トーマス・フューリとカメラータ・ベルン

 ベルンをはじめチューリッヒ、ローザンヌ、ルツェルン、グシュタートといったところには、素晴らしい室内合奏団があります。ローザンヌのように古楽の音楽祭によって更に発展し、コルポという名指揮者を得て規模も大きくなってきたところもありますが、グシュタートやルツェルンのように音楽院やアカデミーの先生と卒業生を母胎に創設されたばかりの団体もあります。(ローザンヌもその音楽院が母胎となっています。あそこのチェロ科はいいそうで、私の知り合いも留学しています)
 その中で、カメラータ・ベルンは一九六三年にアレクサンダー・ファン・ウィンコープをリーダーに十三人の弦楽奏者で結成されました。
彼らが、ヨーロッパの田舎合奏団から、メジャーに躍り出るには時間はかかりませんでした。初来日は一九七四年ですから、その前からアメリカ・ツァーを実施したりとかなりの名声を得ていたのも事実でした。しかし、一九七九年、リーダーにトーマス・フューリが就任してからは、ドイツ・グラモフォンと契約し、新しいCDを矢継ぎ早に出し、世界的な名声を手にしました。

 レパートリーもバロック音楽から、現代に至るまでと広く、そのアンサンブルの堅実さと適応性の広さで評価は大変高いものがあります。ホリガーとの共演をはじめ(彼の師ヴェレシュの作品をホリガーの指揮カメラータ・ベルンの演奏というなかなか素晴らしいCDもあります)ギターのセイシェルとの共演なども良い録音ということで記憶にのこります。

 さてリーダーのトーマス・フューリについても少しお話しましょう。
 ベルンの音楽一家の家庭に生まれた彼は、ベルン大学でロスタルについてヴァイオリンを学んでいます。ロスタルと言えば、往年の大バイオリニスト。いつかこの欄で紹介したいものだと思っていますが…。
 このロスタルやルツェルンのシュナイダーハン、あるいはシオンのティヴォール・ヴォルガ、ヴィンタートゥーアのペーターリバールといった大バイオリニスト達が、戦後のスイス楽壇における要を育て上げたといっても過言ではないと思
います。

 さて、フューリはベルンでロスタルについて勉強した後、ニューヨークのジュリアード音楽院に留学し、名教師としても有名なガラミアンについて更に勉強した後、ローザンヌ室内管弦楽団やバーゼル交響楽団のコンサート・マスターを経てカメラータ・ベルンのリーダーに就任したのです。

 彼のカメラータ・ベルン時代は実に十四年の長きにわたります。一九九三年にその任を辞し、最近はもっぱらソロ活動に重点を置いているようで、スイス・ノヴァリス・レーベルからソロ・アルバムも出していて、輸入盤ではありますが手にいれることができます。

 線は多少細くても、その音楽的なこと!優秀なアンサンブル・リーダーが制約を離れ、のびのびと音楽しているという趣で、大変楽しめました。コンサート・マスターという人たちの位置づけというのは、一般にはあまり知られていませんが、それはもう二番手に座っている人とは同じヴァイオリンを持ってはいても、全然やっている仕事は違うし、そのレベルも天と地ほども違うということが、こういったコンサート・マスターの音楽を聞く度に思います。
 小沢征爾を悩ませたシルヴァーシュタインやアムステルダムのクレバース、ロンドンのグリューエンベルクといった人たちの名前が連想されてきます。

 彼は、イ・サロニスティのメンバーとしても一九九〇年頃活動していました。あそこのメンバーでチェロを弾いているゼドラック氏も知り合いだとか…。当たり前ですね。今や、映画「タイタニック」の成功で忙しくってと、そのチェロ氏
の奥様が、ぼやいてましたっけ。
 この前CDを眺めていて、クラシック・コーナーに彼らの「タイタニック」のCDがあり、懐かしいお顔が表紙に印刷されているのに、あらあら随分出世したなぁーなんて思ったものですが、彼らがインターラーケン・サロン・ミュージック・フェスティヴァルに出ていたCDもあるそうで、今度探してこようと思っているところです。あっちょっと脱線しましたね。

 このカメラータ・ベルン。最近はCD業界不況も手伝ってか、なかなか新作がないのが寂しいのですが、あの「レンガ色の段々畑」の美しい町並みの中で、音楽をやっているのでしょうね。