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羽人と連続三角紋 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月17日(火)05時05分3秒   引用
こちら下記指摘した羽人と連続三角紋の描かれた銅鼓です。

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貯貝器3 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月17日(火)05時00分54秒   引用
こちら神殿の前の二つの大型銅鼓の間に、先の須弥山のような石段があるのがわかります。

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貯貝器2 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月17日(火)04時54分55秒   引用
こちらは下記指摘した須彌山に似た石段の周りで踊る人々を描いた貯貝器です。

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TVL紋様 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月17日(火)00時12分40秒   引用  編集済
TOMBOさん、キシさんお疲れ様?です。ううん・・・。
三角縁の仏像紋様の起源には、当時の中国に流れ込んだ仏教の影響があるのは確かですね。

須弥山世界を中心にとした四つの島と星曼荼羅というのも興味深いですね。大日如来はすると鏡と関係するのでしょうか。

TOMBOさんご紹介、王氏の方格規矩四神鏡が卑弥呼の鏡であるというのは、また大胆な説ですね。「海東」の銘文と日本との関係をどう捉えるか、この辺も課題でしょう。

TOMBOさんのTVLの解釈はちょっと難しい感じですが、TVLの紋様がなぜできたのかは、逆にTVLがなかったらその鏡の紋様はどう変化したかを推測してみるとおもしろいですよ。とりあえず、彼らにとって、TVLはどれもなくてはならなかったのでしょう。

たとえば、TとLはともに同じ長さで向かい合っている。Vは内部の四角形の各部に向かいあっている。

なぜ内部の四角に向かい合っているのは、Vでなければならないのか?TやLではだめだったのか。

内部の四角形の中には、12個の円乳がある。なぜ12なのか。12星座なのか?

四角形の各辺の中点から伸びるT紋様には2つの一回り大きな乳がある。なぜ一回り大きいのか。

やはり連続三角紋がTVL鏡にもあること考慮すると、雲南の文化が気になりますね。

方格規矩鏡そのものは、雲南石賽山遺跡からも出土していますね。それは初期のものでしょうか。V字の部分が、別の四角形?で表されているようにもみえ、まだ三角紋が入っていないものです。小さな乳の数は・・・。簡略化したものもあるので、逆に簡略化できる部分とそうでない部分を見極めれば、どういうところに重要性をもった思想かが理解できますね。

雲南の銅鼓や貯貝器には、三角連続紋のほか、動物紋様や、L字??の羽をつけた羽人、18個の小さい円形銅鼓を並べた四角い高床式神殿、その神殿の前方に2つの4メートル四方の大型の円形銅鼓。

旧約聖書のソロモン神殿の神殿内部の12の小型洗盤と、神殿前の2つの大型洗盤(4メートルの銅製の海)に似ていることは先に指摘したとおりですが、インド、中東系の思想と、雲南の思想の背景と、方格規矩四神鏡の関係、何かやはり関係しないでしょうか。

貯貝器の中には、祭祀の様子として、須弥山のような丸い数段の石を重ねたものを、中心において、何か祭祀をしているものもありますね。

また貯貝器には、銅鼓としての太鼓のようなものとは別に、銅鐸のように舌が内部についているものがあるようです。銅鐸の船紋様と、雲南の船紋様が類似することは有名ですね。

確かにインド・中東・中国華南への思想の流れを理解することは、おそらくこれらの鏡分析には欠かせない要素になりそうな予感がしますね。もうすこし追ってみましょう。

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方格規矩四神鏡 投稿者:tombo 投稿日:2007年 4月16日(月)12時27分29秒   引用
http://www-ku.magma.ne.jp/~ark/g010-houkakukikusisin.htm
(ほうかくきくししんきょう)1〜2世紀 後漢前期
Mirror with TLV pattern and four sacred animales design
「邪馬台国卑弥呼が持っていたのは間違いなく方格規矩四神鏡、
しかも尚方(当時の官営工場)の作である。」と、
中国の歴史学の大家王仲殊氏が発表しています。
この鏡、『尚方作鏡真大好・・・・・・・』とはっきりと銘が入っています。
展示番号010

鹿島昇はC・J・ball著「Chinese and Sumerian」を読んでたようだ。
今回はC・J・ball著「Chinese and Sumerian」。1913年刊の英文で、邦訳はないようだ。濱田耕作先生は「東洋学報」(4-2)で同書に触れてらっしゃるが、文末で慎重に考えるべき旨述べ、C・J・ballは牛津(オックスフォード)大学の講師で、中国古代とシュメールの言語・文字等諸項目の比較結果をまとめたのが同書だという。
http://blog.livedoor.jp/osouji60/archives/2007-02.html

方格規矩四神鏡
のLTVをシュメール語とインドBrahmi文字でその意味を解釈すると、
T+M(小乳はM子音)、L+Mでnamumと解釈できる。
Namum-maは老女の地位。・・・・卑弥呼。
Maは凹面鏡。

V+M(大乳はM子音)V+MでGAMGAM
GAMGAMは芳香族。・・・卑弥呼一族・夷系。
Vの文字が4個ありますから、gamgam-kuで魚、gamgam-musenで鳥。
魚系と鳥系の共立王朝の頂点に卑弥呼が座している。
勿論、鈕の周りの12個の小乳は歳差を刻みこんである。

下記画像参照。

http://adam.olug.gr.jp/~nesu/img-box//img20070416113217.jpg

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追伸 投稿者:茨の紀氏 投稿日:2007年 4月14日(土)13時20分31秒   引用
阿弥陀如来とはエジプトのアミー、アーメン、観世音菩薩はギリシャのアポロン、ギリシャでは覚醒したものをシュバラーというそうです。アポロキテーシュバラー(観世音菩薩)、エジプトもギリシャもメソポタミアもインドから見れば西方です。まさに不可

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仏教と天文の関係 投稿者:茨の紀氏 投稿日:2007年 4月14日(土)11時32分57秒   引用
みなさん、今日は 参考HPになれば幸いです。
星曼荼羅(宿曜道)
天の北極が宗派や法脈により妙見菩薩(みょうけんぼさつ)、尊星王(そんじょうおう)、熾盛光仏(しじょうこうぶつ)など、さまざまな名前で呼ばれるのも、天の北極に対する解釈の違いを表しているように思われます。 星曼荼羅の成立も歳差を考慮する必要があるでしょう。 ...
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/setsubunn.htm

仏教と星-星曼荼羅
須弥山を囲む海には四方に四つの島があり、南側の島がわれわれの住む贍部洲(せんぶしゅう)と呼ばれる世界です。 ... 天の北極が宗派や法脈により妙見菩薩(みょうけんぼさつ)、尊星王(そんじょうおう)、熾盛光仏(しじょうこうぶつ)など、 ...
http://homepage3.nifty.com/silver-moon/meguri/Aug.htm

両界曼荼羅
是れ皆大日如來より流出して四方 ... 大円鏡智は、鏡が一切の事象をありのままに分け隔てなく映し出すように、一切をあるがままに受け入れ、 ... 仏教の勉強室. 曼荼羅. 両界曼荼羅 羯磨曼荼羅 倶舎論 須弥山 五智・五仏 ...
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/mandara2.htm

また、日本のかなり多くの遺跡から三世紀頃の「三角縁神獣鏡」が発掘され、耶馬台国の卑弥呼が魏から頂戴した銅鏡と推定されてきたが、 ... 日本の縄文文化の基層になり、日本の古事記にも、「舟の文化」の特徴をもった道教の影響がみられるようになった。 ...
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/kuroshio.htm

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組み合わせ論か 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月14日(土)07時05分56秒   引用  編集済
TOMBOさんこんにちは。
三角縁神獣鏡の乳と環列のほうは、単に製造の際に鏡の種別を増やすために、組み合わせ論で、獣や神像などを配置したという意見があるようですが、TOMBOさんのご意見では、その乳なり、配列にもひとつひとつ意味があったとお考えのようですね。歳差関連で考えていくとすると、天文図との関連になりますでしょうか。
問題は、どうそれを証明するかですね。どうも道教と天文の関係はすぐ話題にあがるものの、仏教と天文の関係は聞いたことがないのですが、仏獣鏡の仏像と天文は何か関係するのでしょうか。

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三角縁の仏 投稿者:tombo 投稿日:2007年 4月13日(金)11時55分55秒   引用
三角縁神獣鏡の復元
http://www.mahoron.fks.ed.jp/kiyou/pdf/2002_1.pdf

会津大塚山鏡は10個の小さな乳が2環列あります。
外の10個の乳環列は十界(地獄・餓鬼・畜生・・・・菩薩・仏)で、内の10個の乳環列は十如是(如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等文)を刻み込んだものだとおもいます。だから仏がいる。十如是は歳差の応用です。
4個の中乳は12星座の省略形で西から伝播した歳差の確認形態です。

会津大塚山鏡は『西の歳差』と『仏教の歳差』が融合した証にみえます。

宇佐市大字高森 赤塚古墳出土の三角縁神獣鏡
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/kokogaku/images/sankakukyo-1l.jpg
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/kokogaku/images/sankakukyo-6l.jpg

小さな6個の乳が2環列あります。やはり西から伝播の歳差を表しています。
仏が居ますから西から伝播の歳差と仏教の融合を意味するでしょう。

仏教は徐福が持ち込んだと思っています。
徐福はインドを3度訪れており、その滞在年数は18年間に及ぶそうです。

紀元前200年に既に列島には仏教が渡来していた。

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鏡の用法、精銅技術・DNA流入 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月11日(水)06時01分41秒   引用  編集済
キシさんPIKKIさんこんにちは。

そうですか、キシさんのおっしゃるように三角縁神獣鏡の大型化は、遠方まで光が届き目立つようにとの結論になりますでしょうか。すると凸面鏡である意味も、遠方へ光を拡散させるためでしょうか。
今までの定説では、銅鐸の事例のように、大型化する原因は、権力の増大に関係して論じられてきました。銅はとみたさんご指摘のように、朝鮮や中国からの流入とすると、それを買い取るだけの富と権力が必要になりますね。この論理の延長線上に、古墳の大型化もありますね。ただ、箸墓は前方後円墳のはじめなのに、最初から大きかった。

はたしてその権力と富の論理は本当に信用できるのか。課題ですね。案外測量目的も面白い線で考慮すべきかなと感じます。

さて、PIKKIさんご指摘の氷河期から縄文日本での他民族の交流の問題、銅生産の可能性ですが、やはりDNAの移動解析が、キーを握ると思います。
下記HPには、PIKKIさんのご興味ある琉球とアイヌ、中国人の遺伝的距離の最新論説が出ています。
http://www.dai3gen.net/mt06.htm

このHPによるとようやく琉球人とアイヌ人との間の遺伝子につながりを示す塩基配列がでてきているとのこと。本州縄文人は3種に分類され、琉球、アイヌ系、両者混合の3種であること。琉球人の遺伝子が中国、本土から独立してみえるのは、母系しか遺伝しないミトコンドリア系の塩基解析では、男性が主にわたってきた琉球には、うまく通用しないこと。そのひとつの塩基配列が変わる1周期として1万2000年が確率として計算され0ており、最低琉球人とアイヌ人の間にはその期間以上の隔離期間があるといわれるものの、あくまでパーセンテージ論で、必ずしも1万2000年とは断定できないこと。
など、興味深い論説が述べられていますので、ぜひご参照ください。

東南アジア、華南からの精銅文化の流入を考えていく上で、やはりこの遺伝子の塩基の流入経路を、伏線において、論じてみたいものでありますね。

またその1万2000年というのは、PIKKIさんご指摘のアトランティスとかムーとかいう文明の滅んだ時代といわれますが、また地球の回転軸がまわる周期の12分の1で、古代文明では12宮と関連して重要な指標なのはあまりに有名ですね。

とすると縄文人と琉球人は、そのアトランティス?文明以前に分岐したのかもしれないわけですね。その1万2000年以前のご指摘の時代に、ある種の文明が発達していたとすると、PIKKIさんご指摘のように、縄文人と琉球人の間にある種の共通の技術なり文化があった証拠がでてくれば、逆に古代の高度文明の可能性も追求できるのではないでしょうか。

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時間が無く日記のコピーで申し訳ありません! 投稿者:気まぐれPIKKI 投稿日:2007年 4月11日(水)02時34分52秒   引用
生き抜くための知恵ー「魔鏡」 (2)砂糖・塩・調味料の代わりにレモン・酢が多かった病院食を見習って、レモンを多用してる。

愛知県産のひいかの煮物にレモンを垂らしたら・・なんともいえない深い味わいだ。

フライパン一つがあれば、燻製でもピザでも簡単に作れる。
納豆・キムチチャーハンと粕汁(味噌汁に酒粕をいれるだけでも美味い!)ときた日には・・
超安価な完全栄養食だ。

日本は、一万数千年前の氷河期・縄文時代以来ー四方の交易路のターミナル的な世界一豊かな列島だったと思う。

大陸北方からは、現在の日本文化の基礎になったヨーロッパ先住民のケルトや新大陸先住民やシベリア先住民とも共通項の多いアイヌ民族に代表される縄文文明・文化直系の古モンゴロイドの文明・文化。
そして、その後日本文化の母体となった高句麗・渤海等の騎馬民族の文明・文化。
それらと、東南アジアとも共通項の多い大陸からの呉・越の文明・文化が出会ったのが日本海の中心だった出雲ーその鉄器文明だったのかもしれない。

それ以前に、華南から東南アジア、そして太平洋へと押し出されたポリネシアの文明・文化はそれ以前の日本列島や太平洋全域や南アメリカとも共通するものに違いない。
それ以前の氷河期の一大文明圏ー「ムー大陸」とも呼ぶべき「スンダ大陸」とも。

世界最古の青銅器は東南アジアとシベリアだったのでは?
その中間の日本列島でも、世界最古の土器ばかりではなくて・・青銅器文明も古いのでは?

「魔鏡」という小説が谷崎潤一郎だかにあったが・・水銀で磨いた銅鏡は、今日の鏡とほとんどかわらない輝きだという。
銅も水銀も豊富だった日本列島だったが・・
銅の鉱脈は、夜になると光輝くのだとか・・
http://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki

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位置を目視し易くする為と思います。 投稿者:茨の紀氏 投稿日:2007年 4月10日(火)19時08分30秒   引用
RE「巨大化の過程は、キシさん的には測量面でなにか原因をお考えですか? 」
スミマセン (T▽T)
単純な回答以外、思い浮びませんでした。
位置を目視し易くする為と思います。
小型の銅鏡などは、平地での土木・建築などに使われたのではと思います。

大型は、山間地や海上などで使う為ではないかと思われます。

(ナイル氾濫季節の人々の生活保障のためのピラミッド建設、公共事業) ... 青銅器生産技術が定着し自家製の鏡生産も開始(実用品としての小銅鐸の生産も) ... 鏡は呉系渡来者が重視し、秦系渡来者は「穀璧」を重視した可能性もあります。 ...
http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/l_bbs/bbsold09.htm

1.鏡でチェックしながら磨く.
http://www1.kamakuranet.ne.jp/kenhai/euuiem.html

鏡を利用して外光を導 ...
http://www007.upp.so-net.ne.jp/kemekun/zakking/poskemet/trip_diary/trip_egypt.htm

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凸面jは3ミリ 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月 8日(日)16時42分1秒   引用
先ほどの三角縁神獣鏡の凸面は3ミリ程度だそうです。下記福島県の文化財センターの紀要のHPに出ています。
http://www.mahoron.fks.ed.jp/kiyou/pdf/2002_1.pdf

このHPでは三角縁神獣鏡の製造実験を検証しているのですが、それによると、凸面は、踏み返しを行うごとに、凸面の率が減少するとのこと。同はん鏡でも確認できるそうです。また背面はおそらく凹面ですね。縁は45度より低く、30度前後ではないでしょうか。
このHPによると、鏡の鋳型が、陶器製の場合と鉄製の場合があり、陶器製の場合は、踏み返しの際にヒビができること、踏み返すごとにヒビが成長するとの意見があるがそうではないこと。踏み返すごとに、型の大きさが変化することもあるそうです。それらの具合で、技術系統などがわかってくるそうです。この辺を見ると、日本製の鏡かそれとも中国製かどうかは、実験成果で確認できそうな感じがしますね。そのほか、研究史から、実験細部データまで極めて貴重なHPなので、ぜひごらんになっておいてください。

凹面鏡多鈕細紋鏡と銅鐸の関係は、別HPで前3〜前1世紀に、鏡と鈴を埋葬する習慣が朝鮮から日本に伝わったとのこと。この弥生時代に銅鐸は巨大化し、その後鏡に移り変わりそれも巨大化する。銅原料は、それぞれ朝鮮・中国から??巨大化の過程は、キシさん的には測量面でなにか原因をお考えですか?

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凸面鏡 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月 8日(日)02時14分53秒   引用
キシさんこんばんは。三角縁はどうも凸面鏡のようですね。
下記HPに詳細出ています。
http://www.k3.dion.ne.jp/~yamas/kodaiy2k/kenma.htm

なるほど、凸面鏡は光を遠方に拡散しやすい性質があるとのことですね。
三角縁の縁の角度はいくらくらいでしょう。45度でしょうか。

確かにご紹介風水八卦鏡というのもおもしろいですね。凸面鏡がある。
http://www.kaiun-navi.jp/navi/goods/item/00256.html

「朝鮮半島の銅鈴は、多鈕細紋鏡(たちゅうさいもんきょう)という特殊な凹面鏡や銅剣(どうけん)とともにお墓に入れられていることが多いのです。」
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E5%87%B9%E9%9D%A2%E9%8F%A1+%E5%8F%A4%E4%BB%A3&ei=UTF-8&fr=top_v2&x=wrt&u=www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai-67.html&w=%E5%87%B9%E9%9D%A2%E9%8F%A1+%E5%8F%A4%E4%BB%A3&d=FckWxPmdOd_z&icp=1&.intl=jp

ここで銅鐸と銅鏡とシャーマンとの関係が朝鮮経由で見られてきますね。
でもここの鏡は凹面鏡。火でもおこしたのでしょうか。弱光を反射するということは、星の光はどう反射したのでしょう・・・。

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RE 投稿者:茨の紀氏 投稿日:2007年 4月 8日(日)01時41分44秒   引用
鑑【風水八卦鏡凹面鏡】
邪気をはね返す八卦鏡を3回に分けてご紹介します。
八卦鏡には、凸面鏡、凹面鏡、平面鏡と3種類あり、それぞれの使い
分けを説明します。
http://www.jaojao.com/index.php?%C9%F7%BF%E5%C2%E7%B5%C8%CA%F3%2F2003%C7%AF%2F10-05
歴史書や教養書の表題に「鏡(鑑)」の語を冠するというのは、日本だけでなく中国や中世のヨーロッパにも見られた習慣だ ... また、球凹面鏡が空中に像を投影することは中世には知られていながら、 ...
虎の子供を捕獲するにあたっての鏡の利用法がある。

「猟師は虎の子供を捕獲すると、そこに鏡を置いていく。母虎は怒り狂ってやって来て、鏡に小さく映っている自分の姿を見て、そこに自分の子供を見たと思いこみ、追跡をやめる、というものだ。」
紀氏的解釈
測量士(猟師)は、とらえるべき地点(虎の子)を補角すると、そこに鏡を置いていてベースポイント(母虎)は光線(怒り狂ってやって来、鏡に反射する(小さく映っている自分の姿を見、そこに自分の子供を見たと思いこみ)、探索(追跡)をやめる、というものだ。」

「天照大神が天の岩戸に隠れたとき、八百万の神々が浮かれ騒いでいるので岩戸のなかからのぞいてみると、すかさず鏡を見せられて、戸からすこしばかり出てきたところを手力男に引っ張り出されてしまう・・・大神でさえ鏡には騙されてしまうんだね(^^)」
紀氏的解釈
「天照大神」=とらえるべき地点
「天の岩戸」=山など(遮る場所)
「八百万の神々が浮かれ騒いでいる」=測量士が必死にポイントの探索をしている。
「すかさず鏡を見せられて」=光線の反射。
「戸からすこしばかり出てきたところを手力男に引っ張り出されてしまう」塞(戸 杜 都・・・近隣)から取利器牡(測量禹氏 手力男)の計算で割り出される。

凸面鏡は光を拡散させ、広域から見ることが出来る。
凹面鏡は、弱光(ジャクコウ?)を反射させ光源に位置を示せる。

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レイラインと光通信 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月 7日(土)19時05分58秒   引用
キシさんこんばんは、物部氏と鏡との関係が深いとすると、同じく物部氏がかかわる古代レイラインも、鏡の光通信で作成されたのでしょうか。確かにあのレイラインの精度の高さは、遠方まで徒歩とは違う方法で、線を延ばす方法でないとできないと感じます。

三角縁神獣鏡は、中国鏡より実はサイズがかなり大きいんです。しかもなぜか三角に縁ができているところにその特徴があります。

ご紹介の
「鏡の語源は「鏡・鑑」である。古代鏡には凸面鏡と凹面鏡の二種類があり、太陽の光を反射する「鏡」と、月の光を集める「鑑」がある。器に水を張り、月の光を集め、それを覗き込むありようから「鑑」の字は生まれた」

というのは、またおもしろいですね。三角縁は凸面鏡と凹面鏡、どちらでしょう。
日矛というのも、またおもしろい。

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RE 光通信 投稿者:茨の紀氏 投稿日:2007年 4月 7日(土)09時18分27秒   引用
縄文以前"からの受け皿、すなわち"鏡岩信仰の 時代"が歴史の大前提として存在していたことを示す。 ... 『縄文夢通信』(徳間書店)などの著書で古代光通信の仮 説を発展させている。 この足摺岬を古代航路の拠点とする説と、古代光通信説とが、 ...
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/asizuri.htm

焼山寺山がうけ、それを四方に信号で」おくるという一種の光通信が行われていたという主張がある(焼山寺山は標高九三〇メートル、阿波の他の山々からの見晴らしがよい地点にある) ... 宇野氏は「古代ユダヤは日本に封印された」(『歴史Eye』 ...
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/yamataikoku/shikokusetuco.htm

この物部氏の系譜は、完全に正確とは言えないが、歴史 ... 古代鏡の銅・鉄・錫の成分比率と、いまに残る古代中国の製造技術文献から、現在までに発見をみた鏡をよく磨き上げて検証するなら、鏡が発火用にも、戦争や陸・海交通における光通信 ...
私の知るところでは鏡は日神信仰の祭祀道具であると同時に月神信仰のそれでもあった。伊奘諾尊の左右の鏡から月神は日神と共に生まれたとは『日本書紀』の一書の記すところであり、円鏡は日光と月光を共に映し集め、その形は太陽の形を模倣するだけでなく、月をも真似たとするのは製作者間の常識である。
 鏡の語源は「鏡・鑑」である。古代鏡には凸面鏡と凹面鏡の二種類があり、太陽の光を反射する「鏡」と、月の光を集める「鑑」がある。器に水を張り、月の光を集め、それを覗き込むありようから「鑑」の字は生まれた。
 古代鏡の銅・鉄・錫の成分比率と、いまに残る古代中国の製造技術文献から、現在までに発見をみた鏡をよく磨き上げて検証するなら、鏡が発火用にも、戦争や陸・海交通における光通信の古代のハイテク用具として日鉾とも日槍とも記録され、また生産用具にも用いられていたことが明白になろうと指摘したのは下里正樹であるが、私は当を得た合理的見解であると思う。勝れて実用的利器が珍重され「宝」になることは、現在も古代も変わりはない。
 古代鏡といえば日神信仰の祭祀道具と、一元史観さながらのひとつ覚えを振り回すだけの吉森の心の鏡には思い込みからきた日神は映せても、月神はついに映らないのである。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou34/kaihou34.html

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鏡と光通信 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月 7日(土)07時10分1秒   引用
キシさんご紹介の鏡の光通信の話はおもしろいですね。だれか山に登って実験してくれませんかね??三角縁神獣鏡は中国では出土せず、日本独自にむけて特鋳したものです。日本だけの用法があったのかどうか・・はてさて。

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阿波邪馬壱国説 投稿者:茨の紀氏 投稿日:2007年 4月 5日(木)21時00分5秒   引用
邪馬壱国の統治システムとして、「卑弥呼が、瀬戸内海一帯にはりめぐらした山上の物見や通信台からの情報で、明日の天気を予見を予見すると、それは太陽光の銅鏡反射を利用し、ピカピカピカッという信号で中継通信基地、焼山寺山がうけ、それを四方に信号で」おくるという一種の光通信が行われていたという主張がある(焼山寺山は標高九三〇メートル、阿波の他の山々からの見晴らしがよい地点にある)。魏からもたらされた銅鏡百枚はこの反射信号に使われただけでなく、舟と陸上との連絡、舟と舟との連絡にも用いられた実用品だった。また、銅鏡ばかりでなく、自然の鏡石を利用した古代の灯台もあったという。
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/black.htm

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鏡作り職人の渡来 投稿者:管理人 投稿日:2007年 4月 1日(日)20時51分29秒   引用  編集済
キシさん、さっそく初期古墳の北枕思想がどこからもたらされたかについてお教えありがとうございます。中国の北斗七星と南都六星の関連の思想は興味深いですね。このご紹介のHP記載の下記の文章は、古墳との関係で重要ですね。古墳被葬者の頭部の骨は、どちらにむいているのでしょう。http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/ys/03.html

「古代中国では死は北斗七星、生は南斗六星が司るとし、死者を北枕にして葬った。この風習が日本に伝わった可能性が高い。古代中国や朝鮮半島、日本の貴人の墳墓の頭部に北斗七星が描かれているのもそのためで、ここから北枕と死が結びついたともいわれている。

 「北首西顔」や「頭北面西」という言葉がある。これは遺体の枕を北に、顔を西に向けることである。これは西方浄土の仏教思想に影響されていると考えられる。西は、浄土宗では死者が成仏して赴く西方浄土の方角である。また、釈迦が沙羅双樹の元で入滅した姿を描いた『涅槃図』を見ると、右脇を下にして臥し、頭を北方に枕し、顔は西方に向いている。臨終の行儀作法はこれらに基づくものと考えられ、北枕は死に通じるとして嫌うようなったものと見られる。」

三角縁神獣鏡には、道教の神仙の文様とは別に、仏獣鏡というのがあり、これは仏像を描いております。すでにおそらく三角縁の工房の一部に、仏教についての理解、および要望がどこからかあった可能性があります。ただ、卑弥呼が仏教を知っていたというのはどうなのでしょう。どこの誰が仏教を要望したのでしょう。


さて、先に書き込みした三角縁神獣鏡の製作氏族の移動と日本流入の件ですがこちらを研究のご参照にしてみてください。

主流製作者の陳氏の工房については、先に魏の時代に複数の鏡作り氏族がいた可能性ついて述べました。三角縁には、華南・呉系の画像鏡の流れと、華北系の神獣鏡の技巧流派が、両者融合していることが明らかにされています。ここから両者がどこかの工房でひとつのシステムで製作された可能性を先に指摘しました。

樋口隆康氏の『三角縁神獣鏡綜鑑』によると、三角縁鏡製作氏族の流派には、吾氏、王氏、新氏、張氏、(尚方)がいた。特に吾氏は、広漢西蜀の尚方という官営工房にいた。後漢末の戦乱で洛陽の(右?)尚方は破壊され、魏の時代に再建されている。
三角縁の主流製作氏族・陳氏の工房は、銘文等により、華北、徐州ではとのこと。
後漢代末期の鏡に吾氏が「広漢西蜀」銘文とともに見えます。

魏統一後、呉・華南の精銅技術および氏族集団は、画像鏡関連の技術とともに、一部は洛陽などの工房へ移動した可能性はないでしょうか。魏の鏡製作工房で、陳氏の元に吾氏の一部の技術者が入った可能性も考えるべきでしょう。同様王氏、新氏、(秦氏は漢鏡にみえる)、張氏・・も。「銅出徐州」「師出洛陽」の銘文は、吾・王・張氏の銘鏡に見え、呉県・武昌のそれとは明らかに違うとのこと。

この西蜀の吾氏は、白鳥芳郎氏の『華南文化史研究』によると、雲南の氏族名として出てくるようです。「元謀吾氏」。
雲南の氏族については、白鳥氏は、

ロロ族(後のビルマ系)系は「李・左・・・阿・羅・金・秦」
百夷(後のタイ系)は「阿・刀・大・漢・那」
○人系は「王・楊・張・伊・段・高」

このように、みると雲南で銅鼓や貯貝器を残した青銅技術氏族の中に、吾氏がおり、渡来系で有名な秦・漢氏の名前もでてくることは、学生時代に考古ゼミも含めて何度か報告し、掲示板でも数度お知らせしているとおりです。

漢氏の続紀の伝承に、三国時代末の中国の戦乱を逃れ、帯方郡に移り、その後朝鮮三国にて優遇され、日本の聖君子をしたって渡来したことが記されています。漢・秦氏はそれぞれ日本に製鉄・精銅技術をもたらした氏族であり、漢氏の配下には七姓漢人がおり、先の○人の段姓、高姓がいる点も注目すべきでしょう。

このように、三国・魏代にて移動したであろう三角縁神獣鏡にかかわる製造氏族の流れに、5世紀代の渡来系氏族とのつながりが出てくる可能性があるといえます。
その件は、DNA解析で、すでに中国南部から朝鮮経由およびダイレクトに、4,5世紀に日本に渡来した集団の流れが確認されており、そのことは弥生時代後期のことなのか古墳時代のことなのか、さらにDNA解析や民族移動の流れも調査しなければならないでしょう。楽浪・DNAというととみたさんのお得意の分野ですね。

今年の研究会報は、世界史からみた渡来人の流れをテーマに刊行するとの計画は、先にお知らせしたとおりですので、この銅作り職人の流れも中心話題として論文を募集してみましょうね。

また今回紹介した『三角縁神獣鏡綜鑑』はぜひ下記アマゾンで購入できるので、渡来人をやる方は必ず購入しておいてください。
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鏡作り職人の渡来 投稿者:管理人 投稿日: 4月 1日(日)20時51分29秒   引用  編集済
キシさん、さっそく初期古墳の北枕思想がどこからもたらされたかについてお教えありがとうございます。中国の北斗七星と南都六星の関連の思想は興味深いですね。このご紹介のHP記載の下記の文章は、古墳との関係で重要ですね。古墳被葬者の頭部の骨は、どちらにむいているのでしょう。http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/ys/03.html

「古代中国では死は北斗七星、生は南斗六星が司るとし、死者を北枕にして葬った。この風習が日本に伝わった可能性が高い。古代中国や朝鮮半島、日本の貴人の墳墓の頭部に北斗七星が描かれているのもそのためで、ここから北枕と死が結びついたともいわれている。

 「北首西顔」や「頭北面西」という言葉がある。これは遺体の枕を北に、顔を西に向けることである。これは西方浄土の仏教思想に影響されていると考えられる。西は、浄土宗では死者が成仏して赴く西方浄土の方角である。また、釈迦が沙羅双樹の元で入滅した姿を描いた『涅槃図』を見ると、右脇を下にして臥し、頭を北方に枕し、顔は西方に向いている。臨終の行儀作法はこれらに基づくものと考えられ、北枕は死に通じるとして嫌うようなったものと見られる。」

三角縁神獣鏡には、道教の神仙の文様とは別に、仏獣鏡というのがあり、これは仏像を描いております。すでにおそらく三角縁の工房の一部に、仏教についての理解、および要望がどこからかあった可能性があります。ただ、卑弥呼が仏教を知っていたというのはどうなのでしょう。どこの誰が仏教を要望したのでしょう。


さて、先に書き込みした三角縁神獣鏡の製作氏族の移動と日本流入の件ですがこちらを研究のご参照にしてみてください。

主流製作者の陳氏の工房については、先に魏の時代に複数の鏡作り氏族がいた可能性ついて述べました。三角縁には、華南・呉系の画像鏡の流れと、華北系の神獣鏡の技巧流派が、両者融合していることが明らかにされています。ここから両者がどこかの工房でひとつのシステムで製作された可能性を先に指摘しました。

樋口隆康氏の『三角縁神獣鏡綜鑑』によると、三角縁鏡製作氏族の流派には、吾氏、王氏、新氏、張氏、(尚方)がいた。特に吾氏は、広漢西蜀の尚方という官営工房にいた。後漢末の戦乱で洛陽の(右?)尚方は破壊され、魏の時代に再建されている。
三角縁の主流製作氏族・陳氏の工房は、銘文等により、華北、徐州ではとのこと。
後漢代末期の鏡に吾氏が「広漢西蜀」銘文とともに見えます。

