メモリアル道立青函トンネル記念館



青函トンネルの北海道側の工事基地としてかつて福島町は賑わいました。そして昭和51年、そんな福島町の町の中心街に道立青函トンネル記念館はできたのです。記念館ができた当初は年間約4万人が訪れましたが昭和63年に念願であった青函トンネルが開通した後、歳月の経過とともに入場者数は減少し、約2万人に低迷した中で平成14年10月末日をもって29年の歴史に幕を閉じ閉館しました。このような博物館機能を有する施設は決して入場者数の減少による収入の減少だけが閉館の理由にはなるべきではないのですが、道の厳しい財政事情の中、見直しの対象になったのです。

今後建物は解体され、新たに町の施設がこの地にオープンします。まだ詳細に関しては方針が固まっていないところもあるようですが、青函トンネルの記念館の展示内容もその施設には展示されることになりそうです。開館予定は平成17年度、それまでの間、展示品は見ることができないようです。

青函トンネルに関する施設は本州側の三厩町にも青函トンネル記念館があり竜飛海底駅と連絡したケーブルカーも含め、たいへん楽しめる施設です。



道立青函トンネル記念館は建設当時に開館施設ということもあり焦点は青函トンネルの工事にあてられています。

記念館の入り口には入場券にも刷り込まれたトンネルボーリングマシーン(TBM)の模造品が展示されていました。本物は実際にはこれ以上の大きさがあったのです。その後トンネルボーリングマシーンは第2東名高速道路の長大トンネルにも使われ、トンネル掘削にはなくてはならないものになっています。

また施設にはトンネル内の様子を再現した展示もありじっくりとまわることが必要なものでした。


青函トンネル建設当時は先進導坑の入り口があったため工事基地として栄えた福島町には残念ながら青函トンネルの正式の入り口はできませんでした。福島町と知内町の町境のほんのわずか知内寄りに青函トンネルの入り口はできました。そして初めての地上駅も知内町にあるのは福島町としては残念でならないでしょう。

青函トンネルの北海道側の入り口は地上に出た後すぐに第一湯の里トンネルの突入します。そのため青函トンネルの入り口は一般的には第一湯の里トンネルの入り口ということになっているようです。知内町の案内する北の玄関口もその第一湯の里トンネル入り口を示していましたし、国道228号の脇にある不思議な青函トンネル展望台の矢印もその入り口を指し示していました。

北海道旅情報巻頭  9.アラカルトレポート
メモリアル道立青函トンネル記念館