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渡来人研究会掲示板ログ14

世界史、考古、語学掲示板作成
2006年6月11日 2:57:13 管理人
このたび、書き込み人数に比して、歴史関連の掲示板がひとつと狭くなってきましたので、新たに世界史掲示板と考古掲示板、語学掲示板を作成しました。
世界史掲示板
http://bbs5.cgiboy.com/p/90/01387/
考古掲示板
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs
語学掲示板
http://bbs1.nazca.co.jp/2/toraijin/
双方トップページから入ることができます。
どうぞご活用ください。



気になる古墳
2006年6月10日 21:18:55 タックン
最近丹波の、旧夜久野町(現福知山市)に存在する、長者ヶ森古墳というのが夜久野中学の校庭の片隅に保存されていますが、この古墳の墳形が双円墳といわれています。
内部主体は横穴式石室、6世紀ごろの築造とされていて、校庭を造る際に発掘が行われています。
この双円墳、新羅の墓制と言われていますが、何故こんな丹波の山間部に存在しているかと思っておりましたが、案外築造されていてもおかしくはない地域と最近考えるようになってきました。
現在の国道九号線のルートと、過去の山陰道のルートとはそう大差はない、にしに行き峠を越えるともうそこは但馬の地域、東に行けば由良川沿いに出て、北上すると丹後、由良川を渡って東に進めば丹波の中心部に出て行く交通の要所だったんです。
然しこの旧夜久野町域には、顕著な式内社の存在は私自身調べたところナシで、隣の福知山市域には何座か存在している程度で、古代からの開発が遅れていた地域だったんではないか?とも感じています。
確かに考古的な遺跡も、古墳時代後半くらいからの遺跡が顕著で、縄文・弥生頃の遺跡の発見は、散発的であまり顕著ではありません。
然しこの地域にこういう双円墳という特殊な墳形の古墳が築かれているという事に、かなり興味を覚えるのです。
この双円墳、畿内でも渡来人に関連のありそうな地域くらいにしか築造されておらず、有名なのは河内の河南町にある、金山古墳・東大阪の瓢箪山古墳を盟主とする山畑古墳群などで、いずれも古墳時代後期に築造されていて、内部主体は横穴式石室でいずれも6世紀以降の築造なのです。
特にこの山畑古墳群は、双円墳はもとより上円下方墳・方墳など多彩な墳形が混在して築造されており、近くの河内馬飼部など河内牧の関連、渡来人の墓所などの考察がなされており、興味深い地域の一つでも在ります。
事実この古墳群の副葬品などは、馬具の副葬が多くこの牧の住民との関連が濃いように思うのです。
となると、この丹波夜久野の地域も、河内などと同じように牧が経営されていて、馬術に秀でた渡来人などが招かれていた?何てことも考えられるのではないでしょうか?


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双円墳
2006年6月10日 23:31:58 管理人
タックンさん、貴重な情報ありがとうございます。双円墳というと、韓国でみたことがありますが、丹波の山間部にあるというのも興味深いですね。6世紀の横穴式古墳なのですね。先日の松本の積石塚針塚古墳は、確か5世紀後半、竪穴式でした。牧と渡来人と古墳の関係は重要ですね。otaさんも、渡来人まつりのときにおっしゃっていましたが、牧と松本との関係も重要そうです。牧ってそう考えると、新来の渡来人と関係あるのでしょうかね?古い渡来人と牧との関係だと、東漢氏のそれが有名ですが・・・。


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瓢箪/繭
2006年6月11日 0:07:07 棘の紀氏
タックンさん管理人さん今晩は、
双円墳から中国神話の瓢箪、秦氏の繭玉を思い浮かべました。
 「この兄妹は、大洪水で人類が滅んだとき、瓢箪の船に乗っていて助かり、その後結婚して人類の祖先になったという。伏羲は雷神の子で、八卦を定め、人類に火種を齎し、動物の肉を焼いて食べられるようにしたともいわれる」
 「伏羲氏(ふくぎし)は古代中国の三皇五帝の初の人皇。道の理を究め、先天の八卦を描き、天を仰ぎ観、地に俯して察し、はじめて天地の生れ出た天地創造と還源の理を顕した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E7%BE%B2%E6%B0%8F

「繭という古代のモチーフを直接的に再生させている)との闘争という、」
「瓢箪/繭という古代のモチーフを直接的に再生させている)との闘争という、伝統的日本と中国の神話的、フォークロア的な主題と近似しているのであり、そして、その闘いは通常、文明的秩序の破綻の後に、子供たちの特殊かつ間接的な働きかけを通じて制御されるのである。」−−ジラルドー、『初期タオイズムにおける神話と意味:カオス(「混沌」)の主題』) 」


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牧 古文字では、
2006年6月11日 0:21:19 棘の紀氏
牧ってそう考えると、新来の渡来人と関係あるのでしょうかね?古い渡来人と牧との関係だと、東漢氏のそれが有名ですが・・・。

【牧】古文字では、牛か羊をゲキ(斧)で撲殺の形?
   革部?はモンゴル遊牧民系?相撲の渡来もこの頃でしょうか?
   他に、辻で牛か羊を 棒? 杖? 物差し?で追う形。
   牛か羊はこの場合い【角度】・・測量かも?


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削除
2006年6月11日 2:19:45 管理人
行過ぎた発言がございましたので、管理人権限で削除させていただきました(汗)。悪く思わないでください。新掲示板を作成しましたので上の記事をご確認ください。



南九州探訪
2006年6月10日 10:25:51 かわかつ WEB
未だにやくたいもない書き込みをつづける棘がいるね。
柄にもなく殊勝なことを書いているが、かわかつもあなたを「書き込み中毒」の地獄から救い出すためここへ奇跡の復活をしました。
このままあなたが恥を書き続けていくと、渡来人研究会自体の損失になってしまうと判断し、「止め」をかける意味で書き込み再開します。(ありがたく思え)
他の皆様には、かわかつの鬱状態にさまざまのご配慮、ご腐心いただきまして感謝申し上げます。

さて・・・・茨城の佐伯一族はもともと国巣クズとよばれる土蜘蛛でしたが、ある時期滅ぼされています。そして平定された彼らは佐伯一族として佐伯の臣に管理され、各地に分割居住させられました。
このような事例は多々あり、彼らが縄文の血をひく者どもであったことが想像できます。かねてより申すとおり、管理者、被管理者がともに同姓を名乗るという証明にもなりますが、おそらく棘のおやじの自制心の欠如はあきらかに南方系縄文人の末裔であるゆえでありましょう。
しかもこのおやじはSMでいえば、あきらかにMの性格をみせている。
やっかいなうえに、まるきり自分をかえりみることを識らない恥のうわぬりを続けたあげく、高貴の血を引く者にたたきのめされることを望む救いがたき人種であるから、かわかつが神になりかわり、望み通り、完膚無きまでに滅ぼしてくれよう。ありがたく思え土蜘蛛。
かくして歴史は繰り返す。

クズを見てゆくと隼人が出てきます。滅ぼす側につかされて、同族を殺戮する手助けをさせられたのです。
隼人の伝承が正史に反映されたことが、一体どうした訳なのかを調べてゆき、そこへ南方神話や祭りの痕跡、また隼人、熊襲、ひいては大伴一族の居住地などをあわせて総合的に考えますと、どうも古代の日本には神八井耳命という神の系譜が存在したことがわかってきました。
例の壬申の乱で活躍する一族がみな、この神を祖神としているようなのです。
どうやら奄美大島〜沖縄〜台湾〜江南へとさまよってみなければなるまいかと・・・

とりあえず来月あたり研究会の管理人さんと九州南部をうろつくことになりそうです。 できなかったオフ会のやりなおしみたいなものかと。
茨城あたりの土蜘蛛は来なくてよいぞ。


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風と太陽
2006年6月10日 10:31:45 かわかつ WEB
童話にあるごとく、旅人の外套を脱がせるには強硬手段より、懐柔策でありましょう。
皆様、ここにあわれなひとりの土蜘蛛がおり、この救われぬ眷属を救い出すには、皆様の書き込みによって棘を駆逐することが一番の薬となるでしょう。この者は病気なのです。


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なお棘は
2006年6月10日 10:34:20 かわかつ WEB
書き込みを続けるのなら、かわかつのcommentに口を挟まないことを望む。勝手にせよ。
ただし他の書き込みに干渉することはまかりならんぞ。


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蜘蛛
2006年6月10日 23:08:57 管理人
下のレスにも書きましたが、当時日本でしようされていた文字に不吉と吉など、どこくらい深い意味をもって、漢字を使用していたか、その辺について考えています。そういう意味では、蜘蛛はあまり尊重されなかったという気もしますね。蘇我馬子とか馬とか牛とかは名前に使用されていますが、蜘蛛は確かにないですね。で、秦大津父の津ですね、問題は。
あとぜひ九州でオフ会を開くことになりましたら、よろしくお願いします。



太一 は 兒
2006年6月10日 9:07:24 棘の紀氏
太一 は 兒・・・(目イソン?)
兒 ジ ニ こ [【臼】キュウ グ うす+【儿】ニン ジン]
【虹】 【鯨】 【睨】む 流し【目】 【刑】(鼎の一種 ) 【鷺】[路+鳥] さぎに似た鳥 (鵞鳥[我+鳥] 白鳥 ヤマトタケル)
【兒】 [儿/8] [ジ、ニ/こ] =【児】
 【倪】 [人/10] [ゲイ/] 幼少の【子】
 【猊】 [【犬】/11] [ゲイ/] 【獅子】、高僧の【座】 【座 】ザ すわる くら?      汗簡では【土】 ポイントに(私的に「追加工事」)手を入れている形(鳥居【型】?)
 【睨】 [【目】/13] [ゲイ/にら-む] じっと【見】詰める
 【貎】 [豸/15] [ゲイ、ボウ/] 形、姿/容貌
 【鯢】 [【魚】/19] [ゲイ/] 鯨(【京】)
 【霓】 [雨/16] [ゲイ/] 虹 (ギリシャ神話では雨を支配していたのは最高神【ゼウス】)
 【鬩】 [鬥/18] [ゲキ、ケキ/] 咎める、言い争う
 【麑】 [【鹿】/19] [ゲ、ゲイ/] 鹿の子(【夏】かの子)

『六書』・・・占星術・・・古事記・・・
『天乙・太乙』・・・・紫宮(紫微星)門外に存在し、二十八宿では『亢宿』
             に陣取る天帝の二星である。
             「天乙」=天帝で戦闘と人の吉凶。「太乙」=天帝で
            使者十六神を司り、風雨、水干、兵革、飢饉、疾病、
            災害を判知する。
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime25.htm

 「虹を龍・蛇と見る思想は世界中に見られる。中国でも、虹は龍であると考えられ、鮮やかな主虹が雄で虹、ややくすんだ副虹が雌で(ゲイ)とされている。古代中国において、虹は彗星と共に吉瑞と考えられていた。」

「甗」ゲン甑 こしき(こしき豊か?)【睍】ケン(犬?)ゲン:【視】と同じ・目の突き出ている・【睨】ゲイ「出目」
・ゲイ、日を  http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t_jis/connection/3k5t_gei.html
「大型縦目仮面」。【視】と同じ・目の突き出ている・【睨】ゲイ「出目」
http://www.actv.ne.jp/~yappi/new-baksisi/nb0102-sanseitai.htm


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仮面
2006年6月10日 23:43:31 管理人
古代中国には目が飛び出た仮面をかぶる習慣をもつ王国があったんですね。仮面の文化というのは、中国起源の文化で有名ですが、そもそもは仮面を被るときに、なにかが乗り移るみたいな部分もあるのでしょうね。なんで目が飛び出ているのでしょうね。普通仮面というと目だけ開いていたりするものですが。メスはゲイ(目)なんですか?飛び出ているのに。ゲイは見るではなく、睨むの意味でしょうね。兒もゲイですか。とするとおっしゃりたいのは、天兒屋根命と藤原氏あたりのその辺の用法についてですか?その辺の漢字の意味、彼らは理解できていたのですかな?


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わらび手紋が兒なら
2006年6月11日 0:30:04 棘の紀氏
王塚古墳双脚輪状紋 わらび手紋
http://www.try-net.or.jp/~k-ouzuka/contents/ozuka/ozuka3.html
より
【わらび手紋】が【兒】(太一)【一つ目】なら わかる カナー。


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訂正
2006年6月11日 0:31:52 棘の紀氏
【双脚輪状文】でした。



住吉三神の【筒男神】は【五十(イソ 船)猛命、大屋(家)津比賣命、抓(葬)津比賣命】でした。
2006年6月8日 10:56:07 棘の紀氏

「この木種を植え育てよ。杉と楠は【舟】をつくるのに用い、檜は【家】をつくるのに、槙は【棺】をつくるのに用いよ。」がヒントでした。
【筒】ツツは、星のことを指すといはれ、星は航海の針路を決定するものである事から海神であるといはれている。帆柱を受ける凹型の柱で船霊を祀る所でもある「筒」の事で対馬にある地名「豆酘(つつ)」や、ツチノコの「ツツ」に由来する語など諸説あるらしい。
住吉三神がスサノオ(航海関係)や紀氏(木材関係)に関係することで、陸に上がった【海神】「造船関係者」が国造りにどのように貢献出来たか考え辿り着きました。
 詳しい話をしだすと「情報の渦」に飲み込まれますので戸戸までにします。


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筒の意味
2006年6月8日 22:20:34 管理人
筒について、紀氏さんはオリオン三ツ星説を過去となえておられましたね。三ツ星は海神、航海の神と造船集団に考えられていたのでしょうか。渡来系氏族でも、秦氏は木造神殿建築に延喜式に見えるように深くかかわっていますね。秦氏と船信仰はかつてご指摘ありましたが・・・。下記レスしました津の意味とあわせて、秦氏、漢氏と津の用法について調べてみるとおもしろい結果が出てくるかもしれませんね。楽しみです。


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筒(ツツ)→津津(ツツ)
2006年6月9日 12:57:25 棘の紀氏

筒(ツツ)→弓(ゆはず 弭・弝・→キ クツ )→(津津ツツ)
(【キ クツ】[弓+巨(【矩】)]
筒(ツツ)→弓(弭 ビ ミ ゆはず)→(津津(ツツ)・・・【・葛】城(ギ) カツ(夏津) カチ(香地) くず(区図) つづら(津図羅)
【葛(ヒ=X)】 葛 カツ カチ くず つづら
筒(竹+同)から【弓】の形から【入り江】(工から2点の距離)・【湾】(+弓)
  弓の名称を御覧下さい。
【上】(うわはず) 弓束(ゆづか 塚?)本弭(もとはず)/【下】下弭(しもはず)
http://ecoecoman.com/kyudo/item/yumi_meishou.html
【弓】部
http://rtk.web.infoseek.co.jp/cjk/rads/057.html
【弓矢】は古代測量に欠かせない道具でしたし、【漢字】は禹の古代測量が祖なのです。


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古墳の壁画に多く描かれている。
2006年6月9日 13:26:47 棘の紀氏

左上に並んでいるのが「ゆき」 (【旌】[方+←+生]サ サイ うつぼ ゆぎ)
http://2004mmc-junsouda.cocolog-nifty.com/40sugitecpkayo/
http://8811.teacup.com/toraijin/bbs?OF=30&BD=13&CH=5
【弢】トウ ゆみぶくろ(はたぶくろ【旌衣】せいい)
「ゆみぶくろ」【旌】うつぼ(禹壺?) ゆぎ(【柚】木)・・・は【軸】の木(基)?( ̄- ̄) 


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失礼致しました。
2006年6月9日 13:32:55 棘の紀氏
http://2004mmc-junsouda.cocolog-nifty.com/40sugitecpkayo/ は、早とちりでした。 
 かわかつさん・・・・ゴメンネ。
(^.^)(-.-)(_ _) 


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はたぶくろは旗 秦をかけました。気づきました?
2006年6月9日 13:47:53 棘の紀氏
はたぶくろ【旌衣】 と【旗】キ 起 黄 規 亀 姫 己 箕 鬼 揆紀 槻 忌 埼・・など(旗幟=秦氏=紀氏・・・認めたく無いデス。)


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津は当て字??
2006年6月10日 3:53:18 管理人
とすると、「津」は音読みのときの当て字だったわけでしょうか。秦大津父の津などは、まさに音読みの当て字とも言えそうですし、しかし、とすると大津は「オオツ」の当て字になってしまいますね。大津というのは、イメージ的には琵琶湖と関係するのかと思っていましたが、どうなのでしょう。大きい津の父??とまともに解釈してもだめでしょうし。確かに紀氏さんご指摘の大気津姫の津は、月の音読みとみてよいでしょうか。これも秦の大津父のオオツと、なんらかの語的な意味があるとするとおもしろいですね。ツ音を名詞の最後にもってくるような言語や方言はどこにあったでしょうか。


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【秦】の古い字形
2006年6月10日 11:04:09 棘の紀氏
 管理人さん、今日は。
 早速ですが【津】の古文字(金文)では【川】+【鳥】+【舟】です。
【川】は水辺【境】です。【鳥】は【測量士】で【舟】は【虹・橋・渡し】です。
【舟】はHHの重なる【梯子】 橋は舟を連ねた上に梯子を乗せた物です。
【虹】[虫=龍 工=Hを横にした形 弧コを描く。

【鯢】 [【魚】/19] [ゲイ/] 鯨(【京】)
「くじら」が大きい魚[大+魚]なら理解できますヨネ?
なぜ、[京+魚]なのでしょうか【京】=【大】 とりあえず【京】は大きい【都】(古文字では【口】から上に伸びた【木】が2つの点(ボチ)の間に挟まれる形を屈んで見ている人の形)
【都】 【津】 【通】 【つ】 【ツ】の五文字 (私には、関連して見えます。)
漢和辞典の音訓索引を見ていると漢字の関連性の存在を感じます。
「くじら」の古文字【魚】+【畺】キョウ[一田一田一]いちたいちたいち(【田一】=【多一】=【太一】?)=【京】(3つの【一】が辿り着く【田】(都・京)
【鯨尺】なんでだろう?


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2
2006年6月10日 11:05:06 棘の紀氏
 「大亀谷…藤の森の巽也。九卿(郷)の北内村ハ此地なり。伏見より大津に至るも道路にして、秀吉公開き給ふ所の新道なり。むかしハ『六地蔵より醍醐を越え』て大津に出る。」
「日本書紀」巻19に秦大津父が伊勢の国からの帰途この土地で「狼が二匹争っていた」のに出会ったことから狼谷と呼ぶようになり、訛って大亀谷になったというものです。
狼(犬・隼人?)が二匹争っていた決めた【大亀谷】=「多【其】V」(亀甲?)正確なポイントが見つからなかったカモ?
維新前伏見管轄図
http://shigeru.kommy.com/ootukaidou.htm
 「この地図を見にくいのですが、上が東です。1番上の道が大津街道です。2番目の道が伏見街道。3番目の道が京町通りです。
 縦の道は1番右から津知橋筋、次が現墨染通りでこの道が八科峠を越えて六地蔵へ抜けていく道(「大亀谷街道」・「八科峠道」…この道も秀吉が旧道(大和路)を廃して新たに付けたと言われる道で京都と木幡…宇治をつなぐ近道)です。そして3番目の道が伏見街道から分かれた大津街道です。つまり右から3番目上から2番目のところが大津街道と伏見街道の分岐点ということに成ります。」
まさに、3本の路が  【京】(3つの【一】が辿り着く【田】(都・京) ですネ!
【父】の古文字は「物差し?棒や 黒いボチ(点)を渡そうとする形」(父が子に託す形が【父】の字形。)
欽明天皇がまだご幼少の頃のある日のこと「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になられた時にかならずや、天下をうまく治めることができるでしょう」
http://inari.jp/b_shinko/b01a.html
秦大津父のあとに首長として活躍したのが秦河勝
【秦】の古い字形は【岡】の古文字を【黒】(点)く塗りつぶした黒い【糸瓜】型や【十字】お腹が黒く孕んだ形。(【任】の甲骨文字ひ謎を解くカギが?)


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津の文字
2006年6月10日 23:04:19 管理人
こんばんは。津が川と船と鳥に分解できる点はおもしろいご指摘ですね。どれも、確かに日本の神話にて最重要の要素ですし、測量とか水運、天への思想とかかわりますね。問題は津の語を意味分解して意味を知るまでに当時の渡来人?が理解していたかどうかですね。それを理解して皇子などの名前に津を使用していたら、それはそれですごいのですが・・・。めでたいとされる文字が今はたくさんありますが、当時は名前に平気で動物を入れるような時代ですからね。でも逆に中国では当時そういう吉・不吉な文字の使用はあったのでしょうか。日本だと、天皇の名前を避けたことは有名ですが、再度「津」の文字の使用について調べねばなりませんね。中国だけではなく、朝鮮での漢字の理解のあり方も重要ですね。


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「津」の文字の使用について
2006年6月10日 23:47:33 棘の紀氏

都 津 通 つ ツ 鬥 菟=ツ

【鬩】 [鬥/18] [ゲキ、ケキ/] 咎める、言い争う
【鬥】ツ トウ たたかう:武器をもって向かい合う形・【対】
津津(対・向かい合う) 【武器】は測量器具や環境整備の鎌・鉞・鋸などを兼ねる。(鉾・矛・さすまた)【鎌】下草刈り。(狩に通ずる。)
「狼が二匹争っていたのに出会ったことから狼谷と呼ぶようになり」【鬥】ツ トウ たたかう?
こんなもんで如何な門でしょうか?