魏統一後、呉・華南の精銅技術および氏族集団は、画像鏡関連の技術とともに、一部は洛陽などの工房へ移動した可能性はないでしょうか。魏の鏡製作工房で、陳氏の元に吾氏の一部の技術者が入った可能性も考えるべきでしょう。同様王氏、新氏、(秦氏は漢鏡にみえる)、張氏・・も。「銅出徐州」「師出洛陽」の銘文は、吾・王・張氏の銘鏡に見え、呉県・武昌のそれとは明らかに違うとのこと。

この西蜀の吾氏は、白鳥芳郎氏の『華南文化史研究』によると、雲南の氏族名として出てくるようです。「元謀吾氏」。
雲南の氏族については、白鳥氏は、

ロロ族(後のビルマ系)系は「李・左・・・阿・羅・金・秦」
百夷(後のタイ系)は「阿・刀・大・漢・那」
○人系は「王・楊・張・伊・段・高」

このように、みると雲南で銅鼓や貯貝器を残した青銅技術氏族の中に、吾氏がおり、渡来系で有名な秦・漢氏の名前もでてくることは、学生時代に考古ゼミも含めて何度か報告し、掲示板でも数度お知らせしているとおりです。

漢氏の続紀の伝承に、三国時代末の中国の戦乱を逃れ、帯方郡に移り、その後朝鮮三国にて優遇され、日本の聖君子をしたって渡来したことが記されています。漢・秦氏はそれぞれ日本に製鉄・精銅技術をもたらした氏族であり、漢氏の配下には七姓漢人がおり、先の○人の段姓、高姓がいる点も注目すべきでしょう。

このように、三国・魏代にて移動したであろう三角縁神獣鏡にかかわる製造氏族の流れに、5世紀代の渡来系氏族とのつながりが出てくる可能性があるといえます。
その件は、DNA解析で、すでに中国南部から朝鮮経由およびダイレクトに、4,5世紀に日本に渡来した集団の流れが確認されており、そのことは弥生時代後期のことなのか古墳時代のことなのか、さらにDNA解析や民族移動の流れも調査しなければならないでしょう。楽浪・DNAというととみたさんのお得意の分野ですね。

今年の研究会報は、世界史からみた渡来人の流れをテーマに刊行するとの計画は、先にお知らせしたとおりですので、この銅作り職人の流れも中心話題として論文を募集してみましょうね。

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RE 投稿者:荊の紀氏 投稿日: 4月 1日(日)18時02分14秒   引用
北は祖先の方位 黒(アフリカ起源人類)

北枕に寝かせるのは、仏教とは関係がなく、 道教から来た迷信らしいですよ。 ... 陰陽道は道教と思想的な関連があるものですから、仏教と対立 ...
http://www.melma.com/backnumber_12972_494989/

婚礼祝いに刃物は「婚姻関係が切れる」に繋がるので避けるとか、北枕を避けるとか、探せば日本にも結構あるものです。 ...
http://www.sake-asaka.co.jp/chi-joho/91-100/ch-joh94.htm

北枕で寝ることは縁起が悪いとされるようになった。 ... この風習も、中国の道教思想の伝来と思われる。 紫は色のなかで最も高貴な色とされる。 なぜなら、 ...
http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/ys/03.html

北枕 ... 人間の寿命を司る老師(神)が住むと道教では. 伝えられている。 寿命を伸ばすには老師にお願. いしなければいけない。
http://piza2.2ch.net/occult/kako/1000/10008/1000896979.html

)遺体を「殯宮(もがりや)」に移して北枕に寝かせる
http://kakur.eek.jp/f-02.html

三角縁神獣鏡と人の流れ 投稿者:管理人 投稿日: 4月 1日(日)03時26分39秒   引用  編集済
日本への銅と鉛の流れについて考えていくにあたり、『椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡』京大文学部・1989を読んでいました。

15年前の主流の学説流れとしては、三角縁神獣鏡の製作は魏の時代で、華南・呉方面の鏡職人の画像鏡の系譜と、華北・魏方面の神獣鏡の職人の技巧の流れが、流派を超えた政治?システムの中で、融合してひとつの鏡を日本向けの特鋳の鏡として新たに三角縁神獣鏡を作り出した。

三国統一後の魏から卑弥呼に銅鏡100枚と2つの刀とともに賜った。

京都の椿井大塚山からは50枚以上の中国製三角縁鏡、中国製の大刀、中国製の鎧が出ており、この古墳から、日本各地へ同形の鏡が配られている。

この古墳は3世紀代で、それ以前の最古?の前方後円墳である箸墓古墳と比率が一致する同系の古墳であり、ここによって倭の卑弥呼の拠点と、鏡100枚が最初にあった。

主に三角縁の職人系統は3派あり、そのうち陳氏の作風が、後年日本で模造されるようになった三角縁と技巧の系統が一致する。

という趣旨の本であったと思います。なお、鉛と銅の原料成分については後日に回します。

概ね読んだ感じ論証としても信用できるものと感じます。

特に、華南・呉の画像鏡系統の技巧と、華北・魏の神獣鏡系統の技巧とが、ひとつに融合した三角縁ができるには、確かに同じ工房に、両系統の職人が集まらないと、作業が進まないでしょう。魏の統一によって各地の銅職人が、一箇所に集められたのかもしれませんね。その場所は、洛陽、銘文にある遼東・徐州・・。

そこで、今年の渡来人研究会での論議の流れとしましては、トンボさんとのやりとりで、魏
志の経路記載が、壱岐島で南と東が入れ違った経緯、よって倭は近畿方面であること。また、キシさんご指摘の魏から配られた鏡を、倭では測量の道具として古墳築造とともに、セットで必要とされたこと。がありました。

北枕に石棺をおく様式は、この箸墓の時代からだそうで、近畿に普及したとのこと。北枕の思想はキシさんどこが元でしょうか。

キシさんの昨日の情報掲示板への書き込みは重要です。
下記引用


前方後円墳 思想のルーツ
2007年3月31日 17:15:49 茨の紀氏

古代中国では「天道は円といい、地道は方という」と考え
古代中国では「天道は円といい、地道は方という」と考えられており、そのため天に祈りをささげる天壇では建物などすべての基調が「円(形)」になっています。今回はいかれなかったのですが地壇公園というところもあり、こちらは地の神・皇地神を祀ったところで「方(形)」を基調に設計されているそうです。

前方後円墳は、すると中国思想となりますでしょうか。


さて、その時期の銅職人の渡来の流れですが、その本によると鉄原料は朝鮮南部に依存。
銅・鉛原料は先日とみたさんご紹介の楽浪、もしくは長江中流域の銅鼓山。??

中国・朝鮮からの運搬は馬よりは、主に船でしょう。

その本によると日本式とされる三角縁は、中国製のそれとは違い、技巧の流派はひとつだけで退化の過程がみえるとのこと。

鏡を模倣するのには、必ずまず職人が渡来する必要があるというのが主流。

とすると、陳氏の系統の職人の一派が、魏志の陳寿の記載に従い?、日本へ魏の時代後半に渡り京都方面に入った?

ちょうど後代5世紀に渡来人系技術者が渡来し、奈良で官営工房に従属させられたのと相似の現象になるでしょうか。

戻って3世紀代は、キシさん説でいくと、鏡とともに、前方後円墳も測量目的で造成。ただし、前方後円墳の年代は、魏志の年代より早いか遅いかが課題。

そして、日本に渡った?陳氏の系統の職人の下には、どういう氏族がいたのかが知りたいところです。すでに陳氏の鏡には、華南・呉系の技巧と、華北系の技巧が融合されている。その本によるといくらか獣文様のパターンが製品として組み合わせ論で製造され続けている。

そのことを考慮すると陳氏の下に複数の華南・華北の銅職人がいたことになるでしょう。すべて陳氏ではなかった??。

したがって、次にその氏族名の追及と、銅・鉛成分のほうをさらに詰めていきましょう。

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鉛同位体比・・ 投稿者:管理人 投稿日: 3月29日(木)22時31分50秒   引用  編集済
理系に強いとみたさんならではの科学的な視点ありがとうございます。

実は私も、出雲の銅剣の鉛成分が華南・山東産との説の大本をみなさんにお聞きしているところなんです。

ご指摘長江中流の銅鼓山から、鉛・銅成分で同じものが、中国雲南・山東に分散したと考えれば合点がいきますね。

新井さんの説ご紹介ありがとうございます。出雲の銅剣の鉛成分が、中国華南、山東か楽浪か、気になるところですね。楽浪説とすると、公孫氏、魏とのかかわりがでてきますね。この辺についてとみたさんはその後研究進みましたか?

新井さんの説について
http://yamatai.cside.com/katudou/arai.htm

三角縁神獣鏡の鉛同位体の研究は、とみたさんにお知らせした論文にもいくらか入っていますね。実は大学の時その専門の先生に習っていた時期があるのですが、はてさて国産説・・、その辺いい情報がないか再度調べてみます。


鉛成分とは別に錫、銅成分もありますから、3つの要素の科学分析で、正確に銅器の移動、リサイクル形態が、三段論法的に証明できるのではと期待しますね。燕の将軍の動きなどは、確かに文献面から論証を支える要素でしょうね。あとはとみたさんお得意の遺伝子、民族面とかはどうでしょう。

ひとつの手がかりの提案として、銅鏡には、作者の名前が刻まれています。王氏、秦氏・・・。この辺も流れがつかめてくるとおもしろいのですが、まだそこまで踏み込んで研究成果をだしている学者がいるのでしょうか。

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Re: 雲南→山東→出雲 投稿者:とみた 投稿日: 3月28日(水)23時45分17秒   引用
> 下記HPの記載をよく読んでみると、出雲の銅剣の鉛成分について、雲南→山東→出雲の流れがあるようですね。下記抜粋します。
> 「考古学的な見地から、これまでに解明されている銅剣に関するデータをまとめておこう。荒神谷遺跡から発見された銅剣は「中細形銅剣c類」または「出雲型銅剣」と呼ばれ、発見された358本の中で朝鮮半島産の鉛を使っているものが1本、残りすべてが中国産の鉛を使って作られていることが判明している。さらに,その後の測定調査により朝鮮半島産の鉛を使ったとされる1本が、中国の三星堆遺跡で出土した青銅器に含まれる鉛と同じ特徴を示すことが明らかになった。つまり,この銅剣の鉛産地は雲南省の可能性が高いという。


先日、新井宏さんの鉛の同位元素の比率を使った、銅鏡の実年代測定の方法を勉強してきました。

原子核と冶金学の専門家です。
青銅は動画5% 錫が10−25% 鉛が5%程度入っているそうです。

鉛の元素には4種類あり放射能を持つ同位体もあるそうです。この比率が産地によって違うようです。

新井さんの話では、中国産の鉛は使われていないで、朝鮮の楽浪郡のものと日本の対馬のものが使われているようです。

中国三星堆の鉛が使われたというのはどなたの説でしょうか。

中国古代に、黄河流域の殷の青銅器と長江奥地の蜀の三星堆の青銅器はいずれも長江中流の銅緑山、銅鼓山のものであるというのは有名です。

>
> また,中国産の鉛を使った銅剣の産地は山東省か遼寧省である可能性が高いという。古代中国では金属材料が貴重なため、青銅器を戦利品として奪い、壊れた青銅器や鋳造クズのリサイクルを行ったものと考えられる。

これは面白い話です。

新井さんも、弥生時代の日本の銅鏡の原料は中国の殷のものと同じだと仰せでした。

宮城谷昌光さんの楽毅という燕の将軍が紀元前284年に斉を負かしその戦利品として(殷の時代?の)青銅器を奪いました。これをリサイクルしたものが日本にもたらされた銅ではないか。と仰っていました。それしか組成分析で考えられないそうです。

管理人さんの指摘と一致します。

>荒神谷遺跡の銅剣は中国などから持ち込まれた鉛を再利用しているわけであり,渡来人の指導のもとに出雲で鋳造されたものと見てよいだろう。」

荒神谷の銅矛は、北九州のものと一致するようです。綾杉紋というのが共通しているそうです。


>
> この358本については、過去のあるHP引用に、360日と剣の位置・角度と関係して、暦ではとの見方がありましたね。
> 山東から出雲までの中継地点がどうなっていたのでしょう。銅と鉛の流れ、三角縁神獣鏡あたりも関係するのでは??

三角縁神獣鏡は新井さんの分析によると、いずれも国産だそうです。森浩一さん、菅谷文則さんなどは以前から国産説を唱えておられました。

是非、引用するときは誰の説であるか、教えてください。

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雲南→山東→出雲 投稿者:管理人 投稿日: 3月28日(水)20時45分43秒   引用  編集済
下記HPの記載をよく読んでみると、出雲の銅剣の鉛成分について、雲南→山東→出雲の流れがあるようですね。下記抜粋します。
http://www.spinavi.net/modules/xfsection/article.php?articleid=378
「考古学的な見地から、これまでに解明されている銅剣に関するデータをまとめておこう。荒神谷遺跡から発見された銅剣は「中細形銅剣c類」または「出雲型銅剣」と呼ばれ、発見された358本の中で朝鮮半島産の鉛を使っているものが1本、残りすべてが中国産の鉛を使って作られていることが判明している。さらに,その後の測定調査により朝鮮半島産の鉛を使ったとされる1本が、中国の三星堆遺跡で出土した青銅器に含まれる鉛と同じ特徴を示すことが明らかになった。つまり,この銅剣の鉛産地は雲南省の可能性が高いという。

また,中国産の鉛を使った銅剣の産地は山東省か遼寧省である可能性が高いという。古代中国では金属材料が貴重なため、青銅器を戦利品として奪い、壊れた青銅器や鋳造クズのリサイクルを行ったものと考えられる。いずれにしても,荒神谷遺跡の銅剣は中国などから持ち込まれた鉛を再利用しているわけであり,渡来人の指導のもとに出雲で鋳造されたものと見てよいだろう。」」

この358本については、過去のあるHP引用に、360日と剣の位置・角度と関係して、暦ではとの見方がありましたね。
山東から出雲までの中継地点がどうなっていたのでしょう。銅と鉛の流れ、三角縁神獣鏡あたりも関係するのでは??

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雲南→出雲:銅・人の交流? 投稿者:管理人 投稿日: 3月27日(火)17時29分13秒   引用  編集済
とみたさん、おひさしぶりです。キシさん、伝和鋼館、PIKKIさん、縄文さん,
あだちさんこんにちは。
出雲の伝和鋼館さんの刀の話から、つながって銅剣の話はオオ氏の渡来を考える上で、重要な手がかりを残しそうですね。またとみたさんから情報ありましたようにオオ氏のお動きを正確につかみたいですね。

下記HPに、出雲の銅件358本のうち1本をのぞいては、その鉛成分が、中国、しかも雲南方面との分析結果が出ているとのことです。
http://www.spinavi.net/modules/xfsection/article.php?articleid=378

もすこしこの辺正確な情報がほしいところですが、ここから考えると、雲南と出雲に、弥生時代にすでに鉛を通しての貿易・交流あるいは移動があったことになりますでしょうか。銅成分は日本でしょうか・・・。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月27日(火)10時25分54秒   引用
>・・紀氏さん非縄文さん同じ人でしょう。

・・非縄文種渡来者さんって、2人いませんか?・・紀氏さんと別の発想でやってるようだけど

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苦言 投稿者:とみた 投稿日: 3月27日(火)08時56分44秒   引用
紀氏さんに苦言

紀氏さんとはお会いしているので、人柄は承知していますが投稿に関しては困っていますよ。

質問に対して、関係のないことを独りよがりで次から次へ連発する。
古代史ネタで楽しんでいるのは私と同じですがね。

ニックネームも変化させてもわかりますよ。ペンネームは統一して下さい。神xxさんの掲示板でも破門されたでしょう。

久しぶりにここに寄せていただいたのも、出雲の方と交流したかったからです。
出雲と吉備と探索中ですから本当に地元に詳しい方と接触したいからです。

そこへいくとかわかつさんは、礼儀を守り、きちっと会話が成り立ちます。
カワカツサンの掲示板でワイワイガヤガヤをはじめました。

古語辞典を見て漢字で妄想を正当化する方法は、滅多にヒットしないと思いますよ。
それを連発して掲示板を荒らすのは迷惑至極です。

紀氏さん非縄文さん同じ人でしょう。倭亜府さん、不倭産・・・きっちり一つの名前でやってください。

本当に考え直して掲示板にお越しください。さもないと無視するか辟易します。

やはり紀氏さんは、漢字古語辞典での謎解きでなく、レーラインをもっと追求して欲しいです。

たとえば今ね、日置氏を調べているんです。
出雲には日置氏がたくさん入っています。

神門郷、大庭郷などにいます。出雲神門の部民です。
出雲大社と熊野大社の費用を出しています。

中央の日置氏は祭りの専門集団、測量の技術集団と思っています。
荒神谷と加茂岩倉はレーライン上にあるようです。このあたりについてもと知りたいです。

でもね、怪しげな説は御免こうむります。

真面目に検討ください。

hpの論は玉石混淆だから怪しげな説が多いと思っています。

それで、地元の方と会話したいんです。
神XXへは主宰者の逆鱗に触れたので投稿を自粛された方がいいと思います。ペンネームを変えてもわかります。

失礼の段ご容赦ください。

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山代 と 伐(山伐) 投稿者:茨の紀氏 投稿日: 3月27日(火)05時01分19秒   引用
とみたさん、おはようございます ̄o ̄)ノ お久しぶりです 出雲は如何でしたか?ヾ^_^)

「倭國乱れ、相攻伐すること歴年」
箸墓は垂仁天皇陵
卑彌呼の時代は古墳時代
http://www.mctv.ne.jp/~kawai/vtec/kodai/14rongi.html

「山伐山伐」という意味不明の墨書が背面に記されている。・・・・・・【伐】バツ ボチ(ポチは犬?)・・・x 点?・・・【伐】バツ ボチ:盾 矛 たたく ころす きる つづみをうつ?
 こうした動物同士が絡み合う文様は、スキタイや西アジアの動物闘争文に起源を求めることができるが、多分に中国化されており、シルクロードを通じた文明の伝播の様子を垣間見せている。
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2006toku/shosoin/shosoin-05.htm

銅鏃60本以上
「腸抉り柳葉形」と呼ばれ、スズを含んださびにくい合金製だそうです。戦闘用ではなく飾り矢の特徴を持っていて規格品として量産されたのではないかという意見があります。
「鎮子」は、銅と錫と鉄の合金らしく、獅子や狛犬ではないようです。では、天皇の場合はどうか、内匠寮式には天皇の斗帳についても詳しい記述があります。

[いぬ・い]・・・・とは 犬=鉄:「黒い」の語源【漆】からきている、「かなもの」    猪=錫:【易】の転音「白い」の語源【哲テツ】からきている、「たまもの 賜?」「しゃく杖」「細布:質が細かな布?」
獅子(いのしし 錫 鈴 鐸?)と狛犬(?ヒョウ豹 鉄?)
http://www.pref.mie.jp/SAIKU/HP/hyakuwa/0075/hyakuwa-75-20060315.htm

卿氷夫=女卿、(猪刀?)氷牙・・・豹(犬)刀
複数の太陽が一度に見れることはある。日本では幻日(げんじつ)と呼び、外国では、偽の太陽「モック・サン」(Mock Sun)、
太陽につきまとう犬「サン・ドッグ」(Sun Dog)
瓢箪の霊崇拝以前。
雲南は土有人与野の雌の豚性交の青銅の器から出して、内蒙古紅山文化遺物中が見つかる豚の端の竜の体は玉に彫刻して、遼寧牛河梁女神の廟遺跡は土の豚の端の神の象から出して、河保母は文化遺跡が土から出すことの陶の豚などを渉って、全部新しくて、石器時代、着た豚の霊が遍在して崇拝することを生殖することです。豚の霊は人類の祖先で、世界の創世の主です。それは鴻を破ってだますことを掘って、天地開闢以来のは、ちょうど《庄子のようです・大口の師は》話していて、“?の韋氏はこれを得る、天地をさげることによって。伏羲氏はこれを得る、襲によって牝に怒る。”見えて、豚の霊は遠在伏の羲の蛇の霊が崇拝することを崇拝して、瓢箪の霊崇拝以前。

・・・相も変わら頭の紀氏です (^.^)(-.-)(_ _)

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Re: 奇跡の出雲刀 投稿者:とみた 投稿日: 3月26日(月)21時28分51秒   引用
> 古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣には雄略天皇に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。


埼玉稲荷山古墳は一運下って、531年説も有力です.そうすると雄略でなく欽明が大王になるかもしれません。

出雲への大和朝廷の支配は欽明の後のようですね。蘇我氏と物部氏が侵攻した。

出雲の荒島古墳群には方墳と四隅突出型が多いですね。造山古墳群は方墳と前方後方墳だけです。四隅突出型から大型方墳に移っています。意宇の本拠は松江の大庭です。
造山古墳一号墳は4世紀はじめに造営とすると一体誰を葬っているのでしょうか。
意宇氏でしょうか。


安来から移ったのでしょうか。意宇氏は8世紀?には出雲西部の杵築に移ります。日置氏もついていきます。

装飾付太刀は、6世紀はじめに朝鮮から技術導入されます。

そして日本で国産化して大量生産されますね。蘇我氏の影響を受けたのが山代と大庭の前方後円墳とされていますが、この根拠がわかりません。装飾付太刀とか墳墓の形とか副葬品で判断は可能でしょうか。ご存知なら教えてくださいませんか。

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日記のコピーで申し訳ありません! 投稿者:気まぐれPIKKI 投稿日: 3月25日(日)22時42分20秒   引用
ムー大陸の所在位置と「アイヌの世界観」山田孝子(講談社選集)日本列島の約半分(北海道・北日本)と樺太・千島列島の先住民族だったアイヌ民族についての本を一冊だけあげたら・・と聞かれたら、僕は躊躇無くこの本を推薦したい。

アイヌ民族についての歴史以外のあらゆる分野が過不足無く言及されている。
とりわけその宗教観・世界観は懇切丁寧だ。
特に僕が興味深かったのは、ニブヒという北樺太や黒龍江流域に住む古アジア諸語形民族との世界観や熊祭等の類似点だ。

アイヌの伝承にもーアイヌはもともとはカムチャカ半島に住んでいた民族が、北海道へと南下してきて、そこで日本人と混血したのだという伝承が残っている。
これは、日本人の共通の先祖&共通の文化・文明というべき縄文人の成立過程とも同一なのではと思う。

そして、一万数千年間の縄文時代にも存在し続けた中部地方を境界とする東西差の理由としてはー
「ムー大陸」とでも呼ぶべきスンダ大陸(氷河時代に大陸状態だった東南アジアから華南にかけての氷河時代の最先端文明地帯)からの文明・文化と・・
後に、蝦夷やアイヌ民族として・・世界最古の土器と日本海交易圏(南島の貝と黒曜石主体の)とを2本の柱とする縄文文明・文化を今日まで伝えてきた・・新大陸やシベリア・ヨーロッパ先住民(ケルト等)とも共通する北方古モンゴロイドとの文明・文化とが、日本列島で出会って数千年間かけて熟成されてきたのが縄文文明・文化だったのではないかと思う。
それゆえに日本列島は、世界中のあらゆる文明・文化との共通性をもつという稀有の普遍性を持ち続けてきたのではないかと思う。
http://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki

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奇跡の出雲刀 投稿者:伝和鋼館 投稿日: 3月25日(日)19時27分41秒   引用
古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣には雄略天皇に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。

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メンタルヘルス 投稿者: あだち 投稿日: 3月25日(日)15時04分11秒   引用
    失礼します
      「こころを強くするメッセージ」のご案内です

   ■□■□■□■  「アラ探しはいけない」 ■□■□■□■

     人のアラ探しはいけません。自分もそうされないためです。

     あなたが接するのと同じ態度で相手も接してきます。私たち
    が人をさばくことをはじめるとき、その生活は冷笑・高慢・怒り・
    憎しみの満ちあふれる生活に変っていきます。

     人は自分のまいたものを刈り取るようになっています。いつもト
    ゲトゲしい言葉ばかり使っていると、自分の人相・顔までがと
    げとげしくなるものです。

     天にツバをすると自分の顔にかかります。 また地につばを
    すると良心がマヒし、善悪の基準がわからなくなります。相手の
    善が悪にみえ、自分の悪は善となるのです。

     相手への恨みがいつまでも消えないでいるのも、相手がツバ
    を吐き返し、さばき返しているからです。

     この処理は 「相手の頭に炭火をつみあげてやること」 つまり
    イタワリという暖かな火で相手を包んであげる事です。

           冷たい双方のアラが溶け出します。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ※ 願い求めても与えられない「あなた」
      「新約聖書」(マタイ福音書・6章30節)をお読みください。

      ========  安達三郎  ========

     私はクリスチャンでも教会員でもありません。ただ「聖書」によって
    アル中を癒され・脳梗塞より生還し・サラ金地獄よりすくわれた者の
   「証」です。

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エジプトと石賽山 投稿者:管理人 投稿日: 3月23日(金)17時04分49秒   引用
紀氏さんご紹介の下記のHPのエジプトの図は、石賽山のそれと、かなり類似したものが、いくらかあることに気づきました。もちろんオオ氏の壁画とも。
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6722/pharaoh/world/god.html

オオ氏の太陽信仰とエジプトのそれとの比較は、こうみると接点がでてくるとおもしろいですね。石賽山の図像は、今度のオフ会ででもみなさんにお見せいたしますね。

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RE石賽山の貯貝器の神殿とソロモン神殿 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月22日(木)11時04分34秒   引用
紀氏の妄想 段我努DANGER!
ハピ・・・ハッピー?
(Hapy)
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6722/pharaoh/world/god.html
容姿:
太鼓腹をした男性。水辺の植物とともに描かれている。
ハピは 洪水の神でした。
古代エジプト人はハピが毎年洪水を起こすと考えていたため、当時の人々にとってとても重要な神でした。
洪水がナイル川の両岸に肥沃(ひよく)な土をもたらし、そのおかげで当時の人々は穀物を収穫することができたのです。

太鼓腹をした男性・・・・太鼓・・・銅鼓どうこ・・どおこ・・おどぅこ・・・男(太〔大(人)+点(古文字では2つ)  辛いですネ(^^;ゞ 。

穀物を収穫・・・・・貝収・・・・・貯貝器 胎庫?

銅鼓は吊りさげられて使用されたとすれば、下から叩き天(上)に波動(生贄のこころ?)を送った 銅鐸も舌を上に向けフルやフル振っては波動を天に送ったと思います。
 下界での戦い(生存競争)に勝った(買った?)代価(代貨・貝)を奉げた事をイメージします。

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昆明湖に舟をこぐ人たち 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月22日(木)10時24分45秒   引用
「7つの突起がある星と弓が上に乗った帯でできた頭飾りをつけた女性の姿」
http://huurai.web.infoseek.co.jp/sub14.html
【狆】チン:雲南地方の異民族 犬(豹)・・・隼(隼人)

> ゴズエ
> 【標】ヒョウ(豹?) ヘウ  こずえ しるし  目印 旗秦 的(矢【まと】)
> てほん 代表と成る者 位置 品格
> 【豹の毛皮】セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮 ...
> セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮と、7つの突起がある星と弓が上に乗った帯でできた頭飾りをつけた女性の姿で表される。 ...
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6722/pharaoh/world/god.html


あるHPの和歌山 さん にヒントを頂きました、和歌山さん有難うございます。

石賽山の貯貝器の神殿とソロモン神殿 投稿者:管理人 投稿日: 3月22日(木)02時04分49秒   引用  編集済
紀氏さん、みなさんこんばんは。石賽山遺跡の神殿を調査していて、旧約のソロモン神殿についてのページを見ていました。

ソロモン神殿記載についてのページ
http://www.plaza.across.or.jp/~sugino/sinden.html

ソロモン神殿の記載には、銅製で巧みな小細工をする職人が、いろいろ器をつくったそうです。

石賽山遺跡の銅製の貯貝器の意匠に、神社風の神殿建築と、その前方部に2つの大型銅鼓、神殿の上に10〜の小型の銅鼓が並んでおります。

この記載、ソロモン神殿の大型の洗盤「海を示す」2つと、小型のそれ10個の記載に似ていますね。
銅器のスケールはおそらく半分くらいに縮小されていますが、ヒラムといわれるその銅細工職人がそれをつくり、いろいろ銅細工している様子も、その貯貝器の様子はそっくりです。

銅の器が、ひっくり返して、銅鼓としてたたく道具と変化しているのでしょうか。
銅鼓の側面に船が刻まれているんですが、銅鼓と海の持つ意味はどうでしょうね。


石賽山の銅鼓には、輿に乗る王族が見えますね。この輿の形状分析をしたいところです。
契約の箱と神輿の話もありますね。

なお、石賽山遺跡の銅鼓についてはこちらの写真を参照。殺人祭りの様子など、いろいろ貴重な記載があります。金メッキや、スキタイ系の馬の鐙が出ている点なども、日本の考古をやる上で、必ず知っておく必要がありますね。


http://www.geocities.jp/silkroad_tanken/katsudou_tp16/others/shishido_seinan_silkroad/shishido_seinan_2/shishido_seinan_silkroad_2_.html

http://huurai.web.infoseek.co.jp/sub14.html


オオ氏の壁画と、この石賽山の文化が多くの相関性をもっていることがありますね。
マガマゴグ像や船や同心円紋・・・。岩間に鏡を葬る石賽山の祭祀もどうでしょう。

下記そのソロモン神殿のHPから引用

「神殿の外と中の備品 それから、2本の「柱」、2つの「柱頭」、約46キロリットルの容量のある直径約4.4mの器である「鋳物の海」、車輪のついた一辺約1.8mの「台」10個とその上に載る約920リットルの容量のある直径約1.8mの「洗盤」10個、そして「灰つぼ」と「十能」と「鉢」といった神殿の外の備品。これらはみなヒラムという人が青銅に巧みな細工を施して作ったものでした(列王記7:13〜47)。また神殿の中の備品は金で作られました。「祭壇」、「供えのパンを載せる机」、純金の「燭台」10個。それから「花模様」、「ともしび皿」、「芯切りばさみ」、「皿」、「芯取りばさみ」、「鉢」、「平皿」、「火皿」、「とびらのちょうつがい」といった器具も純金で作られました(列王記7:48〜50)。」

この後、契約の箱、モレヤ山の話へと続いていきます。


ソロモン神殿は、石賽山の神殿とかかわりがあるのでしょうか。この辺さらに研究会で論議して深めてみましょう。

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2重円紋 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月21日(水)23時38分41秒   引用
管理人(シモ ん?さん)こんばんは、
2重円紋は月(陰)を表しているようです。
「西欧やエジプトの目は、写実的な形をしていますね」・・・理数系の現実主義者なのでしょう。
やうYU陽(一神教)古代エジプトも南北 陽陰に分かれていた様です。
理数系は幻術 現実 現世利益主義のようです、ユダヤのように (;_・)

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目の形 投稿者:管理人 投稿日: 3月21日(水)20時33分9秒   引用
紀氏さんこんばんは。エジプト・西欧の船の前側面に描かれた魔よけの「目」について、お知らせありがとうございます。ご紹介のHPでその船の目の形をみると、西欧やエジプトの目は、写実的な形をしていますね。

それに対し、雲南石賽山遺跡や、巣山古墳の船の側面の「目?」は完全な2重円紋ですね。

この相違は大きいですね。写実的か、抽象的かは、西洋と東洋でやや相違があるといつも感じています。石賽山の銅製遺物は極めて写実的ですし、日本の埴輪はかなり写実的ですが、やや焼き物に適するように??抽象化していますね。壁画古墳の壁画はどうでしょう。

ローマ帝国の文化などをみると、前期のカエサル像のような写実的なものから、後期のキリスト教文化的な抽象的な画像へと移行があるそうです。宗教・呪術性が強くなると、写実性から抽象性が増すのでしょうか。

いろいろ比較してみたいところですね!

