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第2回渡来人研究会オフ会(奈良・枚方 ) 05.11

去る11月17日から20日にかけて、第2回渡来人研究会のオフ会を開催いたしました。みなさん遠いところからお越しくださりありがとうございました。みなさんとの探索・分かち合いの中で新たな論点が多く出てきており、今後のみなさんの研究に期待しています。

今回は私が広島の仕事出張などがあり、いろいろ右往左往した結果、17日から3日間ほどの開催となりました。17日、京都駅でかわかつさんと私が待ち合わせしてオフ会がはじまりました。そのまま近鉄奈良線で奈良方面へ抜けて石上神宮へ向かいました。駅前からタクシーで石上神宮行き、本殿とその背後にそびえる布留山および祖のふもとの摂社出雲健雄神社、猿田彦神社等を見ました。もともと物部氏の本拠で、石上振神宮、石上布都御魂神社とも呼ばれたそうで、七支刀など数多くの神宝が格納されていたとされます。

その後、タクシーの運転手さんにお任せして、南下、大和神社へ。大和神社は、奈良時代以前から有名な豊穣や雨乞いと関連し、大和の豪族、大和忌寸氏が祭祀を担当していた神社とは聞いてました。実際行ってみると、神社としては珍しくまったく平坦な土地に立てられており、大和国魂大神、御歳神、高お神をまつっているのは豊穣・雨乞いとの関連でうなづけました。そばには多くの古墳があり、古来からの信仰の拠点だったのでしょう。

その後さらに南下し、黒塚古墳へ。そばに博物館があるのですが、黒塚古墳の石室とその内部の様子が再現されています。長大な石室に多くの鏡が並べられている姿は、そうとうな権力者と見受けられるものでした。それから、運転手さんの提案で奈良一面を見渡すことができる倭笠縫邑の桧原神社へ向かいました。そうとう山道を登っていくのですが、桧原神社に入るとすぐに大きな注連縄のかかった二本に分かれた鳥居に驚かされ、さらに、山を背後にして鳥居が三つ並んで構成される三輪鳥居をはじめてみて感動しました。なぜ三つなのか、三輪の名前を想起させるものでしたが、謎が深まります。この神社からは、畝傍山、香具山、生駒、葛城など、万葉集にも歌われた多くの奈良の山々を見渡すことができ、貴重な場所であります。そして大神神社へ。さすがに全国の三輪信仰の拠点だけあって大きな神社でありますが、また背後の三輪山へ登ることもできるそうですが、今回は時間がないのでやめて、そのまま近鉄線に乗り、枚方市駅そばのホテルへ向かいました。

そこで、紀氏さんとはじめての対面を果たし、そばの飲み屋へ向かいました。紀氏さんの印象、掲示板では予想もつかない奇抜な発言からどういう人が出てくるのかと思っていたのですが、やや太めで大柄な思ったより快活なしっかりした方が出てきて驚きました。その後、紀氏さんの奈良盆地の測量地図などをみながら、改めてここで紀氏さんのここ数年のレイライン理論をやっと理解できた気がしました。しばらく楽しい時間をすごしてから、ホテルに帰りました。

翌日は朝から食堂で会い、どこへ行くかを相談し、京阪交野線で南下し、磐船神社方面へ向かいました。河内守駅で降り、かわかつさんの先導でまず天田神社へ。このあたりは由緒によると、肩野物部氏の支配地で、推古天皇の時代に、天皇に土地を謙譲し、それがもとで私市部となり、いまでも私市の地名が残っているそうで、禁足地だったそうです。平安時代に入り、貴族の七夕信仰にちなんで、天の川、甘田から天田となり、そこから河内磐船駅に戻ってタクシーに乗りました。タクシーの運転手さんのご案内に従い、近くの星田妙見神社へ行きました。この星田妙見神社は弘仁年間に、空海が獅子の岩屋に篭って修行したことに始まるそうですが、非常に小高いところにあり、3人とも息を切らして登りました。本殿からは、はるか生駒山や葛城まで見渡すことができ、星を仰ぎ信仰するのには、うってつけの場所でした。そしてやはり本殿には大きな磐が祀られており、岩への信仰形態をみることができます。その後、タクシーで岩船神社へ山道を登って行きました。物部氏の祖ニギハヤヒを祀る磐船神社は谷間の小川のそばにひっそりとたたずんでいたのですが、大きな岩と岩とが重なり合い、まさに岩石信仰のメッカとして絶好の場所でありました。そして大岩と大岩の洞窟のようなところを3人で潜り抜けていくと、奥に小さな祭祀場があり、かつて千数百年前に物部氏らがここで祭祀をしたであろうと想像すると、不思議な感覚に襲われました。なんとかかわかつさんの先導で、無事3人、帰還することができ、その後タクシーで戻って、機織神社へ行きました。この機織神社も当地の天の川信仰の拠点のひとつで、どこか足利市の織姫神社と雰囲気に類似性を感じたのですが、不思議なことに運転手さんの親戚の家系がここの神社と関係が深いそうで、ともかくこの運転手さんに詳細をお教えいただき当地をご案内いただいたのは、まったく正解で、感謝しております。

その後、駅前で食事をしてから、私のわがままで伏見稲荷をまたかわかつさんにご案内いただくことになりました。バスで枚方市駅へ戻る最中、運転手さんからお聞きしていた百済王神社をとおりました。かつてこの神社周辺から枚方方面まで、河・海だったそうで、微妙に坂の上にあるこの神社と百済からの亡命王族を祖にもち、桓武天皇の母を出した百済王氏の拠点が、なぜ川沿いにあったのかなど、想像膨らむところであります。

枚方市駅からかわかつさんのご案内で京阪などで伏見方面へ行き、伏見稲荷へ。はじめて千本鳥居をみて、ようやく地方の稲荷社がどうして鳥居が重なっているのか謎が解けたという無知さをしみじみを感じさせられたのですが、稲荷を上っていくのはなかなか一苦労でした。ここが秦氏の拠点であると同時に各地の稲荷信仰者の総合拠点で、また修行者の拠点であったのであろうと感じました。ここにもやはりきれいな石英質の大岩が信仰されており、岩石信仰と、渡来系秦氏とのかかわりがどう癒合したのかを考えさせられました。だんだん霧もたちこめてきて、まさに狐に化かされるような感じの独特の雰囲気を味わいながら、下山して、お店ですずめの丸焼きを食べました。なぜここですずめを食べるのかと聞いたら、お店の人によると、稲を食べるすずめを退治することを意味しているそうで、なるほど納得。

その後ホテルに戻り、とみたさんとひさしぶりの再開をして、近くの飲み屋へ。そこでたっくんさんとも合流しました。独特の京都なまりと繊細で秀才肌の雰囲気を持つタックンさんの奈良周辺から各地の古墳にいたるまでの詳細な考古知識と体験談、そして特に横穴墓に関する大胆な新説に、ずっと聞き入ってしまい、今後もいろいろお話聞かせていただきたく感じています。そして、二次会でのとみたさんの中国各地での体験談から、紀氏さんの中国論、かわかつさんの批判的視点から、海人論まで、みなさんとの楽しい論議の数々は忘れられない思い出となりそうです。

翌日私は仕事の件もあり広島方面へ。京都駅までみなさんとご一緒しお別れしました。その後のオフ会後半では、奈良、飛鳥方面へ行かれたそうで、姫さんのご参加もあり、とても有意義な時間をすごされたようでうれしい限りです。オフ会後半の詳細報告はかわかつさんのHPにて・・・。また、その後私は吉備、四国方面を巡り歩きました。詳細は、吉備、四国探索ページへ。