の雲で、西北西は遠方の強い震源の刺激を受けて吹き出している雰囲気。
東北地方上空には南北の亀裂雲が有り、北海道と福島沿岸の前兆。
直視と衛星では、青森東沖、宮城沿岸、中越沿岸部、茨城沖、房総沖、富士山に震源が有るように見えました。
各中規模で関東東沖のみM6そこそこ?カラスの鉄塔天辺も3回確認。

--------------------------------------------------------------------------------
[799]今日の雲。
2005/02/15(tu)20:53
chew@東京
早朝、すでに報告の通り東西基調で始まりましたが、その後IKUさんのご報告にも在るとおり東南東〜西北西の雲のライン。
こちらからの観測ラインは105−285の繰り返しラインです。10時ごろから285からの巻雲の放射で始まり105に架橋。午後3時過ぎからは微細な鱗雲、やはり東南東方位に収束しており105からは終日強めの畝が出ていたのが気になりました。現状、M5程度と思われます。
後ほど画像掲示板に投稿させていただきます。



破壊と創造
2005年2月15日 12:18:34 いばらの紀氏

大気都比売やシバ神・ヨミの国から戻ったイザナギなどの話には「破壊と創造」を信仰する傲慢に思える知能の高い民の影?が在ると、、、、、
人類の発展の歴史、直立二足歩行は高い位置に目標を定めたから?エデンでの現状に不満のエバがアダムの好奇心を目覚めさせた?。
アフリカ起源の先祖は密林(果物・魚)から草原(狩り・肉食)へ、温暖化?により過ごしやすい北へ移動(この頃はサハラ砂漠は砂漠ではなかったのでは?、砂漠なら北への移動を挫折したはず。)
では何故に砂漠化?気象条件の影響だけ・土質の影響?なぜエジプト文明が砂漠で栄えたの?貿易・商業?・・・・(大昔は砂漠では無かったのでは?)
火を手にした先祖は猛獣などの外敵の侵入を阻止する為に密林に火を放ち見通しの良いエリアを確保したのでは?(焼畑の発生?・・・この頃に地図作成への意識が?)
焼畑による樹木の消滅(保水能力の低下・・・・・砂漠化?エジプトの東西に広がる・・・・?モーゼの民の収入源は?パトロンは誰?【誰】の文字には鳥の形が!【鳥】はエジプト神?だった。)
 アレキサンダー大王(雷神?)は遠征でエジプトに立ち寄りファラオ?の話にのせられ自らを神格化するために東方を目指す。(ファラオ?の話とはモーゼのお仕事と同系の話かも?  世界地図作りとユートピアの創造とすれば、測量し易い様に障害物の焼却(あと地の牧草地・農耕地化) 先住民の抵抗には、商・交易による接近、最新知識よる文化発展の寄与・土着信仰への侵入(ぬすっ人がしずかに忍び寄るように・反発を感じさせず)

世界の国旗を見ると、信仰が表されている国旗が有ります、太陽・月・星などは古代からの信仰か?月・星には影響力を感じていると思います(私は易などで)太陽神は日本やエジプト・インカ・・・・などですが(サン3?の恩恵は大ですが恐れ・権威は感じないのでは?) 私的に太陽神は「同じ古代宗教」の流れからでは?と考えます。・・・・・アメリカの国旗の星の数がどれだけ増えるか・・・・・アアァ・・禹はカースト制(アーリア人侵入)以前のインド人では?の妄想妄想の紀氏でした。



延嗚朗・細嗚女
2005年2月14日 17:23:51 いばらの紀氏

 阿達羅王四年(西暦157年)、新羅の東海岸に住んでいた延嗚朗・細嗚女という夫婦が日本に運んでいかれ「ただの人ではない」と言はれ、延烏朗を国王にしてしまったお話の「延烏朗・細烏女」の文字から考えてみました。
【延】字義:横・西東・案内する・進める・導く =横・(経線)西東の案内する・進め導く・・・
【嗚】ああーオ・ウ字義:(烏・羽・禹・・・私的に【ああ−】は、禹の嘆き・ため息・・・と考えます。)
【朗】字義:魯国の地名(孔子ら儒家の故郷)・男の意
「延嗚朗」:西から東への案内し進め導く(宗教?)伝道師=烏(ヤタガラス?)・羽人・禹の系?の魯国の男・・・と考えました。
【細】セイ・サイ 字義:妻・身分の低い(女真族=満州族・・・・・考え過ぎかも?)
【女】メ・ジョ字義:女の意(妻?)・古い字形には、手を組み合わせ、ひざまずく形の他に首を拘束されたような形の象形もあり・・・??です。
「細嗚女」:烏(ヤタガラス?・羽人・禹の)系?の男の妻(身分の低いかも?) 「細嗚女」サウメ・・・サロメ・・・猿女:神事などに奉仕する女官・・・(これも考え過ぎ?)
参考年表
(西暦105年)サイリン(中国)が世界に先がけて紙を発明した。
(西暦135年)エルサレム滅亡・大月氏国のカニシカ王、仏教を尊信。
(西暦139年)チョウコウ(中国)が天文暦算に通じコン天儀侯風地動儀などを発明。
(西暦166年)大秦(ローマ)と後漢との交易が始まった。
(管理人さん、関西の古墳についても分析調査などはとのアドバイス有難う御座いました、我が県の埋蔵物関連の学芸委員さんなどに埋蔵地図にて説明してもほとんどの方が「偶然でしょう。」と自分の目を信じ様としませんのでホームページを御覧の方々による草の根を期待している情けないしだいなのです。)  想像妄想?の紀氏でした。

 

新羅→隠岐(出雲)→白山
2005年2月14日 3:49:11 管理人
先日の紀氏さんの白山を指標として航海と、朝鮮経由のヒメ伝承等ご指摘について、白山鹿嶋ラインの件とあわせて再考してみました。
以前から新羅から白山を目指して航海してきた渡来人についてのご指摘多くありました。そこで今回緯度について調べてみると、白山が北緯36度10分です。白山から真西に航海すると同じく36度10分(0度から20度の間)で隠岐諸島にぶつかります。さらに真西に同じ位の距離を航海すると新羅慶州のすこし北の浦項(ポハン)港(35度55分くらい)に出くわします。このポハンは、三国遺事157年の記載に延烏朗と細烏女という夫婦が日本に向かった伝承で有名です。伝承等詳細は以下ポハン市のHPで。
http://jp.ipohang.org/city/city03.html
またその伝承の日食記載については以下検証のHPがあります。
http://www2c.biglobe.ne.jp/~takesako/ecl/densetsu.htm
こう考えてみると夏至・冬至の日あたりに、新羅ポハン港から海流に乗り真東に隠岐→白山へと向かい越国に入り、そこから京都・奈良方面へ陸路で向かうのが一番近かったのでしょう。
また、同じく新羅慶州からすこし南にウルサン(蔚山)(35度30分位?)という港があります。ここから真東へ航海するとそのまま出雲大社(35度23分)にでます。距離的には隠岐よりは出雲のほうが少し近いようです。このウルサンに関して日本の古墳との深いつながりが奈良桜井の3世紀代日本最古級の前方後円墳・ホケノ山古墳から見られるそうです。以下HPに掲載された日本経済新聞の記事をご参照ください。
http://www.yu-ji.com/shinbun11.htm
以下抜粋「同古墳の埋葬施設は、今年三月の調査で、木材で構築した木槨部分の周囲を石を積み上げて囲うという類例のない二重構造の「石囲い木槨」と判明。三世紀中ごろに築造された最古の前方後円墳とみられている。「石囲い木槨」とよく似た埋葬施設には朝鮮半島の蔚山(うるさん)中山里墳墓群(2〜5世紀)の木槨墓などがあり、当時の大和と朝鮮半島南部の文化的な共通性がうかがえるという。」また「12本の柱」、「柱だけでなく柱穴にも朱が残されていた。」との記載も気になります。
新羅系の天の日矛伝承などとの兼ね合いも気になりますが、古墳や神社と測量と航海の関連、紀氏さんの理論がどこか現実味を帯びてきたように感じますが、またみなさんのご意見お待ちしています。


応神・仁徳陵、測量、景教
2005年2月11日 2:33:09 管理人
どうも紀氏さんの天才的洞察にはいつもながら驚かされます。きっとガリレオほど待たなくても近いうちに、紀氏さんの諸説が証明される時期も来ることでしょう。紀氏さんご指摘の古墳が測量ポイントであったとの件、個人的には紀氏さんに関東の古墳だけでなく、関西の古墳についても分析調査をどこかで公表されてみてはどうかと感じます。たとえば、仁徳天皇陵と同緯度真東に応神天皇陵が造営されている件、考古学の専門の方なら周知な事実ですね。同緯度については、以下のHPでその古墳方向と緯度との関連を指摘されています。
「MuBlog」さん http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/03/
私が使用している電子地図(ソースネクストの「its-mo Navi PC」がお勧め)で調べてみると、両方の古墳とも34度33分35秒で同緯度上にあるのが確認できます。
すでに5世紀ごろにある程度高度な測量技術があったと思われますね。
その辺から考えると、確かに紀氏さんの測量ポイント説の可能性もでてきますね。この辺など紀氏さんの全国的な調査研究に期待ですね。
かわかつさんご指摘のケン・ジョセフ氏の本、私もかつて読んだことあります。なかなかよくまとまっていた理解しやすかったです。彼の関連調べているうち「景教COM」というHPみつけましたので参考までに。http://keikyo.com/
ではまた。





簡単無料エントリー【後は当選を待つだけ!!】★今なら!豪華賞品が当たります!★


酔っぱらいのヒロシだ
2005年2月10日 3:08:41 かわかつ
紀氏さんお酒は身体に悪いからほどほどにね!
「隠された十字架の国」ケン・ジョセフ探しています。本屋にないので取り寄せます。ネストリウス派キリスト教・・景教ノ行方を追ってみるつもりです。



神の御心????
2005年2月9日 20:42:33 いばらの紀氏
・・・・紀氏です。(震度四4でしたか?初期微動が長く感じ「震源地は大変!!!」と思ったらハズレました「良かった良かった」・・・鹿嶋沖からこれまで見たことも無い深海サメが捕獲されています、大地震の前ぶれかも???・・・・神の御心????