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船首の目は隼の目(ウジャト・アイ)... 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月21日(水)17時56分41秒   引用
ウジャト …完全・修復・守護

 人の目を模った隼(ホルス神)の目。左目は月の象徴でホルス神を顕し、右目は太陽で太陽神ラーを顕すこともある。
ここ、マルタも船の舳先に近い位置に目の印をつけている。 トルコから東地中海一帯ではメドウーサが、エジプトでは隼の目(ウジャト・アイ)...と様々だが、マルタではカルタゴの魔除けが生きているのだという。 ...
http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/europe/europe-south/malta/ma-snaps/ma-eye/ma-eye.htm

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魔よけ 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月21日(水)02時29分49秒   引用
世界に散ったイスラエルの同胞、ユダヤ組織の助け合い メイソンに受継がれています。
仲間意識が強く、自分勝手な事をしないのも特徴です。 ... また、天皇家の菊の御紋は、モーゼの印でもあるし、伊勢神宮の灯籠にもダビデの星があるのです。 ... ヘブライ神族を支えるのは、基本的にクリスチャンであり、その最大勢力はフリーメイソンです。 ...
http://www.adachi.ne.jp/users/wturbine/mg8_rule0106.html
http://www16.0038.net/~gilboa/bulletin.html


遠くユダヤの「ダビデの星」と同じこのご紋は、ユダヤ教では、悪魔や精霊を従わせる力があるとされてるそうです。 ... 安倍晴明と祇園さんの関係は目からウロコでした。 ... 「晴明桔梗紋」は五芒星、ダビデの星は六芒星ゆうちがいはありますけど、
http://syugakuin.jugem.jp/?eid=99
星印は清明判として日本各地で魔よけとして用いられています。 イスラエルのダビデの星に通じるものがあるかもしれません。 ただし、ダビデの星は六芒星形ですので、正確にはソロモンの封印と比較すべきでしょう。 五芒星すなわちペンタグラム ...
http://pws.prserv.net/hosaka/mutsumi/religion/seman.htm
... いろいろその説を裏付ける証拠(ダビデの星と似た家紋の存在、十字架の魔よけ、戸来村の名の由来はヘブライ、ヘブライ語の唄の伝承)があるとのこと。 ...

http://www.avis.ne.jp/~miyayu/drive/far/040924_03.html

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二重円紋は目か 投稿者:管理人 投稿日: 3月20日(火)22時32分3秒   引用  編集済
紀氏さんこんばんは。「かねてより船首には航海の安全祈願用に彫刻を施したり、目を描く習わしがあった」とのご紹介、貴重な視点と感じます。

船の側面に2重円を描く風習について、オオ氏の壁画のそれともにていると思うのですが、魔よけとしての意味として捕らえてよいかどうかを証明したいところです。

先の石賽山遺跡の遺物の中の神殿の側面に、2重円のものや、円の中に六房星、☆??のような文様が見えます。これも陰陽や神社での魔よけとしてのシンボルとも受け取れますね。

これら同心円紋や2重円紋が、目であるかどうかは、まだちょっと確定できませんが、船という条件がつくと、そのまま「目」という条件に移行するかどうか、ここが課題ですね。

紀氏さんご紹介のバイキングのような獅子像を船のへさきに飾る風習なども、きになるところです。狛犬みたいに、これも魔よけ??みたいな意味があるのでしょうか。

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紫 シ考 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月20日(火)10時14分48秒   引用
シオン
紫苑:「菊」 化の多年草
紫石;「目」 ひとみの形容・・(黒い瞳 セム系?)
紫姑:「霊媒 巫女」
紫金:「赤銅」
紫雲:阿弥陀仏のお迎え 西洋での「天使」
紫微:北斗の北にある星の名
しび:申(猿すべり)
シビ: 「鴟尾」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%9F%E5%B0%BE
針目:http://www015.upp.so-net.ne.jp/tky-bunkazai/kiso-chisiki/tigi01.htm
紫禁城:天子のいる所。
 赤(南)青(東)の間の方位 東南?紫国=四国・・・バチカン市国?
          藍草 でした (^^;ゞ

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神社の上に鳥がいたりしています。 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月20日(火)09時33分6秒   引用
神社の上に鳥がいたりしています。・・・・屋根の上の風見鶏!
教会(ノアの箱舟)鳥(カラス 鳩 燕)・・・天使
http://www004.upp.so-net.ne.jp/shiroma1/montst10.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%AB
http://www.geocities.jp/counde14/otto/otto_a1.html

 鳥 目 が シオン 紫おん に繋がるのでは?

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船首の目(藍 愛 アイ ?羅針盤) 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月20日(火)09時21分54秒   引用
かねてより船首には航海の安全祈願用に彫刻を施したり、目を描く習わしがあったが、やがて宗教的・呪術的目的であった船首の飾りは次第に装飾的になり、17世紀のヨーロッパの艦船では、船首・船尾ともに彫刻で埋められるほどになった。初期の船首像はライオンなどの動物像が多かったが、やがて船の名に因んだ人物像が用いられ、19世紀に入ると人物の船首像が主流となった。
http://www.interq.or.jp/www1/kunioki/album2.shtml
目は鳥の目 トートが異界への案内人(神?)の名残かと・・・・

 

雲南石塞山遺跡 投稿者:管理人 投稿日: 3月20日(火)01時52分16秒   引用  編集済
PIKKIさんこんばんは。
日本の古代史は、本当に多くの集団が紛れ込んでいて、原型を見極めるのは困難を極めますね。DNA解析だけでも10〜20の遺伝子集団を分類していく必要があるでしょう。
ご指摘人間の成長にたとえると、いわば、親が10人いるような国ですね。

ただ、神社の原型については、個人的には中国は雲南の石塞山遺跡の遺物を古代史をこれから目指す方はよく分析すべきと思います。

先日、実はMBTVの古代史解説http://www.michaelbroadcast.net/housou/rokuga/kodaishi4-1.wmv
でこの遺跡については放送しているのですが、高床式の極めて神社の構造に近い建築物を刻んだ遺物が出ています。

この銅鼓には、輿もありますし、神社の上に鳥がいたりしています。

注目すべきは、昨年見つかった巣山の古墳から出土した船型木製品の遺物に見られる2重円紋のがありましたが、この2重円紋を船の前方部に刻んだ木造船が、青銅製品に刻まれていることです。

巣山古墳の船型木製品はこちら参照。http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/84.htm

したがって、神社やこれらの木造船をもたらした集団は、多氏とも言われていますが、海人系の氏族として、大きく日本のいわば「信仰の成長期」にかかわっているものと考えています。

このテン王国の集団の遺跡をさらに解析していくと、やや彫りの濃い壷を頭の上に載せて運ぶような文化の人が多いことが見られます。これはタイ系の民族かインド・中東系とおもわれますが、一方でこの地には北方遊牧民も流れ込んでおり、羽人という頭に羽を乗せて踊る、動物意匠を多くこの地に残した騎馬民族の文化遺物がこの地にみえております。

奇妙なことに、この羽人が、先の木造船に載っているのです。ここに遊牧民と海洋民族との融合があったのかもしれません。なお、この遺跡からは、東南アジアでマガマゴグ?と呼ばれる頭の上に渦巻きをつけた人の遺物が出土しており、この図は、日本の壁画古墳にも描かれた渦巻きを頭につけた人物の原型であり、やはりオオ氏と壁画古墳との関係が指摘されています。

さらに、この神社の原型と見える神殿の側面部には、円形の中に、六角形もしくは五角形を入れた文様を、数個御札のようにはめ込んでおります。

そして、PIKKIさんご指摘の三種の神器についてですが、

勾玉らしき形状のものが実はこの遺物から多く出ているのが確認されます。玉製の耳飾だそうです。やや角ばっている部分があります。

鏡については神獣鏡に、雲南の三角紋は多くの共通性をもっております。

そして、剣についての出土も多く、柄の部分が出土していますが、この文様が、吉水さんの「新羅・ローマ文化王国」の、ケルト?遊牧民族系の柄部と共通性を持っています。
どうも蛇のような文様も多く、おそらく掲示板で書き込みされている蛇信仰と関係していると思われます。

そこで、この雲南のテン王国の文化をきづいた集団が、武帝の時代に征伐を受け、その後、どこへいったのか、填という文字の集団は、真?と文字が変わって中国の地理書には、実は数箇所見えております。

この集団は、5世紀ごろにDNA面で中国南部から日本、朝鮮南部へ移動してきたモンゴロイド集団遺伝子のひとつではないかと考えているんですが、この辺は研究会でも論議してきたところです。

ぜひいつかPIKKIさんや、みなさんに、この辺の雲南の遺物について、勉強会を含めて詳しくお知らせしたいところですが、残念ながら渡来人研究会は実はほとんど今何かを企画できるほどまとまりがありません。しかし、地道に掲示板で論議と研究を続けていけば、きっと近いうちよい機会ができてくると思いますので、ご期待くださいね。そして、沖縄や台湾、フィリピンなどが中継点として、どうかかわったのか、これは日本史研究者や渡来人研究者ではなくPIKKIさんやokinaさん、みなさんにしか解読できないことなのです。ぜひご意見お待ちしています。

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管理人さん皆さんこんばんは 投稿者:気まぐれPIKKI 投稿日: 3月20日(火)00時54分53秒   引用
ついさっきに書いた日記はあまりにも長いのでアップは止めることに。
内容としてはー神社や神道の元型。誕生と死のキーワードの「再生」。箒神と便所神とウブスナ等・・です。
ただ時間が無かったので、神社の原型については、谷川健一氏の「日本の神々」を読んでいただけると納得できるのではと思います。

なにが原型であり、なにが後から渡来したものかは非常に難しい問題だと思うのですが・・
人間の成長に例えると理解しやすいのかも?
「三つ子の魂百まで」期や免疫系が完成する十歳頃期頃までは縄文時代に相当するのかも?
そしてこの列島の青春時代は、弥生・古墳時代に相当するのかも?

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三種の神器は渡来系か 投稿者:管理人 投稿日: 3月19日(月)22時07分53秒   引用
先日禁止したはずの1人2つハンドルネーム使用および、ユダヤ話について、またも破られてしまっているのは、さすがに警察官も減点するところではありますが、もはや困難解決のつかない問題とおもわれますので、こういうときどうすべきかを考えます。
困難に直面し、何度打開策を考えても無理だったとき、一般にわれわれは「あきらめる」という手段をとります。

しかし、研究者という生き物はもともと先人があきらめてきた課題を毎日解決することを義務として課されている人々であり、あきらめ以外の方法論を編み出すべき毎日の格闘を楽しむ生き物でもあります。先人が解決したことをなぞるだけでは、教育者としては意味があっても、研究者としては価値がありません。

ま、解決のつかない問題に直面したとき、神が与えたその難問を、感謝し賛美しながら、毎日豊かに生きること、それが重要ですね。

縄文渡来種さんの意見は、PIKKIさんのご意見と反対で、三種の神器は、縄文系のそれではなく、朝鮮・大陸系の文化だとおっしゃりたいようです。

その辺、もっと深めてみましょう。

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十・・ジューはユダヤ人の意 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月19日(月)18時04分33秒   引用
渡来人は、ユダヤ人?
『ジュー・タウン』(ジュータン)(ジューはユダヤ人の意)と呼ばれている。」
五十=互 禹の神      八十=Y ユダヤの神

 http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb600.html
 http://www.bekkoame.ne.jp/~jmf-oej/jm02.htm

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/2157/jew.html

 日本人の先祖がユダヤ人との情報・・・・操作?・・・・策略?

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物部の四種の神器 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月19日(月)17時51分36秒   引用
剣 鏡 玉  比禮 ひれ(領巾):巻物 軸
蛇比禮(おろちのひれ)△▽△▽?、蜂比禮(はちのひれ)八角(米)、品物比禮(くさぐさのもののひれ)草冠(††・・・・ 幵鳥居の祖)
物部氏の「十種の天璽瑞宝」を分類しましたら!
剣 1(八握) 鏡 2(邊都へん 羸都鏡おき) 玉 4(生 死 足 道) 比禮 3(蛇 蜂 品物)
物部氏の祖、神饒速日命が天神御祖より授けられた宝は、羸都鏡(おきつかがみ)一、邊都鏡(へつかがみ)一、八握劔(やつかのつるぎ)一、生玉(いくたま)一、死反玉(まかるがえしのたま)一、足玉(たるたま)一、道反玉(みちがえしのたま)一、蛇比禮(おろちのひれ)一、蜂比禮(はちのひれ)一、品物比禮(くさぐさのもののひれ)一の十種の天璽瑞宝である。
 これらを授けるときの教えが「布瑠之言」である。 「布【瑠】」【瑠】ル りゅう 【留】卯リュウ:「田」の中に止まるの意。
瑠ル りゅう 布フ・・・・・黄竜を描いた旗・長い布 (王の旗 秦?)・・・流布:広く知れ渡る。

 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむ
http://kamnavi.jp/mn/togusa.htm
参考になれば幸いです。

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三種の神器 投稿者:管理人 投稿日: 3月18日(日)23時06分28秒   引用
PIKKIさんこんばんは。三種の神器について、縄文時代からの信仰を象徴している点と、それらに地域性があるとの点、興味深く感じます。

特に地域性の違う三つのものを、最終的に身につけることへの意味も気になります。

三種の神器は、記紀上では船の上の木に懸けるという形をとって現れます。ただ、これが原型はどうかはわかりません。最初は身に着けるだったかもしれませんし。

木に懸けるとか、船に載せるという意味についても、地域性や時代性がわかるとおもしろいのですが、そういう事例はあるでしょうか。

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皆さんこんにちは 投稿者:気まぐれPIKKI 投稿日: 3月15日(木)13時02分45秒   引用
時間がないので、またまた日記のコピーで申し訳ありません。

ついさっき、赤椀の世直し(古代史)掲示板を読んで考えた事なのですがー僕の「よく漂流するリンク集」中ほどにある沖縄出身の古代史研究家のサイトですが・・
古代の貝の装身具(イモガイ製貝輪は北海道伊達市の遺跡からも発掘されているし、それ以前の縄文時代には黒曜石矢尻と共にシベリアとの貴重な交易品)が太陽信仰に関係しているのではないかという書き込みを読んでふと思ったのだが・・

天皇制の三種の神器の鏡・勾玉・剣等はそれ以前の縄文時代の信仰の換骨奪胎や変形なのかもしれないナーと思う。
蛇信仰を受け継ぐ神奈備という蛇がとぐろを巻いた形の山への信仰もまた。

そしてそれはズバリと言ってー
シベリアのシャーマンが光り輝き、音の鳴るものを体中につけて踊るのを見るにつけても、シャーマンの儀式に起源があるのではないかと思う。
全くの独断と偏見で言うと、勾玉は再生のイメージが強い蛇や胎児を連想させられるし・・鏡は、沖縄での太陽信仰や東北・北海道での日高見国や伊勢等の冬至の太陽を弓で射て太陽の再生を祝う祭を連想させられる。
鏡もまた吉野裕子氏の本にあったように、蛇や蛇の光り輝く目を「カガミ」と呼んだ例から推測するに、蛇信仰の名残なのかもしれないナと思う。
それらについての、系統だった研究によって縄文時代の信仰の何が、どのような地方に、どのような形で残ったのかを調べることが急務ではないかと思う。

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カタカナ 投稿者:管理人 投稿日: 3月13日(火)22時09分51秒   引用
周のことは、わかりませんが、中国の詩人、文学書と日本の関係では、吉備真備が735年に遣唐使でつれてかえってきた袁晋卿という音韻学者の若者が、日本に来て仮名文字を作成したそうです。

吉備真備
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E7%9C%9F%E5%82%99

また、この帰国の時に、菩提仙那という人物もつれてきていますが、こちらはインド系の仏塔の製作する技術があり、その関連の異国風の遺物が掘り出されているそうです。


片仮名の研究には、これらの人物の背景にあった知識を考慮してみてはどうでしょう。

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酒と船の祭についてー 投稿者:PIKKI 投稿日: 3月13日(火)04時25分48秒   引用
以前これらも日記に書いたのですがー
古代中国の周では、倭人からの酒がやってこないと国家儀式ができなかったそうです。
原典はちと失念したのですが・・

沖縄や長崎や瀬戸内の各地や華南や東南アジアでの、ハーレー等は、水死した楚の詩人屈原の死を悼んでのものらしいのですが・・

どなたか、中沢新一氏が「チベットのモーツワルト」で書かれていたー日本の数の数え方の二つの方法(ひふうみいよ・・)とヘブライ語の数え方が同一だ・・という説を説明してもらえるとうれしいのですが・・

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投稿内容についtのお願い 投稿者:管理人 投稿日: 3月12日(月)18時18分51秒   引用
管理人です。いつもお世話になっております。
水を差すようでもうしわけないのですが、ひとつ投稿についてお願いがあります。
沖縄の話題は結構ですが、ユダヤ人やシュメール人他、日本古代史と関連があいまいな話題は、一般の渡来人について知りたい訪問者に理解きない内容が多いので、お手数ですが、別のサイトで論議お願いいたします。下記俳句ダービーのサイトなどお勧めです。よろしくお願いします。

http://6556.teacup.com/shugyo/bbs

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・・ 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月12日(月)14時47分38秒   引用
・・黒又山は、人工のピラミッドらしい。

・・アカマタ、クルマタでは?

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酒と民族 投稿者:okina 投稿日: 3月12日(月)13時59分56秒   引用
大湯遺跡のストーンサークル・クロマンタなど始めて、山にありますがなにを表しているのか?、マンタエイの海か?(笑)、「鹿角の民謡」面白いこれも初めてです、岩戸の湧くァ泉〜ハーヤーエー=民族が出てくる泉のような気が〜文学的に見たら面白い、この中のお酒=どんな解釈ができるか?、

酒を儀式で使う先住民やあるいわまったく使わない古代民族の比較文化なんてなんいうのを考えてもなにか見えてくるのでは?、

紀元前約4000年前にはワインが造られていたといわれていますが、縄文期は酒を造るなにかがあったんでしょうか?、ワインはブドウ絞りそのまま壷に入れれば自然に発酵するらしく紀元前4千年から発酵菌の働きを知っていたという意味ですよね?、

沖縄の泡盛も時間がたつほど熟成する、日本酒やウイスキーでも50年ぐらいが限度で、ワインと泡盛は長期になればなるほど熟成される、100年古酒これまろやかになるでしょうね?、

琉球の泡盛名の由来は昔製造過程で高位置から新しい釜にいれ空気に触れ泡がでるからという説や、インドサンクリットですか酒をアワムイとかいう説やら、地元米やタイ米から作っている、
先島の泡盛酒の伝説昔話があります、ある日山に入った村人が世にも変わった光景を見た、雀が踊るように軽やかにステップしたり巣と高い位置にある木のくぼみを行ったりきたりしていた、雀が余りにも楽しそうなので、村人はこの木に秘密があるかもしれない、と思い木にのぼって確かめてみたら、木のくぼみが5つあり、この穴に雀があ五穀をいれそこに水がたまっていた、村人はその水を飲んでみたら世にもふしぎな味と香り、おそらく雀は仙人の使いかもしれないと村中に伝える、その日から水とお米で酒を作ったそうだ、先島の雀の民話、この小さい島にも発酵の知恵があった。

儀式に使った酒〜、

酒作る技術や神酒やブドウ酒などの歴史の裏には各民族の知恵がつながっているのかもしれませんね?。

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・・鹿角 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月11日(日)10時57分19秒   引用  編集済
・・こんなのもある。

[鹿角の民謡]

△ヤーハイ節

イヤーハーア ハアエヤーエ
このハァお酒がハーエ(ヨイ)
如何なサーハエ
お酒だとおぼしめすハーヤーエー
アマ(天)のサーハーエ岩戸の
湧くァ泉ハーヤーエー
飲めやサーハーエ
その日の吉相となるハーエ(ホエ)

(伝承者 関上・中村主)

・・大湯遺跡のストーンサークル、黒又山(クロマンタ)も鹿角のエリアではなかったか?

・・北緯40度線

・・大湯環状列石

http://www.ink.or.jp/~oyusc/oyu%20gaiyou.htm

・・Kyanaは検索にかけてもまともに出てきませんね。マイナーなんでしょうか。・・はじめはクラシックの歌手だったらしい。サラエボの子供たちに捧げたコンサートがきっかけで転向があった。SARAHはポップロックのジャンルにはいる。内容は反戦が歌われてます。

・・ユダヤ系(アラブ)の血がはいってるのかそうでないのか、気になるところ。Sarahの歌詞がファルージャに生まれてイスラエルの子を愛すというので反戦の意味もイスラムの自爆テロに向けられたものかも。…そうでもない、屈折の仕方がよくみえない。

・・Mais au nom de qui
Faut il verser le sang?

いったい誰の名において
血を流れさせるというのか?

・・アラーにおいてもヤーウエにおいても、血を流すのは…

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月10日(土)19時27分37秒   引用
縄文種渡来者さま、非縄文種渡来者さま、こんばんわ、山子唄「岳ヶ」面白いですね始めてです、日ユ同祖論というものも根拠は菊紋とか八幡鏡の裏にヘブライ文字とか誰も見たことなく真意は定かではないと思いますが、日本の根拠のイデオロギージャなく、日本は確実にわたってきた民族ですね?、確実に、神話や古事記でしか真相をさぐれないとなると貧弱なイメージしか出来ないのでわないでしょうか?、近年の考古学の邪馬台国のあり場所などみると笑いが起こるぐらいです、日本の中に様々な説があり、琉球は蚊帳のそとです、そして急にフィリッピンとか言い出すしまつ、であれば全体から見てみる、そして日本のいは豊かな文化をもつアイヌ民族や古琉球にもなにか感じる、オノゴロは夏の島です、ビンロウやしもありワニなんかもいる、全体から見ればなんと豊かな民族文化の体系か?、ヤウェ
を言ってるんじゃなくそういう説から見た場合なにがみえるか?、ということだけではないんでしょうか?、引継ぎの文明角度で見れば合理的で各民族の伝承や繋がりのシステムが見えてくる、日本の偉い考古学者方はピントボケしていて日本だけで見るからだめで、全体からの繋がりから見ればなんと美しい豊かな人間、なぜなら日本が始まる前にもっと豊かな文明は動いていた、その文明から流れてくるというのが自然じゃないんでしょうか?、

例えばぼくは最近八重山方言は裏にヘブル語を感じていてではなんじゃろな?、という所ですが近くに与那国の海底遺跡が出てきて超古代のシュメール説で見れば、イランやイラク辺りの元は与那国近辺にあったムらしき高度文明が沈み中東へ流れていった、とイメージすると現在の古語や神事の裏にヘブルや中東の繋がりかもしれないし、そのシュメール文明の元は実はアジアが見えてくるのでは?、なぜ現代の石工組織は東方を元にしているのかなど様々に繋がる、アジア周辺や日本や琉球辺りから超超古代は始まっていたと想像した場合、ヤウェは元返りのために日本を目指したのでわないか?、リバイバル同盟評議会の逆説もありえるのではと思います、謎だからロマンあふれるのでわ?、無知なぼくわ多角的に見ています、

縄文種渡来者さま、Kyanaー Sutraちょっと見ました、フランスはエキゾニズム音楽盛んですねワールドミューズか人種の坩堝、最初[Sarah]の歌詞がでたんでサラ=サガッ(中東読)よくミュズルモンの人女子名につけますね、中東系なのかと思ったら、その歌詞は中東の現実と宗教の混乱を謡ったのか                          >サラ20歳、私は23番地レニールモンタン通りに住む、出身はファルージャ〜Verser血である私達の名前を自分自身として〜今の現実の神の贈り物、官能的な女性は競争の後一つの自分を隠す〜、
このアーティスト混血ナンでしょう、あと名前Sutra=ベーダー経典、Kyana=これアボリジニや先住民が主催する「Kyana文化フェスティバル」というのがあるらしくアボリジニに関係した言葉か?、このフェスティバルにアイヌ民族も参加したとある、PIKIさんはわかると思う、「先住民の経典をコンセプトとした」という意味でしょうか?、

ほんとフランスはエスキシゾ音楽には最先端かも、アフリカの「パパワンバ」この中に日本人女性いましたね、サリフケイタや「アイーシャ」歌ってた人、アラブポップスも盛んですね?、そういえば最近音楽聴いてないな〜と長くなりましたすんません。

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・・歌謡 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月10日(土)11時52分45秒   引用
http://kyana.hitmuse.com/mp3-Sarah-26.html

・・このKyana sutraは混血系だと思うのですが
・・どなたか知りませんか?

http://kyana.hitmuse.com/index.php?s=audio

・・corps a corps、というのもいいです。

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歌謡で思い出したHPです。 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月 9日(金)21時24分12秒   引用  編集済
29 名前:名無し 投稿日:2006/11/26(日) 23:06:25
「彌榮」=「やえー(ヤウェイ)」でよろしいのでしょうか?

エホバ又はヤウェー「彌榮」であり、 ... 一般的に父なる神の名ははエホバ(ヤウェー) ... ただ御使いが来て、御使いの立場(ヘブル1章14節に「御使いは使える霊」だとある)で神を御主人、主、エホバと示したのです。 ...
【彌】や:あまねく はびこる
【榮】エイ:ハエ はえる
[鹿角の民謡]
△山子歌「岳々」

一、
岳々のヨイヤハーエー 岳々のハエー
岳々は三ケ月のヤハエー 立つ神はよ
そだでばヨイヤハエー

二、
立つ神はヨイヤハーエー 立つ神はハエー
山子繁昌とヤハエー 守る神はハエー
そだでばヨイヤハエー

三、
守る神はヨイヤハーエー 守る神はハエー
手足繁昌とヤハエー まめでけろハヨ
そだでばヨイヤハエー

(伝承地 八幡平・長嶺)

ログアウト. トヨウケ. 日本古代の神で食物を司る神と言われ、マナイ神社の主神。 射手座の女王のお腹に入って地球に降りてきた。 ヤハウエーと一緒になりその子供が、アマテル、アマテラス、などといってきた。 イブとも。 伊勢神宮系統のアマテラスは、"偽アマテラス

ヤーウエ・ヤーヴェ・ヤハウエー・また、英語読みとして一般的な、Jehovah(エホバ)など、諸説あります。 ここでは、一般的な英語読みからくる、「エホバ」を採用します。 つまり、キリスト教も、ユダヤ教も、一人の神を崇拝する、一神教なのです。 ...

ユダヤ人はヤハウエー(神)に、ギリシャ人はソクラテス(哲学)に、 ローマ人は常に時代にあった新法律に求めたと言われます。 日本人はさて、「武士道」「誇り」「歴史」・・・国家の有り様を何に求めるのでしょうか? それをはっきbbs/ji2koku2/wforum.cgi?no=2427&mode=allread

日ユ同祖論(にちゆどうそろん)とは、日本人とユダヤ人は、共通の先祖を持つ兄弟民族であるという説。「日猶同祖論」とも。
古代イスラエルの「失われた十部族」が日本に来たという説。
この学説は、一部の人びとから「日ユ同祖」論(日本人の先祖はユダヤ人であり、旧約聖書に登場する ... 日本リバイバル同盟評議員)などは、日ユ同祖論を展開し、「秦氏は景教徒であり、秦氏が創建した日本は仏教国ではなく、キリスト教国であった」

日鮮同祖論(にっせんどうそろん)は、日本人と朝鮮人の祖先は同じであるとする論。多くは日本が兄、朝鮮が弟という小中華主義的思想を合わせもち、大日本帝国による韓国併合および同地における同化政策を正当化する理論的支柱となった。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 9日(金)14時54分7秒   引用
縄文種渡来者様こんにちわ、グランビジャヤ、城壁の石積は秩序があって石きりも高技術でしょうなね、プレインカ(インカ帝国以前)とありましたがすごいスケールです、

ビジャヤのおといい音です、日本人に違和感ない音の周波数、であればなにかある、八重山のンジャーヤ=(負けないとかナニクソ!、の意)に繋がったらロマン溢れる、

例えばイシュタルという音やイナンナやキエンギなど、音としては違和感ないですね?、

箱舟神話が出てきたので、八重山の神事に歌われるアヨーを一つ、

・イキャシタル>何故にした
・フニヤルドゥ>船であるか
・ナユシタル>何した
・フニヤルドゥ>船であるか

・ミルクユバ>弥勒世を
・ヌシフニユ>載せた船を
・カンヌユバ>神の世を
・ユシフニユ>載せてくる船を

・タキトゥンニ>竹富島に
・トゥるツキティ>取り付けて
・ナキタキヌ>仲嶽(地名)に
・トゥリチキティ>取り付けて

神事で村の女司が謡う、もう一つとてもシンプルで見逃しそうな謡がある、

・タブフラバ>タブ(植物名)を折るなら
・ファーヌビケーヨ>子の父よ
・アラツルユブリオーリヨー>新蔓を折って下さい

ぼくこれ神事なので裏唄でブル=折る、=祈るに思えてしょうがない、

このように神事のアヨーやユンタは島建ての神話や神の遊ばされたことがふんだんに入っていそうだと思っています。しかしイシュタルは八重山方言のイジュタル=言ったことの意味ですが音のみ見ると裏謡の雰囲気があります。

情報サイト:「八重山歌謡連語論」

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月 9日(金)12時16分5秒   引用  編集済
>・・EPIC OF GILGAMESH TABLET XI

The Flood, Trial of Sleeplessness, Foiled by the Serpent, Triumphant Return

Columns I - VI

Column I

To the most distant and removed of semi-gods, to Utnapishtim,
Gilgamesh said: "When I regard you now, my god-like man,
it's like seeing my own face on calm water
where I dare to study myself.
Like me, you are first of all a fighter who prefers to war-no-more.
How could one like you, so human, all-too-human,
ascend to be at one with other gods?"

10. Utnapishtim said to him in swift reply:
"Only one as bold as you would dare expect
such knowledge. But I shall tell you what
no person has ever been told.

・・ ギルガメシュ叙事詩の第11の板のはじめ、ウトナピシュテイムに語りかけるギルガメシュの言葉はなんとも魅惑する。・・この英訳だけでも含みがおおい。

・・ウトナピシュテイムが語りだすのは大洪水のお話です。バビロニアのウルク第一王朝何代目かのギルガメシュは「ウルクの城壁を建設したる者」として名高い。・・ウルクの守護神はイナンナ。

 … 箱船神話と城壁が呼応?

・・ペルーのグラン・ビジャヤはマチュピチュと並ぶ城砦都市で興味深い。

>・・標高3000メートルの高さにあるクエラップ遺跡の特徴は、町を囲む高さ20〜30m、長さ600mの壁であります。建築に使われた材料量はあの有名なエジプトのピラミドの3倍以上だと言われています。誰が見ても驚かされる巨大建築で正に、「崖っぷちの上に建てられた砦」であります。

http://blog.canpan.info/heiji/archive/48

・・アマゾン県のその場所は特定してないが、おそらく南緯3〜7度の間ではないか?

・・これはスマトラのパランバン南緯3度、キリマンジャロ南緯3度あたりと、ほぼ近い。
・・ポリネシアのツバル諸島なら南緯7〜9度。

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ビジャヤの音と角度 投稿者:okina 投稿日: 3月 8日(木)14時32分45秒   引用
非縄文種渡来者様、溢れんばかりの豊満な情報ありがとうございました、これを頭に入れ仏教歴史も見ます、マリア観音も初めてです、全て面白いですね、ヴィジャヤ=勝者、勝それにシュリーは通貨の観念がある、グランヴィジャヤこれも奥深い文明、面白い、

ある方から「あじまさの島見ゆ」という本を紹介され、読むと感動して音のとりこになっています、音はなにかある、その中にシンハラ語と古事記の関係などエッセー風に書いてあり入りやすかった、

ビジャヤ(勝者)=イザナミノミコトじゃないか?、と仮説し話が進む、ビジャヤから追っていくとフィリッピン周辺や台湾南下にもなく急に琉球にあるという、ビジャヤ=ンジャヤ=伊是名島や伊平屋島=イゼナジマやイヘヤジマからイジャナミ、へ、         実にロマン溢れる、ちなみに最近発見した八重山方言の古語で負けないとかナニクソという意味の音がある、ンジャーヤ(ンとグの真ん中アクセント)という。


シュリービジャヤの角度文明で言うと何度でしょうか?、僕自身角度を真に理解していなくイメージは出来ますが、角度は奥深いですな、角度ですぐイメージしたのは、菌、例えばヘルニアになりやすい菌が人間の体内にいると何かで読んで、とくに四国以南、九州から沖縄までの人にはこの菌に作用する遺伝子を持つらしい、定かな情報か解らないが、自然が支配するのでその緯度や角度で生きられない菌もいるとするとわかりやすい、あと色彩論、沖縄は古時代原色じゃなかったんじゃないか、紅型は原色だけど、中国そのものの歴史、古工芸品見ると素の色や淡い色、中間色が本能じゃないか?、なぜなら周りの自然界は原色にあるれるので?、逆に本州や寒い地方は自然界が深色なので、工芸は強い色、とくに金箔や装飾に力入れる、縄文土器も装飾が強い、沖縄で今も金箔は映えない、光にまけるのか解らないがなにか感覚的に強い色じゃないんじゃないか?、古代から松はあるというので琉球松は赤松的、本州の凛々しい黒松盆栽そのまま買ってきても葉色が本州で見る存在感と琉球では暴れてしまう?、これ私だけの感覚なのかなー?、色彩論でも言えるんじゃないか?、

ばらけてきましたが、緯度角度は医学的、環境的、文化的の全てに影響するという意味と捕らえていますが、いかがでしょうか?。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月 8日(木)14時05分11秒   引用
>・・徐福はネストリウス派?