点を線にするHPです。紀氏の思いを伝えてくれるでしょう。
2006年6月7日 12:00:57 棘の紀氏
五十猛命は日本国中に木種を播いた神とされる。実際木種(【貴胤】【黙示】基支)を播くのは鳥(目視取り)である。五十猛命と鳥との関係がテーマになろう。
http://www.kamnavi.net/it/izu/
点を線にするHPです。紀氏の思いを伝えてくれるでしょう。
閃き! 「天津甘栗」の【津】は「シン」真 秦 【神】 芯 臣 伸 進 辛 申 矧 針・・・・・
プラトン(伯拉多)、「古事記」をカタル
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/index.html
どうたく・・・厳瓮(いつへ・ゲンヲウ・ゲンウ)
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime06b.htm
【神】なら「鳥居」なら【真】はポイント
。「徒歩」で日本全土を測量し「日本地図」を作ったのは酒屋の隠居『伊能忠敬』で、その手始めは東北、蝦夷地=毛人の国であった・・・
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/uta4.htm
(?)。『柿本人萬呂』の歌には「海人」、「白水郎」、「泉郎」の文字使用がある
、「トラトラトラ(虎・耽羅・寅)」である・・・・・・(トーラ?)
各「一首」が「まと(的)」を外れて何処の時代、何処の地理的場所へ飛んでいくかを検討してみよう。
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/uta5.htm
。『伊藤博文』は盲目の学者(塙=はな・コウ)まで暗殺したらしい。「
「日本年号」、「名前」、「地名」、「建物」、「イロ」、すべての「物名(ブツメイ=仏名・武都・部柘・沸津・布津・払)」等の「漢字の音」や「数字」である、と・・
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/utaxa1.htm
水・・・・御【津】・密・蜜・三・水戸
尋(仁・神・壬・甚・靭・塵=地理)
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/utax1.htm


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2006年6月7日 12:01:18 棘の紀氏
「壬生」とは「ミズのエの生まれ」で「壬申」の「壬」である。「
「壬生」は「源(水+原)=白」の示唆で、地理的には「栃木県・宇都宮の南西・栃木市の北西」にあり、ほとんど「北緯36度22分」の「茨城県・水戸」のライン上にある。もちろん、この西への延長には「隠岐島」が存在する。幕末で「壬生浪人」とは「京都壬生」に屯所を構えた「新選組」であった。しかも「壬生=水の兄の生まれ」で「壬申の乱」の示唆でもある。勝利したのは「天武=大海人」で敗北したのは「弘文=大友」である。実際には「天智=中大兄」が敗北したのだ。
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/utax2.htm
「鮎(あゆ)=魚+占(うらない・セン
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/utax3.htm
「三井寺(園城寺)」の修行僧となり、後に「保安四年(1123)」には「比叡山・天台座主」、「天治二年(1125)」には「大僧正」
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/utax4.htm
補得・鴇=とき・倣=模倣
「ぬえ(怪鳥)」を退治したと言われている。
 『二条院讃岐』はこの和歌をよんでから『沖(隠岐)の石の讃岐』と呼ばれた。
英語ではキクは「chrysanthemum(クリサンセマム・χρυσανθεμο)」で、「十一月生まれの誕生花」である。ちなみに「さくら(cherryblossom)」は「不誠実・欺瞞」であった。
 「白」とは、「源氏」の象徴で、
そして、「キク」は「起句・聞く・記句」の「規矩」であるのだ。

http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/utax4.htm


   「聖母・アベ・マリア」・・・「シバの女王
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/abe01.htm

プラトン(伯拉多)、「古事記」をカタル


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津】が都 
2006年6月7日 13:01:34 棘の紀氏
【京 古文字では、人 道 がたどり着く家の字形に思えます。キョウの音に【叶】かのう かなう が古文字の【口】の上に【+】他に 3人?(【男】−【田】=【力】)が【凵】カン コン に辿り着いた形、(カナンの地・・・のも禹想。)
「かっての【津】とは都だったのだそうである …」
「渡来人(とり)が多かったのである。
それで、奈良では飛鳥と言う名が出来たわけである」
http://kotora888.fc2web.com/nikki.html

「遠津とは五島列島・平戸島の地下式竪穴式板石積石室墓地帯であったのである。 」
http://www007.upp.so-net.ne.jp/jkodaisifukugen/fileKasetsu.html


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津の意味
2006年6月8日 22:17:16 管理人
津の意味についてお教えありがとうございます。「津」が都を意味したり、墳墓を示したり、一般的な港だけの用法ではないのですね。「鳥」と都の関係も重要ですね。都と港、墳墓、それらはある種の言葉で象徴化されて理解されていたのでしょうね。測量と関係しながら・・・。ご指摘ありがとうございます。私は理解できますが、もうすこしまとめていただけると他の方は・・・。ではでは。



渡来人まつり 来場感謝
2006年6月6日 16:24:59 ota WEB
信州渡来人倶楽部のotaです。先日は管理人さんが松本の渡来人まつりにわざわざ駆けつけてくださってとても嬉しかったです。
また、地元の史跡を3箇所お教えしたところ、すべてを丁寧に回ってくださったんですね。驚きました。かなり時間もかかったはずです。熱意に感激しました。
HPにもそのときの模様が詳細に記録されていました。ありがとうございます。
雑誌「渡来人研究」第1号も今読ませていただいています。かなりレベルの高い雑誌なので驚いています。
私もぜひ渡来人研究会の一員に加えていただければ光栄です。
今度いらっしゃるときは安曇野地域をご案内したいと思います。
また、長野市の善光寺も百済の人々によって作られた寺ですし、長野市の東端に位置する大室古墳群は積石塚が数百集まった大規模な墳墓地帯ですので、ぜひ一度訪れてほしい場所です。
長野県は渡来人の里そのものなのです。
それではまた。


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先日はお世話になりました。
2006年6月6日 21:13:27 管理人
信州渡来人倶楽部ota様、先日は大変お世話になりました。そして、松本周辺の遺跡等について、詳しくお教えいただきありがとうございました。丁寧にお教えいただいたので、思ったよりすんなりと夕暮れまでには廻ることができました。感謝です。伺っていて、浅間温泉から松本にかけて、大変渡来人にご縁が深い地域であることにいろいろ気づかされました。ぜひ、安曇野地域や長野市方面の百済系についても、お教えくださること楽しみにしております。積石塚というのは、ほんとうに5世紀後半ということで、朝鮮のそれにくらべて、ちょっと時代が新しいことが興味深く感じています。あと、研究会報も読んでいただき、本当にありがとうございます。先日のお話に続きでいろいろご意見お聞かせくださいね。今後ともよろしくお願いいたします。


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下記紀氏さんのご指摘について
2006年6月6日 22:47:23 管理人
ご紹介あった、新羅によく見られる双円墳で鉢塚古墳も古墳時代後期の上円下方墳であるとのこと、新羅系の渡来人が直接わたってきた場合、そのまま祖国の墳形を維持して造営されるケースがあるのでしょうか。先日の松本での積石塚が5世紀後半というのも、前方後円墳が主流の時代に、朝鮮系の積石塚が見える点関係するのでしょうか。あと、下記にレスしましたが(下欄は書き込みが多すぎて文字数制限で書き込みできませんでした)、津を厳密な測量で造営する文化はそもそもどこの国にそういうのがあるでしょうか。


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地図測量の200人
2006年6月7日 9:59:23 棘の紀氏
地図測量の200人
http://www.geocities.jp/fb4wing/simabara.htm

【津】藩士、初代の水路部長、貴族院議員。
 柳楢悦は、幼名を方太郎といい津藩の小納戸役の子として江戸で生まれた。9歳のとき津藩の有造館に入り、書や算術を学び、元服後村田佐十郎の門下生となり関流数学と規矩術と量地術を会得し、22歳の時には師とともに天測用六分儀を使用して津港で測量をしていたという。
久 2年(1862)幕府が実施した伊勢・志摩、尾張沿岸の測量に津藩から参加した ...
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/200nin/ywa-gyou/ya-2.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/shiseki/tokyo/to24.htm

測量設計等委託業務積算システム【維津美】・・・・
(【維】 糸=長さを測り 角度を割り出す。 【隹】とり (測量士の隠語) 【津】 点 ポイント。 【美】ミ 見 巳 壬 箕 未 観 三・・・・)・・・・紀氏の妄想。
国土交通省 国土地理院にも導入
http://www.systemrun.co.jp/PRODUCTS/IZUMI/izumi_main.htm


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2
2006年6月7日 10:00:57 棘の紀氏
伊能忠敬の測量での【津】・・・・・偶然でしょうか?
島原街道の船越村枝梅【津】(埋津)。正左衛門宅で昼休み。人家前より初める。諫早町へ逆に測る。
島原領愛【津】村(雲仙市愛野町)の庄屋深浦九郎左衛門が深更(夜おそく)に来る。
船越村枝梅【津】の人家前、即ち島原街道の梅の印より初める。梅津川(埋津川)は土橋(埋津橋)で四間(7.27m)。
【矢の印】 【合の印】 【土の印(番所跡)】・・・・・測量でのポイントでしょうネ!
床の印より初める。長野村、有喜村。同村の諫早と長崎街道の追分けで野陣で昼休み。【矢の印】迄、二十九町四十一間(3238m)。唐比村。それより島原領愛津村の【合の印】で海辺と街道を合流して測る。一里二町二十一間(4184m)。街道は通ばかりで一里三十二町二間(7422m)。是より沿海の愛津村の内、字土井の【土の印(番所跡)】迄、沿海が六町四十五間(736m)。

柳宗悦と言うと、日本の民芸運動の創始者、そして白樺派の同人として、あまりにも有名なので、ほとんどの方が御存知のはずです。その宗悦の父が楢悦です
津市体育館あたりを"御馬場屋敷"と言い、その長屋のひとつに住んでいました。若いころから和算と測量術を学んで、すでに十代の末には、もう数冊の著書があるほどの人物でした。安政2年(1855)、23歳のとき、津藩からえらばれて、12名の藩士とともに、幕府が開いた長崎の"海軍伝習所"の第1期生として派遣されました。これから1年数か月のあいだ、オランダ人から西洋数学、測量学、航海学などを勉強します。和算ではすでに、全国に名をなすほどの彼でしたから、オランダ人もおどろいたほど、理解が早かったと言われています。このときの津藩からの同期生の1人に、日本の写真術の祖といわれて、いまは津の四天王寺に墓がある、堀江鍬次郎・公粛もいました。そして柳は、ここで同期生として勝海舟をはじめ榎本武陽・川村純義・五代友厚・佐野常民など、のちに明治政府のもとで活躍する人物と知り合います。これらのことが、のちの彼の人生を決定することになります。
http://www.mie-kyobun.or.jp/Tayori/Rekishi/Rek019.htm


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3
2006年6月7日 10:01:23 棘の紀氏
伊勢津藩の所領
弥生時代の有樋式石剣が町の象徴である笠置山(標高288メートル)より出土し、これにより古来より笠置山が人々の自然崇拝の対象になっていたことがわかっています。
http://www1.kcn.ne.jp/~kasagi/gyousei/enkaku.htm

天理市丹波市の町並 川原城町・丹波市町. 丹波市町の町並. 丹波市は大和川支流布留川流域にあり、山辺 ... 江戸時代の初めは幕府領であったが、元和5年(1619)からは伊勢津藩領であった
http://takahira.cool.ne.jp/furuimatiB/naraken/tenritanbaitiG2.htm

会【津】藩と【白虎】とは想像上の動物で古代中国では【西】・・・【津】と【西】方のトーラ【白虎】・・・(妄想が広がります。)
会【津】藩が官軍に攻撃 され危機に瀕した会津戦争の時、白 虎隊も出動し各地を転戦しました ... (注:白虎とは想像上の動物で古代中国では東西南北の四方を青龍・ 白虎・朱雀 ...



松本探索(渡来人祭り)をアップしました。
2006年6月5日 17:48:10 管理人
このたびお伺いした、松本浅間温泉での「渡来人祭り」および、松本周辺の遺跡探索日記をアップしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/060604matsumoto.htm
信州渡来人倶楽部の皆様大変お世話になりました。とても、すばらしい恵みのひととき、感謝です。今後も新たにできあがってきました渡来人ネットワークをもとに、お互い得意な分野を生かして協力していきましょう。よろしくお願いします。

管理人



下界より飛ばされて
2006年6月4日 15:01:22 棘の紀氏
この津守連通という人は、持統天皇・草壁皇子側の人間だったということである。陰陽師には、渡来系の大津連首(おおつのみらじおびと)や、大津宿禰大浦(おおつのすくねおおうら)という「大津」姓の陰陽師がいるが、「大津」という名を冠しているところを見ると、彼らが大津皇子の壬生(乳部)であった可能性は充分に考えられる。大津皇子が漢詩が上手だったのも、彼らに手ほどきを受けたからではないだろうか? 想像するに、陰陽道においても津守氏と大津氏が敵対関係にあり、ライバルの大津氏を壬生に持つ大津皇子を、この通という人は、陥れようと画策したのではないか?
淀川の水運を司っていたのが紀氏の一族であったことを示している説話であろう。 紀氏の跋扈する所、紀の国魂あり、即ち五十猛命が祭神であってもおかしくはない
「秦氏」の居住地であった。井口堂の二子塚古墳(6世紀)は新羅によく見られる双円墳であり、鉢塚の鉢塚古墳も古墳時代後期の一辺40mの日本屈指の大きさの上円下方墳である。 「秦氏」の勢力を物語る。山城の大酒神社は秦氏の祖神を祀った神社であるが、別殿に呉織・漢織の神が祀られている。 それと同じように近くの伊居太いこた神社には穴織大明神が祀られ、呉服くれは神社には呉服大明神が祀られている。
http://www.kamnavi.net/it/kinki/osaka.htm


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【女国】
2006年6月4日 15:36:57 棘の紀氏
【女国】は「女首長サンアイ・イソバ」の島?
「女首長サンアイ・イソバの下で独立国であった。
「女国は日本列島のすぐ東方、三仏斉、大身、勃楚
、支、黒歯、勃海、大漢、尼渠(「海東諸国総図」の尾渠)が琉球ほぼ東方の羅刹国より
もさらに南方の海上に描かれているのである。」
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/review/review2.htm
1986年にはダイバーによって海底遺跡(下記)が発見されて話題となる」
海底遺跡
 「この島の南の海底に巨大な石が1986年にダイバーによって発見された。「石」は周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので、人工的に切り出したような跡や、人がちょうどよく歩ける通路上の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、およそ人が加工しなければできないと思われる形状をしていたため、遺跡では無いかと報道された。しかしながら、否定を含めた幾つかの説がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E5%B3%B6
http://www.bihou.com/iseki/top/hon.htm

 「琉球は八重山地方に来訪する神にアカマタ、クロマタがいます ... 耶馬台国・蘇我氏?) 参考HP. YHWHとは、神の名のこと ..」
青草談話室ログ平十七年 十二月ですが、なぜか?(出し惜しみなどは、なされないでしょう。)


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【女国】「女護島 女国 女子郷 女人島」は【八丈島】だったらしい?
2006年6月6日 7:02:33 棘の紀氏

秦の除福
     秦の始皇帝が 方術士 除福 を 東海につかわし 不老不死 の 霊薬 ( 仙丹 ) を 求めさせたが 
    その霊薬を 手に入れることができなかった 除福 は 帰国 を 断念し 
    孝霊天皇 紀元前219年 ( 72年 ) 紀州熊野 に 着き この地で 生涯を終わった
 
     除福 に 従って来た人々は 童男 童女 の 船に分乗し ふたたび 漂流 したが この船の一隻は 
    八丈島 に 漂着し それには 500人の童女 が 乗っており 青ヶ島 に 漂着した 一隻には 500人の童男 が
    乗っていた これより 八丈島 を 女護ヶ島 青ヶ島 を 男島 というと 伝えられている


八十八重姫{やそやえひめ}・・・・・ヤソ:【耶蘇】ラテン語 【Jesus】 の中国語 音訳。【キリスト教】 八重(ヤエ・YHWH)?
(【耶】 耶馬台国 ? 【蘇】 蘇我氏 ?)
     天孫降臨にあたって 大国主命は 事代主命とともに 国土を 天孫にゆずり 各地に 開拓の鍬をふるった
    事代主命は 一族と 八人の妃と共に伊豆諸島を開き 治めた 妃の一人の 八十八重姫は 八丈島に渡って
    古宝丸 ( 許志岐 ){こしき}を 生み この二人が 八丈島の始祖 と いわれている
 
     八十八重姫 ( 優婆夷姫 ) を 祀る 優婆夷{うばい}大明神 と 古宝丸 を 祀る 宝大明神は ともに 
    大賀郷 にあり 延喜式 に 列せられる 八丈総鎮守郷社 である
http://www5.ocn.ne.jp/~yo-ko/html/mukasi-hatijyou.html


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2
2006年6月6日 7:03:49 棘の紀氏
 古宝丸 ( 許志岐 ){こしき}を 生み・・・・甑 こしき・・・
「2005年12月25日 8:36:08 いばらの紀氏
「小子部雷率大隈隼人]の「小子部」をコシベと考え「越・古志・輿・虎視・鼓し・・・・・越人?・鼓鐸・鼓行・鼓舞・・・・などをイメージ・・・・
「コシキ」が閃き、甑(釜の上に載せて湯気で「※」(米)などを蒸す道具。・・・・二段の鼎?・・・アリダード!) 甑島・・・・「高千穂をぬけ水俣その先は甑島列島(甑こしきの漢字に「轂 こしき」を思い浮かべた、(轂:牛車の車輪の中央にある円木。車軸がつきぬけ、輻ヤが四方に出ている。ヤを一所に集める・しめくくるの意味。)東から放たれた矢が西の的に集まる・まさに日本の東西の車軸にふさわしい地名です。」(紀氏の原稿より)
【坐甑】そう(「輳・(車+奏)」:車の輻ヤが「轂こしき」集まる)にざす:「夏」のきびしい暑さの形容。・・・・・「夏」=禹=測量・・・・妄想デシタ。
【堕甑不願】そうをおとしてかえりみず:久しく炊事をしないので こしきに ちりが積もり、かまに魚がわく意。
こしきに ちり(アダムの素・祖)が積(目論見)もり、かま(缶・瓶・・・甕棺?)に魚(キリスト教徒?)がわく意。?
こしき(甑・鼎・アリダード)に ちり(地理)が積(目論見モクロミ)もり、かま(缶・瓶・・・甕棺?・・・・古墳?)に魚(キリスト教徒?・・・・・測量士?)がわく意。?

「小子部」は「轂 こしき」はケルビムの神の戦車メルカバー・・・測量用の車両?(東西南北に移動・・・製図機?)
製図機 ドラフター
http://www.smzkurasawa.com/1ban0.htm
   紀氏の妄想・・・・ここまで記増した。」・・・・・・ 「甑島列島(甑こしきの漢字に「轂 こしき」を思い浮かべた」 八丈島にも【甑】「こしき」  が!


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「津」考 大津
2006年6月6日 7:47:02 棘の紀氏
古代の大津
 「667年(天智6年)天智天皇は近江大津宮に遷都し、我が国最古の戸籍である庚午年籍を整備するなど、律令体制の基礎づくりが行われました。」
 「大津京遷都以前においても、『日本書紀』によれば、大和朝廷成立期の4世紀頃、景行・成務・仲哀の三天皇が高穴穂宮(現在の高穴穂神社と伝えられている)を宮居としたと伝えられています。また、百穴古墳などは渡来人のものらしく、大友村主、穴太村主などの勢力が存在したと伝えられ、早くから大陸の新しい文化を受容していた地域でもあり、このことが大津京遷都に影響したとする説もあります。」
http://www.city.otsu.shiga.jp/keikan/keikan/keikan0/keikan01.html

豊後街道

http://oita.e-machi.ne.jp/menu/fureai/bunngokaidou/bungo.html
野津原宿 (原は秦氏?)

菊池・・・(菊の紋章はシュメールにも 意味は「【匊】菊-草冠=掬う(救う)

 「都城の邪馬壹國 著者 国見海斗 [東口 雅博] ... 古来に銘々された山が有り、三山は奈良 古代を代表する名山である ... Mで、三つの山の三角形は二等辺三角形を構成して不思議さを ... である。 付近に古墳群、神社、古跡、旧跡は無数に有るが、他の …」
8大和三山と国見山 帯方郡設置と国見山 宮崎県串間の穀壁
http://www.btvm.ne.jp/~g-taka/yamaichikoku/yamaichikoku_8yamatomiyama1.htm
 「天香具山から畝傍山、耳成山の各頂点を結び三角形を措いて見ると、
耳成山から畝傍山、天香具山から畝傍山、二本の直線の距離は等しく三千二百
Mで、三つの山の三角形は二等辺三角形を構成して不思議さを醸し出す。」

 「邪馬壹国をめぐる議論 ... 「乍南乍東」では、2等辺三角形の原理2で、それこそ八千里なければなりません ... と陳壽はみています。 「大津市の北岸には賎が岳がある …」
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/miyazu-san-BBS.htm


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文字霊振り
2006年6月6日 14:19:23 棘の紀氏
。『古事記』は遁甲であると同時に分身の術
、『淵海子平』と言う占術の規矩法則では既に述べた十二支の『合冲刑破害』と言う関係からなんだが・・・」
、『角宿』の象意は、鬼のフンドシ」
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/syuku/syuku1.htm

国見町竹田津の湾の上の峰筋に有る元宮遺跡という五つ組の神籠石施設の主となるものの竹龍列石。龍は竈の字の龍種からきている。これは三個の巨石からできている竈石。龍は鰐ともなる。そして又これが亀ともなると秋田大湯の万座環状列石とも釣り合う。つまり万座は万年という意味になる。

国東半島の神籠石施設 
国見町竹田津の湾の上の峰筋に有る元宮遺跡という五つ組の神籠石施設の主となるものの竹龍列石。龍は竈の字の龍種からきている。これは三個の巨石からできている竈石。龍は鰐ともなる。そして又これが亀ともなると秋田大湯の万座環状列石とも釣り合う。つまり万座は万年という意味になる。
http://www.geocities.jp/onidew95/PR-page1.html


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古墳の形
2006年6月6日 22:43:22 管理人
返事が書き込めないですね。



棘の紀氏さん「北緯35度53分」を行く。
2006年6月3日 17:04:02 棘の紀氏

【ゴッドウィンオースティン 】(Mt. Godwin Austin)。中国名はチョゴリ。
(北緯  35度53分)
「今より遠い遠い昔・日本よりはるか西方のゴットウイン山とよばれてるとてもとても高い山に、ビック・アイと言う、宇宙を作った大きな目をした神なまいおりました。」   紀氏の著書「古墳のこころ」の書き出しです。
 【 K2 ゴッドウィンオースティン 】からのラインが 常陸の国 【鹿嶋神宮】(北緯35度58分 東経:140度38分)に。
http://ja.wikipedia.org/wiki/K2
岐阜県郡上郡白鳥町と岐阜県郡上郡明宝村の境
大洞峠頂上 

北緯  35度53分
埼玉県吉川市大字南広島1940番地

さいたま市中央区円阿弥4−3−7
台地の周辺には、古墳、土器を出土した遺跡がある。.

空撮 馬場小室山遺跡・環状盛土遺構 (2)(1974年) 埼玉県さいたま市緑区 ... 馬場小室山遺跡・

内海との境となる北総台地の縁辺部などに多くの遺跡が残されています。 阿玉台貝塚、良文貝塚

鹿嶋神宮:北緯35度58分 東経:140度38分

香取神宮:北緯35度52分 東経:140度31分

息栖神社;北緯35度53分  東経:140度37分

諏訪前宮:北緯35度59分 東経:138度09分

高麗神社:北緯35度53分 東経:139度19分

船来山北緯35度28分は出雲大社35度27分とほぼ同緯度

 (渡来人研究第1号 より)
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm


「香取神宮周辺などには神領も多く存在していたようです。
 なお、中世期の古文書によると、香取海では「海夫」と呼ばれる漁民集団が存在していたとされ、沿岸には「おみかわの津」「つのみやの津」「さわらの津」など多く津があったとされます。」
http://www.city.katori.lg.jp/gyousei/profile/

管理人さんとのお付き合い( 漢字も含む。 )【吹く】の文字から・・・【inspire】?(思想、感情を)吹込む(inspire in, inspire into)・・・・ここまで着ました。(二人の天子がK2から中国→常陸の国まで。)


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北緯 35度 古墳」で検索しました。
2006年6月3日 17:46:25 棘の紀氏

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8C%97%E7%B7%AF35%E5%BA%A6%E3%80%80%E5%8F%A4%E5%A2%B3&ei=UTF-8&fr=top&x=wrt&meta=vc%3D

青島市の地理と歴史
中国山東半島の南端にあり、北緯35度東経119度の沿海都市で、人口710万、面積10654平方キロ、海岸線長870キロ、四季分明。
6000年前人類の跡があり、紀元前220年始皇帝が中国統一後、徐福を不老不死の薬探しに行かせたのは、青島の瑯邪台からだった。


「北緯35度線はアメリカのオクラホマシティ、メンフィスなど大都市を通り、ギリシアのクレタ島、キプロス島、イラクのバグダット、イランのテヘラン、チベット高原を抜けて、中国の西安を通っている。」

「... 歴史的には... 水田の最古の農耕遺跡は中国の長江下流域で発見されています。 中国では、BC6000年くらい ... その東アジアでは、中国で北緯35度あたり、他の地域で北緯40度あたりまで 」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/situmon/711595343499543.html

志保著『徐福論−いまを生きる伝説−』(
http://www.h4.dion.ne.jp/~js.maeda/johukutujisiho.htm

邪馬台国への里程は机上論だった
http://www.geocities.jp/yasumatsumurajp/page5.htm


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邪馬台国への里程は机上論だった・・・から 【禹】。
2006年6月3日 18:10:34 棘の紀氏

 「日本は会稽の東冶の東方向の海域辺りに予測することができると
いうことを示唆している。混一疆理歴代国都之図の地図によれば、日本が朝鮮半島から台湾辺りまで
離れていることが示されている。またその地図では日本の本州が南に描かれている。里程および地形
においては、当時は上地図のように考えられていたことが解る。(狗邪韓国(釜山)は北緯35度である
ほぼ同緯度にある中国内陸部の洛陽から北緯28度の長沙まで、略直線的に南下、その当時の距離
にて2,800里である。正確な地図では、会稽の東冶は福建省福州であるが、福州は約北緯26度で
あるから、釜山(狗邪韓国)から福州(会稽の東冶)まで、緯度的に、3,000余里である確度は高い)
日本の情報は当時の倭人に聞いて、この地図を作成したと考えられるので不確かさな情報である。
これに対して、日本の位置が現在の地図の位置とさほど変わらない地図(これも混一疆理歴代国都之
図という)も存在しているが、これは中国人自身が作成した正確な地図であると考える。
なぜ倭国は会稽の東冶の東なのだろうか。奴国または伊都国から中国には、船で九州沿岸を南下し
て、島伝いに琉球、沖縄、石垣島、台湾を経て会稽の東冶に入るル−トで、その昔、金印を授受され
ていた、奴国王の時から続いていると考えられる。そのル−トは実際は湾曲しているが、日本人が直
線的であると錯覚していたので、逆に会稽の東冶から見ると真東から日本人が来ているように見えた
と思われる。」

 「禹が諸侯を集めて、会合を行った際、大量の貢物があり、
それを集計するのが、大変な作業になったことから、
その地を『会計』→『会稽』と呼ぶようになったそうです。」
http://www.asahi-net.or.jp/~ds4t-fki/china/ka-2.html

夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪入れ墨を以て蛟竜(こうりゅう:サメの類)の害を避けたと言うが、今

「其の先は禹の苗裔にして夏后帝少康の庶子也。會稽に封ぜられ、以って禹の祀を奉守す。」
http://inoues.net/yamahonpen3-5-2.html


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邪馬台国への里程は机上論だった・・・から 
2006年6月3日 19:40:07 tombo

そんな事はありませんよ。
魏志倭人伝の読み方が解っていないだけでしょう。
方位も距離も面積も正確ですよ。

会稽の東冶の東とは沖縄の与那国島のことです。
湖南位於中國長江中游南岸,  北緯24度38分至30度08分之間, 地處東經108度47分至114度15分,
与那国島     北緯24°27' 東経122°58'


会稽=長江を緯度で追うと与那国島にぶち当たります。


tomboのラインは、歳差のラインで北緯40度

アララト山    北緯 39度42分      東経 44°18′   ノアの箱舟漂着地 
アンカラ     北緯 39度57分      東経 32度53分      トルコ・首都
北京       北緯39度56分、     東経 116度20分    中国首都
秋田県鹿角市 北緯 40度17.分32秒   東経 140度46分58秒  大湯環状列石
フィラデルフィア 北緯39度59分53秒   西経75度8分41秒   USA(宇佐^^;)米国独立宣言地


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栖神社でした。;北緯35度53分  
2006年6月4日 14:56:49 棘の紀氏
神栖神社
栖神社;北緯35度53分  東経:140度37分
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/ib1oks.htm
祭神:岐(キ ギ えだみち)神(きなどのかみ)
天鳥船(あまのとりふね)
住吉三神(海神であり、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E4%B8%89%E7%A5%9E


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2006年6月4日 14:58:37 棘の紀氏
津守氏は、筒之男神を守る「筒守」であろう。本拠地・勢力範囲・奉斎する神の類似からみても、阿曇氏と非常に近い氏族だといえる。神社の鎮座地は朝鮮半島から畿内への海路の要衝にあたり、神功&応神母子と共に、勢力範囲を東に派生して行った様子が分かる。やはり、神功皇后は、畿内から三韓遠征したのではなく、朝鮮半島から渡来したのではないか?
神功皇后の審神者に中臣(卜部)氏の烏賊津使主がいる。この烏賊津使主も母は津守氏の土美媛命で、母方の先祖は天火明命なのだ。注目したいのは「伊賀」である。烏賊津使主は「伊賀」津臣命とも書き、伊香色雄命は「伊賀」迦色許男命とも書く。阿倍氏系の高倉神社の初代祝は「伊賀」彦であった。そして、尾張氏系にも高倉神社がある。その所在地は「伊賀」上野なのである。
単に、巫覡に携わる人は、「厳」や「齋」の意味で名前に「伊賀」や「五十」が付いたのかもしれない。しかしここまで符合すると、「伊」は「磯」の「い」で、海人系のシンボルとも思えて来る。壱岐・伊都・伊予・石見・出雲・出石・和泉・磐余・石上・伊賀・伊勢・伊良湖・伊豆…。「丹土〜鏡と太陽信仰〜」で詳しく述べたが、なにか古代海人の信仰に、深く関連しているように思えてならない。
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/tumori-owari.htm


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大津、津守、測量
2006年6月6日 22:27:12 管理人
大津、津守氏と陰陽との関係、興味深いですね。大津、摂津、津とか地名ありますね。津守→筒守の説はまた住之江三神との関連で、重要で、海人系なのでしょうか。そこでご指摘されている安曇氏とはいったい。津、伊賀、伊勢、尾張、卜部、この辺の動き、斉蔵、斉宮との関連、重要ですね。息栖、鹿嶋、香取の正確な三角測量は、実際、津に面して、なぜ正確な測量を港で必要だったのか。これがいまだ解明されていない感じですね。夜に目印になる火でもともしたとの指摘が過去ありましたが、その辺でしょうか??