今日 市原に住む弟が笠間稲荷にお札換えの帰りに立ち寄ったとです。
二升の酒を飲み干しながら語り「古墳が日本地図の測量ポイント」の話をしたら、「何を馬鹿なことを」一笑されました。
ガリレオガリレイが地動説を唱えた時にキリスト教徒に馬鹿にされたそうです・・・・似て居ます・・・・紀氏です。
寺社や古墳がレイラインと認める方々いますよネ、でも古墳が測量のポイントと認めてくださるのは知識有る少数の方々だけですか?。
ガリレヲガリレイがキリスト教徒の方々に地球が・・・(地動説)を理解していただくのに100年ぐらい労したそうです。
「古墳が日本地図の測量ポイント」だと皆様に理解されるのは、・・・・イツですかーァ・・・・・・・・・・紀氏です。
中国の夏王朝「禹」王が中国を測量し九つの州「九州」とした事は知られていますよね?
漢字の基が中国の夏王朝「禹」王がモデルで測量に関係した文字が甲骨文字なのですヨー信じてー・・・・・・紀氏です。
・・・・・・・私は変人ですとかー???????・・・・・・「危」・・・・紀氏です。
理・・解・・不・・能・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・残念!!!!。
(人は目で見た現実をも信じられない・・・・・・・トホホ・・・・)の紀氏です。
「鳥居という名前は、ヘブル語のTR「鳩」からも来ているのだろう(ヘブル語表記は子音字だけである)。
おそらく、鳥はケルビム(天使)を象徴しているのだろう。」・・・・・・・・・とか・・・・同感ですが・・・・・
私の舌足らずを理解・解説・アドバイスして下さる管理人さんに「感謝・感激!!!」のほろ酔いの紀氏でした・・・今後とも宜しく御願います・・・・感謝!。



猪野・白山・高句麗・天文学・測量
2005年2月9日 5:38:56 管理人
昨日は、紀氏さんのちかくの茨城南西部震源の震度4の地震ありましたが大丈夫でしたか?
ところであれから紀氏さんの白山のご指摘について考えてみました。茨城の金砂大祭に関連して初代藤原盛有が近江国蒲生郡古川邑で祭の舞を演じたその古川邑の白山神社について「白山神社。御祭神は菊理姫神(くくりひめのかみ)高句麗媛(こうくりひめ)?白山修験は泰澄・母は伊野氏((高句麗からの亡命帰化人の子とも?勝山市猪野がその母の出身地に当たるそう)とのご指摘でした。
勝山市猪野について早速調べてみたのですが、白山の西にあたる地域なのですね。そのまま136度ラインを南下すると、先日話題になった岐阜の揖斐郡にでます。この揖斐郡の「い」音について、かわかつさんからも揖屋、伊田の地名との関連などありましたね。
猪野、揖斐、揖屋、伊田との外来系言語のイ音との関連が課題でした。
イ音については、以下HP「オンライン文集  オリエント幻想 (3)」
で、オリエントからの「イ」音について関連ありました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ipsenon/kk3.html
オリエントの「イ」→中国の「ウ」:「五・牛」への流れは興味深く感じました。
またの白山神社の菊理媛と高句麗姫に関するご指摘について、以下のHP探してみましたのでご参照ください。
http://akon.cool.ne.jp/sibauma/kikuri.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/Shirayama.htm
白山と高句麗・新羅系渡来人とのかかわり深いですね。その舞楽とともに、やはり白山周辺→諏訪→高麗郡→鹿嶋・香取の東西ラインなど測量技術の高さがあります。キトラ古墳の星宿図が高句麗の38度から39度の星空を正確に反映しているのもひとえに、正確な天文測量技術あってこそのものですね。以下キトラ古墳関連HPによると、高句麗からの亡命渡来人の流入があった天武ごろに暦学や天文学の発展があり、その技術と古墳壁画との関連性が指摘されているそうです。
http://www2.begin.or.jp/sakura/asuka2.htm
とすると、やはり白山周辺→諏訪→高麗郡→鹿嶋・香取レイラインの起源は、亡命渡来人の後となるでしょうか。ただし、高句麗の天文技術そのものは、上記HPの星宿分析情報を考慮するならば紀元前3〜紀元後3世紀となりますね。8世紀にいたるまで朝鮮に伝播した技術の種類や精度の相違から、どの時代のどこのどの技術が伝播したのか確認したいところです。
今日はサッカーも日本・北朝鮮戦、文化交流楽しみですね。



ギリシア数学?測量
2005年2月8日 7:32:31 管理人
紀氏さん、みなさんこんばんは。エジプトのピラミッドを起点としての測量について、考えさせられました。ピラミッドについては、その周囲と高さの割合が、地球の円周や直径の比率等に合致し、さらに赤道方向へのふくらみまで正確に計算されていたことが明らかになっていますね。http://www.y-asakawa.com/tansaku-report/report-egypt1.htm
そこで地球球体説がすでに知られていたことがあがっているんですが、どうやって理解したかが謎とされますね。
紀氏さんのご意見を補足しますと、まずギリシアの哲学者の実験から緯度と極円周が測定されていたことがありました。以下HP参照。http://wwwsoc.nii.ac.jp/icic/08_MUSEUM/03_HISTRY_ROOM/ERASTO/ERA.html
。同様日食時の月の見え方の誤差を理解から、その経度とその赤道円周が理解されていますが起源はいつだったかな?
日食周期については、前五〇〇年頃にバビロニのカルデア人発見したというサロス周期が一八年一一日三分の一日と知られ、後漢の時代に一三五朔望月というのが知られていたそうです。日食に詳細は以下HPで(ヒミコや記紀と日食についても書いてあります)。http://www2d.biglobe.ne.jp/~kittaka/HI.HTM
日食時の経度測定から、赤道円周のほうが計算上長かったのでピラミッドの製作でも追加がでてきたのでしょうけど、そこまで正確に測量できたのかどうか・・・・。
ともかく紀氏さんご指摘のとおり、エジプトから一定距離の経度、緯度の地点で、北極星や太陽の測量があって、はじめて地球の円周が出てきたのではと感じます。それがどこだったのか課題ですね。あと、エジプトからイスラエルまでの距離は、意外と近く、名古屋・東京間くらいしかないようですね。高度な文化を共有するのには適していたかもしれませんね。白山・鹿嶋ラインの件とあわせてもうすこし考えてみます。



6:6:6=ダビデの星=三平方の定理
2005年2月7日 3:36:53 いばらの紀氏

出エジプト記でモーゼが目的地より出発地点にこだわったのは測量の起点が「ギザのピラミッド」だからと閃きました。
ピラミッドを上から見ると90度角で四方に放射状の線が広がります。ギザは約北緯30度東経30度(経緯はイエズス会?イギリス人?が定め「経緯」文字は「秦織り」から始皇帝?)「北」を北極星とした古代、ギザを起点に正三角形で地球を覆うと北極星から地球を見て(360度割る3=120度)ギザから日本は約北緯30度+誤差 東経30度+120度+誤差です。(日本の何処辺りか?・ペルーnどの辺り?)ダビデの星の形の上・横線の左端がギザ30度と考え上中央をピラミッドを(柱・高さ)夏至冬至の陰の長さとで地球の大きさが計算されたのでは?と考えます(私は数学が苦手です。)いかがでしょうか?666は幾何学の祖では?      舌足らずの紀氏でした。



パッション、東西移動ライン
2005年2月5日 23:23:34 管理人
私も先日コンビニで「パッション」のDVDを買って見たところでした。キリスト最後の12時間、クリスチャンの間でもかなり衝撃あったようです。ただ個人差が大きいのも確かですね。キリストの病人罪びととともに歩んだ生々しい人生を黙想し、生活上で実践している信者さんと、西洋画のような天国風景を思い描いて生活している信者さんとの間で、だいぶ印象が違うだろうと感じます。また日本人の間では、衝撃的な拷問映像など驚く方多いと感じます。でも実際江戸時代のキリシタン迫害の時の殉教者の本を読むと、まさに「パッション」と同じシーンが全国あちこちで見られたという事実に気づかされます。もちろん教科書にはおおよそ載りませんが、その辺は編集者で学問的にも価値が薄く宗教色が強いと感じタブーとなるからでしょう。個人的にはキリシタン迫害と朝鮮出兵、関東大震災時の朝鮮人虐殺は、日本人心理をつかむ上で重要と感じます。
タブーといえば、ユダヤ教と神道との比較論でありますが、これも教科書には載るはずもない事象であります。
理由のひとつには、イスラエルから日本まで須弥山、シルクロード、高句麗を越えてくるような道程を民族?が渡ってくることはありえないという心理にあるでしょう。これは近畿から白山を越えて関東まで渡来人が移動してきたのと似ています。後者は十分実現可能との心理がありますが、前者は不可能に見えるわけです。現実的には単に規模の大小の問題でしょう。人間の抱く錯覚で不可能か可能を決定しているようです。
もうひとつ教科書に比較論が載らない理由としては、神道や天皇制にイスラエルの宗教が混じると大混乱が起こり、国体が崩壊するということでしょう。しかし両宗教の間に共通点が多すぎて、すでに大地震前の段階に類似しているのですが、そこでやるべきことは、大地震を防ぐより、もし来たらどう対処すべきかとシュミレーションをしておくべきかと感じます。
その辺は、双子が出会って一卵性であることを突きつけられた後、どうなるかという事象に似ています。お互い暮らすにあたり、人格崩壊が起こって、生活習慣もすべて変わってしまうと予測を立てるより、たぶんほとんど彼等は何も変わらないという予測を立てるべきと感じます。ただ双子の親の存在を知らされるにあたり、抱いていた両親イメージに相違がでてくる時に、どう対処すべきかが課題でしょう。
いずれにせよ、異変への備えが緊急性を帯びてきていますね。




キリストもの映画
2005年2月5日 16:38:01 かわかつ
秦氏とキリスト教関連で映画「パッション (The Passion OF The CHRIST)」と「クリムゾンリバー2」のDVDを観ました。前者は克明にイエスの磔刑を描写し、そのリアリティに感動。一方、後者は旧約聖書を題材にオカルト風な刑事推理ドラマに仕立てたものでした。どちらもユダヤの神秘主義カッバーラには直接ふれてはいないものの、「御父と御子と精霊の三位一体」については示唆されたように思います。キリスト者と信者は必ずしも合致しないこともわかり、日本でも門戸、もんせき、住職が三位一体ではあろまいかと感じましたし、神社信仰にもこういう原初の原ユダヤ教キリスト主義的な教義が入っていたのかなと思った物です。
今、久保有政「日本の中のユダヤ文化」を読み始めました。管理人さんおすすめの「古代出雲・・・」はちょうど品切れでしたので残念ですが、必ず読んでみます。
香春岳がマサダ要塞とそっくりなことは以前から気になっていましたが、どうもセム系ユダヤ人が、欧米のアシュケナジー系ユダヤ教徒と同様のアジア系ユダヤ教徒を形成させるのに一役買ったのは間違いなさそうです。
天山山脈とバルハシ湖のあいだに弓月国・中国語でクンユウェという国があり、そこは古くからキリスト教国であったというのです。例の楼蘭からはシルクロードの同線上に位置しています。さてもう少し先まで読み進んでからまたお便りします。



白山wo
2005年2月5日 3:51:24 いばらの紀氏
「金砂大祭礼のロマン」拝見しまして、「石の鳥居のみの白山神社があり,・・・・」から「白山」〜鹿島神宮のレイラインなので考えてみました。
白山神社。御祭神は菊理姫神(くくりひめのかみ)高句麗媛(こうくりひめ)?参考:ククルカン ( マヤ・羽毛の生えたヘビ、の意。マヤの最高神。創造神にして蘇生の神。海からやってきて、海へと去っていった。) 。菊理姫神は伊弉諾神(神武系)・伊弉冉神(出雲・禹系)の間の娘の別名?、白山灯苣_(しろやまひめのかみ)丹生都比女当スもしくは赤留比灯ю_か?)、二人が仲違いしてしまった時、両者の間を取り持とうとした神様だそうです。
白山修験は泰澄・母は伊野氏((高句麗からの亡命帰化人の子とも?勝山市猪野がその母の出身地に当たるそう)鳥兎の類を一切食することを禁じている(鳥=測量士・兎=禹?)鎌倉時代以降は、座(寺社などに隷属する商手工業の同業者組合)を組織する(メイソン組織に類似かも?)鎌倉から南北朝にかけて祭礼の催物は極めて多彩で、神輿の御屋への渡御(とぎょ)の他、競馬・流鏑馬・獅子舞・相撲・田楽や後宴の猿楽などの芸能が、白山の神子や神人らによって行われていた(芸能関係?)
白山:日本海を行き来する船に従事する人にとっては海上の指標となる事などから航海の神さまとして信仰していました。加賀や越前の漁民は、白山の前を漁船で通るときは、帆をおろし船を一度停め白山に向かって遥拝してから通過する習わしになっていたといいます(ダンジり祭りと類似?) 参考:豊比口羊尊:この神の神殿は、豊比口羊尊がのちに山麓の採銅所村に下って村の産土神となられたので空殿になってしまったといわれる。(採掘・山師?九州から移動・サンカ?)
つれづれの紀氏でした。