・・徐福が蓬莱仙人の島をたずねて列島にきたのは紀元前3世紀の話ですよ。

>・・431年エペソでテイシオドス皇帝によって開催された第3回宗教会議で、コンスタンチノープル(現在のイスタンブル)の教父ネストリウス(任間428-31)が審問され、彼はアンティオケに追放になった。

・・ネストリウスが異端としてアイデンティファイ(?)され流れはじめたのは紀元431年。 …無理あるよ。

・・ついでに、ヤマトの秦氏も景教徒というのは、あやしい。

http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna4.htm

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ネ 呆けています。 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 3月 8日(木)07時28分58秒   引用
シュリーヴィジャヤ王国
東南アジア最古で最大の繁栄を誇った国家
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/srivijaya.html

豊穣神であることは、右のシュリーの豊かな乳房を見ても分かります
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/column/erlangga_yama.html

グラン・ビジャヤ
http://www.iiib.com/cgi/genpage.cgi?ACC=PE1&IC=7&CL=D

元軍は征服を断念して去り,ビジャヤはマジャパイト王国初代の王クルタラージャサ・ジャヤワルダナ ... さらにマタラム王国の霊妓寺院,チャンディ・ロロジョングランは,インドネシアのヒンドゥー教建築として第一の聖殿である。 ...
http://www17.plala.or.jp/plus51/S/B1/Indonesia.html

作事成就真言
オン アボギャ 【ビジャヤ】 ウンハッタ
【訳】不空尊よ、最勝の力以て諸障を破壊し給え、諸願を満足せしめ給え
http://naoe.net/mikkyo/word_04.html

 吉祥天 ちじょうてん  きっしょうてん
http://www.tctv.ne.jp/members/tobifudo/butuzo/kisho.html
http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/kisyoten.pdf#search='%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%BC'

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~ubukata/oriori/ori_files/1995/1015_1.html

子育て観音(マリア観音)・・・・うちの近所の神社にも在ります 景教にマリア信仰?・・・ !豊穣神
http://www.sukima.com/16_hanamaki01_03/07maria.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3

ネストリウスは、マリアは人間であり、イエスも人の子として生まれたとし、「神の母」という呼称を否定した。 第3回宗教会議の発端はマリアの呼称でありながら、結論はそうでもないように見えてややこしい。 ...
http://www.asahi-net.or.jp/~CY1N-STU/asahi/anth02.html

景教徒はYHWH教・・・・・バチカン(ローマ)メイソン神武とは、相容れない!・・・徐福はネストリウス派?

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 7日(水)19時28分27秒   引用
海底遺跡の研究はある意味今の価値観で見ないほうがいいかもしれませんね、縄文種渡来さんや、tomboさんの自然支配のたち現れる角度の文明、その交差する辺りになにかヒントが隠されているのでしょうか?、

実際に残る古代エジプトを中心としてみなさまわ見てらっしゃるのでしょうか?、角度文明とその引継ぎは合理的で解りやすいので・・・・、エジプトに通じていなく場当たり的な学習していますが、中央アジアなのか、昨夜も地震で揺れた辺りなのか、スマトラ周辺でしょうか「シュリー・ビジャヤ帝国」についてまったく通じてなく、このビジャヤの音に大変興味があります、どなたかわかり易く解説して頂けませんでしょうか?、角度などあれば直面白いのですか・・・。

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仮に 投稿者:管理人しも 投稿日: 3月 6日(火)22時21分41秒   引用
okinaさんさっそくご視聴ご意見いただきありがとうございます。

アトランティスとか、超古代文明があったと証明されてくると実は渡来人研究会はおもしろい話題ができてきますね。

アトランティスが到達した石造文化・製鉄・組織・祭祀文化と、古墳時代の渡来人が到達した石造技術・祭祀の比較なんておもしろいところです。

たぶん同じくらいの水準の技術や、組織、宗教が出てくるような気がします。

ある意味、縄文時代の頂点の時代の文化と、渡来人の文化比較みたいなことにもなるかもしれませんね。そこからどういう変化が現代に向けて行われたのか、文字の有無が現代文化との相違をもたらしたのか・・・。

宗教性の比較をやはりわたしのほうでは、研究したいですね。
与那国は昔からつずく神事文化と、渡来系のもたらした神事文化の相違とか・・・。

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アトラスとレムリアか?、 投稿者:okina 投稿日: 3月 6日(火)18時43分24秒   引用
管理人しもさん、アトランティス情報ほんとに興味深い、まだ解明できず謎ですね、まず哲人プラトンもこの文明を意識していたこと、それに近代に入りヒットラーまでもこの古文明をしらべていたとわ、超能力者のエドガーケーシーのいうエリア、ビミニロードというところはたしかに幾何学に並んでいる、ヒットラーが注目したエリア、マルタ島もエジプトより古い遺跡がある、キューバの映像はまさに幾何学構造物ですね、マヤとも近いデザインでしょうか?、ピラミッドのようだ?、それに与那国の直線とも近い気がします、面白い、

現代この地域にその名残血を持った末裔はいるのか?、与那国は昔からつずく神事文化は残っていそうだ、しかし現代人はどうなのか?、たしかに15〜16世紀沖縄本島の首里城の城壁や石工頭は竹富島の西糖という人が歴史に残ってる、石加工技術人は八重山の人を当てたという、歴史には先島の反乱を抑える為だと書いてあったが、八重山には15世紀ごろまで石加工テクニックは口伝承であったのかもしれない、首里より古い今帰仁上、勝連場など石工技術もあった、沖縄には石工組織もあったのでは?、与那国島海底遺跡とアトランティスの情報を興味深く比べています。

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アトランティス 投稿者:管理人しも 投稿日: 3月 6日(火)02時54分4秒   引用
http://jp.video.msn.com/v/ja-jp/v.htm?g=42bf1e84-af76-4f88-9b7c-966b34137d74,bc1dd6c7-9929-46e9-93e3-ff2ffafb015d,89977f7e-0c76-4b23-ade8-56558e6aae32&t=m116&f=40/98&p=JAJPentertainment_JAJPnationalgeographicch&fg=

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 5日(月)14時57分24秒   引用
縄文渡来種さまへ、アラム語で=石、そしてペトロとても私にとって重要な情報ありがとうございます、そして24度の位置、面白い。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 5日(月)14時30分22秒   引用
八重山方言=ユノーンという、ドナン・ドゥナン=与那国島の人が言う言葉、そこの地酒泡盛=花酒はアルコール80〜90度ある、ここだけは国から許可もらってるそうだ、その酒ほんとに火がつく、胃も焼ける強い酒です。

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与那国の卑弥呼とラマダン 投稿者:okina 投稿日: 3月 5日(月)14時19分2秒   引用
与那国島は八重山方言ドゥナンといいます、渡南でしょうか?、15世紀琉球王国は各島と統治した税を強要しその王朝の維持費は先島・宮古八重山諸島の米や工芸の布などで交易の仲介利益は薩摩との貢だったのでしょう?、

クブラ割の歴史にあるように与那国は15世紀人口が増えたこと、おそらく首里王国に反逆した思想的政治犯を先島へ島流ししたとある、とくに与那国島は辺境の地で重罪人がいた、その子孫が増え首里王国は反逆異分子を押さえつけたと想像します、

しかし先島だけは15〜16世紀縄文人末裔を彷彿させる人物が出てきた、首里国への革命者たち、八重山にオヤケアカハチ、その後、与那国にはサンアイ・イソバ=女酋長、どちらも巨体の持ち主と歴史に残る、イソバは邪馬台国の卑弥呼を連想させる、現在でも与那国の女性は強い、気が強い意味なのか芯が強いのかその島の女性と付き合わないと解りませが、私には時間なくお金なく子持ちなのでその真相は確かめられませんが(笑)・・・。冗談はさておいて、

ハブのいない与那国島は十のオンがある、大型蛾ヨナグニサンで特異なエリアですが、ここは神事重要な島で、与那国の島は神高い場所だと昔から言われている、その島から出た女性ユタは的中率高い霊能者が多い、
女酋長=サンアイ・イソバは16世紀この島を統治し外的からも島を守った人物、邪馬台国・卑弥呼の末裔かもしくは同族の血が入った女性か?、

その与那国島には興味深い秘祭がある=マチリ・神の刻(カンブナブ)と呼ばれ旧暦10月(かのえさる)の日から25日間、獣肉(四つあし)類一切食べてはいけない神行事、とてもラマダンと似ているがマチリは司(与那国方言でカーブ)が取り仕切り25日かん行われ25日目にアンタドゥミという行事で終わる、与那国島のマチリは超古代文明の名残なのか?、

与那国方言は琉球で特異な発音があり、現代生活してらっしゃる島民の祖先は恐らく宮古島と同祖かもしれない、発音はどちらとも特異性を有している、どちらにも在来馬がいる、ユタはどちらも優秀で系列は同一と聞いたことがある、

「サンアイ・イソバ」は邪馬台国・卑弥呼を連想させ秘祭「マチリ」はラマダンを連想させる、

詳しいサイト:「与那国きび刈り日記」(第一章秘祭マチリ)の中〜、

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海底神殿 投稿者:管理人しも 投稿日: 3月 5日(月)00時03分28秒   引用
okinaさん、縄文渡来者さんこんばんは。
与那国の海底神殿のサイトを見ていましたが、こちらはやはりおもしろいですね。

http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/shinden/index.html

明らかに日本の後代の古墳時代の技術に匹敵する石加工技術が、7000年前に存在していたという感じがしますね。現状の比例直線的な進化論とは別に、波線的な進化論を考えていくべき時代が近いのでしょうか。人間の知能は、数千年前からさして変わらないとすると、ある程度の石造技術と、団体組織・支配の群れシステムが自動的に生成されてくると、それなりの石造物ができてくるのではないでしょうか。ピラミッドにしろ、・・・。

海底が沈みこむという現象は興味深いですね。与那国島はそういう経歴があるそうです。

DNA面で気にしていることは、やはり日本の縄文人は、色白だったのではないかということですね。普通の博物館の縄文人のイメージ図では黒っぽい肌の人として描かれますが、どうにも日本人を眺めていると、彫りの濃いがっしりした縄文的な人にかぎって色白だったりしますね。

縄文時代の数千年間で、彫りの濃い縄文人が、海抜の高い高地、しかも東北など気候が暑くない場所で、丸山遺跡みたいに高緯度の直射日光の弱い温暖なところで、長く定住し続けると、はてさて黒い肌のDNAができてくるかどうか疑問があります。むしろ白肌で、温暖適応した彫りの濃い顔の人のほうが出来上がりやすいのではと感じます。寒冷適応すると、フィンランド人みたいに、身長が高くなりますが、縄文人の場合、そういう傾向はなく、比較的小柄のまま維持されていたようです。

さて、そこで沖縄やそこにいた与那国島の人種は、もし数千年もそこにいたとすると、本来どういう適応をしていったのでしょう。

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・・キファ、ケファ 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月 4日(日)10時24分7秒   引用  編集済
・・ペトロのことらしい。ケファはアラム語で「石」の意。…オキナワ読みならキファでしょう。

>・・パウロも書簡の中で、ペトロのことをケファと呼んでいる。この名はイエスが「私はこの岩の上に私の教会を建てる。」(マタイ16:17-19)と言ったことに由来している。

*

・・石垣島の川平、カビラは、北緯24度。…エジプトのアスワンあたりと同じです。

・・PARAPサイトは下記のとおりです。
http://www.parap.org/

・・感動!

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ラビとオンの星座 投稿者:okina 投稿日: 3月 3日(土)23時03分6秒   引用
管理人のしもさん、PIKKIさん、縄文種渡来者さん、こんばんわ、

北にアイヌ、南に海底遺跡、ほんとに日本は様々な顔を持つ国とおもいます、
この差異からひょこっと何かが出てくるところにヒントがあり民族文化の奥深さを知ります、

幼少より見慣れた文化がこの差異によって見えてくるもの、恐らく古代は恐ろしくダイナミックだったのかもしれませんね、

八重山諸島のオンのイビから見える星座、古代人はなにか言いたいのか?、もっと大胆なか仮説でもいいんじゃないか?、と思っています、このような場を作っている皆様ありがとう、

琉球はアイヌ民族や台湾先住民の文化とわ違う、いろいろな混ざりがある、しかし近年与那国海底遺跡がでた、では何なのか、という所だと思います、古代シュメールに関係しそうか、それとも失われたムであるのか、全体の文化の差異で見るほうが解りやすくかつ解明が早いと思います、そこで、八重山の川平村のオンを見ると星座が見えもしかしてtomboさんが仰っている角度の文明の交差の残文化かこれからの面白さです、八重山方言はヘブル語調の発音と意味も近いものがあります、それは特に神儀のものですが・・・、

・川平村の各オンを守る司は選ばれる、それも代々司の家系の血筋が重要視される、まず司になる前に女性神役者「ティナラビ」を勤める、このラビの中から司は出る、

・男性神役「神事総代」スーダイとムラブサ(村補佐)が儀礼の整えや力仕事、日々の管理までする、

詳しくはサイト:「総合日本文化研究実践教育プログラム」中の「大学共同利用機構活用事業群」 杉森真代さんがフィールドされていて詳しくリアルです、

川平村のオンは5つありますが、村中の4つが生活に密着したオンです、

・ユブスオン=川平湾に近い、ユーバイブスは流れ星、ユブ=西表東部の方言で砂、や珊瑚の意味、由布島の語源、この湾で黒真珠が取れる。>シュメール伝説で真珠は不老不死の花
でしょうか?、砂神。

・ムルブシオン=スバル、シュメール>ムルムルでしょうか、

・キファオン=村の東南にあり川平湾の南、この湾をキファ湾と言って八重山の重要な港、出航する時はこのオンで司が祈った>アラビア語では天秤座、恐らく天候も占ったであろう、そして命も・・。

・アーラオン=このオンにビッチュル石がある、沖縄ではビッチュル信仰といって、よく海底からあがった石は縁起としてオンに祭る、この由来はニライガナイでしょうか?、しかし海の満ち引きは月読みだと思うので、全般に月、>マヤでは月をイン・チュルとも言うようで、ビッチュル信仰は月なのではないか?、

以上長くなりましたが、ヘブル語のラビ=川平村の「ティナラビ」は同じ役目、八重山の神司もヘブルを感じる。

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動物とシャーマニズム 投稿者:管理人しも 投稿日: 3月 3日(土)21時30分25秒   引用
okinaさん、PIKKIさんこんばんは。
沿海州の踊りは、okinaさんのおっしゃるように、鹿の格闘のように見え狩猟民族や動物のトーテムのそれを思わせますね。また、その楽器も、アイヌとつながりがあるムックリの音とよく似ており、アイヌ文化の起源と、大陸沿海州や高句麗との交流を感じますが、PIKKIさんご指摘のごとく、沿海州経由で、入ったとされるアイヌ人や縄文人?の遺伝子解析と関連するかのように、その原始的な動物をトーテムとするシャーマニズムが残存しているとするとおもしろいですね。単に農耕民族に対比して狩猟民族であるという以前の段階の、みな狩猟民族時代のそれなのでしょうか・・・。アメリカインディアンに残った原始モンゴロイドの文化と、台湾・アイヌ文化の比較はやはり重要ですね。渡来人というと、ある意味新モンゴロイドの研究になってきているので、古い原モンゴロイドの特質を、比較する上でももっと明らかにしたいですね。

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皆さんこんばんは 投稿者:PIKKI 投稿日: 3月 3日(土)20時52分17秒   引用
以前僕の掲示板でも話題になったのですが、沖縄犬やアイヌ犬や甲斐犬や韓国の何とか犬等はDNAが一致しているそうです。
それと、先日も日記でもともとアイヌのユーカラは動物に変装してシャーマン的霊能者が踊る起源だとするアイヌ人言語学者知里真志帆の説を紹介したのですが・・
これがヨーロッパのクロマニオン人の洞窟壁画や、新大陸やアボリジニの動物壁画の起源でもあり・・人類最古の宗教意識ではないかと思えるのですが。
それを現在でも伝えてきたのが、アメリカ先住民やアイヌの一部日本人の動物守護霊というトーテム等ではないのでしょうか?
そこから分化してきたのが、シベリアのシャーマンであったり、沖縄のユタやノロや東北のイタコや歩き巫女や天皇即位儀式でもないのでしょうか?
アイヌ民族のイオマンテという熊祭で、熊の頭部を尊いあの世から恵みをもたらす客人として飾ったり村落のはずれに骨を飾ったり、沖縄でも戸口に動物の血を塗ったりも・・それらの名残なのかも?
http://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 3日(土)16時58分47秒   引用
映像見ました、トラが出てきましたが、琉球犬は=赤トゥラー(赤トラ)ともいう、縄文犬の血が半分入っているという、

踊りはとても興味深いですね、トーテムですね、鷹のような仕草、鹿のステップ、雄じかの決闘、やはり狩猟民の踊り、狩猟民といえば台湾の先住民の踊りもいのししをかたどったステップ、あと同属一つにするハーモニーなど狩猟民族は同じじゃないでしょうか?、

きている衣装は韓国の民族衣装にも似ている、素材は絹でしょうか?、絹だと生産しているんでしょうか?、衣装はひかっていたので?、全体的にアイヌ文化に近いようなきがしますが?。

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琉球・蝦夷・沿海州 投稿者:管理人しも 投稿日: 3月 3日(土)15時46分19秒   引用
okinaさん、縄文渡来種さんこんにちは。いつも興味深く記事を拝見しています。
琉球の歴史、岩手?・縄文ときたところで、ひとつお知らせがあります。

歴史問題掲示板に書き込みされている岡本さんとMBTVの提携で、アジアの国際支援の現地映像を掲載するサイト「PARAP」が運用開始されました。そして、サイト第1弾の現地からの動画映像として、シベリアのトラや、沿海州の民族の踊りや音楽を掲載しています。

そしてこの沿海州の踊りや音楽、風習については、個人的にはアイヌ系のムックリなどの楽器や、高句麗系の踊りの文化が影響を及ぼしあっていると思います。

そこで、突然ですが、沖縄や南方系の文化の視点からこれらの踊りや音楽・風習を見たときに、なにか共通するところなどないでしょうか。なくてもそれはそれで面白いところですが、なんでもいいので、お知らせいただければと思います。

PARAPサイトは下記のとおりです。
http://www.parap.org/

お返事お待ちしています。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 3日(土)14時24分59秒   引用
沖縄本島ではそういうかもしれませんね、長老に聞いてみて、何かあればおしらせします、

「赤湾の世直し」はおそらく民族学者の柳田先生の初期著に遠野物語を取り上げていて、「岩手の赤湾・黒湾伝説」をもじったとおもいます、でも「赤湾の世直し」はちょっと外間守善氏の説もはいっていると思うので、琉球民族の歴史が湾曲されていそうです、外間氏は沖縄学で縄文を湾曲させていそうだ、と僕はみていますので・・・。

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・・ユノーシ、世直し 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月 3日(土)10時59分30秒   引用  編集済
>・・ワラビのとき一歳まじかになるとき親は子供の審判するそのとき縁があるものに童名をつける、

・・これ「世直し」っていいませんか? …友だちから聞いてうろ憶えですが

・・「赤椀の世直し」の意は何でしょう?

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ヤハウェと八重山 投稿者:okina 投稿日: 3月 2日(金)16時29分31秒   引用
八重山=ヤウェ=ヤエ=八、

面白い、そして奥深い、

八重山の島建ての神話はヤドカリから始まる、古事記にもよく海のもの出てきますね、
クラゲなど、そのまま直訳したら味気なく神話わ面白くない、いや古代人は奥深く柔軟に言葉と音に秘めさせたのでは?、

古代八重山はユダヤの失われた部族作ったのかもしれません、

やどかりは方言で=アマン・アーマンという、一つ八重山方言で接続語関係なく単語並べます、


・先祖(親)はアーマン・アマン(ヤドカリ)から生まれました=                  八重山方言:ブネー、アーマン(アマン)カイヤ、ンマリアドゥール。
  (ブネー=親)


・ヘブル語(日本訳)聖典=人の子よ土にかえる、(これ格言ですか?)
  ヘブル語音=ブネーアダーム(アダマー)

八重山:ブネー=親、これ同じ意味、アーマン=へブル語のアダマーやアダマンが秘隠でアーマンやアマンにそして近世現代の我々には味気ないヤドカリと訳した?、
八重山方言はヘブルです、生まれる=マリヤ、単語だけ見るとユダヤです、アーマン=アーメン。

おそろしく似ています、島たてユンタは裏にヘブル語があるような気がしてきました。

いかがでしょうか?。

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音の似相とアラビア風 投稿者:okina 投稿日: 3月 2日(金)15時10分19秒   引用
肝を計る審判神ーヌビア・アヌビス、

皿=キファ、天秤座、星とともにある農、芒種、

沖縄では昔から童名が主流、ナビー、カマドゥ、ガーヤー、ガーミー、ブザー、そのままのカメ、ウシー、サンミー、などなど、

ワラビのとき一歳まじかになるとき親は子供の審判するそのとき縁があるものに童名をつける、例えば金をはじめに遊び道具にしたら=男はサンミー(数える意)
ウシーは=牛、ナビー=鍋、これと思っていたが、このナビー巫女やノロと関係するそうだ、

祭司ナビー=ヌビアー

リンク先の絵を見たら天秤と皿ヌビアーは顔が黒い、黒い顔で思い出したが、宮古島の 「島尻パーントゥ」、顔面全身泥で真っ黒、この泥をやたらにそこらじゅうに付けまくる神聖な儀、このパーントゥは頭にマトゥー(すすきのティアラ冠)をしダシャン(杖)
を持つ、すすきをパソコン変換したら芒、芒種と関係あるかも、あと星(五芒星など)、
星や種を杖で探す〜、「マトゥ・ダシャン」この音中東だ、

宮古島はアラビア文字の発音が似合う?、

キファの川平村は後ほど・・・。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月 2日(金)11時48分8秒   引用  編集済
・・エフライムの娘はSheerah、シェラ→Asher、アシェル→Serah 、セラ・・アシェルの娘

・・こうなら、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトの血はセラには受け継がれないことになる。

(ルカ福音書2:36-37)  「また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女 の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた」

・・ヌビア、nubia→anubis、アヌビス、

http://www.moonover.jp/bekkan/sisya/sisya-gazou.htm

・・八重山、ヤウェーなんてのもある。

・・キファはカバラ系にもみつからない。イスラム・アフリカ系ではないか?

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 1日(木)19時36分38秒   引用
縄文種渡来サマ、

あーやっぱり興味深いですね、皿=天秤キファアウストラ、音は何かあります、恐らく川平村にあるオンは天星と深く深いつながりがあると見えます、そこにあるオンの由来調べようと思っています。

キファ=天秤座、キファオンには船出や海や貝に深く関わる場、ちょうど川平湾入り口の黒真珠養殖会社近く、

川平村の東にキファおん、北西にムルブシィオン、あとアーラオンというところ、ここに力もち現す儀に使うビッチュル石がある、アーラオンにはなにかありそうだ、

その村に節祭りの静かな祭「マユンガナシィ」の神、マユンとは〜

シュメールちょっと見てみましたが、an-maのma=母胎、沖縄で母や祖母にアンマーともいうマ、 シュメールの神で=An=アン神=天神、

アンマティール・エンマティール=大いなる森の神殿、

マユン=マ+アン=マアンーマアユンーマユン・ガナシィ。
それ解釈して母胎にまいるアン神(天神・天照)=あめのガナシィ、

マーは大、ミャレ=2、エシェ=3、リムナ=4、

8はなんていうのか?、星座現す八はあるのでしょうか?、八光紋=菊紋=米の形=五穀豊穣、

ウズラ=島、その中の星座の見立て、ロマン出ます、


八星座、黄道上の第八星座は乙女座と蟹座の間にあるというが、八を意味するシュメールの言葉興味あります。

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・・キファ 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月 1日(木)12時49分52秒   引用  編集済
・・アラビア語で「皿」を意味するそうです。天秤座の「皿」ですね。キファ・アウストラリスという星もある。「南の皿」

>・・アストラエアは、神々の中で最後まで地上に留まって人々に正義を訴え続けたが、この時代に至り、遂に、欲望のままに行われた殺戮によって血に染まった地上を去った。

そして彼女は天に輝く星となり、それ故「星乙女」と呼ばれるようになった。 現在その姿はおとめ座とも呼ばれている。また、善悪をはかるために所持している天秤がてんびん座になったとされている。

・・Asteriaなら星座を意味する。ゼウスに追われてウズラとなった。…島にもなる。

・・天秤はエジプトの死者の書にもでてくるが、その係りは誰だろう。

・・西アフリカのモーリタニア国には、キファという町がある。…砂漠がすばらしい。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 3月 1日(木)12時05分47秒   引用
縄文種渡来者さまへ

八重山の川平村はなにかうすうすあると思っていまして、ぼくの中では大変に貴重な情報分析です。

川平村と西表村は村同士にとても深いつながりがあると村の老から聞いたことがあります、その川平村のマユンガナシィの神が降りた伝説は南風野家が発祥で大昔荒夜の夜更けこの家
にミノカサでクバ笠(ビンロウの帽子)被ったとてもみすぼらしい老が宿がなく尋ねてきた、南風野家の人は慈しみ温かい御もてなしをし泊めて上げる、明朝にこの老は白い煙を立ち上げ白い髯をなびかせた神となってこの村を五穀豊穣をもたらすと言い渡しそらの彼方へ消えて行ったそうな、
その川平村のオンは天体と関係しそうな見立て、ムルカがあり天秤座などあれば間違いなくそうだ、キファにはなにかありませんかね?、

アメノミナカナシ・天之御中主とても興味深いですね、島根県にある神社は伊邪那美命でしょうか、八重山神社がある、
伊邪那美命の吐く息から風神=天神は生まれたという、風
沖縄本島では風をチともエとも発音、東風平町(こちんだ)、南風原(はえばる)

日本では風に関する言葉はいろいろありますね、イブキ、イマナカ(今中)、ィヤ(八雲)
イヤ=大気・宇宙に因、弥栄=ヤエ・イヤサカは風に起因、イン(風、陰)
八重山では風をインと発音することもある、カジヌニィとかインヌマイ=風回り、西表島に南風田(ハインダ)という地区があるなど、

貼り付けできませんが情報源サイトがあり、参考にしました、詳しくは「言葉から風を考察」というサイト。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 3月 1日(木)10時23分38秒   引用  編集済
・・ナナティブシユングトゥ(竹富)>七星ユングトゥ

・・北斗七星の命に応えられず南の島へ踏み落とされ、南斗七(六)星の命に応えられず北の島へ踏み落とされたという。落ちた島は同じでしょう。

・・そこで、スバル六星の命を受けました。

・・ティンヌイビユ>天の真中を
・・トゥリル>運行しておる

・・六芒星はユダヤの紋章。…イビ=真中、天之御中主、アメノミナカヌシかも。東へ向かう

・・ゆ ywu、これが「を」woではないか? ユダヤ、jew これも「ゆ」

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リュキヤとリュウキュウ 投稿者:okina 投稿日: 2月28日(水)17時40分50秒   引用
音は延々と民族になにか残すんでしょうかね?、

あるサイトで琉球の字の源の意味は「流された王、その王を求める」と、

嘘か真か定かではありませんが、興味深いもの、その中にかのローマの地でユダヤ人が囚われていた地=リュキヤ、

流れる民の琉と重なる、リュウキュウ(レキオス(西洋発音)=リュキヤ

・情報源サイト:「不思議沖縄(沖縄の人は何処から来たのか)」
   サイトにあるカテゴーリーの中など・・・・。

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・・セラ 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月28日(水)11時51分17秒   引用  編集済
・・エフライムの女系

・・:20 The sons of Ephraim: Shuthelah, and Bered his son, and Tahath his son, and Eleadah his son, and Tahath his son, 7:21 and Zabad his son, and Shuthelah his son, and Ezer, and Elead, whom the men of Gath who were born in the land killed, because they came down to take away their livestock. 7:22 Ephraim their father mourned many days, and his brothers came to comfort him. 7:23 He went in to his wife, and she conceived, and bore a son, and he named him Beriah, because it went evil with his house. 7:24 His daughter was Sheerah, who built Beth Horon the lower and the upper, and Uzzen Sheerah. 7:25 Rephah was his son, and Resheph, and Telah his son, and Tahan his son, 7:26 Ladan his son, Ammihud his son, Elishama his son, 7:27 Nun his son, Joshua his son. 7:28 Their possessions and habitations were Bethel and its towns, and eastward Naaran, and westward Gezer, with its towns; Shechem also and its towns, to Azzah and its towns; 7:29 and by the borders of the children of Manasseh, Beth Shean and its towns, Taanach and its towns, Megiddo and its towns, Dor and its towns. In these lived the children of Joseph the son of Israel. 7:30 The sons of Asher: Imnah, and Ishvah, and Ishvi, and Beriah, and Serah their sister. ・・(The First Book of Chronicles)


・・エフライムの娘はSheerah、シェラ。

7:24 His daughter was Sheerah, who built Beth Horon the lower and the upper, and Uzzen Sheerah.

・・アシェルの娘がSerah 、セラ、ですね。

7:30 The sons of Asher: Imnah, and Ishvah, and Ishvi, and Beriah, and Serah their sister.