キトラの天文図の考察1.
2006年6月2日 10:08:07 tombo

ベテルギウス(Betelgeuse)はオリオン座α星で赤色超巨星。
おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンとベテルギウスで冬の大三角形と呼ばれていますが、学術報告書の写真からその位置に有った年代を計算すると
ベテルギウスは紀元前200年、シリウスは紀元前600年の位置となるそうです。列島史は犬と係わり合いが深くそれも子犬と係わっている。(子犬に付いては今回は割愛します。)
つまり、キトラの天文図は紀元前200年のものである、ということを原点に据えてある。                              それは、紀元前200年に歳差運動の観測確認が完了した事を意味している。
キトラの天文図は歳差を書き記したものなのです。


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キトラの天文図の考察2
2006年6月2日 10:10:40 tombo
歳差の確認を終えて80年後の紀元前120年に奈良・大阪・京都に3国共立王朝が誕生する。これが、唐古・鍵遺跡・池上曽根(いけがみそね)遺跡・池上(いけがみ)遺跡の三遺跡でしょう。何故80年も待って王朝を誕生させたか、それは、紀元前660年(辛酉)を辛酉革命・辛酉改元の神武即位とする為だった。
80年待った王朝建国を聖書では、                    民数記14章34節
『あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう。』
エゼキエル書4章6節
『あなたはその期間を終ったなら、また右脇を下にして寝て、ユダの家の罪を負わなければならない。わたしは一日を一年として四十日をあなたのために定める。』【民数記の700年後にエゼキエルが述べた】
と伝えている。


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キトラの天文図の考察3
2006年6月2日 10:12:32 tombo
民数紀で『罪を負った』年数を80年としていないのは、540と言う数字の抽出の為です。だから、エゼキエル書4章6節には【民数記の700年後にエゼキエルが述べた】と注意書きがされている。
紀元前200年から40年を減算、200年−40年=160年。
紀元前160年から700年後は西暦540年で、540と言う数字が抽出される。
抽出された540を借用し、紀元前120年から540年遡った年は辛酉(かのととり)の辛酉革命・紀元前660年で神武即位年です。
さて、この540という数字は何を意味しているか、
歳差により1度ずれる年数は72年、30度ずれる年数が2160年です。
2160年毎に春分の日の東の12星座の星の交代があります。
2160年毎に12回(12星座)の星の交代で歳差の1周期、 2160年×12=25920年 です。 
そして、2160年間の閏年の日数が540日です。
歳差と閏年と神武即位が関連つけられている。
次に、キトラの天文図から逸脱して、『列島史の歳差』と『シュメールの歳差』
を、確認したいと思います。
それから、紀元前4000年の黄道、45度のずれ等を追ってみたいと思います。


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関係があるでしょうか?
2006年6月3日 10:34:50 棘の紀氏

 「イエスの誕生年は紀元前5〜6年ということになる。」
 「誕生年自体もともとあやふやで四福音書を見比べると10年ほど違います。」
http://www4.big.or.jp/~nikki/mt/archives/000241.html

中国との出会いが生んだ「BC」という概念
http://www.yorozubp.com/9912/991229.htm

 「キリストの磔刑は満月の金曜日とされ、その前後に日食と月食が起こったことをほのめかす記述も見られます。しかし日食の方は、ハムシン(エジプト近辺で3月中旬から50日ほど吹きつづける風)によって、日本の黄砂現象と同じようなことが起こって太陽が暗く見えただけだろうといわれており、皆既月食の周期計算から、磔刑は西暦33年4月3日であったと考えられています。」
http://www.babel.co.jp/univ_report/eclipse/eclipse_04.htm


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西邦の人と東邦の人とは?
2006年6月3日 14:18:14 tombo

紀元前160年に戦死した ユダ !

シリアによって任命された大祭司アルキモスにユダたちが叛旗を翻したことで、再びシリアとの間に軍事衝突を引き起こした。ユダはその争いの中で紀元前160年に戦死した。・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%9C%9D
・・・より抜粋。

シリアはシュメール発祥(イラク)の地の西に位置しており、
シリアには、Amurruと呼ばれた都市があったそうです。
シュメール語の『西・西風・西邦の人』は、 martu といいますが、アッカド語の『西・西風・西邦の人』は、amurru です。と、シリアのAmurru と言う都市名でもあります。

つまり、アッカド語では、シリア人が『西邦の人』ということになる。

『西邦の人』が居るなら『東邦の人』が居るはずですが、シリア近隣の東にそれを探してみたのですが見つかりませんでした。
ところが、大湯環状列石遺跡から出土した粘土板に『東邦の人』と刻まれているようです。

シュメール語の『東・東風・東邦の人』は kur で、アッカド語の『東・東風・東邦の人』は matu 、sadu です。( matu は松、 sadu は佐渡か?)

シュメール語には『東邦の人』と言う今一つの言葉が有ります。それは nim です。nim に対するアッカド語は、saqu です。
(saqu をヘブライ語の様に右から左に読むと qusa  日下のクサと読める)。

大湯環状列石遺跡の大湯の『大』は中国語で読むと da です。 湯は tang ですが 『湯』の文字を於・淤・迂・吁・于等で置き換えるなら、dayu でありヘブライ語の読みをするなら yuda と読み替えが出来る。
(東北にはキリスト伝説があるのも妙に引っかかりますね。)

大湯環状列石遺跡から出土した粘土板には
 im nim yi
と刻まれているようです。

文字分析画像を画像掲示板に貼り付けて置きます。


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かなり
2006年6月4日 9:58:08 管理人
興味深いですね!



国津神 天津神
2006年5月30日 14:39:01 棘の紀氏
検索にて「国津神 天津神 顕津男の神 曲津神 八十曲津神などの「津神」の【津】:進むげんごからきている。こちらの岸から向かう岸に進んだところ、つまり・わたりの意。「津々浦々」の【浦】が水辺に沿った一帯の地。水辺 海辺海や湖の陸地に入り込んだところ。」有りまして 【津】が測量に関係していると閃きました。


【国】コク 古文字【口】+【弋】ヨク イキ :里 つち 大地の意もある。(【口】+【王】+【点】)(コクの音は【黒】(里+点4ツ聿ここに・觳コク こしき:車輪の中央の、軸が通って輻フク フウ(風?) や(矢?))
【天】テン 古文字【口】+【大】【二】+【大】【示】+【大】【禾】+【大】【不】+【大】【一】+【大】【工】+【大】など数が多い。
  テン:【顚】 テン いただき たおれる:  鷆テン   巓テン いただき 蜓テン てい:やもり 【蜻蜓】:とんぼ (銅鐸の絵)      填テン覘テン うかがう(のぞきみる。) デン(田?) 埴ハニ(埴輪?)
【顚】= 【真】+【頁】     【真】【允】まこと イン:神につかえる人がいった。の意
シン 申 臣 辰 参 津 矧 神 振 秦 針 森  進 蜄:(動く) ・・・・震 
【頁】ケツ ページ古い字形  人がひざまずいて腰より下に頭をさげ礼をおこなっている様子。:あたま さかさまになる。【頁】は文字を作って、人の頭または顔に関係ある字の言符となる。
【田】テ デン: 狩る(測量に隠語)

【坤輿】コンヨ
【坤】[土+申]
【輿】古文字で[車と手(羽)が4](【車】の字形が東と類似) 【箱 メルカバー・神輿】と考えます。「箱=匱ひつぎ 簏(【鹿】) 匣 函 匪 曷 宮【呂】 筥「竹(岳?竿?)」・・・・

こらまでの私の「漢字」での謎解き 解っていただけたと思います、
「漢字は禹の測量での足跡から作られた。 間違いない !断言します。」


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2006年5月31日 5:44:12 管理人
む、難しい・・・。津は測量に関係するのですか??津の地名を線で結んでみるのもいいかもしれませんね。先の創刊号で書いたとおり、焼津は西に伸ばすと、ヤマトタケルの能ぼ野墓に出ます。この「津」の地名は確かに今調べてみると、いろいろおもしろいですね。なるほどね〜。ヤマトタケルの伝説がつくられた時代の用語として津がどういう意味を成していたのか、調べねばなりませんね。


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参考HP 蕨(わらび)紋
2006年6月1日 13:00:29 棘の紀氏
「... 銅鐸には水流紋、波や蕨紋、ノコギリの様な歯の文様が付いているだろう …」
銅鐸の存在理由2
http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime06c.htm


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「屯倉設置と・・・」の「くら」を考
2006年6月1日 18:45:38 棘の紀氏

【倉】ソウ くら 古文字 【A】(令の上の部分)+【戸】(境?)+口(古墳?) 
                            金文では【戸】が「日」(口+口=境)の様な形。
【庫】 くら    古文字 「車」を・・・(金文でもそのまま。)
【廩】 リン くら 古文字 甲骨では【土】の上の形が2個所と【大・人・家】をが三角形を描く。
          (他の古文字に共通なのは(私的に)測量で得たデータを収納する形に思える。
           (【回】の文字に【渦】を感じます、ポイントを中心に廻り歩く測量士デス。)
【蔵】 ゾウ くら 金文では幕家の中に【片】を表わす形と【目】の上に【▽】の形 !【酉】とり ユウの古文字(汗簡)でした。
【府】       金文では私的に 「いいかげん」イメージ  【蔵】に近い。(古代中国の役所もいいかげんの様ですネ。)
【座 】ザ すわる くら?      汗簡では【土】 ポイントに(私的に「追加工事」)手を入れている形(鳥居【型】?)

 今回は大分 疲れましたので【意実】は調べませんでした。



ツヌガアラヒト
2006年5月29日 2:31:23 棘の紀氏
ツヌガアラヒト・・・(角が有る人 見つけました。)
http://www10.ocn.ne.jp/~seihou/shop/008-jinnou/index1.html
(羽人 禹人 と同じでしょうか???)

お薦め本 『アレキサンダー大生99の謎 』
アレキサンダー大王(イスカンダル)神話についてと神武天皇、ツヌガアラヒトとの関係とは?すべてはここにはじまる(かも)。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=15253


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誰かに ニテル !
2006年5月29日 3:30:42 棘の紀氏
http://www.pairhat.jp/mokuji/fusigi/ennoozunu.htm

   役小角は鴨氏・・・禹の末裔 華も?


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甲骨文字などの研究
2006年5月30日 7:37:14 棘の紀氏
崑の崙の山は3000の年末までは生活する真筆
(「和田地区于田県境界線の内側」 「和田」の地名です、「ホータン」・・・・秦氏 関係?)
「中国社科の庭考古学のところ新疆の隊近日の正しい和田地区于田県境界線の内側の1カ所の古代の崑の崙の隠者の類古墳の発掘は表明する:崑の崙の山地が分ける古代文化は3000年以前を遡及可能でした。」
「古い古墳は1個の海抜2750メートルのミニ丘台地上に位置して、周囲の高フ草しとねのように、西側のため一条の名が“流れ”の小川のために延々と連なって流れたことがあって、流れた古い古墳と呼ばれる。」
「紹介に基づく、流れた古い古墳是石は墓を盛り上げて、古墳は上がることから順次是石が盛り上がることが降ることまでで、石は囲んで、墓穴。墓穴は長方形で、品が向かう土の坑の豎の穴。人墓の端の東の脚の西に、体をあおむけて肢を折る。副葬品は全部人生以前の生活用品で、既設であることは有紋装飾品と白いマイクロバスタクシー土鍋を刻む、陶の鉢、銅小刀が同様にあって、銅の馬の銜、獣の角が作る馬の馬のくつわ、ガビチョウの棒、諸般の石材首輪、大海の貝など、共の100あまりの件。」
青海省人民政府台湾事務事務室
http://big5.huaxia.com/qh-tw/00251396.html
このページを和訳
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL2JpZzUuaHVheGlhLmNvbS9xaC10dy8wMDI1MTM5Ni5odG1s,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,
「ホータンは、西域南道最大のオアシスで、西域南道全域に勢力を振るった仏教王国です。また、法顕三蔵法師や玄奘三蔵法師がそれぞれ仏教の盛んな様子を報告しています。」
 「ウイグル自治区ホータン市を流れる白玉河から産出する自然の玉です。」
 「秦の皇帝が十五の城と「和氏の璧」の交換を強要」
http://www.d4.dion.ne.jp/~bukkodo/nenju.htm

『蛇 日本の蛇信仰』
「白川静さんも独学で甲骨文字などの研究をされて、中国古代の民俗・文化・思想についての研究を飛躍的に発展させました。」
http://www.dcn.ne.jp/~mushyoku/achisan/achi/hebi.htm
「 蛇信仰については直接触れられていませんが、『中国古代の民俗』(白川静・講談社学術文庫)などに甲骨文字に現れた龍の考察があります。
 蛇信仰の系譜は中国に遡るのではないか。『蛇』の「解説」には『山海経』に「蛇巫」の字があることを書いています。」



W(゜O゜)W
2006年5月28日 9:29:56 棘の紀氏
春日神社の能楽殿の床下大カメ(甕)の音
http://www.kobayasi-riken.or.jp/news/No26/26_1.htm

【呂】(口+口)・・・・閃き   側面の板が一枚抜けた直方体の木箱

音叉と音棒
http://www.kobayasi-riken.or.jp/news/No26/26_3.htm

空氣柱“共鳴”
http://www.hkedcity.net/iclub_files/a/1/38/webpage/Features/12_04_wave/notes/expt5.doc

 「四四〇ヘルツのラの音と、一オクターブ下の二二〇ヘルツのラの音をピアノで同時に弾くと、気持ちよく響き渡ります。
音叉に向かって、一オクターブ下の音をぶつけても、共鳴します。 
周波数が二倍、四倍、八倍になるもの」また二分の一、四分の一の周波数のものは共鳴します。この関係は【無限】に続きます。」
http://homepage2.nifty.com/stn/sinpi07.html
 「前一万年ごろ、地球上に存在していたアトランティス大陸の文明は、クリスタルをエネルギー源として栄えていた。アトランティス人は、クリスタル・エネルギーを使って、飛行機を飛ばし、船を浮かべ、明かりを得ていたという。そして、アトランティスの滅亡は、クリスタルの使い方を間違ったために起こったとも言っている。このクリスタル・エネルギーは、古代エジプトの繁栄ももたらしたが、その後「科学」という巨大な壁にはね返されて、存在が完全に無視されてきた。しかし、その力はいつか有効に利用されるときを待ちながら地下に眠り続けてきた。しかし、その力を誤用すると、アトランテイスを破壊に導いたといわれるパワーが本人と周囲の人間を深く傷つける可能性も含んでいます。」
http://homepage2.nifty.com/stn/p27suisyo.html

櫻井の未完成大作予定作品「鋼の祈り」
「世界的規模で起こった【謎の地震】がきっかけで、音叉鋼という物質の存在が明らかになり、以後各国で競って研究が進められている。」
http://www.aquapolis.jp/hagane/hagane_world.html#onsa


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インターネットは諸刃の剣
2006年5月28日 9:34:57 棘の紀氏
シオンの議定書現代バージョン

 「沈黙の兵器は初代ロスチャイルドのアイディアを成長させたものである
   自分に国家の通貨をコントロールさせよ
   そうすれば誰が法律を作ろうと知ったことではない
       メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1743〜1812) 」

 「陽動作戦を要約すれば・・
 メディア…成人大衆の関心を真の社会問題からそらさせ、少しも重要でないことに
 縛りつけ続けよ。学校…青年大衆には、真の数学、真の経済学、真の法律ならびに
 真の歴史については無知のままにさせ続けよ。娯楽…大衆娯楽は小学校六年の水準
 以下にとどめ続けよ。労働…大衆を、考える時間もないほど、忙しく、忙しく、ひ
 たすら忙しくさせ続けよ。ほかの動物ともどもに農場に戻れ、である。<陽動作戦
 の要約>
『シオンのプロトコール』(ユダヤ長老賢人の議定書)より 」
http://www.gameou.com/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco_gendaiban1co.htm

 また、ミスりました ごめんなさい。
以上 如何でしょうか?今 これまでの世界が変わろうと動き出しています。


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協力者を求めています。
2006年6月3日 14:46:12 棘の紀氏
この「シオン」は世界の地理に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3


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世界地理関連のスタブ項目”
2006年6月3日 14:49:11 棘の紀氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9C%B0%E7%90%86%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%96%E9%A0%85%E7%9B%AE



 お詫び申し上げます。
2006年5月28日 2:40:43 棘の紀氏
 tomboさん 石原さん(日本)は やはりお隣りさんに「失礼」な言を  
       「中国の皆さん、ごめんなさい。」 


 (【級】シナ:首 しるし 戦場で討ち取ったテキの首 「首級)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
           申し訳ございません、知識 不足でした。


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本末転倒末
2006年5月28日 11:01:22 tombo

首狩は紀元前1500年頃から始まる、殷の時代にはまる。
殷王朝の影の様に添っていた kisi 、その kisi をハンドルネームとしている紀氏さんに tombo の名前を出されても困るんだよね。

神武最初の粛清は名草戸畔。 紀元前660年なら取り方によっては首狩ですよ。
紀元前1500年頃、アカ族を追いやって天下に君臨するのがヤオ族ですよ。
この時代に列島では縄文人の急激な人口減少が起こっている、原因は何?
若しかして kisi に因る首狩。

最初に狩られたのは、3・5・8の流れにあるアッカド系ですよ。
それが報復戦となって広がっていく。
『一日1000人殺されたら一日1500人生む』
列島史はそれを隠そうとしているが、「級長戸辺命亦曰級長津彦命」と全ての首を狩ることが出来なかったということでしょう。

級長を sina と読めば ツインですが、粛清と関係付けると首狩です。
sina と言う源を使う種族の首を狩った過去史を批判して明をシナと読んでいる。
だから、中国人はシナ人と呼ばれると怒るんですよ。

中国は2004年に『中国人は北京原人の子孫ではない、中国人の先祖はアフリカからやって来た、北京原人と中国人の間の因果関係は全くない、北京原人は完全に滅亡している』と公的声明を出しています。
転ばぬ先に杖だろう。
北京原人に対比できるのはジャワ原人、ジャワ原人は魚が蛋白源、北京原人は獣が蛋白源、どちらがより凶暴性を生み出すかは明らかでしょう。

画像掲示板に首狩族の画像をUPしておきましょう。


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どうしょうも無いですよネ。
2006年5月28日 16:08:18 棘の紀氏
tomboさん、すみません「首を狩り」など風習 日本の戦国時代を彷彿させます、祖先の風習 子孫に語られても どうしょうも無いですよネ。

相手に敬意をはらう外交、何が難しくしているのでしょうか?
戦わない、お互いに脅威を感じさせない外交・・・・
人間の本能? 獣の部分は人類を進化させた?進化が地球の滅亡を加速させる。このまま科学が進歩すれば「脳」だけで生きられる時代がと
想像します。その時の人類の欲望とは?永遠の生命をも得て、何を夢見て何を欲する?    獣のこころ は何処へ。

最近は狩猟民族の末裔にもベジタリアンな増えているようです、
スポーツ選手などは肉食のほうが成績わ良いのでしょう。
人間が生き抜いて行く【弱肉強食】の時代 遺伝子がさせる技なら
助かり様の無い 間抜けな人類 最後まで勝ち残った【王】などは
【間抜け】の頂点・・・・(嬉しいのでしょうか?)
古代より 虐げられてきた 選民 今 逆転しようとしている、
立場の反転 輪廻 悲しみはつづく・・・・・・・・



壁がなければなりませんね。
2006年5月27日 10:52:09 tombo

壁の前の音と壁の跳ね返り後の音とは、実と虚、・・・・???

壁は有ります。

5000年〜7000年以上走り続けた人類最大のビックエベント。
勝ち取ったのは日本でした。 その勝ち取った物が『壁』の正体です。

徐福が探していた物もその『壁』でしょう。
徐福は事前調査としてインドを3回訪れているインド滞在年数は18年に及ぶそうです。
インドで得た情報、『壁』は日本にあることを突き止めた。不老不死(ふろうふし)の薬草(やくそう)とは良く言ったものです。秦の始皇帝は徐福がその『壁』を手に入れて帰還するのを期待し徐福の帰還港を数度訪れ今か今かと待っていたようです。

魏も伊都国に陣を置いてその『壁』を探していたでしょう。
煬帝は大業元年(605年)に、沖縄の調査を開始している、そこに推古天皇の15年(607年)7月に書簡が届いた。
煬帝が『日出づるところの天子、書を日没するところの天子に致す。』との書簡を読んで腰が抜けるほど驚いたでしょう。

すぐに、裴世清を列島に派遣して調査したが何もわからなかった。
煬帝は隋義寧二年、唐武徳元年(618年)に江南で殺害される。
国は唐となる。 唐と列島は激突し九州王朝は滅亡します。
唐もその『壁』を手に入れる事は出来なかった。
次に建国された国号は明ですが明もその『壁』を手に入れる事はできなかった。列島人は明人とは呼ばずシナ人と呼んでいるのがその証拠でしょう。

結論を先に書きます。

彼等がなんとしても手に入れたかったのは、『キトラ古墳に描かれた天文図』です。


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『石版』かと・・・
2006年5月28日 1:33:04 棘の紀氏
tombo今晩は
>勝ち取ったのは日本でした。 その勝ち取った物が『壁』の正体です。
>彼等がなんとしても手に入れたかったのは、『キトラ古墳に描かれた天文図』です。

『天文図』だったんですか・・・私はモーゼの『石版』かと・・・・

、『キトラ古墳に描かれた天文図』
キトラ古墳の星宿図1・緯度
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/jpnkitora.htm
日本書紀には天武天皇は武勇に優れ、天文・遁甲(とんこう:占い)の才能があったとあります。 天武天皇は天武4年に日本で始めての占星台を作ります。天文台兼占いをする場所です。現在ではその占星台は残っておりませんが、新羅にその占星台が残っています。
円錐の上に円筒が乗り、更にその上に四角い台がついています。どのように使用されたのかは不明なのですが、そこでの観測結果(天の声)は支配者に伝えられたようです。
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/jpnkitorazzb.htm

 壁とは『占星台』(測量台)のことですか?

