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第二番の交響曲は弦楽合奏のために書かれました。1936年にスイスの音楽界の大立者の指揮者パウル・ザッヒャーが自身が創設したバーゼル室内管弦楽団の創立十周年を記念して委嘱したものでしたが、作曲ははかどらず、五年の歳月を要した後、1941年に完成し、ザッヒャーの指揮で翌1942年5月にチューリッヒで初演されました。
主にこの作品は、第二次世界大戦のまっただ中のパリで作られました。ナチの軍靴の音が高らかに響くヴィシー政権下のフランスはパリで、彼はまず第二楽章の「メスト」(=悲しげに)を書き上げたそうですが、彼自身の言葉によると「時折絶望的に響く憂鬱な楽曲」であるそうです。根っからの平和主義者であったと思われるオネゲルの心中はいかばかりであったことでしょう。 |
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