トゥーンとブラームスと夏休み

 ベルナーオーバーラント地方の観光の拠点であるインターラーケンのヴェスト駅(西駅)の裏からトゥーン湖を船に乗ってのんびり古いお城のある町、トゥーンに行ってみましょう。いいですよね。この路線。電車で行っても別にいいんですが、紺碧の湖水をゆく静かな船旅もまた、スイス旅行の大いなる楽しみであります。
 インターラーケンにはメンデルスゾーンが泊まったというホテル・インターラーケンもあり、古くから観光の町であったようです。チーズ工房や、カジノ、広い広い公園に馬車の遊覧もあるインターラーケンのオスト駅(東駅)とヴェスト駅を結ぶ目抜き通りは、八月一日のスイス・ナショナル・デーには楽しいパレードが行われます。
 そんなインターラーケンからとりあえずトゥーンへ向かいましょう。シュピーツの湖畔の古城のそばの船着き場を出ると、まもなくトゥーンの町に着きます。
 この小さな町を、作曲家ブラームスが大変好んだそうですが、なんとなくわかる気がします。高台のお城とアーレ川の河畔の道の間にはブラームスの小道という名のついたプロムナードとなっています。
 旧市街に入ると、道路と歩道が二重構造になっていて、歩道の下にも店舗があったりして、他の町では見られることのない光景に目を奪われます。
 一九九七年はブラームスの没後百年というアニバーサリー・イヤーでしたので、ブラームスゆかりのトゥーでも、いろいろ催し物もあったようです。

 ブラームスという人は夏、避暑に行くことを特に好んでいたようです。シーズン中は楽友協会監督として多忙を極め、夏の間ウィーンを離れて作曲するのが習慣となっています。行き先は、ザルツブルク近くのバートイシュルやウィーンから南に行ったペルチャッハ、そしてスイスのチューリッヒの近郊とベルナー・オーバーランドの湖畔の町、トゥーンがお気に入りだったようです。
 夏休みの作曲というのは、演奏家としても多忙を極めていたマーラーなどもそうした習慣がありましたね。
 トゥーンに滞在するブラームスに、トゥーンの町の人々は町をあげて歓迎したそうです。そしてブラームスは、トゥーンの町をを散策しながらピアノ三重奏曲第三番やチェロ・ソナタ第二番、バイオリン・ソナタ第二番、そして名曲中の名曲、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲などの創造の日々を送ったのです。

 ブラームスは、高台にあるお城からアーレ川畔にかけての道がいつもの散歩道だったそうで、お城の中庭にもそのようなインフォメーションが出ていました。
 歩いてみると市街が一望できるだけでなく、ベルナーオーバーラント三山などの白銀の山々が遙かに望め、下って行くと市内を流れるアーレ川の美しい水面を眺めて散策するという、実に雰囲気のある散歩道でありました。
 これらの散策をしながら楽想を紡いだブラームスは、すでに晩年の様式に達していました。伸びやかなメロディーに深い憂愁を湛えた作品の数々は、ある種の透明感を持っているように思います。まるで、スイスの澄み切った大気が広がっているようです。