エリコの壁(-かべ)は、ヘブライ聖書のエリコ(ジェリコ)の街の城壁。本稿ではこれについて述べる。
出エジプト記には、モーセの次の後継者ヨシュアがこれを陥落させるとき、この壁が障壁となったが、イスラエルの民は、契約の箱を担いで7日間、そのエリコの城壁の周りを廻り、角笛を吹くと、その巨大なエリコの城壁が崩れた模様が書かれてある。
 『契約の箱』なら日本に在る様ですね。


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訂正 ごめんなさい。
2006年5月28日 1:37:16 棘の紀氏
『tombo さん 今晩は』 失礼しました。<(_ _)>


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キトラ
2006年5月28日 11:32:13 tombo
キトラ古墳の星宿図1
関係の全てを含めて、キトラの天文図が歳差を書き込んである事を多分証明可能とする資料を tombo は持っています。

キトラの観測地は、秋田です。

聖書・トランシルバニアからの出土品、サンカの民の慣習・歳差の知識を総合しないと、キトラ天文図を解釈できない。

あれは本物です。


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ストーンサークル(大湯遺跡・秋田)
2006年5月28日 17:51:53 棘の紀氏
 「大夫(たいふ)とは周王朝時代の官位の一つであった。周王朝では、「ハル」と「キ」は「伯」(ほうき)と書いていた。つまり、伯耆(ほぅき)国の住人は周王朝の氏族で、周を起こした「姫」(き)氏の血を引く人々であった。周(前1100−256)が分裂したあと、加耶を経由して日本にやってきた。紀氏の祖である。」
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/8_J.html

 「女(じょか)の伝説で、主に中国西南のミャオ族、ヤオ族の始祖神話として残されている。その姿は人首蛇身で、腰から下は蛇で尾をからませた独特の構図をとっている」
 歳差?
天の柱が倒れ、大地が根底からゆさぶられた。天は北側に倒れはじめた。太陽、月、星はそれぞれの軌道を変えた。宇宙の組織全体が混乱におちいった。
(マルティーニ『中国新図』に引用された中国の古写本に記載。)

 「彗星は災いの前兆であり、世の中が乱れるという定見が残った」

[恐竜が歩く絵文字?]は▲ L  差し金?
「下の画像の二匹の生き物はなんと、二本足歩行をしている。ラクダでもない、鳥でもない。残された選択は恐竜だろう。この生き物が恐竜だとすると、この絵文字が発見された墳墓が3200年前に造成されたことはどうでもよいことになる。この絵文字は、」禽(測量士!
 発掘された、このような物には「角度」が隠されています。(30・45・90度など)
 「第二次にはケルト人とインド系シュメール人がアーリア民族移動期の前1900年すぎから渡来した。」

 「韓語でフツは、火、赫(かがやく)く物の意味があった」フツ主?
「(鬼)は、窓から顔を外に覗かせているといった感じで、まるで閉じこめられているように見える。」鬼は捕虜に成った「禹」
「アレキサンダー大王は蛇の子と言われていた」
「半月状の二本の角をもつ。牛の頭は確かに【兜】の形

大湯遺跡 天文台?(地球測量の測量台!)
http://bunarinn.gozaru.jp/jiyomonsisou/jiyomongaku.html


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占星台
2006年5月29日 1:17:37 管理人
tomboさん、紀氏さん貴重なご意見ありがとうございます。紀氏さんご指摘占星台、天武の時代のそれ、新羅のそれ、大変きになります。またtomboさんご指摘の以下の部分

聖書・トランシルバニアからの出土品、サンカの民の慣習・歳差の知識を総合しないと、キトラ天文図を解釈できない。

とっても興味深いですね。
この辺詳しく今度お教えください。とても重要だと思います。


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参考HP
2006年5月29日 3:25:30 棘の紀氏

三井寺
新羅神社考
 「祭神の二神は「韓国の王族」で、「阿良加志比古神」については地神、或いは三〜四世紀頃の南朝鮮の阿羅国(弁辰の地方)の王族ともいわれており、現在の鎮座地方を平定され、その後守護神として祀ってあるという。これもまた、いわゆる天孫降臨伝説である。」
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/116.htm
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/index.htm

韓国南部の古代遺跡(2)
http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-2/korea-2.htm



小野系図
2006年5月26日 18:34:46 棘の紀氏
http://www8.plala.or.jp/furan/page009.html

予告
銅鐸・・・・解りました。


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【鼎】は【大鐘】と共鳴。
2006年5月26日 19:56:18 棘の紀氏

銅鐸は「ウツボ、ウナギ、ハモ、ウミヘビ」【なまず 鯰】をデホルメした形と考えます。
谷川健一『古代海人の世界』
 「古代では、「ウツボ、ウナギ、ハモ、ウミヘビ」といった海底の生物は、呼称を共有し同類として扱われていた、と著者は推測して(沖縄に残る呼称などを例に)、その総称はウズ(ウジ、ウーズ)であったとしている。さらに辿ると、このウズという語は、ヌジ(ニジの古語)に由来すると言われる。空にかかる蛇(ニジ)と海底の海蛇(ウズ)、の対照は、天(アマ)と海(アマ)の類似を連想させる。読んでいて、先頃東京国立博物館の「土器の造形」展で見た縄文土器群のおびただしいウズマキ文様を思い出した。」
 文字の字形では、【韭】キュウ ク にら 【鼎】:正に・将に・当に・雅に=【方】(法)
【鼎】は【大鐘】と共鳴。
【鼎呂】テイリョ:九鼎大【呂】の略。夏の禹王が九州の金を集めて鋳た九個の鼎。
【鼎】は【大鐘】と共鳴。(天から下す【大鐘】の声に地の【鼎】が共鳴・・・・振動【地震】!
・・・・如何でしょうか?・・・・漢和辞典【漢字は歴史書】なのです。
【呂】「口〜口」(穴〜穴)白〜黒(ホワイトホール〜ブラックホール)=【輪廻】


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「宇宙」
2006年5月26日 20:50:39 棘の紀氏

【宇】:「千」ウが音を表し、【區】クからきている。家の四方のすみ【亜】をいう。
   また棟にたいして、梠(【木】+【呂】)のきをいう。ひいて、四方のはてをいい、また「こころ」の大きさの意。
【宙】:形声 【由】よし;行なう実行する。助ける。(私的に【育】行く)・・・田から伸びる=【由】・・・宇宙は膨張している。【迪】テキ みち (タオ・田尾?):進む 道 導く ・・・至る。
古代人は宇宙の膨張までも観測していた様です。


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「改鼠」
2006年5月26日 21:16:53 棘の紀氏

秦の始皇帝は民間の書物を集めて焼いた。
過去を知る学者をも抹殺、過去を消し歴史の記を改ざん、
秦の時代以降、文献は【秦炭之逸文】をのこし改ざん、十二支な最初は【子】(ねずみ?)では無く
【根子】(猫)では?


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「小野」篁の話 
2006年5月27日 12:08:10 棘の紀氏
【子】この字は「こ」であり、「し」であり、「ね」でもある。かの小野
篁が読み解いた嵯峨天皇の難問「子子子子子子子子子子子子」は「ねこのこのこねこ、ししのこのこじし」が正解であったが、このほど、
珍名さんとして「子子子」という苗字に出会った。これで「ねこし」
と読むのだとか。
 小野篁の話を知る人には、わくわくするような苗字だと思う。
珍皇寺
「かつてこの場所は六道の辻と呼ばれ、
この世とあの世の分岐点と言われた場所である。 
閻魔堂には、小野篁像と閻魔大王像が祀られている。
篁が閻魔王宮への入口に使ったといわれる井戸もある。」 
http://homepage3.nifty.com/kyotosanpo/kyotodensetu/konjyaku/myoukan.html
        个个子=カカシ=案山子(カカ蛇の戸)
 (【个】笠なら 埴輪の舟にも付いていた。)鹿鹿子 香香子 夏夏子

 案山子は境に 1/3の点に?



香とは何ぞやRE【香】は【麝】【香】
2006年5月26日 12:20:47 棘の紀氏
【香】は【麝】【香】・・・【良い匂い】!!!!
三人は「天・点の祖」「右う禹祖」「左サ【蜡】昔の転音 【示+昔】:(報祭に借用)歳の暮れの祭りの名。秦では【臘ロウ】:百神を合わせ祭る(一説に【狩り】をする。・・・測量?)用事の後 第三の犬の日に行なう祭り。 もろはの【刃物】(羽者…天使?・・・巳蛙(蛇 【虫+圭】)ジャ 【麝】香・・・良い匂い。!!!!=鹿=ロク(ロック岩?)=【麁】(鹿ロク+鹿ロク+鹿ロク)ソ あらい(666=獣の数!3X6弥勒!)
「後漢時代ごろから「十二獣」と結び付き、方位としてはそれぞれ子(ね、ネズミ、北)、丑(うし、牛、北北東)、寅(とら、トラ、東北東)などと動物をあてるようになった。 」
子(ね、ネズミ、北);鼠=ソ=祖   (ネズミの様に子孫を増やす。)【麁】(鹿ロク+鹿ロク+鹿ロク)ソ あらい(666=獣の数!)
丑(うし、牛、北北東)禹氏 【牛】ゴ(吾?禽)(ツノ=【D】=5)(胡)(呉)(后 女?月)(互 ▽▲ 齬くいちがう)・・・牛:【偶】蹄目・彦星 牛鬼は蛇神  【D】(ひらがなの【い】)・・・「イ 口 巳【のみ】(同訓に耳 爾・・・終わりの意【ヤ】矢が落ちて終り【也】)
寅(とら、トラ、東北東)トーラ「ト・斗・杜・途・土・度・図・十・・・・」 
「トーラ」 (申命記・・・申!・・・猿の命記)
http://www2t.biglobe.ne.jp/~BokerTov/code_of/c_torah.htm
測量?「ト・斗・杜・途・土・度・図・十・・・・」 測量?
「ラ ・蘿つた・螺にな(渦法螺貝ほら貝)・・・【蝸牛】はカタツムリ(角(度)だせ槍(鉾)だせ頭(ズ 図)だせ!)・・・渦?円・曲?

「等距離文字列法(ELS)」の初歩/ダイアナ ... 「等距離文字列法(ELS)」の初歩/ダイアナ 要旨:トーラを(モーゼ五書)を二次元配列に書いた場合に、 関連する ... (興味のある方は、「聖書の暗号」の本の付録にある統計学の論文を読む ...
http://www2t.biglobe.ne.jp/~BokerTov/code_of/c_dianh.htm

モーゼの教えであるトーラという律法があって
トーラを民衆に教える祭司の最高位にある70人の枢機卿の集まりを言う。
世界の経済の三分の二を牛耳っているユダヤ資本に対しても絶対的な権限を持っている、いわば影の支配者だ。
http://www.satoshi-nitta.com/america/america-44.htm


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暗号
2006年5月27日 1:55:45 管理人
いやー、紀氏さん暗号解読が難しいですね(笑・汗)。暗号については、ともかく法則性を見つけ出すことからはじめなければなりませんね。N N+1 N(N+1)+1 縦横斜め・・。ともかく起点となるNがなにより必要条件であるわけでして、鹿嶋の香は、起点かどうか、さらに香は、N+1の表れなのか??鹿は、香の後代の別表現でしょうから、鹿伝承がでてくるヤマトタケルの東国・信濃伝承は、香にどうとって加えてかわったか?どなたかおっしゃっていましたね。嶋や、取のほうはどうでしょう。取は鳥+??。鹿鳥、??鳥居????紀氏さんの論説だとつまり虎・トーラだったんでしょうか。いよいよわからなくなってきました。


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暗号解読 RE
2006年5月27日 13:08:43 棘の紀氏

>鹿嶋の香は、起点かどうか、
私は大陸の起点「測点A」は「会稽」(会稽東治の東:「計其道里」 ・・・)からと大陸の「測点B」からの角度のラインが「下甑島」「測点C」で交わった(下甑島に「鹿島神社」な在る事実・東国の「鹿島神宮」と東西のラインで結びつく事実からも推測される。)
鹿嶋市 「鹿島神宮」〜下甑島の北東端 大字欄牟田にある「鹿島神社」
方向誤認の理由 - 邪馬台国の位置
「会稽郡から日本列島を「会稽東治の東」とするのも、60〜70度の方向誤認がありますが、中国から日本列島は視界外なので、「地形誤認」による方向誤認です。すなわち、会稽郡から実際の「東」を指差して、倭国がその方向に位置すると判断したのだが、日本列島の位置を誤認したため実際の東には存在しない、ということです。」
http://www.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper19.html

>さらに香は、N+1の表れなのか??
漢字の「カ」に【个】カ コ:いつ説に一方をとる意。
文字で珍しい読み方をする名前
雪=すすぎさん 雄= おんどりさん 目=さっかさん(とまる・・?) 止= すすむさん 个=(カ コ ヶ?大学 臣 介(境)) すすむさん h(コン:上下に連なる)=すすむさん
http://www.tcp-ip.or.jp/~beans/kotonoha/-kotonoha.htm

>鹿は、香の後代の別表現でしょうから、鹿伝承がでてくるヤマトタケルの東国・信濃伝承は、香にどうとって加えてかわったか?
【鹿】しか ロクが字音で【鹿】が鹿嶋カシマは変ですネ ロク【六】島では、ダビデの島ですネ。

>どなたかおっしゃっていましたね。嶋や、取のほうはどうでしょう。取は鳥+??。鹿鳥、??鳥居????
【取】の古文字は【耳】シュ(主? 巳巳?羽? キ ク)から【+?】か【I】を受け取る形。

紀氏さんの論説だとつまり虎・トーラだったんでしょうか
モーゼの教えであるトーラという律法
【律法】【律】=【彳】(津路 辻)=【聿】ここに 戸戸に
 【法】=【川】+【土】+【ム】:水が平らな様 古文字では【川】と【人】【口】それに【角の有る目の大きい獣?】・・・見張り番?


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見張り番?は目ヰ尊
2006年5月27日 18:12:38 棘の紀氏
【法】=古文字では【川】と【人】【口】それに【角の有る目の大きい獣?】・・・見張り番?
【法】=古文字から【川】は「国境」で【人】の下には【口】
【人】が「禹」ならば【口】は塚の意でなく【丘】(古文字では
おじぎする人が「北」の形の【丘】と「M」型の【丘】が有り
私的に2点の間で何か(アリダード?)を覗いている様にみえます。)
 
 禹は古代中国での【九州】を測量するのに軍隊と地元の農夫などを
「役夫」とし測量にあたらせ 下草を【刈り】網の【目且】の形に
【田】:一里四方の土地 狩 狩猟 太鼓(田田)蓮の葉(壁画の団扇【葵】と思っていたのは【蓮の葉】だった「芋の葉」の可能性 関連も)
【田夫】でんぶ;農夫 百姓 田父。【百姓】には「万能」の意が。
もどります。
隣国との境(川)を侵しトラブル 【法】を定め 監視を置く・・・・
これが 古文字での【角の有る目の大きい獣?】・・・見張り番?デハ!
【角の有る】の古文字が北欧のバイキングの「兜」にも【兜】!
【双脚輪状文】・・・そう!【兜】の形と同じです。
http://www.try-net.or.jp/~k-ouzuka/contents/ozuka/ozuka3.html
 ピラミッドの目  .、『万物を見通す目』における独眼の主 では?http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/meison2.html

この繋がりを現したく 点・・・・してきました。
(これで終わるべきでしょうか?)アドバイス 願います。


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香呂峯の遺跡
2006年6月1日 17:37:48 棘の紀氏

 皆さんが関心を寄せる【香】の文字と私が気になる【呂】の文字の付く「香呂峯の遺跡」
「応神天皇の時代、神功皇后摂政の頃、夢に仲哀天皇が現れ、「河内国長野山の東南に、山陵を定めて、迎ふべし。」と宣した。よって、この地に陵を築き、仲哀天皇御魂の陵と呼んだという。」
http://kamnavi.jp/en/kawati/tuboi8.htm



キトラにも=「人物群像」
2006年5月26日 9:45:43 棘の紀氏
tomboさん→ >「人物群像の一部とみられる壁画は,北壁と東壁と西壁の北端で見つかった。
 北壁では,玄武像の下側の二カ所に蕨(わらび)のような形の赤い線画くっきりと残り,儀式に使われる弓の可能性がある。」・・でしょうか?

「下側の二カ所に蕨(わらび)のような形の赤い線画」・・「蕨」デス。
(蕨と波の形が似ています蕨=渦=円? 波=△・・(規と矩)菊 耳
(みみ  =菊(シュメール?)「米」=世界? 「勹」包む=己おのれ
それとも「巳巳」みみ(双子)イエス!

福岡県「竹原古墳」の対の団扇型は「葵」の様です。(徳川との関連?)
http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/fukuoka_k8.htm



テーマ曲入りCD発売、購入フォーム設置
2006年5月26日 8:37:16 管理人
このたび、まことにはずかしながら、研究会のテーマ曲入りCDの発売を開始しました。CDについては、以下のページをご参照ください。管理人が歌ってます(爆笑)(後でボーカル変えて録音しなおす予定です)
CDページ
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/cd.htm
また新刊やCDを購入するフォームを新設しました。ご購入を希望される方はこちらからよろしくお願いします。
購入フォーム
http://atcopier.com/freeform/45873/form.cgi


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音感
2006年5月26日 18:53:49 tombo
は、至って鈍い tombo ですが、

『研究会のテーマ曲』を30分程流し続けたらヤット耳に慣れてきました。

今も流しています。

聞けば聞くほど、良い曲ですね。


リズムと言う事ですが、
フィリピンのイフガオ族の踊りのテンポ(リズム)と
四国の阿波踊りのリズム(テンポ)がソックリなのです。


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阿波踊り
2006年5月27日 1:09:11 管理人
いやー、30分も聞いていただき、まことに恥ずかしいかぎりです。初めて私もパソコンの前でマイクもって歌いながら録音してみたんですが、お世辞にもうまいとはいえない、どうにもなんない発声の壁がありましたね。ともかく耳に慣れていただいて幸いです。

リズムが南方系でしたか!阿波踊りも今年は見に行く予定ですのでとても楽しみになりました。海人の音楽っていったい・・・!呉楽は渡来人関連でも有名ですが、ともかく聞いたことないので、研究せなばなりませんね。言葉と同様、音楽も長く変わず伝承されていくものでしょうし、いわば左脳と右脳の情報伝達とでもいいましょうか。シュメール音楽なんてどうでしょう・・!ではでは。


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御祝い )^○^( 
2006年5月28日 2:08:24 棘の紀氏
渡来人研究会テーマ曲入りCD「My Treasure」
管理人さん 歌手デビュー 御祝い申し上げます。(●^O^●)


 日本にたどり着いたのは「 発声の【壁】」もですか?

いいですネー 「詩」が 渡来人が 利根川から霞ヶ浦にはいり
正面に つくば山 新しきエデンの園 国造りへの夢  
希望の未来に進む・・・そんな風景を 思い描きました。
 耳がなれてくると 管理人さん 歌 お上手です。d=(^o^)=b 
(カラオケで マイクを放さないタイプ?)


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過分な
2006年5月29日 2:09:35 管理人
ご評価ありがとうございます(汗)。詩と編曲のすばらしさに比してあまりに私のボーカルが下手なので、早めにボーカル探して録音しなおす予定です。紀氏さん詩のイメージ、別曲の詩の2番目のイメージに一部利根川の桜の印象があるので当たりかもしれませんね。紀氏さんには詩の才能がおありで・??いやこの際、漢詩で歴史を表現というのは・・・。


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「方位線と歴史」のHPです
2006年5月25日 21:25:54 棘の紀氏
久々に「方位線と歴史」のHPです、御覧下さい。
更新日 2006年02月09日
方位線と歴史
神武東征と大和
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E6%9C%9D%E8%B2%B4%28%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%8E%29&ei=UTF-8&fr=top_v2&x=wrt&meta=vc%3D&u=hw001.gate01.com/sangatu/jinmu_yamato.htm&w=%E6%9C%9D%E8%B2%B4+%E3%81%82+%E3%81%95+%E3%81%8E&d=ILTdz0aqMv0Z&icp=1&.intl=jp

方位線について
http://hw001.gate01.com/sangatu/index.htm#houisentorekisi


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もたらしたのは
2006年5月25日 22:50:18 管理人
厳密な方位線の技術や思想をもたらしたのは、海人族なのか、騎馬民族なのか、気になるところですね。個人的には、下記の屯倉を全国展開させた安閑以降の王朝は、方位線思想と物部・神社関係でむすびついているような気がします。大古墳をもたらしたそれ以前の王朝は古墳と方位線とが関係しているのでは。神社の思想と古墳の思想はほんとに一緒だったのでしょうか。古墳の思想は「天」という観念が薄く、黄泉に下るというアジア南方のどこかの思想と関係し、天の思想はまた別の大陸系のそれと類似性をもつような気がします。天孫・神功皇后系は天からくるけど、大国主やスサノオは黄泉と関係する。その辺掲示板でみなさんのご意見を聞いていくとそういうことになってくるのですが、やはり民族系統が別でないですかな。


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民族系統が別///
2006年5月31日 1:29:36 棘の紀氏
国津神 天津神の津神(つかみ?)については上記に記しました。
国津神は先住渡来人系 禹系の測量士。 禹は苗族系で黄帝系の囚われの身(父は「鯀」コン・・禹は養子?かも)
中住系渡来人は「徐服」禹系の重臣系だったが秦の始皇帝に付く 始皇帝を恐れ 日本に逃れる?「出雲」協和国を設立?
後渡来系、始皇帝系 徐服」禹系の重臣「旗」キ(風を見る。情報部員 スパイ)だったが ロシアのプーチンの様にトップに立つ。
http://www.interq.or.jp/www1/t-shiro/data/human/sikou.html
「1975年に法学部を卒業後、彼は旧ソビエトのKGB(国家保安委員会)に入り、以後 15年間秘密諜報活動に携わっている。いわゆるスパイである。」
プーチン氏はどういう経歴の持ち主?
http://www.st.rim.or.jp/~kahl/SW_bknmbr/SW_bknmbr_may/SW_politics_may.html
大陸での抗争に敗退 日本に渡来したのが「秦氏」、「ヤタガラス・スサノオ」は徐福系との妄想です。
「蘇我氏」は禹系 「物部系」は徐福系・・・・始皇帝系もいる。
いずれにしろ、目的は同じただ△ 階層ピラミッド社会と□ 政の違い キリスト教初期の派閥争いと同じ 祖がYHWHの祖と同じくする・・・妄想です。

【神】=[【示】(禾)]+【申】(古文字の【神】=【雷】-【田】と同じ字形 禹の体形 羽人の形)
【ひざまづいて祈る人の姿】に似ている。
[青銅鍍金銀羽人]漢時代
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/data7.html

【龍 竜】は禹の父【鯀】コン らしい?
(鯉【魚】+【里】は滝を登り【龍】と成った。)



管理人さん 富田さん2.
2006年5月25日 13:34:45 tombo

この天武の問題は後に聖徳太子と係わって仏教国宣言となって現れるようです。

「天をもって兄と為し、日をもって弟と為し」
は、天は神、日は仏ということであり、
兄は天智(テンヂ)弟は天武(テンム)との構図で、天智は月、天武は日での 明です。明の義を持っての仏教国建国名が日本でしょう。

天武は皇弟であり皇弟の読みは「スメイロド」です。

『いろ』とは ilu で神(かみ)の事です。

スメとは sum-e で(神と)同格としての君主です。いろどのドは duで、"imperfect singular stem of [to go]"。

天武スメイロドは神信仰を征圧して、仏教信仰を起こした神ということでしょうか。

この時間軸を持って神は仏の守護神となるようですね。


伊呂兄(いろせ)五瀬(いつせ)の命の いろも神で、『せ』は王子です。
勿論、弟の神武はイロドです。

↓の描写はアニメの世界ですね。^^;
豐玉姫(とよたまひめ)、果して前(さき)の期(ちぎり)の如く、其の女弟(いろど)玉依姫(たまよりひめ)を將(い)て、直(ただ)に風・波を冒し、來て海邊に到る。
の、
女弟(いろど)玉依姫(たまよりひめ)。


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ilu ・・・・・ 神
2006年5月25日 14:07:12 tombo
シュメールは an と言う文字を当て字して ilu と読んで神。

アッカド語も ilu は神です。


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神の正体
2006年5月25日 19:50:03 tombo
伊呂兄(いろせ)五瀬(いつせ)の命の

五瀬(いつせ)の命正体は
http://www.media-kiss.com/bird-gallery/sanya/suzume/sekirei/kisekirei/01.html


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鶺鴒
2006年5月25日 20:31:47 tombo
国生み-日本書紀
第五 ◆一書曰。陰神先唱曰。美哉。善少男。時以陰神先言故爲不祥。更復改巡。則陽神先唱曰。美哉。善少女。遂將合交而不知其術。

