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− 轍 ・ 04/05/03 (1) −

4時頃に目が醒めた時には殆ど止んでいた雨が、朝メシを食べ終わった頃に再び降り始めた。仕方ないので、生乾きの雨具を着て走り始める。賀田湾に沿って走って行くと、道路のすぐ脇に赤色の古江港灯台を発見。雨の中で写真を撮ろうとしていたら後から声を掛けられたので、振返ってみると玉助さんだった。今日は車の中に可愛いお子様も連れていました。
玉助さんの車に先に行ってもらって、雨の中をチンタラ走っていく。賀田を廻り込むと、曽根にあった神社は鬱蒼とした森が雨に濡れて、とても素晴らしい。当然、寄って参る。賀田湾の対岸には、先程通り過ぎた古江の街並みが斜面に貼り付いているのが見える。 賀田湾
賀田大埼燈台 賀田大埼燈台は古江から見えていたが、陸からだと判り難い。トンネル横の通行止めの旧道を歩いていって、木の枝に赤テープが下がっていた所から強引に海岸まで降りたが、かなり手前側に見えている。道まで戻って少し手前から再び海岸に向かうが、ある様子ではない。何度かウロウロした挙句に送電線が見えるのに気付いて自転車で戻っていくと、道端には玉助さんの車が停めてあった。滑り易いコンクリートの道を下ると、やっと賀田大埼燈台が獲れた。不動レンズを見ると灯火は緑色のようだ。賀田湾のちょうど対岸に位置する赤色の古江港灯台と対になって、賀田港への航路を示しているのであろう。道路まで戻って玉助さんと話をすると、彼は既にコスギ鼻灯台にも行ってきたというので、ここで別れることにする。
さっきのトンネルを抜けたら梶賀だった。通行止めの旧道はコスギ鼻を廻っていた道だったことに、やっと気が付いた。梶賀側のゲートは脇をすり抜けられたので、自転車で侵入してコスギ鼻に向かう。送電線に沿って山道を下ると、急斜面に建てられたコスギ鼻灯台が見えてきた。 コスギ鼻灯台
コスギ鼻灯台の不動レンズ



コスギ鼻灯台の不動レンズ。海上保安庁発刊の『灯台表』によれば、灯質は単閃白光で毎5秒に1閃光である。一般公開されているような大型の灯台は回転式レンズばかりだが、マイナー灯台の多くには、この不動レンズが使われていて、灯火の点滅によって閃光を放っている。レンズ上部や周囲の手摺りにはV字型の針金が多数付けられているのだが、何のためでしょう?
最奥の梶賀は、R311から見捨てられた静かな漁港だ。93年発行ののツーリングマップではR311は梶賀から海沿いを通っていくように描かれていて、コスギ鼻をショートカットするトンネルの梶賀側出口が不自然に折れ曲がっているのが計画を途中で放棄した名残であるようだ。 梶賀港
神社の注連縄





梶賀の神社に飾られていた注連縄には『蘇民将来子孫門』の護符とダイダイが付けられていた。年末に神島で見かけたものは護符が木の板だったが、これは紙の護符で『蘇民将来子孫門』の文字の下には五芳星のセーマンと格子縞のドーマンが描かれている。ここも伊勢の文化圏なのだろう。
R311は曽根のすぐ先から交通量に見合わない高規格トンネルで山をブチ抜いている。きっとバブル崩壊後の景気対策とやらで、既に完成しているトンネルのことなど忘れて『ど〜せ掘るなら気前良く掘ろうや』といって掘ったのだろう。地方の道路建設が地元の利便の為ではないことが思いっきり良くわかるのであった。 柱状節理の海岸
楯ヶ埼 楯ヶ崎への遊歩道入口の駐車場には数台の車が止められていて、玉助さんの車もまだあった。二木島燈台へと歩いていくと、案の定、玉助さん御一行様にすれ違った。二木島燈台も灯台ウォーク&フォトラリーの対象になっているせいか、他にも歩いている人が結構いた。
半島先端の楯ヶ崎は、まるごと柱状節理でできた小山が巨大な楯となって海に浮かんだような、見事な景観を造っている。R311の遊歩道入口から結構歩かなければならないのだが、それだけの価値はある風景だ。振り返ると、木立の中からは白亜の二木島燈台が、雨上がりの青空をバックに美しい姿を見せていた。二段の円形テラスが特徴ある形状だ。 楯ヶ埼の柱状節理
英虞崎の柱状節理 楯ヶ崎から英虞崎の間には千畳敷と呼ばれる広い岩の平原が広がっている。ここは神武天皇が上陸したと伝えられている場所であるらしい。二木島燈台の下は巨大な一枚岩の岩床になっていて、その先にも柱状節理の壁が立ちはだかっている。英虞崎という地名は、遊歩道の途中にあった阿古師神社とともに、ここが伊勢の国の領域内であることを示しているのだという。
二木島で水を補給して走り続けていくと、波田須で『徐福の宮』と書かれた小さな看板が目に留まった。民家の間を縫うような小径を抜けていくと、集落の外れの小高い丘の上に小さな社があった。徐福は、秦の始皇帝の命令で不老不死の霊薬を求めて蓬莱山に渡った人々のことであるが、その一部が日本の熊野地方に流れ着いたという言い伝えが残されている。波田須の地名も、元は『秦住』であったらしい。 除福の宮
波田須



波田須の集落の下には、徐福が流れ着いたという矢賀の磯が広がっている。いまだに自転車で走り続けているのだから、気の向くままにメインルートを外れて寄り道をしながら旅したいものだ。


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