建造当初貨物船として就航した檜山丸は松前丸、津軽丸の引退に伴う旅客船の不足から貨客船として改造されました。松前丸、津軽丸が引退した時代にはもう青函トンネルが現実のものとして近づき、新造旅客船を建造するよりも比較的船齢の若い檜山丸、石狩丸に白羽の矢が立ったのです。しかしながら旅客改造された部分にはグリーン船室、寝台船室などは設けられず、普通客室のみだったため人気としてはいまいちであくまで旅客船のサブとしての立場でしか運用されませんでした。青函連絡船としての活躍を終えた後、檜山丸は財団法人少年の船協会に買い取られ少年の船21号として使用されました。その第2の人生を歩みはじめた頃に東京の芝浦に寄航したことがありました。その時の風景です。外観は檜山丸とほとんど変わらず青函連絡船当時の雄姿を思い出すことができました。
現在は21世紀号としての使命も終え次の道を歩んでいるはずです。
北海道旅情報巻頭 3-11.青函連絡船資料館