時有  鶺鴒  飛來搖其首尾。

二神見而學之。即得交道。

鶺鴒の話は、沖縄とアイヌの国生みにもある。

伊呂兄(いろせ)五瀬(いつせ)の命の
ilu-se はシュメール語、 ittu sennu はアッカド語。

ittu は鶺鴒、 sennu は口(嘴)の長い。nu は助詞 の 乃・之となる。


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三国史記
2006年5月25日 20:40:36 管理人
tomboさん、シュメールとスメ・イルの発音との関係、スメラ・イロドの天皇家の王族の名称との対応は注目すべきと感じます。
先のtomboさん、とみたさん補足くださった536年の彗星衝突と太陽光の覆いと、寒冷化の件ですが、どうも三国史記だと、高句麗本記のみ、日照り、イナゴ、飢えの記載が見えます。あまり影響が東アジアにあったのかどうかは、なお不明です。日本は、安閑天皇崩御年になりますね(汗)。これは、日本書紀が百済本記を引用して、継体崩御年を在位28年から25年に修正したため、3年繰り上がって安閑2年の崩御年となる模様です。という意味では、とみたさんのおっしゃるように継体崩御年の可能性も出てくるでしょう。ただし、難しいところですが。継体崩御は、その百済本記だと、高句麗が倭王安と一族を殺したこと?(推測)に関係するようですが、王朝交替ととると、高句麗系の進出になるのでしょうか。その辺はきっといろいろ諸説がでているのでしょうね。そこで、tomboさんのおっしゃるシュメール語と高句麗王族の名称との語音系統での類似はあるのでしょうか。ちょっときになりました。確かにシュメールというと、北方騎馬民族系というイメージがありますが・・・。この辺次回のオフ会あたりで勉強会やってみましょうか。ではでは。


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兄と弟
2006年5月25日 23:20:58 管理人
兄天智から逃れた弟天武の関係、非常に人類で普遍的な人間関係の一形態をあらわしているように思いました。
抑圧・隷属する大巨人と、そこから逃れようとする小人の関係に顕著に現れます。神話でいうと、大巨人で頑固親父スサノオから逃れる大国主とともに逃れたスサノオの娘との関係。大ピラミッドを残したエジプトのファラオの隷属から、自由を目指して逃れるイスラエル民族。もっと普遍的に性格分類すると、ボスから逃れる技術者、つまり最初はうまくお互いいい関係で仕事をしているが、そのうちボスはなんとか技術者を隷属・利用していこうと画策する。技術者はだんだん隷属から自由を獲得しようとボスのストレスからの独立を図ろうと画策し、ある日突然ボスのいぬ間に夜逃げをする。ボスはなぜいままであれだけ友好的だった彼が逃げたのかわからないがとりあえず追跡する。鈍感で気づかないボスがかわいそうな、とてもありふれた普遍的なパターンですね。こういうケース、もっと早めにお互いの独立的な地位を認めてあがればいいのですが、つまり、アメリカと日本の関係みたいなものですよ。

そこで、話はもどって絶大な権力を気づいた兄天智と、兄の死後すぐに友好的な態度を一変させて東国に逃れた弟天武との関係を考えると、弟天武は、仏教?思想という彼独自の信じる道を自由にその後展開し、やりたい放題できたわけですね。まさに彼にとって自由の天地イスラエルを気づいたわけで、天智の女争いの関係もこの辺で普遍的な人間関係の一類型としてあらわれてくる。

そこで問題は、なぜ極めて普遍的な人間関係が色濃く、この兄弟の伝承にあらわれるのか。ひとつは、その兄弟の背後にいた民族集団がアメリカと日本のような特徴的な性格?類型を持っていたとか、その他いろいろ考えさせられますね。民族集団の性格類型という概念は、まだ人間の性格分類にくらべて、あまり進んでいないようですが、明らかにそれはぼんやりしたものではなく、顕著に「ある」と思います。しかしながら、百済と新羅の民族的な性格の相違すらほとんど理解されていない、それが今の日本古代史、渡来人研究の実情なんですね。課題は山積みです。


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兄と弟
2006年5月26日 18:21:06 tombo
天武の時代と書き込んだ事、聖徳太子の時間軸に天智・天武をはめ込んだ事。


第26代継体天皇:AD450〜531、安閑:AD466〜535、宣化:AD467〜539
欽明天皇:AD510〜571 第30代敏達:AD538〜585

第31代用明:AD540〜587、第38代天智:AD614〜671、第40代天武:AD622〜686

厩戸豐聡耳命・聖徳太子:AD574〜622

と、認識しています。
只、歴史書は歴史の結果を知った上で書かれています。

「天をもって兄と為し、日をもって弟と為し」は、天智・天武の関係として読むことが最も正しい読み方でしょう。

伊呂兄(いろせ)五瀬(いつせ)の命と伊呂弟(いろど)・神武

皇弟(スメイロド)= 天武、  皇兄(スメイロセ)=天智
の関係を並列させ、後記してあるということでしょう。

その証拠は、高松塚とキトラの壁画にあるはずです。

>絶大な権力を気づいた兄天智と、兄の死後すぐに友好的な態度を一変させて東国に逃れた弟天武との関係を考えると

この東国とは何処とお考えでしょうか、よければ教えて下さい。

tombo も天武は東国の人であると思っています。
勿論、九州(熊本・熊曾)の血も混ざっている事は紛れないことですが。


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高句麗
2006年5月26日 18:39:51 tombo
『シュメール語と高句麗王族の名称との語音系統での類似はあるのでしょうか。』

高句麗王族の名称との語音系統は今だ一語も手付かずの状態です。
高句麗の列島侵攻は継体の時にあたると認識していますが、継体の血は、北燕の馮 弘であるとする、倭人 Zさんの説を殆ど真っ直ぐ受けいてています。

高句麗と継体の関係は倭人 Zさんのホームページに可也詳しく書かれています。
http://www2.odn.ne.jp/~cbm51320/

大国主神=継体天皇説はじめます、の new ちょっと見てみる
から入れます。


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年代
2006年5月27日 1:38:55 管理人
tomboさんこんばんは。なるほど、536年と天武と天智の時代との関連には、tomboさんなりに意味があったのですね。失礼しました。記紀の伝承が、何度も同じ内容を踏み返して、古代へのさかのぼらせているということは、明らかですね。雄略の時代の渡来人伝承は、応神の時代のそれに対応しますし、きっと天武・天智の時代の事象も、過去の天皇像の伝承に踏み返し的な影響を与えていること、十分にありうることだと思います。どれかの伝承が事実で、その事実をもとにフィクションが増幅複写されていったのでしょうか。そういう意味では、リアリティ面でも天武・天智の人間関係は、事実の事象に近そうですね。あとは、音楽のエコーみたいな残響として複写されていった伝承でしょうね。音楽のエコーのひとつにディレイというのがありますが、もともとは壁に跳ね返ってきた反射音と元の音との時間差を表現した音です。跳ね返りの時点というのがあるんですが、その跳ね返り時点をどこにもってくるか、それは聖徳太子でしょうか・・・??壁がなければなりませんね。聖徳太子でしょうか・・、いよいよわからん感じですが、壁の前の音と壁の跳ね返り後の音とは、実と虚、・・・・???
さて、高句麗と継体天皇の関連、ご紹介HP後で、勉強させていただきます。貴重な情報ありがとうございます。



【呂】の文字に世界史の大いなる秘密が隠されています。
2006年5月25日 10:30:57 棘の紀氏
【山の間に豕 豕】ヒン ハン(呉音)国名(幽に似た字)・・・【山】耶麻?を表わす。周の文王・武王の祖先コウリュウがいた地。
今の陝西省邠州・ まだら(マダラ神?)
〜から
「ひん 州 陝西省」で検索

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
【呂】 洞賓(りょ どうひん)は、中国の代表的な仙人である。

陝西省西安市大雁塔雁引路4号
「三井」ガーデン系列のホテルなので日本人スタッフ、日本語が話せるスタッフがいるので安心です。    
(ホテルの周辺地図に阿倍仲麻【呂】の墓が!)
阿倍仲麻呂
http://www13.plala.or.jp/chinatea-suisen/info/xian/hotel.html

天のはらふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも
・ストーリー
 阿倍仲麻呂は安禄山の乱で自害を迫られた楊貴妃を救いだし、日本へ渡る。
 孝謙女帝は楊貴妃を歓待する。
 しかし、玄宗皇帝の死の知らせを聞いた楊貴妃は毒を飲んで死に、仲麻呂も後を追って自害する。

阿倍仲麻呂の和歌の秘密
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0hakken3.htm
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0hakken2.htm
すでに、私は、「三方沙弥と三平方の定理」において、万葉集巻2の三方沙弥の歌3首の番号「123・124・125」がピタゴラスの定理と密接に結びつくことを明らかにしています。
小川洋子さんの「博士が愛した数式」(新潮社)

万葉集の歌番号を活かした暗号に、完全数6と28が用いられている可能性が否定できないことになりました。
「阿倍仲麻呂」の【呂】の文字に世界史の大いなる秘密が隠されています。
「博士が愛した数式」の映画 見てみたいですネ それでは サイナラ  サイナラ



多田田根子 は春日 秦氏系
2006年5月23日 17:05:27 棘の紀氏
 (漢字の意味からの仮説です。)
異論 反論をお寄せください。


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RE
2006年5月24日 12:07:31 棘の紀氏
「秦楽寺の境内にある春日神社の宮司さんは、多氏の末裔の方なんですね。きっと。(*^^*) なんだか〜みんな繋がってるね♪」
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/temple/jinrakuji-temple-04.htm

「日下の「くさか」は春日の「かすが」とともに太陽崇拝に関連づけられる。そして、この太陽崇拝には藤原氏と秦氏が深く関わっている。そして太陽神が天照大御神(あまてらすおおみかみ)に収斂する過程で、この神を皇統に一元化する是非をめぐって氏族間にかなりな反目や離反があったものと思われる。」
「アマテラスを皇祖神に祭りあげる過程で有力氏族の藤原氏や殖産興産民の秦氏が暗躍し、祭祀権をめぐって水面下のはげしい抗争があったのではないか。万世一系を標榜するシャーマン国家の成立には太陽神の一元化は不可避のものであったろうし、その下部組織である神社の栄枯盛衰もそれに順ずるものであっただろう」
「日下・春日ラインの浮上」
生駒山西山麓の河内は日下を起点に、北から南に春日神社、春日稲荷神社、丹波神社、石切劔箭神社、そして藤原氏の氏神を祭る枚岡神社が並んでいる。日下、春日ラインは、中央への権力集中が強化される畿内にあって、それぞれ太陽神信仰をめぐる古代氏族の命運を賭けた争奪戦があったと考えてよかろう。
http://heterosophia.j-fas.com/wiki.cgi?page=%C6%FC%B2%BC%A4%CE%A4%B3%A4%C8

「お 宮 さ ん の 戸 籍 氏神はもともと、氏族が祀る一族だけの神であった。 藤原氏の春日大社、秦氏の稲荷神社など。 ... いたらしい。 大分県 春日大社 平城京が造営された頃に、鹿島の神をお祀りしたのが創始だという …」

神々の系統/八幡・熊野・山王・稲荷・鹿島・香取・春日・浅間・出雲/金光泰觀墓相
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ohaka/kamigami/kamigami02.html

「大田・太田について(試論) 『和名抄』に出ている太田郷・大田郷の比定地と神社など. 遠江 ... との説があるようですが、現在はここには春日神社が鎮座 ... 」
1. kamnavi.jog.buttobi.net/log/oota01.htm


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三氏異系!
2006年5月24日 13:21:34 tombo
多田田根子は 蛇系、
春日は 鹿系、
秦氏系 は 狐系。

と認識しています。

出自が三氏とも異なる、
或る時間に於いてどのように習合されて行ったかを明確にする事が大切ではないでしょうか?


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ハタハタ 狛蔦(;_・) 
2006年5月24日 19:10:30 棘の紀氏
tomboさん、私もこれまで「多田田根子は 蛇系、」と考えていました。
「秦氏系 は 狐系。」も同感です。
「春日 鹿嶋は 鹿系、」
秦氏が始皇帝系・・・・(秦氏と藤原 中臣の関係をお教えください。)
家の掛け軸にアマテラスを真中に向かって左に春日(鹿に乗る)
左に八幡(秦氏?馬に乗る)黒馬(黒駒コマは聖徳太子の愛馬)
鹿嶋タケミカズチ=春日?(鹿)
香取フッツ主・・・・何処=もしかして、秦氏?
徐福の祖先は「禹」に使えた。(禹は蛇 水神)
ヤタガラス(スサノオ?)カラス(鳥族)西域からの渡来
古代中国 文官は鳥(諜報員 風見鳥 旗キ?)実戦部隊は獣犬猪馬(鹿?)  禽は禹系+鳥? 梟は?
禹系の測量士は銅鐸の文様 虫(蛇を含む)イモリ とんぼ(アキツ)
蛙(ジョカ) 臼(石工?)(月)弓矢(ゲイ?)・・・・・・
秦氏が石工なら禹の時代からの繋がり。(弓矢は共通)
秦氏 雷神(多 たた 田 田デンデン 魚+雷=ハタハタ)
禹  風神 
秦氏・・カッパーラ 対立する双方に見方する、?の術
戦いとゼネコン 芸能 宗教 流通の総合商社(ロスチャイルド?)
まとまりません・・・結論をよろしく。
追伸
ローマ帝国はオオカミ(犬俗の乳で育った・・モンゴル 遊牧民?)
キリストはユダヤYHWHと豊穣神マリアの子
 世界宗教戦略の「申子」猿の子?)。


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仰韶文化 ヤンシャオ文化
2006年5月24日 19:49:18 棘の紀氏
 全くの私の感なのですが、
【山の間に豕 豕】ヒン ハン(呉音)国名(幽に似た字)・・・【山】耶麻?を表わす。周の文王・武王の祖先コウリュウがいた地。
今の陝西省邠州・ まだら(マダラ神?)
・・・・・YHWHとの繋がりを感じます。


仰韶文化 ヤンシャオ文化

年代はほぼ紀元前4800年から紀元前3600年にあたる。
http://www.tabiken.com/history/doc/S/S237R100.HTM

ユダヤ YHWHが仰韶文化 ヤンシャオ文化の影響を受けたのも禹想を擁く 紀氏でした。


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掛け軸
2006年5月24日 19:55:08 tombo
家の掛け軸に
アマテラスを真中に
向かって左に春日(鹿に乗る)
左に八幡(秦氏?馬に乗る)・・・・右に八幡ですか?

驚き桃の木山椒の木。^^;

紀氏さんはデジカメを持っていますか?
持っていたら掛け軸の画像をUPして下さいませんか。 お願いします。

建内宿禰・神功皇后と秦氏が繋がる。


黒馬(黒駒コマは聖徳太子の愛馬)
は、調子麻呂の事ですね。
黒駒は甲斐の馬です。
聖徳太子は黒駒に乗って調子麻呂と富士・陸奥・諏訪と回っている。
(何故だか考えて見ましょう、紀元前660年即位の神武の正体を垣間見る事が出来るかも知れません)

kai gai ganbi と言うシュメール語を日本語に置き換えると『鶴』の事です。
kai は野山で鶴、海に入れば、貝の貝文化。

鶴は須弥山・・カイラス山と係わっている。


アマテラスを真中に・・・・
と、アマテラスが中央に坐しても新の勝利者は 狐の秦です。
キトラにも紀氏さんの掛け軸と同じ事が描かれています。


秦は kisi 系でしょう。


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キトラにも・・・?
2006年5月25日 0:08:39 棘の紀氏
tomboさん有難うございます。
「秦は kisi 系でしょう。」・・何故だか 認めたくなかったのです。
「紀氏さんはデジカメを持っていますか?」・・・メカオンチで携帯には付いていますが・・・・・

 ところで 面白いHPです。
「『ヤオヨロズ』崇拝が、その名前とは逆に、一神教」であることははっきりしている。」
「「ヤオ」・「ヨー」などの名前は、イスラエルの神「ヤーエ」の古名であるからだ。」
http://www.sun-inet.or.jp/usr/hiro7733/public_html/word/word_YAGYOU_LABEL.html
  今後とも よろしくご鞭撻ください。・・・・キトラにも・・・??


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聖徳太子
2006年5月25日 2:53:20 管理人
やはり太子とキリストが馬宿で生まれた話と、両者の処女懐胎伝説は、キリスト教の伝来を示すものだと感じます。推古〜奈良初頭までの期間に、記紀編集に際し、特に日本書紀編者側で色濃くキリスト教経典に影響された氏族および祭祀集団の介入があったのでしょう。春日か、秦か・・。ところで、地震関連の掲示板に書いてあったんですが、536年は彗星がぶつかった関係で、ここ2000年で世界中で最も気温が低い、太陽がもや?で覆われた時期だったそうで、この時期の渡来人の集団渡来も見えていますが、気候変動と渡来の関係は気になりますね。


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536年の彗星衝突
2006年5月25日 6:55:35 とみた

管理人さん 古代史探検も、やはり考古学的な或いは科学的なアポローチの方が説得力がありますね。早速検索しました。536年といえば継体天皇が亡くなった頃ですね。


紀元536年に起こった彗星衝突?
【2004年2月20日 国立天文台・天文ニュース(701)】
天体衝突によって気象異変が起きることは、かなり以前から指摘されてきましたが、紀元(=西暦)536年から約10年に渡って起きた地球全体の寒冷化が、彗星の衝突によるものだとの新説が登場しました。

木の年輪を調べると、その成長速度の差が分ります。その差は主に気温に依存しています。536年からの10年間は気温が低下したことが、世界各地の年輪測定からわかっています。しかも、平均で3度も下がったといわれているほどで、536年は、この2000年の間でもっとも気温の低い年だったようです。

また、古記録によれば、この時期には空の透明度も悪く、地中海では「乾いた霧」が立ちこめ、太陽が月のように輝きを弱めたとの記述もあります。


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管理人さん・とみたさん
2006年5月25日 13:30:00 tombo
興味津津の情報ありがとうございます。
http://www.astroarts.co.jp/news/2004/02/20nao701/index-j.shtml
を読み返してみました。

紀元536年は天武の時代ですね。
3度も気温が下がると生態系にも影響を与えることになるでしょう。
人も恐怖に慄く事でしょう。
この恐怖心が仏教の加速を促進したのではないでしょうか?

天 とは ten と言うシュメール語なら日本語に置き換えると『減光、消光』です。
(天と書いて ama と読めば母(父)、天と書いて ame と読めば武器です)

天武の天が消光・減光を意味しているならその現象が何処に現れているか探していたところでした。 管理人さん・とみたさんへ深謝。

続・・・


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キトラにも=
2006年5月26日 9:14:31 棘の紀氏
人物群像の一部とみられる壁画は,北壁と東壁と西壁の北端で見つかった。
 北壁では,玄武像の下側の二カ所に蕨(わらび)のような形の赤い線画くっきりと残り,儀式に使
われる弓の可能性がある。



ダイダラボッチ : 仮説 渡来人の測量士
2006年5月23日 14:51:04 棘の紀氏
デイダラボッチ(ダイダラボッチ)
【台】ダイ タイ うてな (【臺】=「【士】+【口】+【室】」)
【台】ダイ;・・・・【ム】は喜びの感情をあらわす音符「ム」シ(士)と「口」からなる「怡」イ よろこぶ
(【臺】)ダイ;・・・・「【士】+【口】+【室】」・・・【士】=【ム】=【禹】 【口】=「禹)の父・コン」【室】=・・・(人の行き着くところ)
【禰】 デイ;先祖の廟に新しく新しく加えた神の意 ・かたしろ
【棫】たらのき:むらがり生じる古木で葉・茎ともとげがある ※一説に【柞】サク ザク 「ははそ」
【棫】 :「【木】+【或】ワク コク あるいわ 【ヰ】キ: ※一説に【柞】サク ザク ははそ(蚕に一種・こなら くぬぎ類 ・切る 刈る 草や木を切り払う)
(【或】ワク あるいわ):「境」の意の「畺」キョウの省略形と「クイ」(「杙」−「木」)からなり杭で境をしるした土地の意・あるいは(もしくは・疑う)
【点 ●黒丸】ボッチ:終点・調べる・二線が交わるところ・けがれる・小さい黒いほしの意

(測量士の隠語には「鳥」の他に「禽」・「獣」(犬・鹿・羊・申・猪・馬などもです。)(禹系ではカマキリ・トンボ・・・など銅鐸の文様に描かれています。)


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ダイダラボッチ
2006年5月24日 13:15:09 tombo
は、
狗奴国の民の末裔ではないかと思考中。
若し、そうならアイヌと同系ですね。

日本語は癒着語、中国語は独立語、アイヌ語接続語。

ダイダラボッチの ダイは接続語の可能性あり。

『dai dala buti  お姉さんは善を持って来ます』

と、タガログ語にそのまま置き換えられるのは何故だろう。

ダ= da の接続動詞エレメントとしての追及は難しいので能力を越えてしまうので今は出来ません。


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字自解  (^.^) 
2006年5月25日 11:58:09 棘の紀氏
お姉さんは善を持って来ます』
字自解
【姉】 シ 【積】に繋がる。
(古文字では【女】+【稲・・禾】)
【積】:つむ つもる 集める【聚】 衆 
古文字では【貝?見!】の上に「丰」ボウ すがた・・・私的に「【矩】の人」
【善】ゼン セン よい:
古文字では「羊の角【Y】(さすまた・鉾)を中心に左右に【言】の古文字(【口】は禹の父【言】は生贄にされた禹の父【口】の「霊言」
(古文字のなかに「羊の角【Y】(さすまた・鉾)を中心に「楕円」(囲む)形の字形もあり【規】(コンパス)での「円」を感じる。
(【言】と【帝】の古文字は似ている。)
「ゼン」の同音に再サイ サ ふたたび:しだいに進む 甦る  やりなをす 槍(鉾)直す (再確認?)
【持】古文字では【手】(Ψ)の上に【止】の字形 【寺】ジ チ(地?)が音をあらわす
※参考【待】まつ 古文字では【手】(Ψ)の上に【止】の字形 に【彳】チャク:道路関係に使われる 十字路のどの分岐点 (測量でのポイント。)
【来】ライ くる:至 まねきよせる 還 及 後 麦
古文字では【麦 禾】の形・・・甲骨 金文(鼎に記された文字) などは禹の測量(足跡)から発展したとの自説です。
お姉さん(【聚】 衆 測量士) は善(コンパス)を持って(ポイント)来ます(至ります)。
・・・・いかがでしょうか?



カ【夏】関連では
2006年5月22日 23:30:31 棘の紀氏
「鹿嶋の語源が出来て、ひろがったかきになります。鹿嶋のかは、もともと香だったそうで、なんで香なのでしょうね。 」
【香】カを辞書で調べると「香り」の意味です。(カ【夏】関連では
【香】カの呉音読みが「カウ」(夏禹)
   古い字形が【黍】(禾カワ イネ)紀氏流では(神の木)
         【甘】(あまい)紀氏流では酒甕の禹の父の諸味。 
            (甘い【香り】がした。)
【鹿】カ ロク しか:(甲骨文字に数多い。)
          :多くの人が争って得ようとする権力の地位。
          :四角な【米】倉。
      【鹿台】:殷の王が財貨を蓄えたところ。
       【鹿嶋】:鹿がシンボル
いずれにしても【カ】や【ウ】の音の漢字には、【夏の禹】関連が多い。
 【轆轤】「ロクロ」などはシュメールに繋がると思います。
 「角川 漢和中辞典を読んでください。(呉音がポイント)
 「マール社・古代文字辞典を見てください。
私の主張が御理解頂けると思います。


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香とは何ぞや
2006年5月23日 9:59:56 とみた
紀氏さん 

語源からの推量は、絶対的ではありませんよ。補助的手段ですぞ。

紀氏さんははじめに”思いありき”禹の測量士がすべて、是は少しやりすぎ。コンパスと定規は伏義と女カのシンボルは認めますが・・・


私はシュメールもローランもトカラ人もしっかりした本を読むように心がけています。

でもこの香は賛成です。

ちょっと調べてくれませんか。

香取も香、鹿島も香島で香・・・この香は何を意味するかです。


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香は
2006年5月23日 12:53:49 tombo
香取も香、鹿島も香島で香・・・この香は何を意味するかです。

na です。



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na です。・・・・?
2006年5月23日 17:25:46 棘の紀氏
tomboさんこんにちは,「na です。」ですけれど
「奈良」の【奈】でしょうか?「那珂(中)」の「那」でしょうか?