金砂祭礼 、少彦名命と大己貴命、藤原兄弟
2005年2月4日 3:06:11 管理人
先日の紀氏さんご指摘の金砂祭礼について考えてみました。
東金砂神社は少彦名命、西金砂神社は大己貴命を祀るんですね。「少彦名命アワビに変じて明るく照らし」との点は、古事記のガガイモを割った船に乗ってきたという記載からあわびへ変化した形ですね。古事記だと、大己貴命が神産巣日神に少彦名命が彼の息子かどうかたずねていますが、まさに先ほどのDNAならぬ親子鑑定ですね。後「兄弟」として国を治めるわけですが、この両神の伝承が東西金砂神社に関係するとは知りませんでした。起源については、昨年の茨城探索日記によると、
「「常陸国風土記」に密筑(水木)の里の海で採れたアワビだけが「石決明」という漢字を用いており,不老不死の仙薬として朝廷に貢納されていた.少なくも天平四年および9年(737年,宇合の死の年)に記録があり」
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/mito031105.htm
とありますから、信仰の起源自体は737年までいけそうですね。ただ「大同元年(806年)、近江の国比叡山からという」、「神仏習合の時代には、医の神・少彦名命(スクナヒコナ)と薬師如来は重ね合わせて信仰され」というご指摘の伝承は別の意味で興味深いです。
というのも、先日の栃木県泉町周辺の寺山観音寺の創立伝承にも、720年元正天皇のとき藤原房前の祈願によってこの地に霊験をあらわし、行基が創設、803年法楽寺消失後、806年再建の伝承があります。金砂祭礼の創設は藤原宇合に由来するそうで、その寺山観音寺の藤原房前とは兄弟なんですね。
あとその泉町周辺の井吹里の地名については、紀氏さんの近江伊吹山との関連のご指摘がありましたね。
この辺の兄弟神話と茨城から栃木にかけての藤原氏関連の征伐伝承、寺社創設から祭祀まで、藤原兄弟の伝承と相関性ないかという感じします。
あと、73年周期の未(ひつじ)年に行われる金砂祭礼の時につける「笑い面」については、慶州市の北方にの「河回村」の民族舞踊に使う面に「笑い面」があるそうです。詳細は以下HPでhttp://www.kawamata.co.jp/ryozan/sairei.html
まさに、茨城は665年の近江からの渡来人東国移動に始まり、奈良時代、平安以後と何度か渡来人?移住の波があったことを伝承から感じます。まさに、何度も打ち寄せる荒波のように、前震と本震と余震とが、何度も繰り返されているような感じですが、その辺正確に規模と時期と種別とを見分けて行ければとまた紀氏さん、みなさんの研究期待しております。



ユダヤ教と神道
2005年2月3日 23:07:45 管理人
かわかつさん、先ほどHPで拝見しました。新著楽しみにしています!また刊行後は当HPでもぜひ紹介させてくださいね。
ご指摘の秦氏とユダヤものですが、先ほどたまたま家の近くの本屋に寄ったら「古代出雲イスラエル王国の謎」小石豊著・学研ムーブックス・2005年が発売されていましたのでさっそく購入してみました。著者はキリスト教の牧師で、かわかつさんご指摘に関連して、キリスト教者ならではの詳細な聖書分析に基づく分析や、神道観が反映していて共感する部分が多くありました。わりとユダヤ教や神道に関する具体的な説明図が整っており、理解しやすい本です。
それにしても神道とイスラエルの祭祀や文化、類似点が非常に多いですね。類似しているものを同じ起源であると証明するとすると、どういうふうに証明するのかが気になります。たとえば双子が双子であるという鑑定を証明する場合、多くの類似するという要素や生い立ちの起源解明とともに、生まれたときからの所持品やDNA鑑定で最終的に証明されますね。
やはり人間集団同士の同一起源の証明のケースでも、所持品やDNAにあたるものが必要かもしれません。DNAについては、そのDNAという人格を造る情報の配列の組み合わせ論から、その相違を確認するわけですが、たとえばやはりユダヤ教なら旧約聖書、日本なら記紀あたりの情報に、各文化の根源的情報が見えるわけで、その書物の情報の配列構造の相違について、比較分析するのが一案かと感じます。ただDNAの配列でも民族によらず人種的に同じ配列をしている箇所や人間という枠組みで同じ配列がでてくる部位もあり、逆に民族ごとに相違する部位もあるようです。同様、聖書や記紀でも、人間集団として無意識部分で同じ配列になる伝承情報とは別に、民族?ごとのレベルで情報配列が相違する部分を抜き出すことができないかと感じます。そういう意味でも、やはり海幸山幸神話あたりよりも、神話部の最後の神功皇后紀あたりの情報配列構造の分析が重要ではと感じ、渡来人研究会HPでも神功皇后紀と聖書マリア伝承との配列順序について分析していますのでご参照くださいね。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/hikakuron.htm
ともかく東西両極の文化比較、かわかつさんご指摘のとおり、頭を柔軟にするのに加えて、思考土台を確かにするにもにも両極を極めるということは、きわめて重要ですね!
あと、紀氏さんご指摘の金砂大礼について、現在分析中ですので後ほどまたアップします。



怒濤の茨旋風!
2005年2月3日 0:51:05 かわかつ
圧倒されました。原始ユダヤ教、失われた10支族はアジアに渡来していた・・・飛鳥昭雄、読んでますか?パワーあふれる紀氏さんからはとても「とほほ」なんて合いません。これからは「どどど」の紀氏さんですなあ。
「秦氏が祭る神の国・その謎」刊行間近です。表紙のラフができあがり、HP「秦氏が・・・」に掲載しました。ただ出版社の写真が宇佐神宮でなく、かなり文句を言って替えさせるつもりです。
セム系ユダヤ人が日本に来ていた可能性ありそうです。管理人さん、キリスト者として是非、学研ムーブックス飛鳥昭雄・三神たける著書読んでみてね。とんでも本だけれど頭を柔らかくするには最高です。特に「秦氏もの」「ユダヤもの」はおすすめです。キリストはユダヤ教の原点回帰を唱えたために処刑されたのですね。知りませんでした。



オリエント弾琴巫術・女性・舞楽
2005年2月2日 1:17:45 管理人
どうも紀氏さんこんばんは!しばらく紀氏さんの抑圧が続いていたので、そろそろ茨城沖開放かと思っていましたが(実際先ほど銚子沖震度2でしたね・・)、貴重な情報満載ありがとうございます。
弾琴巫術、古代オリエント・シルクロードでも起源古いんですね。楽器を奏でながら、祭祀を行う、舞を舞う・・、女性巫女の主役?について、先ほど大酒神社のマタラ神のオリエント起源についてのHP見つけましたのでお知らせします。http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/1_J.html
マタラ神も女性神・仮面舞楽とオリエント神話との関連があるそうですね。確かに巫女的要素は地域に関係なく普遍的ですが、女神となるか巫女でとどまるか女帝となるか、楽器や仮面の種類で区別していくべきでしょうか。女性(神?)については、キリスト教だと聖母マリア、神道だとアマテラス大神、中国・オリエントあたりだと紀氏さんご指摘の主役たちですね。その宗教の主役の生と死と復活とを見つめる際に、女性として母性として立ち会う存在が、また神功皇后と死にゆく天皇とが琴を弾きながらの駆け引きをするあたりに、あるいは猿田彦の妻である女神アマノウズメが岩屋からアマテラスを舞楽をもってして引き出すあたりに、あるいは十字架上で死を迎えるキリストとそれを見つめる母マリアとのあたりに、あるいは死後の岩墓に向かった女マリアにキリストが復活して出現したあたりに、なにかその宗教信仰の中での生死の瞬間と母性・女性への信頼?関係を見出すことができるのではと感じます。先日の伎楽と呉女の関連から、秦氏本拠の辛国息長大姫大目命との関連までが気になりますが、その中での女性と琴と舞楽と死と生との関連がまとまればなにか出てくるかと感じます。
あと、オリエントからの経路はつかめてきているのですが、問題は把握が難しい遠い過去の出来事をどう確証していくかですね。地震サイトだと遠方地震と近方地震との区別は、前駆的な振動の有無で区別するそうです。古代史なら秦氏渡来直前の天日矛渡来とか、高麗郡成立前年の移動配置記載とか、いわゆる前兆の規模、主体が来るまでの期間の長短、前兆から本震までの流れのスムーズさの度合いなどを、よく分析してみることが重要そうです。その辺後日紀氏さんご指摘の金砂祭礼あたりで確認できればとふと感じました。ではいつも貴重なご指摘ありがとうございます。



   「弾琴巫術」
2005年2月1日 20:18:42 いばらの紀氏
琴を弾いて神を降ろす「弾琴巫術」(だんきん−ふじゅつ)は、日本に始まったのではなく、古代中国から渡来した。この「神降ろしの巫術」は源流は紀元前4000年のメソポタミアにすでにあった。しかも、降りる活霊は住吉の三柱の神。
住吉大社の三神はオリオン星座の三つ星
「つつ」は星の意 金星を「ゆうづつ」と言っていた。
墨江(住吉・すみよしの祭神)の底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱の神(海蛇神
。武王は北方民族であり、西北からやって来た。武王の姫王朝の種族は北方系の騎馬民族であり、言語はアルタイ語の一つであった。一方、被支配民族の中原の諸語はみな南方系中国語であった
周の太伯の祖とは、姫(き)王朝である。これが、紀氏の祖であると言われている。紀元前五世紀頃から、山東以南の姫氏は日本に移住し、そのまま位階制度をもちこんだのだろう。

越の民は雲南の山岳地帯にも移動したと考えられる。越人の最大の種族、ミャオ族(三苗族)には、かつて祖先は東に住んでいた。山を越え、河を渡ってだんだん西方に来たという古歌が多く残されている。史記には、「三苗、江淮荊州に在り、数乱を為す」とあり、江淮荊州とは長江の下流域の北側あたりである。
中国の伝説「伏羲(ふっき)と女(じょか)の伝説で、主に中国西南のミャオ族、ヤオ族の始祖神話として残されている。その姿は人首蛇身で、腰から下は蛇で尾をからませた独特の構図をとっている。
伏羲(ふつき)と女(じょか)は、シュメールの神エンキとニンハルサグと同一ではないかと言われている。
・・・・疲れました・・・早めに寝ます・・おやすみなさい。紀氏でした。



