サン・モリッツ〜音楽家たちの夏休み

 今回は、音楽家たちの“夏休み”についてです。今世紀を代表するかどうかは知りませんが、確かにすごい存在だった指揮者の“帝王カラヤン”はみなさんもご存知でしょう。彼がベルリン・フィルの音楽監督になり、ウィーン国立歌劇場の音楽監督の職と兼務していた頃のことです。
 1964年ウィーンの職を辞したカラヤンは今度は自らの故郷、ザルツブルクの夏の音楽祭の音楽監督を引き受け、順風満帆「世界の音楽監督」への階段を登っていました。

 60年代のカラヤンは、そういう活力にあふれた仕事ぶりで、確かに魅力のある演奏をしていました。対して、アンチ・カラヤンが生まれたことも事実ですが、そういう層ができるほど、スゴイ存在だったことも事実です。
 この頃、彼はスイスのサンモリッツに別荘を購入しています。そして忙しい合間、自家用ジェットでサンモリッツに来て、休養したそうですが、そこにベルリン・フィルのメンバーを呼んで、録音を行うようになっています。

 はじめてのサンモリッツでの録音は、バッハの管弦楽組曲第2番と第3番、そしてブランデンブルク協奏曲全曲でした。直前までザルツブルクでウィーンフィルとのR.シュトラウスの歌劇の本番を終え、すぐサンモリッツへと飛んだ彼は、翌日からベルリン・フィルの首席奏者達とバッハの録音に入ったのです。

 録音場所はHotel La Reine Victoriaの室内楽用のホールです。CDのジャケット等にはヴィクトリア・ザール等と書かれています。今はそのホテルがどうなったのか、私は知りません。前にサンモリッツに行った時、探してはみたのですが、全然、さっぱり…。後に教会を借りて、録音されるようになったので、ホテルは無くなったのかもしれませんね。

 この後、1972年のモスクワ演奏旅行の前に、ヴィヴァルディの「四季」とストラビンスキーのバレエ音楽を録音したのを最後に、この“サンモリッツ夏休み録音”は終わります。
 あの誇り高いベルリンの音楽家達を、夏の休暇中にサンモリッツに呼び付け、録音をするというのも、カラヤンの権力が当時どれほど絶大だったかを知る手掛かりになります。一方、呼ばれた、ベルリン・フィルのメンバーもきっと家族連れで、結構楽しんで録音に付き合っていたのではないでしょうか。

 セガンティーニ美術館の前のオリンピック記念碑のところから、ヨットの帆が白く浮かぶ夏のサンモリッツ湖を眺めながら、かつてここで、鳴り響いた音楽の数々のあの溌剌とした演奏の記憶が甦って来たものです。
 芸術の秋、そんな音楽も聞いてみてはいかがですか。