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na
2006年5月23日 21:13:16 tombo
na = 香の画像を作成したので画像掲示板にUPして置きます。

na の歴史時間的延長線上に、奈良の奈、那珂の那が有ると解釈が出来ますが、
奈良の奈も 那珂の那も na に何かの癒着があっての ナ と成っていると考えます。
つまり、 奈も那も na に化粧をしての美人語となっている。
それ故に、 奈や那を持って na を解釈する事は、今手元に有る一万円札を3日前に遡って裏庭に埋めて隠す事が不可能なのにそれを可能とする手法です。
一万円札を三日目に裏庭に埋めてあれば、今と言う時間軸で掘り出し自分の手にする事が出来る。

言語は時間軸の反転解釈は無効と考えるべきでしょう。

棘の紀氏さんの知識量には何時も感歎しておりますが、スピードが速く読むだけで往生しています。^^;


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支那 至那 脂那 (震旦 真丹)の【那】のna ですか?
2006年5月24日 0:06:11 棘の紀氏
スピード違反のほどお許しください。(認知症香も)
【那】【奈】の古文字及び意味などが「測量関係」をかんじさせます。 特に如意棒ボウ(牟)が装飾古墳などに描かれている【蕨】わらび の形には驚かされました。
【奈】の古文字【示】(〒)の上は【木】(*):・・・・【如】ごとし と同じ意味がある。似ている 同じ 等しい 行く 至 
【如意】にょい:思うままになる。如意棒(牟)の形!!!何と【蕨】わらび の形です。

【那】何ぞ:西方の民族 ・何処 どこ (古文字では「門」のような並んだアーチ?を覗く人の形。)

【香合】こうごう;香を入れる箱(ロク六角形)・・・ちなみに「香取神宮」は六角形(亀甲)の台地に位置する。
「鹿島神宮」と「香取神宮」の位置関係は
「香取神宮から真東に10キロほどいくと息栖神社につき、息栖神社から真北に同じく10キロほど行くと鹿嶋神宮につく」
(  変です 「レイライン」国内の情報が「検索」すると以上に「激減」しています。)


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na 名?
2006年5月24日 0:16:29 棘の紀氏
支那 至那 脂那 (震旦 真丹)の【那】のna ですか?
新カリスマのルーツを探せ・
http://www2m.biglobe.ne.jp/~shotaro/no316.html


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訂正  (>_<)ゞ 
2006年5月24日 0:22:39 棘の紀氏
【以上】は【異常】です。
私の頭も【異常】です。
           【以上】


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方形の魚は「鮎」?
2006年5月24日 0:52:51 棘の紀氏
「神武は息子二人と五瀬(いつせ)の命の4人体制。」
TU-TU は『聖職者と聖職者』 「神官」(神武系)=「TT」と「巫女」(出雲系)「UU 」=2x2=4
「旧秦」と「出雲」(徐福+禹系)の連立国家 矢(YHWH)+的(臬「自+木」ゲツ(月?An)
方形の魚は「鮎」「魚(キリスト系)+占(口+ト=台?「口」=酒甕= 良い香り)
・・・・速過ぎますか?


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tomboの認識!
2006年5月24日 11:41:03 tombo
>「香取神宮」は六角形(亀甲)の台地に位置する。

3・5・10の流れの土台になっているのは、六角形に内存する2個の三角形の3です。
1・4・8の流れの土台は、ティダ石です。

>支那 至那 脂那 (震旦 真丹)の【那】のna ですか?

シナは sina と言うアッカド語です。sinaのシュメール語は min です。

na と文字は、u + ki で、u にはuの義が有り、ki にはki としての義が有ります。
u と ki が癒着して na と言う新語が誕生し、na は na としての新しい義が生まれる、此れが、言語の道でしょう。

同様に、
si と na が癒着して sina と言う言葉が誕生している。
この時、 si とna が融解されて sina に融合している形態での sina 。

との認識です。


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「min」
2006年5月24日 12:23:50 棘の紀氏
>「na と文字は、u + ki で、u にはuの義が有り、ki にはki としての義が有ります。
u と ki が癒着して na と言う新語が誕生し、na は na としての新しい義が生まれる、此れが、言語の道でしょう。」
u + ki =na 明(sinaのシュメール語は min)
「min」明 でよろしいでしょうか? 
明帝 (漢)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%B8%9D_(%E6%BC%A2)


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Re:「min」
2006年5月24日 14:08:03 tombo
「min」明 でよろしいでしょうか?

さ〜 どうでしょうか。
言語学的には min は 明 と解釈は可能ですが、
国名となると問題がある。

最初の明国宣言をしたのは日本ですからね。
明の義を持って 日本とした。

「天をもって兄と為し、日をもって弟と為し」
は、
天は神、日は仏という『仏教国宣言でしょう』。
兄は天智(テンヂ)弟は天武(テンム)との構図で、
天智は月、天武は日。

中国に明国が建国されたとき、日本は明人をシナ人と呼んだ。
minは日本で 明国は sina国を使えといいたかったのでしょう。
だから、今でも中国人をシナ人と呼ぶと侮辱だといって嫌がるのでしょう。

聖徳太子 万歳ですね。 ^^;



睨】ゲイ「出目
2006年5月21日 14:19:59 棘の紀氏
「甗」ゲン甑 こしき(こしき豊か?)【睍】ケン(犬?)ゲン:【視】と同じ・目の突き出ている・【睨】ゲイ「出目」
・ゲイ、日を  http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t_jis/connection/3k5t_gei.html
「大型縦目仮面」。【視】と同じ・目の突き出ている・【睨】ゲイ「出目」
http://www.actv.ne.jp/~yappi/new-baksisi/nb0102-sanseitai.htm


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シュメール文化導入時期
2006年5月21日 22:08:43 管理人
個人的にはやはりシュメール文化をイラクで吸収して、トカラ人など日本へ持ち込んだ集団がいるのか、あるいはシュメール時代からダイレクトに日本古代縄文、弥生に流れたのか、その判別が重要だと思います。弥生人、縄文人はほんとにシュメール語をはなしていたのでしょうか。あるいは渡来人なり海人族がシュメール語を後からもちこんだのでしょうか。葦原中国の思想は、海と関係ありそうですが、海と葦との観念と天から神が棒でまぜこぜする思想とが、どう縄文人、弥生人にイメージされたのか、またそのイメージがどういう手段で伝達したのか、その辺の証拠を探していかねばならないですね。


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というよりも
2006年5月21日 23:20:52 かわかつ
すべての文明が中近東で分派したとすれば、世界中のどこかにそういう形跡があるのは当たり前という急進的考え方も成り立ちますな。そうなると、ひとり縄文だけの特殊性ではなくなってしまいますから、やはり、中近東→ペルシャ→インド→江南→インドシナ・崑崙・台湾→列島
という道を追ってその痕跡を「ひとつひとつ」あげていくべきです。
あっちこっちいって、ちょこちょこじゃ、誰も理解できないどころか、理解しようともしないでしょう。
断片の集合を並べ替えるのが表現者の仕事ですよ。点ばかりじゃ絶対に人は納得しません。ただの思いつきとしか思ってくれない。遠回りしているだけです。
ウソをつくのにもちゃんとノウハウがあるんですよ。ましてホントだと思わせたいなら、綴り方教室にいかなきゃ。証拠のないものに真実はみつけられません。


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詳しく教えてください?
2006年5月22日 0:05:50 棘の紀氏
>「海と葦との観念と天から神が棒でまぜこぜする思想とが、どう縄文人、弥生人にイメージされたのか、またそのイメージがどういう手段で伝達したのか、その辺の証拠を探していかねばならないですね。 」
「天から神が棒でまぜこぜする思想」
古代人は穴や窪地を居住ちとしていた様です、大洪水以後 高台の住む様に成ったと考えます。
窪地(盆地)・クレーター には霊的な何かを感じていたのでしょう。(水に恵まれる・・・いや クレーターは母なる地球(子宮)と神の玉(隕石)の結合・・・)
島が水中から現れる、海底火山の噴火 マグマを天に吐き出す 地球は母 噴火口は【芔】キ「+++」「天から神が棒でまぜこぜする思想」・・・【噴】「口+貝+【芔】キ」+「神が棒でまぜこぜ」=島の誕生。
「海と葦との観念」・・・詳しく教えてください?
【葦】は「子船」・・・舡 虹(舟と舟を掛ける【橋】)? 海は【母】


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言語の伝播
2006年5月22日 1:06:43 管理人
かわかつさんご指摘のとおり、やはり点と点とを比較してつなぎ合わせていくというよりは、その間の点と点との連続をさらに証明していかなければなりませんね。そうしないと三角もできないのかもしれません。地震でいえば、小さな地震の地点と地点をつなぎあわせて、断層という線を浮かび上がらせていく、そして想定域という面ができてくるわけですね。地震だと小さな点というよりは、比較的目だって大きな地震を浮かび上がらせたほうがわかりやすくなります。インド、江南・・・、いわゆる交通の大拠点というやつですね。シュメールだと聞いたところでは、イラクの大都市から発掘された商人の行動記録の石版から、商人の経路などがわかったりしたそうです。敦煌の商人の記録なんかもおもしろそうですね。どこからどこへ寄ってどこへ行った。日向からキビによって、都にきたとか、商人はつねに記録をつけて計算していったでしょうね。
あと言語の伝達というのは、最近思うのは、ある人間の左脳の細胞に文字なり言語を焼き付けて、数十年後に同じ文字を息子に伝達する、さらに孫へと、ある意味、DNAと同じで、物質の再生産による伝導だと思います。その息子や孫が癖のあるしゃべり方を人生の中で、自己開発しないかぎり、同じ言語が代々続いていくはずですが、その息子が外国の言語をしゃべるように無理やり強制されるケース、あるいは外国の固有名詞が入ってきて、名詞部分の記憶に変化が生じるケースで、言語全体の変化もでてくるのでしょうね。でもそれは動詞部分ではないはずで、名詞の部分、つまり葦原中国とか名称の部分で変化がまず生じるのではと感じます。動詞が変化するケースだと、支配などで完全に言語を強制されてしまうケースで、息子や孫は別の言葉を話すようになる。ただし、それが息子集団とか孫集団というように集団レベルになると、外国から嫁をもらったりすると、時に言語でも名詞が変化していくかもしれませんね。嫁の実家が大権力者で、無理やり婿殿の家は嫁の言語に転向ささられてしまったとすると??とりとめないですが、逆に数千年どこの言語も混じらず、遠方に伝播したとすると、その集団は自閉的だったかもしれず、戦闘には強かったとか??ちょっと言語の伝播は考えてみるとおもしろそうですね。


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証拠のないものに真実はみつけられません
2006年5月22日 21:16:31 棘の紀氏
姓氏統合<せいしとうごう>

 「秦の統一以後の姓氏統合によって姓と氏はひとつになり、魯氏は魯姓というように多くの姓が生まれた。また、以前は姓氏を持つことができ
なかった庶民も姓を持つことができるようになった。」

秦の始皇帝は漢字の意味を(とくに禹系に関する解釈)を、大きく変えたと考えています。例【鬼】を悪に ユダヤ教 【バール神・牛(禹氏)を悪 蛇 ドラゴンも悪などです。
「点と点との連続」でしか新説を証明する事を思いつきません、
文献からでは新説とはならないと思います。
文献からでは「旧約聖書」からの引用の解釈が正しい事になるのでは?


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参考HP
2006年5月22日 21:18:55 棘の紀氏
姓・氏・族<せい・し・ぞく>

 民族、本家・分家を区別する名前。苗字。分け方が大きい順に、姓、氏、族となる。
 (姓)周の武王(名は発)は姫姓なので、フルネームは姫発になる。(姫は姓)
 (氏)荀林父は姫姓だが、荀家は周王室の分家なので、姓の姫は名乗らず荀林父と名乗る(荀は氏)。
 (族)荀首は荀林父の弟だが、荀家の分家なので、本家と区別するために知首と名乗る(知は族)。
http://shibakyumei.hp.infoseek.co.jp/keitai/jiten_S3.shtml


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氏族系譜
2006年5月23日 7:48:33 管理人
紀氏さんご指摘のとおり、確かに伝承や氏姓系譜関連だと、あまりに信用ならない部分が多いですね。そういう意味では、点である文字そのものに注目してみるのもよいかもしれません。中国はどうかしりませんが、日本の古代の氏族系譜だと、誇張された系譜より、カバネなどの文字、そのカバネの地方での共有あたりに注目していくと、遠い地域の氏族つまり点と点とが妙なつながりをもっていたりするものですが・・・・・。旧約だと・?



古代瞑想/迷走
2006年5月20日 11:18:27 とみた
皆さん、わたしは最近は瞑想し迷走しております。


岳は山の上に羊・・・を象形した文字。これは紛れもない甲骨文字です。殷(商)時代の王様の占いの言葉です。

夏は二里頭文化、殷は二里岡文明。いずれも、いろいろな文明から良いとこ取りして黄河中流域文明を作り上げた。

山東半島の龍山文明からは酒器の鼎を採用し、長江下流の良渚文明からは玉と神獣面像と太陽神を取り上げてトウテツ紋をつくりあげ、山西からは楽=鐘や太鼓を取り上げた。

西北の遊牧民からは、牧畜のト骨、とレキ〔三本足土器)を採用した。儀礼や楽を重んじ、鼎の数で臣下の身分差を縛り身分社会を徹底させてその秩序維持を図った。

周は西族である。西域から来たかもしれない。チベット民族は紀元前の中国に跋扈していた。
羌はチベット系であり、姫姓である。殷は羌=羊族を人狩りして犠牲にした。周は羌の応援を得て殷を滅ぼした。

紀元後も黄河、長江の水源に近い青海省の吐谷渾とか吐蕃として生き残っている。
吐蕃は唐を困らせるほどの強勢であった。

トカラ語は、ローランのコーカサイド女性の ミイラが生きていた時代紀元前2000年ごろから紀元前200年ごろは月氏が匈奴に滅ぼされるまではトカラ語を話し、前漢の植民地のゼンゼン国になってもトカラ語を話していたらしい。


シュメールは今のイラク戦争の自衛隊のいるサマワに近い。ウル、ウルク、ラガシュなど古代文明が栄えたところ、ウルクの王様ギルガメシュ王の物語、ノアの方舟のルーツの大洪水や不老長寿の薬草が蛇に盗まれたことで記憶がある。

蛇はチグリス、ユーフラテス合流する流域には一杯いたらしい。

牛の信仰はどうかは不明。でも鹿とか山羊とか鷲とかライオンの合成獣が気になる。合成獣が都市国家のシンボル神になる。

中国の北東部の龍は鹿と牛と・・の合成獣です。

脱線ついでに、ヒンズー教の崇拝する牛はコブ牛です。水牛ではありません。

中国の雲南やベトナムで崇拝され神の犠牲になるのは水牛です。

水牛、太陽心、心柱、銅鼓でお祭りし神に願う。銅鼓や銅鐸を鳴らして神に祈る



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情報と知識は違う
2006年5月20日 14:17:18 かわかつ
識りすぎないように、情報を増やさないように、ある程度の思考が定まった段階で、停まる必要があるように思います。人間の脳には限界があります。それは体系的にものごとを捕まえようとする人間ならなおさら。
垂れ流しの知識は自ら切り捨てる勇気が必要なのでは?止めて新たな段階へワープする。それを哲学ではアウフヘーベンといいますぞ。

必要かどうかの判断はひとりでやらなくてはなりません。


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棘のおじさんにゃあ
2006年5月20日 14:20:18 かわかつ
無理かねえ。↓


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紀氏の志向
2006年5月21日 14:01:39 棘の紀氏
とみたさん今晩は紀氏の閃きを促す情報有難うございます。

「岳は山の上に羊・・・」から(山の上に羊の角「V」から測量道具の「Y」【矛・さすまたを象形した文字。】)夏は二里頭文化、殷は二里岡文明。龍山文明からは酒器の鼎を採用し良渚文明からは玉と神獣面像と太陽神を取り上げてトウテツ紋をつくりあげ、山西からは楽=鐘や太鼓を取り上げた。西北の遊牧民からは、牧畜のト骨、とレキ〔三本足土器)を採用した儀礼や楽を重んじ、鼎の数で臣下の身分差を縛り身分社会を徹底させてその秩序維持を図った。周は西族である。西域から来たかもしれない。チベット民族は紀元前の中国に跋扈していた。羌はチベット系であり、姫姓である。殷は羌=羊族を人狩りして犠牲にした。周は羌の応援を得て殷を滅ぼした。吐谷渾とか吐蕃月氏が匈奴ウル、ウルク、ラガシュ不老長寿の薬草が蛇に盗まれた蛇はチグリス、ユーフラテス合流する流域には一杯いたらしい。合成獣が都市国家のシンボル神龍は鹿と牛と・・の合成獣です。犠牲になるのは水牛です。銅鼓や銅鐸を鳴らして神に祈る

「岳は山の上に羊・・・」から(山の上に羊の角「V」から測量道具の「Y」【矛・さすまたを象形した文字。】)を閃き!【岳】の字義:昔、天子が各地を巡幸して、その地方の諸侯を会衆させた山。東西南北にあって四岳といい、その地方を治める諸侯の官名ともなった。
「夏は二里頭文化、殷は二里岡文明」
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point47.html
http://homepage3.nifty.com/alacarte/nanchuka13-kakyo.htm
「龍山文明からは酒器の鼎を採用し」から
さまざまな器形
http://www.kotoken.co.jp/china/bronze/bronze-shape.html
「甗」ゲン甑 こしき(こしき豊か?)【睍】ケン(犬?)ゲン:【視】と同じ・目の突き出ている・【睨】ゲイ「出目」
・ゲイ、日を  http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t_jis/connection/3k5t_gei.html

下部は鬲と同じような形となり、上部は口の開きその底にはいくつもの穴があいた甑(そう)との組み合わせで、甑と鬲が一体となったものと取り外せるものとがある。下部には水を入れ、上部に穀物を入れて、火にかけることによって蒸し器として使われていた。



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2
2006年5月21日 14:05:33 棘の紀氏
「良渚文明からは玉と神獣面像と太陽神を取り上げてトウテツ紋をつくりあげ」から
鼎立とは、複数(多くの場合三つ)の勢力が同一地域に存在する状況を形容する言葉。三国鼎立など。
http://www.chinahonpo.com/sort/savepath/qintong/33A102.htm
鼎立とは、「三つ」の勢力が同一地域に存在する状況を形容する= ・・・三角測量?

自然の横溢する時代    HP
http://www3.ocn.ne.jp/~nippou/ouitu.htm
古文書から明らかである。東部環球は地球が球形であることをコペルニックス(1473-1543)以前にすでに常識になっていたことが判る
http://www3.ocn.ne.jp/~nippou/sizenk.htm

「山西からは楽=鐘や太鼓を取り上げた。」から
都城の邪馬壹國 著者  国見海斗 [東口 雅博] 
大和三山と国見山 帯方郡設置と国見山 
http://www.btvm.ne.jp/~g-taka/yamaichikoku/yamaichikoku_8yamatomiyama1.htm

「西北の遊牧民からは、牧畜のト骨、とレキ〔三本足土器)を採用した儀礼や楽を重んじ、鼎の数で臣下の身分差を縛り身分社会を徹底させてその秩序維持を図った。」から
平板測量での「三本足」=「三脚」 【鼎】=「ト」+「見」+「方」(両方)・・・平板測量での【アリダード】【臣】=見る役?
「周は西族である。西域から来たかもしれない」から
   http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/yin-zhou.html
「チベット民族は紀元前の中国に跋扈していた。」から
   http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?taiwan+134


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3
2006年5月21日 14:06:57 棘の紀氏
「羌はチベット系であり、姫姓である。」から
商王朝の王たちは必ず十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)のひとつを名前に使っている。
   http://homepage1.nifty.com/history/history/syou.htm
「殷は羌=羊族を人狩りして犠牲にした。」から
  http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu01.html
「周は羌の応援を得て殷を滅ぼした。」から
   姜族は羌族の一派とされ、後の太公望が出た族である。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8
「吐谷渾とか吐蕃月氏が匈奴ウル、ウルク、」から  (ウ+ル=【穴】・ウ+ル+ク(エ)=【空】)
   「吐蕃」の【吐】は、優待の風習?・・・客が来ると、食事中でも口中の食べ物を吐きすぐに出迎える。【蕃】はエビス。(草木に関係・・・「++」=草 「‡」=木・・・なら測量関係)
   「宇迦之御魂」あるいは「倉稲魂」は「吐蕃」?
(古代ギリシャやローマにおいて、飲食したものを定期的に吐くことは、体内浄化の手段として、病人だけでなく健康人の間でもよく行われていた。 )
   http://logos.vis.ne.jp/medicine.html

「不老長寿の薬草が蛇に盗まれた」から
不死の薬を、あろうことかゲイの妻・嫦娥が盗み出してしまったのだ。
嫦娥奔月
http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t_jis/connection/3k5t_gei.html

「合成獣が都市国家のシンボル神龍は鹿と牛と・・の合成獣です。」から
   http://www.geocities.jp/hiroji69/komainu/rekisi2.html
   http://www.geocities.jp/hiroji69/komainu/sinnjuu.html
古代中国では皇帝の象徴として考えられるほど、神獣 ...
   http://www.h7.dion.ne.jp/~hosihana/H/Ha.html
「犠牲になるのは水牛です。」から
「ドゥルガー女神が水牛の化身である悪魔マヒシャスラの部下のアスラ(阿修羅)を全て退治したことを祝います。」
   http://www.nexus-coltd.com/nepal%20dasain.htm
(水牛の化身=悪魔マヒシャスラの部下=アスラ(阿修羅)「全て退治した」から「アスラ(阿修羅)」は複数。)
「銅鼓や銅鐸を鳴らして神に祈る」から
(銅鐸は釣鐘では無い 天(上)に向け鳴らす。)


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鳴らす。
2006年5月23日 17:20:15 棘の紀氏
「【鳴】らす。」【口】+【鳥】(古文字に【T】ち【V】らしき形が
存在します。



「鳥」 =文官 の証明
2006年5月18日 23:53:23 棘の紀氏
【隹】スイ とり :測量士 判明!
管理人さん 皆さん 朗報デス。
遂に見つけました (^o^)V 
【圭】:[土地をはかり治めることを表わす。]デス。
【隹】「とり」の古文字(段注説文小篆)に【圭】ケイ ケ たま の文字が!
【津】の古文字(段注説文小篆)に【隹】「とり」の文字が存在! 【津】も測量でのポイントです。
【圭】ケイ ケ たま:土を二つ重ねた字。諸侯がはじめて封ぜられたときに、その印として天子からいただく、上がとがって下が四角な玉の名。土を重ねるなは土をはかる(土・度に同じ)意で、天子からいただいた土地をはかり治めることを表わす。[角川漢和中辞典]より
 (「K」は神聖なものにしか使わないらしい)・・・・・おっしゃる通りでした。
中国の官人 「補子」:文官=「鳥」 武官=「獣」
2006年4月22日 2:39:50 棘の紀氏

http://www.nishinippon.co.jp/news/museum/special/051227.html



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シュメール文字と Brahmi文字を
2006年5月19日 10:01:44 tombo
土と云う文字は、『十と一』から成っている。
十はシュメール文字では mas であり、日本語に置き換えると『境界』です。
一はシュメール文字では as であり、asを sagtak と読み日本語に置き換えると三角形です。
土という文字をシュメール語で解釈すると、三角形(の土地の意)の境界。

圭は土が2個、三角形(の土地)と三角形(の土地)の境界。
2個の三角形は方形、3個の三角形で5角形、と土地の形状に対応できる。
中華は、三角法で土地の測量をしていたということか。

【隹】は山、平地の測量、【津】は海の測量に係わっていると云うことを
シュメール文字なら明確に出来ます。
但し、インドの Brahmi文字の助けが必要です。


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安倍晴明の謎を解く。
2006年5月19日 11:24:09 棘の紀氏

* 人に見えない鬼を見たことがある:「鬼」とは神武天皇以前に渡来した古代中国 夏王朝の禹に繋がる人々。
* 鳥が話す言葉が分かった:鳥とはヤタガラス=(徐福 サルタヒコ系の縄文渡来人 資源・地理などの探索 測量士)
* 龍宮城に行ったことがことがある:
竜宮城伝説の茨城
「ほき抄」の「由来」によれば常陸国筑波山麓の猫島、現在の茨城県真壁郡明野町猫島が晴明の生誕の地とされている。また、この伝記は最も古い時代にまとめられたものでもある。(常陸の豪族に「信太 信田 (羊歯?)
「晴明の生誕の地」・・・・・父 「安倍保名(あべのやすな)」の生誕の地デハ?
子供達にいじめられていた蛇を助け竜宮城へ行き
龍王から病気を治し、運命を変え、不老長生となる秘符が入った石の匣(はこ)をもらい、
また、未来予知などができる烏薬を両耳に塗ってもらったという。
その後晴明は、鹿島神社の森でカラス会話を聞いて、天皇の病気の原因を知り、
伝えるべく京都へ行きそしてカラスが告げていた事柄を言った。
晴明の言う通りにすると天皇は快癒し、
これがきっかけになり晴明はその名が知られるようになったという。