金砂神社にアワビの伝承
2005年2月1日 20:14:17 いばらの紀氏
大同元年(806年)、近江の国比叡山から、祭神がアワビの舟に乗って密筑(みずき,水木)の里に現われた。東金砂神社の祭神(少彦名命〜すくなひこなのみこと)は九穴のアワビに変じて明るく照らし、西金砂神社の祭神(大己貴命〜おおなむちのみこと)は九穴のアワビに乗って渡来したという。このように、両金砂神社の祭神は水木の浜のアワビと深い関係がある。(アワビは鮑・蚫・鰒・鰒珠・鮑魚・阿波比・石決明などと書かれ神仏習合の時代には、医の神・少彦名命(スクナヒコナ)と薬師如来は重ね合わせて信仰されていたそうです)
私的にアワビの舟に乗ってきた祭神は「鮑は磯に付着して生息するので、磯に出現する神への幣物か、使わしめとされていたのが、いつしか神体そのものとする思想が生じたのであろう。中世になると、神の示現する磯そのものが神格化されて、安曇磯良(あずみのいそら)という神が登場する。この神は『八幡愚童訓』や「八幡宮御縁起」(『室町時代物語集』第一)によると、常陸国または筑前国鹿の嶋(福岡県志賀島)の海に住み、海の案内者とされている。安曇磯良の容姿は『太平記』巻三九に、「細螺(したたみ)・石花見(かき)・藻に棲(す)ム虫、手足五体ニ取付テ、更ニ人ノ形ニテハ無カリケリ」とあり、『琉球神道記』にも「顔面ニ石牡蛎(かき)ヲ生ズルコト、磯ノ如シ、故ニ磯良卜名ク」とみえるので、荒波が打ち寄せて鳴動する磯そのものの姿であったことが知られる。」(【鮑照】ホウショウ:421〜456年。南朝の宋の「明遠」鮑三軍といわれた。関係は?)
(慈覚大師の開山伝承   『金砂両山大権現大縁起』によると、金砂山は大宝二年(七〇二)役小角(えんのおつね)が草創し、慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が中興した、と伝えている。役小角を開基としたのは、金砂山が修験道の霊場となってから結びつけられたのであろう。)



漢字「魚」とキリスト教・夏の「禹」王を考える。
2005年2月1日 20:11:57 いばらの紀氏

私的に、漢字は「象形文字・星座・禹の治水と地図作成・旧約聖書」に関係した甲骨文字から発展し秦の始皇帝(ユダヤ教に関係か?)の時代にまとめられたと考えます。
まず「魚」のハタハタは、「魚」+「神」で国字だそうです(ハタハタ=秦幡 秦氏が考えたのかも?)「魚」+「雷」からは「雷」ライ・稲妻・サンダー・アレキサンダー(アレキサンダー大王は蛇の子と言われていた・西王母の子かも?の妄想です)
「鱸」スズキは「魚」+「櫨-木」で字義:せいごの成長したもの。呉の松江のものが「セイ・サイ」ナマスなどにされ、美味で名高い。「セイ・サイ」ナマス(あえもの・砕く・和まぜる・・・・私的に混血「鈴木」の姓(全国に何らか?も聖として広まる。秦氏との?)
「魚」+「系」コン孫そんが音(大魚おおうお・人名:古代中国「禹」王の父(甲骨文字では「口」で表わす。)
あわび「鮑」・「鰒」・「虫+包」(国字:干しあわび?) 「鰒」には(字音を借りて用いる「鮭」サケの意 「圭」ケイが音をあらわす)「圭」ケイ(天子からいただいた土地を測り・?治めること・)「鮭」サケ:川をさかのぼり卵を生む(古代文明の祖?)と・ふぐ(国訓:河豚)の意:「魚+台」フグ(老人の意)「魚+老」(国字:おおぼら)。

「魯」ろ・おろか・にぶい・すなお:周の武王の弟に与えた国。868年続いた。孔子の生まれた国。

ナマズ「魚」+「堰-土」エン(隠す)・・・カバラ?
ナマズ「魚」+「片(扁)」(【扁鵲(カササギ)】ヘンジャク:戦国時代(中国)の名医(ユダヤ系?)鵲(カササギ):朝鮮カラス
ナマズ「魚」+「占」セン:体が丸く(せむし?)長い(蛇?)頭が平(平等?)で大きい(大頭・王?)背は黒く(黒衣?)腹は白い(清潔?)口辺にひげ(ユダヤ?)
ナマズ「魚」+「危」ガイ:鮎に似ている。「鮎」「香」魚(「香」カ・・・夏(王朝)・(中)華・鹿(島)香(取・酉?)春(日)・・・
ナマズ「魚」+「念」国字:気をつける(国字を作った側から脅威を感じる)
ナマズ「魚」+「是」国字:ひしこ(小さい・・・馬鹿にしている?)

漢和辞典には古代の謎を解くヒントが沢山在りますが、時間が掛かり過ぎトホホの紀氏でした。

 



キリスト教の闇のシンボル「魚」考える。
2005年2月1日 20:11:27 いばらの紀氏

キリストの象徴として魚を描いた起源は明確ではありませんが、魚は、ギリシャ語でΙΧΘΥΣ(イクスース)と書き、これは「イエス・キリスト、神の子、救い主」という意味の言葉の頭文字を合わせたものだそうです。ミサに用いるパンと杯に並んで、魚が描かれている壁画があるそうです。クリスチャンたちが激しい迫害を逃れて地下墓地(カタコンベ・カッパドキア?)などで礼拝・集会をするときに、その目印として魚を描いたり、自分がクリスチャンであるということの合い言葉にしたそうです。
「魚」:ギリシャ語でイクトゥス「IXOYC」(ΙΧΘΥΣ:ΙイオタXカイΘシータΥウプシロンΣシグマと読む)と言うそうです。並べたこの単語の各々の文字にはアクロスティコでイエス・キリスト、神の子、救い主という意味が含まれているそうです。他に鳩、アルファ、オメガ(アルファとオメガはギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字です。キリストはすべてのものの初めであり終わりであるということを示しているそうす。)、錨、フェニックスなどがシンボルだそうです。そのほかに、聖人固有のシンボルとなっている動物は、鶏(聖ペトロ)、豚(聖アントニオ)など数多くあります。 キリストの組み合わせ文字:ギリシャ語の二つのアルファベットX(chi)とP (ro)が重ねて組み合わされ、ギリシャ語でクリストス、即ちキリストを表す最初の2文字です。この組み合わせ文字が墓石に刻まれていると、そこにはキリスト教徒が埋葬されているということだそうです。



猿楽と伎楽、楽器
2005年1月30日 4:24:17 管理人
かわかつさんご指摘に従い、猿楽と伎楽との関係について調べてみました。猿楽は奈良時代散楽と呼ばれたそうで、西域方面に由来するそうですね。奈良時代散楽戸として保護されていたそうです。秦河勝はご指摘のとおりその散楽の祖としてあげめられていますね。詳細は以下HPで。http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/hatakatu.html
散楽と楽器とについて調べていくと太鼓等の打楽器についてたどり着きます。詳細は以下HPで。http://www.waternet-sound.com/knowledge/ohtsudumi.html
その太鼓の起源は、推古朝推に中国南方の伎楽が伝えられ、腰の細い呉鼓が用いられたことに由来するそうです。この伎楽の祖は例の百済人味摩之ですが、呉との関連が強いですね。
散楽と伎楽との関連、同じ線で結びつくのではと感じますが、その推古朝の記載は個人的には斉明朝の記載とダブりがみえます。その推古朝、斉明朝の西域トカラ人と百済人味摩之との関係も強いと考えています。
昨日はたまたまキリスト教の外国人登録法制定についての集会だったのですが、在日朝鮮人の方がサムルノリという小型の太鼓のような打楽器を演奏していました。散楽・伎楽と朝鮮の打楽器との歴史関連よく調べてみたいですね。
あと、昨日は伊勢湾で地震あったそうですが、直前に地鳴りがよく聞こえたそうです。私も昨日の朝地鳴り?でカラスが突然騒いだのを思い出しました。地鳴りというと超低音域に属するのですが、その超低音域の感知で地震を予知する方法も考えられているそうです。音というと太鼓も音域広いですね。また弦についても埴輪時代の6弦から7弦、伽耶の12弦へ変化したとき、低音側に弦が増えたのか、高音側に増えたのかで、
祭祀者や舞踏への心理的影響力も変化するはずです。ご指摘の「蘇莫者」ならぬ冠婚葬祭への音的メッセージ性も気になりますね。ではまたいつも貴重なご意見ありがとうございます。



ようやくレスできます!
2005年1月29日 2:16:24 かわかつ
webアシスタントで遮断されていた部分があったため掲示板がセキュリティにひっかかっていたみたいです。管理人さんいろいろご面倒かけました。すっきり掲示板で書き込みさせていただきます。
紀氏さん、心配りいたみいります。
話題が伎楽に移っていますね。猿楽の祖は秦川勝ですが、伎楽は味摩だったのですね。
蘇莫者(そまくしゃ)が出てくるのは確か伎楽だったですよね?安岐の厳島神社の舞踏の中にもこの蘇莫者がでてくるのですが、これを蘇我入鹿と見る意見の載った本を読んだことがあります。どこかジャワの舞踊にも似ている気がします。


--------------------------------------------------------------------------------
いやーつながってよかったですね
2005年1月29日 5:19:04 管理人
そうですか、やはりセキュリティーがブロックしていたんですね。私も最近、知り合いのパソコン設定を手伝っていて、そのブロックには何度も泣かされています。セキュリティーが硬すぎるのもいいのか悪いのか・・・、非民間の地震情報にも言えそうです。
紀氏さんの先日の書き込み読むに、やはりなにか南方面に異常でしょうか・・・・(読みすぎ??)。ではでは猿楽についてもまた調べてみます。


伎楽と領巾、無言伴奏仮面劇、呉女
2005年1月28日 7:03:23 管理人
先日から天の日矛伝承などに見える領巾を用いた舞楽を探していましたが、伎楽にたどり着きました。以下のサイトに詳細記載されていました。以下抜粋です。http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/fukusei/19new.htm
「伎楽(ぎがく)は「呉楽」ともいい,古くはこれを「くれのうたまひ」と読んだ。百済の人,味摩(みまし)が,推古天皇20年[612]に日本に伝えたといわれる楽器伴奏のある無言の仮面劇で,仏教音楽として法会(ほうえ)や行道(ぎょうどう)等に用いられた。のちに雅楽に圧倒されて鎌倉時代には衰え,現在は全く演じられていないが,その遺物は正倉院等に御物として残る。また諸寺の文献にもあって,奈良時代を偲ぶことが出来る。いまに残る民族芸能の獅子舞は,伎楽の名残りともいえる。
 劇中唯一の女性は呉女で,面及び背子(からぎぬ)は正倉院御物による。他は次の時代の広隆寺,並に観世音寺資財帳の記事によって考証した。頭には黒紫の頂巾(ちょうきん)をつけ,緋地錦の背子,赤紫の襖と緋紫の襖(あを)をかさね,纐纈の紕裳に白地の下裳をつける。下着には布の汗衫(かざみ),緑の袷袴,足には布の襪,漆塗りの鼻高沓,帯は赤の組紐,紗の領巾(ひれ)[比礼]を肩に,手には垂緒のついた笠を持っている。
腕には金装の釧(くしろ)を飾るがここでは省略した。 」

伎楽はギリシャあるいはインドの仮面劇を発祥とし、3世紀、中国の三国志の時代に生まれた「呉の歌舞」が、7世紀初頭の飛鳥時代に日本に伝わったものとされています。呉からは前述のように雄略紀に呉からの渡来人に琴弾きがみえ、新撰姓氏録にも和薬使主が、欽明朝に伎楽道具をもたらした記載があります。無言の仮面劇、呉女、猿田彦、秦氏・・・、5〜7世紀にかけての渡来人と音源を考える上で伎楽重要です。