・・共に兄がBeriah、ベリアという。「禍のさなか」の意。

…このシェラ、セラを「エフライム工房」は混同しています。でも、セラピストの流れをつくったというのは当たっているかも。>^_^<

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・・オン、音 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月27日(火)21時52分38秒   引用
・・なんか音楽になってきたみたい。

・・群星、ムルブシをリードするのはユダ、ユタかな。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月27日(火)15時54分48秒   引用
再度失礼します、
川平村は昔から天然の港がある、とユンタにあります、港=川平湾、現在は観光地ですが大昔島を出る船は川平湾に停泊し天候を見、出向したと古謡(ユンタ)は今に伝えます、

ここは干潮になると砂地が出てまるで砂原になる、この川平村はかなり古い村でオンがたくさんありこの川平湾入り口には発音になにかを感じさせるキファオンがあります、

キファはムルブシ(ムルカ)と関係あるのか?。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月27日(火)15時30分34秒   引用
石垣島の川平村=ムルブシィオン=群星御嶽。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月27日(火)15時28分38秒   引用
シュメール語興味深いですね、

ムルカオン=川平村にありオンに祭司が輪になりハブを手渡しする儀式がある、蛇の頭部に宿る蛇霊力を授かる、霊力とも関係ありそうな象徴儀、

ユンタでは星を人間に見立てている、

八重山方言で山=ヤマナ、川=カーラ、スナ=海、ピトゥ=人間、ピナイ=髯、

ブンニ(現在のバンナ岳の下辺りで石底山(旧名ー石城山)辺りに先住民がすんでいたという、ブンニの下辺りにマフタネー(現在の大川四町内)=マフタネーピトゥ=大川四町内の人となる、

マフタ、ブンニ、ピトゥ、なにかほんとに感じさせる。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月27日(火)10時20分26秒   引用  編集済
・・ヨセフとアセナトの子はマナセとエフライム。この二人はイスラエルの血に加えられる。旧約には記されてないが、仮にヨセフとアセナトの間に女子が生まれていたならこの女子の系がヨセフ以外のイスラエルに流れて女系はアセナトの血が希釈されてゆくということもある。それがユダの秘密になったりして(想像ですが>^_^<)

・・オンというのはエジプトの血の復権かもしれぬ。

>・・ヨセフは実を結ぶ若木 泉のほとりの実を結ぶ若木。 その枝は石垣を越えて伸びる。 GEN49:22

・・スバルはスメールでしょう。ユダ=スメール。

・・スバルはヒヨコの群れかも。


>・・「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を
表す日本語「スバル」との間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定
するなど、だれにも夢想だにできないことだった。…

>>・・「スバル」=古事記、日本書紀、では「すまる、統る」とも記す。ちなみに
沖縄方言でムルブシ(星)八重山方言でムルカ星と言う。「スバル」星は「東」
の方角を指す道標。天皇(スメラミコト)も東に輝く「スバル」のミコトでは?

http://72.14.235.104/search?q=cache:CdRIdcqDJhsJ:academy5.2ch.net/test/read.cgi/min/1080832320/101-149+%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%80%80%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%AB&hl=ja&ct=clnk&cd=14&gl=jp

・・南斗六星(いて座)とスバルは別もの。

・・ほかにおもしろいのに南極老人星、カノープス星というのがある。…古エジプトで心臓以外の臓物をいれたカノポスの壷と関係あるかも。

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南斗六星はムルカ 投稿者:okina 投稿日: 2月26日(月)14時14分2秒   引用
古代から星は重要だと思いますが、ユダヤの中でスバル星を重要視した関連ごとありますか?、

ナナティブシユングトゥ(竹富)>七星ユングトゥ

・天ヌ大明ガナシヌ>天の神様から
・ニシナナブシユバ>北斗七星に向かい
・ヒトゥダミユ>人のためになるような
・シ ウリディ>してくれと
・イジュタラ>命ぜられたのにたいし
・ナラヌディ>私には島の指図は出来ませんと
・クトゥワリ>断った
・ユンドゥ>わけで
・パイヌシマカイ>南の島へ
・フントゥサレ>踏み落とされた

・パイナナティブシユヨウ>南七星に
・ヒトゥダミユ>ヒトのためになるように
・ショッティ>事せよと
・イジュタラ>厳命されたが
・ナラヌディ>私では島の指揮は
・クトゥワリ>不可能だと断った
・クトゥワッタ>否と断った
・ユングトゥ>かどで
・ニシイヌシマカイ>北の島へ
・フントゥサレ>踏み落とされてしまった

・ムルカブシ>昴星の
・ルツクニンユ>六人に
・ピトゥダミユ>島の指揮者に
・ショウリッテ>なってくれと
・イユタラ>命ぜられたら
・オッティジ>畏まりましたと
・ウキダル>お請けした
・ユンドゥ>わけで
・ティンヌイビユ>天の真中を
・トゥリル>運行しておる

・ピトゥニンギンヤ>人間社会の人々が
・チクルムジクイ>農業や諸作を
・シオウラバ>されるならば
・ムルカブシユ>昴星座の運行を
・ケントゥシティ>目標にして
・チクリムジクイ>農業や諸作物を
・シオウリ>作りなさい(そうしたら)

これ読むと渡来した様髣髴させ、流れる民を連想します、例えばキリストも救世主として伝えた東からきた使者がいると聞いています、古代は星座で海路陸も運行したと思いますがスバル星を重要視していた古来部族は興味がある。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月25日(日)13時45分14秒   引用  編集済
・・八重山諸島にはD2の染色体がないという< のはハム系の血が来てないということか?・・ヤマトに見られるD2はマナセ、エフライムがアセナテから継いだものを保存してきているとみる。

・・八重山にユダヤの香り、ならマナセ、エフライムとは別系統ということらしい。…オン、恩をよく知るものはユダかもしれぬ。

・・オン、on、 イウヌ(ン)、iwn =葦の穂・ウズラの雛・さざ波

・・on ai→eでone  iwn→ywn→un、une  …もともと「1」を意味したんじゃんないか? 女性形で。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月24日(土)20時11分17秒   引用
これの(イウヌ(ン)は何をいみしてますか?、沖縄ではさんご礁(リーフ)にできる外洋の境目に池のようなものはイノーといいますが・・・、

オンの奥の奥は聖域で入るなと教えられていまして、ノロや役割ある人しかはい場は岩だけや木だけしかない所=イビといいます、門口の前は=イビヌマィ、
オンに庭があり庭の座敷はバンクといいます、
日常八重山方言ではイビーは驚きや最高の意、
沖縄ではガナシ=尊敬する神の名や尊敬語、ガバシィ、
これに関連する相対文化はありますか?。

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・・イウヌ(ン) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月24日(土)12時04分58秒   引用
・・nは波ですね。

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ブーとカバラ 投稿者:okina 投稿日: 2月24日(土)01時49分26秒   引用
下記打ち込みミスすみません消してくださいませ、

縄文種渡来種さま>ぼくは思いつきと直感のみなのでそこのところお察し願えますか、
琉球語にはWO(を)とO(お)の変化はぼくが知る限りないと思います、古語をみてみまして関連するものあればお知らせします、

琉球語はお知りだと思いますが母音が「ア、イ、ウ、」しかないそうでエ=イにオ=ウに発音します、御殿おとの=ウドゥンのように。

オンのこのような展開は興味ふかくおもいます、先島には伝説がありまして現在の4つの村が構成された現在の石垣市があります、その村の発祥地はマフタネー(大川村)の北ブンニと呼ばれるあたりに今はなくなった石底山(昔名・山城山)が発祥地、ここはユンタ(古謡)に出てくる聖地、伝説にはこの山には先住民がいて渡来した人との殺戮戦があったと伝える、先住民は追われたらしく田を開くため現在の石垣村の宮鳥おんのあたりに移住する、時が流れ宮鳥オン付近にすむ兄弟の姉に神が降り人間は神の子でその生き方を教えはじめるそれが教訓となり島に伝わる、その石底山付近は現在の人種よりも先住した人がいたことを現在に伝えています、

ここから出る遺物はとても古いという、その北あたりには縄文に関係したものが出てくるかもしれません、興味ありましたらヤフーで「島建てと聖地」覗いて見てくれれば幸いです、

オン=女祭司と符号しそうなハム系女系、これはユダヤ系と関係しますか?、
沖縄の民間風習でユタがあります、昔からセラピストであり指南役であり個人の心理に深く根ずいている存在ですがその風習でとてもユダヤを感じるものがあります、
交通事故があったり、何かのきっかけで体調ふるわなかったりとにかく普通じゃなくなったときマブイ(魂)が逃げていったといいユタにマブヤークミさせます、例えばぼくが交通事故にあった時祖母がユタを呼び現場までみんなで行く、現場で石3つ拾いこれを握り締め目つぶりユタは背中からそのいマブヤークミを祈祷し背中を3回たたき魂入れる呪いする、それからブー(苧麻)の繊維を紐状に輪にしたものをブレスレットのように腕に付ける、
その輪が切れるまで付ける、切れたら魂が落ち着いた意味らしい、
これの風習はあまりにもカバラのカバリストたちがするレッドストリングーマドンナやベッカムがやっているものそのもの結び目なんかも瓜二つと感じます、沖縄本島のある地方ではブー(苧麻)ではなくリュウゼツランでつくる繊維もつかわれるそうで、ハム系はもしかしてユダヤ人系もいるのでしょうか?、カバリストの流行は沖縄のマブヤーととても重なりますがいかがでしょうか?。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月23日(金)20時54分38秒   引用
WO,O

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・・イウヌ(ン) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月23日(金)10時24分5秒   引用  編集済
>・・ラー信仰の中心地は、のちに「太陽の町」と呼ばれたヘリオポリス。古代エジプト人はイウヌ(ン)と呼び、これが訛って、聖書ではオンと呼ばれている、下エジプトの町である。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/mania/sinwa.htm

・・聖書でオンと呼ばれるのならオンはイスラエル読み、渡来人の読みであろう。ヘリオポリスはギリシャ語読みではないか?

>・・ヒエログリフをエジプト読みすればオン、イスラエル読みすればヘリオポリスという話もある(エフライム工房)。…

・・これは、どうも???ですね。

・・八重山の御嶽、オンがエジプトのオンの町の名から由来するとすれば、イスラエルであるマナセ、エフライムの女系の流れが八重山にもあったかもしれない。・・オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトはハム系の血です。

・・御嶽、オンタケ、ミタケとはヤマトで読みます。「御」のオンは神武がエフライムの流れともいいますからもともとはエジプトのオンの名かもしれない。

>・・八重山諸島にはD2の染色体がないという< ・・のは、ヤマト=エフライムでなく「アセナトのハム系の血」が女系の流れで、直接、八重山に届いたということでしょうか?よくわかりませんが。

・・あと個人的関心ですが、オキナワには、wo(を)、o(お)の区別はありますか?

・・韓国の貨幣単位はオン、ウォン?

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月21日(水)11時26分5秒   引用
縄文種渡来者さま>まず下田原遺跡には縄文弥生とわ繋がらない無装飾ですね、間違った情報あいすみませんでした、非縄文系です訂正します。

あとぼくはエジプトに通じてなく解りませんがオンと八重山とDNAになにかあるのかなと単純におもってのこの打ち込みです、

八重山方言で西をイリと読みます=西表島、もう一つ西方向は=ニシンタ
東を=アリ、東方向=アイヌ、アイヌパリダ=東方向に行ったと言いますが、      前方向を=マンタ、後方向を=シンタといいます、

縄文種様ご指摘ありがとうございます。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月21日(水)10時52分43秒   引用
・・宮古、八重山には縄文の影響はないんじゃないか?

>・・3500年前に突然現れ、忽然と消える八重山最古の土器、下田原土器

http://www.yashinomi.to/semi/yashidai1_05.html

>・・西=イリ、東=アイヌ、後=シイ、東=アリ

・・これよくわかりません。東=アイヌとは?

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上エジプトは川上「南」では? 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 2月21日(水)10時28分31秒   引用
http://www.moonover.jp/bekkan/bigin/egypt-map2.htm

?「 エジプト王国初期の首都は上エジプトにあり、その後、下エジプトに移っていったとされています。そのためか、比較的新しい都市の遺跡が多いみたい。」
 下エジプトには、観光名所として誰もが知るギザやカイロはもちろんのこと、太陽の町として知られていたヘリオポリス、メンフィス、地図にはありませんが、その近くにはサッカラやダハシュールといった、ピラミッド群の中心地があります。

!「古代エジプト人の子孫は、今は「川上の国」ともいう南エジプトに住んでいるらしいです。 」
「人々は、それがはるか南の川上からやってくることを知っていたし、エジプトの南端、 ... "と、されていた氾濫だが、実際はエジプトの国境よりはるか南方、ヌビアの奥から起こっていたことは、古代エジプト人も知っていた。 」
http://www.moonover.jp/bekkan/mania/kunum.htm

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オンとDNAのD2 投稿者:okina 投稿日: 2月20日(火)17時46分25秒   引用
ちょっとマナセが気になりヤフー検索で「マナセと八重山」と見てみた、
「DNA分析とエフライム」の中の「1、Y染色体DNAによる日本人のルーツ」という興味深い情報に>縄文種渡来者さんがいわれているアセナがある、

エジプトのオンの祭司ポンティフィラの娘アセナテからエフイム、マナセにはいった〜、やあと失われた10部族にマナセ族がいること、あとDNAで分析したら八重山諸島にはD2の染色体がないという、完全に本島文化とわ違うような気がしてきました。

エジプトのオン祭司ポンティ・フィラ

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月20日(火)16時54分32秒   引用
女の聖所>全般的の沖縄の司は女性、「なんとかの機械」じゃなく島をも左右する存在、霊力つかさどる祭司はまさに女性です、先島のオンはいわゆるゼロの空間、竹富島で岡本太郎でしたっけこの何もない空間に神をを見たとか、それぐらいなのもないその場の存在だけに意味をもたせたのか?、
実際現在でもオンでの祭司事は御嶽で何日か寝泊りし神ごと行われる、その時はまさに男子禁制、差し入れも境界線間際においてるそうだ、オン=女世界。

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・・オン 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月20日(火)16時24分55秒   引用  編集済
>・・GEN41:49 ヨセフは、海辺の砂ほども多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた。
GEN41:50 飢饉の年がやって来る前に、ヨセフに二人の息子が生まれた。この子供を産んだのは、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトである。
GEN41:51 ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。 「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。」
GEN41:52 また、次男をエフライム(増やす)と名付けて言った。 「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった。」

・・渡来人のヨセフがいよいよ土地の娘をもらう。オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトである。エフライム工房では、女、オンナのオンとかやってたけど>^_^<

…どうでしょう、女の聖所「御嶽」はやはりこのオンの名残りの気がしてきませんか?

・・ヘリオポリス、オン

http://www.moonover.jp/bekkan/bigin/egypt-map2.htm

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アカマターのこと 投稿者:okina 投稿日: 2月20日(火)13時59分35秒   引用
エルライム工房の出先機関面白いですね、ロマンつのります、これらの文明人風貌ビザージュはアジア人に似ているそうですね、

アカマタユンタ(古見)を一つ、

・センピロマンピロヌ>千尋も万尋もある、
・ファリドゥヌ>遠い遠い海の遠くに、
・アナンカラ>安南国から、
・ワタリオッタ>渡来してこられた、
・シスマタアカマターヌマイ>白マター赤マターの御前、
・キューヌピバイラビ>今日の吉日を選び、
・クガニピバシラビ>黄金の日を調べて、
・ヤイニユークナチユーバ>来年の豊穣来夏の豊作を、
・ニガイスサルバ>祈願いたしますから、
・ヤイヌユーバナウラシ>どうか来年の豊作の世に、
・クナツユバミキラシ>来夏世の稔り豊作を、
・タボーリ>恵みたまえ、
このユンタで歌を歌い迎える家で村人が祭事する、この豊穣をもたらす神は安南国から渡来したとある。

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縄文種渡来者さまへ 投稿者:okina 投稿日: 2月19日(月)19時38分49秒   引用
オンといいますね、おんたけ(御嶽)と思っていたが、
そういえば夏7月頃に石垣島の4つの村の豊年祭がある、そのことをオンプールという、
どっかの言葉にないでしょうかオンのニュアンス?、集合場所のようなもの、やはり沖縄本島とも一味違う気がします、

ちょっとエチオピアは思いつきぎみですが、しかしヤナギリシダカムカデは八重山台湾と急にエチオピアに属するそうでなにかアルノカナーと単純に、
八重山の神歌今度調べます、ユンタといわれるものでキツガン祭という村の女集や司がオンにあつまりる行事、神酒を作り実際最近まで祖母がモチ米なのかコメなのか噛み砕き瓶につめ発酵させる白い酒、そんで神酒は先島が古いと聞いたことがある、
八重山の神歌は色々ある、願いかけるニガイフチ、ユングトゥ、神の言葉模したカンフツ、そしてアユー、アヨー今度詳しく調べてみます、
パナリの焼き物ヤクユンタもあり興味深い、パナリにはアカマター、クロマター、シロマター、という村の神儀式がありあまりにも秘密結社なので情報ないが、アミニズムで実際に化身する行事がある、この行事するオンには門があるイメージ的にパリの凱旋門を平べったくし、小さい凱旋門のヴォールト細長い半円空間が門で上部の壁面は興味深い紋をくり貫いている、まず左側に円(O)多分太陽、右側は三日月、これは何でしょうか完全に本島文化でもなくミクロネシアでもなく中東と南洋文化混ぜ合わせた世界のような気がします。

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オン 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月19日(月)10時23分28秒   引用  編集済
>・・御嶽は、「ウタキ、ウガミ、ムトゥ、オン」などと呼ばれる聖域、神がいる場であり、八重山では「オン」と呼ばれています。

・・琉球語はaiuの3母音でなかったかしら。八重山で御嶽をオン、onというのは不思議ですね。

・・オンというのはヨセフがエジプトに流れた時、その名の町がある。

*

・・オンの町は聖書名で、ヘリオポリスのこと。ホルス神を祀る。
・・ヒエログリフをエジプト読みすればオン、イスラエル読みすればヘリオポリスという話もある(エフライム工房)。…どうか。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月17日(土)12時41分43秒   引用  編集済
>・・お盆祭りの「アンガマ」のウチュマイ・ウンメーの面

http://www.yukai.jp/~point/katteni/saijiki/angamar-men02.jpg

・・これですね。

・・エチオピアのユダヤ系とは初耳です。・・下地勇さん、テレビで歌ってるのたまたま見たのですが、はじめはコトバもわからないし外人かと思いました。歌手デビューするまえは東京で(?)ケイバ、ケイリンにのめりこんでた。負け続けたそうです。それから借金を返すのとバクチから脱出するのとで長距離ドライバーの仕事をやったとか。・・それで一度宮古に帰ってそれからですね。歌の方は。

・・コトバはやはりわかりませんが、okinaさんがおっしゃることもわかります。

>・・八重山方言で「トゥバル」=出会いという意の発音ある、トゥバラーマという抒情詩歌は古くから歌われる即効詩をつけるスタイル、

・・「トゥバル」というのは、創世記にカインの末裔でトゥバルカインという名があります。金属精錬工とかの流れらしいです。

(追記)

>・・ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった。

・・「青銅や鉄」が主であるようです。鍛冶屋でしょうか。・・アダムの子カインから七代目の子がトゥバルカイン、これは出雲のスサノオから七代目の子が大国主命というのに似ています。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月16日(金)19時08分37秒   引用
下地勇さんのことで=宮古方言の発音はともかくとして、彼の顔立ちは完全に弥生系じゃないでしょ、まるでエチオピアのユダや系の顔立ち、中東の顔立ちは宮古八重山に多いかも、例えばお盆祭りの「アンガマ」のウチュマイ・ウンメーの面見てください、エチオピア系です。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月16日(金)18時52分19秒   引用
>縄文種渡来者とみなさまお邪魔します、

沖縄本島でも山原(やんばる)現在の名護市北の名称、それに南風原(はえばる)かなり古い村、原=ばると発音多い、でも沖縄本島は弥生系がはばをきかせ縄文抹殺したと見ていて、げんに弥生時代の鉄の高技術の遺跡があると聞いています、
なぜ「ばる」が先島が重要かというと、下田原遺跡(シモタバル)が八重山の波照間島にあること、この遺情報は貼り付けできないので興味あれば見てください、

「やしの実大学」の「太平洋総合」の中の「八重山の先史時代」縄文系の出土器たくさんある。

現在八重山方言は喋れてないんじゃないかな、バルという音に着目しています、八重山では地区名で山原あり発音は(ヤンバレー)、苗字もバルろ読むもの多い、しかし日露戦争時代なぜかわからないが改名多い歴史がある、時の権力者からの指示でしょう、昔先島は3文字苗字多かったと聞く東上里(ひがしうえざと)、後上里(しいうえざと)、入稲福(いりいなふく)等、発音で漢字あとのような気がします、
西=イリ、東=アイヌ、後=シイ、東=アリ
八重山方言で「トゥバル」=出会いという意の発音ある、トゥバラーマという抒情詩歌は古くから歌われる即効詩をつけるスタイル、バルときけば先島の空気感連想します、
宮古島と与那国島は共通しているところがある、先祖は同一かもしれない、まず方言の発音が特異で近い、馬は各島在来種、石垣島の尊長倒すために挟み撃ちした武力じゃなく女司で、ユタなども宮古ユタと与那国ユタはルーツ繋がるらしい、

TV見てませんが全国に出てるんですか、下地勇さんはどう感じますか?、でも方言なんとなくわかりますでしょ、アイヌのように確固とした文化のスタイル維持してません琉球は、
混ざって変化させている、もう先島の遺跡と与那国海底遺跡でしか縄文おっかけられますんね、あと公園の名は、ここ過去米軍基地で最近返還され新しい地区ですが旧村の名称でつけている、銘刈というところや(ここは天女の羽衣伝説ある)安謝というより海岸に近い地区でひがしばる、と読ませてある、本島発音だとあがりバルとなるような気がしますがひがしとあるので印象となりました、このあたりは小さな拝所たくさんあり海と関係していたとおもいます、航海祈願や先島と縁があるなとみています。

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okina さん、 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月16日(金)10時18分59秒   引用
>・・ばる、という発音は八重山諸島が重要なキーポイントかもしれません、今住んでる家の近くの公園那覇市東原公園(ひがしばる)それと伊平屋島は琉球の中でも興味深いところで・・

・・okina、翁かと思いましたが沖縄のオキナですか?きのうテレビを見てましたら、下地勇というミュージシャン、宮古島出身とのこと。宮古方言で歌をうたうそうです。歌つくりにはサトウキビ畑にゆくとか、で、畑はシマ語で「パリ」というらしい。ですから「パリに歌をつくりにゆく」なんてヤマト人にはいうらしい。

・・話がそれました。いまご自分の住まいされてる近く「那覇市東原公園(ひがしばる)」についてもすこし語ってください。

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okinaさん、岡本さんこんばんは 投稿者:PIKKI 投稿日: 2月13日(火)00時51分26秒   引用
文明をー「誰もが参加できる普遍的で合理的で機能的なもの」と定義するなら世界最古の日本列島からシベリアにかけての「土器文明」と言った方が適切なのかも?
日本書紀・古事記での天孫族以前のアニミズム的世界は、まさにアイヌ民族の世界と言うべきなのでは?
彼らの宗教の中心と言うべきイナウ(御幣)と同様のものがオロッコやギリヤークにもあるそうだし、熊を神の国に送る「イオマンテ」はシベリアのいくつかの民族と共通するものです。
アイヌ人言語学者知里によれば「ユーカラ」という神話の語源自体が、「動物のさまをなす」という・・神謡がもと狩りの予祝祭で、シャーマンが動物神に扮して演じる所作事の詞章であったことからきた名称だそうです。(「アイヌ文学」1955)

日本列島の北のイタコや南島のユタ等のシャーマン文化が、朝鮮半島やシベリアや新大陸のシャーマンと類似しているのは周知の事実です。アニミズム的な動物起源や守護霊・守護動物もまた・・
詳しくは、現在休止中ですが、僕のHPの「シャーマン」のページをご覧ください。
日本列島の大半では、それらの伝統的な文化が急速に失われようとしているのですが・・
神社等で神の使いが動物(本来は神だったのが零落して)だとか、子供に動物名をつけるとか、動物との通婚物語とかもまた・・
動物を神とし、先祖として仰いだ時代の記憶の痕跡なのでしょう。
http://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki

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久部良割り 投稿者:通りすがり 投稿日: 2月11日(日)13時42分12秒   引用
http://www.j-area2.com/japan/alacarte/okinawa/yaeyama/kuburabari.html

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おもしろいですね 投稿者:岡本豊 投稿日: 2月11日(日)08時16分7秒   引用
PIKKIさん

だと思いますね!

最後の氷河期は環太平洋規模の大きな人類ロマンを秘めている感じがしますよね。

私は、新モンゴロイドに追われたという時代以前にすでに東シベリアのタイガに故地を持つ古モンゴロイドの南漸は、ユーラシア大陸中央以東の内海の乾燥と東に向かった乾燥氷河泥の砂嵐は東シベリアのタイガの狩猟民の生計の基礎を破壊し、彼らの徒歩の長距離南漸を促しました。

ヒマラヤ山系の南麓から長江以南の山岳地域経由で移動した北族はやがて太平洋沿岸を北上し日本列島に移動します。取り残されたのが今日のチベット、ネパール、ブータンの諸地域だと考えています。北上した 古モンゴロイドは山東省から満州平野にいたる地域で北からの新モンゴロイドと遭遇し、ユニークな複合文化を形成します。私に言わせれば、これがいわゆる「天孫族」の出自ではないかと空想します。

岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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パナリ焼き 投稿者:tombo 投稿日: 2月10日(土)13時28分13秒   引用
焼くことによって赤み茶系発色する黄色い粘土がる。丁度明るい赤茶色の煉瓦の様な色ですね。赤に拘るのは倭の習性である。
この系統の焼き物はインド・ハラッパ文明が代表でしょう。
紀元前2500年〜紀元前2000年頃のことです。
そして紀元前2000年頃にはハラッパ文明は生活品は置き去りにして忽然と消滅している。彼らは列島にも渡来したであろう。(この流れは割愛)

パナリは新城(アラグスク)の呼び名のようですが、興味津津な名ですね。
pa-na-ri と言うシュメール語なら、「偉大な人に成長する出先機関」という言葉なのです。
明確な分析は資料不足でできませんが、縄文草創期や早期のパナリ焼きが出土すると面白いことになるのですが。沖縄本島から縄文草創期早期の土器が出土する可能性はないが、与那国島周辺からはその可能性は残されています。何故なら焼き物は邪系の文化だからです。与那国海底遺跡には亀と亀の甲羅のモチーフ石があります。
亀は夷で亀の甲羅は邪です。夷と邪の共立斎場があの海底遺跡であったことはほぼ間違いでしょう。北緯24度の文明です。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月 8日(木)23時57分47秒   引用
縄文土器の出現は僕も可能性薄いと思います、しかし特に先島には興味深い陶芸技法があります、パナリ焼きが有名で貝などプリミティブな意匠、縄文髣髴させる、現代では再現した陶芸家がいて大嶺じっせいさんがかたつむりを混ぜた興味深い創作しています、tomboさんの見解興味深く思います、特に与那国島は古代と深く関係ありそうで巨石文明も彷彿させる特異な場、ハンコック氏も訪れ飛んでいますが先島石垣は僕の出身なんで掘り下げたいと思ってます、15世紀前後琉球国が動いた頃唯一石垣島は反逆した歴史がある、各村で尊長が出てきて琉球本島国の搾取に立ち上がった、筆頭にオヤケアカハチホンガワラという身の丈がでかい赤毛で目の色異国な人物がいた、伝説になってますが琉球国は要注意人物として久米島のノロユタと兵隊など幾戦を送り込み与那国と宮古島を味方にして攻め込み勝利したという、実際に現在の与那国と宮古島の言語をくらべれば特異で共通点もある、宮古馬と与那国馬の様に、石垣島周辺はある意味孤立している、ある説でオヤケアカハチは韓国のホンギルトンという英雄が流れ着いて定着したという説と沖縄の神話気味になっている曲亭滝沢馬琴の源為朝伝説「梅説弓張月」の面白さの伝説と重なる、とくに与那国では琉球国による久部良割りの暗い人口削減がありましてコントロールされていた歴史あり現在残る歴史でまともに見るとわからない、権力者は常に歴史隠蔽がその仕事だとおもいますから?、その意味で「赤湾の世直し」は今の考古学者も含めなにか見落としている部分はないのか?、とおもっています、曲亭馬琴はその当時琉球学をしていて新井白石や藤井貞幹などとも交流していたという、国学にアンチする珍説をなどを。                     沖縄から縄文をおっかければ面白いはっけんがあるかも知れません、ありしひの柳田くにお先生は遺言として「沖縄本島の東海域を調査せよ」と言ったという、もしかして作られた国学覆すなにかが眠ってるのかもしれない。

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okinaさん はじめまして! 投稿者:tombo 投稿日: 2月 8日(木)15時42分6秒   引用
>「アマミク」という神話は縄文を隠蔽した可能性がある、

ミクとはmikmikというフィリピンのタガログ語でしょう。
アイヌも琉球人も「神は小さい」という表現があるようですがmikmikとは「小さい」という言葉です。
「アマ」を漢字に置き換えると「邪馬」でしょう。
古事記の仁徳の項で、「邪=あ」・「馬=ま」と読ませています。
又、「邪馬台国」を「ヤマたいこく」と読むのは amaの頭にYの子音を置きyamaと捩じったからでしょう。
「アマミク」が神なら「小さな小さな山の神」の意であるといえる。

>「もしかして邪馬台国は沖縄が要だったのかも、隠蔽した日本の歴史はもしかして琉球によって解き放たれるかもしれません」

最古の文明の隠蔽は人の意に因るものではなく、自然界が支配しているということ。
それに、人は従順しているだけ。
河姆渡遺跡は北緯30度にある禹の韓国(夏華・殷・周)文明ですが、
キザのピラミッドも又、北緯30度にある北緯30度の文明です。
キザのピラミッドの地下への回廊は26度の傾斜になっています。
女王・王への回廊も26度の傾斜である。これは過去も未来も北緯26度の文明を引きずっていることを意味しています。この北緯26度に倭の出自があるる。北緯26度とは沖縄本島になる。それ以前の文明は北緯24度にあった。
この文明は海に水没した。この北緯24度の文明は、「邪と夷」の文明であった。
北緯24度の文明とは与那国島の海底遺跡です。
さて、キザのピラミッドの地下には、北緯26度の回廊が切られているがこれは行き止まりに成っている。何故なら、北緯26度の文明は北緯30度の文明が引き受けたからである。そしてこの地下には一本の方形のピット(井戸状のもの)が掘られている。このピットの下には水没した北緯24度の文明があったことを示唆しているのである。
同じように、北緯24度の与那国島海底遺跡にも6〜7本の方形・円形のピット(井戸)がある。これは北緯24度の文明以前にも幾つかの文明が有ったことをメッセージとして残したものであろう。スンダーランドやムー大陸の伝説があるから。

>「赤碗の世直し」という本は面白そうです

お椀先生の沖縄と邪馬台国の係わりに関しては吝かではないが、沖縄で縄文土器を探しているようだが発見は絶望的でしょう。
沖縄が貝の文化を受け入れるのは今から6000年位前の頃でそれ以前は草木文化とト占(鹿)でしょうから。土器の文化とは可也遠い。

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初めましてー 投稿者:PIKKI 投稿日: 2月 8日(木)00時52分48秒   引用
沖縄出身の有名なウイルス研究の第一人者の根路メ国昭氏の「ウイルスで読み解く人類史」(徳間書房)中の、血液ガンの原因の成人T細胞白血病ウイルスの分布図を見ると(沖縄とアイヌに異常に多く、次いで九州や東北が多い。世界的にはアフリカや新大陸先住民やメラネシアやインド)・・
約一万年前に終わった最後の氷河期時代に、インドネシア・ニューギニアから揚子江・黄河河口から日本列島、新大陸まで地続きだった最古の土器文化圏から・・
この氷河期にシベリアで寒冷地適応した新モンゴロイドに追いやられた古モンゴロイド=縄文人の直系が沖縄人やアイヌ民族なのでは?新大陸先住民やメラネシアやヒマラヤ周辺へと追いやられたあ人々もまた。
http://members.goo.ne.jp/home/pikkibikki

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クマヤ洞窟 投稿者:通りすがり 投稿日: 2月 5日(月)23時40分55秒   引用
http://gpzagogo.s8.xrea.com/kumayadokutu.html

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月 5日(月)14時42分12秒   引用
アイヌと沖縄はと遠くて近いかもしれませんね、しかし15世紀それ以前琉球国が意識動いた頃国家形成の為の作為が神話に見られます、弥生系人が奄美方面から古来の沖縄を支配シタ、「アマミク」という神話は縄文を隠蔽した可能性がある、沖縄の伊平屋島には最近縄文人骨が出てきた、港川人の人骨は完成まじかの博物館に東大かわ戻ってくる、その研究機運がもりあがるでしょう、                              ばる、という発音は八重山諸島が重要なキーポイントかもしれません、今住んでる家の近くの公園那覇市東原公園(ひがしばる)それと伊平屋島は琉球の中でも興味深いところで「天の岩戸」がある江戸時代藤井貞幹という考証学者が「天の岩戸はイヘヤのクマヤ洞窟なり」と当時の国学者の本居宣長らと激しく論争の歴史ある、沖縄には興味深いものがおおくあり、もしかして邪馬台国は沖縄が要だったのかも、隠蔽した日本の歴史はもしかして琉球によって解き放たれるかもしれません、「赤碗の世直し」という本は面白そうです、またお邪魔します。

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okina さん 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 2月 4日(日)13時06分10秒   引用  編集済
・・沖縄の人ですか?

・・沖縄にもアイヌの痕跡がたくさんあると聞いたことがあります。ほんとでしょうか?

・・「原」をバルと読むのはオキナワにも九州にもみられます。縄文語でしょうか?

>・・「原」を「ばる」と読む地名を調べました。(「学者牛」というホームページで調べました。)
その結果、福岡県が42カ所、佐賀県が12カ所、長崎県が14カ所、熊本県が28カ所、大分県が32カ所、宮崎県が17カ所、鹿児島県が15カ所、沖縄県が23カ所でした。

http://www.asahi-net.or.jp/~hi5K-stu/bbs/bbs0109.htm

>春採湖

・・自然との共生 ハル オ 卜 haru o to 自然の恵み豊か な 湖

http://www.stv.ne.jp/radio/ainugo9907/lesson3.html

・・原、バルはフェニキアのバールのことではないか?清音でハルなら「春」でアイヌ語にもある。

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(無題) 投稿者:okina 投稿日: 2月 2日(金)19時46分53秒   引用
初めまして、オノゴロ島で検索してめぐり合いました、ビンロウ椰子がでてきますね古事記に、古事記は夏の臭いがする、と書いてある「あじまさの島見ゆ」とても好きです、
縄文、弥生のいにしえのときは謎が多くロマン溢れますね、
そういえば天の岩戸がある宮崎、鳥インで大変でしょうが東国原知事がんばってほしい、
「ひがしこくばる」と言う苗字何か縄文の香りがする、彼の顔も渡来系な骨格、
天孫降臨の宮崎らしい、天の岩戸といえば

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豊穣神がバラバラ 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 2月 2日(金)18時44分33秒   引用
バラバラ
http://www.weblio.jp/content/%E5%88%86%E8%A3%82
http://www.ecobeing.net/ecopeople/peo27/peo27_3.html
ヒトデ的再生と増殖・・・・海洋民族的発想?

