スイスの現代音楽から
〜チューリッヒ・カンマーゾリステンの名演〜

 チューリッヒに1981年に創設されたチューリッヒ・カンマーゾリステンは、創設以来ベルギーのアーサー・ハインツ・リリエンタールの指揮の元、活動してきたそうです。13名のスイスの音楽家より成り、大変優れたアンサンブルを聞かせるグループです。リリエンタールはミラン・ホルヴァート(あの「復活」の名演、聞きました?)の弟子で、ミトロプーロス国際コンクールに参加したこともあるようですが、他にこれといってキャリアはないようです。(GALLO/CD569)

 さてこの室内楽団のCDをインターネット(いつものCD−NOWです)で購入して驚いたのは、実に瑞々しいアンサンブルで、とても良い演奏だったからです。
 ライナー・ノートには創設三年目の1984年に、チェコのプラハ音楽祭で大絶賛を受けたとあり、このCDもそれから五年以内に録音されたもので、チェコでのスタンディング・オーべーションも「なるほど」と思わせる出来であります。

 このCDは、ミグロの支援で作られたようで、スイスの作曲家による作品が三曲入っていました。こういったことをあのスーパー・マーケットがやっているのですからね。日本なら、ダイエーやイトー・ヨーカドーが田中カレンさんのCDを作るようなものでしょうね。こういったことができてこそ、本当に一流なのでしょうね。何しろ絶対に儲からないことだけは確かなのですから。
 文化を育てるということに対するスイスの一企業の取り組みを知れば、「文化の無い国」なんて笑う日本人こそ笑われなくてはならない存在であるということになります。もっとも、日本にもサントリーの佐治氏やヤマハの川上氏、ソニーの大賀氏といった素晴らしい方々はいるのですが、もっともっと広がっていってくれればと思います。とは言え、この不況じゃねぇ〜。

 おさめられた作品は、アルフレッド・フェルダーの弦楽オーケストラと打楽器の為のメタモルフォーゼン。
 作曲者のフェルダーは、1950年ルツェルン生まれ。ルツェルン音楽院でチェロと作曲を学び、更にザルツブルクのモーツゥルテウム音楽院でチェリストとしてのディプロマを得、ルツェルン音楽祭室内合奏団などでチェリストとして演奏しつつ、ソリスト、そして作曲家としても活動している人であります。
 大変古典的な作風を持ち、途中で作曲者自身のチェロのソロも聞くことができますが、チェロ協奏曲というより、合奏協奏曲というところでしょうか。もう一曲、同じ作曲家による弦楽オーケストラのための「…pasar por la calle…」は、パッサカリアで書かれていて、古い音楽形式に興味を持つ作曲家であるようです。
 ちょっと聞いた感じではバルトークって感じですかね。対位法を屈指した作品というだけでなく、曲調がよく似た感じです。ただマジャールの血がごっそり抜け落ちているだけ(当たり前か・・・)です。
 
 そしてあと一曲は、1932年にベルンに生まれたクラウス・コルネルの作曲した、弦楽オーケストラの為の四つの楽章「Widerschein」です。 
 コルネルは、ベルン音楽院、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院で学んだ後、1955年 Award of the state Austria を受賞。バーゼルやゲッティンゲンでオペラの作曲をし、更に1961年にはドイツ・グラモフォンのComposer in residence(うーん何と訳せばいいのでしょう。専属作曲家とでも言うのでしょうか)、スイス・ラジオの重役となっています。1971年から1987年の長きにわたってスイス・ユース・オーケストラの首席指揮者でもあり、1983年からはシャフハウゼン音楽院のディレクターの地位にあるそうです。
 フェルダーの作品に対して、ずいぶんよく練り上げられた作品と思います。フェルダーの作品にはどことなく粗削りのままの部分が残されているのに対して、コルネルの作品は、細部まで彫琢を施された工芸品の様な趣があります。
 曲は四つの楽章からなり、それぞれの楽章に対して1) 「凍りつく暗やみは、未来の生の源を内包する」、2) 「真冬のフェスタ〜夏を魔法で出す古代の儀式」、3) 「別れの音楽」、4) 「常にそして突然に再生する」と意味深なタイトルをつけた楽章は、宗教的祈りにも似た世界を持ち、広がりのある世界を表現しています。
 第一楽章は短いフレーズを積み重ねて、単調な暗やみを表現しつつ、その中に蠢く新しい生の萠芽をゆったりとした歩みとして表現しています。
 第二楽章はスケルツァンド風にも聞ける作品で、フェスタのにぎやかな雰囲気もよく出ていて、その中に第一楽章の響きが聞こえてくるといった、とても面白い楽章です。おそらく静かな部分が古代の儀式を表現しているのかも知れません。
 第三楽章は緩徐楽章で、「別れの音楽=葬送の音楽であります。このあたりになると、アルヴォ・ペルトの有名なブリテンに捧げたエレジーなどの鮮烈な慟哭を静かな歩みの中に封じ込めた美しすぎる音楽などと比較してしまい、ちょっと物足りない思いです。これはこれなりに良いのですが・・・。
 終楽章は、第一楽章のアンチテーゼのようで、調性と雰囲気を変えての変奏のような感じでしょうか。大変ゆったりとした楽章で、前の楽章との対比感として、かなり弱いものを感じさせられます。
 四つの楽章、全部で20分足らず。もう少し聞きたいなと思わせる作品です。ちょっと不完全燃焼気味かなぁと思ったりしますが、よく考えられた作品であることは事実です。

 演奏のチューリッヒ・カンマーゾリステンの丁寧な演奏と共に、ぜひスイス好きの、近代音楽好きのみなさんにお薦めしたい1枚です。ミグロがバックアップしての1枚。これが核となってミグロのオリジナル・レーベルができたのでしょうか。スイスって国は小さいながらも、なかなかやるもんですね。