 

渡来人の音源と大きさ
2005年1月26日 3:42:59 管理人 WEB
地震サイトの方法では、震源域の地盤の動きとともに発生する電磁波の測定を通して、その場所と規模を特定していました。またその電磁波の周波数の種類から、他の雑電磁波との地震特有のそれとの区別をするそうです。
これを渡来人に当てはめたいのですが、残念ながら過去も現在も人間集団の出す電磁波を特定する技術はないので、代わりに特有の周波数を出す音源の記録をあたってみることで渡来人の位置と規模を確認を考えました。
渡来人集団の出す音源、渡来人特有の言語音であり、渡来系舞楽などの楽器音でしょう。
そこで今回は楽器音について考えてみることにしました。
まず琴という楽器があります。渡来人に関わるものとしては、雄略12年の秦酒公が天皇を悟らせるために弾いた琴、同じく雄略条に百済からの渡来人の琴を弾く人がみえます。神功皇后記の天皇が神の言葉を悟らずに亡くなる時の琴、これは大型で七弦琴ではないとのことです。その辺の記載と琴の種類音質などは以下のサイトをご参照ください。
http://rose.zero.ad.jp/~zad70693/guqin/kiginoqin.html
その後伽耶十二国の時代につくられたとされる12弦琴の記載があり、これは伽耶琴として日本にも伝来し正倉院にあるそうです。http://www.liu-hong-jun.com/silkroad10.htm
この場合、音の周波数は12種。
12弦ということについては、琴と類似した筝という楽器について、日本には6弦でもたらされ、中国のものには秦の時代に12弦、それ以降の時代に13弦、21弦・・と増えていったそうです。http://towar.bufsiz.jp/china/mamechisiki.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B4
西域由来の楽器である胡琴などはこちら
http://www.co-q.com/rekishi_migi2.htm
http://www.jiapengxin.com/huqin.html
多くの民族が多くの周波数の異なる音を発していたわけですが、渡来人の音の周波数と種類、奏法からくる音の大きさの記録を確認し、それに付随する言語音等をあわせながら、渡来人集団の移動を震源ならぬ音源から確認できるのではと考えています。
その辺情報ございましたらよろしくお願いします。

「記」「紀」を考えてみました。
2005年1月24日 17:43:42 いばらの紀氏
 管理人さん今日は、新しい掲示板へ移動が決まりホットしました(地震情報以来 内心不安でした。)こちらこそ今後共よろしくお願いいたします。

かわかつさん お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます、肉親を失う悲しさ よくわかります・・・・

 「己」キ・おのれ・【私】(のぎへんの【ノ】は、木の上に舞い降りた「神」を表します。【ム】は古代中国「夏王朝の禹王」の体型をデホルメした形です。(羽人を思い浮べます。)また「己」キは直角に曲った定規(定められたキ規)ともいわれています。
   禹の体型は足を病み【ム】や【己】(蛇の形?(中国の伝説に下半身へびの神?がいる。・【巳】南南東の方向・禹は南方系らしい?)・弓(せ虫(蛇も虫)を表す?・・・陳謝)
     【おのれ】 国訓:同等以下の人または、相手を「ののしって」いう語。(禹の系を嫌っている?)
(禹の系を嫌っている?)のは、【糸】ヘンの「紀」の人たち?(紀には収めるの意があり、「己」を糸巻きと考えたかも?)
【糸】は蚕の吐く「一すじ」(忽コツ)を5本縒り合わせたもの コツには「日+勿」(よあけ・ほの暗い)と「日の上に勿」(ことば)があり「勿」フツ(なかれ・するな・あらず)は「弗」ふつの音からきており「口」(酒甕に生贄にされた禹の父をもあらわす。)のから羽の片方を逆さにしたような甲骨文字で(「勿来の関」は「来る」+「無かれ」の関?・・・それた・・・「白川の関」との東西のラインが見える。)
【糸】からは「蚕」=秦氏=秦の始皇帝(漢字をまとめた)を思いうかべました。
「記」キ・しるすの【言】の甲骨文字は「口」(酒甕に生贄にされた禹の父をもあらわす。)のから上へ舌らしき・逆さの人らしき甲骨文字の形?
「記」の文字から言葉による「言い伝え」(口伝)を感じました。
以前に述べましたように日本への先住渡来人は「禹」系と考えられ、後に秦の時代の「徐福」それから「始皇帝」系の「秦氏」と考えられます。
「禹」系と「始皇帝」系の「秦氏」が「旧約聖書」系「景教」でつながると考えたのですが「ゼウス」(狼・犬系遊牧民・商人?酉)VS「ポセイドン」(海蛇・龍・海洋民?申)で犬猿の仲(桃太郎は誰?鬼は?雉は姫氏?)
景教の「景」(光・日陰・慕う・仰ぐ・星の名・南方から吹いてくる風?)の文字には「影」 キリスト教の日陰の存在(カバラ?的)
・・・・・異常 いや以上・・・・紀氏でした。


--------------------------------------------------------------------------------
海洋系渡来人、大陸系渡来人?
2005年1月25日 3:24:02 管理人 WEB
紀氏さんこんばんは!ご心配おかけしました。今後ともよろしくです、といいつつはたして近いうち地震が来るのかどうか、渡来人研究会システムも乗り切れるのかどうか不安であります。

さて、「禹」系海洋系渡来人と、後の秦時代の「徐福」それから「始皇帝」遊牧民・商人?系の「秦氏」とのお考えですね。

私もなお両者混同して捉えているところがあります。かつて海氏という海洋民とその後の大陸系騎馬民族?渡来系氏族とを分離して考える論説がありました。

朝鮮南部には南朝海洋系の流れと大陸系の流れがあり、きっとその両者の要素が混じりながら、あるいは混じらずに日本に着たのかとも感じますが、ご指摘の記の字の中の「「己」キ・おのれ・【私】(のぎへんの【ノ】は、木の上に舞い降りた「神」を表します。」が気になりました。朝鮮の神木祭祀を思い出します。先にご紹介したHPにもその辺載っていましたのでご参照ください。
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/5/kika_1.htm#一、「2、天之日矛とアカルタマ姫

でも、ミャオ族に入ったドンソン文化は、一説によると、スキタイ・月氏系の紀元前後の遊牧民族文化が、ビルマタイの海洋文化に混じり成立したそうです。その後朝鮮南部に到来しているらしいので、大陸系と海洋系の両者をあわせ持っていて、大学の時調べていたんですが、この辺は大陸系と海洋系との中間的回答になっています。いつも中間的論説を建てる人がいるものですが、この辺は無理あるでしょうか・・・。

ではまた今日はこの辺で。

 

お久しぶりです
2005年1月24日 11:53:44 かわかつ
正月早々母が逝去したためいろいろと雑事に追われ、ようやく落ち着いたところです。皆様、お変わりございませんか。今日はふた七日のため、和尚さんに読経をしていただくため家を掃除したりしております。
久しぶりに覗いてみたら新しい掲示板ができており、いささか驚き。喪中の人間がお初の掲示板を汚すのもいかがなものかと、遠慮していましたが、せっかくの初物ゆえ、がまんできず書き込んでしまいました。
管理人さん、天のヒボコ読まれているそうで、ついでにツヌガアラシトの方も関連でお読み下さいませ。
拙書「秦氏が祭る神の国・その謎」もそろそろ再校を終え、いよいよ装丁の決定をする段階になりました。今春には予定通り刊行の運びとなりそうです。
   めでたさも中くらいなり 庭の雪  本歌盗り


--------------------------------------------------------------------------------
ツヌガアラシト、伽耶琴
2005年1月24日 17:08:31 管理人 WEB
お母様が亡くなられたとのこと、ご心境辛いなかで貴重な書き込み感謝いたし、またお悔やみ申し上げます。またお母様のご冥福をお祈りいたします。

正月そうそう、私も暗い話ですが、先日紹介しました地震サイトの分析に集中しており、スマトラ沖以来の日本での地震やその関連現象の異常さに身震いし始めております。

地震サイトでは東西南北各地の放送局から自宅までの電波の具合を確認し、その中間地点に震源が出てくるとその震源の磁場で電波が乱れて、受信しにくくなることから、震源の距離と方向、強さが確認できるそうで、さらにその絞った範囲の地震雲情報等でおおよその予測をするそうです。この辺の理論、歴史理論と解決手段を構築しはじめています。

お教えいただいた天の日矛とツヌガアラシトとの関連さっそく関連調べてみています。特に舞楽との関連に興味をもつのですが、以下のサイトに記載ありました。
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/5/kika_1.htm


やはり秦氏はミャオ族などのドンソン文化の流れを汲んできているのかなと感じましたが、伽耶十二弦琴と舞楽の関連が気になります。秦氏と琴というと、雄略天皇十二年十月の条に、秦酒公が琴の声をもって天皇の過ちを悟らせようとして、琴を彈じたという話があり、神功皇后の話と類似していますね。
と、琴と舞楽の伝達方角と距離範囲はこの辺でよろしいかと感じますが、あとはその九州と伽耶と南朝との間にある障壁のありかを分析する必要ありです。
それでは、また今後ともよろしくです。

『房総沖今地震、津波警報ありました・・・』
管理人 2005年1月19日(水) 16:25:26 スレッドの一覧 房総沖今地震、津波警報ありました・・・。その辺以下のサイトに緊急で予測書いてありますのでご参照ください。なんか最近地震について変な予感しているんですよね。紀氏さん津波気をつけてください。
東海アマ地震予知情報
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm
こちらはIモード対応速報型掲示板です。
http://www.yama-note.net/t/i-bbs.cgi

『領巾、地震サイト』
管理人 2005年1月19日(水) 1:27:1 スレッドの一覧 みなさんこんばんは。先ほどから天の日矛がヒメを追いかけてという伝承を読んでいるのですが、かわかつさんお得意の分野ではないかと感じますが、個人的に今三輪山伝承や秦氏の松尾大神の伝承の基盤?に天の日矛の伝承が見え隠れしているように感じますがどうでしょう。また天の日矛と関連して「領巾」を振るという行為と舞楽との関連を調べていますが、なにか情報ありましたらお知らせください。
そうこの掲示板の使用期限が24日まででサービス打ち切りとなってしまい、今後のことを考えはじめています。個人的にもここ1,2月はどうも転機になりそうな予感がしています。
あまり関係ないですが、先ほど新潟で震度4、北海道東部で地震5強の地震が立て続けに起こりましたが、その辺よく正確に予知しているサイト見つけました。
以下のサイトです。今後の震災情報にお役立てください。
ラジオ電波の乱れなどによる予知サイト
http://kobe.cool.ne.jp/promises/index.htm
全世界の震度情報を記録しているサイト
http://www.netlaputa.ne.jp/~gfg/jisinj.html
アマチュア無線の予知専門家の毎日の予知記録日記
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm

この三つのサイトをよく比較分析して、さらに紀氏さんの直感言動(たまに地震とか噴火とか・・・)を分析していくと、なるほど予知が可能だということに気づきました。過去の情報を正確に分析して未来に生かす、歴史学とも共通性多く、いろいろ勉強させられます。


 