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いろは歌 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 1月29日(月)14時44分57秒   引用  編集済
・・ありがとうございます。

・・あるサイトの文脈では、いろは歌の内容は仏典の涅槃経に習ったものだという通説に対して景教徒が創作したものだということでした。細かな検証ができませんでしたのでこの板をお借りした次第です。

・・ひきつづき思考してみます。とりいそぎ。

@・・以前から気になっているのですが、アイヌは列島の縄文人が弥生人に追われて北海道にまで逃げてきたものでしょうか。それともカラフトや大陸からの流れて来た民族でしょうか。

A・・あるサイトでこうありました。

>・・グノーシス 十支族
(ギリシアの「ダイモーン」は後の「デーモン」となるが、かつては天上の神々を意味し「光を灯す」「照らし出す」の意味であった。
 しかし、この「ダイモーン=デーモン」が悪魔の意味に成り下ったのは明白にキリスト教の影響である。後にすべてを正そうとグノーシス主義が生まれるが、異端とされ失敗に終わる)。

*(追記 ↑のサイトすこし怪しいです)

*(追記 別のサイトではすこし違った解釈がありました)

>・・英語のデモンの語源は、古代ギリシア語のダイモーンで、これは人間に強い情動の類を外部から憑かせる存在、あるいは、強い情動自体と考えられた。

・・グノーシス主義は、同じ異端宣告を受けているネストリウス派との接点は無いのでしょうか。よくいわれるネストリウス派は景教であるというのは疑問です。景教の景は光り輝くの意味だと記憶してます。それならグノーシスと近くはないか。

・・話をバラけさせてごめんなさい。違う話でしたら無視されたし。

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古事記・エジプト 投稿者:しも 投稿日: 1月29日(月)00時03分54秒   引用  編集済
岡本さん、縄文さんこんばんは。
個人的には整理がつかないと書きまない主義ですので、忙しくなるとお返事遅れますことご了承ください。というより、管理人しもなしで、どんどん論議が進んでくれる掲示板がたくさんできることを望んでいます。でないと、持たないので・・。

さて、カトリックとスペインの残虐な侵略行動、十字軍の残虐性や、魔女狩りなど、カトリックの教えを誤解させるような過ちを、犯してきたことは否定できないでしょう。最近は教皇もその辺について反省と謝罪を行ってきたことは周知のとおりです。
宗教行動からくる残虐性は、神道だと国家神道と化して、アジア侵略に向かったことなどがまた有名ですが、マルクス主義ならスターリンの弾圧なども有名ですね。

ともかく彼らの行動というのは、どこか本質からずれているのではないかと感じるわけです。スペインの植民地=カトリックの教えと理解されると、いわゆるスターリン=マルクス主義者と同一視するようなところがあり、つまり本質を得ていないだろうということとなります。宗教や思想を見るとき、その悪い部分だけをマスコミはピックアップしすぎますが、そこだけを見て、日本人はどう判断するかということがあります。結果としては、すべての宗教と思想とには近づかないという、基本的な日本人のスタイルができあがってくるわけです。しかし、それは、あくまで宗教や思想の悪い外見だけを垣間見ただけにすぎず、本質を理解するまでにはいたらず、結局マスコミと国家のいうとおりに、動いていくということを意味しています。個人的にはもっと日本人は自分の好きな宗教、思想、考え方をもっているべきではないかと感じます。どれも何かその悪い側面が怨霊のように降りかかってくるのを恐れて深くは近づかない、そんな感じがしますが、ある意味日本人の仲間同士での付き合い方にも、明らかに外国人と違う、一定の距離を置いた付き合い方をする、そういうところと関係しないのかなと、今日もお隣の国の方と話していて感じました。

さて、DNAの話、新約聖書の元の発祥地は、中東で西洋ではないのですが、ゲルマン的なそれと初代教会のそれとを一緒にしないことも重要ではないかと感じます。パウロは最終的にはローマに行っておりますが、基本はシリアや中東から布教を始めています。
また先日放送したエジプトのコプト教会など、アフリカ方面にも聖書の教えはひろまりました。いまでもエチオピアでもキリスト教徒が多くおり、シバの女王を伝承としてつたえているそうです。

コプト教会を取材した書物に、「砂漠の修道院」山形孝夫著、平凡社があるのですが、今日はこちらを読んでいて、いろいろエジプトの死者の思想というのが実におもしろいことに気づきました。砂漠の修道院というのは、ナイル川の西岸にあるのですが、西岸というのは、古代エジプト王国の時代から死者の国、つまり三途の川の向こうの世界を意味したそうで、死者は、死んだ後、ふたつの魂にわかれ、ひとつは鳥となって飛びたち、もうひとつは墓の中で、供養のものを食べて生きていくそうです。そこから、ピラミッドには死者の魂が、死後も気続けれるように現世の生活をそのまま残して模造されていくそうですが、この二つの魂の思想は、中国にも同様のものがあり、日本にも奈良以前に同様のものがつたわっています。その死者の国たる西岸に、修道院が4〜5世紀にこぞって作られるということは、彼によると、現実世界の縁を断ち、砂漠のはるか遠くの世界へ向かう、いわゆる現世との死を意味するのではなかったかということでした。それほど、エジプトの文化は母と子のつながりや、家父長制、・・・とつよい縁の世界だそうです。

おもしろいのは、オシリス神が原始の豊穣神から、徐々に信仰を集めていく段階です。
考古学によるとエジプトの原始には、死者が黄泉がえらないように、体を細かく分断して埋葬する習慣があったそうで、それは、農業を教えたオシリス神が他の神ねたみによって、箱に入れてナイル川に流され、その後さらに体をバラバラにしてエジプト各地にばら撒かれたことと関係するそうです。その後、死者の復活儀礼として、体の各部を集めて、縫い合わせミイラして、復活の呪文を唱えて、王が復活することを儀式として行うそうです。
そういうところは、スペンサーなどの考古学者にも研究され、この豊穣神とバラバラとの関係は、日本史でも同様に豊穣神がバラバラにされる月神の例もあるように、いろいろ研究者の間でも考えられているところですね。

そのほかいろいろ呼んでいくと、きっとエジプト考古学者と日本考古学がともに見るものは、いろいろ接点が多くあるのだろうと感じます。

そこで問題は、これらの宗教・思想・儀式的な類似性を、渡来とみるか、DNA的?人類共通のものと見るかということがありますが、その辺の見極めは渡来人研究会の仕事のひとつであります。問題は、真実をいかに科学的に論証するか、普遍なのか独自なのか、伝播なのかですね。渡来人研究会では、特に伝播という結果が出てきた場合に、いかにその伝播という事実を受け入れるべき精神面での準備を、将来の歴史学や国民にむけて備えていくか、それが本研究会の役割でありまして、さまざまなケースバイケースを、推測してみて、対処策を練っていくことも重要であろうと感じます。いろいろ自由にその可能性を論議して対処案を出していきましょう。

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いろは歌に寄せて 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月28日(日)21時54分18秒   引用
縄文種渡来人さん

違う話ではないのでは...と思います。
私たち人間は、この地球という星の生息環境を共有する上に、一方では客観的認識能力から、他方では全く個人的で主観的な情感の世界までも共有しているのだという事実の証明ではないでしょうか。
人類の歴史では、最も先に進むのは科学=物質的環境支配テクノロジーの領域のようです。産業革命以来の近代史の不断の経済グローバル化がそれを証明しています。
そして、最も遅れるのが生活文化の中の無形の精神文化の世界での進歩では無いでしょうか。中でも宗教という形の精神文化のグローバル化は最も抽象度が高い故に最もおくれた部分となっているようです。
宗教の名において中東世界に西欧的民主主義を軍事力で強制しようといった行為はその例です。少なくともそれは「市場原理」による自由競争ではないですよね。
このような「ひずみ」を歌ったのが、お話の「いろは歌」と「イザヤ書四〇・六」と「詩篇一一九・三七」なのではないでしょうか。

必要なのはグローバル化が進む人類社会に実情に見合う、だれもが受容できる新しい普遍的宗教だというのが私の感慨です。

岡本
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 1月27日(土)09時49分33秒   引用
>・・「色は匂えど散りぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
  有為(憂ゐ)の奥山今日越えて
  浅き夢見じ酔ひもせず」

という「いろは歌」の内容は、むしろ次の聖書の言葉を思い起こさせるものです。

・・「すべての人は草、その栄光はみな野の花のようだ」(イザヤ書四〇・六)
「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かして下さい」(詩篇一一九・三七)


・・あるサイトでこのような書き込みをみました。この解釈は妥当なのでしょうか?・・ちがう話でごめんなさい。

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人間という動物の行方 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月25日(木)17時58分16秒   引用
しもさん、tomboさん

tomboさんの次のようなお話

「「今回の島原の乱での徳川家光の3万7千人のクリスチャン農民の虐殺と、その背後にあると恐れた外国勢力への警戒心は、後に全国各地で数十万人?のキリシタン虐殺から、ついには鎖国政策へとつながっていく点で、日本の支配者のあり方について考えるべきかと感じています。

秀吉も激怒したらし。フィリピン行きの船底に押し込められていた列島の若い女性を見て。フィリピンのカトリック司祭を書面を持て脅している。

「必ずお前の首を跳ねてやる!」

鎖国に決意したのは、人身売買だったであろう。
フィリピンでは、スペイン(カトリック)がフィリピン原人の30%以上の人たちをプエルトリコに強制移住させている。かわりに、プエルトリコの人たちをフィリピンに大量移住させた。

宗教と権力は別物といってもスペイン人はカトリックであったことには変りはない。人間とはその程度のものです。」」

これとの関連で私がアメリカで体験した驚くべきエピソードをご紹介します。

米国北東部(アトランティック・ノースイースト)は米国建国の地。メイフラワー号で渡来した新教徒たちの努力から始まった西欧からの渡来人の波はこの地域に13の植民地拠点(13コロニーズ)が確立され、粗末ながら多くのキリスト教教会が建立され、命をかけて渡海した白人の渡来人はインディアンに教えられて、トウモロコシの育て方や食べ方を習い、七面鳥の取り方、育て方を習い、新大陸での生活の基礎を作りました。

ところが、これらの渡来人は、日本人に似て、農業経済基盤を必要としながら、その血液の中に騎馬民族的なDNA(この場合はアッチラ・ハンのヨーロッパ侵攻以後のゲルマン民族)を持っていました。すなわち、恩を受けた北米先住民族の土地への侵略と収奪の行為(西部劇)に出たのです。この間の事情を赤裸々に示すエピソードが以下の私の体験です。

ワシントンに住んでいた私は、ある夏家内と二人でこの米国北東部の史跡を訪れましたが、その中で有名なメイフラワー時代と言ってもよい時代に建てられた教会を訪れる機会(史跡で機能してはいない)がありました。ところが、その教会の外壁に古びた板が打ち付けてあり、そこには、インディアンの男子成人の頭皮は一枚いくら、女子成人の場合はいくら、子供の場合はいくら支払う、との掲示があったのです。

もちろん、土地を白人渡来人に暴力で奪われたインディアンたちは弓矢で戦って敗北していったのでしたが、勝ったときには侵略者の頭皮を戦利品として保存したのでした。しかし、「目には目、歯に歯」なのかも知れませんが、キリスト教会がこのような弱者への復讐の賛美と賞金支払いのスポンサーとなり、子供の頭皮という言葉まで書かれていた事実に私たちはショックを受けたのでした。

tomboさんの言葉を借りてパラフレイズすれば、「宗教と権力は別物といってもメイフラワー号に象徴される渡来人は真摯なキリスト教徒であったことには変りはない。人間とはその程度のものです。」というのが私たちの実感です。そして、今日もっと大切なのは、朝鮮半島を併合し、満州帝国という傀儡政権を建て、中国(中原)への大規模侵略を計画した近代日本の歴史を我々日本人が反省するのでなければ、一体誰がするのだという問題です。

21世紀は、グローバルな規模で前の世紀の帝国主義時代の人間生活の在り方を反省して、新しい世界秩序について前向きに話し合うべき時代だと思います。そして、全アジアのために、日本がその先鞭をつける歴史的義務があるとも考えるのですが、皆さんはどう思われますでしょうか。

岡本
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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我田引水かもね? 投稿者:tombo 投稿日: 1月25日(木)13時25分53秒   引用  編集済
今回の島原の乱での徳川家光の3万7千人のクリスチャン農民の虐殺と、その背後にあると恐れた外国勢力への警戒心は、後に全国各地で数十万人?のキリシタン虐殺から、ついには鎖国政策へとつながっていく点で、日本の支配者のあり方について考えるべきかと感じています。


秀吉も激怒したらし。

フィリピン行きの船底に押し込められていた列島の若い女性を見て。

フィリピンのカトリック司祭を書面を持て脅している。


「必ずお前の首を跳ねてやる!」


鎖国に決意したのは、人身売買だったであろう。


フィリピンでは、スペイン(カトリック)がフィリピン原人の30%以上の人たちをプエルトリコに強制移住させている。
かわりに、プエルトリコの人たちをフィリピンに大量移住させた。

宗教と権力は別物といってもスペイン人はカトリックであったことには変りはない。

人間とはその程度のものです。

日本の支配者は当然責められるべきではあるが、
人身売買に加担した、列島の関係者もスペイン・カトリック信者も同じ責めを受けるべきでしょう。

犠牲になったのは弱い列島の民だった。ということ。

宗教のコントロールは「列島の得意技」の一つであることを考えれば、
キリスト教自体がターゲットではなかったでしょう。

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島国と外国 投稿者:しも 投稿日: 1月25日(木)02時13分45秒   引用  編集済
今回の島原の乱での徳川家光の3万7千人のクリスチャン農民の虐殺と、その背後にあると恐れた外国勢力への警戒心は、後に全国各地で数十万人?のキリシタン虐殺から、ついには鎖国政策へとつながっていく点で、日本の支配者のあり方について考えるべきかと感じています。

支配者の論理として、徳川時代も3代になると、いままでの安定した体制を覆そうとする勢力については、容赦なく弾圧し、しまいには徹底的に排除して鎖国してしまったということは、いわゆる日本的なのでしょう。もちろん他国にもそういう鎖国事例はありますが。

平和な安定を乱すものは、徹底的に排除していく上で、過剰な外部勢力への恐れがあり、恐れつまり怨霊が増長するにしたがい、必要以上に閉じこもってしまい、ついには孤独に関係を断ち黙って孤独な世界にこもってしまう。孤独な島国ワールドで、自分だけの世界を楽しむという論理であります。

実際、ある程度の外国からの諸知識があれば、あとは島国は特に外国の関係などなくても平和に生きていけるわけです。この点は、現在はそうも行かない事情があるので外国と交渉していますが、また外国で戦闘が繰り広げられたりしていくと、そのうち自国の安定がある程度保てれば、鎖国する可能性もあるでしょう。外国の人間がどうなっていようと、あまり関係ない、それが島国というものでしょうか。

NHKのその番組で解説した学者が言っていたように、クリスチャンの多大な犠牲の上になりたった平和な時代、それが江戸時代だったようですね。正確には徳川幕府自身のつくった支配ルールや思想、安定を乱す別の思想者の思想の自由を徹底的に奪い弾圧して成立した、江戸の平和なよき国風文化といえるでしょう。

もちろん教科書に記載はそこまで触れることもないし、番組もそうは描けないでしょう。番組の報道の公正性の限界は、実は事実を放送しようとしながら、事実は放送できないというトラウマにあるといえます。

その辺は、これからのうちの放送局の担当箇所なのですが、先日から放送している岡本さんの体験談(http://www.michaelbroadcast.net/syakaichannel.htm)の中に、アラスカでの大地震の際に、日本のある水産会社が、アラスカにすむ岡本さんからの要請に答えて、すぐに岡本さんを信頼し、経済支援のための船を差し出したという事実は、興味深いものがあります。岡本さんとその企業の社長の行動は、米国の法律を侵す危険性を持ち、大きなリスクを伴うことであり、それなりに利益はあるものの、ひとつ間違えると大きな痛手を負う行動です。鎖国文化の常識からすれば、そのようなことに手を出すことは自身の内的な平和を乱すこと以外のなにものでもなく、明らかに常識外の決断だったと言えるでしょう。天草の乱でも、3万7千人の農民が虐殺されるのを知っていても、徳川支配に反抗するものは誰もいなかったことでしょうか。異端分子は排除されるべきなのであり、黙って見殺しにすべきとの通念が常識化していたのでしょう。

しかし、例外的に岡本さんやその企業の日本人のように、経済生活・・が崩壊寸前にある集団を黙って見殺しにして眺めているだけでは済ませない日本人がいることも確かであります。そこには、あらゆる平和を乱すかもしれない恐れへの観念を振り捨てて、あるものを信じて行動するという、つまり愛を信じるという単純明快なルールがあり、それこそが聖書にもあるように、本来あるべき自然な人間としての自由な行動論理であろうと感じます。そういう行動をさせないように、ありとあらゆる余計なルールが、恐れと恐怖とをもって支配している、この支配の方法が、愛の支配とは別の、もうひとつの平和な支配の構造であり、歴史学で常に論議にあげられている偽りの平和であるわけです。

しかし日本の古代史には、そうではなかった記載がしばし見られることに注目すべきでしょう。ひとつは、百済滅亡の際に、数千人もの王族や官人が日本に渡ってきていること、その後の新撰姓氏録をみれば、いかに百済官人が多く入り込んだかがよくわかります。もちろんその中には善きも悪しくも差別待遇になったり、諸知識面での利用・優遇・・があったと思われますが、しかし、結局のところ奈良時代を通して、それは日本政府の官僚と百済政府の官僚とがある意味融合していってしまったといえるでしょう。徳川時代にも現代にもありえない出来事ともいえます。一人二人なら外国人官僚がいてもふしぎではないですが、数十氏族もの官僚が入り込んでいる、天智天皇や豪族層はそのとき何を考えたのでしょうか。次回の歴史番組、古代史解説5は、その辺についてとりあげてみたいと思います。

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そうそう 投稿者:しも 投稿日: 1月24日(水)22時16分3秒   引用
今NHKの「そのとき歴史が動いた」で島原の乱について、放送していますね。
島原の乱では、クリスチャンは全滅したそうですが、農民がいなくなったので、他の地域から農民が移住させられたそうですよ。昨日たまたまお会いしたカトリックで島原出身の方が話していました。クリスチャンへの偏見は、最近まで島原では多かったそうです。NHKはどうこの番組でその辺とらえるのかな?

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掲示板移転 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月23日(火)17時32分46秒   引用
非縄文種渡来者さん

私たちの話の内容から、今後は「歴史問題掲示板」に移ったほうが管理人さんに注意されずにすむと思うので、私たちの談合は「歴史問題掲示板」へどうぞ。

岡本
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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岡本さんの「私の心の旅路2」をアップしました 投稿者:しも 投稿日: 1月23日(火)15時26分34秒   引用
みなさんこんにちは。先日お話しました岡本さんの「私の心の旅路」シリーズ第2弾を、MichaelBroadcastインターネットTVの社会番組にて放送開始しました。下記のアドレスです。
http://www.michaelbroadcast.net/syakaichannel.htm
岡本さんのアラスカでの衝撃的な出来事を通して、日本とアラスカ原住民との間に生まれてきたことはどういうことだったのか、ぜひみなさんご視聴くださいね。

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戦国時代・・これは「侵略」歴史 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月22日(月)20時26分48秒   引用
「日本の武家社会に胎動していた明確な自我意識、権利意識、平等意識、そして遂に「下克上」の価値観」・・、・・これは「侵略」
「元」 モンゴル的 「騎馬民族」の思考と考えます。
定住型の「農耕民」 移動型の「遊牧民」
「農耕民」は守り。
「遊牧民」は攻め。
勝者は攻めの「遊牧民」
「遊牧民」は攻め。その土地に愛着を持たず、利用できるだけ利用したら新天地に移動。
現代なら「企業買収」し搾り取るだけ搾り後は売却、新たな獲物を探す狩人根こそぎ奪う。
日本のアイヌは新たな生命・恵みの根を絶やさない「定住・循環」型社会。
アメリカが資源を外に求め、他国の資源を奪う算段・・・侵略戦争・・・・狩人。
「農耕民」は限りある資源の有効利用を模索し郷土愛に執着、移動を拒む。
移動すれば移動先と民と争いになる。
古代のイスラエルの民は行く先の民に利益えおもたらす「客人・稀人」か「奪う」よそ者。
資源に乏しい日本は東南アジア諸国の資源を金に物を言わせ乱獲・・・・痕輪は荒地・・・ホローしない(金に成らない)
これは、日本人の遺伝子に狩猟民族の血がそうさせている。
勝利者は「攻撃型」(攻撃は最大の防御なり)・・・・世界中の国がこの考えだと「弱肉強食」の戦国・乱世。
古代の国家の繁栄は、植民地支配と奴隷せい。
古代の豊かさは、強奪により成り立った。
金本位制が崩れ「ドル」流通圏では値崩れを恐れる。(紙幣を限りなく印刷できる。)
EUは「ドル」の支配から脱しょうとしている。
日本は「ドル」傘のしたで「蝙蝠」の様に生きようとしている。

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談合と論議の共生 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月22日(月)14時51分41秒   引用
非縄文種渡来者さん

「やがて、日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。」(もはやそれを”日本”ニッポンと呼ぶのだろうか?)」という引用をなさいましたね。

三島由紀夫は、その繊細で鋭い感覚でそれをすであの当時予感していたのでしょうね。

私はまだそれほど悲観的ではありません。談合文化などと、少々駄洒落がかった表現を使いましたが、私は、日本全体の歴史を古代史、少なくとも飛鳥時代前後から「東アジア的視点」で根本的に見直す必要があることを痛感する者です。

三島由紀夫は自決しましたよね。しかし、共産党、社会党、社民党、民主党、国民党、エトセトラの政党の場合は、誰をとっても自分の信念の故の自決などあり得ないですよね。これが戦後日本の新保守主義「日本型ネオコン」なのですよ。この意味での日本型ネオコンは、今日の日本では最も一神教に近い「日本教」とでも呼びたい精神構造だと言えましょう。加藤衆議院議員の邸宅焼き払い事件もこの列の末端に位します。

「日本人は競争・争いを好まない国民性だと思います、だから談合するのでしょう。欧米の言いなり・・・・・もはやそれを”日本”ニッポンと呼べ無いだろう。」と言われてますよね。

私はそうは思いません。三島的な新保守主義の縁辺にまで自分を追い詰める以前に、我々は今一度鎌倉時代から戦国時代までの日本、「中世」と言うのですか、この時期に日本の武家社会に胎動していた明確な自我意識、権利意識、平等意識、そして遂に「下克上」の価値観が社会的に受け入れられるようになるまでの数百年の歴史に21世紀の日本再生への秘密兵器が隠されていると思っています。

再び言います。本当に「歴史問題」について、「話し合い」の「目的」を「談合」しませんか?

岡本
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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このサイト 投稿者:通りすがり 投稿日: 1月22日(月)14時43分50秒   引用
・・音楽のセンス抜群です。

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妄想 か? 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月22日(月)13時32分27秒   引用
日本人のルーツ(古代イスラエル)を欧米が知り 政財界の首脳(旧財閥系)に「格差社会」のリーダーを約束していたとしたら、
「日本の集団主義の常識からしてこれは政府の責任で実施されるべき「改革」だと考えているからでしょう。
このような相違が両国社会にある限り、レーガニズムやサッチャーリズムの直輸入は日本の文化風土と社会の仕組みには適合しません。 」
 政財界は法規制変え欧米資本の参入を歓迎しています。(外資に呑み込まれ始めています。)
「やがて、日本はなくなって、その代わりに、
  無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の
  富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に
  残るであろう。」
  (もはやそれを”日本”ニッポンと呼ぶのだろうか?)」・・・・世界は目前です。
 日本人は競争・争いを好まない国民性だと思います、だから談合するのでしょう。
欧米の言いなり・・・・・もはやそれを”日本”ニッポンと呼べ無いだろう。

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談合文化・・ 投稿者:しも 投稿日: 1月22日(月)01時37分51秒   引用
談合文化、いろいろなご意見がありますね。

関係するかどうかわかりませんが、マトリックスという映画を最近みました。
コンピューターの作り出す仮想世界に、人間が入り込み暮らしていくというものですが、若い世代には、かなりインパクトを持って受け入れらた映画だそうです。

シチュエーションは、環境破壊した未来では、脳に電極をつけてコンピューターによって作られる仮想空間で、最適なパラダイス環境に生きることで欲求を満たす?というもの。

仮想空間では、コンピューターエンジニアによって作られた仮想世界のルールにしたがって生きていくことができるが、それに違反すると仮想空間を監視し続ける警察部隊が、彼を逮捕しにやってくるというものでした。

そして、その仮想空間をつくったエンジニアそのものが、その仮想空間の創造主であり神であり、あらゆるルールを変更できるわけで、鉄砲に撃たれても無傷な人間?を作り出したりすることも可能とのこと。その創造主たるエンジニアのルールにしたがって、数億人の民衆は何も知らずに、隷属的な?生活を送り続けている。時にそれに気づき反抗する分子がでてくる・・。

コンピューターによる仮想空間と、そこの厳格なシステム管理ルールに生きる隷属的で無知な人間たちと、それをあやつる創造主たるエンジニアの関係、目覚めてルールに反抗する分子・・・最近のアメリカや日本の映画に多いパターンです。

もともとは、諸宗教での創造主たる神と人間との関係に、ヒントを得ているのでしょうけど、日本神話の場合は、創造主の概念は、イザナミ神話に特徴的に出ています。しかし、いまいちその辺の理解はおそらく進まなかったという感じがしますね。神が作り出したルールの観念が薄いのではないかと感じます。旧約はある意味、戒律の宗教ですから対象てきですね。哲学的な思考形態の差もあるでしょう。

キリスト教の考えとしては、ルール(戒律)による支配は、愛による協調にはかなわないというものです。旧約と新約の差もそこにあり、キリストの出現は、それ以前のルールづくめの社会から、愛そのものである神がイエスに宿ったことにより、新たな愛のルール、つまり隣人を愛せよというゆういつのルールによって、協調していくことを目指したものです。

相手へのしっかりした相互理解と愛があれば、ルールは最低限でよい。というのもルールをつくらなくても、相手への愛のある人はしっかり守るべきことは守れるからです。

談合文化においても、最終的にその目的がどうであれ、真実と愛によってなされるならば、規制のルールが破られても適切な対応ができるはず、この辺がおそらく明日放送する岡本さんのアラスカ体験の出来事にも直結してくるのではないかと感じます。

まずいかなるルールや憲法などを超えたルールとして、人間相手の場合は新約聖書の「自分を愛するように相手を愛しなさい」これが基盤となるべきでしょう。本当は宗教者は「まず神を愛しなさい」と入るのですが、まだ創造主の概念がない日本では、理解不能で無理なルールですから、前者を考えてみるべきでしょう。この2つの愛のルールに従い、新約聖書は構成されています。もちろん愛は時に厳しいこともありますが、基本的な原則は、未来永劫、人類がお互いの協調を必要とするかぎり続くはずであり、よほど人類の思考・生活方式が変化しないかぎり、永遠に新約聖書は有効とされるでしょう。そういう意味で、談合式、論議式の諸ルールの前提として、新約の上記のルールが必ず入るべきであり、あらゆる決断はその前提に添った形で行われるべきだと考えています。

あと問題は、日本の神話の中に、相手を全身全霊で愛した、相手の立場にたって理解し行動したという記載がどのくらい見出されるのか。この辺も、実は大きな談合文化の存続において課題なわけです。いわゆる聖書的な愛しかたについての記載を探す研究は、まだ日本古代史では進んでいません。行基研究あたりだけでしょうか。研究者自体にそもそもそういう聖書的な愛への理解がないことにも、ひとつの課題があります。マルクス共同体思想の根源に、聖書の共同体思想が基盤となっていることは、よく知られておりますが、その基盤を理解することがシャーマニズムの理解ともかかわりながら、課題となってくるでしょう。

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談合文化について 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月21日(日)15時07分34秒   引用
「RE 考えました」の非縄文種渡来者さん

先ずは、「立派な談合文化のあり方を再発見することは不可能ではないはずです。」について:

「立派な談合文化」の構築に必要な最低限度の条件とは:

(1)最も重要なルールは、談合そのものの透明性と開放性を高めること
(2)その結果「題目」に関して、外部の意見を入れたコンセンサスの形成を可能にする
(3)「誰もが納得のゆく話し合い」の過程はこれで確保が可能となる
(4)どんな制度の下でも「同等の知識と利害」を参加者に求めるのは不可能です
(5)「立派な話し合いの文化」の評価はあくまで現在それを創造して試行錯誤的に実施する人たちの主観的な評価です。後世での評価は神のみぞ知るという以外にないでしょう
(6)その意味では、我々がまず、上記の条件の下で「話し合い」の「目的」を「談合」しても良いのではないでしょうか

本当に、例えばまず「歴史問題」について、「話し合い」の「目的」を「談合」しませんか?
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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(無題) 投稿者:tombo 投稿日: 1月21日(日)11時36分0秒   引用
人間の絶対値に坐って居るのは、

神でもなく佛でもない。

法が絶対値の坐に胡坐をかいて坐って居る。


全ての解決を法に委ねたのは人間だ。

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(無題) 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 1月21日(日)10時27分36秒   引用  編集済
>・・まず「話し合い」には「題目」が必要でしょう。
「題目」は「誰もが納得いく「題目」でしょう。
「題目」には「目的」も必要でしょう。

・・某宗教団体ならこれらはすべて解決済みのことではないか?「題目」を個人がそれぞれに設定したら話はバラバラになるでしょう。「題目」とは何か?で論議したら「目的」の問題になるでしょうが、たぶんそれに到達する前に日が暮れてしまうでしょう。

・・親鸞や日蓮の時代をわたしたちはすでに記憶しているはずです。

・・わたしは時間が惜しい。ここで言葉をつかうならルールは無視します。「お題目」も苦手です。(苦笑)

・・や、失礼! だいぶ遅れた思考でした。

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生きられるようにしましょう! 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月20日(土)20時48分25秒   引用
「ジニ係数」が0.5をきってしまったアメリカの所得格差社会をお手本として「改革」を進める日本は、アメリカにはない重大な問題を抱えています。

それはグローバル化が進んだ今日でも日本は英米のような「個人主義社会」ではなく、依然として「談合社会」という名の「集団主義社会(グル−ピズムの社会)」だという事実です。
アメリカの場合は、徹底した個人主義社会ですから、自由競争に負けても殆どの人は挫けませんし、自分の努力で立ち上がろうとします。結果が駄目な場合も日本人から見ると驚くほどの心のバネを持っていて再チャレンジに向かうようです。勿論、このような人びとで出来た個人主義社会ですから、再チャレンジはむしろ社会的理解と支援を受けます。

大切なのは、アメリカ社会にはこれが一般市民の間で普通で当然なのだといった雰囲気が充満している点です。日本の場合は、政府が「再チャレンジ計画」なんて言って上からの行政行為になってしまって、うまく行かなければ国民は必ず政府の公的責任を問うこととなります。それは、あなたの言われる「主 商 士」の間で不公正な談合を行った結果生まれる国家のレベルでの政策決定だといわざるを得ませんね。「工 奴」ははじめから蚊帳の外に居るのが普通なのは、日本の集団主義の常識からしてこれは政府の責任で実施されるべき「改革」だと考えているからでしょう。

このような相違が両国社会にある限り、レーガニズムやサッチャーリズムの直輸入は日本の文化風土と社会の仕組みには適合しません。
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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生きられません。 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月20日(土)15時37分38秒   引用
ある神は崇拝の見返りに繁栄を約束し契約を要求しました。
その神は「商人」の神です。
このまま文明が進めば労働は「機械」が人類に変わるでしょう。
人類はサービス業で生計をたてねばなりません。
お金は「主 商 士」が握り 人口での割合は、「少数」でしょう、人類はこの「少数」の奴隷と成らなければ生きられません。

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訂正 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月20日(土)15時18分17秒   引用
「主 商 士 農 奴」→ 「主 商 士 工 奴」(農林魚業は機械化され「工業」が継ぐ)

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「目的」 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月20日(土)15時12分11秒   引用
わたしが「渡来人研究」を続けていますのは、現代での負の遺産 「貧困」が何故起こるか?です。
「貧困」の判断には貧富の差が基準と思います。(格差が無いオール「貧困」では「不満」を感じようのも無いのでは?)
原始社会での「貧富」の差は祭祀する者(シャーマン)・酋長・民・奴隷・・・・階層の成立。
古代の「貧困」は、自然界の食物が人工増加などの為 需要と供給のバランスを崩した為。
「自然界の食物」確保の為、テリトリー(縄張り)ができ敵対関係がうまれた。
戦争の勝利によりテリトリー(縄張り)の拡大と人口の増加→役割の分担・労働力としての奴隷確保→侵略戦争の拡大。
役割の分担による富裕層の増加 「契約・法」による富裕層の「権利収入」の増加。→不満分子の発生。→権力闘争。

人類の発展は知識人の拡散と競争(対立) 欲望主義(資本主義)の発展。→経済活動の維持(破壊と創造)→「戦争」(宗教と経済活動)→格差社会の増殖。(勝敗社会)
欲望主義(資本主義)者は競争(対立)を続け「王」を目指し「戦争」(宗教と経済活動)を続ける。
「資本」家・「宗教」家・「軍」族のリーダーが「格差社会の増殖」(勝敗社会)をストップさせ「楽園」を創造するには、「選民」思考を改めなければと考えます。
「選民」(神に選ばれし能力者・競争心を鼓舞考え?)ある宗教に強い影響力を感じます、支援する「商人」優遇される「官人・軍人」
「主 商 士 農 奴」 階層社会の「貧困」者は人口の大部分と成るはずです。
ストップ「階層・格差社会」が私の妄想です。

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RE RE考えました。 投稿者:縄文種渡来者 投稿日: 1月20日(土)14時18分14秒   引用
・・RE考えました。は考えすぎです。

・・ふつうに言葉をかわしてみなが生きてゆく場になればそれでよいことです。

・・「ルール」などという言葉は昔はありませんでした。ありもしない言葉をつかってコトバを多くするから考えすぎだというのです。

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RE 考えました。 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月20日(土)13時59分41秒   引用
RE 考えました。
「立派な談合文化のあり方を再発見することは不可能ではないはずです。」

「立派な談合文化」は誰もが納得いく話し合いの文化。
 可能にするには、
「誰もが納得いく」には誰もが納得いく「ルール」が必要でしょう。
「納得いく話し合い」には時間が必要でしょう。
「誰もが話し合い」には参加人数無制限が必要でしょう。
「納得いく話し合い」には参加者に同等の知識と利害が必要でしょう。
       (話が合うので新たな発見は望めなせん。)
「立派な話し合いの文化。」を評価するのは、後々の誰か?でしょう。
       ( 評価者と同意見で無ければ「立派」とは成りません。)

まず「話し合い」には「題目」が必要でしょう。
「題目」は「誰もが納得いく「題目」でしょう。
「題目」には「目的」も必要でしょう。
まず、「話し合い」の「目的」を「談合」しましょうか?