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2
2006年5月19日 11:25:11 棘の紀氏
母 「葛乃葉」
白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。:白狐(白は西方「白虎」 狐(獣・・・犬科 瓜・・・うり・くずは=つる草・・・葛かずら)
賀茂氏は大和地方の葛城(かづらぎ)地方の豪族、大三輪氏の一族で、(エンノオズヌが祖先・・・鴨?)
(相馬氏は、系図では平将門を祖としていて桓武平氏良将流を称している ... 子将国が常陸国信太郡に落ち延び、その子文国の代に信田小太郎と称して、以後数代に渡って信田氏を称したという …)
http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/souma.html

阿倍野に安倍保名(あべのやすな)
出自が大阪説、茨城説、香川説が有ります伴に、父も安倍益材(尊卑)、安倍保名(伝説)、平将門(ムー)などの説があります。


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3
2006年5月19日 11:25:52 棘の紀氏
関連して
「土御門家台頭の重要な役割を果たしている「晴明伝説」は遅くとも中世前期に京都で成立して北は陸奥から、南は筑紫まで、広範囲に伝播している。ここで広めるために大きな役割を果たしているのが声聞師である。当時、武士の台頭により荘園が破壊され、荘民達は賎民におちぶれていったそのために声聞師になっていった。そして声聞師は晴明を自らの始祖と崇め、全国各地に「晴明塚」(声聞師の活動拠点となる橋のそばや、街道沿いに残されていることが多い)をつくっている」
サンカ?
「豊臣秀吉の陰陽師集団への弾圧の打撃も直接受け、鴨川の五条橋中島等の各地にあった拠点も消滅してしまった記事もある。そして江戸時代にはいると、「豊国大明神祭礼記」において、慶長九年(1604年)、方広寺の大仏の前で行われた施行に集まった集団(乞食、非人、鉢拱、唱門士、猿使、盲人、居去、腰引、物イハズ、穢多、皮剥、諸勧進之聖)を「イルイ異形、有雑無雑」といっているようにしだいに転落し,もっぱら米銭を乞ういわゆる「乞食芸」になりさがってしまった。その頃の声聞師は門付(かどつけ)とも呼ばれ、初春には万歳、春駒、鳥追、大黒舞、獅子舞、ものよし、猿回し、ちょろけん、夷回し(夷舁き(えびすかき) 、太々神楽 (だいだいかぐら),鹿島事触れといった門付芸で姿をみせ、節分には厄払いが門ごとをまわった。また、年の暮れには節季候(せきぞろ)、婆等(うばら)、狐舞などがいた。ではなぜこのように賤視されるようになったのだろうか。それには中世から近世に移るにかけて天皇の権威が落ちたことがあげられる。応仁の乱などの乱世であった室町時代に入ると次第に天皇の権威が落ち、武士のいわば力づくの権威が強まっていった。それにより、神仏を畏れるという考え方が薄れていくことになった。そのため声聞師もその影響を受けざるを得なかったのではないだろうか。 」   参考HPより

☆型 五芒星図形はこの頃・・・(いや前方後円墳が・・・)
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/cat_118169.html


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失礼しました。
2006年5月19日 19:01:21 棘の紀氏
tomboさんは凄過ぎます、しかし紀氏の表現力(知識の無さ)を目ル カバーして頂けますね感謝感激です。
今後とも宜しくフォローください。
遅れませながらの挨拶 失礼しました。
                    軽率の紀氏でした。


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鳥、陰陽師
2006年5月20日 1:41:31 管理人
なかなか難しい謎解きですね。鳥というのは、すると測量士をしめしていたのですか?渡来系文官の文氏の祖は高句麗からの烏の羽の書状を解読したことで有名ですね。暗に意味があるのでしょうか。
茨城は鹿嶋(津)と東京湾とは、かわかつさんご指摘あったように、思ったより海道が広かったのでしょうか。相模から鹿嶋への伝承推移が重要ですね。予想以上に鹿嶋は僻地にあるのにもかからず、都の伝承へ影響を与えていますね。海人航路??清明の育った鹿嶋や相模の陰陽の流れは、あるいは津の測量とは、古代においてどういう意味があったのでしょうね。


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RE 海人航路??
2006年5月20日 9:28:23 棘の紀氏
全国 海岸の「カ島」の地名

北海道:伊達市鹿島町
宮城県:【志田】郡鹿島台町
    :【亘理】ワタリ?郡亘町逢隈アクマ?鹿島
福島県:相馬郡鹿島町鹿島
    :いわき市鹿島町
茨城県:日立市鹿島
    :鹿島市
神奈川県:川崎市幸区鹿島田
静岡県:富山市加島
    :天竜市二俣町鹿島
愛知県:蒲郡市鹿島町
富山県:滑川市加島町
石川県:鳳至郡穴水町鹿島
    :加賀市鹿島
    :七尾市石崎町香島
    :鹿島郡鹿島
    :石川郡美川町鹿島町
福井県:小浜市小浜鹿島
和歌山県:日高郡南部町鹿島(島)
香川県:小豆郡土庄町鹿島(島)
島根県:松江市蚊嶋(島)
    :八束郡鹿島町
広島県:福岡市神島町(島)
    :安芸郡倉橋町鹿島(島)
愛媛県:北条市鹿島(島)
南宇和郡西海町鹿島(島)
佐賀県:鹿島市
熊本県:八代郡竜北町鹿島
鹿児島県:薩摩郡鹿島村(島)(下甑島の北東端。村名は中世から大字欄牟田にある鹿島神社に因む。

※ 内陸 (川沿い?)の「カシマ」の地名は含みません。
(「鹿島信仰・・・・デーダラボッチ(だいだら)・・気になります。)
タケミカズチらは、舟で移動していたようです。
下甑島の北東端の「鹿島」・・・・地図上で位置関係をと・・・認知症(横着・・・)が進んでる様な紀氏です。
「清明の育った鹿嶋や相模の陰陽の流れは、あるいは津の測量とは、古代においてどういう意味があったのでしょうね。」
「父は賀茂忠行。天文博士・暦博士・陰陽頭に就任・・・」
RE(「陰陽家 方師などは 禹やシオンに共通の測量士と考えます、
カバラ(カッパーラ)で隠された秘密の様に感じます。)


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津、鹿嶋
2006年5月21日 22:03:55 管理人
昨日も浦賀水道で地震ありましたが、その相模、東京湾から鹿嶋へかけての海道ですね。紀氏さんのご指摘だと、鹿嶋という地名が、全国にあるようですね。確か香取も、名古屋方面にありますね。いつごろ鹿嶋の語源が出来て、ひろがったかきになります。鹿嶋のかは、もともと香だったそうで、なんで香なのでしょうね。


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カ【夏】関連では
2006年5月22日 23:29:52 棘の紀氏
 上に参ります。     (^.^)(-.-)(_ _) 



渡来人祭り
2006年5月18日 22:14:52 管理人
松本渡来人祭りのHPが更新されたようです。6月2日〜4日の期間中に浅間温泉にある5世紀末の古墳出土の金銅天冠が見られるそうで、注目ですね。この冠は県内はおろか国内での酷似品も少なく、朝鮮から渡来した人のものと推定されているとのことです。
http://tryjin.jpn.org/index.html



シュメールと【夏】 禹
2006年5月17日 19:22:22 棘の紀氏
ご無沙汰してました。

シュメールと【夏】との繋がりか?
【夏】の異名が【朱明】シュメイ:夏の気は赤く輝くから・【日】。【太陽】。【祝融】(火の神)をいう。
              シュミン:【明】ミン 【朝】チョウ 。明の天子の姓が【朱】から。
         【朱雀】シュジャク:赤い鳥 南方の星座(南方に見えるのは「中央」から)
【朱明】シュメイが「【日】【太陽】」=「中央」を表わす・・・・・「【日】【太陽】」=【主シュ(朱)】

「羊=YHWH 歯は、禹・・・・・後のお楽しみに。 」 の答え
羊歯シダ 信太シダ 羊朶シダ 「朶」タ えだ(垂からなる)えだ枝(支) 杈さすまた(Y) えだ などは甲骨文字などに多く使用されている。 杈さすまた(Y)は測量器具の【矛】や【Ψ】草(+)
【羭】「羊+兪」(ユ):山の神 黒色の雌の羊・・・・【羊】がキリスト=(YHWH)との解釈から
【齲】【歯+禹】ク ウ むしば「VΛVΛ」「▽△▽△」(米)・・・・・・三角測量です。


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安曇族の祖先は夏后少康(夏王朝第六代皇帝)の子?
2006年5月17日 19:24:58 棘の紀氏
「太伯」(周の太王の長子・
「太伯」とは水神祭祀者そのものを指す。これには後漢の許慎著「説文解字」の注によると「馮夷、太伯は河伯なり」とある。
【夏】の異名が【朱明】シュメイ・・・・・・・「禹」は南方の捕虜らしい 南方とはシュメール(シュメールは北方からの攻撃をうけ滅んだらしい。)
(夏后氏、つまり古代夏王朝の開祖である禹は水神河伯の助けによって黄河の大洪水を治めたという有名な伝説を持つわけだから、これは水神祭祀者以外の何者でもあるまいか?。)
「大夫」(周の封建制度では天子や諸候に仕えた者を卿、大夫、仕の三身分に分けていた。)
「大夫」と称す。夏后少康(夏王朝第六代皇帝)の子、会稽に封ぜられ、断髪文身以て鮫龍の害を避ける。いま倭の水人、好んで沈没して魚蛤を捕らえ、文身し亦以て大魚、水禽を厭う。後にやや以て飾りと為す。」(「魏志倭人伝」三世紀成立)
 


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参考HP
2006年5月17日 19:26:13 棘の紀氏
漢字の始まり    H.16.11.13.
命の文字が口+令で令の文字はアルファベットのA(牛の神)とB(ひざまづいて祈る人の姿)と同じ組み合わせで出来ている。それが本当ならアルファベットも漢字も同じ文化の流れを組んでいる事に成る。
その文化の流れの源を探ると牛が神とされたのはシュメール文化である。
旧約聖書に出て来る物語のエジプトからモーゼと一緒に脱出した人々の中に牛を神とする民が居た事が記されており、その人々はモーゼに因って自分達の信仰を止めさせられている。
中東やエジプトに迄シュメールの人達が移動していた事が分かるし、中国の漢字を考えた人の中にもシュメールの民が居た事に成るし、日本の天皇をスメラのミコトと言っていたのもシュメール語の「葦の生える地を治める者」の意スメルから来ているのも日本の地にシュメール文化が流れ着いている事の証明である。
http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/h.16.11.13.-2.html


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羽人が禹では。
2006年5月17日 20:57:33 棘の紀氏

 「命の文字が口+令で令の文字はアルファベットのA(牛の神)とB(ひざまづいて祈る人の姿)と同じ組み合わせで出来ている。」

【ひざまづいて祈る人の姿】
[青銅鍍金銀羽人]漢時代
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/data7.html
三星堆博物館 
http://www.asahi-net.or.jp/~DX7Y-ARI/sanxingdui.html
中国歴史紀行 
http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sannseitai.htm

ちなみに、アルファベットはバビロニアのバベル文字からと考えます。(アルファベットも象形文字かも?)

インターネットなどの情報に感謝いたします。


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シュメールとは
2006年5月18日 0:55:05 管理人
ご紹介のシュメール語の「葦の生える地を治める者」の意味はかなり重要ですね。イラン高原南部の文化にやはり日本の神話・祭祀の大元はあるのでしょうか。その文化の伝来は紀元前3000年から紀元前5世紀?、そのどのころなのでしょうね。興味深く感じます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB


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スメラ!
2006年5月18日 11:24:05 tombo
『日本の天皇をスメラのミコトと言っていたのもシュメール語の「葦の生える地を治める者」の意スメルから来ているのも日本の地にシュメール文化が流れ着いている事の証明である。』


sumelu、sumeruは
sumelu は 左・左手、sumeruはシュメール人・シュメール語、
と云うアッカド語です。

sum-e-la がシュメール語なら sumは魚、e は王子、 la はぶら下がる、
と云う解釈が可能です。

鵜草葺不合(ウガヤフキアエズ)王朝、最後のスメラは神武ですが、
スメラを「葦の生える地を治める者」との解釈は可也無理があると思われる。


アシ(葦)というシュメール語はいくつかあるが、沖縄の4・8の掘っ立て柱の葦葺きを神アシャギと呼ぶときの 『ギ』が葦です。

アシは asi で縛る、ヤは ya で 5と8 。
5・8をアシ(ギ)で縛った物をアシャギと呼ぶ。

1・4・8と3・5・10の交差点は、ya の一文字です。

日本語の ヤ=八の出自を追求してみます。
八尺(やさか)の意も明確に成ると思われます。

とりあえず、画像を作成しましたので画像掲示板にUPします。
説明は明日に成ると思います。


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RE ヤ=八の出自を追求してみます。
2006年5月18日 19:37:41 棘の紀氏
私的考えですが、
【也】ヤ なり の古文字(金文)から
【みずち】(Y)【虫+L】キュウ(九?)蛇 鬼禹?+又輪【乙】イチが
【○】に♂入った形(私には、)だから【也】ヤ?
はは【母】ハハ   ハ+ハ=米・・・【粥】シク イク かゆ
(【八】の古文字に類似の【弓弓】中に【米】=粥に【也】なり。)

【七】北斗七星【六】(∩+1)=∩が破れ分かれる(受胎 ハハに也)
漢字(記号?)の作られ方は、こんなもんだった様です(私的に。)


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追伸
2006年5月19日 12:00:37 棘の紀氏
北斗七星は古代六星かも(富士重工のシンボル 星の数 肉眼では6個にか見えなかったかも?)
古代 【六】が最高の数だった・・・【五】は【王】の数
ロク【鹿】(人が欲しがる最高の?らしい)
鹿に乗るのは鹿島?春日?・・・
馬に乗るのは羅馬(ローマ)・・・・
牛に乗るのは禹(牟)
狐(犬?)に乗るのが秦氏?
亀(瓶)に乗るのはスサノオ・・・裏?
泥舟に乗るのは狸(だれ?)
お椀に乗るのはサン?太陽・・イヤ【蚕】イッサン法師・・蝉(虫+単) ツクツクホウシ・・・・・お後がよろしい様デ・・


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蓑笠
2006年5月20日 0:47:41 かわかつ
関祐二やここの管理人さんも書いていますが、祭りや記述で蓑笠つけた人物があらわれるとそれは鬼の格好をした神ですね。
晴明の用いたかたしろというのは一字で゜尸”となりまして、それは屍と同義です。
役行者の前鬼・後鬼もやはりかたしろと言っていい。
あるいは蘇我蝦夷の霊といわれる蓑笠被った青い鬼もそうだし、蘇民将来なんかもそうでしょう。
茅というのがどうやら魔よけでもあり、魔そのものをも指していたらしい。完璧に南方系植物ですが、エジプトのパピルスとか南米のPampasなんかもやはり、手が切れる植物で、祭りの魔よけに用いられたんじゃないでしょうか?
宇佐のご神体のマコモにしても、イネ科や芦などは神聖視されていますね。
出雲の八重垣神社では池にスサノオと稲田姫のかたしろを流す行事ありますね。こないだやっていました。
民族学伝承ひろいあげ辞典の方で少数民族の魂魄の観念の伝承について書きましたが、彼らのspiritへの観念はまさに日本人のものと同じですね。
最近の人類学では、江南、インドシナから西への文化移入もとりざたされているようで、諸説紛々です。
越人はベトナムにも入っているし、新潟なんかも越じゃないの?
禹の子孫ですかな。
徐福もそうだしょ?


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縄文土器は12000年
2006年5月20日 0:53:43 かわかつ
佐賀県の菜畑なんかのプラントオパールは紀元前でしょ?
縄文土器も最古のものは青森の12000年前のものらしいけど、シュメールももっと古くから文化があったのじゃないのかな?



壁画
2006年5月16日 20:25:01 管理人
姫さんが交流掲示板にキトラの壁画保存について、ご意見を述べられています。壁画の保存について、みなさんはどう思われますか?
交流掲示板
http://www2.ezbbs.net/36/underbranch/


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難しいところです
2006年5月17日 20:44:34 タックン
何百年も、密閉された世界から突然発掘によって、外気に晒されてしまい劣化するのは当然といえます。
ただそれまでにも盗掘などによって、外気にふれている状態がありましたが、それはホンの一部分だけで、現代の発掘調査のように全部開けるという状態ではなかったので、壁画が辛うじて保存されたのかもしれません。
壁画を剥がすのはこれまでも賛否両論でしたが、こういう今の状態になればもうすでに手遅れ!剥がして然るべき施設に保存しなければいけないと私は思っています。
個人的には、剥がすのは反対ですが、然しこのままほっといたら今よりもますます状況は悪化していくと思います。
こうなったのもお役所仕事、いわば文化庁の怠慢の一語に尽きると思いますが、今更行ってみてももう始まらない、悔しい思いでいっぱいです。
ただ剥がす事によって、古墳の中に入っているよりも、何らかの機会を設けてこの壁画を公開するのは、古墳の中に入っている状況よりも、公開は容易いのかな?とも思っており、より親近感を持って見れる事ができるのではないか?とも最近感じてきました。
とは言ってもこの壁画が、古墳の中に描かれている事自体に意味があるのであって、剥がしてしまえばただの絵画?になってしまいます。
関係者の究極の決断、心中は察します。


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埋め戻すのが最良
2006年5月17日 23:33:33 かわかつ
要するに考古学は墓荒らしなのです。それを肝に銘じて、研究後埋め戻しておけば、こんなつまらぬことで公費を使う必要もなかった。一般にはレプリカしか見せず、専門家が専門家ぶって無知に等しい扱いをしてきたつけです。子どもが与えられたおもちゃを壊してしまい、あわてて治そうとして、どんどん悪化させてゆくのに似ている。もう取り返しがつかない。使われるのは公費です。装飾古墳なら顔料が違うからかびないという。尤もかびても、話題にすらならない。学者の中央志向への警鐘。


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壁画保存
2006年5月18日 10:40:28 姫 MAIL
管理人さま、タックンさま、かわかつさま、
 壁画について、ご意見を書いていただいて、ありがとうございました。  実は1月に友史会の総会があった時、網干先生が講演され、高松塚を取り壊して修理するのは大反対だとのお説を、延々一時間半に亘って力説されました。 網干先生は高松塚を発見、発掘された方だそうですね、 文化庁が責任を持って保存、管理すると言明し、明日香村もそれを了承した時点で、高松塚、キトラ古墳は文化庁の管理に移ることになりました。 高松塚は一時文武天皇陵に比定されたこともあり、副葬品などから貴重な古墳であると判断されていましたし、壁画が発見されたことで、より一層完全な保存が必要であろうと判断され、国の管理下においてそれが為されるのが最良であろう、と、これは賛否両論の飛び交う中、末永氏の決断で決まったそうです。 それ以後、どのように管理され、どんな状態にあるかは、網干先生、橿原考古学研究所も含めて、ただマスコミに発表される文化庁の発表以外、誰一人として、知る手段はなかったとのことでした。

壁画を取り外すについては、古墳を底石から全部ひっくり返す必要がありますが、そうすれば、古墳は無くなってしまいます。  決して復元することはできません。
また、壁画だけを剥がして、額に入れて保存するなどとは、荒唐無稽な話で、周囲とのバランスがあって始めて美しいのに、それが無ければ絵は美しさを減じます。

キトラ古墳はどうなのかよくわかりませんが、高松塚の壁画については、床からと天井からの寸法、隣の絵との寸法など、実によく計算されて描かれていて、その差は実に5mm以内という緻密さです。  或いはこの差も見た時の自然さを意図して、わざとそうしてあるのかも知れません。  ひき剥がして、この通りにきっちり復元など、できよう筈もありません。 

ー続くー
  
 


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壁画について 続き
2006年5月18日 10:44:01 姫 MAIL
続きです。

私は、形あるものはいつかは消滅すると思っていますので、両塚の絵もいずれは消え去るのは、仕方のないことだと思っています。  ただ、一部の報道で、「村の観光に差し支えるから、村人が絵の持ち出しに反対しているのだ」と書かれていたことを思うとき、「それは決してそうではないのだ」と、あの「白虎」を実際に見てはっきりわかったのです。 

タックンが仰るように、盗掘の穴から徐々にカビが侵入し、また木の根が伸びて石の隙間から虫が入っている状態でしたので、発掘されなくてもいつかは消えてしまっていたと思います。

今となっては、かわかつさんの仰るように、完璧に消毒殺菌後、粘土カクで固めて埋め戻しておけば、後世に発掘当時の姿を伝えられたかもしれませんね。

奈良県では殆どの遺跡は埋め戻すのが基本ですけれども、地元の意見もありますのでねぇ・・・・

どうもご意見をありがとうございました。

それから、ちょっと管理人さんにうかがいますが、タイトルの音楽が良いとか、合わないとか書いておられますけど、何のお話でしょうか?  私のパソコンでは一向に聞こえてきませんけど??

それからMLのことですが、送信はできませんが、受信はできますので、私の方のメーラー設定が悪いのだと思います。
不自由はありませんので、大丈夫です。
ご心配をお掛けして、どうももうしわけありませんでした。


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キトラ古墳 調査・神獣図
2006年5月22日 21:52:42 棘の紀氏

 腕木の各端に支点と筆記具を取り付けた製図用具。腕木の長さを調節して回転させ、支点から等距離の線(円)を描く。同じ中国起源の大工道具・曲尺(かねじゃく)の「矩(く)」と合わせた「規矩」は、考えや行動の基準の意味を表す。コンパスは十八世紀初め、欧州から伝わったとされる
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/iseki/kitora04.htm
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/iseki/kitora02.htm

「仏陀の姿を描く事はおそれおおいこととされ、対角線を結んだ四角形などの抽象的な図形で示すことが精一杯で」
http://homepage3.nifty.com/adeno1/sci/hist3a.htm

混沌から生じた
http://www8.plala.or.jp/furan/page032.html

闇の日本史「数と形」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dhistory/kazu_02.htm



よよよ〜
2006年5月15日 17:36:48 aaaa
よよよ〜
このホームページわかりにくいっす〜(マジっす


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ご意見
2006年5月16日 4:14:20 管理人
ありがとうございます。わかりやすく整理したいと思います。



とみたさんえhe
2006年5月14日 21:06:56 棘の紀氏
とみたさんえ
http://qooxoob.hp.infoseek.co.jp/x-008.html


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エジプト
2006年5月16日 4:13:48 管理人
紀氏さんこんばんは。古代エジプトのHPですね。いよいよシュメール、エジプト・・・、世界史ですね。とみたさんは最近はどこへいっておられるのかな?


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とみたさんー
2006年5月16日 19:11:03 棘の紀氏
ただいまー、心の旅の途中ですが、【なまず】のHPです?
  紅龍、金龍
http://www.rak3.jp/home/rak2_pv.cgi?no=kenbo&fp=1

中国名:虎鮎  分布:亞馬孫河(南美)・・・・名前が面白いです、
        龍や鮎ウラナイ 猫魚ネコ  鴨嘴鮎カモ
http://www.rak3.jp/home/rak2_pv.cgi?no=kenbo&fp=1

龍、麒麟、鳳凰、亀を四霊と申します。 これは、中国古文「礼 ... 鯉、耳は牛、掌は虎、爪は鷹、髭は鯰(なまず)、爪は中国では五爪、朝鮮では四爪、日本では三 ... すぐれた人物のたとえに使われます。 鳳凰 古代中国に伝えられる霊鳥で、世に聖王が現れた時のみ ...
www.kimono.co.jp/wasou/01/0112/0112_04.html - 2006年5月6日 - 13k - キャッシュ - このサイト内で検索
http://www.kimono.co.jp/wasou/01/0112/0112_04.html
http://6118.hito.thebbs.jp/Madam/1111904443
龍の語源
http://archaeology.dot.thebbs.jp/1029586402.html
   相変わらず纏まらない紀氏でした、とみたさんは何処?



当方へ来られた方に
2006年5月9日 12:31:35 かわかつ
ここを紹介しています。書き込みがあったらあたたかくお迎え下さい。
シュメールの研究をされている方です。
日本人の来た道は途方もなく広がってゆきます。


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はじめまして!
2006年5月12日 10:24:46 tombo
管理人さん、皆さん始めまして
かわかつさんから当掲示板の紹介を頂きましたtombo です。

渡来人研究会さんのホームページを読ませて頂いてから書き込みをさせて頂きたいと思い読み始めたのですが、孝徳5年4月条・斉明3年7月3日・:斉明5年の3月10日条・斉明6年5月是月条を読んで立ち往生してしまいました。

渡来地や宴が持たれた事は史実としても、渡来月日や渡来人数はフィクションではないかと思われる。
それは、時間軸をずらして神武東征を読んでいる様に思えたからです。

参考画像を用意してかわかつさんの掲示板に書き込みたいと思います。
その時は、御批判を頂けたら幸いです。

http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/nendomatuhoukoku2.htm


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はじめまして!
2006年5月12日 18:28:36 管理人
tomboさん、はじめまして!管理人です。研究会のページ読んでいただきありがとうございました!と、よくあのページ発見されましたね、てっきり私のほうでもあのページがまだアップされているとは気づきませんでした(汗)。また、トカラ人記載について、貴重なご意見ありがとうございます。ご指摘のとおり、トカラ人の宮崎から畿内へのルートは、東征と類似しますね。ぜひ、その辺研究進めてみてください。楽しみにしています。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします!