『「陌上桑」、「採桑老」、鳩杖、秦氏』
管理人 2005年1月17日(月) 7:21:33 削除・編集 スレッドの一覧・返信 紀氏さん、さっそく解読ありがとうございます。どうも私のほうでも調べていますが、「陌上桑」の日出東南隅,照我秦氏樓。 秦氏有好女,自名為羅敷。羅敷善蠶桑, 採桑城南隅。」については、 (217〜278),晉初文學家傅玄の詩にあり、秦氏は秦の地という意味らしいですhttp://home.kimo.com.tw/f5101231kimo/indexv10.html
それでその詩の内容についてですが、「夫のある身で好色な太守に言い寄られ夫の自慢話をして巧みに断った美女」の話で、李白の詩にも引用されたそうです。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/qazaq/01.02.html
と、秦氏とはあまり関係ないかもしれませんが、どこかしら三輪大神が秦氏の娘のところに矢になってひそかに流れ着く話とかに似ていますね。その大神(三輪)氏についてですが、先の「採桑老」については、唐で作られ、用明天皇(在位586〜587)の頃、大神公持がもたらし、その後多家→秦氏へと伝来されたそうです。
http://www.kyoto-ap.ne.jp/gagaku/bugaku/bu-saisourou.htm
案外秦氏の伝承の中に、西方大陸系の舞楽と関連する伝承が入っている可能性はないかと感じました。
その「採桑老」については、「翁の面を着けた老いた男は腰に薬袋を下げ、鳩杖にすがり」とあり、また「百済国の採桑翁が老いて鳩杖を取るその屈んだ姿を舞にしたもの」とあります。http://www.d2.dion.ne.jp/~kaz/gagaku/tougaku/ban/ban10.htm
老人が鳩の杖をもって舞うということで、福島の横穴墓や中国の陶器・石製の老人舞像と類似性を持ちます。
紀氏さんご指摘の「玉皇上帝」については、奈良以前の文氏の祝詞に同じ意味の神が見えており、桓武天皇の時代には朝鮮にも導入されていた上帝祭祀との関連で指摘されていますが、ご指摘の「竈神」についても
同様ですね。かなりの漢文解読能力を彼等はどこからか持っていたようですが、同時に舞楽や祭祀とのかかわりでも密接に連携しているあたりが特徴的な感じがしますね。
あと、渡来人研究会総合文章版をアップしました。http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/bunsyouban.htm
まだ作成中ですが、ワード文書500ページを超えてしまっている情報量に驚きました。みなさんのご意見に感謝いたします。


『私的仮説・・・妄想?』
いばらの紀氏 2005年1月16日(日) 16:35:25 削除・編集 スレッドの一覧・返信 管理人さん「中国民族呼称簡介」「歸園田居五首」の情報、有難う御座います私的仮説を述べさせていただきます。
「契丹」からキリシタン(カトリック教の一派、その僧が理化学的技術魔法?を布教手段に使った。)を、「契」=契約・「丹」=赤=血。
桃太郎と犬猿雉
西王母:九靈太妙龜山金母。瑤池金母。崑崙山の頂に住み、西華という女仙の国を治める。瑤池や仙薬、仙桃で有名。(西の王=キリスト?の母=マリア?)
 仙桃:桃太郎=西王母(マリア?)の子(キリスト?)
   犬:(西方の)えびすの犬畜生。罵語。異民族を貶めた言い方。=×狗。=西方のえびす=髭(卑下)のユダヤ人?
   猿:龍的傳人”(龍の末裔=漢民族)、“軒轅子孫”。屈原に言わせれば「帝高陽之苗裔」になる。(玉皇上帝:天公(エテコウ?)。天にいて、直接地上を治めている。孫悟空が掛けあった相手は、この玉皇上帝であり、人格神。
   雉:(古文字では矢+道?+交わる+鳥)木・紀・黄・箕・亀・忌・葵・姫・鬼・規氏???木地師??

歸園田居五首 ( 渡り鳥ー測量士・池の魚=「魚」(古代キリスト教のシンボル)
舊林:(渡り鳥が)もと住んでいた林(を恋しく思う)。
※池魚:池の魚。前出の「羈鳥」と同じで、池の魚がもと住んでいた淵を恋しく思う。これも、作者が郷里の田園を懐かしく思う気持ちを表している
 渡り鳥ー測量士・池の魚=「魚」(古代キリスト教のシンボル)郷里の田園を懐かしく思う気持ちを表している
三皇の伏羲 ジョカは、一対の創造神(塞の神・道祖神?)手にコンパスと定規持っている、鳥が関係・・・測量士。
一対の創造神:イザナギ・イザナミ(イザヤ?凪・波)天孫・出雲の合体王朝と考えます。
【怖い話】 舞うと死ぬ雅楽
雅楽=不老不死(徐福)の桑葉(蚕・少彦名・ハタ織部)で秦氏(八幡・稲荷(商人?フリーメイソン?)・竈神?)
ついでに、鹿:(春日・鹿嶋) 塵雜:うるさくごちゃごちゃとしたもの。前出の「塵網」の「塵」と同じく、煩雑で煩わしいものを謂い、「塵雜」は具体物を指し、「塵網」は抽象的なものごとを指している。・・・・・鹿の地位は高いらしいが?なぜか御存知かた教えてください。十二支の「子」はネ・コ・根子(王の子・獅ライオン?て誰のことかな?)
・・・・・こころの平安を求める紀氏でした。

『老人像、胡舞、多氏、秦氏』
管理人 2005年1月16日(日) 4:42:35 削除・編集 スレッドの一覧・返信 Sugataさんおひさしぶりです。今年もよろしくお願いします。肖像石情報ありがとうございます。さっそくHPのほう拝見させていただきました。個人的には左上の赤みがかった人物像がきになりました。他にも同様の人物像がもうひとつあるようですね。本当にインスピレーション的で申し訳ないのですが、石製の老人の舞像を思い出しました。中国や日本の福島の横穴墓から出土するもので、老人が杖をもって舞踊する姿を陶器や石像にして収めてあるものなのですが、スキタイ系の帽子をかぶっていて、胡舞との関連が指摘されていたはずです。その帽子を被った老人像の感じが肖像石によく似ています。詳細は森貞次朗、乙益重隆「渾脱の舞〜清戸迫横穴第七七号墓出土の鋸歯状木器を中心として〜」岡崎敬先生退官記念事業会『東アジアの考古と歴史』同朋舎を参考にしてみてください。

さてその胡舞についてですが、西域の舞楽で、スキタイ人のところやシルクロードを経由して中国に入り宮廷などで舞われた後、日本へも奈良以前に流入した経緯があります。最近掲示板で話題になっているホータンがあった亀茲国からもたさらされたという正倉院の螺鈿紫檀五弦琵琶の存在や、先ほどの6世紀横穴墓からの舞楽楽器の存在などよく知られています。これらの胡舞は中国宮廷に入り、杖のような剣のような楽器とともに烏帽子を被って舞われたようです。
それと関連するかわかりませんが隋の文献に「採桑秦氏」という語が出てきます。この「採桑老」呼ばれる老人が舞うという舞楽は、日本にも知られ、舞うと3年以内に死ぬという伝説もあるそうです。その辺詳細は以下の「夢想庵」さんのHPにコメントあります。http://homepage2.nifty.com/musou-ann/kowai2/kowai2008.htm

その『樂府』という詩集の『陌上桑』に「薤上露,何易晞。露晞明朝更復落,人死一去何時歸。」や『日出東南隅』には「日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名爲羅敷。羅敷善蠶桑,採桑城南隅。…」などがあるとのことです。詳細は以下HPへ。http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r58.htm

この辺、紀氏さんさきほどご指摘の徐福集団と秦氏との関連も指摘されているみたいですね。
正倉院の酔胡王面が秦氏との関連が指摘されているように、四天王寺舞楽系統の秦氏や多氏の舞楽的な伝統があります。そして亀慈歌舞などの西域歌舞と秦氏などの伎楽との接点も追求がされているようですね。さらに福島のその老人像が出ていることについても多氏との関連が指摘されているのですが、その辺富山のほうでの関連どうでしょう。その横穴の壁画と高句麗壁画との関連が指摘されていますし、先日の伊勢や高麗郡の猿田彦と舞楽についてとか、高句麗系との関連もありますが、確かに富山は高句麗文化の残存があるようですね。Sugataさんの研究の進展にご期待しています!


『謎の小石像群』
Sugata 2005年1月15日(土) 17:25:7 削除・編集 スレッドの一覧・返信 管理人さん、こんにちは、Sugataです。
昨年今ごろ投稿しました、はや1年になります。
時折HPを拝見しております。
さて、その後の謎の小石像ですが、より鮮明になりました
昨今、ホータンのミイラーの発掘、これらの物、西からの
文明の流れを感じます。
渡来研究会では、どこの渡来人に見えますかな。

『マクロ視点?』
管理人 2005年1月15日(土) 8:33:32 削除・編集 スレッドの一覧・返信 紀氏さんの過去未来へのマクロ視点にはいつもながら歓心させられます。古代エジプトの数学や物理学今でもかなわないような部分も多くあるようで、古代人の知的能力などが現代人より低かったというのは、近代の偏見でしょうね。どこか石器時代人のイメージを渡来人とかにダブらせているというのが本当のところでしょうけど、案外明治期の西洋合理主義者のイメージのほうが近かったりしてとかいろいろ考えさせられます。でも、われわれのイメージだと中国の漢字のできた時代は、きっと石器時代人にちかい野蛮な王様が、数学もしらず、絵からようやく文字に変化させれる程度の低い知能で戦争ばかりやっていたという感じですが、紀氏さん的には正確な測量を計算づくでやってのけていて、文字のひとつひとつに知的な意味が隠されているということなのでしょうね。同じく銅鐸時代の日本人のイメージもやはり野蛮人の中のあみにずむ呪術祭祀の巫女さんと、程度の低い精銅職人が、暴力と奴隷ピラミッドで戦争ばかりしていたというイメージが、教科書を通して現代人の歴史の基盤となるイメージとして染み付いてしまっているわけですが、紀氏さん的には正確な測量計算をもとに、その精銅の精度のあり方までよく理解しながら、弥生人が王権基盤を確保し、あるものは商売に長け、あるものは外交に長けと、より知的な集団としてのイメージがあるようですね。
まったくのところ、結局どのマクロ視点を基盤として、歴史イメージを組み立てるかどうかで、歴史研究の方向性もまったく正しく立つか、ピサの斜塔的にゆがんでいくかということになるのですが、その辺は将棋に似ています。パソコンと将棋をすると、先数手については正確無比ですが、大局的な予測はおおよそできないので、こちら側は大局的にパソコンの駒使いの方向性をそらしてだましていって勝つわけですが、結局のところ、どんなに正確無比にすきなく論理を組み立てても、そのマクロ土台が傾いていると斜塔になって行き詰まるということになりますね。
そういう意味で、やはり歴史の流れにおけるマクロ的な基礎土台の正確さをどうにか構築することが、実のところ細かい論理を組み立てる前に一番はじめにやるべきことなのだろうと思いますね。またマクロ的な歴史の基礎土台は、対外未来的なところにも大きく変わらない感じで当てはまってくるわけですが、確かにここ数年がひとつの時代の極限値的に、さまざまな数値が異常な高揚をし始めているのは確かでして、同時に人間の所業の成果が極限的に落ち込んで、原始的な状態まで戻る可能性もたぶんに秘めているだろうと感じます。近現代のあらゆる物事に対するバブル的な直線的な未来予測が基礎に染み付いてしまっているのは恐慌の前触れでもあり、気づく人と気づかない人との差が最近出てきているように感じますね。ということで紀氏さんのマクロ視点の解明は、きっと今の時代に重要であり、ご期待しております。ではでは。


『追伸 【亀文鳥跡】』
いばらの紀氏 2005年1月14日(金) 12:55:7 削除・編集 スレッドの一覧・返信
【亀文鳥跡】キブンチョウセキ :「亀の甲の紋様と鳥の足跡 ともに文字の起源」とありますが、「鳥の足跡」とは測量士の地図作成のことでは?亀「鳥」(鶴ツル・ツール=道具・コンパス・定規?)鶴と亀 滑る(順調) 篭目カゴメ=ダビデの星・・・・・ザツネン!

