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− 轍 ・ 04/12/29 (1) −

JR新大阪駅 実家を出て西武線に乗ると、まだ早朝だと言うのに車内はけっこう混んでいる。う〜ん、千葉の片田舎とは違うなぁ。新幹線も混んでいるのかと思って次々発の新大阪行にしたら、余裕で座れた。名古屋手前から外は雨模様となり、09:00位に新大阪駅着。このまま弁天町駅まで行ってしまうという手もあるが、どうせ濡れることになるのだから一緒だろう。新大阪駅で自転車を組み上げて、冷たい雨の中を走り始める。
新大阪駅からR423を南に下るが、大阪の街は勝手が違うので走りにくい。自転車はどこを走れば良いのか分からんし、新淀川大橋を渡ったら高架橋で大阪駅近くまで行かされた。淀川の堤防上を走るつもりだったが冷たい雨が堪らんので、最短コースにして地図で現在位置を確認しながら大阪港を目指すが、途中の橋は歩道の階段がダルくてやんなっちゃう。 新淀川大橋
天保山公園 やっと天保山公園に着いたときには既に1時間近くが経過していた。30分位で着くとみていたのに思いっきりオーバーしている。公園の入口付近に自転車を止めて歩いていくと、日本一低い山として有名な、盛土にしか見えない天保山には明治天皇観艦之所の記念碑が立っている。右手には安治川に覆い被さるように高速道路の高架橋が通っていて、その下に旧天保山灯台の灯塔と海保の巡視船が繋留されているのが見えた。
すぐ海側には渡船の待合所があったので、そこまで自転車を廻して、旧天保山灯台を見にいく。かなりしっかりした柵の外から入口を見ると、「安治川信号所」と記された木製の表札が掛けられている。灯籠も通常の灯台とはかなり趣が違い、コンクリート製の円筒に縦長の窓が並んでいるので、もともと灯台として建設されたのではないかもしれない。が、位置は間違いないようだし、灯塔は灯台そのものなので、埋立が進んだ後に改築されたのだろう。 旧天保山灯台
灯塔の海上保安庁マーク




が、そんなことはどうでも良くて、灯塔正面の中央部に鈍い金色に輝く海上保安庁のマークが付けられているのが目にとまった。いや〜カッコええやん! こんなん初めて見たで! 同じ大阪府にある旧灯台であっても、木造洋式のオリジナルが史跡として残されていた堺燈台に較べて、この天保山灯台はほとんど誰にも相手にされていないのだが、思いもかけぬ獲物であった。
渡船は自転車も乗れるようだ。時刻表を見ると概ね一時間に2本。今さっき出ていった船が見えたので、次の便までは30分近くある。自走した方が早いだろうが、雨降っててダルいし、料金が掲示されていないところを見るとタダかもしれないし、折角来たのだから乗ってみることにした。寒々とした待合室に入ると、外国人らしき女性が一人、マクド(関西風)のハンバーガーを食べている。こんなところで珍しいなぁ、と思っていたら、更に2人やってきて英語で何やら喋っている。やっとUSJに勤めている方々であろうと思い至った。
船の出る時間までヒマなので天保山公園をぶらぶら歩くと、隣接する天保山ハーバービレッジの大観覧車がゆっくりと回っていた。このクソ寒い中、よく乗る奴がいるもんだ。大阪の海の玄関口である天保山岸壁には豪華旅客船が接岸することも多いようだが、今日はそんなものは見当たらず、閑散とした公園には雨だけが静かに降り続けていた。 天保山大観覧車
天保山市営渡船 大阪市営の天保山渡船は思惑通り無料であった。関西人はセコイと思っていたが、う〜ん、太っ腹! いや、乗客がセコイから無料なのか、などと考えつつ自転車を押して乗り込むと、10人ほどの客を乗せたデッキだけの小さな船は、すぐに岸壁を離れていく。船上から旧天保山灯台を見送り、僅か数分間の船旅を終えて桜島に上陸する。
此花大橋の歩道をぐるぐるループのスロープで登って舞州埋立地に渡ると、左右には怪しげな建造物が聳えている。なんでこんな訳の判らないところに来たかというと、この先には灯台表に塔高50mと記載されているた大阪灯台がある筈なのだ。展望塔に併設された灯台としては横浜マリンタワー灯台(106m)や江ノ島灯台(60m)があるが、専用灯台であれば出雲日御碕灯台(43.7m)を抜いて日本一の高さとなる。それを確認するためとはいえ、やっぱりダルいぜ。 舞州埋立地
大阪灯台 夢州埋立地に繋がる歩道工事中の橋の入口には「一般車進入禁止」と書いてあったような気もしたが、きっと気がしただけだろう。橋の上から、ついに殺伐とした埋立地の先端に立つ大阪灯台を明瞭に視認した。しかし埋立地は明らかに完成しておらず、灯台までの道路もあるのかわからないような状況だ。案の定、警備のオッサンに作業中なので一般人は立入れないと言われて、写真だけ撮ってスゴスゴと引き返すのであった。
仕方ないから舞州埋立地の北端にむかう。ヘリポートのフェンスの向うに赤色の大阪北港北灯台が見えているが、海岸沿いには柵2発。格納庫には動いている人影が見えたのでヤバいかと思ったが、わざわざ新大阪駅から冷たい雨の中を走ってきたのに獲らない訳にはイカンでしょう、ということで、強行突破する。灯台は赤色だが、よくあるような紅色ではなくて稲荷の鳥居のような朱色なのが珍しい。水路を挟んだ向う側には、やはり赤色の大阪常吉防波堤灯台があり、さらに淀川河口の背後には尼崎から西宮あたりの街並みが連なっているのが見えた。ようやく雨があがった空には雲間の奥から青空が姿を現すようになり、常吉大橋を渡って淀川沿いを戻り、R43を左に折れて神戸を目指すことにする。やがて左門殿川を渡ると兵庫県。道路の横には防音フェンス、頭上には高速道路が続くので、暗くて鬱陶しいし、大型車がガンガン通るし、とにかくダルい道だ。はっきり言って自転車で走って楽しい道ではないので、もう二度と走ることはないだろう。
やがて甲子園球場が現れた。私はプロ野球には全く興味ないし、高校野球が爽やかだとのたまうほどボケてもいない。それどころか、皆様の視聴料で放送させて頂いているNHKが何故に高校野球だけ連日独占生中継するのか、全くもって納得イカンという性格なので、ホントにどうでもいいのだが、壁一面に蔦の絡まる建造物はそれなりに渋いので、歴史的価値を認めて写真ぐらいは撮ってあげよう。 阪神甲子園球場
大関酒造今津灯台 海に向って甲子園球場から細い路地を通っていくと、小さな野球場の横の小さな船着場の先に大関酒造今津灯台があった。灯台表には黒色と記載されていたので、どんなだろうと思っていたら、黒塗り板張り高燈籠様式の純和風灯台だ。現在は使われていない保存灯台にしか見えないが、ちゃんと現役の灯台で、灯籠の格子の隙間からは緑色の不動レンズが覗いている。
大関酒造今津灯台は、その名の通り「大関」醸造元の長部家五代目長兵衛によって樽廻船や漁船の安全を祈願して文化七年(1810年)に建てられた灯明台が起源となっている。灯台下部の石積みの台座には、建立の年と六代目文次郎により再建された年が並んで記されていた。 石積みの台座


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