またスイス人はカトリックなりプロテスタントなり、大変信心深い人たちですよね。今でも「神や聖人たちへの祈りの呼びかけ」であるベトルーフというものが行われていて、そこから発展したともいう人がいるそうです。ナトゥア・ヨーデルという歌詞のない詠唱的なヨーデルにその山中での連絡手段だった時代の名残があるのではないでしょうか?
シュヴィーツ・ヨーデル、シュトルベル山のヨーデル、アルニグラート・ヨーデルと山に関係した曲名をいただくナトゥア・ヨーデルの名曲といわれる数々に、そういった連想をさそうだけのものがあります。なんとかベルクやら、なんとかグラートといった山の名が付くのも面白いですね。
観光が発達し、祭りの場だけでなく、観光客向けのヨーデルが主流になったとは言え、本来は生活に密着したものとして発展したはずです。
昔、ラウターブルンネンからミューレンに戻る途中、グリュッチュアルプの駅で何やら向こうの丘で煙と美味しそうな臭いがして、フラフラ引き寄せられるように行くと、何やらお祭りらしく、屋台が出てビールやらヴルストやらが売られていました。
ついそのにおいに引き寄せられ、辺りに急ごしらえで置かれたバランスの悪い椅子と机で、焼きたてのヴルストを肴にビールを一杯ひっかけていると、ステージらしきところに黒地に刺繍を施した民族衣装を身につけた男性十名あまりが出てきて、素朴な(というかそんなに上手くない)ヨーデルを歌い始め、二曲か三曲やったあと、例のアルペン音楽のバンドが三人ぐらいだったと思いますが、出てきて演奏をはじめ、辺りの人たちが、カップルになってみんな踊り始めたのです。
スイスの普通のお祭りに参加した気がして、その暖かさ、気持ちの良さにいつまでも思い出に残っております。その時の歌も、ナトゥア・ヨーデルでしたねぇ。
しかし、こういうのをツォイエリというのだそうです。誰かが自由に歌い出して、それに周りの人たちが適当に和音を合唱で加えていくといったもので、楽譜にされることのほとんどないものだそうで、その時、あまり上手くないな、と思ったのもそういう背景を知らなかったからだと、後になって知りました。
一人が歌い始めて、次に和音がついて繰り返す様子が、問いと答えのようでありました。和音が単純なのは即興で団体が一斉にやるから単純なものでやることに決めておかないとできないからなのですね。
恐らくは、音楽的に優れたメンバーで、よく集中してインスピレーションがうまく音になっていった時には素晴らしいのでしょうね。そしてそれが記録されることがほとんどなく、響き出したその空間に消えていくというのも、何かロマンチックであります。
このナトゥア・ヨーデルから、色々な歌詞付きの歌曲としてのヨーデルが発展したのでしょう。いつもインスピレーション豊かな音楽的な能力の高い人ばかり揃うとは限りませんからね。
建国記念日にお祭り騒ぎの前に、このヨーデルとアルプ・ホルンが響き出すと、荘重な空気が流れはじめます。こう考えるとこのヨーデルは連絡手段だったのではなく、宗教的な儀式の一部だったのではとも思えてくるのですがね。
いかがです?少し、ヨーデル音楽について関心を持って頂けました?
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