『漢字の起源』
いばらの紀氏 2005年1月14日(金) 12:9:29 削除・編集 スレッドの一覧・返信 管理人さん こんにちは、漢字の起源にも興味を感じ始めていただき内心ホットしております。(渡来人の研究には程遠い内容と気が引ける思いでした。)甲骨文字の「祝」の「兄」の「口」は禹の父(霊)「ル」は測量の「鬼」となり弱った禹の「足」を表わしています。兄=羽人・ルシファー(「兄」の字のモデルが大阪府弥生文化博物館発行・仙界伝説・卑弥呼の求めた世界P22にあります御覧下さい )  漢字は象形(星座も含む)・古代の測量用記号・旧約聖書・・・カバラ・・・などが基になっている考えます。
太古より日本列島には多くの人種が渡来したでしょう、私的には古代中国夏王「禹」の時代に日本にも世界地図作り目的と伝道を目的に出雲の神々の先祖が銅鐸(不動のポイントに埋める 生贄のなごりも)や上等で無い銅剣(仮の杭)それに縄(長さを測る)。
秦の始皇帝時代の徐福の集団    (月氏は秦に敵意を持つと考えますが徐福より先か?後か?両方か?景教徒(石工・フリーメイソン?)) 
秦滅亡後の秦氏・・・・・・・渡来は現代まで続く(グローバルスタンダード化で資本主義・カーストピラミッド王国が誕生しょうとしている。)    
 メソポタミア・インダス・エジプト・黄河(長江)文明の祖  「ムー?」(ムは禹の象形文字でもある)の地球温暖化による大洪水と異常気象 水圧の上昇による地殻変動 プレイトの移動 噴火による日照不足 寒冷化・・・・・・歴史は繰り返す。
雑念が・・・・またまた筆が依然進まぬ あわれな紀氏でした。

『カラ=カッシュ、シルクロード起源?』
管理人 2005年1月14日(金) 3:58:54 削除・編集 スレッドの一覧・返信 紀氏さんみなさんこんばんは。紀氏さんご指摘のホータンのカラ=カッシュ(黒玉河)と「玉河」=「多摩川」の駄洒落おもしろすぎます!!!
さて、また紀氏さんもお感じのように、私も西域方面に由来する漢字の起源気になりました。漢字の起源となると紀元前後からさらにさかのぼって紀元前1〜2000年とかに焦点を当てるのでしょうけど、シルクロードからシュメール?にかけての文明が西?に流れた後、西方から東方に逆流するような流れ???があったのかないのかがひとつ気になります。その辺紀氏さんの研究に期待ですね。重層的に漢字の部分部分に、文明の流れが刻まれているのではとか感じ始めましたが....。あと先日書き込みの引用HP(大東文化大学国際関係学部)は以下のとおりです。どうも携帯から掲示板いじっていたら消えてしまい失礼しました。http://www.daitobunka.com/asia_21/asia_21_08_3.htm



『訂正します。』
いばらの紀氏 2005年1月13日(木) 15:35:55 削除・編集 スレッドの一覧・返信 「赤」字形は古文字では、「光」の上がお大きいの形で・・・・の「光」を「火」に変えてください。
 「光」の上の部分が「火」の形でしたスミマセン。

『シルクロード・ローラン遺跡は鳩の巣?2』
いばらの紀氏 2005年1月13日(木) 13:26:1 削除・編集 スレッドの一覧・返信 閃きました!「茜」アカネ赤根です。
ローラン遺跡は鳩の巣?「西」の甲骨文字は、鳥居が笊の中で体をまるめた形・「鳥の巣の象形」「赤く塗られた1,2メートルの棒状墓標」などから「茜」アカネの字形を思い出しました。
「茜」は草冠です画数は四画で十字架をふたつ並べた形です。(上に横棒をのせると鳥居の形です。)くさの古文字は十字架がピラミッド型や単体などがあります。古文字から私的に読み取ると「鳥の巣」から「二つの目印」に向い「道タオ」が続いている形に思えます。汗簡では「くさ」の下に並んで「至」イタルや「交わる」を表した「U」に一筆の魚が頭を下に入った形、下に「自」を現した古文字で「田」の字型の測量を思い浮かべます。(私的に「田」は地・地図をも現す文字と考えています。)
では何故染料の赤色を取る赤根が「茜」の字形がなのでしょう?夕方の西の空の色から? 「赤」字形は古文字では、光の上がお大きいの形で 「大きく光る」ので 「目立つ」の意と考えられます。「根」字形は古文字では「木」(鳥居?)+「大きな目の人」(測量士)などと考えます。「根」コン・おおもと(物事の根底をなすものの意)ある数を何乗かして得た数に対し、そのもともとの数。(基点・測量での起点)
ちなみに「干」(カン・おかす)の象形を並べ形(鳥居型)下に「木」の文字が(カン・しおり)で見る意に言語から見て手引きする目印の意です。
日本の地名にも「根」の付く地名は多いですヨネ、ああ!「矢板」の「矢」は測量の為放たれた「矢」と考えますし「板」は(盾(タテ・もとめる」の意もあり、縦4横2(し半)の盾板に測量図を彫り込んだと考えています。)の「板」?なら良いな又ああ!「鳩」=いかるが=「根」デハ?・・・「栖」(サイ・すむ)・・・・「草冠+九」(キュウ・遠くの地を意味する)・・・・雑念が多く「漢字のこころ」の筆が依然進まぬ あわれな紀氏でした。

『漢字のモデル「夏の禹」』
いばらの紀氏 2005年1月12日(水) 16:56:55 削除・編集 スレッドの一覧・返信 管理人さん 小晩方デス。  「月氏が禺(ぐう)氏」 「禹(ウ)」と「禺(ぐう)」の字形が似ているのは偶然では無いと思えますよネ、   文字に拘ってみました。
「ホータン国工李聖天を描いた壁画が2点ある。1点は第98官の于?」の「干」(カン・おかす)の象形は、先が二股の矛(私的に測量器具)の形です、盾(タテ・もとめる」の意もあり、縦4横2(し半)の盾板に測量図を彫り込んだと考えています。「干」(ウ・ここ・行く)場所を表わす助辞は、「云」(ウン・いう)の象形が似ていてめぐる・かえる・もし・あるいはの意もある。「吁」ク(九・工・矩・口・・・・)ウ(禹・胡・雨・烏・兎・卯・羽・迂・芋・宇・右・・・・)ああ(嗚呼・嗚)ウが嘆く声音を表わす。(「古墳のこころ」P167 次回昨の予告 漢字のモデルとなった男【夏の禹】叶 ・・・・なかなか筆が進みません・・・ザンネン!!
「 ホータンは、真面山脈から北流するユルン=カッシュYurung-kash (白玉河)とカラ=カッシュKara-kash (黒玉河)」の「玉河」=「多摩川」????無いですよネ。
『大唐西域記』に瞿薩旦那の「瞿薩旦那」字解してみました、「瞿」(読めません、明?明らか?+ふるとり)=測量士?「薩」サツ(梵語のsat 済度・救うの意)「旦」あさ(地平線に太陽が出たさま。)「那」ダ(なんぞ?・西に住む種族の名、本字は「冄ゼン(再生?アダムの肋骨?)+阝(むら)」・・・・・・・明らか?にする測量士?地平線に太陽が出たなんぞ?・西に住む種族の村  (解る気がします。「冄」ゼン(再生?アダムの肋骨・・・・古墳?  「丘」(北+線=三角測量?台)・・・・・・大陸の広大さに迷宮に入りそう、
 知識不足の       迷える紀氏でした。

『RE『シルクロード・ローラン遺跡は鳩の巣?』』
管理人 2005年1月12日(水) 15:15:26 削除・編集 スレッドの一覧・返信 どうも紀氏さんこんばんは。月氏と禹と(う)「鳩」(キュウ)についてですが、例のNHKのDVDの解説書に、月氏が禺(ぐう)氏と記されていることが書いてありました。調べたところでは禺智氏とも書かれたそうです。月は「がつ」よりは「ぐう」に近いようですね。またホータンについては、あるHPでは次のように記されていました。「「ホータンという名称について、古代ホータン語文書にはKhotanaやHvatanaなどと、また『漢書』や『魏書』には手間(Yutian)国・和?とみえる。さらにホータンはサンスクリット語でクスターナKustanaともいい、唐の玄奘も『大唐西域記』に瞿薩旦那と記録している。本来、この語はホータン建国伝説にある「地の乳」を意味した。」


『シルクロード・ローラン遺跡は鳩の巣?』
いばらの紀氏 2005年1月11日(火) 18:4:56 削除・編集 スレッドの一覧・返信
私はローラン遺跡鳥の巣の形(鳩の巣)に思えました。烏孫が「カラス・僧?の孫」が西方からの測量士だとしたら日没には巣に帰る「西」の甲骨文字は、鳥居が笊の中で体をまるめた形・「鳥の巣の象形」という説と「赤く塗られた1,2メートルの棒状墓標」が赤い鳥居形の測量器具では、(以前より鳥居が測量に関係が有るとの考えです。)などと、
135年エルサレム滅亡。大月氏国(大月氏は禹の末裔と考えます。)の迦膩色迦(カニシカ)王、仏教を尊信 (私的に、大乗仏教=釈迦の考え+キリスト教)中国に伝えた。
「鳩」(キュウ、の音の文字は禹に関係が深いと考えていますしノア・キリスト教のハトに通じると思います。古墳のこころP175「九」を御覧ください。)
いよいよ、古代史の一端が明らかに成りそうの予感にワクワクの紀氏でした。

『NHK楼蘭DVD、世界地図、任那と里』
管理人 2005年1月9日(日) 17:16:54 削除・編集 スレッドの一覧・返信 先日からDVDの編集しているんですが、ちょうど本屋でNHKの先日の楼蘭特集のDVDがありました。特に第2週では、漢代の楼蘭について特集されていました。第3集では掲示板で話題に載っているホータンについても特集されるそうです。また、ビデオ中や付属冊子にはシルクロードや世界地図も載っており、もしかしたら紀氏さんの世界地図測量研究にも役立つかもしれません・・・。今DVD見てますが、漢代楼蘭の壁画や建築物、古文書類など勉強になります。またなかなかDVD迫力ありますね、DVD作るほうは大変ですが・・・。
かわかつさん、・・・里についての情報ありがとうございます。三韓時代の里の呼称が、移住民によって日本古代に残る可能性、考えさせられます。前に山梨巨摩神社に行ったときもやはり三韓の・・里について、その地の人名・地名との類似を考えている方にお会いしたことがあったのを思い出しました。栃木の井吹里の呼称とあわせて、もうすこし調査してみます。

『まちがい!』
かわかつ 2005年1月8日(土) 18:49:2 削除・編集 スレッドの一覧・返信 http://www.tsuchiya.com/zenkoku/sinbun/0016.html

