はじめに
僕がこのジャッドという名の人々に興味をひかれたのは、さかのぼると、「カラカウア王のニッポン仰天旅行記」を手にしてからです。明治時代に日本を訪問したハワイのカラカウア王の随員の一人、C.H.ジャドはその写真こそ紹介されていますが、ハワイ王朝における役割がどのようなものであるか、本書ではあまり説明されていませんでした。(後に丹念に読みなおすと、ジャドに関して参考となる記述がそこここにあるのに気付くのですが、当時は単なる脇役としてしかとらえていなかったのです。)
次にジャッドという名に出会ったのは、「THE JOURNAL OF PRINCE ALEXANDER LIHOLIHO」 という本でした。カラカウア王の世界一周旅行にさかのぼること三十数年前の1849年に、後にカメハメハ四世、五世となる若い王子兄弟が、イギリス、フランス、アメリカをめぐる旅に出ています。この本はその際の王子の日記なのですが、随員として(いや、実際は王子たちがお飾りだったのですが)G.P.JUDDという人物が出てきます。恐らくジャッド、もしくはジャドと読むのでしょう。
同じ姓をもつ人物が同じように王、王子の随員として世界をめぐる。ひょっとして血縁関係があるのだろうか?。ハワイ王朝にてどのような役割をはたしたのだろう?興味はつのるばかりでした。
手持ちの本を片っ端から探してみました。ジャッド、もしくはジャドという名前は出てこないだろうか?すると、ハワイの歴史、日系アメリカ人の歴史の道標となるような事件、事柄になにかしらジャッドという名前の人物がからんでいるのに気付きました。どんな人物なのだろう。そしてどのような関係をもつのだろう。それらをまとめたのが、このページですが、気がつくと1800年代の前半からハワイ州成立までの歴史をポイントポイントで眺める結果となっていました。
ひょっとして専門にハワイ史を研究なさっている方からみれば常識かもしれません。もしより詳しい知識をおもちの方がいらしたら、ご教示願えれば、ありがたく思います。
おことわり
参考とした書籍では、ジャドという呼称が混在していましたが、このページではジャッドと統一しています。
ここで取り上げている事項、記事はすべて書籍からの引用によります。もちろん、誤りがある場合は私の責任です。特に洋書からの引用については自分の能力を超えた部分であり、も一つ自信がありません。興味を持たれた方は参考図書の原著をあたられることをお勧めします。
それから、ここで取り上げているエピソードからその人物像を判定しないようお願いします。
例えば、G.P.Juddはハワイのアメリカ化を推進した人物として負の評価をする人たちもいます。ここでは取上げていませんが、イギリス寄りの姿勢を示した若き王が早死にしたのをG.P.Juddが毒をもったせいだ、と示唆する記事をWEB上で見かけたこともあります。(僕は信じていませんが)
また、その子孫を排日論者と決め付けるのもやめて下さい。ハワイという土地で、ある程度の地位にある人が日系人のからむ事件に関係するのは仕方のないことです。こういう血生臭い事件にスポットがあたると、それ以外のエピソードは無視されがちです。排日的行動があったとしてもそれは当時の白人社会の意識を代表しているものと捉えてください。(自分のまわりに文化、言葉の異なる人々が多く生活していたら公正な態度を取り得るか、自分も自信はありません)
たとえばマシイ事件などで当時のジャッド準州知事は悪役になっていますが、当時の本土からの圧力を考えると、ハワイ自治権を守るための最後の手段だったかもしれません。真相を究明すべく探偵社に調査を依頼したことも評価すべきでしょう。
ジャッドという名前をキーワードに事柄を並べた結果、随分と血なまぐさい、後味の悪い出来事ばかり並んでしまいました。これをもって何らかの陰謀などがあったと言うつもりはありません。ハワイの要職に付いたのがある一族であったというだけであり、それをとおしてハワイの歴史の様々な見方を学んだと思っています。また、漂流民から日系移民、ハワイ王朝の歴史まで幅広い本を取上げることができたのもジャッドという人々のおかげでした。
強いて意味付けするならば、歴史的、宗教的に共通の背景を持つであろう人々を通して、その態度の違い、関わった事件への関わりを定点観測したようなものです。その時代の空気と流れを少しは理解できたような気がしています。
いずれにしろ彼らに対する歴史的な評価は、ハワイに住む人々(先住民、日系アメリカ人など)が下すべきであり、傍観者である僕が下すものではありません。
このページを読んで頂いた方も同様に、ハワイの歴史に関する道標として捉えて頂くようお願い致します。