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和の生かし方 投稿者:しも 投稿日: 1月20日(土)07時37分24秒   引用
下枝です。多忙につき、レスが遅くなっておりすいません。一応全部屋(掲示板)のみなさんの投稿拝読しております。管理人の名称は、私自身どこからつけたのか覚えていないのですが、10年前の掲示板発生初期の段階での適当な名称だったと考えています。管理人の名称は、名前のとおり、ビルの会議室や事務室、商売スペースをレンタルしたり、掃除したりするわけですが、またご要望に応じて、うちのビルも部屋を貸し出しますのでお知らせください(笑)。

昨日は岡本さん、また貴重なお話お聞かせくださりありがとうございます。
和の精神の長所と短所、長所を生かし、短所を補うことが将来の日本の文化をよりよく発展させるためにも重要ですね。

井沢氏の本では、日本に特徴的な和の話し合い至上主義(岡本さんのおっしゃる談合)文化と、怨霊信仰が、ともに古代から日本には存在していたとの説を展開しております。

これらは、私などもそうですが、絶対的な神観念や倫理規範を持つ外国の宗教者にとって、日本文化のそれらの談合による決定と和に入らない人の排斥行動における不安定性と、さらに政局を不安定にする怨霊信仰との兼ね合いは、独特のものがありますね。

しかし、一方で自分自身がまったくその和と怨霊文化を代表するような人物として育ってしまっている事実も見出されるところです。今後の研究会の運営にしても、談合的な側面とは別に談合では動かせない倫理基盤を導入する必要も常々感じています。いわば日本的な政治政策のモデル版としての研究会論議というのもおもしろいのではないでしょうか。

岡本さんのおっしゃるクリルタイ的な合議制と怨霊信仰の源流となるシャーマニズムと、北方騎馬民族やインディアン等の原アジア文化?の習慣と、古代は聖徳太子から現代日本の政策論議まで、比較分析していくのも、これからも重要な視点だと感じますね。

私のほうでは、制度化していったキリスト教会とは別の初代キリスト教会のシャーマニズム的な側面、共有財産制度、合議システムなどについて、さらに分析を加え、吉水氏の本にも紹介されている新羅方面へ流れ込んだローマ・ゲルマン・シリア方面の文化とともに、その国ごとの合議制によって王が選出される点の特殊性と、新羅からさらに日本へもたらされた諸習慣・氏族集団レベルでの習慣・文化の洗い出し、記紀伝承でのその表れを確認していく作業が課題となってきます。

井沢氏の本に紹介された論説の中でも、三王朝交替論とそのつなぎとして挿入された神功皇后伝承の意義は興味深く感じています。研究会報でも触れたように神功伝承の特殊性とその原型としての新羅・西方文化との接点とがあり、女帝としてではなく皇后として挿入されたなぞもその視点から解けるものと考えております。

神道とその基盤となったアジア的な諸習慣の中に、新羅系・西方系の伝承や習慣がある時期に導入されてくるわけですが、なぜ新たに導入されてきたその部分が主流としては生き残らず、伏線として日本的に融合あいまい化して取り入れられてしまったのか、そのいわば和的で談合的な思考習慣の根源に今後の掲示板で迫ってみたいと思います。

そのあいまいさ故に、神話においても虚偽と真実が見極めにくい形となっていますが、井沢氏の紹介する古天文学での卑弥呼の死と日食との関係や、出雲大社の建築構造と諸信仰形態など、形として残っている部分から、現代技術を生かして追求していく姿勢は、また日本的におもしろい側面ではないかと感じますが、DNAや精神心理、語音解析など、絶対的な方法論にとらわれない複合的な和の論理で研究を進めていきたいところですね。

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和と談合文化 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月17日(水)12時28分15秒   引用
しもさん

面白い本ですね。「和」については私もほぼ同意見で、聖徳太子憲法で使われた「和」は、私には北方民族的、言えば蒙古のクリルタイのような集団合議制などと根っ子でつながっている価値感覚のような気がします。
おっしゃるように、そこで満場一致で決まれば、例えそれがどんなことでもその集団のにとっては、合意された行動とその目的の妥当性が担保されたことになります。

日本の場合には、これがルーツとなって今日の日本の生活文化の隅々までゆきわたっている「談合文化」が生まれたに違いありません。現在の日本社会では「談合」は悪のようなニュアンスで使われていますが、どの和英辞書をみても対応する英語は「ネゴシエーション=話し合い」であり、共同謀議(イントリーグ)といたニュアンスは全くありません。これが「悪行」となるには、「談合」良くない目的のために行われる場合です。

私は日本から「談合文化」を切り取ることは不可能だと思います。むしろ、それを肯定して、善用するには何が必要か、憲法や教育基本法といった法制の整備だけではそれは実現できないでしょう。それは一人ひとりの心の中の「価値意識」であり「道徳規範」であるからです。しかし、もしそれが必ず「既成宗教」への帰依と戒律の遵守という形をとることを必要とするならば、シャーマニックな伝統を持ち続け、潜在的には汎神論的な価値意識を肯定する文化伝統を持つ日本社会にとっては至難の条件となるでしょう。

しかし、私は日本の文化伝統の中に底流として存在してきた価値意識や道徳規範を今一度過去の歴史の中で見直すことの中にその「答」があると信じています。立派な談合文化のあり方を再発見することは不可能ではないはずです。
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

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倭、和、論議 投稿者:しも 投稿日: 1月17日(水)02時03分55秒   引用
倭の話ですが、先日井沢さんの「逆説の日本史」を借りて読みはじめています。
元TVの政治部担当局員だった彼からの素人から、しかし研究者の常識や盲点を指摘する古代史視点は、なかなかおもしろいものがあります。

TOMBOさんも「倭」の発音にこだわっていますが、彼も倭の音が、どこから来たのか、日本人がなぜワと自身を呼び、中国人が倭の語を当て、さらに倭人が和に変更要望を出し、聖徳太子の十七条の憲法の第1条に「和を以って尊しとなす」と強調するにいたったのかについて、和を最重要な基本理念とする日本人の思想があったと指摘します。
そして、環濠集落の環とワの発音、現代にいたるまでの争いを好まない和を強調する国民性へとつなげていくのですが、その和は民主主義ではなく、話し合い至上主義であるという彼の鋭い視点は見逃せません。
たとえば、外人のプロ野球選手が日本にくるとその和に驚かされるそうです。外人は和を乱しても、成績さえ上げればよいと考えますが、日本人はどんなに成績がよくても和を乱すならば解雇するという違いがあるそうで、そこには古代からの和を最大理念とする思想があるとのことです。
しかし、その和と民主主義との相違はあきらかで、合議制とともに民主主義が基本的人権の尊重のものとに成り立っているのに対し、日本の場合はそれがない。話し合いできまれば、死刑とか、どんなに劣悪な結論でも善いとする理念、それが和だそうです。
そして日本の和つまり話し合い主義には、西洋やインド・中国のような宗教という話し合いよりも重要な絶対的な倫理・法的な規範がないことが特徴で、それゆえに話し合いで決められた結果には完全に従属するという、日本独特の行動形態があるそうです。それゆえ、突然に明治維新のような大変革が短時間で成し遂げられるそうで、この辺の軽薄さも彼は特徴としてあげています。また表面的な争いを好まず、議論でもすでに裏での密談で済ませてあり、会議ではただ論議しているふうに演じているだけとの日本の民主政治への視点も、重要です。
今後も右傾化する可能性が指摘されていますが、話し合い次第では、すぐに憲法改正=善、戦争=善へと変わる可能性があり、そこに宗教・道徳的な倫理規範がないことがあり、和を尊ぶというふうに見える日本の村社会、の民主主義構造、今後どうなっていくのか不安になりますね。

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東方教会とカトリックの歴史 投稿者:しも 投稿日: 1月15日(月)01時59分45秒   引用
TOMBOさん、奈良からのお便りお知らせいただきありがとうございます。
アッシリア東方教会とカルデア・カトリック教会というのが、ネストリウス派と呼ばれるアンティオキア学派の末裔とのこと知りませんでした。東方教会とカトリックとの対話は今後も重要なテーマですね。

その景教つまりネストリウス派については、騎馬民族説で有名な江上氏も、モンゴル帝国とネストリウス派について、考古面から本を最近?出されていますね。
この辺の後代の歴史から逆算して、古代のシルクロード像を見出していく努力も重要です。

先日宗教番組のほうで放送したコプト教会はエジプトから発展したのですが、東方教会の一派です。
今回放送しているカトリック教会の聖人についての勉強会では、聖ベネディクトという現教皇の名前にもなっている聖職者の考え方を理解する上で欠かせない聖人についてです。

こちらも下記アドレスで放送中ですので、ぜひご視聴ください。
http://www.michaelbroadcast.net/syuukyouchannel.htm

シルクロードの民族を理解する上では、宗教・習慣の理解は、語学の理解とともに欠かせないものですから、やはりその現物が現代まで幸いにも残っていますから、まずその勉強していくことが重要ですので、ぜひキリスト教、ゾロアスター教、マニ教、ミトラ教など、ぜひ映像や教会に行って勉強してみると、きっと日本古代の儀式や楽、思想について、共通性を見出すことができてくると感じます。理論と現物、両者を大切にしていきましょう。

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明帝に脅された 卑弥呼! 投稿者:tombo 投稿日: 1月14日(日)10時25分0秒   引用  編集済
平原遺跡
副葬品は銅鏡39枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されています。

全ての銅鏡が割られていた。

曹叡(そう えい 204年?- 239年 在位226年 - 239年)は字は元仲。三国時代の魏の第二代皇帝である。文帝(曹丕)の長男。生母は甄氏。美貌の持ち主で、髪が長く床に届くほどであったという。同母妹の東郷公主がいるが早世した。諡は明帝で廟号は烈宗。

「五尺刀二口銅鏡百枚真珠チ丹各五十斤 皆装封付難升米牛利 還到録受悉可以示汝國中人使知國家哀汝故鄭重賜汝好物也」

明帝から卑弥呼は百枚の銅鏡を賜っている。

何故だ?

これは、ノーマルな話ではない。
そもそも、鏡の文化は「邪人」の文化です。
明帝はペルシャの血を引く夷系の倭人です。
その彼が、同じ夷系の倭人の卑弥呼に鏡を贈るとはアブノーマルな行為としかとれない。

卑弥呼は、明帝から脅されたのだ。

「卑弥呼よ 公孫氏のように成りたいか?
 それとも倭王卑弥呼に成りたいか?

贈った銅鏡でその態度を明らかにせよ」

とね。

卑弥呼は倭王を選択した。 だから、平原の銅鏡は全て割られていたのだ。


勾玉は牙状になっておりこれは夷の持ち物です。
メノウ製管玉の玉も夷の持ち物です。
邪の場合は、珠となる。

卑弥呼は人為的に夷の血も断ち切ったのです。
つまり、
卑弥呼が純倭に成るための儀式の跡が「割られた49枚の銅鏡と勾玉やメノウ玉」なのです。

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しもさんへ 奈良からのお便り! 投稿者:tombo 投稿日: 1月14日(日)02時27分33秒   引用
胡人教徒は来朝しているのですが、
その痕跡をほとんど残していませんね。

私の先祖がその教徒だったとかいう説もテレビで出ていましたが、
残念ながら、そういった話しは一族の末裔たる我々には、全くないです。
キリスト教を知っている側から言わせてみれば、
ありゃデマとしか言いようがありませんね。。。

言い伝えによると、一神のみを奉じた弱小氏族があったのですが、
その神のお告げで以ってあちらこちらに攻め込んで行って他の民との軋轢を産んで
総スカンを食らって列島から離れたらしいですが、
その後どうなったのかは分かりません。。。
もしかして、ユダヤ人の先祖だったりしてwとかと思う時がたまにあります。

アッシリア東方教会とカルデア・カトリック教会というのが、
ネストリウス派と呼ばれるアンティオキア学派の末裔です。
アッシリア東方教会は、長らく特定の一族のみが総主教となっていましたが、
西方諸教会の影響や圧迫を受けて分裂し、カトリックと合同した一派や、
一族支配を嫌った一派が分裂するなど、現在は受難の時です。

主流派の総主教座も、前世紀初頭にアメリカへ亡命し、
前総主教は最後の総主教一族出身者だったのてすが、
自由を求めて一方的に辞任して結婚し、教会を離れた後暗殺され、
その後を継いだ総主教ディンカ四世は一族外の総主教となりました。
インドを基盤とする分裂グループやカルデア・カトリックとの和解を
進めているそうですね。

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朝鮮動向 投稿者:しも 投稿日: 1月13日(土)02時12分50秒   引用
こんばんは。ちょっととみたさんのテーマと、TOMBOさんのテーマが食い違っていますね。
とみたさんの、中国・朝鮮動向からの視点から、日本の7世紀の隠された実態を明らかにしていく点は、特に秦氏と常世虫と、大陸道教関連との対応など、以前は伝説とされた題材が信憑性をもってくる可能性があり、新鮮です。
また、長く謎とされている公孫氏と、九州秦氏・銅関連へ、常世を支点として展開するとみたさんの説が鋭くメスを入れる可能性があり、新鮮ですね。
TOMBOさんの公孫氏と倭とのかかわりも、おもしろいところですが、もうすこし説明願いたいところですね。
沖縄のテーマとは、すこしはなれてしまったでしょうか。本当はツリー式の論議掲示板のほうが、テーマ別にまとまってわかりやすいような気もするんですが・・・。

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吐喝喇列島 投稿者:tombo 投稿日: 1月12日(金)14時25分16秒   引用  編集済
舜天王統  舜天しゅんてん(1166年? - 1237年?) - 舜馬順煕 - 義本
は、夷人ペルシャ系の王朝で琉球王朝が誕生ています。

英祖王統(えいそおうとう)
初代 英祖王1259年?-1299年?
? 二代 大成王(英祖王長男)1299年?-1308年?
? 三代 英慈王(大成王次男)1308年?-1313年?
? 四代 玉城王(英慈王三男)1313年?-1336年?
? 五代 西威王(玉城王長男)1336年?-1349年

初代から4代まではペルシャの影響が丸見えです。
この後、三山時代 の
中山 察度 - 武寧 南山 承察度 - 汪英紫 - 汪応祖 - 他魯毎 北山 怕尼芝 - a - 攀安知
察度王統に移るのですが、察度はアラブ系だと推測しています。

この時代
「那覇港が察度の時代(1350-95)に奴隷市場だったということ、奴隷は労働力の不足した中国への供給だったというのを今勝平太が書いているそうです。」・・・沖縄からの便り

舜天王統から英祖王統(えいそおうとう)へ変わって間もなく、蒙古が現れます。

「世祖フビライ汗が楊祥に6000の兵をつけて「瑠求」を討たせたが失敗(1291)、5年後、元の世宗がさらに張浩を派遣して再び「瑠求」を討たせるがまたしても失敗、130人余りを捕虜にして引揚げた(1296)」という記述があるらしい。:::沖縄からの便り!

と、沖縄史を見てみると覩貨邏人の弥勒信仰は水没させられないでしょう。

覩貨邏人が吐喝喇列島と係わっていないとの否定には無理がある。

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ギリシャ系とペルシャ系! 投稿者:tombo 投稿日: 1月12日(金)10時08分58秒   引用  編集済
香春神社
辛國息長大姫大目命,忍骨命,豐比賣命
「豊比賣」といえば、通常、神功皇后の妹・淀姫をさすが、ここの由緒には、「神武天皇の外祖母」とある。
http://www.genbu.net/data/buzen/kawara_title.htm  ・・・・より引用。

「神武天皇の外祖母」とは、比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)の母の富登多多良伊須須岐比賣(ほとたたらいすすきひめ)も、その一人でしょう。
伊須氣余理比賣の祖父は、三輪の大物主。
三輪の大物主こそ列島のギリシャの根っ子である。

辛國息長大姫大目命の辛國とはギリシャのことで、息長はペルシャです。
これを、香春神社、常世連と置き換えても同じ意で、香春の香はギリシャ春はペルシャ、
常世の常はギリシャ世はペルシャを意味している。

勿論このペルシャは覩貨邏人と係わっている。
男二人と女四人の真相は「男らしい人(ペルシャ系人)」となるでしょう。
乾豆波斯達阿は人の名前ではない、「男らしい人(ペルシャ系人)」を喩えた言葉です。
女二人が帰った、とあるから残った二人は「弥勒信仰の僧」の可能性が大。彼らが畿内弥勒信仰布教の根っ子。
六人という人数に拘るのは得策ではないでしょう。


白雉5年4月(654/4)、吐火羅国の男2名、女2名、舎衛の女1名、暴風に遭い日向に漂着。
の漂着の意は布教です。
舎衛の女1名は通訳だった。
この時から弥勒信仰の布教が日向で始まった。
この布教は筑紫まで拡大して、

斉明3年7月3日(657/08/17)、都貨邏国の男2名、女4名が筑紫に到着した。
か、
奄美大島に漂着したという。と言う記述から筑紫は別ルートも考察可能。

公孫氏は可也追いかけました、公孫淵の祖父(公孫度)の父は列島に居た可能性がある。
が、証拠はない。
公孫度は公孫氏の正当な履歴ではない、公孫の姓を手に入れた別人であったと思われるがこれも証拠がない。公孫度の父こそが後漢書の大倭王であったと。・・・・
そして、彼こそがペルシャ系の根っ子だったでしょう。(これも現在推測の域を脱しない)

何故、上記のような展開が可能なのかは、著作権問題があるので今はこれ以上のことは描けません。
何れはその委細を書く時もあるでしょう。

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道教と常世連とクーデター 投稿者:とみた 投稿日: 1月12日(金)06時46分27秒   引用
とみたです。

こんなストーリーを描きました。

道教は長江の周辺、たとえば漢水あたりに元があり。鏡も道教の不老不死を願って造られたと思っております。呉あたりに職人がいてそれが各地に流れた。

書きなぐりの試論ですが、道教の地下水脈を考察中です。自信がありませんので皆さんの批判をいただきたいと思います。卑弥呼と鬼道(道教?)や公孫氏とのつながりも気になっています。

2世紀から7世紀まで脈々と影響を与えてはいないか、その作業仮説です。蘇我入鹿を倒すクーデターまでの話です。ご笑覧ください。


蘇我氏の謎、乙己の変のクーデター。水谷千秋さんの本では、

蘇我氏は官僚と、豪族の二面性がある。屯倉の管理など経済財政で力を振るった官僚で、天皇の外戚として勢力を伸ばした。物部を倒してその領地を奪って冨を蓄えた。それで豪族とし

て伸すために名族の葛城氏の縁戚であると

名乗ったのではないか。本拠地を葛城の高宮とした。やはり曽我が本居であった。

蘇我氏は根無し草で最後まで味方についたのは、倭漢しかなかった。

この本で,確かめられたことがあります。

通常、遣隋使は607年小野の妹子が派遣されて帰りに、隋使のハイ清世が来ますよね。


その前に600年に倭国より遣隋使が行っているんですね。記紀には書いてないのに、随書倭国伝に書かれているんですね。随書は意外と正しい。

巣山古墳の直弧文の木船の葬具の話は随書にかかれた通りでした。

630年にも唐に漸く使いをやり帰りに高表仁が来朝してます。618年に唐が建国しているのになかなか日本から遣唐使をやっていませんでした。

物別れでトラブルを起こし帰っているそうです。これも記紀には書かれていないようです。

唐と倭国の間に不穏な空気がありますね。

東アジアでは、クーデターが頻発しています。

640年百済では義慈王が即位し専制政治を始める。

641年高句麗は泉蓋蘇文のクーデターで専制政治を始める。

高句麗と百済が新羅に対抗する。新羅は唐に応援を求める、唐のサク封下に入り暦も年号も唐のものを使わされる。

新羅の政変は647年に起こる。

朝鮮半島は、クーデターの渦の真っ只中です。日本も645年にクーデター。

面白いのは、高句麗は蘇文は仏教から道教に切り替えます。

日本では常世神運動が地方で起こります。

駿河富士川の大生多氏の騒動、これを秦河勝が鎮める。

蘇我氏は、巫女の集団にその横暴を非難されます。

巫女の集団はシャーマンや道教の一派です。

陰陽道や民間道教と深い関係がありそうです。

皇極の時代。皇極は道教とつながります。

蘇我氏 vs 非蘇我氏

蘇我氏の血筋を引かないのが敏達ー押坂彦ー舒明です。 押坂彦の子供が茅淳王でその子供が皇極。舒明も同じく非蘇我系。

舒明と皇極の間で天智、天武が生まれます。

非蘇我系しかも息長系ですね。

蘇我氏の仏教派に対して、道教の非蘇我系がクーデターを起こした。

クーデターの理屈は適当につけて天皇の転覆を図ったなどと・・・言えば済むわけです。


高句麗と同様、皇極以下道教が絡んでいる。舒明から文武までは八角墓で息長系の道教。


道教と即断するのは早とちりではありますが、

なぜか常世神が絡んでいる。

常世神は長江流域から朝鮮の北部に浸透している。3世紀公孫氏が燕国王となり、そこに鏡作人がいてそれが九州に来て豊前の香春神社にやって来たのが赤染、常世連(公孫淵を祖)

です。

魏によって滅ぼされて倭国に来たんでしょう。

この赤染、常世連は呪術で支配層に取りたてられているんです。道教的な呪術なんです。


これが7世紀の皇極まで引きずっている。

和田アツムさんも、大化改新と常世虫、朝鮮の動乱の関係を仰ってました。

これと道教が絡んでいそうです。

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沖縄 投稿者:しも 投稿日: 1月12日(金)03時03分51秒   引用
TOMBOさん、沖縄の方からの情報・連絡ありがとうございます。
奄美方面へ、ペルシア・中国景教の流れがあるとすると、その南方ルートの沖縄方面にも、それらの宗教的な残存があってもおかしくないですね。しかし、沖縄の方の報告だと、中世に入ってからではとのことですね。

沖縄を通り越して、奄美、屋久島方面へ漂着する可能性は、どのくらいあるんでしょうね。

あと、
> シリア 叙利?は夷を土台としたギリシャ系
> ギリシャ 希臘そのものは「邪」です。
> ペルシャ 波斯のエッセンスは倭です。
> インド 印度 の本質は夷です。

とのご解説ですが、とりあえずは理解しやすいようにこうしてみてはどうでしょう。

ギリシャのシャ⇒邪(じゃ)
ペルシア=波斯(はし)⇒倭(は)
インドのイ⇒夷

頭の中で、みなさん倭と夷と邪をそれぞれギリシャ、ペルシャ、インドに変換するのになれるのには、ちょうど小学生が方程式をはじめに習うのに、X,Y,Zを、ケーキとパンとみかんに置き換えてイメージして変換するような感覚があるのだと思います。
この辺の感覚の差を理解できれば、きっとTOMBOさんの説もいろんなところで受け入れられるかもしれませんよ。しかしこの感覚の差を無視すると、どこへ言っても理解されませんので、この機にいろいろ工夫してみてくださいね。

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下記の件ですが 投稿者:しも 投稿日: 1月11日(木)16時22分42秒   引用
TOMBOさん、邪倭夷解析方程式は、社会の授業では使用してはいけませんよ。その方程式の使用は文字・画像解析掲示板で宜しくお願いしますね。

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景教について! 投稿者:tombo 投稿日: 1月11日(木)14時20分25秒   引用  編集済
「トカラ人についですが、乾豆波斯達阿のペルシア・インド系の名称を考慮すると、西方トカラ国からの伝来を感じますね、ペルシア系の名称で、シリア系ではないので
景教ではなかったとの見方もありますが、その辺は微妙です。」

景教の記述が気になったので沖縄に問い合わせました。
以下その返信です。


「沖縄には来てないんじゃないのかと思います。尚豊王代(1621-1640)、八重山の宮良親雲上がフィリピンの宣教師エルダーを牛などで供応し、それを王府に讒言され、処刑されたのが初めてのキリスト教の記述と思います。1622年のことで、薩摩入り直後で、薩摩支配の空気がピリピリしていた頃と推理しています。あまり古い文書は残されていないので、景教については、なんとも言えませんが。」

天武の時代に沖縄に上陸したのは、弥勒信仰のようですね。

薩摩が恐れたのはキリスト教ではないでしょう。
交易ルートの独占が目的であったはずです。
以下沖縄からの便り!

「当時、薩摩半島西岸の阿久根や甑島には、ルソンからスペイン船がしばしば寄港した。島津氏がイエズス会やドミニコ会の布教活動を媒体にして南蛮船を誘致したのである。その貿易・布教の拠点となった川内川河口の京泊には、教会堂の遺跡がある。…」

「当時、ルソン貿易にきわめて熱心だった大名の島津義弘は、1606(慶長11)年にはフィリピン総督ドン・ペドロ・デ・アクーニャ及び大司教に書簡を送り、昨年領内で遭難したスペイン船の代わりに新造船を提供したことを報じ、毎年新たに1艘の薩摩来航を求めた」。

「1604年から1616年までの13年間に島津氏が幕府から受給した異国渡海朱印状は11通を数える」、1611年に幕府が大名の朱印船貿易を禁止したら、島津家久は琉球人名義の「呂宋渡海朱印状」というのを幕府に申請し許可されている。これは沖縄側に残っている家譜で確認できたという。

しもさんは、以下をどのように思われますか?

景教は邪の中の邪です。
メシアは夷を土台としたペルシャ(エジプトまでの触手があるかも)との混血です。
キリスト 基督 は邪系です。
ユダヤ 猶太は典型的な夷です。

景教は中国にたどり着いたネストリウス派のキリスト教ですね。
キリスト 基督の「邪系」と景教の「邪の中の邪」は同系と見えますが。

メシア信仰がキリスト教の起爆剤になっているなら、メシア信仰の人たちもキリスト信仰に流れた可能性はおおきでしょう。キリスト教の魚の符は彼らが持ち込んだ物とも思われます。

tommbo的には上記の様に思考するのが自然体のような気がします。

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Re: 言葉の分析だけよ! 投稿者:とみた 投稿日: 1月11日(木)12時34分25秒   引用
tomboさん

ここは青草を、多少は認めるとしてもどうも貴方の言うことが理解不能です。

かわかつさん見たいに切れはしませんが、貴方の仮説がつかめません。

エジプトやシュメールから文明は東遷して日本にも来ている。

夷と倭の二元論を前提にして語っているという雰囲気はありますが。

積石の石は磐=イワと読み、イワ=夷と倭と展開し、

すべてを夷と倭で割り切る。

ヤマトトトソヒメはエジプトのトト神

如何してもこのこじ付けが理解不能です。

夷と倭をもっと詳しく説明してください。

真面目に論じていると割り込まれて突拍子もないことをいわれ論が続きません。

私は切れませんので、常人が理解可能なように説明してください。

江崎ナレオさんの言葉は、古代史にも通ずることは貴方の仰る通りです。大家が言うこと

にも疑問を抱くことは大切だと私も同意見です。

でも飛んでも説を流す自由を肯定することにはなりません。

掲示板は、人に伝える道具です。

論拠をもってわかりやすく語るのが作法であり基本的な礼儀でもあります。

tomboさんはいろいろ探求されていることは承知しています。

お互いに高めあい楽しむ場として協力ください。

シュメールについてどのような勉強をされているか教えてくださればありがたいと思いま

す。どこにお住まいか県名ぐらいは開示できませんか。

個人情報の漏洩というほどのものではない筈です。

> シリア 叙利?は夷を土台としたギリシャ系
> ギリシャ 希臘そのものは「邪」です。
> ペルシャ 波斯のエッセンスは倭です。
> インド 印度 の本質は夷です。
>
> 須弥山はギリシャ系の作品です。つまり邪の技術です。
> ?橋の橋を作る技術はアッカドです。?橋 と言う時は、倭とアッカドの共立です。
> 善?樂は夷と倭の融合です。
> 造園博士:芝耆麻呂はアッカドと邪の混血を意味します。
> 芝耆麻呂=因命之曰路子工と言う時もアッカドが土台であるところの邪との混血です。(アッカドは夷系です)
>
> 景教は邪の中の邪です。
> メシアは夷を土台としたペルシャ(エジプトまでの触手があるかも)との混血です。
> キリスト 基督 は邪系です。
> ユダヤ 猶太は典型的な夷です。
>
> 「舎衛の女」はペルシャに倭の血です。
>
> 吐火羅国 と書くときは、「邪と夷」の鳥が支点です。
> 邪の鳥は鷲・鵞鳥で夷の鳥は鵜(チョト自信が無い)です。
>
> 覩貨邏の支点は人で、吐喝喇の支点は魚、都貨羅の支点も鳥ですが、邪の鳥の鷲・鵞鳥という限定付です。
>
> 漢字としての表記からの分析です。念の為。

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言葉の分析だけよ! 投稿者:tombo 投稿日: 1月11日(木)10時57分39秒   引用  編集済
シリア 叙利?は夷を土台としたギリシャ系
ギリシャ 希臘そのものは「邪」です。
ペルシャ 波斯のエッセンスは倭です。
インド 印度 の本質は夷です。

須弥山はギリシャ系の作品です。つまり邪の技術です。
?橋の橋を作る技術はアッカドです。?橋 と言う時は、倭とアッカドの共立です。
善?樂は夷と倭の融合です。
造園博士:芝耆麻呂はアッカドと邪の混血を意味します。
芝耆麻呂=因命之曰路子工と言う時もアッカドが土台であるところの邪との混血です。(アッカドは夷系です)

景教は邪の中の邪です。
メシアは夷を土台としたペルシャ(エジプトまでの触手があるかも)との混血です。
キリスト 基督 は邪系です。
ユダヤ 猶太は典型的な夷です。

「舎衛の女」はペルシャに倭の血です。

吐火羅国 と書くときは、「邪と夷」の鳥が支点です。
邪の鳥は鷲・鵞鳥で夷の鳥は鵜(チョト自信が無い)です。

覩貨邏の支点は人で、吐喝喇の支点は魚、都貨羅の支点も鳥ですが、邪の鳥の鷲・鵞鳥という限定付です。

漢字としての表記からの分析です。念の為。

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清談掲示板 投稿者:しも 投稿日: 1月11日(木)00時01分57秒   引用  編集済
みなさんご意見ありがとうございます。雑談掲示板にはもったいないお話の数々、みなさんの智恵を竹林の七賢にたとえて清談掲示板に改名いたしましょう。