『紀氏さん気にしないでください』
かわかつ 2005年1月8日(土) 18:43:57 削除・編集 スレッドの一覧・返信 けっこう正確みたいです。ちょっと気になったので老婆心で書いてみただけですから。
管理人さん、参考になるかわかりませんが「・・・里」についてのコメントがありましたので、報告します。
http://www.tsuchiya.com/zenkoku/shinbun/0016.html

『砂漠の民と地図測量、「月」情報』
管理人 2005年1月5日(水) 8:26:12 削除・編集 スレッドの一覧・返信 やはり、砂漠の商業部族にとって、地図と方角と距離は、より早く物資伝達するためにも、経済戦略として重要であったことでしょうし、また方角を見失うと命を落とすという自己防衛でもあったことでしょう。楼蘭の位置は砂漠の真ん中にあり、他の山脈沿いの都市とは違い、中継貿易で栄えたのでしょうけど、どうやってたどり着いたのかが興味深いです。その辺の物資移動にともなう測量目的が古代日本でも適用できるとおもしろいかもしれません。

もう少し正確な地図サイトお知らせしたいんですが、とりあえず使いやすくはないですが、以下のサイトに世界地図ありました。
http://encarta.msn.com/encnet/features/mapcenter/map.aspx
あと以下の歴史地図サイトが便利です。

http://www.bbweb-arena.com/users/et/trm/trm_002.htm

これを見ると、タリム盆地は月氏よりは烏孫や伊列のほうが主体となって支配していたようですね。月氏について気になるのは、匈奴に追われる以前の月氏の位置が、思った以上に朝鮮日本に近いということです。九州から関東への距離の2、3倍くらいのところに位置してますし、当時匈奴に追われ西方に逃げた大月氏の移動距離と変わらない感じです。また雲南のほうにも当時同じくらいの距離を逃げていったという説もあるので、一時期に移動可能な距離だろうと思います
http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/EurasiaBC3.htm

漢代に匈奴に駆逐されて西方へ移動した大月氏とは別にその場にとどまった小月氏がいますね。月氏については月支ともかかれ、後代支氏というのが月氏の後裔として中国いたようですhttp://www.cniching.com/bjx-163.htm

また後裔には尉遅(イチ)氏もいたようです。
月氏国の場合張騫の記載だと女王のいた国だったそうで、監氏城を治めるとあります。監氏は「かんち、がんち」でしょうか。

また先の朝鮮の馬韓の元となった月支国については、辰王がいて数十国をまとめたいたようで、馬韓時代には養蚕を行い、部族には酋長がおり、大きな部族の酋長を臣智(しんち)と言い、それに次ぐものを邑借(ゆうしゃく)と呼び、集落に城郭は無く、五十余国が存在し、その内の伯済国が百済になったとのことです。魏志韓伝に「諸韓國の臣智に、邑君の印綬を加え賜い」の文もあり、「ゆう」+君の語がみえます。秦氏の弓月君も融通王とともに、「ゆづ」あるいは「ゆ」+君ですね。王号?として「臣智、或(いは)加優(と)呼(ぶ)」と、「拘邪秦支廉」と見えます。以下のサイト三韓の王号や役職、魏志の分析表掲載されているのでご参照ください。
http://www.webone.ne.jp/~s/12000/ana/3/khan/khan_report.htm

「拘邪秦支廉」、「秦韓」、辰王、臣智の「シン」の発音に共通要素があるかどうかも課題ですが、その後の「チ」音の意味も重要でしょう。辰韓(秦韓)にもやはり臣智、邑借の名称がみえます。その新羅の慶州には月城があり半月城とも呼ばれ西暦101(婆娑王22)年に三国史記に記載あります。


以上「月」関連の東アジア関連情報でしたが、参考にしてみてください。


『地図上の旅』
いばらの紀氏 2005年1月5日(水) 0:18:12 削除・編集 スレッドの一覧・返信 インド世界文化遺産「パッタダカル」より北方ー世界文化遺産「タジマハル」−ホータン(和田)から西方へ60度ー史跡:「ガンダーラ遺跡」より東方へ60度ーネパール遺跡:「釈迦誕生地」ー史跡:「カシアー」から南西へ約60度ー世界文化遺産「カジュラボ」・・・・(地球が球体なので平面地図では?デス・・・・・困惑の紀氏でした。

『おいおい・・・』
かわかつ 2005年1月4日(火) 19:40:55 削除・編集 スレッドの一覧・返信 紀氏さん、正確な縮尺地図で計測しなさいよ。

『ユダヤによる世界地図造り』
いばらの紀氏 2005年1月4日(火) 15:29:10 削除・編集 スレッドの一覧・返信 旧年中はお世話になり、有難うございました。
今年もよろしくお願いいたします。
 やっとホータン(和田)に、「古墳のこころ」のミカエルが変えた名「ワダー」の地に辿り着きました。
早速 西遊記の世界(シルクロード)の地図に感激! モニター画面に三角定規をあて、60度の角度を探しました。
60度角 ホータンーカシュガルークンジラス   
     ホータンーカシュガルークチャ
     ホータンーアスク−塔中
     塔中ーアスク−トルファン
     トルファンークチャーチャクリク
     アスクー塔中ーチャオアーマー
     カシュガルーホータンーポルコム
90度角
     ニヤーチャリクリクーコルラ
30度角
     ニヤー精河ーチャクリク
・・・・・・・このへんにしときます。
やはりユダヤによる世界地図造りは存在したのです。
管理人様には御感謝申し上げますと共に「渡来人研究会」の更なる発展を御祈念いたします。

『楼蘭→和田(ホータン)、月氏、(イリ)弓月城』
管理人 2005年1月4日(火) 11:28:50 削除・編集 スレッドの一覧・返信 「大化の改新」見そびれました・・・。やはりそれにしても先日の楼蘭の遺跡の時代(先ほど時代間違って書き込みしてましたので訂正しました)が紀元前3000年代と古いとはいえ、牛の角をモチーフにした副葬品とかは、秦氏の牛関連のそれとの類似性を感じます。どこか紀元前からその地域に脈々と受け継がれた風習みたいなものを、やはり秦氏が持っているように感じますね。タリム盆地についてはかつて月氏が紀元前後に支配しており、その支配下の楼蘭→和田(ホータン)、(イリ)弓月城など、漢代の月氏分散の後の朝鮮の辰王が支配したという月支国とか烏孫とかとの関連もあわせて、その辺いろいろ秦氏と始祖の弓月君の関連が取りざたされているようですね。地図は以下のHPがわかりやすいです。http://www.ne.jp/asahi/overland/japan/xinjianghome.htm古代の国名はhttp://home.t02.itscom.net/izn/inn02.html
をご参照ください。

『それ見ました』
かわかつ 2005年1月4日(火) 1:39:38 削除・編集 スレッドの一覧・返信 やはり白人のようです。確信は深まりました。
ところで「大化の改新」は「聖徳太子」と同じ門脇禎二氏の監修でしたが、いまいちでした。岡田君はがんばってましたが。

『2日のNHK番組のシルクロード・ローラン遺跡特集で』
管理人 2005年1月4日(火) 11:1:41 削除・編集 スレッドの一覧・返信 2日のNHK番組のシルクロード・ローラン遺跡特集で、かなり気になる遺跡が出ていました。砂漠の中の円墳の上に1000基の墓標が立っているのですが、1,2メートルの棒状墓標が赤く塗られておりました。また木造船型の棺に、顔面などにクリーム状の防腐処理のもとミイラになった遺体が出てくるのですが、白人系骨格とのことです。鼻高の仮面をつけているミイラもあり、仮面の白い歯の部分は鳥の骨でできているとのこと。その他小型の弓や矢が副葬されていました。
突然彼らはどこかへ姿を消したらしく、いまだ行方不明の民族だそうです。どうも猿田彦の鼻高仮面とか、かつて秦氏の始祖である弓月君について、シルクロードのローラン方面の弓月国から東洋へわたってきたという説がありましたが、なにか今回の特集その辺の手がかりあるような気がしたのでお知らせいたします・・・。ことしはほんとに西遊記の世界に入りそうですが、みなさんのご意見お待ちしています。あと、みなさんの昨年のご意見年度末報告後半部にまとめてみました。ではでは今後ともよろしくです。


『新羅郡・高麗郡探索日記アップしました。』
管理人 2005年1月2日(日) 22:42:26 削除・編集 スレッドの一覧・返信 秦ヒロさん、サンジさんこんにちは。吉備の温羅信仰と製鉄とのかかわり興味深いです。また猿田彦については、元旦の高麗郡探索時に手がかり見つけました。新羅郡・高麗郡探索日記アップしたので、よかったらご覧になってみてください。ではまた今年もよろしくです。http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/shikikoma050101.htm

『あけましておめでとうございます。』
秦ヒロ 2005年1月2日(日) 0:54:19 削除・編集 スレッドの一覧・返信 皆様あけましておめでとうございます。紀さま、お返事どうもです。西遊記まで行かれましたか…。ん〜私もカッパ=サゴジョウ?とか、天孫=孫悟空=猿=猿田彦?などと考え何でも有りなのか〜と思い頭グチャグチャです。一方マイブームは、ウラです。現在消えてしまった水神様HPに、地域の名前としてウラと御崎を発見しました。ウラとは温羅の事では?と考えています。温羅とは桃太郎の話で吉備津彦に退治された鬼の事です。鬼とされてますが地域住民には慕われていたそうで大陸から様々な技術と文化をもたらした渡来人とも考えられています。ちなみに退治された後、その首は13年も唸り続けたそうで供養のために御崎様とされ奉られたとの事。あと陰陽道いざなぎ流に御崎様が別格の神としてあるそうなので、陰陽道の祖とされる秦氏は関係有りそうです。角の有る人間がいたのかは良く分かりませんが、道教の神の神農とかには角が有ります。
それから桃太郎の家来、猿鳥犬は十二支の続き干支ですがこれは方角か数を表しているのかも知れません。方角だと考えると裏鬼門。ウラ-鬼-門。民話の鬼、改めて考えさせられます。

『あけましておめでとう』
サンジ 2005年1月1日(土) 23:58:25 削除・編集 スレッドの一覧・返信 きょうは、安来にある製鉄神と日本母神の
ところにお参りに行きました。いい年であります
ようにと。


『神話と考古学』
サンジ 2005年1月2日(日) 13:26:49 削除・編集

『2005年謹賀新年。』
管理人 2005年1月1日(土) 17:44:17 削除・編集 スレッドの一覧・返信 大晦日はひょんなことから埼玉のほうの高島平というところで夜勤になったので、今朝はそのままいい機会だと思い、すぐ近くでかつて新羅郡が置かれたという新座市から志木市にかけて歩いてみました。富士山信仰いろいろ見てとれて驚きでした。その後帰ろうかとおもったら、快晴で富士山が驚くほどよく見えたので、その足で高麗郡へ行って富士山見てきました。2005年研究報告で予測どおりの角度で大変よく見えましたが、その辺については、後日探索日記でご紹介いたします。それではみなさん今年もなにとぞよろしくお願いします。

『あけましておめでとうございます』
かわかつ 2005年1月1日(土) 3:3:10 削除・編集 スレッドの一覧・返信 旧年中はいろいろと面白い新発見もあり、楽しく「渡来の道」を探求できました。今年もトリあえずよろしくお願いいたします(〜・〜)