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なぜシュメールか
2006年5月14日 12:30:24 かわかつ
という部分の導入段階をもっと詳細に表示していかないと、なかなか興味を誘われにくいように思います。
いかがでしょうか。


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こちら
2006年5月15日 1:10:59 管理人
かわかつさんの掲示板です。やっとtomboさんのご意見拝見しました。(かわかつさんHPトップから掲示板までたどり着くのに苦労しました(汗))tomboさんご指摘の特定の数字と記紀との兼ね合い、とても興味深いですね。
http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs


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特定の数字
2006年5月15日 12:01:08 tombo
管理人さん、かわかつさん、皆さんおはようございます。

tomboの特定の数字に興味を持っていただきありがとうございます。

此の数字は日本に限ったものではありません。
中華の歴史も三皇五帝も3・5であり、夏の最初の皇帝は禹です。

禹がシュメール語の u ならそれは数字の10でもあります。
此処に、3・5・10と云う流れ明瞭です。

三皇の伏羲は、黄河に現れた天馬の背にかかれていた物を受け取って表したものが先天の図です、これは伏義八卦図とも称される。
この伏義八卦図は十と×が重なって八方位を表していますが、+と×が重なったシュメール文字は an と云う文字です。an をilu と読んで『神』です。
アッカド語の神もilu です。

記紀では此の ilu を イロと母音変化し用いられているのが、『 伊呂兄(いろせ)   五瀬(いつせ)の命』・『後に豐玉姫(とよたまひめ)、果して前(さき)の期(ちぎり)の如く、其の   女弟(いろど)   玉依姫(たまよりひめ)を將(い)て、直(ただ)に風・波を冒し、來て海邊に到る』で、記紀の中、最も興味を引く一説です。
止まれ、
三皇五帝+禹も先ず、an の文字を手にいれて成立した。
an は 8 であり、 1・4・8の流れである、と解釈しています。


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言葉
2006年5月16日 0:42:14 管理人
tomboさんシュメールからの壮大なお話ありがとうございます。数字のほうもおもしろいですが、シュメール語音から日本語起源を考えるのもおもしろいですね。言語というのは、一説によると、変化する時間と割合に法則性があるそうです。またその割合をみると、あまり言語というものが、数十年単位では変化せず、数百年、数千年単位ではじめて大きく変化していくようです。奈良時代から1300年たって、どのくらい今の日本語に残っている音があるかを考慮すると、その2倍の2600年前はどのくらい残っていたかとか、いろいろ想像が膨らみますが、案外3000年以上前の語音があまり変化せずにAこっている可能性もあながち否定はできないかもしれないなと感じます。シュメール語研究楽しみです。


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画像掲示板への書き込み許可のお願い!
2006年5月17日 10:39:49 tombo
管理人さん
渡来人研究会画像掲示板へ書き込みをさせて頂きたいと思いますので宜しくお願いします。

日本語の起源を考える時、
古事記は興味津津です。
アッカド語で記述されている所があります。
例えば、
 夜(や)麻(ま)登(と)波(は) 
 久(く)爾(に)能(の)麻(ま)本(ほ)呂(ろ)婆(ば)

久(く)爾(に)能(の)麻(ま)本(ほ)呂(ろ)婆(ば)
は、 kuni-nu mahu roba-tu と云うアッカド語のようです。
kuni-nu は器、mahu は荒れ狂う roba-tu は姫。
kuniが国となり nu は 乃、之の助詞となる。

荒れ狂う姫の国 が 久(く)爾(に)能(の)麻(ま)本(ほ)呂(ろ)婆(ば)
か?

 夜(や)麻(ま)登(と)波(は)は全てシュメール語、
夜(や)は 5と8、麻(ま)は家、登(と)は聖職者、波(は)は魚。

『やまとは』とは、魚(渡来人)聖職者の5と8の家。

私的にはシュメール語・アッカド語は10,000年前から列島で話されて言語ではないかと想像しています。


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上で
2006年5月18日 1:41:45 管理人
tomboさんお返事ありがとうございます。古事記、口伝の世界ですね。より古い記憶が語音にも残っているのでしょうか。古事記の歌謡の研究など、きっとまだまだ未解明な部分が多いですね。話題は上へ行っていますんで、そちらへ。


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5と8の家。
2006年5月20日 10:07:24 棘の紀氏
tomboさん5と8
「ゴ」の音の漢字【牛】(牛頭)・・スサノオ 【胡】(胡麻)・・・
【互】【▽+△】・・・「王」=五(吾=禹)と考えます。
【八】【癶】ハツ ハチ はねる(発ーとりい型)

【八】+【草冠】=【癶】
【八】【癶】=穴 門 鳥居 =【境】(胎内 子宮 の さかい)
【七】(北斗七星)+【T】=受胎+【壱】=【ウ冠+九】(究-ウ)
 
結論
【八】=子宮?(穴)  【五】=王 (宝) でしょうか?



移住地変遷
2006年5月7日 6:44:07 管理人
こんにちは。ようやく昨日の急性風邪から回復しました。下記書き込みできないのでこちらで。かわかつさんの秦氏=アメノヒボコのあたりのお話で、特に→大和→近江→播磨への拠点の変遷*増加?は興味深いですね。かわかつさんのブログhttp://white.ap.teacup.com/soudasui/
の「おそらく継体王朝の行った道」  古代史 「やや早計な判断になるが、有明海から、すくなくとも越前はつながった文化圏でしょう。継体天皇の越前地方、姫川、フォッサマグナ、そして越後から出羽という翡翠と金と弥彦伝承、海部氏、尾張氏、さらには穂積、物部、葛城、鴨が日本海ルートの潟湖や湾処でつながろうかと思えた。さらには秦氏が来た道の解明も進みそうである。」とのご指摘、日本海ルートから考察していくと、確かに近江を経由する意味がわかってくるような気もしますね。
瀬戸内から大和への視点を主体に考えると、どうしても越国や敦賀、近江の重要性はよく理解できないのですが、改めて日本海ルートの視点を重視すると、見えないものが、見えてくる、逆さにした世界地図みたいなものでしょうか!息長氏重要ですね。


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時々地図をひっくり返す
2006年5月7日 17:14:20 かわかつ
脳へ逆転の刺激を与える必要はあります。出石の学習館の資料展示室の入り口床に大きな日本地図がありまして、逆さに眺めていると日本海は狭いんだと気づかされます。
鹿児島からつながっているとも。今度、正八幡へ行かねばと考えています。


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最近の
2006年5月9日 11:21:26 管理人
博物館はほんとに、立体映像とかすごいですね。山梨にも似たようなのがあって、足で富士山の地図を踏みつけながら長野方面へあるいてみたりして、ゴジラになった気分でなかなか爽快だったりします・・・。視点を変える勇気、いつもどの業界で生きていくにも必要不可欠んですね。ある意味、日本書記の神武東征というのは、その神武とかヤマトタケルとかいうアイドル的な存在が、記紀を読む気にさせるのに、大きな動機付けを施すように役割を果たしていたのでしょうね。でないと面白くないから記憶にも残らない、読まない、伝わらない・・・とも感じます。そして実際そのアイドル的な存在が、事実を示していたかというと、ここで何度も熟読したい読者は視点を変える勇気が必要になるのですね。実はアイドルに過ぎなかったとか。それがわかって読者は、読む気がなくなったかというと、そうではなく、さらに事実を求めて繊細に自分流の方法を編み出して古代史研究をはじめたのが、中世以降の学者さんだったのでしょうね。そのうち、アイドル的な存在には興味をもたなくなって、自分が本来読みたかった一文にであう、でも実は最初からその一文を読みたいがゆえに、本を取っていたことに気づいていく、一見華やかならぬ、地道な影の部分へ視点の転換を無理やりさせられたように感じても、実はそこに自分の住処とお宝があった、アイドルにはようやく今になって存在意味がわかり感謝しているというのが、今の研究の現状ではないかと感じます。そういう意味では日本海は影ですね。華やかなキビ退治とは別に、流れつくところは、日本海ルートへ細分化していくのでしょうか。いや結局どんな世界や業界行ってもそういう流れにであうものですね。
ところで春眠暁を覚えずといいますが、紀氏さんはまだ休養ですか?



新曲
2006年5月5日 6:23:06 管理人
管理人です。トップページのテーマ曲についてですが、このたび教会の友人に編曲していただき、また最近相互リンクをさせていただたkaturaさんに作詞していただきました。編曲・作詞すばらしい出来で、本当にありがとうございました。和風と西洋風の融合、古代における愛の調べ・・・、びったりに仕上がってきたのに驚いています。もうすこし修正予定ですが、トップページにて新掲載させていただきましたので、今後ともこのテーマ曲でみなさんよろしくお願いします。


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^^;
2006年5月5日 14:59:34 かわかつ
う〜ん?


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感じが変わり
2006年5月5日 20:04:07 タックン
私はこっちの方が、個人的には好き?かもしれません。

ところで最近、変わった考古学書を購入しました。
「考古の社会史」という本で、三重大の小玉先生が自費出版の形で出されています。

この本で興味が沸いた理由は、考古学の発見史を三重県内の限定ではありますが、県内に起こった考古遺物・遺跡・古墳の発見、或いは発掘の成果などを年表形式で、11世紀〜20世紀までの出来事を網羅されており、またこの発見史から埋蔵文化財に対する取り扱い方などをや、文化財に対する認識などを訴えた好著です。
膨大な資料から、この書を書かれたのも傾倒に値し、今までの考古学書とは違い遺跡とは何かという問題を、この本を通じて考えさせられる本であると思います。

これまでの考古学書は、遺跡・古墳などの紹介通り一遍等に費やされて、文化財に対する認識などを盛り込まれていませんでしたが、この書はもうひとつ入り込んでこの見解に訴えていて読んでいて共感するところがありました。

この本で、三重県内の考古学の過去の実情、また考古の先人たちの研究成果などが通覧できるので、現在の遺跡の実情と照らし合わせて考えることができます。

自費出版という形なので、購入は松阪市の光出版印刷という版元に、興味ある人は問い合わせてみてください。


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アイデアと祈り
2006年5月6日 0:14:32 管理人
みなさんご視聴ありがとうございます。もうすこしアレンジが行われる予定です。なかなか西洋の弦楽器と東洋の弦楽器、どこかで接点があるのでしょうね。わたしのほうで勝手に、西洋弦楽器のアレンジで仕上がってきたのを、お琴の音に変えてしまったのですが、意外にによくマッチしているのは驚きです。詩のほうも、縦糸と横糸を織り成すような、時代を超えてきた愛の旋律の流れについて触れられており、まさに渡来人研究会の今年の新刊はレイラインの書紀条文の中にみえる「縦糸と横糸」と記されたラインを課題としたことがあり、奇しくもびったりと対応するよう、何もいわずにすぐに作詞くださったのです。これは「祈り」の世界の不思議のもようです。今後4〜5曲入りでのCD化も進めていますので、出来上がったときはお知らせいたします。
考古書でも発掘調査書というと、ひとつの遺跡でもたくさんある上に、しかもよくわからないというのが本音で、文献史学から引用するというよりは、それ以前によく理解するに至らないことが多いのかもしれません。地道な作業から基づく年表式などアイデア本でわかりやすいのがあるとほんとに助かりますね。
よいアイデアも導きもすべて祈りの中から「与えられる」、これが
秘訣かもしれません。ぜひ一日15分でもいいので、祈ってみてください。その日はきっと心が平安になり何かが変わりますよ。お勧めです。



生きて帰りました。
2006年5月3日 23:43:07 かわかつ
寒ーい日本海から帰り着きました。少ししんどいです。
明日、施設から父を帰らせたりしますので、報告はその後します。秦氏の名前入り木管が出石から出土していました。


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お帰りなさい!
2006年5月4日 0:08:10 管理人
その後どうなさったいるか、天候のこともあり心配でしたが、無事で帰られてほっとしました。またゆっくり休んで落ち着いたら、いろいろ探索お聞かせください。お疲れさまです。


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この旅で解明と反省
2006年5月4日 0:18:49 かわかつ
いずれ詳しくお話ししますが、実は不整脈が出ました。¥¥;
それで反省したことが。
仏教にせよ、キリスト教にせよ、融通無碍、すべてを許せることこそが信仰と混沌と、そして「和」なのだと気づきました。
紀氏さんにお詫びします。たまったものをはき出す治癒の旅だったと申し上げておきます。おやすみなさい。


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私もやっと終わりました
2006年5月4日 18:58:24 タックン
昨日遅くに帰ってきました。

やっと本来の休みになりそうです。
かわかつさん、お体は大丈夫でしたか?私も今ホッとして家で寛いでおりますが、休日明けの仕事の溜まっているのを考えると、ちょっと憂鬱になります。

まだ明日は天気が良いようなので、近場をちょこっと歩こうかな?とも思っておりますが、朝が起きられるかどうか・・・・


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記事ONブログしました
2006年5月5日 0:49:47 かわかつ
収穫の多い旅で日本人の来た三種の道を解明。http://white.ap.teacup.com/soudasui/
ご意見下さい。


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遺跡はすべて埋め戻し
2006年5月5日 1:37:55 かわかつ
新聞記事だけが証明する、日本海の呉越同舟と倭人海人葛城秦氏の同時存在はなにか都合が悪いのか早々に埋め戻されて、上に歴史学習館が立っていました。
とみたさんの記事の遺跡からは船のみならず、江田船山の魚から、国東の伊美鬼塚古墳の線刻鹿、鳥まで、まったくそっくりさんです。

今回はここ本来の渡来研究のための日本海ルート探索です。そこで九州線刻画古墳の断片と船の絵が出土。石棺は長持ち型。特殊な丹塗りです。屋根はドーム型。
どうやらここで江南系倭人と大陸系渡来人が出会っているようです。そして敦賀ではさらに葛城氏が関わっています。
言葉は今は関西弁ですが、漁師たちは関東アクセントの出雲〜新潟の「語尾延長型」。つまり「ね〜〜?」という終わり方をしますので、同族。これは地元の人に確認しました。
秦氏の名前入りの木管も!
江南型の耳飾りや、小さい鏡、線刻画は魚や鹿もあります。
北部九州の海人・宗像と八女・高良の武内宿禰、葛城・出雲、伊福部・大生部、そして最後に渡来人秦氏。
私のテーマがすべてそこにいました。
渡来を捜して江南倭人種に出会った祈念すべき場所です。
しかも出石蕎麦やカニなど食もいい。
絶対ここをお勧めします。学習環境もととのっているし、中世や近世の屋敷や山城もあり整備された散策観光コース。3日くらい滞在したらすごい発見が更に出そう。古墳もちゃんと見られるし。
さらに瀬戸内海えの途中には銀山にキャンプ場、福崎は徐福を思わせ、さらには銀山からは姫路へ一直線。瀬戸内氏族と日本海側からの氏族の融和と相克の歴史が直に感じられ、岡山吉備の桃太郎伝説、ウラ伝説にも通じる向地性集落。また柳田國男の生地も通ります。
アクセスもよく出石が断然おすすめ。いつかかならずここでやりたい。
こんな歴史の流れがわかりやすい場所はない。
最高です。あとは新潟に行きそびれたのが心残り。富山と新潟へ行けばすべての古代史がとけるのかも知れません。
興奮して、不整脈がますます過激に!!でも最高でした。死んでも行くべきですね。
http://white.ap.teacup.com/soudasui/


http://2004mmc-kawakatu.cool.coocan.jp/teabrake.html


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当方に数人の
2006年5月5日 2:41:57 かわかつ
研究者がレスして来られてます。古墳館の研究員、装飾古墳専科のブログ管理者、海外在住の歴史ファン、あるいは海外WIKIで海外の日本史研究サイトを覗いている人、などなどです。
ここの会員やタックンも含めて私は古代史のArt directorでありたいと思っています。つなぎ役。貼り絵師とも言えましょうか。
ですからここも「渡来人」を超えた研究会へとアップトウデートしていってもらえればいいなと思います。
もう私なんか、渡来の範疇を大幅に超えていますから、自分のサイトをむしろ新しい「文化人類学研究会」みたいなサイトにしていかないとダメだなと感じるんです。私なんかは渡来とか大和とか、古墳とか考古学とか民話とか言ってる場合じゃないんです。情報が大量に欲しい。化学知識も、神話学も、生物学も、それぞれ捜してきてください。私はもう旅の途中でも数人に名刺配ってますし、若い、興味ある人なら、横の席になった方にでもどんどん来るように言ってるんです。
もう渡来研究だけじゃ歴史はダメなんじゃないかって通説に感じますね。一つ一つで争ってる場合じゃないですね。細かい分析で納得できる、歴史的連続性、整合性、科学性が欲しい。
流れがつかめたら、もう細部は人に任せたいし、先へ行きたくてたまらない。排他的ではあっても、無用な付録は見てる暇がない感じです。おもしろくってたまらない。
ここも覗きますけどできればいい意見はうちにくる方を大事にしたい。


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一般向け
2006年5月5日 6:17:47 管理人
かわかつさん、不整脈で大変だったんですね。無事帰ってこられて本当になによりです。病気の回復をお祈りいたします。
報告ありがとうございます。敦賀というのは、本当に海文化と大陸文化が混じっているそうで、興味深いところですね。ぜひ、次回はの敦賀探索では、ご案内よろしくお願いします。
また、この研究会でも一般向けにオフ会を開きたいと考えています。ご指摘のようにいろいろな分野の方がいるようで、すこし人数が多めになってもご案内できるくらいの準備は日ごろからおこなっていきましょう。よろしくお願いします。いろいろな方が幅広く参加できるよう、研究会の仕組みも考えていかねばなりませんね。とりあえずMLの募集掲示トップページにしてみます。
あと、紀氏掲示板は、ちょっと紀氏さんにあわないようなので、一時削除いたしました。また紀氏さんのご要望に沿った感じでご支援いたしますのでよろしくです。


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お帰りなさい
2006年5月5日 8:22:38 とみた
かわかつさん 若狭と出石への旅、収穫が多かったようですね。

健康不安がおありのようでしたが、無事帰還された由。

本当に健康がすべてです。

私も、一昨年囲碁をインターネットで打ちすぎて、コシイタで危険を察知、それからはプールで水中歩行を続けています。かわかつさんもウォーキングを始められたようで結構ですね。自分の身体は自分で管理しないと危ない年齢だと思います。失礼なことを言うようですが、いつまでも若いと思っていますと危ないです。

私の知人も50歳前後で二人黄泉の国につれて行かれました。

健康があってこそ古代のロマンは楽しい。

また語り合いましょう。私は明後日は地元古代史会で古代中国とシルクロードの民というテーマで講師を務めます。すべてが健康あってこその楽しみです。


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講師ですか!
2006年5月5日 14:58:38 かわかつ
とみたさん、管理人さんありがとうございます。とみたさんついに講師ですか!ではとみた先生と呼ばせて頂きますか?
おかげで、アメノヒボコとツヌガアラシトの関係が見えてきました。
一度大和に入り、近江を抜けたからこそ近江の息長との関係が生まれるわけですね。日子坐王との血縁関係となり、そこから葛城高額姫となって再び血縁というドラマが創り出される。
アメノヒボコはその後、但馬へ。そして生野を超えて約束の地のはずだった瀬戸内の播磨を虎視眈々と・・・
なぜ最初から素直に播磨をもらわなかったのかが、これまた面白いですね。そこになんらかの在地勢力がすでにいたということか、あるいは日本書紀の記述に誤り、あるいは作為があったのか?
生野の銀山はおそらく新しい鉱山だと思うのですが、銀以外になにか鉱物があったとしたら古代からの採掘もありえますね。
渡来関連では秦部の木管が出ていますから、出石はまず秦氏=アメノヒボコだとしていいと思えますが、気比はどうなのか。
あそこは同じはたでも波多氏と表記。岡山と相模の波多野、波多波羅村とはどうなのか・・・また豊前の秦氏とは?
鹿児島の正八幡も重要です。


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生野銀山
2006年5月5日 15:10:50 かわかつ
秀吉時代、江戸時代の西日本銀本位に関係する大銀山で、私は子どもとキャンプしたことがあります。姫路の城となにかないか?
かつて東日本は金が流通通貨でしたが、西は銀。日本は二種類の貨幣が使われていたのご存じでしょう。
だから度量衡で統一したはずなのに、単位が東西で違う。
明治になってようやく井上準之介?の金本位制で統一。

また新潟にも銀山がありますが、銀山湖という有名な釣り場で、開高健が紹介して有名な大イワナが川でとれる。
「河は生きている」の碑が有名。
この新潟県もちょっと倭人系でして、となりの富山とともに越の国。ちりめんなどの渡来技術もあり養蚕も盛ん。
角栄さんで有名ですが、継体天皇関係と、鹿児島などの弥五郎どん信仰に関わる弥彦の神が祭られている。弥彦神社は気比の近くにも確かありますね?


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風邪
2006年5月6日 4:29:12 管理人
ほんと、健康なによりですね。先ほどは急に寒気に襲われ、参ってました。



古代船団但馬に現る
2006年4月25日 12:32:45 とみた
但馬、出石町の袴狭遺跡出土です。

出石はアメホボコゆかりの地。

古代船とどうゆうつながりでしょうか

http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki38.htm


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播磨国風土記
2006年4月25日 17:38:42 かわかつ
風土記ではアメノヒボコが出雲に入りたいというのを大国主が阻止して、もめています。海上に停泊したままにらみ合い、小競り合いをしたようです。
瀬戸内海を東に行ったあかる姫(赤留玉姫=大国主の娘下照姫?)を追いかけていたはずのアメの日ボコが突然出雲沖に出没するというのも、航海ルートがわからなくなる記述ですよね。
アメノヒボコは渡来人ヲ代表していますし、スサノオにもよく似ています。渡海者としての神格も持ち合わせています。

出石はアメノヒボコが最後に落ち着いた場所ですから、豊岡周辺の出石郡は一族の出身地で、孫の田嶋守もここから出たはず。
やがて葛城の姫と結婚し、その子孫が近江の製鉄集団で渡来系の息長氏と血縁し海の神・住吉大神を祭る神功皇后が生まれますね。
よく考えれば全員、船に関係しています。

そして神功皇后の遠征の痕跡を示す神社は、淀川沿いに秦氏の京都城南宮、藤森神社、御香宮へとつながっています。
それこそ秦氏の来た道でしょう。


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アメノヒボコ
2006年4月25日 22:45:42 とみた
@アメヒボコは、垂仁天皇にあったとき播磨の宍粟邑を与えるのでそこに住めという申し入れを断って、宇治川を遡り近江国から若狭の国を経て但馬の出石に定着した。

A播磨国風土記に・・・播磨の宍粟郡岩鍋=今の千種町の東方にある伊和町の伊和神社(=播磨一ノ宮)の伊和の神はアメヒボコと絶えず土地争いをした。

この伊和は岩すなわち硬いもので金属(鉄)と関係しているのでは(谷川健一)

Bアメノヒボコの曾孫清彦という人物がアメノヒボコがもたらした宝物を天皇に献上したが出石という名の小刀だけ出さないでころものなかに隠していた。

しかし、酒を勧められたさい、それがころものなかから現れてしまった。もはや隠しおおせず天皇に献上して神府(ミクラ)に納めた。〔日本書紀)

ミクラは石上神宮の倉庫。
アメノヒボコー息長ー石上との結びつきあり。


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若狭湾
2006年4月26日 6:47:19 管理人
但馬・若狭湾と越と、継体とのつながり、ご指摘アメノヒボコー息長ー石上の関連を考える上でも、もうすこし調査せねばなりませんね。



新メーリングリスト募集
2006年4月24日 0:21:00 管理人
このたび新メーリングリスト作成しました。研究会のイベント・オフ会や会報・新刊・著作関連の情報を流す予定でいます。また、自由な意見交換もお待ちしておりますので、メーリングリストへ参加ご希望の方は、氏名とメールアドレスを管理人までメール下さい。
メールアドレス
rg1h-smed@asahi-net.or.jp
よろしくお願いします。


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参加します
2006年4月26日 10:20:44 とみた
管理人さん、私も参加しますので、よろしくお願いします。

いろいろなチャネルでワイワイガヤガヤやりたいのであります。

新MLのアドレスを教えてください。


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あれ、
2006年4月26日 19:01:02 管理人
すでにとみたさん新MLに登録してありますよ。旧MLと似たような名称なのでもしかすると気づいていさっしゃらないのかもしれません・・。あと、紀氏さん休養とのことです。休養も立派な選択肢ですから、みなさんも、がやがやたりたいときはそうなされて、休養されたいときはまた自由にそうなされてくださいね。ではでは。


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