トカラ人についですが、乾豆波斯達阿のペルシア・インド系の名称を考慮すると、西方トカラ国からの伝来を感じますね、ペルシア系の名称で、シリア系ではないので
景教ではなかったとの見方もありますが、その辺は微妙です。

須弥山との関わりを、紀氏さんのほうで調べてくれていますが、須弥山の最上段の世界に弥勒菩薩が住むという弥勒信仰と関係が深いそうですね。

須弥山の形状については、世界的に飛鳥のそれのような丸っこい山だったのでしょうか。
私も去年屋久島に行きましたが屋久島の山の形状が、須弥山そっくりだったのは、ある方が本で指摘していますが、そう感じましたね。

とみたさんご紹介の感度人⇒徳之島⇒トカラ人説というと、徳之島は屋久島の隣の小島ですよね。屋久島の山並みを彼らは眺めれたかもしれませんね。

トカラの名称には、書紀では、中国書物と同じ当て字を使っていますね。ここにトカラであるということ、彼らが来たということについての政権側の主張があるのでしょう。

はるばるインドや西域からやってきて、天皇の面前に隼人や屋久島人とともに、朝貢している。徳之島人はいつしかトカラ人にされてしまった・・・と、するとほんとにトカラ人は来たのかな?乾豆波斯達阿の名称があるので、一度は着たのではないですかね。妻の記載もありますし。推理の域をまだ脱しませんが、須弥山信仰はすでに斉明朝にはすると弥勒信仰とともに、流布していたわけですね。

インド・ペルシアの信仰がまじめに取り入れられてた時代、紀氏さんのご指摘だと弥勒信仰はユダヤのメシア信仰と関係するとか。メシア信仰はキリスト教で有名ですが、日本では須弥山と弥勒やメシア信仰は分離していたのでしょうか。

推古紀の下記の記載に須弥山の造営をする色白の百済人の造園博士:芝耆麻呂の話があり、この麻呂はシリア語で、景教の司祭のことをいう「マル」だとの説がありますね。

二十年,百濟人投化,其人身面皆斑白。惡其異於人,欲投之海島。其人謂曰:「若惡臣斑皮者,白斑牛馬亦不可用於國乎。臣有小技,能構山岳之形。」乃試造須彌山形及?橋於南庭。因命之曰路子工,亦名芝耆麻呂。又有一人名味摩之,善?樂。因令少年習之。

つまり須弥山を造ったり呉橋を作るのは、推古の時代はペルシア人というよりは、さらに西方のその人々だったのではないかとの研究報告に書いた点、さらに語源的にここで追求できないでしょうか。

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一気に話題のレベルが上がったようですね! 投稿者:tombo 投稿日: 1月10日(水)11時11分9秒   引用  編集済
「吐喝喇も都貨羅」もそのベクトルは夷に向けられている事では共通しています。
夷の信仰がターゲットになっていると思われます。
又、「覩貨邏」のターゲットは邪になる。

覩貨邏人乾豆波斯達阿
の、乾豆はインドでも夷系です、波斯と書いてペルシャと読みます。この波斯には、「夷・邪」の質量は有りません。
達阿にも「夷・邪」の質量は有りませんから、乾豆波斯達阿からは波斯の影響を受けて乾豆が達阿で夷の質量を失った態と解釈できます。

つまり、仏教の到来です。この仏教が弥勒信仰だったということか。

「ドラビダ人を支配下においてバラモン教をつくり仏教などと習合してヒンズー教を作ります。」
が、
バラモン教を主軸に置いたのは、タミルですね。ドラビダとタミルの抗争は有名です。
ドラビダは弥勒信仰です。

「牡牛は重要な神です。」
は、「牛」は「邪」のネットの象徴としても生きています。
梶第2号古墳
http://www.city.moriguchi.osaka.jp/contents/tazune/city/03.html

唐古・鍵遺跡から牛の埴輪が出土しています。
此処は邪のネットの中心であることを意味します。だから呼び名が「国中」なのです。
唐古・鍵遺跡では、「大小二個のヒスイの勾玉」も出土しています。「牙も玉」も夷の持ち物です。
邪の持ち物は珠と表現されます。
唐古・鍵は邪の中心であったが、夷に侵攻されてしまた。だから、田原本と名がかわったのです。
「原」の一字が置かれているときは夷と係わっていると解釈して間違いないでしょう。


須弥山から『天文遁甲』と『摩登伽経』についてもカキコしたいところですが、長文になりますので割愛します。

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トカラ 投稿者:とみた 投稿日: 1月10日(水)09時59分16秒   引用
岡本さん、下さん
トカラ人の謎を、一昨年だったかトカラ人を追っかけていました。シルクロードまで行ってね。

下さんが書かれた様に
>飛鳥へ来たトカラ人伝承では、彼らは中国から来て、奄美、宮崎に漂流したとの説明をしていますね。この辺の兼ね合いがきになります。

千田稔先生の本で、飛鳥ー水の王朝(中公新書)の152−3ページに出てきます。
斉明天皇の時(657年)、須弥山の像を飛鳥寺の西に造るとある。

須弥山はご存知のように仏教的世界観において世界の中心とされる山で世界山の一種です。
何のために須弥山を造ったか。その記事に続いて”また盂蘭盆会を開催し。暮れには覩貨邏
人に」饗応した。”

男二人と女四人がたまたま筑紫に漂着したので飛鳥に連れて来た。覩貨邏人乾豆波斯達阿
という言葉もあり、乾豆波斯達阿の乾豆はの日本古典文学大系本では、インド、波斯はペルシャ、達阿はインドの人名の語尾らしい。西方の南アジアの一地域と思われるが断定は出来ない。

トカラとかトハラという地名はアフガニスタンにありますね。バーミヤンの少し北です。

アーリア人は黒海の北や東のコーカサス(カフカス)にいましたが気候変動の寒冷化で紀元前3000年から2000年ごろは今のイランの北東部に移り、紀元前1500年ぐらい前にインドの北西部とイラン方面に分かれて移動移動しました。

ドラビダ人を支配下においてバラモン教をつくり仏教などと習合してヒンズー教を作ります。

インド・アーリア語族の世界観、世界に大きな山があり、太陽・月・星・大地を神とします。
水・火も神。生命の活動は火です。大地には死すべき原初の牛と人間がいた。牡牛は重要な神です。

これが須弥山になる。インドではメール山といいます。
このアーリア語族の人は、シルクロードのステップルートの民。

楼蘭の小河墓遺跡の民も紀元前1800年ごろ南ロシアからやってきたアーリア人でコーカソイド人です。

赤松明彦さんの楼蘭王国(中公新書)によればこのあたりの古代はトカラ語を使っていたとされています。

トカラ人とかトカラ語は西域には広く分布していたようです。

アーリア人の一種、スキタイは紀元前7世紀から紀元前4世紀に亘ってステップルートを闊歩します。

アーリア人から騎馬戦術を教えてもらったのが匈奴だといわれています。

アッシリア人も教えてもらって強くなりました。

スキタイ人が南下してイランの東北部、アフガニスターンの北部にいたのがサカ人です。

サカ人や、トカラ人はステップルートから南進したアーリア人の亜種だと考えております。

須弥山はインドでは仏教に取り込まれ、道教では崑崙山と混同されます。

道教に西王母が取り込まれたのは中国の戦国時代東王父が取り込まれるのは後漢時代です。

(講談社の中国の歴史=専門書)

私は、トカラはやはり中央アジア由来説に投票します。

薩摩と奄美の間のトカラではないと考えています。

先般も伝えましたが、縄文時代にお詳しい小田静夫先生はトカラ海峡を境に動植物は別の種になるという大切な列島ではあります。

多羅島人が飛鳥で饗応されているという書紀の記録を、朝貢催促の使者が派遣された結果と見る説も確かにあります。朝貢は7世紀末までに掖玖人、阿麻弥人、感度人が続いて見えます。

種子島。屋久島、奄美王島、徳之島と南下しています。

感度人を徳之島人とする人が多いですがとトカラ人と解釈する人もいます。

南東は遣唐使のルートとして大切であったという見方があります。

中央からと遠すぎて朝貢はさせなかったという説。大宰府の管轄下なら目が届いたかもしれませんね。

沖縄へ毎年出かけていますが、沖縄は13世紀あたりに中山王国が栄え、17世紀に薩摩に支配されますが、13世紀以前は人口は極めて少なかったと考えています。

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人口、島名 投稿者:しも 投稿日: 1月10日(水)00時30分46秒   引用
確かに岡本さんのおっしゃるトカラ列島の人口の少なさは重要な視点ですね。中之島の180人が最高というのは、非常に少ないですね。諏訪之瀬島は火山であるとのこと。
http://www.eco-link.org/meri/islas/tokara.htm
ご指摘のとおり、後代の人為的な感じのする名称ではありますね。
とみたさんもその辺同意見ですね。
それでは、いつごろの人為によるものだったのか。
魏志の時代か、斉明・天武朝か?
TOMBOサン的には、仏教導入時期あたりが怪しいのでしょうか。
ご指摘弥勒信仰だと、たとえば蘇我氏のそれが有名ですね。6世紀半ばあたりでしょうか。
確かに原住民が、自身の名称をもっていた可能性は、文字がなくてもあると思います。
彼らがトカラといえば、トカラになるかもしれません。
ただ、飛鳥へ来たトカラ人伝承では、彼らは中国から来て、奄美、宮崎に漂流したとの説明をしていますね。この辺の兼ね合いがきになります。

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レントゲン写真 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月 9日(火)18時34分43秒   引用
tomboさん

レントゲン写真はどうして見ればよいのですか?何だか楽しい話になってきましたね。

岡本豊

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岡本豊 さん 投稿者:tombo 投稿日: 1月 9日(火)15時37分51秒   引用  編集済
下にtomboが写した吐喝喇のレントゲン写真の委細を書き込んでみました。

CTスキャーンほどの性能はありませんが、骨太の部分は見えるかと思います。

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RE:トカラの不思議 投稿者:tombo 投稿日: 1月 9日(火)15時03分43秒   引用  編集済
天武の時代に多称島(種子島)が来朝し服属したという記録があるからですか?

ハイ! そうです。

吐喝喇の宝島が丁度北緯30度になります。
魏の時代以前は此処を基点として、吐喝喇の南は沖縄系、北は種屋久系と分かれていたと思われる。

魏志倭人伝には

至對海【馬】國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 方可四百余里・・・有千余戸
至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百・・・有三千許家 差有田地耕田猶不足食
と有り、
對海馬國は沖縄と吐喝喇の南半分が領域・一大國は種屋久で吐喝喇の北半分が領域だったでしょう。

両国は 「官、副」名も全くおなじです。
が人口密度は對海【馬】國を一大國が10倍以上上回ります。
だから、
一大國は「差有田地耕田猶不足食」と食料が不足していたようです。
文化の中心は種屋久であったということでしょう。

更に言えることは、一大國の種屋久は邪=インド系が主軸にあった、
それは、「有三千許家」と「家」で区別されています。
魏志倭人伝において「家」を置いてあるのは、一大國と不彌國だけです。

不彌國は現在の宇佐あたりであろうと思いますが、「有千余家」で規模的にも遥かに種屋久が大です。
ですから、
種子島から、「山」の「魏・漢書体」の貝札が出土しています。

上記のことからして、一大國(種屋久・吐喝喇)はインド系=邪ですから、その流れにあるラマ教が育つ土壌があります。

チベット仏教(ラマ教)の雍和宮の本尊は一本の白檀の木に彫られた弥勒仏です。
「トカラ人はカシュガル、ホータン、クチャあたりには広く住んでいた。」
彼らの信仰の中心も弥勒信仰であったはずです。


沖縄では、”ミルク神”、”ミルクさん”と呼び、弥勒信仰が盛んである。
祭りでは、笑顔のミルク仮面をつけたミルク神が歩き回る。
これは、
吐喝喇から南下した弥勒信仰ではと思っています。

吐喝喇から北上して大和の弥勒信仰がある。

吐喝喇はチベット仏教(ラマ教)の列島最初の到着地であったと推測できます。

ラマ僧は吐喝喇人と呼ばれていたのではないか?

そのような歴史背景を残しての吐喝喇だと思います。

追!

「口之島」、「中之島」、「諏訪瀬島」

「之と諏」の一字は邪=インド系が占有して使う文字としてありました。
その化石が「口之島」、「中之島」、「諏訪瀬島」の「之と諏」でしょう。

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トカラの不思議 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月 9日(火)14時18分24秒   引用
tomboさん

「吐喝喇は天武の頃から呼ばれる様になった地名でしょうか?」ということは、天武の時代に多称島(種子島)が来朝し服属したという記録があるからですか?

「吐喝喇は tu-he-la と漢音で読んでも支障はないと思います。」というのは納得できますが、吐喝喇列島に属する島々の名が、「口之島」、「中之島」、「諏訪瀬島」といった現代日本語で素直に読める名前であり、列島の北には「屋久島」、南には「奄美大島」といった、これも同じく素直に読める名前なのに、なぜ全体が吐喝喇列島なのかがわからないのです。

お説の通り、天武の時代に多称島からの来貢があったとしても、吐喝喇列島の島々は微々たるもので自ら来貢するだけの主体が存在したとも思えません。その故にこそ、上記のような新しい素直な漢字の当て字が後世に使われたのではないでしょうか。

そうとしたら、「吐喝喇」の由来はまだ不明のままです。

岡本 拝

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古池やかわず飛び込む 水の音 投稿者:tombo 投稿日: 1月 9日(火)10時15分35秒   引用  編集済
吐喝喇は天武の頃から呼ばれる様になった地名でしょうか?

吐喝喇は tu-he-la と漢音で読んでも支障はないと思います。
中国語の『喇(la)』の一音節文字には、その意を表す言葉は無いようです。
必ず熟語の形態をとっています。
代表語は【喇叭花】 l a b a h u a 『名』 アサガオがありますが
最も注目されなければならない言葉に

【喇嘛】 l a m a  があります。喇嘛はチベット仏教のラマ教の僧侶のことです。

吐喝喇はラマ教(喇)の妙薬を飲んで(喝)で過去の毒を吐き出す(吐)。


[参考]

【吐】 t u
『動』 (1) (口の中の物を)吐く,吐き出す:

【喝】 h e
『動』 (1) 飲む: (2) 酒を飲む:

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コプト正教会の御ミサ 投稿者:しも 投稿日: 1月 9日(火)07時08分35秒   引用
お知らせです。エジプトで独自に紀元後2世紀ごろから発展したコプト正教会のごミサを下記アドレスで放送しています。
http://www.michaelbroadcast.net/syuukyouchannel.htm
東方教会の一派なのですが、イスラム以前のエジプトやシリア方面でのキリスト教の姿がいまだに残っています。ぜひ、エジプト、ペルシアにご興味ある方は、ご覧になってみてくださいね。トト・マスの話も出てきますよ!

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トカラ列島 投稿者:岡本豊 投稿日: 1月 8日(月)21時19分15秒   引用
雑談掲示版ということで、一つ教えて頂きたいことがあります。
とみたさんは「トカラ人はカシュガル、ホータン、クチャあたりには広く住んでいた」と仰っていますが、九州の南島びトカラ列島とはいったい何処から来た名前なのでしょう。
わが国での常識的理解では、それはトカラ語とは無関係で、その由来は、奄美から沖縄にかけての「沖の海原=トハラ」の訛りだという説のようですが、それではなぜ漢字で「遠原」とか「沖原」とか書かずに「吐喝喇」という万葉仮名のような難しい書き方が出てきたのかが不思議です。
ご教授をお願いします。

岡本 拝

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一寸二言! 投稿者:tombo 投稿日: 1月 8日(月)13時32分47秒   引用  編集済
『麻奈文奴は、マーン・ナフンバン(家を蔽うもの)というペルシャ語らしい。』
で、
家を蔽う者の正体は、『倭の女』といことになるでしょうね。
『記紀を書いた知識人でもそこまでは理解できなかったのでしょうか。』
そんなことはないでしょう。麻奈文奴の文字を当てたのは、主権はお前たちには譲らないという意が籠められている。

『大乗教は景教の影響を受けているというのは賛成です。景教は5世紀にイスタンブールから東に向って伝播するんでしょう。』

逆じゃないの!
景教が大乗教の影響を受けている、じゃないかな〜〜〜!

最も、法華経が釈迦ではなく天台だというなら、『大乗教は景教の影響を受けて』ということになるがそれの判定は難しいでしょう。

基本的には、『大乗教も景教』も『邪=インド系』の教えです。
インドの坊さんは、釈迦滅後500年には、西に布教に走っていますよ。
『経・教』は邪=インド系の教えです。つまりインドが出生です。

聖書を聖教とか聖経とは言わないでしょう。
書という表現はギリシャの影響を受けているからではないでしょうか?
バイブルに聖書と文字を置いたのはそうでしょう。

『書』はギリシャ系の教えを意味していると思います。

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Re: 李密翳 投稿者:とみた 投稿日: 1月 8日(月)11時19分43秒   引用
下さん、紀氏さん 本年もよろしくお願いしますね。ここは雑談を許している掲示板だからドンドンお喋りしましょう。

岡本さんは大先輩で、リーマン海流の話は参考になりました。

私もペルシャ人のことを気にかけています。

蘇我氏の飛鳥寺の瓦博士は通常、百済から来たとされていますが、京都大学の名誉教授の伊藤義教先生は、ペルシャ人だと明言されています。

麻奈文奴は、マーン・ナフンバン(家を蔽うもの)というペルシャ語らしい。

記紀を書いた知識人でもそこまでは理解できなかったのでしょうか。

トカラ人もアーリア人つまりイラン系、ペルシャ系ということです。
そもそもイランというのはアーリアから訛った。

トカラ人は胡人楽人でもある。これを飛鳥で饗応している。

秦氏の性格も多様で土木開発者の影、酒の神以外に、楽人の影もある。

多氏も秦氏と関係が深く神楽や楽人の色ガ濃い。

みんなシルクロードとつながっているようないない様な・・・???

トカラ人はカシュガル、ホータン、クチャあたりには広く住んでいた。

多氏は多、タジク人???(これは妄言にて失礼

九州と奄美の間のトカラではないと思います。

でもね、薩摩の南のトカラ海峡深いので縄文時代には熱帯と亜熱帯を隔する境、人種や動物の

境界線であったとは縄文学会の大家の小田静夫先生の考えです

> 紀氏さんが情報掲示板に紹介された天平の客、ペルシア人の謎―李密翳と景教碑はちょうど昨日読んでいたところです。
> おそるべし紀氏さんの通し能力??
>
> さて、李密翳は、これは、景教徒の使用したシリア語ではなく、ペルシア語名だそうですね。したがって、著者は、景教に接していた可能性があるとしても、その僧ではなかったことを述べています。

大乗教は景教の影響を受けているというのは賛成です。景教は5世紀にイスタンブールから東に向って伝播するんでしょう。

>
> 彼は医師ではあったが、ペルシア系だったのか、ローマシリア系だったのか、もうひとつ踏み込めるといいですね。
>
> 【翳】[医(イ)+殳(ほこ)+羽(ウ)] なんですか??普通の医者ではなかったのでしょうか??

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神農 烏(ウ) 禹(う) 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月 8日(月)03時09分52秒   引用
中国の神農と同じ頃
トートの知恵を受け継いだと言われる伝説の人物が、BC2900年ころ(中国の神農と同じ頃)のゾセル王 ...

サッカラの階段状ピラミッドが、ゾセル王のために建築長官イムホテップによって作られました。 ... セムナ(第3のカタラクト)までの全行程に沿って、同じような一連の砦の建築を始めたのもこの王だと思われます。
http://www.embassy-avenue.jp/egypt/history-j.htm
古代王朝の第3王朝の間(紀元前27世紀)に、エジプトの最初のピラミッドが建造されました。サッカラの階段状ピラミッドが、ゾセル王のために建築長官イムホテップによって作られました。この建造は、建造物全体を石で作った世界で初めての試みと考えられています
第4王朝(紀元前2613年から紀元前2494年)はピラミッド時代と呼ばれ、領土の拡張とピラミッドの建造がその特色となっています。スネフェル王は、赤の傾いたピラミッドをダシュールに、マイダムのピラミッドをサッカラの南部に作り、遠くリビアやヌビアにまで遠征軍を送りました。王の統治中は、ナイル川に沿って交易が栄えました。スネフェル王の子孫であるクフ王(ケオプス)、カフル王(ケプレン)、メンカウレ王(ミセリヌス)は、ギザのピラミッドとスフィンクスを作りました。クフ王の統治下で、エジプトは歴史が始まって以来、組織立ったシステムに従って統治された最初の国となりました。また、第4王朝は近東との交易関係を拡大し、ヌビアで銅の採掘と精製を行いました。

黒い体、白い頭、赤い嘴の鳥。 北方の発鳩(はっきゅう)山に棲む。 炎帝神農氏の娘・女娃(じょあ)が溺死した後、その霊魂がこの鳥になったという。 ... カササギに似た鳥。 青い体で目、嘴、尾だけ白い。 疫病の流行を阻止する力があるとされる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~l-city/data/myth50/kse.html
烏(カラス)に似  (『山海経』北山経、『述異記』巻上)
精衛は鳥市、冤禽、志禽、帝女雀とも呼ばれ、その姿は烏に似
http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/connection/3k5t_06_etc.html

炎帝神農氏の娘・女娃(じょあ)が溺死した後、その霊魂がこの鳥カラスになったという。
バー(エジプト神話) ・死せる人間の魂の具現と考えられた存在。 ... 呼称のまま、三女神は戦場を烏に化身して飛び回り、混乱や狂乱を招き、また味方を鼓舞して勇気を与える。 ... ハトホル(豊穣神)(エジプト神話) ...
鳥の躰に人頭を備え、冥界と現世を往来する。
バイヴ・カハ(ケルト神話):
戦場を烏に化身して飛び回り
鳥カラスの躰に人頭を備え、冥界と現世を往来する。

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杖=力=武器=情報=地図 鉱物 薬草 ・・・・ 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月 8日(月)02時28分57秒   引用
【翳】[医(イ)+殳(ほこ)+羽(ウ)] =トート神=鳥(羽)医術・錬金術・芸術を生み出した神様です。
殳(ほこ)=鉾(牟)=牛の上の【ム】=禹・・・・矛(Y型・刺す又)=測量道具 兼 武器?
トート神は、ヘルメス・トリス・メギストス『三重の知恵者』であって、医術・錬金術・芸術を生み出した神様です。このトートの知恵を受け継いだと言われる伝説の人物が、BC2900年ころ(中国の神農と同じ頃)のゾセル王(最古のピラミッド、ステップピラミッドで有名)に仕えたインホテップだと言われています。彼はピラミッドの主任建築士であり、医者でもあり、また高僧でもありました。
古代エジプト. エジプトの医学のシンボルは、人間に鳥の頭を持った神、トートです。 ... インホテップに代表される古代エジプトの医師は、内科医、外科医であると同時に魔法医でもあり、治療は儀式的な側面が強いものでした。 ...
http://park.ruru.ne.jp/minie/rekishi2.htm

ヘルメス学において、ヘルメスが身を変えた鳥の神こそ、まさしくトート神に他ならない。 ... ゆえに、古代エジプトにおいて、トート神には鳥の属性が付け加えられた。 トート神
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/kenzyanoishi.html
商業神かつ雄弁の神
ギリシア神話におけるヘルメスは最高神ゼウスとニムフ・マイアの息子。ローマではマーキュリーとして知られる有名な神である。彼は商業神かつ雄弁の神であるが
円い翼のついた帽子ペタポスをかぶり、足には翼のついたサンダルを履いていた。
太陽神アポロンは烏に、ディオニューソスは山羊に、アルテミスは猫に、ヘーラーは牝牛に、アプロディーティーは魚に、そしてヘルメスは鳥になったという。ヘルメス学において、ヘルメスが身を変えた鳥の神こそ、まさしくトート神に他ならない。

カドゥケスって何ですか?
ギリシャ神話のヘルメス(マーキュリー)の持っている杖、カドゥケス. ってなんなんですかね? ... アポロンの息子、医神アスクレオーピスが同じような杖を持っているとされています. 起源はさらにエジプトのトート神の持つ杖にさかのぼれるようです ...
カドゥケウスの杖
カドゥケウスの杖. 2匹の蛇もしくはバジリスクが巻きついているヘルメスの杖。 精神、知恵、そして何より医療を象徴する。 WHO(世界保健機構) ... 「医療!」となったのは、ヘルメスの手から医神アスクレピオスの手に渡ったため・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3
「アスクレピオスの杖」とデザインがよく似ており、時に混同されることもあるが全く別のものなので注意が必要である
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%94%E3%82%AA%E3%82%B9
道の障害物を取り除き整備すると考えられ、旅人の神とも言われるようになった
http://www.kushiro-ch.ed.jp/emblem_omake.htm
杖=力、蛇=知恵、翼=勤勉、兜=高尚な思想

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宗教の流れ 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日: 1月 8日(月)02時03分18秒   引用
キリスト教の儀式に影響
006 ミトラ教の歴史(漫談版)/モナ丼/考
クルド人には今でも「天使教」というミトラ教の末裔みたいな宗教が残っています。 ... キリスト教の儀式に影響を与えたと。 ... ミトラス教はローマ帝国に根を張っていて、キリスト教とは200年間の付き合いがあるので、習合したようになっています。 ...
キリスト教とミトラ教は200年くらいの付合いがあります。後でまとめますが、キリスト教はミトラ教からだいぶ頂いています。それは意識的にパチッたのもあるでしょうが、習合してしまったという面もあると思われます。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/extra006.htm

基軸(枢軸)時代
キリスト教の信仰にその基礎をもっていた。 ... 中国では孔子と老子が生きたし、中国哲学のあらゆる方向が発生し、墨子や列子や、その他無数の思想家が登場した。 ... イランではゾロアスターが善悪の闘争という挑発的な世界像を説いた。 ...
http://home.h00.itscom.net/ichthys/JaspersAchsenzeit.html

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九州王朝説 投稿者:しも 投稿日: 1月 8日(月)01時03分7秒   引用
情報掲示板で九州王さんが紹介してくださった九州王朝説と古田氏については、よくわからないので、勉強になりますね。

秦王国があった可能性は、私も考えているのですが、天智の時代まで九州王朝があったかどうかは、いまいち納得できる説明がほしいですね。ただ文献的な証拠がないから、王朝説は成り立たない、存在しなかったという論法は間違っています。あくまで文字証拠はなくても、岡本さんのインディアンの話ではないですが、存在している可能性はありますから、
文字文献以外の証拠を集めることも重要でしょうね。

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李密翳 投稿者:しも 投稿日: 1月 8日(月)00時57分1秒   引用  編集済
紀氏さんが情報掲示板に紹介された天平の客、ペルシア人の謎―李密翳と景教碑はちょうど昨日読んでいたところです。
おそるべし紀氏さんの通し能力??

さて、李密翳は、これは、景教徒の使用したシリア語ではなく、ペルシア語名だそうですね。したがって、著者は、景教に接していた可能性があるとしても、その僧ではなかったことを述べています。

彼は医師ではあったが、ペルシア系だったのか、ローマシリア系だったのか、もうひとつ踏み込めるといいですね。

【翳】[医(イ)+殳(ほこ)+羽(ウ)] なんですか??普通の医者ではなかったのでしょうか??

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沈黙を破って 投稿者:とみた 投稿日:12月21日(木)17時45分2秒   引用
お久しぶりです。とみたはきっちり生きており、猛然と古代史を勉強しております。

掲示板は、いろいろ騒動が持ち上がります。自浄能力があれば長続きしますね。

私はこの会で、イロハを教えていただいて、今は第二ラウンドに挑戦しています、歴史の真

相を深めたい局面です。そんな時、妄想と言うか根拠のない話は寧ろ有害だとさえ私は考え

ています。

人の排除はいけませんが、でも怪文書ははじくべきです。

参加する人は、話の根拠を論述して欲しいものです。絵だけ並べて、行間をそれで想像せよ

なんて説得力がありません。

神奈備さんは、迎合をされないで本筋から外れた話は排除されています。

掲示板の品質維持のためには、お互いに自浄に努力すべきかと思います。

かわかつさんは、その豊富な知識で以って、このコーナーでは主役を担って欲しいもので

す。

管理人さんが、ブロードキャストで新しいメディアに挑戦されるのは大変結構です。

太田さんが仰るように下準備をもっとされれば雲南の話しも内容は大変魅力的になります。

管理人は特に年長者に気を遣う必要がありませんよ。

普通に、年齢に関係なく互譲互恵の精神があれば、結構です。

それより、内容によって間違いなら間違いと指摘していただきたいものです。

迎合は良くない。言い方は気をつけるとして内容を、冷徹に評価する方に気を使って下さい

ませんか。

タックンのように古墳を徹底的に洗う手法や、姫さんの飛鳥に関する造詣の深さは、不可欠

です。ドラドラさんは東洋史がご専門のようで、参加を期待しております。

また話が盛り上がるとうれしいですね。

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別人です 投稿者:通りすがり 投稿日:12月21日(木)13時34分3秒   引用  編集済
・・このサイトはおもしろいです。うまく盛り上げていってください。

・・ただし、管理は本来の管理人さんの方がよろしいのでは?

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影の実力者? 投稿者:タックン 投稿日:12月20日(水)20時54分25秒   引用
多氏は、呪術的な祭祀集団ではなかっただろうか?とふと考えてしまいました。

例をとってみると、三輪山の祭祀には大田多根子という、在地の実力者に皇室も任せざるをえなかった、万世一系統の皇室の面目を保つ為、この強烈な祭祀を他の者に移譲ができなかった。
このオオタタネネコという人物、多氏と非常に関連があるのではないか、然し式内社のこの田原本町付近調べてみると多とつく神社は見当たらない、然し多とつく地名は歴然と残っている、いわば地名だけに残っているので強ち無視もできない。
然しこの付近には、大型の前方後円墳は殆ど見当たらず、かなり西方に島の山古墳があるが、かなり距離があって関連性があるとは思えない、ただここの付近に伊勢神宮が最初に宮中から出て祀られたと伝えられる場所がこの地と言われているし、弥生からの連綿とした生活空間があることからこの地に多氏が蛮居していた可能性も否定は出来ないと思います。

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兄弟 かわかつHe 投稿者:非縄文種渡来者 投稿日:12月20日(水)18時40分45秒   引用
かわかつさん      辛い どうしょうもなく・・・・辛いですね、

あるHPがかわかつさんとの出会いと思っています。(? 勘違いかも・・・・)

八年前、最愛の妻を乳癌で失い、(早期発見で米粒にも満たなく医者の「少し様子を見よう」の言葉に安堵と切らなくてもいいかも・・・の期待・・・・半年後(その間、診察は受けていた)・・・「転移しています。」の言葉に唖然・・・)
妻には言い出せず・・・むだな切除手術。(妻の痛みを思うと・・・・後悔の念 (-“-;) )
藁をも縋る思いで新薬・漢方・民間療法から・・・???の宗教まで  四年間の闘病。(今に思うと幼い子に寂しい不安な思いをさせ・・・・すまぬ。(>_<) )
 妻の死後
うつ病なのか?
妻との思い出を消し去ろうと・・・・挙句、記憶障害(記憶力の低下)・・・・退社。
地図をながめ地名を見る・・・の、 ̄o ̄)ただそれだけの日々。
無気力の自分に「このままでは駄目になる」と奮起(雇用促進事業団講習でパソコンを少し・・・習得)
渡来人研究会に・・・・現在に至る。
 昨年 父を胃癌で亡くす(診断ミス?20年前の胃癌の再発を恐れ、定期検診を受けていたにもかかわらず・・・・手遅れ。)
父は、「胃潰瘍」との診断に痛みを隠し家族に心配をかけまいと動けなくなるまで我慢していたらしい・・・・
 現在、子供たちは就職し 老いた母のアッシー君(数箇所の病院めぐり)
医者の誤診・判断ミスで・・・・・・・「訴えたい\(`o〃)」の思いに・・・・人生「修行の場」(これは、神に試させられているのだ)で・・・おさえる。
   現在、地域の青少年や児童の健全育成と交通安全のボランティアに自分の存在を求めています。(金は無いが暇は十分在る。)
辛い思いの人たちを少しでも減らせれば・・・・・・自分の様な思いをさせたくない 「人生 ポジティブに生きましょうヨ。  自己満 自己満∠(^ε^)さあ プライドをすてて GO〜 」

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感動! 投稿者:通りすがり 投稿日:12月20日(水)10時31分36秒   引用
・・書き込みの話とか、いろいろ感動しました。

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